2007 年度卒業論文 児童虐待問題の現況と解決への課題 指導教 … · 2007 年9...

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東京外国語大学外国語学部 2007 年度卒業論文 児童虐待問題の現況と解決への課題 指導教官:鈴木美弥子 学籍番号:8504059 執筆者氏名: 茂木あゆみ

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東京外国語大学外国語学部

2007 年度卒業論文

児童虐待問題の現況と解決への課題

指導教官:鈴木美弥子

学籍番号:8504059

執筆者氏名: 茂木あゆみ

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目次 序章 第 1 章 子どもの権利

第 1 節 「子ども」とは何か 第 2 節 子どもの権利

第 2 章 児童虐待の定義 第 1 節 「児童虐待」とは何か 第 2 節 性的虐待 第 3 節 身体的虐待およびネグレクト 第 4 節 心理的虐待

第 3 章 児童虐待の原因

第 1 節 なぜ児童虐待は発生するのか 第 2 節 虐待をする親のタイプ別要因 (1)育児ストレスタイプ (2)未熟タイプ (3)愛情欠如タイプ (4)抑うつタイプ (5)易怒タイプ (6)パーソナリティ障害タイプ (7)依存タイプ

第 4 章 児童虐待に関する法律

第 1 節 児童福祉法 (1)成立

(2)内容

第 2 節 児童虐待の防止等に関する法律 (1)旧児童虐待防止法

(2)児童虐待の防止等に関する法律

(3)児童虐待の防止等に関する法律の改正

第 3節 民法第 834 条親権喪失制度

(1)親権の意義・内容

(2)親権喪失の宣言

(3)ケース・スタディー

第 5 章 児童虐待問題の現況と関連諸機関の取り組み 第 1 節 児童虐待の現況

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第 2節 児童虐待問題に関わる諸機関

(1)児童相談所

(2)児童養護施設

(3)福祉事務所

(4)民生児童委員、保健所・市町村保健センター(保健婦)

(5)保育所、幼稚園、学校

(6)医療機関

(7)警察

(8)司法機関(弁護士、家庭裁判所調査官)

(9)虐待防止民間ネットワーク

第 3節 関係諸機関の連携

(1)機関連携の重要性

(2)機関連携の課題

終章

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序章 児童虐待は日本で今急激に増加しており、深刻な社会問題のうちの一つとなっている。

