現代と酷似する 世界恐慌の時代と 帰結としての世界大戦...

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<100年に一度の国難>現代と酷似する世界恐慌の時代と帰結としての世界大戦①世界恐慌

・グローバル化による極端な資本移動の自由化・長期デフレ・これによる金融システムの不安定化・世界中で多大な額の富が失われた(リーマン・ショックでは600兆円・世界恐慌では米国家予算の10倍)

現代と世界恐慌時の共通点

第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは大戦への①輸出によって発展した重工業の投資、帰還兵による消費の拡張、②モータリゼーションのスタートによる自動車工業の躍進、③ヨーロッパの疲弊に伴う対外競争力の相対的上昇、同地域への輸出の増加などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的好況を手に入れた。

①戦争による技術革新と需要から、重工業への設備投資が増加し、発展②フォードによる量産体制(内需拡大)③アメリカの生産能力の高さから大概輸出も盛んに

1920年代前半に既に農作物を中心に余剰が生まれていたが、ヨーロッパに輸出として振り向けたため問題は発生しなかった。しかし①農業の機械化による過剰生産と②ヨーロッパの復興、相次ぐ異常気象から③農業恐慌が発生。また、第一次世界大戦の荒廃から回復していない各国の購買力も追いつかず、④社会主義化によるソ連の世界市場からの離脱などによりアメリカ国内の他の生産も過剰になっていった。

①過剰生産はデフレの引き金(作りすぎればいいという話ではない。)②ヨーロッパがcatchupしてきたため、対外競争力が相対的に低下した③農業分野での失業・倒産etcの大量発生④主要な買い手からの需要が失われた

世界恐慌 ①

参照:wikipedia

また、農業不況に加えて鉄道や石炭産業部門も不振になっていたにもかかわらず①投機熱が煽られ、適切な抑制措置をとらなかった。アメリカの株式市場は1924年中頃から投機を中心とした資金の流入によって長期上昇トレンドに入った。株式で儲けを得た話を聞いて好景気によってだぶついた資金が市場に流入、個人投資家も、信用取引により容易に借金が出来、さらに投機熱は高まり、②ダウ平均株価は5年間で5倍に高騰。1929年9月3日にはダウ平均株価381ドル17セントという最高価格を記録した。市場はこの時から調整局面を迎え、続く1ヶ月間で17%下落したのち、次の1週間で下落分の半分強ほど持ち直し、その直後にまた上昇分が下落するという神経質な動きを見せた。

①ケインズの一般理論(マクロ経済学の基礎)は世界恐慌を受けて体系化された(当時は指針がなかった)Cf.高橋是清による積極財政と金融緩和②バブル:実際の価値から大幅に乖離した価格が付く状態。

世界恐慌 ②

参照:wikipedia

そのような状況の下1929年10月24日10時25分、ゼネラルモーターズの株価が80セント下落した。①下落直後の寄り付きは平穏だったが、間もなく売りが膨らみ株式市場は11時頃までに売り一色となり、株価は大暴落した。週末に全米の新聞が暴落を大々的に報じたこともあり、28日には921万2800株の出来高でダウ平均が一日で13%下がるという暴落が起こり、更に10月29日、24日以上の大暴落が発生した。この日は取引開始直後から急落を起こした。最初の30分間で325万9800株が売られ、午後の取引開始早々には市場を閉鎖する事態にまでなってしまった。当日の出来高は1638万3700株に達し(これは5日前に続く記録更新であり、以後1969年まで破られなかった)、株価は平均43ポイント(ダウ平均で12%)下がり、9月の約半分ぐらいになってしまったのである。一日で時価総額140億ドルが消し飛び、②週間では300億ドルが失われた計算になったが、これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、アメリカが第一次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回った。

①バブル状態なので、実際の価値の水準以下になるまで止まらない→連鎖倒産の発生・失業の増大・所得の大幅な低下→世界恐慌へ②だいたい日本の国家予算は80兆円程度。その10年分である800兆円が消し飛んだ計算に。

世界恐慌 ②

参照:wikipedia

1929年のウォール街の暴落は米国経済に大きな打撃を与えた。しかし当時は株式市場の役割が小さかったために被害の多くはアメリカ国内にとどまっており、当時の米国経済は循環的不況に耐えてきた実績もあった。①不況が世界恐慌に繋がったのは、その後銀行倒産の連続による金融システムの停止に、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)の金融政策の誤りが重なったためであった。

①結局指針がなかった(再掲.マクロ経済学の不在)

暴落の後、①米国には金が流入していたが、FRBはこれを②不胎化させ、国内のマネーストックの増大とは結び付けようとしなかった。これにより米国では金が流入しているにも関わらずマネーストックが減少し続けた。①その為金本位制をとる各国は金の流出に対し、金融政策を米国のそれと順応させるを得ず(各国は金の流出を抑えるために金利を引き上げざるを得なかった)、不況は国際的に伝播していった。特に金本位制を取っていたドイツやオーストリアや東欧諸国は十分な金準備を持たず、また第一次世界大戦とその後のインフレにより金融システムが極めて脆弱な状態であった。その為、米国やフランスへの金流出により金準備が底をついてしまい、金融危機が発生した。

①アメリカドルが暴落しているため、ドルと固定レートで結びつく金本位制では、金への交換需要が高まり、ドルが売られ、またアメリカ国内への金の需要に呼応する形で世界各国から金が流出することになり、これが金融危機を発生させた。これにより富が失われた世界各国はブロック化、略奪戦争へと走ることになる。②裁量的な為替介入により、自国通貨の量を安定化させる金融調節(オペレーション)

世界恐慌 ③

参照:wikipedia

・当初フーヴァー大統領は、自由放任主義の市場原理重視、緊縮財政政策をとっていたが、これはデフレを加速させる政策であり、不況下ではとってはいけない政策だった。・1933年の名目GDPは1919年から45%減少し、株価は80%以上下落し、工業生産は平均で1/3以上低落、1200万人に達する失業者を生み出し、失業率は25%に達した。この年にアメリカは金本位制を離脱。・次のルーズベルト大統領は市場に大幅に介入し、財政出動を行うニューディール政策により、大幅な財政出動を実施した。これにより景気対策を実現した。・日本では高橋是清が積極財政と金融緩和にかじを切ったため、最低限の被害で済ませることが出来た。

取るべきだった財政・金融政策

参照:wikipedia

CC; Will O'Neil (original file) NikNaks talk