無機化学  i 2 回目 齋藤軍治

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無無無無 I 2 無無 無無無無 ○ 無無10 無無無 (>2/3 ○ 無無無無 無無無 ○ 無無無無 無無 無無無無無無無無 無無 無無無無無無無無 授授授授授 HP( 授授 授授授 http://saitolab.meijo- u.ac.jp/index.html 2012/9/28

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2012/9/28. ○ 出席:  10 回以上  (>2/3 ) ○ レポート: 5回程度 ○ 期末試験: 授業+レポートより出題    前回 媒染染料のところ. 無機化学  I 2 回目 齋藤軍治. 授業内容は HP( 暫定)で紹介 http://saitolab.meijo-u.ac.jp/index.html. C) 4-16世紀  イスラム ― インド ― 中国 ― ヨーロッパ 錬金術 ● イスラム錬金術 622 年 イスラム教によるアラビア部族の統一とペルシャ、中央アジア、シリア、エジプト、小アジア、北アフリカ、イベリア半島への進出 - PowerPoint PPT Presentation

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Page 1: 無機化学  I   2 回目 齋藤軍治

無機化学  I      2 回目

齋藤軍治○  出席:  10 回以上  (>2/3 )○  レポート: 5回程度○  期末試験: 授業+レポートより出題   前回 媒染染料のところ

授業内容は HP( 暫定)で紹介http://saitolab.meijo-u.ac.jp/index.html

2012/9/28

Page 2: 無機化学  I   2 回目 齋藤軍治

C) 4-16世紀 イスラム―インド―中国―ヨーロッパ 錬金術 

● イスラム錬金術622 年 イスラム教によるアラビア部族の統一とペルシャ、中央

アジア、シリア、エジプト、小アジア、北アフリカ、イベリア半島への進出

十字軍以降 錬金術(アルケミー)書の翻訳 アラビア語→ヘブライ語→ラテン語

4 元素説を踏襲。錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現

在の化学薬品の発見が多くなされており、実験道具が発明された。そ

の成果は現在の化学 (Chemistry) に引き継がれている。 ● インド錬金術 8世紀       化学の芽は無し

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● 古代中国から10世紀前 11 世紀―前 10 世紀 青銅、 前6世紀 鉄、ついで真鍮、

亜鉛

前2世紀以降  シルクロードを用いた交易、文化交流 

140 年ころ 錬金術の書 硫黄、水銀、金、鉛などの化学反応

唐  618 年 李淵― 290 年間  907 年滅ぶ 唐時代は錬金術が隆

盛 ( 道教が国教であり、神仙思想が占める )

紀元4世紀 抱朴子 不老長寿 唐の6人の皇帝は丹薬で中毒死 

火薬、鉱物、樹脂、薬草、抽出法(毒、薬)、メッキ技術 しかし化学

にならず。

宋 朱子学(実践道徳) 錬金術落ちぶれる  化学の芽は無し

辰砂は硫化水銀 (II)( HgS)からなる鉱物で、別名に賢者の石、赤色硫化水銀、丹砂、朱砂、水銀朱などがある。日本では古来「丹(に)」と呼ばれた。加熱で水銀を与える。 HP参照

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● 中世ヨーロッパ (5世紀―15世紀) 1000 年かけて錬金術から化学の芽が

○395 年 東ローマ(ビザンチン帝国 1000 年続く)、西ローマ(5世紀にゲルマン民族の侵入で滅びる・・4世紀後半のフン族の侵入→ゲルマン民族(ゴート族)の移動→西ローマ帝国簒奪 476 年→族間紛争→8世紀末イタリア、ドイツ、フランスの基盤形成→ 11 世紀イギリス、北欧諸国)

○ キリスト教  4-5 世紀 ローマ帝国容認、 11 世紀  2 つに分裂 ギリシャ正教(モスクワ)+ローマン・カトリック(ヴァチカン):後者が西ヨーロッパ文化圏をまとめる(従って、宗教色の強い科学となる)

               知識人=聖職者○ 学術の活発化 12世紀 共通語(ラテン語)、大学(イタ

リア・ボローニャ、フランス・パリ、イギリス・オックスフォード)

