はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足...

78
- 135 - ディオドロス・シクロス『歴史叢書』第一七巻 「アレクサンドロス大王の歴史」訳および註(その三) 森 谷 公 俊 はじめに 本稿は、前一世紀シチリア出身のギリシア人歴史家ディオドロスの『歴史叢書』( Bibliothe - ke - Historike - )から、 アレクサンドロス大王の治世を記述した第一七巻を翻訳し、歴史学的註釈を付けたものである。三回目にあたる 今回は、第六四~八三章、ガウガメラの会戦後からダレイオス三世の殺害者ベッソスの処刑までを扱う。 翻訳の底本に使用したのは、次のトイブナー版テキストである。 C.Th.Fisher(ed.), Diodori Bibliotheca Historica vol.IV (Bibliotheca Teubneriana), Stuttgart, 1994. 訳註の作成において依拠したのは、ビュデ叢書およびロエブ古典文庫所収の次の二冊である。

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Page 1: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 135 -

ディオドロス・シクロス『歴史叢書』第一七巻

「アレクサンドロス大王の歴史」訳および註(その三)

じめ

稿は

、前

一世

紀シ

チリ

ア出

身の

ギリ

シア

人歴

史家

ディ

オド

ロス

の『

歴史

叢書

』(

Bib

lioth

e-k

e-

Histo

rike-)

から

アレ

クサ

ンド

ロス

大王

の治

世を

記述

した

第一

七巻

を翻

訳し

、歴

史学

的註

釈を

付け

たも

ので

ある

。三

回目

にあ

たる

今回

は、

第六

四~

八三

章、

ガウ

ガメ

ラの

会戦

後か

らダ

レイ

オス

三世

の殺

害者

ベッ

ソス

の処

刑ま

でを

扱う

訳の

底本

に使

用し

たの

は、

次の

トイ

ブナ

ー版

テキ

スト

であ

る。

C.T

h.F

ishe

r(ed

.), Diod

ori Biblioth

eca H

istorica v

ol.IV

(Bib

lioth

eca T

eu

bn

erian

a), Stu

ttgart, 1

99

4.

註の

作成

にお

いて

依拠

した

のは

、ビ

ュデ

叢書

およ

びロ

エブ

古典

文庫

所収

の次

の二

冊で

ある

Page 2: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 136 -

P.Go

uk

ow

sky, D

iodore d

e Sicile, B

ibliothèqu

e Historiqu

e Lib

re X

VII (C

olle

ction

Bu

), Paris, 1

97

6.

C.B

.We

lles, D

iodoru

s of Sicily, v

ol.V

III (Lo

eb

Classical L

ibrary

), Lo

nd

on

and

Cam

brid

ge

, 19

70

.

ィオ

ドロ

スを

除く

四編

の大

王伝

は、

次の

よう

に作

者名

のみ

で示

す。

それ

ぞれ

の邦

訳と

合わ

せて

列挙

する

アリ

アノ

ス = ア

ッリ

アノ

ス『

アレ

クサ

ンド

ロス

大王

東征

付イ

ンド

誌(

上・下

)』(

大牟

田章

訳)

岩波

文庫

二〇

〇一

プル

タル

コス

= プ

ルタ

ルコ

ス『

アレ

クサ

ンド

ロス

』(

井上

一訳

)『

プル

タル

コス

英雄

伝(

中)』(

村川

堅太

編)

ちく

ま学

芸文

庫、

一九

九六

年所

ユス

ティ

ヌス

= ポ

ンペ

イウ

ス・ト

ログ

ス/

ユニ

アヌ

ス・ユ

ステ

ィヌ

ス抄

録『

地中

海世

界史

』(

合阪

學訳

)京

大学

学術

出版

会、

一九

九八

年(

第一

一~

一二

巻が

アレ

クサ

ンド

ロス

の治

世)

クル

ティ

ウス

= ク

ルテ

ィウ

ス・ル

フス

『ア

レク

サン

ドロ

ス大

王伝

』(

谷栄

一郎

/上

村健

二訳

)京

都大

学学

術出

版会

、二

〇〇

三年

註に

おけ

る文

献の

略記

は次

の通

りで

ある

Bo

swo

rth = A

.B.B

osw

orth

, A H

istorical C

omm

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lexan

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ford

,19

80

.

Atk

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inso

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Com

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Alexa

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, 2

,

Am

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am,1

99

4.

Page 3: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 137 -

Sp

eck

= H

.Sp

eck

, ‘Ale

xan

de

r at the

Pe

rsian G

ates,’ A

merica

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02

.

大牟

田訳

註 = フ

ラウ

ィオ

ス・ア

ッリ

アノ

ス『

アレ

クサ

ンド

ロス

東征

記お

よび

イン

ド誌

』註

釈編

(大

牟田

訳・註

)、

東海

大学

出版

会、

一九

九六

森谷

『王

宮炎

上』

= 森

谷公

俊『

王宮

炎上―

アレ

クサ

ンド

ロス

大王

とペ

ルセ

ポリ

ス』

吉川

弘文

館、

二〇

〇〇

森谷

『虚

像と

実像

』= 森

谷公

俊『

アレ

クサ

ンド

ロス

大王―

「世

界征

服者

」の

虚像

と実

像』

講談

社選

書メ

エ、

二〇

〇〇

森谷

『征

服と

神話

』= 森

谷公

俊「

アレ

クサ

ンド

ロス

の征

服と

神話

」(

興亡

の世

界史

01)講

談社

、二

〇〇

七年

文中

の[

]内

は、

訳者

の補

いで

ある

Page 4: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 138 -

文目

ビロ

ンと

スー

サの

占領

(第

六四

~六

六章

クシ

オイ

人の

制圧

(第

六七

章)

ルシ

ア門

の突

破(

第六

八章

ルセ

ポリ

スの

占領

と略

奪(

第六

九~

七一

章)

宮へ

の放

火(

第七

二章

レイ

オス

三世

の最

期(

第七

三章

ッソ

スの

反抗

・遠

征軍

の再

編(

第七

四章

ュル

カニ

ア地

方の

制圧

(第

七五

~七

六章

マゾ

ン女

王の

来訪

・東

方様式

の採

用(

第七

七章

ティ

バルザネ

スの離

反(

第七

八章

ィロ

ータ

ス事件

(第

七九

~八

〇章

フガ

ニス

タン侵攻

(第

八一

~八

二章

ティ

バルザネ

スの

最期

・ベ

ッソ

スの捕縛

と処

刑(

第八

三章

Page 5: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 139 -

第六

四章

ダレ

イオ

スは

アル

ベラ

の会

戦で敗

れた

後、

東方諸属州

に向

けて逃走

した

。ア

レク

サン

ドロ

スと

の間

に距離

を置き

、休息

と軍勢

の準備

のため

に十分な時間

をとろ

うと欲

した

ので

ある

。まず

メデ

ィア

地方

のエ

クバ

ナに着

くと

、無事

に生還

した

者た

ちを集め

、武器

を失っ

た者

には

再武装さ

せた

。二近隣

の諸民族

から

も兵士

を招

集し

、バ

クト

リア

およ

び東

方諸属州

から

の総督

たちや将

軍た

ちに

使い

を送っ

て、自分

に対

する忠誠

を維持

する

う求め

た。

アレ

クサ

ンド

ロス

は勝利

の後

、戦死

者を埋葬

して

から

アル

ベラ

に入

り、

大量

の食料

と少な

からぬ夷狄風

の装

身具や財宝

、三

〇〇

〇タ

ラン

トン

に及ぶ銀

を見

出し

た。

しか

し夥

しい死体

のため

に周囲

の空気

が腐敗

するだろ

と判断

し、直

ちに陣

を引き払

い、全

軍を率

いて

バビ

ロン

へ到着

した

。四住民

たち

は進ん

で彼

を受

け入

れ、宿泊先

でも

マケ

ドニ

ア人

を盛

大に

もてな

した

。こ

うし

て軍勢

はこ

れま

での苦労

を洗

い流

して

英気

を養

うこ

とが

でき

、食

料が豊富な

のと住民

の歓待

のお

かげ

で、

三〇日以

上もこ

の都市

に滞在

した

五こ

の後彼

はピ

ュド

ナ人

のア

ガト

ンに城砦

の守備

を委ね

、彼

にマケ

ドニ

ア人兵士

七〇

〇を与え

た。

また

アンピ

ポリ

ス出

身の

アポ

ロド

ロス

とペ

ラ出

身の

メネ

スを

、バ

ビロ

ニア

およ

びキ

リキ

アま

での諸属州

の将

軍に任命

し、彼

らに

一〇

〇〇

タラ

ント

ンの銀

を与え

て、

でき

るだ

け多

くの兵士

を集め

るよ

う命じ

た。

六サ

ルデ

ィス

の城砦

を明

渡し

たミ

トレネ

スに

はア

ルメ

ニア

を与え

た。接

収し

た資金

から

、褒賞

とし

てマケ

ドニ

ア人騎兵

の各々

に六ム

ナ、

同盟

軍[の騎兵

]に

五ム

ナ、

マケ

ドニ

ア人歩兵

に二ム

ナを与え

、傭兵

の全員

には

二カ月分

の報酬

を与え

た。

第六

五章

王が

バビ

ロン

を発っ

て行進

する途

中、

アン

ティパ

トロ

スに

よっ

て派遣さ

れた増援部隊

が彼

のも

とに

到着

した

。そ

れは

マケ

ドニ

ア人

の騎兵

五〇

〇と歩兵

六〇

〇〇

、ト

ラキ

ア人騎兵

六〇

〇、

トラ

レス

人三

五〇

〇、ぺ

Page 6: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 140 -

ロポネ

ソス

から

四〇

〇〇

の騎兵

と一

〇〇

〇に少

し足

りな

い数

の歩兵

であっ

た。

また

マケ

ドニ

アか

らは

王の朋友

息子

たち

が五

〇人

、護衛兵

を勤め

るべ

く父親

によっ

て送

られ

てき

た。

二王

は彼

らを受

け入

れて進

軍を続

け、

六日

目に

シッ

タケネ行政区

に到着

した

の地

方は

あらゆ

る物資

が非常

に豊富だっ

たの

で、彼

はこ

の地

にかな

りの日数滞在

した

。そ

れま

での長

い行

の疲

れか

ら軍勢

を休息さ

せた

いと思っ

たし

、ま

た部隊

の編

成を点検

し一部

の将校

を昇進さ

せて

、指揮官

の数

と能

力の面

で軍

を強化

しよ

うと考え

たの

であ

る。

三彼

は決断

したこ

とを

実行

に移

した

。将校

たち

の功績

を細心

の注意

を払っ

て評定

し、多

くの

者た

ちを

それ

まで

の位

から

もっ

と責任

ある

地位

へと昇進さ

せ、

すべ

ての指揮官

の威信

高め

ると

とも

に、彼

に対

する情愛

の絆

をよ

り強

いも

のと

した

。四彼

はま

た兵士

たち

それ

ぞれ

の状態

にも気

を配

り、

有益なこ

とを数多

く工夫

して

、部隊

の強化

のため

に改善

をは

かっ

た。こ

うし

て彼

は全

軍を

、指揮官

へのこ

の上な

い献

身、命令

への

服従

、さ

らに

は武勇

にお

ける卓越

へと導

いて

から

、来

たるべき

戦闘

に向

けて進発

した

スシ

アナ

地方

に到着

する

と、

戦闘

を交え

るこ

とな

くス

ーサ

の名高

い王

宮を接

収し

た。総督

のア

ブレ

テス

がす

すん

で彼

に都市

を譲渡

した

ので

ある

。あ

る者

たち

が述べ

るところ

では

、こ

れは

ダレ

イオ

スが彼

の最

も信頼

する部

下た

ちに命じ

たのだ

とい

う。

ペル

シア

王が

その

ようなこ

とを行っ

たの

は、

アレ

クサ

ンド

ロス

は目

の眩む

ような気

晴ら

しと

か、

最も輝

かし

い諸

都市や莫

大な財宝

の獲得

に我

を忘

れる

であろ

うか

ら、

その間

にダ

レイ

オス

は逃走

なが

ら戦

争準備

の時間稼ぎ

ができ

ると考え

たか

らだ

とい

うのだ

第六

六章

アレ

クサ

ンド

ロス

は都市

と王

宮の財宝

を獲得

し、

四万

タラ

ント

ンを越え

る鋳造さ

れて

いな

い金

と銀

を見

出し

た。

二こ

れら

は長

年に

わたっ

て歴代

の王

たち

が運命

の思

いが

けな

い急変

に備え

、最

後の

拠り

所と

して手

Page 7: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 141 -

付かず

で保持

してき

たの

であ

る。こ

のほ

かに

も、

ダレ

イコ

スの標

章を

もつ金貨

が九

〇〇

〇タ

ラン

トン

あっ

た。

三こ

れら

の財宝

を手

に入

れた時

、あ

る奇妙な

出来事

が王

の身

に起き

た。彼

が玉座

につ

いた

ところ

、そ

れは彼

体の寸法

より

大き

かっ

た。

王の足

が玉座

の足台

に遠

く届

かな

いの

を見

て、近習

の一

人が

ダレ

イオ

スの

テー

ブル

持っ

て来

て、宙ぶ

らりん

になっ

た足

の下

に置

いた

。四

それ

がぴっ

たりだっ

たの

で、

王は機転

の利

いた彼

の奉仕

満足

した

。ところ

が玉座

の傍

に立っ

てい

た者

たち

の中

で、

一人

の宦官

が運命

の変転

に心

をかき乱さ

れ、涙

を流

た。

五ア

レク

サン

ドロ

スはこ

れを見

て尋ね

た。「どんな不幸

が起き

たの

を見

て泣

いて

いる

のか

」。宦官

は答え

た。

「私

は今

あな

た様

の奴隷

です

が、以

前は

ダレ

イオ

ス様

の奴隷

でし

た。私

は生

まれな

がら

にし

て主君

を愛

する

者で

すの

で、

かの

お方

が最

も大切

にし

てお

られ

た物

が今

では何

の価値

もな

い道具

になっ

てし

まっ

たの

を見

て、心

が痛

むの

です

」。

王はこ

の返答

を聞

いて

、ペ

ルシ

ア王国

が根

底か

ら覆さ

れたこ

とを思

い起こ

し、自分

の振舞

いが傲慢

で、捕虜

に対

する日頃

の寛

大さ

からほど

遠い

もの

であ

ると思っ

た。

七そこ

で彼

はテ

ーブ

ルを置

いた近習

を呼

び、

それ

を元

に戻

すよ

う命じ

た。

する

と傍

にい

たフ

ィロ

ータ

スが言っ

た。「

それ

は傲慢

では

あり

ません

。そ

れは

あな

たの命令

によ

るの

でな

く、何

か良き

神霊

の深慮

と計

らい

によ

るも

ので

す」。

王はこ

の言葉

を何

かの予言

と受

け止め

、テ

ブル

は玉座

の下

に置

いた

まま

にす

るよ

う命じ

た。

第六

七章

一こ

のあ

とダ

レイ

オス

の母

と娘

たち

と息子

をス

ーサ

に残

し、

ギリ

シア語

の教師

を彼

らの

そば

に置

いた

彼自

身は

軍と共

に進発

し、

四日

目に

[パ

シ]テ

ィグ

リス

川に着

いた

。二こ

の川

はウ

クシ

オイ

の山脈

に発

し、始め

深い峡

谷に抉 えぐ

られ

た険

しい山

地を

一〇

〇〇

スタ

ディ

オン

[一

八〇

キロ

]通過

して

、そ

れか

ら平坦な土

地を

しだ

Page 8: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 142 -

に穏や

かにな

りつつ流

れ、

六〇

〇〇

スタ

ディ

オン

[一

〇八

〇キ

ロ]進ん

でペ

ルシ

ア海

に注ぐ

。三こ

の[パ

シ]テ

ィグ

リス

川を渡っ

てウ

クシ

オイ

人の土

地を進

軍し

たが

、ここ

は肥沃

で多

くの

川が流

れ、沢山

の多種多様な果

実を産

た。熟

した果

実が乾

くと

、[パ

シ]テ

ィグ

リス

川を行き交

う商

人た

ちは

、食卓

を彩

るにふさ

わし

いあ

らゆ

る種類

甘味

を持っ

てバ

ビロ

ニア

へ下っ

てく

るの

であ

る。

アレ

クサ

ンド

ロス

は、

ダレ

イオ

スの親族

であ

るマ

デテ

スが相当規模

の兵力

をもっ

て隘路

を守っ

てい

るの

を見

出し

、そ

の地点

の極め

て堅固なこ

とを見

て取っ

た。周囲

も断崖絶壁

で越え

るの

は不可能だっ

たが

、ウ

クシ

オイ

でそ

の土

地に精

通し

た一

人の男

が、

とあ

る狭

く危険な抜

け道

を通っ

て兵士

を案

内し

、敵

より高

い場

所を取

らせ

うと彼

に申

し出

た。

五ア

レク

サン

ドロ

スはこ

の提案

を受

け入

れ、十分な数

の兵士

をこ

の者

につ

けて送

り出

し、彼

自身

は可能な

かぎ

り道

を切

り開

いて

、隘路

に陣取

る敵

に連続攻撃

をし

かけ

た。

戦闘

は激烈な

もの

とな

り、

バル

ロイ

がこ

の攻防

に気

を取

られ

てい

るう

ちに

、先

に派遣さ

れた部隊

が思

いが

けず隘路

の守備兵

より

も高

い場

所に現

われ

た。

バル

バロ

イは驚愕

して

たち

まち逃走

した

ので

、ア

レク

サン

ドロ

スは

その隘路

を制

圧し

、直

ちに

ウク

シオ

イ地

方の

すべ

ての

都市

を獲得

した

第六

八章

そこ

から進発

して

ペル

シス

地方

へ進

み、

五日

目に

スシ

ア門

と呼ば

れる

岩場

に到達

した

。そこ

は既

アリ

オバ

ルザネ

スが

、二万

五〇

〇〇

の歩兵

と三

〇〇

の騎兵

を率

いて

占領

して

いた

。二

王は武力

でこ

の関

門を

奪い

取ろ

うと考え

て、狭

く険

しい隘路

を何

者に

も妨げ

られず

に進んだ

。夷狄

軍は彼

が隘路

を通過

する

のを

ある

地点

では許

して

おき

、彼

が峠道

の中ほど

に達

した時

、突如

とし

て攻撃

を開始

した

。大きな石

を大量

に転

がり落

とす

と、

それ

はびっ

しり

と隊伍

を組んだ

マケ

ドニ

ア人

の頭

上に不意

に落

下し

て多

くの

者を斃

し、少な

からぬ

ペル

シア兵

Page 9: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 143 -

崖の

上か

ら密集部隊め

がけ

て投槍

を放つ

と、こ

とご

とく命

中し

た。別

の者

たち

は至近距離

から石

を投げ

、強行

破を

はか

るマケ

ドニ

ア兵

を撃退

した

。彼

らは峻険な

地形

にも

のを言

わせ

て圧倒

的な優位

に立

ち、多数

を殺

し、少

なか

らぬ

者に重傷

を負

わせ

た。

アレ

クサ

ンド

ロス

はこ

れほど

の災難

を被

りな

がら助

けるこ

とも

できず

、ま

た敵

は一兵

たり

とも

殺さ

れず全

の無傷な

のに

、味

方は多

くが斃

れ、ほ

とんど全員

が負傷

した

のを見

て、

ラッパ

の合図

で攻撃部隊

の兵士

を戦闘

ら呼

び戻

した

。四関

門か

ら三

〇〇

スタ

ディ

オン

[五

四キ

ロ]退却

して陣

を張

り、

付近

の住民

から別

の間道

がな

いか

どう

かを知ろ

うと

した

。誰

もが異句同音

に、別

の抜

け道

は一つ

も無

く、迂

回す

るに

は何日

もか

かる

と言っ

た。彼

は戦死

者を埋葬

せず

に放置

する

のは不

名誉だ

と思っ

たが

、か

といっ

て遺体

の引渡

しを求め

るの

は敗北

を認め

たこ

とにな

るの

で恥ずべきこ

とだ

と考え

て、捕虜

を全員連

れて

くる

よう命じ

た。

五彼

らの

中で

、ペ

ルシ

ア語

を知っ

いる

バイ

リン

ガル

の男

が連

れてこ

られ

た。

によ

ると

、自分

はリ

ュキ

ア人だ

が捕虜

にな

り、長

年こ

の辺

りの山

で羊飼

いを

してき

た、

その

ためこ

の地

方に

は精

通し

てお

り、樹木

に覆

われ

た道

を通っ

て軍

を案

内し

、関

門の守備隊

の背

後に連

れて行

くこ

とが

でき

ると言

う。

六王

はこ

の男

に多

大な褒美

をと

らせ

ると約束

し、彼

を道案

内に

して

、厚

い雪

を踏

みしめ

、深

い渓

谷と多数

の裂

目に分 わ

たれ

た峻険な土

地を

通り抜

け、さんざん苦労

しな

がら夜間

に山

を踏

破し

た。

七こ

うし

て敵

の前哨部隊

の前

に姿

を現

すと

、第

一列

を斬

り倒

し、

二列

目に配置さ

れた守備隊

は生

け捕

りに

し、

第三

列を敗走さ

せ、関

門を

制圧

して

アリ

オバ

ルザネ

ス麾

下の兵士

の大半

を殺

した

六九

一こ

のあ

とペ

ルセ

ポリ

スに向っ

て進んだ

が、道

中で

、こ

の都市

の統

治者

であ

るテ

ィリ

ダテ

スか

らの

Page 10: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 144 -

手紙

を受

け取っ

た。

そこ

にはこ

う書

かれ

てい

た。

もし

アレ

クサ

ンド

ロス

が、

ペル

セポ

リス

をダ

レイ

オス

のため

守り抜こ

うと企

てて

いる

者た

ちに先んじ

て到着

すれば

、自分

が都市

を明

け渡

すの

で、彼

がそ

の支配

者とな

るで

ろう

、と

。二

そこ

でア

レク

サン

ドロ

スは強行

軍で道

を急ぎ

、ア

ラク

セス

川に架橋

して兵士

を対岸

に渡

した

。進

の途

中、

王は思

いも

よらぬ恐ろ

しい光景

に遭遇

した

。そ

れは

そう

した悪事

を行っ

た者

への憎

しみ

の念

をかき立

て、

また癒

しが

たい災難

を被っ

た人々

への憐憫

と同情

を呼

び起こ

した

。三

とい

うの

は、

かつ

てペ

ルシ

ア王

たち

によっ

て故国

から連

れ去

られ

たギ

リシ

ア人

たち

が、嘆願

者の印

であ

るオ

リー

ブの小枝

を手

にし

て彼

に会

いに

来た

ので

る。

その数

およ

そ八

〇〇

人。

大半

は年老

いて

、誰

もが体

に障

害を負

わさ

れ、

ある

者は手

を、

ある

者は足

を、

ある

者は耳

と鼻

を失っ

てい

た。

四知識や技

術を

身につ

けて高

い教育

を受

けた

者た

ちは

、仕事

に必要な部分だ

けを残

て、

それ以外

の手足

の先端部分

を斬

られ

てい

た。

その

年齢

にふさ

わし

い威厳

と体

に負

わさ

れた災難

を目

の当

たり

にし

て、全将兵

が不幸な

人々

の悲運

を憐

れんだ

。中

でも

アレ

クサ

ンド

ロス自

身が不運な

人々

の境涯

に心

を揺さぶ

られ

、涙

を抑え

るこ

とが

できな

かっ

た。

五彼

らは

皆声

を一つ

にし

て叫

び、自分

たち

の災難

に手

を差

し伸べ

てほ

しい

とア

レク

サン

ドロ

スに嘆願

した

。そ

こで

王は

リー

ダー

たち

を呼

び寄

せ、自

身の度量

の大きさ

にふさ

わし

く敬意

を払

い、故郷

への帰国

につ

いて

も最

限の配慮

を尽

くすこ

とを約束

した

。六

しか

し彼

らは集

まっ

て協議

した結果

、故郷

に帰

るよ

りそ

の場

に留

まるこ

を選んだ

。なぜな

ら、無事

に帰国

でき

ても

皆がば

らば

らにな

り、自分

の都市

で生き

る限

りは運命

から受

けた傷痕

を背負っ

て生き恥

をさ

らすだ

け。こ

れに対

し、同じ災難

に遭っ

た者

とし

て一緒

に生き

てい

けば

、仲間

たち

の同じ

ような不幸

を自分

の不幸

の慰め

とす

るこ

とが

でき

るか

らだ

。七

そこ

で彼

らは

再び

王に面

会し

て自分

たち

の決定

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- 145 -

伝え

、こ

の計画

にふさ

わし

い援助

を与え

てく

れる

よう求め

た。

八ア

レク

サン

ドロ

スはこ

の決定

に同意

し、各

人に

三〇

〇〇

ドラ

クマ

と、男性

用の衣

服五枚

、そ

れに同数

の女性

用衣

服、

二組

の牛

、五

〇頭

の小

家畜

、五

〇メ

ディム

ノス

の小麦

を贈っ

た。さ

らに

王国

の租税

をすべ

て免

除し

、何

人な

んぴ

から

も不正

を受

けるこ

とのな

いよ

う配慮

するこ

とを行政官

たち

に命じ

た。

九こ

うし

てア

レク

サン

ドロ

スは自

身の寛

大な

本性

に従

い、こ

のよ

うな恩恵

でもっ

て不

運な

人々

の災難

への償

いと

した

ので

ある

第七

〇章

ペル

シア帝国

の首

都で

ある

ペル

セポ

リス

を、彼

はアジ

アの諸

都市

の中

で敵

の最

たる

ものだ

と言っ

指し

示し

、王

宮を

除い

て兵士

たち

に略

奪の餌食

とし

て与え

た。

二ペ

ルセ

ポリ

スは

太陽

の下

では

最も裕福な

都市

で、

個人

の邸宅

には長

年に

わたっ

てあ

らゆ

る種類

の財宝

が充

ちて

いた

。マケ

ドニ

ア人

はそこ

に押

し入っ

て人々

を皆

しに

し、財宝

を奪

い取っ

たが

、そ

の多

くは

一般住民

のも

ので

、あ

らゆ

る種類

の家具調度品

と装飾品

で一杯だっ

た。

三そ

れか

ら大量

の銀

が持

ち去

られ

、少な

からぬ金

も略

奪さ

れた

。ま

た非常

に高価な衣装

もた

くさん

あり

、あ

るも

のは貝紫

で染色さ

れ、

ある

もの

は金

の縫

い取

りで入念な刺繍

が施さ

れて

いた

が、

それ

らも

征服

者の褒美

になっ

しまっ

た。全

世界

にそ

の名

を謳

われ

た壮麗な

宮殿

は、凌辱

とまっ

たき

破壊

の犠牲

に供さ

れた

ので

ある

マケ

ドニ

ア人

は日

がな

一日

略奪

に耽っ

たが

、そ

れで

も飽

くこ

とを知

らぬ欲望

を満

たすこ

とは

できな

かっ

た。

五略

奪を求め

てや

まぬ貪欲ぶ

りは度

を越

して

いた

ので

、彼

らは互

いに

争っ

て、

大量

の略

奪品

を手

に入

れた

者の多

くを

殺し

てし

まうほどだっ

た。

ある

者た

ちは

、見つ

けた

中で

一番高価な品

を槍

で突き刺

して

から自分

の分

け前

運び去っ

た。分

け前

をめぐっ

て争

い、横取

りし

た者

の手

を怒

りに逆

上し

て斬

り落

とし

てし

まっ

たの

も幾

人か

いた

六女

たち

は、装飾品

を身

につ

けた

まま力ず

くで引っ張っ

て行き

、捕虜

とし

て奴隷

に仕立

てた

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- 146 -

うし

てペ

ルセ

ポリ

スは

その繁

栄に

おい

て他

の諸

都市

を凌駕

して

いただ

け、

その災難

にお

いて

も他

をは

るか

上回っ

たの

であ

る。

第七

一章

アレ

クサ

ンド

ロス

は城砦

に上

り、

そこ

にあ

る財宝

を接

収し

た。

それ

はペ

ルシ

ア人

最初

の王

であ

るキ

ュロ

ス[

二世]