2007 年 9 月には、2006 年度に全国の児童相談所に寄せられた児童虐待に関する相談が

37,323 件で過去 多を更新したことが厚生労働省の調査により明らかになった。調査

を開始した 1990 年の件数と比較すると約 34 倍に増加している1。日本において児童虐

待が注目され始めたのは 1990 年頃からであり、日は浅く、未だに研究材料も研究の進

展状況も十分なものではない。しかし事実、すでに江戸時代から児童虐待とその処罰に

関して記述された文書がいくつも残されており、時代的風潮や価値観に違いはあれど長

い歴史をもっている2。それほど古くから頻発している問題であるにも関わらず、未だ

刑事判例や民事判例において児童虐待事案が公刊物に登載されることは比較的稀だと

いう。被告及び被害者のプライバシー保護がそういった情報の減少につながっているよ

うだが、同時に原因解明、大衆への注意の喚起等を困難にする要因にもなっている。厚

生労働省は、2004 年 11 月に児童虐待防止法が改正されたことにともない、毎年 11 月

を「児童虐待防止推進月間」と定めた。児童虐待問題に対する社会的関心の喚起を図る

ため、防止のための広報・啓発活動を集中的に実施しているのだ3。しかし、開始から

4 年経った今に至るまで、私自身そのような話題をテレビ、ラジオ等で耳にしたことも、

ポスターすら目にしたこともない。相次ぐ悲惨な児童虐待事件の報道に比べ、なぜ啓発

に関してはこんなにも手ぬるい活動しか行われていないのだろうか。 少子化が叫ばれている昨今、教育、医療、社会的治安等、前提として対処すべき問題

は数多く存在する。児童虐待も当然その中の一つである。 また、このテーマを選んだ背景に、私自身が体験した幼少期の親子関係も潜んでいる。

児童虐待とは何なのか、虐待という形の親子のあり方、そして児童虐待に対する現代日

本社会の反応や対応はどのようなものなのか、といったことを自ら調べ、理解すること

で自身と両親との関係を再認識し、整理して、今後の生き方に活かして生きたいという

思いからこのテーマを選んだ。 前述の通り児童虐待に対する社会的認知は全く不十分である。そこで、認知という観

点から虐待の定義とメカニズムについて考察し、次に解決のための観点から行政的取り

組みの現況と課題について研究していくことが、本論文の柱となっている。 1 厚生労働省 平成 18 年度 児童相談所における児童虐待相談対応件数等 http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv16/index.html 2 林弘正『児童虐待Ⅱ 問題解決への刑事法的アプローチ』(成文堂、2007 年)15-16 項 3 厚生労働省 児童虐待防止推進月間

http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/11/tp1101-1.html

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第 1 章 子どもの権利 第 1 節 「子ども」とは何か 子どもの権利を検証するにあたり、そもそも子どもとは何かということを把握したい。

子どもを年齢、精神的成熟度、身体的成熟度といった条件で正確に定義するというのは

非常に困難である。社会、文化、時代のあり方に大きく影響され、また、福祉的視点と

法制度的視点によっても異なる定義がされるからである。 まず日本の法制度的視点から見た「子ども」の場合、年齢を基準として定義している

ものが多く、①18 歳未満のものをさす場合、②18 歳に達する日以後の 初の 3 月 31日までの間にあるものをさす場合、③20 歳未満のものをさす場合、④年齢を定めない

場合の4つに分類できる。このように何種類にも分けられるのは、それぞれの法や権利

の目的によって適正な年齢が異なることから来る。今回のテーマと も関係が深いであ

ろう児童福祉法は①の 18 歳未満のものをさす場合に当てはまる。 次に福祉的視点から見た「子ども」はというと、こちらは①一個の独立した人格、独

立した主体、②受動的権利(社会的に守られるべき権利)と能動的権利(自分の感情・

意思・意見を表現し主張する権利)を同時に有する存在、③成長・発達する存在、と定

義されている4。 以上が、児童虐待や法的論争において考えられる「子ども」という存在の基本的定義

である。次節でその権利を具体的に見ていく。 第 2 節 子どもの権利

世界的に子どもの権利への固有の関心が高まったのは 20 世紀に入ってからである。

当初は主に学校との関係、親を中心とする家庭との関係を論じるだけで、人権全般に言

及するものではなかった。しかし 20 世紀は子どもをも巻き込んだ世界的な戦争が繰り

返され、子どもを含む多くの犠牲者を出した。それに対する反省から、より人権として

の検討がされ始め、1989 年の子どもの権利条約の成立に至った。ここでは日本におけ

る「子どもの権利」に関するものの重要部分だけを抜粋して紹介する。

まずは児童福祉法である。これは 1947 年、戦後の混乱期の中で制定されたものだが、

戦災孤児や街頭浮浪孤児などの「要保護児童」だけでなく、すべての子どもに適用され

たものだ。以下は児童福祉の原理で、これらはすべての子どもに対して常に尊重される

よう規定されている(第 3条)。

児童福祉法第 1章総則第 1~2条の抜粋

第 1条 すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努め

なければならない。

②すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。

第 2条 国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育

成する責任を負う。

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次に児童憲章があげられる。これは 1951 年の 5 月 5 日「こどもの日」に日本で初め

