“wood joints reconsidered 3; kintai-kyo(錦帯橋)”

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Kintai-Kyo is a wooden arch bridge spanning 175 meters. It was constructed over the Nishiki River in the city of Iwakuni, in Yamaguchi Prefecture, Japan, in 1670. The bridge is composed of five sequential wooden arches. The wooden arches have unique components of “(b) Hanabari” and “(c) Ushirobari” (see fig.6), transmitting shearing stress. They are not seen in the stone arch.

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Page 1: “Wood Joints Reconsidered 3; Kintai-Kyo(錦帯橋)”

「伝木」特定非営利活動法人伝統木構造の会会誌 28号 pp.6-7 “Den-Moku”, Newsletter of Dento-Mokukouzou no Kai, No.28, pp.6-7

平成25年12月2日発行 published on December 2, 2014

「接合部を推理する〜錦帯橋」 “Wood Joints Reconsidered 3; Kintai-Kyo”

西本直子 Naoko Nishimoto

Page 2: “Wood Joints Reconsidered 3; Kintai-Kyo(錦帯橋)”

伝木 第28 号 平成25 年12 月2 日

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差込み、中空に突き出させた上に、より長い刎ね木を更に

重ねて下の刎ね木に支えさせる。少しずつ長く出してこ

れを何本も重ねて、中空に刎ね出していくことができる

ことを利用して、橋脚を立てずに架ける橋である。

[註2]石造建築や煉瓦造建築などの組積造は小さな部

材を積み重ねて建築を作る。迫り持ち式と持ち送り式は

この部材の積み方による違いを示す名称。「持ち送り式」

とはアーチやドームなどの曲面を構築する場合に、小さ

な部材を垂直方向に少しずつ前面に出すように積み上げ

る場合をいう。他方、「迫り持ち式」は小さな部材を曲線

の法線方向に並べて部材同士にお互いに押し合う力が働

く状態にする。「迫り持ち式」は 「持ち送り式」に比べて

アーチに掛かる荷重を効率よく伝えることができるた

め、より大きな空間を作ることができる。古代ローマでは

パンテオンなど、迫り持ち式によって巨大なドーム構造

を使っている。一方、メソポタミアやインドでは施工しや

すい持ち送り式がよく使われた。

[主な参考文献]

内田祥哉『在来構法の研究─木造の継手仕口について』住

宅総合研究財団、一九九三年

増田一眞『伝統木構法の架構学と現代への展開』私家版、

二〇一三年

松村博『日本百名橋』鹿島出版会、一九九八年

文化財建造物保存技術協会編『名勝錦帯橋架替事業報告

書』岩国市、二〇〇五年

薗田香融監『和歌の浦歴史と文学』和泉書院、一九九三年

坪井善勝他編『「広さ」「長さ」「高さ」の構造デザイン』建築

技術、二〇〇七年

サビエル・グエル『ガウディの世界』入江正之訳、彰国社、

一九八八年

R.B.Ulrich"RomanWoodworking" London, 2007,

C.A.Hewett"EnglishHistoricCarpentry" Fresno, 1997

(rev.ed.of1980)

(編集委員)