の時代

から当時

に至

るま

で、国

家収入

から蓄積さ

れてき

たも

ので

、金

と銀

に満

ち溢

れて

いた

。そ

こに

は金

を銀

に換算

して

一二万

タラ

ント

ンあ

るこ

とが

わかっ

た。

二彼

はこ

れら

の資金

の一部

を戦

争に

用い

るため

自分

で携行

し、他

はス

ーサ

に移

してこ

の都市

に保管

した

いと思っ

た。

そこ

でバ

ビロ

ンと

メソ

ポタミ

ア、さ

らに

ーサ

から

も大量

の荷駄

用と荷車

用の騾馬

、そ

れに加え

て三

〇〇

〇頭

の荷駄

用駱駝

を送

らせ

、こ

れら

の駄獣

を使っ

てすべ

ての財宝

をあ

らかじめ決め

た場

所へ輸送

した

。三彼

は住民

に対

して

は強

い憎

しみ

を抱き

、彼

らを信

用せず

遂に

はペ

ルセ

ポリ

スを完全

に破壊

するこ

とを欲

した

の建造物

の豪華さゆえ

に、

ペル

セポ

リス

の王

宮につ

いて手短

に語

るの

は不適切

ではな

いと思

う。

四城砦

は広

大で

、三層

の城壁

がそ

れを取

り巻

いて

いる

。第

一の城壁

は入念な造

りの基壇

の上

に建

てら

れ、高さ

は一

六ペ

ーキ

ュス

[約

七メ

ート

ル]、塔

の形

をし

た狭間胸壁

を備え

てい

る。

五第

二の城壁

は第

一と同じ造

りで

、高さ

は二倍

あっ

た。

第三

の城壁

は外形

が方形

で、壁

の高さ

は六

〇ペ

ーキ

ュス

[約

二七

メー

トル

]、永久

に長持

ちす

るよ

う特別

に作

られ

た堅固な石

で建

てて

ある

。六

四面

の各々

に青銅製

の門

があ

り、

その傍

には高さ

二〇

ペー

キュ

ス[約

九メ

ート

ル]の青銅

の柱

があ

る。

それ

は見

る人

を驚

かせ

るためだっ

たが

、門

は安全

のため

であ

る。

七城砦

の東

には

、四

プレ

トロ

ン[約

一二

〇メ

ート

ル]離

れて

「王

の丘

」と呼ば

れる山

があ

り、

その

中に

歴代

の王

の墓

があ

る。

岩が刳

り抜

かれ

て真ん

中に

たくさん

の墓室

があ

り、

その

中に死

者の遺体

が安置さ

れる

。そこ

に近づ

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- 147 -

く方法

はな

く、

ある装置

で死

者を吊

り上げ

て埋葬

がなさ

れる

ので

ある

。八城砦

のい

たる

ところ

に豪華な装飾

を施

した

王族や将

軍た

ちの住居

があ

り、

また財宝

を守

るの

にふさ

わし

く建造さ

れた宝蔵

があ

る。

第七

二章

アレ

クサ

ンド

ロス

は勝利

の祝

典を

とり行

い、

神々

に盛

大な犠牲

を捧げ

、朋友

たち

と豪華な饗宴

を催

した

。こ

の日朋友

たち

は歓楽

の限

りを尽

くし

て痛飲

し、酔

いが

回る

につ

れて酔客

たち

の魂

は狂気

に取

りつ

かれ

よう

にすっ

かり逆

上の

せあ

がっ

た。

二こ

の時

、同席

して

いた遊

女の

一人

でタ

イス

とい

うア

テネ生

まれ

の女

がこ

う言

った

。も

しも

アレ

クサ

ンド

ロス様

が私

たち

と一緒

に行

列を組ん

で宮殿

に火

を放

ち、

女た

ちの手

でペ

ルシ

ア人

の栄

華を

一瞬

のう

ちに消

して

しまっ

たら

、王様

がアジ

アで

成し遂げ

た偉業

の中

で最高

のも

のにな

るで

しょ

う。

三こ

言葉

が、

まだ若

くし

かも酒

で理性

を失っ

た者

たち

に向っ

て言

われ

たの

で、当然

のこ

とな

がら

、誰

かが行

列を

作っ

て松明

に火

をつ

けろ

と叫

び、

ギリ

シア

人の聖域

に対

する冒

瀆行為

に復讐

せよ

と呼

びか

けた

。四他

の者

たち

も喝采

してこ

れに唱和

し、

そう

した振舞

いは

アレ

クサ

ンド

ロスだ

けにふさ

わし

いと言っ

た。

王もこ

うし

た言葉

に煽

り立

てら

れた

ので

、全員

が宴席

から立

ち上

がり

、デ

ィオ

ニュ

ソス

を称え

て勝利

の行

列を組

もう

ではな

いか

と口々

に言

い合っ

た。

たち

まち沢山

の松明

が集め

られ

、女性歌手

たち

も酒宴

に招待さ

れて

いた

ので

、歌声や横笛

、縦笛

の音

に合

せて

王が

みず

から行

列の先頭

に立

ち、遊

女タ

イス

がこ

の余

興を先導

した

。六

王に

次い

で最初

に彼

女が

火のつ

いた

松明

を宮殿

に投げ入

れた

。他

の者

たち

もこ

れにな

らっ

たの

で、

王宮

一帯

はた

ちま

ち巨

大な

炎に包

まれ

て燃え落

てし

まっ

た。何

より

も意外だっ

たの

は、

かつ

てペ

ルシ

ア王

クセ

ルク

セス

がア

テネ

のア

クロ

ポリ

スに対

して行っ

神聖冒

瀆を

、不正

を被っ

た国

の一

女性

が、

はる

か後

年にほん

の戯

れで同じ仕打

ちで

もっ

て償

わせ

たと

いうこ

とだ

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- 148 -

第七

三章

一以

上の事

が終

ると

、ア

レク

サン

ドロ

スは

ペル

シス

地方

の諸

都市

にやっ

て来

て、

ある

もの

は武力

で制

圧し

、あ

るも

のは自

身の寛

大な

扱い

によっ

て味

方につ

けて

から

、ダ

レイ

オス

目指

して進発

した

。二

ダレ

イオ

スは

バク

トリ

アなど

東方諸属州

から

軍を集め

るつ

もり

であっ

たが

、急追

を受

けて

、ペ

ルシ

ア人

三万

とギ

リシ

ア人傭兵

と共

にバ

クト

ラへ向

けて逃走

した

。し

かし退却

の途

中、

バク

トリ

ア総督

のベ

ッソ

スに

よっ

て捕え

られ

殺害さ

れた

三彼

が殺さ

れた

ちょ

うど

その時

、騎兵

と共

に追跡

してき

たア

レク

サン

ドロ

スは

ダレ

イオ

スが死ん

でい

るの

を発見

し、彼

を王

とし

て埋葬

した

。四

ある

者た

ちが

書く

ところ

では

、発見さ

れた時

にダ

レイ

オス

はまだ息

があ

り、

アレ

クサ

ンド

ロス

は彼

の不幸

に同情

した

。そ

して

ダレ

イオ

スか

ら[自

身の

]殺

害の復讐

をす

るよ

う求め

られ

、そ

れを約

束し

てベ

ッソ

スを追っ

たと

いう

。し

かし

ベッ

ソス

はは

るか

に先行

して

バク

トリ

アへ

と去っ

ていっ

たの

で、

アレ

サン

ドロ

スは敵

の追撃

を断念

して引き返

した

上が

アジ

アの情勢

であ

る。

五ヨ

ーロ

ッパ

では

、ラケ

ダイモ

ン[スパ

ルタ

]人

が先

の大

会戦

で敗北

を喫

し、

その惨禍

のため

にア

ンテ

ィパ

トロ

スの

もと

へ使節

を送

るこ

とを余儀な

くさ

れた

。し

かし彼

は返答

をギ

リシ

ア同盟

の評議

会に委ね

た。

そこ

で評議員

たち

がコ

リン

トス

に参集

し、各々

の立場

で延々

と議論

を交

わし

たあげ

く、決定

を保留

して

アレ

クサ

ンド

ロス

に判

断を委ね

るこ

とを決議

した

。六こ

のため

アン

ティパ

トロ

スは

スパ

ルタ市民

で最

も著

名な

五〇

人を

人質

に取

り、

方ラケ

ダイモ

ン人

はアジ

アに

使節

を派遣

して

、犯

した誤

りに対

する赦

しを乞

うた

第七

四章

一こ

の年

が過ぎ

ると

、ア

テネ

ではケ

フィ

ソフォ

ンが

アル

コン

とな

り、

ロー

マで

はガ

イウ

ス・ウァ

レリ

ウス

とマ

ルク

ス・ク

ラウ

ディ

ウス

がコ

ンス

ルに任命さ

れた

[前

三二

九/

八年

]。こ

の年

ベッ

ソス

は、

ダレ

イオ

スの

Page 15: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 149 -

死後

、ナ

バルザネ

スや

バル

クサ

エン

テス

、そ

の他多

くの

者た

ちと共

にア

レク

サン

ドロ

スの手

を逃

れ、

バク

トリ

へたど

り着

いた

。彼

はダ

レイ

オス

によっ

てそこ

の総督

に任命さ

れて

おり

、そ

の統

治のゆえ

に大衆

によ

く知

られ

いた

ので

、自由

のため

に立

ち上

がる

よう彼

らに呼

びか

けた

。二彼

は、こ

の地

方が

[敵

には

]近づき難

く、

また独立

を得

るの

に十分な

人的資源

があ

るの

で、こ

の土

地が自分

たち

の大きな

拠り

所にな

るだろ

うと指摘

した

。そ

して自

分が

戦争

の指揮

をと

るこ

とを布告

し、

大衆

を説得

して自

身を

王に任命

した

。そ

れか

ら兵士

たち

を登

録し

、大量

武器

を準備

し、

その他緊急

に必要なこ

とに精力

的に取

り組んだ

アレ

クサ

ンド

ロス

は、

マケ

ドニ

ア人

たち

がダ

レイ

オス

の死

で遠

征は終っ

たと思

い、故国

へ帰

りた

がっ

てい

のを見

て、彼

らを兵員

会に招集

し、

その場

にふさ

わし

い言葉

でもっ

て激励

し、残さ

れた

遠征

につ

いて

来る

よう彼

らの士気

を高め

た。

しか

しギ

リシ

ア諸

都市

から

来た同盟

軍につ

いて

は彼

らを集め

、そ

の功績

を称え

た上

で部隊

解散

した

。そ

の際

に褒美

とし

て各騎兵

には

一タ

ラン

トン

、歩兵

には

一〇ム

ナを与え

、そ

の上

に未払

い分

の給与

支払

い、さ

らに故郷

へ帰

り着

くま

での

期間

に相当

する分

[の給与

]を

付け加え

た。

四王

とと

もに

軍に留

まるこ

とを

選んだ

者た

ちに

は、各

人に

三タ

ラン

トン与え

た。こ

れほど多

大な褒美

で兵士

たち

に報

いてやっ

たの

は、彼

が生

れな

がら

に気

前が

いい

のと

、ダ

レイ

オス追跡

中に

大量

の資金

を手

に入

れて

いた

から

であ

る。

五と

いう

のも

、彼

王室財務官

たち

から総額

八〇

〇〇

タラ

ント

ンを受

け取っ

てい

たのだ

。こ

れと

は別

に、

[マケ

ドニ

ア人

]兵士

たち

分配さ

れた

もの

が装飾品や盃

を含め

て一万

三〇

〇〇

タラ

ント

ンあ

り、他

方[マケ

ドニ

ア人

によっ

て]盗

まれ

たり

奪さ

れた

りし

たも

のは

、右

に述べ

たよ

りも

大き

いと推測さ

れて

いた

第七

五章

アレ

クサ

ンド

ロス

はヒ

ュル

カニ

アに向

けて

出発

し、

三日

目にヘ

カト

ンタピ

ュロ

スと呼ば

れる

都市

Page 16: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 150 -

近く

に宿営

した

。こ

れは恵

まれ

た都市

で、歓楽

にふさ

わし

いあ

らゆ

るも

のが豊富

にそろっ

てい

たの

で、数日間

こで

軍を休養さ

せた

。二

それ

から

一五

〇ス

タデ

ィオ

ン[二

七キ

ロ]進

み、

大きな

岩場

の近

くに宿営

した

。岩

の根元

には奇妙な穴

があ

り、

そこ

から

ステ

ィボ

イテ

スと呼ば

れる

大きな

川が流

れ出

てい

た。

川は激流

となっ

て三

スタ

ディ

オン

[五

四〇

メー

トル

]流

れ、

とあ

る胸

の形

をし

た岩

のあ

たり

で二手

に分

かれ

るが

、そ

の岩

の下

には

地面

が巨

大な

裂け

目を

のぞ

かせ

てい

た。

川は

岩にぶつ

かっ

て泡立

ちな

がら轟音

と共

に裂

け目

になだ

れ込

み、

地下

を三

〇〇

スタ

ディ

オン

[五

四キ

ロ]流

れ、

それ

から

再び

地表

に現

われ

るの

であ

る。

アレ

クサ

ンド

ロス

は軍

を率

いて

ヒュ

ルカ

ニア

地方

に侵入

し、

いわゆ

るカ

スピ

海に至

るそ

の地

方の

すべ

ての

市を

服属さ

せた

。カ

スピ

海のこ

とを

一部

の人々

はヒ

ュル

カニ

ア海

と呼ん

でい

る。こ

の海

はた

くさん

の大きな蛇や

我々

の所

とは

まっ

たく色

の違

うあ

らゆ

る種類

の魚

を産

する

と言

われ

てい

る。

四そ

れか

らヒ

ュル

カニ

アを横断

し、

「幸福

」と呼ば

れる

村々

に到着

した

が、

村々

の様子

は真

実そ

の名

の通

りで

あっ

た。

とい

うの

もそ

の産物

にお

いて

その土

地は他

をは

るか

に凌

いで

いた

から

であ

る。

五実際

、葡萄

の木

が一

本ご

とに

一メ

トロ

ン[三

九リ

ット

ル]の葡

萄酒

をも

たら

し、数

本の無花果

いち

じく

の木

から

一〇

メデ

ィム

ノス

[五

二〇

リッ

トル

]の乾燥無花果

が採

れる

と言

われ

てい

る。

収穫

のさ

いに取

りこぼさ

れた小麦

が地面

に落

ちて

、蒔

かれ

もしな

いの

に芽

を出

し、つ

いに

は豊

かな

実り

をも

たら

す。

六付近

の住民

によ

く知

られ

た樹

で、見

かけ

は樫

に似

た樹

があ

り、

その葉

から蜜

が滴

り落

ちる

。人々

はこ

れを集め

て甘味

をたっぷ

り楽

しむ

。七こ

の地

方に

は羽

のあ

る生き物

がい

てア

ント

レド

ンと呼ば

れ、蜂

より小さ

表面

にまだ

ら模様

があ

る。

それ

は山

地に生息

し、

あらゆ

る種類

の花

の蜜

を摘

み、

岩の洞

窟や雷

に打

たれ

た樹

を棲

み処

とし

て、我々

の蜜

に少

しも引

けを

とらな

いと

びき

り甘

い液体

を作

る。

Page 17: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 151 -

第七

六章

アレ

クサ

ンド

ロス

は、

ヒュ

ルカ

ニア

およ

びこ

の地

方に隣接

する諸民族

を服属さ

せた

。ま

たダ

レイ

スと共

に逃走

して

いた指揮官

たち

の多

くが自

ら投降

した

。彼

は彼

らを親切

に待遇

した

ので

、寛

大と

いう

大きな

声を獲得

した

。二

実際

ダレ

イオ

ス軍

に参加

し武勇

に優

れて

いた

ギリ

シア

人約

一五

〇〇

人が

、直

ちに

アレ

クサ

ンド

ロス

のも

とへ投降

し許

しを乞

うた

ところ

、以

前と同じ給与

で部隊

に配属さ

れた

ので

ある

。三

それ

から

アレ

クサ

ドロ

スは

ヒュ

ルカ

ニア

の沿岸

地方

を進

み、

マル

ドイ

人と呼ば

れる民族

の土

地に侵入

した

。彼

らは比類な

い勇敢さ

を誇

り、

王の勢力伸張など

は軽蔑

して

、表敬

訪問

にも

名誉

ある

扱い

にも値

しな

い奴

と見な

して

いた

。四

それゆえ

八〇

〇〇

の兵

で進入路

をあ

らかじめ

占拠

し、自信

に満

ちて

マケ

ドニ

ア人

の接近

を待

ち受

けた

。そこ

で王

は彼

らを

攻撃

して

一戦

を交え

、多数

を殺

し、残

りの敵

を追っ

て険

しい山岳

地帯

へと入っ

た。

五彼

がこ

の地

方を焼き払

い、

王の馬

たち

を率

いる近習

たち

が王

から少

し離

れた時

、何

人か

の夷狄

が襲っ

てき

て、

馬の

中で

最良

の一頭

を盗ん

でいっ

た。

六こ

れは

コリ

ント

ス人

のデ

マラ

トス

から贈

られ

た馬

で、

アジ

アに

おけ

るす

べて

の戦闘

で王

と共

に戦っ

てき

た。馬具

を付

けて

いな

かっ

た時

には調教師

しか受

けつ

けな

かっ

たが

、王

の馬具

付け

てか

らは調教師さえ寄

せつ

けず

、ア

レク

サン

ドロ

スだ

けに

おとな

しく従

い、彼

が乗

る時

には体

をか

がめ

るの

であっ

た。

七馬

の性質

が優

れて

いただ

けに彼

は激怒

して

、こ

の地

方の樹木

を切

り倒

すよ

う命じ

た。さ

らに

地元民

の通

訳を

とお

して

、も

しも馬

を返さな

いな

らこ

の地

方が完全

に焦土

とな

り、住民

も皆

殺し

にな

るの

を見

るこ

とに

なろ

うと布告

した

。八こ

の威嚇

はた

ちま

ち効

を奏

し、夷狄

は恐怖

に陥っ

て馬

を返

し、馬

と共

に非常

に豪華な贈

物も携え

てき

た。

それ

に加え

て五

〇人

の男

たち

を遣

わし

、許

しが得

られ

るよ

う嘆願

した

。そこ

でア

レク

サン

ドロ

スは彼

らの

中で

最も立派な

者た

ちを

人質

とし

た。

Page 18: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 152 -

第七

七章

アレ

クサ

ンド

ロス

が再

びヒ

ュル

カニ

アに戻っ

た時

、ア

マゾ

ン族

の女

王が彼

のも

とにやっ

て来

た。

の名

をタ

レス

トリ

スと

いい

、ファ

シス

とテ

ルモ

ドン

の間

の地

方を

治め

てい

た。彼

女は

その美貌

と体

の強

健さ

で抜

きん

出て

おり

、同族

人の間

でも

その武勇

は称賛

の的

であっ

た。

大部隊

の軍勢

をヒ

ュル

カニ

ア国境

に残

し、完全武

装に

身を固め

た三

〇〇

人の

アマ

ゾン

女性

と共

に到着

した

ので

ある

。二

王は彼

女の思

いが

けな

い到

来と

女た

ちの威

厳に満

ちた姿

に驚き

、タ

レス

トリ

スに何

の要件

で来

たの

かと尋ね

ると

、彼

女は子ど

もをつ

くる

ため

に来

たと答え

た。

三彼

女に

よれば

、彼

はそ

の功業

によっ

てすべ

ての男

たち

の中

で最

も優

れて

おり

、自分

は精力

と勇気

で他

の女

たち

に勝 まさ

って

いる

。そ

れゆえ比類な

い二

人の両親

から生

まれ

る子ど

もは

、そ

の卓越性

にお

いて他

の誰

をも凌駕

する

であろ

う、

とい

うの

であ

る。

王は喜ん

でつ

いに彼

女の願

いを聴き入

れ、

一三日間

にわ

たっ

て懇 ねんご

ろに過ご

た。

それ

から見事な贈

り物

を与え

て故国

に帰

らせ

た。

その

後彼

はす

でに

目的

を達

成し

王権

も揺

るぎな

いも

のになっ

たと考え

て、

ペル

シア風

の贅沢

とアジ

アの

王た

ちの豪壮な気風

を求め始め

た。手始め

とし

て宮廷

にアジ

ア人

の取

次ぎ役

を置き

、そ

れか

らアジ

ア人

で最

も優秀な

者た

ちを護衛兵

に任命

した

が、

その

中に

はダ

レイ

オス

の兄弟

であ

るオ

クサ

トレ

スも含

まれ

てい

た。

五そ

れか

ら彼

はペ

ルシ

アの

王冠

をつ

け、白

い衣装

をま

とい

、ペ

ルシ

ア風

の帯や

その他

、ズボ

ンと長袖

上着以外

のペ

ルシ

ア風装

身具

を身

に付

けた

。朋友

たち

にも紫

で縁取

りし

た衣

服を分

け与え

、馬

にも

ペル

シア風

の馬具

を付

けさ

せた

。六

の上

ダレ

イオ

スと同様

に愛妾

あい

しょ

たち

を侍

らせ

た。

その数

は一

年の日数

を下

らず

、アジ

ア中

の女性

たち

から

選ば

ただ

けあっ

て、

その美

しさ

は際立っ

てい

た。

七彼

女た

ちは毎晩

、王

が共寝

する相手

を選ぶ

ため

に、

王の寝台

の周

りを歩

くのだっ

た。

しか

しア

レク

サン

ドロ

スはこ

うし

た習慣

は稀

にし

か用

いず

、マケ

ドニ

ア人

の気持

ちを損な

Page 19: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 153 -

のを恐

れて

、た

いて

いは以

前か

らの習慣

を守っ

た。

第七

八章

それ

でも多

くの

者た

ちが彼

に不満

を漏

らし

たが

、彼

は贈

り物

によっ

て彼

らの機嫌

を取っ

た。こ

の時

アレ

イア

の総督

サテ

ィバ

ルザネ

スが自分

の配

下に残さ

れて

いた

[マケ

ドニ

ア人

]兵士

たち

を殺

害し

、ベ

ッソ

スと気

脈を

通じ

、彼

と共

にマケ

ドニ

ア人

と戦

い抜

く決意

をし

たこ

とを知

り、彼

に向っ

て出撃

した

。サ

ティ

バルザネ

スは

アル

タコ

アナ

に軍勢

を集結さ

せた

。こ

れはこ

の地

方で

最も

名高

く、天然

の要

害と

して

も傑

出し

た都市

であ

る。

しか

し王

が近づ

くと

、彼

はそ

の軍

の大きさ

と世

に知

れ渡っ

たマケ

ドニ

ア人

の武勇

に驚愕

した

。そこ

で自

ら二

〇〇

〇騎

を率

いて

ベッ

ソス

のも

とへ駆

けつ

け、緊急

の援助

を求め

る一

方、他

の部隊

には

・・・と呼ば

れる山

に避難

する

よう命じ

た。

そこ

は非常

に険

しく

、あえ

て接近

戦の危険

を冒

そう

としな

い者

には格好

の避難

所で

あっ

た。

三彼

は命じ

られ

た通

りに

した

。王

はいつ

もの功

名心

を発揮

し、険阻

で大きな

岩 がん

砦 さい

に逃げ込んだ

者た

ちを包囲

して激

しく攻め

たの

で、彼

らは降伏

せざ

るを得な

かっ

た。

四そ

の後こ

の属州

内の

すべ

ての諸

都市

を三

〇日

で平定

し、

レイ

アを去っ

てド

ラン

ギア

ナの首

都に到着

し、

そこ

に滞在

して

軍を休

ませ

た。

第七

九章

一こ

の頃

、彼自

身の良き性格

とは無縁

の忌

わし

い事件

が降

りか

かっ

た。

王の朋友

の一

人で

ディム

ノス

と名

のる

者が

、あ

るこ

とが原因

で王

に不平

を抱き

、怒

りに

から

れて

王に対

する陰謀

を企

てた

ので

ある

。二彼

には

ニコ

マコ

スと

いう愛

人が

おり

、こ

の者

を説得

して仲間

に加え

た。

ニコ

マコ

スは

まっ

たく若

く、兄弟

のケ

バリ

ノス

にこ

の計画

を打

ち明

けた

。ケ

バリ

ノス

は、共謀

者の誰

かが抜

け駆

けし

て王

に陰謀

を打

ち明

けは

しな

いか

と恐

れ、

自分

で告げ

よう

と決心

した

そこ

で宮廷

に赴

いて

フィ

ロー

タス

に会

い、彼

と話

して

一刻

も早

くこ

の件

を王

の耳

に入

れる

よう求め

た。

しか

Page 20: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 154 -

しフ

ィロ

ータ

スは自

ら陰謀

に加

わっ

てい

たため

か、

それ

とも怠慢

のゆえ

か、言

われ

た事

をま

とも

に取

り合

わな

った

。そ

して

アレ

クサ

ンド

ロス

のも

とへ行き

、多

くの

あらゆ

る事柄

に関

する議論

に参加

した

にも

かか

わらず

、ケ

バリ

ノス

から言

われ

た事

は何

も伝えな

かっ

た。

フィ

ロー

タス

がケ

バリ

ノス

のところ

へ戻

ると

、報告

する

のに適当な機

会がな

かっ

たと言

い、翌日

王と

二人き

りで

会う時

にこ

の件

をすべ

て知

らせ

るつ

もりだ

と言っ

た。

しか

し翌日

もフ

ィロ

ータ

スの態度

は同じだっ

たの

で、

ケバ

リノ

スは

、も

し別

の者

からこ

れが明

るみ

に出

たら自分

の身

が危険

にな

ると心配

した

。そ

れで

フィ

ロー

タス

やり過ご

し、

王の近習

の一

人の

もと

へ行っ

て出

来事

をすべ

て知

らせ

、でき

るだ

け早

く王

に報告

する

よう

依頼

した

五近習

はケ

バリ

ノス

を武器

庫に連

れて行っ

てそこ

に匿

い、自

身は入浴

中の

王の

もと

へ行っ

てこ

の件

を伝え

、ケ

バリ

ノス

は自分

の元

に隠

れて

いる

と告げ

た。

王は驚き

、即座

にデ

ィム

ノス

を逮捕さ

せ、事

の次

第を知っ

てか

らケ

バリ

ノス

とフ

ィロ

ータ

スを呼

びにやっ

た。

六あ

らゆ

る調査

がなさ

れ、事件

が明

るみ

に出

た。

ディム

ノス

は自

ら命

を絶っ

た。

フィ

ロー

タス

は自分

の怠慢

は認め

たが

、陰謀

への関与

は否認

した

ので

、王

はこ

の件

につ

いて

の決定

マケ

ドニ

ア人

に委ね

た。

第八

〇章

一多

くの議論

がなさ

れた

後、

マケ

ドニ

ア人

はフ

ィロ

ータ

スと他

の被告

人に死

刑判決

を下

した

。そ

の中

には

、ア

レク

サン

ドロ

スの朋友

の第

一人

者と見なさ

れて

いたパ

ルメ

ニオ

ンも含

まれ

てい

た。彼

は当時

その場

にい

なかっ

たに

もか

かわ

らず

、息子

のフ

ィロ

ータ

スを

通じ

て陰謀

に関与

した

と考え

られ

たの

であ

る。

二そ

れか

らフ

ロー

タス

がまず拷問

を受

けて共犯関係

を自白

し、

マケ

ドニ

ア人

の慣習

に従っ

て他

の被告

たち

と共

に処

刑さ

れた

ュンケ

ステ

ィス

出身

のア

レク

サン

ドロ

スも同じ運命

に遭っ

た。彼

も王

に対

する陰謀

の科

で告発さ

れた

が、

Page 21: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 155 -

年間ずっ

と監視

下に置

かれ

てい

た。

アン

ティパ

トロ

スと

の縁戚関係

のゆえ

に裁判

が猶予さ

れて

いた

ので

ある

。し

かしこ

の時

、彼

もマケ

ドニ

ア人

の裁き

を受

けるべ

く引き

出さ

れ、弁明

の際

に一言

も発

するこ

とな

く処

刑さ

れた

アレ

クサ

ンド

ロス

は快速

のひ

とこぶ駱駝

で部

下を派遣

し、

フィ

