平成16年(ワ)第 号 - apccomcom.jca.apc.org/iken_tokyo/shomen/bengodan/jun… · web...
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平 成 1 6 年 ( ワ ) 第 6 1 0 1 号 、 第 1 0 6 5
7 号 、 第 1 1 0 6 1 号
原 告 被 告 国
準 備 書 面 ( 3 )
イ ラ ク で 何 が 起 き , 自 衛 隊 が 何 を し て い る か
( イ ラ ク 戦 争 の 実 態 と 国 際 法 上 の 違 法 性 )
2 0 0 4 年 9 月 2 7 日
東 京 地 方 裁 判 所 民 事 第 1 3 部 合 議 B 係 御
中
原 告 ら 訴 訟代 理 人 弁 護 士
内 田 雅 敏 ほ か
1
目 次
は じ め
に ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ 4 頁
第 1 章 イ ラ ク 戦 争 ・ 占 領 の 実
態 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 4 頁
1 イ ラ ク に お け る 膨 大 な 数 の 犠 牲
者
2 マ ド リ ー ド 列 車 爆 破 テ ロ と 犯 行
声 明
3 「 フ ァ ル ー ジ ャ の 流 血 」
4 占 領 軍 , シ ー ア 派 と 各 地 で 衝 突
拡 大
5 「 フ ァ ル ー ジ ャ の 流 血 」 を め ぐ
る イ ラ ク 情 勢
6 あ い つ ぐ イ ラ ク か ら の 撤 退
7 日 本 人 人 質 事 件 の 発 生 と 問 題 の
本 質
8 さ ら な る 人 質 事 件
9 自 衛 隊 の 活 動 と 宿 営 地 サ マ ー ワ
の 情 勢 悪 化
1 0 日 本 人 ジ ャ ー ナ リ ス ト 2 人
死 亡
1 1 ア ブ グ レ イ ブ 刑 務 所 に お け
る イ ラ ク 人 虐 待
1 2 小 括
2
第 2 章 イ ラ ク 戦 争 , イ ラ ク 占 領 の 国
際 法 上 の 違 法 性 ・ ・ 3 0 頁
第 1 米 英 軍 の イ ラ ク 攻 撃
1 イ ラ ク 攻 撃 の 実 行
2 戦 争 違 法 化 の 歴 史 と
武 力 攻 撃 が 認 め ら れ る 国 際 法 上
の 例 外
3 イ ラ ク 攻 撃 は 国 連 憲 章 上 認 め ら
れ る か
4 国 際 社 会 は イ ラ ク 攻 撃 を 認 め て
い な い
5 米 国 の イ ラ ク 攻 撃 の 真 の 目
的 は な に か
第 2 イ ラ ク 占 領
1 C P A , C J T F 7
を 通 じ た 米 英 軍 に よ る イ ラ ク 占
領
2 米 英 軍 の 義 務 の 不 履 行
3 イ ラ ク 国 民 の 生 活 破 壊
4 人 道 支 援 活 動 の 阻 害
5 資 源 の 収 奪
6 主 権 の 委 譲 と 占 領 の 継 続
7 侵 略 の 罪 該 当 性
お わ り
に ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ 5 3 頁
3
は じ め に
イ ラ ク で は , い ま だ に 衝 撃 的 な 事 件 が 相
次 い で 発 生 し て い る 。 イ ラ ク 民 衆 と 米
軍 ・ 占 領 軍 と の 対 立 は 決 定 的 な も の と な
り , 全 土 が 交 戦 状 態 に な っ て い る 。 米 国
主 導 の イ ラ ク 占 領 統 治 の 失 敗 は , も は や
誰 の 目 に も 明 ら か と な っ た 。
そ し て , 日 本 政 府 は , イ ラ ク 特 別 措 置 法
に 基 づ き , 自 衛 隊 を イ ラ ク に 「 派 遣 」 し
た が , こ の 「 派 遣 」 は 交 戦 当 事 国 の 立 場
に 立 つ も の で は な く , 専 ら イ ラ ク の 「 人
道 復 興 支 援 」 を 行 う も の で あ る と 言 っ て
き た 。
し か し , そ の 後 の 日 本 政 府 の 対 応 を 見 る
と , 「 人 道 復 興 支 援 」 の 本 当 の 動 機 は ,
米 国 の 期 待 に 応 え 米 軍 の 占 領 政 策 を 徹 底
し て 支 え る こ と に あ る こ と が , ま す ま す
明 瞭 に な っ た 。 そ う で あ る が ゆ え に , 日
本 の 自 衛 隊 が 反 米 ・ 反 占 領 軍 勢 力 の 標 的
と さ れ , ボ ラ ン テ ィ ア や ジ ャ ー ナ リ ス ト
ら 民 間 人 ま で が 標 的 と さ れ , 遂 に は 日 本
の 民 間 人 2 人 の 犠 牲 者 を 出 す と い う 最 悪
の 事 態 に ま で 発 展 し た の で あ る 。
本 書 面 で は , 自 衛 隊 「 派 遣 」 後 の イ ラ ク
情 勢 の 要 点 に つ い て , 事 実 経 過 と 問 題 の
所 在 を 明 ら か に す る ( 第 1 章 ) と と も に ,
イ ラ ク 戦 争 , イ ラ ク 占 領 が 国 際 法 上 違 法
で あ る こ と ( 第 2 章 ) を 指 摘 す る ( な お ,
イ ラ ク 特 措 法 の 憲 法 違 反 お よ び 自 衛 隊 派
兵 の 憲 法 違 反 , イ ラ ク 特 措 法 違 反 に つ い
4
て は , 次 回 の 主 張 に 譲 る ) 。
第 1 章 イ ラ ク 戦 争 ・ 占 領 の 実 態
1 イ ラ ク に お け る 膨 大 な 数 の 犠 牲 者
( 1 ) 本 準 備 書 面 添 付 の 「 イ ラ ク 戦 争 の 実 態
一 覧 表 」 に 示 す と お り , 米 兵 の 死 者 数 は ,
昨 年 3 月 2 0 日 の 開 戦 か ら 5 月 1 日 の 戦
闘 終 結 宣 言 前 日 ま で に 1 3 8 人 で あ る の
に 対 し て , 宣 言 後 今 年 4 月 3 0 日 ま で の
1 年 間 で は 5 9 4 人 , 合 計 7 3 2 人 に 達
し て い る ( プ ル ッ キ ン グ ス 研 究 所 の 資 料
な ど か ら / 朝 日 新 聞 5 月 2 日 付 朝 刊 ) 。
さ ら に , 9 月 7 日 時 点 で , 米 軍 死 者 は 1
0 0 0 人 を 突 破 し た ( ワ シ ン ト ン ・ ポ ス
ト 9 月 5 日 付 ) 。
今 年 4 月 に 入 っ て か ら 衝 突 が 激 化 し , 同
月 の 米 兵 死 者 数 は 1 3 8 人 で 開 戦 以 来 最
高 と な っ て い る ( A P 通 信 / 毎 日 新 聞 5
月 2 日 付 朝 刊 ) 。 ま た , 負 傷 者 数 は , 3
8 6 4 人 に 上 っ て い る と い う ( 米 国 防 総
省 / 同 ) 。
な お , 今 年 8 月 だ け で も , 米 兵 の 負 傷 者
は 1 0 0 0 人 と な っ て お り , イ ラ ク の 治
安 は 悪 化 の 一 途 を た ど っ て い る 。
占 領 軍 の 死 者 数 は , 以 下 の と お り で あ る
( 括 弧 は 戦 闘 終 結 宣 言 ま で の 死 者 ) 。
ア メ リ カ ( 派 兵 規 模 135,000 人 ) 7 3 2
人 ( 1 3 8 人 )
イ ギ リ ス ( 派 兵 規 模 9,000 人 ) 5 9 人
( 3 3 人 )
5
イ タ リ ア ( 派 兵 規 模 2,600 人 ) 1 9 人
( 0 人 )
ス ペ イ ン ( 派 兵 規 模 1,400 人 ) 1 0 人
( 0 人 )
ブ ル ガ リ ア ( 派 兵 規 模 480 人 ) 6 人 ( 0
人 )
ウ ク ラ イ ナ ( 派 兵 規 模 1,650 人 ) 4 人
( 0 人 )
ポ ー ラ ン ド ( 派 兵 規 模 2,500 人 ) 2 人
( 0 人 )
タ イ ( 派 兵 規 模 450 人 ) 2 人 ( 0 人 )
他 に , エ ル サ ル バ ド ル 1 人 ( 0 ) , エ ス
ト ニ ア 1 人 ( 0 ) , デ ン マ ー ク 1 人
( 0 ) が あ り , 占 領 軍 合 計 8 3 7 人 ( 1
7 1 人 ) と な っ て い る ( 4 月 3 0 日 現
在 ) 。
( 2 ) 他 方 , イ ラ ク 人 の 犠 牲 者 は , 正 確 な 把
握 す ら 出 来 な い 状 況 で あ り , 民 間 団 体 イ
ラ ク ・ ボ デ ィ ・ カ ウ ン ト に よ る と , 今 年
3 月 末 時 点 で 最 高 で 1 万 1 0 0 5 人 , 少
な く と も 9 1 4 8 人 の 民 間 人 が 死 亡 し て
い る と い う 。
こ れ に , 4 月 の 戦 闘 に 関 連 し て 死 亡 し た
イ ラ ク 人 は 約 1 3 6 0 人 , う ち フ ァ ル ー
ジ ャ で は 女 性 や 子 ど も を 含 み 7 0 0 人 以
上 と 言 わ れ て い る ( A P 通 信 / 朝 日 新 聞
5 月 2 日 付 朝 刊 ) 。 負 傷 者 数 は , 上 記 の
数 倍 に 上 る 可 能 性 が あ る 。
さ ら に , 今 年 9 月 3 日 ま で の 間 に , 米 英
な ど の 占 領 軍 に よ り 殺 害 さ れ た イ ラ ク 民
6
間 人 は 最 少 で も 1 万 1 7 9 3 人 , 最 大 で
1 万 3 8 0 2 人 と な っ て い る と さ れ て い
る ( イ ラ ク ・ ボ デ ィ ・ カ ウ ン ト の 調 査 に
よ る ) 。 し か も , 非 公 式 な が ら , 最 低 で
も 3 万 7 0 0 0 人 以 上 死 亡 し た と の 調 査
結 果 も あ る 。
今 年 4 月 初 め の 「 フ ァ ル ー ジ ャ の 流 血 」
と シ ー ア 派 と の 衝 突 以 降 , イ ラ ク 情 勢 は ,
民 衆 の 抵 抗 と そ れ を 鎮 圧 し よ う と す る 米
軍 ・ 占 領 軍 と の 全 面 衝 突 と な っ て お り ,
戦 死 者 の 数 , 戦 闘 の 件 数 , 戦 域 の 広 が り
な ど , そ の い ず れ を 見 て も イ ラ ク は 「 全
面 戦 争 」 状 態 と 化 し て い る 。
以 下 , 幾 つ か の 重 要 な 事 実 及 び 問 題 点 に
つ い て 論 ず る 。
2 マ ド リ ー ド 列 車 爆 破 テ ロ と 日 本 へ の 犯 行
声 明
( 1 ) 3 月 1 1 日 , ス ペ イ ン の 首 都 マ ド リ ー
ド で , 大 規 模 な 列 車 爆 破 テ ロ が あ り , 約
2 0 0 名 の 犠 牲 者 が 出 た 。 翌 日 に は , 同
国 史 上 最 大 の 8 0 0 万 人 以 上 に よ る デ モ
行 進 が 行 わ れ , 4 日 後 の 総 選 挙 で , 米 英
と の 緊 密 な 「 有 志 連 合 」 を 誇 っ て い た ア
ス ナ ー ル 政 権 が 敗 北 し た 。 社 会 労 働 党 書
記 長 の サ パ テ ロ 新 政 権 の 下 で , ス ペ イ ン
軍 は イ ラ ク か ら 完 全 に 撤 退 す る に 至 っ た 。
衝 撃 的 だ っ た の は , 事 件 直 後 に マ ス コ ミ
が 報 道 し た 「 ア ル カ イ ダ 系 の 組 織 の 犯 行
声 明 」 と さ れ る も の の 中 で , 「 攻 撃 は 反
7
イ ス ラ ム 戦 争 で 米 国 の 同 盟 国 で あ る 十 字
軍 の ス ペ イ ン に 対 す る 報 復 の 一 部 に す ぎ
な い 」 と し , 「 だ れ が , お ま え ( ア ス ナ
ー ル 首 相 ) や 英 国 , 日 本 , イ タ リ ア , ほ
か の 対 米 協 力 国 を わ れ わ れ ( の 攻 撃 ) か
ら 守 っ て く れ る の か 」 と , 日 本 を 名 指 し
し た こ と で あ る 。 「 人 道 復 興 支 援 」 を 標
榜 す る 日 本 の イ ラ ク 派 兵 が , こ の 当 時 す
で に , 米 国 ら 占 領 国 と 同 列 に 憎 悪 と 敵 意
の 対 象 と さ れ て い た の で あ る 。
( 2 ) と こ ろ で , こ れ よ り 前 の 3 月 2 日 夜
( 現 地 時 間 ) , サ マ ー ワ に お い て , 駐 留
し て い る 自 衛 隊 に 対 し て , 「 陸 自 宿 営 地
を R P G 7 ( 隊 戦 車 ロ ケ ッ ト 砲 弾 ) で 襲
撃 し よ う と し て い る 男 が い る 」 と の 情 報
が 寄 せ ら れ , 全 隊 員 が 徹 夜 で 戦 闘 準 備 を
す る 事 態 が 発 生 し て い た 。
す な わ ち , 3 月 2 日 午 後 1 0 時 頃 , 「 黒
い ト ラ ッ ク の 男 が サ マ ー ワ 市 内 で 『 日 本
軍 ( 陸 上 自 衛 隊 ) の 宿 営 地 は ど こ か 』 と
尋 ね て い た 。 R P G 7 を 積 ん で い た 」 と
の 複 数 の 情 報 が オ ラ ン ダ 軍 な ど か ら 寄 せ
ら れ た 。 イ ラ ク 警 察 も 捜 査 し , 一 時 特 徴
の 似 た 男 が 目 撃 さ れ た が , 行 方 を 見 失 っ
た 。 陸 自 部 隊 は 「 確 度 が 高 い 情 報 」 と 判
断 , 宿 営 地 内 の 態 勢 を 「 警 戒 レ ベ ル 」 に
上 げ た 。 当 時 , 宿 営 地 で は 本 隊 主 力 第 一
陣 ま で 含 め た 計 二 百 数 十 人 到 着 し て い た
が , 全 員 が 迷 走 服 と 半 長 靴 を 着 用 し , 防
弾 チ ョ ッ キ と 小 銃 な ど で 武 装 , 宿 営 地 の
8
周 辺 を 徹 夜 で 警 戒 し た ( 北 海 道 新 聞 4 月
3 0 日 付 夕 刊 ) 。
し か し , こ の 陸 自 宿 営 地 襲 撃 情 報 が 報 じ
ら れ た の は , 自 衛 隊 を 狙 っ た 攻 撃 が 相 次
ぎ , 日 本 で 報 道 さ れ は じ め た 4 月 末 日 に
な っ て か ら の こ と だ っ た 。 3 月 初 め は ,
陸 上 自 衛 隊 が サ マ ー ワ に 到 着 し て 1 か 月
足 ら ず で あ り , 派 遣 部 隊 の リ ー ダ ー で あ
る 番 匠 幸 一 郎 一 佐 が 現 地 入 り し , 日 本 で
は 治 安 の 良 さ や 住 民 の 歓 迎 ぶ り が 報 道 さ
れ て い た 時 期 で あ る 。 現 地 に は 数 十 名 か
ら 百 名 前 後 の マ ス コ ミ が い た は ず で あ る 。
自 衛 隊 に よ る 事 実 の 隠 蔽 あ る い は 報 道 規
制 が 行 わ れ て い た 可 能 性 を 疑 わ ざ る を え
な い 。
こ の 事 実 は , マ ド リ ー ド 列 車 爆 破 テ ロ の
犯 行 声 明 が 決 し て 唐 突 な も の で は な く ,
自 衛 隊 が , 現 地 へ 到 着 し た 当 初 よ り 占 領
軍 と 同 視 さ れ , 敵 意 と 攻 撃 の 標 的 と さ れ
て い た こ と を 物 語 る も の で あ る ( 詳 細 は ,
本 章 9 参 照 ) 。
3 「 フ ァ ル ー ジ ャ の 流 血 」
( 1 ) バ グ ダ ッ ド 西 方 に 位 置 す る フ ァ ル ー ジ
ャ は , 旧 フ セ イ ン 政 権 の 中 枢 を 担 っ た ス
ン ニ 派 住 民 が 多 く 居 住 し て い る 「 ス ン ニ
派 三 角 地 帯 」 と 呼 ば れ る 地 域 で あ る 。 米
軍 は , 占 領 当 初 か ら , テ ロ 掃 討 を 理 由 に
こ の 地 域 の 人 々 を 容 疑 が な い に も か か わ
ら ず 大 量 に 拘 束 し た り , 取 材 中 の ア ラ ブ
メ デ ィ ア に 発 砲 し て 死 亡 さ せ た り す る 事
9
件 を 起 こ し て い た た め に , 住 民 に よ る 反
発 が 強 ま っ て い た 。 拘 束 し た イ ラ ク 人 を
収 容 し て い た ア ブ グ レ イ ブ 刑 務 所 に お け
る 米 軍 兵 士 に よ る 拷 問 , 非 人 道 的 な 扱 い
に つ い て は , 後 に 大 問 題 に 発 展 し た ( 詳
細 は , 本 章 1 1 参 照 ) 。
3 月 3 1 日 , フ ァ ル ー ジ ャ 北 西 の ラ マ デ
ィ を 走 行 中 の 米 軍 車 両 が 爆 破 さ れ , 乗 っ
て い た 兵 士 5 名 が 死 亡 し た 。 さ ら に , バ
グ ダ ッ ド 西 方 の フ ァ ル ー ジ ャ で は , 走 行
中 の 2 台 の 車 両 が 銃 撃 を 受 け , 乗 っ て い
た 米 国 人 4 名 が 殺 害 さ れ た 。 こ の 4 名 は ,
占 領 当 局 と 契 約 す る 復 興 事 業 請 負 業 者 だ
と さ れ る 。 民 間 車 両 の 襲 撃 現 場 で は , 焼
け た だ れ た 遺 体 を 周 辺 住 民 が た た い た り ,
切 り 刻 ん だ り , 車 で 引 き ず っ て 鉄 橋 に つ
る す な ど し た 。
こ の 事 件 が 報 道 さ れ た ア メ リ カ で は ,
「 ソ マ リ ア の 悪 夢 」 の 再 来 と し て , 波 紋
を 広 げ た 。 こ の 「 ソ マ リ ア の 悪 夢 」 事 件
は , 1 9 9 3 年 , 内 戦 が 続 く 東 ア フ リ
カ ・ ソ マ リ ア 紛 争 に P K O 部 隊 と し て 派
遣 さ れ た 米 軍 の ヘ リ 「 ブ ラ ッ ク ホ ー ク 」
が 地 元 の 武 装 勢 力 に 襲 撃 さ れ , 救 出 に 向
か っ た 地 上 部 隊 を 含 め て , 計 1 8 名 が 殺
害 さ れ た も の で あ る 。 兵 士 の 遺 体 が 地 元
住 民 に 引 き ず ら れ る 写 真 が 米 メ デ ィ ア で
報 じ ら れ る と , 議 会 が 即 時 撤 退 を 要 求 ,
当 時 の ク リ ン ト ン 政 権 は 抗 し き れ ず に 撤
退 を 決 め た 。 そ の 後 , 同 政 権 が 軍 の 運 用
10
を 極 力 犠 牲 の 出 な い 形 に 限 定 す る き っ か
け と な っ た 。
( 2 ) 民 間 業 者 殺 害 事 件 に 対 し て , 反 発 を 強
め た 米 国 は , 4 月 5 日 , 米 軍 が 主 要 道 路
を 完 全 封 鎖 し て フ ァ ル ー ジ ャ を 包 囲 , 掃
討 作 戦 を 開 始 し た 。 米 軍 に よ る , 大 規 模
で 激 し い 軍 事 作 戦 ( 空 爆 ) が 日 夜 展 開 さ
れ , 5 日 と 6 日 の 2 日 間 だ け で 住 民 の 死
者 は 1 0 0 名 を 越 え た と さ れ る ( 4 月 8
日 付 の 新 聞 各 社 の 報 道 ) 。 後 述 す る ア サ
ド ・ ジ ャ ワ ー ド 教 授 の レ ポ ー ト に よ れ ば ,
「 攻 撃 開 始 か ら 数 日 の 間 に , 代 用 病 院 が
記 録 し た 死 者 は 6 0 0 名 以 上 , 負 傷 者 は
そ の 倍 に 及 ん だ 」 と さ れ る 。
4 月 7 日 に は , 米 軍 ヘ リ コ プ タ ー が モ ス
ク ( イ ス ラ ム 礼 拝 所 ) に ミ サ イ ル 3 発 を
撃 ち 込 み , 4 0 人 以 上 の 一 般 市 民 を 殺 害
し た 。
ア ラ ビ ア 語 衛 星 テ レ ビ ・ ア ル ジ ャ ジ ー ラ
が , 米 軍 に よ る フ ァ ル ー ジ ャ 空 爆 の 現 場
を 生 々 し く 伝 え , そ の 凄 惨 な 映 像 は イ ラ
ク 市 民 に 衝 撃 を 与 え た 。
7 日 に は , バ グ ダ ッ ド 市 内 の ス ン ニ 派 モ
ス ク の 指 導 者 が , 説 教 の 中 で 「 反 米 聖
戦 」 を 信 者 に 訴 え た と さ れ る 。 こ れ ま で
「 聖 戦 」 は 反 米 武 装 勢 力 が 秘 密 裏 に 行 う
も の だ っ た が , モ ス ク が 公 に 訴 え れ ば ,
聖 戦 は 全 イ ス ラ ム 教 徒 の 義 務 と な る と い
う ( 4 月 8 日 付 朝 日 新 聞 朝 刊 / 川 上 泰 徳
記 者 ) 。
11
こ う し て , 米 軍 = 占 領 軍 は , 「 フ ァ ル ー
ジ ャ を ア メ リ カ か ら 救 え 」 「 フ ァ ル ー ジ
ャ の 悲 劇 」 の 旗 印 に 結 集 す る イ ラ ク 国 民
を , 敵 に 回 す こ と に な っ た 。
こ の よ う な フ ァ ル ー ジ ャ 情 勢 の 下 で , 4
月 8 日 , 高 遠 奈 穂 子 さ ん ら 日 本 人 3 名 が
フ ァ ル ー ジ ャ 付 近 で 武 装 勢 力 に 人 質 に と
ら れ た の で あ る ( 詳 細 は , 本 章 8 参 照 )。
結 局 , フ ァ ル ー ジ ャ で の 激 し い 戦 闘 行 為
は , 4 月 1 1 日 に 一 時 停 戦 が 成 立 す る ま
で 続 き , そ の 後 も 断 続 的 に 続 い た 。 事 態
が 落 ち 着 い た の は , ア ブ グ レ イ ブ 刑 務 所
の イ ラ ク 人 虐 待 問 題 の 表 面 化 と 並 行 し て
米 軍 の 撤 退 が 開 始 さ れ た , 4 月 末 に な っ
て か ら の こ と だ っ た 。
4 占 領 軍 , シ ー ア 派 と 各 地 で 衝 突 拡 大
( 1 ) 4 月 4 日 , イ ラ ク 中 部 イ ス ラ ム 教 シ ー
ア 派 聖 地 ナ ジ ャ フ で , 米 軍 な ど の 占 領 統
治 に 抗 議 す る シ ー ア 派 強 硬 派 の デ モ が あ
り , イ ラ ク 人 民 兵 と ス ペ イ ン 軍 な ど 占 領
軍 と の 間 で 銃 撃 戦 と な り , 双 方 あ わ せ て
2 2 名 が 死 亡 し , 2 0 0 名 が 負 傷 し た 。
米 英 主 導 の 占 領 軍 と イ ラ ク 人 の 衝 突 と し
て は 戦 争 後 , 最 大 規 模 と な っ た 。
ナ ジ ャ フ 近 郊 の ク ー フ ァ に は , シ ー ア 派
の 強 硬 派 指 導 者 ム ク タ ダ ・ サ ダ ル 師 が 住
ん で お り , 周 辺 に は そ の 支 持 者 が 多 い 。
3 日 に 同 師 側 近 が ス ペ イ ン 軍 に 身 柄 を 拘
束 さ れ た と の 情 報 が 流 れ た た め , 4 日 ,
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支 持 者 ら 数 千 人 が 釈 放 を 求 め て 同 軍 の 駐
屯 地 に 抗 議 デ モ を か け た 。 デ モ 隊 が 駐 屯
地 に 向 け て 投 石 し た の に 対 し て , ス ペ イ
ン 軍 な ど 占 領 軍 が 発 砲 し , デ モ 隊 に 交 じ
っ て い た イ ラ ク 人 民 兵 が 応 戦 し て , 約 3
時 間 に わ た る 銃 撃 戦 に な っ た ( 4 月 5 日
付 各 紙 ) 。
( 2 ) 同 日 は , 首 都 バ グ ダ ッ ド 東 部 の サ ド ル
