04 支え合う〝人〟の り地域で活躍する勝浦らしい人...

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湿katsuurashii-person 04 1961 年 2 月 27 日 生 ま れ。52 歳。静 岡 県 西 伊 豆 町出身。順天堂大学大学院体育学研究科修了(ス ポーツ医学)。医学博士(整形外科学)。国際武道大 学体育学部スポーツトレーナー学科、大学院武道・ スポーツ科学研究科教授。国際武道大学ライフ セービング部部長・監督、勝浦ライフセービング クラブ代表。詳細はhttp://trainer1985.kir.jp 7 月に行われた講習会の様子。ライフセービング は相手に勝つためのスポーツではなく、人のため に尽くす事だと山本先生は強調する 教習中の山本先生。「技術よりス ピリッツを伝える」が口癖だ ライフセービングに欠かせないレスキューボード。大学 で同志を募った当時はオーストラリア製を入手するし かなく、山本先生の初ボーナスをつぎ込んで購入。 一本のボードを皆で乗り回し技術を磨いた 取材・撮影・文・デザイン:沼尻亙司 イラスト:瀧川由貴子 記事の問合せ▶勝浦市企画課定住促進係 ☎ 0470-73-3337

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Page 1: 04 支え合う〝人〟の り地域で活躍する勝浦らしい人 ......LSCに一昨年卒業した 武道 日曜に来てくれたり大学の卒業生が十七人いるのですが、

山本先生。「怯ひる

まないだけのトレーニ

ングを積んで自信がつく、余裕が出る。

夏の一ヶ月のために、十一ヶ月トレー

ニングして救助力を上げるんです。で

も、溺者はもっと苦しい。一秒でも早く

…自分の身体の精度を上げることは、

助かる可能性を上げることなんです」。

トレーナーもライフセーバーも応急措

置という点で共通している。だが、一

番の大切なのが「人のために尽くすこ

と。少しでも役に立てられればという

スピリッツ」なのだと、山本先生は断

言する。

 「勝浦LSCに一昨年卒業した武道

大学の卒業生が十七人いるのですが、

日曜に来てくれたり、有休で来てくれ

たり、十五人が勝浦のライフセーバー

として入ってくれました。相当勝浦が

「アニキ分」として食を共にし、深夜ま

で技術と精神を伝え続けた。「給料が

学生の胃袋に消えた」と笑う山本先生

だが、意志を継いだ先生の「分身」は、今

やスポーツ界の最前線で活躍する人材

として巣立ち、日本初のスポーツトレー

ナー学科が誕生する素地となった。

 

一方、大学に来て新たに出逢ったの

がライフセービングだ。湘南で行われ

た講習会に参加し、「自分が溺おぼ

れるギ

リギリのところでやる」その厳しさと、

「命を救う大切さ」を思い知り、房総に

も広める決意を固める。だが、当時の

房総のビーチには救助のスキルを持つ

監視員がほとんどいなかった。

 

そこで今度は、大学でライフセービ

ングの同志を募った。が、仲間は集まっ

たものの、その認知度の低さが壁とな

る。ほとんどなかった活動要請がよう

やく入ったと思いきや当日に突如キャ

ンセルされたり、別の監視員から罵ば

声せい

を浴びせられたりと、辛い想いを重ね

た。一九九〇年、勝浦での活動が実現し

たものの溺死者が発生。遊泳禁止域で

の事故とはいえライフセーバーたちに

ショックを与えた。だが、この時命の

尊さと向き合った学生たちは要人警護

やサッカー一部リーグのトレーナーな

どその道の最前線へ進んで行った。「強

くなるほど人に優しくなれる」という

好きなんですね」と、嬉しそうに語

る山本先生。「各浜の監視所の責任者

の方、海の家、弁当のお店…住んでい

るまちの方々と交流して、〝安全、安心

なビーチにする〟という指命を持って

仲間と共に頑張っています。特別な四

年間だったからこそ思い出に残るん

じゃないかな。卒業して家庭を持って

も、また勝浦に戻ってきてくれるんで

す、勝浦でエネルギーをもらうって」。

縁あって居着いたその地が良いか悪

いかではない。どう過ごすか、だ。わず

か四年の大学時代。されど人生の中で

光り輝く、何にも代え難い四年間がこ

こにある。「私も何度かここを離れる

かどうか迷うことがありましたよ。で

も、教え子たちの心の拠よ

り所というこ

とを考えると離れられないですね」。

その山本先生の微笑みは〝人〟を愛す

るスピリッツそのものだった。

 

かけがえのないスピリッツが育ま

れる舞台。それが勝浦である事を

誇りに思う。

 