ロー

タス

処罰

の報

せが

伝わ

る前

にフ

ィロ

ータ

スの父パ

ルメ

ニオ

ンを謀

殺し

た。彼

はメ

ディ

アの統

治者

に任命さ

れ、

一八万

タラ

ント

ンに及ぶ

エク

バタ

ナの

王室

財庫

を委ね

られ

てい

たの

であ

る。

四そ

れか

らア

レク

サン

ドロ

スは

、マケ

ドニ

ア人

の中

で彼

に批判

的な発言

をし

者や

、パ

ルメ

ニオ

ンの死

に憤慨

した

者、さ

らに

はマケ

ドニ

アへ送っ

た手紙

の中

で王

の利

害に

反す

るこ

とを

家族

宛て

て書

いた

者た

ちを

選び

出し

、一つ

の部隊

に登

録し

て「無規律部隊

」と呼んだ

。彼

らの不適切な言葉や勝手気

ままな物言

いに

よっ

て、残

りの

マケ

ドニ

ア人

が堕落

しな

いよ

うに

する

ためだっ

た。

第八

一章

一以

上の事

が終

わっ

てド

ラン

ギア

ナ地

方の

処理

を済

ませ

ると

、ア

レク

サン

ドロ

スは

軍を率

いて

出発

し、

以前

はア

リア

スパ

イ人

、今日

では「善行

者た

ち」と呼ば

れて

いる

人々

に向っ

たが

、こ

れに

は以

下の

ような理由

があ

った

。メ

ディ

ア人

の支配

をペ

ルシ

ア人

に移

した

キュ

ロス

は、

とあ

る遠

征で荒涼

たる土

地に踏

み込ん

でし

まい

、必

需品

の欠乏

によっ

て極度

の困難

に陥

り、兵士

たち

は食糧不足

のため互

いに

人肉食

を余儀な

くさ

れた

。そ

の時

アリ

アスパ

イ人

が小麦

を満載

した

三万両

の車

を運ん

でき

たの

であ

る。思

いが

けず救

われ

たキ

ュロ

スは免税特権

とそ

他の贈

り物

でこ

の民族

を称え

、そ

れま

での

名前

をやめ

て「善行

者た

ち」

と呼ぶこ

とに

した

のだっ

た。

二さ

てこ

時ア

レク

サン

ドロ

スが彼

らの土

地に進入

する

と、住民

たち

は彼

を快

く迎え

たの

で、彼

もそ

れにふさ

わし

い贈

り物

でこ

の民族

を称え

た。

すぐ隣

のケ

ドロ

シア

人と呼ば

れる

人々

も同様

に振舞っ

たの

で、彼

はそ

れにふさ

わし

い好意

で彼

らに報

いた

。以

Page 22: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 156 -

上二つ

の民族

の統

治を

ティ

リダ

テス

に委ね

た。

三彼

がこ

うし

たこ

とに従事

して

いた時

、サ

ティ

バルザネ

スが騎兵

の大

軍を率

いて

アレ

イア

に戻

り、住民

をア

レク

サン

ドロ

スか

ら離

反さ

せた

との報

せが届

いた

。王

はこ

れを聞

くと

エリ

ギュ

イオ

スと

スタ

サノ

ルを指揮官

に任命

し、

軍の

一部

をサ

ティ

バルザネ

スに向

けて派遣

した

。彼自

身は

アラ

コシ

ア地

方に

遠征

し、数日

でこ

れを

服属さ

せた

第八

二章

一こ

の年

が過ぎ

ると

、ア

テネ

では

エウ

テュ

クリ

トス

がア

ルコ

ンにな

り、

ロー

マで

はル

キウ

ス・プ

ラテ

ィウ

スと

ルキ

ウス

・パピ

リウ

スが

コン

スル職

につき

、第

一一

三回

オリ

ュンピ

ア競技

会が開

かれ

て、

マケ

ドニ

ア人

のク

レイ

トン

がス

タデ

ィオ

ン競走

で優勝

した[

前三

二八

/七

年]。こ

の年

アレ

クサ

ンド

ロス

はパ

ロパ

ニサ

ダイ

呼ば

れる

人々

に対

して

遠征

した

。二彼

らの土

地はずっ

と北

にあ

り、

一面雪

に覆

われ

て、

あま

りの寒さ

のため他民

族が近づ

くこ

とさえ容易

でな

かっ

た。土

地の

大半

は平坦

で樹木

はな

く、多

くの

村々

に分

かれ

てい

た。

三家々

の屋

根は煉瓦

をず

らし

て積

み重ね

たア

ーチ状

になっ

てい

た。屋根

の真ん

中に明

り取

りの穴

が開

けら

れ、

そこ

から煙

吐き

出さ

れる

。建物

の全面

が閉じ

られ

てい

るの

で、住民

は雨風

から十分

に守

られ

るの

であ

る。

四雪

が深

いため

住民

は自分

の食料

を手元

に備え

た上

で、

一年

の大半

を屋

内で過ご

す。葡萄

の木

と果樹

の周

りに

は土

を盛

り上げ

冬の間

はそ

のま

まに

して

、芽吹

く頃

に再

び土

を取

り除

く。

五こ

の地

方の景観

には緑

もな

ければ耕

作の気配

もまっ

たくな

い。雪

と、雪

が凍っ

た氷

のため

に、白

くき

らき

らと輝

くば

かりだ

。そ

れゆえ鳥

は止

まらず

、獣

も通

らな

い。

この土

地全体

が人

を寄

せつ

けず

、近づき難

いの

であ

る。

それ

でも

王は

遠征

に立

ちはだ

かる

あらゆ

る障

害を物

とも

せず

、マケ

ドニ

ア人

の持

ち前

の豪胆

と忍耐

を頼

みと

して

、そ

の地勢

の困難

を克

服し

た。

七兵士や随行

する非

戦闘員

の大勢

が疲労困憊

して取

り残さ

れた

。あ

る者

たち

Page 23: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 157 -

は雪

の輝き

とそ

の強烈な照

り返

しの

ため

に視力

を失っ

た。

八離

れた場

所か

らは何

もはっき

りと見分

けら

れず

、煙

だけ

が村々

の所在

を示

すば

かり

で、

マケ

ドニ

ア人

が気づ

いた時

には

もう住民

たち

の間

にい

るこ

とも

あっ

た。こ

して

村々

を占

領し

、兵士

たち

は大量

の戦利品

で苦労

の埋め

合わ

せを

した

ので

、王

はた

ちま

ち住民

すべ

てを支配

た。

第八

三章

一こ

のあ

とコ

ーカ

サス

の近

くに進ん

で宿営

した

。あ

る人々

はこ

れをパ

ロパ

ニソ

ス山

と呼ん

でい

る。こ

の山脈

を一

六日

かけ

て横断

し、

イン

ドに

通じ

る峠

に都市

を建設

して

、こ

れを

アレ

クサ

ンド

リア

と名づ

けた

。コ

カサ

スの

中央

に、周囲

一〇

スタ

ディ

オン

[一

八〇

〇メ

ート

ル]、高さ

四ス

タデ

ィオ

ン[七

二〇

メー

トル

]の

岩が

ある

地元

の住民

はそこ

にプ

ロメ

テウ

スの洞

窟を

示し

、ま

た神

話に語

られ

る鷲

の巣

と[プ

ロメ

テウ

スを繋

いだ

]鎖

の証

を示

した

アレ

クサ

ンド

ロス

は、こ

のア

レク

サン

ドリ

アか

ら一日行程離

れた場

所に別

の諸

都市

を建設

し、

バル

バロ

イ七

〇〇

〇人

、従

軍し

てき

た非

戦闘員

三〇

〇〇

人、

それ

に傭兵

の中

から希望

者をこ

れら

に入植さ

せた

。三彼自

身は

ベッ

ソス

が王冠

を戴

いて

軍を集め

てい

るこ

とを聞き

、バ

クト

リア

へ進

軍し

た。

レク

サン

ドロ

スに関

する情勢

は以

上の

よう

であっ

た。

アレ

イア

に派遣さ

れた将

軍た

ちは

、反乱

軍に遭遇

した

。彼

らは

大軍

を擁

し、

戦略

の才

があ

り武勇

に優

れた

ティ

バルザネ

スを首

領と

して

いた

。そこ

で敵

の近

くに陣

を構え

た。

しば

しば小競

り合

いとな

り、

しば

らく

は小規

模な

戦闘

が起こっ

たが

、五

その

後正規

戦が行

われ

、夷狄

軍は互角

に戦っ

た。

反乱

軍の将

軍サ

ティ

バルザネ

スは

両手

で頭

から兜

を脱

いで

名乗

りを

あげ

、敵

の将

軍で欲

する

者あ

らば

一騎打

ちを挑め

と呼

びか

けた

。六

エリ

ギュ

Page 24: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 158 -

オス

が受

けて立

ち、

英雄

的な

戦闘

が交

わさ

れて

、エ

リギ

ュイ

オス

が勝利

した

。夷狄

たち

は将

軍の死

に狼狽

し、

の安全

を保証さ

れて自

ら王

に降伏

した

ベッ

ソス

は自

身を

王と宣言

し、

神々

に犠牲

を捧げ

、友

人た

ちを饗宴

に招

いた

。そ

の宴席

で、側近

の一

人で

ゴダ

ロス

とい

う名

の人物

と口論

になっ

た。諍

いが嵩じ

ると

ベッ

ソス

は逆

上し

、バゴ

ダロ

スを

殺そ

うと企

てた

が、

友人

たち

のと

りな

しで思

い止

まっ

た。

八危機

を脱

した

バゴ

ダロ

スは

、夜

アレ

クサ

ンド

ロス

のも

とへ逃

れてき

た。

彼が

身の安全

を保証さ

れた

のと

、ア

レク

サン

ドロ

スか

ら贈

られ

るで

あろ

う褒美

に誘

われ

て、主だっ

た指揮官

たち

が共謀

して

ベッ

ソス

を捕

らえ

、ア

レク

サン

ドロ

スの

もと

に連行

した

。九

王は立派な贈

り物

で彼

らに報

いてや

り、

ベッ

ソス

の方

は処罰

のため

ダレ

イオ

スの兄弟

と他

の親族

たち

に引き渡

した

。彼

らは

あり

とあ

る凌辱

と虐待

を彼

浴び

せた

上、体

を小さ

く切

り刻

み槍

でば

ら撒

いた

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- 159 -

第六

四章

アル

ベラ

の会

ディ

オド

ロス

は実際

の戦場

であ

るガ

ウガ

メラ

の地

名に

は一切言及

せず

、第

一七

巻の

目次

おい

ても

第六

一章

三に

おい

ても

戦場

をア

ルベ

ラと

して

いる

。プ

ルタ

ルコ

ス(

三一

・七

)と

スト

ラボ

ン(

一六

・一

三、

七三

八C

)に

よる

と、

ガウ

ガメ

ラは

「駱駝

の家

」と

いう意味

の村

。現在

のテ

ル・ゴ

メル

で、

その比定

は大

田訳

註一

五六

六頁

。他

方ア

ルベ

ラは

、ガ

ウガ

メラ

から

八〇

~九

五キ

ロほど離

れた町

。ア

リア

ノス

(六

・一

一・六

は、

ガウ

ガメ

ラが

一寒

村に

すぎず

名前

の響き

も良

くな

いの

で、

アル

ベラ

の方

が大

会戦

の場

所と

いう

名声

を攫っ

しまっ

たのだろ

うと

述べ

てい

る。

スト

ラボ

ン(

前引箇

所)

も、

マケ

ドニ

ア人

はア

ルベ

ラが

名高

い町

であ

るの

を知

ると

、自分

たち

の勝利

がそこ

で起き

たと言

いふ

らし

たと

いう

。し

かし

戦場

のす

り替え

は大

王の

歴史

家カ

リス

テネ

スにさ

かのぼ

る。

スト

ラボ

ン(

一七

・一

・四

三、

八一

四C

)が

カリ

ステネ

スに

依拠

して

述べ

るに

は、

会戦

に先立つ

エジ

プト滞在

中、ミ

レト

スの

使節団

がメ

ンフ

ィス

にい

たア

レク

サン

ドロ

スの

もと

に数多

くの

神託

を届

けた

が、

の中

に「

アル

ベラ周辺

で勝利

を収め

るだろ

うこ

と」

が含

まれ

てい

た。

カリ

ステネ

スは

大会

戦の勝利

を著

名な町

結びつ

け、

大王

の偉業

を賛美

・顕彰

しよ

うと

した

ので

ある

東方

諸属

州 原

文は

ta-s

ano-

satrape

ias. an

o-は

「上

方へ

」「

内陸

へ」

を意味

する副詞

で、直

訳す

れば

「上部諸

属州

」ま

たは

「内陸諸属州

」とな

る。

ペル

シア

の中心

から見

た帝国

東部

を指

す用語な

ので

、東

方諸属州

と訳

した

逃走

した

レイ

オス

は戦場

から

一旦

アル

ベラ

へ逃

れ、

そこ

から

アル

メニ

アの山

地帯

を抜

けて

メデ

ィア

へ直

Page 26: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 160 -

行し

た(

アリ

アノ

ス三

・一

六・一

、ク

ルテ

ィウ

ス五

・一

・三

~九

)。

その経路

につ

いて

は大

牟田

訳註

一五

八五頁

。な

おA

tkin

son

, p.1

36

は、

ガウ

ガメ

ラか

らエ

クバ

タナ

まで

の距離

を約

六六

〇キ

ロと見積

り、

ダレ

イオ

スは

一一月半

ばま

でに

はエ

クバ

タナ

に到着

した

と推測

する

エク

バタ

古メ

ディ

ア王国

の首

都で

、古

名は

Hag

matan

a現ハ

マダ

ン。

前五

五〇

年に

キュ

ロス

二世

が占

し、パ

サル

ガダ

イに

次ぐ

第二

の都

とさ

れた

。オ

ロン

テス山麓

の標高

一八

〇〇

メー

トル

の高

地に

あり

、夏

は冷涼な

ので

、アケ

メネ

ス朝

からパ

ルテ

ィア時代

まで夏

の宮殿

とさ

れた

(ク

ルテ

ィウ

ス五

・八

・一

)。現在

の市街

地が

古代

遺跡

の上

に作

られ

てい

るため

、発掘

はご

く一部

に限

られ

る。ヘ

ロド

トス

(一

・九

八)

は、

前七

〇〇

年頃

にメ

ディ

ア初代

の王

となっ

たデ

イオケ

スが

七重

の城壁

に囲

まれ

た城

を築き

、そ

の最奥部

に宮殿

と宝蔵

を建設

した

と伝え

る。

無事

に生

還し

た者

たち

を集

ダレ

イオ

スの逃避行

に従っ

たの

はバ

クト

リア

人騎兵

、「

王の同朋

」お

よび

「林檎持

ち」

と呼ば

れる

ペル

シア

人精鋭部隊

であっ

た。さ

らに

ギリ

シア

人傭兵

二〇

〇〇

が途

中で

合流

した

(ア

アノ

ス三

・一

六・一

~二

)。

東方

諸属

州か

らの

総督

たち

や将

軍た

ち 「

から

の」

の箇

所は

、ト

イブ

ナー

版で

は e

k だ

が、

ロエ

ブ版

とビ

デ版

では

en。

ガウ

ガメ

ラ会

戦の

ため

に東

方諸属州

の兵力

も総動員さ

れた

から

、ここ

に言及さ

れた

「総督

たちや

将軍

たち

」は

いず

れも

会戦終了

の時点

では

地元

にいな

い。

ところ

が前置詞

が e

n の場

合、

あた

かも

会戦

に参加

ず地元

に留

まっ

た総督や将

軍が

いた

かの

よう

に誤読さ

れる可能性

が生じ

る。

それゆえ

トイ

ブナ

ー版

の校訂

者は

彼ら

が東

方か

ら参

戦し

た者

たち

であ

るこ

とを明

示す

るため

に、

出自

を表

す前置詞

ekを採

用し

たの

であろ

う。

アル

ベラ

に入

アレ

クサ

ンド

ロス

がア

ルベ

ラに入っ

たの

は会

戦の翌日

、一

〇月

二日

のこ

と(

アリ

アノ

Page 27: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 161 -

三・一

五・五

)。

ダレ

イオ

スは休息

もと

らず

に逃走

し、彼

の捕獲

はな

らな

かっ

た。

三〇

〇〇

タラ

ント

ンに

及ぶ

クル

ティ

ウス

(五

・一

・一

〇)

は王

の宝物

を四

〇〇

〇タ

ラン

トン

とし

てい

る。

空気

が腐

敗す

るだ

ろう

と判

断し

ルテ

ィウ

ス(

五・一

・一

一)

は実際

に疫病

が発生

した

と述べ

てい

る。両

の記

述は

古代

にお

いて

、戦場

に放置さ

れた死体

から疫病

が蔓延

するこ

とに言及

した唯

一の例

。ただ

し死体

が放置

され

た場

所は

ガウ

ガメ

ラの

はず

で、こ

れを

アル

ベラ

に置き換え

たの

は明

らかな創

作で

ある

バビ

ロン

古代

メソ

ポタミ

アで

最大

にし

て最

も由緒

ある

伝統

と権威

を誇

る都市

。ユ

ーフ

ラテ

ス川

の両岸

にま

たがっ

て建

てら

れ、

バグ

ダッ

ドの南約

九〇

キロ

に位置

する

。そ

の建設

は前

二四

世紀末

のア

ッカ

ド王

サルゴ

ンにさ

かのぼ

るが

、重要な

地位

を獲得

した

のは

バビ

ロン

第一

王朝時代

で、

前一

八世

紀のハ

ンム

ラビ

王時代

に最初

の全盛

期を迎え

た。

都市

の描写

はク

ルテ

ィウ

ス五

・一

・二

四~

三五

、ス

トラボ

ン一

六・一

・五

(七

三八C

)。国土

の豊

かさ

と風習

につ

いて

はヘ

ロド

トス

一・一

九二

~一

九九

。新

バビ

ロニ

ア王国

のネ

ブガ

ドネザ

ル時代

のバ

ビロ

ンにつ

いて

は、

ベア

トリ

ス・ア

ンド

レ = サ

ルヴ

ィニ

『バ

ビロ

ン』(

文庫

クセジ

ュ)白水

社、

二〇

〇五

年に詳

しい

レク

サン

ドロ

スは

アル

ベラ

から

メン

ニス

(現

キル

クー

ク付近

)を

通過

して

、一

〇月

二〇日頃

バビ

ロン

へ到着

した

。総距離

は約

四六

〇キ

ロ。

その経路

はク

ルテ

ィウ

ス(

五・一

・一

六)

とス

トラボ

ン(

一六

・一

・四

、七

三七C

に言及

があ

る。

住民

たち

は・・・盛

大に

もて

なし

アレ

クサ

ンド

ロス

がバ

ビロ

ンに接近

する

と、総督

マザ

イオ

スと住民代表

ちが彼

を出迎え

、都市

と財貨

の引渡

しを申

し出

た(

アリ

アノ

ス三

・一

六・三

、ク

ルテ

ィウ

ス五

・一

・一

七~

一八

)。

入城

する

マケ

ドニ

ア軍

に対

する華や

かな歓迎

の様子

は、

クル

ティ

ウス

(五

・一

・一

九~

二三

)が詳

しく描

いて

いる

Page 28: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 162 -

さら

にク

ルテ

ィウ

ス(

五・一

・三

六~

三九

)は

、バ

ビロ

ンの悪習

がマケ

ドニ

ア人

を堕落さ

せたこ

とに

も言及

する

バビ

ロン

と外国

人征

服者

との関係

につ

いて

は、

森谷

『征

服と

神話

』一

六二

~一

六五頁

三〇

日以

上も

この

都市

に滞

在し

クル

ティ

ウス

(五

・一

・三

九)

では

三四日間

。こ

の間

の重要な施策

とし

て、

マル

ドゥ

ク神

への犠牲

の奉納

、マザ

イオ

スの

バビ

ロニ

ア総督任命

、マ

ルドゥ

ク神殿

の再建指

示が

ある

が(

アリ

ノス

三・一

六・四

~五

)、

ディ

オド

ロス

は言及

して

いな

い。

アガ

トン

の人物

につ

いて

はこ

れ以外不詳

。ク

ルテ

ィウ

ス(

五・一

・四

三)

は三

〇〇

の傭兵

を付

け加え

る。

前任

者は

ペル

シア

人バゴ

ファネ

スで

、城砦

と王室金

庫を担当

して

いた

(ク

ルテ

ィウ

ス五

・一

・二

〇)。

アポ

ロド

ロス

ィオ

ドロ

スは彼

がメネ

スと共

に「

バビ

ロニ

アお

よび

キリ

キア

まで

の諸属州

の将

strate-g

ou

s 」に任命さ

れた

と記

述し

、ク

ルテ

ィウ

ス(

五・一

・四

三)

も二

人が

「バ

ビロ

ニア

およ

びキ

リキ

ア地

方を

管轄

する将

軍 p

raeto

res 」

に任じ

られ

たと

述べ

る。

いず

れも

クレ

イタ

ルコ

スに由

来す

る不正確な

記述

で、

キリ

アに至

る諸

地域

の将

軍は

メネ

ス一

人で

ある

(後

述)。

アリ

アノ

ス(

三・一

六・四

)は

、ア

ポロ

ドロ

スの職務

を「

ザイ

オス

とと

もに残さ

れる部隊

の将

軍 strate

-go

n」

とす

る。

アレ

クサ

ンド

ロス

は総督

マザ

イオ

スか

ら軍事権ば

りか徴税権

も分離

し、

後者

をマケ

ドニ

ア人

アス

クレピ

オド

ロス

に与え

た(

アリ

アノ

ス前引箇

所)。

それゆえ

アポ

ロド

ロス

は属州

バビ

ロニ

アを管轄

する将

軍に任命さ

れて駐留

軍を指揮

し、彼

の下

にア

ガト

ンが

都市

バビ

ロン

の城

砦指揮官

とし

て配属さ

れた

と考え

られ

る。彼

は大

王の死去

までこ

の職務

に留

まっ

た(

プル

タル

コス

七三

・三

、ア

リア

ノス

七・一

八・一

)。

メネ

スを

・・・将軍

に任

命し

メネ

スは

ペラ

出身

でデ

ィオ

ニュ

ソス

の子

。前

三三

三年末

に、

キリ

キア総督

となっ

Page 29: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 163 -

たバ

ラク

ロス

の後任

とし

て側近護衛官

に任命さ

れた

(ア

リア

ノス

二・一

二・二

)。

ディ

オド

ロス

はク

ルテ

ィウ

(五

・一

・四

三)

と共

に、彼

の管轄

領域

にバ

ビロ

ニア

をも含め

る。

しか

し右

に述べ

たと

おり

、バ

ビロ

ニア総督

はマ

ザイ

オス

、バ

ビロ

ニア

の軍指揮官

はア

ポロ

ドロ

スで

ある

から

、こ

の記

述は

典拠

となっ

た前

三世

紀の

作家

クレ

イタ

ルコ

スに由

来す

る誤

りで

あろ

う。

アリ

アノ

ス(

三・一

六・九

)はこ

の任命

をバ

ビロ

ンで

はな

く数週間

後の

スー

サ滞

在時

に置き

、そ

の職務

を「

シリ

ア、

フェ

ニキ

アお

よび

キリ

キア

の総督

hy

parch

os 」

とし

てい

る。彼

の職務

につ

ては

二通

りの解

釈が

ある

。第

一は

、三つ

の総督

領に

また

がる

軍指揮官

で、

名目

上は総督

の下位

に位置

する

とい

もの

。第

二は

、三つ

の総督

領の

上に立つ

上級総督

とす

るも

の。

ただ

し彼

の職務

が臨時

のも

ので

あっ

たと見

る点

は一致

する

。議論

の詳細

は、

A.B

.Bo

swo

rth, ‘T

he

go

ve

rnm

en

t of S

yria u

nd

er A

lex

and

er th

e G

reat,’ C

Q 2

3, 1

97

3,

pp

.27

~4

3 ; A

tkin

son

, pp

.52

f.

当時

すで

にギ

リシ

ア本土

にお

ける

アギ

ス蜂起

の報

せが届

いて

おり

、他

方で

ダレ

イオ

ス追撃

とい

う最重要課題

残さ

れて

いた

。こ

れら

三つ

の総督

領は

東地

中海

に面

して良港

を備え

、遠

征軍

と本土

とを繋ぐ

中継

地に

あた

る。こ

うし

てア

レク

サン

ドロ

スは

、「動員業務や

軍需輸送面

で一元

的、効率

的に統括

する

、新

たな指揮系統

の創設

」(

牟田

訳註

一五

九七頁

)を決断

した

ので

ある

。実際

メネ

スは

、与え

られ

た資金

で傭兵部隊

を召集

するこ

と、資金

一部

をスパ

ルタ

との

戦争

のため代理統

治者

のア

ンテ

ィパ

トロ

スに送

るこ

とを命じ

られ

た(

クル

ティ

ウス

五・一

・四

三、

アリ

アノ

ス三

・一

六・一

〇。金額

は、

アリ

アノ

スで

は三

〇〇

〇タ

ラン

トン

、ク

ルテ

ィウ

スで

は一

〇〇

〇タ

ラン

ン)。

前三

三〇

年夏

には

、除隊

した

テッ

サリ

ア騎兵

およ

びギ

リシ

ア同盟

軍を無事

にギ

リシ

アへ送

り返

すよ

う指

され

た(

アリ

アノ

ス三

・一

九・六

)。さ

らにM

の刻印

のあ

る貨幣

を発行

したこ

とも知

られ

てい

るが

、こ

れは兵員

Page 30: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 164 -

徴募

と輸送

、兵站資材

の調達等

にも

使わ

れた

であろ

う。こ

のよ

うに

メネ

スの活動

が軍事面ば

かり

か財政面

にも及

ぶこ

とか

ら、彼

の役職

は単な

る将

軍で

はな

く、

三つ

の総督

領に

また

がる

上級総督

であっ

たと考え

られ

る。

バビ

ロニ

トイ

ブナ

ー版

は写

本F

に従っ

てバ

ビロ

ンと

する

。し

かしここ

で記

述さ

れて

いる

のは

マケ

ドニ

人指揮官

の管轄範囲

であ

るか

ら、

都市

バビ

ロン

ではな

く属州

バビ

ロニ

アでな

ければな

らな

い。

それゆえ写

本R

従っ

てバ

ビロ

ニア

と読む

ミト

レネ

スに

はア

ルメ

ニア

を与

えた

トレネ

スは

ペル

シア

人で

サル

ディ

スの城砦守備隊長

であっ

たが

、前

三三

四年

にア

レク

サン

ドロ

スに

都市

と城砦

を明

け渡

し、

その

後は

大王

に同行

して

いた

(本

巻二

一・七

、ア

リア

ス一

・一

七・三

~四

)。彼

のア

ルメ

ニア総督任命

は、

アリ

アノ

ス(

三・一

六・五

)と

クル

ティ

ウス

(五

・一

・四

四)

言及

する

。し

かし当時

のア

ルメ

ニア

はペ

ルシ

ア人

オロ

ンテ

スが総督

とし

て統

治し

てい

た。

オロ

ンテ

スの

家系

はダ

レイ

オス

一世時代

の七

名家

の一

人ヒ

ュダ

ルネ

スにさ

かのぼ

る。

前五

世紀末

には先代

のオ

ロン

テス

がア

ルタ

クセ

クセ

ス二

世の娘

ロド

グネ

と結婚

し、

アル

メニ

ア総督

を務め

てい

た(

クセ

ノフォ

ン『

アナ

バシ

ス』

二・四

・八

、三

四・一

三)。

しか

し彼

は前

三八

一年

に終結

した

キプ

ロス

戦争

が原因

で失脚

。そ

の後小

アジ

アのミ

ュシ

ア総督

とな

り、

前三

六〇

年代

の総督

たち

の大

反乱

に参加

した

もの

の大

王に寝返

り、

それ

から間

もな

く死去

した

。経

歴の詳細

は、

M.J.O

sbo

rne

, ‘Oro

nte

s,’ Historia

22

,19

73

.

