と そ が の 確 momotaro. イ ン ナ プ は...と が 確 認 で き る。そ の シ リ...

16
調 JAPANESE FAIRY TAIL SERIES JAPANESE FAIRY TAIL SERIES THE PRINCES FIRE-FLASH & FIRE-FADE. 『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相 一五

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Page 1: と そ が の 確 MOMOTARO. イ ン ナ プ は...と が 確 認 で き る。そ の シ リ ー ズ の ラ イ ン ナ ッ プ は 、 MOMOTARO. THE TONGUE CUT SPARROW. BATTLE

一、はじめに

我が国は近代に入り、再び天皇中心の国家体制に移行したのであ

り、そのため天皇の支配権の由来とその正統性を確認し、普及させ

る必要に迫られることとなった。

ゆえに、これまで一般社会においてほとんど知られていなかっ

た、天皇の由来と正当性を語る古代の書册である『古事記』・『日本

書紀』の神話・説話を国民に汎く普及させることが計られることと

なった。

それにより明治・大正・昭和戦前期において、神話・古代説話に

関する文字や図像のテクストが社会の様々な媒体に登場してくるの

である。

(�)

論者はこれまで、それらの受容の状況を調査、検討してきたが、

該論においては、明治期における「海幸山幸神話」に焦点を当てて

考察を行ってみようと思う。

二、「JA

PA

NE

SEF

AIR

YT

AIL

SER

IES

」の発行

近代における『古事記』・『日本書紀』の神話や説話の一般社会の

受容において、注目すべきものに、長谷川武次郎主催の弘文社が明

治十八(一八八五)年から出版を始めた日本の昔話の外国語訳本シ

リーズ「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

」、いわゆる「ちりめん

本」と称されるものがある。

ちりめん本と称されるのは、縮緬のように皺をよせた和紙に印刷

されていたからだが、実際には同社から普通紙に印刷されたもの

(ちりめん本と区別するため「平紙本」と称する)も出版されたこ

『古事記』・『日本書紀』に載録された

「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

│ちりめん本『T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-FA

DE

.

と巖谷小波『玉の井』を中心にして│

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

一五

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(�)

とが確認できる。

そのシリーズのラインナップは、

◎MO

MO

TA

RO

.◎T

HE

TO

NG

UE

CU

TSPA

RR

OW

.

◎BA

TT

LE

OF

TH

EM

ON

KE

YA

ND

TH

EC

RA

B.

◎TH

EO

LD

MA

NW

HO

MA

DE

TH

ED

EA

DT

RE

ES

BL

OSSO

M.

◎KA

CH

I-KA

CH

IM

OU

NT

AIN

.

◎TH

EM

OU

SE’S

WE

DD

ING

.

◎TH

EO

LD

MA

N&

TH

ED

EV

ILS.

◎UR

ASH

IMA

.

◎TH

ESE

RPE

NT

WIT

HE

IGH

TH

EA

DS.

◎TH

EM

AT

SUY

AM

AM

IRR

OR

◎TH

EH

AR

EO

FIN

AB

A.

◎TH

EC

UB

’ST

RIU

MPH

.

◎TH

ESIL

LY

JEL

LY

-FISH.

◎TH

EPR

INC

ES

FIRE

-FLA

SH&

FIRE

-FAD

E.

◎MY

LO

RD

BA

G-

O’-

RIC

E.

◎TH

EW

OO

DE

NB

OW

L.

◎SCH

IPPEIT

AR

O

◎TH

EO

GR

E’S

AR

M.

◎TH

EO

GR

E’S

OF

OY

EY

AM

A.

◎TH

EE

NC

HA

NT

ED

WA

TE

RFA

LL

.

◎TH

EW

ON

DE

RFU

LT

EA

-KE

TT

LE

.

(�)

である。

『繪入自由新聞』明治十八年十月二十二日号に「日本昔噺」の広

(�)

告が掲載されていることを石澤小枝子が指摘しているが、その広告

文には、「彩色繪入

日本昔噺

英吉利文、獨乙文、佛蘭西文、各

一册に付金十二銭舌切雀猿蟹合戦花咲爺桃太郎此他續々出版」とあ

り、英語版の他にドイツ語版、フランス語版も出版しようとしてい

たことがわかるが(石澤前掲書によると他にオランダ語版、スペイ

ン語版、ポルトガル語版も確認されている)、このシリーズの出版

目的は、「學校教科用彩色無し特別廉価一册に付金四銭右は童蒙に

輙く洋語を習熟せしむる爲め各其國の大家に乞ひ簡易なる文辭を以

て編述し日本風の彩色繪を加へたる美本なれば學校の賞與品又ハ御

進物等にも亦適當の小册なり」とあり、外国語習熟のためのテキス

トとして発行されたらしい。

その中に、「T

HE

SER

PEN

TW

ITH

EIG

HT

HE

AD

S.

」(ヤマタノヲ

ロチ)、「T

HE

HA

RE

OF

INA

BA

.

」(イナバノシロウサギ)、「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-FA

DE

.

」(海幸山幸神話)と三篇の

『古事記』上巻、『日本書紀』神代巻に記載された所謂「記・紀神

話」に由来する譚がみえる。

この「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

」といういわば日本昔話

の集成に、何故『古事記』・『日本書紀』の神話が三篇もとられるこ

とになったのか。

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

一六

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これについては、その刊行にチェンバレンが大きく関与している

(�)

ことが、指摘されていることから了解されるであろう。

チェンバレン(B

asilH

allC

hamberlain

)は、一八五〇年、英国ポ

ーツマス生まれ、明治六(一八七三)年に来日し、海軍兵学校や東

京帝國大学文科大学の教師を務めた言語学者である。明治十六(一

八八三)年には『英訳古事記』を出版し、アイヌの調査研究なども

(�)

行った人物で、自ら「王堂」と號した。

『古事記』を英訳するほどに精通しているチェンバレンが出版に

関与しているならば、『古事記』・『日本書紀』の神話が、「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

」中に含まれるのもおかしなことではないと

いえるが、そうはいっても、現在の我々からするとやはり昔話と神

話を同列に取り扱う手つきに違和感を覚えざるを得ない。

ただし、これはシリーズ全体の総称がFA

IRY

TA

IL(妖精譚)と

題されていることによるのかも知れない。

FAIR

Y

はキリスト教定着以前の土着の神の形骸化したものであ

り、FA

IRY

TA

IL

は「おとぎばなし」であるとともに零落した異教

の神々の物語でもあるからだ。チェンバレンにとって、記・紀神話

をFAIR

YT

AIL

に含めて考えることはそんなに違和感のあること

ではなかったとするべきか。

それでは、この英語版「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-

FAD

E.

