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Page 1: 1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/28984/sbal040...1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛 」 東 雄一郎 一 『詩篇』には夥しい数の漢字が使用されている。一例を挙げれば、林、皐陶、太平、新日日新、夏、周、仲尼、

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エズラ・パウンドの東洋、「逛」

雄一郎

『詩篇』には夥しい数の漢字が使用されている。一例を挙げれば、林、皐陶、太平、新日日新、夏、周、仲尼、

仁者以身発財、中、莫、誠、旦、桑、非其鬼而祭諂也、志、符節、道、辞達、黄鳥止、犬、仁、霊、伊尹、仁智、

徳、義、伯禽、成王、心、書経、一人、力行近乎仁、仁親以為寶、法、兆、本業、恩、光明、正名、孟、堯舜禹

であり、この漢字群は『詩経』『論語』『大学』『中庸』『孟子』『書経』の古代中国思想・文化へのパウンドの造詣

の深さを物語る。一九一五年の「ポエトリ」(五巻五号)で詩人は「十九世紀は中世を発見したが、二十世紀は中

国に新たなギリシャを発見することになるだろう」と自分の宿命を予見していた。詩人の本格的な東洋の発見は、

一九一三年アーネスト・フェノロサの遺稿を未亡人メアリから委託されたときに始まる。その遺稿は漢詩と能の

翻訳草稿、エッセイ「詩の媒体としての漢字考」の十数冊のノート類だった。パウンドは優れたメタファーと「霊

的な示唆」をも表す漢字との類似性を遺稿の中に見出した。この当時のパウンドは孔子をフランス語訳で読み始

めていた。

一九一四年一月に完成した謡曲「錦木」の翻訳が「ポエトリ」誌のハリエット・モンローのもとへ「この作品

は余分な注釈や長い説明が不要なほど美しく、自我礼讃だが明晰な翻訳に仕上がった」との言葉が添えて送られ

た。「錦木」の翻訳は同年五月の「ポエトリ」に発表された。能の象徴的劇形式、「イメージの統一性」を会得し

た詩人は、一四年六月にウィンダム・ルイスと共に閉塞的なイギリスの文壇や画壇の破壊を目指す機関紙「爆破」

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を創刊し、革新的な渦巻主義の運動に参画した。パウンドのイメージは、詩の「初歩的色彩」から光の「群れ」・

渦巻、つまり静止する永遠の一瞬から流動し旋回する永遠の呈示へと移り、「行動する観念」となった。

フェノロサの遺稿を底本に、漢詩の翻案詩集『

キャセイ

中国』(一五)、『日本の貴族演劇』(一六)、その増補版の『能、

または才芸』(一七)、「詩の媒体としての漢字考」(二十年「扇動」に掲載)が次々と紡ぎ出された。一七年のジ

ェイムズ・ジョイス宛の手紙で「既成のどのジャンルにも属さず、終わりのない詩に着手している」と執筆中の

『詩篇』が宣告された。『詩篇』には「高砂」「景清」「須磨源氏」「熊坂」「葵上」などの謡曲が効果的に挿入され

ている。第七四篇に挿入される「景清」「須磨源氏」「熊坂」のシテは、パウンドの人生に重なる敗残者か追放者

である。能の中に「イメージの統一性」を発見した詩人は、発句的な自由短詩から脱し、歴史を内包する複合的

な長篇詩の可能性を感得した。能の橋懸りの彼方から不意に出現する神霊、死者、妖鬼、自然の精、狂人は幽冥

の空間に怪しく跳梁し、闇の深淵へと落下する。

『詩篇』でも詩人の「魂の暗夜」(第七四篇)が遥かな心を語り、無限の深遠を見つめている。

ノーマン

すでに日が沈んだ者

ヒツジはとても澄んだきれいな目をしていると彼は言った。

それから「羽衣」の天使が私に近づいてきた

輝く天使たちの環のように

ある日は「泰山」に雲がかかり

ときには夕日の光に包まれ

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仲間がまんぜんと私を祝福してくれた

夕暮れに雨溝の中で泣いた。

(『詩篇』第七四篇)

優れたメタファーと「霊的な示唆」をも表す漢字の視覚的な表意文字的な手法と同じく、謡曲の中に「イメージ

の統一性」(作品総体の構築力となる単一の心象)をパウンドは見出し、これを『詩篇』に応用した。パウンドの

目に映った能は、従来のリアリズムの手法とは異なる「優れた間接的で象徴的な劇形式」であった。言うまでも

なく「羽衣」は三保の松原で漁夫伯竜が羽衣を見つけ、天人が呼びとめこれを返してもらい、その礼に舞を舞っ

て帰天するという劇であるが、パウンドはイェイツとともに、一九一五年当時ロンドンのセント・ジョンズウッ

ド美術学校に留学していた久米民十郎の「羽衣」の見事な天女の舞を実際に観ていた。伊藤道郎から紹介された

久米民十郎は英語が巧みで、パウンドに能の知識や助言を与え、謡曲の本を数冊進呈した。伊藤道郎はドレスデ

ンのダルクローズで西洋舞踏を学んでいたが、ドイツからロンドンへ避難し、パウンドの以前の下宿に住んでい

た。 引

用の一節の「ノーマン」・「莫」・「すでに日が沈んだ者」は『ピサ詩篇』(第七四篇から第八四篇まで)の冒頭

に描かれるムッソリーニの悲劇(「農夫の曲がった肩にひそむ夢の途方もない悲劇」)のイメージを繰り返してい

る。一九四五年四月二八日、愛人のクララ・ペタラッチとともにムッソリーニはミラノでパルチザンに射殺され

逆さ吊りにされた。パウンドは、古代の理想世界の「デイオケスの都市」(ヘロドトスが『歴史』に伝える、メデ

ィア人の王デイオケスが造らせた、七つの城壁を巡らせた城塞都市エクバタナ)の現代における再建の夢を、ム

ッソリーニに託していたが、その夢も崩壊してしまった。一九四八年七月下旬にニュー・ディレクションズから

連作詩『ピサ詩篇』は刊行された。第二次大戦中にムソリーニ政権下でローマ放送に携わったパウンドは、一九

四五年五月三日にパルチザンに逮捕され、国家反逆罪のかどピサの米陸軍軍事規則訓練所の金網張りの檻に入れ

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られた。野天の熱暑と雨に晒されパウンドは倒れ、後にはテントへ移される。『ピサ詩篇』はこの失意と絶望の内

に書かれた。それは「歴史を含む詩」、古今の神話や歴史を包含するパウンドの一種の『神曲』であった。「すで

に日が沈んだ者」とはムッソリーニへの絶望的な呼びかけであると同時に、実は『詩篇』の作者パウンド自身の

自己認識である。国籍離脱者として生涯にわたり放浪の旅を続けたパウンドは、謡曲の戦いに敗れた熊坂や景清

にも似た流謫の敗者である。後述するが、彼は「莫」の一字に自分の生涯を凝縮させ、語らせたのだ。

パウンドは「ノーマン」(ホメロスの『オデュッセイア』で英雄オデュッセウスが危機を回避するために一眼巨

人キュクロプスに弄した詭弁)であり、故郷のイタケーへ帰還する不撓不屈の航海者オデュッセウスに自分をな

ぞらえ、現代というトロイの廃墟から抜け出し、様々な地方をさまよい、その「仲間」・同胞を「デイオケスの都

市」へ再び連れ戻そうとした。そこはとても澄んだ「ヒツジ」の目が象徴する無垢と美の世界、そしてダンテの

天国を想わせる「輝く天使たちの環」に包まれた至福の地、「羽衣」の天上の神仙世界にほかならない。

失意と絶望の心理地獄の中の「すでに日が沈んだ者」であっても、パウンドは「羽衣」の天人・「天使たち」の

地上の自分への接近を感知し想像する。引用の詩行では、羽衣を身につけて舞を舞う天人、「輝く天使たちの環」、

華北大平原に聳え立つ霊山である「泰山」(『史記』が伝える孔子最期の有名な記述、「泰山其頽乎、梁木壊乎、

哲人其萎乎」を想起させる)、「夕日の光」、天空からの「雨」という具合に、詩人の精神とそのイメジャリーが上

昇の軌跡を描いている。「泰山」は五岳の中でも東岳の地位を与えられ、東が万物を育む方角であるために五岳の

宋と崇められ、秦の始皇帝、前漢の武帝などの歴代の帝王がこの山で天地を祭る封禅の儀式を執り行っている。

封は泰山の上に土壇を作って天を祭ること、禅は泰山の下の小山を削って地を祭ることである。

この「泰山」に関して、詩仙と言われる李白は「遊泰山」六首を残し、「其一」の後半では「曠然小宇宙」(心

を広くすると広大な宇宙も小さい)と、俗界から離れた幻想的な神仙世界を詠んでいる。万里の彼方から清風が

吹き、玉のように美しい四、五人の仙女が天界から蝶のように舞い降り、笑いながら白い手を差し伸べ、詩人に

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不老長寿の流霞の盃を贈るのである(「万里清風来、玉女四五人、飄颻下九核、含笑引素手、遺我流霞盃」)。パウ

