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『今昔物語集』(以下、『今昔』と略す)天竺部巻-1巻五 巻一「天竺」、巻二「天竺」、巻三「天竺」、巻四「天竺付仏後」 巻五「天竺付仏前」と巻付にあり、巻-1巻三には釈迦の下天か ら入浬藥までの釈迦在世時の話、巻四には「仏後」の話、巻五に は「仏前」の話が収められている。 まず、『今昔』天竺部の構成に関する諸学説からみておく。坂 井衡平氏は、巻-117話を釈迦八相成道證、巻-81巻三町話 を転法輪諸證、巻三詔l弱話を八相成道證、巻四を滅後崇仏證・ 供養持経功徳證、高僧教義證・諸仏尊信奇證、巻五を本生諄・魚 、、、、、、、 獣報恩證とし、「最初の三巻は広義に於ける釈迦八相成道證と見 るべきものにして、巻一の所謂八相成道諄と、巻三の浬藥證との 間に、附属的とも云ふべき幾多の説話を挿入したり。」(傍点原文。 (1) 一七○頁)とする。国東文麿氏は、巻-118話を仏教創始l仏 『今昔物語集』天竺部仏伝説話の意味するもの 「今昔物語 Iはじめに l法相宗三時教判との 教史(歴史)、巻-91謁話を仏(釈迦)、巻二1 巻三11謁話を僧(仏在世)、巻四を僧(仏後)、巻 (2) 在果(本生話)l因果応報(教訓)とする。巻-1巻五 法部とし、巻-91巻四を仏法僧の三宝霊験(賞讃)として 点が特徴。渥美かをる氏は巻-91巻三”話を転法輪説話とし、 (3) この部分を「今昔編者の目的の中核部であると認めたい」とする。 黒部通善氏は巻-118話を八相成道證、巻-91巻三”話を 転法輪諸證、巻三記I謁話を八相成道證(浬梁)、巻四を仏後諸 證、巻五を仏前諸諄とし、「『今昔』と諸仏伝経典との構成を比較 することで理解されることは、『今昔』の仏伝の構成はかなり特 異なものであるということである」(九五頁)、「『今昔』が転法輪 諸證にいかに多くの説話を費やしているかということが理解され る」(九八頁)、「『今昔』の転法輪證は、『今昔』の独創のひとつ (4) であるようだ」(九九頁)とする。池上洵一氏は巻-91巻三” 話を転法輪説話とし、巻一…仏生・教団成立、巻二・・・教化、巻三 原田

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『今昔物語集』(以下、『今昔』と略す)天竺部巻-1巻五は、

巻一「天竺」、巻二「天竺」、巻三「天竺」、巻四「天竺付仏後」、

巻五「天竺付仏前」と巻付にあり、巻-1巻三には釈迦の下天か

ら入浬藥までの釈迦在世時の話、巻四には「仏後」の話、巻五に

は「仏前」の話が収められている。

まず、『今昔』天竺部の構成に関する諸学説からみておく。坂

井衡平氏は、巻-117話を釈迦八相成道證、巻-81巻三町話

を転法輪諸證、巻三詔l弱話を八相成道證、巻四を滅後崇仏證・

供養持経功徳證、高僧教義證・諸仏尊信奇證、巻五を本生諄・魚

、、、、、、、

獣報恩證とし、「最初の三巻は広義に於ける釈迦八相成道證と見

るべきものにして、巻一の所謂八相成道諄と、巻三の浬藥證との

間に、附属的とも云ふべき幾多の説話を挿入したり。」(傍点原文。

(1)

一七○頁)とする。国東文麿氏は、巻-118話を仏教創始l仏

『今昔物語集』天竺部仏伝説話の意味するもの

「今昔物語集』天竺部仏伝説話の意味するもの

Iはじめに

l法相宗三時教判との関係I

教史(歴史)、巻-91謁話を仏(釈迦)、巻二11虹話を因縁法、

巻三11謁話を僧(仏在世)、巻四を僧(仏後)、巻五を過去因現

(2)

在果(本生話)l因果応報(教訓)とする。巻-1巻五全体を仏

法部とし、巻-91巻四を仏法僧の三宝霊験(賞讃)としている

点が特徴。渥美かをる氏は巻-91巻三”話を転法輪説話とし、

(3)

この部分を「今昔編者の目的の中核部であると認めたい」とする。

黒部通善氏は巻-118話を八相成道證、巻-91巻三”話を

転法輪諸證、巻三記I謁話を八相成道證(浬梁)、巻四を仏後諸

證、巻五を仏前諸諄とし、「『今昔』と諸仏伝経典との構成を比較

することで理解されることは、『今昔』の仏伝の構成はかなり特

異なものであるということである」(九五頁)、「『今昔』が転法輪

諸證にいかに多くの説話を費やしているかということが理解され

る」(九八頁)、「『今昔』の転法輪證は、『今昔』の独創のひとつ

(4)

