z25 - osaka city universitydlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/dbd...z25 ・...
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時
考
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再
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海
老
原
晃
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かつて、もう八年程前の
ことであるが、河出書房「ドイツ語教養講座」の第二巻「中級ドイツ語」の中で「時称の問題」
と題する小論を発表した。それは
zgg♀念ERFの基本的な文法書、
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山
FAF切仏0・
ω守山
FgaNHS寸158等を主たる拠り所として、
現代のドイツ語に於ける時称の用法をまとめたものであ
一うた。
しかし既
にその当時に痛感したことであったが、如上の文法書の出版年次が物語る如く、集めてある文例が十八世紐後半から十九
世紀の前半にかかっているものが多く、比較的新しい用例に豊富な
の550の書すらが、
二十世紀初頭に及んでいるにす
ぎない。従って、その当然の結果として、それらの書で説明してある範囲では片の附かない、何やらしっくりしない用例
に時々出会うことがあり、機会があればも一度
b
考え直してみたい、更に、現代のドイツ語を中心にして豊富な用例と適切
な説明とが与えられている文法書を入手できたら、と願っていた。
上記の文法書は何れも代表的な基本的な文法書ではあるが、時称の問題の取り上げ方は必ずしも意を尽していない依み
が大なり小なりある。それは勿論、時称の問題だけを取り上げているものではないのだから止むを得ない
ことではあるが、
最も網羅的に扱っているのは恐らく
∞ENの書であり、次いでは
わ550の書、他は何れも特徴的であり重点的ではあっ
ても、
一切を尽してくれてはいなかった一。とのことは後述する文法書に就いても同様に言えることであうて、その結果生
じて来る間隙は推論によって補わねばならず、そうした推断が正しいかどうか、出来れば裏書きするも材料があったら、と
思うことがしばしばであった。
,
時称再考
五七
(二五五)
-a ヨE
-
時称再考
五八
(二五六)
八年聞に色々な文法主闘が出版されたo
それらは上記の文法書ほど大部なものでないのは少し物足りないが、現代
作家の、また現代の日常生活の、実例を豊富に集め、新しい、現状に即した解釈を下し、
更には新しすぎると感じられる
程の説明もあり、かつては示唆的な表明であったものが、明確な断定となり、等々筆者を納得せしめるものが多々あり、
当時漠然と予想していた事々に就いて、
はっきりと粟附けてくれるものが少くなかったo
それらの蓄を省長名順に列記す
れは
巧
何
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司・
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国・巧σσゆ円
かつての小論「時称の問題」に於て筆者がまとめたことは、今思い返してみてもその大綱に於ては目訂正する必要
がないように考えられる。小論の末尾に、各時称が関聯的な構成を有し、いわは立体的に考えられるべきであろうと図示
したことであったが、内止ミ
がその著書で、物を書く際に各時称を乱雑に用いるものがあるが、それは画家が勝手に花を
木よりも大きく、家を人より小さく.凹いて、遠近法を無視するに等しい、りぬ円円ゅのFtmσ
ロロハ同
ωO円m町内似-tmゅのゆぴSRV仏RNoxoロ
言ロの
Z25・が主なものである。以下に於て引用の際はすべて著者名とページ数のみをあげるが、その中で
の芯σゅ
の文
法蓄のみは単にロ包
gとする。なお、
非常に重要な参考文献と想像されながら、今日に全る迄手にする機会に恵まれな
かったもの三点を並記する。
この三冊に就いて大方の御教示が戴ければ幸甚であるし、火、以下のす〈中にて引用すること
があっても、それが所謂孫引きであることを予め断って置きたいからである。
国・
ω包(凶ZFE-moH550ωs-2符・のoaHMmg
出・
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Mv-mωtw 。ルロ巾ω旬。吋ω旬。}内包〈ルωの}MOロ∞ロハ目白ω
NC〈ゆ一ユ巾仲町ゆロ・
(ω・HON)
と述べてくれているのは、当然のことながら、裏附けの一
つとしてありがた
い。しかし、こんな風
Uと
んベ小一品川と対比して行くことは実際上不可能なことであるから、以下に於ては各時称の
一般的な盟解は
h明なこととし、
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現代ドイツ語で特に注目されるべき事例に関してのみ、重点的に取り上げて行きたい。
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r
-・・・凶・圃.