勝浦市に開設される六つの海水浴場

ではライフセービング部を中心とする

勝浦LSCが監視にあたる。そんなラ

イフセーバーたちの目標は「日本一安

全な海水浴場」だ。この体制が確立さ

れる背景には、山本先生が学生の時か

ら抱いていた〝スピリッツ〟があった。

 「ケガが多かった」と、高校時代を振

り返る山本先生。「肉離れを起こした

んですね。今の常識では冷やさなきゃ

いけない。それを温めて翌日に走るよ

う指導されて歩くことさえできなく

なってしまったことがあるんです」と、

表情を曇らせながら自身の経験を語

る。治療院に行っても湿布を渡されて

終わり、休みなさいと

言われるだけ。今でこ

そ当たり前のことを当

時は誰も知らず、誤った処

置でケガを繰り返

した。アイシ

ングや

テーピングの

理解、ケ

ガの事前防止

といった

応急処置の技術を備えて選手の目標

に向けて指導・教育する「トレーナー」

という概念がなかった。 「ケガの知識

の豊富な先生になりたい」、それが高

校時代に抱いた夢だった。

 

アメリカスポーツ医学の文化が急

速に日本に入ってきた大学時代に、そ

の想いを思い切りぶつけた。所属し

ていた陸上部やクラブ活動の合間を

縫って、校外講習会や企業トレーナー

の現場に足を運んだ。「それこそ見取

り稽古です。鞄持ちもやりましたよ」。

山本先生を突き動かしていたのは「ケ

ガをしてる選手を放っておけない」と

いう人としての精神だ。百五十人もの

部員のトレーナーを務めた山本先生

は〝トレーナーの山本〟と呼ばれた。

 

武道大学着任と同時

に勝浦に移住。今年で勝

浦暮らしは二十九年目

を迎えた。奥様の実家が

出水区にあったため、地

区の祭りの役も務めた、。

「お祭りには先生も何も

ありませんから。『おい、

山本さんぉ~』って呼んでくれますよ

(笑)。『運動神経いいから』って頼まれ

て、電柱に登って提灯つけたり。特別

扱いされたくないから逆に嬉しいで

すね」。そんな分け隔てのない一体感

は、大学着任早々から心掛けていたこ

とでもある。

 

大学開設当初はトレーナーがおら

ず、スポーツドクターの診察を待つ学

生が列を成し「野戦病院」のようだっ

たという。そこで山本先生は同志を募

り、学生トレーナー育成に乗り出す。

学生たちと歳が近かったこともあり、

katsuurashii-person 04

「気合いをいれていこう!」   

勝浦中央海水浴場に国際武道大学教

授、山本利春さんの掛け声が

響く。海難救助・事故

防止の任を担うライ

フセーバーの資格認

定講習会、大学のライフセービ

ング授業が海開きの一週間前

に行われた。武道大学のライ

フセービング部、OB・社会

人を含めた勝浦ライフセー

ビングクラブ(以下LSC)を

率いる山本先生。「講習会は一九八六

年から始まったのですが、こうして毎

年ずっと続いてるのは勝浦だけ」と、

講習中の生徒たちを見つめながら教

えてくれた。

1961年2月27日生まれ。52 歳。静岡県西伊豆町出身。順天堂大学大学院体育学研究科修了(スポーツ医学)。医学博士(整形外科学)。国際武道大学体育学部スポーツトレーナー学科、大学院武道・スポーツ科学研究科教授。国際武道大学ライフセービング部部長・監督、勝浦ライフセービングクラブ代表。詳細は http://trainer1985.kir.jp

7 月に行われた講習会の様子。ライフセービングは相手に勝つためのスポーツではなく、人のために尽くす事だと山本先生は強調する

教習中の山本先生。「技術よりスピリッツを伝える」が口癖だ

〝トレーナーの山本〟

ライフセービングに欠かせないレスキューボード。大学で同志を募った当時はオーストラリア製を入手するしかなく、山本先生の初ボーナスをつぎ込んで購入。一本のボードを皆で乗り回し技術を磨いた

意志を伝える

一体感を作る

ライフセービング〜

人のために尽くす精神

特別な四年間の先にある

かけがえのない勝浦

かつうらしい

ひと

人地域おこし協力隊・ぬまっち特派員が勝浦の様々なモノ・コトとつなが

り地域で活躍する勝浦らしい人=「かつうらしいひと」にフォーカス!

取材・撮影・文・デザイン:沼尻亙司 イラスト:瀧川由貴子記事の問合せ▶勝浦市企画課定住促進係 ☎ 0470-73-3337

支え合う〝人〟の

スピリッツを伝える

山本利春さん