〇番桁の樹種が一様でない点は留意したい。橋脚に近い

第一~三番桁は欅材であるが、第四~一〇番桁は松材で

ある。ちなみに欄干や敷板、平均木などの上部構造は檜

で、アーチ桁はほぼ欅である。大桁の中央辺り、アーチの

変形が出やすい第四~一〇番桁に粘りのある松が使われ

ている。合成材の工夫である。ご参考に木造におけるユニ

ットの考え方について『伝統木構法の架構学と現代への

展開』に興味深い記述がある。

鼻梁と後梁の働きについて、『日本百名橋』に大桁全体

にせん断力を伝える「剪断キー」(機械用語)であると書

かれていた。まさに迫り持ちが成り立つ鍵と思われた。図

5と6の分解図で梁を、上下の桁ユニットを繋ぐピース

として描くのはこの点からも妥当と思う。

□接合方法

木接合部は極めてシンプルである。内田の基本形でい

えば、渡り顎、ほぞ、栓、相欠きが多くは大入れと組み合

わせて簡潔に使われている。鼻梁と桁の接合部は「欠込

み+ほぞ差し+楔」と思う。中で特徴的な仕口である。こ

こで一点留意するのは、江戸時代より接合補強として金

属帯、鎹、釘が細かく使われていることである。

「特別な仕口を使わずに錦帯橋はでき上がっている。ま

だまだ工夫次第で色々なことができるはずだ」と海老崎

棟梁が話されたのは印象的だった。棟梁に錦帯橋の架け

替えにあたり改善された点の有無をお尋ねしたところ、

錦帯橋の計画は既に完成しているので改善の余地はなか

ったと直ぐさまおっしゃったが、詳細での改善点など伺

うことがあった。高欄土台を敷板から浮かせて水仕舞い

を良くする改善などもされている。錦帯橋では生きてい

る歴史的建造物が改良されながら受け継がれる姿を見る

ことができる。

[註1]刎橋は、岩壁などに穴を開けて木材(刎ね木)を

図3:錦帯橋アーチ桁の概念図10段からなる大桁、大棟木、小棟木、桁を連結する梁からなる

図5:大棟木、小棟木、梁の分解図*報告書の図版を元に加工

図4:第1~4番桁周辺の構成

Page 3: “Wood Joints Reconsidered 3; Kintai-Kyo(錦帯橋)”

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接合部を推理する~錦帯橋

㈲一級建築士事務所クロノス

西本直子

伝統木構造の会第九回年次総会が開催された岩国で錦

帯橋見学の機会を得た。今回は錦帯橋木造アーチについ

て見てみたい。

□「西湖遊覧誌」

岩国藩主・吉川広嘉が、アーチを採択した経緯として

長崎在住の中国僧・独立の所持する書籍に描かれた杭州

西湖の絵図にアーチ橋を見出した逸話がある。真偽は判

らないが、西湖を手本にしたと伝わる橋は筆者の知ると

ころで他にも和歌山の三断橋と不老橋がある(図1)。紀

州藩祖・徳川頼宜が行った都市計画の一環として計画さ

れたもので、石造による迫り持ち式アーチの不老橋は第

十代藩主・治宝により一八五一年に完成されている。西

湖の絵図が汎く影響を与えていた可能性がある。アーチ

技術はまだ普及していなかったためわざわざ肥後(現在

の熊本)の石工を呼び寄せたとも言われる。

ところで錦帯橋はこれより一八〇年遡る木橋である。

通直な材でアーチを成す発想はどこから生まれたのだろ

うか。

□刎橋

����

江戸時代に三大奇橋と呼ばれる刎橋[註1]があった。

錦帯橋、愛本橋(一六二六年、富山県、現存せず)、猿橋

(不明であるが鎌倉時代から存在、山梨県、主構造材を鉄

に変えて現存)である。

愛本橋は錦帯橋より四十年程早く、アーチではないが

桁や梁の使い方に錦帯橋と類似点が見られる迫り持ち式

[註2]である。猿橋は少し違っている。刎ね木の角度が

緩い持ち送り式と思われる。渓谷にある猿橋では、仮支持

枠を作ることができない。施工条件から選択されやすい

構法ともいえる。錦帯橋の構造を「南京玉簾」に例えた人

がいたが、ずれながら材を重ねていく錦帯橋は石造の迫

り持ち式とは一緒にできない。A・ガウディのレンガ積

みなども思い出していたが、見ればガウディは持ち送り

と迫り持ちを複合的に使っていた(図2)。海老崎棟梁の

レクチャーで、アーチ曲線はカテナリーが最も安定する

と伺った。

□錦帯橋の木造アーチ〈図3、4、5、6〉

錦帯橋は中央第三橋などで支間長約三五メートル、幅

員四・二メートル。五本のアーチ桁を一・〇五メートル

ピッチで架け渡して上部構造を支えている。アーチ桁は

大きくは左右10ユニットからなる「大桁」と中央の「棟木」

からなる。補強材として、「鞍木」と桁の孕み留を目的と

する「肋木」の他、横方向のブレを抑える「振止」が施さ

れている。上部構造の高欄も構造を一部担っている。「大

桁」をなす十のユニットは人間の骨にあたる「桁」と筋肉

にも似た「楔」(三角の隙間を埋める)からなり、桁と直

行する鼻梁と後梁で固定しながら組み上げる。第一~一

図1:不老橋。名勝和歌浦の内海にある。江戸時代、一帯を西湖に見立てて計画されたと言われるアーチ橋。

図2:ベリェスガールの屋階のレンガ積み、バルセロナ、1900~1905年、アントニオ・ガウディ設計。レンガ壁を内側では透かしているのは驚く。

図6:錦帯橋 第1~4番桁 周辺の分解図(4つのユニット) *報告書の図版を元に加工