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2018.04.23---2020.12.04 Ver.16.20

第1部 現代デザインの矛盾とその歴史的根拠

1. 問題提起

 筆者が十数年前にニューヨークに行った際、MoMAを訪れ、そこで1960〜70年代に登場した日本の家電メーカーの作った家電・音響機器が展示されているのを観たときに、自分の学生時代を思い出した。その頃、工業デザインという世界が新聞や雑誌に紹介されるたびにある種のあこがれを持ち、そういう仕事やってみたと願うようになった。その頃筆者があこがれを抱いたデザイン製品がいまこのMoMAに現代美術の一つの代表的「作品」として展示されている。確かにこれはすばらしいことである。

 しかしそれから半世紀近くの間に筆者は予想もしなかったさまざまな体験を経て、いまこうして現代デザインを批判せざるを得ない立場に立っている。それは人類の生活文化の上で大きな影響力を持ったデザイン行為がその背後に孕む、矛盾と歴史的運命を私に気づかせてきた過程であるといえるのかもしれない。

1.1. 「デザイン商品」の矛盾1.1.1. アノニマスな生活用品から「デザイン商品」への道

 東京駒場にある日本民芸館は周知の様に柳宗悦氏が設立した民芸品を収集した博物館であるが、そこには柳の「民芸」に対する思いが込められている。

 そこにはまだ資本主義経済が浸透していなかった時代に生み出された無数の匿名の生活用具のもつ優れたデザインに対する驚きと賞賛の気持がある。

 著名な作家の名前が入った作品がそれゆえに「価値」が高いとされ、商業ベースに乗る様になった近代社会の中で、それは逆にある真実を物語っていたからであろう。

 民具のアノニマス性が取り上げられる様になったのは、むしろ工芸作品やデザイン商品などが市場で売買される近代以降になってからのことである。

 つまり普通に用いられる生活用品が、商品として市場で売買されるようになる以前は、ある地域社会の中で、必要とされる生活用具や食料衣類などは、ほとんど自給自足に近い形で生活者自身によって作られ消費されてきた。だからそこには生活用品を誰が作ったかということなど決して問題にはならなかったのである。

 そこでは、生活資料を生みだすために必要な道具(労働手段)や素材・原料などを含む生産手段は生活者自身の手もとにあり、生活者自身が自分たちに必要な生活資料を必要に応じて作り、小規模な地域社会的分業の中で互いに分担生産し合い需要し合っていた。

 だからそのデザインはその社会で支配的な階級の人々が自らの権威を象徴するために必要とした誇張や見せかけの華美とはまったく縁はなく、使用の目的に対してウソのない正直な形態のデザインであった。それが今日「民芸品」と呼ばれるものの美しさを生みだしていたのである。

(ここに民芸品の例の写真を入れる)

 しかし、商品経済が全面化する近代社会が形成される中で、商人たちが単にモノを安く仕入れて高く売る商売だけではなく、商品としてのモノづくり(本書では人工物を「モノ」と表現する)を彼ら自身の手で行うことに目を付け始めてから、それを実行するために、農民の土地や職人組合の工房などの生産手段が彼らに買い取られ、商人たちは、みずから商品を生みだす資本家になっていった。

 そのためモノづくりの手立てを失った生活者たちが生活に必要なモノを商品として販売店で購入しなければならなくなった。しかし、そのためにはオカネが要る。そのため、生活者は資本家の経営する企業に雇用され、そこで資本家企業のために働くことで賃金を得て、それによって必要な生活資料を商店から買って生活しなければならなくなった。

 生活者は、こうして資本家企業に労働者として雇用され、そこで資本家企業が所有する「モノづくりの手立て」つまり生産手段を使って、自分のモノづくり能力を資本家の商品づくりのために捧げながら、それに対する「報酬」として受け取る賃金で、そこで生みだされた商品の一つである生活資料を買い戻すという形で生活することになったのである。

 こうしてやがてすべての生活資料が資本家の支配のもとで「売るための商品」として生産されるようになったため、モノづくり労働は生活者自身の意図によるものではなくなり、資本家の意図を反映して安い商品を大量に生みだすための効率が最優先されるようになり、労働内容がバラバラに切り刻まれて細分化され、工場の中で同時並列的に行われるようになった。労働者たちは、効率化のために採り入れられた機械の従属物となってしまい、長時間の過酷な労働を行うことで受け取る賃金によって生活を支えせざるを得なくなったのである。こうして産業革命は産業資本主義のもとでのモノづくりのかたちとして社会全体を支配することになり、それまでの「モノづくり」の在り方を根底からひっくり返してしまったのである。

 その結果、労働者自身の内発的意図ではないバラバラに細分化されモノづくりの喜びと誇りを失った労働によって資本家の工場から大量に生みだされる商品は、商品全体の在り方や形に関して労働者自身ではなく資本家自身が考えねばならなくなった。しかし資本家はもともとモノづくり職人でもなければ設計技術者でもない。そこで資本家の意図を代行するために専門的知識を持った人が雇用されるようになった。最初は商品の全体像を考える職人親方出身の技術者などが主であったが、やがて「売れる商品」をつくるために商品全体を魅力的にすることができる新たな職能人が雇用されるようになっていった。それが近代的職能としてのデザイン、つまりデザイナーの発生根拠であるといえる。

それは本質的に「売るため」の手段としての商品の全体像であり、購買欲をそそり消費を生みだすための姿であって、本当の意味で生活に必要なモノとして生活者自身が自らの必要から生みだしたモノではなかったのである。

 こうしていま、私たちが目にする生活資料商品がもつ「使うため」と「売るため」の間で生じる矛盾の持つある種の虚偽性に気づいた人々から見ると、つくる人と使う人が同じ目的のもとに置かれているかつての「民芸品」が、初めて正直で偽りのない美を持った本来のデザインの姿であったということに気づき始めたのであろう。

1.1.2. いつの間にか生活必需品化される高額家電やクルマ

 東日本大震災直後の2011年5月2日、朝日新聞「声」欄に、Tさんという当時74歳の方が「私は原発つくらせた覚えない」という投書をしている。その内容は、4月23日に同欄に掲載された「事故の一因、我々の生活にも」への批判として書かれている。

 4月23日の投稿には、「電力会社に原発を造らせたのは誰か、自販機もネオンも高速道路の電灯もみな、私たちが要求し続けた結果だ」と書かれているが、Tさんはこれに反発して、以下のように言う。

 「私たちはエアコンなしでは暮らせぬ都会の家に住まざるを得なくてエアコンを買わされました。地デジテレビも要求したことはありません。私は布団カバーやシーツ以外は手洗いですから、二槽式洗濯機で充分。それが壊れて買い換えようとしたら、店頭にあるのは、ほとんどが全自動式で乾燥機付きです。業界の思惑で、ぜいたくな家電だらけの生活に追い込まれていると痛感しました。原発をなくすために、どのような生活をしなければならないか、よく考えようという意見には賛成です。しかし、もっと深く考えてもらいたいのは、原発を国策として推進してきたのは政官財で、私たちは二度とその口車に乗らないように心すべきです。」

 私は、このTさんの投書を読んで、まったくその通りだと痛感した。

 戦後間もない頃は、食うや食わずの耐乏生活だった人々が、やがて食料が出回り、小さなアパート暮らしで狭い台所で食事を作らねばならなかったとき、電気釜の登場は「革命」であった。やがて、トースターやオーブン、そして電気冷蔵庫が登場して食事作りは一変し、電気洗濯機が登場して洗濯時間も激減し、家事労働の負担は縮小した。その後、高度経済成長期にはルームクーラーとTVが登場、やがてクルマが家庭に入ってきた。それによって住宅建築や生活形態そのものが激変した。それまで夏は外気を採り入れて軒に日陰をつくって過ごしてきた人々の生活は、断熱壁で囲まれた閉じた部屋でエアコンなしには過ごせなくなった。生活消費財の流通は量販というスタイルが浸透し、TVコマーシャルで宣伝される品々をスーパーや量販店にクルマで行って購入する生活があたりまえになっていった。

 この時代、産業界の要請のもとで、こうした高額家電製品やクルマといった「耐久生活消費財商品」のデザインを受け持たされるようになったのが工業デザイナーである。

 賃金の上昇が続く中で、目新しい高額商品を次々に購入することが「夢の実現」とみなされ、こうした生活形態の変化を促進させるとともに、それがやがて標準的な生活スタイルにされていった。人々はこうして産業界や政府の政策によって「夢」を上から与えられ、その結果それを欲しがるようになったことを「社会的ニーズ」としてあたかも生活者側からの要求が最初にあってそれをデザイナーの力を借りて実現させるのが産業界や企業の役割であるかのように思わされてきたのである。