ロmw-は過去の行為が現在と結び附けられる場合に現
。吋巾一ロNONd〈広の『σロ
現在完了形と過去形との用法上の相違は依然として難解である。
在完了形が元来使われたものと説明した後で、
HaoのygσgwoZσ
向。宮ωロロハ同仏ゆ円《凶gogpnvo口同J
・防庁。ュggωユロ
io-oロ司注目。ロ
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ωの}戸印吋一町内W
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(ω・
一戸
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も亦フランス語の
℃
ωωω0883ωふと
と両時称の相遣を一応無視する。
g同)知広島との聞に存在するような
ωO吋包ロ
-EZWZ広gmはドイツ語に存在せず、
《当山口ロ玄伴内山口
m兵0558》w内山ggmnzvoロgzz-gの}回目内包ロg
d己RRE怠
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日同ゆル伊丹
《若山ロロ
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門山口》O
ハ目。吋
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あり、更に続けて
話者がその何れを選ぶかは自由で
《のEmRJCω
け
R常包括83gog広8553so広gω仙の『ロロ円仏ロ円nvF吋58mm25Hけ叉のロロNはそ
であるとは到底言
〈それを彼は
(ω・ω∞hp
)
、
の前のペ
ージ
で
の
方
が
R忌包包ロ
Rgsω
切口一nF
い得ないとする。勿論彼はそれだからと言って両者の聞の微妙な差を無視するわけではないo
g口語oamo司RBとこの際呼んでいるが)11は現在完了形
ll(それを
の氏cmoと称している〉
さか簡潔でもあれば高尚でもある」o
窓口omgEop狩ロSN::σ58〉ロ出口問〈Oロ〈O門口oygZ芹常設ロロg)(ω・83。更に、
Hnyggegg∞RygロS255〈巳2mmRZと
KVRσzegg切口ny〈OロB255〈印HRとは同じものと考えられはするが、
仙のVREooω
〈OロBaロゆB〈mw件。円ロロ仏げ白σ08
〕
ZNF
。吋げmw一いゆ片岡戸
ωのFOロσω
∞ロのymopHロ品。ロ
よりも
豆長ロ岳民
過去形
に比較すると「いさ
もし解釈を深めて見るならば、前者は現在完了形の本来の姿になって、
主HEσゆゆω白日ω同町gsnwg色丹NOmωωZHWZZ会で
あり、そうした古い、成立時の、現在完了形の姿に一戻り得る所に
ll彼
はそれを河口会常550mr英会と名附けているが
iド|両時称の価値的差違が認められるとする
(ω・句。)
0
後述するように、両時称に相違のあることは当然である。しかし、それは或る過去の事実が必ず何れかの時称で取り上
げられねばならぬという意味ではなく、どんな事実であれ二つの可能性を持ち得るという点で、両時称に価値的相違とい
うか意味的相違というか、それをはっきり認めないと主張する
り巳
や
25Nの言は傾聴に値いする。在来の諸説は両時
称の相違に力点を置きすぎている観がある。
時称再考
五九
(二五七〉
-
時称再考
六O
(二五八)
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所で、
引用を行っている、
同〉門跡芯ユZBF口一
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ωω・ミH同時・)一2
5
〉ロω仏門口の}内包ロ句者ゆえoEgwロユazzgω仲巳-gmロ印FBONCB〈2mgmgg
のゆωの}弓FEω
・・・(凶印ω吋何百℃ロω仏mw円ωロ互何日内江ぐゆロ司gggロロロmh