シ テ ィ ー で も , シ ー ア 派 民 兵 と 米 軍 と が
衝 突 し , 米 兵 7 名 が 死 亡 , 2 0 人 以 上 が
負 傷 し , イ ラ ク 側 は 少 な く と も 2 名 が 死
亡 , 7 名 が 負 傷 し た ( 4 月 5 日 付 各 紙 )。
サ ド ル シ テ ィ ー は , ム ク タ ダ ・ サ ド ル 師
の 影 響 力 が 強 い と こ ろ で あ り , 米 軍 と 交
戦 し た 兵 士 は , 同 師 の 支 持 者 で つ く る 民
兵 組 織 「 マ フ デ ィ 軍 」 と 思 わ れ る 。 シ ー
ア 派 に よ る 一 連 の 反 米 デ モ が 起 き た 直 接
の き っ か け は , 3 月 2 8 日 , C P A が サ
ド ル 師 系 の 週 刊 誌 ア ル ハ ウ ザ を 6 0 日 間
の 発 行 禁 止 に し た こ と に あ る 。 そ れ 以 降 ,
バ グ ダ ッ ド と ナ ジ ャ フ で は , サ ド ル 師 の
支 持 者 が 「 発 禁 命 令 撤 回 」 を 求 め て 連 日 ,
抗 議 運 動 を 続 け て い た 。 2 日 に は , バ グ
ダ ッ ド で , 信 者 1 万 人 以 上 が 占 領 に 抗 議
す る 金 曜 礼 拝 を 行 っ て い た 。
( 3 ) 5 日 , C P A ブ レ マ ー 代 表 は , 「 サ ド
ル 指 揮 下 の グ ル - プ は 無 法 者 だ 。 我 々 は
容 赦 し な い 」 と 強 く 非 難 し , 同 セ ノ ー 報
道 官 は , 記 者 会 見 で サ ド ル 師 に 対 し て
13
「 イ ラ ク の 裁 判 官 が 逮 捕 状 を 発 行 し て い
る 」 と 明 ら か に し た 。 昨 年 4 月 に シ ー ア
派 の 穏 健 派 の 宗 教 指 導 者 ア ル ホ エ イ 師 が
暗 殺 さ れ た 事 件 に 関 す る 容 疑 で , 逮 捕 状
が 発 行 さ れ た の は 数 か 月 前 だ と 説 明 し た
( 4 月 6 日 付 各 紙 ) 。
米 軍 は , 5 日 夜 , サ ド ル 師 が 立 て こ も っ
て い る と み ら れ る ク ー フ ァ に 進 軍 し , 包
囲 す る 形 を と っ た 。 駐 留 米 軍 報 道 担 当 の
キ ミ ッ ト 准 将 は 「 サ ド ル 師 が 平 和 的 に 投
降 す る か ど う か , 状 況 は 同 師 の 判 断 に か
か っ て い る 」 と 語 り , こ れ に 対 し サ ド ル
師 側 は , 数 百 人 の 民 兵 で 町 を 固 め , 抗 戦
の 構 え を と っ た 。
同 師 は , 6 日 , 立 て こ も っ て い た モ ス ク
を 出 て , 近 隣 の ナ ジ ャ フ に 移 り , 声 明 で
改 め て 米 国 を 非 難 し , 徹 底 抗 戦 の 姿 勢 を
示 し た 。
( 4 ) こ う し て , 米 軍 は , イ ス ラ ム 教 ス ン ニ 派
に 加 え て , シ ー ア 派 と も 武 力 衝 突 に 突 入
し , 二 正 面 作 戦 と な っ た 。 米 軍 は , 圧 政
者 か ら の 解 放 を 掲 げ て 介 入 し な が ら , 開
戦 1 年 後 に , 本 来 解 放 す る は ず の 地 元 勢
力 と 決 定 的 か つ 全 面 的 に 対 立 す る こ と に
な っ た の で あ る 。
シ ー ア 派 は , イ ラ ク 戦 争 で 米 軍 が フ セ イ
ン 体 制 を 打 倒 し た こ と を 歓 迎 し , 戦 後 も
旧 体 制 の 復 活 を 恐 れ て , 米 占 領 に 協 調 姿
勢 を と っ て き た 。 し か し , 反 フ セ イ ン =
親 米 で は な い し , も と も と シ ー ア 派 は イ
14
ス ラ ム の 伝 統 重 視 の 傾 向 が 強 く , 欧 米 部
隊 に 占 領 さ れ て い る こ と に 対 す る 反 発 は
ス ン ニ 派 の 支 配 地 域 以 上 に 強 か っ た 。 こ
れ に 「 フ ァ ル ー ジ ャ の 流 血 」 が 加 わ り ,
結 果 的 に 「 反 米 」 「 反 占 領 」 で ス ン ニ 派
と 足 並 み を 揃 え る こ と に な っ た 。
日 本 政 府 は シ ー ア 派 の 支 配 地 域 で あ る サ
マ ー ワ を 治 安 の 安 定 し た 「 非 戦 闘 地 域 」
と し て 自 衛 隊 の 宿 営 地 に 定 め た の だ っ た 。
と こ ろ が , 今 や サ マ ー ワ 周 辺 は , 米 軍 ・
占 領 軍 と シ ー ア 派 と の 衝 突 の 真 ん 中 に 位
置 し , 自 衛 隊 は 宿 営 地 か ら ほ と ん ど 出 ら
れ な い 状 態 が 続 い て い る ( 朝 日 新 聞 4 月
8 日 付 朝 刊 よ り ) 。
5 「 フ ァ ル ー ジ ャ の 流 血 」 を め ぐ る イ ラ ク
情 勢
前 述 ま で は , 日 本 に お け る 報 道 に 基 づ い
て 事 実 を 整 理 し た も の で あ る 。 し か し ,
事 態 の 経 過 と 本 質 を よ り 正 確 に 理 解 す る
た め に は , 現 地 に 詳 し い 立 場 か ら イ ラ ク
社 会 の 実 情 や 民 衆 の 心 情 を 含 め て 具 体 的
に 論 ぜ ら れ る 必 要 が あ る 。 こ の 点 で は ,
バ グ ダ ッ ド 大 学 教 授 で 政 治 学 博 士 の サ ア
ド ・ ジ ャ ワ ー ド 氏 に よ る , 4 月 1 6 日 付
リ ポ ー ト が 詳 し い の で ( 訳 = 山 下 史 / 世
界 no.727 ) , 以 下 に 引 用 す る 。
「 < 事 態 の 背 景 は 何 か >
( 中 略 )
米 軍 の 占 領 開 始 後 の 最 初 の 衝 突 は , 米
軍 が 住 民 の 感 情 を 一 切 無 視 し て 家 屋 ,
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女 性 の 捜 索 を 強 行 し よ う と し た こ と か
ら 起 き た 。 イ ス ラ ム 教 徒 は 総 じ て , 外
国 人 と 家 族 と の 接 触 , と く に 女 性 と の
接 触 を 嫌 う 。 外 国 人 が 女 性 に 話 し か け
る こ と を 嫌 い , 体 に さ わ る な ど も っ て
の ほ か で あ る 。 だ が 占 領 軍 は 捜 索 を 強
行 し よ う と し , こ れ が 対 決 に 発 展 し た
( 昨 年 4 月 2 8 日 , 米 軍 が 発 砲 し 1 5
名 が 死 亡 し た ) 。 米 軍 が フ ァ ル ー ジ ャ
の 人 々 を 押 さ え つ け よ う と す れ ば す る
ほ ど , 住 民 は 戦 闘 的 に な っ た 。 フ ァ ル
ー ジ ャ は , 米 軍 補 給 ル ー ト で あ る 幹 線
高 速 道 路 上 に あ る の で , 米 軍 の 車 両 や
装 甲 車 攻 撃 が 容 易 で , 抵 抗 勢 力 に は 有
利 だ っ た 。
占 領 軍 が お か し た も う 一 つ の 大 き な 過
ち は , バ グ ダ ッ ド 陥 落 後 , イ ラ ク 軍 の
キ ャ ン プ や 兵 舎 の 収 容 に 無 関 心 だ っ た
こ と だ 。 フ ァ ル ー ジ ャ の す ぐ 近 く に は ,
巨 大 な 軍 事 キ ャ ン プ が あ る の で , 人 々
は い と も 簡 単 に 軽 火 器 , 重 火 器 を 手 に
入 れ る こ と が で き た 。
フ ァ ル ー ジ ャ の 人 々 は , 問 題 を 平 和 的
に 解 決 し よ う と 務 め , 米 軍 に 対 し て ,
フ ァ ル ー ジ ャ の 町 へ の 介 入 を や め , 彼
ら の 家 や 家 族 の 勝 手 な 捜 索 を や め る よ
う 申 し 入 れ た 。 占 領 軍 は こ れ を 拒 否 し ,
彼 ら の 傲 慢 な , そ し て フ ァ ル ー ジ ャ の
人 々 に と っ て 屈 辱 的 な 政 策 を 実 行 す る
と 言 い 張 っ た 。 米 軍 は ま た , 罪 状 も 明
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ら か に せ ず , 宗 教 指 導 者 や 部 族 指 導 者
を 投 獄 し た 。 こ の う ち 何 人 か は , イ ス
ラ ム 教 徒 に と っ て は 神 聖 な 場 所 で あ る
モ ス ク の な か で 逮 捕 さ れ た 。 イ ラ ク の
治 安 と 安 定 が 悪 化 す る に 連 れ , 両 者 の
緊 張 は 高 ま っ て い っ た 。 イ ラ ク 国 民 の
支 持 の ま っ た く な い 統 治 評 議 会 の 設 立
や イ ラ ク 軍 の 解 体 も 緊 張 の 高 ま り に 拍
車 を か け た 。
こ う し た 一 連 の 過 ち の 結 果 , バ グ ダ ッ
ド 周 辺 の い く つ か の 地 域 に は , 占 領 に
反 対 す る 勢 力 が 集 結 し 始 め た 。 フ ァ ル
ー ジ ャ も , と く に 突 出 し て い た わ け で
は な い が , そ の 地 域 の 一 つ で あ っ た 。
現 在 の フ ァ ル ー ジ ャ に は , 抵 抗 勢 力 の
圧 倒 的 多 数 を 構 成 す る 土 着 の イ ス ラ ム
教 抵 抗 勢 力 に 加 え て , 旧 イ ラ ク 軍 の メ
ン バ ー , 若 干 の ア ラ ブ 人 戦 闘 員 が 参 加
し て い る と 思 わ れ , フ ァ ル ー ジ ャ の あ
る イ ラ ク 人 研 究 者 が ま と め た 統 計 は 示
唆 的 で あ る 。 そ れ に よ れ ば , 戦 闘 に よ
る 死 者 の 8 0 % は , 以 前 か ら フ ァ ル ー
ジ ャ に 住 ん で い る イ ス ラ ム 教 徒 で あ り ,
1 3 % が 民 族 主 義 者 , 2 % が 旧 バ ー ス
党 員 と な っ て い る 。 こ れ ら は , 現 在 の
攻 防 勃 発 以 前 の 数 字 で あ る 。
< 殺 害 さ れ た 4 名 の 米 国 人 >
フ ァ ル ー ジ ャ で の 最 近 の 武 力 衝 突 の 引
き 金 と な っ た の は , ( 3 月 末 に ) 4 名
の 米 国 市 民 ( 軍 の 下 請 け 業 者 ) が 残 酷
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に 殺 さ れ , そ の 遺 体 が 切 断 さ れ た 事 件
で あ っ た 。 フ ァ ル ー ジ ャ の 宗 教 者 ・ 非
宗 教 者 の リ ー ダ ー は こ ぞ っ て , こ の 行
為 を 非 難 し た の だ が , 在 イ ラ ク 連 合 国
暫 定 当 局 は , 町 全 体 を 処 罰 す る と 主 張
し た 。
こ の 事 件 と そ の 原 因 に つ い て は , 矛 盾
す る 報 告 が な さ れ て い る 。 フ ァ ル ー ジ
ャ の 抵 抗 勢 力 は , そ も そ も こ の 4 名 は ,
ビ ジ ネ ス マ ン で は な く , 「 ブ ラ ッ ク ウ
ォ ー タ ー 」 と 呼 ば れ る 米 国 の 警 備 会 社
の メ ン バ ー で あ り , 同 社 は 在 イ ラ ク 連
合 国 暫 定 当 局 ( C P A ) の ト ッ プ の ブ
レ マ ー 氏 の 護 衛 も 引 き 受 け て い た と 主
張 し て い る 。 彼 ら は ま た , 今 回 の 殺 害
は , フ ァ ル ー ジ ャ の 人 々 と そ の 家 族 に
対 し て 行 わ れ た 残 虐 行 為 へ の 報 復 で あ
る と 主 張 し た 。 彼 ら は ま た , 2 5 名 の
フ ァ ル ー ジ ャ の 女 性 が 恣 意 的 に 逮 捕 さ
れ , 辱 め を 受 け , 同 時 に , 何 人 か の 市
民 が ア メ リ カ の 戦 車 に ひ き 殺 さ れ た と
述 べ て い る 。 さ ら に , 自 分 た ち の 仲 間
の 遺 体 が 切 断 さ れ た と も 語 っ て い る 。
他 方 , こ れ ら の 行 為 は よ そ 者 が や っ た
こ と で あ り , フ ァ ル ー ジ ャ の 人 々 は 一
切 無 関 係 だ と い う 人 々 も い る 。
米 占 領 軍 は , こ れ ら の 主 張 の ほ と ん ど
を 拒 否 し た 。 米 軍 の 言 い 分 は , あ る 女
性 が 抵 抗 運 動 に 参 加 し て い る の が 目 撃
さ れ た の で , 彼 女 へ の 逮 捕 命 令 が 出 さ
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れ た の で あ り , 逮 捕 は , 容 疑 者 を 拘 束
す る た め だ っ た と い う も の で あ る 。 彼
ら は ま た , 米 軍 の 行 動 は , 米 軍 に か け
ら れ た 攻 撃 へ の 報 復 に す ぎ な い と 主 張
し た 。
ブ レ マ ー 氏 は , フ ァ ル ー ジ ャ の 人 々 の
申 し 立 て を 拒 否 し , 4 名 の 米 国 人 へ の
攻 撃 は き わ め て 周 到 に 計 画 さ れ 実 行 さ
れ た も の で あ る と し て 報 復 を 誓 っ た 。
彼 は , 殺 害 の 責 任 者 を 引 き 渡 す よ う ,
フ ァ ル ー ジ ャ の 人 々 に 最 後 通 牒 を つ き
つ け た 。 フ ァ ル ー ジ ャ の 人 々 は こ れ を
拒 絶 し , 住 民 側 の 要 求 を 提 出 し た 。 そ
の な か に は , 同 市 民 の 殺 害 に 責 任 の あ
る 海 兵 隊 の 引 き 渡 し と 米 軍 の フ ァ ル ー
ジ ャ か ら の 撤 退 が 含 ま れ て い た 。
< モ ス ク ま で 爆 破 さ れ た >
そ の 結 果 , 大 規 模 で 激 し い 軍 事 作 戦 が
フ ァ ル ー ジ ャ に か け ら れ た 。 ま ず 町 を
包 囲 し , 町 に 入 る す べ て の 道 路 を 封 鎖
し た う え で , ア パ ッ チ ・ ヘ リ コ プ タ ー
に よ る 攻 撃 が 始 ま っ た 。 実 際 , 援 助 物
資 を 運 ぶ 車 す ら 町 に は 入 れ な か っ た 。
あ る テ レ ビ で は , 米 海 兵 隊 員 が 食 料 援
助 物 資 の 袋 を 取 り 上 げ て , 土 嚢 代 わ り
に 使 っ て い る 様 子 が 放 映 さ れ て い た 。
そ し て ア メ リ カ 人 の ス ナ イ パ - が 町 の
周 囲 の 家 々 の 屋 根 に 陣 取 り , 少 し で も
動 き が あ っ た り , 家 か ら 出 よ う と し た
ら , す ぐ に 狙 い 撃 ち し て き た 。
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フ ァ ル ー ジ ャ の 人 々 は , こ れ ま で に ま
し て 高 い 戦 闘 性 を 発 揮 し た 。 彼 ら は 壮
絶 に フ ァ ル ー ジ ャ の 町 を 守 り , 少 な く
と も 3 機 の ア パ ッ チ ・ ヘ リ を 撃 墜 し ,
強 力 な 海 兵 隊 の 部 隊 を 窮 地 に 追 い 込 ん
だ 。 海 兵 隊 は , 攻 撃 を さ ら に エ ス レ ー
ト さ せ , F 1 6 戦 闘 爆 撃 機 を 参 加 さ せ
て 攻 撃 を 強 化 し た 。 民 間 人 の 住 む 地 域
も 建 物 も 容 赦 は な か っ た 。 町 の 2 つ の
病 院 も , モ ス ク も , 学 校 も そ の 他 公 共
の 建 物 も 爆 撃 さ れ た 。 医 師 や 医 療 ス タ
ッ フ は , 別 の 医 療 セ ン タ ー ( 彼 ら は こ
れ を 代 用 病 院 と 呼 ん で い た ) を つ く っ
て 人 々 を 助 け る 以 外 に 方 法 は な か っ た 。
墓 地 は 町 の 外 に あ り , 包 囲 し て い る 米
軍 は 市 民 が 墓 地 に 行 く こ と を 許 可 し な
か っ た の で , 町 の 中 央 に あ る ス タ ジ ア
ム を 代 用 墓 地 と し て 死 者 を 埋 葬 せ ね ば
な ら な か っ た 。
攻 撃 開 始 か ら 数 日 の 間 に , こ の 代 用 病
院 が 記 録 し た 死 者 は 6 0 0 名 以 上 , 負
傷 者 は そ の 倍 に 及 ん だ 。 こ の 数 に 含 ま
れ る の は , 「 病 院 」 に 運 ば れ た 人 々 だ
け だ と 医 師 た ち は 語 っ て い る 。 こ の 他
に 「 病 院 」 に 運 ぶ こ と も で き ず , 家 の
庭 に 埋 め ら れ た 人 々 も 多 く い る と い う 。
空 と 陸 か ら の 爆 撃 で , 家 族 全 員 が 殺 さ
れ た ケ ー ス も あ る 。 犠 牲 者 の 7 0 % 以
上 は 子 ど も と 女 性 で あ っ た 。 2 5 名 の
家 族 全 員 が 殺 さ れ た ケ ー ス も あ り , よ
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り 少 人 数 の 家 族 全 滅 の ケ ー ス は 珍 し く
な い 。
フ ァ ル ー ジ ャ 攻 略 の 失 敗 , さ ら に は ,
同 時 期 , 南 部 の 町 ク ー フ ァ か ら 若 手 シ
ー ア 派 聖 職 者 の ム ク タ ダ ・ サ ド ル 師 が
主 導 し て 衝 突 が 起 き , こ れ が 瞬 く 間 に
バ グ ダ ッ ド を は じ め 各 地 に 広 が っ た こ
と で , 米 当 局 は 窮 地 に 陥 っ た 。 衛 星 生
放 送 を 通 じ て 流 さ れ る フ ァ ル ー ジ ャ で
の 虐 殺 の 推 移 を テ レ ビ で 見 る こ と の で
き た 全 国 の イ ラ ク 人 は , 海 兵 隊 の 残 忍
な 虐 殺 に 恐 怖 し , 嘆 き 悲 し ん だ 。 何 の
行 動 も と ら ず , た だ 沈 黙 し て い る イ ラ
ク 統 治 評 議 会 に 対 し て は , 非 難 が い っ
そ う 強 ま っ た 。 実 際 , 統 治 評 議 会 は 米
軍 の 片 棒 を か つ い で い る と 非 難 し た 人
も 多 い 。 統 治 評 議 会 の 何 人 か の メ ン バ
ー が , 6 月 3 0 日 の 彼 ら へ の 政 権 移 譲
の 前 に , 自 分 た ち に と っ て の あ ら ゆ る
脅 威 を 排 除 す る た め に 米 軍 を し て 強 硬
手 段 を と る よ う 働 き か け た と い う の で
あ る 。
フ ァ ル ー ジ ャ の 人 々 の 激 烈 な 戦 い ( こ
れ に よ り , 米 軍 側 の 犠 牲 者 も 増 え , 死
者 約 7 0 名 , 負 傷 者 多 数 に の ぼ っ た )
と と も に , イ ラ ク 国 内 で も ま た 国 際 的
に も 圧 力 が 強 ま り , 米 軍 は 停 戦 に 応 じ
ざ る を え な く な っ た 。 こ の 停 戦 は 今 も
続 い て い る の だ が , 数 回 に わ た っ て 違
反 が あ り , 双 方 が 相 手 を 非 難 し た 。 ブ
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レ マ ー 氏 の 攻 撃 中 止 の 発 表 は , 彼 が 今
後 一 層 激 し い フ ァ ル ー ジ ャ 攻 撃 を も く
ろ ん で い る と 考 え ざ る を え な い よ う な
内 容 で あ っ た 。 発 表 に あ た り ブ レ マ ー
氏 は , 戦 闘 を 中 断 す る の は , 町 を 去 る
者 に そ の 猶 予 を あ た え る た め だ と 語 っ
た 。 彼 は , こ の 包 囲 さ れ た 町 に は , 人
も , 人 道 支 援 も , 医 療 品 も 一 切 入 れ な
い と 主 張 し た 。
フ ァ ル ー ジ ャ の 抵 抗 は , 再 び そ の 戦 闘
性 を 高 め た 。 人 々 は , 子 ど も と 女 性 を
町 の 外 に 出 し , 自 ら は 町 の 中 に と ど ま
っ て , 死 ぬ ま で , そ し て 町 の 包 囲 が 解
か れ る ま で 戦 う こ と を 誓 っ た 。 彼 ら は
ま た , 戦 闘 中 止 に 条 件 を つ け た 。 彼 ら
は 破 壊 さ れ た 町 の 再 建 と 市 民 へ の 損 害
賠 償 を 要 求 し た 。
こ れ が 今 現 在 の フ ァ ル ー ジ ャ の 状 況 で
あ る 。 」
6 相 次 ぐ イ ラ ク か ら の 撤 退
上 記 の よ う な 泥 沼 化 す る イ ラ ク 情 勢 と
テ ロ 攻 撃 を 受 け , 下 記 の と お り , 各 国 は
イ ラ ク か ら の 撤 退 を 進 め て い る 。
[ 5 月 5 日 付 平 和 新 聞 よ り , 情 報 は 4 月
2 6 日 現 在 ]
〈 主 な 派 遣 国 の 態 度 〉
( ○ は 撤 退 も し く は 撤 退 開 始 , △ は 撤 退
を 決 定 も し く は 示 唆 , ● は 続 行 )
○ス ペ イ ン 1400 人 4 月 1 9 日 撤 退 開 始
○ホ ン ジ ュ ラ ス 368 人 6 月 中 の 撤 退 を 決 定
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○ド ミ ニ カ 300 人 早 期 撤 退 を 表 明
○シ ン ガ ポ ー ル 200 人 撤 退 を 完 了
○ニ カ ラ グ ア 115 人 撤 退 を 完 了
○ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド 61 人 首 相 が 9 月 撤 退
を 表 明
△ポ ル ト ガ ル 2400 人 状 況 に よ り 撤 退 も
△ポ ー ラ ン ド 2400 人 新 首 相 が 表 明 す る 予 定
△ウ ク ラ イ ナ 2000 人 戦 闘 に は 参 加 し な い 意
向
△タ イ 473 人 繰 り 上 げ 撤 退 の 方 針
△ ブ ル ガ リ ア 470 人 米 軍 主 導 な ら 撤 退 も
△ フ ィ リ ピ ン 270 人 状 況 に よ り 撤 退 も
△ノ ル ウ ェ ー 150 人 外 相 が 撤 退 を 示 唆
●ア メ リ カ 135000 人 な お 増 派 を 検 討
●イ ギ リ ス 9000 人
●イ タ リ ア 2600 人
●オ ラ ン ダ 1100 人
●オ ー ス ト ラ リ ア 870 人 最 大 野 党 は 早 期 撤
退 を 主 張
●韓 国 600 人 増 派 を 決 定
●日 本 550 人 撤 退 考 慮 せ ず
( 日 本 は サ マ ー ワ 駐 留 の 陸 自 の み 算 入 ,
