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東京造形大学研究報 No.10 目次 日本語ブローカ失語の一症例に見られる直接受動文と 間接受動文の産出に関する一考察 インダストリアルデザイン分野における研究課題創出と 産学官連携スキーム形成に関する基礎的研究 都市風景論 その(2) ドイツ植民地「青島」に表象された近代都市景観のイデオロギー Yoshito Takahashi paintings 2003 ‒ 2006 Memories of the Unseen 井原浩子・藤田郁代 005 玉田俊郎・薄 靖彦 015 長谷川 029 高橋淑人 079 Journal of Tokyo Zokei University 10 2009

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東京造形大学研究報No.10̶̶目次

日本語ブローカ失語の一症例に見られる直接受動文と間接受動文の産出に関する一考察

インダストリアルデザイン分野における研究課題創出と産学官連携スキーム形成に関する基礎的研究

都市風景論その(2) ドイツ植民地「青島」に表象された近代都市景観のイデオロギー

Yoshito Takahashi paintings 2003‒2006Memories of the Unseen

井原浩子・藤田郁代 005

玉田俊郎・薄 靖彦 015

長谷川 章 029

高橋淑人 079

Journal ofTokyo Zokei University

10 2009

Which is more difficult for a Japanese Broca’s aphasic to produce, direct passives or indirect passives?

井原浩子藤田郁代

日本語ブローカ失語の一症例に見られる直接受動文と間接受動文の産出に関する一考察

006

 失語症者にとって受動文は理解、産出ともに能動文に比べ難しいと言われている。日本語の場合、受動文には直接受動文(gapped passives)と間接受動文(gapless passives)があるが、Hagiwara

(1993)は日本語ブローカ失語の理解に関する実験で、間接受動文は能動文同様正しく理解できる率が高いが、直接受動文の理解はチャンスレベルであることを示し、間接受動文にはギャップがないが直接受動文にはギャップがあるという統語構造の違いで説明を試みている。一方、産出に関しては、Fujita and Miyake(1986),Fujita(1989)で間接受動文の方が直接受動文より難しく、直接受動文は能動文より難しいと報告されているが、間接受動文として他動詞の所有受身文(例:子供がお母さんにケーキを取られている)が使われており自動詞の間接受動文については述べられていない。本稿では日本語ブローカ失語症者に対する実験結果に基づき、産出においては間接受動文が直接受動文より難しい可能性を示す。実験は能動文、直接受動文、自動詞を使った間接受動文、他動詞を使った間接受動文、および「渡す」タイプと「受け取る」タイプの授受動詞を使った能動文を、与えられた動詞と名詞を使って情景画を口頭で描写する方法で行った。結果は主格の「が」が正しく付与できているかどうかを中心に分析した。能動文では「が」付与を間違えることはなかったが、直接受動文では15%、間接受動文では33%の間違いがあった。また、間接受動文の中で自動詞では20%、他動詞では40%の間違いがあった。この結果から産出に関しては統語構造上のギャップの有無は関与しない可能性が示唆された。代わる説明として「際立ち」と「行為連鎖」を検討したが、「際立ち」による説明は情景画で主語になる人物が受けている影響が明示されている場合でも「が」付与の間違いがあること、「行為連鎖」による説明は授受動詞の「渡す」タイプでも「が」付与の間違いがあることとそれぞれ矛盾する。そこで、動詞の項構造に着目し、間接受動文の主語に相当する項がその動詞の辞書の中に持っている項ではないことが一つの可能な説明と考えた。動詞の辞書にある意味役割と文法役割の対応情報とは逆の対応を求められる直接受動文は能動文に比べて難しいであろうが、動詞の辞書にある意味役割以外の項を主語にする間接受動文はさらに難しいのではないだろうか。また、他動詞の場合、能動文で主語になる名詞の意味役割は何かに働きか