。ロロN
の=一一口う如く、形式を異にするこの両時称は、
開
門
広
口
は
ω・ω∞で二つの
悼むωω
仏空白汁ωのyopw広巾}2mgs-Zけ門出ゆMN位nwωのげ山口白戸何時ハ目白ω〈2mmwロmoロゆ〈OB切
O仏ゆロ門戸ゆ円のゆmσロ毛印円円山口ωh(ω何日仏ZF
また当然異る所がなければならぬ。
単に
更に同ぺ!ジの脚註に巧各Rの言莱を引用している。
同ゆええ何回目ゆロ仏
とか、
この二つの引用に加えて自身が現在完了
形に就いて述べている言葉はさして』重要なものとは思われない。換言すれば彼は寧ろこの引用によって一切を尽そうとし
ているのであろう。しかるに
ω05ゆ円
の短い言葉は余り簡単す、ぎて真意を掴み難いが、d
司SRの方の言葉、とりわけ現
在完了形を「主観的な確認の時称」であるとする言は、
非常にはっきりとこの時称の本質的な一一聞を促えたものであっ
HWZロが特にこの引用を行ったのも、
恐らく他にその類が見られない程貴重な定義だからであろう。
在来のものが
322色gmとか一一一一口ったのに比較するとまことに事理明白であって、疑問の余地がない。
開門σgは
hz窓口mω匂ゆえ件付h・
w巧可ロ各自g
任。〈ゆ吋窓口mgyo芹。吟
ω。
(dqSFω・
8)
HW円ぴゆロ
て、
門)印
ωωom-
山口同w〔目白-w
巧可NCAW円ωけ〈Oロロロωmw円。円のゆmoロdq
山江川戸口ωゆ伴者mwω
出。ωzz-Zロロロ門日ロロωmw円ω仲卸ロB山口LFny〈OBω可OB仏ゆ一円阿WRm即日己・ロロ関同03可gσゆロ
目白ωωゆロ・
h
(巧σσRω・さご二日の巾mgω伊丹N仏印N己念ωωom--WEC回℃ゆえゆ片付JWUFOMWR答-gmB広三23&RFロ念ゆ巧巾】丹念円閃巾mg-
さ川町民一moロロルロm巾巳ロh.(σσ仏印・)これから准察すると
「導入の現在完了形」及び「終末の現在完了形」とでも呼ぶべき現在完
そして、この用語も亦、全く適切であると言わねばならない。この種の用例
またそれだけにこうした用語の確定が数年前にはじめて行われたとす
巧SRの書に直接目を通し得ないのは残念である。
は
巧σσRの号一口を念頭に置いて読むと甚だ興味深いが、
が過去形と現在完了形
当よω
こぶ」
ωnyロ巾片山ゆ円
ふ/ふ/
了形の用法を
当。σRは認めているらしい。
を実際に見出すことはなに人にも容易な答であり、
るなら、些一か奇異でありさえもする。何れにせよ、
WE2色白
がその著で現在完了形を扱っている箇所
(ω-NHGINNω)
余りにも用例が豊富す、ぎ、かつ何れも長文のものであるから今ここでは触れない。
とを比較している言葉だけは引用して置きたい。
即ち、
Nロmg立件一Nけ}内山口ロ自白ロ
ωωmg…Umwmw可何一門町内WM内庁
m仙一σ4い
門凶印ω
、.
仏印ω
同B匂σ門町ゆ宮内凶印ω巧
F仏83円内向5
5
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ロ任問ロロハ山内ω宮
ggBBop(目印ωHB志氏。宮ルω片山口ω宮町門戸wyg仏海耳目ロω白山口N巳ロ0
・
(ω・NHゆlNO)
二つの時称に差はないが、叉その反面、
差がある、
と言った矛盾した関係を捉えればこうした言葉も必要で
あろう。
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ω同03も亦二つの時称の関係を比較して、その著の
ぜ・見回
で
州内ozsσロωgEREO〉
BEESγzoE宏・
の大と
(はゆ切口nEEnW033E2E・の文を、対比させ、
の口付σロ,
σ巾円m川
町釦4げ
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F2FO円釦ロゆ〈ゆロ門広明ゅのゆえ
O吋550g
円。ω己目片町MAい}戸内句史wωゆロ?(℃・]一、吋MW〉
片岡戸沖片岡HMO仏一00ω
ロO片片岡戸