○ 十字軍( 1095-1291 )の働き:イスラム文化をヨーロッパに持ち込む

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11 世紀、ボローニャは自由中世コムーネとして再成長を始め、 1164年には神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に対抗するロンバルディア同盟へ加わった。 1088年、ストゥディオと呼ばれるボローニャ大学が創立された。これが今やヨーロッパ最古の大学となり、イルネリウスのような名の知られた中世の学者、ダンテ・アリギエーリ、ジョヴァンニ・ボッカッチョ、フランチェスコ・ペトラルカ、後にガリレオ・ガリレイ、コペルニクスいった学生らを誇る。

ボローニャ  40 万人の人口を抱え、都市圏にはおよそ 1000 万人が暮らす。また、 11 世紀創立の有名なボローニャ大学には 10 万人を超える学生がいる。世界の大学の原点とされ、「母なる大学」とも雅称される

15世紀、著名な建築家や画家が存在し、彼らがボローニャを真の芸術都市にした、繁栄の時代だった。ルネサンス時代、ボローニャは、秀でた女性であればどんな専門的職業にも就けた唯一のイタリア都市だった。ボローニャの女性はイタリア他都市の女性よりもさらに大きな自由を持っていた。一部の女性は、大学で単位を得る機会すら持っていたのだ。

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12-14 世紀3人の錬金術師(本質的に宗教家) ○マグヌス (12-13 世紀ドイツ ヒ素の発見 )○ ベーコン( 13 世紀イギリス、オクスフォード大、パリ大に学ぶ、大西洋を西にすすめ、さればアジアに到着する→コロンブス) ○ルル( 13-14 世紀スペイン 無水アルコールの作成法) 空想的・典型的錬金術師  ルル主義者の元祖

医術化学  16-17 世紀 科学的な展開が一部にある(正確な実験・記述)ただし、まだ錬金術の域 ○ヘルモント( 16-17 世紀 ガス、柳の実験(光合成の観測)、定量的観測

  ○グラウバー(ヘルモントの一世代後、硫酸ナトリウム10 水和物は俗に芒硝あるいはグラウバー塩とよばれ( Na2SO410H2O)。 入浴剤、下剤、漢方薬)

              詳しくは HP参照

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D) 近代化学の誕生 (17 世紀― 18 世紀、主に英国・フランス ) この節以降は、各研究者の歴史(詳しくはHP 参照)を見ることで科学の歴史を探る

科学思考と定量実験、但し、まだ宗教臭の強い科学  第一期 ボイル、フック、キャベンディッシュ、プリーストリー

( 以上英 ) 、シェーレ(スウェーデン)第二期 フロジストン説 シュタール(ドイツ)以降第三期 ラボアジェ (仏 ) 、フロジストン説の打破、酸素、化学方程式、元素表、科学的命名法

●ボイル (英、 1627-1691)ボイルの法則、元素の定義、原子論 貴族、錬金術的思考(金属を元素と考えず、別の金属に変化できると考えた)、神学、フックの師、 7種の金属(金、銀、銅、鉄、錫、鉛、水銀)、2種の非金属(炭素、硫黄)が古代より知られ、これらは元素である。他に、中世の錬金術師により見出されたヒ素、アンチモン、ビスマス、亜鉛は元素。 1661 年 “疑い深い化学者”

● フック (英、 1635-1703) フックの法則、顕微鏡による観察    ” cell” を細胞の意味で初めて使用 きわめて幅広い科学者、性格が悪く弟子がいない。ニュートンと激しく対立、ニュートンはフックの科学業績や肖像画を消却

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Robert Boyle 、 1627 年 1 月 25 日 – 1691 年 12 月 30 日)アイルランド・リズモア出身 , ボイルの法則、元素の定義、原子論、で近代化学の創始者 , 著書『懐疑的化学者』 ( The Sceptical Chymist) は化学という分野の基礎を築いたとされている。 1657 年、ロバート・フックを助手として自ら空気ポンプの製作を始めた。 1659 年に "machina Boyleana" と名付けた空気ポンプを完成させ、一連の空気についての実験を始めた。ボイルの法則の発表、音の伝播に空気が果たしている役割の解明、水が凍結する際の膨張力の研究、比重と屈折の研究、結晶の研究、電気の研究、色の研究、流体静力学の研究があるRobert Hooke 、 1635 年 7 月 18 日 - 1703 年 3 月 3 日)は、イ