て子どもの権利に関する宣言として成立した。児童福祉法が法的規範であるのに対して、

この児童憲章は道義的規範といえる。

児童憲章前文

われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべて

の児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる

児童は、社会の一員として重んぜられる。

児童は、よい環境のなかで育てられる。

そして 後は子どもの権利条約である。これは 1989 年に国連で採択された。日本に

おける児童福祉の原理が子どもを受動的存在ととらえる傾向にあったのに対し、当条約

では子どもをより能動的存在として強調している。子どもの社会権、自由権が基本とな

り、市民的・政治的権利を積極的に認めている。1994 年に日本もこれを批准する。そ

れに続くかたちで 96 年に厚生省が「子ども虐待防止の手引き」を発行し、その後も次々

と政府の新しい取り組みが続いた。この条約で子どもは、自己決定し自立するために以

下の事項が保障されている。

子どもの権利条約(子どもの権利に関する規定の大意)

第 3条 「子どもの 善の利益」

第 12 条 「意見表明権」

第 13 条 「表現・情報の自由」についての権利

第 14 条 「思想・良心・宗教の自由」についての権利

第 15 条 「結社・集会の自由」についての権利

第 16 条 「プライバシー・通信・名誉の保護」についての権利 以上が、子どもの有する権利の具体的な内容である。以後この論文では、「子ども」

という存在を、これらの権利を有した 18 歳未満の者と定義して進めていく。 4 遠藤和佳子/松宮満編著『児童福祉論』(ミネルヴァ書房、2006 年)

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第 2 章 児童虐待の定義

第 1 節 児童虐待の定義 児童虐待についての理解は、文化的背景や時代背景により異相を生ずる。例えば、あ

る文化圏では少女の性器切除が文化的伝統の名の下に行われているし、また、日本では

江戸時代に 8 歳の少女の出産が記録されている。現在の日本における一般的定義として、

児童虐待の防止等に関する法律(以下「児童虐待防止法」)第 2 条による定義では、「保

護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以

下同じ。)がその監護する児童(18 歳に満たない者をいう。以下同じ。)」に対して以下

の行為をすることを言う。 ①身体に外傷が生じたりそのおそれのある暴行(身体的虐待)

②わいせつな行為をしたりさせたりすること(性的虐待)

③減食や放置などの保護者の怠慢行為(ネグレクト)

④心理的外傷を与えること(心理的虐待)

2000 年に児童虐待防止法が制定されることによって、初めて子どもの虐待がこのよ

うに明確に定義された。また 2004 年の改正では、「同居人」による虐待を保護者が放置

することがネグレクトとなることが明確化されたほか(3 号)、心理的虐待として「著

しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力」

が明記された(4号)5。

警視庁のデータで用いる児童虐待の定義もほぼ上記と同様である。2006 年の児童虐

待検挙人員は前年比 36.0%増加していて、検挙件数は 297 件だった。児童虐待の態様

別検挙人員比率は、身体的虐待 67.2%、性的虐待 23.4%、ネグレクト 9.4%だった。

中でも増加が顕著だったのはネグレクトで前年比 121.4%増加した。被害児童数は 316

名で、こちらも過去 多で前年比 38%増、そのうち死亡数は 65 名でデータ開始後 多

となった。なお、心理的虐待に関する検挙数は 1999~2006 年のデータでは 0件だった。

実際に検挙された例として、身体的虐待に関しては殺人、傷害、暴行など、性的虐待

に関しては強姦、強制わいせつ、児童福祉法違反、青少年保護育成条例違反など、ネグ

レクトに関しては保護責任者遺棄(致死を含む)、重過失致死傷などで、保護者以外の

同居人による虐待行為の放置なども含んでいる。

以下で、児童虐待の4類型を一つずつ詳細に検討していく。

第 2 節 性的虐待

はじめに、性的虐待について考察したい。性的虐待は、精神的にも肉体的にも被害者

に特に深刻な傷跡を残す行為態様で、また、学術的定義や刑事告発等において様々な問

題を抱えた、重要な形態である。

ここまで「性的虐待」と呼んできたのだが、定義や用語法に関しては様々な学説があ

り、一言で「性的虐待」とまとめるのは適切ではない。性的虐待は被害時期により臨床

的対応に差異が生じることから、その実態を明確化するために被害者が子どもの場合

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「児童期性的虐待」と用語法を分けることが適切だという。そのためこの論文では子ど