」(図1)の内容を粗々と見てみよう(原文英文)。

皇子Fire-Flash

は釣り(fishing

)が好きで、弟のFire-Fade

は狩

り(hunting

)が好きだった。ある日、弟のFire-Fade

が兄Fire-Flash

にその交換を申し出た。はじめ兄は嫌がったが、弟がせがみつづけ

るので同意した。弟は釣りを試したが一匹の魚も得ることができ

ず、兄の釣り針(fish-hook

)を失った。そこで弟は新しい釣り針を

作って兄に与えたが、兄は承知せず、元の釣り針以外は受け取れな

いと述べた。弟は悲しんで海岸に座り込んで激しく泣いていると

theW

iseO

ldM

anof

theSea

がやってきて理由を尋ねた。その助言

を受け、弟はa

stoutlittle

boat

に乗ってthe

palaceof

theSea-K

ing

に行き、井戸(the

well

)の上に繁っている桂の木(a

finecassia-

tree

)に登っていると、海神の娘であるthe

PrincessPearl

の侍女た 図 1

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

一七

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ち(the

maidens

)が水汲みにやってきて弟を見つけた。弟は水を所

望したので侍女たちは金杯(a

goldencup

)で水を汲み与えたが、

弟は水を飲まず、首にかけていた宝石(the

jewel

)を唇に含み、金

杯に落とすと宝石は杯にくっついてとれなくなった。そこで侍女た

ちは宝石のついたままの杯をthe

PrincessPearl

のもとへ運んだ。そ

れを見たthe

PrincessPearl

は侍女たちに、門の内(inside

thegate

に誰かいるのかと問うた。そして侍女たちの説明を聞いて不思議に

思い、外へ出てみた。the

PrincessPearl

はその光景を見て喜んだ。

しかしthe

PrincessPearl

は皇子を一瞥すると父の元へ走り、門に美

しい男がいることを述べた。the

Sea-King

はそれが皇子Fire-Fade

だとわかると宮殿に連れていって饗応し、皇子Fire-Fade

はthePrin-

cessPearl

と結婚して三年間その国で暮らした。三年後、皇子Fire-

Fade

が故郷のことを思って深いため息をついたことをthe

Princess

Pearl

から聞いたthe

Sea-King

は、皇子Fire-Fade

から失くした釣り

針の話と兄のふるまいを聞き、ただちに海の魚を呼び集め、釣り針

を飲み込んだ魚を尋ねて、鯛(the

tai

脚註にA

Kind

offish

とあ

る)ののどから釣り針を見つけた。the

Sea-King

はthetide-flow

ing

jewel

とthetide-ebbing

jewel

と呼ばれる二つのjew

el

を与え、Fire-

Flash

がupland

に田植えをするなら、Fire-Fade

はvalley

に田を作

れ、私は水を支配しているのであなたは豊作になり、兄は損害を受

けるだろう。もし兄があなたを殺そうとしたら、the

tide-flowing

jewel

を使って溺れさせ、後悔して許しを求めてきたらthe

tide-ebbing

jewel

を出せば潮が引いて兄を生かすことができると言った。その

あと、theSea-K

ing

はすべてのワニ(crocodiles

)を呼び集め、皇子

Fire-Fade

が上国(the

upperw

orld

)に行くのですぐに送っていって

報告しろと言った。すると一尋ワニ(one

crocodile,a

fathomlong

が一日で上国へ連れていって戻ってくると言ったので、the

Sea-King

は承知し、海を渡る途中で皇子を怖がらせないように気をつけろと

言って、皇子をワニの頭(the

crocodile’shead

)に座らせて見送っ

た。ワニは約束どおり一日で皇子を無事に故郷に運んだ。ワニが帰

ろうとするとき、皇子は帯(belt

)から短剣(the

dirk

)をほどき、

ワニの首(neck

)にかけて送り出した。Fire-Fade

は釣り針を兄に

与え、the

Sea-King

がしろと言ったことをした。兄Fire-Flash

は貧

しくなり、激しく怒って弟を殺そうとした。Fire-Fade

はthetide-

flowing

jewel

を出して溺れさせ、兄は危機を感じて謝った。そこで

thetide-ebbing

jewel

を出して兄を救った。兄は長いこと苦しめられ

たので頭を下げて、これ以後弟に服従することを述べた。兄の溺れ

てもがいている様子が今も皇居(the

Em

peror’sC

ourt

)に掲示され

ている。

表紙に「T

oldin

English

byM

rs.T

.H

.Jam

es.

」とあり、ジェーム

ス夫人という女性の手になる翻訳だが、翻訳とは、原文の解釈を当

然のことながら伴うものである。

例えば、「火照命(『記』)もしくは火闌降命(『紀』)」をPrince

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

一八

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Fire-Flash

、「火遠命」(『記』)、もしくは彦火火出見命(『紀』)」をPrince

Fire-Fade

と命名し、塩椎神(『古事記』)を「T

heW

iseO

ldM

anof

the

Sea

」とし、无間勝間之小船(『古事記』)を「a

stoutlittle

boat

」と

し、トヨタマヒメを「the

PrincessPearl

」と、タマを真珠(Pearl

と解釈し、ワニを「crocodile

」と爬虫類のワニと解釈する(本文中

の挿絵にもやはり爬虫類のワニが描かれている(図2)。さらに同

じジェームス夫人訳の『T

HE

HA

RE

OF

INA

BA

.

