1 先史の世界27 3 章 先史の世界と古代オリエント 2 文明への歩み ⑴...

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26 RWA5B1-Z1J1-01 3章 学習時間のめやす 40分 先史の世界と古代オリエント 1 先史の世界 1 人類の出現  ⑴ 猿人 最古の人類とされる①猿人は,今から約㆕50万年前に出現したと考えられる。直立して二足 歩行し,中には簡単な②打製石器(礫 れき 石器)を使用したものもいた。主な猿人としては,アフ リカ南部などで発見されたアウストラロピテクス(“南方の猿” の意味)やラミダス猿人,ホモハビリスが挙げられる。 ⑵ 原人 原人は,約180万年前(③更 こう しん せい の前期に当たる)に出現し,形の整った打製石器を作り, 言語を用いた。主な原人としては,東南アジアで発見されたジャワ原人や周口店で発見された 北京原人などが挙げられる。このうち,北京原人は,火を使用したことが確認されている。 ⑶ 旧人 旧人は,約20万年前(更新世の後期)に出現し,剝 はく へん 石器を用いた。ドイツで発見され,旧 人の一種に分類されるネアンデルタール人は,死者の埋葬など宗教的行為を行ったとされる。 ⑷ 新人(現生人類,ホモサピエンスサピエンス) 新人は,約4万~1万年前(更新世の末期)に出現し,巧みに作られた打製石器を使用した ほか,④骨角器や弓矢を用いて狩猟漁労採集を行った。主な新人としては,フランスで発 見された⑤クロマニョン人や中国の周口店上洞人などが挙げられる。 新人は,洞 どう けつ の中に野獣などを描いた洞穴美術を残した。これらの洞穴美術の代表的なもの は,スペイン北部のアルタミラやフランス南部のラスコーに残されている。 クロマニョン人 (洞穴美術) グリマルディ人 ネアンデルタール人 (埋葬の風習) ハイデルベルク人 (約400万年前に出現) 北京原人 (火の使用) ▼化石人骨が発見された場所 猿人 原人 旧人 新人 クロマニョン人 (洞穴美術) グリマルディ人 ネアンデルタール人 (埋葬の風習) ハイデルベルク人 アウストラロピテクス (約400万年前に出現) ホモ=ハビリス ジャワ原人 北京原人 (火の使用) ▼化石人骨が発見された場所 ラミダス猿人 今回は人類の祖先とその生活,古代オリエント世界について学習しよう。古 代オリエントでは,多くの民族が興亡した。これらの民族が活動した時期・地 域を図説で確かめておきたい。また,アッシリアによる古代オリエントの統一 と,それ以後のイラン世界の動向についても学習していこう。 この章で 学ぶこと

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Page 1: 1 先史の世界27 3 章 先史の世界と古代オリエント 2 文明への歩み ⑴ 農耕・牧畜の開始 人類は,出現以来,打製石器を用いて狩猟・漁労・採集の生活を営んだ。この時期を旧石器

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3章

学習時間のめやす 40分先史の世界と古代オリエント

1 先史の世界

1 人類の出現 ⑴ 猿人

 最古の人類とされる①猿人は,今から約㆕50万年前に出現したと考えられる。直立して二足歩行し,中には簡単な②打製石器(礫

れき

石器)を使用したものもいた。主な猿人としては,アフリカ南部などで発見されたアウストラロピテクス(“南方の猿” の意味)やラミダス猿人,ホモ=ハビリスが挙げられる。⑵ 原人

 原人は,約180万年前(③更こう

新しん

世せい

の前期に当たる)に出現し,形の整った打製石器を作り,言語を用いた。主な原人としては,東南アジアで発見されたジャワ原人や周口店で発見された北京原人などが挙げられる。このうち,北京原人は,火を使用したことが確認されている。⑶ 旧人

 旧人は,約20万年前(更新世の後期)に出現し,剝はく

片へん

石器を用いた。ドイツで発見され,旧人の一種に分類されるネアンデルタール人は,死者の埋葬など宗教的行為を行ったとされる。⑷ 新人(現生人類,ホモ=サピエンス=サピエンス)

