オリエソト 第22巻 第1号 (1979) - j-stage

20
第20回大会報告 ガ ザ ー リー研 究 の 回 顧 と展 望 ― 秘 説 の問 題 を 中心 と して 廣治郎 The Study of al-Ghazali in Retrospect •\ with reference to his alleged "esoteric" teachings•\ Kojiro NAKAMURA Al-Ghazali (1058-1111 A. D.) has generally been known as one of the greatest innovators of the orthodox Islamic thought. It has often been claimed, however, that he had the unpublicized "esoteric" teach- ings. That is to say, he was in reality a philosopher (failasuf) in the disguise of an orthodox Sufi doctor, in spite of the fact that he once officially denounced philosophers as the dire enemy of the Sunni Islam. Ibn Rushd, a famous Muslim philosopher, was the first to propagate the allegation. In fact, there are some "evidences" favorable for the indictment. First, al-Ghazali hints here and there in his writ- ings that he has some secret ideas which he cannot disclose except to the initiate. Second, there are some works attributed to al-Ghazali which are apparently Neoplatonic in nature. Many scholars, Muslim and non-Muslim, have devoted many articles and books to the study of this problem of the alleged "esoteric" teachings ever since the end of the 19th century. Particularly the third part of al-Ghazali's Mishkat al-Anwar has attracted the attention of the scholars because of its mystical thought of Neoplatonic tendency. -1-

Upload: others

Post on 25-Mar-2022

2 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

第20回 大会報告

ガザ ー リー研 究 の 回顧 と展 望

―秘説の問題を中心 として

中 村 廣治郎

The Study of al-Ghazali in Retrospect

•\ with reference to his alleged "esoteric" teachings•\

Kojiro NAKAMURA

Al-Ghazali (1058-1111 A. D.) has generally been known as one of

the greatest innovators of the orthodox Islamic thought. It has often

been claimed, however, that he had the unpublicized "esoteric" teach-

ings. That is to say, he was in reality a philosopher (failasuf) in

the disguise of an orthodox Sufi doctor, in spite of the fact that he

once officially denounced philosophers as the dire enemy of the Sunni

Islam. Ibn Rushd, a famous Muslim philosopher, was the first to

propagate the allegation. In fact, there are some "evidences" favorable for the indictment. First, al-Ghazali hints here and there in his writ-

ings that he has some secret ideas which he cannot disclose except

to the initiate. Second, there are some works attributed to al-Ghazali

which are apparently Neoplatonic in nature. Many scholars, Muslim

and non-Muslim, have devoted many articles and books to the study

of this problem of the alleged "esoteric" teachings ever since the

end of the 19th century. Particularly the third part of al-Ghazali's

Mishkat al-Anwar has attracted the attention of the scholars because

of its mystical thought of Neoplatonic tendency.

-1-

オ リエ ソ ト 第22巻 第1号 (1979)

ガザ ー リー(1058-1111 A. D.)と い え ば,こ れ まで 主 と して正 統 イ ス ラ

ム の偉 大 な 思 想 的 改 革 者 ・復 興 者 ・哲 学 の 批 判 者 と して 知 られ て きた 。 しか し,

他 方 で は,彼 に は 一 般 に は公 表 され な い 「秘 説 」 が あ った と もい わ れ る。 正 統

ウ ラマー の 衣 を 着 た新 プ ラ トン派 の 哲 学 者 ・神 秘 家 で あ った とい うの で あ る。

こ の よ うな 主 張 に ま った く根 拠 が な い わ け で は な い 。 まず,ガ ザ ー リー は批 判

のためとして,バ グダー ド滞在中の一時期哲学の研究に専念するが,そ の理解

の深さは並の哲学者以上であったこと― このことは,彼 がわざわざ哲学の概

要を客観的に記述 したMagasid al-Falasifah(『 哲学者の意図』)の 内容から

も知 られ る― が考 え ら れ る。 次 に,ガ ザ ー リー 自身,著 作 の 諸所 で秘 説 の

存在を思わせるようないい廻 しを していることである。これを根拠に哲学者た

ちは秘説の存在を主張 し,ガ ザーリーの不誠実 ・偽善を非 難 す る。 そ して事

実,「 哲学的」 内容の著作が ガザー リーの 作として多 く伝わって いるのであ

る。これが現代のガザーリー研究者の間に混乱を生み出している最大の原因で

ある。

これらの諸著作は果 してガザーリーの真作であるのか。もしそ うだとすれば,

それらは一時期の思想的変化の産物であるのか。それとも,そ のような思想上

の変化は晩年のことだとすれば,少 くとも表面的にはガザー リーは正統教 義を

表 明していたのであるから,そ れは哲学者のいうように,「秘伝の書」であるの

か。あるいは,こ れら 「哲学的」内容の著作はすべて偽作であ り,ガ ザーリー

には秘説などまった くなかったのか。もしそ うだとすれば,彼 の真作の中の諸

所にみられる 「秘説的」表現,あ るいは秘説の存在を思わせるようないい廻 し

は どのように解釈すればよいのか,等 々。これがガザーリーにおける秘説の問

題である。この問題が解決されない限 り,ガ ザー リーの全体像はいつまでも焦

点を結ぶことはない。

最 初 に ガザ ー リー の秘 説 の 問題 を提 起 した の は二 人 の スペ イ ンの イ ス ラ ム哲

学 者,Ibn Rushd (d. 595 A. H.)とIbn Tufail (d. 581 A. H.)で あ る。

ま ず 前 者 は,本 来 少 数 のエ リー トの た め の思 想 で あ る哲 学 を ガザ ー リ ー が

-2-

ガザ ー リー研 究の回顧 と展 望(中 村)

Magasidの 中で大衆に公表 したために混乱が生 じた こ とを指摘し,Tahafut

al-Falasifah(『 哲学者の自己矛盾』)の 中で哲学を批判 しながら,「秘伝の書」

では自ら哲学者 と同じ立場を表明する彼の背信 ・不誠実を非難する。

次 に 彼 は,Jawahir al-Qur'an(『 コー ラ ン の精 髄 』)と して 知 られ るそ の

著 作 の中 で,Tahafutに お い て彼 が肯 定 した こ とは 〔た だ〕 弁 証 上 の諸

命 題 で あ り,本 当 の こ とは 「秘 伝 の書 」(al-madnun 'ala ghair ahl-hi)

の 中に 述 べ た とい って い る。次 に,Mishkat al-Anwar(『 光 の壁 龕 』)と

して知 られ る彼 の著 作 の 中 で ガザ ー リー は,神 の認 識 に到 達 した 人 々 の境

地 につ い て 述 べ,そ れ 以外 の他 の人 間 で,神 は第 一 天界(al-sama'al-ula)

の動 者(muharrik)で は な く,〔 まず〕 神 か ら この 動 者 が 出 て くる と考 え

て い る 人 々― こ の こ とは神 学 に お い て 哲学 者 の立 場 を と る こ とを 明 白 に

表 明す る こ とで あ る― を 除 け ば,す べ て は迷 妄 の ヴ ェー ル に覆 わ れ て い

る,と 述 べ てい る。

つ ま り,Mishkatは そ の よ うな 「秘伝 の書 」 だ とい うの で あ る。

これ に対 してIbn Tufailは,ガ ザ ー リー の著 作 に み られ る矛 盾 を 指 摘 す る。

例 え ば,Tahafutの 中で は 肉体 の復 活 を否 定 す る哲 学 者 を 批 判 して い るか と思

うと,他 方 で は,Mizan al-'Amal(『 行 為 の秤 』)の 中 で は そ の考 え は ス ー フ ィ

ー の思 想 で あ り,し か もMunqidh min al-Dalal(『 誤 りか ら救 うも の』)の 中

で は,ガ ザ ー リー 自身 ス ー フ ィー で あ る と告 白 して哲 学 説 に賛 意 を表 明 して い

る,と す る。 しか し,Ibn Tufailは,そ れ は ガザ ー リーが"人 を 見 て法 を説 い

て い る"か らだ と して理 解 を 示 す 。

彼はかつてこのようなや り方について,Mizanの 末尾で次のようない

い訳をしている。すなわち,思 想(madhahib)に は三つの種類がある。

第一が,大 衆も信 じ共有する思想。第二が,探 求 し求道す る者すべてに与

えられる思想。第三が,心 の奥に秘めているもので,同 様の確信を有する

者 の み が理 解 で き る思 想,で あ る。… … ガ ザ ー リーは か つ てJawahirの 中

で,〔 そ れ に ふ さわ し くない 者 に は〕見 せ ては な らな い書(kutub madnun

bi-ha)を 著 わ した が,そ れ らの 内容 は 真 理 を 明 白 に示 した も ので あ る と

述 べ て い る。 しか し,わ れわ れ の知 る限 り,そ の いず れ も スペ イ ンに は伝

わ って い な い 。

-3-

オ リエ ソ ト 第22巻 第1号 (1979)