であるようだ」(九九頁)とする。池上洵一氏は巻-91巻三”

話を転法輪説話とし、巻一…仏生・教団成立、巻二・・・教化、巻三

原田

…救済・仏滅、巻四…仏入滅後、巻五…天竺史・世俗諸證、とす

(5)

る。小峯和明氏は、国東氏説に対して、「巻三を仏もくるめた形

の〈僧〉賞賛の巻とする見解は、まず成立しがたい。従って巻一

から巻三は釈尊の降胎から浬盤に至る間(仏伝)の、因縁法を主

体とする仏法の創始と弘布教化を説く物語として一括して扱うべ

きで、この三巻分が震旦部巻六・本朝部巻十一の仏法伝来と対応

するはずである。」(四四六頁)とし、巻四を仏浬藥後の仏法流伝、

(6)

巻五を釈迦下生以前の天竺国家の創始と展開とする。森正人氏は、

「巻一’三と巻四とを連続的に把握し、そこに天竺仏法史の構想

を認め、歴史叙述に今昔物語集の組織性の基幹を見出そうとする」

(一六九頁)とし、巻一’三を仏在世の仏法史、巻四を仏浬藥後

(7)

の仏法史、巻五を天竺王朝史とする。

森氏が、「天竺篇組織のごくおおまかな枠組は動かないであろ

うが、なお諸研究の見解は、構成の細部についてはもとより、何

を最上位の構成原理とみなすかについて一致をみていない」(前

掲書、一六七頁)とするように、天竺部は未解明の部分が多く、

転法輪諸證に多くの説話を費やしている意味も不明のまま残され

てきた。筆者は、『今昔』全巻を詳細に検討した結果、全巻を統

一する最上位の構成原理として、『今昔』編者が「法相宗教理に

(8)

基づく全巻の編纂」を意図していた事実を見出すことが出来た。

本稿は、筆者の提唱する「『今昔物語集』南都法相系成立説」の一

部であり、天竺部仏伝説話と法相宗三時教判との関係について論

(9)

じることを目的とする。

Ⅱ各宗の教判の検討

『今昔』天竺部巻-1巻三は、釈迦の下天から入浬藥までを百

十四話(一卯と一理の二話は表題のみ)の説話により構成した、

一大仏伝説話群として注目される。このうち、特に注目したいの

が、巻-91巻三訂話の転法輪諸諄の存在である。坂井氏はこの

転法輪諸諄を「付属的‐|とした。しかし、黒部氏が『今昔』と諸

仏伝経典との構成を比較し、転法輪證に多くの説話を費やしてい

る『今昔』の仏伝の構成は「かなり特異」で「『今昔』の独創の

ひとつ」とし、渥美氏が「編者の目的の中核部」としたように、

筆者は、『今昔』が転法輪諸諄に多くの説話を費やしているのに

は何らかの意味があったと推定し、検討を重ねた結果、教判との

対応関係に気づいた。

教判とは教相判釈の略称で、釈迦が成道して浬藥に入るまでの

四十数年間に説いたとされる多くの経典を、形式、順序、内容な

どによって分類し体系づけ、仏の真の意図を明かそうとする経典

解釈学で、宗派成立の要件ともされ、各宗の教義的立場が窺える

重要なものである。『今昔』が特定の宗派によっているかどうか

(皿)

は、各宗の教判との対比が重要なてがかりになる。

院政期の主要宗派は、南都六宗(倶舎宗、成実宗、律宗、法相

宗、三論宗、華厳宗)と平安二宗(天台宗、真言宗)の八宗であ

(u)

る。まず、倶舎宗は、倶舎論を研究する学派で、法相宗の付宗で

あるから除外可能。成実宗も、成実論を研究する学派で、三論宗

(咽)

の付宗であるから、除外可能であろう。

律宗は、南山律師が立てた化制二教の教判を説くが、巻-1巻

(通)

三の構成・内容にあわず、除外可能。

×律宗化制二教の教判:巻-1巻三の構成・内容にあわない

戒経

迩撫;1壷悪謹

×定律

慧l蕊

三論宗二蔵三転法輪の教判は、形式のみに注目するならば、三

転法輪の教判が巻-1巻三の構成にあう可能性がありそうだが、

詳しく検討すると、三論宗三転法輪の教判と『今昔』巻-1巻三

の構成との関係特定は不可能で、の根本法輪(『華厳経』の教え)、

③枝末法輪(『阿含経』から『法華経』に至るまでの教え)、③摂

末帰本法輪(『法華経』の教え)、という内容も、巻-1巻三の内

(u)