空 自 , 海 自 を 加 え る と 千 数 百 人 規 模 =
情 報 は 4 月 2 6 日 現 在 )
さ ら に , こ の あ と , フ ィ リ ピ ン の ア ロ ヨ
政 権 は , 本 年 7 月 1 9 日 に イ ラ ク 駐 留 部
隊 を 完 全 撤 退 さ せ る こ と を 決 め た 。 こ れ
は , イ ラ ク 中 部 フ ァ ル ー ジ ャ で 民 間 人 が
拉 致 さ れ た 事 件 を き っ か け に , 人 質 救 出
を 対 米 追 随 に 優 先 し た 結 果 で あ る 。
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ま た , ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド 政 府 は 9 月 1 6
日 , 人 道 支 援 活 動 の た め イ ラ ク 南 部 の バ
ス ラ に 展 開 し て い た 自 国 軍 の 6 1 人 全 員
が 月 内 に 撤 退 す る と 発 表 し た 。 同 国 は 2
0 0 3 年 9 月 , 半 年 間 の 予 定 で 部 隊 を 派
遣 , 今 年 3 月 に 半 年 間 延 長 し , 水 道 施 設
の 整 備 や 警 察 署 の 建 設 な ど に あ た っ て き
た 。 し か し 最 近 の 治 安 悪 化 を 受 け , こ こ
1 か 月 以 上 は 宿 営 地 に と ど ま っ て お り ,
具 体 的 な 活 動 に は 携 わ っ て い な か っ た 。
さ ら に , タ イ は , 8 月 2 7 日 , イ ラ ク に
派 遣 し て い た 同 国 軍 兵 士 4 5 1 人 を 撤 退
さ せ た 。 タ イ 政 府 は 昨 年 9 月 の 派 兵 開 始
の 際 , 「 暫 定 政 府 が 成 立 す る ま で の 約 1
年 間 」 と い う 派 兵 期 限 を 定 め て い た 。 タ
イ 政 府 は 今 後 , 航 空 機 を 使 っ て の 医 療 物
資 の 輸 送 な ど の 人 道 支 援 を 検 討 す る 。
ま た , コ ス タ リ カ 最 高 裁 の 憲 法 法 廷 は 8
日 , 米 英 な ど 多 国 籍 軍 に よ る イ ラ ク 戦 争
を 政 府 が 支 持 す る の は , 常 備 軍 を 禁 じ 戦
争 を 放 棄 す る 同 国 の 4 9 年 憲 法 に 違 反 す
る と の 決 定 を 7 判 事 の 全 会 一 致 で 下 し た 。
こ れ を 受 け , 同 国 の ト バ ル 外 相 は 9 日 ,
米 政 府 に 対 し , 現 在 4 9 カ 国 で 構 成 さ れ
る 「 有 志 連 合 」 か ら コ ス タ リ カ を 外 す よ
う 要 請 し た 。
こ の よ う に 圧 倒 的 に 多 く の 国 が 当 初 の
派 兵 方 針 を 変 更 し , 撤 退 な い し 撤 退 決 定
を 行 な っ て い る の で あ る 。
7 日 本 人 人 質 事 件 の 発 生 と 問 題 の 本 質
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( 1 ) 日 本 人 人 質 事 件 の 発 生
米 軍 の 攻 撃 , と り わ け フ ァ ル ー ジ ャ 掃 討
作 戦 に 対 す る 抵 抗 と し て , 外 国 の 民 間 人
を 標 的 と す る 人 質 事 件 が 頻 発 し た 。 そ の
多 く が , 米 軍 を 厳 し く 非 難 し , 占 領 軍 の
撤 退 を 求 め る も の で あ り , 無 差 別 に 攻 撃
し 殺 害 す る と い う も の で は な か っ た 。
( 朝 日 新 聞 4 月 1 8 日 朝 刊 )
日 本 人 も 7 日 , 3 人 ( フ リ ー ラ イ タ ー
今 井 紀 明 氏 , フ リ ー カ メ ラ マ ン 郡 山 総 一
郎 氏 , ボ ラ ン テ ィ ア 高 遠 菜 穂 子 さ ん ) が ,
ア ン マ ン か ら バ グ ダ ッ ド に 向 か う 途 中 で
誘 拐 さ れ , 1 5 日 に 解 放 さ れ た 。
米 軍 の フ ァ ル ー ジ ャ 掃 討 作 戦 に 対 す る 抵
抗 で あ り , 自 衛 隊 派 遣 を 米 軍 ・ 占 領 軍 と
同 視 し て い る こ と が , 犯 人 ら の 声 明 文 か
ら 明 ら か だ っ た 。
< 4 月 8 日 犯 行 時 の 声 明 文 ( 要 旨 ) >
日 本 の 友 人 た ち へ 。 日 本 の 国 民 は イ ラ
ク 国 民 の 友 人 だ 。 我 々 , イ ス ラ ム 教 の イ
ラ ク 国 民 は , あ な た た ち と 友 好 関 係 に あ
り , 尊 敬 も し て い る 。 し か し , あ な た た
ち に は こ の 友 好 関 係 に 対 し , 敵 意 を 返 し
て き た 。
米 軍 は 我 々 の 土 地 に 侵 略 し た り , 子 ど
も を 殺 し た り , い ろ い ろ と ひ ど い こ と を
し て い る の に , あ な た た ち は そ の 米 軍 に
協 力 し た 。
今 , あ な た た ち の 国 民 3 人 は , 我 々 の
手 の 中 に い る 。 そ し て , あ な た が た は 二
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者 択 一 を し な け れ ば な ら な い 。 自 衛 隊 が
我 々 の 国 か ら 撤 退 す る か , そ れ と も 彼 ら
( 3 人 ) を 殺 害 す る か だ 。
フ ァ ル ー ジ ャ で や っ た 以 上 の こ と を 3
人 に も や る だ ろ う 。
こ の ビ デ オ を 放 映 し て か ら 要 求 を 実 行 す
る た め に 3 日 間 の 時 間 を 与 え る 。
< 4 月 1 5 日 解 放 時 の 声 明 文 ( 要 旨 ) >
日 本 人 と 世 界 の 人 々 へ 。 日 本 の 市 民 が
行 っ た デ モ と , 神 を た た え た こ と を 評 価
す る 。 ( イ ラ ク に 駐 留 す る 自 衛 隊 の ) 部
隊 の 撤 退 を 強 く 求 め , と ど ま る こ と を 主
張 し 続 け る 日 本 政 府 の 政 策 を 拒 否 す る と
い う 道 義 的 な 立 場 に 立 つ 日 本 人 に 共 感 す
る 。 我 々 は , 人 質 3 人 の 解 放 を 決 断 し た 。
こ れ を 機 に , 日 本 人 が 政 府 に 対 し , そ の
部 隊 の 撤 退 と と も に , イ ラ ク へ の 敵 対 行
為 に 加 担 し て い る 残 り の ( 外 国 軍 の ) 部
隊 も 立 ち 去 る よ う , 圧 力 を か け る こ と を
呼 び か け る 。
( 2 ) 日 本 政 府 の 対 応 の 誤 り
解 放 に 至 る 過 程 で , 日 本 政 府 は 幾 つ も の
過 ち を 犯 し た 。 要 所 要 所 で 見 事 に 事 態 の
本 質 を は ず し , よ く 裏 目 に 出 な か っ た も
の だ と 安 堵 し た と い う の が , 率 直 な 思 い
で あ る 。
以 下 に は , 政 府 の 対 応 あ る い は 国 民 に 対
す る 説 明 の 中 で , 法 的 な 観 点 か ら 看 過 で
き な い 問 題 点 を 指 摘 す る 。 な ぜ な ら ば ,
人 質 と な っ た 国 民 の 解 放 が 広 汎 な 外 交 権
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限 を 有 す る 政 府 の 政 治 的 判 断 事 項 で あ る
に せ よ , 法 治 国 家 で あ る 以 上 , 当 然 に 国
際 法 や 国 内 法 に 則 っ て 対 処 さ れ な け れ ば
な ら な い か ら で あ る 。
ア 政 府 が , 直 ち に 「 自 衛 隊 撤 退 は あ り え
な い 」 と 断 言 し た こ と
政 府 は , 自 衛 隊 の 撤 退 を 求 め た 犯 人 の
要 求 に 対 し て , 人 質 の 状 況 や 情 勢 の 見 定
め も 出 来 て い な い う ち か ら 「 自 衛 隊 撤 退
は あ り え な い 」 と 断 言 し た 。 自 衛 隊 を 撤
退 さ せ る か 否 か の 二 者 択 一 し か な く , 撤
退 し た ら 人 道 復 興 支 援 は で き な く な る と
い う 論 旨 で あ る 。
し か し , イ ラ ク 特 措 法 が 定 め る 活 動 内
容 ( 3 条 ) は , 人 道 復 興 支 援 と 安 全 確 保
支 援 の 2 つ で あ り , そ の 実 施 主 体 は , 自
衛 隊 と イ ラ ク 復 興 支 援 職 員 の 二 つ の 系 統
に 分 け ら れ る 。 後 者 の 活 動 は 専 ら 自 衛 隊
が 行 う こ と を 想 定 し て い る も の の , 前 者
の 活 動 は 自 衛 隊 が 唯 一 で も な け れ ば , 第
一 義 的 で も な い 。 現 在 ま で イ ラ ク 復 興 支
援 職 員 に よ る 人 道 復 支 援 活 動 の 実 績 が 全
く な い の は , 自 衛 隊 に 偏 重 し た 政 府 の 政
策 の 故 で あ っ て , 法 本 来 の 趣 旨 で は な い 。
し か も , 仮 に 自 衛 隊 の 活 動 を 前 提 に し
た と し て も , 自 衛 隊 の 対 応 に つ い て は ,
「 一 時 休 止 」 や 「 避 難 」 「 中 断 」 と い っ
た 柔 軟 な 対 処 方 法 が 明 記 さ れ て い る ( 同
法 第 8 条 ) 。
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「 防 衛 庁 長 官 は , 実 施 区 域 の 全 部 又 は
一 部 が こ の 法 律 又 は 基 本 計 画 に 定 め ら れ
た 要 件 を 満 た さ な い も の と な っ た 場 合 に
は , 速 や か に , そ の 指 定 を 変 更 し , 又 は
そ こ で 実 施 さ れ て い る 活 動 の 中 断 を 命 じ
な け れ ば な ら な い 。 」 ( 4 項 )
「 ・ ・ ・ 当 該 活 動 を 実 施 し て い る 場 所
の 近 傍 に お い て , 戦 闘 行 為 が 行 わ れ る に
至 っ た 場 合 又 は 付 近 の 状 況 等 に 照 ら し て
戦 闘 行 為 が 行 わ れ る こ と が 予 測 さ れ る 場
合 に は , 当 該 活 動 の 実 施 を 一 時 休 止 し 又
は 避 難 す る な ど し て 当 該 戦 闘 行 為 に よ る
危 険 を 回 避 し つ つ , 前 項 の 規 定 に よ る 措
置 を と る も の と す る 。 」 ( 5 項 )
現 に , 当 時 の サ マ ー ワ の 部 隊 は , 自 衛
隊 を 狙 っ た 迫 撃 砲 攻 撃 が , 事 実 上 宿 営 地
内 に 避 難 し , 任 務 を 一 時 休 止 し て い た 。
従 っ て , 自 衛 隊 を 撤 退 さ せ る か 否 か の
二 者 択 一 し か な く , 撤 退 し た ら 人 道 復 興
支 援 は 出 来 な く な る か の よ う に 言 う 政 府
の 対 応 は , 法 解 釈 を 歪 め , 国 民 世 論 を 誤
導 す る も の で あ る 。
と こ ろ で , 政 府 が 「 自 衛 隊 撤 退 は あ り
え な い 」 と し た 理 由 は , 「 い ま 撤 退 し た
ら 国 際 社 会 の 笑 い 者 に な り , 信 用 を 失
う 」 「 テ ロ に 屈 し な い 」 と い う も の だ っ
た 。
し か し , イ ラ ク 情 勢 の 悪 化 の 下 で , 軍
隊 派 遣 各 国 は , 4 月 以 降 相 次 い で 撤 退 を
決 定 し , あ る い は そ の 検 討 を 開 始 し て い
28
る 。 日 本 は , い つ か ら こ れ ら の 国 を 「 笑
い 者 」 に し , 「 信 用 し な い 」 傲 慢 な 国 に
な っ た の だ ろ う か 。 ア メ リ カ で さ え ,
「 ソ マ リ ア の 悪 夢 」 の 時 に は 撤 退 し た と
い う の に 。
イ 小 泉 首 相 が , 当 初 か ら 犯 人 た ち を 「 テ
ロ リ ス ト 」 と 呼 ん だ こ と
こ れ が , 犯 人 を ひ ど く 刺 激 し , 当 初 約
束 し た 期 限 で の 解 放 が 遅 れ た 原 因 の 一 つ
だ と さ れ る ( イ ス ラ ム 聖 職 者 協 会 の メ ン
バ ー の 発 言 ) 。
文 民 ( 戦 闘 に 加 わ っ て い な い 民 間 人 )
を 人 質 に 取 る こ と は , 国 際 法 で 明 確 に 禁
止 さ れ ( ジ ュ ネ ー ブ 条 約 第 4 条 約 3 4
条 ) , 卑 劣 で 非 人 道 的 な 行 為 と さ れ て い
る 。 し か し , 文 民 に 対 す る 攻 撃 を ひ と く
く り に テ ロ と 呼 ぶ な ら ば , 自 国 政 府 あ る
い は 他 国 政 府 が 文 民 を 攻 撃 す る こ と も テ
ロ 行 為 で あ り , そ れ は 「 国 家 テ ロ 」 あ る
い は 「 国 家 的 テ ロ 」 と 呼 ば れ る こ と が あ
る 。 犯 人 た ち は , フ ァ ル ー ジ ャ 掃 討 作 戦
な ど 米 軍 の 行 為 ‐ 町 に 通 じ る 道 路 を 全 て
封 鎖 し , 陸 と 空 の 両 方 か ら 爆 撃 。 そ れ に
よ り 犠 牲 者 の 7 0 % 以 上 が 女 性 と 子 ど も
だ っ た と い う ‐ を い わ ば 国 家 テ ロ だ と し ,
あ ら ゆ る 手 段 を 駆 使 し て 抵 抗 し て い た と
考 え る こ と が で き る 。
国 際 法 上 , 無 防 備 の 都 市 に 対 し て は ,
無 差 別 の 砲 爆 撃 は 禁 止 さ れ , 軍 事 目 標 に
対 す る 攻 撃 の み が 許 さ れ る ( 軍 事 目 標 主
29
義 / ハ ー グ 陸 戦 規 則 2 5 条 , ジ ュ ネ ー ブ
条 約 第 1 議 定 書 5 2 条 条 以 下 な ど ) 。 ま
た , 正 規 兵 と 不 正 規 兵 の 区 別 は な さ れ て
お ら ず , 組 織 さ れ た 武 装 の 軍 隊 , 集 団 及
び 団 体 等 を 一 括 し て , 同 一 の 要 件 で 捕 虜
資 格 を 認 め て い る ( ジ ュ ネ ー ブ 第 3 条
約 ) 。 民 兵 隊 と か 義 勇 隊 , 群 民 兵 , 組 織
的 抵 抗 運 動 団 体 と い っ た 概 念 が , そ う で
あ る 。
か よ う な イ ラ ク 情 勢 と 国 際 法 の 理 解 を
前 提 に し た と き , 少 な く と も わ が 国 が 非
交 戦 国 ( 中 立 国 ) の 地 位 を 保 持 し よ う と
す る な ら ば , 犯 人 た ち を い き な り 「 テ ロ
リ ス ト 」 と 呼 ぶ こ と は な い し , あ っ て は
な ら な い こ と で あ る 。 も し ア メ リ カ に 交
戦 法 規 違 反 が 認 め ら れ る な ら ば , そ れ を
厳 し く 批 判 し , 是 正 さ せ る こ と こ そ 最 も
大 事 な 「 人 道 的 活 動 」 で あ る 。
こ れ は , イ ラ ク 特 措 法 と も 直 結 す る 。
な ぜ な ら ば , 日 本 が 自 衛 隊 を 派 遣 す る の
は , 人 道 復 興 支 援 に よ っ て イ ラ ク と 平 和
友 好 関 係 を 築 く た め で あ っ て , 米 国 と 同
じ 立 場 に 立 ち 「 敵 」 と し て 征 伐 す る こ と
で は な い か ら で あ る 。
ウ 川 口 外 相 が 自 衛 隊 も 人 質 3 人 と 同 じ 目
的 だ と 言 っ た こ と
4 月 1 0 日 収 録 と さ れ る 川 口 外 相 に よ
る 犯 人 た ち へ の ビ デ オ メ ッ セ ー ジ は , 人
質 に さ れ た 3 人 が イ ラ ク の 人 々 を 思 い ,
そ の 支 援 の た め に イ ラ ク に 行 っ た の だ と
30
訴 え た 。 し か し , そ れ に 続 け て , 自 衛 隊
も 同 じ 目 的 の た め に 派 遣 さ れ た の だ と す
る 旨 が 加 え ら れ て い た 。
解 放 時 の 犯 人 た ち の 声 明 文 及 び イ ス ラ
ム 聖 職 者 協 会 の 説 明 に よ れ ば , 3 人 が 自
衛 隊 と 立 場 が 違 う こ と が 確 認 さ れ た こ と
が 決 定 的 だ っ た こ と が わ か る 。
川 口 外 相 の メ ッ セ ー ジ は , 国 連 を は じ
め と す る 国 際 社 会 が 築 き 上 げ て き た 人 道
支 援 の 基 本 理 念 と , 国 際 的 に 確 立 さ れ て
き た 活 動 原 則 に 対 し て 無 理 解 で あ り , 自
衛 隊 派 遣 に よ る 「 人 道 復 興 支 援 」 な る も
の の 欺 瞞 性 を 浮 か び 上 が ら せ る こ と と な
っ た 。
8 さ ら な る 人 質 事 件
4 月 1 4 日 午 前 1 1 時 ご ろ , 武 装 勢 力
の 取 材 の た め バ グ ダ ッ ド 西 方 に 向 か っ て
い た 渡 辺 修 孝 氏 と 安 田 純 平 氏 が , バ グ ダ
ッ ド の 西 約 2 0 キ ロ の ア ブ グ レ イ ブ 地 区
で 武 装 グ ル ー プ に 拉 致 さ れ る と い う 事 件
が 起 き た 。
渡 辺 氏 ら は , フ ァ ル ー ジ ャ 近 郊 に お い
て , 米 軍 の 攻 撃 で イ ラ ク 人 が 大 勢 死 傷 し
て い る 状 況 を リ ポ ー ト す る た め に 取 材 に
赴 き , そ の 際 , 乗 用 車 か ら 降 り て き た 5
人 の 男 に 「 墜 落 し た 米 軍 ヘ リ が あ る か ら
見 に 行 か な い か 」 と 持 ち か け ら れ , 同 行
後 1 5 人 く ら い の 武 装 グ ル ー プ に 拘 束 さ
れ た 。 そ の 後 , 1 7 日 午 前 1 1 時 こ ろ ,
2 人 は 拘 束 か ら 3 日 ぶ り に 解 放 さ れ た 。
31
当 初 , 渡 辺 氏 ら は , 武 装 勢 力 か ら 戦 闘
地 域 に 入 っ て き た ス パ イ で あ る と 疑 わ れ
て お り 「 お 前 は ア メ リ カ と 一 緒 に 働 い て
い る の か 。 そ れ な ら 殺 す 」 と 銃 を 突 き つ
け ら れ な が ら 脅 さ れ , ま た 「 お 前 を 殺 し
た 場 合 に 日 本 の 首 相 は 責 任 を と る か 」 と
も 聞 か れ た と い う 。 当 時 の 様 子 に つ い て ,
安 田 氏 は 「 私 は 銃 を 持 っ て い な か っ た の
で 助 か っ た 。 殺 害 さ れ た 人 質 は み な 銃 を
持 っ て い た よ う だ 」 と 語 っ て い る 。
身 柄 拘 束 さ れ た こ と に つ い て , 渡 辺 氏 は ,
「 イ ラ ク の 人 々 の た め に や っ て き て い て
も , 自 衛 隊 を 派 遣 し て い る だ け で 同 じ 日
本 人 と み ら れ , こ う い う 目 に 遭 う の は 複
雑 な 気 持 ち だ 」 と 話 し て い る 。
こ の よ う に 自 衛 隊 の イ ラ ク 派 兵 に よ っ
て , 日 本 人 と い う だ け で 多 く の 民 間 人 が
命 を 狙 わ れ る 事 態 が 発 生 し て い る の で あ
る 。
9 日 本 人 ジ ャ ー ナ リ ス ト 2 人 死 亡
激 し い 戦 闘 が 続 く イ ラ ク で , 再 び 日 本 人
が 襲 わ れ た 。 フ リ ー ジ ャ ー ナ リ ス ト の 橋
田 信 介 氏 と 甥 の 小 川 功 太 郎 氏 が 乗 っ て い
た 4 人 乗 り の 車 両 が , 5 月 2 7 日 夕 方
( 現 地 時 間 ) , バ グ ダ ッ ド 南 方 約 3 0 キ
ロ の マ フ ム ー デ ィ ー ヤ 付 近 の 国 道 を 走 行
中 に 銃 撃 さ れ , 炎 上 。 日 本 人 2 人 と イ ラ
ク 人 通 訳 1 人 が 死 亡 し た 。 遂 に , 最 悪 の
事 態 が 来 て し ま っ た 。
今 回 の 事 件 は , 4 月 に 起 き た 日 本 人 5 人
32
の 人 質 事 件 と 異 な り , 日 本 人 を 標 的 に し ,
初 め か ら 殺 害 を 目 的 と し た も の で あ る 。
米 軍 ・ 占 領 軍 と の 組 織 的 衝 突 に 加 え , 無
差 別 テ ロ も 拡 大 し て い る こ と が は っ き り
と 窺 え る 。
新 聞 報 道 に よ れ ば , 日 本 大 使 館 が 事 件 の
連 絡 を 受 け た の が 2 7 日 午 後 8 時 半 頃 で ,
2 人 の 遺 体 を 病 院 が 確 認 し た の が 2 8 日
午 前 1 0 時 頃 で , 1 3 時 間 以 上 を 要 し た
と い う 。 そ れ は , 病 院 に は , 夜 明 け を 待
っ て , 大 使 館 と 契 約 し て い る 民 間 警 備 会
社 の 小 銃 な ど を 携 行 す る イ ラ ク 人 警 備 員
を 同 行 し た か ら だ と い う 。 「 丸 腰 の 日 本
人 の 外 交 官 が う か つ に 近 づ け ば , 新 た な
事 件 に 巻 き 込 ま れ か ね な い 」 ( 外 務 省 幹
部 ) か ら だ と い う 。
イ ラ ク 全 土 が 戦 争 状 態 に あ り , 外 交 官 も
ジ ャ ー ナ リ ス ト も ま と も に 活 動 で き な い
劣 悪 な 治 安 状 況 に あ る こ と は , か か る 経
緯 一 つ 見 て も 明 ら に な っ て い る 。
1 0 自 衛 隊 の 活 動 と 宿 営 地 サ マ ー ワ の 情 勢
悪 化
イ ラ ク の 全 体 的 な 情 勢 に つ い て は , 前 述
し た と お り で あ る の で , 以 下 に は , 自 宿
営 地 の あ る サ マ ー ワ の 情 勢 及 び 自 衛 隊 に
対 す る 武 力 攻 撃 な ど の 推 移 に つ い て 整 理
し て お く 。
イ ラ ク 全 土 の 情 勢 悪 化 の た め に , サ マ ー
ワ か ら は , 新 聞 社 ・ 通 信 社 な ど の ス タ ッ
フ が 避 難 し , 現 在 は ほ と ん ど い な い 状 態
33
で あ る 。 こ の よ う な 中 で , 現 地 の 情 勢 判
断 や 活 動 方 針 を 誰 が ど の よ う に 決 定 し ,