ンドがこの李白の「遊泰山其一」を知っていたかどうかは定かではないが、奇しくも、李白の天から舞い降りる

仙女の姿は、「羽衣」の天人の姿に重なる。パウンドはアーネスト・フェノロサ(東京帝国大学で森槐南に漢詩を

学ぶ)の遺稿から「江上吟」、「長干行」、「玉階怨」、「送友人」、「送友人入蜀」、「黄鶴摟送孟浩然之廣陵」、「古風

五十九首其十四」、「古風五十九首其十八」、「憶旧遊寄譙郡元参軍」などの李白の漢詩十一編を『中国』(陶淵明、

郭璞、『詩経』の「小雅」などの十八編を収録)に翻案し、「天馬空を行く」と称される自由奔放な李白への大き

な共感を示している。「天馬空を行く」パウンドも、「泰山」を仰ぎ見ながら自分が「すでに日が沈んだ者」であ

ることを痛感する。そして「莫」の漢字は、「ノーマン」に関連して「無」(「なし」)の意を含むが、これは元来

が、草原や森林に日が沈むさまで、日暮れの意を表すものである。この意味で、「すでに日が沈んだ者」や「夕暮

れ」というパウンドの「莫」の釈義はまさに適切なものである。

第七四篇の天人の世界は次の一節に繰り返され、「羽衣」の三保の松原が古代ギリシャの海辺に融合する。

「天には偽りなどありません」

月の精がそう言った

純白の

私のマントを、羽衣をお返し下さい

もし天の雲さえあれば

海辺に打ち寄せられた白い貝殻のように

全燔祭の

海辺に漂う藤の花のように

(第八十篇)

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言うまでもなく「海辺に打ち寄せられた白い貝殻」は、海の泡から生まれた美と愛の女神アプロディテ(ローマ

神話のヴェヌス、英語読みヴィナス)を喚起させるイメージである。この女神の誕生は殺害(「全燔祭」)による

ものである。ゼウスの父で時を司るクロノスは、殺害した父ウラノスの巨体を海に投げ捨てた。切断されたウラ

ノスの身体から流れ出た血が陽光の中を漂い、白い泡となり、この泡から背の高い金髪の美しい女神アプロディ

が誕生したのである。彼女がキュプロスの岸にあがると、そこには次々と四季の花が咲き、小鳥たちが喜びに輪

を描き囀った。「月の精」・天人が住む世界は偽りのない無垢の世界であり、このパウンドのペルソナも「マント」・

「羽衣」・「天の雲」を手にして、偽りに満ちた地上の現実からペガサスのように飛び立ちたいと願っている。そ

れは天を駆ける想像力を獲得することである。そしてこの「月の精」は「羽衣」の天人に重層される。

この直後に、天人は「エペソで女神が細工職人を哀れんだ」とあるように、月と狩猟の女神アルテミス(ギリ

シャ神話のダィアナ)へと変身し、次にこの月の女神の怒りから、鹿に変えられ、自分と狩猟仲間の猟犬たちに

かみ殺されたアクタイオンが登場する。アルテミスは純潔を愛する処女神で、乙女たちを従え、糸杉と松に鬱蒼

と覆われたキタイロンの山中(ガルガピアの谷)の一番奥にある洞窟の聖泉で水浴をした。通りかかったアクタ

イオンが木陰からこの女神の美しい裸身を覗いた。これに気づいた女神は羞恥と憤怒から、この若者の顔に水を

かけ牡鹿の姿に変え、猟犬たちをけしかけ、その主人を八つ裂きにした。

『詩篇』の橋懸りの彼方からも、こうして神霊、自然の精、妖鬼などの実に多様な超自然的な存在が不意に出

現し、これらのイメージが、遁走曲にも似た、ある一定の反復的な基調の中に捉えられる。例えば、引用した一

節に先行して、アルテミスとアクタイオンの神話物語は『詩篇』の第四篇に早くも登場する。

猟犬たちがアクタイオンに飛びかかる

「こっちだ、こっちだ、アクタイオン」

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森のまだらの牡鹿

ひと刈の麦束みたいに豊かな

金色のひと束の髪

日向の強い陽射し

猟犬たちがアクタイオンに飛びかかる。

(第四篇)

そしてこの殺戮の場面の直後には謡曲「高砂」のイメージが導入されている。

こうして光が雨のように降り注いだ「雨を秘めた太陽」

神々の膝の下を

透明に烈しく流れる水晶の輝き

幾重にもかさなる水のあわい煌めき

白い花びらをはこぶ小川の水面

高砂の松が

伊勢の松とともに生える!

(第四篇)

相生の松、高砂の松と住吉の松(パウンドは「伊勢の松」に置き換える)は、一つの根元から二本の幹が出たも

ので、深い絆で結ばれた夫婦が長寿を保つことの象徴である。アルテミスが水浴したキタイロンの山中の聖泉は、

「透明に烈しく流れる水晶の輝き」を放ち、天上の神々の属性として描かれている。そして地上の相生の松も「偽

り」のない天上の世界の輝きを映している。

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「羽衣」における漁夫伯竜と天人、そしてギリシャ神話の猟師アクタイオンと月の女神アルテミス、これらの

出逢いは天上と地上との一瞬の交錯・照応である。そしてこのキタイロンの聖泉・「白い花びらをはこぶ小川の水

面」は、この第四篇では、前三世紀、中国の戦国時代の楚の詩人、宋玉が「風賦」に歌う「王の噴水」に重層さ

れる。だが、天上と地上との一瞬の交錯・照応は、アルテミスの裸身を垣間見たアクタイオンの殺戮の悲劇に示

唆されるように、混沌と不毛の廃墟の現代にあっては、残酷で危険な要素を含んでいる。それは「デイオケスの

都市」の再建の理想の夢をムッソリーニに託して敗れたパウンド自身が実感していた現実である。いや、それ以

前に、「半ば野蛮な国」のアメリカを追われ、「頑なな島」のイギリスの文壇にも受け入れられなかったパウンド

が実感していた現実であったのだ。主人であるアクタイオンを守るはずの猟犬が、狂犬となり、逆に主人を噛み

殺し、その血を吸って満腹する。

この皮肉な逆転をパウンドは身をもって知っていた。初期のファシズムの業績に共鳴したパウンドは軍国主義

的帝国主義者ではなかった。一九四0年一月から四三年七月までの週二回(四一年に一時中断)、パウンドはロー

マ放送の「アメリカン・アワー」を担当するが、その内容は通貨改革論、ユダヤ系金融業者批判、アメリカ憲法、

文学論、絵画論、「孔子の倫理体系」についての談話等と首尾一貫したものではなく、当初からアメリカ大統領や

政府への批判を主眼としたものではなかった。パウンドは当時のアメリカ政府への諌言としてこの放送を行って

いたのだ。パウンドが『詩篇』で主張し続けるのはファシズムでも反ユダヤ主義でもない。それは独立独行の誇

りと不屈の精神を持つオデュッセウス的な遍歴における真の文明(歴史を創造し芸術を育む文明)への希求、オ

ヴィディウスの『変身物語』に記憶される原始的な自然世界における宗教的な畏怖の念、古来の祭儀と秩序に敬

意を払う孔子の仁政(安定した社会基盤の確立)である。「ヒュー・セルウィン・モーバリー」に憤慨し悲嘆する

ように、理不尽な戦争による生命と才能の途方もない浪費と商業化された文化(「継ぎはぎだらけの文明」)を、

パウンドは何よりも憎んでいた。パウンドは『孟子』尽心章句下の「春秋無義戦」(孔子が編集した『春秋』の記

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録の中には正義の戦いは一つもない)を『詩篇』(第七八篇、八二篇)に引用する。

『詩篇』には、アクタイオンの猟犬を始め、多様な犬のイメージが登場する。例えば、アクタイオンの猟犬は、

次の「犬」の漢字が使われる第八十篇では、ポセイドンの巨神の息子で猟師のオリオンとその猟犬のシリウスに

重層される。

人と犬が

南東の地平に見える

西洋では犬が人より先に歩くのが分かる

もちろん東洋でもそうだ

もしこの中の「人」が右に進むなら

(第八十篇)