容と合致しない。

×三論宗二蔵三転法輪の教判……巻-1巻三の構成・内容に

あわない

×二蔵I(三論宗の代表的教判)

1声聞蔵(小乗教)

2菩薩蔵(大乗教)

×三転法輪I(『法華経』の勝れた点を示すための教判)

1根本法輪.::…『華厳経』の教え↓巻一×

『今昔物語集』天竺部仏伝説話の意味するもの

2枝末法輪………『阿含経』から『法華経』に至るまでの

教え↓巻二×

3摂末帰本法輪・・・『法華経』の教え↓巻三×

↓特定不可能(『今昔』巻-1巻三の内容と合致しない)

天台宗五時八教の教判は、釈迦一代の説法を第一華厳時、第二

鹿苑(阿含)時、第三方等時、第四般若時、第五法華浬藥時の五

時に分け、それらを説法形式から頓教・漸教・秘密教・不定教の

化儀四教に配し、説法内容を蔵教・通教・別教・円教の化法四教

(巧)

に分析したものである。これまでの『今昔』研究においては、天

(咽)

台成立説が有力とされて来たわけであるが、宗派成立の要件とも

される重要な教判が全く巻-1巻三の構成・内容と合致しない点

を見落としてはなるまい。

×天台宗五時の教判;…巻-1巻三の構成・内容にあわない

1華厳時:。…………『華厳経」を説いた時期

2鹿苑(阿含)時・・・『阿含経』を説いた時期

3方等時………・…:『維摩経』等の大乗を説いた時期

4般若時…::..…:『般若経』を説いた時期

5法華浬藥時:::酢:『法華経」『浬藥経」を説いた時期

華厳宗の五教十宗の教判は、法蔵が立てたものであるが、巻一

(Ⅳ)

1巻三の構成・内容にあわない。五教とは1小乗教、2大乗始教、

3大乗終教、4頓教、5円教で、十宗とは①我法倶有宗、②法有

我無宗、③法無去来宗、③現通仮実宗、⑤俗妄真実宗、⑥諸法但

名宗、㈹一切皆空宗、⑧真徳不空宗、⑥相想倶絶宗、⑩円明具徳

真言宗の十住心の教判は、空海が立てたものであるが、巻-1

(咽)

巻三の構成・内容にあわない。十住心とは、仙異生抵羊心、②愚

童持斎心、③嬰童無畏心、㈲唯穂無我心、⑤抜業因種心、⑥他縁

大乗心、切覚心不生心、⑧一道無為心、側極無自性心、⑩秘密荘

厳心で、密教を最上位に位置させている。

×真言宗十住心の教判……巻-1巻三の構成・内容にあわな

い一霊窯Ⅱ羅酸」“…:

宗である。十宗判は、宗の立場から仏教を分類したもので、⑳我

法倶有宗l⑥諸法但名宗を小乗教、例一切皆空宗l⑩円明具徳宗

を大乗の大乗始教・大乗終教・頓教・円教にあてる(五教と十宗

とは同じものを指している)。華厳宗はこのうちの第五教・第十

宗を明らかにするとされる。

×華厳宗五教の教判:.…巻-1巻三の構成・内容にあわない

鮴諦紺l謡l〒人天教

5円教

2大乗始教IF漸教1

3大乗終教’一一’一一一乗

4頓教I頓教L

ロコロJ略久-‐

一葬侭

1小乗教

二乗l小乗

一一大法蔵

一一一乗

二‐大乗’

一乗1

世間乗

最後に残ったのが法相宗三時教判であるが、種々検討した結果、

巻-1巻三は、『解深密経』の「初昔今」の三時に該当すること

が明らかとなった。釈迦は、第一時(初時)に唯声聞乗に発趣す

る者のために『阿含経』等の有教を説き、第二時(昔時)に唯発

趣して大乗を修する者のために『般若経』等の空教を説き、第三

時(今時)に普く一切乗に発趣する者のために『華厳経』『解深

密経』「法華経』『浬藥経』等の非空非有の中道教を説いたという。

第一時と第二時は未了義(方便の教え)で、第三時が真了義(真

9極無自性心I華墜筥一乗教大素数

叩秘密荘厳心11真言宗l金剛乗教‐

十住心」前九住心

8一道無為心11天台宗

4唯穂無我心11声聞

画’二乗教l小乗教

5抜業因種心11縁覚

鯏窪川誠軍三素

111

法相宗教判の検討

r’第十住心l密教

’ -l顕教

出世間乗

(四)