けるという点で典型的な動作主である。その典型的動作主が間接受動文では主題階層では低い位置にある受益者(受害者)に主語を取って代わられる。一方、自動詞の場合は能動文で主語になる名詞の意味役割は意志性があるとしても典型的な動作主とは言えず、むしろ主題に近いため、間接受動文になっても主題階層の位置が逆転することはない。このような理由から他動詞を使った間接受動文の方が「が」付与の間違いが多いと考えた。

●抄録

玉田俊郎薄 靖彦

インダストリアルデザイン分野における研究課題創出と産学官連携スキーム形成に関する基礎的研究

016

先導的な役割を担ってきた。また、社会との連携や産業との連携においてもバウハウス以来、デザインの社会性や影響についてデザイン教育の実践の中で見出してきた伝統がある。 このような観点でも日本におけるデザイン教育研究との相違を調査することは意義があるものと思われる。 本研究はインダストリアルデザインに関連する内外の研究体制を調査することから始めた。

 東京造形大学(以下、本学と称する)のインダストリアルデザイン専攻領域(以下、ID専攻領域と称する)において、教育研究課題の創出を産学官のスキームを前提に本研究を遂行した。その理由として、今日のインダストリアルデザイン分野が後述するように大きく進展し、研究や教育において新たな対応が求められていることによる。ID専攻領域における教育研究課題の創出に当たり、国際化が進展する中で本学におけるインダストリアルデザイン教育の置かれている状況を客観的に見ることの必要性まず感じた。 世界的に産業構造が転換する中でインダストリアルデザイン分野はこれまでにない広がりを見せている。ひとつは情報機器のデザインに見られるように、インタフェースデザインやインタラクションデザインなど情報系に関わるデザインの広がりがある。もう一つはユニバーサルデザインに見られるように、これまで以上にデザインの社会的役割が求められるようになってきたことである。 IDを取り巻く環境が変化する中でこれまでのID教育研究をどのように継承し発展させていくかも重要な課題として浮かび上がっている。 次に本研究テーマにもなっている「産学官連携」についてであるが、近年、美術デザイン系の大学においても盛んに行われようになってきた。筆者が本学において関わるプロジェクトでも、江戸川区、3美術大学(多摩美術大学、女子美術大学、東京造形大学)、伝統工芸者が連携する「えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト」や東京都、東京都内美術デザイン系14大学、都内中小企業が連携する東京ネクストデザインなどがある。 産学官連携の意義や効果はさまざまに言えるが、短絡的に言えば参加する側、ここでは大学であるが、どのような目的や戦略を持ち、どのような効果を得たいのかによって結果は大きく変わってくる。 ID教育という観点からどのような産学官連携のスキームが考えられるのかを考察するのも本研究の目的でもある。この研究課題の背景にはID

教育の広がりや進展に産学官連携が有効に対応するであろうという目論見がある。 ID教育は、国内は元より海外においても広く行われ、伝統的にヨーロッパやアメリカにおいて

1.はじめに

Theory of urban landscape 2.Ideology of modern urban landscape symbolized in german colonial city ‘TSINGTAU’