 しかし、この高額家電製品やクルマなどは、実は生活者を商品の「消費者(実は購買者)」として考えている資本家たちによって生みだされたモノであり、結局その高額な商品を生活必需品化することで、社会的にモノの消費量を増やし、その商品流通の過程で社会的富が貨幣資本という形で資本家の手元に環流し蓄積するシステムができながっていったのである。

 その過程で電気やガス水道は必須のインフラとなり、資源やエネルギー消費量もうなぎ登りに上がっていった。そして2011年3月11日、まるで大自然からの警告のような突然の大震災によって 原発は突然動かなくなり、放射能の恐怖が襲いかかり、電力供給が絶たれ、家庭生活はおろか企業の生産活動も医療活動もストップしてしまうという事態になったのである。多くの人々の命が奪われるとともに、大量の家電製品やクルマなどがあっというまに巨大な瓦礫の山と化してしまったのである。

 いったいあの高度経済成長で築かれてきた私たちの生活とは何だったのだろう?いったい自分たちが行ってきた仕事とは何だったのだろうか、と疑問を抱いたデザイナーもいるに違いない。

 この事態に対して、これほど危険な原発を「必要化」させるような社会経済システムを生み出してきた本当の原因を明らかにし、その誤りを正そうとするTさんの様な意見が出てくるのは当然である。

 これに対して「原発を全廃せよというのは非現実的だ」とか「ニッポン経済をもとのように元気にするには原発は必要だ」などという主張を掲げる人々が現実主義者の様に振る舞いながら、いかに生活者の視点から現実や社会の全体像を見ようとしない人々であるかが分かる。

 彼らは、「経済成長」という名の下に「新たな必要」を上から与えて生活者の欲求を引き出し、「消費拡大こそ経済成長の原動力」と叫びそれを実現することがあたかも豊かな社会の実現であるかのように思わせ、そのために原発推進の旗を振ってきたことへの反省の色がまったく見られないのである。

1.1.3. 均一化される生活スタイル

 いまではほとんどの労働者が「働いてオカネを稼げば、欲しいモノは何でも買える」資本主義社会をむしろ肯定的にとらえ、「ゆたかな生活」を目指して懸命に働いき、自分をその社会での「中間層」であると自覚するまでになっていった。

 人々は、仕事が失われていく地方を捨て、就職の機会が多く、職場での情報のやりとりの利便性や「買い物」や娯楽を楽しむ機会も多い、都会にどんどん住むようになっていった。その結果、いまでは日本の全人口の半分以上が首都圏や京阪神、中京圏など大都市圏に住むようになり、地方は過疎化し衰退していった。

 しかし、これが進むにつれて、地方のかつての歴史的に形成された町並みは消滅していくと同時に、首都圏などでもかつてその地域で長年商売を営んできた小商店が新たに進出してきたスーパーやコンビニなどの大資本の量販チェーン店によって駆逐され、耐久消費財商品も大規模量販店によって行われるようになっていった。

 この波は全国に拡大し、そこには全国どこに行っても同じスタイルのチェーンストアが建ち並び、かつてあった町並みのローカル色は失われていった。その一方で、こうした状況に昔を懐かしむ気持ちが大きくなっていくことを新たなビジネスチャンスとしてとらえ、「まち興し」として登場した観光業界によって、恣意的に古い昔の町並みを復活させているところも多い。しかしそれはもはや生活スタイルの表現ではなく、「地方名産おみやげ品」と結びついた観光産業資本の「客集め」的なものでしかない。こうして資本の論理は画一化された生活スタイルを全国に普及させていった。

 これらの生活スタイルの変化は、「どんどん売ってどんどん買わせる」という資本の論理の浸透と「合理化」の結果である。生活者はいまでは自分の手で自分の生活を生みだすことができないので、商品を買うことでそれを行わざるを得ない。資本家企業が「売るために」デザインし、つくった商品を「消費者として買う」ことが自分の生活スタイル表現になっているのだ。

 それは同時に画一化にあきたらない人たち向けに商品を「差別化」するという「別の売り方」も浸透させた。「商品の差別化」のためにデザイナーが考えた目新しいスタイルを、あたかも消費者の個性の表現であるかのようにして売り込み、それまであまり必要なかった新機能を「欲しがらせるために」つけて競合他社製品と「差別化」した商品を売り出すことが「価値創造」あるいは「付加価値を生む行為」とされるのである。

 そしてその商品市場では、「便利さ」「快適さ」「かっこよさ」などが売り文句となり、次々に売り出されるニューモデルはそれ以前のモデルに比べるといかに便利になりさまざまな新機能が付き、生活に快適さと目新しさをもたらすかが「近未来の夢の実現」というふれ込みで商品開発競争の目標となり、人々はそれらの商品を次々に買い換えることで便利さや快適さを手に入れようとする。

 その結果、いまでは資本主義社会特有の産物である「新貧困層」といわれる人たちも高い通信料のスマホを持たねば生活できない様になり、アパートの部屋代は払えなくともスマホの通信料は払い続けるという生活を強いられている。

1.1.4. 100円ショップとグッドデザイン・ショップ

 20世紀末から今世紀初頭にかけて、「価格破壊」といわれる現象が市場に現れ、生活資料商品の市場に大きな変化があった。21世紀に入る直前から、日本ではいわゆる100円ショップ(百均)が街に登場しだした。そこに並べられている商品は、これも100円で買えるのか!と驚かされるモノが多い。

 この100円ショップが街に登場しはじめた頃から、実は世の中の「格差」が目立ち始めたのである。つまり「格差社会」の進展にしたがって100円ショップの持つ社会的意味が大きくなってきたのである。

 100円ショップでは、品質やデザインを問わなければ最低限必要な生活用具はほとんどすべてそろうのである。これは収入の少ない人々にとってはまことにありがたい存在である。いわゆるワーキング・プアーの人たちや乏しい年金で生活する人々の多くは日々の暮らしに必要な生活用品を100円ショップで求めざるを得なくなっているのである。

 一方、お金に余裕のある人々は、100円ショップなどに用はなく、そのリッチな生活感覚に相応しい品質やデザインのよい商品を有名ブランド店やいわゆるグッドデザイン商品へと食指が動いていく。そのためわが国での「モノづくり」は一方では100円ショップに代表されるような低価格な商品へ、他方で「付加価値」の高い高給商品へと「デザインの二極化」が進んでいるといえる。

 それでは、なぜこのように安い商品が出回るようになったかといえば、それはグローバル化した市場で、労働力の安い国で作られた商品が、大量に進出しだしたからである。これら100円ショップで販売されている商品を生産している国の労働者たちは、驚くほど低い賃金で長時間働かされているのである。彼らがなぜそのような低賃金で暮らしていけるのかといえば、生活に最低限必要なモノ(食物・衣料費や住居費など)が彼らの国では驚くほど安く、また質素な生活なので、われわれのようにモノを次から次へと買い替えることも少ないからであろう。

 労働賃金というものものは、その基本となる労働力(すなわち労働者の能力)の価値が、労働力を生み出すために日々の生活の中で消費しなければならない生活資料(衣食住など)の価値によって基本的に決まるのである。

 雇用者である企業の経営者(資本家)にとっては「生産費用」の一部(人件費)でしかない労働者の賃金に決して無駄な出費はしない。つまり、安い生活資料でも生活できる人々には同じ労働時間であっても安い労働賃金しか支払われない。そしてそのことが、国境を超えてグローバル化した商品市場で資本家どうしの激烈な価格競争に勝つため、出来うる限り安い労働力を得ることが必須の条件となったのである。

 資本のグローバル化が進むことで、かつて「モノづくり立国」を誇ったわが国で生産された生活資料や耐久消費財商品の多くが、アジアなどの賃金の安い国の労働でつくられた安い商品との価格競争に負けて市場から駆逐され、国内の多くの生活資料生産企業が衰退し、生産拠点を海外のいわゆる「開発途上国」に移し、そこで自社の資本の維持発展のために現地の労働者を低賃金で長時間働かせる形を採るようになった。国内では企業全体の業務内容の大幅な変更を迫られ、生産現場で働いていた多くの労働者は不本意ながら販売関係の仕事に配置転換させられたり、非正規雇用化されたり、解雇されたりして、貧困化していったと考えられる。

 その結果生みだされた「新貧困層」の人々にとっては、逆にアジアの低賃金労働者の労働によってもたらされる100円ショップの商品が、いまや生活上必要不可欠になりつつあるという皮肉な結果を生じているともいえる。