実の教え)とされる。なお、三時について、古来より年月三時と

義類三時をめぐり異説が有る(唯年月、唯義類、本義類兼年月、

本年月兼義類、年月義類双存の五麺)。

◎法相宗三時教判::::“巻-1巻三の構成・内容にあう

(「初昔今」の三時に該当)

1初時l有教(小乗教)↓初時…巻一

2二時l空教(般若部の説)↓昔時。:巻二

3三時l中道教(『華厳』『深密』『法華』等の説)↓今時

。:巻三

法相宗が依りどころとする経典と論書は、古来「六経十一論」

と呼ばれ、このうち最も重視されるのが『解深密経』である。

『解深密経』は四訳が現存しており(『大正蔵』一六。恥六七五

’六七九)、二訳は抄訳で、全訳は菩提流支訳(恥六七五)と玄

弊訳(恥六七六)。一般には玄弊訳が用いられている。経典中に

教判の典拠が存するのは、法相宗の『解深密経』初昔今の三時教

判のみで、他宗の教判に勝る根拠の一つとして、古来から強調さ

れてきた。次に示したのが、「初昔今の三時教判」を説く、『解深

密経』巻第二無自性相品第五の該当部分である。

「爾時勝義生菩薩復白レ仏言、世尊初於二一時一在二婆羅淀斯仙

人堕処施鹿林中一、惟為下発ゴ趣声聞乗一者上、以二四諦相一転二正

法輪一・錐下是甚奇甚為二希有一、一切世間諸天人等先無し有中能

如法転者上、而於二彼時一所し転法輪、有し上有し容是未二了義一、

是諸詳論安足処所。世尊在昔第二時中、惟為下発1趣修二大乗一

『今昔物語集』天竺部仏伝説話の意味するもの

者上、依二一切法皆無自性無生無滅、本来寂静自性浬盤一、以二

隠密相一転一一正法輪一・錐三更甚奇甚為二希有一、而於二彼時一所し

転法輪、亦是有し上有し所二容受一、猶未二了義一、是諸詳論安足

処所。世尊於二今第三時中一、普為下発.趣一切乗一者上、依二一

切法皆無自性無生無滅、本来寂静自性浬藥無自性性一、以二顕

了相一転二正法輪一・第一甚奇最為二希有一。干今世尊所し転法輪、

(虹)

無上無容是真了義、非一一諸評論安足処所一・」

私見によれば、『今昔』巻-1巻三は大きく次のような構成に

なっている。

巻第一「天竺」

118話…八相成道諄(下天、託胎、降誕、出家、降魔、

成道、初転法輪)

91犯話:.転法輪諸證↓法相宗三時教判・初時〈有教〉に

該当

巻第二「天竺」‐

11虹話.:転法輪諸諄↓法相宗三時教判・昔時〈空教〉に

該当

巻第三「天竺」

11”話:.転法輪諸諄↓法相宗三時教判・今時〈中道教〉

に該当

調1弱話…八相成道諄(入浬繋)

では、次節で具体的に、『今昔』巻-1巻三の構成・内容と

「法相宗三時教判」との関係をみてみることとする。五

Ⅳ天竺部仏伝説話と法相宗三時教判

巻-1巻三を〈有教〉〈空教〉〈中道教〉という内容だけで構成

しようと試みた場合、その作業は極めて困難である。〈有〉の教

えに当てはまる話、〈空〉の教えに当てはまる話、〈中道〉の教え

に当てはまる話をたとえ集めたとしても、読者がそれらの違いを

認識するのは大変難しい。ところが、初時・昔時・今時という年

月を中心に構成しようと試みた場合には、一見してその違いを認

識出来る。『今昔』が法相宗三時教判により巻-1巻三の仏伝説

話群を分類するためにとった方法は、巻二に「昔」が中核となる

話、すなわち前生蓋を集中して集めるというものであった(前生

證・本生諄は現在物語・過去物語・連結の三つの部分から成り、

過去物語は、「昔」を語る部分である。また、巻この前生證の過

去物語部分の冒頭は、「昔」「昔シ」ではじまるものが多い)。

筆者はかって、「前生諄」「本生諄」「記別」という、極めて長

い時間を話の背景に設定する話種に注目し、『今昔」天竺部全巻

を調査した結果、巻一後半に「記別」が多く(一、塑調謁誕妬拓

の7話)、巻二に「前生諄」が集中し(全虹話中の謁話)、巻五に

「本生證」が集中している(全詑話中の加話。さらに漢訳仏典中

の類話を調査すると、全詑話中加話が元が本生諄)事実を明らか

(蛇)