ギリスの自然哲学者、建築家、博物学者。王立協会フェロー。実験と理論の両面を通じて科学革命で重要な役割を演じた。ロバート・ボイルの弟子。科学業績は、フックの法則、顕微鏡による観察、 "cell" を細胞の意味で初めて使用

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● シュタール ( ドイツ、 1659-1734) 医師、プロセイン王の侍医、フロジストン説を提唱し、ボイル、フックの進めた科学的化学を逆行させ、長期間すぐれた化学者の成長は止まる: 1780年までにフロジストン説はほぼ全ての化学者に受け入れられ、皆、フロギストン獲得を目指す。

● キャベンディシュ (英、 1731-1810)オームの法則、クーロンの法則を発見。ただし発表せず。貴族、人嫌いの偏屈者、研究のみのすぐれた実験家。燃えやすい空気 ( 水素 )獲得。

● プリーストリー (英、 1733-1804) フロジストンを抜いた空気(酸素)獲得、アンモニア、塩化水素、一酸化窒素、二酸化窒素、二酸化硫黄発見。電気化学、科学と神学、神学者、牧師、フロジストン信奉者。

● シェーレ ( スウェーデン、 1742-1786) 、火の空気(酸素)獲得、バリウム、塩素、マンガン、モリブデン、タングステンの発見 アンモニアの合成。グリセリン、乳酸、クエン酸、シアン化水素、シュウ酸、フッ化水素、酪酸、硫化水素を発見、薬屋、すぐれた実験家、若死(薬品をなめる癖あり)、他の科学集団とは別個の研究生活。

● ラヴォアジェ (仏、 1743-1794) 幅広い科学者、フロジzトン説打破、近代化学樹立、質量保存の法則、物質の命名法、化学方程式、経済官僚、ロベスピエールによりギロチンで断首刑 “共和国は科学者を必要とせず“、ベルトレ、デューマ、パストゥール、ベルセーリウス、デーヴィーに影響を与える。

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1777 年、アントワーヌ・ラヴォアジエは フロギストン説への一連の反論を開始した。

これにプリーストリーが 1783 年に反論。プリーストリーはラヴォアジエの理論を一部受け入れたものの、ラヴォアジエの革命的主張全体に同意する準備ができていなかった。ラヴォアジエの主張とは、元素と化合物という新しい化学の考え方であり、物質の新たな命名法である。ラヴォアジエの立論の基礎となったのは、皮肉なことにプリーストリーの「脱フロギストン空気」や燃焼や水についての実験だった。結局プリーストリーは生涯ラヴォアジエの新説を受け入れることができず、フロギストン説に固執した。ラヴォアジエの理論は「定量的」であり、化学反応によって質量が増えたり減ったりしないという概念(質量保存の法則)に基づいている。対照的にプリーストリーは熱、色、体積の変化の「定性的」な観察を好んだ。 1794 年 5 月 8 日の革命裁判所の審判で「水と有害物質をタバコに混入した」との(架空の)罪で死刑とされ、その日のうちに 断頭台で処刑された。裁判長は「共和国は科学者を必要とせず」と言う。ラヴォアジエが投獄・処刑された理由については、革命指導者の一人で化学者でもあったジャン=ポール・マラーが、かつて学会に提出した論文が審査を担当したラヴォアジエによって(彼によれば「実験もせず憶測の内容であったため」)却下されたことの逆恨みによるものであるとも伝えられている。天文学者・数学者のジョゼフ=ルイ・ラグランジュは、ラヴォアジエの死に接して「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには 100 年かかるだろう」とその才能を惜しんだ。

ラヴォアジェ

ラヴォアジェ夫妻

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E) 化学の拡大。隣接科学との融合 (19 世紀 )19 世紀の化学:物理化学、原子論、分子、電気化学、電磁気

学、熱力学、有機化学、生化学、不活性ガス●ボルタ ( イタリア、 1745-1827) 電池● シャルル (仏、 1746-1823) シャルルの法則、気球乗り● ベルトレ (仏、 1747-1822) ラヴォアジェの友人・弟子、物質

の命名法、プルーストと定比例の法則で論争し負ける。ナポレオンのエジプト遠征に同行  (他に、数学者フーリエが同行・・ロゼッタストーン、 シャンポリオンが関連)