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ω件。3が現在完了形と過去形との競合を説
5po旬。広ゅのグ
ω5252円匂江go
ロogぽ位。ロ
mmm問。σσロ・
同ロ
片付ωゆ戸内
島
22B50けFAwnHMO仙台巾σゆ伴者。ゅロ
T
仲田5ωゆ件当。一件σロ白ゆω一ゲロ件己g℃旬ω件
山口
HAいω
向山一吟吋ゅの品いω州同伴・庁σ回一片岡Oロ再令。
この説明は妥当であろう。所でこの一文に続いて
何〈ゆロzzpo山550仏UZ匂印ω件wFod司ゆ〈AWFω吋ゆ
いている実例は面白い。
円。ω巳仲間w
山門ゆ
ω江口当RYロP
85
ロ25mwH守円
AWUO吋-rげ門
日
ロRHJ65ぽ円552Z円山ωけロ仰の『〉gmw吋片付mwm何時円omσPげ釦品いωσ山口。
ロゆ者名mwuo円ωい
切口片山片山ωEopロ。当
方巾吾川戸℃ω者mwロSm切仏ゅのBmw仏与え吾ゆ包自立。同)印ωyd司Enyd〈訟な日片付0σσgo円。
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吋
Hoc-ι
Fom丘ロロゆω…一司35ぽ円552Z門出omロωny〉50ユwmrmωσREouoH巳ω包opぬけのよ釦ロ仏
σ8RU--可ルロ円σMVO吋片的O片仏ゆえ何回ω一一回ロω広吉
ω仲間円σ
σ。ロωゆ門凶
ωロの宮
百戸〉ロ巾円〈。ロ
U1UMωFBロ・
(司・ロN)
しかし二つの時称の競合はなにも右の如き場合のみに限らない。それは大きく言えば近世以後のドイツ語史に見られる
動きの一つであり、ロ巳
はその著の
ω-ENで、十五世紀以降は現在完了形が過去形に取って代りはじ一め、特に日常語で
はそれが強く、
かつ南独では現在完了形が過去時を語る唯一の時称となった、
と説く。戸・JFgoF留保gωけ冨位回忌
8
5hおの
ω・5品
で現在完了形と過去形との用法上の境界はマイン河にありと酒落ているのはこの間の事情を物語っている。
そして、そうなった原因の大きな一つは、弱変化動詞の過去形で語尾の
eが会話では略され勝ちなため、現在形と区別が
し難く、完了形を好むに至った、と説いてあるのが普通である。しからば強変化動詞はどうなのか、かねて疑問としてい
た所であったが、同町σσロが
ω・8でその点に触れているのには注意が惹かれたo
U白358ωEHE円仏芯常設nvzmoB〉5・
門町ロの}内乱O円包会wωMVRrwgσロ件ωの町一色
wσ何者片W8・・・
σ巳(山内wロωS門付。ロ〈2σσロハロσCロω仙のYO門町ゆ片付
。。σ円mwcny(目。吋〉σ戸山口丹念吋ggw
ロロ
門出巾(目白〉ロωm-any門日常〈owmw】〈ゆ円ωnEゆ門凶巾口町色丹N
項目ωのyo口辺ロmcg円ロロ仏
EC吋印}一司込ZM1EH三件
σ円仰の伊丹0
・こうした我々には気附
ω仲nF
‘
行届いた説明はこれがはじめてのように感じられる。
現在完了形と過去形とを正しく使い分けよという警告は屡々自に触れる所であり、それは主として前者が後者を圧迫す
ることに対する警告と理解していた。従って、例えば一、
尽σgが
ω・ω∞で、ロロ己g
が
ω・HSで北ハに指摘して
いる現在
完了形の新しい用法、
ー勿論彼等がこの用法を新しいものと言っているのではない、ただ在来の文法書では見られなか
ったと思うのである即ち、完全に過去で終結していて現在に及ばない事柄が、換言すれば本来ならば過去形で陳述さ
きにくい、
も句
時称再考
ムハ一
〈二五九)
•
-
•
宮長陸時{下
4< 11
(1 Hく0
)
ト。γ鳴lJ~総定
PE寒柑保卜「絵平ノ
l終咋()~ t-(o HE
誕,t
Wie sehr
habe rch
das ei nst
geliebt! (von Hesse.
Erben Duden故
以)
Ach,
R竺was
凶ich
同er
Fe凶
et,und wie hat
mich das L
伽n
gefreut! (von Carossa.