にした。その際、巻五に「本生證」が集中しているのは、『今昔』

編者が巻五を「世俗」の巻とするためにとった方法である点が判

明したが、巻一後半に「記別」が多く、巻二に「前生證」が集中

「余処所し言不了義経名言記別一者、謂以二少言一略記別故名二不了

義一・」今大正蔵』四五・二七六C〉とある)。法相宗三時教判で

は、初時有教は未了義(不了義)の教えとされるわけであるから、

『今昔』巻一後半に「記別」が多いのは、未了義である初時を内

容により表現しようとした結果と見ることが出来る。

巻一の初時該当部分は、更に次のように細分することが出来る。

91略話:外道の妨害・仏の教化(一皿が記別)

ⅣI詔話:仏の教化による出家證(一記が記別)

調I兜話…記別を中心とする仏の教化(一羽調弘弱詑が記別)

これを見ると、巻-91謁話「初時」は、外道の妨害を克服し

ながら仏が次第に教えを広めてゆく様子を、「未了義」の教え

此中意説、錐二是大乗明顕之教一、初但略説談し理未レ尽、所ン明未

(配)

周名為二不了一。不下是所詮非二究寛理一名為中不了上。」と、『聡伽師

地論』巻六四(『大正蔵』三○・六五四bに引用部分有り)を引

用しながら説いているように、「記別」は釈迦の「初」めの略説

であるから「不了義」の教えであるという(『義林章』巻二にも、

此中意説、錐二是大乗明顕之教一、初

一〈

している点の意味は不明のままであった。しかし、新たに、巻一

後半に「記別」が多く、巻二に「前生證」が集中しているのは、

『今昔』編者が法相宗三時教判により巻-1巻三の仏伝説話群を

分類するためにとった方法である点が判明した。

基『大乗法苑義林章』(以下、『義林章』と略す)巻一が、「聡

伽決択六十四説、「不了義経者、謂契経・応頌・記別等教世尊略

説、其義未し了応二更当釈一・了義教者与レ此相違、応し知二其相一」。

「記別」を中核資料としながら表現しようとしたことがよく分か

る(特に、-91略の話群の丁度半ばである一、と、一ⅣI記の

話群の丁度半ばである一躯にも記別を配している点が注目される)。

巻二で注目されるのが、第1話に記されている、「本口経」を

釈迦仏が説いたという部会である。「経律異相』巻第七・浄飯王

捨寿二の類話に「本生経」とある点などから、典拠のこの部分が

(型)

「本生経」であった可能性は極めて強い。問題は、何故空格にさ

れたのかという点であるが、『義林章』巻二「十二分章」の説明

が解決のてがかりとなった。『義林章』巻二の十二分教の説明部

分に.契経。二応頌。三記別。四調謂。五自説。六縁起。七善

嶮。八本事。九本生。十方広。十一希法。十二論議。」(『大正蔵』

四五・二七六b)とあり、『義林章』巻二に「本事相者、八十一

云、謂除二本生一、宣ゴ説前際諸所有事一。除二仏本生一、説二余一切

前際之事一、名為二本事一・対法論云、所謂宣.説聖弟子等、前世相

応事一・」(『大正蔵』四五・二七七b)とあるように、十二分教の

「本事」とは、仏本生證を除く一切の前際の事を説くものに名付

(濁)

けられたもので、「前生證」に該当するようである。『今昔』は、

二1に「本生経」という語が出てくる話を配し、空格部分に「事」

と「生」のどちらが入っても良いように意図的に「本口経」とし、

巻二に「昔」の事を説く「本事経」・「本生経」を集成した点を強

(記)

調しようとしたと推定される(もちろん、巻二の主眼は「本事経」

の集成にある)。

「古い仏陀の伝記はすべて、仏陀成道の前後および大般浬藥の

『今昔物語集』天竺部仏伝説話の意味するもの

前数か月の仏陀の行状とことばとをきわめて詳細に描き出してお

るが、その中間四十有五年にわたるといわれておる期間について

(訂)

は、ほとんど何事も知ることができない。」とされる釈迦の生涯

の足取りであるが、『今昔』の仏伝はどのような工夫をしている

かを見てみよう。『今昔』巻-1巻三全話を「話の場」と「登場

人物」によって分析すると、興味深い事実が判明する。まず「話

の場」による分析結果から述べることとする。

巻一の「話の場」の展開をおおまかに示す。……兜率天の内院

から下天し、人界の摩耶夫人に託胎した釈迦は、釈迦族の迦毘羅

国で成長し、出家後は各地で苦行。摩蜴提国の菩提樹下で成道後、

波羅奈国の鹿野苑で五比丘に説法する。ここまでが、-118話

の八相成道證(下天、託胎、降誕、出家、降魔、成道、初転法輪)