● プルースト (仏、 1754-1826) 定比例の法則● ドルトン (英、 1766-1844) ニュートン信奉者、色盲、倍数比例の法則

● アヴォガドロ ( イタリア、 1776-1856) アヴォガドロの仮説、分子

●ゲーリュサック (仏、 1778-1850) ベルトレの弟子、気体反応の法則

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( John Dalton, 1766年9月6日 - 1844年7月27日)は、イギリスの化学者、物理学者ならびに気象学者。科学業績は原子説、倍数比例の法則、ドルトンの法則。また、自分自身と親族の色覚を研究し、自らが先天色覚異常であることを発見したことによって、ドルトニズムの語源となった。ジェームズ・プレスコット・ジュール(ジュールの法則、ジュール・トムソン効果)は弟子

ドルトン

ドルトンは相対原子質量(原子量)の表を出版した。最初の表には、水素、酸素、窒素、炭素、硫黄、リンという 6種類の元素が掲載されており、水素原子の質量を1 としている。同時代の化学者らによる水、アンモニア、二酸化炭素などの分析からそれら元素の相対原子質量を求めたことがわかった。気体が全て原子から成ると確信したドルトンは、次に原子の相対的大きさ(直径)を求めるという問題に直面した。そして組み合わせは常に可能な限り単純なものになると仮定し、化学反応が異なる質量の粒子の組み合わせで起きるという考え方に到達した。この点が古代ギリシアのデモクリトスやルクレティウスの原子論と異なる点である。この考え方を物質全般に拡張することで倍数比例の法則が導かれ、実験によってそれが正しいことを確認した。

実験者としては極めて粗雑、声が不明瞭で説明も要領を得ず、講師としてはあまり優秀ではなかった

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         アメデオ・アヴォガドロ( 1776 年 8 月 9 日 - 1856 年 7 月 9 日)は、イタリアのトリノ出         身の物理学者、化学者。「分子」、「アボガドロの法則」でとくにその名が知ら         れている。生涯トリノ近郊を離れることがほとんどなかった。         アボガドロの法則「同温同圧のもと、全ての気体は同じ体積中に同数の分子を         含む」。 1803 年にイギリスのドルトンが原子量を初めて公開しており、 1811 年当         時、物質が原子から構成されると主張する原子説はほとんどの化学者に共通の認識となっていた。ドルトンは一種類の元素からなる気体は原子から構成されると信じていた。しかし、ドルトンの原子説で説明できない現象が残っていた。気体同士の反応である。例えば水素 2 容積と酸素 1 容積を化合させると必ず水蒸気 2 容積となる(反応前後の温度が等しい場合)。ドルトンの主張に従って、この反応を現代風に記述すると、以下のようになる。

一単位の水素原子と一単位の酸素原子が結合すると、一単位の水蒸気となる。これは 2対 1 対 2 という実験結果と合致しない。アヴォガドロの主張は二つの部分からなる。まず、同単位の気体は同じ体積を占めること、次に、気体は原子ではなく、同種の原子が 2つ結合した分子からなるというものである。以上から、反応式は以下のように変化する

分子に付いている係数は、 2 対 1 対 2 であり、実験結果を直接説明できた。アヴォガドロの最初の仮説(同単位の気体は…)は 1811 年以前にドルトンも採用するなど、画期的とは言えなかった。しかし、 2番目の分子仮説と結びつけることで真価を発揮した。アボガドロの法則は、例えば学校教育などで化学を初めて教授する際、初年度に必ずと言っていいほど扱う重要な基本法則である。しかし、アボガドロの法則は一見、古い仮説を組み合わせただけのように見えることもあり、発表後も重要性が理解されなかった(法曹界の出身故に論文の文章が難解だった事も一因と言われている)

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● ベルセリウス ( スウェーデン、 1779-1848) 化学で落第点の大化学者、アルファベット式化学記号、ヴェーラーは弟子、陰気で一徹でありデーヴィーと気が合わず。有機化学開始

●デーヴィー (1778-1829) 研究と遊びの達人、電気化学、ファラディーは弟子、多くの元素を発見・単離、笑気ガス中毒、一酸化炭素の吸引実験で死線をさまよう、三塩化窒素で視力(デュロンの負傷も NCl3 の爆発)を損ない助手を雇う(ファラディー)。