E巾en
~t{) Was n凶
民kann
ぽn;waswar,
istω…
r g…
en. (von Borne. D
uden ~ t
{)
吋時
恥〉
酎件
以照
射訓
出窓
_)
-t
f¥0ω
ム鈷
制同
ふ吋
闘接
Jど
0写老従必剣選宰従欄,頬唄噺恥e
堂廷恥心
J叫叫叫11市削11抑l日恥
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伍綬恥心1恥11
Das Gefu 註ih
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strenge Scheidung von Perfekt
und Prateri社f
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Oロωロ仏ゆ片山口m80558一
円四ゆロ切氏。内mgny吋ぽσ8・ロωω
町民ωけ含
gEσ門戸ゆ仏山県・としている。文例から推測すれば、かかる場合、在来の説明では単に未
来完了形の代用であるとし、未来のことを完了した事実と見なし、確実なものと考えたからの用法であるとは説明しない。
りE
g
の如き説明は未来完了形の成立の過程を考えればω、勿論可能であろうが、そうした未来完了形と現在完了形との平
行的な関係から、過去形も亦未来形を表わし得ると言えるものであろうか
t
ω・ωω。に述べ
てあることも重要であるから全文を引用する。
同ロ命日HM伶円
ymw-σσロωけロロ仏。
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司
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iuhへ攻防刷た具、仏ハマ4Nhb閣1hR
の序文から明瞭に感得できる。
れ、恐らくこの新しい
oag
ょうとする過去形の新しい用法も、
uagの
∞-HHN
に過'去形の用法の一
ロルゆ
N・ωggg沙門同ロロロハ山仲買司ωωω宮内山門tnwoロ向。吋ロゆ円念。
によって一九三五年に出版された同名の文法書に比較すると絡段の州連が外ら
に記載され説明されている事項は今後常に論議の中心となることであろう。
。・切白色ゆ円
これから述べ
またその一
つである。
っとして次の如き説明とす〈例があげてある。
。。内山山口付。ロ包ロmwH.可。吋
ωOロ
tσゆ吋
仲町円。
Nロ}内ロロ内庁
山口ω・
U5 N回目内ロロ一同門
老町内凶
円凶mwgロNロσ52uのgnyoYAWP(目白ω宮内同氏目。σげえ芯ロ
Mvymロ一uwωルmw仏ゆωω℃円ゅのげゆ円ωσ巾円AWM片ωω品いmwけ門的ゆ同己ロハ同巾ロ
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富包ロのoFdZσσωEV円四mwロロ
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片山口仏ロルハvVけ
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門戸mwロロω釦ゲ仲ny
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来
を
表
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時
称
の
一
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に
は
過
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形
が
あ
る
と
し
て
、その実例に
巧芯
gmy円・をあげている。この文例が前出のものの一部であることは明瞭であり、前述の説明をどう
理解するにぜよ、端的に、この用法は直説法の過去形が未来を表わし得ることを物語るものと断ぜざるを得ない0
1
現在形が未来を表わすことはドイツ語では当然のことである。
ゎoE50ロは
HV-gで、円FO℃円20ロけぽロω巾HωSCRBS
各σσgwggσ・ときロっているが、全くドイツ語の現在形は基本的な時称であって、あらゆる時間にあてはめられる。また
現在完了形が未来完了形の冗長な形式に代用されて、未来を表わし得ることに不思議はない。ただ、少し↑一気になるのは、
り忌g
は
り弘
司RPE三三なB
R関与SR宮告白色。仏RgFE282Eロpg
o出gagmdiE巳ω〈
Oロg含g
更に、
ロロハ同ゆロのω-HHAF
(司門院件。円片付ロB)
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ω-HCmu
で
り己《凶ゆ国の