』(イナバノシロウ

サギ)でもワニは「crocodile

」と記され、その挿絵も爬虫類のワニ

が描かれており(図3)、近代になって主張され始めたワニザメ説

をとらない)など興味深いものがある。

このシリーズには、チェンバレンが関わっているといわれるが、

チェンバレンの『英訳古事記』(引用は、『T

RA

NSL

AT

ION

OF

“KO

-JI-KI”

(古事記)or

“Records

ofA

ncientM

atters”B

YB

ASIL図 3

図 2

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

一九

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HA

LL

CH

AN

BE

RL

AIN

SEC

ON

DE

DIT

ION

』による)では、ワニを

「crocodile

」と爬虫類のワニと解釈し、无間勝間之小船(『古事記』)

を「a

stoutlittle

boat

」等と訳して「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&

FIRE

-FAD

E.

」と同様であるが、「火照命(『記』)もしくは火闌降命

(『紀』)」をFire-Shine

、「火遠命」(『記』)、もしくは彦火火出見命

(『紀』)」をFire-Subside、塩椎神(『古事記』)をthe

Deity

Salt-

Possessor

、トヨタマヒメをL

uxuriant-Jewel-Princess

とするなど、必

ずしも全てが一致しているわけではない。これは、英語学習初心者

向けのものということで、翻訳にあたりより簡便な語が選択された

とも、ジェームス夫人自身の判断によるとも考えられる。

この海幸山幸神話は、『古事記』と『日本書紀』本文、一書第

一、一書第二、一書第三、一書第四とあわせて五つのヴァリエーシ

ョンがみられるが、幸の交換を弟ヒコホホデミ(ホヲリ)が言いだ

し、何度も乞われて兄が承諾すること、海神宮の井戸でヒコホホデ

ミ(ホヲリ)に出会うのが、はじめは侍女で次にトヨタマヒメであ

ること、という説話構成から、該書は『古事記』の翻案を意図した

ものであることがわかる。

さらに、「火照命(『記』)、火闌降命(『紀』本文)」を該書はPrince

Fire-Flash

とするが、Fire-Flash

は炎が燃える意であるから、これは

『日本書紀』の「ホノスソリ(「火闌降」(本文)、「火酢芹」(一書第

一、第二、第三、第四)」が「火が燃え進んでゆく意」(新編日本古

典文学全集『日本書紀』第一巻一二二頁頭注五)であり、『古事記』

の「火照」が火が明るく照る意であるなら、Prince

Fire-Flash

『古事記』の「火照命」を意訳したと考えるべきであるし、弟のPrince

Fire-Fade

も、Fire-Fade

は炎が消えていく意であるから、『日本書

紀』の「彦火火出見尊(本文、一書第一、第二、第三)」が「火が

盛んに出る神霊」(新編日本古典文学全集『日本書紀』第一巻一二

三頁頭注七)であり、『古事記』の「火遠理」が「火勢の弱まった

時に生まれた神の義」(日本古典文学全集『古事記』一三五頁頭注

一五)であるから、Prince

Fire-Fade

は、明らかに『古事記』の

「火遠理命」を指すつもりの名前だといえよう(『日本書紀』一書第

四のみは、弟を「火折尊」とするが、兄をやはり「火酢芹命」とす

るので、該書には該当しないだろう)。

ここには古来、尊重され引用されてきた『日本書紀』ではなく、

『古事記』を参照して本文を作成する、という意図がみられるので

あり、これは、本居宣長の『古事記傳』成立以後の『古事記』の

『日本書紀』に対する優越、という大きな流れに一致するものでも

ある。

三、巌谷小波著『日本昔噺』シリーズの発行

さらに、海幸山幸神話は、明治二十七(一八九四)年、巌谷小波

によって『日本昔噺』全二十四册(博文館)のうちの一編(第弐

編)として刊行され、こどもの読み物として世間に流布していっ

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二〇

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た。書名は『玉の井』(小林永興畫)というものであった(図4)。

ちなみに他のタイトルには、「桃太郎」(第壱編)、「猿蟹合戦」

(第参編)、「花咲爺」(第五編)、「舌切雀」(第七編)、「かち��山」

(第九編)、「瘤取り」(第拾編)、「物臭太郎」(第拾壱編)、「文福茶

釜」(第拾弐編)、「猿と海月」(第拾六編)、「浦島太郎」(第拾八

編)、「一寸法師」(第拾九編)、「金太郎」(第弐拾編)、「鼠の嫁入」

(第廿四編)などの現在いわゆる昔話と称されるものの他に、「大江

山」(第六編)の酒呑童子退治譚、「俵藤太」(第八編)の大ムカデ

退治譚、「安達ヶ原」(第拾七編)の奥州の鬼女伝説、「牛若丸」(第

廿参編)の五条の橋での弁慶と源義経との対決、さらには、「玉の

井」同様、『古事記』・『日本書紀』などの古代説話に材をとったも

のに、「八頭の大蛇」(第拾参編)、「兎と鰐」(第拾四編)がある。

このように、小波の『日本昔噺』のラインナップは、先述した

「JAPA

NE

SEFA

IRY

TA

ILSE

RIE

S

」と同様、現在の所謂「昔話」と

しての範疇には明らかに収まりきらない、混沌としたものである。

さらに、この小波の『日本昔噺』シリーズは、先述した弘文社の

外国語訳本のシリーズ「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

」をかな

(�)

りの規模で参照しているという指摘が先学よりなされている。

たしかに、『日本昔噺』全二十四册のうち、「JA

PAN

ESE

FAIR

Y

TA

ILSE

RIE

S

」と重複する作品は、十七篇にも及び、かなりの程度

で重複していることから、小波が「日本昔噺」のシリーズのライン

ナップを考えるにあたって、「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

」を

参照していることは確かであるといえる。

しかし、シリーズに収録された作品の内容までもが、そのまま

「JAPA

NE

SEFA

IRY

TA

ILSE

RIE

S

」と一致するものであるのかどう

かは注意深く検証していく必要があるだろう(小波のシリーズ全体

は、上田信道校訂前掲書に網羅されているので参照されたい)。

よって、ここでは「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

」中の「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-FA

DE

.