 そしてこのような形でアジア諸国の低賃金労働者とわが国の「新貧困層」が実生活の上で実は密接な結びつきの元に置かれていることが見えてくる。つまり雇用を求める求職者の立場から見ると一見、「労働力市場での競争相手国の人たち」と見える国々の人々が実は互いに同じ様な立場で生活水準の低い位置に置かれていることが見えてくるのである。

 一方 グッドデザイン・ショップに並ぶ高価な商品を購買できるのはこうした労働者の淘汰の中で生き残った比較的高賃金の頭脳労働者や、自営業者、医者、法律家、公務員、などのいわゆる「中間層」、そして巨額の収益を上げているグローバル資本の一翼を担う新興資本家や投資家そしてその「おこぼれ」を頂いてリッチな生活をする不動産業者や観光業・レジャー産業者などで構成される「新富裕層」の人々であろう。

 この種の高価な商品はある意味で「ステータス・シンボル」としての機能をもっており、市場での「差別化」のため、実際の価値(それを作るのに投入された平均的労働量)をはるかに超えた高い市場価格で売られる。いわゆる「付加価値商品」である(これについては6.2.3節で詳述する)。

 「高度経済成長期」や「バブル時代」には、資本家の資本蓄積が順調だったため、「中間層」の比率を高く維持できたが、資本のグローバルな競争が激化するにつれて資本家の財布も厳しくなり「人件費」削減を余儀なくなれることで「中間層」が減少し、一方でグローバル資本の競争での勝者である一握りのリッチな「新富裕層」と、他方で「分厚い中間層」から脱落して非正規労働者になり、不安定な立場のもとに置かれた労働者、そしてかつて「ゆたかな生活」を求めて必至に働き資本家たちの高度成長を支え、いまでは退職してわずかな年金で生活する高齢者、さらにあらゆる職場から蹴落とされ住む場所も失った路上生活者など競争社会から脱落した「ワーキング・プアー」、「ニート」などの人々による「新貧困層」に二極化されていったと考えられる。

 そしてデザイン商品市場もこれに対応して二極化されつつあり、それがグッドデザイン・ショップと100円ショップとの関係に象徴的に現われているように思えるのである。

1.2. 私たちの近未来社会は誰がデザインするのか?1.2.1. 持続可能な社会を実現できない現行の経済システム

 こうしたモノの大量生産と大量消費によって企業活動や経済体制が維持発展するという社会のスタイルが進むと、それを支えるための電気、ガス、水道などのエネルギー需要も急増し、また通信インフラも重要になってくる。しかし、このインフラ建設やそのメンテには莫大な資金が必要であり、その多くを巨大資本が担うことになる。そのため出来るだけ効率よくインフラ経営を行うために中央集中的管理が進み、いったん自然災害などでインフラが破壊されればたちまち人々の生活は危機に陥ることにもなる。現にこうした自然災害にともなう大規模な都市災害は近年急速に増えている。

さらに社会的に消費するエネルギーの急増は、それを供給するための発電設備やガス精製装置、給水設備などの重要を高め、地球上の限られた自然資源はこれらの開発のためにどんどん使い尽くされていった。そして、同時にどんどんモノを買ってまだ使えるモノを捨てて新しい製品に買い換える、という生活習慣がうみだされることで、生活廃棄物が急増し、クルマや工場から排出される大量の二酸化炭素によって地球環境が汚染され、全地球的規模での気候変動をもたらしている。

こうした状況はすでに「高度成長期」といわれた1960-70年代から顕著になり始め、それに対する社会的関心も高まり、1980年代には企業へのクルマの有害排気ガスを減らすための法的規制が実施された。しかし、排気ガス処理装置が組み込まれたクルマでないと売れないことになったため、メーカーはこぞってコスト高になって市場での競争力が落ちるという理由でこれに反発した。

 ところが、現実に地球規模での自然環境破壊が進んでいる事実が徐々に資本家経営者の認識するところとなった後は、今度はガソリンの消費量を減らし、有害排気ガスの少ないクルマのエンジンを各社競って開発するようになり、有害排気ガスが少なく燃費の良さがセールス・ポイントになっていったのである。

 世論の高まりにつれて、「クリーン」や「省エネ」が、商品イメージを高めるキーワードと判断され、市場での競争に有利であると判断されるようになり、たちまち電気製品などにも「地球にやさしいエコ商品」というイメージ戦略が宣伝の中心となっていったのである。

 これ自体は大変結構なことであるが、その反面で今度は「地球温暖化を防ぐため一人一人の心がけを」とか「消費者の意識革命こそが必要だ」などといってあたかも一人一人の心がけ次第で地球温暖化問題が解決されるかのように、消費者に責任を負わせ、それを逆手にとって消費者に対し「地球にやさしいエコ・デザイン製品」への購買欲をそそる商法が一般化した。

 ほとんどの人々は、こうした世の中の流れの中で、「エコ製品」に買い換えることで自分は電気代を節約しながら地球環境を大切にするために貢献したという自負や満足感を感じるかもしれない。しかしそれによって地球全体の資源やエネルギーの消費量は本当に減少しているのだろうか?

 こうして省エネのために「エコ商品」に買い換える人が増えれば、たしかにそれまでよりエネルギー消費量は減るかもしれない。しかし産業界全体の視点から見れば「エコ製品」の販売促進による「経済成長のための消費拡大」は相変わらず推進され続けるだろう。

 そのため「エコ商品」を作るために用いられるエネルギーや原材料の消費の上昇率は下がっても相変わらず全体としては増え続けるだろう。たとえ「消費大国」の人々がすべてエコ製品を使ったとしても、世界的な「経済成長」により「消費大国」が増えて行くだろうし、地球全体としてのモノの生産量・消費量が減らない限り石油やレアメタルなどの地下資源もいつかは枯渇するだろうし、廃棄物による地球全体の気候変動もどんどん進むだろう。

 いま国連などが推奨する「持続可能な経済発展(SDGs)」のスローガンのもと世界中でサステイナブル社会の必要性が叫ばれるようになり、世界的にこの運動が盛り上がっているように見える。

 その一方で世界の資本主義経済をリードする「先進諸国」の政権は、相変わらず「消費が拡大すれば経済が活性化され企業の収益も上がって労働者の賃金も上がり経済の好循環が生まれる」という「経済成長神話」を信奉しているようだ。

 しかし、もし人口14億以上の中国や13億ともいわれるインドや3億以上のインドネシアなどの国々や人口の多いアフリカ新興諸国などが「経済成長」の結果、アメリカやヨーロッパそして日本と同様かそれ以上の「消費大国」になった場合、地球はどうなるか、結果はすぐに想像できる。資源の枯渇と自然環境の致命的な破壊である。

 SDGsを本当に実現させるには、全地球でのトータルな資源やエネルギーの消費量を減らさねばならないのであって、それが本当の意味での「エコ」であり「サステイナブル」のはずなのだが、今のいわばアンコントローラブルなグローバル市場競争を前提とした資本主義経済体制は消費を増やすことこそが経済を(したがって資本を)潤し、労働者の雇用の機会を増やしていけるという構造になってしまっており、基本的にそれができない仕組みになっている。

 現実には、消費拡大による「経済成長」がなければ、成り立たない経済システムは、一方で資本の成長による一握りの超富裕層を生みだしながら他方では、資本家企業に雇用されなければ生きてゆけないため、非正規雇用で不安定な低賃金労働に甘んじ、富裕層のおこぼれを頂戴しながら生活する観光・エンタメ業種などで働きながら貧困と不安定な生活にあえぐ人々の数を増大させているのである。

 「持続可能な経済発展(SDGs)」といえば聞こえはいいが、いまの資本主義経済システムの下においては「経済成長」とサステイナブル社会の両立は不可能であるといわざるを得ない。

 この現代資本主義経済体制の「絶対的矛盾」にありながらそれを覆い隠し、人々を「経済成長神話」などで欺き続けているのが現代のグローバル資本主義を代弁する政権なのである。

1.2.2. COVID-19パンデミックが明らかにした資本主義経済体制の矛盾

 世界中が「グローバル資本」に支配され、「消費拡大による経済成長」を看板に、世界中の国々の経済をアンコントローラブルな巨大な渦ともいえる資本主義経済体制の流れに巻き込んでいくいま、突然、思いもしなかった形でその体制を危うくさせるかもしれない相手が登場した。新型コロナウイルス(COVID-19)である。