これはアルテミス(ディアナ)を犯そうとして、この月の女神が送ったサソリに刺殺され南天の星となったオリ

オンの神話(『変身物語』)への凝縮された言及である。またオリオンは海でアルテミスの銀の矢に頭を射抜かれ

て死んだとも言う。アルテミスは、美しい狩人の青年オリオンを見て恋に落ち、一緒に狩りを楽しみ暮らす。だ

がアルテミスの兄で太陽神のアポロンがこれに嫉妬を覚え、曾祖母の大地の女神ガイアをそそのかし、巨大なサ

ソリをオリオンのもとへ送り、その暗殺を謀る。水を嫌うサソリの習性を承知していたオリオンは海に跳びこみ

難を逃れるが、アポロンは妹のアルテミスを海岸へ連れ出し、海中にいるのは彼女の処女の乙女たちの一人を襲

った野蛮な賊だと嘘をつく。彼女は、それが愛するオリオンとは知らずに、銀の矢を放ってしまう。真相を知っ

たアルテミスは自分の失策を嘆き、陸に打ち寄せられたオリオンの死骸を引きあげ、巨人の星として天空に置い

た。天上でも犬のシリウス(狼座)がオリオンの後に従っている。サソリがオリオンの後方をむなしく追ってい

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る。

自分の猟犬に八つ裂きにされるアクタイオンと同じく、このオリオンにも、愛する者に殺される逆転が見られ

る。正真の伝統と理想の社会を求める芸術家は、自分の理想に固執するあまり、現実の中で孤立する。詩人の理

想に従うはずの現実が、理想であるために、現実の詩人を押し潰そうと凶暴な力を発揮してくる。理想という正

気は現実という狂気に絶えず立ち向かって行かなければならない。そして、現実という獰猛な狂気と混沌の渦の

中で、この正気は不断の自己変革(パウンドが好んで使う「更新」)を繰り返さなければならない。

この不断の自己変革(「更新」)は、人間生活の中で永続する光源・「光の光」であり、『詩篇』の中で多様な理

想の形を呈示しながら、その「真の徳」を発揮する。

光の光の中にこそ真の徳がある

「光あり」と

スコトゥス・エリゲーナは言った。

泰山の舜についての説明のようだ

そして宋廟において

あの驚異の始原からそうであったように

堯に宿る聖霊、舜の細心、それに

治水を司った禹の慈悲にも「

光」

はあった

(第七四篇)

スコトゥス・エリゲーナ(エリウゲナ)(八00―七七)は中世アイルランドの哲学者・神学者・ギリシャ学者で

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『自然の区分について』(De Divisione Naturae

)を著し、新プラトン派哲学の体系をなす発出説・流出説を広め、

中世スコラ哲学が発出説を受け入れる素地を用意した。ヘレニズム期の哲学、発出説は、一と多という哲学古来

の中心的な命題に答えて、世界は至高の存在である一者から発出した霊的な存在によって、段階的に構成されて

いるとするヒエラルキー的な世界観である。この流出説は、始原的な神からアイオーンと呼ばれる神々が流出す

ると考えるメソポタミアやエジプトに古くからある宗教観に基づいたものであり、キリスト教の教父たちは、悪

を直接創造に結びつけるものとして、この発出説を退けた。引用の「光あり」はスコトゥスの『自然の区分につ

いて』の言葉「存在する万物は光である」(omnia quae lumina sunt

)から採られている。

ここでパウンドは、自分が想像する泰山において封禅の「光」の祭儀を行い、古代中国のアイオーン=聖天子

たちの霊を呼び覚ましている。堯、舜、禹は『中庸章句』序の「夫堯舜禹。天下之大聖也」(そもそも堯と舜と禹

は天下の大聖人である)、そして『論語』泰伯の「大哉、堯之爲君也、巍巍乎唯天爲大、唯堯則之」(堯の君とし

ての有様は偉大なものだ。堂堂としてただ天のみが偉大であるのに、堯はそれを見習った)、「舜有臣五人、而天

下治」(舜には五人の賢明な臣下がいてそれで天下が治まった)、そして同じく泰伯の「禹吾無間然矣」(禹は私に

は非の打ち所のない人物だ)への言及である。高大で理想的な古代の帝王たちは、堯から舜へ、そして舜から夏

王朝を創始した禹へと、天下統治の大権とその地位を伝える禅譲を行った。堯の政道は広く寛大で、堯は堂堂と

した立派な業績を打ち立て、輝かしい礼楽制度・文化を作りあげた。舜には禹、稷、契、皐陶、伯益の五人の有

能な臣下がいて、聖天子の無為の政治を行った。禹は洪水を治め、農事長官の稷はのちの周王朝の遠祖、民政長

官の契はのちの殷王朝の遠祖であり、皐陶は司法長官、そして伯益は狩猟の長官を務めた。禹は飲食を切り詰め

て、神々に供物を奉じ、その衣服を質素にして祭服を立派に整え、粗末な住居に暮らし、灌漑の水路のために全

力を尽くした。これらの聖天子、堯・舜・禹の仁政を後世の聖王たちも受け継いだと孔子は説き、パウンドもそ

の言にならう。

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それは夏の傑を討伐し殷王朝をひらいた聖王の湯王、その湯王を助け建国の功臣となった伊尹、西周王朝の基

盤を築き、周の文化の先鞭をつけた文王、文王の息子で殷王朝を滅ぼし西周王朝を建てた武王、武王の弟で成王

を補佐し周王朝の基盤を固め、その文化を完成させた周公(周公旦、孔子が夢に見るほど憧れ崇拝していた人物)、

春秋時代に斉を覇者の地位に押しあげ蛮族の支配を防いだ管仲(『論語』憲問)などである。孔子は過去の聖人た

ちに憧れ、その中に自分の理想を見て取ったが、孔子の理想や思想世界を採り入れるパウンドの『詩篇』も、「往

聖を継ぎて来学を開く」(『中庸章句』序)との姿勢に貫かれている。『詩篇』は、現代の視点から過去の理想と

思想を受け継ぎ、未来の人々を啓発する歴史を含んだ叙事詩なのである。

『中国』出版直後、シェリングへ宛てた手紙でパウンドはフェノロサの「漢字考」を「すべての美学の基盤」

と呼び、「表意文字は完全に自由な言葉の用法を可能にする」と記している。事物や対象を具体的に固定する視覚

形象は、イマジズムの凝縮と充電の美学の神髄に適合した。既述したように、『詩篇』に記される「莫」の漢字へ

のパウンドの釈義は見事だが、「彷徨」の意味を持つ「逛」を詩人は、船首に二つの波または水滴がかかり、「犬」

と「王」が船尾に座る絵だと解読した(一五年七月付、シェリング宛の手紙)。

「狂」は「犬」と「王」と合字だが、彳と止の合字の之繞

しんにょう

に船の意味はない。パウンドは、「逛」を犬と王と

が同じ船で航海をしている絵だと解した。孔子を唯一の学者と讃える荀子の有名な言葉に「君者舟也、庶人者水

也、水則載舟、水則覆舟」(王制、君主は舟、人民は水、水は舟を浮かべ、また水は舟を沈める)がある。パウン

ドもこの「逛」の漢字の中に、権力は人民という大海に浮かぶ舟であるという人本主義的な含意を読み取った。

勿論、これは恣意的な誤謬であるが、『詩篇』の主題を予言する創造的誤謬である。『詩篇』は「喪家の狗」と呼

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ばれ、仁政・徳政を唱えながら長らく諸国を巡歴し用いられなかった孔子の世界でもあるからだ。そして、象形

は絵ではなく、抽象である。抽象であるから漢字は象徴性を帯びる。

言うまでもなく、「喪家の狗」は葬儀のある家で飼われている犬、葬事の忙しさから餌も与えられずに飢え疲れ

た犬、または宿無し犬を指す。孔子が弟子たちと鄭て

の国へ向かった。孔子は門人たちとはぐれ一人で城郭の東門

に佇んでいた。鄭て

のある人が子貢に言った。「東門のあたりに額は堯帝に似て/首筋は皐陶に、肩は子産にそっく

りで/禹のように高い男が/まるで喪家の狗みたいにさまよっています」(第五三篇)。これを聞いた孔子は「喪

家の狗とはまったくその通りだ」(『詩篇』第五三篇)と切り返す。孔子が多くの弟子たちから敬愛された理由は、

この権威とは無縁の親しみやすさにあったのだろう。『詩篇』でパウンドは、孔子が生きた動乱時代と、二つの世

界大戦を経験した自分の二十世紀を重ね合わせている。孔子と同じく、パウンドも「くすぶる境界石の瓦礫の山」

(第四篇)や「壊れた蟻塚」・「ヨーロッパの廃墟」(第七六篇)から這い出て、破壊された文明を再建しようとす

る「逛」の社会改革者であった。

孔子は紀元前五二二年十月二十一日、魯の昌平郷に生まれた。曲阜の南東に広がる丘陵、尼山に母親が祈願に

行き授かり、生まれたときの頭の天辺が尼山のように窪んでいたので、名を丘、字を仲尼とつけられた。

頭に窪みがあるので「丘」と仇名された

宋の人で魯に代々住んできた

人物の二人目の息子が孔子だった

仲尼

教化される者と教化されない者。孔子とエレシウスとは

道を求める者にだけ教授した。

(第五三篇)