チ ェ ッ ク し て い る の だ ろ う か 。 自 衛 隊 に
対 す る シ ビ リ ア ン コ ン ト ロ ー ル が 働 か な
い 状 態 に あ る こ と が 懸 念 さ れ る 。 ま た ,
自 衛 隊 の 活 動 内 容 や 現 地 の 情 勢 が 正 し く
伝 え ら れ て い る の か 危 惧 さ れ る 。
1 ) 3 月 2 7 日 , 陸 自 第 2 師 団 ( 旭 川
市 ) を 中 心 と す る イ ラ ク 派 遣 約 5 3 0
人 の サ マ ー ワ 展 開 が 完 了 。 宿 営 地 防 御
や 宿 営 地 以 外 に 出 る 復 興 支 援 任 務 隊 を
守 る 警 備 専 門 職 員 が 全 体 の 3 割 を 占 め ,
戦 闘 技 術 を 身 に つ け た レ ン ジ ャ - 課 程
修 了 者 を 大 量 に 配 置 し た 。 隊 員 に 一 時
の た め ら い が 出 る 可 能 性 が あ る と し て ,
上 司 は 武 器 使 用 を 命 ず る だ け で な く ,
使 用 の 場 合 も 率 先 す る こ と を 明 言 ( 北
海 道 新 聞 3 月 2 6 日 付 朝 刊 ) 。
2 ) 3 月 2 7 日 , サ マ ー ワ の 約 1 0 0 キ
ロ 南 の 路 上 で , イ ラ ク の 民 間 業 者 の ト
レ ー ラ ー 3 台 が , 何 者 か に 爆 撃 さ れ ,
イ ラ ク 人 1 人 が 死 亡 , 1 人 が 負 傷 し た 。
ト レ ー ラ ー は 計 3 4 台 で 走 行 し , ク ウ
ェ ー ト か ら サ マ ー ワ ま で 陸 上 自 衛 隊 の
宿 営 地 の 周 囲 に 設 置 す る コ ン ク リ ー ト
壁 を 輸 送 し て い た 。
3 ) 4 月 3 日 こ ろ ? サ マ ー ワ 周 辺 で 自
衛 隊 の 移 動 中 , 地 元 住 民 数 人 か ら 駐 留
に 抗 議 す る 投 石 を 受 け た 。 陸 上 自 衛 隊
は , 防 衛 庁 に 報 告 を 挙 げ て い な か っ た
34
と い う ( 7 日 に , 数 日 前 の こ と と し て
報 道 ) 。
4 ) 4 月 4 日 , 政 府 は , イ ラ ク の 治 安 悪
化 を 受 け て , サ マ ー ワ で の 陸 上 自 衛 隊
の 宿 営 地 外 で の 支 援 活 動 を 当 面 休 止 す
る こ と を 決 め た 。
5 ) 4 月 5 日 , サ マ ー ワ の 部 族 長 ら が 会
合 を 開 き , 市 内 で 強 硬 派 が 「 暴 徒 化 」
す る の を 食 い 止 め る よ う 住 民 に 求 め た 。
警 察 当 局 は , 検 問 を 強 化 。 陸 上 自 衛 隊
は , 宿 営 地 周 辺 の 警 戒 態 勢 を 強 め た 。
6 ) 4 月 6 日 , サ ド ル 師 支 持 者 を 代 表 す
る カ デ ィ ム ・ ア ル ワ デ ィ 師 が 「 い つ ま
で も 沈 黙 す る わ け に は い か な い 」 と ,
7 日 に も サ マ ー ワ で 「 占 領 軍 」 の 撤 退
と 主 権 の 早 期 委 譲 を 求 め る デ モ を 行 う
こ と を 明 ら か に し た ( 4 月 7 日 朝 日 新
聞 朝 刊 稲 田 信 司 記 者 報 告 ) 。
7 ) 4 月 7 日 午 後 1 1 時 1 3 分 こ ろ , 追
撃 砲 に よ る と 見 ら れ る 砲 弾 が 3 発 撃 た
れ , 陸 自 宿 営 地 の 北 側 数 百 メ ー ト ル の
地 点 に 2 発 着 弾 , 爆 発 し た 。 直 径 約 3
0 セ ン チ , 深 さ 約 1 0 セ ン チ の 穴 が 空
い た 。
宿 営 し て い る 約 5 5 0 名 の 隊 員 は , 無
事 を 確 認 し た 後 , テ ン ト か ら 出 て , 退
避 壕 や 装 輪 装 甲 車 な ど に 避 難 し た 。
8 ) 4 月 8 日 , 派 遣 部 隊 は , 未 明 か ら 宿
営 地 周 辺 を 車 輌 で 巡 回 す る な ど , こ れ
ま で 実 施 し て い な か っ た 警 戒 活 動 を 開
35
始 。 サ マ ー ワ の 治 安 を 担 当 す る オ ラ ン
ダ 軍 も , そ の 外 側 地 域 の 警 戒 に 入 っ た 。
未 明 に オ ラ ン ダ 軍 宿 営 地 周 辺 で も 破 裂
音 が あ っ た と の 未 確 認 情 報 も あ り , 陸
上 自 衛 隊 部 隊 と オ ラ ン ダ 軍 を 狙 っ た 連
続 テ ロ と の 見 方 も 出 て い る 。
9 ) 4 月 8 日 , 外 務 省 , 「 今 後 も 日 本 人
や 日 本 の 関 連 施 設 が テ ロ の 標 的 と な る
可 能 性 が あ る 」 と し て , イ ラ ク へ の 渡
航 を 見 合 わ せ , イ ラ ク 滞 在 者 に は 直 ち
に 退 避 す る よ う 改 め て 呼 び か け る 渡 航
情 報 を 出 し た 。
10 ) 4 月 8 日 , 航 空 自 衛 隊 ト ッ プ の 津 曲
義 光 航 空 幕 僚 長 が , ク ウ ェ ー ト で 記 者
会 見 を 行 う 。 C 1 3 0 輸 送 機 に よ る ク
ウ ェ ー ト ・ イ ラ ク 間 の 米 兵 や 連 合 軍 関
係 者 の 輸 送 を 実 施 し て い た こ と を 初 め
て 明 ら か に し た 。
輸 送 し た 米 兵 が 小 銃 な ど 軽 火 気 類 を 携
行 し て い た こ と も 認 め た 。
11 ) 4 月 8 日 , 午 後 1 0 時 , C P A 事 務
所 の 建 物 か ら 2 0 0 メ ー ト ル ほ ど 離 れ
た 駐 車 場 付 近 に , 小 型 ロ ケ ッ ト 弾 が 撃
ち 込 ま れ た 。 陸 自 宿 営 地 か ら 4 ~ 5 キ
ロ 離 れ た 場 所 で , 爆 発 音 は 5 回 。
陸 自 宿 営 地 で も 爆 発 音 2 回 と 断 続 的 な
銃 声 が 聞 こ え た 。
12 ) 4 月 9 日 , 陸 自 宿 営 地 に , サ マ ー ワ
市 街 地 の 東 側 に 追 撃 砲 が 設 置 さ れ て い
る と の 通 報 が オ ラ ン ダ 軍 経 由 で あ り ,
36
派 遣 部 隊 は 午 後 4 時 過 ぎ に 警 報 を 出 し ,
約 5 3 0 人 の 隊 員 と 宿 営 地 に 避 難 中 の
邦 人 記 者 ら 約 2 0 人 を 待 避 壕 な ど に 避
難 さ せ た 。 オ ラ ン ダ 軍 が 捜 索 し た が 見
つ か ら ず , 4 0 分 後 に 警 報 を 解 除 し た 。
13 ) 4 月 9 日 , イ ス ラ ム 教 シ ー ア 派 サ ド
ル 師 の 支 持 者 ら 約 3 0 0 人 が , サ マ ー
ワ に 駐 屯 す る オ ラ ン ダ 軍 へ 撤 退 な ど を
求 め デ モ を 行 っ た 。
14 ) 4 月 1 0 日 , サ マ ー ワ に 駐 留 す る オ
ラ ン ダ 軍 が , 宿 営 地 近 く で 武 器 を 積 ん
だ 車 に 乗 っ て い た 4 人 を 拘 束 し た と 発
表 し た 。 4 人 の 国 籍 は 不 明 。 車 か ら は ,
追 撃 砲 5 門 と 手 投 げ 弾 5 個 な ど が 見 つ
か っ た 。
15 ) 4 月 1 2 日 , 元 米 陸 軍 軍 医 の ア サ
フ ・ ド ラ コ ビ ッ チ 博 士 が , 東 京 の 市 民
集 会 で 報 告 。 昨 年 4 月 か ら 8 月 に か け ,
オ ラ ン ダ 軍 に 引 き 継 ぐ ま で サ マ ー ワ で
警 備 任 務 な ど に 就 い て い た 軍 曹 ( 3
7 ) ら 9 人 が , 慢 性 的 な 頭 痛 , 吐 き 気 ,
腎 不 全 , 免 疫 障 害 な ど に 悩 ま さ れ , 同
博 士 が 設 立 し た ウ ラ ニ ウ ム 医 療 研 究 セ
ン タ ー ( U M R C ) に 相 談 。
昨 年 1 2 月 に 9 人 か ら 採 尿 し て 分 析 し
た 結 果 , 9 人 中 7 人 か ら 自 然 界 で は 存
在 し な い ウ ラ ン 2 3 6 が , う ち 4 人 か
ら 他 の 劣 化 ウ ラ ン の 同 位 体 が 検 出 さ れ
た と い う 。
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16 ) 4 月 1 3 日 , 陸 上 自 衛 隊 は , 4 日 か
ら 中 断 し て い た 宿 営 地 外 で の 活 動 を 9
日 ぶ り に 再 開 す る こ と を 決 め た 。
17 ) 4 月 1 4 日 外 務 省 , イ ラ ク で 取 材 活
動 を し て い る 日 本 の 報 道 各 社 に , 記 者
を 直 ち に イ ラ ク か ら 退 避 さ せ る よ う
「 改 め て 強 く 勧 告 す る 」 と し た 文 書 を
発 表 し た 。
18 ) 4 月 1 4 日 , 同 日 午 前 , 外 国 人 の 駐
留 に 反 対 す る デ モ が あ っ た 。 主 催 者 は ,
サ マ ー ワ 工 科 専 門 学 校 と 教 育 大 学 の 学
生 約 2 0 0 名 。 「 オ ラ ン ダ 軍 と 自 衛 隊
に 告 ぐ 。 占 領 軍 の 犯 罪 行 為 は ( イ ラ
ク ) 市 民 へ の 敵 対 行 為 だ 」 な ど と 書 い
た ビ ラ を 配 り な が ら , 市 内 約 4 キ ロ を
行 進 し た 。 サ マ ー ワ で の デ モ が 自 衛 隊
に 言 及 し た の は 初 め て 。
19 ) 4 月 1 5 日 , 政 府 は , サ マ ー ワ で 陸
上 自 衛 隊 派 遣 部 隊 の 取 材 に あ た っ て い
た 邦 人 記 者 を 国 外 に 退 避 さ せ る た め ,
ク ウ ェ ー ト で 活 動 中 の 空 自 の C 1 3 0
輸 送 機 を イ ラ ク 南 部 タ リ ル 飛 行 場 に 派
遣 。 報 道 関 係 者 1 0 人 を ク ウ ェ ー ト ま
で 空 輸 し た 。 サ マ ー ワ か ら 同 飛 行 場 ま
で は , 陸 上 自 衛 隊 部 隊 が 輸 送 と 護 衛 に
あ た っ た 。 自 衛 隊 が , 自 衛 隊 法 に 基 づ
く 邦 人 輸 送 を し た の は 初 め て 。
20 ) 4 月 1 5 日 , イ ラ ク 国 内 の 戦 況 や ,
治 安 の 悪 化 を 受 け , 日 本 国 際 ボ ラ ン テ
ィ ア セ ン タ ー は 1 5 日 , バ グ ダ ッ ト に
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駐 留 さ せ て い た 日 本 人 ス タ ッ フ を 隣 国
の ヨ ル ダ ン ・ ア ン マ ン に 一 時 退 避 さ せ
る こ と を 決 め た 。 紛 争 地 や 災 害 地 に 医
師 ・ 看 護 師 を 派 遣 し て い る フ ラ ン ス の
「 メ ド ゥ サ ン ・ デ ュ ・ モ ン ド 」 ( 世 界
の 医 療 団 ) も 同 日 ま で に , イ ラ ク に 派
遣 し て い た ス ペ イ ン と フ ラ ン ス の 支 援
チ ー ム が 国 外 に 退 去 , 残 る ギ リ シ ャ チ
ー ム の 医 師 も 近 く 退 去 す る 。
21 ) 4 月 1 7 日 , サ マ ー ワ で , オ ラ ン ダ
軍 と イ ラ ク 人 グ ル ー プ の 間 で 銃 撃 戦 が
あ り , イ ラ ク 人 1 人 が 負 傷 し た ( オ ラ
ン ダ 国 防 省 発 表 ) 。
22 ) 4 月 2 0 日 , 月 2 回 程 度 発 行 さ れ る
サ マ ー ワ の 地 元 紙 「 ア ル ・ サ マ ー ワ 」
の 同 日 付 紙 面 が , 3 月 2 9 日 か ら 4 月
7 日 に か け て , 1 8 歳 以 上 の 男 女 2 0
0 0 人 を 対 象 に 聞 き 取 り 調 査 を し た 結
果 を 公 表 し た 。
そ れ に よ る と , 陸 上 自 衛 隊 駐 留 に つ い
て は , 「 支 持 」 4 9 % , 「 不 支 持 」 4
7 % , 「 日 本 部 隊 ( 陸 上 自 衛 隊 ) の 派
遣 は サ マ ー ワ の 利 益 に な る か 」 に つ い
て は , 「 い い え 」 が 5 1 % , 「 は い 」
は 4 3 % だ っ た 。 1 月 の 調 査 で は , 派
遣 に 賛 成 が 9 0 % を 超 え て い た が , 実
際 に 駐 留 が 始 ま り , 半 数 以 下 と な っ た 。
23 ) 4 月 2 0 日 午 前 3 時 こ ろ , 陸 自 宿 営
地 の 南 東 約 7 キ ロ に あ る オ ラ ン ダ 軍 宿
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営 地 に 追 撃 弾 ら し き も の が 撃 ち 込 ま れ
た 。 オ ラ ン ダ 軍 側 か ら 連 絡 を 受 け た 陸
自 派 遣 部 隊 は , 隊 員 を 宿 営 地 内 の 金 属
製 コ ン テ ナ 内 な ど へ 退 避 さ せ た 。
24 ) 4 月 2 0 日 , サ マ ー ワ の 警 察 当 局 に
よ る と , 午 前 2 時 半 頃 , サ マ ー ワ の C
P A 事 務 所 付 近 に 追 撃 弾 3 発 が 撃 ち 込
ま れ た 。
25 ) 4 月 2 5 日 午 前 3 時 1 5 分 こ ろ , サ
マ ー ワ の オ ラ ン ダ 軍 宿 営 地 近 く に , 追
撃 弾 3 発 が 着 弾 し た 。
26 ) 4 月 2 5 日 午 後 1 0 時 こ ろ , サ マ ー
ワ の 東 約 3 0 キ ロ の 検 問 所 で , 停 止 命
令 を 無 視 し て 進 も う と し た 自 動 車 に 向
け て , オ ラ ン ダ 軍 の 兵 士 が 発 砲 , 車 の
中 に い た 7 人 の 男 性 の う ち , 1 人 が 死
亡 し た 。
27 ) 4 月 2 9 日 午 前 2 時 こ ろ , 陸 自 宿 営
地 近 く に , 追 撃 弾 2 発 が 着 弾 し た 。 施
設 に 被 害 は な か っ た が , 隊 員 ら は 宿 営
地 内 の 壕 や コ ン テ ナ な ど に 一 時 退 避 し
た 。
28 ) 4 月 3 0 日 午 前 2 時 3 0 分 こ ろ , オ
ラ ン ダ 軍 宿 営 地 に , 追 撃 弾 3 発 が 打 ち
込 ま れ , 2 発 は 宿 営 地 の 敷 地 内 で 爆 発
し た 。 け が 人 は 無 か っ た が , 車 1 台 が
損 傷 し た 。
29 ) 5 月 1 0 日 , 警 備 中 の オ ラ ン ダ 軍 兵
士 4 人 に 対 し て , バ イ ク か ら 手 投 げ 弾
を 投 げ つ け る 攻 撃 が あ り , 兵 士 1 人 が
40
死 亡 , 1 人 が 重 症 を 負 っ た 。
シ ー ア 派 最 高 権 威 シ ス タ ー ニ 師 の サ マ
ー ワ で の 代 理 人 を 務 め る ア ル メ ヤ リ 師
は , 6 日 夕 の 礼 拝 時 の 説 教 で 「 悪 い 行
い を 改 め よ 」 と 呼 び か け た 。 「 悪 い 行
い 」 と は , オ ラ ン ダ 軍 部 隊 が 市 内 の 女
子 高 生 の 前 で 止 ま っ て 女 性 を じ ろ じ ろ
見 た り , 市 場 を 巡 回 し て 人 々 を 監 視 し
た り す る よ う な 行 為 だ と し , 「 改 め ね
ば デ モ を か け る 」 と 警 告 し た 。
30 ) 5 月 1 4 日 夕 方 , サ ド ル 師 支 持 の 民
兵 組 織 マ フ デ ィ 軍 が 市 中 心 部 の サ ド ル
派 事 務 所 に 集 合 , 1 5 日 に オ ラ ン ダ 軍
が 包 囲 。 銃 撃 戦 の 末 に 事 務 所 か ら 同 軍
団 を 排 除 し た 。 そ の 後 も イ ラ ク 警 察 に
銃 撃 し て 交 戦 と な り , 軍 団 側 1 人 が 死
亡 , 警 察 2 人 も 負 傷 し た 。 軍 団 は 小 型
ロ ケ ッ ト 砲 も 使 い , 中 心 部 で は 爆 発 音
が 響 き わ た っ て い た 。
イ ラ ク 戦 争 後 , 初 め て の こ と 。
31 ) 5 月 1 8 日 午 後 9 時 3 0 分 こ ろ , 警
察 筋 の 情 報 と し て , 自 衛 隊 宿 営 地 の 西
方 約 5 0 0 メ ー ト ル の 道 路 で 対 戦 車 地
雷 が 発 見 さ れ , イ ラ ク 保 安 部 隊 の 爆 弾
処 理 班 が 除 去 し た 。 地 雷 は , 新 し く 埋
設 さ れ た も の ら し く , 現 場 は 自 衛 隊 や
オ ラ ン ダ 軍 の パ ト ロ ー ル 車 も 通 過 す る
道 路 で , そ の 車 輌 を 狙 っ た 可 能 性 も あ
る と い う 。
32 ) 5 月 2 0 日 午 前 , サ マ ー ワ か ら 約 1
41
0 0 キ ロ 南 方 の タ リ ル 飛 行 場 付 近 に ,
砲 弾 が 着 弾 し た 。 追 撃 弾 数 発 が 打 ち 込
ま れ た が , 滑 走 路 な ど の 施 設 に 大 き な
損 傷 は 出 て い な い と い う 。 ク ウ ェ ー ト
に 派 遣 さ れ た 航 空 自 衛 隊 の C 1 3 0 輸
送 機 が , 物 資 や 陸 上 自 衛 隊 員 の 輸 送 に
使 っ て い る 。
33 ) 5 月 2 7 日 午 前 2 時 す ぎ , サ マ ー ワ
で , 迫 撃 砲 弾 に よ る 3 回 の 爆 発 音 が あ
っ た 。 爆 発 音 は 陸 自 派 遣 部 隊 の 隊 員 も
確 認 し た 。 宿 営 地 か ら 約 7 キ ロ 北 方 の
市 街 地 の 方 向 で 爆 発 が あ っ た と み ら れ
る 。 暫 定 占 領 当 局 ( C P A ) 事 務 所 や
警 察 署 な ど か ら ほ ぼ 5 0 0 メ ー ト ル 離
れ た 場 所 で , 2 発 の 着 弾 が 確 認 さ れ て
お り , C P A か 警 察 署 を 狙 っ た 攻 撃 と
み て 捜 査 を 進 め て い る 。 こ の 攻 撃 で 住
民 1 人 が 足 を 負 傷 し た 。 迫 撃 砲 弾 は ,
着 弾 地 点 か ら 1 キ ロ 離 れ た 住 宅 街 か ら
発 射 さ れ た 可 能 性 が 高 い 。
34 ) 5 月 3 1 日 午 前 9 時 半 こ ろ , サ マ ー
ワ 南 部 の 国 道 8 号 沿 い に 止 ま っ て い た
韓 国 製 の 小 型 バ ス が 爆 発 し た 。 近 く に
い た 男 性 が , 爆 発 で 割 れ た ガ ラ ス で 負
傷 し 病 院 に 運 ば れ た 。 爆 発 は 米 軍 車 両
十 数 台 が 通 過 し た 直 後 で , 米 軍 を 狙 っ
た 可 能 性 が あ る 。 サ マ ー ワ で 宿 営 す る
陸 上 自 衛 隊 の 車 列 も , 爆 発 か ら 十 数 分
後 に こ の 地 点 を 通 過 し た 。
オ ラ ン ダ 軍 な ど が 爆 発 現 場 を 封 鎖 , T
42
N T 火 薬 約 3 0 キ ロ が 見 つ か り , う ち
7 キ ロ 分 が 爆 発 し て い な か っ た と い う 。
35 ) 7 月 5 日 午 前 8 時 す ぎ , サ マ ー ワ 中
心 か ら 北 約 4 キ ロ の 地 点 で , 道 路 に 仕
掛 け ら れ た 爆 弾 が 爆 発 , 近 く に い た イ
ラ ク 人 1 人 が 負 傷 し た 。 米 軍 輸 送 車 両
が 通 過 し た 直 後 に 爆 発 し た と い い , 武
装 勢 力 に よ る 反 米 テ ロ の 可 能 性 が あ る 。
自 衛 隊 宿 営 地 か ら は 約 1 0 キ ロ の 地 点 。
36 ) 7 月 1 7 日 , サ マ ー ワ を 県 都 と す
る ム サ ン ナ 県 の ア ハ メ ド ・ マ ル ゾ ク 県
評 議 会 議 長 は , 日 本 外 務 省 サ マ ー ワ 事
務 所 側 と の 会 談 で , 陸 自 を 含 む 日 本 側
の 支 援 が , 県 側 の 当 初 の 期 待 を は る か
に 下 回 っ て い る と 述 べ , 失 望 感 を 表 明
し た 。
37 ) 7 月 2 0 日 , フ ィ リ ピ ン 人 を 人 質 に
し て い た 武 装 組 織 「 ハ リ ド ・ ビ ン ・ ア
ル ワ リ ド 旅 団 」 が , イ ン タ ー ネ ッ ト の
イ ス ラ ム 系 ア ラ ビ ア 語 サ イ ト で 「 日 本
政 府 も フ ィ リ ピ ン と 同 様 の 措 置 を と
れ 」 と 自 衛 隊 の 撤 退 を 求 め た 。
38 ) 8 月 3 日 , サ マ ー ワ で 活 動 す る フ
ラ ン ス の 非 政 府 組 織 ( N G O ) 「 A C
T E D 」 の イ ラ ク 人 メ ン バ ー 4 人 が 殺
害 さ れ た 。 こ の N G O は 昨 年 5 月 か ら
サ マ ー ワ で 活 動 。 多 国 籍 軍 が 資 金 援 助
す る 疾 病 予 防 の プ ロ ジ ェ ク ト な ど を 進
め て い た 。
43
39 ) 8 月 4 日 , サ マ ー ワ の 郊 外 で , 駐 留
オ ラ ン ダ 軍 の 宿 営 地 キ ャ ン プ ・ ス ミ ッ
テ ィ に 向 け ら れ た ロ ケ ッ ト 弾 と 発 射 装
置 が 発 見 さ れ た 。 ロ ケ ッ ト 弾 は 発 射 準
備 が 完 了 し て い た 。 宿 営 地 を 標 的 に し
た 攻 撃 直 前 だ っ た と み ら れ , 情 報 は オ
ラ ン ダ 軍 当 局 に も 伝 え ら れ た 。
40 ) 8 月 7 日 未 明 , サ マ ー ワ 近 郊 の ヒ ド
ル で , オ ラ ン ダ 軍 宿 営 地 か ら 約 2 キ ロ
の 幹 線 道 路 沿 い な ど に 迫 撃 弾 が 着 弾 し
た 。 宿 営 地 を 狙 っ た と み ら れ , 負 傷 者
は な か っ た 。 ム サ ン ナ 県 警 察 当 局 者 に
よ る と , オ ラ ン ダ 軍 宿 営 地 の 北 側 に あ
る 畑 の 中 か ら 発 射 さ れ た 。
41 ) 8 月 1 0 日 , サ マ ー ワ の 陸 上 自 衛 隊
宿 営 地 付 近 で 爆 発 音 が し た 事 件 で , 陸
自 隊 員 が 現 場 捜 索 し た 結 果 , 迫 撃 砲 弾
の 着 弾 点 が 3 カ 所 見 つ か っ た 。 ま た ,
尾 翼 の 部 分 や 破 片 も 多 数 発 見 さ れ た 。
同 宿 営 地 を 狙 っ た も の と さ れ る 砲 撃 事
件 は 4 月 の 2 回 に 続 い て 3 度 目 だ が ,
「 今 回 の 着 弾 点 が 最 も 近 い 」 ( 政 府
筋 ) と い う 。 防 衛 庁 に よ る と , 今 回 の
発 射 地 点 は ほ ぼ 特 定 さ れ , 着 弾 点 3 カ
所 は さ ほ ど 離 れ て い な い と い う 。
42 ) 8 月 1 4 日 , オ ラ ン ダ 国 防 省 に よ
る と , サ マ ー ワ 近 郊 で , オ ラ ン ダ 軍 の