 そのウイルスは中国から始まり、日本やヨーロッパ、そしてアメリカ大陸へと拡散し、その後ブラジル、インド、ロシアなどでも人口が集中する大都市圏を中心に爆発的感染拡大が発生し、1年近く経ったいまも再びヨーロッパで第2波が爆発するなど全世界で猛威をふるっている。2020年秋の時点で、すでに4000万人以上の感染者と100数十万人の死者が出ており、おそらくワクチンが開発され全世界に普及するか、あるいはいわゆる集団免疫が世界的に獲得されるまでは数年にわたってこのウイルスの脅威は地球を覆い尽くすだろう。

 世界のいわゆる先進資本主義諸国では感染拡大防止のため一時外出禁止令などが出され、日常生活が厳しく制限され、経済活動がほとんど停止した。そしてそこではまず、爆発的感染拡大で医療体制が危機に瀕し、医療従事者たちがつねに感染のリスクの高い中で、限界まで働かされる苛酷な医療現場により、医療崩壊があちこちで生じ、悲劇的状況となった。それにもかかわらず、医療施設ではコロナで通常の患者が減少して経営が成り立たなくなったとして医療従事者のボーナスや賃金がカットされた。

 日頃からこうした状況を想定せず、いつ起きるとも分からない自然災害やウイルスのパンデミック防止などに要する緊急時のための国家予算を「経済成長に結びつかない無駄な投資」として削減し、目先の「経済成長」のために大企業の国際競争力強化にばかり力を注いできた政策の重大な誤りがこうして表面化した。医療のような公共的事業を資本家的経営に任せること自体が誤りであろう。

 経済活動への制限でグローバル資本はその流れを一時停止してしまったが、このまま行けばまさに世界中が網の目の様に組み込まれている生産と消費のシステム(サプライチェーン)全体が危機に陥り、それによる経済破綻がまたたくまに全世界に波及し世界全体の経済・社会崩壊の危機がやってくるかもしれないと判断された。

 そのため各国政府は感染拡大が収まっていないにもかかわらず、この封鎖状態を緩めて経済活動を再開しようとしたが、それによってしばらくたってから再び第2波、第3波のパンデミックが始まった。スエーデンでは最初から「個人の自主性に任せる」として厳しい規制をしなかったため、経済活動は持続され、人々は街のレストランで食事もした。そのため感染者が急増したが、ある程度までいくと、「集団感染の獲得」が成されたらしく、感染が拡がらなくなった。「個人の自由が規制される」として厳しい行動規制に批判的な人々はこれを評価するが、実はその陰で多数の高齢者や病弱者が亡くなっている。いわば高齢化した社会で「生産性の低くなった高齢者」をウイルスが「処分」してくれるのを、手をこまねいて傍観していたといわれても仕方ないのである。

 現在の経済体制下では、ウイルスの感染拡大阻止と経済活動維持はいわばトレードオフの関係にあるといわれ、グローバル資本は重大なジレンマに立たされている。

 日本でも従来の不況時の様に、政府がオカネを市場にどんどん流し込んで消費を促しても、人々の生活や行動が感染を恐れての自粛などで抑制されざるを得ず、「モノ・カネ・ヒト」の流れは縮小している。

 そのためまず小規模飲食店や観光業などが経営危機に立たされ、政府が彼らに対する生活費の一時金給付や「Go toキャンペーン」と称して、観光産業新興のために補助金を出したりしているが、その一方で多くの企業で労働者の自宅待機による賃金カットや雇い止めが実施され、特にそれらの企業で働いていた非正規雇用労働者が真っ先にその犠牲となった。2020年秋の政府発表では失業者は7万人近い(実際にはこれよりはるかに多いはずである)。したがってこの状態で「消費拡大」などはおそらく不可能である。

 こうした状況の対策への政府の財源も乏しく、巨額になった支援金の財源は赤字国債を発行することなどで何とか切り抜けるしかなくなっている。

 しかし「企業経済活動および雇用の維持のため」と称して、赤字国債を貨幣の発行元である中央銀行が買い取ることで貨幣を市場にどんどん流し込んだところで、この状態で「経済成長」などは不可能であろうし、それにより膨らむ国家の借金は、結局、国民の労働が生みだす価値の「先取り」という形なのであって、やがてその借金返済という耐えがたい重荷が私たちの肩に掛かってくることになるだろう。

 ここに、「企業経済活動維持」という場合の「経済」とは、「いかに人々の生活を手段としてオカネを稼ぐか」という意味であり、「人々の生命および生活の維持」という意味での本来の経済的行為とは相反する形であることが明らかにされつつあるといえるだろう。これは資本主義経済体制特有の矛盾であるといえるだろう。

 この矛盾を克服し、本来の生活者の生活維持活動としての経済活動とは何か、それを生活者自身の手に取り戻すためにどうすればよいのかという大きな問題が私たちにいま突きつけられているといえる。

1.2.3. 自分たちの生活を自分たちの手で生みだすことができなくなった社会

 いまの資本主義社会では、すでに述べたように、労働者はモノを生みだす自分の能力を資本家の要求のために捧げ、その意図に従って働くことで賃金を受け取っているのである。そしてその賃金で資本家の工場で生みだした生活資料商品を買って(正確には買い戻して)生活しなければならないのである。

 したがって、労働者は自分の主体的な意図によってではなく資本家の意のままに労働する。その労働は生活のため賃金をもらうための一種の「苦役」であり、忍耐である。だから彼は仕事が終われば酒場で飲んで憂さ晴らしをしたり、休日には街に出て娯楽に興じたりしなければやっていけない。そしてそうした娯楽や遊びも産業として資本家のターゲットとなり、大きな金づるとなっている。

こうして実際に現場の労働によって社会全体の生活を支えている労働者たちは、その誕生から死に至るまでの人生で生活に関わるすべてのモノやコトを「商品」として資本家の利益獲得の対象にされており、労働だけではなく人生そのものを資本の論理によって使い回されているのである。

 しかも彼の労働はときに資本家が企業間の競争に負けて経営が行き詰まったときには、資本の論理に従って「合理化」の対象となる。労働者の労働はロボットに置き換えられ、頭脳労働者の労働はコンピュータを用いた人工知能に取って代わられてしまうのである。

 こうして将来的にはモノづくりの現場でも人間に代わりAI装備付きの機械がデザインも含めてモノづくりをすべて自動的に行うようになり、生活では人々はただそこから生みだされたAI装備の生活用具にすべてを任せて、働きもせず、生活維持活動もせず、ただコンピュータの生みだすヴァーチャルな遊びの世界に浸り込んで生涯を送るということになるかもしれないなどというとんでもない未来予測も登場した。いわゆる「シンギュラリティ」の世界である。これはまさにモノあるいは道具がヒトを支配する資本主義の論理の行き着く果てである。

 実際には社会的に必要な「生きた人間の労働」がなければ、経済的な「価値」は生みだされないので、このような社会は幻想に過ぎないのだが、こうした「シンギュラリティ」社会を肯定する人たちもいる。もちろんそんなことを信じるのは、現実の世界でそれによって路上に放逐される労働者ではな決してない。

 しかし、たとえこれが実現されたと仮定しても、それはまったく惨めな人類の「なれの果て」の姿であり、人類は、自らの存立を護るための思考能力とそれにもとづく主体的判断力や身体的能力を用いた行動力をも放棄することになり、それにもとづく生活行動や繁殖行動もできなくなり、やがてその生物学的な存続能力を失うことになるだろう。もしそのまま行けば人類はそれほど遠くない将来に絶滅することになるだろう。

1.2.4. いま私たちに問われているもの

 いま私たちに問われている最大の課題は、地球環境の破壊、新型ウイルスのパンデミックなど全世界レベルでの人類社会の危機的状況において、「これからの社会はこうあるべきだ」という形で科学的・論理的な根拠に基づいて、次世代社会の方向性を見据え、そのデザインを行う必要があるが、それを行えるのはいったい誰なのかということだ。

 それを行うのは、社会的に必要な生産から消費までの活動を自由競争市場の「神の手」に任せながら人々の生活行為全体を私的富の獲得の手段とする資本家たちでは決してあり得ず、だからといってその状況をとトップダウン的にコントロールしようとする強権的指導者の手に任せれば、私たちの生活はいつまでたっても国家間の紛争や戦争などの危機的状況から脱することができなくなるだろう。

 本来、私たちの生活が直面する問題を自分たち自身の問題として考えねばならないのは、社会的生活をそれぞれの現場でそれに必要な労働を現実に行っている労働者、生活者自身でなければならないはずだ。