の息子

オロ

ンテ

スは

、ダ

レイ

オス

三世

から

アル

メニ

ア総督

に任命さ

れ、

ガウ

ガメ

ラの

会戦

では

アル

メニ

ア人

部隊

を指揮

した

(ア

リア

ノス

三・八

・五

、ユ

ステ

ィヌ

ス一

〇・三

・四

)。

会戦

後は

アル

メニ

アに帰

り、総督

の地位

保持

して独立状態

にあっ

たと考え

られ

る。

実際こ

の地

方に

はア

レク

サン

ドロ

スの

遠征

はなさ

れず

、実効統

治も行

Page 31: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 165 -

なわ

れて

いな

い。

それゆえミ

トレネ

スの任命

は名

目上

のも

のに

すぎな

かっ

た。ミ

トレネ

スの

その

後の消息

が知

れな

いこ

とか

ら、彼

はア

ルメ

ニア獲得

のため

オロ

ンテ

スと

戦っ

て戦死

した

と推測さ

れて

いる

(H

eck

el,

p.1

68

. )。

こう

した

通説

に対

して

Bo

swo

rth,p

p.3

15

f. は、ミ

トレネ

スが

軍隊

を伴

わず

に派遣さ

れたこ

とか

ら、

オロ

ンテ

スは

レク

サン

ドロ

スに投降

して

アル

メニ

アを引き渡

し、

大王

の宮廷

に留め置

かれ

たと考え

る。

おア

レク

サン

ドロ

ス死

後の

前三

一七

年に

も、

アル

メニ

ア総督

のオ

ロン

テス

が見

出さ

れる

(デ

ィオ

ドロ

ス一

九・二

三・三

)。彼

は普

通、右

に述べ

たオ

ロン

テス

とは同

一人物

と見

られ

てい

るが

、D

ie Neu

e Pa

uly, B

d.9

,S.5

0は

彼を

後者

の甥

と見な

す。さ

らに

スト

ラボ

ン(

一一

・一

四・一

五、

五三

一C

)は

、前

三世

紀末

のア

ンテ

ィオ

コス

三世

(大

王)以

前にこ

の地

を統

治し

たオ

ロン

テス

に言及

して

いる

。こ

のよ

うに

、少な

くと

も前

五世

紀末

から

前三

世紀

末ま

で、

中断

はあ

りな

がら

もオ

ロン

テス

家が代々

アル

メニ

ア総督職

を継承

してき

たこ

とが伺え

る。

褒賞

とし

て・・・与

えた

の記

述は

クル

ティ

ウス

(五

・一

・四

五)

と一致

する

。ただ

しク

ルテ

ィウ

スに

おけ

る傭

兵へ

の「

二カ月分

」を

「三

カ月分

」と校訂

する案

もあ

る。

東征

軍兵士

への給与額自体

は不明だ

が、

アレ

クサ

ンド

ロス

が遠

征前

にア

テネ

と結んだ協定

には

、ア

テネ

人重装歩兵

への

一日

一ド

ラク

マの手当支給

が記さ

れて

いる

(IG

II

2 3

29)。

マケ

ドニ

ア人歩兵

の日当

もこ

れと同額だっ

たと

すれば

、一ム

ナは

一〇

〇ド

ラク

マだ

から

、二ム

の褒賞

は二

〇〇日分

に相当

する

。古

典期

ギリ

シア

では

、騎兵

の日当

は歩兵

の二倍

(トゥ

キュ

ディ

デス

五・四

七・

六)、

また

は四倍

(ク

セノ

フォ

ン『

ギリ

シア

史』

五・二

・二

一)

であっ

た。他

方で傭兵

につ

いて

は、

第三

次神聖

争中

にフォ

キス

が手当

を五割増

しに

して

おり

(デ

ィオ

ドロ

ス一

六・二

五・一

、三

〇・一

)、

また多数

のギ

リシ

ア兵

ペル

シア側

に雇

われ

てい

た状況

から

して

も、相場

は高騰

して

いた

であろ

う。

Page 32: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 166 -

マケ

ドニ

ア人

騎兵

マケ

ドニ

ア人

」の語句

は写

本にな

く、

トイ

ブナ

ー版

で付加さ

れた

。ク

ルテ

ィウ

ス(

引箇

所)

では

マケ

ドニ

ア人騎兵

と明

記さ

れて

いる

第六

五章

増援

部隊

れを引率

してき

たの

はア

ンド

ロメネ

スの子

アミ

ュン

タス

。前

三三

一年

の晩秋

、ガザ陥落

の後

アレ

クサ

ンド

ロス

は、彼

に新兵

の徴募

を命じ

て一

〇隻

の船

と共

に本国

へ派遣

した

(本

巻四

九・一

、ア

リア

ノス

三・

一一

・九

、ク

ルテ

ィウ

ス四

・六

・三

〇。

それ以

前の彼

の経

歴は

本巻

四五

・七

註参照

)。

ちょ

うど

スパ

ルタ

王ア

ギス

蜂起

に備え

て兵力

を集め

てい

た時

期で

、アミ

ュン

タス

の新兵徴募

はかな

り困難

であっ

たと思

われ

る。

本隊

との

流地点

を、

クル

ティ

ウス

(五

・一

・四

〇)

はバ

ビロ

ンに

、ア

リア

ノス

(三

・一

六・一

〇)

はス

ーサ

に置

く。

アリ

アノ

スに

は一つ

の主題

に関連

する

出来事

をま

とめ

て一箇

所で

記述

する傾向

があ

るの

で、

合流

はデ

ィオ

ドロ

スの

述べ

よう

にス

ーサ

への進

軍途

上で

あっ

たと見

るべき

か。

アリ

アノ

スと

ディ

オド

ロス

のいず

れを採

用す

るに

せよ

、増援

部隊

の到着

は前

三三

一年

一二月

のこ

と(

アレ

クサ

ンド

ロス

軍の移動

の日程

は後

述)。

本国

から

スー

サま

での

所要

時間

を三

~四

カ月

とす

れば

、部隊

がマケ

ドニ

アを

出発

した

のは

八月頃

であろ

う。

アギ

スは

まさ

にこ

の機

会を捉え

て蜂起

した

ので

あっ

た。

増援部隊

の内

訳につ

いて

は、

クル

ティ

ウス

(五

・一

・四

〇~

四一

)も

ディ

オド

ロス

とほぼ

一致

する

が、ぺ

ロポネ

ソス

から

は「

四〇

〇〇

の傭兵

と三

八〇

の騎兵

」と

して

いる

。デ

ィオ

ドロ

スが言及

するぺ

ロポネ

ソス

から

の騎兵

〇〇

〇は明

らか

に過

大で

あり

、ク

ルテ

ィウ

スが正

しい

と思

われ

る。総兵力

は、

ディ

オド

ロス

では

一万

五六

〇〇

Page 33: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 167 -

クル

ティ

ウス

では

一万

四九

八〇

トラ

レス

トラ

キア

人の

一部族だ

が、

イリ

ュリ

ア起源

とも

伝え

られ

る。

クル

ティ

ウス

(前引箇

所)

では

ラキ

ア人

護衛

王の近習

paid

es b

asiliko

iのこ

と。

フィ

リッ

ポス

二世

が創設

した

制度

で、十代

後半

の貴族

の子弟

が三

年間

王に奉仕

し、

身の

回り

の世

話を

した

(ア

リア

ノス

四・一

三・一

)。彼

らは

成人

して

から

エリ

ート

とし

て要職

登用さ

れた

ので

、こ

の制度

は「偉

大な総督や将

軍た

ちの苗床

、学校

であっ

た」(

クル

ティ

ウス

五・一

・四

二)。

シッ

タケ

ネ行

政区

ィグ

リス

川下流

東岸

の平原

地帯

で、

東は

スシ

アナ

、北

はメ

ディ

アに接

する

。ガ

ウガ

ラの

会戦

でシ

ッタケネ

人は

バビ

ロニ

ア人

と共

に部隊

を編

成し

、ブパ

レス

の指揮

下に

あっ

た(

アリ

アノ

ス三

・八

五)。

それゆえ

シッ

タケネ

は独立

の属州

ではな

く、

バビ

ロニ

ア属州

内の行政単位

であっ

たと考え

られ

る。行政区

と訳

した原語

はsatrap

eiaでな

くe

parch

ia 。

あら

ゆる

物資

が非

常に

豊富

だっ

た 特

に米

・胡麻

・棗椰子

なつ

めや

が豊

かで

あっ

たと

いう

(デ

ィオ

ドロ

ス一

九・一

三・

六)。

クル

ティ

ウス

(五

・二

・一

)も

「肥沃な土

地で

、あ

らゆ

る物資

と食料

であふ

れて

いた

」と

述べ

てい

る。

かな

りの

日数

滞在

した

ビロ

ンか

らス

ーサ

まで

は直線距離

で約

三六

五キ

ロ(

Bo

swo

rth,p

.31

6)。行

軍の

要日数

をア

リア

ノス

(三

・一

六・七

)は

二〇日

と伝え

る。

その間

に増援部隊

の到着

と次節

に述べ

られ

る軍

の再

編成

があっ

た。こ

れに要

した日数

を、

大牟

田訳

註一

五九

二~

一五

九三頁

は五日

と見積

もる

部隊

の編

成を

点検

ディ

オド

ロス

の曖昧な言葉遣

いと

は対照

的に

、ク

ルテ

ィウ

ス(

五・二

・二

~六

)と

アリ

アノ

ス(

三・一

六・一

一)

が部隊

の再

編成

を具体

的に

記述

して

いる

。ク

ルテ

ィウ

スに

よる

と、新

しく千

人の部隊

Page 34: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 168 -

組織

して千

人隊長

を新設

し、

八人

(写

本で

は九

人)

をこ

の地位

に任命

した

。こ

れに

よれば彼

らが指揮

する兵士

総数

は八

〇〇

〇とな

る。

しか

し密集歩兵部隊

は一隊

が一

五〇

〇人

で計

六隊

九〇

〇〇

人、近衛歩兵部隊

は一隊

一〇

〇〇

人で計

三隊

三〇

〇〇

人な

ので

、数字

が合

わな

い。

しか

もク

ルテ

ィウ

スが

列挙

する

八人

の指揮官

は詳細不

明な

者ば

かり

で、近衛歩兵

の千

人隊

を指揮

した事

実は見

出さ

れな

い。

そこ

で通説

は千

人隊長

を五百

人隊長

の誤

と見な

し、増援部隊

の到着

に伴っ

て近衛歩兵部隊

が四

〇〇

〇人

に増員さ

れ、

四大隊

が各々

二つ

の五百

人隊

に区分

され

て、

八人

の五百

人隊長

が任命さ

れた

と考え

る(

Bo

swo

rth,

p.1

49

. など

)。こ

れに対

して

は、密集歩兵部隊

から

特別任務

のため

に八

〇〇

〇が

選抜さ

れた

とす

る説

(H

amm

on

d)、増援部隊

を編入

して

七番

目の密集歩兵部隊

が追

加さ

れた

とす

る説

(M

ilns )、密集歩兵部隊

の各隊

が一

五〇

〇か

ら二

〇〇

〇に増員さ

れ、各

大隊

が二つ

の千

人隊

区分さ

れて計

一二

人の千

人隊長

が任命さ

れた

とす

る説

(A

tkin

son)など

が提

出さ

れて

いる

。学説状況

Atk

inso

n,p

p.5

7~

59

.

方で騎兵

につ

いて

は中隊

(lo

cho

s )の区分

を新設

し、各騎兵部隊

を二箇

中隊

で編

成し

た。さ

らに従

来の

出身

部族ご

との

編成

を取

り払

い、各指揮官

はア

レク

サン

ドロ

ス自

身が

選抜

して任命

するこ

とに

した

(ア

リア

ノス

前引

箇所

、ク

ルテ

ィウ

ス五

・二

・六

)。

のよ

うな

軍制

再編

の目

的と

して

は、

大牟

田氏

の次

の説明

が適切

であ

る。「

ガウ

ガメ

ラの

会戦

後も

はや

大軍同

士の衝

突、「

会戦

」の生起

する可能性

が少な

くなっ

たこ

とか

らむ

しろ

、今

後に予想さ

れる山

地戦や攻城

戦に

そな

え、歩騎両集団

とも随時

、有効敏速

に分割

、あ

るい

は組

み合

わせ運

用が

でき

るよ

う、既

成の

戦闘単位や指揮系統

を見な

おすこ

とに

あっ

たの

であろ

う」(

大牟

田訳

註一

六〇

一頁

)。

Page 35: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 169 -

細心

の注

意を

払っ

て評

定し

ルテ

ィウ

ス(

五・二

・二

~五

)は

、ア

レク

サン

ドロ

スが兵士

たち

を競

争さ

せ、

審判

人の判定

にも

とづ

いて

八人

を昇進さ

せた

と述べ

る。

ただ

し具体

的な判定基準や

実施

方法

は不明

スー

イラ

ン南西部

フーゼ

スタ

ーン

地方

、エ

ウラ

イオ

ス河畔

にあ

る古代

都市

(現

シュ

ーシ

ュ)。

前三千

紀半ば以降

エラム

王国

の都

とな

り、

最盛

期は

中エ

ラム時代

(前

一六

〇〇

~一

一〇

〇年頃

)。

前六

四〇

年代

にア

シリ

ア王

アッ

シュ

ルバ

ニパ

ルに

よっ

て占

領・破壊さ

れた

が、

ダレ

イオ

ス一

世が

再建

し、

アケ

メネ

ス朝

ペル

シア

行政

の中心

地となっ

た。

スト

ラボ

ン(

一五

・三

・二

~三

、七

二七

~八C

)に

よる

と、市

の周囲

は二

〇〇

スタ

ディ

ン(

三六

キロ

)あ

り、

宮殿

はと

りわ

け美

しく飾

られ

、宝蔵

も作

られ

た。周辺

の土

地は肥沃

で、夏

には

炎暑

に襲

れた

が(同

一五

・三

・一

〇~

一一

、七

三一C

)、

ペル

シア

王た

ちは

その土

地の美

しさ

と快適さ

を称え

、冬

の宮殿

して

用い

た(

アテ

ナイ

オス

一二

、五

一三f

)。発掘

は一

八五

四年

から近

年ま

で、

フラ

ンス

の調査隊

によっ

て行な

われ

た。遺跡

の総面積

は約

一二

〇ヘ

クタ

ール

、周囲

の平原

から

は一

五~

二〇

メー

トル

の高さ

があ

り、

アク

ロポ

ス、

アパ

ダー

ナ、

王都

、技

術者

の町

と名

付け

られ

た四つ

の丘

からな

る。

接収

した

レク

サン

ドロ

スは

ガウ

ガメ

ラの

会戦直

後に側近

のフ

ィロ

クセ

ノス

をス

ーサ

へ派遣

して

おり

、ス

シア

ナ総督

アブ

レテ

スはこ

のフ

ィロ

クセ

ノス

に都市

と財貨

を譲渡

した

(ア

リア

ノス

三・一

六・六

)。

ペル

シア側

最初

に王

を迎え

たの

は総督

の息子

オク

サト

レス

で、彼

がス

ーサ

まで道案

内し

た(

アリ

アノ

ス前引箇

所、

クル

ティ

ウス

五・二

・八

)。

オク

サト

レス

はガ

ウガ

メラ

でウ

クシ

オイ

人と

スシ

アナ

人を指揮

し(

アリ

アノ

ス三

・八

・五

)、翌

には

大王

からパ

ライ

タケネ総督

に任命さ

れた

(同

三・一

九・二

)。

Atk

inso

n,p

.63

は、

オク

サト

レス

がガ

ウガ

メラ

捕虜

とな

り、

フィ

ロク

セノ

スは彼

を伴っ

てス

ーサ

へ赴

いた

と推測

する

Page 36: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 170 -

総督

のア

ブレ

テス

の名

前は

三通

りに

伝え

られ

てい

る。

ビュ

デ版

とロ

エブ

版は写

本F

に従

いア

ブレ

テス

(プ

ルタ

ルコ

ス六

八・七

も同じ

)、

トイ

ブナ

ー版

は写

本R

に従

いア

ブレ

ウテ

ス(

Atk

inso

n, p

.63は

、こ

れを

bo

ule

ute

s

に影響さ

れた誤

記と見

る)、

クル

ティ

ウス

(前引箇

所)

とア

リア

ノス

(三

・一

六・九

)で

はア

ブリ

テス

。ここ

では

Fに従

う。

ブレ

テス自

身が豪華な贈物

を携え

て、

コア

スペ

ス河畔

で大

王を迎え

た。

その

中に

は快足

の駱駝

と一

二頭

の象

が含

まれ

てい

た(

クル

ティ

ウス

五・二

・一

〇)。彼

はア

レク

サン

ドロ

スか

ら総督

の地位

を安堵さ

れ(同

五・二

・一

七)、

後に

は山

地ウ

クシ

オイ

人の支配

も委ね

られ

た(同

五・三

・一

六)。

しか

しア

レク

サン

ドロ

スが

イン

ドか

ら帰還

した

前三

二五

年、彼

はス

ーサ

での違法統

治の責任

を問

われ

た上

、ゲ

ドロ

シア砂漠横断

中の

マケ

ドニ

ア軍

に適切な援助

をしな

かっ

たと

の理由

で、息子

と共

に処

刑さ

れた

(ア

リア

ノス

七・四

・一

、プ

ルタ

ルコ

ス六

八・七

)。

すす

んで

彼に

都市

を譲

渡し

た 総督

アブ

レテ

スに抵

抗の余

地はな

かっ

た。

その理由

はA

tkin

son

,pp

.63

f. によ

れば

次の

三点

であ

る。

第一

にス

ーサ

には城壁

がな

かっ

た(

スト

ラボ

ン一

五・三

・二

、七

二八C

)。

第二

に住民

は他

民族

で、

一丸

となっ

ての

抗戦

は不可能だっ

た。

第三

に、息子

オク

サト

レス

が捕虜

となっ

てい

た。

ダレ

イオ

スが

・・・部下

たち

に命

じた

ルテ

ィウ

ス(

五・一

・四

~六

)は

、ガ

ウガ

メラ

の会

戦直

後に

ダレ

イオ

がア

ルベ

ラで部

下た

ちに行なっ

た演説

を記

録し

てお

り、

その趣旨

はデ

ィオ

ドロ

スがここ

に記

した

内容

と一致

する

ダレ

イオ

スの意図自体

は当時

の状況

に適

合す

るが

、典

拠は不明

。ま

たア

ブレ

テス

によ

るス

ーサ開城

がダ

レイ

オス

の命令

に従っ

たも

ので

ある

とは考え難

い。

Page 37: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 171 -

第六

六章

四万

タラ

ント

ンを

越え

る・・・金

と銀

リア

ノス

(三

・一

六・七

)で

は五万

タラ

ント

ンの銀

に相当

する財貨

、ク

ルテ

ィウ

ス(

五・二

・一

一)

では鋳造

して

いな

い五万

タラ

ント

ンの銀

、プ

ルタ

ルコ

ス(

三六

・一

)と

ユス

ティ

ヌス

(一

一・一

四・九

)で

は四万

タラ

ント

ンの鋳造貨幣

ダレ

イコ

スの

・・・金貨

レイ

コス金貨

に言及

する

のは

ディ

オド

ロス

のみ

。ダ

レイ

オス

一世

が最初

に鋳造

した

最も標準

的な

ペル

シア金貨

で、裏面

には弓

を射

る王

の像

が彫

られ

てい

た。

玉座

につ

いた

ルタ

ルコ

ス(

三七

・七

)は

、ア

レク

サン

ドロ

スが初め

て玉座

につ

いた

のは

ペル

セポ

リス

ある

とす

る。

公式

の即位式

は記

録さ

れて

おらず

、こ

の場面

も衝動

的な振舞

いに

すぎな

い。以

下の場面

はク

ルテ

ウス

(五

・二

・一

三~

一五

)に

も見

られ

、明

らか

に両

者が

典拠

とし

た前

三世

紀の

作家

クレ

イタ

ルコ

スに由

来す

る。

体の

寸法

より

大き

かっ

アレ

クサ

ンド

ロス

の体格

が決

して

大き

くな

かっ

たこ

とは

、ヘ

ファ

イス

ティ

オン

りも背丈

が低

かっ

たと

の記

録(

アリ

アノ

ス二

・一

二・六

、ク

ルテ

ィウ

ス三

・一

二・一

六)や

、ア

マゾ

ン族

の女

王が彼

に会っ

た時

の印象

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・五

・二

九)

から

も伺え

る。

しか

し、なぜ

ペル

シア

王の玉座

がそ

れほど高

かっ

たの

かは説明

できな

い。

足台

ルセ

ポリ

スの宝蔵

で発見さ

れた

レリ

ーフ

では

、玉座

につ

いた

ダレ

イオ

スは足台

に両足

を載

せて

いる

歴史

家デ

イノ

ンに

よれば

、「

王が馬車

から降

りる

とき

、地面

まで

の高さ

はさほど

ではな

いが

、王

は決

して飛

び降

りた

り、

人に手

を貸

して

もらっ

たり

はせず

、必ず金

の踏

み台

を置

かせ

、こ

れを踏ん

で降

りる

。そ

のため

に、

王の

踏み台運

びの

者が随行

した

」( ア

テナ

イオ

ス一

二、

五一

四a

、柳沼重剛

訳) 。

また

クマ

イのヘ

ラク

レイ

デス

『ペ

Page 38: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 172 -

シア

史』

では

、「

宮廷

の中

では

王は歩

いた

が、

王の行

く所どこ

にで

もサ

ルデ

ィス絨毯

が敷

いて

あり

、王

のほ

かは

だれ

も、

その絨毯

の上

を歩

かな

かっ

た。

宮廷

の端

まで

来る

と、

王は車

、時

には馬

に乗っ

た。

宮廷

の外

では

、王

歩い

てい

るの

を見

た者

はな

かっ

た」(同

五一

四c

)。

ペル

シア

王が決

して足

を地面

に触

れな

かっ

たの

は、

あた

かも

レリ

ーフ

にお

いて

アフ

ラマズ

ダが空

中に漂っ

て描

かれ

るの

と同じ

であ

る。

それ

は宗教

的な儀式

とい

うよ

り、

神に

よっ

て特別な力

を付与さ

れた

王に対

する敬意

のゆえ

であっ

た。

cf. S.K

.Ed

dy, T

he K

ing is D

ead

; Stu

dies in

the N

ear

Ea

stern R

esistan

ce to Hellen

ism, L

inco

ln,1

96

1,p

.44

.

第六

七章

ダレ

イオ

スの

母と

娘た

ちと

息子

いず

れも

イッ

ソス

会戦

後に捕虜

とな

り、

遠征

軍に同行さ

せら

れて

いた

。母

はシ

シュ

ガン

ビス

、娘

はス

タテ

イラ

とド

リュ

ペテ

ィス

、息子

はオ

コス

(本

巻三

六・二

、三

七・

三~

三八

・二

およ

び訳

註参照

)。娘

たち

にギ

リシ

ア語

を学ば

せた

のは

、将

来の結婚

を見越

して

のこ

とか

もし

れな

い。

軍と

共に

進発

ディ

オド

ロス

はス

ーサ

の残留部隊

にまっ

たく言及

して

いな

い。

アレ

クサ

ンド

ロス

はア

ブレ

テス

を総督

に任命

したほ

か、

テオ

ドロ

スの子

アルケ

ラオ

スを

スー

サの

軍指揮官

とし

て三

〇〇

〇の部隊

を付

け、城

砦の指揮官

には

クセ

ノフ

ィロ

スを任命

して

一〇

〇〇

のマケ

ドニ

ア人

古参兵

を与え

、宝物

庫の管理

はカ

リク

ラテ

に委ね

た(

クル

ティ

ウス

五・二

・一

六~

一七

)。

アリ

アノ

ス(

三・一

六・九

)は城砦

の指揮官

をマザ

ロス

とす

るが

これ

はイ

ラン系

の名

前で

あり

、前任

者と取

り違え

たの

であろ

う(

Bo

swo

rth,p

.31

9)。な

おク

セノ

フィ

ロス

は後継

者戦

争期

まで

その

地位

を保持

し、

前三

一七

/六

年に

はス

ーサ

の城砦指揮官

およ

び財貨監督官

を務め

てい

る(

ディ

Page 39: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 173 -

オド

ロス

一九

・一

七・三

、一

八・一

、四

八・六

)。

He

cke

l,p.2

72

は、

スー

サを接

収し

たフ

ィロ

クセ

ノス

(本

巻六

五・五

訳註参照

)と同

一人物

であ

る可能性

が強

いと

する

[パシ

]ティ

グリ

ス川

カー

ルー

ン川

。テ

ィグ

リス

川の

下流域

がパ

シテ

ィグ

リス

川と呼ば

れる場

合も

ある

付近

には

エウ

ライ

オス

川、

コア

スペ

ス川

、コ

プラ

タス

川など

も流

れ(

スト

ラボ

ン一

五・三

・四

、七

二八

~九C

)、

現在

の河

川と

の比定

には多

くの議論

があ

る。

マケ

ドニ

ア軍

の渡河点

につ

いて

は、南

方の現

アフワ

ーズ

付近

とす

説と

、よ

り北

方の現

シュ

ーシ

ュタ

ル付近

とす

る説

の二つ

が有力

であ

る。

アフワ

ーズ説

は、

スー

サ進発

後四日

目に

川に着

いた

とい

うデ

ィオ

ドロ

ス本節

の記

述に適

合す

るが

、ペ

ルセ

ポリ

スへ向

かう道筋

から

は西

に大き

く逸

れる

シュ

ーシ

ュタ

ル説

は、渡河

した

後の

ウク

シオ

イ人

地域

への侵攻

に合致

する

が、

スー

サと

シュ

ーシ

ュタ

ルの間

は直

線距離

で六

〇キ

ロし

かな

く、

四日

目の渡河

との整

合性

に問題

が残

る。

シュ

ーシ

ュタ

ル説

を採

る S

pe

ck.p

p.2

0~

22

は、

スー

サとパ

シテ

ィグ

リス

川の間

を流

れる

コプ

ラタ

ス川

が現

デズ

川で

ある

とし

、全

軍が

デズ

川を渡

るの

に丸

日を要

した

と考え

てこ

の難点

を解決

する

ウク

シオ

イ人

シア

ナ州

内のザ

グロ

ス山脈

一帯

、ペ

ルシ

ス地

方に隣接

する

地域

に住ん

でい

た民族

。ア

リア

ノス

(三

・一

七・一

)は平

地ウ

クシ

オイ

人と山

地ウ

クシ

オイ

人を区別

して

いる

。平

地ウ

クシ

オイ

人は

スシ

アナ州総

督に

服属

し、

ガウ

ガメ

ラの

会戦

にも参加

(同

三・八

・五

)、

アレ

クサ

ンド

ロス

に対

して自発

的に降伏

した

(同

三・一

七・一

)。

本節

に記

述さ

れる沃野

は、平

地ウ

クシ

オイ

人の居住

地域

を指

す。他

方山

地ウ

クシ

オイ

人は山賊

を生業

し、

ペル

シア

大王

の移動

の際

には

通行税

を取っ

てい

た(

スト

ラボ

ン一

五・三

・四

、七

二八C

)。彼

らは

アレ

クサ

ドロ

スに対

して

も通行税

を要求

し、

その

ため

に両

者の

戦闘

が起き

た。彼

らの居住区域

につ

いて

は、

戦闘

地域

の同

Page 40: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 174 -

定と

もか

らん

で諸説

ある

商人

たち

は・・・バ

ビロ

ニア

へ下

って

くる

シテ

ィグ

リス

川を

船で航行

でき

るの

は現

アフワ

ーズ

まで

。バ

ロニ

アへ達

する

にはパ

シテ

ィグ

リス

川を

下っ

た後

、ユ

ーフ

ラテ

ス川

を遡行

しな

ければな

らな

い。

ディ

オド

ロス

両河

川の関係

につ

いて

の説明

を、誤っ

た箇

所に置

いた

と考え

られ

る(

Go

uk

ow

sky,p

p.2

18

f. )。

マデ

テス

ルテ

ィウ

ス(

五・三

・四

)で

はメ

ダテ

スで

、こ

の地域

の p

raefe

ctus と呼ば

れて

いる

。こ

れを総督

とと

るか

、総督

の下位

にあ

る行政長官

と見

るか

、解

釈は分

かれ

る。彼

はダ

レイ

オス

の母

シシ

ュガ

ンビ

スの妹

の娘

婿で

、ダ

レイ

オス

とは姻戚関係

にあっ

た(

クル

ティ

ウス

五・三

・一

二)。

隘路

を守

って

いる

の戦闘

につ

いて

は、

アリ

アノ

ス(

三・一

七・二

~六

)と

、デ

ィオ

ドロ

スお

よび

クル

ティ

ウス

(五

・三

・四

~一

五)