」と小波作『玉の井』の比較

検討を行い、さらに原典となった『古事記』・『日本書紀』との関連

をも含めて考えてみる。

図 4

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二一

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◎『玉の井』ではまず、物語の冒頭が、「むかし��我日本の天地

始つてより、天神七代地神三代と過ぎて、其第四代目の君を、即ち

彦火々出見尊と申し奉る」(一頁)と兄ではなく弟の彦火々出見尊

から始まっており、「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

」が兄の

Fire-Flash

から説き起こすのとは異なる。原典の『古事記』・『日本

書紀』においても、書き出しは兄「火照命(『記』)、火闌降命

(『紀』本文)」からであり、小波作『玉の井』は、神武天皇の祖父

にあたる弟の「彦火火出見尊」(『日本書紀』本文、一書第一、第

二、第三)に、より焦点を合わせたものになっているといえる。

◎『玉の井』では、兄の名は「彦火闌降尊」、弟を「彦火々出見尊」

としており、これは『日本書紀』本文(「兄火闌降尊」・「弟彦火々

出見尊」)に倣って表記されている(もっとも『日本書紀』本文に

は「彦」は冠されていないが)ようにみえるのであり、「T

HE

PRIN

CE

S

FIRE

-FLA

SH&

FIRE

-FAD

E.

」が『古事記』に倣って兄弟の名前

(兄をFire-Flash

、弟をFire-Fade

)を付けているのとは大きく相違

する。

◎各々の幸交換について弟が話を持ちかけるのは「T

HE

PRIN

CE

S

FIRE

-FLA

SH&

FIRE

-FAD

E.

」と同じであるが、『玉の井』はその

後、「兄君も小膝を打ち、『成る程それはよい考案、そんなら直ぐに

取り替えて、私は狩りに出かけて見やう』と茲に相談が纏まりまし

て」(四頁)と弟の提案を高く評価するが、「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-

FLA

SH&

FIRE

-FAD

E.

」は『古事記』に倣って、あくまで兄は、「Prince

Fire-Flashdid

notcare

much

tochange,

andat

firstsaid

No

;but

his

brotherkept

onteazing

himabout

it,until

atlast

hesaid,“V

eryw

ell,

then;

letus

change.”

」と最後まで交換を渋るかたちになっている。

これは『日本書紀』本文が、「始兄弟二人相謂曰、試欲易幸、遂

相易之」と兄弟二人が相談するというのでもなく(一書第一もほぼ

同じ)、一書第三が、逆に、「時兄謂弟曰、吾試欲与汝換幸。弟許諾

因易之」と兄の方から交換を申し出るのでもない(一書第二にはこ

の部分が無く、第四では「云々」と略されて存在しない)。

『玉の井』は、いわば、兄は弟の提案を評価し受け入れたにもか

かわらず、自分の釣り針が失くなるとそれ以外を受け取らないとい

う、兄の非寛容な印象をより強調するものになっているといえる。

さらに、『玉の井』は、失くした釣り針の代わりを兄が受け取ら

ない理由を、「此と云ふのも、兄君は元来心の素直ならぬ方で、常

から尊の徳を嫉み、機會があつたら亡い者にして、自己計て其位を

取らうと云ふ、大きな野心のあつた故で」(十頁)とする。『古事

記』と「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-FA

DE

.

」、さらに『日

本書紀』も兄の行動の真意を語る部分を持たず、『玉の井』は、こ

こで兄の邪悪さを提示し、後の、弟が兄を従える結末の正当性を誘

導しようとしているようにみえる。

◎弟に助言するものを、「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-

FAD

E.

」は、the

Wise

Old

Man

ofthe

Sea

とするが、『玉の井』は

「塩土翁」とし、表記は、『古事記』(「塩椎神」)より、『日本書紀』

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二二

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(「塩土老翁」(本文、一書第一、第二)に近い(第三は該当する部

分無し、第四は、「塩筒老翁」)。さらに『玉の井』では、塩土老翁

が、「杖を突きながら」という他書には見られない描写がなされて

いる。

◎「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-FA

DE

.

」は、海中の国を、

「thepalace

ofthe

Sea-King

」とし、これは「綿津見神宮」(『古事

記』)、「海神之宮」(『日本書紀』本文、一書第三)に倣っていると

すべきだが(一書第一は、「海神豊玉彦之宮」、)、『玉の井』は、「龍

宮」と表記する。また、その王を「綿津見神」・「綿津見大神」・「海

神」(『古事記』)、「海神」(『日本書紀』本文、一書第一、第二、第

三、第四)、「海神豊玉彦」(一書第一)とするが、『玉の井』は「龍

神」とする。この「龍宮」という語彙は、『古事記』・『日本書紀』

成立以降に附加された思想に基づくもので、例えば中世期に成立し

た室町物語『浦島の太郎』に、「龍宮浄土」(新編日本古典文学全集

『室町物語草子集』二五八頁)等と語られるものと同質のものとす

べきだろう。

◎海神宮の井戸の上の桂の木に登った「彦火火出見尊」(『日本書

紀』本文、一書第一、第二、第三)もしくは「火遠理命」(『古事

記』)が出会うのは、「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-FA

DE

.

では『古事記』に倣って、はじめはthe

maidens

(侍女)で次にthe

PrincessPearl

(トヨタマヒメ)である。『日本書紀』本文、一書第

一、第二では、「豊玉姫」のみ、一書第一の「一云」と一書第四で

は、「豊玉姫之侍者」のみである(第三には井戸の上の桂の譚はみ

られない)。

それが、『玉の井』では、「二人の女はかくとも知らず、やがて玉

の井の頭へ参つて、携へて來た黄金の釣瓶で、今や水を酌み上げや

うと」(十七頁)、「『妾事は龍神の女、豊玉姫と申すもの。』『又妾は

其妹、玉依姫と申しまする。』」(二十二頁)、「依姫は先へ這入て、

父の龍神に右の次第を告げますと」(二十四頁)等とあるように、

龍神の二人の娘、トヨタマヒメとタマヨリヒメとなっていて、これ

は、原典となる『古事記』・『日本書紀』にはない大きな変更といえ

る。とくに玉依姫は、『古事記』・『日本書紀』においては、トヨタ

マヒメ出産条にしか登場しない。

◎「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-FA

DE

.