もに対する性的虐待と限定するために、以後「児童期性的虐待」と呼び方を統一する。

児童期性的虐待の内容に関して、日本において も詳細で有効な定義とされている斉

藤学教授の定義を以下に紹介する:「ある年齢までの間に当事者が成人ないし年上の他

人(親や同胞を含む)にされた性的な行為で、当事者がその行為を強制されたもの、望

まないもの、嫌悪感のわく恐いことと感じた場合いい、その行為には接触的なものと非

接触的なものとがある。上記他人は家族の者(親、兄、祖父母、それ以外の親族、養父

母、義理の同胞、など)である場合も、血のつながりや親族関係のない家族以外の人物

の場合もあり、前者を家族内性的虐待、後者を家族外性的虐待という。当事者の年齢に

ついては、家族内性的虐待では 18 歳未満、家族外性的虐待では原則として 14 歳未満と

し、強姦ないし強姦未遂については 18 歳未満とする。」

行為主体については、家庭内または家庭外の年上の者とし、児童虐待防止法第 2 条に

定義する保護者よりも広い者とする。児童虐待防止法の指す主体だけでは、保護者以外

の者による性的犯罪が多発し深刻な問題として潜在化している事実を無視することに

なり、不十分だからだ。

行為の客体である被害児は、18 歳以下の男児および女児としている。

児童期性的虐待は 4 類型のうち も顕在化しにくいもので、その主な理由は、①子ど

もが性的行為の意味を理解しておらず人に打ち明けない②何らかの不快感を覚えたと

しても、純粋な年齢の子どもは親の心情への配慮が強く打ち明けようとしない③男子児

童の場合、同性である男性からの加害行為ゆえ羞恥心や深刻なトラウマが生じ人に打ち

明けられない、等である。

例えば、仙台地裁平成 14 年 3月 29 日判決の事例では、被告男性は少なくとも 6 ヶ月

にわたり、13 歳以下の小児に対する強姦未遂、強制わいせつ、強姦致傷を繰り返して

いた。被告方には被告と幼女との強姦行為や強制わいせつ行為を収録したビデオフィル

ムが残されており、110 名前後の女児との映像が残されていたが、実際に刑事告発を行

ったのはそのうちたった 11 名のみだったという。残りの被害者たちは刑事告発に伴う

被害児の 2次被害を心配し、早く事件を忘れてしまいたいとの思いから告発を断念した

とのことである。このように問題から遠ざかろうとする態度は被害児にとって決して賢

明な選択とはいえず、問題を先送りしたに過ぎない。こうした被害の結果、男性自体に

対して不信感を抱くようになり実の父親に対してさえ嫌悪感を抱くようになる等の

PTSD に悩まされる者もいる。また、事件後もその動揺等から情緒不安定になり、成人

しても定職に就けなくなるといった継続的にカウンセリングを受けなければならない

ケースも多い。カウンセラーや自助グループ等のサポートのもと、犯罪事実を直視し、

積極的に告発を行って、被害児には何等の落ち度も無いことを確認していくことが家族

や思春期を迎える被害児にとっては不可避であり、被害回復への第一歩なのである。

しかし、同じような被害者を出したくないとの思いから正直に被害を申告したにも関

わらず、かえって近隣住民から心無い言葉をぶつけられたり、好奇の目で見られる等し

て、転居を余儀なくされた者もいる。また、被害児の供述の信憑性が低く評価されがち

だという傾向から、児童期性的虐待の事案は立証も困難だという。

被害者を支援する社会的システムはある程度構築され一定の効果をあげているよう

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だが、被害者および家族が未だこうした 2 次被害にさらされているのもまた事実である。