 いまの資本主義社会では、日々の生活で用いる生活用具のデザインや生産も生活者自身の手で行えない状態であり、さらにその生活自体を支える社会システム自体も、そのための労働を日々行っている人々の手にはなく、それを支配する「資本の論理」を人格として体現することによって経済活動を行う人たちつまり資本家たちとその立場を代表する政治家たちの手にあるのだ。

 つくる人と使う人が本来の目的意識を共有し、ひとつの道具や生活用品を大切に使い、流行に追われ購買欲を掻き立てられて次々とモノやコトを買い換える必要もなく、それらの道具や生活用品を大切にメンテし、修理しながら出来うる限り長いこと使い切り、最小限の資源消費でも精神的にはゆたかな生活ができる、そういう当たり前の経済観や生活態度を取り戻せる様な社会・経済の仕組みが生活者自身の手によって実現されてこそ、本来の意味での「サステイナブルな社会」のデザインが可能になるだろう。

 そのためには、私たち生活者自身の手に自分たちの生活をデザインする能力を取り戻さねばならず、私たち自身が私たちの社会の在るべき姿をデザインすることができなければならないはずだ。そして、その実現に向けて一歩一歩、確実に歩み出して行ける様な社会システムを創りださねばならないはずだ。

 では私たちはいったいどうすればよいのだろうか?これを考えるための手がかりを探ることが本書の趣旨であるが、そのためにはまず、なぜこのような社会、特にその土台を支える「モノづくり」の在り方がこのような歪められた姿になってしまったのか、その歴史的根拠を検討してみる必要がある。存在の理由はその発生の根拠にあるのだから。

 注:本書では「モノ」は人工物を、「モノづくり」は生産的労働を意味し、「デザイン行為」は職能としてのデザイナーの仕事ではなく「モノづくり」一般に含まれる人間の思考や行為の中核的な部分として、その歴史を超えた普遍的な在り方を示す。

2. 職能としてのデザインの発生とその歴史的形態変化

 このようないまのモノづくりとデザインの矛盾と、その背景となっている社会のさらに大きな矛盾を考えるに当たっては、歴史の中でどのようにして人類のモノづくりが始まり、それがどのように発展し、やがて現代社会に至ってデザイナーという職業が生まれてきたのかを知る必要があるだろう。上述した「存在の理由は発生の過程にある」という生物進化における事実は人類の「モノづくり」の進化においても当てはまると考えられ、その人類の進化を間違った方向に向けないようにすることが必須であるからだ。

 そこでます、職能としてのデザイナー「誕生の秘密」までの歴史的背景を考えてみよう。

2.1. 共同体におけるモノづくリの発展がもたらしたもの2.1.1. 共同体内分業によるモノづくりの発展と支配階級の登場

 数十万年という長い歴史の中で、人類が獲得してきたモノづくりの技(わざ)は当然、共同体でのさまざまな形での共同作業(労働の分担)がなくては成立しえない。人類はたった一人でバラバラに生活することはできない。マルクスがいうように、人類は本質的に「類的存在」なのである。

 例えば、山で使用目的に適した木を見つけ切ってくる土地勘のよい人、切った重い木を運んでくる力の強い人、その木を削って槍を作る器用な人、動物を槍で突く勇気のある人、殺した動物を料理する腕のよい人、そしてそれらの仲間たちをまとめる統率力や包容力のある人などなどのように、それぞれの個体的特質をもつ人々が作業分担をして、協力し合う共同生活が前提となる。

 もちろんそれらの個人的分業能力の違いは、その分業体制がその共同体に適した形へと徐々に定着していく過程で、それに適した能力が育っていったという側面もある。

 結果的に共同体における固定化された分業体制ができあがりそれぞれの分業の中でその技術が伝承され洗練される。こうして共同体全体としては、バラバラな個人がそれぞれ生みだすモノよりはるかに優れたモノをより多く生みだすことができるようになっていく。

 目的が大きければ大きいほど大規模な共同作業が必要になる。したがって、モノづくりの発展によって人間は、あるモノをつくるためにはその手段として用いられるモノが必要であり、その手段をつくるためにはまたさらにその手段として別の手段が必要になる、という具合に「目的・手段関係の階層化」をどんどん拡げていったと考えられる。

 この共同体がある程度の大きさで限定されているときは、全体が見渡せるから、共同作業の分担形態も全体像が分かりやすかったであろう。しかし、だんだん大きくなるにつれて、一方では、モノづくりの集団的能力つまり社会的生産力も高まっていくことにより、他方では剰余生産物(共同体構成員がその労働力を日々生みだすのに必要最小限の消費財となる生産物だけではなく、それを超えて生みだされる生産物)が生みだされるようになり、一握りの人々がそれらの剰余生産物の管理もする役割を果たすようになっていったと考えられる。その「一握りの人々」とは、最初はおそらく共同体全体を結束させ、一緒に協働作業をスムースに行うよう統率できる能力のある人たちであっただろう。

 やがて生活様式が狩猟・採取生活から、農業が共同体を支える主要な様式になっていくにしたがって、生活消費財である農作物を生みだすために必要な土地が、生産手段として必須の存在となる。これは当初は共同体全体にとって必要な共有財であったと考えられるが、農業生産力が向上して剰余生産物がつねに生みだされるようになると、これを共有材として土地とともに管理運営する立場の人が登場してきたと思われる。

 やがてこうした人々は共同体の精神的結束の手段であった宗教的祭儀を仕切るようになり、特別の権利を与えられた存在となって、共同体全体を仕切る支配的階級の役割を演じるようになっていっただろう。

 それにしたがって共同体の範囲は家族共同体から、「ムラ」や「クニ」といった大きなレベルに拡大させ、その「ムラ」や「クニ」の在り方や方針をとりまとめて代表する人と、それに従ってその全体の方針をそれぞれの持ち場で達成させていく人たちの階層的グループが構成されることになったと考えられる。

 このようにして長い時間をかけて、人類は、共同体全体に必要な生産物の生産(モノづくり)に直接携わっていない人々が特定の権威を持つようになり、上位階層を占め、直接それぞれの持ち場で必要な生産物を作っている多くの人々を統治しコントロールして行くという支配・被支配関係を生み出しながら、文明社会を形成して行ったと考えられる。

2.1.2. 私的所有形態の登場とそれがもたらしたもの2.1.2.1. 支配階級と男性中心家族による私的所有の登場

 階級社会化した共同体では、実際に労働によって生産物を生みだしている階級の人々(農民や工人)は、その労働力を維持し、日々労働を続けられるに十分な生活資料を消費しなければならないのでそれに必要な生産物はつねに確保しなければならない。これを必要生活消費財と呼べば、共同体で生産される生産物のうちこの部分は彼らが所有し消費することになるが、これは「私的所有」とはいえず、共同体維持に最低限必要な構成員個々の生活資料である。

 一方、エンゲルスがとりあげた人類学者モルガンの研究からの原始共同体での婚姻関係の考察では、最初は共同体内雑婚というかたちで、子供の父親が誰か分からない状態が普通であり、家族は母親を中心とした女系家族であったが、やがて共同体の支配者が共同体間の争いなどで武力闘争を繰り返すようになると男性が優位な立場となり、男性中心の家族関係が生まれてきたと考えられる。そして、家族関係においても男性が自分の子孫をはっきりと残すために女性を囲い込むといった関係が現れてきたと考えられる。エンゲルスによればこれが「私有関係」というかたちの始まりであるとしている。(注:エンゲルス著、戸原四郎訳「家族・私有財産・国家」、岩波文庫、1965)

 古代社会では、王や貴族が剰余生産物の備蓄や管理運用の権利を得ることによって政治的な支配権や軍事的指揮権を確立し、他の共同体との利害対立などで戦争を起こす権限を持ち、男性が優位な共同体社会が形成されていったと考えられる。

 共同体間の戦いで敗れた側は、勝った側に支配されるかたちとなり、戦争によって奪った地域の人々を奴隷として連行し、彼らにもっとも危険で厳しい労働が与えられたと考えられ、低い階級の人々ほど、自分の生活を維持するために必要な労働量を超えて行われる剰余労働に多くの時間と労力を支出させられていたであろうと考えられる。

 このようにして、生産力が向上した共同体社会の内部で、主として支配的立場にある人たちが剰余生産物や奴隷という形での労働力を占有する形態が常態化し、私的所有という形態の原型が出来上がっていったと考えられる。しかしこの段階での「私的所有」形態は今日の社会でのそれとは全く異なる形であったと考えられ、今日の私的所有形態が登場する根拠と過程はさらにその先にあるといえる。