車 両 が 銃 撃 を 受 け , 兵 士 1 人 が 死 亡 ,
5 人 が 負 傷 し た 。
43 ) 8 月 2 1 日 午 後 1 1 時 3 5 分 こ ろ ,
44
サ マ ー ワ の 陸 上 自 衛 隊 宿 営 地 付 近 に ,
砲 弾 1 発 が 着 弾 し た 。 着 弾 地 点 は 宿 営
地 か ら 約 2 キ ロ 南 方 と み ら れ る 。 宿 営
地 の 北 方 か ら 発 射 さ れ た 砲 弾 が , 宿 営
地 付 近 の 上 空 を 通 過 し , 南 方 に 着 弾 す
る の を 派 遣 部 隊 の 隊 員 が 目 撃 し た と い
う 。 陸 自 宿 営 地 を 狙 っ た 攻 撃 と 見 ら れ
る 。
サ マ ー ワ で は , 陸 自 宿 営 地 を 狙 っ た と
み ら れ る 迫 撃 砲 に よ る 攻 撃 が 3 件 発 生
し て い る が , 今 回 は こ れ ま で で 最 も 近
い 場 所 か ら 発 射 さ れ た と み ら れ る と い
う 。
44 ) 8 月 2 3 日 午 前 1 時 4 0 分 こ ろ , サ
マ ー ワ の 陸 上 自 衛 隊 宿 営 地 付 近 で , 数
回 の 爆 発 音 が し た 。 宿 営 地 か ら 北 西 に
数 百 メ ー ト ル 離 れ た 場 所 に 砲 弾 が 着 弾
し た と み ら れ る 。
45 ) 8 月 2 4 日 午 前 3 時 1 0 分 こ ろ , サ
マ ー ワ の 陸 上 自 衛 隊 宿 営 地 付 近 で 爆 発
音 が し た 。 宿 営 地 の 北 数 キ ロ の 地 点 に
砲 弾 1 発 が 着 弾 し た と み ら れ る 。
46 ) 8 月 2 5 日 , 3 日 続 け て 陸 上 自 衛 隊
を 狙 っ た と み ら れ る ロ ケ ッ ト 弾 な ど に
よ る 攻 撃 が あ っ た こ と に つ い て , ム サ
ン ナ 州 知 事 や 州 警 察 本 部 長 ら が , 謝 罪
の た め に 陸 自 宿 営 地 を 訪 れ た 。
47 ) 9 月 7 日 夜 , 在 イ ラ ク 日 本 大 使 館
の 公 用 車 を 運 ん で い た ト ラ ッ ク が , バ
ク ダ ッ ド 南 2 0 キ ロ ( 橋 田 , 小 川 両 ジ
45
ャ ー ナ リ ス ト が 襲 わ れ た 付 近 ) で 武 装
集 団 に 襲 撃 さ れ 公 用 車 を 強 奪 さ れ た 。
外 務 省 サ マ ー ワ 事 務 所 で 使 用 し て い た
防 弾 車 の ト ヨ タ 四 輪 駆 動 車 を 整 備 修 理
の た め バ ク ダ ッ ド へ 搬 送 中 で あ っ た 。
48 ) 9 月 1 1 日 午 後 9 時 こ ろ , サ マ ー ワ
で , 中 心 部 の 商 店 街 を パ ト ロ ー ル 中 の
オ ラ ン ダ 軍 の 車 両 に 何 者 か が 手 り ゅ う
弾 を 投 げ 付 け 逃 走 し た 。 手 り ゅ う 弾 は
車 内 に 投 げ 込 ま れ た が 爆 発 せ ず , 同 軍
兵 士 に 被 害 は な か っ た 。
1 1 ア ブ グ レ イ ブ 刑 務 所 に お け る イ ラ ク 人
虐 待
( 1 ) 米 軍 は , ア ブ グ レ イ ブ 刑 務 所 に お け る
イ ラ ク 人 虐 待 に つ い て , 今 年 1 月 の 内 部
告 発 に 基 づ い て 内 部 調 査 を 行 い , 3 月 に
兵 士 6 名 を 起 訴 し て い た 。 こ れ を 4 月 2
8 日 , 米 C B S が 同 報 告 中 の 証 拠 写 真 を
放 映 し , 同 じ 写 真 が 3 0 日 , 英 B B C や
ア ル ジ ャ ジ ー ラ , ア ル ア ラ ビ ア で も 流 れ ,
ア ラ ブ 連 盟 は 同 日 直 ち に 「 人 権 侵 害 の 野
蛮 な 行 為 」 と 避 難 し た 。
ア ブ グ レ イ ブ 刑 務 所 は , バ グ ダ ッ ド 中 心
部 か ら 西 約 3 0 キ ロ に 1 9 6 0 年 代 後 半
に 建 設 さ れ た 。 旧 フ セ イ ン 時 代 に は , 情
報 期 間 の 管 理 下 で 拷 問 や 処 刑 が 行 な わ れ
国 民 に お そ れ ら れ た も の で , 米 軍 ・ 占 領
軍 の 占 領 後 は , 犯 罪 者 や 武 装 勢 力 メ ン バ
ー な ど 約 8 千 人 が イ ラ ク 各 地 の 施 設 に 収
容 さ れ て い た 。 そ の 大 多 数 が ア ブ グ レ イ
46
ブ 刑 務 所 に い る と 言 わ れ て い る 。
以 下 に は , 米 軍 の 調 査 報 告 書 に 関 す る 米
ニ ュ ー ヨ ー カ ー ( 電 子 版 ) の 記 事 の 要 旨
を 掲 載 す る ( 5 月 3 日 付 朝 日 新 聞 朝 刊 に
掲 載 ) 。
ア ブ グ レ イ ブ 刑 務 所 は , 犯 罪 者 ら 数 千 人
を 収 容 。 昨 年 6 月 か ら , 陸 軍 の カ ー ピ ン
ス キ ー 予 備 役 准 将 が 責 任 者 に な っ た が ,
刑 務 所 の 管 理 経 験 は な か っ た 。 今 年 1 月 ,
准 将 は 停 職 処 分 と な り , 駐 留 米 軍 の サ ン
チ ェ ス 司 令 官 の 了 解 を 得 て 調 査 が 行 わ れ
た 。 2 月 下 旬 に 5 3 頁 の 内 部 調 査 報 告 書
を ま と め , 刑 務 所 シ ス テ ム の 欠 陥 は 重 大
で あ る と 結 論 し た 。 昨 年 1 0 月 か ら 1 2
月 の 間 に 「 サ デ ィ ス ト 的 で 露 骨 , 不 当 な
犯 罪 的 虐 待 」 が 集 中 。 こ う し た 組 織 的 な
虐 待 は , 第 3 7 2 憲 兵 中 隊 の 兵 士 と 米 情
報 機 関 関 係 者 ら が 行 っ て い た と い う 。
報 告 書 に は , リ ン を 含 む 液 体 を か け た ,
裸 に し て 冷 水 を 浴 び せ た , ほ う き の 柄 や
い す で 殴 打 し た , レ イ プ す る ぞ と 脅 し た ,
ほ う き の 柄 な ど で 性 的 暴 行 を 加 え た , 軍
用 犬 を 使 っ て 脅 し , 実 際 に 噛 み つ い た 例
も あ っ た な ど と 虐 待 内 容 が 記 さ れ て い る 。
虐 待 に は , 目 撃 証 言 や 写 真 な ど の 証 拠 が
あ り , 一 部 の 写 真 は 米 B B C テ レ ビ で 放
送 さ れ た 。 虐 待 に 関 与 し た と さ れ る 兵 士
6 人 は 訴 追 さ れ , も う 1 人 は 妊 娠 の た め ,
米 国 内 に 移 動 と な っ た 。 写 真 に は , 頭 か
ら 袋 を か ぶ せ ら れ た 裸 の イ ラ ク 人 の 性 器
47
を 女 性 兵 士 が 指 さ し て い る も の や , 裸 の
イ ラ ク 人 7 人 で つ く っ た 人 間 ピ ラ ミ ッ ド
の そ ば で 女 性 兵 士 が 笑 っ て い る も の な ど
が あ っ た 。
同 中 隊 に よ る 虐 待 は , 日 常 的 に 行 わ れ ,
自 慰 行 為 を さ せ て い る 場 面 を 目 撃 し た と
い う 証 言 も あ る 。 同 中 隊 は , 0 3 年 春 に
イ ラ ク 入 り し , 交 通 な ど を 担 当 。 1 0 月
か ら 同 刑 務 所 を 受 け 持 っ た 。 だ が , 兵 士
ら は , こ の 任 務 の 教 育 訓 練 を 受 け な か っ
た と い う 。 あ る 兵 士 は , 家 族 に あ て た 電
子 メ ー ル の 中 で , 「 ト イ レ や 水 道 , 窓 も
な い 独 房 に 裸 で 押 し 込 め , 3 日 間 放 置 す
る よ う 軍 の 情 報 担 当 者 に 指 示 さ れ た 」
「 い い 結 果 や 情 報 が 得 ら れ 『 よ く や っ
た 』 と 称 賛 さ れ た 」 と 記 述 。 米 中 央 情 報
局 ( C I A ) な ど 情 報 機 関 関 係 者 ら の 関
与 に 触 れ て い る 。 C I A 関 係 者 ら の 尋 問
が も と で 死 亡 し た イ ラ ク 人 も い る と い う 。
別 の 兵 士 は , 調 査 に 対 し , 情 報 担 当 者 ら
が 「 楽 に さ せ て や れ 」 「 い や な 夜 に し て
や れ 」 「 ち ゃ ん と も て な し て や れ 」 と 虐
待 す る よ う 示 唆 し た と 話 し , 「 彼 ら が 虐
待 を 認 め て い る と 思 っ た 」 と い う 。 報 告
書 で は , 情 報 担 当 者 ら が 「 尋 問 に ふ さ わ
し い よ う に ( イ ラ ク 人 の ) 体 力 や 精 神 状
態 を 整 え る よ う 積 極 的 に 要 請 し た 」 と 断
定 。 情 報 部 隊 の 大 佐 や 中 佐 ら 4 人 に つ い
て , 「 虐 待 に 直 接 的 , 間 接 的 な 責 任 が あ
る 疑 い 」 を 指 摘 し て い る 。
48
同 刑 務 所 に は 問 題 が 数 多 く あ り , 改 善 命
令 が 出 さ れ て い た 。 だ が , カ ー ピ ン ス キ
ー 准 将 の も と で は , 十 分 に 実 行 さ れ な か
っ た 。
( 2 ) 上 記 ア ブ グ レ イ ブ 刑 務 所 で の 虐 待 問 題
に つ い て は , 赤 十 字 国 際 委 員 会 ( I C R
C ) が 昨 年 1 0 月 か ら , 戦 争 捕 虜 の 待 遇
を 定 め た ジ ュ ネ ー ブ 条 約 に 違 反 す る と し
て 虐 待 を 中 止 す る よ う 要 求 し て き た が ,
何 の 変 化 も な か っ た と い う 。
こ の 問 題 は , 米 軍 の 戦 争 遂 行 , 占 領 政 策
の 合 法 性 に 関 わ る 重 大 な 問 題 で あ る と 同
時 に , 「 人 道 支 援 」 を 標 榜 す る 日 本 が ,
こ の よ う な 非 人 道 的 行 為 を 行 な っ て い る
米 軍 ・ 占 領 軍 に 対 し て 如 何 な る 態 度 を 取
る べ き か が 問 わ れ る 。
1 2 小 括
こ れ ま で 見 て き た と お り , イ ラ ク で は
全 土 が い ま だ に 戦 闘 状 態 で あ り , 自 衛 隊
の 駐 屯 し て い る サ マ ー ワ も ま た 例 外 で は
な い 。 自 衛 隊 の 活 動 は 現 地 の 市 民 に 受 け
入 れ ら れ て い な い ば か り か 自 衛 隊 を 狙 っ
た 攻 撃 も 繰 り 返 し 行 な わ れ て い る 。 日 本
人 を 狙 っ た 人 質 事 件 と そ の 声 明 文 に 端 的
に 示 さ れ て い る と お り , 日 本 の 自 衛 隊 は ,
イ ラ ク に お い て は 米 軍 と 一 体 と な っ て イ
ラ ク を 占 領 す る 軍 隊 で あ る と み な さ れ て
い る 。 各 国 が 撤 退 な い し 撤 退 準 備 を 進 め
る 中 , 日 本 政 府 は 米 軍 と 同 様 , 占 領 政 策
を 省 み る こ と を 知 ら な い 。
49
イ ラ ク に は , も は や ど こ に も 「 非 戦 闘
地 域 」 ( イ ラ ク 特 措 法 2 条 3 項 ) は 存 し
な い の で あ る 。
第 2 章 イ ラ ク 戦 争 , イ ラ ク 占 領 の 国 際 法 上
の 違 法 性
第 1 米 英 軍 の イ ラ ク 攻 撃
1 イ ラ ク 攻 撃 の 実 行
2 0 0 3 年 3 月 2 0 日 未 明 , 米 英 軍 は
イ ラ ク に 対 す る 爆 撃 を 開 始 し , イ ラ ク 戦 争
が 始 ま っ た 。 米 国 の ブ ッ シ ュ 大 統 領 は , 米
軍 の 最 高 司 令 官 と し て , 米 国 陸 海 空 軍 , 海
兵 隊 に 対 し , イ ラ ク に 対 す る 武 力 攻 撃 を 指
示 し , 主 要 都 市 へ の 空 爆 , 攻 略 , イ ラ ク 軍
と の 戦 闘 な ど に よ る 戦 争 を 遂 行 さ せ た 。
英 国 の ブ レ ア 首 相 も , 1 9 日 , 緊 急 閣
議 で イ ラ ク に 武 力 行 使 を 加 え る こ と を 決 定
し , 3 月 2 0 日 , 英 国 軍 に 対 し て 米 軍 と 共
に イ ラ ク に 対 す る 武 力 攻 撃 を す る よ う に 指
示 し , ブ ッ シ ュ 大 統 領 と 同 様 に 戦 争 を 遂 行
さ せ た 。
3 月 3 0 日 , 米 英 軍 は バ ス ラ , バ グ ダ
ッ ド を 連 日 空 爆 し た 。 米 英 軍 の 空 爆 に よ り ,
罪 も な い イ ラ ク の 人 々 1 万 人 が 犠 牲 に な っ
た 。 市 民 生 活 は 破 壊 さ れ , 幸 せ な 家 庭 は 崩
壊 し , イ ラ ク の 首 都 バ グ ダ ッ ト で は , 親 を
失 っ た 子 供 た ち , 子 供 を 失 っ た 親 た ち の 嘆
き が あ ち こ ち で 聞 か れ た 。
4 月 7 日 に , 米 英 軍 の 地 上 軍 は バ グ ダ
ッ ド に 突 入 し , 同 月 9 日 , 米 英 軍 は つ い に
50
バ グ ダ ッ ド を 制 圧 し , フ セ イ ン 政 権 を 崩 壊
さ せ た 。 そ れ か ら , 今 日 に 至 る ま で , 途 中
で 多 国 籍 軍 と の 呼 称 へ の 変 化 が あ っ た が ,
米 英 軍 に よ る 事 実 上 の イ ラ ク 占 領 が 続 い て
い る 。
2 戦 争 違 法 化 の 歴 史 と 武 力 攻 撃 が 認 め ら れ
る 国 際 法 上 の 例 外
中 世 ・ 近 世 ヨ ー ロ ッ パ で は , 戦 争 は 正
当 な 理 由 が あ る 場 合 に 限 り 許 さ れ る と い
う 正 戦 論 が 採 ら れ て き た 。 し か し , 三 十
年 戦 争 終 了 後 , 近 代 主 権 国 家 が 成 立 し キ
リ ス ト 教 会 の 権 威 が 衰 退 す る と , 戦 争 の
正 ・ 不 正 の 判 断 が 不 可 能 と な り 無 差 別 戦
争 観 が 採 ら れ る よ う に な っ た 。
そ こ で は , 戦 争 原 因 の 違 法 性 が 問 題
と さ れ ず 戦 争 が 合 法 化 さ れ た 反 面 , 戦 争 手
段 に つ い て の 法 的 規 制 = 戦 争 法 は 交 戦 国 双
方 に 平 等 に 適 用 さ れ な け れ ば な れ な い と さ
れ て 発 展 し た 。
し か し , 総 力 戦 だ っ た 第 1 次 世 界 大 戦
は か つ て な い 惨 禍 を 生 じ , 世 界 の 人 々 は ,
そ れ ま で の 戦 争 手 段 に つ い て の 規 制 だ け
で は 足 り な い , 戦 争 自 体 を 違 法 と し て 規
制 し な け れ ば , と 考 え る よ う に な っ た 。
そ こ で , 1 9 1 9 年 の 国 際 連 盟 規 約 は
全 て の 国 際 紛 争 を 裁 判 や 理 事 会 の 審 査 に
付 す る こ と を 連 盟 国 に 義 務 づ け , 1 9 2
8 年 の パ リ 不 戦 条 約 第 1 条 は , 「 国 家 間
の 紛 争 の 解 決 の た め に 戦 争 に 訴 え る こ と
を 非 と し , か つ 彼 ら 相 互 間 の 関 係 に お い
51
て , 国 家 政 策 の 手 段 と し て の 戦 争 を 放 棄
す る 」 と 宣 言 し た 。 そ れ が 第 2 次 世 界 大
戦 の 痛 苦 の 体 験 を 経 て 国 連 憲 章 に 結 実 し
た の で あ る 。
1 9 4 5 年 , 国 際 連 合 憲 章 は , 以 下 の よ
う に 規 定 し , 武 力 行 使 を 違 法 と し て 禁 じ
た 。
前 文 : 我 ら 連 合 国 の 人 民 は , 我 ら の
一 生 の う ち に 2 度 ま で 言 語 に 絶 す
る 悲 哀 を 人 類 に 与 え た 戦 争 の 惨 害
か ら 将 来 の 世 代 を 救 い , ・ ・ ・ ・
国 際 の 平 和 お よ び 安 全 を 維 持 す る
た め に 我 ら の 力 を 合 わ せ ・ ・ ・ る
こ と を 決 意 し ・ ・ ・ 我 ら の 努 力 を
結 集 す る こ と を 決 定 し た 。
第 1 条 【 目 的 】
1 国 際 の 平 和 お よ び 安 全 を 維 持
す る こ と 。 そ の た め に , 平 和 に
対 す る 脅 威 の 防 止 お よ び 除 去 と
侵 略 行 為 そ の 他 の 平 和 の 破 壊 の
鎮 圧 と の た め 有 効 な 集 団 的 措 置
を と る こ と 並 び に 平 和 を 破 壊 す
る に 至 る 虞 の あ る 国 際 的 の 紛 争
ま た は 事 態 の 調 整 ま た は 解 決 を
平 和 的 手 段 に よ っ て か つ 正 義 お
よ び 国 際 法 の 原 則 に 従 っ て 実 現
す る こ と 。
第 2 条 【 原 則 】
4 全 て の 加 盟 国 は , そ の
国 際 関 係 に お い て , 武 力 に よ る
52
威 嚇 ま た は 武 力 の 行 使 を , い か
な る 国 の 領 土 保 全 ま た は 政 治 的
独 立 に 対 す る も の も , ま た 国 際
連 合 の 目 的 と 両 立 し な い 他 の い
か な る 方 法 に よ る も の も 慎 ま な
け れ ば な ら な い 。
上 記 国 際 連 合 憲 章 は , 国 際 連 合 の 目 的 の
ひ と つ に 平 和 に 対 す る 脅 威 の 防 止 と 除 去
を あ げ て い る が , そ の 手 段 は , 平 和 的 で
あ る こ と と 正 義 お よ び 国 際 法 の 原 則 に 従
う こ と と し て い る ( 第 1 条 第 1 項 , 第 2
条 第 3 項 な ど )。 ま た , 加 盟 国 の 主 権 の 平
等 を 行 動 原 則 と し ( 第 2 条 第 1 項 ) , い か
な る 国 の 政 治 的 独 立 に 対 す る 武 力 に よ る
威 嚇 ま た は 武 力 の 行 使 を 禁 止 し て い る
( 第 2 条 第 4 項 )。
例 外 的 に , 軍 事 的 措 置 が 認 め ら れ る の は ,
安 全 保 障 理 事 会 が 平 和 と 安 全 の 維 持 ま た
は 回 復 の た め に , 非 軍 事 的 措 置 だ け で は
不 十 分 と 認 め た 場 合 ( 第 4 2 条 ) と 国 連 加
盟 国 に 対 す る 武 力 攻 撃 が 発 生 し た 場 合 の
個 別 的 ま た は 集 団 的 な 自 衛 権 の 行 使 ( 第
5 1 条 ) だ け で あ る 。
3 イ ラ ク 攻 撃 は 国 連 憲 章 上 認 め ら れ る か
( 1 ) イ ラ ク 攻 撃 の 理 由 と そ の 変 遷
そ れ で は , 米 英 軍 に よ る イ ラ ク 攻 撃 は
上 記 国 連 憲 章 に 照 ら し て 認 め ら れ る も の
で あ っ た の だ ろ う か 。
ア 対 テ ロ 戦 争 と い う 理 由
ま ず , ブ ッ シ ュ 大 統 領 は , イ ラ ク 戦
53
争 を 正 当 化 す る 理 由 と し て 「 対 テ ロ 戦
争 」 を 掲 げ た 。 米 国 は , 2 0 0 1 年 の
9 ・ 1 1 事 件 後 , 「 対 テ ロ 戦 争 」 を 行 う
と 称 し て ア フ ガ ニ ス タ ン を 攻 撃 し た が ,
そ の 対 象 は ア フ ガ ニ ス タ ン に と ど ま ら な
か っ た 。 「 こ の 戦 争 は , 世 界 に 手 を 広 げ
る 全 て の テ ロ 集 団 が 発 見 さ れ , 阻 止 さ れ ,
そ し て う ち 負 か さ れ る ま で 続 く で あ ろ
う 」 と 公 言 し て い た ( 2 0 0 1 年 9 月 2
0 日 両 院 合 同 会 議 で の ブ ッ シ ュ 大 統 領 の
演 説 ) 。
イ 大 量 破 壊 兵 器 保 持 と い う 理 由
そ の あ と , 2 0 0 2 年 1 月 2 9 日 の
一 般 教 書 演 説 で , ブ ッ シ ュ 大 統 領 は イ ラ
ク な ど を 「 大 量 破 壊 兵 器 を 保 持 し , 世 界
に 脅 威 を 与 え る 『 悪 の 枢 軸 』 で あ る 」 と
非 難 し て , 対 テ ロ 戦 争 の 対 象 と し て イ ラ
ク を 名 指 し す る と と も に , 大 量 破 壊 兵 器
保 持 を 攻 撃 の 理 由 に 加 え た 。
2 0 0 2 年 9 月 , 米 国 は 国 家 安 全 保
障 戦 略 ( い わ ゆ る 「 ブ ッ シ ュ ・ ド ク ト リ
ン 」 ) を 発 表 し 「 米 国 は , グ ロ ー バ ル 規
模 の テ ロ リ ス ト と 戦 っ て い る 」 と 表 明 し ,
「 な ら ず 者 国 家 お よ び テ ロ リ ス ト が ,
我 々 を 攻 撃 す る 場 合 , 通 常 の 手 段 で そ れ
を 試 み は し な い 」 「 こ れ ら の 敵 は テ ロ 行
為 を 手 段 と し て お り , ま た 大 量 破 壊 兵 器
を 使 用 す る こ と も あ り 得 る 」 と 述 べ て ,
対 テ ロ 戦 争 と 大 量 破 壊 兵 器 問 題 を 結 合 さ
せ る よ う に な っ た 。
54
9 月 1 2 日 の 国 連 総 会 で は 「 サ ダ
ム ・ フ セ イ ン は 大 量 破 壊 兵 器 を 開 発 し 続
け て い る 。 サ ダ ム ・ フ セ イ ン の 存 在 は ,
国 連 の 権 威 ・ 世 界 の 平 和 に 対 す る 脅 威 で
あ る 」 と 演 説 し た 。
そ し て , 米 英 は 9 月 か ら イ ラ ク 攻 撃
を 容 認 す る 安 保 理 決 議 の 採 択 を 求 め た が ,
世 界 的 な 反 戦 の 世 論 が 盛 り 上 が る 中 , な
か な か 決 議 は 採 択 さ れ な か っ た 。 結 局 1
1 月 8 日 , 米 国 の 求 め た も の と は 異 な り ,
イ ラ ク の 大 量 破 壊 兵 器 の 開 発 と 保 有 の 禁
止 義 務 違 反 を 認 定 す る と と も に イ ラ ク に
対 し て 大 量 破 壊 兵 器 に 関 す る 査 察 ・ 情 報
公 開 に つ い て 全 面 的 な 協 力 を 求 め , 更 な
る 査 察 を 続 け る べ き と の 安 保 理 決 議 1 4
4 1 が 全 会 一 致 で 採 択 さ れ た 。
し か し , こ の 決 議 1 4 4 1 に は , 米
国 の 要 求 も 反 映 さ れ た 。 決 議 は , イ ラ ク
に 対 し 「 即 時 , 無 妨 害 , 無 条 件 , 無 制
限 」 の 査 察 を 要 求 す る も の で , フ セ イ ン
に と っ て 実 に 厳 し い も の だ っ た 。 こ の よ
う な 条 件 を 付 け る こ と 自 体 , イ ラ ク 政 府