●デュロン (仏、 1785-1838) ベルトレの学生、片目、片方の手に指がない

● プティ (仏、 1791-1820) ベルトレの学生・・デュロン・プティの法則

● ファラディー (英、 1791-1867) 化学、電磁気学など幅広い研究・教育、ファラディーの法則

●ヴェーラー (独、 1800-1882) 有機化学の創始、尿素 ● リービッヒ (独、 1803-1873)有機化学、実験教育、偉大な頑固もの

● フランクランド (英、 1825-1899)原子価● ケクレ (独、 1829-1896)有機化学、夢とベンゼン

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サー・ハンフリー・デービー (1778 年 12 月 17 日 - 1829 年 5 月 29 日 ) は、イギリスの化学者で発明家。電気分解により、アルカリ金属( Na,K )やアルカリ土類金属 (Mg, Ca, Ba), B を発見し、塩素やヨウ素の性質を研究した。ベルセリウスは On Some Chemical Agencies of Electricityと題したデービーの 1806 年の Bakerian Lecture を「化学の理論を豊かにした最良の論文のひとつ」としている。この論文は 19 世紀前半の様々な化学親和力理論の核となった。燃料電池のアイデアを提案。 1815 年、デービー灯を発明し、可燃性の気体が存在しても坑夫が安全に働けるようになった。マイケル・ファラデー、ウィリアム・トムソンは弟子。

王立研究所でガーネット博士が行った講演の様子。ふいごを持っているのがデービー、右端にいるのがベンジャミン・トンプソン。ガーネット博士は被験者の鼻をつまんでいる。

1801 年( 23歳)、デービーは比較的新しい分野である動電気学(現在の電気化学)の講演を行い、科学的発見によって文明が進歩していくというビジョンを観客に提示した。デービーは講演に華々しい、時には危険ですらある実験を組み込み、天地創造の引用を散りばめつつ、本物の科学的情報も織り込んで解説した。講演者として人気を博しただけでなく、ハンサムなデービーは女性からの人気も高かった。 Gillray の風刺画で描かれた観客のほぼ半数は女性である。動電気学の一連の講演が終了すると、デービーは農芸化学の一連の講演を開 始し、さらに人気を博した。

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マイケル・ファラデー(Michael Faraday, 1791 年 9 月 22 日 - 1867 年 8 月 25 日)は、イングラン人の化学者・物理学者(あるいは当時の呼称では自然哲学者)で、電磁気学および電気化学の分野での貢献で知られている。ファラデーの電磁誘導の法則、電気化学 ,ファラデー効果、ファラデーケージ、ファラデー定数、ファラデーカップ、ファラデーの電気分解の法則、電気力線、直流電流を流した電気伝導体の周囲の磁場を研究し、物理学における電磁場の基礎理論を確立。それを後にジェームズ・クラーク・マクスウェルが発展させた。同様に電磁誘導の法則、反磁性、電気分解の法則などを発見。磁性が光線に影響を与えること、 2 つの現象が根底で関連していることを明らかにした。電磁気を利用して回転する装置(電動機)を発明し、その後の電動機技術の基礎を築いた。それだけでなく電気を使ったテクノロジー全般が彼の業績から発展したものである。 化学者としては、ベンゼンを発見し、塩素の包接水和物を研究し、原始的な形のブンゼンバーナーを発明し、酸化数の体系を提案した。アノード、カソード、電極 (electrode) 、イオンといった用語はファラデーが一般化させた。ファラデーは一般向けの講演も多く行った。世界の優秀な科学者たちを集めた金曜講演( 1825 年より開始)、少年少女向きのクリスマス・レクチャー、有名なロウソクの科学などであり、今日まで続いているものも多い。

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● ファント・ホッフ (オランダ、 1852-1911)正四面体炭素原子、反応速度、ノーベル賞

● ファン・デル・ワールス (オランダ、 1837-1923) ファンデルワールス方程式、ノーベル賞

●ヴェルナー ( スイス、 1866-1919) 配位化合物、ノーベル賞● フィッシャー (独、 1852-1919)単糖類、ノーベル賞、偉大な化

学者● マイヤー (独、 1830-1895) 元素の周期性● メンデレーエフ ( ロシア、 1834-1907)(1834-1907)周期律、女性教育

◎周期律の提案のち、化学的に獲得できない(化学反応しない)原子分

である不活性ガスが見いだされる。● レーリー (英、 1842-1919) アルゴンの発見、ノーベル賞● ラムゼー (英、 1852-1916) 不活性ガスの発見、ノーベル賞◎ついで、電子(ストーニー、クルックス、ジョゼフ・トムソン)、