2.1.2.2. 私的所有関係が生みだした商人と貨幣

 上記のような社会の中で、他の共同体との接触の際に、地域的文化的違いからA共同体で作られていないものが、B共同体で作られていたり、その反対だったりすることが分かってくる。こうして、異なる共同体間で、「ないものどうし」を交換し合う交易が始まり、自分たちの共同体にないものを自分たちの共同体で余ったモノ(剰余生産物)と交換して獲得することが当然行われる様になったと考えられる。

 そのため遠方まで出かけて共同体間での剰余生産物を交換してくることを生業とする人たちが登場するようになり、それが商人の原型になったと考えられる。商人の原型は古代文明の黎明期からすでにあったと考えられ、長距離を移動して手に入りにくい品々を探し、これを自分の所有する品と交換することで得られる差益によって私的な富を増やし行ったと考えられる。支配階級とともにこうした人々が、商業の原型を生みだしていったのではないかと考えられる。

 商人たちの生業の運用は、一共同体内での統治関係によって行われる生産物の生産と分配のルールとは異なるルールで行われていたと推測される。なぜならそれは共同体と共同体の間で行われる「取引」であり、別なルールが必要であったと考えられるからである。

 取引の場では、さまざまな産物の交換が行われはじめ、人間の交流も始まる。その過程で、偶然自分の欲しいモノを持っている者同士が巡り会い、そこで交換が成立する形の取引(物々交換取引)は、あくまでその偶然性に依存するため、その不便さを克服すべく、ある意味で必然的に、いつでもあらゆるモノとの交換を媒介できるオールマイティーな交換媒体として「貨幣」が登場してきたと考えられる。貨幣は、最初は「第3の商品」として登場し、だれにとってもその希少性やつぶしがきく性質を認める金や銀といった貴金属などが、商品交換の媒介と流通を担う実体である貨幣として特殊な地位を獲得していったと考えられる。

そのことにより交換の対象となるモノが暗黙の内にある「価値」として評価され、貨幣がその価値を表象した媒体として機能し、互いに交換されるモノの価値が貨幣の量で比較されうる様になったと考えられる。貨幣はこうじて「モノとモノとの交換」を「商品の売買」として扱う交易の世界を生みだしたと考えられる。

局所的な貨幣の登場は古代社会に遡ることができるが、文明が広大な地域に拡大し、交易が盛んになっていくにつれて一気にその使用範囲が拡大し、「モノとモノとの交換」を「商品の売買」というかたちで行う本来の商人を登場させることになったと考えられる。彼らは遠い国から安く仕入れた商品を別の国で高く売って、貨幣の形で富を蓄えることを生業とする「商業」という職業を生み出し、そこに「富の私的所有の権利」という考え方が発生・定着していったと考えられる。

 古代社会における商人の活動は、まだ王侯貴族などの支配的階級が自分たちの望む財を手に入れるために行われた異なる社会間での交易の段階にすぎなかったと考えられる。

 中世の社会では、領地の所有権を世襲的に与えられた封建領主によって生産手段としての土地を貸し与えられた農民が、そこで自分たちの生活に必要な資料としての農作物を生み出すとともに、領主に献納する租税分の作物を生み出すための労働(剰余労働)を行い、その収穫としての剰余生産部分を「物納」として差し出す義務を負わされていた。

 そのコミュニティー(領主の城を中心とした市街とそれを取り巻く農地という形態が一般的だったと考えられる)では王侯貴族やその配下の軍事担当の家臣団(武士階級)などのために家屋・家財の製造や武具の製造に携わる職人たちが一定の人口を占めるようになり、そうした比較的小規模なコミュニティー内では職人たちの労働生産物が商品の形で流通するようになっていったと考えられ、それに携わる小商人も存在していたと考えられる。つまりコミュニティー間での通商とともに、コミュニティー内でも商品経済が定着しはじめていたと考えられる。

2.1.2.3. 商品経済の発展と商人資本家の登場

 こうして商品経済が発展して行く中で、共同体社会が大きくなれば、共同体内部においてさえ職能的分業によるモノづくりが発展し、分業種間でのモノづくりにおける目的・手段連関の全体像が見え難くなるにしたがって、異なる社会間でのモノづくりの目的・手段連関などは、当然見えない状態にあったと考えられる。したがって、商品の交換が行われる際には、交換の対象となっているモノがどのようにして作られたかなどということは分からなかったと考えられる。

 そのため、商人たちは無数の商品交換が繰り返される間に、市場での商品の売れ具合(需要)によって経験的直感的にどのくらいその商品の「価値」があるのかを把握し、それによって貨幣を媒介した商品の交換レートが評定されるようになったと考えられる。これがのちに「交換価値」という概念を生み出すことになったといえるだろう。

 そしてモノの本来の機能(有用性)を果たす使用価値ではなく、その交換価値という異なる商品間で共通する、つまり抽象化された「価値」がモノの価値であるというとらえ方がここから登場したと考えられる。

 商人達はこのあらゆるモノを買うことの出来る貨幣をその交換価値の化身として万能の力をもつ神のように見るようになり、貨幣は「物神化」されるようになることで私的富の象徴としてそれを所有し増やすことに命を賭けるようになって行ったのである。この私的富の所有への飽くなき願望が、一方で富の私有化への保証として「個人の自由」という意識を育て、他方では他者の存在を富の獲得のための手段として見る視点をも生みだしていったと考えられる。これがやがて「資本家」という人格の登場をもたらす原動力となったと考えられる。

2.2. 資本主義社会の登場

 私たちの暮らしている現代の資本主義社会は19世紀イギリスでほぼその基本形を確立した産業資本主義社会の生産様式の上に築かれた社会の延長上にあるといってよいだろう。

 その資本主義的生産様式は一方で生産技術を中心としためざましい技術革新をもたらし、同時にその基礎となる科学的研究の確立発展という大きな成果をもたらした。しかし、他方では、社会的生産が私的所有の欲求にしたがって動くことにより、富を持つ者と持たざる者とに社会が分裂せざるを得なくなったという反面を持つ。

それによって私たちの生活形態や社会のあり方がそれ以前と比較してどのように変わってきたかを見る必要があるだろう。そしてその中でどのようにして「デザイナー」という職能が生まれてきたのかを知ることによって、その職能の本質が見えてくるはずである。

2.2.1. 「市民(ブルジョアジー)社会」の登場

 ヨーロッパでは、15世紀頃までに最初は異なる共同体社会間での交易から始まった商業はやがて高度に分業化した社会内部に深く浸透し、生産的労働に直接携わっておらず、支配的階級にも属していないにもかかわらず、モノの売買を通じて莫大な富を蓄財した商人たちが社会におけるモノの流通を主体とした経済的実権を握るようになっていった。

 その過程で商品の交換を媒介する貨幣の流通が定着化し、安く仕入れて高く売ることで得る差額の貨幣の山が単なる流通手段としてではなく、あらゆるモノを手に入れることを可能にする万能の手段として、あたかもそれが人々の欲望を突き動かしつつ自己増殖する富の化身であるかのように見える存在となり、その貨幣の「物神性」によって突き動かされる資本家的商人たちによって社会の物流が支えられるようになった。 

 その結果、カネとモノが自ら一人歩きするかの様な「資本」という怪物が社会全体の経済を支配する商品経済体制が生まれてくることになった。そこに商人資本家が誕生したのである。

 ヨーロッパ中世封建社会崩壊の過程で、商人資本家と結びついた王族とその配下の軍事力と航海術を持った人々が世界中に富を求めて繰り出し、新大陸やアフリカ、インドなどへの航路を切り拓き、それらの地に侵略し、現地の資源や原住民たちを奴隷として略奪することで行った奴隷労働の搾取による莫大な富の獲得を繰り返すことで、資本の元本ともいえる「本源的蓄積」を行っていったのである。この間の「血塗られた歴史」はマルクスの「資本論」に詳しく描かれている。

(注:K.マルクス著、向坂逸郎訳、資本論、第1巻、第24章「本源的蓄積過程」、岩波書店、1972)

 こうして商人資本家たちの「富の獲得」への強烈なモチベーションによる商品経済の発展が世界規模での社会間商業交流をも発展させて行ったと考えられる。それにより蓄財した大商人資本家たちはやがてその富を武器として既得権階級であった封建貴族や王族に対抗する「ブルジョアジー(市民)」階級として私的所有の「自由と平等」を旗印に「フランス革命」をその象徴として18世紀末から西ヨーロッパで経済的・政治的な主導権を確立し始めた。やがて彼らはすでに17世紀からオランダなどを中心として始まっていたマニュファクチャ方式のモノづくリを発展拡大させ、自らモノづくり産業の場を掌握することで、19世紀には実質的に社会経済的な、そして政治的な支配権をも確立していったのである。