確 か に,「 秘 伝 の書 」(al-madnun bi-ha)と いわ れ る ものが 何 冊 か 伝 え られ て

い るが,そ れ らは い ず れ も秘 説 といえ る もの で は な い 。Mishkatに つ い て も同

様 で あ る。

後のある学者は,か つてMishkatの 末尾にある言葉からある重大なこと

を想像 し,そ れによって彼は逃れ得ない奈落の底に突き落されたという。

その言葉 とは,光 によって 〔真理への到達を〕妨げられている人々の次に,

〔真理に〕 到達 した人々について述べる箇所にある次の言葉である。 「彼

らは,こ の存在には純粋一元論の原理に矛盾するような性質があることを

知るようになる」 と。そ こか ら必然的に彼は,ガ ザーリーが第一真理(al-

Awwal al-Haqq)(彼 に栄光あれ!)の 本質には何か多なるものがあると

信 じていた,と 考えようとしたのである(神 よ,そ のいと高き極みにおい

て罪人たちのい うことを超越 し給わんことを!)。

こ う してIbn Tufailは ガザ ー リー に 秘説(哲 学説)が あ る こ とを認 め て い る

よ うで あ る が(そ の推 論 に は か な り無 理 が あ る),「 秘 伝 の書 」 自体 は まだ スペ

イ ンに は伝 わ っ てい な い と して,Mishkatを そ の よ うな 書 とは認 め て い な い

(こ の 点 でIbn Rushdと 異 な る)。

前 述 の よ うに,Maqasidの ラ テ ン語 訳 に よ って ガザ ー リー は,中 世 キ リス ト

教 世 界 で は一 般 に 哲 学 者Algazelと して知 られ て いた 。 こ の よ うな ガザ ー リ

ー観 の誤 りが 最 初 に 証 明 され た の は,19世 紀 も 半 ば をす ぎ てか ら で あ る。

Salomon Munk, Melanges de Philosophie Juive et Arabe (1859)。Munk

はMaqasidの テ キ ス トと して ラテ ン語 訳写 本 の ほか に,よ り正 確 な ヘ ブ ライ

語 訳 写 本 を 用 い たた めに,ガ ザ ー リー と哲学 の 関係 を正 し く理解 す る こ とが で

きた の で あ る。 しか し,そ の研 究 が 直 ち に 一般 に受 け入 れ られ た わ け で は な い。

む しろ19世 紀末 か らア ラ ビ ア語 の テキ ス トが活 字 印刷 で少 しづ つ利 用 され る よ

うに な る と,「 哲 学 的」 内容 の著 作 まで が利 用 され 出 し,「 秘 説 」 の問 題 ともか

らん で混 乱 が い っそ う増 幅 され た 。

この よ うな流 れ の 中 で,ま ず ガザ ー リー の 「秘 説」 の存 在 を証 明 しよ うと し

た のがHeinrich Malterで あ る。 彼 は,ガ ザ ー リー の 「秘伝 の書 」 と して,

-4-

ガザ ー リー研究の回顧 と展望(中 村)

ア ラ ビ ア語 原文 は散 逸 して い て ヘ ブ ライ語 訳 写 本 と して の み現 存 す る も の を

1898年 に校 訂 ・刊 行 した。Die Abhandlung des Abu Hamid al-Gazzali. Die

Antworten auf Fyagen die ihm gerichtet wurdenが それ で あ る。 も っ と も

D. B. Macdonaldに よれ ば,本 書 はMaqasidとa1-Farghani (d. ca. 830

A. D.)の 天 文 学 的 著 作 か らの 引 用 で成 って お り,し か も物 質 と時 間 の永 遠 性

とい う哲 学 説 が 明白 に述 べ られ て い る。 また そ の 引用 の仕 方 も諸 所 か らの不 器

用 な寄 せ 集 め で あ り,こ れ だ け で 本書 が ガザ ー リー の真 作 で な い こ とは 明 白 で

あ る,と い う。

ガザ ー リーの 「秘 説 」を肯 定 す る最 近 の学 者 と して は,Abdul-Fattah Sawwaf

とSulaiman Dunyaが い る。 まずSawwafに よれ ば,ガ ザ ー リー は新 プ ラ

トン主 義 的 ス ー フ ィズ ムの 立場 か らの 内面 化(spiritualisation)に よっ て,形

式 化 した 律法 主 義 的 イ ス ラ ム,「 国家 的 イ ス ラ ム」(statisme)を 改 革 し よ うと

した 。 しか し,ガ ザ ー リーは そ の 方法 ・実 施 に おい て は慎 重 で あ り,改 革 のた

め の将 来 の影 響 力 を 確保 す るた め に伝 統 的 イ ス ラ ムに 種 々 の妥 協 を した 。 哲 学

を 批 判 したTahafut,バ ーテ ィニ ー派 を 批 判 したMustazhiri,正 統 教 義を 弁

護 したIqtisadな どは皆 この妥 協 の産 物 で あ り,彼 の真 の思 想 はMaqasidの

中 に あ る。 しか し,こ れ とて 「序 文」 やTahafutに よ って カ ム フ ラ ージ ュ し

な け れ ば な らな か った の で あ る。 人 間 が 究極 的 に 目指 す べ きは 「観 照 の道 」

(la voie speculative ou illuminative)で あ るが,こ れ に は危 険 が 多 く,一

般 の俗 人 に公 開 で き る もの では な い 。 そ こでMa'arij al-Quds, fi Madarij

Ma'rifah al-Nafs(『 魂 の認 識 に おけ る聖 な る発展 階梯 』)の よ うな 「秘 伝 の書 」

(oeuvres esoteriques)の 中 で少 数 の エ リー トに のみ そ れ は 伝 え られ る と した

の で あ る。

Sulaiman Dunyaの 立場も基本的にはこれ と同 じである。彼はまずガザー

リーの生涯を三期に分ける。第一期は 「懐疑」(shakk)以 前の時代で,思 想的

には未熟で無視できる時期,第 二期は 「懐疑」の時期。それは野心に満ち,名

声を求めて努力しつつも,他 方では,懐 疑の中で真理を模索 し,救 いを求めて

苦闘 した青年期に当たる。この期にガザーリーは神学,法 学,哲 学,論 理学,

異端批判などに関する書を多 く著わ している。 しか し,Dunyaに よれば,こ

れ らはいずれ もガザーリーの本来的思想を表わ していないので,彼 の真の思想

-5-

オ リエ ン ト 第22巻 第1号 (1979)

を知 る資 料 とな りえ な い 。 そ れ が 求 め られ る の は,た だ第 三 期 の ス ー フ ィー と

して の安 定 期 に書 か れ た 著 作 だ け で あ る。 とは いえ この 期 の著 作 に も,一 般 大

衆 向 け の もの とエ リー トの た め の二 種 類 が あ り,ガ ザ ー リーが そ の本 心 を 吐露

した の は この 後者 に 属 す る もの で,こ れ こそ彼 が 「ふ さわ しか ら ざ る者 に は 見

せ て は な らな い も の」(a1-madnun bi-ha 'ala ghair ahl-ha)と 呼 ぶ 著 作 だ と

す る。 そ の よ うな著 作 の一 つ と してDunyaが 最 も重 視 す る のはMa'arij al-

Qudsで あ り,こ れ を 中 心 と して 哲学 者 と して の ガザ ー リー の思 想 を 明 らか に

す る 。

同様 に,「 秘 説 」 と して で は な い が,ガ ザ ー リー の神 秘 主 義 思 想 ・宇 宙 論 の

中 に新 プ ラ トン主 義 的 性 格 を卒 直 に 認 め る者 にMargaret SmithやA. J.