このことは、被害者が被害届を出せず沈黙し、潜在化する状況を生み出してしまうのみ

ならず、更に重度の PTSD を発祥させることになる。更なる社会的啓発を行うことが今

も必要な手だてのうちの一つである。

第 3 節 身体的虐待およびネグレクト

児童虐待防止法では本章第 1 節における定義を示しているが、児童虐待についての理

解は、文化的背景や時代的背景、また学説により異相を生ずる。前節同様、身体的虐待・

ネグレクトに関する斉藤学教授の定義を以下に紹介する。 身体的虐待:養育者により加えられた身体的暴行の結果、児童の損傷が生じた状態で、

以下の要件を満たすもの①非偶発的であること(単なる事故でないこと)、②反復的・

継続的であること。 ネグレクト:養育者による児童の健康と発育・発達に必要な保護、 低限の衣食住の

世話、情緒的・医療的ケア等が不足または欠落したために、児童に栄養不良、体重増加

不良、低身長、発達障害(運動・精神・情緒)等の症状が生じた状態で、以下のいずれ

かによるもの①養育の放棄・拒否、②養育の無知(養育者に育児知識または能力がない)。 家庭内でのこれら二つの虐待において、被虐待児は、その生活空間から自ら脱出する

か家庭外の者の侵入が無い限り継続的に虐待を繰り返され、死亡という 悪な状況に至

って発見されることが多い。これは、被害児が家庭の中や特定の空間(保育施設等、家

庭外の空間)にいることによりその場から逃れることのできない特殊な状況下にある点

に特徴がある。加害者は実父・実母、同居の男女、保育施設の責任者等被害者の も近

しい存在であり、防御するのも困難な状況である。特にネグレクトという行為態様によ

る児童虐待は、被害児の死亡によって初めて虐待の事実が顕在化する事例が大半である。

ネグレクトという虐待では身体的・知能的発達に深刻な影響を及ぼすため、被害児自ら

が SOS を発するのを更に困難なものにする。後述の行政的取り組みに関する章でより詳

しく考察するが、こういった発見の遅れには児童福祉施設の機能不全、関係機関(とり

わけ警察の介入と児童相談所の関係)の連携不足、司法機関の児童虐待に対する理解不

足等が関係している。

そして 大の問題は、被害者および加害者の人権への配慮から児童虐待に関する具体

的事案が公刊物に登載されることが非常に少ないために、ケース研究や国民啓発が困難

になっていることだ。死亡事件がこれほどまでに増加している事実を考慮すれば、匿名

を多用する等、彼らの人権を守る対策を万全にした上で、少しでも研究材料を豊富にし

たり、人々の意識に訴えかけるべきではないだろうか。

第 4 節 心理的虐待

心理的虐待に関する斉藤学教授の定義は以下の通りだ:「養育者により加えられた行

為により、極端な心理的外傷を受け、児童に不安・おびえ、うつ状態、凍りつくような

無感動や無反応、強い攻撃性、習慣異常等の日常生活に支障をきたす精神状態が生じた

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状態で、以下の要件を満たすもの①身体的暴行による虐待、養育の放棄・拒否による虐