で大き

く異な

る。

クル

ティ

ウス

では

、メ

ダテ

ス自

身が

ウク

シオ

イ人

を指揮

して隘路

を守

った

が、

アレ

クサ

ンド

ロス

は彼

らの町

を正面

から攻撃

する

一方

、地元民

の案

内で別動隊

を町

の上

方に派遣

し、彼

らを完全

に包囲

した

。ウ

クシ

オイ

人は

シシ

ュガ

ンビ

スに嘆願

し、彼

女の執

り成

しで税

の免

除と自由

を得

た。他

アリ

アノ

スで

はメ

ダテ

スは現

れず

、ウ

クシ

オイ

人集落

の略

奪に続

いて隘路

への攻撃

が行な

われ

、こ

のあ

とシ

シュ

ガン

ビス

が嘆願

した

もの

の、毎

年大量

の家畜

を貢納

するこ

とを命じ

られ

た。

通説

はこ

の隘路

を現

ヌー

ラバ

ード近郊

のコ

タリ

・サ

ンガ

ルに比定

する

。し

かしこ

の地点

から

スー

サま

では

四五

〇キ

ロも

あり

、と

ても短時間

でシ

シュ

ガン

ビス

と連絡

が取

れる距離

ではな

い。

一方

Sp

eck

,p.1

57

はこ

の隘路

を、

シュ

ーシ

ュタ

ルと

マスジェ

ド・ソ

レイ

マン

の間

のザ

グロ

ス山脈入口

であ

ると指摘

した

。筆

者は

二〇

一一

年九月

行なっ

た現

地調査

で、こ

の隘路

を確認

するこ

とが

でき

た。現在

の道路

もこ

の隘路

を通っ

てお

り、平

地か

ら上っ

Page 41: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 175 -

くる

軍隊

を阻止

する

には絶好

の地形

であ

る。ここ

から

スー

サま

では直線距離

で約

八〇

キロな

ので

、ウ

クシ

オイ

がス

ーサ

に居

るシ

シュ

ガン

ビス

と連絡

を取

り合

うこ

とは十分可能

であ

る。

十分

な数

の兵

士を

この

者に

つけ

クル

ティ

ウス

(五

・三

・六

)に

よれば

、部隊

は一

五〇

〇の傭兵

と約

一〇

〇の

アグ

リアネ

ス人

で、指揮官

はタ

ウロ

ン。

タウ

ロン

はマ

カタ

スの子

でハ

ルパ

ロス

の兄弟

、上部

マケ

ドニ

ア地

の旧

エリ

メイ

ア王国

の王族

出身

であ

る。

すべ

ての

都市

を獲

得し

アレ

クサ

ンド

ロス

は山

地ウ

クシ

オイ

人を

スシ

アナ州総督

の支配

下に置

いた

(ク

ティ

ウス

五・三

・一

六)。隘路

から先

は現在

の道路

で約

一〇

キロ

に亘っ

て険

しい

谷が続き

、こ

れを抜

ける

と平坦な

高原

に出

る。

ウク

シオ

イ人

の居住

地は

、現在

のマ

スジェ

ド・ソ

レイ

マン

から南

方に広

がっ

てい

たと考え

られ

る。

第六

八章

ペル

シス

地方

へ進

ペル

シス

はザ

グロ

ス山脈

の南

東部

で、

ペル

シア

王国発祥

の地

。現在

のイ

ラン

・イ

スラ

ーム共和国

ファ

ール

ス州

。古代

ギリ

シア語

ではパ

ール

サと呼ば

れ、

ペル

シス

は首

都ペ

ルセ

ポリ

スを

も意味

した

アレ

クサ

ンド

ロス

は軍勢

を二手

に分

け、パ

ルメ

ニオ

ンに輸送部隊

を委ね

て「

王の道

」を

通っ

てペ

ルセ

ポリ

スに向

かわ

せる

一方

、彼自

身は山間

の隘路

へ進んだ

(ア

リア

ノス

三・一

八・一

~二

、ク

ルテ

ィウ

ス五

・三

・一

六)。

後継

戦争

史の

記述

にお

いて

ディ

オド

ロス

(一

九・二

一・二

)は

、パ

シテ

ィグ

リス

川か

らペ

ルセ

ポリ

スま

での道程

を二

日と

して

いる

スシ

ア門

通説

では

、ペ

ルシ

ア人

はこ

の隘路

を「

スシ

ア門

」と呼

び、

スシ

アナ

人は

「ペ

ルシ

ア門

」と呼んだ

Page 42: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 176 -

これ

に対

して

Sp

eck

,p.4

9は

、ス

シア

ナ州

とペ

ルシ

ス州

の境

界は

一本

の線

ではな

く面

であ

り、境

界領域

の両端

スシ

ア門

とペ

ルシ

ア門

がそ

れぞ

れに存在

した

と主張

する

。よっ

てア

リオ

バルザネ

スが防衛

した

のは

スシ

ア門

では

なく

、ペ

ルシ

ア門

とな

る。

ペル

シア

門の位置

につ

いて

は、

通説

が現

ヌー

ラバ

ード近郊

を流

れる

ファ

ーリ

アン

川に

沿っ

たモハ

ンマ

ド・レザ渓

谷に比定

する

のに対

し、

Sp

eck

,pp

.16

1ff. は

、現ヤ

スジ郊外

のメ

ーリ

アン渓

谷にこ

れを発

見し

た。筆

者が行なっ

た現

地調査

によ

り、

Sp

eck説

が正

しいこ

とを確認

した

。詳細

は別

稿に譲

る。

アリ

オバ

ルザ

ネス

ルシ

ス州

の総督

で、

ガウ

ガメ

ラの

会戦

では

ペル

シア

人と

マル

ドイ

人の部隊

を指揮

した

(ク

ルテ

ィウ

ス四

・一

二・七

)。

クル

ティ

ウス

(五

・四

・三

三~

三四

) によ

ると

、彼

はペ

ルシ

ア門

での混

戦か

ら逃

れて

ペル

セポ

リス

へ戻っ

たが

、守備隊

によっ

て締め

出さ

れ、追撃

してき

たマケ

ドニ

ア軍

との

戦闘

で戦死

した

。こ

れに

対し

てア

リア

ノス

によ

れば

、彼

は少数

の騎兵

と共

に逃

れ(

三・一

八・九

)、

ダレ

イオ

ス三

世の死

後に

名門貴族

で父

親の

アル

タバ

ゾス

と共

に大

王に投降

した

(三

・二

三・七

)。

ペル

シス総督

とア

ルタ

バゾ

スの息子

を同

一視

する

学者

は、彼

がペ

ルセ

ポリ

スを脱

出し

てエ

クバ

タナ

の宮廷

にたど

りつき

、そ

の後父親

と共

にダ

レイ

オス

三世

に付き従っ

たと

する

。諸

家の解

釈も

二つ

に分

かれ

るが

、ここ

では

クル

ティ

ウス

を採

用し

、彼

はペ

ルセ

ポリ

ス付近

で戦死

した

と考え

たい

二万

五〇

〇〇

の歩

兵と

三〇

〇の

騎兵

リア

ノス

(三

・一

八・二

)で

は歩兵

四万

と騎兵

七〇

〇、

クル

ティ

ウス

(五

・三

・一

七)

では歩兵

二万

五〇

〇〇

突如

とし

て攻

撃を

開始

した

の場面

はク

ルテ

ィウ

ス(

五・三

・一

八~

二三

)とほぼ

一致

する

。マケ

ドニ

ア軍

は隘路

に侵入

した

ところ

を高

みか

らの攻撃

を受

け、退却

して陣

地を築

いた

。ア

リア

ノス

(三

・一

八・三

)で

は、

Page 43: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 177 -

ルシ

ア側

が隘路

を防壁

で塞

いで

いる

のを見

てア

レク

サン

ドロ

スは

一旦陣

地を築き

、翌日

に攻撃

をし

かけ

たが

、損

害を受

けて陣

地に退却

した

。実

地調査

の結果

、岩落

とし

の崖

をメ

ーリ

アン渓

谷に見

出すこ

とが

でき

た。

そこ

では

軍が進入

でき

るの

は水

の流

れる狭

い谷

底し

かな

く、両側

の崖

から

岩を落

とさ

れる

と完全

に立

ち往生

して

しま

う。

これ

に対

してモハ

ンマ

ド・レザ渓

谷で

は、

一方

の山

の傾斜

が緩や

かで

、兵士

は岩

を避

けて容易

に迂

回す

るこ

とが

でき

る。

三〇

〇ス

タデ

ィオ

ン退

却し

て こ

の数字

は写

本R

によ

る。写

本F

では

四〇

〇ス

タデ

ィオ

ン。

それ

ぞれ

五四

ロメ

ート

ルと

七二

キロ

メー

トル

で、山岳

地帯

の戦闘

では

あり得な

い距離

であ

る。

クル

ティ

ウス

(五

・三

・二

三)

ポリ

ュア

イノ

ス(

四・三

・二

七)

では

三〇

スタ

ディ

オン

(五

、四

キロ

メー

トル

)で

、こ

ちら

の数字

が合理

的。

バイ

リン

ガル

の男

ルテ

ィウ

ス(

五・四

・四

)は彼

がギ

リシ

ア語

とペ

ルシ

ア語

を解

した

とす

る。

プル

タル

ス(

三七

・一

)に

よる

と、彼

の父

はリ

ュキ

ア人

で母

はペ

ルシ

ア人

。よっ

て正確

には

リュ

キア語

、ギ

リシ

ア語

、ペ

ルシ

ア語

の三

カ国語

を話

した

。な

おペ

ルシ

スに

おけ

る案

内人

の出現

を、

デル

フォ

イの

神託

が予言

して

いた

との

承が

あっ

た。詳

しく

は森

谷『

王宮

炎上

』一

八八

~一

九一頁

戦死

者を

埋葬

せず

に放

置す

るの

は不

名誉

マケ

ドニ

ア人

たち

にと

り、

戦争

にお

いて味

方の兵士

たち

を埋葬

するこ

とは

最も

神聖な義務

であっ

た」(

クル

ティ

ウス

五・四

・三

、谷

・上

村訳

多大

な褒

ペル

セポ

リス

の宮殿

放火

の翌日

、大

王は彼

に三

〇タ

ラン

トン

を与え

た(

クル

ティ

ウス

五・七

・一

二)。他

の史料

には言及

がな

く、時

期も金額

も疑

わし

い。

夜間

に山

を踏

破し

た 踏

破に要

した時間

はア

リア

ノス

(三

・一

八・五

~六

)で

は一晩

、ク

ルテ

ィウ

ス(

五・四

Page 44: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 178 -

一七

~二

七)

では

二晩

。ク

ルテ

ィウ

スは

王が兵士

に三日分

の食料

を持

たせ

たこ

とを

付け加え

てい

る(

五・四

・一

七)。

アリ

アノ

スの

記述

には

大王

の急速

前進

を強調

する意図

が明

らか

で、

クル

ティ

ウス

を採

用すべき

であ

る。

おデ

ィオ

ドロ

スは

、マケ

ドニ

ア軍陣

地の残留部隊

と、行

軍の途

中で分

かれ

た別動隊

を省

略し

てい

る。

アレ

サン

ドロ

スは陣

地に

クラ

テロ

スと

メレ

アグ

ロス

の歩兵部隊

、さ

らに若干

の弓兵

と騎兵

を残

した

(ア

リア

ノス

三・

一八

・四

、ク

ルテ

ィウ

ス五

・四

・一

四)。

次い

で行

軍途

中の尾根

で、

フィ

ロー

タス

とコ

イノ

スの軽装部隊

、アミ

ュン

タス

とポ

リュ

ペル

コン

の歩兵

・騎兵混

成部隊

に別

の道

をとっ

て進む

よう命じ

た(

クル

ティ

ウス

五・四

・二

〇)。

第三

列を

敗走

させ

リア

ノス

(ア

リア

ノス

三・一

八・六

~七

)で

も、

ペル

シア

軍の

最前線

には

三つ

の警備隊

が配置さ

れて

いた

。メ

ーリ

アン渓

谷に

は、

ペル

シア

軍の

本陣

があっ

たと思

われ

る平坦な

地形

が山

の中腹

に広

がっ

てい

る。

関門

を制

圧し

アレ

クサ

ンド

ロス

の本隊

がペ

ルシ

ア軍陣

地を攻撃

する

と同時

に、

ラッパ

の合図

を受

けた

ケド

ニア

軍残留部隊

が陣

地か

ら出撃

、さ

らに

フィ

ロー

タス

らの別動隊

が隘路

の反対側

から攻撃

を加え

た(

アリ

ノス

三・一

八・七

~八

、ク

ルテ

ィウ

ス五

・四

・二

八~

三二

)。

第六

九章

ティ

リダ

テス

から

の手

クル

ティ

ウス

(五

・五

・二

)は

ティ

リダ

テス

を「

王室財産管理官

custo

s p

ecu

niae

reg

iae」

と呼ん

でい

る。彼

はア

リオ

バルザネ

スと

その残党

がペ

ルセ

ポリ

スへ侵入

するこ

とを防

いだ

上(同

五・四

三四

)、

ペル

セポ

リス守備隊

が王

の財宝

を略

奪し

よう

とし

てい

る事

実を

アレ

クサ

ンド

ロス

に知

らせ

て、

アラ

クセ

Page 45: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 179 -

ス川

から

の道

を確保

した

(同

五・五

・二

)。こ

うし

て彼

は、

マケ

ドニ

ア軍

がペ

ルセ

ポリ

スを

占領

して財宝

を無事

接収

するこ

とに決定

的な役割

を果

たし

た。

アラ

クセ

ス川

に架

橋し

アラ

クセ

ス(現

ポルヴァ

ール

)川

はザ

グロ

ス山

中を南西

に流

れ、パ

サル

ガダ

イと

ペル

セポ

リス

付近

で蛇行

して

、D

aryace

-ye

-Task

の塩湖

に注ぐ

。ク

ルテ

ィウ

ス(

五・五

・四

)に

よる

と、

アレ

クサ

ンド

ロス

は付近

の村

を破壊

し、

そこ

の木材

を使っ

て石

の土台

の上

に橋

を作っ

た。こ

れに対

して

アリ

アノ

ス(

三・

一八

・六

、一

〇)

は、

ペル

シア

門で

の迂

回行動

の途

中で

、フ

ィロ

ータ

スら

三人

の指揮官率

いる歩兵部隊

が架橋

ため

に川

へ派遣さ

れた

とす

る。

本隊

が関

門の

ペル

シア

軍を打

ち破っ

て川

に到着

する

と、

すで

に橋

が架

けら

れて

り、全

軍は難な

く川

を渡っ

たと

いう

。し

かし

ペル

シア

軍と

の戦闘

を目

前に

して

、一

〇〇

キロ

も離

れた

アラ

クセ

川へ

大部隊

が派遣さ

れた

とは考え

にく

い。

アリ

アノ

スの

典拠

であ

るプ

トレ

マイ

オス

の作為

を想定

すべき

であろ

う。

詳し

くは

大牟

田訳

註一

六〇

九~

一六

一二頁

思い

もよ

らぬ

恐ろ

しい

光景

レイ

タル

コス

に由

来す

る扇情

的な場面

。ペ

ルシ

ア人

の暴虐

に対

する

ギリ

シア

人の憎

しみ

を掻き

たて

、こ

れに続

くペ

ルセ

ポリ

スの

略奪

と放

火を正当化

する

ため

の創

作で

ある

。ク

ルテ

ィウ

(五

・五

・五

~二

四)

の描写

はよ

り詳細

、ユ

ステ

ィヌ

ス(

一一

・一

四・一

一)

は短

く言及

する

故国

から

連れ

去ら

れた

ギリ

シア

人 こ

の逸

話が創

作で

ある

にし

ても

、創

作の根

拠とな

る事

実を指摘

するこ

はでき

る。

前四

九四

年に

イオ

ニア

反乱

が鎮

圧さ

れる

と、ミ

レト

スの住民

は捕虜

とし

てス

ーサ

に送

られ

、そ

れか

紅海

に面

した

アン

ペに移さ

れた

(ヘ

ロド

トス

六・二

〇)。

前四

九〇

年、

ペル

シア

軍は

エウボ

イア島

のエ

レト

リア

陥落さ

せ、

マラ

トン

での敗

戦後

にエ

レト

リア市民

を奴隷

とし

てス

ーサ

に連行

。ダ

レイ

オス

一世

は彼

らを

スー

サ近

Page 46: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 180 -

郊の

アル

デリ

ッカ

に住

まわ

せた

(ヘ

ロド

トス

六・一

〇一

、一

一九

)。彼

らの子孫

がア

レク

サン

ドロ

ス軍

の侵攻

を知

って駆

けつ

けた

と想

像す

るの

は、

あな

がち

的外

れで

はな

いだろ

う。

森谷

『王

宮炎

上』

一八

三~

一八

六頁

体に

障害

を負

わさ

れ ヘ

ロド

トス

から

は、

アケ

メネ

ス朝

が四肢切断

を処罰

に用

いたこ

とが伺え

る。

ダレ

イオ

ス一

世の

バビ

ロン包囲

戦の際

、高官

ゾピ

ュロ

スは自分

の鼻

と耳

を切

り落

とし

、体

に鞭

を加え

、こ

れを

王の

処罰だ

と偽っ

てバ

ビロ

ン人

を欺き

、都市

を陥落さ

せた

(三

・一

五四

、一

五七

)。

クセ

ルク

セス

の妃

アメ

スト

リス

は、個

的な恨

みか

ら王弟

マシ

ステ

スの妻

に対

し、乳房

、鼻

、耳

、唇

、舌

を切

り取

ると

いう暴行

を加え

た(

九・一

一二

)。

ユス

ティ

ヌス

(前引箇

所)

がこ

れら

ギリ

シア

人の障

害を

「捕虜

の罰

po

en

a cap

tivitatis 」

と呼ん

でい

るの

は、こ

した

伝承

にも

とづ

くと思

われ

る。

およ

そ八

〇〇

ユス

ティ

ヌス

(前引箇

所)

も八

〇〇

人、

クル

ティ

ウス

(五

・五

・五

)で

は約

四〇

〇〇

人。

Atk

inso

n, p

.10

5は

、八

〇〇

が本

来の数字

であっ

たと

する

知識

や技

術を

身に

つけ

ペル

シア

の宮廷

には

、医師

、彫刻

家、画

家、建築

家を始め

とす

る多

くの

ギリ

シア

人技

術者

が滞在

して

いた

。こ

のこ

とも逸

話創

作の根

拠とな

り得

る。

リー

ダー

たち

を呼

び寄

クル

ティ

ウス

(五

・五

・八

)で

は、

アレ

クサ

ンド

ロス

は彼

らを励

まし

た後

、都市

ら二

スタ

ディ

オン

(三

六〇

メー

トル

)離

れた

所に陣

地を築

いた

集ま

って

協議

した

ルテ

ィウ

ス(

五・五

・九

~二

一)

は二

人の

ギリ

シア

人の発言

を伝え

てい

る。

まず

キュ

のエ

ウク

テモ

ンが

、帰国

して見

世物

にな

るよ

りこ

の土

地に留

まるべきだ

と述べ

、次

いで

アテネ

のテ

アイ

テト

スが

祖国帰還

を訴え

た。

後者

を支持

する

者は

わず

かで

あっ

た。

Page 47: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 181 -

再び

王に

面会

して

〇〇

人ほど

が代表

に選ば

れた

(ク

ルテ

ィウ

ス五

・五

・二

一)。

各人

に三

〇〇

〇ド

ラク

マ・・・

クル

ティ

ウス

(五

・五

・二

四)

でもほぼ同様

で、

三〇

〇〇

ドラ

クマ

と一

〇着

衣服

(性別

には言及

せず

)、土

地と牛馬

と穀物

(分量

には言及

せず

)。

第七

〇章

ペル

セポ

リス

レイ

オス

一世

(在位

、前

五二

二~

四九

五年

)が建設

を開始

した

ペル

シア帝国

の首

都。彼

即位

する

と全土

で反乱

が起き

たが

、彼

は一

年が

かり

でそ

れら

を鎮

圧し

、そ

の中

でも特

に重要な勝利

を記念

して新

都の建設

に着手

した

。ク

ーヘ

・ラ

フマ

ト山

の麓

から平野部

にか

けて基壇

が造

成さ

れ、

その

上に

宮殿群

が建

てら

た。基壇

は南北約

四〇

〇メ

ート

ル、

東西約

三〇

〇メ

ート

ル、高さ

は一

二~

一四

メー

トル

に及ぶ

。主な建物

はアパ

ダー

ナ(謁見殿

)、玉座

の間

(百柱殿

)、宝蔵

、万国

の門

、会議

の間

、後

宮で

、ダ

レイ

オス

一世

、ク

セル

クセ

ス、

アル

タク

セル

クセ

ス一

世の計

三代

をか

けて

作ら

れた

。壮麗な

宮殿群

は帝国

の権力

と威信

を象徴

し、全土

から集め

られ

た夥

しい財宝

は大

王の富

を誇

示す

るも

ので

、ペ

ルセ

ポリ

スは

ペル

シア

人の精

神的支柱

となっ

た。建設

の過程

と建物

の詳細

は、

森谷

『王

宮炎

上』

二〇

~四

〇頁

敵の

最た

るも

のだ

と言

って

指し

示し

ルテ

ィウ

ス(

五・六

・一

)が

アレ

クサ

ンド

ロス

の言葉

を伝え

てい

る。

「あ

の雲霞

のご

とき

大軍勢

が押

し寄

せてき

たの

もここ

から

であ

り、

かつ

てダ

レイ

オス

が、

次に

はク

セル

クセ

スが

ヨー

ロッパ

に不敬な

戦を

しか

けてき

たの

もここ

から

であっ

た、こ

の都

を壊滅さ

せて先祖

への弔

いと

しな

ければな

らな

い」(

谷・上

村訳

)。

Page 48: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 182 -

王宮

を除

いて

・・・略

奪の

餌食

ルセ

ポリ

スに

おけ

る略

奪は

二度行な

われ

た。

すな

わち

前三

三〇

年一月

の占

領直

後の

都市部

に対

する

略奪

と、同

年五月

の出発直

前に

宮殿

内でなさ

れた

略奪

であ

る。

ディ

オド

ロス

はこ

れら

つを混同

し、

一般住民

に対

する暴行

・凌辱

と宮殿

の破壊

をひ

とま

とめ

に描

いて

いる

。ク

ルテ

ィウ

ス(

五・六

・四

八)

も同様

ルシ

ア帝国

の首

都の

うち

、バ

ビロ

ンと

スー

サで

はマケ

ドニ

ア軍

によ

る略

奪は

一切な

かっ

た。

そこ

には

アケ

ネス朝以

前か

ら栄え

てい

た重要

都市

を平和裏

に帰順さ

せる

とい

う政

治的配慮

があっ

た。こ

れに対

して

ペル

セポ

スで

は、

アレ

クサ

ンド

ロス

は初め

て略

奪行為

を許

した

。略

奪は勝

者の権利

、征

服の報酬

であ

り、兵士

の士気高揚

の手段

でも

ある

。ア

レク

サン

ドロ

スは

、ペ

ルシ

ア帝国

最大

の首

都を

占領

した

今こ

そペ

ルシ

ア人

に対

する報復

を完

遂すべ

く、将兵

の欲望

を一気

に解き

放っ

たの

であ

る。

ディ

オド

ロス

とク

ルテ

ィウ

スは

、兵士

たち

の残忍非道

、強

欲の

あま

りの同士討

ち、住民

が被っ

た凄惨な災難

を描

いて

いる

が、

いず

れも

クレ

イタ

ルコ

スに由

来す

ると思

われ

る。

女た

ちは

・・・捕

虜と

して

奴隷

に仕

立て

クル

ティ

ウス

(五

・六

・八

)に

よる

と、住民

の犠牲

の大きさ

に直面

して

、ア

レク

サン

ドロ

スは兵士

たち

に住民

の身体

と女性

の衣装

には手

をか

けて

はな

らな

いと命じ

た。

第七

一章

城砦

に上

り 基壇

の北西部

に作

られ

た一

一一段

の階段

を上

がり

、万国

の門

を通っ

て右

へ進む

と、正面

にアパ

ダー

ナが

ある

Page 49: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 183 -

キュ

ロス

ンビ

ュセ

ス一

世の子

で、

ペル

シア帝国

の建設

者で

ある

キュ

ロス

二世

。前

五五

九年

、当時

メデ

ア人

に服属

して

いた

ペル

シア

の王

とな

り、

前五

五〇

年に

メデ

ィア

王国

を倒

して独立

。活発な

征服活動

を進め

て前

五三

九年

にバ

ビロ

ンを

占領

し、

大帝国

を打

ち立

てた

。前

五三

〇年

、中央

アジ

アの

マッ

サゲ

タイ

人と

の戦闘

で戦死

彼の生涯

は、数奇な

出生譚

も含め

てヘ

ロド

トス

第一

巻に詳

しい

金を

銀に

換算

して

と銀

の換算比率

はペ

ルシ

アで

は一対

一三

、ギ

リシ

アで

は一対

一〇

。お

そら

くギ

リシ

の基準

で計算さ

れた

。G

ou

ko

wsk

y, p.9

9.