 新人は,約4万~1万年前(更新世の末期)に出現し,巧みに作られた打製石器を使用したほか,④骨角器や弓矢を用いて狩猟・漁労・採集を行った。主な新人としては,フランスで発見された⑤クロマニョン人や中国の周口店上洞人などが挙げられる。 新人は,洞

どう

穴けつ

の中に野獣などを描いた洞穴美術を残した。これらの洞穴美術の代表的なものは,スペイン北部のアルタミラやフランス南部のラスコーに残されている。

猿人原人旧人新人

クロマニョン人(洞穴美術)

グリマルディ人

ネアンデルタール人(埋葬の風習)

ハイデルベルク人

アウストラロピテクス(約400万年前に出現)

ホモ=ハビリス

ジャワ原人

北京原人(火の使用)

▼化石人骨が発見された場所

ラミダス猿人

猿人原人旧人新人

クロマニョン人(洞穴美術)

グリマルディ人

ネアンデルタール人(埋葬の風習)

ハイデルベルク人

アウストラロピテクス(約400万年前に出現)

ホモ=ハビリス

ジャワ原人

北京原人(火の使用)

▼化石人骨が発見された場所

ラミダス猿人

 今回は人類の祖先とその生活,古代オリエント世界について学習しよう。古代オリエントでは,多くの民族が興亡した。これらの民族が活動した時期・地域を図説で確かめておきたい。また,アッシリアによる古代オリエントの統一と,それ以後のイラン世界の動向についても学習していこう。

この章で学ぶこと

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Page 2: 1 先史の世界27 3 章 先史の世界と古代オリエント 2 文明への歩み ⑴ 農耕・牧畜の開始 人類は,出現以来,打製石器を用いて狩猟・漁労・採集の生活を営んだ。この時期を旧石器

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3章先史の世界と古代オリエント

2 文明への歩み ⑴ 農耕・牧畜の開始

 人類は,出現以来,打製石器を用いて狩猟・漁労・採集の生活を営んだ。この時期を旧石器時代という。しかし,地球が温暖化すると,人類の生活様式は大きく変化し,農耕・牧畜が始まった。農耕・牧畜は約9000年前の西アジアを中心とする地域で始まり,ここに狩猟・漁労・採集の獲得経済から生産経済への移行が行われた(新石器革命)。また同じ頃,⑥磨製石器や⑦土器が用いられるようになり,人類は新石器時代を迎えた。

⑵ 灌かん

漑がい

農業の導入と都市国家の成立 初期の農業は初め,雨水に頼り,肥料も施さない方法で行われていた。そのため,生産が不安定で,農業に適した土地を求め,居住地を頻繁に移動させる必要があった。しかし,農業に必要な水を人工的に供給する灌漑農業が導入されると,農業生産力が向上・安定するようになった。 農業生産力の向上・安定に伴い,人口は増大し,生産物の余

剰じょう

が見られるようになった。そのような中で,貧富の差が生まれ,階級が形成された。また,各地域の間で貿易が行われるようになり,貿易の中心地は都市として発展した。次いで⑧都市を中心に,周辺地域も併せて支配する都市国家が成立した。 この頃には青銅器や鉄器などが用いられるようになり(金属器時代),文字も発明された。文字による記録が残されるようになった時代を歴史時代という。