待、性的暴行による虐待を含まない、②児童の行為と養育者の行動との関連が確証でき

る虐待6。」具体的には、子どもを無視したり、拒否的な態度を示す、子どもの心や自尊

心を傷つけるような言動(「お前なんか生まれなければよかった」「死んでしまえ」「ば

か」「だめな子」等のひどい言葉で罵倒し、屈辱感を与える等)を繰り返す、兄弟と著

しく差別的な扱いをする、子どもの目の前で配偶者虐待(DV)を行う等があげられる。

心理的虐待は単独で発生することは少なく、多くは身体的虐待やネグレクトに伴って

重複して発生することが多いという。行為態様から考えて、周囲が発見するのは困難で

あり、また発見されたからといって刑事的処罰の対象にするのも難しいだろう。1999

~2006 年の検挙数が 0件だったのはこうした理由からと推測される。

心理的虐待を受けた子どもは、虐待環境の下での生活による心身のストレスから成長

ホルモンの低下をきたし、低身長を起こす場合がある。また虐待行為の継続から顕著な

無気力、用心深さ等を示し、凍りついた表情を見せることもある7。

5 遠藤和佳子/松宮満編著『児童福祉論』(ミネルヴァ書房、2006 年) 6 林・前出注 2 7 徳永雅子『子ども虐待の予防とネットワーク―親子の支援と対応の手引き』(中央

法規出版、2007 年)4-5 項

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第 3章 児童虐待の原因

第 1 節 なぜ児童虐待は発生するのか

児童虐待が起こる社会背景の一つとして、都市型社会への移行が含まれることはいう

までもない。古い封建的な家族関係や地域のしがらみを解体させる役割を果したが、同

時に核家族化と家族間関係の希薄化・孤立化をもたらした8。

しかし、それを背景としながらも児童虐待が起きる原因は個々の事例によってさまざ

まである。虐待が起きやすい、いわゆる「ハイリスク家庭(例えばDV、何等かの依存

症、借金等を抱える家庭)」というものも存在するが、児童虐待は、そういった特別な

環境ではないごく普通の家庭で生じた家族機能不全の現われでもあるのだ。何か一つの

原因によって起こるわけではなく、いくつかの要因が重なったときに発生する。

虐待に至る子ども側の要因としては、親が子どもに否定的な感情をもっていたり、親

の意に添わない子どもの場合リスクが高くなる。夜泣き、ミルクを飲まない、食べない、

疳が強い、ひどい湿疹等で育てにくい子どもや、低出生体重児・双子・多胎児・障害児

で生まれて育児に手がかかる子ども、非嫡出子や養子といった望まない子ども、義父母

になつかない子ども、自分や別れた元配偶者に顔つきや性格が似ていて気が合わない子

ども等も親の意に反するとして虐待を受けやすい。

親の要因については、虐待している親のタイプを 7 つに分類し、次節で詳細に検討し

ていく。主に①育児ストレスタイプ、②未熟タイプ、③愛情欠如タイプ、④抑うつタイ

プ、⑤易怒タイプ、⑥パーソナリティ障害(人格障害)タイプ、⑦依存タイプと大別さ

れ、タイプによって児童虐待をするにいたるメカニズムや特徴が異なると思われる9。

第 2 節 虐待をする親のタイプ別要因 (1)育児ストレスタイプ

育児ストレスタイプは母親がほとんどで、学歴も高く、育児に熱心な“パーフェクト・

マザー(完璧な母)”を目指していることが多い。主たる虐待行為として、身体的な暴

行や言葉による暴言で心を傷つけ、ストレスを解消すること等があげられる。

母親は、思春期・青年期はどちらかというと勉学主体の生活で、就職しても食事の支

度、部屋の掃除、洗濯というような身の回りのことは親が面倒を見てくれていたことが

多い。独身で働いていたときは充実感があり、会社や上司からも認められて評価されて

きたという思いや経験がある。結婚を機に退職して専業主婦になってからは、一生懸命

に“良い妻”を演じ、家事も手抜きしないで頑張ってきた。家事も育児もしっかりやる

完璧な主婦でありたいという思いが強い人たちである。

専業主婦は家事・育児をやるのは当たり前だといわれ、周りは誰も認めてくれないし

褒めてもくれない。日中子どもだけといると、話をする人も身近にいない、いったい何

のために自分がいるのか等と、アイデンティティに疑問をもつようになる。

また、育児ストレスになるのは母親だけの問題ではなく、子どもの育てやすさや性格

等も関係してくる。前述の“育てにくい子ども”の場合は誰でも対処するのが大変で、

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親は言うことを聞かせたいという欲求が起こり、思うようにいかない悪循環から子ども