で、通常の仏伝と同巧。初時〈有教〉に該当する-91犯話の転

法輪諸證部分の場合、「話の場」として最も多いのは、祇薗精舎

のある舎衛国で、他に目立つのが王舎城や竹林薗のある摩娼提国

と、釈迦族の国の迦毘羅国である。

巻二の転法輪諸諄部分は、全虹話が昔時〈空教〉に該当するわ

けであるが、初時〈有教〉に該当する-91錫話の部分と同様に、

「話の場」として最も多いのが舎衛国で、他に多いのが摩蜴提国

と迦毘羅国である。

巻三の場合、三詔l謁話の八相成道證(入浬藥)の「話の場」

が、釈迦が入滅した拘戸那国である点は問題が無い。注目される

のが、今時〈中道教〉に該当する三11”話の転法輪諸證部分で

ある。この部分でも、巻一・巻二と同様に、多いのは舎衛国や摩

娼提国を場とする話であるが、異世界・他世界を場とする話が特

に多い点が巻一・巻二と異なる。異世界・他世界を場とする話は、

巻一では一鋤「須弥山ノ北面」の一話のみ(-1「兜率天ノ内院」

は降誕前なので除外した)。巻二では二2「初利天」、二妬「毘沙

門天、帝釈宮」、二訂「餓鬼界」の三話。巻三では三3「他世界」

(他仏の世界)、三9「大海ノ底、元熱池(阿褥達池)」、三m

「須弥山ノ片岫、大海ノ底」、三u「龍宮」、三型「四天王天、初

利天、夜摩天、兜率天、楽変化天、他化自在天」、三鋤「他ノ世

界」(他仏の世界)、三羽「初利天」の七話(但、三釦は浬藥時、

三羽は浬藥直後の話なので除外すると五話)。つまり、巻一は一

話、巻二は三話、巻三は七話(または五話)と、異世界・他世界

を場とする話が次第に増えていることが分かる。これは、初時↓

昔時↓今時と次第に教えが深まってゆく様子を表現しようとして

いると見られる。そして、今時では、釈迦の〈中道教〉の極理が、

天界から他仏世界に至るまで広く浸透している有様が描写されて

いることが分かる。

巻一’三に出てくる国名としては、迦毘羅国(迦毘羅衛国、迦

維羅衛国、伽頻国)、波羅奈国、舎衛国(僑薩羅国)、迦P国、摩

娼提国、阿繋提国、宿城国、叉利国(徳叉P羅国)、金地国、毘

舎離国、放鉢国、闘賓国(迦畢試国)、拘F那国(鳩F那城)、波々

国、遮羅婆国、羅摩国、毘留提国などがあるが(順序不同)、「話

の場」として特に多く出てくるのは、巻一も巻二も巻三も、祇薗

精舎のある舎衛国と、王舎城や竹林薗のある摩娼提国であった。

これは、祇薗精舎と竹林精舎が仏常在の地であり、経典の多くが

(認)