Wensinckな どが あ る。 彼 らに 共 通 す る点 は,い ず れ も資 料 と し て 前述 の

Ma'arij al-Qudsやal-Risalah al-Laduniyah, al-Durrah al-Fakhirahと い

った 「哲 学 的」 用 語 ・内 容 の 故 に これ まで しば しば 偽 作 と して疑 わ れ て きた 著

作 を用 い てい る こ とで あ る。

最初に 「秘説」 の存在を明確に否定 したのはD. B. Macdonaldで ある。

彼は 「秘説」の存在を思わせるように した二つの要因をあげる。一つは,ガ ザ

ーリーがその著作の中で しば しばある教説を相応の人以外には明か してはなら

ないといっていること。他は,「 秘伝の書」 の存在についての他の人々の言及

である。しか し,こ れ らはいずれも根拠のないものであることを明らかにして

「秘説」の存在を否定する。Macdonaldに とってガザー リーは,複 雑な精神

的遍歴を経ながらも,あ くまで正統派の学者 ・求道者であった。 したがって,

その著作の真偽を判断する基準は主としてIhya' 'Ulum al-Din(『 宗教諸学

の再興』)やTahafutな どに示 されるアシュアリー派神学の立場であった。し

かし,こ のような真偽弁別の基準を予め特定の著作の思想内容に限定するのは

いかなる根拠によるのであろ うか。

同様の立場からその基準をより明確に し,そ れによってガザーリーの全著作

の 真 偽 を 判 断 し よ う と す る の がW. M. Wattで あ る 。 彼 は ま ず 基 本 と な る 著

作 と してTahafut, Ihya', Munqidh, Mustazhiri, al-lqtisad fi al-I'tiqadを

-6-

ガザー リー研究の回顧 と展 望(中 村)

あ げ,そ こに共 通 してみ られ る三 つ の特 徴 を 客 観 的 基 準 と して抽 出す る。(1)理

性 と宗教 的直 観(預 言 ・啓 示)の 関 係 に つ い て,Ihya'で は両 者 の平 行 性 を 説

くの に対 して,晩 年 のMunqidhで は理 性 に対 す る直 観 の 優位 が 説 か れ て い る。

した が って,理 性 を預 言 と同等 に重 視 す る考 え方 はMunqidh以 降 の 作 で は な

い 。(2)ガ ザ ー リー の 著 作 の構 成 は秩 序 立 っ て論 理 的 で あ る。 もち ろ ん,そ の逆

は 必 ず しも真 で は な い 。(3)正統 性 に対 す る細 か い配 慮 。 この態 度 は終 生 変 わ っ

てい な い 。 この 三 点 を 基 準 と し,Asin PalaciosやMacdonaldの リス トを参

照 して,偽 作 と思 わ れ る著 作 の リス トを作 成 して い る。 この 中 で 前述 の 「秘 説 」

肯 定 者 た ちが 用 い て きたal-Durrah al-Fakhirah, al-Risalah al-Laduniyah,

Antworten (Hebrew), al-Madnun al-Saghir, Ma'arij al-Qudsな どの著 作

の み な らず,広 く一 般 に 真 作 と して用 い られ て きたMizanの 全 体,Bidayah

al-HidayahとMishkatの 各 最 終 部 分,al-lmla'fi Ishkalat al-lhya'の 最 初

の定 義 の部 分 の ほか,七 点 が 偽 作 と断 定 され て い る。

と ころ で,Wattの あ げ た 三 つ の基 準 は い ず れ も厳 密 な もので は な い。(1)に

っ い て み る と,か りにそ の テー ゼ が正 しい に して も,そ れ 自体 で は 著 作 の製 作

年 代 を判 断 す る基 準 に は な って も,真 偽 弁 別 の基 準 とは な り難 い 。(2),(3)の 原

則 自体 につ い て はか りに 問 題 は な い に して も,「 論 理 的 構 成」 「正 統 性」 の 適 用

範 囲 を具 体 的 に どの程 度 とす るか で は 異論 が 出 よ う。 事 実,Wattが.Mizan

や.Mishkatの 一 部 を偽 作 と断 定 した こ とは,基 準 の 機械 的 な適 用 に よ るか な

りの性急な判断のようである。

これに対 して,文 体論 というより厳密な方法でガザーリーの著作の真偽弁別

を 行 な お うと した の がHava Lazarus-Yafeh女 史 で あ る。 女 史 は まず 「基 本

的 著 作」(basic books)と して,こ れ まで そ の真 偽 につ い て疑 問 と され た こ と

が な く,ま た 女 史 もそ う考 え る も のを 選 び 出 し,そ こに頻 出す る名詞,動 詞,

成 句,イ メー ジ,比 喩 を取 り出 し,そ れ を も って ガザ ー リー の著 作 の 「特 徴 」

(characteristics)と す る。 も っ とも,こ れ まで他 の ア ラ ビ ア語 の著 作 家 に つ

い て の文 体論 的研 究 が 皆無 であ るた め に,こ の 「特 徴 」 を ガザ ー リー 固有 の も

の と して直 ち に 真 偽 弁 別 の積 極 的 な 基 準 とす る こ とは で きな いが,そ の よ うな

「特 徴 」 を もた な い 著作 は ガザ ー リー の真 作 で は な い とい う証 明 に は な る とす

る。 他 方,女 史 は別 に 哲 学 的用 語 に つ い て も検 討 し,Maqasid, Tahafut,

-7-

オ リエ ン ト 第22巻 第1号 (1979)