①猿人 現在発見されている化石人類の中では,エチオピアのラミダス猿人が最古のものとされる。②打製石器 石を打ち欠いて作られた石器。旧石器時

代の特徴である。礫石器や 握にぎり

斧おの

(ハンド=アックス),剝片石器などがこれに属する。③更新世 地質学上の年代区分の1つで,洪積世とも

いう。約180万~約1万年前に当たる。この頃は氷河時代であった。続く完新世は現代に至る。④骨角器 獣・魚・鳥の骨や角を利用した器具で,

銛もり

・槍やり

・針などに加工された。

⑤クロマニョン人 1868年に南フランスのクロマニョンで発見された新人。アルタミラの洞穴などに壁画を残し,弓矢を用いたことがわかっている。

⑥磨製石器 砂や砥と

石いし

などで研磨した石製器具類の総称で,新石器時代の特徴とされる。石斧や石皿などがこれに属する。

⑦土器 こねて形を整えた粘土を焼き上げて作った器や道具。食物の調理や保存,儀式などに用いられた。

⑧都市 古代の都市は貿易に加えて,宗教上の拠点でもあり,神殿が設けられた。

・農耕・牧畜の開始前…旧石器時代(打製石器を使用)・農耕・牧畜の開始後…新石器時代(磨製石器を使用)

・文字の発明前…先史時代・文字の発明後…歴史時代

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2 古代メソポタミアと小アジア

1 西アジアの風土  古代のローマ人は,東方を “オリエント” と呼んだ。この言葉は,ラテン語で “日の昇るところ” を意味し,現在では西アジアやエジプトなどの地域をさす。オリエントの大部分が乾燥地帯に当たり,遊牧生活が営まれたが,メソポタミア(ティグリス・ユーフラテス川流域)やエジプト(ナイル川流域)では,早くから農耕が行われた。

2 メソポタミアの古代文明 ⑴ メソポタミア

  “川の間の地域” という意味のギリシア語に由来するメソポタミアは,ティグリス・ユーフラテス川流域をさし,ほぼ現在のイラクに当たる。この地域は,豊かな土壌を利用して灌漑農業が行われたため,早くから文明が発達し,多数の都市国家が成立した。また,メソポタミアは開放的な地形であったため,様々な民族が進出し,興亡を繰り返した。

メソポタミアからパレスチナ・シリアに至る地域を “肥ひ

沃よく

な三日月地帯” と呼ぶこともある。⑵ シュメール人の都市国家

 メソポタミアでは,民族系統不明のシュメール人が前叅000年頃から,ウル・ウルクなど,多数の都市国家を形成した。これらの都市国家では,その都市の守護神を祀

まつ

るジッグラトが建てられて①神権政治が行われ, 楔

くさび

形がた

文字が作られるなどシュメール人独自の文化も花開いた。しかし,国家間の戦争が絶えなかったため,シュメール人の勢力は衰えていった。⑶ アッカド人の国家

 シュメール人の勢力が衰えると,前2㆕世紀に②セム系のアッカド人の王であるサルゴン1世がシュメール人の都市国家を征服してメソポタミアを一時統一した。アッカド人は広大な領域に支配を及ぼしたが,間もなく衰退し,やがてシュメール人の支配が復活した。⑷ 古バビロニア王国

 前19世紀初め頃,セム系のアムル人が,古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を建て,バビロンを首都とした。古バビロニア王国は,前18世紀頃に在位した第6代のハンムラビ王の下で,全メソポタミアを支配した。ハンムラビ王は,運河の開削などを行って治水・灌漑を進めるとともに,③ハンムラビ法典を制定し,法治主義の確立をはかった。

ウルク

ウル

バビロン

ラガシュ

ヒッタイトの進出

ヒッタイト

ハットゥシャ(現ボアズキョイ)

▼古バビロニア王国の最大領域

古バビロニア王国の最大領域

ウルク

ウル

バビロン

ラガシュ

ヒッタイトの進出

ヒッタイト

ハットゥシャ(現ボアズキョイ)

▼古バビロニア王国の最大領域

古バビロニア王国の最大領域

◆ハンムラビ法典の刑法における特色 ・“目には目を,歯には歯を” という同害復讐法の原則をとる ・刑罰は,加害者と被害者の身分によって異なる

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3章先史の世界と古代オリエント

⑸ 諸国の分立 小アジアからメソポタミアに進出した④インド=ヨーロッパ系のヒッタイトによって,前16世紀初め頃,古バビロニア王国は滅ぼされた。これ以後,メソポタミア北部はミタンニの支配を受けたのち,ヒッタイトの支配下に入った。一方,メソポタミアの南部は,カッシートが支配した。これらの諸国に加え,新王国時代のエジプトがシリアに進出し,ヒッタイトと争った。このように,オリエントでは多くの国が分立したが,前1叅世紀末から前12世紀初め頃にかけて,“海の民” の侵入を受け,ヒッタイトは滅び,エジプトは衰退した。⑹ メソポタミアの文化