」では『古事記』

に倣って、皇子Fire-Fade

がthePrincess

Pearl

と結婚し、三年間そ

の国で暮らした後、the

Sea-King

が海の魚を呼び集め、釣り針を飲

み込んだ魚を尋ねるが、『玉の井』では、彦火々出見尊が龍宮に行

き、龍王に出会ってすぐに、それも「やがてキツと心付き、龍神に

向かつて言葉を改め、『時に御主人!已に御息女からお聞き及びで

もあらうが、此度吾が下降致したは、兄君の鈎を探さう爲。就ては

何とお手數ながら、一應貴殿の御支配内を、吟味致しては下さらぬ

か。』と仰有ると」(二十六頁)と彦火々出見尊自らが龍王に釣り針

探索を依頼することになっているが、三年間海神国で暮らす以前に

釣り針探索を記すのは、『日本書紀』本文のみである(一書第一、

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二三

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第三は『古事記』と同じく三年暮らした後のこととし、第二では彦

火火出見は海神国に三年間も滞在しない、第四は文中に「云々」と

省略があり、「三年」という語も見られず不明である)。

◎海神に召される魚は「海之大小魚」(『古事記』)や「all

thefishes

ofthe

sea

」(「TH

EPR

INC

ES

FIRE

-FLA

SH&

FIRE

-FAD

E.

」)、「大小

之魚」(『日本書紀』本文)、「海神於是総集海魚」(一書第一)、「尽

召鰭広・鰭狭而問之」(一書第二)とあるか、もしくは「海神乃召

鯛女」(第三)、「海神召赤女・口女問之時」(第四)と限定的である

のに対して、『玉の井』は「章魚入道、烏賊新發意、目張判官、松

魚土佐掾、河豚弾正、牛尾魚庄司を初めとして、鱧の左衛門海月

坊、海老の兵衛、比目魚助の面�、思ひ��の扮装をなし、鰭を正

して居並びました」(二十六頁)と具体的に種類を挙げ、多数の魚

を登場させている。さらに、鯛が釣り針を飲み込んだことを語るの

は「目張判官」ということになっている。

◎彦火火出見尊(『日本書紀』)・火遠命(『古事記』)の帰還にあた

っての乗り物については、「T

HE

PRIN

CE

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ASH

&FIR

E-

FAD

E.

」は『古事記』の「一尋和迩」に倣って、「one

crocodile,a

fathom

long

」とするが、『玉の井』では、「兼て其處に用意をさせたる、龍

宮專賣とも云ふべき舟、即ち八尋の大鰐に乗て、日本をさして於歸

航になりました」と「八尋鰐」とし、さらに、「往には無目籠、復

には八尋鰐、両方とも危体な乗物ですが、其癖其速いことは、中�

現今の蒸滊や帆船も、遠く及バないと云ふ重寶な代物、思ヘバ��

神代ほど、結搆なものはありません」(四十頁)と八尋鰐の速いこ

とを強調している。『日本書紀』では、帰還にあたっての乗り物に

ついての記述は本文と一書第二にはみられず、第一は「大鰐」、第

三は、「一尋鰐」、第四は帰還の乗り物については記さないが、はじ

めに「一尋鰐魚」・「一尋鰐」が彦火火出見を海宮に送るとされ、や

はり「八尋鰐」とするものはみられない。

八尋鰐という語は、トヨタマヒメが出産時に八尋鰐(『古事記』

(八尋和迩)、『日本書紀』一書第一(八尋熊鰐)、第三(八尋大

鰐))に化したという条にあるが、『玉の井』は、彦火火出見尊に兄

が服従したところでその話が締めくくられており、トヨタマヒメ出

産条は記されていない。

『古事記』に、「故各随己身之尋長、限日而白之中、一尋和迩白、

僕者一日送即還来」とあり、『日本書紀』一書第三に、「時諸鰐魚各

随其長短、定其日数。中有一尋鰐。自言、一日之内則当致焉」とあ

ることから、一尋ワニが任命されることになるのだが、これは、ワ

ニの体の大きさを示す単位が、そのまま彦火火出見を送り届ける日

数となる、つまりは体が小さければ小さいほど皇子を送り届ける日

数が短くなるという原理である。小波はそれに違和感を覚えたので

あろうか。つまりは、「八尋」鰐のほうが、「一尋」鰐より巨大であ

り、ゆえに速いのである、という『古事記』・『日本書紀』中の原理

とは逆の判断が働いたとも考えられ、これは小波なりの合理的解釈

による意図的な改変といえるかも知れない。

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二四

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『古事記』・『日本書紀』の説話中、陸への帰還にあたって乗り物

としてワニのことを述べる譚(『古事記』、『日本書紀』一書第一、

第三)はかならず、トヨタマヒメが出産にあたって彼女の正体がワ

ニであることが示される、という説話構成になっているのであり、

それは海神の正体が実はワニなのであるという思想に裏打ちされた

説話構成というべきである。

逆に『日本書紀』本文は、彦火火出見尊帰還にあたりその手段を

記さず、トヨタマヒメは、出産時にワニではなく、「龍」に化身し

たと記す。これは初代神武天皇の祖母にあたるトヨタマヒメの正体

を、ワニではなく、中国で皇帝(最高の支配者)を示す霊獣である

「龍」が適当であるとの判断がなされ、それにより説話の内容がワ

ニより龍へ改変されたということを示唆する。

近代における作品「T

HE

PRIN

CE

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ASH

&FIR

E-FA

DE

.

と『玉の井』は、両書とも兄弟争いによる弟の勝利で説話を締めく

くり、トヨタマヒメの出産譚を載録しないので、海神の正体がワニ

であるという思想には関心を持っていないことがわかる。あくまで

興味の中心は彦火火出見尊(Fire-Fade

)の勝利ということである。

以上、小波作『玉の井』が「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

中の「T

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DE

.