Mihakk al-Nazar fi al-Mantiq, Mi'yar al-'Ilm, Mizan を除 い て,ガ ザ ー

リー の著 作 に は 「知 性 」('uqul),「 普 遍 知 性」('aql kulli),「 能 動 知 性 」('aql

fa"al),「 質 料 知 性 」('aql hayulani)と い った新 プ ラ トン主 義 的 哲学 用語 は

存在 しないとい う原則を立てる。 そ してこの原則を適用 して, al-Risalah al-

Laduniyah, al-Madnun al-Saghir, Ma'arij al-Quds, Mi'raj al-Salikin, al-

Ma'arif al-'Aqliyah, Antworten, Rawdah al-Talibin, al-Madnun bi-hi 'ala

Ghair Ahl-hi (al-Madnun al-Kabir) などが偽作 と断定 される。 これ らはい

ず れ も従 来,ガ ザー リー の 「秘 説 」 を含 む もの と考 え られ て い た もの で,こ れ

らの否 定 は ガザ ー リー の 「秘 説 」 の 否 定 に ほ か な らな い。 ガ ザ ー リー は確 か に

新 プ ラ トン主 義 哲 学 の影 響 を 受 け て は い るが,そ れ は あ くま で もイ メー ジ,シ

ンボ ル,ス タ イ ル,「 雰 囲 気」 に お い て で あ って,ガ ザ ー リーは け っ して 流 出

説には組せず,「 無からの創造」説の信奉者であった とする。

「秘 説」 の 問 題 の 中 で も特 に注 目され論 議 され て きた もの に,Mishkatの 第

三 部 の解 釈 を め ぐる問題 が あ る。 本 書 は ガザ ー リー の著 作 と して広 く一 般 に 受

け 入 れ られ,し か も ガザ ー リー 晩年 の最 も"進 ん だ"神 秘 思 想 を 表 わ す もの と

考 え られ てい る。 そ れ だ け に,そ こに み られ る著 しい 「新 プ ラ トン主 義 的(哲

学 的)」傾 向 は,ガ ザ ー リーに 「秘説 」 を認 め る者 に と って 格 好 の橋 頭 堡 に な り

うる もの と して,そ の解 釈 を め ぐって 大 きな論 議 を呼 ん だ の で あ る。

本書 は三 部 よ りな る。 第 一 部 で 「神 の光 」(al-anwar al-ilahiyah)の 神 秘 に

つ い て 述 べ られ る。 真 の 光 は神 に ほか な らず,神 以外 の もの が光 と呼 ば れ るの

は 比 喩 で あ る。 そ れ らは いず れ も神 か ら得 られ た光 で あ り,そ の意 味 で 神 は 太

陽 の光 の如 く遍 在 す る とい う存 在 の単 一 性(fardaniyah, wahdaniyah)が 明

らか に され る。 第 二 部 で は,「 現 象 界」('alam al-shahadah)と 「天 上 界」

('alam al-malakut)と の 関連 で ガザ ー リー の象 徴 論 が 明 らか に され,そ れ

に基 づ い て コー ラ ンの有 名 な 「光 の啓 示 」(24:35)に あ る 「壁 龕 」(mishkat),

「ラ ン プ」(misbah),「 ガ ラス」(zujajah),「 樹 」(shajarah),「 油」(zait),

「火 」(nar)の 象 徴 的意 味 が 説 明 され る。 第三 部 は,「 神 に は 光 と闇 の ヴ ェー

ル が70あ る。 も しそれ らが す べ て取 り除 か れ る と,そ の御顔 の威 光 は見 る者 す

-8-

ガザー リー研究 の回顧 と展 望(中 村)

べ てを焼き尽すことであろう」とい うハディースの意味を明らかにするもので

ある。こうして本書は光のシンボリズムを用いてガザーリーの晩年の神秘思想

の展開を示すものと考えられる。

次に問題の第三部の概要を紹介する。まずガザーリーは,神 と人間を隔てる

ものとして闇 ・闇と光 ・光の三つのヴェールがあるとし,そ れによって人間を

次のように区分する。

<Ⅰ>闇 のヴェールに覆われている者。神 も来世も信 じない者。この中には,

(1)世界の原因を物体に内在する 「性質」(tab')に 求める者(唯 物論者,自 然

哲学者)。(2)欲望の充足のみを求める者(快 楽主義者)。 これはさらに,(a)性 ・

食 ・衣の動物的快楽の追求者,(b)征 服 ・支配の追求者,(c)富 の追求者,(d)名 声

の追求者,に 分かれる。

<Ⅱ>光 と闇の ヴェールで覆われている者。自己を超えた神的存在を認める

が,そ れを具象的に しか表象 しえない。(1)感覚の闇に覆われている者。(a)金 ・

銀 ・紅玉などの偶像を崇拝する者,(b)人 間 ・自然物に現われた美そのものの崇

拝者(未 開の トル コ部族),(c)拝 火教徒,(d)星 辰崇拝者,(e)太 陽崇拝者,(f)光

と闇の原理を肯定する者(ゾ ロアスター教徒)。(2)想像(khiyal)の 闇に覆わ

れている者。神を感覚を超えた存在 としなが らも,天 の玉座に坐 した存在とし

て擬人的に表象す る。さらに進んだ者は神に方向以外のすべての物質性を否定

する(擬人神観主義者,カ ッラーム派)。(3)理性の闇に覆われている者。彼らは

「方向から自由であるが,聞 き,見,語 り,全 知全能で,意 志 し,生 きた神を

崇拝する。しかし,彼 らはこれらの属性を自分たちのそれと同様に理解 してい

る」。

<Ⅲ>光 のヴェールで覆われている者。(1)神の属性の真の意味 を 理解 し,

「言葉」「意志」「力」「知」 などの語を神に用いても,そ れらの意味は人間の

場合 とは異なることを知る。そこで彼らは神をいい表わすのに被造物 との創造

的関係をもってする。(2)さらに進む と,一 なる神が多なる諸天体を動かすので

はなく,「天使」 といわれる別の存在であることに気付 く。 さらにこれ らの諸

天体は別の天球の中にあ り,こ の天球の運動によって諸天体は一昼夜に一回転

する。神はただこの最高天体(al-jirm al-aqsa)の 動者であることがわかって

くる。(3)さらに進んだ人は次のようにいう。

-9-

オ リエ ン ト 第22巻 第1号 (1979)

諸天体を直接に動かすのは,天 使と呼ばれるある神の僕('abd)の,世

界の主に対す る奉仕 ・崇拝 ・服従行為でなければならない。この天使 と純

粋な神的光の関係は月と感覚的光のそれに等 しい。主とはこの動者 という

点からみれば"al-Muta'"(「 服従されるもの」)で あり,主 は直接的にで

はな く命令(amr)に よってすべてを動かす者である。この 「命令」の分

析や本質には曖昧な点が多い。それは大抵の人には理解できず,本 書でも

明 らか に す る こ との で きな い もの で あ る。

(4)「到 達 者 」。彼 らに つ い て は 次 の よ うに いわ れ る。

この"al-Muta'"は,本 書 で 明 らか に しえ な い あ る神 秘 の 故 に,〔 神 の〕

純 粋唯 一性(al-wahdaniyah al-mahdah)と 完 全 性 に 矛 盾 す る性 質 の も

の で あ る こ と,こ の"al-Muta'"〔 と神 〕 の関 係 は 太 陽 と光 の 関 係 であ る

こ とが 明 らか に な る。 こ う して彼 らは 諸天 体 を 動 か す 者,最 高 天 体 を 動 か

す 者,さ らに 諸 天 体 の運 動 を命 令 す る者 か ら,諸 天 体 を 創 った(fatara)

者,最 高 天 体 を 創 った者,さ らに 諸 天 体 の 運 動 の命 令 者 を 創 った者 に顔 を

向け る。 そ して,人 間 の眼 が把 え る ものす べ てを 超 越 した 存 在 に 到 達 す る。

す る と第 一 者 ・最 高 者 の そ の 荘厳 な る御 顔 が 肉 体 の 眼 ・理 性 の眼 で 人 間 が

知 り うる もの す べ て を 焼 き尽 し,神 は わ れ わ れ が 以 前 に述 べ た事 が らす べ

てを 超 越 して い る こ とを知 る。

これ は神 秘 体 験(hal)を 述 べ た も ので あ るが,そ の中 に も幾 つ か の ラ ン クが あ

る。

(a)視覚 で把 えた もの は す べ て焼 失 し消 え失 せ て跡 形 もな くな る。 彼 は 美

と神 々 しさ(quds)を 観 照 す るだ け で あ り,神 の 御 元(al-hadrah al-

ilahiyah)に 到 達 して 得 た神 の美 の中 で神 そ の もの を観 照 す るだ け で あ る。

そ の 中 で は見 る主 体 を除 い て 〔他 に 目に〕 見 え る も のは す べ て 消失 して い

る。(b)さ らに 進 ん だ の がエ リー トの エ リー ト。 この人 々は 御顔 の威 光 に 焼

き尽 くされ,栄 光 の 力 に圧 倒 され,自 己 自身 ま で 消失 して い る。 自己 か ら

の消 滅(fang')の 故 に 自己 を 顧 る こ とは ない 。 た だ 一 な る実 在(al-Wahid

al-Haqq)の み 残 る。 「御 顔 の ほか は す べ て 消滅 す る」(28:88)と い う御

言葉の意味を彼 らはいまや体験によって知るのである。

他方,こ のように修行によって少 しづつ上昇し,最 後に真理に到達するのと違

-10-

ガザー リー研 究の回顧 と展望(中 村)