 メソポタミアでは,シュメール人が絵文字から⑤楔くさび

形がた

文字を作り出した。以後,この文字は古代オリエントの諸民族の間で広く用いられた。 学問では,農業や治水の必要上から,天文学が発展し,占星術が盛んに行われた。このような中から,⑥太陰暦が作られ,六十進法や1週7日制が成立した。 メソポタミアの宗教は多神教信仰で,各都市に守護神がいるとされた。その守護神を祀るためにジッグラトと呼ばれる聖塔が建設された。

3 小アジア  小アジア(現在のトルコ共和国の大部分に当たる地域)では,前1柒世紀半ば頃から,インド=ヨーロッパ系のヒッタイトがハットゥシャ(現在のボアズキョイ)を首都として台頭した。その後,ヒッタイトは前16世紀初め頃に古バビロニア王国を滅ぼし,前1㆕世紀にはミタンニを屈服させて全盛期を迎えた。次いで,新王国時代のエジプトと争った。このようなヒッタイトの勢力拡大については,馬や戦車,鉄製武器を用いていたことが要因の1つとして挙げられる。しかし,“海の民” の侵入を受けて前12世紀初め頃に滅びた。

▼前16世紀頃のオリエント諸国黒 海

地 中 海ヒッタイト

ミタンニ

カッシート

エジプト新王国

ハットゥシャ

テーベ

バビロン

テル=エル=アマルナ

カスピ海

紅 

ペルシア湾

▼前16世紀頃のオリエント諸国黒 海

地 中 海ヒッタイト

ミタンニ

カッシート

エジプト新王国

ハットゥシャ

テーベ

バビロン

テル=エル=アマルナ

カスピ海

紅 

ペルシア湾

①神権政治 王が神,またはその代理者として統治する政治形態のこと。②セム系 西アジアから北アフリカ一帯にかけて居住

した人々の言語をセム系言語と総称する。アッカド人・アムル人・アラム人・フェニキア人・ヘブライ人・アッシリア人・アラブ人など,この系統の言語を用いた人々をセム語族という。③ハンムラビ法典 1901~02年,イランの古都スサで

黒い石の円柱に刻まれた原文が発見された。この円柱は現在,フランスのルーヴル美術館に所蔵されて

いる。④インド=ヨーロッパ系 ヒッタイト人・イラン人・

スラヴ人・ケルト人・ギリシア人・ゲルマン人などが,この系統の言語を用いた。

⑤楔形文字 この文字は,主に粘土板に記され , 日干しにして保存された。

⑥太陰暦 月の満ち欠けを基準に作られた暦。季節と暦のずれが起こりやすいため, 閏

うるう

月づき

を設けて修正した。

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3 古代エジプトと地中海東岸

1 エジプトの古代文明 ⑴ エジプトにおける文明の成立

 エジプトでは , ナイル川が定期的な氾はん

濫らん

を起こして上流から豊かな土壌を運び,実りの多い耕地が形成された。これを背景として灌漑農業が発達し,早くから文明が栄えた。①“エジプトはナイルのたまもの”という言葉は,このことを表現している。⑵ エジプトの統一

 エジプトでは早くからナイル川流域に多数のノモス(小国家)が分立していたが,ナイル川の治水を行うためには強力な指導者が必要であった。そのため,ノモスを統一する動きが進み,前叅000年頃には,②ファラオが強い権力を振るう統一国家が形成された。また,四方を海や砂漠に囲まれていたため,異民族の侵入を受けることも比較的少なく,エジプト人の国家が以後長く続いた。古代エジプトの王国は,古王国・中王国・新王国の3期に大きく分けられる。⑶ 古王国