一二

万タ

ラン

トン

ルテ

ィウ

ス(

五・六

・九

)も同じ数字

を伝え

、こ

れにパ

サル

ガダ

イで

の六

〇〇

〇タ

ラン

トン

を付

け加え

てい

る。

ディ

オド

ロス

はパ

サル

ガダ

イ占

領に

は全

く触

れて

いな

い。こ

れは

キュ

ロス

二世

が建

てた

都で

、ペ

ルセ

ポリ

スの北

東八

〇キ

ロ、

アラ

クセ

ス川

が潤

すダ

シュ

テ・モ

ルガ

ブ平野

にあ

る。

その

名は

キュ

ロス

出身部族

の名

前に由

来。

ペル

セポ

リス

の建設

後は

王の即位式

に使

われ

た。総督ゴ

バレ

スが

都市

を明

け渡

し、

マケ

ドニ

ア軍

が無血

占領

した

(ク

ルテ

ィウ

ス五

・六

・一

〇)。

キュ

ロス

の墓

とそ

の他パ

サル

ガダ

イ関連

史料

につ

いて

は、

森谷

『王

宮炎

上』

七〇

~七

三頁

大量

の荷

駄用

と荷

車用

の騾

馬・・・

プル

タル

コス

(三

七・四

)で

は騾馬

二万頭

と駱駝

五〇

〇〇頭

、ク

ルテ

ィウ

ス(

八・七

・一

一)

では騾馬

三万頭

あら

かじ

め決

めた

場所

へ輸

送し

最終

的に

エク

バタ

ナへ送

られ

、ハ

ルパ

ロス

がそ

の管理

を委ね

られ

た(

リア

ノス

三・一

九・七

)。

住民

に対

して

は強

い憎

しみ

を抱

ペル

セポ

リス

の貴族

と住民

はマケ

ドニ

ア人

の略

奪行為

のゆえ

に、

アレ

Page 50: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 184 -

サン

ドロ

スへ

の帰順

を拒否

した

らし

い。

クル

ティ

ウス

(五

・七

・二

)も

、被

征服

者が

「新

しい支配

を拒否

した

」と

述べ

てい

る。業

を煮や

した

アレ

クサ

ンド

ロス

は、

ペル

シア

人の誇

り高

い民族意識

を挫

くため

、彼

らへ

の懲罰

とし

て宮殿

放火

を決意

した

と考え

られ

る。

森谷

『王

宮炎

上』

一六

五~

一七

三頁

王宮

につ

いて

手短

に語

る 以

下の描写

は実際

の遺跡

と適

合せず

、デ

ィオ

ドロ

スがどこ

から情報

を得

たの

かは

不明

であ

る。

第一

の城

クレ

フタ

ーに

よる

ペル

セポ

リス

の復元

では

、基壇

の外周

のほ

とんど

に防壁

が作

られ

、北辺

の防

壁は山

の斜面

に続

く。

F.Kre

fter, P

ersepolis; R

ekon

struk

tionen

, Be

rlin, 1

97

1.

四プ

レト

ロン

離れ

て どこ

から

の距離

を指

すの

か不明

。基壇

東側

の防壁

から外

には山

の斜面

が延

びる

が、

の墓

まで

の距離

は一

二〇

メー

トル

より小さ

い。

歴代

の王

の墓

ルセ

ポリ

スを見

下ろ

すク

ーヘ

・ラ

フマ

ト山

の西斜面

に彫

られ

た、

アル

タク

セル

クセ

ス二

とア

ルタ

クセ

ルク

セス

三世

の岩

窟墓

。ダ

レイ

オス

三世

の墓

は未完

(本

巻七

三・三

註参照

)。

また

ペル

セポ

リス

から

北へ

六・五

キロ離

れた

ナグジェ

・ロ

スタム

に、

ダレ

イオ

ス一

世、

クセ

ルク

セス

、ア

ルタ

クセ

ルク

セス

一世

、ダ

レイ

オス

二世

の岩

窟墓

があ

る。こ

れら

の王墓

につ

いて

はE

.F.Sch

mid

t, P

ersepolis

III; T

he

Roya

l T

ombs

an

d

Oth

er

Mon

um

ents, C

hicag

o,1

97

0.

宝蔵

基壇

の南

東隅

にあ

る細長

い建物

。始め

は小規模な建物

であっ

たが

、征

服に伴

う戦利品や諸民族

の貢納

によっ

てお

びただ

しい財宝

がも

たらさ

れ、

大規模

に拡張さ

れた

。約

一〇

〇の部屋

と広間

に区分さ

れて

いた

Page 51: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 185 -

第七

二章

タイ

アテネ

出身

の有

名な遊

女。喜劇

作家

メナ

ンド

ロス

は作品

の一つ

に彼

女の

名前

をつ

けた

。後

にエジ

ト王

とな

るプ

トレ

マイ

オス

の愛

人で

、遠

征中

に二

人の息子

と一

人の娘

を生んだ

(ア

テナ

イオ

ス一

三、

五七

六e

)。

二人

の息子

の実在

は他

の史料

から

も確認

でき

る(

森谷

『王

宮炎

上』

九四頁

)。彼

女が

アレ

クサ

ンド

ロス

を唆

して

宮殿

に放

火さ

せた場面

は、

プル

タル

コス

(三

八・二

~六

)と

クル

ティ

ウス

(五

・七

・三

~七

)もほぼ同様

に記

述し

てい

る。こ

れが

クレ

イタ

ルコ

スに由

来す

るこ

とは

、ア

テナ

イオ

ス前引箇

所が

述べ

てい

る通

り。

タイ

スの物語

は、

ペル

シア

人に対

する

ギリ

シア

人の復讐心

を満足さ

せる

ため

の創

作で

ある

。こ

れに対

して

アリ

アノ

ス(

三・一

八・一

一~

一二

)だ

けは

、放

火の是非

をめぐ

る大

王とパ

ルメ

ニオ

ンの対

話を

伝え

てい

る。

宮殿

への

放火

が酒宴

の席

での

衝動

的な行為

ではな

く、意図

的・計画

的になさ

れたこ

とは

、発掘

の成果

に照

らし

て明

らか

であ

る。詳

しく

は森

『王

宮炎

上』

一二

三~

一四

一頁

、『

征服

と神

話』

一七

八~

一八

〇頁

王宮

一帯

は・・・燃

え落

ちて

しま

った

発掘

によっ

て火災

の痕跡

が確認さ

れた

のは

、アパ

ダー

ナの

大広間

と多

数の小部屋

、玉座

の間

の大広間

と列柱廊

、宝蔵

の約半分

、後

宮の

四つ

の部屋

であ

る。

アパ

ダー

ナの

大広間

の床

ムラな

く一様

に燃え

てお

り、可燃物

が敷き詰め

られ

たこ

とを

示唆

する

。ま

た後

宮以外

で炎

上し

た広間

の柱

はすべ

て破壊さ

れて

いた

第七

三章

ペル

シス

地方

の諸

都市

ルシ

ス地

方の

征服

につ

いて

は、

クル

ティ

ウス

(五

・六

・一

一~

一九

)が詳

しく

記述

Page 52: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 186 -

して

いる

。そ

れに

よる

と、

アレ

クサ

ンド

ロス

は四月初め

に騎兵

一〇

〇〇

と軽装兵

を率

いて

出発

し、

略奪

を生業

する

マル

ドイ族ほ

か多

くの

村々

を征

服し

て三

〇日

後に帰還

した

。A

tkin

son

,p.1

19

は、

遠征

の日数

から

みて

、行動

範囲

はペ

ルセ

ポリ

スの北

二二

五キ

ロ以

内で

ある

と推測

する

ダレ

イオ

ス目

指し

て進

発し

アレ

クサ

ンド

ロス

がペ

ルセ

ポリ

スを進発

し、

ダレ

イオ

スの滞在

する

エク

バタ

ナへ向っ

たの

は、

前三

三〇

年五月

下旬

のこ

と。

ペル

セポ

リス到着

から

四か月

たっ

てい

た。

軍を

集め

るつ

もり

ルテ

ィウ

ス(

五・八

・二

~四

)に

よれば

、ダ

レイ

オス

は逃走

ではな

く戦闘

の準備

とし

て、

三万

の歩兵

(う

ちギ

リシ

ア人傭兵

が四

〇〇

〇)、投石兵

と弓兵計

四〇

〇〇

を集め

、こ

れに騎兵

三〇

〇〇

(大半

バク

トリ

ア人

)が加

わっ

た。

アリ

アノ

ス(

三・一

九・三

~四

)に

よる

と、

ダレ

イオ

スは

再度

の決

戦の

ため

スキ

タイ

人と

カドゥ

ーシ

オイ

人を招集

した

が、彼

らは到着

しな

かっ

た。

急追

を受

けて

レク

サン

ドロ

スが

ダレ

イオ

スの逃走

を知っ

たの

は、

エク

バタ

ナま

で三日行程

の地点

であっ

た(

アリ

アノ

ス三

・一

九・四

)。ここ

から

アレ

クサ

ンド

ロス

の急追

が始

まる

。デ

ィオ

ドロ

スの

記述

は、

二人

の王

行動

と互

いの連関

を極度

に切

り詰め

てい

る。

ペル

シア

人三

万と

ギリ

シア

人傭

アリ

アノ

ス(

三・一

九・五

)で

は、

エク

バタ

ナ進発時

のダ

レイ

オス

の兵力

は歩兵

六〇

〇〇

と騎兵

三〇

〇〇

で、

七〇

〇〇

タラ

ント

ンの資金

を携え

てい

た。

バク

トラ

へ向

けて

逃走

した

クト

ラは属州

バク

トリ

アの首

都で別

名ザ

リア

スパ

。現在

のア

フガ

ニス

タン北

部、

マザ

リシャ

リフ近郊

のバ

ルフ

。ク

ルテ

ィウ

ス(

五・八

~一

二)

はダ

レイ

オス

の逃避行

から

ベッ

ソス

によ

る捕

縛ま

でを

、陰謀

の細部

も含め

て詳細

に描

いて

いる

。B

osw

orth

, p

.33

4がこ

の記

述を

史実

とし

て受

け入

れる

のに対

Page 53: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 187 -

し、

Atk

inso

n, p

.13

5は

文学

的な創

作と見な

す。

大牟

田訳

註一

六一

八~

一六

一九頁

ベッ

ソス

レイ

オス

三世

の縁戚

(ア

リア

ノス

三・二

一・五

)。属州

バク

トリ

アは

東方

にお

ける帝国支配

の要

であ

り、

歴代

の総督

には

王族

が任命さ

れた

。ベ

ッソ

スは

イッ

ソス

の会

戦後

にダ

レイ

オス

によっ

て召集さ

れ、

ガウ

ガメ

ラの

会戦

では左翼

でバ

クト

リア

およ

びソ

グデ

ィア

ナの騎兵

を指揮

した

(ア

リア

ノス

三・八

・三

、ク

ルテ

ィウ

四・一

二・六

)。

捕え

られ

殺害

され

アリ

アノ

スに

よれば

、ダ

レイ

オス

を拘束

した

のは

ベッ

ソス

、千

人隊長

のナ

バルザネ

ス、

それ

にア

ラコ

シア

・ド

ラン

ギア

ナ総督

のバ

ルサ

エン

テス

の三

人(

三・二

一・一

)、

殺害

した

のは

バル

サエ

ンテ

スと

レイ

ア総督

サテ

ィバ

ルザネ

スの

二人

(三

・二

一・一

〇)。

サテ

ィバ

ルザネ

スは

ナバ

ルザネ

スと取

り違え

られ

た可能

性も

ある

が、彼

も当初

から

大王

に対

する陰謀

に関与

して

いた

と思

われ

る。

騎兵

とと

もに

追跡

し こ

の追跡

の様子

は、

アリ

アノ

ス三

・二

〇~

二一

およ

びク

ルテ

ィウ

ス五

・一

三・一

~二

に詳

しい

。大

牟田

訳註

一六

二五

~一

六三

四頁

死ん

でい

るの

を発

見し

レイ

オス

の死

亡地点

とし

て有力な

のは

、ラ

ガイ

から

東へ約

三四

〇キ

ロの

ダム

ガン

また

は四

二〇

キロ

のシャ

ール

ード

。ア

レク

サン

ドロ

スは自分

のマ

ント

を脱

いで遺体

にか

けた

とい

う(

プル

タル

ス四

三・五

)。

ダレ

イオ

スの死去

は、

アテネ暦

で前

三三

〇/

二九

年のヘ

カト

ンバ

イオ

ン月

のこ

と(

アリ

アノ

ス三

二二

・二

)。

通説

では

前三

三〇

年七月

中旬

から

下旬

にか

けて

。B

osw

orth

,p.3

12は

八月

とす

る。

レイ

オス

最期

の場面

につ

いて

は、

ロマ

ンチ

ックな創

作が

伝え

られ

てい

る。

クル

ティ

ウス

(五

・一

三・二

三~

五)

とプ

ルタ

ルコ

ス(

四三

・三

~四

)で

は、兵士

ポリ

ュス

トラ

トス

が瀕死

のダ

レイ

オス

を発見

して水

を飲

ませ

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- 188 -

ダレ

イオ

スは

ギリ

シア語

で感謝

の言葉

を口

にし

てか

ら息絶え

た。

しか

しダ

レイ

オス

は通

訳を

使う

のが

通例だっ

た。

(ク

ルテ

ィウ

ス五

・一

三・七

)。

ユス

ティ

ヌス

(一

一・一

五・五

~一

三)

では

、彼

を発見

した

一兵士

がペ

ルシ

ア人捕

虜を

そば

に連

れて行き

、ダ

レイ

オス

はそ

の捕虜

に遺言

を託

した

王と

して

埋葬

した

レク

サン

ドロ

スは

ダレ

イオ

スの遺体

をペ

ルセ

ポリ

スに送

り、

ペル

シア

の慣例

に従っ

埋葬

する

よう命じ

た(

アリ

アノ

ス三

・二

二・一

、ユ

ステ

ィヌ

ス一

一・一

五・一

五)。

プル

タル

コス

(四

三・七

)は遺体

が王母

シシ

ュガ

ンビ

スの

もと

、すな

わち

スー

サへ送

られ

たと

する

が、

スー

サに

王墓

は存在

しな

い。

ルセ

ポリ

スの基壇

から南

へ約

五〇

〇メ

ート

ルの丘

の麓

に、未完

に終

わっ

たダ

レイ

オス

三世

の王墓

があ

る。ほ

とんど石切

り場同然

で墓室

もな

く、ご

く一部

の浮彫

が完

成し

たに

すぎな

い。

シュミ

ット

は、

ダレ

イオ

スの遺体

アル

タク

セル

クセ

ス二

世の墓

の地

下室

に埋葬さ

れた

と推測

する

。S

chm

idt, P

ersepolis III, p

.10

7.

ある

者た

ちが

書く

とこ

ろで

アレ

クサ

ンド

ロス

がダ

レイ

オス

と直接対面

した

との

伝承

は、

いわゆ

るア

レク

サン

ダー

・ロ

マン

に見

出さ

れる

。伝

カリ

ステネ

ス『

アレ

クサ

ンド

ロス

大王物語

』(国

文社

)二

・二

〇。

ラケ

ダイ

モン

人が

・・・敗

北を

喫し

スパ

ルタ

王ア

ギス

が指導

した

反マケ

ドニ

ア蜂起

、い

わゆ

るア

ギス

戦争

本巻

六二

・六

~六

三・四

から続

く。

評議

会に

委ね

スパ

ルタ

はコ

リン

トス同盟

に参加

して

いな

かっ

たに

もか

かわ

らず

、スパ

ルタ

の処置

は同盟

評議

会に委ね

られ

た。こ

の理由

をク

ルテ

ィウ

ス(

六・一

・一

七~

一九

)は

、勝利

の大きさ

が副官

の手

にす

る限度

越え

てお

り、

アン

ティパ

トロ

スが

アレ

クサ

ンド

ロス

の妬

みを恐

れた

ため

であ

ると

する

。し

かし

アレ

クサ

ンド

ロス

はこ

の勝利

を「鼠

の喧嘩

」と呼ん

で軽蔑

した

から

(プ

ルタ

ルコ

ス『

アゲ

シラ

オス

伝』

一五

・四

)、彼

がア

ンテ

ィパ

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- 189 -

トロ

スを妬んだ

とは考え

にく

い。

ただ

アン

ティパ

トロ

スが

、自分

の一存

でスパ

ルタ

を処分

すれば

、ア

レク

サン

ロス

に不快感

を与え

る危険

があ

ると考え

たの

は事

実で

あろ

う。

五〇

人を

人質

に取

前三

三〇

年に

アテネ

でア

イス

キネ

スが行なっ

た弁論

『ク

テシ

フォ

ン弾劾

』一

三三

は、

アレ

クサ

ンド

ロス

のも

とへ送

られ

るはず

のスパ

ルタ

人の

人質

五〇

人が

、(理由

は不明だ

が)

まだ

ギリ

シア

を出発

して

いな

い事

実に言及

して

いる

アジ

アに

使節

を派

遣し

ダレ

イオ

スの死

後、

アレ

クサ

ンド

ロス

がカ

スピ

海南岸

のヒ

ュル

カニ

ア地

方を平定

した際

、ダ

レイ

オス

のも

とを

訪れ

てい

たスパ

ルタ

使節

四人

を拘束

した

(ア

リア

ノス

三・二

四・四

)。彼

らは

アギ

戦争

の遂行

に関連

して

ダレ

イオ

スに派遣さ

れて

いた

者で

あり

、本節

で言及さ

れた

使節

とは

もちろん別

スパ

ルタ以外

の反乱諸

都市

につ

いて

は、

テゲ

アは首謀

者以外

は許さ

れ、

アカ

イア

とエ

リス

はメ

ガロ

ポリ

ス(

ケド

ニア側

に付

いた

ため

反乱

軍に包囲さ

れて

いた

)に

一二

〇タ

ラン

トン

を支払

うよ

う命じ

られ

た(

クル

ティ

ウス

六・一

・二

〇)。

第七

四章

バル

クサ

エン

テス

しく

はバ

ルサ

エン

テス

大き

な拠

り所

にな

るだ

ろう

ルテ

ィウ

スは

、ベ

ッソ

スが

ダレ

イオ

スに対

する陰謀

を企

てた根

拠を

次の

よう

に説明

して

いる

。「こ

の地

方[バ

クト

リア

]は

、兵器や兵員

、土

地の広さ

とい

う点

で、

あの諸部族

のど

の地

方に

引け

を取

らな

かっ

た。

アジ

アの

三分

の一

を占め

、兵役

につ

くこ

との

でき

る青

年男子

の数

はダ

レイ

オス

が失っ

た軍

Page 56: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 190 -

勢の数

に匹敵

して

いた

。(

中略

)こ

の地

方を支配

下に

収め

るこ

とが

でき

れば

、覇権

の力

を再

び得

られ

るも

のと考

えて

いた

ので

ある

」(

五・一

〇・三

~四

、谷

・上

村訳

)。

ダレ

イオ

ス臨席

の幕僚

会議

にお

ける

ナバ

ルザネ

スの発言

も、同様な言及

があ

る(

クル

ティ

ウス

五・九

・五

)。

自身

を王

に任

命し

アリ

アノ

ス(

三・二

五・三

)に

よる

と、

ベッ

ソス

は「直立

した

王冠

を戴き

、ペ

ルシ

ア王

の衣裳

を身

に着

けて

、ベ

ッソ

スで

はな

くア

ルト

クセ

ルク

セス

と名乗

り、

アジ

アの

王を称

し」

た。

クル

ティ

ウス

(六

・六

・一

三)

も、彼

が「

王の衣装

をま

とい

、自

らを

アル

タク

セル

クセ

スと呼ぶ

よう命じ

」た

と述べ

る。

王の衣

装につ

いて

は、

本巻

七七

・五

およ

び訳

註参照

。ア

ルト

クセ

ルク

セス

(ま

たは

アル

タク

セル

クセ

ス)

とい

う名

前は

前四

世紀

にアケ

メネ

ス朝

の王

名と

して襲

名さ

れて

いた

。ダ

レイ

オス

三世

の前

の王

アル

セス

(在位

、前

三三

八~

三六

年)

がア

ルタ

クセ

ルク

セス

四世

を名乗っ

た可能性

があ

るの

で、

その場

合ベ

ッソ

スは

アル

タク

セル

クセ

ス五

とな

る。こ

うし

て彼

はアケ

メネ

ス朝

の前例

を踏襲

し、

王位

の正統性

を訴え

たの

であ

る。

アル

セス

の襲

名につ

いて

はB

osw

orth

, p.1

53

,35

7.

兵士

たち

を登

録し

リア

ノス

(三

・二

五・三

)に

よる

と、彼

は「

バク

トリ

アま

で逃走

した

ペル

シア

人と多数

のバ

クト

リア

人を周囲

に集め

、ス

キタ

イ人

も同盟

者と

して

来援

するこ

とを

期待

して

いた

」。

クル

ティ

ウス

(六

六・一

三)

では

、彼

は「

スキ

タイ

人や

タナ

イス

(現

シル

・ダ

リヤ

)河畔

の住民

を集めつつ

あっ

た」。

遠征

は終

った

と思

ダレ

イオ

ス追撃

の終了

後、

アレ

クサ

ンド

ロス

はパ

ルテ

ィア

の首

都ヘ

カト

ンピ

ュロ

(本

巻七

五・一

註参照

)で

後続部隊

の到着

を待っ

た。集結

した兵力

は騎兵

三〇

〇〇

、歩兵

二万

(プ

ルタ

ルコ

ス四

七・一

)。ここ

で兵士

たち

の間

に、

王が

遠征

の成果

に満足

して帰国

を決め

たと

いう根

拠のな

い噂

が飛

び交っ

た(

Page 57: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 191 -

ルテ

ィウ

ス六

・二

・一

五、

プル

タル

コス

前引箇

所)。

ダレ

イオ

スの死去

をもっ

て、

ペル

シア

に復讐

する

とい

う公式

の遠

征目

的は達

せら

れた

のだ

から

、遠

征そ

のも

のが終結

した

と将兵

たち

が判断

して

も不思議

はな

い。な

おア

リア

ノス

はヘ

カト

ンピ

ュロ

スで

の出

来事

には言及

して

いな

い。

兵員

会に

召集

アレ

クサ

ンド

ロス

の演説

は、

クル

ティ

ウス

(六

・三

・一

~一

八)

とプ

ルタ

ルコ

ス(

四七

・一

~二

)が

記録

して

いる

彼ら

の士

気を

高め

た 兵士

たち

は熱烈な歓呼

の声

で応え

、どこ

へで

も望

みの

所へ連

れて行っ

てく

れと叫んだ

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・四

・一

、プ

ルタ

ルコ

ス四

七・三

)。

部隊

を解

散し

アリ

アノ

ス(

三・一

九・五

)で

は、

除隊さ

れた

のは

テッ

サリ

ア騎兵部隊

とギ

リシ

ア同盟

軍。

遠征

の当初

の目

的が達

成さ

れた

今、こ

れ以

上ギ

リシ

ア同盟

軍を伴

う理由

はな

い。彼

らは

ダレ

イオ

ス追撃

には参加

せず

、エ

クバ

タナ

に留

まっ

てい

た。

アレ

クサ

ンド

ロス

はエ

クバ

タナ

に滞在

中の副将パ

ルメ

ニオ

ンに対

して

、ヘ

トンピ

ュロ

スか

らこ

の指

示を発

した

ので

あろ

う。

アリ

アノ

ス(

前引箇

所)

は誤っ

てこ

れを

ダレ

イオ

ス追撃

の開始

前に置き

、エ

クバ

タナ

に着

いて

から

アレ

クサ

ンド

ロス

が除隊命令

を出

した

と記

述し

てい

る。

各騎

兵に

は一

タラ

ント

ン、

歩兵

には

一〇

ムナ

ルテ

ィウ

ス(

六・二

・一

七)

も同じ数字

を与え

てい

る。

一〇

ムナ

は六分

の一

タラ

ント

ン。

三 付

け加

えた

リア

ノス

(三

・一

九・五

)は

、給料満額

の上

に二

〇〇

〇タ

ラン

トン

の褒美

を付

け加え

たと

する

ただ

しプ

ルタ

ルコ

ス(

四二

・五

)で

は、

二〇

〇〇

タラ

ント

ンが与え

られ

たの

はテ

ッサ

リア騎兵

のみ

。ア

レク

サン

ドロ

スは

除隊

した兵士

の帰国

のため陸路

の護衛

を付

け、

シリ

ア沿岸

から

は無事

に船

でエ

ウボ

イア島

に着

くよ

う必

Page 58: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 192 -

要な指

示を

出し

た(

アリ

アノ

ス三

・一

九・六

)。

軍に留

まる

こと

を選

んだ

者た

ち 引き続き従

軍を希望

する

者は傭兵

とし

て登

録さ

れ、

それ

は多数

に上っ

(ア

リア

ノス

三・一

九・六

)。

エク

バタ

ナを

出発

した彼

らは

、ア

レク

サン

ドロ

スが

スシ

アか

らバ

クト

ラに向

けて進発

した

ところ

で本隊

に追

いつ

いた

(同

三・二

五・四

)。こ

のう

ちテ

ッサ

リア

人は

、前

三二

九年

、オ

クソ

ス(現

アム

・ダ

リヤ

)川

を渡

る前

に最終

的に

除隊さ

れた

(同

三・二

九・五

)。

一万

三〇

〇〇

タラ

ント

ユス

ティ

ヌス

(一

二・一

・一

)で

は、同額

がマケ

ドニ

ア人兵士

に分配さ

れ、金

一万

九〇

〇〇

タラ

ント

ンが

エク

バタ

ナに集め

られ

た。

クル

ティ

ウス

(六

・二

・一

〇)

によ

ると

、戦利品

の総額

は二万

六〇

〇〇

タラ

ント

ン。

その

うち

マケ

ドニ

ア人兵士

に一万

二〇

〇〇

タラ

ント

ンが分配さ

れた

が、こ

れと同額

が警備

兵に

よっ

て盗

まれ

たと

いう

第七

五章

三日

目にヘカ

トン

タピ

ュロ

ス・・・の近

くに宿営

した

カト

ンタピ

ュロ

スは

通常ヘ

カト

ンピ

ュロ

スと呼ば

れ、

今日

のA

hah

r-I Q

um

is (ダム

ガン

の南西

三二

キロ

)に比定さ

れて

いる

。カ

スピ

海沿岸諸州

と中央

アジ

アを結ぶ交

通の要衝

で、

後に

セレ

ウコ

ス一

世が旧

都市

(名称不明

)を拡張

し改

名し

た。

アレ

クサ

ンド

ロス

の道程

記に

は遠

の折

り返

し点

とし

て記

録さ

れ、

後にパ

ルテ

ィア

王国

の首

都となっ

た(

プリ

ニウ

ス『博物

誌』

六・四

四~

四五

)。

レク

サン

ドロ

スはヘ

カト

ンピ

ュロ

スで

軍を

再結集

して

から

ヒュ

ルカ

ニア

へ向

けて

出発

した

ので

、三日

目にこ

の都市

の近

くに宿営

した

はず

がな

い。

ディ

オド

ロス

はヘ

カト

ンピ

ュロ

ス進発

から

ヒュ

ルカ

ニア侵攻

まで

を極度

Page 59: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 193 -

圧縮

して

記述

した

ため

、地理

的関係

に混乱

をき

たし

てい

る。

それ

から

一五

〇ス

タデ

ィオ

ン進

クル

ティ

ウス

(六

・四

・三

)も同じ距離

を与え

てい

るが

、こ

れは

アレ

クサ

ンド

ロス

本隊

のこ

とで

、他

の二隊

は別

の道

を進んだ

。本

章三

註参照

ステ

ィボ

イテ

スと

呼ば

れる

大き

な川

ルテ

ィウ

ス(

六・四

・四

~六

)はこ

れをジ

オベ

ディ

ス川

と呼ん

で同様

に記

述し

、そ

れが

再び

地表

に現

れた

後は

リグ

ダノ

ス川

に合流

する

と述べ

てい

る。

前者

はエ

ルブ

ルズ山

中の

Do

rud

bar

川、

後者

はエ

ルブ

ルズ北麓

を西

に流

れて

カスピ

海に注ぐネ

カ川

に比定さ

れて

いる

。A

tkin

son

, p.1

82

.