って,瞬 時 に して そ うす る者 が い る。 これ が(C)の グル ー プに属 す る人 々 で あ る。

彼 らに は,他 の人々 に最 後 に 現 わ れ る こ とが 最 初 に現 わ れ る。 ガザ ー リー は前

者 を 「ア ブ ラハ ム の道 」 と し,後 者 を 「マ ホ メ ッ トの道 」 とす る。

これ がMishkatの 第 三 部 の 内 容 で あ る。 特 に注 目され る 点 は,<Ⅲ>の

「光 の ヴ ェー ルに 覆 わ れ た 者 」 の 中 で,す でに(1)で 正統 アシ ュ ア リー派 神 学 で

認 め られ て い る神 の 属性 が否 定 され,た だ神 の創 造 的 力 ・作 用 だ けが 認 め られ

てい る こ と,し か も次 の(2)で は,神 の 万物 へ の直 接 的 作 用 が 否 定 され,神 は最

高 天 体 の み の動 者 とな り,さ らに(3)に な る と,諸 天 体 を 動 か す の は神 で は な く,

そ の 代 理 者"al-Muta'"と な る。 こ う して神 の唯一 性 に 関 す る限 り,そ こに

は正 統 神 学 の 相対 的 唯 一 性 か ら哲 学 の絶 対 的 唯 ―性 へ の上 昇 が み られ る よ うで

あ る。 そ こ で問 題 は,こ の"al-Muta'"と は い った い何 か。 はた して哲 学 者

の い う第 一 原 理 か ら最 初 に 流 出 し,そ こか ら知 性 ・霊 魂 ・天 体 が さ らに 段 階 的

に流 出 す る第 一 知 性・ 第一 結果(al-ma'lul al-awwal)な の で あ ろ うか 。

この 問題 を最 初 に 取 り上 げ て 本 格 的 に論 じた のはW. H. T. Gairdnerで あ

る。 彼 に は この問 題 に つ い て二 つ の論 敲 が あ る。 一 つ は1914年 の論 文"Al-

Ghazali's Mishkat al-Anwar and the Ghazali-Problem"で あ り,他 は19

24年 刊 のMishkatの 英 訳 に 付 した解 説 で あ る。

まず 前 者 に おけ る問 題 は,Ibn Rushdの 批 判 に 関 連 して.MishkatとTahafut

の宇 宙 論 の間 に矛 盾 は な い か,で あ る。 確 か にMishkatに は地 球 を 中 心 と し,

第 一 動 者 を も った 同 心球 的 宇 宙 論 と,生 物 と し て の 諸 天体 の観 念 が あ り,

Tahafutで 批 判 され た 宇 宙 論 と同 じよ うで あ る。 だ が,こ の よ うな 宇宙 論 は 当

時のいわば天文学的常識であり,Tahafutが 批判 したのは宇宙論そのものより

も,哲 学 者 が そ れ を啓 示 に よ らず に理 性 だけ で 証 明で き る と した点 で あ る。 も

っ とも,そ の よ うな宇 宙論 に対 す る ガザ ー リーの 態 度 に は両 著 の 間 で 消極 的肯

定 ・積 極 的 肯 定 の違 い は認 め られ る。 で はMishkatの 宇 宙 論 は ぎ りぎ りの所

流 出説 に 立 って い るの か否 か 。 ま ず,用 語"fada"(流 出す る)に おい て一 致

が み られ る。 しか し,注 意 して み る と,Mishkatで は"fada min~"(… …

か ら流 出す る)と あ るだ け で は な く,"fada min~'ala~"(… … か ら… …へ

-11-

オ リエ ン ト 第22巻 第1号 (1979)

流 出す る)と あ る。 こ の こ と は,無 な る所 に何 か(光)が 流 出 して あ る も のが

生 成 する とい うの で は な く,す で に何 か あ る も の に何 か(光)が 流 出 す る とい

う意 味 で あ り,そ こに あ る の は厳 密 な意 味 で の流 出説 で は な い とす る。

次 に,Mishkatの 中 で は 神 は 「純 粋 な 光」(al-nur al-mahd)「 光 そ の もの」

(jawhar al-nur)に,"al-Muta'"は 「太 陽」 「熾 った炭 火」 に喩 え られ て い

る。 とす る と,"al-Muta'"は 哲 学 者 のい う第 一 知 性 ・第 一 結 果 で は な い のか 。

Gairdnerは これ を否 定 す る。 そ の理 由 と して,ま ず,ガ ザ ー リー の比 喩 は常

に 一定 して い るわ け で は な い ので,そ れ を 基 に した議 論 は成 り立 た な い こ と,

第 二 に,最 後 の 「到 達 者 」 に つ い て,「 … …彼 らは 諸 天 体 を 動 か す 者 … … か ら

諸 天 体 の 運 動 の 命 令者 を創 っ た者 に顔 を 向け る」(本 稿10頁 参 照)と い って,

最 終 的 に は 明 らか に ア ブ ラハ ム の推 理(6:74-79)と 軌 を 一 に す る創造 説 を

とっ てい る こ とが あ げ られ る 。

最 後 に,MunqidhとMishkatの 最大 の矛 盾 は,前 者 で は 自然 界 は直 接 「神

の 命令 で」(bi-amr-hi)動 か され る のに 対 して,後 者 で は神 の 「代 理 者」("al-

Muta'")が 最 高 天 体 を,し か も命 令 に よっ て動 か す とな って い る こ とで あ る。

この 点 に つ い てGairdnerは,こ れ を 興 味 あ る謎 と しな が ら も,こ の 「代 理

者 」 が 第 一 原 因 か ら流 出 した とい う積 極 的証 明は な い と して流 出説 を否 定 して

い る。

10年 後 の 「解 説 」 で は こ の点 を さ らに追 求 し,"al-Muta'"=al-Ruh(神 の

霊)=amr(神 の命 令)と す る結 論 を 出 して い る。 この 「霊 」 とは,コ ー ラ ン

の 一 節 「皆 が 霊 に つ い て汝 に尋 ね るで あ ろ う。答 え るが よい,『 霊 は 主 の 命 令

に 属 す る(min amr Rabb)。 汝 らが 授 け られ た知 識 は僅 か な ものに す ぎな い』

と」(17:87/85)に あ る霊 で あ り,し か もそれ は 「一 つ の霊 」(a spirit)で

は な く,神 の 「絶 対 霊」(the Spirit)を 指 す とい う。"Amr"は ス ー フ ィー の

解 釈 に従 っ て 「言 葉 に よる命 令 」(spoken command)と 解 し,"al-Muta'"

とは この 「命 令 」 の 実 体 化 され た もの― した が って 「服 従 され る もの」―

だ とす る。

こ う して ガ ザ ー リー はそ の創 造論 に よ って最 後 まで 正統 的立 場 を越 え る こ と

は な か った が― した が っ て,彼 に 「秘 説 」 を認 め る哲学 者 の非 難 は 誤 り―,

そ の他 の点 で は哲 学 に きわ め て接 近 して きて い る こ とは 認 め る。 そ れ は10余 年

-12-

ガザ ー リー研究 の回顧 と展望(中 村)

に わ た る スー フ ィー と して の 生 活,当 時 の ス ー フ ィズ ムが す で に 哲 学 と共 通 し

て もっ新 プ ラ トン主 義 的 基 盤 に よ る もの と して い る 。

このGairdnerの 研 究 を 踏 ま え て さ らに そ の 問題 を 追 求 し た の がA.J.

Wensinckで あ る。 彼 は1941年 の論 文"Ghazali's Mishkat al-Anwar (Niche

of Lights)"の 中 で,次 の よ うに論 じて い る。Mishkatは 本 来 コー ラ ンの 「光

の 啓 示 」 や 「ヴェ ール 」 のハ デ ィー スの 説 明 を 目的 と した もの で は な く,む し

ろそ れ らを利 用 して 光 と視 覚 の 意 味 を 明 らか に した も の で あ る。 そ の特 徴 は新

プ ラ トン主 義 的 で あ り,Mishkat全 体 が 光 と視 覚 とい う二 つ の観 点 か ら み た

新 プ ラ トン主 義体 系 の 要 約 と して み られ る。 この こ とをWensinckは プ ロ テ

ィノ ス のEnneades, Isaac of Niniveの 思 想,Theology of Aristotleと の比

較 に よって 明 らか にす る。 例 え ば,プ ロテ ィ ノス は 自 らは 不 動 で あ るが 光 を 出

して多 な る世 界 を段 階 的 に支 配 す る動 者 と して の太 陽 の イ メー ジ の 中 に一 者 と

多 な る世 界 の 間 の 調 和 を 求 め よ う とす るが,Mishkatは ま さに この イ メー ジ に

覆われている,と する。

では,ガ ザーリーは神と天体の間に"al-Muta'"を 介在 させることによって

アシュアリー神学か ら哲学へと転向 したのであろうか。Wensinckは 断言をさ

けながらもそれを肯定する。ただ しそれは哲学への直線的転向ではなく,当 時

すでに新 プラ トン主義化 されていたスーフィズムへの傾倒の結果だとする。

出て くる結論は多少異なっても,こ のように全体を調和的に理解 しようとす

る試みに対 して,そ の第三部には明らかに新プラ トン主義的異端説が見 られる

ので,そ の部分は後代の挿入である断定するのがW. M. Wattで ある("A

Forgery in al-Ghazali's Mishkat ?" 1949)。 まず,第 三 部 に は ガザ ー リー思

想 の 中 心 的 テ ー マ で あ る 「預 言 」 「預 言者 の霊 」 に つ い て の言 及 が ま った くな

い こ と,第 二 に,ガ ザ ー リー思 想 に お け る通 常 の人 間 区 分 は 啓 示 理 解 の三 段 階,

す なわ ち 「盲 信 」(iman, taqlid),「 知 的 理解 」('ilm),「 体 験 的 理 解 」(dhawq)