 前2柒~前22世紀頃にエジプトを支配した古王国は,首都をメンフィスに定めた。この時代は,ファラオが強力な王権を握って支配し,巨大な③ピラミッドが盛んに築かれた。⑷ 中王国

 前21~前18世紀頃にエジプトを支配した中王国は,テーベを首都とした。この時代の末期に,エジプトはアジア系遊牧民族のヒクソスの侵入を受け,馬と戦車がもたらされた。⑸ 新王国

 ヒクソスを追放した新王国は,首都をテーベとして,前16~前11世紀にエジプトを支配した。 前1㆕世紀頃に在位したアメンホテプ4世(イクナートン;位前1叅柒9頃~前1叅62頃)は,テーベの神官勢力を抑えるためアモン=ラーを中心とする従来の多神教を廃し,唯一神アトン信仰を強制するとともに,テル=エル=アマルナ(当時はアケト=アトン)に遷都した。この時期には,写実的なアマルナ美術が成立した。しかし,アメンホテプ4世の死後は,アモン=ラー信仰が復活した。 その後の新王国は,ラメス2世(位前1叅0㆕頃~前12叅柒頃)が在位した前1286年頃にシリアのカデシュでヒッタイトと戦った。⑹ エジプトの文化

 エジプトでは,碑文や墓などに刻まれた神聖文字(ヒエログリフ)や,④パピルスに書かれた民用文字などが用いられた。中でも神聖文字は,後18世紀末に発見されたロゼッタ=ストーンを手がかりに,フランスの学者シャンポリオンによって解読された。 エジプトの宗教は多神教で,太陽神ラーが信仰を集めた。新王国時代にはテーベの守護神アモンと結び付いたアモン=ラーの信仰が広まった。また,エジプト人は,霊魂の不滅を信じてミイラを作り,死後の世界の案内書である「死者の書」を残した。さらに,ファラオの権力の強大さを象徴するピラミッドやスフィンクスが盛んに作られた。 この他,農業上の必要から測地術が発達し,1年を叅65日とする太陽暦が使用された。

▼古代エジプト

ギザ

メンフィス

テーベ

テル=エル=アマルナ

▼古代エジプト

ギザ

メンフィス

テーベ

テル=エル=アマルナ

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3章先史の世界と古代オリエント

2 地中海東岸地域の諸民族 ⑴ アラム人・フェニキア人

 アラム人は,ダマスクスを中心に小王国を形成し,内陸の中継貿易に従事した。このため,アラム語は国際商業語となり,西アジアで広く使われた。 フェニキア人はシドン・ティルスなどの都市国家を建てて地中海貿易で繁栄した。また,カルタゴをはじめとする多くの植民市を建設した。彼らが使用したフェニキア文字は,アルファベットの起源の1つとなった。

⑵ ヘブライ人▶出エジプト 遊牧民族であったセム系のヘブライ人は,

前1500年頃,パレスチナに定住した。ヘブライ人の一部はエジプトに移住したが,そこでの圧政に耐えかね,前1叅世紀頃,モーセに率いられてパレスチナに脱出した。これを出エジプトという。

▶ヘブライ王国の繁栄 前1000年頃,ヘブライ王国が建てられ,第2代の王ダヴィデ(位前1000頃~前960頃)と次のソロモン(位前960頃~前922頃)の治世に全盛期を迎えた。

▶ヘブライ王国の分裂 ソロモンの死後,ヘブライ王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し,前柒22年にはイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされた。ユダ王国は前586年に新バビロニアに滅ぼされ,多くの住民がバビロンに連行された(バビロン捕囚)。

▶ユダヤ教の確立 前5叅8年,アケメネス朝のキュロス2世が新バビロニア王国を滅ぼすと,ヘブライ人は解放された。帰国したヘブライ人は,イェルサレムに唯一神ヤハウェの神殿を再建し,⑤ユダヤ教を確立した。以後,ヘブライ人はユダヤ人と呼ばれることが多くなった。