を 挑 発 し , 戦 争 の 口 実 を 作 ろ う と す る た
め だ っ た の で は な い か と 疑 わ れ る 。
◆ 安 保 理 決 議 1 4 4 1
国 連 憲 章 第 7 章 に 基 づ き , 2 0
0 2 年 1 1 月 8 日 に 全 会 一 致 で 採 択 さ
れ た 決 議 で あ る 。 そ の 内 容 は ,
① イ ラ ク は , 大 量 破 壊 兵 器 の
廃 棄 等 を 定 め た 決 議 6 8 7 を 含 む
55
関 連 安 保 理 決 議 に 違 反 し て い る 。
② イ ラ ク 政 府 は イ ラ ク 問 題 に 関 す
る 国 連 監 視 検 証 査 察 委 員 会 (UNMOVIC)
と 国 際 原 子 力 機 関 (IAEA) お よ び 安 保
理 に 対 し て , 3 0 日 以 内 に , 化 学 ,
生 物 お よ び 核 兵 器 , 弾 道 ミ サ イ ル
お よ び 他 の 運 搬 手 段 の 開 発 計 画 に
関 す る す べ て の 面 に お け る 完 全 な
申 告 を 提 出 す る こ と 。
③ イ ラ ク は , UNMOVIC と IAEA に
即 時 , 無 条 件 , 無 制 限 の 査 察 を さ
せ な け れ ば い け な い 。
な ど イ ラ ク 政 府 に と っ て 屈 辱 的
な も の だ っ た が , 一 方 で ,
④ こ の 問 題 に 引 き 続 き 取 り 組 む
こ と を 決 定 す る 。
と 規 定 し て い る 。 そ れ ゆ え , 安 保
理 決 議 1 4 4 1 は , 即 時 の 武 力 行 使 を
認 め た も の で は な い と 解 さ れ て い る 。
2 0 0 2 年 1 1 月 1 3 日 , フ セ イ ン
は 「 ひ ど い 内 容 で あ る が 」 と 断 っ た 上 で
国 連 決 議 受 託 を 受 け 入 れ た 。 イ ラ ク は む
し ろ 平 和 的 解 決 を 望 ん だ と い え る 。 こ れ
に 対 し , 米 国 は , イ ラ ク が 決 議 1 4 4 1
に 違 反 し て い る か ら 攻 撃 を 加 え る と 言 う
よ う に な っ た 。
2 0 0 2 年 1 2 月 7 日 , イ ラ ク が 大
量 破 壊 兵 器 に つ い て 大 量 の 「 申 告 書 」 を
提 出 し て い る に も 関 わ ら ず , パ ウ エ ル 国
務 長 官 は , イ ラ ク が 「 重 大 な 違 反 」 を 継
56
続 し て い る と 主 張 し た 。 ブ ッ シ ュ 大 統 領
は , 2 0 0 4 年 1 月 2 8 日 の 一 般 教 書 演
説 で , 「 イ ラ ク の 独 裁 者 は 武 装 を 解 除 し
て い な い 。 そ れ ど こ ろ か 我 々 を 欺 い て い
る ! 」 と 非 難 し , イ ラ ク が 核 兵 器 開 発 の
た め に ウ ラ ン を 入 手 し よ う と し た , と 述
べ た 。
ウ イ ラ ク 国 民 の 解 放 と い う 理 由
上 記 演 説 の 中 で , ブ ッ シ ュ 大 統 領 は
フ セ イ ン 政 権 が イ ラ ク 国 民 に 対 し ど れ だ
け 残 虐 な 行 為 を し て い る か に つ い て も 述
べ , そ の 打 倒 の た め に は 武 力 行 使 も 辞 さ
な い と い う 姿 勢 を 明 ら か に し た 。 こ の 段
階 に い た っ て , イ ラ ク 国 民 の 解 放 が 戦 争
の 大 義 名 分 に 加 え ら れ た の で あ る 。
エ 攻 撃 理 由 の 重 点 が 変 わ っ た こ と
1 月 3 1 日 の 米 英 首 脳 会 談 で も , ブ
ッ シ ュ 大 統 領 は , イ ラ ク は 武 装 解 除 を し
て い な い と 決 め つ け , 米 英 単 独 で も イ ラ
ク を 攻 撃 で き る と 宣 言 し た 。
2 月 5 日 , パ ウ エ ル 国 務 長 官 は , 安
保 理 外 相 級 会 合 で , 衛 星 写 真 , 録 音 テ ー
プ 等 , イ ラ ク が 大 量 破 壊 兵 器 を 保 持 し て
い る 決 議 違 反 の 「 証 拠 」 を 開 示 し た 。 そ
し て , そ の 翌 日 , ブ ッ シ ュ 大 統 領 は , こ
の 「 証 拠 」 に 基 づ き , イ ラ ク 攻 撃 を 容 認
す る 新 た な 国 連 決 議 を 要 求 し た 。 こ の
「 証 拠 」 と 称 す る も の は , 後 に 述 べ る と
お り , 実 に い い 加 減 な も の で あ っ た 。
そ れ に も 拘 わ ら ず , ブ ッ シ ュ 大 統 領
57
は , 2 0 0 3 年 3 月 1 7 日 , テ レ ビ 演 説
で 「 イ ラ ク が 引 き 続 き 危 険 な 兵 器 を 保 持
し 隠 し て い る の は 疑 い が な い 」 と , イ ラ
ク の 安 保 理 決 議 1 4 4 1 , 6 7 8 , 6 8
7 違 反 を 指 摘 し て , フ セ イ ン 大 統 領 と 息
子 た ち に 4 8 時 間 以 内 の 亡 命 を 要 求 し ,
こ れ を 拒 否 す れ ば 攻 撃 を 開 始 す る と の 最
後 通 牒 を 発 し た 。
こ の 演 説 で ブ ッ シ ュ 大 統 領 は , イ ラ
ク の 脅 威 は 明 白 だ と し , 米 国 は 自 国 の 安
全 保 障 の た め に 武 力 を 行 使 す る 主 権 を 有
す る , と 述 べ , 自 衛 権 を 主 張 し た 。
さ ら に , ブ ッ シ ュ 大 統 領 は 「 イ ラ ク
の 人 々 よ 。 暴 君 は 間 も な く い な く な る 。
あ な た 達 の 解 放 の 日 は 近 い 。 」 と 述 べ ,
イ ラ ク 解 放 を 重 要 な 理 由 と し た の で あ っ
た 。
こ の よ う に , イ ラ ク 攻 撃 の 理 由 は ,
対 テ ロ 戦 争 か ら イ ラ ク の 大 量 破 壊 兵 器 保
持 に , そ し て イ ラ ク の 民 主 化 が 付 け 加 わ
り , 攻 撃 の 理 由 の 重 点 が 少 し ず つ 変 わ っ
て き た 。
な ぜ , イ ラ ク 攻 撃 理 由 の 重 点 は 少 し
ず つ 変 わ っ て い く の だ ろ う か 。 そ れ は ,
イ ラ ク 攻 撃 が 最 初 か ら 既 定 の 路 線 だ か ら
で あ る 。 し た が っ て , イ ラ ク に 大 量 破 壊
兵 器 が な い こ と が 分 か れ ば , 攻 撃 「 理
由 」 の 重 点 を 変 え て で も , イ ラ ク 攻 撃 を
実 行 し よ う と し た の で あ る 。
以 下 で は , イ ラ ク 攻 撃 の 理 由 付 け が
58
正 し い も の で あ る か に つ い て , 個 別 に 検
討 し て い く 。
( 2 ) イ ラ ク に 査 察 協 力 を 義 務 づ け た 決 議 1
4 4 1 は 理 由 と な る か
ア 決 議 1 4 4 1 は 武 力 行 使 を 認 め て い な
い
米 英 は 決 議 1 4 4 1 違 反 を イ ラ ク 攻 撃
の 理 由 と し て い る が , こ れ は イ ラ ク 攻 撃
の 理 由 に な る だ ろ う か 。
こ の 決 議 は そ の 最 後 に 「 こ の 問 題 に 引
き 続 き 取 り 組 む こ と を 決 定 す る 」 と な っ
て お り , 武 力 行 使 の 決 定 は 行 わ れ て い な
い 。
だ か ら こ そ , 米 英 は 武 力 行 使 を 容 認
す る 新 た な 決 議 を 求 め た の で あ る 。
そ も そ も , イ ラ ク の 大 量 破 壊 兵 器 保
有 や 査 察 に 応 じ な い こ と 自 体 は , 武 力 攻
撃 を 認 め る 理 由 と は な ら な い 。 前 述 の 国
連 憲 章 の 武 力 行 使 禁 止 原 則 か ら す れ ば ,
具 体 的 に イ ラ ク が 他 国 を 攻 撃 し な け れ ば
イ ラ ク を 武 力 で 制 裁 す る こ と は お よ そ 認
め ら れ な い の で あ る 。
イ 大 量 破 壊 兵 器 は 有 っ た か
し か も , イ ラ ク が 大 量 破 壊 兵 器 を 有
し て い た と す る 証 拠 は な く , イ ラ ク の 決
議 違 反 自 体 が 存 在 し な か っ た 。
( ア ) 査 察 団 の 調 査 報 告
2 0 0 2 年 1 1 月 2 7 日 , イ ラ ク は ,
決 議 1 4 4 1 に も と づ く 査 察 を 受 け 入
れ た 。 国 際 原 子 力 機 関 (IAEA) の ボ ッ ト 査
59
察 官 や イ ラ ク 問 題 に 関 す る 国 連 監 視 検
証 査 察 委 員 会 ( UNMOVIC ) の ペ リ コ ス 査
察 官 は , 査 察 に 対 す る イ ラ ク の 協 力 を
評 価 し , 「 イ ラ ク は こ ち ら が 見 た い と
い う 物 を す べ て 見 せ た 」 と そ の 成 果 を
強 調 し た 。 そ し て , 2 0 0 3 年 1 月 9
日 , 査 察 団 の ブ リ ク ス 委 員 長 に よ っ て
査 察 の 中 間 報 告 が 行 わ れ た 。 そ の 報 告
は , イ ラ ク の 提 出 し た 申 告 書 は 世 界 の
疑 念 に 答 え る も の で は な く , な お 時 間
が 必 要 で あ る と す る も の で あ っ た が ,
一 方 で , 大 量 破 壊 兵 器 の 決 定 的 証 拠 は
な い と い う も の で あ っ た 。 そ し て , 1
月 2 7 日 に 行 わ れ た 最 終 報 告 で も , 大
量 破 壊 兵 器 の 決 定 的 な 証 拠 は 見 つ か ら
な か っ た と い う 結 論 に 変 わ り は な か っ
た 。
し か も , イ ラ ク の ア ジ ス 副 大 統 領
は , 査 察 が 延 長 さ れ れ ば 積 極 的 に 協 力
す る と 言 明 し て い た 。
( イ ) 嘘 の 情 報 , 裏 付 け の な い 証 拠
イ ラ ク が 核 兵 器 開 発 の た め に ウ ラ
ン を 入 手 し よ う と し た , と ブ ッ シ ュ 大
統 領 は 非 難 し た が , ブ ッ シ ュ 大 統 領 政
権 は 当 時 既 に こ の 情 報 の 誤 り を 知 っ て
い た こ と が 元 米 国 大 使 に よ り 明 ら か に
さ れ て い る 。
2 月 5 日 に パ ウ エ ル 国 務 長 官 が 安
保 理 に 提 出 し た 「 証 拠 」 も 内 容 の 分 か
ら な い 通 信 傍 受 テ ー プ や 裏 付 け の な い
60
偵 察 衛 星 の 写 真 に す ぎ な か っ た ( 「 ニ
ュ ー ズ ウ ィ ー ク 」 6 月 9 日 号 ) 。
( ウ ) 米 国 高 官 に よ る 暴 露
2 0 0 3 年 7 月 9 日 に 行 わ れ た 上
院 軍 事 委 員 会 公 聴 会 で ラ ム ズ フ ェ ル ド
長 官 は 「 開 戦 前 に は , イ ラ ク の 大 量 破
壊 兵 器 に つ い て 新 た な 証 拠 は 持 っ て い
な か っ た 」 と 証 言 し た 。 2 0 0 4 年 1
月 2 8 日 , 米 国 上 院 軍 事 委 員 会 で , 米
国 政 府 調 査 団 ケ イ 前 団 長 は , 大 量 破 壊
兵 器 は 無 か っ た と 明 確 に 証 言 し て い る 。
2 月 5 日 , テ ネ ッ ト CIA長 官 は , 核 兵 器
に つ い て 「 サ ダ ム の 計 画 の 進 行 を 過 大
評 価 し て い た か も し れ な い 」 と 述 べ ,
ま た 化 学 兵 器 に つ い て も 「 発 見 に い た
っ て 」 お ら ず , 生 物 兵 器 に 至 っ て は 生
産 を 開 始 し た こ と す ら 「 確 認 し て い な
い 」 と 述 べ て い る 。 ブ ッ シ ュ 大 統 領 自
身 , 同 じ 日 に サ ウ ス カ ロ ラ イ ナ 州 で 行
っ た 演 説 に お い て , 「 イ ラ ク に あ る と
思 っ て い た 備 蓄 兵 器 は な お 発 見 に 至 っ
て い な い 」 と 述 べ て い る 。
( エ ) あ い つ ぐ 大 量 破 壊 兵 器 な し の 報 告
2 0 0 4 年 7 月 9 日 に は , ア メ リ カ 上
院 情 報 特 別 委 員 会 が 報 告 書 を 発 表 し ,
「 大 量 破 壊 兵 器 が あ る と い う C I A の
報 告 は , 合 理 性 に 欠 け , 入 手 し た 情 報
に 照 ら し て も 到 底 証 明 で き な い 」 「 大
部 分 は 過 大 評 価 さ れ て い た 」 と 述 べ た 。
ま た , 7 月 1 4 日 に は , イ ギ リ ス
61
調 査 委 員 会 で も , 「 情 報 に 深 刻 な 欠 陥
が あ っ た 」 と 結 論 付 け て い る 。
さ ら に , こ れ に 先 立 つ 1 月 1 1 日
に は , オ ニ ー ル 前 ア メ リ カ 財 務 長 官 は ,
「 在 任 中 , 一 度 も 大 量 破 壊 兵 器 の 証 拠
を 見 た こ と が な い 」 と 言 い , 同 月 2 8
日 は , デ ビ ッ ト ・ ケ イ 前 ア メ リ カ 調 査
団 長 は , ア メ リ カ 議 会 で 「 大 量 破 壊 兵
器 は な か っ た 」 と 述 べ て い る 。
イ ラ ク に は 大 量 破 壊 兵 器 は な か っ
た の で あ る 。
( 3 ) 湾 岸 戦 争 時 の 安 保 理 決 議 は 理 由 と な る
か
米 英 政 府 は , た と え 決 議 1 4 4 1 が 武
力 行 使 を 容 認 し て い な く て も , 湾 岸 戦 争
に 際 し て の 武 力 行 使 を 容 認 し た 安 保 理 決
議 6 7 8 ( 1 9 9 0 年 ) , イ ラ ク の 武 装 解
除 を 湾 岸 戦 争 停 戦 の 条 件 と し た 安 保 理 決
議 6 8 7 ( 1 9 9 1 年 ) に よ っ て イ ラ ク 攻
撃 は 正 当 化 さ れ る と 主 張 し て い る ( 2 0
0 4 年 3 月 1 4 日 の ホ ワ イ ト ハ ウ ス 報 道
官 ア リ ・ フ ラ イ シ ャ ー に よ る 米 国 政 府 の
公 式 な 法 的 立 場 を 明 ら か に し た 声 明 )
ア 決 議 6 7 8 は 理 由 に な る か
た し か に , 決 議 6 7 8 は 「 そ の 地 域
に お け る 国 の 平 和 と 安 全 を 回 復 す る た め
に , 必 要 な あ ら ゆ る 手 段 を と る 権 限 を 与
え る 」 と 規 定 さ れ て は い る 。 し か し , そ
も そ も 決 議 6 7 8 は イ ラ ク の ク ウ ェ ー ト
侵 攻 の も と で 「 ク ウ ェ ー ト 政 府 に 協 力 し
62
て い る 加 盟 国 に 対 し て 」 権 限 を 与 え た も
の な の で , ク ウ ェ ー ト の 国 境 が 回 復 し た
後 は , 前 提 と な る 状 況 が 異 な っ て い る 。
◆ 安 保 理 決 議 6 7 8
1 9 9 1 年 3 月 2 日 に 採 択 さ れ
た , イ ラ ク の ク ウ ェ ー ト か ら の 撤 退 と ,
地 域 の 平 和 と 安 全 の 回 復 の た め , イ ラ
ク に 対 す る 武 力 行 使 を 認 め た 決 議 。
イ 決 議 6 8 7 は 理 由 に な る か
ま た , 決 議 6 8 7 に よ り , イ ラ ク は
核 兵 器 , 生 物 兵 器 , 化 学 兵 器 な ど の 大 量
破 壊 兵 器 の 開 発 と 保 有 を 禁 止 さ れ た が ,
そ の 違 反 が あ れ ば 1 0 年 以 上 た っ た 今 日
で も 停 戦 が 解 除 さ れ 湾 岸 戦 争 が 再 開 さ れ
る と 考 え る の は 無 理 が あ る 。 こ の 決 議 に
よ れ ば , 違 反 が あ っ て も 安 保 理 が 追 加 措
置 を 講 じ ら れ る だ け で あ る 。
そ れ に , 2 0 0 3 年 に イ ラ ク は 武 器
査 察 に 応 じ , 大 量 破 壊 兵 器 は 発 見 さ れ な
か っ た の で あ る か ら , こ れ ら の 決 議 を イ
ラ ク 攻 撃 の 根 拠 と す る こ と は で き な い の
で あ る 。
◆ 国 連 安 保 理 決 議 6 8 7 1 9 9 1 年 4 月 3 日 に 採 択 さ れ
た 停 戦 決 議 で , そ の 大 ま か な 内 容 は 下
記 の と お り で あ る 。
① イ ラ ク は , あ ら ゆ る 「 核 ・ 生 物 兵
器 , 生 物 ・ 化 学 剤 の す べ て の 在 庫 や ,
あ ら ゆ る 研 究 ・ 開 発 ・ 支 援 ・ 製 造 施
設 を , 国 際 的 監 視 の 下 で 破 壊 , 除 去 ,
63
ま た は 無 力 化 す る こ と を 無 条 件 に 受
け 入 れ る こ と 。
② イ ラ ク は , 核 兵 器 ま た は 核 兵
器 に 使 用 で き る 材 料 や 研 究 ・ 開 発 ・
製 造 施 設 を 入 手 ま た は 開 発 し な い こ
と に , 無 条 件 で 同 意 す る こ と
③ イ ラ ク は , い か な る 大 量 破 壊
兵 器 を も 使 用 , 開 発 , 建 造 , ま た は
入 手 し な い こ と 。
④ イ ラ ク は , 大 量 破 壊 兵 器 計 画
の 全 容 を 明 ら か に す る こ と 。
⑤ イ ラ ク は , テ ロ を 実 行 ま た は
支 援 し た り , テ ロ 組 織 が イ ラ ク 国 内
で 活 動 す る こ と を 許 し て は な ら な い
こ と 。
( 4 ) 対 テ ロ 戦 争 は イ ラ ク 攻 撃 の 目 的 と な る
か
ア 「 対 テ ロ 戦 争 」 と い う 正 当 化
米 国 は , イ ラ ク 攻 撃 に つ い て , 9 ・
1 1 事 件 の よ う な テ ロ 攻 撃 か ら 米 国 と 世
界 の 安 全 を 守 る た め の 対 テ ロ 戦 争 だ と も
主 張 し て い る 。
イ 「 対 テ ロ 戦 争 」 は 口 実 に 過 ぎ な い
し か し , そ の 前 提 と な る イ ラ ク と ア
ル カ イ ダ と が 結 び つ い て い る と の 主 張 は
当 初 か ら 根 拠 が 薄 弱 だ っ た 。 米 国 の 高 官
だ っ た オ ニ ー ル は , 9 ・ 1 1 事 件 以 前 か
ら 米 国 は イ ラ ク 攻 撃 を 計 画 し て お り , テ
ロ と の 闘 い と い う の が 口 実 に 過 ぎ な か っ
た こ と を 暴 露 し て い る 。
64
ま た , 9 ・ 1 1 独 立 調 査 委 員 会 の 結
論 も 「 ア ル カ イ ダ と イ ラ ク と の 間 に 何 ら
の 協 力 関 係 も な い 」 と い う も の で あ っ た 。
ウ イ ラ ク 攻 撃 は ブ ッ シ ュ 大 統 領 政 権 の 既
定 路 線 だ っ た
1 9 9 6 年 6 月 新 保 守 主 義 の 頭 脳 集
団 「 P N A C ( 米 国 新 世 紀 プ ロ ジ ェ ク
ト ) 」 が 共 和 党 内 に 設 立 さ れ , 現 在 の ラ
ム ズ フ ェ ル ド 国 防 長 官 , チ ェ イ ニ ー 副 大
統 領 , ウ ォ ル フ ォ ウ ィ ッ ツ 国 防 次 官 ら が
設 立 趣 意 書 賛 同 人 に な っ た 。 そ し て , 既
に 1 9 9 7 年 1 月 , P N A C は ク リ ン ト
ン 政 権 に イ ラ ク 攻 撃 と フ セ イ ン 政 権 打 倒
を 勧 告 し て い た の だ っ た 。
2 0 0 1 年 1 月 2 0 日 , ブ ッ シ ュ 大
統 領 が 大 統 領 に 就 任 し , そ の 政 権 内 に P
N A C の メ ン バ ー が 多 く は い る と , 直 ち
に イ ラ ク 軍 事 攻 撃 の 検 討 が 開 始 さ れ た の
で す 。 米 国 の イ ラ ク 攻 撃 は , 9 ・ 1 1 事
件 の 有 無 に か か わ ら ず 既 定 路 線 だ っ た と
い え る 。
エ 9 ・ 1 1 事 件 へ の 根 本 的 な 疑 問
と こ ろ で , ブ ッ シ ュ 大 統 領 の 対 テ ロ
戦 争 の き っ か け と な っ た 9 ・ 1 1 事 件 に
つ い て , そ も そ も 「 テ ロ 」 で あ っ た の か
に つ い て 根 本 的 な 疑 問 が 呈 さ れ て い る 。
ま ず , ペ ン タ ゴ ン ( 国 防 総 省 ) に 衝
突 し た と さ れ る ア メ リ カ ン 航 空 7 7 便 に
つ い て で あ る が , 衝 突 し た と さ れ る 旅 客
機 の 残 骸 が ど こ に も 見 つ か っ て い な い 。
65
ま た , ペ ン タ ゴ ン の 壁 を 貫 通 し た 時 に 残
さ れ た 穴 は わ ず か 4 . 8 メ ー ト ル に 過 ぎ
ず , 巨 大 な 旅 客 機 が 衝 突 し た に し て は 穴
が 小 さ す ぎ る の で あ る 。
ま た , 崩 壊 し た 世 界 貿 易 セ ン タ ー ビ
ル に 旅 客 機 が 衝 突 す る 直 前 に , 同 ビ ル の
北 棟 と 南 棟 か ら 爆 発 が 原 因 と 見 ら れ る 閃
光 が 発 し て い る 。 ま た , 同 セ ン タ ー の 第
7 ビ ル は , 旅 客 機 が 衝 突 し て も い な い の
に な ぜ か 崩 壊 し て い る の で あ る 。
さ ら に , 世 界 貿 易 セ ン タ ー ビ ル に 激
突 し た 旅 客 機 ( ユ ナ イ テ ッ ド 航 空 1 7 5
便 ) の 機 体 に つ い て , F O X テ レ ビ の レ
ポ ー タ ー が 「 飛 行 機 に は 窓 が あ り ま せ ん
で し た 。 貨 物 機 か 何 か で し ょ う か 。 空 港
で は 見 た こ と が な い 機 体 で し た 」 と コ メ
ン ト し て い る 。
以 上 の よ う に , 一 般 的 に 信 じ ら れ て
い る 「 テ ロ 」 事 件 と は , 矛 盾 す る 映 像 や
証 言 が 現 れ て き て お り , 9 ・ 1 1 事 件 が ,
イ ラ ク へ の 対 テ ロ 戦 争 に 利 用 さ れ た 可 能
性 が あ る 。
オ 戦 争 に よ り テ ロ を な く す こ と は 不 可 能
そ も そ も , 戦 争 で テ ロ は な く す こ と
は で き な い 。
テ ロ と は 何 か と い う 定 義 も 定 ま っ て
い な い が , 中 東 で は イ ラ ク 戦 争 に よ っ て