Page 14: 1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/28984/sbal040...1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛 」 東 雄一郎 一 『詩篇』には夥しい数の漢字が使用されている。一例を挙げれば、林、皐陶、太平、新日日新、夏、周、仲尼、

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孔子は自分とは相容れない思想傾向を持つ門人と議論をするときも、相手を一概に切り捨てることはなかった。

「道を求める者」は誰でも門人とし、その門人たちを公平に扱い、身近な喩えや自分の体験を中心に論議をした。

この孔子の現実の日常から遊離しない即物的な論法は、具体的な情景や心象や挿話を併置して抽象概念を表現す

るパウンドの『詩篇』の手法に通じている。

『論語』子路には、中庸の人を(良識のある人物)を見つけて交わることができないなら、積極進取で行動的

な「狂者」か、頑なな人物の「狷者」を選ぶことだと説かれるが、この両者は明確な主体性を持つ点で、常識的

な凡人に勝っている。「狂者進取」(狂者は進み取る)の「狂者」は、人がやらないことでも果敢に行動する。中

庸や「真の徳」を身につける君主は平穏な世を治めるには適している。だが体制を転覆させるような過激な行動

に向いているのは「狂者」の方である。従って「狂」の行動性は革命の原動力となりえる。民心を失う暴政を覆

すのはこの「狂者」である。夏王朝に革命を起こして殷王朝が建てられ、そして殷王朝を転覆させて周王朝は新

王権を樹立した。因みに、幕末の混乱期を変革するために、吉田松陰は門人たちに、孔子から孟子へ、そして王

陽明へと次第に増幅された「狂」の思想を教えていた。明治維新はこの行動者の変革に必要な「狂」の思想に始

動し実現したとも言える。

そしてパウンドもまたこの「狂」の詩人であった。既述したように、パウンドはイギリスの閉塞的な芸術を破

壊する主旨から「爆破」を創刊し、革新的な渦巻主義の運動を展開させ、イマジズムの「初歩的色彩」の静止イ

メージを放棄し、「行動する観念」である『詩篇』、その巨大な渦巻きのイメージを得たからである。そして『詩

篇』に登場するオデュッセウス、ディオニュソス神、中世の傭兵隊長でイタリアの小都市リミニの城主シギスム

ンド・マラテスタ(ムッソリーニに重層)、トマス・ジェファスン、ジョン・アダムズなどはみな行動する英雄た

ちなのである。

一九一七年のジョン・クィンへ宛てた手紙でパウンドは、「中国が私の根本的な関心事で日本ではない。日本は、

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プロヴァンス並びに十二、三世紀のイタリア(ダンテは別格だが)と同じく私の特殊な関心事だ」と述べている。

一九二十年代、孔子はパウンドの哲学者になっていた。「ポエトリ」誌のモンローへ宛てた手紙(二二年六月付)

には「孔子の書物とオヴィディウスの『変身

メタモル

物語

フォーシス

』が唯一安心できる宗教の案内書だ」と述べられている。三

七年に詩人は『論語』の英訳を出し、三八年の「クライテリオン」誌に「孟子の倫理」を発表した。同年七月出

版の『文化への案内』は孔子の儒教思想を核とする文明批評で、二年後に出された「中国詩扁」(第五二―六一篇)

の礎となった。三九年十月三一日付のヘンリー・ソーベイ宛の手紙には次のように述べられている。

孔子と孟子がヨーロッパの全ての実際の信仰を満たすわけではないが、キリスト教のあらゆる正当な倫理観は

孔孟思想に合致する。私が知る限り、キリスト教神学の一面に繁茂する多くの流行や宣伝活動の密林から我々

を解放してくれるのは孔子だけなのだ。

魯国の祖の周公旦を敬愛した孔子は、夏・殷・周の過去に黄金時代を見出し、その理想を現在と未来に活かそう

とした。この復古主義の「一新」はパウンドの思想と一致するものだった。『論語』に伝えられる当意即妙の孔子

の言葉は、簡潔でいて、なお深い含蓄を蔵する。仁政・徳政を唱える孔子や王道政治を唱える孟子と同じく、パ

ウンドもまた一九三三年にムッソリーニと会見し、三九年四月には戦争回避の説得と国際協調を図るため単身帰

国し、ルーズベルト政権下の上院議員たちを歴訪した。四五年二月、彼はイタリア語訳の『中庸』を出し、十月

五日から一ヶ月間『中庸』『大学』の翻訳に精励し、これを四七年に出版した。六十歳以降のパウンドの人生はま

さに孔子・孟子と契合していた。五一年には『論語』、五四年には『詩経』の英訳が刊行された。五五年発表の

「鑿岩篇

ロック・ドリル

」(第八五―九五篇)は『書経』などからの漢字を多用し、表意文字の詩的王国が築かれている。

西洋の文明が没落の危機に直面していた時代、詩人は一九二八年に『大学』の最初の翻訳を試み、『エズラ・パ

Page 16: 1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/28984/sbal040...1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛 」 東 雄一郎 一 『詩篇』には夥しい数の漢字が使用されている。一例を挙げれば、林、皐陶、太平、新日日新、夏、周、仲尼、

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ウンド散文撰集』所収の「孔子の緊急の必要性」や「孟子の倫理」で力説するように、現代の正しい秩序は『大

学』の儒教精神の上にしか成立しないと確信していた。次の第一三編は孔子に捧げた詩篇で、詩人の古代中国思

想への画期的な遠征である。

そして孔子は言った「品性を欠いては

その楽器を奏でられない

また詩にふさわしい音楽も演じられない」

「杏の花は

東から西へと風に揺らぐ

わたしはその白い花が散らないようにつとめた」

(第一三篇)

ここには、孔子の普遍的世界を東洋から西洋へ伝播させようとする詩人の「主意」が明示されている。

この杏檀(魯の曲阜にある孔子の学問所の跡地、孔子の学統)のイメージは、第四七編でも生命の樹木に変身

する「わたし」のイメージを経て、古代ギリシャ世界へ到達する。「ピサ詩篇」(第七四篇―八四篇)の第七四篇

で「東」と「西」の二つの「風」は、古代ギリシャの「西風」の神ゼピュロスと「東風」のアペリオータとなり、

「オリーブ」の白い花を咲かせる。そして孔子の五弁の白い「杏の花」は、第七四篇の「ピサへゆく白い牛」、「白

いパン」、天女の「羽衣」、神殿の「白い大理石」、「過ぎゆく時の白い羽」(漢字「習」の釈義)、「純白の貝殻」、

「太陽に晒された白い姿」、「白鳥の綿毛」などの白の世界に合流し、第七六篇のアプロディテ、ペルセポネ、ア

ルテミスなど古代ギリシャの女神たちの「水晶のように透明な流れの園」や「花咲く梨の木の閉ざされた庭や山」、

原初自然の楽園

エリュ

世界

シオン

・神仙世界を造りあげる。『詩篇』の最大の魅力は、まさにこの過多な感情への知的な抑制の

Page 17: 1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/28984/sbal040...1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛 」 東 雄一郎 一 『詩篇』には夥しい数の漢字が使用されている。一例を挙げれば、林、皐陶、太平、新日日新、夏、周、仲尼、

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効いた抒情詩の「透明な流れの園」にある。

「劇はみな心の中だ」(第七四篇)と歌われるように、この東西文化の接合や融合は詩人の記憶の中で行われる。

語録である『論語』はその短い句や短い問答が作品の統一性を与え、その多くは門人たちの記憶に依拠している

が、『詩篇』の統一性もパウンドの記憶の断片の累積と、その複合的な再生にある。引用の一節は『論語』泰伯で

教養の順を言う「興於詩、立於禮、成於樂」(詩による感情の高揚、礼による安定、人の性情を養い清める音楽に

よる完成)と、『論語』八佾の「人而不仁、如禮何、人而不仁、如樂何」(仁に欠ければ礼楽があっても無意味)

を典拠としている。

礼は人間秩序の法、敬意、厳粛、そして楽は親睦である。最も重要な文化表現はこの礼楽で、その根本は「仁」

である。パウンドはこの「仁」を「品位」と解し、第八二篇ではラテン語の「フマニタス」(礼に則る気品ある人

間性)の訳語を与えている。また第七四篇では学而の「孝弟也者、其爲仁之本與」(仁を行う基本は孝弟の二徳)