・アラム人…内陸の中継貿易に従事・フェニキア人…地中海貿易で繁栄・アラム人…内陸の中継貿易に従事・フェニキア人…地中海貿易で繁栄

▼地中海東岸の諸民族

シドンティルス

イェルサレム

ダマスクス

ユダ王国

イスラエル王国

アラム人地

フェニキア人

▼地中海東岸の諸民族

シドンティルス

イェルサレム

ダマスクス

ユダ王国

イスラエル王国

アラム人地

フェニキア人

①“エジプトはナイルのたまもの” ギリシアの歴史家であるヘロドトスの言葉。②ファラオ 古代エジプトの王の称号。元来は “大き

な家” を意味する。③ピラミッド ファラオの墓ともいわれる建築物。現

存する中で最大のものは,カイロの対岸のギザにあるクフ王のものである。

④パピルス パピルス草という植物から作られた紙の一種。⑤ユダヤ教 ユダヤ人は神によって選ばれた民族であ

るとする選民思想や,世界の終末の際にはメシア(救世主)によって救われるという信仰が特徴。聖典は『旧約聖書』。

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4 古代オリエントの統一とイラン世界

1 古代オリエントの統一 ⑴ アッシリア

 ①前2千年紀初め,セム系のアッシリアがメソポタミア北部で建国した。前15世紀にはミタンニに服属したが,やがて独立を回復すると,専制国家として強大化し,前7世紀前半にエジプトを含む全オリエントを初めて統一し,強大な帝国を築いた。 アッシリアは,広大な領土を州に分けて総督を置き,中央集権体制の強化をはかった。しかし,強制移住や重税など過酷な支配が征服した諸民族の反発を招き,反乱が続発する中,前612年,首都のニネヴェを攻略され,帝国は崩壊した。こののちのオリエント世界には,②リディア・メディア・新バビロニア(カルデア)・エジプトの4国が分立した。⑵ アケメネス朝(前 550~前 330)

▶アケメネス朝の建国 前550年,イラン人のキュロス2世(位前559~前5叅0)がアケメネス朝を建国した。アケメネス朝は分立していた4王国を征服し,再びオリエントを統一した。

▶ダレイオス1世の時代 アケメネス朝は,第3代のダレイオス1世(位前522~前㆕86)の時代に最盛期を迎えた。ダレイオス1世は領土を州に分けてサトラップ(知事)を置き,“王の目” “王の耳” と呼ばれる王直属の監察官に各州を巡察させた。また,③“王の道” を整えて駅伝制を布

き,新都ペルセポリスの建設を始めた。さらに,征服した諸民族の自治を認めるなど,寛容な統治を行った。しかし,前5世紀初めに起こしたペルシア戦争では,ギリシア諸ポリスの連合軍に敗れた。

▶アケメネス朝の滅亡 ダレイオス1世死後のアケメネス朝は徐々に勢力を失い,ダレイオス3世(位前叅叅6~前叅叅0)の時代に,マケドニアのアレクサンドロス大王に敗れて滅亡した。

▼アッシリアと4王国分立時代

メンフィス

テーベ

バビロン

ニネヴェ

エジプト

新バビロニア

リディア

メディア

前7世紀半ばのアッシリア

サルデス

エクバタナ

▼アッシリアと4王国分立時代

メンフィス

テーベ

バビロン

ニネヴェ

エジプト

新バビロニア

リディア

メディア

前7世紀半ばのアッシリア

サルデス

エクバタナ

サルデス ニネヴェ

バビロン(冬宮)

エクバタナ(夏宮)

スサ

ペルセポリス

アテネ

スパルタ

王の道

ダレイオス1世時代の領域

成立時の領域

▼アケメネス朝

サルデス ニネヴェ

バビロン(冬宮)

エクバタナ(夏宮)

スサ

ペルセポリス

アテネ

スパルタ

王の道

ダレイオス1世時代の領域

成立時の領域

▼アケメネス朝

◆ダレイオス1世の政策①全国を約20州に分け,サトラップを派遣②王直属の監察官である “王の目” “王の耳” が全国を巡察③“王の道” を建設し,駅伝制を整備④ペルセポリスの建設を開始

