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区画整理 2015年7月 2 日建設計総合研究所 上席研究員 松村 茂久 海外 まちづくり事情 ベトナムの大都市における 居住環境の現状と課題について はじめに 1 2011年、ベトナム政府はインフレを抑制するた め、金融引き締め政策を断行しました。そのため、 不動産市場は大きく冷え込みましたが、ようやく 昨年頃より、低中所得者向けの住宅開発事業を中 心に不動産市場は回復基調にあります。しかしな がら、上向きの景気のもと、交通渋滞や水質汚染 などの大都市における都市問題は、あらためて顕 在化してきたように思います。このようなベトナ ムの大都市では、都心部に居住する人々の日々の 暮らしをとりまく環境、すなわち、居住環境の悪 化も大きな問題となっています。 もともと、ハノイ市やホーチミン市などのベト ナムの大都市の中心部は、多くの人々が居住する 高密度な居住エリアとなっているのが特徴ですが、 このような大都市の中心部の居住環境は、近年、 特に悪化してきていると考えられています。すな わち、大都市の中心部の街区は、オートバイや自 転車しか入れないような狭い路地に4~5階建て の戸建住宅が密集している、いわゆる密集市街地 となっています。このような街区では、細街路に 消防車などの緊急車が入れないため、火災の延焼 などの人命にかかわる深刻な被害が起きる状況と なっているのです。また、これはハノイ市に特有 な状況ですが、1960 ~ 1980年代に旧ソビエト連邦 などの社会主義諸国の支援により整備された集合 住宅が複数棟立地するエリアが、今も都心部を中 心に数多く残っています。これらのアパートは、 老朽化し構造的に危険な状態にあるばかりでなく、 ハノイ市中心部の都市の活性化を阻害する要因と なっていると考えられます。 本稿では、このようなベトナムの大都市の中心 部における、居住環境の現状と課題について報告 したいと思います。 ベトナムの密集戸建エリア 2 下の図及び写真は、ホーチミン市の中心部にお ける特徴的な街区の様子を示したものです。この ように、ベトナムの大都市においては、狭小な路 地を介して戸建住宅が密集する街区が数多く形成 されています。このような街区では、都市基盤施 設の整備が不十分なため、劣悪な居住環境が生み 出されていると同時に、前述のように、人命にか かわる深刻な被害が起きる状況となっています。 ベトナムの大都市の中心部において、このよう な密集戸建エリアが形成される背景としては、居 図-1 ベトナムの大都市の中心部にみられる密集戸建住宅エリア(ホーチミン市)

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区画整理 2015年7月2

日建設計総合研究所

 上席研究員 松村 茂久

海外まちづくり事情

ベトナムの大都市における居住環境の現状と課題について

はじめに12011年、ベトナム政府はインフレを抑制するた

め、金融引き締め政策を断行しました。そのため、不動産市場は大きく冷え込みましたが、ようやく昨年頃より、低中所得者向けの住宅開発事業を中心に不動産市場は回復基調にあります。しかしながら、上向きの景気のもと、交通渋滞や水質汚染などの大都市における都市問題は、あらためて顕在化してきたように思います。このようなベトナムの大都市では、都心部に居住する人々の日々の暮らしをとりまく環境、すなわち、居住環境の悪化も大きな問題となっています。

もともと、ハノイ市やホーチミン市などのベトナムの大都市の中心部は、多くの人々が居住する高密度な居住エリアとなっているのが特徴ですが、このような大都市の中心部の居住環境は、近年、特に悪化してきていると考えられています。すなわち、大都市の中心部の街区は、オートバイや自転車しか入れないような狭い路地に4~5階建ての戸建住宅が密集している、いわゆる密集市街地となっています。このような街区では、細街路に消防車などの緊急車が入れないため、火災の延焼などの人命にかかわる深刻な被害が起きる状況と

なっているのです。また、これはハノイ市に特有な状況ですが、1960 ~ 1980年代に旧ソビエト連邦などの社会主義諸国の支援により整備された集合住宅が複数棟立地するエリアが、今も都心部を中心に数多く残っています。これらのアパートは、老朽化し構造的に危険な状態にあるばかりでなく、ハノイ市中心部の都市の活性化を阻害する要因となっていると考えられます。

本稿では、このようなベトナムの大都市の中心部における、居住環境の現状と課題について報告したいと思います。

ベトナムの密集戸建エリア2下の図及び写真は、ホーチミン市の中心部にお

ける特徴的な街区の様子を示したものです。このように、ベトナムの大都市においては、狭小な路地を介して戸建住宅が密集する街区が数多く形成されています。このような街区では、都市基盤施設の整備が不十分なため、劣悪な居住環境が生み出されていると同時に、前述のように、人命にかかわる深刻な被害が起きる状況となっています。

ベトナムの大都市の中心部において、このような密集戸建エリアが形成される背景としては、居

図-1 ベトナムの大都市の中心部にみられる密集戸建住宅エリア(ホーチミン市)