―これ らは各 々大 衆,学 者,ス ー フ ィーに 対 応 す る― に よ る もの で あ るが,

第 三部 に み られ る のは 教 義 の 違 い に よる区 分 で あ る こ と,第 三 に,Mishkatの

他 の部 分 は整 った 構 成 を もつ の に対 して,第 三 部 に は そ れ が な い こ と,し か も

第 三部 に お け る神 の唯 一 性(tawhid)は 神 に い っ さい の 多性 を認 め ない,し

た が って神 の属 性 を認 め な い絶 対 的 唯 一 性 で あ り,こ れ は 属 性 を肯 定 す る ア シ

-13-

オ リエ ン ト 第22巻 第1号 (1979)

ュア リー派 の相 対 的 唯 一 性 と矛 盾 す る哲 学 説 で あ る こ と,が 理 由 と して 指 摘 さ

れ る。

次 に,「 秘 説」 の 存 在 が 主 張 され る根 拠 はMizanに お け る思 想 の三 区分 に

っ い て の記 述(本 稿,3頁 参 照)で あ るが,こ れ は 前 述 の啓 示 理 解 の三 段 階 に

対 応 す る も の で あ り,し か も 「知 的 理 解 」 と 「体 験 的 理 解 」 の違 いは,神 秘 体

験 に よる悟 りの有 無 に よる違 い で あ って,そ れ 以 上 特 別 な 「秘 説 」 の存 在 を

意 味 す る もの で は な い 。 したが っ て,第 三 部 は 偽 作 で あ る と結 論 づ け る ので あ

る。

最 後 に,Abu al-'Ala'Afifiは1964年 にShahid'Ali本(ヒ ジ ュラ暦509

年書 写)と ア レキサ ン ドリア本(同907年 書 写)の 二 つ の 写 本 に よ ってMishkat

を 校 訂 し,こ れ に詳 細 な解 説 を 付 して 刊 行 した 。 そ の 中 で 彼 は"al-Muta'"の

問 題 に 言 及 して い る。

' Afifiは 基 本 的 に本 書 をIbn'ArabiやShihab al-Din Suhrawardiの 照

明 派(Ishraqi)哲 学 の先 駆 を な す も の とみ る。 す なわ ち,第 一部 で は,光 の

光,真 の 光 は神 で あ り,そ れ 以外 の光 は 神 の 光 の 反 映 に す ぎな い こ と,神 こそ

は 真 の 存 在 者 で あ り,神 以外 の も のは す べ て そ の 存 在 を神 に 負 って い る こ とが

説 か れ て い る(la ilaha illa huwa)。 そ こに見 られ る の は,Ibn 'Arabiの

「存 在 一 元論 」(wahdah al-wujud)に 近 い 「存 在 論 的 一 元 論 」(al-wahdah

al―wujudiyah)だ とす る。 第 二 部 で は,現 象 界('alam al-shahadah)を 「天

上 界 ・不 可 視 界 」('alam al-malakut)の 「跡 」(athar)・ 「象 徴 」(mathal)

とす る象 徴論 が説 かれ,こ れ に よ って コー ラ ンの 「光 の啓 示 」 の意 味 が 明 らか

に され る。 第 三 部 は,光 の光 で あ る神 か らの 光 を妨 げ る人 間 の側 の 三種 類 の ヴ

ェー ル に つ い て説 明す る。 そ れ は神 表 象 の違 いに よる区 分 で あ る。 そ の うち の

第 三 の 「光 の ヴ ェー ル」 の段 階 で は,神 は そ の具 象 性 ・多 性 を否 定 され,そ の

超 越 性 が 強 調 され る あ ま り,つ い に は被 造 物 との直 接 的 関係 を い っさ い もた な

い 純 粋実 体 と考 え られ,両 者 の媒 体 と して"al-Muta'"を 残 す だ け とな る 。

この"al-Muta'"も 最 後 の 「到 達 者」 の段 階 で は否 定 され,す べ て は神 の威

光 の前 に 燃 焼 して しま う。

この"al-Muta'"に つ い て,'Afifiは これ を 「神 の命 令」 の 人格 化 ・実 体

化 され た もの と考 え る。 この点 で は先 のGairdnerの 解 釈 に 近 い 。 「命 令」 は

-14-

ガザー リー研究の回顧 と展望(中 村)

言葉 で あ り,言 葉 は 神 の 属 性 の 一 つ で あ る。 属 性 は神 と同一 で は な い が,ま っ

た く別 で もな い 。 つ ま り,「 神 の命 令 」 は神 と同 一 で は な い が,別 で も な い。

こ う して ガザ ー リー の"al-Muta'"に つ い て の理 論 は神 の 言葉 に つ い て の ア

シ ュア リー派 理 論 の 発 展 で あ る こ とが わ か る。 も っ と も,そ れ は イ ス ラ ム の 中

の ロゴ ス論 と して 新 しい 装 の 下 に深 化 され た もの で あ り,新 プ ラ トン派 哲 学 者

の い う第 一 知 性 ・第 一結 果 では な い 。 決 定 的 な 違 い は,「 命 令 」 は神 の 言葉 と

して神 と共 に 永 遠 で あ る のに 対 して,第 一知 性 は 第 一 存 在 か ら流 出 した もの で

あ り,け っ してそ れ に属 す る も ので は な い こ とで あ る。 だ が,最 終段 階 で は こ

の"al-Muta'"も 「純 粋 一 元論 」(al-wahdaniyah al-mahdah)に 矛 盾 す る

もの と して 否 定 され,神 の 御顔 の威 光 の み が残 る。 これ は ス ー フ ィーが 最 後 に

到 達 す る神 秘 体験 で あ る。 こ う して ガザ ー リー は神 の絶 対 的唯 一 性 の問 題 を ス

ー フ ィー 的 基盤 に 立 って解 決 し よ う と した ので あ る。 した が って,そ こに 哲 学

者 の 流 出論 を 見 る こ とは 誤 りで あ る とす る。 さ らに 底 本 と したShahid 'Ali

本 が書 写 され た の が ガザ ー リー の死(505年)か ら僅 か 四年 後 の こ とで あ り,

そ の中 に 現 存 の 三 部 が そ の まま存 在 す る こ とは,第 三 部 を偽 作 とす る立 場 を 決

定 的 に 弱 くす る とい う。

これ まで 紹 介 して きた 諸学 者 の研 究 の 個 々 の 問題 点 につ い て,そ の都 度 論 評

して きた こ と以 上 の こ とを こ こで述 べ る余 裕 は な い 。 た だ これ まで の議 論 か ら

一般 的 に い え る こ とは ,ガ ザ ー リー のい う 「ふ さわ し くな い者 に見 せ て は な ら

な い も の」(al-madnun bi-ha 'ala ghair ahl-ha)と は,少 く ともそ れ だ け で

「秘 説 」 を含 む 書 で あ る とはい えな い とい うこ とで あ る。 ガザ ー リー最 晩 年 の

著作 に よ る限 り,彼 は最 後 まで― 少 くと も表 面 的 に は― 正 統 的 立 場 を逸 脱

して は い な い 。 そ こで も し 「新 プ ラ トン主 義 的 」 内容 の著 作 が ガザ ー リー の作

と して存 在 す る場 合 に 考 え られ る こ とは,ま ず そ の著 作 を 「秘 説 」 の書 と認 め

る こ とで あ る(Ibn Rushd)。 これ に 対 して 「秘 説 」 を認 めな い 場 合 に は,そ

の著 作 を偽 作 と断 定 す るか(Watt),あ るい は この 「新 プ ラ トン主 義 的」 内 容

を ガ ザ ー リー思 想 の発展 形 態 と して,「 正 統 教 義 」 と調 和 的 に 解 釈 す るか しか

な い(Gairdner, Wensinck, Lazarus-Yafeh, 'Afifi)。 しか し,ど の場 合 で

-15-

オリエント 第22巻第1号 (1979)