と顔淵の「愛人」(人を愛すること)を踏まえ、「親子や兄弟の愛こそが仁の根本だ/道の根本だ」と、肉親を第

一に考える愛が示される。第一三篇には、この愛について葉公が孔子に訊ねる正直者の躬の逸話「父爲子穏、子

爲父穏、直在其中矣」(子路)が援用される。父親の「ヒツジ」泥棒を息子が訴える。その正直さを葉公が賞賛す

ると、孔子は「父は子のために隠し、子は父のために隠す。正直さとはその自然な情愛の発露だ」と言い、国の

法秩序に優先する肉親の愛を説く。「孟子の倫理」では「仁」は「完全な人間そして完全な人間の内実」と定義さ

れている。

『詩篇』には、第八五篇の「仁智」を始め、第九三篇の「力行近乎仁」(『中庸』、実践に努めるのは仁徳の育

成)や第九七篇の「仁親以爲寶」(『大学』、仁徳のある近親者こそが宝)など「仁」の漢字が多く採録されてい

る。「あなたが心から愛するものは残る」(第八一篇)と断言するように、『詩篇』の詩人は仁愛による魂の救済と

文化再建を図る。しかも、ジョイス、エリオット、ヘミングウェイたちを帝王切開した詩人は、『論語』擁也の他

Page 18: 1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/28984/sbal040...1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛 」 東 雄一郎 一 『詩篇』には夥しい数の漢字が使用されている。一例を挙げれば、林、皐陶、太平、新日日新、夏、周、仲尼、

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者の栄達を優先させる「己欲立而立人、己欲達而達人」(己立たんと欲して人を立たせ、己達せんと欲して人を達

す)の仁者だったのだ。

『詩篇』第一三篇は門人たちを従え宗廟の脇を抜け、杉林に入り川下を伝わってゆく孔子の描写に始まる。こ

の詩篇は、秩序の観念と文化的な統一性を唱導する孔子の倫理世界の提要であり、続く第一四篇や第一五篇の感

覚的な歓喜よりも金銭欲を優先させる「言葉の変質者たち」の地獄と対照を成している。この詩篇の機軸は『大

学』の「脩身而后家斉、家斉而后国治、国治而后天下平」の教えである。政治の究極の目的は治国平天下にあり、

これを達成するには、先ず家を正しく整え身を修めなければならない。次に身を修めるには、心を正しく意を誠

にしなければならない。そしてこの正心誠意を身につけるには、格物致知、つまり物の道理・性を窮め、人間の

良知を完璧に磨き、これを推し広めなければならない。

宇宙には常にある道理が流れ、動植物には物の性が、人間には人の性が流れている。従って人の性・良知を窮

めるなら、物の性を窮めること、物にいたることが肝要となる。この物を窮める格物致知は、イマジズムの三原

則の一つ、「主観・客観を問わず物を直に扱うこと」の即物性に通じる。第一三篇はこの修己治人の教えに続け、

『論語』先進の中庸と調和を説く「過猶不及」(過ぎたのは及ばないようなものだ)、衛霊公の学問の要点を指摘

する「吾猶及史之闕文也」(昔の記録官は疑わしいことは書かずに空けておき、後の知る者を待った)、先進で季

路の鬼神と死についての問いへの返答「未知生、焉知死」(神の意識より日常の人間への奉仕を優先させる)など

を援用し、『大学』の三綱領である「在明明徳、在親民、在止於至善」を黙示する。『大学』の綱領の第一は修養

努力による天授の徳の発揚、第二は万民の親和と平和な生活の実現(為政者の仁愛の発露)、そして第三は常にこ

れらを至高至善の境地に保たせることである。後述するが、この「在止於至善」は『詩篇』においては「黄鳥」

という具体的なイメージを得ている。「良い為政者は草の上にそよぐ風のようだ」(第五三篇、『論語』顔淵の「君

子之徳風也、小人之徳草也、草上之風必偃」からの引喩)と詩人も言う。

Page 19: 1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/28984/sbal040...1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛 」 東 雄一郎 一 『詩篇』には夥しい数の漢字が使用されている。一例を挙げれば、林、皐陶、太平、新日日新、夏、周、仲尼、

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「孔子の緊急の必要性」でパウンドは「高利

ウーズ

子ーラ

」・「高利貸し」の貪欲な金融資本主義に毒された西洋世界を糾

弾し、ダンテの「意志の方向」(『俗語詩論』からの用語)と『大学』の「明徳」(天授の曇りない無垢な本性)、

さらには『孟子』の「尚志」とを接合して、次のように述べている。

フェノロサは西洋には表意文字的思考が必要だと主張した。赤という語の真意を伝達したいなら、これをバラ

や錆や桜の実の次元にまで押しさげろと。西洋には大気の振動や無限性を表す語は過剰にある。表意文字的思

考方法には、自己の意図の内奥へ潜入する孔子の思考方法と共通する要素がある。必然、これとダンテの意志

の方向という観念は一致する。中世期の西洋の作家たちは徳という言葉を含む文章を次々と書いた。それは躍

動的で鮮明な意味を持つ徳だった。

(『エズラ・パウンド散文撰集、一九0九―一九六五年』九二頁)

古代中国の伝説的な聖天子の帝舜と後世の文王の仁政を「符節」と見なす第七七篇では、ダンテの「意志の方向」

(反意語は「麻痺した意志」)は、「志」の漢字に補強され、『孟子』尽心章句上の「何謂尚志、曰、仁義而已矣」

(志を高尚にするには仁義に志すこと)に連接されている。ダンテの天界へ上昇する『神曲』の「意志の方向」、

『大学』の「明徳」、そして孟子の「仁義」に関連する「尚志」を併合する『詩篇』は、東西の思想・文化の接合

と融合の実践の書である。孟子は人間の意志を重要視する主意主義の立場をとる思想家であった。「更新」のほか

に、「主意的」の語を好んで使ったパウンドも主意主義者である。「ピサ詩篇」以前の『詩篇』はオデュッセウス

の放浪に始まり、正しい「意志の方向」に導かれ「高利子」の「密林」を抜け「明徳の光」に到達しようとする

上昇の歴史の軌跡を見せる。だが第七四篇に「秩序あるダンテ風の上昇ではなく/風の吹くままに」と歌われる

ように、「ピサ詩篇」以降は詩人の記憶の断片的な覚書による文化復興への志向性を強めている。この詩人の記憶

Page 20: 1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/28984/sbal040...1 エズラ・パウンドの東洋、「 逛 」 東 雄一郎 一 『詩篇』には夥しい数の漢字が使用されている。一例を挙げれば、林、皐陶、太平、新日日新、夏、周、仲尼、

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は、「思い出

ドーヴェ

の・

宿る

スタ・

所メモーリ

にア

」(第七六篇)、古代中国の文化・思想世界を復活させる「主意的」行為である。パウ

ンドが描く自然は、それが古代ギリシャ世界の風景でも中国世界の風景でも、実に素朴で美しい煌めきを放って

いる。その素朴な自然界の典型は第四九篇であろう。

第四九篇は「瀟

しょうしょう

八景」(詩人の両親が所有していた屏風の漢詩と絵)、フェノロサの遺稿にあった「帝舜

南風之詩」(聖天子の瑞祥歌)と「鼓腹撃壌歌」(帝堯の無為の政治讃歌)を合成している。この詩篇は、第一三

篇と四七篇の杏檀のイメージ(孔子の儒教思想の摘要)を継承し、後に続く「中国詩篇」への懸橋となっている。

「中国詩篇」は、朱熹の『資治通鑑綱目』を典拠に、周を中心とした古代中国の王朝の興亡を略述し、『論語』の

古義を探るパウンドの註解書である。「中国詩篇」の第五二篇の後半は周代から秦漢時代に及ぶ人々の社会・制

度・習俗を記す『礼記』月令からの抄訳である。パウンドが共鳴する「自己の意図の内奥へ潜入する孔子の思考

方法」は、古い物を自己の内に活かし、外にある物を内なる物に転じる深い精神の変容作用である。パウンドに

は、孔子もオヴィディウスもこの精神の変容を実行する偉大な詩人であり、彼らの書物は「唯一安心できる宗教

の案内書」だった。また孔子もダンテもオヴィディウスも卑近な所から始めて、その彼方にある幽遠の境地に達

する詩人だった。変容の本質は、成長し続ける運動状態・「行動する観念」・不断の自己革新を可能にする「更新」

である。

第四九篇の「瀟湘八景」には順に、瀟湘夜雨、洞庭秋月、煙寺晩鐘、遠浦帰帆、江天暮雪、平沙落雁、漁村夕

照の七幅の佳景が描かれ、そこには山市晴風が欠落している。だが山市晴風の絵は「帝舜南風之詩」に内在し、

『論語』衛霊公の「無爲而治者、其舜也與、夫何爲哉、恭己正南面而已矣」(理想の無為の政治を行ったのは舜だ

け、彼は己の身を慎み正しく南面に向かっていただけ)に重層される。そしてこの帝舜の仁政は、帝堯を讃える

次の「鼓腹撃壌歌」の素朴な農民の労働の歓びの歌と一体化する。

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日が出りゃ

いつもの野良仕事

暮れたら

家で休息し

井戸を掘って

水を飲み

田畑を耕し

穀物くらう

帝の力、それは無関係

第四圏、あの静寂の次元

野獣たちを治める力

(第四九篇)