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〈RFω-Zロルヨのロゆ門田ωmRW《同m戸ω〈
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時称再考
六一ニ
(ニナ一〉
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(Chamisso)
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』
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弘山内
形の方は
dismW805同
555gミ
同05と断って
り己主吋ω仲
(Rdqua鬼門凶ロ〉ωO内032303ロ{を例示している。
ば、ここでも亦、現在形より未来形の方が強い烈しい意味を持ってい、ると一一一一口えそうである。但し、
9558
は
りロ三円
aS2mgEG一命vg-の形式は
りロ
EoF2ER一の形式に対しては寧ろ弱い、ロルωmmg念日ゆωω3358ミ
sg
sσロωゆえ仔ゆ℃円。
ωg?と説明してある。
。怠
gもHWHZロもこれらの問題には触れていないから俄に断定を下すことはで
きないが、未来形に対する在来の解釈からすれば
わ畠
zgロの説明もうな、すげないことはない。なお、
ωけ03の
℃・弓ω
には現在完了形が命令に使われる例、
回ω宮宮
ωmga円山口円山色ロN即日目ゆ片山口片的民営Bけ・
をあげ、未来完了形と関係+つけている。
これから見れ
の
Myaで
、
五
L
ドイツ語で動詞のことを
Nag。ュと呼ぶ。もし動詞の実体を中心に考えれば
寸主事223吋丹念仏・
NSSE22件。仏・〈OHe
m
町山口mω者。ユ)と呼びたくなるが、そしてそう呼ぶ人もあるが、
PFgo立の方が普通である。動詞の変化が
NO片付・忌082の機
能を有するからであろう。即ち、動詞の
Nゆ覧O
H
5
8
によって
N05ZFが規定され、
陳述の内容が如何なる時聞に関係し
ているかが明示され、我々の
N急Z句応急・
INSg吋件。ロgmが満足させられるのである。現在、
過去、
未来にわたって、
完了時称と不完了時称に分たれ、整然と六つの時称が形成されるに至った所以であろう。一方、動詞はまた、存在乃至は
生起を示すものとして、殆どの文の、陳述の、核心となっている。動詞を単に
「語」
〈ゆ円σ〔ロ♂〕
(g・2与口BHJ司O
ユ)と呼
ぶのはその重要性に基くものであろう。その結果、殆ど一切の陳述が六時称の何れかに所属せざるを得なくなった。我々
はこの事実を銘記して置かなければならない。
所で、時間的な規定は他の手段によっても明示し得る。例えば、副詞、前置詞、接続詞等々を使うことによってす分に
可能である。従って、人は陳述の内容が如何なる時間的段階に属しているかを、必ずしも動詞の変化によって示さなくて
もよい答である。にも不拘、前述の如く、動調を除いた陳述は概ね不可能であるが故に、混乱が生ぜざるを得なくなった。
川
口Egは
ω・5∞一で
hS4・(
VV
円・いわ防ω回同・位URωの何回円。伊丹ゆけ乱。ロ河口σ広州O
ロ・
恥品
4・(
VV
円・ぃ
ハリ帥
ω釦円当町仏
280円門問。同・
•
時称再考
六七
〈ニ-六五〉
巳
-
時称再考
ナ入
r--..
ームーノ
ームーノ¥'-ノ
の例を
おmFωEOBロ円四な現在形の用法であると説明している。それ自体は勿論答める必要のないことであるが、
が何故問題として取り上げられねはならないかと考えると、当然、過去のことは過去形で一不さるべきであり、
在のことを示すと規定した上での問題であろう。しかしトイツ語の現在形が
gω付芯ロωゆであると考えれは、
るには当らない。
つ』
かかる用法
現在形は現
敢て異とす
現在形が未来を示す一例として
宮鬼門zntoロω(g
g♀E円g
g仏ωゆ吋〈山口付ω)…円〉己的$225玄白門戸
}内伊三位。ogtωゆ己口弘
22RYCHM門日付055ωけ
日03、が
℃・∞切
で、
の日HV
白けルO口)のOぺ吋ゆω匂O口弘5mgSσFFω件。ュg日間)円。ωσロ仲卸ω50同
Oコロ
O片仲町σiiι
ロ釦円一円即位〈何回)mwω件一
ωたげ片山一町円何回凶
百件N
けヨ2SF
WOHH凶・
ωO向。吋門NZ円止の}内・
、H,EωgmqσゅのOロω広向。色白ωω
三三己ロ印円門主守ぬ時三巴吋巾
(O
片山口巳・
53805σ日当mw円ggg〈O円σβmoyg-zgmwσwロロハ凶ロωの町毛色伴内W円gN毛色宮gEOロω宮内同
ωBmENo--
この例文も説明も共に興味深いが、後の例の様な場合、我々は現在形以外の如何なる形式を使う余地があるだろうかν
同じく臼03の司・ミωにあげてある二例、
ωogz含ぬ伴者同ωR片手吋ωけ
ωの宵2
Z
E円・