X線(レントゲン:電磁波)、放射線(ベックレル)の研究が、 20 世紀の科学

の出発点である原子構造につながる(キュリー、ラザーフォード・・ ,a  

,b   g線)● 日本の化学者 宇田川 榕菴 (1798-1846)  舎密開宗

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アルフレート・ヴェルナー( 1866 年 12 月 12 日 – 1919 年 11月 15 日)はスイスの化学者。遷移元素錯体の八面体形の構造を提唱し、 1913 年にノーベル化学賞を受賞した。錯体化学の創始者。無機化学の分野では最初のノーベル化学賞であり、 1973 年までは唯一だった。

配位化学 1893 年、ヴェルナーは錯イオンを含む配位化合物の正しい構造を提唱した最初の人物となった。それは、中心に遷移金属原子があり、その周りに中性または陰イオンの配位子があるという構造である。例えばコバルトは CoCl3•6NH3 という化学式で表される錯体を形成するが、ドットで表されている部分の関係は謎だった。ヴェルナーは [Co(NH3)6]Cl3 という構造を提唱し、 Co3+ イオンを 6 つの NH3 が取り囲んで八面体を形成しているとした。 3 つの Cl- は自由イオンとして分離しており、ヴェルナーは水溶液の電気伝導率の測定と硝酸銀を使って塩素陰イオンを沈殿させる実験で確認した。後に CoCl3•6NH3 の化学的性質についてのヴェルナーの提案を確認するのに、磁化率の測定も行われた。

cis-[Co(NH3)4Cl2]+ trans-[Co(NH3)4Cl2]+

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ドミトリ・イヴァノヴィチ・メンデレーエフ( 1834 年 1 月 27 日 -1907年 1 月 20 日)はロシアの化学者であり、元素の周期律表を作成し、それまでに発見されていた元素を並べ周期的に性質を同じくした元素が現れることを確認し、発見されていなかった数々の元素の存在を予言したことで知られている。また、「石油の無機起源説」の提唱者としても近年再評価されている

1.元素は原子量の順に並べると明らかにその性質ごとの周期性を表す。2.科学的特性の類似する元素はほぼ同じ原子量であるか(例:白金、イリジウム、オス ミウム)、原子量が規則的に増加するか(例:カリウム、ルビジウム、セシウム)   である。3.元素グループ内での原子量順に並べた元素の配列はいわゆる原子価だけでなく、ある 範囲まで、独特の化学的特性と一致する。4.分子の大きさが化合物の性質を決定するように、原子量の大きさが元素の性質を決定 する。5.未知の元素の発見が期待される。たとえば、共に原子量が 65 から 75 の間であり、科 学的特性がアルミニウムに類似する元素およびケイ素に類似する元素が存在するで あろう(後年、該当するガリウム、ゲルマニウムが発見される)。6.元素の原子量は原子番号順で前後する元素の原子量に関する知識により修正できるこ とがある。例えば、テルルの原子量は 123 から 126 の間にあり、 128 になりえない。  元素の特徴的な特性はその原子量から予言できる。 7.広範囲に存在している元素の原子量は小さい。

1906 年のノーベル化学賞にノミネートされるも、たった一票の差でアンリ・モアッサンに敗れる。翌年に死去。

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F) 無節操的飛躍と基礎科学(20世紀~)1.原子の成り立ち:レントゲン、ベックレル、キューリ

(1911) 、ラザフォード、モーズリー、ユーリー(重水素、 1934 )、キューリ (1935) 、チャドウィック(中性子 1935 )、ハーン、シーボーグ

2.量子力学 :プランク (1918), アインシュタイン (1921) 、ボーア (1922) 、ドブローイ (1929) 、ハイゼンベルグ (1932) 、ゾンマーフェルト、シュレーディンガー (1933) 、ディラック(1933) 、ハイトラー、ロンドン、パウリ (1945) 、ボルン(1954) 、スレーター、ウィグナー (1963) 、朝永 (1965) 、ファインマン (1965)

  量子化学:ヒュッケル、ルイス、ポーリング (1954) 、マリケン (1966) 、福井 (1981) 、ホフマン (1981) 、コーン (1998)