黄帝の玄孫で聖王と言われた帝堯は、その五十年間の治世を按じて、質素な宮殿から忍びの粗末な身なりで町に

出る。すると自分の高徳と仁政を讃美する子供たちの童歌が聞こえてくる。また一人の老人が、何かを食べなが

ら腹つづみを打ち、足で地面を踏み鳴らし、「日出而作、日入而息、鑿井而飲、畊田而食、帝力何有於我哉」と陽

気に歌っていた。引用の一節の「第四圏」はダンテの『神曲』の知識人たちが住む天国、そして「野獣たちを治

める力」は古代ギリシャの農耕と恍惚の神ディオニュソスの超自然力への言及である。

ここで孔子=パウンドは、第四五、四六篇の「言葉の変質者」たちの「高金利」金融の世界・獰猛な「野獣た

ち」の「密林」から抜け出し、自然と調和する素朴な農民世界に立ち返る。徳治主義による善政は、民に支配を

意識させない無為の政治である。帝堯から禅譲された帝舜は五弦の琴を弾き、「南風之詩」、「南風之薫計兮、可以

解吾民之搵兮、南風之時兮、可以阜吾民之財兮」(南風がそよそよ吹くと、わが民の不幸も和らぐだろう。南風が

吹くときに吹くと、わが民の暮らしも良くなるだろう)を歌った。折から瑞祥の星が現れ、瑞祥の雲がわきおこ

り、役人たちもこれを見て喜び、帝舜の歌に合わせて歌った(「百工相和歌」)。偉大な聖天子の徳風に、草である

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万民がなびき伏し相和したのである。舜は万民の幸福を願い、無心に政治につとめ、その比類のない徳の力によ

って地上の理想郷を実現させたが、自身の功業を誇ることなく、悠然と「南風之詩」を吟じた。

ディオニュソスの母は新月の巫女でテーバイの王女セメレであり、父のゼウスがニッサの野のニンフ、「雨を降

らせる女たち」の意味を持つヒュアデスの七姉妹に彼を預けて養育させた。後にゼウスは彼女たちを天界に昇ら

せ、牡牛座の頭の方にある星群とした。『詩篇』(第二、七六、七七、七八篇等)において、ディオニュソスはそ

の聖獣「リンクス」(山猫)と一緒に登場する。この没我的自由と陶酔をもたらす野獣的な神は、炎熱に孕まれ、

雨のヒュアデスたちの野に育った。古代ギリシャのエレシウスの秘儀(大地の女神デメテルと酒神ディオニュソ

ス=バッカスの祭り)に関連するディオニュソスは火と水の子である。秩序と美を愛するオリンポスの神々の中

にあって、ディオニュソスは異端者であり、秩序の破壊者である。彼は人間に神的な高揚感を与え、またその凶

暴で冷酷な野獣性をも引き出す。ディオニュソスの獣性によって狂気に走り、自分をライオンと錯覚する母や姉

妹の手で、テーバイの王ペンテウスは八つ裂きにされた。ディオニュソスが人間に与える自由解放の歓喜の中に

は、狂気と破壊が潜んでいる。理想の無為の政治を賛美する「鼓腹撃壌歌」の素朴な農民世界の秩序を保つには、

このディオニュソスの狂気と破壊を阻止する力、「高金利」の「野獣たちを治める力」が不可欠である。そしてこ

のディオニュソスは、後述する古代中国の神農を登場させる下地を用意する。「温故知新」の復古主義者の孔子=

パウンドは、自分の止息の場を「緑野の世界」(第八一篇)に見出す。パウンドは仁愛の詩人であり、原初自然の

詩人である。第四九篇の古代中国の農民世界は、先行する第四七篇の古代ギリシャの農民詩人ヘシオドスの『仕

事と日』(農業暦)に重層されている。

徳治・仁政を理想とする孔子=パウンドは厳しい法制禁令で民草を外から規制する法治体制に異見を唱え、適

正な富の「分配」を主張する。仁政を実践するには、田制を定め租税を軽減し食料を蓄え、また民草の生命を護

衛する兵備を十分にし、民草には信を持たせなければならない(『論語』顔淵)。この実践道徳の経世済民思想が

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『詩篇』の重要な主題である。適正な「分配」を主張する孔子=パウンドは仁愛・忠恕(まごころと思いやり)

の人道主義に貫かれている。『文化への案内』所収の「論語要録」は衛霊公の「以一貫之」の漢字に始まり、これ

に子路の「正名」(名実一致、事物を正しい名で呼ぶこと)が続いている。文化の乱れは言葉の乱れである。名と

事物とが一致しないと言葉が道理に順じて行われず、言葉が事実に従わないと物事は混乱し何事も完成しない。

この「正名論」はフローベールの「一語説」(事物の描写にはそれに適した唯一の正しい言葉しかないとの信念)

に適合する。「彼の真のぺネロペーはフローベールだった」(「ヒュー・セルウィン・モーバリ」)。「正名」は字句

に生命を与え、主観的感動を生み出す。「多くのごまかし」・「古い嘘と新たな破廉恥」(「モーバリ」)に対抗でき

るのはこの「正名」にほかならない。

西洋のユダヤ・キリスト教は富と物欲の神マモンをその「密林」の奥深くで崇め、民情に反する不正な「高利

子」の金融資本主義と結託してきた。

利子では

毛糸は市場には出まわらない

ヒツジも高利では益を生まない

利子は疫病のひとつ

利子は

乙女が手にする針を鈍らせ

(中略)

利子は胎児を殺し

若者の求愛をとどめ

利子はベッドに中風をもたらし

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若い花嫁と花婿の間に割り込む

自然に逆らって

(第四五篇)

パウンドはこの道徳的廃頽と混乱をもたらすマモンの支配の及ばない理想郷を、古代中国の孔子の静穏な世界に

見出した。先にも触れたが、『詩篇』には孔子や孟子が讃えた多くの聖天子たちが登場する。それは三皇の伏羲

氏、

女媧

じょか

氏、神農、五帝の黄帝、顓

せんぎょく

、堯、舜(

皐陶を登用した)

、夏の禹王、殷の湯王(大勢の中から伊尹を挙げ

たので不仁者がいなくなった、『論語』顔淵)、西周の文王、武王、周公旦などである。

堯はまさしく太陽や雨のように

どの星が夏至にあり

どの星が真夏を示すのかを観測した

禹は治水の司

黒い土壌は肥沃で、生糸はなお山東からとられた

各州には倉が設けられ

民には現物の十分の一の税を納めさせた

(第五三篇)

「風が相和して/事物に名づける、良い君主は分配によって/悪い君主はその租税によって見分けられる」(第五

二篇)のである。紀元前二十一世紀、帝舜の治世、禹は氾濫する黄河の治水を命じられ十年前後の歳月をかけ支

流や放水路を作り治水に成功した。帝舜はこの禹に禅譲する。「現物の十分の一の税」は『孟子』勝文公章句上に

言及される一定の限度を守る古代の税制(夏の貢法、殷の助法、周の徹法、実際の税率は十分の一)である。井

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田制にパウンドは深い関心を抱き「孟子の倫理」でもこれを説示している。