2.2.2. 資本主義的生産様式(モノづくり体制)の確立

 その過程で、例えばイギリスではまず16世紀に小作農の耕作地が領主たちによって儲けの多い羊毛生産のための牧草地として強制的に囲い込まれるなどで多くの小農民は、生産手段である土地を奪われ、やがて18世紀には今度は当時の政府主導で、小規模農耕地を、より近代的な集中的農法に切り替えるために取り上げられ、一部の農民はそこで農業労働者として働かされることになったが、徐々に農業の生産性が上がるにつれて農民が余剰化し、仕事を失った農民たちが生活のために当時興隆してきた資本家企業の工場で労働者として働かざるを得なくなり、都会に流れ込むようになった。

 一方で中世から続いたモノづくりの世界では自立した職人の生産の場であったギルド的工房が、17世紀頃から徐々に経済的実権を握った商人などによって経営を支配されるようになったことで、職人工房は「売るための商品」を生産する目的で経営される形態になり、職人たちは経営者である商人の支配下に置かれ、その意図を実現させるために働かされるようになった。

 それによって職人たちの労働内容が「売れるモノを生みだすための合理化」の対象として再編されていった。モノづくり労働のプロセスは細分化・単純化され、同時並列化された作業による作業場内分業が進むとともに、作業ごとに特化された作業機が導入されて行き、いわゆるマニュファクチュア(工場制手工業)の時代となった。

 やがてそれら作業機全体を動かすための動力源として水力や蒸気力が導入され機械が作業場全体の労働がその動力源の動きに合わせて行われるようになり、労働者たちは完全にその機械の従属物にされていった。「産業革命」はこうして資本主義特有の生産様式の全社会的構築発展過程としてなされたのである。

 やがて工場はさらに大規模化され、そこに土地から引き離された元農民たちや生産手段を奪われて失業した職人たちが賃金労働者として都市の工場に大量に流れ込み、労働者階級が形成されていった。こうして農村は徐々に人口が減少し、都市の人口が急増し、大都市周辺には資本家企業の工場の煙突が建ち並び、黒煙が街を覆い尽くすようになっていったのである。

 このようにして出来上がってきた資本主義社会では、さまざまな業種の資本家企業が社会に必要なすべてのモノの生産と流通・販売を引き受け、各企業が、それぞれその役割的運営を維持するために、まず必要な生産手段と労働力をそれぞれの市場で購入するために必要な資金を得、それによって労働者たちを自分の商品の生産のために働かせ、そこから得る剰余価値部分(これについては後述する)を無償で獲得しその価値を上積みした商品を市場で売買することで利潤を獲得していったのである。

その過程で企業の所有者あるいは経営者である資本家グループはそこから上がる利潤を互いに資本家的方法で分配しあう仕組みが出来ていった。

 この仕組みは、資本家企業同士が自由な競争を行うことで、企業としての私的利益を最大限に追求しながら商品市場では競争によって特定の企業のみが不当に高い価格を付けられないようになっている。この仕組みを支配する「法則」は、一般には「市場の法則」つまり、「需要と供給のバランスによって合理的な価格が形成される」という形で受け止められている。その仕組みの中で資本家は販売力を上げるため顧客に好まれる商品をつくることに努めることになり、品質も向上するというわけだ。

しかし、それは互いに多くの無駄や馬鹿げた損失を繰り返す激しい利益獲得競争の事後的な結果としてそのようなバランスを保とうとする形であって、現実にはつねに富の獲得への成功者となった「勝ち組」資本家企業が登場する反面、利益減少や損失に苦しみ倒産する「負け組」資本家企業とそれによって失業する多くの労働者を生みだす。この競争はやがて必ず一人勝ちした資本家を生み、市場の独占という状態を招くことにもなるのである。

 こうした仕組みにおいては、資本家企業は「私的利益追求の自由」が社会的に保証された形で、投資家から資金を集め、それにより生産手段や労働力を自由に購入できるようになっており、「持てる者」の階級を形成している。

 しかし、一方で自らの労働力しか財産を持たない労働者たちはそれを資本家に買ってもらい、それによって受け取る賃金で生活しなければならない立場であるため、資本家企業に就職し(資本家に雇用され)、その人間としての能力(労働力)をすべて資本家企業の利潤増大のために提供することによってしか生活することができないのである。

 そして彼らは資本家の工場で自らの手で生みだした生活資料を、市場で商業資本家の経営する販売店から、賃金と引き替えに買い戻すことで生活を営まねばならない。しかもつねに資本家企業同士の競争の中で、「不要」となり、解雇され仕事を失う危険に晒されているのである。

 こうして資本家階級つまり「持てる者」が労働者階級つまり「持たざる者」の存在を前提としながらそれを支配し続ける産業資本主義社会特有のモノづくり体制の基礎が確立されたのである。

 (注:この辺りの歴史的経緯についてはマルクス「資本論」第1巻第3編「絶対的剰余価値の生産」と第4篇「相対的剰余価値の生産」に詳しく述べられている。)

2.2.3. 資本主義的モノづくり体制の基本的な矛盾

 どのような歴史上の社会においてもその社会に必要なモノを生産し、それをその社会の構成員がそれを消費しながら生活する仕組みが存在するが、商人資本家型経済が原型である資本主義社会では社会的生産と消費は流通場面での商品の交換を中心にして成り立っている。 

 それは、「商品(W1)」——「貨幣(G)」——「商品(W2)」--」という過程を繰り返しながら、ある使用価値をもった商品と別の使用価値を持った商品が貨幣を媒介として交換され流通するが、資本家はこの同じ流通過程を、G(貨幣資本)——W(商品資本)——G’(貨幣資本)--という面でとらえ、最初のGより量的に大きいG’を得るために商品を売り、その過程で資本を増殖する。

 つまり資本家にとって商品の使用価値(有用性)を生みだすことが第一義的目的なのではなく、商品の使用価値は、交換価値(価値量だけが問題となる抽象的価値)の媒介物としてのみ意味を持ち、第一義的目的は価値の量的増殖なのである。つまり、社会的生産の本来の目的と手段の関係が完全に逆転しているのである。

 貨幣を持った資本家が、商品市場で機械設備や工場などモノづくりのために直接必要な手段つまり労働手段と原料や補助材料などを含めた「生産手段」を購入し、その生産手段を用いて商品を作るために必要な労働力を「労働力商品」として労働市場で購入(労働賃金と交換で雇用)し、その労働力を生産過程で生産手段と結合させ、剰余価値を生む労働として機能させることによって、商品として売るための生産物を作り出す。

 一方で、自分の労働力を資本家に売り渡し、資本家のために労働した労働者は、その労働力を日々の生活において養い再び労働力として再生産できるために必要な生活消費財の価値に相当する貨幣つまり労働賃金を受け取る。資本家にとっては労働者に支払う賃金は自分に富をもたらすために必要な労働力の発揮に必要な経費なのであり、これを資本家は「人件費」ととらえるが、労働者たちにとってそれは、自分たちの唯一の財産である労働力を資本家に再び売り渡せるように維持し養成するために必要な生活消費財の価値なのである。

 ではその労働力の消費過程で如何にして価値の増殖がなされるのであろうか?