ま す ま す 反 米 感 情 が 高 ま り , イ ラ ク で も
市 民 を 巻 き 込 む 「 自 爆 テ ロ 」 と 呼 ば れ る
行 為 が 頻 発 し , 6 月 1 9 日 に も , サ ウ ジ
66
ア ラ ビ ア で ア ル カ イ ダ が 米 国 人 を 拉 致 し
て 公 開 処 刑 す る な ど の 事 件 が 起 き て い る 。
な お , イ ラ ク 民 主 化 が イ ラ ク 攻 撃 を
正 当 化 す る 理 由 と な る か に つ い て は , 占
領 に 関 す る 部 分 で 詳 し く 述 べ る こ と と す
る 。
( 5 ) 先 制 攻 撃 は 「 自 衛 」 と し て 認 め ら れ る
か
ア 先 制 攻 撃 に よ る 自 衛 と い う 米 国 の 論 理
し か も , 米 国 は 自 国 が テ ロ リ ス ト に
攻 撃 さ れ る 前 に 攻 撃 す る と 言 っ て い る 。
「 国 防 の た め に は 予 防 行 動 と , 時 に よ っ
て は 先 制 攻 撃 が 必 要 で あ る 。 あ ら ゆ る 種
類 の 脅 威 か ら , あ ら ゆ る 場 所 に お い て ,
あ ら ゆ る 時 に 米 国 を 防 衛 す る の は 不 可 能
で あ る 。 敵 に 対 す る 戦 争 こ そ が 唯 一 の 防
衛 手 段 で あ る 。 よ き 攻 撃 こ そ が 最 良 の 防
衛 な の で あ る 。 」 と い う 論 理 で あ る
( 「 国 防 報 告 」 2 0 0 2 年 8 月 1 5 日 )。
2 0 0 2 年 9 月 の 国 家 安 全 保 障 戦 略
で は 「 脅 威 が 我 々 の 国 境 に 到 達 す る 前 に
特 定 し 破 壊 す る 。 米 国 は , 国 際 社 会 の 支
持 を 得 る た め に 努 力 を 継 続 す る 一 方 , 必
要 で あ れ ば , 単 独 行 動 を た め ら わ ず , 先
制 攻 撃 を 行 う 形 で 自 衛 権 を 行 使 す る 」 と
明 言 さ れ た 。
イ 先 制 攻 撃 は 「 自 衛 」 で は な い
し か し , そ も そ も 先 制 攻 撃 は 「 自
衛 」 と は 認 め ら れ な い 。
も し , 先 制 的 自 衛 を 認 め れ ば , 結 局
67
本 件 の よ う に 嘘 の 理 由 で 恣 意 的 に 他 国 を
攻 撃 す る こ と を 許 す こ と に な っ て し ま い ,
世 界 の 平 和 の 秩 序 が 崩 壊 し て し ま う か ら
で あ る 。 実 際 , イ ラ ク 攻 撃 後 早 く も イ ン
ド の 高 官 が パ キ ス タ ン に 対 す る 軍 事 行 動
も 正 当 だ と 述 べ , 米 国 は シ リ ア , イ ラ ン
に も 脅 し を か け て い る 。
前 述 の と お り , 国 連 憲 章 は 武 力 行 使
を 原 則 と し て 禁 止 し て い る 。 例 外 的 に 武
力 行 使 が 認 め ら れ る の は , 安 保 理 決 議 に
基 づ く 強 制 措 置 の 場 合 ( 4 2 条 ) と , 自
衛 権 行 使 の 場 合 ( 5 1 条 ) に 限 ら れ る 。
国 連 憲 章 5 1 条 は , 武 力 行 使 禁 止 原
則 の 例 外 な の で , 限 定 し て 解 釈 さ れ ね ば
な ら ず , 先 制 的 自 衛 権 は 認 め ら れ な い 。
イ ラ ク は 未 だ 米 国 を 攻 撃 し て い な い
の で あ る か ら , イ ラ ク 攻 撃 は 「 自 衛 権 行
使 」 と は 認 め ら れ ず , 国 連 憲 章 に 違 反 す
る 。
「 先 制 的 自 衛 権 」 を 認 め た 過 去 の 例
も あ る が , そ れ も 「 差 し 迫 っ た 危 険 が あ
る 」 場 合 に 認 め ら れ る と す る も の で あ る 。
ブ ッ シ ュ 大 統 領 の ド ク ト リ ン で は 「 我 々
は , 差 し 迫 っ た 危 険 の 概 念 を 改 め な け れ
ば な ら な い 」 と 述 べ て い る の で , ブ ッ シ
ュ 大 統 領 自 身 , 米 国 の イ ラ ク 攻 撃 は 過 去
の 例 に 当 て は ま ら な い 「 新 し い 自 衛 権 」
だ と 認 め て い る と 言 え る 。
ア ナ ン 国 連 事 務 総 長 は , 2 0 0 3 年
9 月 2 3 日 , 国 連 総 会 で , こ の 米 国 の
68
「 新 し い 自 衛 権 」 に つ い て 演 説 し 「 こ の
論 理 は , 世 界 の 平 和 と 安 定 を , 完 全 と は
言 え な い ま で も 5 8 年 間 保 っ て き た 国 連
憲 章 の 原 則 に 対 す る 根 本 的 な 挑 戦 だ 。 こ
れ が 先 例 と な り , 大 義 名 分 の 有 無 に 係 わ
ら ず , 単 独 行 動 主 義 と 法 を 逸 脱 し た 武 力
行 使 の 拡 散 を 招 く こ と を 懸 念 す る 。 」 と
厳 し く 批 判 し て い る 。
4 国 際 社 会 は イ ラ ク 攻 撃 を 認 め て い な い
国 際 社 会 は 米 英 軍 の イ ラ ク へ の 武 力 行
使 を 認 め て い た だ ろ う か 。
米 国 ・ 英 国 は は っ き り と 武 力 行 使 を 容
認 す る 決 議 を 求 め た が , 2 月 1 5 日 に は
反 戦 運 動 の 波 が 世 界 を 覆 い , 日 本 を 含 む
世 界 4 0 0 を 超 え る 都 市 で 1 0 0 0 万 人
規 模 の 反 戦 行 動 が 起 き , フ ラ ン ス ・ 中
国 ・ ロ シ ア の 3 常 任 理 事 国 は 査 察 継 続 を
求 め た 。 そ の 結 果 , 新 た な 安 保 理 決 議 は
採 択 さ れ な か っ た の で あ る 。
そ れ に も か か わ ら ず , 米 国 は 飛 行 禁 止
区 域 で の 空 爆 を 繰 り 返 し た た め , 3 月 1
0 日 , 国 連 の ア ナ ン 事 務 総 長 が 「 安 保 理
の 承 認 の な い 攻 撃 は 国 際 法 へ の 侮 辱 で あ
り , 国 連 憲 章 に 合 致 し な い 」 と い う 警 告
ま で な し た 。
3 月 2 6 日 , 安 保 理 公 開 協 議 の 場 で ,
非 同 盟 諸 国 や ア ラ ブ 連 名 諸 国 の 代 表 は イ
ラ ク 攻 撃 を 国 際 法 違 反 と 非 難 し , フ ラ ン
ス の ド ヴ ィ ル パ ン 外 相 の イ ラ ク 攻 撃 に 反
対 す る 演 説 は 満 場 の 拍 手 を 受 け た 。
69
米 国 は 国 連 の 承 認 を と り つ け よ う と ,
途 上 国 の 理 事 国 に 対 し , 援 助 の 約 束 や 援
助 打 ち 切 り の 脅 し を か け た が , 国 際 社 会
の 意 思 は 変 わ ら な か っ た 。
国 連 の ア ナ ン 事 務 総 長 も , 9 月 1 5 日 ,
B B C 放 送 の 記 者 の イ ン タ ビ ュ ー に 答 え
た 際 , 「 イ ギ リ ス と ア メ リ カ が 去 年 3 月 ,
国 連 安 保 理 の 許 可 を 得 ず , イ ラ ク 戦 争 を
起 こ し た 。 こ れ は 国 連 憲 章 の 原 則 に 違 反
す る 行 為 で , 違 法 だ っ た 」 と 指 摘 し て い
る 。 ま た , 同 月 2 1 日 午 前 , 第 5 9 回 国
連 総 会 の 一 般 演 説 の 中 で も , イ ラ ク に お
け る 米 兵 に よ る 虐 待 問 題 に 触 れ ,「 あ ま り
に 多 く の 場 所 で , 憎 し み や 腐 敗 , 暴 力 と
排 斥 の 行 為 が 何 の と が め を 受 け る こ と も
な く 横 行 し て い る 。 弱 者 は 効 果 的 に 救 済
を 求 め る 手 段 も な く , 一 方 で 強 者 は 権 力
を 維 持 し 財 産 を 増 や す た め に 法 を ね じ 曲
げ て い る 。 時 に は , テ ロ リ ズ ム に 対 す る
必 要 な 戦 い さ え , 市 民 権 を 不 要 に 侵 し て
い る 」 と 述 べ , 間 接 的 に せ よ , イ ラ ク 戦
争 へ と 突 き 進 み , 対 テ ロ 戦 争 遂 行 の た め
に 国 内 の 市 民 権 を 脅 か し て い る ブ ッ シ ュ
政 権 を 批 判 し て い る 。
こ の よ う に , 国 際 社 会 は , 一 貫 し て 米
英 の イ ラ ク 攻 撃 に 反 対 し て き た の で あ っ
て , 米 英 の イ ラ ク 攻 撃 は 国 際 社 会 の 世 論
に 背 を 向 け る も の だ っ た 。
5 米 国 の イ ラ ク 攻 撃 の 真 の 目 的 は な に か
米 国 は さ ま ざ ま な 理 由 を つ け て イ ラ ク
70
を 攻 撃 し た 。 し か し , 米 国 の 「 本 音 」
( つ ま り , イ ラ ク 攻 撃 の 真 の 目 的 ) は 米
国 の 主 張 と は 別 の と こ ろ に あ っ た 。
( 1 ) 石 油 の 利 権
米 国 は 現 在 も 世 界 の 石 油 消 費 量 の 2
5 % 以 上 を 占 め る 最 大 の 石 油 消 費 国 で あ
り , 米 国 に と っ て 石 油 は エ ネ ル ギ ー 源 で
あ る と と も に 重 要 な 工 業 原 料 で あ る 。
5 0 年 代 か ら , 中 東 の 油 井 の 管 理 に
「 同 盟 国 , 欧 州 と 日 本 に 関 す る 拒 否 権 行
使 力 」 と い う 役 割 を 割 り 当 て 「 こ れ を 手
放 さ な い こ と が 極 め て 重 要 」 だ と 言 わ れ
て き た ( ジ ョ ー ジ ・ ケ ナ ン ) 。 1 9 9 2
年 , 米 国 国 務 省 は , 中 東 の 石 油 を 「 と て
つ も な い 戦 略 的 資 源 , 世 界 史 上 最 大 の 物
理 的 報 酬 」 と 位 置 づ け た 。
今 回 の 戦 争 で も , 米 英 軍 が ま ず 攻 略 し
た の は 南 部 の 油 田 地 帯 に 近 い バ ス ラ だ っ
た 。 北 部 の 油 田 が あ る キ ル ク ー ク に 対 し
て 同 盟 軍 の ク ル ド 人 が 侵 攻 し よ う と す る
と , 米 国 は 誤 爆 と 称 し て こ れ を 攻 撃 し た 。
ブ ッ シ ュ 大 統 領 政 権 は 石 油 産 業 と の 関
連 が 深 く , 2 0 0 1 年 の 大 統 領 就 任 は ,
石 油 コ ン ツ ェ ル ン の 寄 付 に 依 存 し た 選 挙
戦 を 展 開 し た 結 果 で あ っ た 。 ま た , 石 油
や エ ネ ル ギ ー 産 業 に 関 わ る 要 人 が ブ ッ シ
ュ 大 統 領 政 権 の 中 枢 部 に 名 前 を 連 ね て い
る 。
ブ ッ シ ュ 大 統 領 政 権 は 「 買 い や す い 石
油 」 と い う 経 済 戦 略 を 打 ち 出 し , 石 油 確
71
保 を 重 視 し て い る 。 ま た , 米 国 に 化 石 エ
ネ ル ギ ー の 消 費 削 減 を 義 務 づ け た 京 都 議
定 書 か ら 脱 退 を し た 。
こ の よ う な ブ ッ シ ュ 大 統 領 政 権 の 性 質
か ら し て も , 石 油 利 権 の 確 保 ・ 保 持 が イ
ラ ク 戦 争 の 真 の 目 的 の 1 つ だ っ た と 言 え
る 。
( 2 ) パ レ ス チ ナ と イ ス ラ エ ル
米 国 は , イ ス ラ エ ル を 米 国 の 中 東 戦 略 の
足 場 と 位 置 づ け , イ ス ラ エ ル 建 国 以 来 ,
経 済 ・ 軍 事 両 面 の 支 援 を 行 っ て き た 。 そ
こ で , イ ス ラ エ ル と 紛 争 関 係 に あ る パ レ
ス チ ナ を 米 国 の 影 響 下 に 組 み 入 れ , イ ス
ラ エ ル を 支 援 す る こ と も , イ ラ ク 攻 撃 の
目 的 と 考 え ら れ る 。
実 際 , ブ ッ シ ュ 大 統 領 自 身 , こ う 語 っ
て い る 。 「 イ ラ ク で の 民 主 化 の 成 功 は ,
中 東 和 平 の 新 た な 段 階 の 始 ま り で あ り ,
パ レ ス チ ナ の 真 の 民 主 化 も 進 め る だ ろ
う 。 ・ ・ ・ パ レ ス チ ナ は , テ ロ 行 為 を 永
遠 に 放 棄 す る 平 和 な 地 に な る に 違 い な い 。
一 方 , イ ス ラ エ ル の 新 政 権 は , テ ロ の 脅
威 が 改 善 さ れ て 安 定 化 し , 実 現 可 能 な パ
レ ス チ ナ 国 家 樹 立 を 支 援 し , で き る 限 り
早 期 に パ レ ス チ ナ の 最 終 合 意 へ と 働 き か
け る だ ろ う 。 ・ ・ ・ イ ラ ク 現 政 権 の 終 結
は , こ う し た 機 会 を 創 り 出 す こ と だ ろ
う 。 」 ( 2 0 0 3 年 3 月 2 6 日 の 演 説 )。
こ れ は , イ ラ ク 民 衆 を 無 視 し た あ ま り に
身 勝 手 な 論 理 で あ る 。
72
( 3 ) 米 国 の 軍 事 世 界 戦 略
1 9 9 1 年 の ソ 連 崩 壊 後 , 米 国 は 国 際
社 会 に お い て 「 一 極 」 「 一 超 大 国 」 と い
う 位 置 を 占 め る こ と と な っ た 。 し か し ,
そ の 一 方 で レ ー ガ ン 政 権 時 代 の 大 軍 拡 路
線 に よ っ て 米 国 自 身 の 経 済 も 破 綻 し 未 曾
有 の 経 済 危 機 に 直 面 し て い た 。 こ の 中 で
ク リ ン ト ン 政 権 は 経 済 再 建 を 最 優 先 課 題
と し , 軍 縮 と 軍 事 力 の 効 率 化 を 進 め つ つ ,
金 融 資 本 , ハ イ テ ク 資 本 を 重 視 し , 米 国
系 企 業 の 海 外 進 出 拡 大 , 国 際 金 融 機 関 の
安 定 化 - グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン を 進 め て
き た 。
こ れ に 対 し , 軍 産 複 合 体 は 生 き 残 り を
図 る べ く 買 収 ・ 合 併 を 推 し 進 め , 急 速 な
寡 占 化 ・ 独 占 化 が 進 ん だ 。
第 2 イ ラ ク 占 領
1 C P A , C J T F 7 を 通 じ た 米 英 軍 に よ
る イ ラ ク 占 領
( 1 ) 米 英 軍 に よ る イ ラ ク 占 領
2 0 0 3 年 4 月 9 日 , 米 軍 が バ グ ダ ッ
ド を 制 圧 し , 米 英 軍 は イ ラ ク の 大 部 分 を
そ の 支 配 下 に お き , 同 月 1 4 日 , 米 海 兵
隊 が テ ィ ク リ ー ト を 制 圧 し た こ と に よ っ
て , 米 英 軍 は イ ラ ク 全 土 を 制 圧 し た 。
同 年 5 月 1 日 , ブ ッ シ ュ 大 統 領 は , 主
要 な 戦 闘 の 終 結 を 宣 言 し た 。
こ こ に 「 占 領 」 と は , 「 事 実 上 敵 軍 の
権 力 内 に 帰 し た る と き 」 を い う が ( 陸 戦
73
の 法 規 慣 例 に 関 す る 条 約 4 2 条 ) , 同 年
4 月 1 4 日 以 降 , ( た と え フ セ イ ン 元 大
統 領 の 身 柄 は 拘 束 さ れ て い な く て も ) 上
記 の よ う に , イ ラ ク 全 土 は 米 英 軍 等 が 中
心 の 権 力 内 に 帰 し て い る の で , 同 日 以 降 ,
イ ラ ク 全 土 は 米 英 軍 等 に よ る 「 占 領 」 が
開 始 さ れ た こ と に な る 。
( 2 ) 米 英 軍 に よ る イ ラ ク 統 治
そ し て , 戦 闘 終 結 宣 言 後 も イ ラ ク を 違
法 に 侵 略 し た 米 英 軍 が イ ラ ク を 占 領 し て
居 座 り 続 け て い る 。
す な わ ち , 戦 闘 終 結 宣 言 後 , O R H A
( US Office of Reconstruction And Humanitarian Assistance )
が イ ラ ク を 統 治 し , そ の 後 C P A が O R
H A か ら 引 き 継 い で イ ラ ク を 統 治 し た 。
C P A と は , 正 式 名 称 を Coalition Provision
Authority ( 連 合 国 暫 定 施 政 当 局 ) と い い ,
代 表 は 米 国 の ブ レ マ ー 文 民 行 政 官 で あ る 。
代 表 が 米 国 人 で あ る こ と か ら も わ か る よ
う に , C P A は 米 英 が 主 導 権 を 握 っ て い
る 組 織 で あ る 。
同 時 に 行 政 組 織 と し て の C P A と 併 存
す る 形 で , C J T F 7 ( Coalition Joint Task
Force7 , 第 7 連 合 統 合 任 務 軍 ) が 米 英 軍 と
し て イ ラ ク 全 土 で 活 動 を 続 け た 。 連 合 軍
に は 米 英 を 中 心 に , イ タ リ ア , ス ペ イ ン ,
ブ ル ガ リ ア , デ ン マ ー ク , タ イ , ポ ー ラ
ン ド , リ ト ア ニ ア 等 が 参 加 し た 。
こ の よ う に , C P A や C J T F 7 は ,
イ ラ ク 人 に よ る 自 治 の た め の 組 織 で は な
74
い 。 国 連 も , C P A や C J T F 7 に は 全
く 関 与 し て い な い 。
2 0 0 3 年 5 月 2 2 日 , 安 保 理 決 議 1
4 8 3 が 採 択 さ れ た が , こ の 決 議 は 米 英
軍 と し て の 米 国 と 英 国 の 特 別 の 権 限 を 認
識 し , 「 当 局 」 ( 米 国 と 英 国 の 統 合 さ れ
た 司 令 部 ) は 国 際 的 に 承 認 さ れ た 代 表 政
府 が イ ラ ク 国 民 に よ り 樹 立 さ れ , 「 当
局 」 の 責 務 を 引 き 継 ぐ ま で の 間 , 権 限 を
行 使 す る と し た 。
こ れ を 受 け て , 連 合 暫 定 施 政 当 局 ( C
P A ) が 同 決 議 に 言 及 し て い る 「 当 局 」
を 構 成 す る 機 関 と し て 活 動 し た 。
そ の 後 , 2 0 0 3 年 7 月 1 3 日 , C P
A の 主 導 に よ っ て イ ラ ク 統 治 評 議 会 ( I
G C ) が 設 立 さ れ た が , 統 治 評 議 会 は C
P A の 下 部 組 織 に あ た り , C P A の 指
示 ・ 指 導 に 基 づ い て 立 法 と 行 政 を 行 う も
の に す ぎ な い 。
よ っ て , 実 質 的 に は , 米 英 軍 等 が 統 治
し て い る 状 態 で あ っ た 。
し た が っ て , 統 治 評 議 会 が 設 立 さ れ た
後 も , 「 占 領 」 が 継 続 し て い る こ と に は
変 わ り は な い の で あ る 。
◆ 安 保 理 決 議 1 4 8 3 の 概 要
米 英 の 「 当 局 」 と し て の 位 置 づ け ,
② 国 連 事 務 総 長 特 別 代 表 の 任 命 と そ の
任 務 , ③ イ ラ ク に 対 す る い わ ゆ る 経 済
制 裁 の 解 除 , ④ イ ラ ク 開 発 基 金 の 設 置 ,
⑤ オ イ ル ・ フ ォ ー ・ フ ー ド ( OFF ) 計 画
75
の 6 か 月 延 長 , の 他 , 「 イ ラ ク の 主 権
及 び 領 土 保 全 の 再 確 認 」 や 「 大 量 破 壊
兵 器 の 武 装 解 除 及 び 武 装 解 除 の 確 認 」,
「 文 化 財 の 保 護 」 な ど に つ い て 言 及 さ
れ て い る 。
2 米 英 軍 の 義 務 の 不 履 行
( 1 ) 米 英 軍 の 責 任 ・ 義 務
上 記 1 で 述 べ た よ う に , 米 英 軍 に よ る
「 占 領 」 が 開 始 さ れ , 文 民 の 保 護 に つ い
て 規 定 す る ジ ュ ネ ー ブ 第 4 条 約 ・ 同 第 1
追 加 議 定 書 な ど が 適 用 さ れ る 。
こ れ は , 上 記 安 保 理 決 議 1 4 8 3 で も
米 英 「 両 国 が 統 一 司 令 部 を 持 つ 占 領 国 群
と し て , 関 連 国 際 法 に 規 定 さ れ る 権 限 ,
責 任 お よ び 義 務 を 持 つ 」 と 明 確 に 規 定 さ
れ て い る 。
( 2 ) 米 英 軍 が 占 領 に 伴 う 責 任 ・ 義 務 を 果 た
し て い な い こ と
占 領 国 は , 食 糧 及 び 医 薬 品 の 供 給 を 確
保 し , ま た 必 要 に 応 じ て そ れ ら を 提 供 し
な け れ ば な ら な い ( ジ ュ ネ ー ブ 第 4 条 約
5 5 条 , 第 1 議 定 書 6 9 条 2 項 ) 。
2 0 0 3 年 5 月 , 国 連 は , 「 イ ラ ク 戦
争 以 前 は 約 4 % の 人 々 が 重 大 な 栄 養 失 調
の 状 態 に あ っ た が , 現 在 は 3 分 の 2 の
人 々 が 食 料 援 助 に 完 全 に 依 存 し , そ の う
ち の 4 0 % の 人 々 が 栄 養 失 調 の 状 態 に あ
る 」 と 発 表 し た 。
こ の よ う に , 米 英 軍 は 食 糧 確 保 の 責 任
を 果 た し て い な い 。
76
医 薬 品 の 供 給 も 極 め て 不 十 分 で , 多 く
の 命 が 失 わ れ て い る 。
ま た , 占 領 国 は , 伝 染 病 お よ び 疾 病 の
流 行 に 対 処 す る の に 必 要 な 予 防 的 手 段 を
採 る に あ た っ て , 利 用 で き る 手 段 を 最 大
限 に 活 用 し な け れ ば な ら な い ( 同 条 約 5
6 条 )
こ の 点 に つ い て は , 2 0 0 3 年 5 月 南
部 バ ス ラ に お い て コ レ ラ が 発 生 す る な ど ,
民 間 人 数 百 万 人 が 病 気 に さ ら さ れ た 。 こ
の 被 害 は , 米 英 軍 の 直 接 的 な 攻 撃 に よ る
も の で は な い 。 し か し , 米 英 軍 は , 発 電
施 設 を 破 壊 し , そ れ に よ っ て 民 生 用 の 水
道 供 給 が 途 絶 す る な ど , イ ラ ク の 人 々 の
生 存 の 条 件 を 脅 か し た に も か か わ ら ず ,
そ の 復 旧 に 尽 力 し て い な い 。
イ ラ ク の 人 々 の 多 く は , 水 道 施 設 が 破
壊 さ れ た た め , 汚 染 さ れ た 水 を 摂 取 し ,
そ の 結 果 命 を 落 と す 人 も 少 な く な い 。 米