三 ヒ

ュルカ

ニア

地方

に侵入

ヒュ

ルカ

ニア

はカヴ

ィー

ル砂漠

とカ

スピ

海に挟

まれ

た東西

に細長

い地域

で、南

側に

はエ

ルブ

ルズ山脈

が走

る。

アレ

クサ

ンド

ロス

がヒ

ュル

カニ

アに侵攻

した

のは

、こ

の地

方へ逃げ込んだ

ギリ

ア人傭兵部隊

を制

圧す

る(

アリ

アノ

ス三

・二

三・一

)と同時

に、さ

らに

東方

へ進む

にあ

たっ

て背

後の安全

を確保

るため

であっ

た。侵攻

にあ

たっ

て彼

は軍

を三隊

に分

け、

クラ

テロ

ス隊

を山脈

東部

の山岳民族

であ

るタ

プロ

イ人

征服

に向

かわ

せ、

エリ

ギュ

イオ

スに

は車両部隊

と役畜群

を率

いて平坦な道

を進

ませ

た。彼自

身は

本隊

を率

い、

短だ

が困難な道

を進んだ

(同

三・二

三・二

~三

三 すべ

ての

都市

を服属

させ

ヒュ

ルカ

ニア

最大

の都市

はザ

ドラ

カル

タで

、ここ

にヒ

ュル

カニ

アの

王宮

があっ

た(

アリ

アノ

ス三

・二

五・一

)。

クル

ティ

ウス

(六

・五

・二

二)

はここ

にダ

レイ

オス

の王

宮が

ある

と述べ

てい

る。現

グル

ガー

ン/

アス

タラ

バー

ドま

たは現

サリ

ーに比定さ

れて

おり

、後

者の説

が有力

。ク

ラテ

ロス

とエ

リギ

ュイ

オス

の部隊

はいず

れもここ

で本隊

に合流

した

(ア

リア

ノス

三・二

三・六

)。

スト

ラボ

ン(

一一

・七

・二

、五

〇八C

)は

タラ

ブラケ

、サ

マリ

アネ

、カ

ルタ

、王

都タ

ペを

列挙

。ク

ルテ

ィウ

ス(

六・四

・二

三)

はま

たア

ルワ

イの町

に言及

し、

Page 60: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 194 -

ここ

でク

ラテ

ロス

とエ

リギ

ュイ

オス

が合流

した

とす

る。こ

の町

につ

いて

は不祥

。A

tkin

son

,p.1

90

.

一部

の人々

はヒ

ュルカ

ニア海

と呼

んで

いる

ルテ

ィウ

ス(

六・四

・一

八)

とプ

ルタ

ルコ

ス(

四四

・二

)も

カスピ

海と

ヒュ

ルカ

ニア

海の

二つ

の呼

び名

を併

記し

てい

る。

四 「幸福」

と呼ば

れる村々

具体

的な

地名

は不祥だ

が、

ヒュ

ルカ

ニア

地方

の豊

かさ

は有

名で

あっ

た。

スト

ラボ

ンは

、「

ヒュ

ルカ

ニア

地方

は地味

がい

たっ

て豊

かで広

く、

大部分

が平野

で名高

い諸

都市

がこ

れを分

けあっ

てい

る」

(一

一・七

・二

、五

〇八C

、飯尾

都人

訳)

と述べ

る。

クル

ティ

ウス

も「

その

地方

はさ

まざ

まな産物

に恵

まれ

てい

が、異常

に大き

い林檎

を産

するほ

か、葡萄

の実

りもき

わめ

て豊

かで

あっ

た」(

六・四

・二

一、

谷・上

村訳

)と言

う。

一メ

トロ

ンの葡萄酒

トラボ

ンで

も同じ数字

(一

一・七

・二

、五

〇八C

)。

一〇メデ

ィムノ

スの乾燥無花果

トラボ

ンで

は六

〇メ

ディム

ノス

(前引箇

所)。

六 蜜

が滴

り落

ちる

「樫

によ

く似

た木

が多

く、

その葉

には多

くの蜜

がつ

いて

いる

。ただ

し、日

の出

より早起き

しな

いと

、樹液

はわず

かな熱

でも消失

して

しま

う」(

クル

ティ

ウス

六・四

・二

二、

谷・上

村訳

)。

アン

トレ

ドン

野生

の蜜蜂

のこ

と。「蜜蜂

は樹々

に群

がり

、蜂蜜

が葉

から流

れ落

ちる

」(

スト

ラボ

ン前引箇

所)。

一九

世紀初頭

エル

ブルズ山

中の孤立

した

村々

では

、蜜蜂

の飼育以外

に生業

がな

かっ

たと

いう

。E

.He

rzfeld

,

Th

e Persia

n E

mpire, 1

96

8,p

.14

.

第七

六章

一 隣

接す

る諸

民族

王伝

に現

れる

のは

タプ

ロイ

人と

マル

ドイ

人。

後者

につ

いて

は本

章三

~八

およ

び訳

註参照

Page 61: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 195 -

タプ

ロイ

人は

「盗賊

を生業

とす

る部族

」の

一つ

に数え

られ

るが

(ス

トラボ

ン一

一・一

三・三

、五

二三C

)、

ガウ

メラ

の会

戦に

は騎兵

とし

てヒ

ュル

カニ

ア人

・パ

ルテ

ィア

人と共

に参

戦し

た(

アリ

アノ

ス三

・八

・四

、一

一・四

)。彼

らの居住

地を

スト

ラボ

ン(

一一

・八

・八

、五

一四C

)は

ヒュ

ルカ

ニア

とア

レイ

アの間

にお

いて

いる

が、

エリ

ギュ

オス率

いる別動隊

が彼

らの

制圧

のため派遣さ

れた

(ア

リア

ノス

三・二

三・二

)こ

とか

らし

て、

カスピ

海南岸

でエ

ブルズ山脈

東部

の北麓

一帯

であろ

う。

エリ

ギュ

イオ

スは彼

らを

服属さ

せ、

タプ

ロイ

人の総督

アウ

トプ

ラダ

テス

連行

した

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・四

・二

四)。彼

の総督

領は

、属州パ

ルテ

ィア

/ヒ

ュル

カニ

ア領

の下位

の区分

をな

して

おり

、ア

レク

サン

ドロ

スは彼

に総督

領を返還

した

上、

マル

ドイ

人征

服後

はマ

ルド

イ人

の総督

をも兼任さ

せた

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・四

・二

五、

アリ

アノ

ス三

・二

三・七

、二

四・三

)。な

おク

ルテ

ィウ

スは

アウ

トプ

ラダ

テス

の名

前を

プラ

ダテ

スと

して

いる

が、ここ

では

He

cke

l, Wh

o’s Wh

o in th

e Age of A

lexan

der th

e Grea

t, p.6

5に従

う。

アリ

アノ

スで

両方

の名

前が混在

指揮官

たち

の多

くが

自ら投降

した

ルシ

ア人高官

たち

の投降

につ

いて

はク

ルテ

ィウ

スと

アリ

アノ

スが

記述

して

いる

が、多

くの食

い違

いが

あり

、そ

の場

所と時

期の特定

は難

しい

。ここ

では主要

人物

を列

挙す

るに留め

る。

①千

人隊長

ナバ

ルザネ

スは

大王

に書簡

を送

り、

ダレ

イオ

ス三

世に対

する

反逆

につ

いて弁明

した

上で

、投降

する際

の通行

の安全

を求め

た。

アレ

クサ

ンド

ロス

が安全

を保証

した

ところ

、大

王の

マル

ドイ

人制

圧後

、彼

は首

都ザ

ドラ

カル

タに現

れて投降

した

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・四

・八

~一

四、

五・二

二~

二三

、ア

リア

ノス

三・二

三・四

)。

②属州パ

ルテ

ィア

/ヒ

ュル

カニ

ア総督

のプ

ラタ

ペルネ

スは

、他

の高位

のペ

ルシ

ア人

と共

に投降

した

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・四

・二

三、

アリ

アノ

ス三

・二

三・四

)。

その

後彼

は総督

領を返還さ

れ(

アリ

アノ

ス三

・二

八・二

)、

大王

の死

後も

Page 62: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 196 -

ヒュ

ルカ

ニア総督

の地位

に留

まっ

た(

ディ

オド

ロス

一八

・三

・三

)。

③最高位

の貴族

アル

タバ

ゾス

は、息子

たちや

ダレ

イオ

スの側近

たち

と共

にザ

ドラ

カル

タで投降

した

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・五

・一

~五

、ア

リア

ノス

三・二

三・七

)。

アル

タバ

ゾス

の父

は属州ヘ

レス

ポン

トス

/フ

リュ

ギア

の総督パ

ルナ

バゾ

ス、母

は王族

のアパ

メで

、彼

の家系

はペ

ルシ

アで

も屈指

の名

門。

ダレ

イオ

ス三

世の忠

実な廷臣だっ

たが

、ベ

ッソ

スの陰謀

を阻止

するこ

とが

できず

、陣営

から離脱

して

いた

。投降

には

九人

の息子

を伴っ

たとさ

れる

が(

クル

ティ

ウス

六・五

・四

)、

名前

が伝

わる

のは

三人

のみ

(ア

リア

ノス

前引箇

所)。彼

の娘

バル

シネ

はイ

ッソ

ス会

戦後

に大

王の愛

人となっ

てお

り、

アレ

クサ

ンド

ロス

は彼

らを厚遇

した

。そ

の後

アル

タバ

ゾス

はバ

クト

リア総督

に任命さ

たが

(ア

リア

ノス

三・二

九・一

)、

その

一年

後に高齢

を理由

に引退

した

(ア

リア

ノス

四・一

七・三

、ク

ルテ

ィウ

ス八

一・一

九)。

ギリ

シア

人約

一五

〇〇

クル

ティ

ウス

(六

・五

・一

〇)

とア

リア

ノス

(三

・二

三・九

)も同じ数字

を与え

る。

彼ら

はア

ルタ

バゾ

スの仲介

で投降

した

が、

アレ

クサ

ンド

ロス

はこ

のう

ちコ

リン

トス同盟

の決議以

前か

らペ

ルシ

に仕え

てい

た傭兵

は釈

放し

、決議以

後に仕官

した

者は

それ

まで

と同額

の給与

で軍

に加え

た(

アリ

アノ

ス三

・二

四・五

)。

マル

ドイ

カスピ

海の南岸

、エ

ルブ

ルズ山脈

の山間部

から北麓平野部

にか

けて居住

して

いた民族

で、

略奪

を生業

とし

てい

た(

スト

ラボ

ン一

一・一

三・六

、C

五二

四、

クル

ティ

ウス

六・五

・一

一)。彼

らの抵

抗は巧妙

で、土

地の自然条件

を生

かし

た上

に、樹木

の枝葉

を絡

み合

わせ

て垣根

を作

り、密林

の隠

れ家

から奇襲攻撃

をか

けるなど

して

マケ

ドニ

ア軍

を苦

しめ

た。

その平定

には

五日

を要

した

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・五

・一

三~

一七

、二

二)。

Page 63: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 197 -

最良

の一頭

を盗

んで

いっ

アレ

クサ

ンド

ロス

の愛馬

ブーケ

ファ

ラス

。彼

がこ

の馬

を手

に入

れた

いきさつ

は、

少年時代

のア

レク

サン

ドロ

スの

最も有

名な逸

話で

ある

(プ

ルタ

ルコ

ス六

)。

アリ

アノ

ス(

五・一

九・六

)はこ

の出

来事

を、ザ

グロ

ス山

中の

ウク

シオ

イ人

に対

する

遠征

中のこ

とと

して

いる

が、こ

れは誤

り。

六 デ

マラ

トス

リン

トス

の政

治家

(前

四〇

〇年頃

~前

三二

八年

)。親

マケ

ドニ

ア派

の指導

者で

、フ

ィリ

ッポ

ス二

世の賓客

(デモ

ステネ

ス一

八・二

九五

)。

フィ

リッ

ポス

とク

レオパ

トラ

の結婚

が原因

でア

レク

サン

ドロ

スが

国し

た時

、父子

を和解さ

せた

(プ

ルタ

ルコ

ス九

・一

二~

一四

)。朋友

の一

人と

して

東方

遠征

に従

軍し

、グ

ラニ

コス

の会

戦で

は王

のすぐ傍

で戦

う(

アリ

アノ

ス一

・一

五・六

)。玉座

につ

いた

アレ

クサ

ンド

ロス

を見

て、涙

を流

して喜

んだ

(プ

ルタ

ルコ

ス三

七・七

、五

六・一

)イ

ンド侵攻

の少

し前

に老衰

のため死去

(同

五六

・二

)。

第七

七章

アマゾ

ン族

リシ

ア神

話に

おい

て女性

戦士だ

けか

らな

る民族

。黒

海東岸

から

コー

カサ

ス、

スキ

タイ

にか

ての

地域

に住む

と考え

られ

た。

女王

をい

ただ

いて狩猟

と戦

争に従事

し、弓

を引

くとき

の邪魔

にな

らな

いよ

う右

乳房

を切断

して

いた

。征

服し

たり捕虜

にし

た男

を奴隷

とし

、彼

らと

の間

に生

まれ

た子ど

もは

女児

のみ

を育

て、男

児は

殺す

か身体

に障

害を与え

たと

いわ

れる

。大

牟田

訳註

二〇

六三

~二

〇六

七頁

タレ

スト

リス

王の

来訪

につ

いて

は、

クル

ティ

ウス

(六

・五

・二

四~

三二

)と

ユス

ティ

ヌス

(一

二・三

・五

七)

も同様

に伝え

てお

り、

女性

戦士

の人数

は三

〇〇

人、

女王

の滞在

期間

は一

三日

で一致

する

。共

通の

典拠

はク

イタ

ルコ

スで

ある

と考え

られ

る。

プル

タル

コス

(四

六・一

~二

)は

、こ

れを事

実と

して

伝え

る作

家と

作り

話と

Page 64: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 198 -

る作

家の

名前

をそ

れぞ

れ列

挙し

た上

で、事

実で

はな

いと

述べ

、ス

トラボ

ン(

一一

・五

・四

、五

〇五C

)も

その

史実

性を否定

して

いる

マゾ

ン族

の存在自体

が創

作で

ある

にし

ても

、女

王来

訪の逸

話の元

となっ

た出

来事

とし

て、

次の

二つ

を挙げ

こと

ができ

る。

①前

三二

八年初め

、ヨ

ーロ

ッパ系

スキ

タイ

人の

使節

がア

レク

サン

ドロ

スの冬営

地バ

クト

ラを

訪れ

、新

しく即位

た王

が彼

に娘

を与え

たい

と希望

して

いるこ

とを告げ

た。

アレ

クサ

ンド

ロス

はこ

れを丁重

に断っ

た(

アリ

アノ

四・一

五・一

~六

、ク

ルテ

ィウ

ス八

・一

・七

~一

〇、

プル

タル

コス

四六

・三

)。

②前

三二

四年

、オピ

スか

らエ

クバ

タナ

へ向

かう途

中、

メデ

ィア総督

アト

ロパ

テス

はア

マゾ

ン族だ

と称

して

一〇

人の

女性

をア

レク

サン

ドロ

スに贈っ

た(

アリ

アノ

ス七

・一

三・二

~六

)。

P.P

ed

ech

, H

istoriens

Com

pa

gnon

s d

’Alexa

nd

re, P

aris,19

84

,pp

.88

-89は

、こ

の逸

話が

アレ

クサ

ンド

ロス

によ

る東

様式採

用の

文脈

に置

かれ

てい

るこ

とに注

目し

、ア

マゾ

ン女

王と

の結

合は

征服

者た

るア

レク

サン

ドロ

スが異民族

の接近政策

を開始

したこ

とを告げ

、後

の正妃

ロク

サネや

ペル

シア

王族

との結婚

へと論理

的につな

がる

ものだ

と述

べて

いる

取次ぎ役

にク

レイ

トス

はア

レク

サン

ドロ

スに刺

殺さ

れた宴

会で

、王

に対

する不満

の一つ

に、

王に

会う

にペ

ルシ

ア人

に請願

しな

ければ

いけな

いこ

とを

挙げ

た(

プル

タル

コス

五一

・二

)。

オク

サト

レス

レイ

オス

三世

の弟

で、

イッ

ソス

の会

戦で

は王

を守っ

て奮闘

した

(本

巻三

四・二

~三

)。

ダレ

イオ

スの死

後、

一〇

〇〇

人の貴族

と共

に捕虜

とな

り(

クル

ティ

ウス

六・二

・九

)、

後に

アレ

クサ

ンド

ロス

の朋友

Page 65: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 199 -

取立

てら

れた

(プ

ルタ

ルコ

ス四

三・七

、ク

ルテ

ィウ

ス六

・二

・一

一)。

本文

にあ

る護衛兵

とは

、正

しく

はヘ

タイ

ロイ

= 朋友

であろ

う。

ペル

シア

の王冠

・・・

王冠

はテ

ィア

ラと呼ば

れる

フェ

ルト製

の帽子

。柔

らか

いテ

ィア

ラは

ペル

シア

人一般

着用

した

が、硬

く直立

した

ティ

アラ

は王だ

けが

用い

た。

ルシ

ア王

の衣装

につ

いて

は二つ

の記

述が

ある

。ク

セノ

フォ

ン『

キュ

ロス

の教育

』(

八・三

・一

三~

一四

)に

ると

、戦車

に乗っ

て登場

した

キュ

ロス

二世

は、

まっ

すぐな頭飾

り(

ティ

アラ

)、赤紫

の地

に白

い縞模様

の下着

(キ

トン

)、緋色

のズボ

ン(

アナ

クシ

ュリ

デス

)、深紅色

の上着

(カ

ンデ

ュス

)を

身に

付け

、頭

には

ディ

アデ

ーマ

を巻

いて

いた

。ま

たク

ルテ

ィウ

ス(

三・三

・一

七~

一九

)に

よる

と、

バビ

ロン

を進発

した

ダレ

イオ

ス三

世は

、銀

縫いこんだ紫

のトゥ

ニカ

を着

て、黄金

の帯

をつ

け、頭飾

り(

キダ

リス

)を白

い線

が入っ

た青

いリボ

ンで結ん

でい

た。

五 ズボ

ンと長袖

上着以外

のペ

ルシ

ア風装

身具

を身

に付

けた

ズボ

ン(

アナ

クシ

ュリ

デス

)はゆっ

たり

した形

乗馬

用ズボ

ン、袖

付き

上着

(カ

ンデ

ュス

)は羊毛製

で長

く広

い幅

の袖

が付

いて

いる

。プ

ルタ

ルコ

ス(

四五

・二

は、「

メデ

ィア風

の衣装

はあ

まり

に蛮族風

で奇抜だっ

たの

で採

用せず

、ズボ

ンも長袖

付き

の上着

も頭飾

りも着

しな

かっ

た。

その代

わり

、ペ

ルシ

ア風

とメ

ディ

ア風

の中間

をとっ

てう

まく混ぜ

合わ

せ、

メデ

ィア風

より慎

まし

がペ

ルシ

ア風

より

は派手な

スタ

イル

を作っ

た」

と述べ

る。

アテ

ナイ

オス

(一

二、

五三

七e

)に

よる

と、日常生活

でア

レク

サン

ドロ

スは

、白

い縞

の肌着

(キ

トン

)と紫

の外套

(ク

ラミ

ュス

)を着

け、

王の印

のリボ

ン(

ディ

アデ

ーマ

)を

巻い

た帽子

(カ

ウシ

ア)

を被っ

た。

すな

わち彼

はペ

ルシ

ア風

の頭飾

り(

ティ

アラ

)は採

用せず

、そ

の代

Page 66: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 200 -

わり

マケ

ドニ

ア風

の帽子

(カ

ウシ

ア)

にペ

ルシ

ア風

のリボ

ン(

ディ

アデ

ーマ

)を

巻い

た。以

上か

らア

レク

サン

ロス

が採

用し

たの

は、頭

に巻

くリボ

ン(

ディ

アデ

ーマ

)と

ペル

シア風

のベ

ルト

であ

るこ

とが

わか

る。

五 朋友

たち

にも

・・・分

け与

ユス

ティ

ヌス

(一

二・三

・九

)は

、王

が朋友

たち

にも

「金

で縫

い取

りし

た紫

の長

い衣

服を着

るよ

う命じ

た」

と述べ

てお

り、

アレ

クサ

ンド

ロス自

身も長袖

の肌着

を着

てい

た可能性

があ

る。

ちな

にシ

ドン

出土

の「

アレ

クサ

ンド

ロス

の石棺

」(

イス

タン

ブー

ル考

古学博物

館蔵

)に彫

られ

た戦闘

中の

王は

、長袖

のキ

トン

を着

てバ

ック

ル付

のベ

ルト

を締め

てい

る。

六 愛妾

たち

の人数

は史料

によっ

て若干

の相違

があ

る。

クル

ティ

ウス

は三

六〇

人(

三・三

・二

四)

また

は三

五人

(六

・六

・八

)、

プル

タル

コス

『ア

ルタ

クセ

ルク

セス

伝』(

二七

・二

)は

三六

〇人

、ギ

リシ

ア人

の歴

史家

デイ

ンで

は三

〇〇

人(

アテ

ナイ

オス

一二

、五

一四b

)、

ディ

カイ

アル

コス

では

三六

〇人

(同

一三

、五

五七b

)。

王の寝台

の周

りを

歩く

女た

ちは音楽

の演奏

もし

てい

た。

クマ

イのヘ

ラク

レイ

デス

は次

のよ

うに

述べ

てい

る。「

三〇

〇人

の女性

が王

をと

りま

いて

いる

。彼

女た

ちは夜起き

てい

られ

るよ

うに

、昼

に眠

る。夜

にな

ると彼

らは

、ラ

ンプ

が灯っ

てい

るかぎ

りは歌

いつづ

け、竪琴

を弾きつづ

ける

。王

は彼

女ら

を側室

にも

して

いた

」(

アテ

ナイ

オス

一二

、五

一四b

、柳沼重剛

訳)。

イッ

ソス

の会

戦後

にダ

マス

コス

で捕虜

になっ

たの

は、こ

うし

た女性

ちで

あっ

たの

かも

しれな

い。パ

ルメ

ニオ

ンは

ダマ

スコ

スか

らア

レク

サン

ドロ

スに宛

てた手紙

の中

で、「王

のため

に音楽

を奏

する遊

女」三

二九

人を捕虜

のリ

スト

に含め

てい

る(

アテ

ナイ

オス

一三

、六

〇八a

)。

Page 67: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 201 -

第七

八章

彼ら

の機嫌

をと

った

レク

サン

ドロ

スの

東方化

に対

する将兵

の不満

につ

いて

は、

プル

タル

コス

(四

五・四

)、

ユス

ティ

ヌス

(一

二・四

・一

)、

クル

ティ

ウス

(六

・六

・九

~一

〇)

も言及

する

。贈

り物

によ

る懐柔策

はク

ルテ

ィウ

ス(

六・六

・一

一)

が記

述し

てい

る。

サテ

ィバ

ルザネ

スが

・・・兵

士た

ちを

殺害

し 彼

がダ

レイ

オス

三世

に対

する陰謀

に参加

したこ

とにつ

いて

は、

本巻

七三

・二

註参照

。ア

レク

サン

ドロ

スが

ヒュ

ルカ

ニア

から

アレ

イア州

に進んだ時

、サ

ティ

バルザネ

スは

スシ

の町

(現

トゥ

ース

)で

王を

出迎え

た。

アレ

クサ

ンド

ロス

は彼

の総督

領を安堵

した

上、朋友

のア

ナク

シッ

ポス

と約

四〇騎

の騎馬投槍兵

を同行さ

せた

(ア

リア

ノス

三・二

五・一

~二

)。

サテ

ィバ

ルザネ

スがこ

れら

の兵

を殺

害し

、反

乱を起こ

した

との報

せが届

いた

のは

、ア

レク

サン

ドロ

スが

バク

トリ

アへ向

かう途

中で

あっ

た(同

三・二

五・五

、ク

ルテ

ィウ

ス六

・六

・二

〇)。

彼に

向っ

て出撃

した

レク

サン

ドロ

スは

ベッ

ソス

より先

にサ

ティ

バルザネ

スの

反乱

に対

処すべ

く、ヘ

タイ

ロイ騎兵隊

と騎馬投槍兵

、弓兵

、ア

グリ

アネ

ス人部隊

、お

よび歩兵

二個部隊

を率

いて急行

し、

六〇

〇ス

タデ

ィオ

ン(約

一一

〇キ

ロ)

の道

を二日

で駆

け抜

けた

(ア

リア

ノス

三・二

五・六

)。

アル

タコ

アナ

レイ

ア州

の首

都。

コル

タカ

ナ、

アル

タア

エナ

、ア

ルタ

カナ

とも呼ば

れる

。現在

のヘ

ラー

に比定

する説

もあ

るが

、明確

ではな

い。詳細

は大

牟田

訳註

一六

五五頁

三 険阻

で大

きな岩

砦 こ

の岩山

の包囲

戦は

クル

ティ

ウス

(六

・六

・二

三~

三二

)が詳

しく描写

して

いる

。周囲

三二

スタ

ディ

オン

(約

六キ

ロ)

あっ

て樹木

と水

に恵

まれ

、頂

上は草原

で、

一万

三〇

〇〇

人が武装

して立

てこ

もっ

Page 68: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 202 -

た。

王は包囲

をク

ラテ

ロス

に委ね

てサ

ティ

バルザネ

スを追跡

した

が、彼

があ

まり

に遠

くに逃げ

たの

で引き返

した

包囲

戦は

岩と崖

に阻

まれ

たが

、お

りか

らの強烈な日光

と強

い西風

で木材

が自然発

火し

たの

を利

用し

、火

炎と煙

攻め

たて

て陥落さ

せた

諸都

市を

三〇日

で平定

し 首

都ア

ルタ

カナ

では攻城塔

を繰

り出

して

反乱

者を降伏

に追

い込んだ

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・六

・三

三~

三四

)。

アリ

アノ

ス(

三・二

五・七

)はこ

の間

の経過

をき

わめ

て簡

略に

記述

して

いる

が、

大規模な

包囲

戦と

三〇日

に及ぶ

戦闘

期間

から

、住民

の反乱

が属州全体

に及ん

でい

たこ

とが

うか

がえ

る。

また

クラ

テロ

スの

役割

が大き

かっ

たこ

とも

、ク

ルテ

ィウ

スか

ら明

らか

であ

る。

アレ

クサ

ンド

ロス

は新

しい

アレ

イア総督

にペ

ルシ

人ア

ルサケ

スを任命

した

(ア

リア

ノス

前引箇

所)。

ドラ

ンギ

アナ

の首

ドラ

ンギ

アナ

はザ

ラン

ガイ

アと

も呼ば

れる

。ハ

ーム

ーン湖

を中心

とす

るア

フガ

ニス

ン西部

。首

都は

、通説

では

アフ

ガニ

スタ

ン西部

のファ

ラー

に比定さ

れる

が、異論

もあ

る。詳

しく

は大

牟田

訳註

六五

七~

八頁

。総督

のバ

ルサ

エン

テス

はダ

レイ

オス

三世

殺害

者の

一人

で、

イン

ドに逃

亡し

たが

、後

に捕え

られ

処刑さ

れた

(ア

リア

ノス

三・二

五・八

、ク

ルテ

ィウ

ス六

・六

・三

六)。

第七

九章

一 忌

わし

い事件

三三

〇年秋

、ド

ラン

ギア

ナ地

方の首

都フ

ラダ

で起き

た、

いわゆ

るフ

ィロ

ータ

ス事件

。都市

の名

前は

、事件

の後

にプ

ロフ

タシ

ア(予見

)と改め

られ

た。

フィ

ロー

タス事件

に関

する

記述

は、

アリ

アノ

ス三

二六

、ク

ルテ

ィウ

ス六

・七

~一

一、

プル

タル

コス

四九

・一

~一

三、

ユス

ティ

ヌス

一二

・五

・二

~三

。事件

の政

治的意

Page 69: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 203 -

味につ

いて

は森

谷『

征服

と神

話』

一九

〇~

一九

三頁

、大

牟田

訳註

一六

五九

~一

六六

六頁

一 デ

ィムノ

クル

ティ

ウス

(六

・七

・二

)で

はデ

ュム

ノス

。プ

ルタ

ルコ

ス(

四九

・三

)の写

本の

リム

ノス

は明

らか

に誤

記。

プル

タル

コス

(前引箇

所)