3.結合:イオン結合:マーデルング、ボルン、ハーバー、共有結合:ポーリング他多数、金属結合:ゾンマーフェルト他多数、ファン・デル・ワールス結合

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4.熱力学: 19 世紀:ル・シャトリエ、カルノ、ジュール、クラジウス、クラペーロン、ヘルムホルツ、ケルヴィン(トムソン)、ファントホッフ (1901) 、アレニウス (1903) 、オストヴァルト (1909) 、 20 世紀:ネルンスト (1920) 、ボルン・ハーバーのサイクル、オンサーガー (1968) 、ブリゴジン (1977)

5.化学反応:ポラニー (1986) 、ウッドワード・ホフマン・福井、平衡:酸・塩基 ブレンシュテッド、ローリー、ルイス、ピアソン、ハメット、統計:ボルツマン、フェルミ、ボース、アインシュタイン、連鎖反応 (1956) 、高速化学反応 (1967) 、遊離基スペクトルスコピー(ヘルツベルグ  1971 )

6.構造:ラウエ( 1914) 、ブラッグ (1915) 、デバイ (1936) 、ホジキン( 1964 、生化学物質)、フィッシャー・ウィルキンソン(有機金属錯塩  1973 )、リブスコム(ボラン、 1976 )、核酸の基本構造 (1980) 、巨大分子微細構造(1982) 、光合成反応中心 (1988)

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7.固体・金属・超伝導:固体物理、固体化学、材料化学:ローレンツ (1902) 、ゼーマン (1902) 、フェルミ(1938) 、ブロッホ (1952) 、ショックレー (1958) 、ワイス、ネール (1970) 、江崎 (1973) 、モット (1977) 、アンダーソン (1977) 、ヴァンブレック (1977) 、超伝導:オンネス(1913) 、バーディーン (1972) 、クーパー (1972) 、シュリーファー (1972) 、ジョセフソン (1973) 、クリッツィンク (1985) 、ベドノルツ (1987) 、 ミューラー (1987) 、ギンズブルグ (2003)

8.界面、表面:ラングミュアー (1932)  

9.測定技術:電気炉 モアサン (1906) 、質量分析 アストン (1922) 、有機微量分析 プレーグル (1923) 、ラマン分光(ラマン  1930 )、サイクロトロン ( ローレンス1939) 、高圧 ブリッジマン (1946) 、NMR(ブロッホ 1952 )、位相差顕微鏡(ゼルニケ、 1953 )、ペーパークロマト(アミノ酸分析 1952 )、ポーラログラフィー(1959) 、メスバウアー (1961) 、レーザーの開発 (1964) 、分子、原子の観測と操作・・電子顕微鏡・STMの開発(1986) 、AFM,田中 (2002)

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10.高分子、衣料、機材:シュタウディンガー (1953) 、ツィグラー・ナッタ (1963) 、フローリー (1974) 、ヒーガー・マクダイアミッド・白川 (2000)

11・機能材料色素:バイヤー (1905) 、エレクトロニクス:トランジスタ(ブラッテン・バーディーン・ショックレー (1956) 、液晶( 1888 ライニッツァー・レーマン)、エネルギー材料、触媒(グリニャール (1913) 、ボッシュ (1931) 、ツィグラー・ナッタ (1963) 、野依 (2001), 根岸・鈴木 (2010) 、クラウンエーテル(ペダーセン 1987) 、クリプタンド(レーン 1987) 、分子認識(クラム 1987) 、フラーレン(クロトー・スモーリー・カール (1996) 、ナノチューブ(飯島)、グラフェン(ガイム・ノボセロフ 2010 )

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12.生化学、生命化学、医薬、農薬 (糖 フィシャー(1902)、クロ    ロフィル ウィルシュテッター (1915)、空中窒素固定法 ハー  バー・ボッシュ、胆汁酸 ウィーラント (1927)、ステリン類 (1928)、  アルコル発酵 (1929)、血液色素 (1930)、ビタミン(1937,1938)、  性ホルモン (1939)、食糧保存 (1945)、酵素 (1946)、アルカロイ  ド (1947)、血清タンパク質 (1948)、抗原抗体(ポーリング    1954)、合成ホルモン (1955)、ヌクレオチド (1957)、インシュリ  ン (1958)、炭酸同化作用(カルビン、 1961)、リボ核酸分解酵  素( 1972)、生体内エネルギー伝達( 1978)、

13.環境化学 クルッツェン・モリーナ・ローランド (1995)

14.宇宙化学