英 軍 の イ ラ ク 攻 撃 , そ し て そ れ に 続 く 違
法 ・ 不 当 な 占 領 行 政 さ え な け れ ば , 多 く
の 人 は 衛 生 上 の 理 由 に よ り 命 を 失 う こ と
は な か っ た 。
米 英 軍 は , 利 用 で き る 手 段 を 最 大 限 に
活 用 す る ど こ ろ か , 不 作 為 に よ っ て コ レ
ラ 等 の 伝 染 拡 大 に 手 を 貸 し , イ ラ ク 国 民
の 生 命 を 危 機 に 陥 れ て い る 。
3 イ ラ ク 国 民 の 生 活 破 壊
米 英 軍 は , 義 務 を 果 た さ ず , ジ ュ ネ ー ブ
条 約 を 遵 守 し な い ば か り か , イ ラ ク 国 民 の
77
生 活 を 破 壊 し て い る 。
① 米 英 軍 は , 何 の 補 償 も な く , フ セ イ
ン 元 大 統 領 の 政 権 下 に お け る イ ラ ク 軍
と 警 察 を 解 体 し た ば か り で な く , 大 多
数 の バ ー ス 党 員 の 解 雇 を 行 っ た 。
② ほ と ん ど す べ て の 政 府 , 省 庁 , 工 場
な ど の 建 物 と 活 動 が 破 壊 さ れ た た め ,
大 多 数 の イ ラ ク の 公 務 員 は 仕 事 を 失 っ
た 。 イ ラ ク で の 失 業 率 は , 占 領 か ら 1
年 以 上 経 っ た 今 で も , 未 だ に 約 7 0 %
に も 及 ぶ と 言 わ れ て い た 。
③ イ ラ ク で は , フ セ イ ン 元 大 統 領 の 政
権 下 に お い て , 法 律 上 組 合 活 動 が 禁 止
さ れ て い ま し た 。 米 英 軍 は , こ の 法 律
を 適 用 し 続 け る の み で な く , ブ レ マ ー
文 民 行 政 官 は , 2 0 0 3 年 6 月 , ス ト
ラ イ キ を 教 唆 し た 者 に 対 す る 罰 則 と し
て , 占 領 当 局 に よ っ て 拘 束 さ れ 戦 争 犯
罪 人 と し て 取 り 扱 う と の , 「 禁 止 活
動 」 に 関 す る 規 則 を 発 表 し た 。
④ イ ラ ク 失 業 者 組 合 ( U U I ) は , 2
0 0 3 年 7 月 2 9 日 バ グ ダ ッ ド に お い
て , 新 し い 国 家 は , 被 占 領 地 域 に 福 利
を 提 供 す る 米 英 軍 の 義 務 に 関 す る ジ ュ
ネ ー ブ 条 約 に 従 っ て , イ ラ ク 国 民 の 社
会 的 利 益 を 保 証 し な け れ ば な ら な い 旨
要 求 す る と 共 に , ほ と ん ど 4 か 月 給 与
が 支 払 わ れ て い な い 医 師 , 教 員 , 看 護
婦 , 国 家 公 務 員 へ の 再 補 償 を 要 求 し た 。
こ れ に 対 し , 2 0 0 3 年 8 月 2 日
78
米 軍 は , 同 組 合 の カ シ ム ・ ハ デ ィ 及 び
そ の 他 5 4 人 の 組 合 指 導 者 と 組 合 員 を
逮 捕 し た 。 ま た , 2 0 0 4 年 1 月 1 0
日 , 英 軍 と 地 方 警 察 は , イ ラ ク 南 部 の
都 市 イ マ ラ に お い て 行 わ れ た , 仕 事 や
食 糧 を 要 求 す る 失 業 者 の 抗 議 行 動 に 対
し て 発 砲 し , イ ラ ク 人 6 人 を 殺 害 し ,
8 人 を 負 傷 さ せ た 。
以 上 の よ う に , 「 自 由 と 民 主 主 義 を も
た ら す た め 」 イ ラ ク を 攻 撃 し た 米 英 軍 は ,
イ ラ ク 国 民 に 不 自 由 を 強 い , 民 主 的 な 権
利 を 与 え る こ と に つ い て も 拒 否 し 続 け ,
イ ラ ク 国 民 の 生 活 を 破 壊 し 続 け て い る 。
4 人 道 支 援 活 動 の 阻 害
以 上 の よ う に , 米 英 軍 は , 占 領 に 伴 う
義 務 を 果 た さ ず , 違 法 な 行 為 を 行 い , イ
ラ ク 国 民 の 生 活 を 破 壊 し て い る 。
そ こ で , イ ラ ク 国 民 の 生 命 を 守 り , そ
の 生 活 を 支 え る た め , N G O や 国 連 等 に
よ る 人 道 支 援 活 動 が 必 要 で あ る 。
し か し , 米 英 軍 へ の 反 発 に よ る 治 安 の
悪 化 な ど か ら , 国 連 は 実 効 的 な 援 助 が で
き て い な い 。
ア ナ ン 国 連 事 務 総 長 は , 2 0 0 3 年 1
2 月 1 0 日 , 第 2 回 イ ラ ク 情 勢 報 告 に お
い て , 要 旨 以 下 の と お り 述 べ , イ ラ ク 全
土 の 治 安 状 況 の 悪 化 を 明 言 し て い る 。
「 8 月 に イ ラ ク の 全 般 的 治 安 状 況
が 劇 的 に 変 化 し ま し た 。 イ ラ ク は 新 た
な 段 階 に 入 り , す べ て の 外 国 組 織 や 連
79
合 暫 定 当 局 に 協 力 す る イ ラ ク 人 が , 意
図 的 で 直 接 的 な 敵 対 的 攻 撃 の 潜 在 的 標
的 と な り ま し た 。 こ う し た タ イ プ の 治
安 上 の 脅 威 は 予 想 さ れ て い な か っ た も
の で す 。 」
「 委 員 会 ( イ ラ ク に お け る 国 連 要
員 の 安 全 と 治 安 に 関 す る 独 立 委 員 会 )
は 1 0 月 2 0 日 に 報 告 を 提 出 し ま し た 。
そ の 結 論 は , イ ラ ク に は 危 険 が 伴 わ な
い 場 所 は あ り ま せ ん 」
「 イ ラ ク に お け る 国 連 の 今 後 の 活
動 方 法 立 案 の た め に , イ ラ ク に お け る
国 連 活 動 の 本 質 的 な 計 画 見 直 し の 全 体
を 通 じ て , 治 安 状 況 に 関 し て 以 下 の 想
定 を 念 頭 に お き ま し た 。
治 安 状 況 は 短 期 ・ 中 期 的 に 改 善 し
そ う に な い し , さ ら に 悪 化 す る か も し
れ ま せ ん 。 国 連 は , 予 見 で き る 将 来 に
わ た っ て , イ ラ ク に お け る テ ロ 活 動 の
重 要 で 衝 撃 度 の 大 き な 標 的 に さ れ る で
し ょ う 。 」
2 0 0 3 年 8 月 1 9 日 , 現 実 に , バ グ
ダ ッ ド の 国 連 現 地 事 務 所 が 攻 撃 を 受 け ,
国 連 デ モ ロ 代 表 等 が 死 亡 し た 。
以 上 の よ う に , 米 英 軍 の 政 策 へ の 反 発
に よ る 治 安 悪 化 は , 国 連 な ど に よ る 人 道
支 援 活 動 を も 困 難 に し て い る 。
5 資 源 の 収 奪
米 国 企 業 に よ る 「 復 興 事 業 」 の 独 占
イ ラ ク 復 興 事 業 は 米 国 際 開 発 局 ( U S
80
A A I D ) が 取 り 仕 切 っ て い る 。
そ の 下 で , ブ ッ シ ュ 大 統 領 の イ ラ ク 攻
撃 を 強 く 支 持 し て い た , シ ュ ル ツ 元 国 務
長 官 が 役 員 を 務 め る な ど , 米 国 政 権 と 極
め て つ な が り の 強 い 米 プ ラ ン ト 建 設 大 手
ベ ク テ ル 社 が 以 下 の よ う に 「 復 興 事 業 」
を 受 注 し た 。
① イ ラ ク の 電 気 , 水 道 な ど 社 会 資 本 復
旧 の た め の 大 規 模 事 業 を 受 注 ( 空 港 ・
港 湾 な ど の 大 型 事 業 を 含 め た 事 業 規 模
約 8 1 6 億 円 ) 。
② イ ラ ク 戦 後 復 興 第 2 期 事 業 ( 発 電 関
連 設 備 , 上 下 水 道 , 空 港 , 港 湾 施 設 の
再 建 や 維 持 が 内 容 ) を 受 注 ( 約 7 2 2
億 円 ) 。
6 主 権 の 委 譲 と 占 領 の 継 続
2 0 0 4 年 6 月 8 日 , 国 連 安 保 理 決 議
1 5 4 6 が 全 会 一 致 で 採 択 さ れ た 。
採 択 さ れ た 決 議 は 6 月 末 に 実 施 さ れ る
米 英 占 領 当 局 ( C P A ) か ら イ ラ ク 暫 定
政 府 へ の 主 権 移 譲 に 伴 い , 暫 定 政 府 に
「 完 全 主 権 」 を 保 障 す る と と も に , 米 英
軍 を 中 心 と す る 多 国 籍 軍 の 駐 留 継 続 を 確
認 し た 。 ま た , 付 属 書 簡 で , 大 規 模 な 軍
事 作 戦 に あ た り , 暫 定 政 府 の 「 国 家 安 全
保 障 委 員 会 」 で , イ ラ ク 軍 の 参 戦 の 是 非
を 判 断 す る こ と な ど を 定 め た 。
◆ 安 保 理 決 議 1 5 4 6 の 概 要
決 議 1 5 4 6 に は , ① 6 月 末 ま で
の 主 権 移 譲 の 承 認 , ② 2 0 0 5 年 1 2
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月 末 ま で の 新 憲 法 に 基 づ く 正 式 政 府 発
足 , ③ 多 国 籍 軍 の 駐 留 は 正 式 政 府 発 足
ま た は イ ラ ク 政 府 の 要 請 に よ り 終 了 ,
④ ( 石 油 収 入 を プ ー ル す る ) イ ラ ク 開
発 基 金 は イ ラ ク 政 府 が 管 理 す る , な ど
が 盛 り 込 ま れ た 上 に , 国 連 加 盟 国 に 対
し , 人 道 復 興 や 国 連 イ ラ ク 支 援 団 ( U
N A M I ) へ の 支 援 を 目 的 に 多 国 籍 軍
へ の 貢 献 を 求 め る 一 文 が 付 け 加 え ら れ
た 。
そ し て , 2 0 0 4 年 6 月 2 8 日 , 当 初
の 計 画 を 突 如 繰 り 上 げ , 米 主 導 の 占 領 機 関
で あ る 連 合 国 暫 定 当 局 ( C P A ) か ら イ ラ
ク 暫 定 政 府 に 対 し て , 主 権 が 委 譲 さ れ た 。
こ れ に よ り 暫 定 政 府 は 一 応 「 主 権 」 国 家 の
政 府 と し て 扱 わ れ る こ と に な っ た が , 駐 留
す る 米 軍 が 軍 事 と 治 安 の 中 枢 を 握 っ て お り ,
イ ラ ク 国 民 へ の 軍 事 攻 撃 を 続 け る 下 で 暫 定
政 府 が 広 範 な 国 民 の 支 持 を 得 ら れ る に い た
っ て は い な い 。
イ ラ ク 暫 定 政 府 は , 連 合 国 暫 定 当 局 任 命
の 統 治 評 議 会 出 身 者 が 主 要 ポ ス ト を 占 め て
お り , 国 連 の ブ ラ ヒ ミ 事 務 総 長 特 別 顧 問 が
目 指 し た 「 専 門 的 な 知 識 と 技 術 を も っ た 非
政 治 家 の 集 団 」 と い う 構 想 は 後 景 に 追 い や
ら れ て し ま っ た 。
ま た , 暫 定 政 府 の 実 権 を 握 る ア ラ ウ ィ 首
相 は 就 任 前 か ら 米 中 央 情 報 局 ( C I A ) と
の 深 い 関 係 を 指 摘 さ れ , 就 任 後 に は 米 軍 の
駐 留 継 続 を 繰 り 返 し 求 め て き た 。 同 首 相 は
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今 月 1 9 日 に 米 軍 が イ ラ ク 中 部 フ ァ ル ー ジ
ャ の 民 家 を 爆 撃 し 女 性 や 子 ど も な ど 2 0 人
以 上 を 殺 害 し た 際 に は 「 歓 迎 す る 」 と ま で
表 明 し て い る 。 イ ラ ク 国 民 の な か に は , 占
領 終 結 へ の 第 一 歩 と し て , 暫 定 政 権 に 期 待
す る 人 々 も い た が , 「 こ れ ま で の イ ラ ク 統
治 評 議 会 と 変 わ り な く 合 法 的 な も の と は い
え な い 」 ( イ ス ラ ム 教 ス ン ニ 派 の 有 力 組 織 ,
イ ス ラ ム 聖 職 者 協 会 ) な ど と 批 判 的 な 声 が
広 が っ て い っ た 。 最 大 の 問 題 は , イ ラ ク 国
民 や 抵 抗 勢 力 へ の 残 虐 な 弾 圧 や 武 力 攻 撃 を
続 け て い る 1 3 万 8 0 0 0 人 の 米 軍 が 多 国
籍 軍 の 中 核 と し て 居 座 り 続 け る こ と で あ る 。
パ ウ エ ル 国 務 長 官 や 多 国 籍 軍 の ケ ー シ ー 司
令 官 も , 反 政 府 勢 力 へ の 軍 事 攻 撃 を 続 け る
と 述 べ て い る 。
暫 定 政 府 の 国 防 省 に は 1 0 人 の 米 英 人
顧 問 が 常 駐 す る の を は じ め , 各 省 庁 で も 同
様 の 方 針 が 実 施 さ れ て い る 。 ア ラ ブ で は
「 暫 定 政 府 の 成 立 に し ろ , 主 権 移 譲 の 式 典
に し ろ , 米 国 が つ く り だ し た 偽 の 写 真 以 外
の 何 物 で も な い 」 ( カ タ ー ル の ア ッ シ ャ ル
ク 紙 ) な ど の 見 方 が 広 が っ て い る 。
イ ラ ク 各 地 で は 警 察 な ど を 標 的 と し た
爆 弾 攻 撃 が い っ せ い に 発 生 し , 死 者 百 人 以
上 , 負 傷 者 数 百 人 と な る 混 乱 が 続 い て い る 。
イ ラ ク 国 民 の 間 で は , テ ロ 批 判 の 一 方 で ,
混 乱 の 根 本 原 因 で あ る 米 占 領 体 制 と , 治 安
維 持 に 有 効 な 対 策 を と れ な い 暫 定 政 府 へ の
不 満 が 高 ま っ て い る 。
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7 侵 略 の 罪 該 当 性
米 英 の イ ラ ク 攻 撃 及 び 占 領 行 為 は , そ れ
ぞ れ 国 際 法 上 の 侵 略 の 罪 に 当 た る 。
( 1 ) 占 領 は 侵 略 行 為
す な わ ち , 侵 略 の 罪 を 構 成 す る 武 力 行
使 と は , 「 他 国 の 領 土 に 対 す る 武 力 に よ
る 侵 攻 ま た は 攻 撃 , た と え 一 時 的 な も の
で あ っ て も , 当 該 侵 攻 か ら 結 果 と し て 生
じ た 軍 事 的 占 領 , 他 国 ま た は そ の 一 部 の
領 域 の 武 力 行 使 に よ る 併 合 」 ( 1 9 7 4
年 国 連 総 会 決 議 3 3 1 4 ) で あ り , 軍 事
占 領 を 含 む 。
( 2 ) 人 民 の 自 決 権 の 侵 害
ま た , 侵 略 の 罪 は , 人 民 の 自 決 権 を 侵
害 す る 罪 で あ る が , 米 英 軍 な ど に よ る 軍
事 占 領 は ま さ に 人 民 自 決 権 の 侵 害 に あ た
る 。 た と え あ る 国 の 政 府 が , ど ん な に ひ
ど い 政 治 を し て い た と し て も , そ れ を 外
国 の 軍 隊 が 侵 略 ・ 転 覆 し , 自 ら に 都 合 の
良 い 新 た な 政 府 を 作 る こ と は 決 し て 許 さ
れ る も の で は な い 。
1 9 6 6 年 に 国 連 総 会 が 採 択 し た 国 際
人 権 規 約 の 共 通 第 1 条 は , 「 す べ て の
人 民 は , 自 決 の 権 利 を 有 す る 。 こ の 権 利
に 基 づ き , す べ て の 人 民 は , そ の 政 治 的
地 位 を 自 由 に 決 定 し , な ら び に そ の 経 済
的 , 社 会 的 及 び 文 化 的 発 展 を 自 由 に 追 求
す る 」 と 規 定 し た 。 自 決 権 は 集 団 と し て
の 人 民 の 権 利 で あ っ て , 人 民 を 構 成 す る
個 々 人 が 人 権 と 自 由 を 享 受 す る 前 提 条 件
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だ と し た 。
い か に フ セ イ ン 政 権 が 圧 制 を 敷 い て い
よ う と , そ の 政 権 を 打 倒 す る の は イ ラ ク
人 民 の 権 利 で あ る 。
米 軍 が , 現 在 も 軍 事 占 領 を 続 け , イ ラ
ク 人 を 誘 拐 , 監 禁 , 虐 待 , 虐 殺 す る 行 為
は , イ ラ ク 人 民 の 自 決 権 侵 害 に あ た る 。
( 3 ) 安 保 理 決 議 1 4 8 3 , 1 5 1 1 と の 関 係
た だ し , C P A や C J T F 7 の イ ラ ク
占 領 政 策 は , 国 連 安 保 理 決 議 第 1 4 8 3
号 及 び 同 第 1 5 1 1 号 を 根 拠 と し て 遂 行
さ れ た 。 そ こ で , 国 連 安 保 理 が , C P A
や C J T F 7 を 通 じ た 米 国 , 英 国 軍 な ど
に よ る イ ラ ク 占 領 を 認 め て お り , イ ラ ク
占 領 は 違 法 と な ら な い の で は な い か が 問
題 と な る 。
ア 1 . で 紹 介 し た 安 保 理 決 議 1 4 8 3 は ,
米 英 軍 と し て の 米 英 の 特 別 の 権 限 を 認 識
し , 「 当 局 」 ( 米 英 の 統 合 さ れ た 司 令
部 ) は 国 際 的 に 承 認 さ れ た 代 表 政 府 が イ
ラ ク 国 民 に よ り 樹 立 さ れ , 「 当 局 」 ( C
P A ) の 責 務 を 引 き 継 ぐ ま で の 間 , 権 限
を 行 使 す る と し た 。
イ 1 0 月 1 6 日 に 採 択 さ れ た 国 連 安 保 理
決 議 1 5 1 1 は , 暫 定 占 領 当 局 ( C P
A ) を 認 め る と 共 に , イ ラ ク の 安 全 保 障
と 安 定 維 持 の た め , 統 一 指 揮 下 に よ る 多
国 籍 軍 の 設 置 を 認 め る も の で あ る 。
ウ し か し , 決 議 1 4 8 3 は , 米 英 軍 に 安
保 理 決 議 1 4 8 3 が 米 英 軍 に 権 限 を 認 め
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る の は , 第 5 項 で 「 あ ら ゆ る 関 係 者 に 対
し , 1 9 4 9 年 の ジ ュ ネ ー ブ 条 約 及 び 1
9 0 7 年 の ハ ー グ 協 定 を は じ め と す る 国
際 法 に よ る 義 務 を 完 全 に 果 た す よ う 呼 び
か け る 」 と 規 定 し , 占 領 者 の 国 際 法 上 の
義 務 = 公 共 の 秩 序 及 び 生 活 を 回 復 確 保 す
る た め な し 得 る 一 切 の 手 段 を 尽 く す 義 務
( 1 8 9 9 年 ハ ー グ 陸 戦 規 則 4 3 条 ) を
果 た さ せ る た め で あ る 。 こ れ は , 戦 争 自
体 の 違 法 性 と 関 わ り な く 適 用 さ れ る 戦 争
手 段 に つ い て の 法 的 規 制 に 関 す る 規 程 で
あ る か ら , 決 議 1 4 8 3 が 米 英 主 導 の 占
領 自 体 を 適 法 だ と し た も の と は 言 え な い 。
仮 に , 決 議 1 4 8 3 , 1 5 1 1 が 米 英
主 導 の 占 領 枠 組 み 自 体 を 適 法 と し た と 考
え て も , 同 決 議 は 「 当 局 」 に 対 し , 安 全
で 安 定 し た 状 態 の 回 復 及 び イ ラ ク 国 民 が
自 ら の 政 治 的 将 来 を 自 由 に 決 定 で き る 状
態 の 創 出 に 向 け て 努 力 す る こ と を 含 め ,
領 土 の 実 効 的 な 施 政 を 通 じ て イ ラ ク 国 民
の 生 活 を 向 上 す る こ と を 要 請 し た も の で
あ る が , 論 じ て き た よ う に C P A に よ る
占 領 の 実 態 は , こ の 要 請 と は か け 離 れ て
い る の で , 決 議 1 4 8 3 , 1 5 1 1 に も
違 反 し , 違 法 で あ る 。
◆ 安 保 理 決 議 1 5 1 1 安 保 理 決 議 1 5 1 1 の 概 要 は 以
下 の 通 り で あ る 。
1 イ ラ ク 統 治 評 議 会 は , イ ラ
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ク の 主 権 を 体 現 す る 暫 定 政 権 の 重 要
な 組 織 で あ る 。
2 米 英 の 暫 定 占 領 当 局 ( C P
A ) に 対 し て , 可 能 な 限 り 早 く 統 治
権 限 を イ ラ ク 国 民 に 戻 す よ う 求 め ,
3 評 議 会 は , 新 憲 法 起 草 や 民
主 選 挙 実 施 の 日 程 を 1 2 月 1 5 日 ま
で に 国 連 安 保 理 に 提 示 す る 。
4 国 連 は イ ラ ク で の 人 道 支 援
や 経 済 復 興 な ど の 役 割 を 強 化 す る 。
5 イ ラ ク の 安 定 維 持 の た め ,
統 一 指 揮 下 の 多 国 籍 軍 を 設 置 , 決 議
後 1 年 以 内 に 役 割 を 見 直 す 。
お わ り に
こ れ ま で 見 て き た と お り , イ ラ ク 戦 争
終 了 後 , イ ラ ク に お け る 混 乱 は ま す ま す
深 ま り , イ ラ ク の 民 衆 だ け で は な く , 占
領 軍 に 関 し て も 犠 牲 者 が 増 え 続 け て い る
こ と が 明 ら か と な っ た 。 ま た , イ ラ ク 戦
争 は 国 際 法 上 到 底 容 認 で き な い 侵 略 戦 争
で あ り , イ ラ ク 占 領 に 際 し て も 違 法 が 横
行 し て い る こ と も ま た 明 ら か と な っ た 。
こ の よ う な 違 法 な 戦 争 , 占 領 に 加 担 し
て い る の が , 日 本 の 自 衛 隊 で あ る 。 日 本
政 府 は , 繰 り 返 し 自 衛 隊 派 兵 は 「 人 道 復
興 支 援 」 で あ る と い っ て い る が , 全 土 が
戦 闘 状 態 で あ る イ ラ ク に 派 兵 さ れ , い ま
や 多 国 籍 軍 に 参 加 し て い る こ と か ら す る
と , 国 際 法 を 遵 守 し , 日 本 国 憲 法 を 守 る
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た め に は , 即 時 の 撤 退 し か あ り え な い の
で あ る 。
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