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� 区画整理 2015年7月 3

住環境を適切にコントロールするための法制度が十分に整っていないこと、また、制度があったとしても、それを適切に運用する能力が地方政府に備わっていないことがあげられます。具体的には、良好な居住環境を整備する上で最低限必要となる道路や空地などを生みだす役割を果たしている接道義務や斜線制限のような基本的な規定がベトナムにはないことが、劣悪な居住環境を生み出す原因の一つになっていると考えられます1)。

ここで、都市開発をコントロールするための法制度の不備や地方政府の能力不足の他に、ベトナムの居住環境の整備や改善を阻害している主な要因を示します。①投機的な不動産投資による土地代の高騰

ベトナムの全ての土地は国有となっていますが、使用権の売買や賃貸が認められていることから、大都市の都心部では土地や建物が投機の対象となっており、場所によっては日本並みの高値がついているところもあります。上記の居住環境が悪化しているエリアも、大都市の都心部に立地していることから、土地代は概して高騰しており、土地や建物を買収して再開発を行うことは難しい状況にあります。②不動産の権利の細分化・土地収用法の不備

ベトナムの大都市においては、ほとんどの住宅の土地・建物の使用権は個人もしくは企業等に譲渡もしくは払い下げられています。したがって、大都市の都心部では、都市開発事業を進めるための土地収用が難しく、また、再開発や都市基盤整備事業を迅速に進めるために必要となる日本の土地収用法のような制度も、一応は存在するものの、ほとんど機能していない状況にあります。③都市開発事業を推進するための制度の不備

ベトナムには、市街地再開発事業や土地区画整理事業のような、住民の移転を伴わずに都市開発事業を進めることが可能となる、いわゆる「事業法」が存在しないため、既存の住民が存在するエリアの開発事業の推進は難しい状況にあります。

ハノイの集合住宅エリア3ハノイ市の中心部においては、KTT(Khu Tap

The = collective housing area)と呼ばれている公共が整備した集合住宅エリアが数多く存在しています。前述の通り、KTTは1960 ~ 1980年代に旧ソ

ビエト連邦などの支援を受けて建設されたものですが、ベトナム建設省へのヒアリングによると、現在ハノイ市には、19か所のKTTが存在しています。特に、1980年以前に建設されたKTTは、市の中心部(都心4区及び環状2号線の内側)に立地しており、さらに、Kim Lien KTT(図-2・図-3)やGiang Vo KTTのように30haを超える大規模なエリアとなっているものもあり、ハノイ市の中心部における都市構造の再編や都市環境の改善を阻害する要因になっていると考えられます。

2014年8月に発表されたハノイ市の報告書2)によると、KTTに建設されているアパートの総数は、4~6階建ての中層が1,155棟、1~3階建ての低層が10棟となっています。これらのKTTエリアでは、アパートの1階部分が区画道路や公園等に張り出す形で違法増築が行われ、さらに、その増築部分に上屋を重ねる形での違法増築も行われており、当初の整備状況に比べると、かなり高密度な居住エリアとなっています(図3・図4)。このよ

図-3 集合住宅エリア現況(Kim Lien KTT)

図-2 集合住宅エリア配置図(Kim Lien KTT)

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区画整理 2015年7月4

うな違法な増築が横行していることや、建物の維持管理が適切に行われていないことから、ほとんどのKTTエリアでは、多くの建物が老朽化し、崩壊の危険性がある状態になっています。

これまで、ハノイ市及び建設省をはじめとする中央政府は、KTTエリアの改善や建て替えに関する調査の実施や条例・政令等の交付を行ってきました。例えば、2008年のハノイ市による「決定

(Decision)」3)では、居住者の2/3の合意があれば再開発及び改修事業の実施が可能になることや、居住者の立退き及び建設中の仮居住についての規定などが定められました。これらの新たに制定された規定等により、一部のKTTエリアでは、部分的な建て替えや増築部分の補強工事などが行われていますが、これらは例外的なケースで、ほとんどのKTTエリアでは、老朽化したアパートの躯体の改良や建て替え事業は進んでおらず、既存の制度だけではKTTエリアの問題に十分に対応できていないことがわかります。

さらに、2011年には、ハノイ市全域を対象とした都市計画マスタープランが首相により承認されましたが、この計画なかで、多くのKTTが立地するハノイ市の中心エリアは、新規に建設される建築物の高さが7~9階以下に制限され、また、人口は120万人から80万人へと削減されることになりました。2013年7月には、この都市計画マスタープランの規定内容をベースとした首都法が施行され、ハノイ市の中心エリアの建築物の高さや人口が法律により厳しく抑制されることになりました。これらの計画や法律により、KTTエリアの改善及び

建て替え事業の推進は、ますます難しくなってしまいました。

居住環境の改善に向けて4上述した、ベトナムの大都市における密集戸建

エリアを改善する方策として、ホーチミン市政府は、市の拡大CBDエリア(930ha)において、「建築管理ガイドライン」を策定しました4)。このガイドライン制度は、ゾーニング計画において定められる都市計画規制を補完するという目的で、2010年に施行された都市計画法により制度化されたものですが、ホーチミン市の上記エリアを対象とした計画が、2013年に全国で初めて承認され、法定都市計画として成立しました。