孔子の春秋時代頃から鉄器の使用と牛による耕作が普及し、多くの土地が個人的に開墾され私田が広がってい

った。農村共同体を基盤とする井田制の農地改革は、丁年に達した有妻の男子に平等に耕地を使用させるもので、

一里四方を井の字形に九等分し中央の一区を公田とし、他を私田として八家に分け、この八家の共同耕作地であ

る公田からの収穫を国に納めさせるというユートピア社会主義的な制度で、漢代の限田制や中世の均田制に大き

な影響を及ぼした。「数年間の収穫を平均して課税する貢法では、豊作の年には穀物があり余っているのに、かえ

って小額しか徴収しない。凶作の年には、収穫量が足りないのに定額の税を完納しなければならない。民の親に

あたる一国の君主が民を働かせ、その両親が飢餓に喘ぐ状態にしておいて、高利の貸出しを増やし、その借金が

返せないために、老幼の餓死の屍が溝や堀に放置される状態になる。これでどこに民の父母たる価値があるのか」

と「勝文公章句上」に孟子は説く。「高利子」の金融資本主義に相対する井田制は、パウンドが妄信していたダグ

ラスの社会的信用説(政府の小売価格の統制と消費者への適正な富の分配を説く)やシルヴィオ・ゲゼルの理論

(自由貨幣の必要性と利子や地代などの不労所得の撤廃を説く)に符合した。第四一、四二、四三篇には十九世

紀のイタリアのシエナにフェルディナント二世が許可した貧民救済のための「モンテ・ディ・パスチナ銀行」(牧

草の山、共有地を担保に設立された銀行)が登場するが、この「高利子」とは無縁の理想の銀行は農業共同体を

基盤とする井田制の復元と言える。井田制は万民に一定の生業と不動の道義心を与える(「有恆産者有恆心」、『孟

子』)。

『詩篇』には伝説的な聖天子である神農が登場する。神農は人身牛首で、木を切り鋤や鍬を作り耕作を人々に

教えた農業の祖、市を開き交易を広めた商業の祖、赤い鞭で草木を叩きその汁を見分けた医薬の祖、五弦の瑟を

作った演奏家の祖、また易の祖ともされる。神農は初め陳(河南省)に都を置き、後に孔子の故郷の曲阜(山東

省)に遷都し、黄帝の始祖とされる。この豊饒と生産の神農は、地中海沿岸の各地を巡り葡萄の栽培を伝えた文

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明の啓発者ディオニュソスに重層されている。火と水の子であるディオニュソスの象徴物も牡牛である。詳述は

しないが、『詩篇』には、犬のイメージと同じく、多くの牛のイメージが採集されている。神農は五行の火の徳に

より帝王となり、「炎帝」と呼ばれた。第五二篇にはこれに関連して、「夏にかけ太陽が牡牛座のヒュアデスの星

群にあるとき/その帝は炎帝」・「野獣たちは野原から追放され/この月には薬草が集められる」・「日没にはサソ

リ座の大火が中央にかかる/日の出にはアンドロメダが現れ/炎帝がすべてを支配る」と神農の超自然力が讃え

られている。

『孟子』の「勝文公章句上」では、神農の学説・重農主義思想を説く戦国時代の許行が話題になる。それは農

繁期に地方に赴き農業を手伝う下郷の運動の精神にも繋がるが、孟子は、進みすぎて堕落した都市の商業文化を、

素朴な農民文化の力で改革しようとする許行の精神を理解しない。許行の重農主義思想には、商業主義に反対し

市場などの流通機構をも統制し、品質の良し悪しにかかわらず、同一種の商品はすべて同一価格で販売させ、贅

沢品の生産を廃止させるという政策も含まれている。許行の素朴主義の良き理解者はパウンドである。

『詩篇』第五三篇では、「伏羲は木徳/神農は火徳、黄帝は土徳/少皥

しょうこう

は金徳/顓

せんぎょく

は水徳の王であった」

の五行思想と、帝舜から禹王への禅譲伝説、そして「上帝からは何も隠れることはできない」の天人相関思想が

語られる。五行思想は世界の成立や変動を木・火・土・金・水の五要素(これに穀を加えた六府は生活に不可欠

な財貨の基本)から説明する原理である。この五要素が天上の五遊星、木精・火精・土精・金精・水精(「精」は

「星」の意)の運行に合わせて循環し、世界の調和や秩序を創造する。周王朝は火の徳に当たり、孔子の生まれ

は水精であったと言う。古代中国では歴史は一定律の内に繰り返すものと考えられた。為政者は自分の即位をそ

の循環の中に位置づけ、その王朝変遷の正当性を主張した。天人相関思想は、『詩篇』の第八十篇の朱熹の注釈「こ

れだけが、あなたの万物の間の皮も骨も」に示唆されている。それは歴史の循環を強調する。最高存在で万物の

主宰者である「上帝」・天帝は為政者が悪に染まり堕落すると、その王朝の交替を図る。これは既述したスコトゥ

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ス・エリゲーナの発出説・流出説とそのヒエラルキー的世界観に通じている。

天の働きは恩寵と威罰の二面性を持ち、覇者の意義を認めない。それは『論語』陽貨に言う「天何言哉、四時

行焉、百物生焉」(天は何も語らず、ただ四季は巡り万物は成長する)なのである。古代中国における王位継承に

は禅譲と放伐の二形態があった。禅譲は言わば平和無血革命であり、放伐は武力革命である。孟子は王道政治を

唱え、斉の桓か

公や晋の文公などの覇道の政治を認めなかった。王者が天命を代行して天下を治めるのに対して、

覇者は天命を受けずに武力によって統治するからである。孟子が認めた王者は、殷王朝の湯王、周王朝の文王武

王であり、彼らは力ではなく徳によって人民の信頼をかちえた王者である。天命を受けた王者であるか否かは、

人民の支持の有無によって決定する。民心が離れれば、当然、天意の代行者としての資格は消滅する。ここに、

最終的に天子の資格を与えるのは被治者の人民であるという逆転が生じる。人民は天を介して、統治機構の最上

位にいる天子を、その王座から引きおろすことができる。天が革

あらた

まるとは天命を失うことであり、これが革命

である。革命とは本来、民心を失った天子が、新たに天意を受けた者と交替することである。そこには、パウン

ド流に言えば、「偉大な感性」である「靈」(『詩篇』第八五篇)の王朝が誕生する。

『詩篇』は、「偉大な沿岸

航海

プルム

は我々の岸辺に星たちを連れ戻す」、「冥府と行動の渦巻」、「万物レ

は・

流れる

」(以

上第七四篇)や「死の種は一年の周期を移動する」(第八十篇)などが顕示しているが、渦巻の円環・循環構造を

持っている。五行思想、天人相関思想、天子の位の禅譲はこの渦巻の構造をさらに強める。また天人相関の中、

「上帝」は天子となるべき者に符命(預言のことばが記された事物)を与えた。この符命は、多くの場合に偽書

や偽史であったが、絶対的な権威を持っていた。『詩篇』の孔子=パウンドも天意の新生と復活の符命(「廃墟の

中の信念」第七八篇)の多様なイメージを蒐集する。

そしてパウンドにとり、仁政・徳政を実践したアメリカの神農は、自営農夫の堅実な労働と簡素な生活を自国

文化の根幹としたジェファスンであった。またイタリアの神農は、まったくの歴史的な錯誤だが、小麦の生産力

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を向上させ総合干拓事業を成功させたムッソリーニだった。そして『詩篇』の天人相関の中、いわば、ジョン・

アダムズはジェファスンに、そしてルネッサンス期のリムニに壮麗な「寺院」を建てたマラテスタはムッソリー

ニに禅譲したのだ。過去の文化・思想を渉猟するパウンドの内面的深化による想像的な考古学は、古い秩序の崩

壊の中で新たな秩序の再生を図るためのものである。現代の文化的再建の創意は、湯王が盤名にして毎朝の訓戒

とした「新日日新」(「一新せよ」、第五三篇、第八七篇などに漢字が使用)の「意志の方向」によって達成され

る。 『

大学』ではこの「新日日新」に「詩云、緡蛮黄鳥、止于丘隅」(『詩経』は可愛い高麗鶯が丘の隅に止まると

歌う)が続く。「黄鳥止」の漢字は「ピサ詩篇」第七九篇に、また「止」の漢字は第八七、九三、百十篇などに合

計八回も援用されている。この「止」は『大学』の「於止知其所止、可以人而不如鳥乎」(一定の止まる所を知る

鳥に人が及ばないで良いのか)を典拠とする。「黄鳥」はさらに『詩経』秦風の「交交黄鳥止于棘」(こうこうと

啼く高麗

こうらい

鶯うぐいす

が戦死者の魂の降臨を告げるために山桑の木に止まる)や小雅の「黄鳥黄鳥無集于穀」(高麗鶯、

楮こうぞ

の木に集まって来ておくれ)にも歌われる。前者は秦の穆公

ぼくこう

に殉教した三人の忠臣への弔歌とも言われるが、

これは死の恐怖と隣り合わせで戦った兵士たちへの鎮魂歌で一族の宋廟で謡われた。後者は宋廟で自分の不幸な

結婚を訴える歌で、この詩句の後には「此邦之人、不我肯穀、言旋言帰、復我邦族」(この国の人は私に辛くあた

る、だから私の同族のもとへ帰りたい)が続く。この黄鳥は不安と哀しみを表し、また霊魂や祖霊の象徴でもあ

る。ピサで捕らえられたパウンドは本国に強制送還され、一九四六年、精神異常の診断からワシントン郊外の聖

エリザベス病院に移され、以降十三年間も病院に軟禁された。当然、そこは詩人が帰るべき同族の地ではなかっ

た。そして黄鳥が止まる山桑や楮の木は、祖霊が憑依する依代、聖なる神木である。『詩篇』第五三篇でも『詩経』

召南の「甘棠

かんとう

」が使われ、この神木(タカナシの木)を傷つけるなと忠告される。

『詩篇』の「黄鳥」は、『大学』の「至善」を求め詩人の心の中に止まる霊鳥である。詩人はこの霊鳥に、二十

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世紀の二つの世界大戦の死者たちへの鎮魂歌と、同族のもとへの帰郷の歌を歌わせている。この意味で『詩篇』