祇薗精舎で説かれた点をふまえたものであろう。

次に「登場人物」による分析結果を述べる。巻一も巻二も、話

の中心人物が誰であろうと、各話に必ず釈迦仏が何らかの形で登

場する(例外的に釈迦仏が登場しない二7でさえ「仏ヲ観ジ」と

いう部分がある)。しかし、巻三だけに、釈迦仏が登場しない話

が五話存在している(仏滅後の話がまぎれこんでいる三7の「仏

ノ骨肉・舎利一升」、仏滅直後の三弱「仏舎利」を除く)。その五

話において釈迦仏に代わる存在は、三nコ人ノ釈種」、三吃

「阿難」、三賂「十方ノ諸仏如来」(老母の言葉中にある)、三Ⅳ

「羅漢比丘」、三喝「二人羅漢」である。

問題はこの五話の存在の意味である。巻-1巻三は釈迦在生時

の話群であるが、巻一にも巻二にも例外無く「仏」が登場してい

る事実からみて、巻三だけ『今昔』がこの五話に「仏」を記し忘

れた可能性は極めて小さい。やはり意図的な操作とみるべきであ

ろう。ではどういう意図があったのか。今時〈中道教〉における

釈迦仏の教化により証果を得た仏弟子達により、釈迦の正法が広

められて行きつつある点を表現しようとしたとみられる(巻三1

16話の仏弟子を中心とする話群〈表題にも仏弟子名を示す〉の

存在も注目される)。今時〈中道教〉部分の末にある三あでは仏

でなく仏の御弟子の比丘が后に法を説いており、三妬では釈迦が

衆生教化のために御弟子五百人を諸国に派遣し、闘賓国では仏弟

以上の考察により、『今昔』天竺部仏伝説話が法相宗三時教判

により構成されている事実が明らかとなった。巻一では記別によ

り「初時」をあらわし、巻二では本事(前生諄)により「昔時」

をあらわした『今昔』は、巻三では話の内容で「今時」をあらわ

そうとしたようである。また、『今昔』の三時が唯年月でも唯義

類でもなく、年月義類兼帯の立場をとっている点も明らかとなっ

た。年月義類兼帯説は、さらに本義類兼年月、本年月兼義類、年

月義類双存の三説に分かれるのであるが、あえて特定するならば、

『今昔』の三時は本年月兼義類の立場に最も近いようである。

最後に、「今ハ昔」の冒頭句について私見を述べる。「今ハ昔」

の意味としては、「今」を話者の立つ時点と解する立場と、「今」

を歴史的現在の「今」と解する立場に大きく分けられるわけであ

(酌)

るが、筆者は前者の立場をとる。つまり、「今ハ昔」の「今」と

は、『今昔』編纂時の「今」(末世の「今」)であり、「昔」とは、

それぞれの話の年代設定(が過去時である点)をあらわすと推定

され、意味としては「(『今昔』編纂時の)今となっては昔のこと

だが」とするのが最適かと考えられる。

子の迦栴延の説法の力により仏法が広まったことを強調している

点も、同様の意図からであろう。これは、釈迦仏浬藥後も仏弟子

達により釈迦の正法が継承されて行った点を表現するための一布

石であったとも推定される。

V結語

『今昔物語集』天竺部仏伝説話の意味するもの

本稿で考察したように、『今昔』天竺部仏伝説話は法相宗の

「初昔今」の三時教判により構成されている。また、「今昔』本

朝仏法部法宝部分も法相宗の「初昔今」の三時教判により構成さ

(釦)、、、、

れている。『今昔』が全話の冒頭を「今ハ昔」ではじめている点

は、他の作品に類を見ない特徴であるが、これは、『今昔』の天

、、

竺部と本朝仏法部の中核部分が「初昔今」の法相宗三時教判によ

り構成されている事実と無関係ではあるまい。三国にわたる全世

界の事象を、「昔」を語る一千数十話もの説話により集成しよう

とした『今昔』が切実に希求した「今」は、「初昔今」の法相宗

三時教判の『今」(普く一切乗に発趣する者のために説かれた真

了義〈真実の教え〉である中道教)であったと推定される。

(皿)

南都法相宗興福寺の学問僧と推定される『今昔』編者が、自ら

が信じる法相宗の教理に基づく『今昔』全巻の編纂作業をとおし

て意図したものは、末世の「今」であっても、真了義(真実の教

え)である法相大乗の教えにより、解脱を得ることが可能である

(犯)