 その秘密は、G―W―G’の中身を見れば分かる。それはG―W―P―W’―G’という形(‘は増加分を表す)になっており、ここでW’> Wとなっていることが分かる。つまり資本家は生産手段と労働力という商品を買って自分の所有する生産手段を使わせて労働者に労働させる、つまり労働力を生産資本Pの一要素として機能させる過程で、その生産資本の価値より多くの価値を持った商品を手にするのである。したがってこのW―P―W’ の過程で何が行われているかが問題である。

 このP(生産資本)は生産手段と労働力という商品で形成されており、それらの商品の価値を生みだす源泉は労働である。その労働によってモノを作らせる過程で労働者の賃金分(労働力の生産費)に相当する価値を生みだす労働時間(必要労働時間)を超えた時間の労働、つまり剰余労働によって生みだされた剰余価値部分も含めた彼らの労働の成果である生産物(商品)を、資本家自身の所有物として手にするのである。

 上述した様に価値は人間の労働が生みだすものであり、例えば、労働者が日々5時間労働すれば、5時間分の労働力を消費することで、自分に必要な生活消費財分の価値を生みだすことができるとしても、実際には例えば10時間働かされれば、その倍の時間の労働力の消費によって生みだされる価値が生産物には対象化されている。言い換えれば、資本家にとって、労働力という商品は、その消費によってそれ自身の価値以上の価値を生みだすという「使用価値」を持った唯一の商品なのである。

 この生活消費財価値の形成に必要な労働時間を超えて働く剰余労働によって生みだされた剰余価値部分が生産物には含まれているが、生産物にはどこにもこの必要労働時間と剰余労働時間の区別は書き込まれていないので、これを商品として市場に出して売ることでたとえ「等価交換」のように見えてもこの剰余価値部分から得る価値は無償で資本家の獲得する利潤となるのである。こうして不当な「労働の搾取」が公然と行われているのである。これが「平等」を主張する資本主義社会の理念に必然的に内在する不平等という根本的矛盾であり、このことがつねに社会的に「持てる者」と「持たざる者」の区別を生む根拠なのである。

 資本家は、この剰余価値の生む利潤を以て自分の生活費はもちろんのこと、再び新たな富を生みだすための生産手段と労働力を購入する資金を得、さらには豪華な奢侈品や豪邸を持つことができるのである。

 一方労働者の側から見れば、彼らが生きるために必要とする生活消費財商品も自分たちや別の労働部門で同じ様な立場のもとで働く労働者たちの手によって生みだされたモノである。

 労働者はもらった賃金によって本当は自分たちの労働が生みだした生産物(つまり本来は社会的生産の目的となるべきモノ)である生活手段を賃金と引き替えに資本家の商品として「買い戻す」ことでそれを消費して生活しなければならないが、その生活消費財商品の購買において労働者が支払った賃金分の貨幣は再び商業資本家の手に環流し、結局資本家階級間で分配されて資本家たちの富を増殖させるのである。

 労働者はその賃金で買った生活資料を生活の中で労働力を維持するためにほぼ消費し尽くすが、彼らの手元には最初から剰余労働分の成果はなく、再び自分の労働力を生産手段の所有者である資本家に売り渡すことでしか生きて行けないのである。ある意味で「賃金という見えない鎖でつながれた奴隷」ともいえるのである。

 一方、つねに資本家どうしの競争にさらされる資本家の立場からすれば、いかにして同じ労働時間であっても生産量を増やし生産物1個当たりの相対的な剰余価値部分を増やし、それをもって市場での価格競争に勝ちながら、利潤を最大限獲得できるかが大きな目標となり、そのためにできるだけ生産性を高め短い時間で多くの商品を生み出すための生産手段の改良や仕組みを必死に考える。

 そのためこの相対的剰余価値の増大を目指して資本主義生産様式はその技術的生産力が著しく高められたが、その資本にとっての「合理化」は決して労働時間を短縮し労働者の労働を軽減するためではなく、「自由市場」での競争に勝ちながら最大限の剰余価値をもたらすために過酷な長時間労働や労働内容の強化が違った形で維持され、でき得る限り多くの利潤を得るという逆転した資本家のモノづくりにおける目的意識がつねに貫かれているのである。

 このことが産業革命に見られるように、資本主義生産様式特有の人間の労働の本質を無視した労働形態によるモノづくりの特徴をもっとも顕著な形で顕在化させていくことになり、「合理化」によりたえず、労働者は雇用を奪われ、失業の危機に直面することになり、その形態が基礎となってその上に築かれるさまざまな輸送、流通、販売などの分野での資本主義社会特有の分業種の登場によって構成された生産・流通様式とその上に築かれた生活様式が「近代社会」といわれる歴史的に特有な社会形態や文化形態の土台を形成しているのである。

2.3. 資本主義的分業形態の発展とモノづくり労働の変質

 すでに2.2.2節において触れたが、資本主義生産様式の確立によってモノづくり労働の内容がどのような形態に変化し、変質していったかについて、ここでは設計技術者やデザイナーといったモノづくり労働における頭脳労働者の生い立ちを中心として見ることにしよう。

2.3.1.「産業革命」による資本主義的分業体制の登場

 もともと西欧文明の歴史においては古代から中世までのヨーロッパでは、古代ギリシャ時代の”Tekne”やローマ時代の”Art”といった語は職人的モノづくりを意味し、その中には美的な芸術表現と設計技術的な意味の両者が未分化のまま含まれていたと考えられ、工人や職人の仕事に含まれる能力の全体的内容としてとらえられていたと考えられる。

 中世の職人工房ギルドにおける、親方と職人たちの協働体では、特定の生産物ごとに独立した分業の形(例えば靴工房、縫製工房、陶器製造工房など)を取り、工房内部では、作業の内容は分業的に別れて分担されていたが、一人一人の職人がローテーションによって一通りすべての仕事を経験してそれらに精通することで、一人前の職人として自立しそれぞれに適した役割が振り当てられ、その中でもっとも優れた職人は職人たちを統括し、そこで作り出されるモノの全体像を考えるマイスター(親方)になったと考えられている。

 しかしオランダなどに見られるような初期産業資本主義時代での分業化した家内制手工業の登場で、従来のギルド的職人工房が行っていた工房内作業分担の場合にように、持ち回りで順番にいくつかの分業化された作業をこなし、最後にすべての作業に精通した職人が育つという技能教育的効果を含んだシステムとはまったく異なり、最初から資本家による生産効率のみを目的とした作業の細分化と固定化が行われ、職人たちの仕事は技能養成が不要な単純作業に変質していった。

(ここに当時のマニュファクチャー工場の図を入れる)

 このモノづくり体制の変化は家内手工業から、やがて工場制手工業(マニュファクチュア)と呼ばれるような各段階で単純化された分割労働に、それに対応した作業機が導入された生産体制をとるようになり、商品の価格を下げて商品市場での競争に勝つための必須な方法として、生活資料の商品化の進展とともに、ヨーロッパ全体に拡大していったと考えられる。

 こうした細分化され単純された労働によるモノづくりは必然的にそれ以前のような習熟した技能を要するものでなくなり、労働者の技能養成が不要となり労働者の交代も容易になったが、一方でモノ全体の構想を練り、デザインする仕事が生産労働現場から切り離され奪われた。それによって旧職人たちが持っていた生みだされるべきモノの使用価値とそれに対する目的意識は完全に失われ、質の高い使用価値を生みだすための「技」や職人的誇りも完全に失われた。

それとともにモノづくりの目的意識は生産現場の労働者ではなく、それらの労働を商人的視点で推進する資本家の頭の中にのみ存在するようになる。しかし資本家自身は元来、使用価値ではなく交換価値を求めているので、モノづくりそのものへの関心はなく、当然その経験もないから、「売れる商品」として作り出されるべきモノの姿をあらかじめ頭の中に描き出すことなどできるわけがない。そこで資本家は自分のために工場で生みだされる商品の全体像を自分に代わって考えてくれる新たな頭脳労働者を求めるようになったと考えられる。

 こうして一方に生産現場で分断化された単純労働に従事させられ、生産物全体の姿を考える能力を完全に奪われた生産労働者たちが存在し、他方では分断化された労働内容を「売れる商品」という資本家の意図を生産物全体の姿として統合し反映させるために、それを生産現場から離れた場所であらかじめ考えるための独立した頭脳労働者として登場させる必要が生じたのである。

2.3.2. 設計技術者と芸術家の乖離から生まれたデザイナー

 ギルドの親方がいなくなったとはいえ、生活消費財はこれまで生活において用いられてきたモノを参考にすれば、デザインの質は別として一応その機能を果たすモノをマニュファクチュア工場で効率よく作るのはそれほど難しくはないと思われる。かつてのギルド親方的能力のある者が資本家に代わってそれを専門的に行うこともできたであろう。

 しかし、「産業革命」の過程では、生産過程に機械が導入される様になったため、工場などで用いられる生産手段として高度なメカニズムを持つ機械類や、増大する大量な物流の処理に必要な新たな運輸交通手段などの様にこれまで存在しなかった範疇のモノづくりへの需要が現れ、それまでの職人的経験や知識では到底それらの新しい範疇のモノの姿を描き出せなくなっていた。

 そこで、社会的に要請されたのが、それらの新しい使用価値を持つ生産手段を考え、全体の仕組みや構造を描き出せるような知識と技術を持った頭脳労働者である。彼らは一定の工学的知識を身につけそれらの知識を応用して作り出されるべきモノ(主とし生産機械や運輸交通手段)のメカニズムや構造、それを生産するために必要な方法やその姿などをも考案し、あらかじめ描き出すことに専念する頭脳労働者として産業界に現れるべくして現れたのである。

(ここに初期の蒸気機関車の絵を入れる)

 こうした状況に即し