」を、さらにそ

の原典である『古事記』を、そのまま作品化したものでないことは

諒解されよう。

四、「玉の井」という書名

さらに、海幸山幸神話を題材にした該作品が、「玉の井」という書

名を持つということについて考えておかなければならないだろう。

「玉の井」が、ヒコホホデミが海神国に到達して登る桂の木の脇

に湧く井戸を指すのは明白であるが、この井戸は海幸山幸神話を構

成する一要素ではあるにしても、それが該説話の肝要なモティフと

は考えられない。

ヒコホホデミが豊玉姫と出会うカツラの木の傍の井戸は、『日本

書紀』本文では「一井」、『古事記』、『日本書紀』一書第一、第四で

は「井」、『日本書紀』一書第二では「好井」と、単に「井」もしく

は「好井」としか表記されておらず、井戸についてはほとんど注意

が払われていない。

小波作『玉の井』では、「見れば聞きしに差はず、瑠璃の瓦を敷

つめた、立派な衡門が正面にあつて、其前に大きな桂樹があり、其

又下には玉の井と云つて、さも清らかな井戸が御坐ります」と「清

らかな井戸」となっているが、小波作品においても井戸の取り扱い

に『古事記』、『日本書紀』ととりたてて違った扱いはされていない。

ただ、ここで注意すべきなのは、小波が「玉の井と云つて、さも

清らかな井戸が御坐ります」と述べていることだ。

「玉の井と云つて」ということは、誰かが「云つて」いるという

文脈であるだろうが、これは、小波自身がそう名付けたのだ、とと

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二五

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ることもできようが、小波以前の誰かが「云つて」いるという可能

性も考えられる。

まず考えられるのは、小波が参照したと推測される「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

」だが、石澤前掲論によると、「「ちりめん本」

でも新しい版の奥付には和文題名として「玉の井」となっている

が、初期のものには和文題名はないか、あるいは「彦火火出見尊」

になっている。明治三六年の博文館発行の小波の和英対訳「日本昔

噺」でこの話を「玉の井」としたのにならったのだろう」(石澤前

掲書四十二頁)とあることからすると、「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SER

IES

」の海幸山幸説話は、小波の「日本昔噺」シリーズの『玉

の井』が刊行される以前においては、「玉の井」という和文題名を

持たなかったことがわかる。

それに、「T

HE

PRIN

CE

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E-FL

ASH

&FIR

E-FA

DE

.

」において

も、井戸は「the

well

」とのみあって特別な意味を持たせられてい

ない。よって、小波が「JAPA

NE

SEFA

IRY

TA

ILSE

RIE

S」から

「玉の井」という書名を思いつくことは不可能である。

そこで考えなければならないのは、ジャンルは異なるが、謡曲の

「玉井」という作品である。

五、謡曲「玉井」との関連性

謡曲「玉井」は、『古事記』・『日本書紀』に載せられた海幸山幸

神話に材をとった中世期の作品である。作者は世阿弥以後の能界を

代表する人物の一人であるという観世小次郎信光(一四三五〜一五

一六)であり、「信光は応仁の乱前後の混乱期に、大衆向きの、賑

(�)

(�)

やかでわかりやすい能を創作した」とされる。

火火出見尊が豊玉姫と出会う桂の木の傍の井戸は、先述したよう

に『日本書紀』や『古事記』では単に「井」もしくは「好井」とし

か表記されておらず、井戸についてはほとんど注意が払われていな

かった。

それに対して、中世期の能においては「玉」という美称を加えて

「玉井」と表記され、「門前に玉の井有り、此井の有様、銀色輝き世

の常ならず」との描写がなされ、あまつさえそれが作品の題名とし

て採用されて前面に押し出されている。この扱いの違いはどこから

くるのだろうか。

それは中世期のこの作品において説話の興味の中心が、海神国と

いう異界の存在に移行したからであり、その異界の特徴として特に

強調され附加されたのが、不老長生という要素であったからだ。

井戸は『古事記』、『日本書紀』における単なる水を汲む場所か

(�)

ら、「濁りなき心の水の泉まで、老せぬ齢を汲みて知る」、「薬の水

の故なれや、老せぬ門に出入や、月日曇らぬ久堅の、天にも増すや

(�)

此国の、行末遠き住まゐかな」と、あらたに不老不死の薬水がわき

出る聖なる「玉井」とされた。

よって「玉井」は不老不死の源泉として該説話の最重要部分を担

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二六

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うことになり、当然題名にも冠されることとなったのである。

そもそも『古事記』・『日本書紀』という書册は、天皇の国土統治

の由来とその正当性を語るために作成されたものであるから、当然

それに載せられる説話の焦点は最終的に天皇へと収斂するように構

成されざるを得ない。

海幸山幸説話においては、それは初代天皇神武の祖父にあたるホ

ホデミが如何にして隼人の祖先である兄ホノスソリに勝利したかと

いうところにある。

兄弟争いが焦点であり、海神国が語られるのも、その異界の王と

娘の助力により、兄を屈服させる方策が得られるからである。

中世期に成立した謡曲「玉井」の興味が既にそこにはないこと

は、兄の釣り針の幸を得る力を無効にするという呪詞を省略してい

ることや、物語の結末が、火火出見尊を陸上へ送っていくところで

終了してしまい、陸上へ帰還した後の潮満・潮涸瓊により兄を溺れ

させて降伏させるという部分が載録されていないことからも窺え

る。弟

が兄を潮満瓊によって溺れさせる部分は、『古事記』に、「故至

今、其溺時之種々之態不絶仕奉也」、『日本書紀』一書第四に、「告

其弟曰、吾汚身如此。永為汝俳優者。乃挙足踏行、学其溺苦之状。

初潮漬足時則為足占、至膝時則挙足、至股時則走廻、至腰時則捫

腰、至腋時則置手於胸、至頸時則挙手飄掌。自爾及今、曾無廃絶」

とあり、これが践祚大嘗祭に演じられた「隼人舞」の起源を語るも

のともされているように、きわめて演劇的な、所作を伴った部分で

あるにもかかわらず、謡曲「玉井」はそれを採用せずに、その直前

で話を終了させてしまうのである。謡曲「玉井」の主題が兄弟争い

にあれば、そのような演劇的部分は当然の如く能舞台上の所作とし

て演じられたであろう。

また、海神宮の井戸の上の桂の木に登った彦火火出見尊が出会う

のは、小波作『玉の井』では、海神の二人の娘、トヨタマヒメとタ

マヨリヒメとされていたが、『古事記』では、火遠命は最初に侍女

に会い、次にトヨタマビメに出会うのであり、『日本書紀』本文、

一書第一、第二では、「豊玉姫」のみと出会い、一書第一の「一云」

と一書第四では、「豊玉姫之侍者」に出会うのみであった(第三に

は井戸の上の桂の譚はみられない)。

謡曲「玉井」は、『古事記』や『日本書紀』によらず、ここを豊

玉姫と玉依姫の二人と大胆な改変をしており、これは、中世期に己

の教義の根本を説明するものとして『日本書紀』を大胆に組み替

え、読み替えていった、いわゆる中世日本紀の運動と連動するもの

であったろう。そして、小波作『玉の井』が該部分を謡曲「玉井」

から採用していることは明らかである。

『古事記』・『日本書紀』成立以後、記・紀の神話・説話を典拠と

してつくられた作品は殆どみられない。そのような状況の中で海幸

山幸神話に材をとったものに、鎌倉期成立で詞は飛鳥井雅経、絵は

春日光長の作であるとされる「彦火火出見尊絵巻」があるが、ここ

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二七

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(�)