点を証明しようとする壮大な試みであった。

〈注〉

〔引用は、すべて日本古典文学大系『今昔物語集』(岩波書店)によ

る。また、『今昔』の巻数は漢数字で、話数は算用数字で表記した(例

えば巻一の第二話は、-2と記した)。なお、本稿の諸資料よりの引用

文中、旧漢字・異体字は原則として通行の字体に改めた。〕

(1)坂井衡平氏『今昔物語集の新研究』(名著刊行会・復刊一九六五)。

(2)国東文麿氏『今昔物語集成立考』(早大出版・増補版一九七八)。

(3)渥美かをる氏「今昔物語巻-1巻三の性格とその制作意図につい

て」(「説林」釦、一九七二・2)。

(4)黒部通善氏『日本仏伝文学の研究』(和泉書院。一九八九)。

(5)池上洵一氏『「今昔物語集」の世界中世のあけぼの』(筑摩書房・

一九八三)。

(6)小峯和明氏『今昔物語集の形成と構造』(笠間書院・一九八五)。

(7)森正人氏『今昔物語集の生成』(和泉書院・一九八六)、一六七頁。

(8)拙稿弓今昔物語集』南都成立孜l内部徴証をてがかりとしてl」

(仏教文学会平成四年度大会〈於・仏教大学、一九九二・五・三一〉

で口頭発表。未刊)。

(9)本稿では割愛した、天竺部巻四・巻五と法相宗教理との関係につ

いての考察は、拙稿「『今昔物語集』天竺部の年代分布I「仏後」

「仏前」の意味するものl」(未刊)に譲る。

(、)中村元氏他編『岩波仏教辞典』(岩波書店・一九八九)、「教相判

釈」の項参照。

(u)八宗の教理を知る簡便な書としては、今日でも凝然『八宗綱要』

が適当。訳注本としては、平川彰氏『八宗綱要上下』(大蔵出版・

一九八○’’九八一)、鎌田茂雄氏全訳注『八宗綱要』(講談社・一

九八二、ほかがある。

(翅)注、の訳注本の倶舎宗と成実宗の項参照。

(過)律宗化制二教の教判の図は注皿の鎌田氏全訳注本、一八五頁の図

によった。

(M)三論宗二蔵三転法輪の教判については、注uの訳注本の三論宗の

教判の項参照。

(路)天台宗五時八教の教判については、注uの訳注本の天台宗の教判

の項参照。

(妬)注1著書、注2著書以下、ほとんどが天台成立説。

(Ⅳ)華厳宗五教十宗の教判については、注皿の訳注本の華厳宗の教判

の項参照。五教教判の図は注、の鎌霞氏全訳注本、三九二頁の図に

よった。

(喝)真言宗十住心の教判については、注皿の訳注本の真言宗の教判の

項参照。十住心教判の図は注皿の鎌田氏全訳注本、四一六頁の図に

よった。

(四)法相宗三時教判については、深浦正文氏『唯識学研究下巻(教義

論)』(永田文昌堂・’九五四)第二部判教篇参照。一○七頁の三時

教判をまとめた表が便利。なお、三時教判を詳説する法相宗の章疏

としては、基『大乗法苑義林章』巻一(『大正蔵』四五巻所収)、ほ

かがある。

(釦)注珀深浦氏著書、第一一部判教篇第三章「年月義類の異説」参照。

(幻)『大正蔵』一六巻、六九七頁alb。

(躯)拙稿「『今昔物語集』天竺部孜l前生證・本生證を中心としてl」

(「立命館文学」第五○五号、一九八八・3)・「『今昔物語集』天竺

部の構成l同文的同話をてがかりとしてl」(「論究日本文学」第団

号、一九八八・5)。

(認)『大正蔵』四五巻、二四六頁C・中国法相宗の祖とされる基の七

巻本『大乗法苑義林章』は、法相宗の主要な教義について詳細に解

説した重要な章疏である。『今昔』巻二5ではこの七巻本『大乗

法苑義林章』が重要な役割を果たしている点が注目される。『今昔』

の教義面での成立に重要な役割を果たした章疏と推定される。

(型)注犯拙稿「『今昔物語集』天竺部孜」、Ⅱ節参照。

(虹)注8拙稿参照。

(お)『義林章』巻二「十二分章」では、警喰を「阿波陀那経」、本事

を「伊帝日多伽」、本生を「闇陀伽経」ともいうとする(『大正蔵』

四五・二七七blC)。岩本裕氏『日本仏教語辞典』(平凡社.一九

八八)の「譽嶮」の項に、「アヴァダーナの場合は、仏弟子あるい

は敬虚な信者の因縁諄であるが、戒律の中に例話として援用され、

アヴァダーナ説話の本質なり性格を理解しえなかった漢訳者によっ

て「警喰」と訳されたものである。」とある(「本生」の項も参照)。

漢訳語の「警喰、本事、本生」には翻訳の微妙な問題が内在してい

るようである。『義林章』巻二(四五・二七七b)の記述に従い、

本稿では「本事」を前生諄、「本生」を本生諄と呼称する。

(妬)『義林章』巻一一「十二分章」には「本事本生」と並べて釈す部分

がよく見られる。例えば、「若言三本世之事・本世之生名二本事本生一、

是依主釈。」(『大正蔵』四五・二七八b)、「本事・本生皆説一一過去一、

(兜)なお、法相宗では「五性(姓)各別」を説く。注四深浦氏著書、

『今昔物語集』天竺部仏伝説話の意味するもの

巻』勉誠社。一九九一、所収)、ほか。

(鋤)本朝仏法部法宝部分の今時該当部は、

(羽)注”著書、二○二頁参照。

(調)注6著書.Ⅲ第一章i「「今」と「昔」をめぐる」、山口佳紀氏

「国語史から見た説話文献l文体史的考察l」(『説話の講座第一

(”)

頁。

記別記二於未来生事一・」

理実亦通二毘奈耶一摂。」

)『増谷文雄著作集3

る。注8拙稿参照。

(四五・二七九a)、「警喰・本事・本生三種、

(四五・二八○C)、ほか。

仏陀時代』(角川書店・一九八二)、二四八

巻一五の「往生」の巻であ

第七部第二章第一節「五姓各別」参照。『今昔』と「五性各別」と

の関係については、注8拙稿参照。

(はらだ・のぶゆき四条畷学園女子短期大学非常勤講師)