も問題になるのは,「新プラ トン主義的」思想,「正統教義」 といった場合,そ

の具体的内容をどのように規定するかで結論が大きく違ってくるこ とで あ る

(例えば,Gairdnerが 両者をかな り重な り合った ものと理解するのに対 して,

Wattは 重なる部分を非常に少なく考え,両 者を厳 しく対立するものとして理

解する)。

いずれに しても,「 秘説」の問題の解決に当っては,内 的思想的側面か らの

研究のほかに,写 本の検討,文 体論的研究のような外的形式的側面か らのアプ

ローチが重要 となる。 もっとも写本の研究 とはいえ,ガ ザーリー自筆の写本が

発見 されればともか く,そ れだけでは状況証拠の域を出ない。文体論的研究に

ついても,大 いに期待される分野であるが,現 状ではまだそれだけでは証拠能

力は弱い(例 えば,ガ ザーリーの著作には哲学用語はないとLazarus-Yafeh

はい うが,哲 学関係の著作は当然のこととして,Mizanを 例外 とするならば,

第二,第 三 の例外 もありうるのではないか,と の疑問がでてくる。また,Watt

のあげるガザー リーの文章上の特徴もやや抽象的 ・恣意的であって実際の役に

はあまり立たない)。

いずれにしても,内 的批判が重要であることには変わ りはないが,こ の場合

にまず問題になるのは,基 準 となるガザーリーの思想をいかに抽出するかであ

る。それにはまず,す でに幾人かの学者が試みた ように,ガ ザーリーの作とし

てこれまで自他共に一般に認め られている著作("texte recu")を 決定 し,

次にそれらを年代順に配列す ることである。その上で個々の著作の 内 容 を 分

析 ・比較すれば,ガ ザー リー思想の基本構造およびその変化を明らかにするこ

とができる。その場合,「秘説」の問題 真偽弁別のためであれば,ガ ザーリ

ーの思想全般にわたらな くても,特 に問題に関わ りのある主題(例 えば,宇 宙

論)に 限 定 す る方 が よい で あ ろ う。

た だ問 題 は,こ の よ うな方 法 で は ガザ ー リー の"進 んだ"神 秘 思 想 を 内 容 と

す る著 作 は 最 初 か ら 「疑 わ しい もの」 あ るい は 「非 ガ ザ ー リー的 な もの」 と し

て除 外 され,そ の よ うに して抽 出 され た 思 想 が果 して神 秘 思 想 関 係 の 著 作 の真

偽 弁 別 の基 準 とな りうる のか,と い うこ とで あ る。 しか し,そ れ 以 外 に方 法 は

な い となれ ば,そ の デ ィ レ ンマ を断 つ 一 つ の 突破 口は,"texte recu"の 中 の

神 秘 主 義関 係 の 著 作,特 にIhya',Kimiya'_yi Sa'adat (Persian), Kitab al-

-16-

ガザ ー リー研究 の回顧 と展望(中 村)

Arba'in fi Usul al-Dinを 関 連 の主 題 に つ い て 徹 底 的 に 分 析 す る こ とで あ ろ

う。

(1) ガザ ー リーの生涯については,拙 稿「伝統 と革新― ガザ ー リーの精 神遍歴― 」

『思想』651号(1978年9月),42-57頁 を参照。

(2) 中世キ リス ト教世界で ギ リシャ哲学が アラビア語文献か らの翻訳 を通 して研 究 さ

れ ていた項,こ のMaqasidが ギ リシ ャ哲学 の概説書 として広 く用 い られていた程 で

あ る。 しか も,そ のラテン語訳写本が書写 され流布す る過程 で,後 の哲 学批判(ガ ザ

ー リー自身 の意図)を 予告 した序文が脱落 して,本 文 の内容が彼 自身 の思想 と誤解 さ

れ たのであ る(こ れ につ いては,拙 稿 「ガザ ー リー研 究 とその問題点(Ⅰ)― 中世 よ

り19世紀末 までを 中心 として― 」『東洋文化研究所紀要』,67号 〔1975年3月 〕,8-

15頁 参照)。 このガザー リーの哲 学 「紹介」 が いかに正確 ・簡潔 ・明晰であ るかは,

S.DunyaがIbn Sinaと ガザー リーの文章 を具 体的に対 比 させて明 らか にしてい る

(Tahafut al-falasifah〔Cairo: Dar al-Ma'arif, 19573〕 の第二版序文を参照)。

(3) Jawahir内 の 「公表 してはな らない著作」 につ いての言及 につい ては次 の註を,

Mizanに おけ る思想の三区分については,本 稿,3頁 をそれ ぞれ参照 。また,著 作の

諸所での 「謎 めいた」,叙 述の留保については,K・Nakamura, Ghazali on Prayer

(Tokyo, 1973), P. 51, n. 98を 参照 。

(4) この部分の原文は以下 の通 りであ る。

これ ら四つ の知識,つ ま り 〔神の〕本質 ・属性 ・行為,来 世について の基本的か

つ全体的知識を示すに は,人 生はあ ま りに も短 く,し か も仕事や不都合な こ とがあ

ま りに も多 い上,助 けて くれ る人や友人が少ないに もかかわ らず,天 与 の能 力の及

ぶ限 り〔の最善をつ くして〕,わ れわれは幾冊かの著述を した。 しか し,わ れわれ は

それを公表 したわ けではない。 なぜ な ら,大 抵 の人 は知識だ けは もってい ても,理

解 力はそれ に及ぼない し,能 力のない者 はそれ によって害を受 けるだ けだか らであ

る。それを公表で きるのは,次 の よ うな人 々だ けであ る。す なわ ち,外 的行為 につ

いての確実な知識を有 し,非 難 され るべ き性 格を心か ら取 り除 き,論 争 の 道 を さ

け,最 後には 自己修練 に よって正 しい道 を歩む よ うにな り,現 世 には何 の関心を も

たず,ひ たす ら真理(al-Haqq)の 探求に専念す る人で,同 時にすば らしい素質,従

順な性格,透 徹 した知性,明 晰 な理解 力に恵 まれた人であ る。そ うい う訳 で,そ の

書物を手に した者は,こ れ らの資質を合わせ もった者 以外 の者 にそ れを見せ てはな

らない(Jawahir〔Cairo: Dar al-Afaq,1973〕,P.25)。(強 調 は引用 者)

これ でみ る限 り,確 かに ガザ ー リーは一般 には公表できない― 特定 の資格 を もった

人 々に のみ読 まれ るべ き― 「幾冊」 かの書物(「秘伝 の書」)を著わ した ことになって

いる。 もっ とも,原 文 には"al-madnun……"(「 見せてはな らない……」「秘伝 の…

…」)の語 はない。 しか し,そ の具体的内容が哲学者たちの考え るような 「秘説」,つ

ま り,ガ ザ ー リーがか って批判 した新 プラ トン派 の哲 学思想 であるのか,そ れ とも正

-17-

オ リエ ン ト 第22巻 第1号 (1979)

統説であ って も俗人が 見れば誤解 して しまう神秘思想であ るのか は,こ れ だけでは決

定で きない。

(5) この原文につ いては,本 稿第 Ⅴ節を参照 。

(6) Ibn Rushd, al-Kashf 'an manahij al-adillah fi 'agr'id al-millah(in Falsafah Ibn Rushd [Cairo: al-Maktabah al-Mahmudiyah al-Tijariyah, n. d.], pp. 30-

126), pp. 72-73.