は祖霊祭祀詩である。「ピサ詩篇」は「森ア

はラ

祭壇

をル

必要

とム

する

」を呪文のように繰り返すが、この霊鳥が止まる「森」

は、『論語』顔淵の「燓遅從遊於舞雩之下」(燓遅が供をして雨乞いに舞う祭壇のあたりで遊んでいたとき)の

「舞雩

」を反映させる。門人は孔子に徳を高める方法を訊ねる。これに答えて孔子が、それは仕事を先にして利

益を後回しにすることだと言う。この雨乞いに舞う祭壇のイメージが、読者の記憶の中で天人の舞の「羽衣」の

イメージと連結されると、そこには実に美しい神秘の世界が創造される。そしてこの祭壇で孔子=パウンドが祈

るのは、第四九篇の「瀟湘八景」の山市晴風や「撃壌歌」の純朴な農民世界、古代の静能的な「歓喜」への回帰

である。

『詩篇』第一篇に描かれ「聖なる海」へ乗り出すオデュッセウスは、「黒ずんだ血が溝に流れ/常闇のエルボス

から青ざめた死者たちの霊魂が現れた」と、冥界へ降りていく。このオデュッセウスの物語の基本構造は故郷イ

タケーへの帰還である。『詩篇』はその始まりからこの循環を呈示している。『詩篇』は現代の「廃墟」から這い

出たオデュッセウス=パウンドが新たな「デイオケスの城壁都市」を建設する「偉大な沿岸航海」である。だが

「逛」の漢字が示唆するこの「航海」の船中には、孔子=パウンドも座っていた。「表意文字的思考」(「観念図

法」)、そして「孔子の思考方法」から詩人は、多元的な換喩の対位法を味得し、これを『詩篇』に応用した。パ

ウンドが何よりも信じていたのは「正名」、真の定義、文化の象徴である言葉本然の力だった。彼の一生を貫いて

いた詩学は『論語』衛霊公の「辭達而已矣」(辞は達するのみ)である。「意を伝えて而して止む、それが辞の原

則/十分に達したらそこで止めることだ/キルケーの髪のように簡素な均整美」(第八十篇)。「正名」とは黄鳥の

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「止至善」にほかならない。パウンドは過度の装飾に流れない言葉の質直さを尊重し、心理の充足である言語の

内容と表現を釣り合わせ整えた。この「

正名」

の詩学は「躍動的で鮮明な意味を持つ徳」・「明徳」を生み出す。

孔子の春秋時代末期、周王朝の祭政一致の神権政治は空洞化し礼は廃れ、その権威は地に墜ち、権謀術数・弱

肉強食・下克上の激浪が天を打っていた。諸侯国が台頭し、国土も墓も荒れ果て、秩序は失われた。諸侯国はそ

の国境の膨張のみを思い、無益な戦が繰り返された。詩・書・礼の古典を修めた孔子は、この混沌の根本原因が、

周公が創始した礼の制度が正しく実行されていないことにあると考えた。

諸侯が台頭し国勢は衰え

秦は西戎を駆逐し、国土は荒廃し

周の墓は荒れ果てた

その年から秩序は失われ

誰も他に仕えなかった

九つの周はともに立つことはできない

一つに棒が束ねられなければ

空は暗く、雲も星もなく

夜半には流星の雨

無数の戦

益のない戦

百年戦争の倦怠。

(第五三篇)

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十四年間の流浪の後に故郷の曲阜へ戻る孔子は、紀元前四七九年、七十三歳で世を去った。死の数日前、孔子は

「泰山其頽乎、樑木其壊乎」(泰山も崩れ、橋の横木も腐り落ちるだろう)と口ずさんだと言う。

二つの世界大戦の狂怒が逆巻く二十世紀に古代の文化・思想の断片を累積するパウンドも、漢字「逛」が内包

する「喪家の狗」、そして「狂者」の詩人にほかならなかった。「豚にも等しい者たちは国境の膨張を考え/立派

な支配者たちは国内の秩序を考える」(五三篇)。

第七四篇で「莫」の漢字を示し、「ノー・マン」(誰でもない者、オデュッセウスが一眼巨人キュクロプスに弄

した詭弁)と自称する詩人は、「莫我知也夫」(我を知るなきかな、『論語』憲問)と絶望する孔子だった。だがこ

の孔子=パウンドは「知我者其天乎」(我を知る者それは天か、憲問)と言える「未来に名を持てる者」(第七四

篇)でもあるのだ。孔子もパウンドも「下學上達」の日常の歴史を超える高遠な心境に達する。そこは天心の「光」・

「真の徳」が万物に充溢する素朴で静謐な山市晴風の世界である。

そして今、新月が泰山と向き合う

ひとは夜明けの星で日々を数えなければならない

木ドラ

のィア

精ード

よ、おまえの平安は水のようだ

水溜りに九月の太陽がキラキラと輝いている

さらに透き通った光のきらめき

日の娘たちは若い柳から霧をはらう

「泰山」のふもとにはなんの基盤もなく

ただ水がきらめいている

水ヒュドール

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ポプラの枝先も輝きのなかを漂い

囲いの柵だけが立っている

(第八三篇)

この「

新月」には、月の女神アルテミス、「羽衣」の天人、そして「新月」の巫女であるセメーレとその子のディオ

ニュソスが潜んでいる。「木の精」がこの神仙世界の森を守る。「か弱い正義だけが森となって/大地を占めるの

だ」(第七四篇)。ここはまた「炎帝」の神農や聖天子が治める無為の政治の世界でもある。

この透明な「夜明け」の神仙世界の直後に、『孟子』(「公孫丑章上」)の「其爲気也、至大至剛、以直養而無害、

則塞于天地間、其爲気也、配義與道、無是、餒也、是集義所生者、非義襲而取之也、行有不傔於心、則餒矣」の

一節が示される。「光」が天地に満ちているように、「道」も天地に満ちている。その「光」はすべての山々を覆

いつくし、万物を照らして分かつ大気、どこまでも広がる「浩然の気」のようなものである。それは「直をもっ

て養い/害することはなく/大地を覆い、九つの野を満たし/天空にまで及ぶ」(『詩篇』第八三篇)ものである。

この「光」の気は天の和気であり、義と道から離れることはない。「義が集まるところでは/木に止まる鳥のよう

に/それは生気を放つ」(第八三篇)のである。行いが義にかなわず、心の中に束ねられなければ、この気は消え

てしまう。それは形あるものを満たし、また心を満たす。大気と「光」の中に囀る鳥の歌に似て、この心の中の

気が言葉を創り出す。「天の和気」を束ねる心が万物に「正名」と、その実質である形を与える。

黄鳥は、『詩篇』で古代の歓喜への回帰の歌と現代の死者たちへの鎮魂歌を歌っている。そしてこの一定の止ま

るところを知る黄鳥は、心の中に束ねられる気を伝える聖なる「鳥」として、「未来に名を持てる者」の歌を、「来

学を開く」歌を歌っている。パウンドの黄鳥は、現代のテレウスの醜悪な暴虐から逃れ、ピロメラに代わって、

「行動する観念」である「詩にふさわしい音楽」を奏でるのである。「おまえの詩がおまえの意図を表し/音楽も

それにかなうように」(第五三篇)。

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わたしの身体から青草が生じて

根がたがいに語るのが聞こえる

大気はわたしの葉にかぐわしく

分かれた枝が風にゆれる

西風は枝にもっと軽やかで

東風は

杏の枝にもっと軽やかだろうか

(第四七篇)

このパウンドの二本の「根」の一本は孔子(「自己の意図の内奥へ潜入する孔子の思考方法」)の「東風」・「杏の

枝」に繋がる。その「根」は本来がオヴィディウスの変容の「西風」と同一のも・「割符」の片割れでもある。『詩

篇』という「逛」の船に「狂者」のパウンドは孔子と同乗し、山市晴風の世界を思い描いたのである。

テキスト

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