によ

ると

、彼

の出

身は

アク

シオ

ス川

の河口

に近

いマケ

ドニ

アの町

カラ

スト

ラ。

ディ

オド

ロス

は彼

を「朋友

の一

人」

とし

てい

るが

、家柄

も地位

も不明

。ク

ルテ

ィウ

ス(

前引箇

所)

「権威

も王

の寵愛

も取

るに足

りな

かっ

た」

とし

てい

る。

ある

こと

が原因

で 彼

が陰謀

を企

てた原因

は不明

ニコ

マコ

出自

も地位

も不詳

。プ

ルタ

ルコ

ス(

四九

・四

)と

クル

ティ

ウス

(六

・七

・七

)で

は、彼

は陰謀

は加担

しな

かっ

た。

二 兄弟

のケ

バリノ

出自

も地位

も不詳

三 フ

ィロ

ータ

スに

会い

ィロ

ータ

スは

マケ

ドニ

ア騎兵部隊

の指揮官

で、

王の

最高位

の側近

。毎日

二度

アレ

サン

ドロ

スの天幕

を訪ね

る習慣だっ

た(

アリ

アノ

ス三

・二

六・二

)。

王の近習

の一

人 武器

庫管理官

のメ

トロ

ン(

クル

ティ

ウス

六・七

・二

二)。

五 入浴中

の王

のも

アレ

クサ

ンド

ロス

は夕

方に入浴

する習慣だっ

た(

プル

タル

コス

二三

・五

)。

六 デ

ィムノ

スは

自ら

命を絶

った

ルテ

ィウ

ス(

六・七

・二

九~

三〇

)で

は、彼

は王

から呼

び出

しを受

ける

と剣

で体

を傷つ

けた

が、兵士

に取

り押さえ

られ

てア

レク

サン

ドロ

スの天幕

に運ば

れ、声

を発

するこ

とな

く王

の前

で絶

命し

た。

プル

タル

コス

(四

九・七

)で

は、逮捕さ

れる際

に抵

抗し

たため兵士

に殺

害さ

れた

六 陰謀

への

関与

は否認

した

の天幕

に呼ば

れた

フィ

ロー

タス

はまっ

たく動揺

せず

、取

るに足

らな

い者

の言

Page 70: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 204 -

ことなど信

用しな

かっ

たと

釈明

した

(ク

ルテ

ィウ

ス六

・七

・三

三)。

決定

をマ

ケド

ニア

人に

委ね

クル

ティ

ウス

(六

・八

・一

~一

五)

では

、ア

レク

サン

ドロ

スは

まず

フィ

ロー

スを

除く側近

たち

の会議

を招集

し、

ニコ

マコ

スに証言さ

せた

上で

、裁判

を開

くこ

とを決定

した

。プ

ルタ

ルコ

(四

九・八

)が

、王

は「以

前か

ら彼

[フ

ィロ

ータ

ス]を憎ん

でい

た者

たち

を集め

た」

と述べ

てい

るの

も、同じ

会議

こと

であろ

う。

クル

ティ

ウス

(前引箇

所)

によ

ると

、会議

では

フィ

ロー

タス

と対立関係

にあっ

たク

ラテ

ロス

が議

論を

リー

ドし

、彼

を排

除す

る絶好

の機

会と

して利

用し

た。

プル

タル

コス

(四

八)

では

、かね

てか

らフ

ィロ

ータ

は傲慢な言動

が目立

ち、周囲

の反感

を買っ

てい

た。

クラ

テロ

スは

フィ

ロー

タス

の愛

人を秘

かに

王の

もと

へ連

れて

行き

、フ

ィロ

ータ

スの傲慢な物言

いを

通報さ

せた

。こ

うし

て側近

たち

の間

に反

フィ

ロー

タス派

が形

成さ

れた

第八

〇章

死刑判

決を

下し

た 裁判

には武装

した

六〇

〇〇

人の兵士

が集

まっ

た(

クル

ティ

ウス

六・八

・二

三)。重罪事件

では

マケ

ドニ

ア古

来の慣習

に従っ

て王

が取

り調べ

、軍

が(平時

には

大衆

が)判決

を下

した

(同

六・八

・二

五)。

ルテ

ィウ

スは裁判

にお

ける

アレ

クサ

ンド

ロス

の告発

とフ

ィロ

ータ

スの弁明

を長々

と記

述し

てい

るが

、信憑性

は疑

わし

い。

一 パ

ルメ

ニオ

ンも含

まれ

てい

た パ

ルメ

ニオ

ンに判決

が下さ

れたこ

とは

、ど

の史料

も言及

して

いな

い。こ

れは

ディ

オド

ロス

の誤解

であろ

う。

二 拷問

を受

けて

ルテ

ィウ

ス(

六・一

一・九

~三

五)

によ

ると

、裁判

のあ

とア

レク

サン

ドロ

スは

再度側近

たち

Page 71: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 205 -

を招集

し、

フィ

ロー

タス

を拷問

して真相

を究明

するこ

とを決め

た。拷問

は夜間

に行な

われ

、翌日

の裁判

でフ

ィロ

ータ

スは自白

の内容

を認め

た。

プル

タル

コス

(四

九・一

一~

一二

)も拷問

に言及

して

いる

二 処刑

され

アリ

アノ

ス(

三・二

六・三

)で

は投槍

で、

クル

ティ

ウス

(六

・一

一・三

八)

では石打

ちで

処刑さ

た。

フィ

ロー

タス以外

に処

刑さ

れた

のは

、デ

ィム

ノス

が最初

にニ

コマ

コス

に打

ち明

けた

八人

、側近護衛官

のデ

トリ

オス

、そ

れに裁判

中に陰謀参加

を認め

たカ

リス

の計

一〇

人で

あっ

た(

クル

ティ

ウス

六・七

・一

五、

一一

・三

五~

三七

)。

リュ

ンケ

ステ

ィス出

身の

アレ

クサ

ンド

ロス

巻三

二・一

~二

およ

び訳

註参照

。上部

マケ

ドニ

アの

リュ

ンケ

ステ

ィス

王国

の旧

王族

出身

。彼

の二

人の兄弟

はフ

ィリ

ッポ

ス二

世暗

殺事件

に連座

して

処刑さ

れた

が、彼だ

けは即

位し

たア

レク

サン

ドロ

スに逸早

く忠誠

を誓っ

たため

に許さ

れた

。ところ

が前

三三

三年

、ダ

レイ

オス

三世

が彼

に王

暗殺

を促

す手紙

がパ

ルメ

ニオ

ンに

よっ

て押

収さ

れた

。こ

れがきっ

かけ

で彼

は逮捕さ

れ、監視

下に置

かれ

た(

アリ

アノ

ス一

・二

五)。

アン

ティパ

トロ

スと

の縁戚

関係

の妻

はア

ンテ

ィパ

トロ

スの娘

であっ

た。

一言

も発す

るこ

とな

クル

ティ

ウス

(七

・一

・八

~九

)に

よる

と、彼

は弁明

を命じ

られ

たも

のの怖気づき

準備

して

いたこ

とのご

く一部

しか

述べ

られず

、こ

れが罪

の意識

の現

われ

と見なさ

れた

。彼

はそ

の場

で槍

によっ

刺し

殺さ

れた

三 パ

ルメ

ニオ

ンを謀

殺し

た 関連

史料

はア

リア

ノス

三・二

六・三

~四

、ク

ルテ

ィウ

ス七

・二

・一

一~

三四

、プ

ルタ

ルコ

ス四

九・一

三。

森谷

『征

服と

神話

』一

九四

~一

九五頁

、大

牟田

訳註

一六

六六

~一

六六

九頁

。ア

レク

サン

ドロ

Page 72: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 206 -

スはパ

ルメ

ニオ

ンの友

人で

ある

ポリ

ュダ

マス

に密命

を与え

、パ

ルメ

ニオ

ン宛

の手紙

を与え

て送

り出

した

。ポ

リュ

ダマ

スが暗

殺を

実行

する

と将兵

が騒ぎ

を起こ

した

が、彼

は王

の命令

書を見

せてこ

れを鎮め

た。

四 「無規律

部隊」

クル

ティ

ウス

(七

・二

・三

五~

三八

)と

ユス

ティ

ヌス

(一

二・五

・四

~八

)も将兵

の隔離

に言及

して

いる

が、「無規律部隊

」と

いう

名称

は出

てこな

い。

第八

一章

アリ

アスパ

イ人

ルマ

ンド

川下流域

に住ん

でい

た民族

で、

アリ

マス

ポイ

人と

も呼ば

れる

。以

下の逸

話は

リア

ノス

(三

・二

七・四

~五

)と

クル

ティ

ウス

(七

・三

・一

)に

も言及さ

れて

いる

キュ

ロス

ルシ

ア人

をメ

ディ

ア人

の支配

から独立さ

せた

キュ

ロス

二世

。ア

リア

ノス

(前引箇

所)

によ

ると

彼は

スキ

タイ

遠征

に際

して

アリ

アスパ

イ人

に助

けら

れた

とい

う。

一 「善行

者た

ち」

リシ

ア語

で e

ue

rge

te-s. ギ

リシ

ア諸市

が顕著な功績

のあっ

た外国

人に贈

る称号

であ

るが

ペル

シア

にも同じ慣行

があっ

た。

たとえば

サラミ

スの

海戦

でギ

リシ

ア船

を捕獲

したピ

ュラ

コス

は、「

王の恩

人と

して

その

名を

記帳さ

れ莫

大な

領土

を与え

られ

た」(ヘ

ロド

トス

八・八

五、松平千秋

訳)。

この

民族

を称

えた

リア

ノス

(前引箇

所)

によ

ると

、ア

レク

サン

ドロ

スは彼

らを自由

の民

とし

て認め

、隣

接す

る土

地で彼

らが望むだ

けの土

地を

領土

に加え

た。

大牟

田訳

註一

六七

一頁

は、こ

うし

た寛

大な

処置

はキ

ュロ

の故事

に名

を借

りな

がら

、実際

には糧秣提供や

後方安全

の保証

に対

する報償

であっ

たと推測

する

ケド

ロシ

ア人

ドロ

シア

人あ

るい

はゲ

ドロ

シア

人と

も呼ば

れる

。ペ

ルシ

ア湾沿岸

にま

でい

たる

イラ

ン高原

Page 73: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 207 -

の広

い範囲

に住ん

でい

た。

アケ

メネ

ス朝時代

には属州

アラ

コシ

アに含

まれ

た。

ティ

リダ

テス

ルセ

ポリ

スの財務官

(本

巻六

九・一

)と同

一視

する解

釈も

ある

が、

He

cke

l, op

. cit. p.2

68

これ

を否定

し、別

のペ

ルシ

ア人

また

は地元

出身

者と見な

す。

一方

クル

ティ

ウス

(七

・三

・四

)は

、かつ

てダ

レイ

ス三

世の

書記官

であっ

たア

メデ

ィネ

スと

いう

人物

が総督

に任命さ

れた

とす

る。

サテ

ィバ

ルザネ

スが

・・・ア

レイ

アに戻

り 彼

はベ

ッソ

スか

ら得

た二

〇〇

〇騎

を率

いて

いた

(ア

リア

ノス

三・二

八・二

)。

エリ

ギュ

イオ

スと

スタ

サノ

ルを

・・・派

遣し

アリ

アノ

ス(

前引箇

所)

では

、派遣さ

れた指揮官

はエ

リギ

イオ

スと

カラ

ノス

で、パ

ルテ

ィア総督

プラ

タペ

ルネ

スがこ

れに協力

する

よう命じ

られ

た。

クル

ティ

ウス

(七

・三

二)

では

、エ

リギ

ュイ

オス

とカ

ラノ

スに加え

てア

ルタ

バゾ

スと

アン

ドロ

ニコ

スが派遣さ

れ、

軍勢

はギ

リシ

ア人歩

兵六

〇〇

〇と騎兵

六〇

〇だっ

た。ここ

に指揮官

とし

てス

タサ

ノル

を挙げ

たの

は、

ディ

オド

ロス

の誤解

タサ

ノル

はソ

ロイ

出身

のキ

プロ

ス人

(ス

トラボ

ン一

四・六

・三

、六

八三C

)。

前三

二九

年オ

クソ

ス川渡河

の際

アレ

クサ

ンド

ロス

によっ

てア

レイ

ア総督

アル

サケ

スを逮捕

すべ

く派遣さ

れ、彼自

身が代

わり

の総督

に任命さ

れた

(ア

リア

ノス

三・二

九・五

)。

エリ

ギュ

イオ

スはミ

ュテ

ィレネ

出身

のギ

リシ

ア人

で、

マケ

ドニ

アに帰化

して

アレ

クサ

ンド

ロス

の朋友

となっ

た。

イッ

ソス

とガ

ウガ

メラ

の会

戦で

はギ

リシ

ア同盟

軍の騎兵部隊

を指揮

した

(本

巻一

七・

四、

五七

・三

)。

カラ

ノス

はマケ

ドニ

ア人

で、

前三

三一

年エジ

プト

に残留

する

バラ

クロ

スに代

わっ

てギ

リシ

ア同盟

軍の歩兵部隊指揮官

に任ぜ

られ

た(

アリ

アノ

ス三

・五

・六

)。

アル

タバ

ゾス

はペ

ルシ

ア王

家につな

がる

名門貴族

で、

ダレ

イオ

スの死

後ア

レク

サン

ドロ

スに投降

した

(本

巻七

六・一

註参照

)。

アン

ドロ

ニコ

スは

ヒュ

ルカ

ニア

にお

いて

Page 74: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 208 -

ダレ

イオ

スに仕え

てい

たギ

リシ

ア人傭兵

一五

〇〇

人を

王の

もと

へ案

内すべ

くア

ルタ

バゾ

スと共

に派遣さ

れ、投降

後に

編入さ

れた

ギリ

シア

人の指揮官

に任命さ

れた

(ア

リア

ノス

三・二

三・九

、二

四・五

)。

アラコ

シア

地方

ラン

ギア

ナ地

方の

東で

、ヘ

ルマ

ンド

川流域

を中心

とし

たア

フガ

ニス

タン南

東部

。総督

はメ

ノン

が任命さ

れ、駐留

軍と

して歩兵

四〇

〇〇

と騎兵

六〇

〇が残さ

れた

(ク

ルテ

ィウ

ス七

・三

・五

)。駐留

軍の

規模

の大きさ

は、

イラ

ン東部

から

アフ

ガニ

スタ

ン南部

にか

けて

の広

い範囲

でメ

ノン

が上級監督権

を有

して

いたこ

とを

示唆

する

。彼

は前

三二

五年

に病死

する

まで

その任

に留

まっ

た。

第八

二章

一 パ

ロパ

ニサ

ダイ

ンドゥ

ーク

シュ山脈

の南麓

に住む民族

。パ

ラパミ

サダ

イ、パ

ラパ

ニサ

ダイ

とも呼ば

れる

五 土

地全

体が

人を

寄せ

つけず

、近づ

き難

い 以

上の

記述

はク

ルテ

ィウ

ス(

七・三

・七

~一

一)

とほぼ

一致

する

あらゆ

る障

害 「

軍は

、こ

の地

で人間

の文化

一切

から隔絶

した状態

に置

かれ

、被

りう

るかぎ

りの

あり

とあ

ゆる艱難辛苦―

物資

の欠乏

、寒さ

、疲労

、絶望

に直面

した

」(

クル

ティ

ウス

七・三

・一

二、

谷・上

村訳

)。

クル

ィウ

ス(

七・三

・一

三~

一八

)に

はよ

り詳

しい

記述

があ

る。

アレ

クサ

ンド

ロス

が山脈

を越え

たの

は、

前三

二九

年初

頭の厳冬

期。なぜ真冬

の豪雪季

に困難な進

軍を敢行

した

のか

。大

牟田

訳註

一六

七六頁

は、当初

はド

ラン

ギア

ナの

穀倉

地帯

で越冬

する予定

であっ

たが

、フ

ィロ

ータ

ス事件

が遠

征軍

に大きな動揺

を引き起こ

しア

レク

サン

ドロ

ス批

判も広

がっ

たの

で、こ

れを抑え

るため

に進

軍を命じ

たと推測

して

いる

七 視力

を失

った

te-n

ho

rasin(視力

を)

の語

は写

本にな

く、校訂

者の

補い

であ

る。

Page 75: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 209 -

第八

三章

一 パ

ロパ

ニソ

ス山

ンドゥ

ーク

シュ山脈

のこ

と。

イラ

ン人

はこ

の山

を、鳥

も越え

られな

いほど高

い山脈

と見

なし

てい

た。

遠征

に同行

した

アリ

スト

ブロ

スも

、「

アジ

アのどんな山

より高

い」

と述べ

てい

る(

アリ

アノ

ス三

二八

・五

一六日

かけ

て横断

クル

ティ

ウス

(七

・三

・二

一)

では

一七日

、ス

トラボ

ン(

一五

・二

・一

〇、C

七二

五)

は一

五日

イン

ド 写

本で

はte-n

Me-d

ike

nすな

わち

メデ

ィア

。校訂

者に

よっ

て「

イン

ド」

と訂正さ

れた

都市

を建設

して

ーカ

サス

のア

レク

サン

ドリ

アと

して知

られ

る。

アリ

アノ

ス(

三・二

八・四

)と

クル

ティ

ス(

七・三

・二

三)

もこ

れに言及

する

。正確な位置

は確定

して

いな

いが

、一般

には

カブ

ール

から北

へ約

六〇

キロ

べグ

ラム

に比定さ

れて

いる

。こ

れに対

して

Go

uk

ow

sky,

p.2

37

は、こ

の都市

はコ

ーカ

サス越え

の後

に建設さ

れた

もの

で、

コー

カサ

スの

アレ

クサ

ンド

リア

では別

であ

ると

して

、現在

のテ

ルメズ

に比定

する

プロメ

テウ

ギリ

シア

神話

にお

ける巨

人族

の一

人。ゼ

ウス

から

火を盗ん

で人間

に与え

、そ

の罰

とし

てコ

カサ

スの山

に鎖

でつな

がれ

、毎日鷲

に肝臓

を食べ

られ

た。肝臓

は毎晩元

通り

になっ

たの

で、彼

の苦痛

は絶え

るこ

とがな

かっ

た。

アイ

スキ

ュロ

ス『縛

られ

たプ

ロメ

テウ

ス』参照

。ク

ルテ

ィウ

ス(

七・三

・二

二)

も同じ

大きさ

の岩

とプ

ロメ

テウ

ス伝説

に言及

して

いる

。ヘ

レニズム時代

の地理

学者

エラ

トス

テネ

スは

、こ

の伝説

を大

王に迎

合す

ため

に創

作さ

れた

もの

と見な

した

(ス

トラボ

ン一

一・五

・五

、五

〇五C

、ア

リア

ノス

五・三

・一

~四

)。

Page 76: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 210 -

二 別

の諸

都市

を建設

トイ

ブナ

ー版

とロ

エブ

版は写

本R

に従っ

て複数形

で「別

の諸

都市

」allas p

ole

is と読む

が、

ビュ

デ版

は写

本F

に拠っ

て単数形

で alle

-n p

olin

とす

る。

いず

れを採

用す

るに

して

も、

前節

で言及さ

れた

コー

カサ

スの

アレ

クサ

ンド

リア

から

一日行程

とい

う近接

した

地点

に、

わざ

わざ別

のア

レク

サン

ドリ

アが建設さ

れた

は考え

にく

い。多

くの

学者

は両

者を

一つ

の都市

と見な

す。こ

の場

合第

二節

の記

述は

、第

一節

の補足説明

と考え

れる

。P.M

.Frase

r, C

ities of

Alexa

nd

er th

e G

reat,

Ox

ford

, 1

99

6,p

.14

6は

、第

二節

のア

レク

サン

ドリ

アを

sub

sidiary

fou

nd

ation

s と呼ん

でい

る。

一つ

の都市

が複数

の居住区域

を持っ

てい

たと考え

るの

が適切

であろ

う。

バル

バロ

イ七

〇〇

〇人

・・・

クル

ティ

ウス

(七

・三

・二

三)

では

、マケ

ドニ

ア人

の古参兵

七〇

〇〇

人と

、軍役

を解

かれ

た兵士

たち

が入植

した

。デ

ィオ

ドロ

スが傭兵

にの

み「希望

者」

と記

述し

てい

るこ

とは

、バ

ルバ

ロイ

と非

戦闘員

の入植

に強

制的な要素

があっ

たこ

とを

示唆

する

バク

トリ

アへ

進軍

した

レク

サン

ドロ

スは

前三

二九

年春

にヒ

ンドゥ

ーク

シュ北麓

の都市

バク

トラ

(現

バル

フ)

を進発

し、

オク

ソス

(アム

・ダ

リヤ

)川

へ向っ

た。

その間

は四

〇〇

スタ

ディ

オン

( 七二

キロ

) にわ

たっ

て一滴

の水

もな

い砂漠

が広

がり

、将兵

は炎熱

と渇き

に苦

しみ

、倒

れた兵士

の数

は戦闘

によ

る死

者よ

りも多

かっ

たと

いう

(ク

ルテ

ィウ

ス七

・五

・一

~一

五)。

エリ

ギュ

イオ

スが勝利

した

人の

一騎打

ちの場面

は、

クル

ティ

ウス

(七

・四

・三

三~

三七

)が詳

しく

述べ

いる

。二

人と

も兜

を脱

いで

戦い

、エ

リギ

ュイ

オス

はサ

ティ

バルザネ

スが先

に放っ

た槍

をか

わし

た後

、相手

の喉

真ん

中を長槍

で貫

いた

。ク

セノ

フォ

ン『

アナ

バシ

ス』(

一・八

・六

)に

よる

と、

ペル

シア

の将

軍は重

大な状況

下で

は兜

を被

らず

に戦っ

た。こ

の勝利

の知

らせ

がア

レク

サン

ドロ

スに届

いた

のは

、彼

のバ

クト

リア進

出後

のこ

とだ

が、

Page 77: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 211 -

アリ

アノ

ス(

三・二

八・三

)は将

軍た

ちの派遣

と合

わせ

て一気

に記

述し

てい

る。

自身

を王

と宣

言し

王位

の宣言

につ

いて

は本

巻七

四・二

およ

び訳

註参照

。ベ

ッソ

スは配

下の

ペル

シア

人や

〇〇

〇人

のバ

クト

リア

人を率

いて

ヒン

ドゥ

ーク

シュ山麓

一帯

を荒

らし

、マケ

ドニ

ア軍

を補給難

に追

い込ん

で前進

を阻止

しよ

うと

した

。し

かし

それ

でも

アレ

クサ

ンド

ロス

が前進

してき

たの

で、

オク

ソス

川を渡

り、

ソグ

ディ

アナ

地方

の首

都ナ

ウタ

カへ

と後退

した

。す

ると

バク

トリ

ア騎兵

たち

はベ

ッソ

スを見限っ

て四散

した

(ア

リア

ノス

三・

二八

・八

~一

〇、

クル

ティ

ウス

七・四

・二

〇)。

七 饗宴

に招

いた

の作

戦会議

はク

ルテ

ィウ

ス(

七・四

・一

~一

九)

に詳

しい

。ここ

でベ

ッソ

スは

ソグ

ディ

アナ

への撤退

を提案

した

。彼

がバ

クト

リア

を放

棄し

た最

大の理由

は、

サテ

ィバ

ルザネ

スに

よる

アレ

イア蜂起

が失敗

終わ

り、

アレ

クサ

ンド

ロス

を挟撃

する

とい

う作

戦構想

が崩

れたこ

とに

ある

(大

牟田

訳註

一六

八二頁

)。

バゴ

ダロ

クル

ティ

ウス

(七

・四

・八

)で

はコ

バレ

ス。彼

はベ

ッソ

スに

、ア

レク

サン

ドロ

スに降伏

して

王位

与え

ても

らう

方が好

まし

いと進言

し、

ベッ

ソス

を激

昂さ

せた

主だ

った

指揮

官た

ちが

共謀

して

・・・連

行し

ベッ

ソス

を捕縛

して

アレ

クサ

ンド

ロス

に引き渡

した

のは

、ス

ピタ

メネ

スと

ダタ

ペルネ

ス、

およ

びカ

タネ

ス(

アリ

アノ

ス三

・二

九・六

~三

〇・五

、ク

ルテ

ィウ

ス七

・五

・二

一~

六。

ただ

しカ

タネ

スに言及

する

のは

クル

ティ

ウス

のみ

)。

アリ

アノ

スに

よれば

、二

人の首謀

者は

アレ

クサ

ンド

スに

使者

を送

り、

ベッ

ソス

の連行

と自分

たち

の帰順

を告げ

て事

前交

渉を行なっ

た。

そこ

でア

レク

サン

ドロ

スは

ッソ

スの

身柄受

け渡

しの

ため

プト

レマ

イオ

スを派遣

した

。プ

トレ

マイ

オス

はと

ある

村を騎兵

で包囲

し、

そこ

に残

され

てい

たベ

ッソ

スを捕え

たと

いう

。し

かし

プト

レマ

イオ

スの役割

は明

らか

に誇張さ

れて

いる

。す

でに事

前交

Page 78: はじめに- 140 - ロポ ネ ソスから四〇〇〇の 騎兵 と一〇〇〇に 少 し 足 り な い 数 の 歩兵 であ っ た。またマ ケ ドニアからは王の

- 212 -

が成立

した以

上、

プト

レマ

イオ

スの任務

はベ

ッソ

スの

身柄

を受

け取

るこ

とで

しかな

かっ

たはず

であ

る。

アリ

アノ

ス(

三・三

〇・五

)が

アリ

スト

ブロ

スの

記述

とし

て伝え

てい

るよ

うに

、スピ

タメネ

スと

ダタ

ペルネ

スの

二人

がベ

ソス

をプ

トレ

マイ

オス

のも

とに連行

し、

それ

から

アレ

クサ

ンド

ロス

に引き渡

した

とす

るの

が正

しい

。大

牟田

訳註

一六

八八

~一

六九

一頁

立派

な贈

り物

ッソ

スを連行

してき

た者全員

に褒美

が与え

られ

た(

クル

ティ

ウス

七・五

・四

三)。

処罰

のた

め・・・引

き渡

した

リア

ノス

によ

ると

、ア

レク

サン

ドロ

スは

ベッ

ソス

を鞭

で打っ

てか

らバ

クト

へ送っ

た(

三・三

〇・五

)。

次い

で前

三二

九/

八年冬

、会議

を開

いて

ベッ

ソス

の大逆行為

を弾劾

し、鼻

と両耳

を削

ぎ落

とし

てか

らエ

クバ

タナ

に送

り、

メデ

ィア

人と

ペル

シア

人の集

会で

処刑

する

よう命じ

た(

四・七

・三

)。

一方

ルテ

ィウ

スで

は、

アレ

クサ

ンド

ロス

はダ

レイ

オス

三世

の弟

オク

サト

レス

にベ

ッソ

スを引き渡

し、彼

を見張

らせ

が、

ダレ

イオ

ス殺

害の現場

で殺さ

せる

ため

に処

刑を延

期し

た(

七・五

・四

〇、

四三

)。

その

後バ

クト

ラへ戻っ

てか

ら、

ベッ

ソス

をエ

クバ

タナ

に送致

する

よう命じ

た(

七・一

〇・一

〇)。

体を

小さ

く切

り刻

処刑

の方法

は、

プル

タル

コス

(四

三・六

)で

は四肢分断

、ク

ルテ

ィウ

ス(

七・五

・四

〇)

では

磔刑

。実際

には

ペル

シア風

の槍

によ

る処

刑だっ

たと思

われ

る。