でホホデミ尊に出会うのは龍王に仕える「玉の女」であり、やはり

ホホデミ尊に出会うのがトヨタマヒメとタマヨリヒメ姉妹とするも

のは見当たらず、これが観世信光による改変である可能性は高いと

考えられる。

さらに、小波が日本昔噺の『玉の井』を作成するにあたって、謡

曲「玉井」を参照したことがわかるのは、先述したように『玉の

井』ではまず、物語の冒頭が、「むかし��我日本の天地始つてよ

り、天神七代地神三代と過ぎて、其第四代目の君を、即ち彦火々出

見尊と申し奉る」(一頁)と兄ではなく弟の彦火々出見尊から始ま

っているが、謡曲「玉井」も冒頭、「それ天地開け始まりしより、

天神七代地神四代に至り、火々出見の尊とは我事也」とあることか

ら、小波作『玉の井』では海神国を「龍宮」、その王を「龍神」と

するが、謡曲「玉井」もそれを「龍宮海洋の宮」・「龍宮」とし、そ

の王を「龍王」とすることからも知れる。

このように、小波作の海幸山幸神話が『玉の井』と命名されたの

は、謡曲「玉井」を参照したことによると考えられるが、小波作

『玉の井』自身には、不老不死の薬水が湧いているという描写はみ

られなかった。つまり小波は不老不死の薬の湧き出る井戸というモ

ティフを謡曲「玉井」から採用しなかったのである。

逆に話の興味の焦点は、謡曲「玉井」では採られなかった、原典

である古代の『古事記』・『日本書紀』と同様の兄弟争いであり、天

皇の祖父にあたる火火出見尊が隼人の祖である兄火闌降命に勝利す

ることにあったことは、謡曲「玉井」では存在しなかった陸地への

帰還後の弟の勝利譚を附加したことからもわかる。

これは、中世期とは異なり、明治維新により再度天皇が権力の中

心に復帰した影響によると考えられるが、書名には謡曲により旧来

より著名だった「玉の井」をそのまま使用したため、一読して何故

書名が「玉の井」なのか合点がいかない、という矛盾を抱えた作品

になってしまっているといえる。

謡曲「玉井」が、『古事記』ではなく、『日本書紀』の、それも本

文を原拠としていることは、兄を書紀本文と同じ「火闌降命」と表

記していること(『古事記』は「火照命」、『日本書紀』一書は全て

「火酢芹命」)、さらに、火火出見尊の海神国へいく乗り物が、書紀

本文と同じ「無目籠」と表記されていること(『古事記』は「无間

勝間小船」、『日本書紀』一書第一は「大目麁籠」、第一の「一云」

は、「無目堅間」、第三は「無目堅間小船」)、弟に助言を与える者を

謡曲「玉井」は「塩土男」とするが、『日本書紀』本文、一書第

一、第二が「塩土老翁」、第四が「塩筒老翁」とするのに対し、『古

事記』が「塩椎神」と表記することから推測できる。

さらに、謡曲「玉井」が『古事記』によらず『日本書紀』を参照

していることは、『日本書紀』がその成立以来、宮中でその講書が

開催されるなど、汎く普及していったのに対して、『古事記』が、

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二八

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その最古の写本が室町期の真福寺本までしか遡れない(『日本書紀』

の最古の写本は、奈良朝後期もしくは平安朝初期とされる佐佐木

本、四天王寺本等がある)ほど顧みられず、その普及が江戸中期以

降の本居宣長の『古事記傳』刊行以後だったことを考えれば、当然

のことともいえよう。

先に、小波作『玉の井』が、兄の名は「彦火闌降尊」、弟を「彦

火々出見尊」とすることから、これを『日本書紀』本文に倣って表

記されているようにみえるとしたが、これは正確には、謡曲「玉

井」を経由しての受容が考慮されるべきであった。

もっとも、小波作『玉の井』は弟に助言する者を「塩土翁」と

し、謡曲「玉井」は「塩土男」として同一ではなく、「翁」を表記

するのは『日本書紀』本文以下であるから、短絡的にすべて小波作

『玉の井』が、謡曲「玉井」経由の『日本書紀』の受容であるとは

いえず、『日本書紀』自体が参照されていることも窺えるとすべき

である。

そして、小波が、『古事記』ではなく『日本書紀』を参照してい

ることは、謡曲「玉井」が『日本書紀』を基礎としている以上至極

当然の成り行きだったといえる。

それにしても、何故小波は、海幸山幸神話を「日本昔噺」シリー

ズに含めるにあたり、弘文社刊行の「JA

PAN

ESE

FAIR

YT

AIL

SE-

RIE

S

」の「T

HE

PRIN

CE

SFIR

E-FL

ASH

&FIR

E-FA

DE

.