この建築管理ガイドラインの中には、日本の容積率緩和制度にみられるような、容積率のボーナス制度が規定されており、a)オープンスペースや公園などの公開空地の確保、b)歴史的建築物の保全、c)環境配慮、d)公共交通機関との適切な接続、などを行った都市開発事業は、容積の割増しを受けることができるようになりました。容積率のボーナスが供与される条件には、以上の要件の他、e)「再開発促進エリア」に指定された密集戸建エリアを一定面積(1,000㎡)以上開発事業区域に含み、かつ、拡幅が規定された指定道路に10m以上接道しているケースも含まれています

(図-5)。このボーナス規定により、密集戸建エリアの再開発が進むことが期待されています。また、このガイドライン制度では、ベトナムには存在しない隣地斜線規定も定められており、すでに行政指導のツールとして活用されています。

但し、これまでベトナムにおいて、この建築管理ガイドライン制度が導入されたのは、このホーチミン市の拡大CBDエリアのみとなっています。実はこの制度には、規定のひな形となるようなものは一切なく、また、制度を運用するためのマニュアルやガイドラインも存在しないため、制度を導入するためには、地方政府の専門職員の高い技術的能力とコンサルタントを雇用するための予算が必要となります。したがって、この制度を全国レベルで展開させるためには、各種モデル規定の内容が記載されたマ

図-4 道路への違法増築(Nguyen Cong Tru KTT)

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ニュアルなど、全国の地方政府が容易に運用することが可能となるツール作りが必要と考えられます。

集合住宅エリア(KTT)の改善や再開発については、2015年2月、ハノイ市のKTTの建て替えをメインターゲットとした、大都市における集合住宅等の再開発を促進するための政令(Decree)の素案が、ベトナム政府(建設省)により発表されました。政令案には、認定されたプロジェクトエリアについて、容積率を既定の都市計画に示された数値の3倍以上にすることや建物の高さ制限の撤廃を行うことが可能になること、さらには、建築物が危険な状態にあると認められた場合は強制的な建物の撤去や再開発事業の実施が可能になるなど、KTTエリアの再開発事業を促進するための事項が数多く盛り込まれています。この政令案に対しては、極端に開発事業者に対して好条件を与えるものであり、乱開発を引き起こしかねないという反対意見もありますが、KTTの再開発事業を促進するためには、これぐらいの大胆な制度の導入が必要ではないかと思います。

但し、上記の反対意見にもあるように、高容積率が認められた都市開発事業は、周辺エリアに対して、交通渋滞や都市基盤施設の不足などのネガティブな影響を引き起こす可能性もあり、適切な環境影響評価を実施することが望まれますが、残念ながら、ベトナムには開発のインパクトを適切に評価するためのシステムは存在しません。

加えて、いくら容積率や高さなどの規制が緩和されたとしても、大都市の都心部の土地代が高騰している状況は変わらず、また、土地収用に関する法制度が適切に機能していない現状では、既存の住民や土地・建物の所有者(使用権者)への対応は依然として難しいものがあります。

最後に5以上、ベトナムの大都市における居住環境の問

題や改善状況などについて述べましたが、今後この分野における日本からの技術的な支援は大いに期待されていると考えられます。

例えば、都市開発のインパクトを適切に評価するツールとしては、国土交通省の「大規模開発地区関連交通マニュアル」が参考になると考えられますし、また、ホーチミン市において施行された建築管理ガイドラインを、今後全国展開させるためには、日本の経験を活かすことは有益であると考えられます。

さらに、土地・建物の使用権者への対応の難しさについては、地権者の立退きが伴わない土地区画整理や都市再開発などの日本の事業法のような制度の導入が期待されます。タイにおける土地区画整理法のように、導入に20年以上も要したケースもありますが、モンゴルやアフガニスタンのように簡易な制度をわずか数年で成立させようとしているケースもあります。このように、日本からの技術支援は、ベトナム大都市の居住環境の改善に大いに貢献できるものと考えられます。

(まつむら しげひさ)(補注)1) ベトナムのBuilding Codeに道路斜線制限は規定されて

いるが、規制の内容が厳しすぎて、実際はほとんど適用されていない。また、斜線制限規制は存在しない。

2) Progress of the Renovation of Old Apartment Building in Hanoi City(ハノイ市、2014年)

3) Decree No. 71/2010/ND-CP(ハノイ市、2010年)他に、Resolution No. 34/2007/NQ-CP(建設省、2007年)等

4) 建築ガイドラインの策定は、同エリアのゾーニング計画とともに日建設計が支援を行った(2009-2014年)。

図-5 ホーチミン市の拡大CBDエリアにおいて導入された建築ガイドライン制度(容積ボーナス部分)

再開発促進区域(斜線部分)を含む 1000㎡以上

拡幅が必要な路地に10m以上の接道義務