ωo-gmゆ色白円〈え2
2♀丹念訪Y念ええ
含口付ZM3F8・に於て、副文中の現在形の用法に関して、敢て取り上げる必要があるであろうか。
間
N毛色
B釦}N者25iR-の場合の現在形、
HNOB当記念ロ江戸けいロ巴55、吋仰向ゆゆ円σ山口げ
に於ける過去形、に於てそれそ
れの時称以外の時称はまず考えられないのではあるまいか。
川
muEgの
ω・5ゅ
には現在完了形の用法に就いて在来の文法書に於ける説明とは異なるものがある。今その全文を
引用すれば、。山ω司常時ぬ存(同円台宮
(30仏g
p除
ωgω〉
25〈2555m5240吋窓口mggのgnv各ggpopFロ〈R玄ロ含ロm
gF件当。20円ロ
g付与円ゅのyg号円切包ゆえgm一尽ゆえ仏OのFEny同
235ω巧ωωωゆ円
mo片山]】σロ吋匂己
E2色。ロ尽王者oyznFOロ宮-0・
ωg吋在来ならば、恐らくこれは未来完了形と結びつけて説明するであろう。一般にロ三g
はそうした代用的現在完了
形を認めまいとしているようである。理由あってのことであろうが、それはそれとして、この二つの文例で「推測」を示
すのは現在完了形の問題というよりは、むしろ号各包のE2dq仰心者OERYSの如き語が中心ではあるまいか。
同
M
UEgは現在形、現在完了形、過去形、未来形のそれぞれに
と釘σ52ロ包5mgを表わす用法を示している。
d
〈ゆ円号ロ
222m口付定各円ゲルω丹念ω同ピぬ円ωロWY件当ゆえ・(ω・
一戸O∞〉
同ハO}zgσロωg門〉
50ユwmwgERE-(ω・一戸。ゅ)
U5仏ozgnyo口同ハ包ωAW吋話口門会wロ宮司吋ωロwpHHAmow円。口付・
(ω・HHH)
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内
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“・・陶・
•
開山口
mER宮山口ロ老町内同
ωZZ仏
mg切。ωωRodq仙一V-2-(ω-HHω)
かかる用法は在来の考え方なら
mロOBUSな現在形等々と説明するであろう。従つで前出の「
2×
2H4」、
一日にして成らず」と対応するものであるが、それらの時称の中に格言的な用法が潜むというよりは、その陳述を受げ取
る側にむしろ問題があるのではなかろうか。
川問
。弘
は
ω-Hちで同)RP笠宮
な動詞の現在形はむしろ未来を意味し、
もしそれらを現在の事実として用いるなら現在
完了形とすると説明し、ロロ片山口含ω丹念ω切己岳山氏号BWF105片山ωny--ー
lr5ggwy仏印ω∞ロnymσPEg-の例をあげてい
る。十分納得させるものがある。一方
。忌g
の
ω・5∞で現在形の用法の一つに
NC円一切32nyロgm町内山RSgR23吋mgmσ・
ロgNSTpvmロ含
ωomσ82ロg
Eロ当包ω・をあげている。それ自体に疑義はないひしかし、ここでも亦、問題とすべきは
現在形の用法であるのだろうか。
〕2Nfgsgの如き一見無視され勝ちな小語こそ中心ではあるまいか。更に三つの例
文に於て、我々はそれぞれが個有している「情況」(包Z色。ロ)をも無視できないように思われる。
間情況という点で面白い例がある。現在完了形には結果の残存が中心になる場合と、行為の終結が中心になる場合
との二つがある。
Mgmの
ω-Nミ
で前者の例として
史げ伊丹
mO5mg同・
30円切a
g互ロonygB・)に対し、後者の例として
zgfgSけm33mロ2・(∞gわ伊丹ゆ門出。∞20ロロロm町一〉を示している。これ亦有益な説明ではある。しかし後
更にはその答えの前に置かれた
何兆ロ20ω
ロony
吋
「ロ
l
マは
同
N2州ロ0・円。ωロony
吋
者の例で中心となるべきものは冒頭の
ロ巳ロ
であるかも知れないし、
ロonyかも知れない。
の
ロロ(rwロ
ωから閉までに分けて提出した疑問は第四節に述べた未来形の用法につながる疑問であり、それは更に、
って説明された、過去形が未来を示すという用法につながる疑問でもある。当5gEH門目白ロロ
ω山町三二広三のEsmy円・
出、六三ペ
ージ)という文だけを卒然と示されて、この過去形は未来を示すといわれたら抵抗を感じる方が普通であろう。
しかし、〉ロmwHFgM向日のゆ〔回一回一一口}内ゆロ
mzm町一命ロ
55仏両M円台町内回。ロ問。又・
ω色白除B片目。宮内同色ロny〈ゆ門戸O円。同唱者。ロロ品目。
NO同戸一ω己円山σ一mgn町民同け
毛ωω
片山件。ω吋
¥ryd〈口戸内回目ゆえ吋即時ゆロ円山内w出
ωロ(日ロルロ町民君。三σP仏目。門出口町宮ω何回。ロ仏
ωcom・
よ(前…
は或は何気なく読み通して、疑問を感じないかも知れない。情況の相違である。
しかし、
(共民前出、六四ページ)
それだからといって、過去形が
者ロ円仏。
で
六九
(二六七)
時称再考
‘
.