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3章先史の世界と古代オリエント

2 古代のイラン世界 ⑴ セレウコス朝(前 312~前 63)とパルティア(前 248 頃~後 224/26)

▶セレウコス朝 アケメネス朝の滅亡後,マケドニアのアレクサンドロス大王(位前叅叅6~前叅2叅)がイランを支配したが,間もなく死去し,前叅12年以降,イランはセレウコス朝の支配下に置かれた。前3世紀半ばにアム川上流域のギリシア人がバクトリアを建国,次いでイラン系の遊牧民族がパルティアを建国して独立すると,セレウコス朝は弱体化した。

▶パルティア カスピ海南東部に建国されたパルティア(④安息)は,のちクテシフォンを首都と定め,東西貿易によって繁栄したが,前1世紀には西方から進出したローマと争った。パルティアは徐々に国力を失い,後22㆕(226)年にササン朝に滅ぼされた。

⑵ ササン朝(224/26~651)▶ササン朝の建国と発展 アルダシール1世 (アルデシール1世;位22㆕╱26~㆕1)はパルティアを滅ぼし,クテシフォンを首都としてササン朝を開いた。第2代のシャープール1世(位2㆕1~柒2)は,東方ではクシャーナ朝から領土を奪い,西方ではローマ軍を破って皇帝ウァレリアヌスを捕虜とした。シャープール1世の時代に,ササン朝は中央集権国家としての体制を整えた。

▶5世紀以降のササン朝 5世紀後半,ササン朝は中央アジアの遊牧民族エフタルの侵入を受けた。しかし,ホスロー1世(位5叅1~柒9)はトルコ系遊牧民族の突

とっ

厥けつ

と結んでエフタルを滅ぼし,西方ではビザンツ帝国に対して優位に立った。ホスロー1世の時代にササン朝は最盛期を迎えたが,その死後は衰え,6㆕2年のニハーヴァンドの戦いでイスラーム軍に完敗すると,間もなく滅びた。

⑶ イランの文化 イランでは,ゾロアスター教が興され,善の神アフラ=マズダと悪の神アーリマンとの争いとしてこの世をとらえる善悪二元論的な世界観を説いた。ササン朝の時代にはゾロアスター教が国教となり,聖典の『アヴェスター』が編集された。また,後3世紀には,ゾロアスター教を基に,キリスト教や仏教の要素を融合したマニ教が創始されたが,これは弾圧されたために国外で信仰された。 ササン朝時代には,イラン独特の技術にインドの文化などが融合して,美術や工芸が発達した。ササン朝の美術・工芸品は,西方のビザンツ帝国を経て地中海方面に,東方の中国を経て飛鳥・奈良時代の日本にも影響を与えた。

①前2千年紀 前2000年~前1001年の間をさす。1000年を単位とする千年紀は,先史時代や古代で年代が不明確な場合に用いられることが多い。②リディア 小アジアに栄えた国で,世界最古の金属

貨幣を 鋳ちゅう

造ぞう

したとされる。③“王の道” ダレイオス1世が設けた国道。アケメネ

ス朝の首都スサから小アジアのサルデス(リディアの古都)を結ぶ全長約2500km の道には,100以上

の宿駅が設けられた。④安息 中国の歴史書『史記』に出ている言葉で,パ

ルティアをさす。パルティアの建国者であるアルサケスの名前を漢字で表記したもの。補説 日本では,ササン朝美術の影響が見られるもの

として,正倉院の漆しっ

胡こ

瓶へい

や,法隆寺の獅し

子し

狩かり

文もん

錦きん

などが有名である。

RWA5B1-Z1J1-08

▼ササン朝の最大領土

黒 海

ニハーヴァンドの戦い(642)

ペルセポリス

セレウキア

クテシフォン

アラル海

ユーフラテス川

ティグリス川

インダス川

シル川

アム川カスピ海