長谷川 章AKIRA HASEGAWA

都市風景論その⑵ ドイツ植民地「青島」に表象された近代都市景観のイデオロギー

030

●抄録  本論は中国の都市「青島」の都市景観について論考したものである。「青島」とは、ドイツが植民地政策の一環として1898年に中国の山東省膠州湾一帯を保護領としたときに、当時小さな漁村しかなかった荒れ地にドイツ人の手によって構築された都市である。この東アジアに突然生まれた「青島」という都市の成立の歴史を検証し、近代における植民地政策が果たした意味について都市景観の観点から論考した 。 本論は大きく3部から構成されている。第1部ではドイツ帝国内部における植民地政策の経緯と皇帝ヴィルヘルム2世の時代について論じた。即ち当時の列強の植民地政策の状況やキリスト教の布教活動や青島をドイツが保護領とした歴史的経緯について詳述した。 第2部では膠州湾の荒野の地に「青島」という都市がいかに構築されたかについて論じた。「青島」は当時ドイツ本国では模範的植民地と賞賛されたが、ドイツやイギリスにおける土地改革や植民地論や社会衛生学を背景に、青島で施行された土地税制や都市計画の手法を詳述し、都市ばかりでなく鉄道や港湾の建設の過程についても論じた。またそこに建設された建築の意匠についてドイツ本国や中国の伝統的建築との関係から論じた。 第3部では第1部と第2部で論じた史実の解釈に当てた。即ち都市景観のイデオロギーを、植民地都市「青島」の分析から論じた。第3部は5章から構成されている。第1章では「青島」の都市景観が異質な要素の混在しない純粋な都市として構築されたことを指摘した。アジアの伝染病への対策から中国人を排除したヨーロッパ地区に、純粋なドイツ様式の建築が建設された。その背景を進化論に基づく「文明化の使命」の思想から説明した。第2章では「青島」の都市景観が海から造られていることを指摘した。初期の都市計画図の空間的な特徴を分析し、また当時の写真から景観の特性を分析し、都市の全体像がもっとも的確に把握される視点が海にあることを論証した。第3章では「青島」の都市景観がドイツ帝国の威信を表徴していることを指摘した。ドイツの他の植民地に比較して明らかに膨大な資金が投入されて構築された事実を列挙した。その背景として唯一「青島」だけが海軍省の植民地であり、本国ドイツにおける海軍省の政治的な背景から帝国海軍の植民地政策の果たした社会的役割を説明した。第4章では「青島」の都市景観が最もドイツらしい印象

を与えることを指摘した。すなわち、青島で景観を構成する建築は全て本国ドイツの特定の時代様式だけで設計されていたのである。その特定の様式とはドイツの伝統に基づいた故郷文化を再評価する時代思潮のなかで生み出されたものだ。このため「青島」はドイツの「第二の故郷」として賞賛されたほどであった。第5章では「青島」の都市景観の背景となっている山が全て植林によるものであることを指摘した。占領時に「青島」はすべて荒涼とした岩山であった。ドイツは膨大な予算と時間をかけて植林した。その背景として当時の列強が植民地で行った自然破壊への反省から環境保護思想が芽生えたことを指摘した。その結果森林学が本国で生まれ、その技術によりドイツの森が「青島」に再生された。「青島」の自然景観とはドイツの作りだしたものである。 「青島」という都市の風景にはドイツ近代のイデオロギーが表象されている。

Y o s h i t o T a k a h a s h i p a i n t i n g s

2 0 0 3 – 2 0 0 6

Memories of the Unseen

 

work 2003-B5Mixed media, mounted Japanese paper on canvas194.0 x 194.0 cm 76.3 x 76.3 inch

東京造形大学研究報

10Journal ofTokyo Zokei UniversityNo.102009発行 2009年3月31日編集東京造形大学研究報編集委員会編集委員長̶̶長尾 信編集委員̶̶̶田窪麻周       鍵谷明子       越村 勲       清水哲朗       玉田俊郎

発行東京造形大学192-0992 東京都八王子市宇津貫町1556Tel. 042 -637-8111Fax 042 -637-8110

URL. http://www.zokei.ac.jp

Tokyo Zokei Daigaku/

Tokyo Zokei University1556, Utsunuki-machi Hachioji-shi,Tokyo 192 -0992, JapanTelephone 042 -637-8111Faccsimile 042 -637-8110URL. http://www.zokei.ac.jp

制作・DTP /(株)風人社印刷・製本/造形美術印刷

本号の執筆者

井原浩子(いはら・ひろこ)東京造形大学教授藤田郁代(ふじた・いくよ)国際医療福祉大学教授玉田俊郎(たまだ・としろう)東京造形大学准教授薄 靖彦(すすき・やすひこ)東京造形大学教授長谷川 章(はせがわ・あきら)東京造形大学教授高橋淑人(たかはし・よしと)東京造形大学教授