」を、さらに

その元となった『古事記』を使用せず、わざわざ謡曲「玉の井」と

『日本書紀』を元としたのであろうか。

当然本居宣長以降、近代においてより普及してきた『古事記』を

参照する方法はあったはずである。そう考えると、そこにはやはり

『古事記』を基礎として訳出された弘文社の「JA

PAN

ESE

FAIR

Y

TA

ILSE

RIE

S

」に対する巖谷小波と博文館の対抗心が、そして

「JAPA

NE

SEFA

IRY

TA

ILSE

RIE

S

」との差別化を図ろうとする意図

が仄見えるのではないだろうか。

註(1)拙稿「「古事記展覧会出陳目録」について」│『古事記年報』四十一号

(古事記学会

一九九九年一月発行)、同「近代における『古事記』・『日

本書紀』に関する記念会・展覧会について│明治期の古事記記念祭と昭

和十八年の古事記展覧会を中心に│」│古事記学会編古事記研究大系

第二巻『古事記の研究史』(高科書店

一九九九年六月発行)、同「近代

における『日本書紀』展覧会について│京都で開催された撰録千二百年

記念祭│」│戸谷高明編『古代文学の思想と表現』(新典社

二〇〇〇年

一月発行)、同「『古事記』底本の変遷│本居宣長『訂正古訓古事記』か

ら真福寺本古事記へ│」│『国文学研究』第百三十七集(早稲田大学国文

学会

二〇〇二年六月発行)、同「尾張名古屋で開催された古事記・日本

書紀展覧会について│紀元二千六百年(昭和十五年)奉祝記念展の概要

│」│『帝塚山学院大学

日本文学研究』第三四号(帝塚山学院大学日本

文学会

二〇〇三年二月発行)、同「ヤマタノヲロチの頭はいくつ」│

『彷書月刊』二〇〇三年九月号(弘隆社)、同「描かれた神々の結婚」│

「産経新聞」(大阪本社版)二〇〇四年二月九日夕刊文化欄、同「シロウ

サギにだまされたのは」│「産経新聞」(大阪本社版)二〇〇五年十月二

十四日夕刊文化欄、同「神功皇后伝承の近代における受容と変容の諸相

│絵葉書・引札というメディアを中心に│」│『国文学研究』第百四十八

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

二九

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集(早稲田大学国文学会

二〇〇六年三月発行)、同「イザナキ・イザナ

ミ神交合譚の近代における受容の一側面│婚礼の象徴としての男女神の

図像│」│青木周平先生追悼『古代文芸論叢』(おうふう

二〇〇九年十

一月発行)、同「お菓子の神となった男」・「兼六園の謎の銅像」│『彷書

月刊』二〇一〇年三月号(彷徨舎)、同「『古事記』・『日本書紀』の海幸

山幸神話と「玉井」」│『月刊

国立能楽堂』第323号(独立行政法人日本

芸術文化振興会

二〇一〇年七月発行)を参照のこと。

(2)例えば、論者所蔵の平紙本「T

HE

PRIN

CE

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E-FL

ASH

&FIR

E-

FAD

E.

」(奥付に「日本昔噺

第十四號

英國

ヂエイムス夫人譯述

弘文社

出版

明治廿年七月十六日

一七三六〇號版権免許

出版

東京府平民

長谷川武次郎

京橋区南佐柄木町二番地」とある)

は、ちりめん本に比較すると本文の英文は同一の組版になっているが、

挿絵は同じ情景を描写してはいるのだが、明らかにその筆致は異なって

いる。

(3)宮尾與男編『明治期の彩色縮緬絵本

JAPA

NE

SEFA

IRY

TA

ILSE

RIE

S

対訳日本昔噺集』(第1巻(二〇〇九年二月)、第2巻(二〇〇九年四

月)、第3巻(二〇〇九年五月)、彩流社)の影印を参照した。

(4)石澤小枝子著『ちりめん本のすべて

明治の欧文挿絵本』(三弥井書店

平成十六年三月発行)十六頁。

(5)宮尾前掲書第二巻一九五頁、高島一美「ちりめん本「日本昔噺」シリ

ーズ“T

HE

HA

RE

OF

INA

BA

(『因幡の白兎』)考│姫への求婚譚として

の翻案│」│『いわき明星大学大学院人文研究科紀要』第七号三十一頁

二〇〇九年三月発行)。

(6)重久篤太郎「王堂C

hamberlain

略傳」│『英語青年』第七十三卷第二號

チェンバレン記念號(昭和十年四月発行)。

(7)石澤前掲書、上田信道校訂

東洋文庫『日本昔噺』(平凡社

二〇〇一

年八月発行)、久米依子「巌谷小波『日本昔噺』の近代性│国民国家時代

と昔話のイデオロギー」│『文學研究』九十二号(日本文學研究会

二〇

〇四年四月発行)。

(8)山本和加子「信光の作法能と間狂言をめぐる試論│「玉井」と「船弁

慶」を中心に│」│『實踐國文學』第二十九号(実践国文学会

昭和六十

一年三月発行)。

(9)謡曲「玉井」の梗概を西野春雄校注『謡曲百番』(新日本古典文学大系

岩波書店

四七七頁)から引用しておく。

兄から借りた釣り針を魚に取られた彦火火出見尊は、剣を砕き針に作

りなして返したが許されず、元の釣り針を探して海洋(わだづみ)の都

へやってきた。龍宮の門前の、銀色に輝く玉の井と枝葉の茂った桂の木

のもとで様子を窺っていると、豊玉姫と玉依姫が霊水を汲みに現れ、井

戸に映る雅な尊の姿に気づく。名を尋ね訳を聞き、姉と妹であることを

明かして龍宮へ案内する。事情を聞いた姫たちの父龍王は、釣り針の探

索と潮満潮涸(しおみつしおひる)二つの玉の贈呈を約束。尊は豊玉姫

と結婚し、三年の月日が経った。帰国の時が来て海路のしるべを尋ねる

尊に、豊玉姫は海中の乗物は様々あり安心するよう告げる(中入)。いた

ら貝の精があらわれて事の子細を述べ、仲間の貝の精たちを呼び出し、

尊と姫の夫婦仲を祝福し酒宴をなす。やがて二人の姫が玉を捧げ、海神

の宮主の龍王が釣り針を携えて現れ、尊に奉呈。姫たちは袖を返して舞

い、龍王も静かに重々しく舞ううち時が移り、尊を五丈の鰐に乗せ、二

人の姫に玉を持たせ、遙かな陸地に送り届けた。

(10)西野春雄前掲書四七八頁。

(11)西野春雄前掲書四七八頁。

(12)小松茂美著『彦火々出見尊絵巻の研究』(東京美術

昭和四十九年十月

発行)七十六頁。「彦火々出見尊絵巻」では、ホホデミ尊の登る「桂の

木」も「井戸」も描かれず、二つの門の脇にただ「玉の女」がそれぞれ

居るとされる。

※本稿は平成二十二年度科学研究費基盤研究(B)による研究成果の一部

である。

『古事記』・『日本書紀』に載録された「海幸山幸神話」の近代における受容の諸相

三〇