•
-
•
時称再考
七。(二六八)
ぃ木米を表わすというならは、
それはもう時称の問題を逸脱しているとでも考えざるを得ない。その用法の成立過程には
ゆユ与ZMNaゅの段階があったのかも知れないが、既にそれが成立して独自の用法として固定しているなら、
極言すれは、
情況の上で誤解の余地がなければ、如何なる時称形式を使うことも自由であって、
時称形式を選択する鋭準は
gB3円印目。
∞包22口問
によらず、主として
ga色。∞
&ggお
によると言わねはなるまい。
思うに、六時称が一応時間的に厳密な構成を有していると前庭すれはこそ、我々は現在形の用法、過去形の用法等々に
関心を抱かされて来たのであり、何れの文法書も、しかじかの時称をしかじかの場合に使用せよ、とか、二つの時称の相
違は何処にあるかと説明して来たのであろうo
しかし、考えてみると、それは動詞の持つ
85匂05-な機能に重点を置い
ての話であって、如何なる陳述も時称形式を離れて存在し得ないことを考慮すれば、我々はそうした時間的限定の拘束か
ら動詞を解放してやる必要があるかも知れない。そして、
もっと時称組織の中に潜む
Boe-な一面を取りあげてぞるな
らは、上に列挙した一聯の疑問の大半は消失するのではなかろうか。
例えば、現在形と未来形との用法上の一致点と相違点、現在完了形と過去形との用法上の一致点と相違点、を考えてみ
ると
Z535Z切包22認
に於ては一致するが
BO念日ゆ切怠22お
に於ては相違すると理解するのが一番の早道のようで
ある。現在形の用法は現在、
過去、
未来の何れにもわたり得るのであるから、
そのわたり得るという事実は、
これまた
Z535Z∞&ggおよりも
50念Z∞包
ggおによって解釈されねばならぬ。現在形が普遍的真理を表わすといった説明
は、
一般に、陳述が動詞を除いては不可能である以上、
S52という意味では時間的かも知れぬが、ロゆ口々と
な形式を
認めて、件。535Z∞agZDmを有せずとし得るであろう。過去完了形は
芯B35zgι22認
を認め得るが、
未来完了
形は
ga色。∞包22Gしかないと言って誤りではあるまい。
勿論そう解釈したからといって、時称の持つ時間的意味を全面的に否定する必要もなければ否定すべきでもない。各時
称の相対的聯関はあらねばならぬし、それぞれに個有の
P52rもなければならぬ。しかし個有の
N05zrに時称をま
ず定着させて、それから用法を説明して行くことは、ドイツ語に於ては、殊に現代のドイツ語に於ては、徒らに煩雑さを
喝させるばかりであり、また事態を逆立ちさせてもいるように思われる。
• •
同,EO江巳仏ゆ円は
ω・5ゅで、ドイツ語の
NOS-ゆ明日
はラテン語のそれに比較すると迄かに厳密さを欠いているが、
「それ
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ikNL川町
1
は与えられた時間の中に生きたがらないドイツ人のロ
gmE3ewm巾ロ位。
FZN命日ng
g仏企0858aωnzo
マンティックな心情の現れである」
阿)ゆロAuwnyop色。円
ヨ伊丹
ωゆ巾目。ロ}
Mmw
ロロロm
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、I?てinuw
仏俳
U1?っhl,hhRURK占
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、
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ロ
即日戸骨戸
〈oユ芯
σ。
与佐
野
5
8moBgmg互・)と述べ
ていることが思い合わされるのである。
(昭和三十五年二月、
、
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時称再考
記)
〔。σ日
ロ仲の伊丹
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円問。吋
Nゆ伊丹
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Nσ一汗一.
日
σσAV
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(一二ハ九)