(7) Cf. Mizan al-'amal (ed. by S. Dunya. Cairo: Dar al-Ma'arif, 1964), pp. 406 -409 .

(8) Hayy ben Yagdhan: Roman philosophique d'Ibn Thofail (texte arabe et traduction francaise par Leon Gauthier. Beirut: Imprimerie Catholique, 19362),

pp. 15-18.

(9) 本 稿,3頁 参 照 。

(10) D. B. Macdonald, "The life of al-Ghazzali," JAOS, XX (1899), pp. 131-32.筆 者の手元には ガザー リーの 作 とされ るア ラビア語 の al-Ajwibahal-ghazaliyah

fi masa'il al-ukhrawiyah (別名 al-Madnun al-saghir) (『来世 の諸問題 につ いての

ガ ザ ー リー の回 答 。別 名,小 秘 説 論 』)があ る。 内 容 は,神 が 泥 か らア ダ ムを 形 作 り,

息 を 吹 き込 んだ とい う コ ー ラン の 一 節(15:29)に あ る 「形 作 る こ と」(taswiyah),

「吹 き 込 む こ と」(nafkh),「 息 」(ruh)の 解釈 に 関連 して 神 と人 間 の 関 係 を 明 らか に

した もの で,特 に ガ ザ ー リー の 他 の 著作 に み られ る 思想 と著 し く異 な る と は 思}な

い 。 とす れ ば,表 題 だ けか らみ る とMalterの 校 訂 したAntwortenと 同 一 の よ うで

あ るが,両 者 は や は り別 の著 作 な の で あ ろ うか 。Wattは 両 者 を 別 物 と して,だ が い

ず れ も偽 作 と して 扱 って いる(W. M. Watt, "The Authenticity of the Works

Attributed to al-Ghazali," JRAS, 1952. pp. 35-36)

(11) Abdul-Fattah Sawwaf, Al-Ghazzali: Etude de la reforme ghazzalienne daps l'histoire de son developpement. These prdsente a la Faculte des Lettres de

1'Universite de Fribourg,1962.詳 し くは,拙 稿 「ガザ ー リー研 究 とそ の 問 題 点(Ⅱ)

―回 心 ・引 退 の 問 題 を 中 心 と して― 」 『東 洋文 化 研 究所 紀 要 』69号(1976年3月),

181-89頁 を 参 照、。

(12) Dunya刊 行 のTahccfut al-falasifahの 第 一 版 序 文 参 照 。

(13) S. Dunya, al-Haqiqah fi nazar al-Ghazecli. Cairo: Dar al-Ma'arif, 1947.

(14) M. Smith (tr. ),"Al-Risalah al-Laduniyah, " JRAS, 1938, pp. 177-200, 353-74; A. J. Wensinck, "On the Relation between Ghazali's Cosmology and

His Mysticism," Mededeelingen de Koninklijke Akademie van Wetenschappen,

Afdeeling Letterkunde, Ser. A, LXXV (1933), pp. 183-209.

(15) Cf. W. M. Watt, "The Authenticity."

(16) 詳 し くは,拙 稿 「ガザ ー リー研 究 とそ の 問題 点(Ⅰ)」92-103頁 参 照 。

,(17) W . M. Watt, "The Authenticity. "

(18) Mizanの 問 題 に つ い て は, M. A. Sherif, Ghazali's Theory of Virtue (Albany:

State University of New York Press, 1975), pp. 170-76 参 照 。 また, Hava

-18-

ガザー リー研究の回顧 と展望(中 村)

Lazarus-Yafeh, Studies in al-Ghazzali (Jerusalem: The Magnes Press, 1975) , pp.194-95,298-99で は,(1)の 基 準 そ の もの が批 判 され て い る。Mishkatの 問 題 に つ

い て は後 述 す る。

(19) H. Lazarus-Yafeh, op. cit.

(20) そ の リ ス トに つ い て は,ibid., PP. 46-48.

(21) Ibid., p. 282.

(22) Mishkat al-anwar (ed. by Abu al-'Ala 'Afifi. Cairo: al-Dar al-Qawmiyah, 1964), pp. 89-90.

(23) Ibid., p. 91.

(24) Ibid., pp. 91-92.

(25)「 神 秘(的 合 一)体 験 」 に つ い て は,拙 稿 「ガ ザ ー リー の神 秘 思想―tawhid論

を 中 心 とし て― 」 『宗 教 研 究』203号(1970年6月),99-121頁 参 照 。

(26) この 最 後 の 文 章 をGairdnerは 次 の よ うに 英 訳 して い る ―"……yet the soul

itself remains contemplating the absolute Beauty and Holiness and contemplating

herself in her beauty, which is conferred on her by this attainment unto the

Presence Divine. In them, then, the seen things, but not the seeing soul, are

obliterated."(イ タ リッ クは 引用 者 。後 述 の英 訳 書,172-73頁)

(27) Ibid., p. 92.

(28) Der Islam, V (1914), pp. 121-53.

(29) W. H. T. Gairdner (tr. ), Al-Ghazzali's Mishkat al-Anwar ("The Niche for Lights"), London: Royal Asiatic Society, 1924.

(30) コー ラソ,41:11/12, 65:12参 照 。

(31) 拙 稿 「ガ ザ ー リー の哲 学 批 判 」 『創 立25周 年 記 念 オ リエ ン ト学 論 集 』(日 本 オ リエ

ソ ト学 会 編,近 刊 予 定)参 照 。

(32) GairdnerはIbn Tufailに つ い て も検 討 を 加え る 。前 述 の よ うに,Ibn Tufail

は ガ ザ ー リ ーに 「秘 説 」 が あ る と しなが ら も,そ れ をMishkatの 中 に 認 め な か った 。

で は彼 は ガザ ー リーを ど う見 て い た の か 。Hayy b.Yagzanに よれ ば,Ibn Tufail

は ガザ ー リー の立 場 を 自分 の(哲 学 的)立 場 を異 な る とは考 え て い ない が,そ れ は誤

りで あ る こ とをGairdnerは 明 らか に し て い る。

(33) Senaietische Studien uit de Nalatenschap van Prof. dr A. J. Wensinck (Leiden: A. W. Sijthoft, 1941), pp. 192-212.

(34)前 述(32頁)のLazarus-Yafeh女 史 の結 論 と対 比 せ よ。

(35) JRAS, 1949, PP. 5-22.

(36) 前 註(22)を み よ。

(37) しか し,ガ ザ ー リー は 「諸 天 体 の 運 動 の 命 令 者 を 創 った 者」(本稿,10頁)と い っ

て い る。

(38) Iljam al-'awdmm 'an 'ilm al-kaldm (in al-Qusur al-'awdli min rasa'il al- Imam al-Ghazcli [Cairo: Maktabah al-Jundi, n. d.], pp. 239-301).

(39)例 え ば, M. Bouyges, Essai de chronolagie des oeuvres de al-Ghazali (ed. par

-19-

オ リエ ン ト 第22巻 第1号 (1979)

M. Allard. Beirut: Imprimerie Catholique, 1959); G. F. Hourani,"The Chronology

of Ghazali's Writings," JAOS, LXXIX (1959), pp. 225-35; W. M. Watt, "The

Authenticity of the Works" (前 出)。

(40) これ に つ い て は,前 述 のWensinckの 論 文"On the Relation between Ghazali's

Cosmology and His Mysticism"が あ るが,残 念 なが ら彼 が 用 い た 著 作 の中 に は す

で に 「疑 わ しい もの」 が 入 り込 ん で い る の で,そ の 結 論 自体 が 「疑 わ し く」 な っ て い

る 。

(東 京大 学 東洋 文 化 研 究所 助 教 授)

-20-