に手を上げることも出てくる。さらに、父親がどう協力してくれるかもこのタイプには

大きな要素になっている。父親の性格が細かい、潔癖や完璧主義、母親が話しかけても

聞いて受け止めてくれない、会話がすれ違うとか会話が少ない等、夫婦のコミュニケー

ションの度合いもストレス要因になっている。

〔事例1〕仙台地裁平成 14 年 4 月 24 日判決10

本事例は、育児に自身を失い、「心因反応性抑うつ」状態になった母親が、自殺念慮

のなか生後 50 日の長男を殺害し、殺人罪に問われ懲役 3 年執行猶予 5 年に処せられた

事案である。

被告は、平成 13 年 11 月 14 日午前 10 時頃、被告方居間で就寝中の長男A(当時生後

50 日)を抱いて風呂場まで運び、同所において殺意を持ってAの身体をつかんで全身

を浴槽の水中に数回沈め、続いて同児を抱いて立ったまま手を離して同所洗い場のタイ

ル張りの床に落下させ、さらに、前同様に同児の全身を浴槽の水中に数回沈めて溺れさ

せる等して、同児を溺水により窒息死させて殺害した。

被告が育児ノイローゼという心理状態になったのは、母親としての育児に対する自信

喪失と、周囲から非難されているという自責感が起因していることが解明された。被告

は、このような心理状態のなかで自殺念慮を抱き、車ごと転落することや包丁によるリ

ストカットを試みている。しかし、こうした自殺行為が容易に果たせなかったことから

とっさに犯意を生じて犯行に及んだと裁判所は判示する。

被告はそれまで、子どもが簡単に泣きやまないことについて夫や義母等からのアドバ

イスも受け、保健婦や医師へも相談し、犯行数日前にも実母や夫に育児への不安感を伝

える等、被告なりに状況を改善しようと努力しており、周囲からのサポートにも比較的

恵まれていた。しかし、その環境ゆえに自身に対する病識を抱くことがなく、「心因反

応性抑うつ」状態の進行を食い止めることができなかった。これを改善するには、精神

科もしくは心療内科での受診と適切な投薬が も必要であった。育児ノイローゼに対す

る適切なサポートのあり方を周囲も再確認する必要がある。

(2)未熟タイプ

未熟とは、生活基盤も脆弱で、育児知識や育児体験がないままに妊娠・出産し、親と

しての責任や自覚(親準備性)も低いため、子どもを安全に育てられないという親のこ

とである。未熟タイプの主たる虐待は養育の放任や怠慢で、知的遅れがある、統合失調

症やてんかんを患っている、若年で妊娠・出産、発達障害がある親等に散見される。こ

れらの人全てに虐待が見られるわけではなく、家族関係、生育歴、パートナーとの関係、

病状など、養育困難を起こしやすいいくつかの因子が組み合わさった場合に起こる。誰

もが育児スキルを身につけて子どもを産むわけではなく、親としての責任も子どもが生

まれてから徐々に育っていくのであるが、未熟タイプはそれがうまくいかない人である。

また家事全般の能力も低いため、日常生活の暮らし方への周囲からの支援・フォローが

なければ子どもを安全に育てるのも難しくなる。

未熟タイプは、子どもに対する怒りはあまりないが、子どもの生理的発達過程を知ら

ないのでどう育てたらいいのか分からない。親からの被虐待経験にはあまり左右されな

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いようで、学習能力の問題や年齢的な未熟さによるものが大きい。そのため人とのかか

わりをもつことはできるので、援助者が誠意をもって接すれば家庭訪問や助言なども素

直に受け入れ、困ったときには自分から相談するようにもなってくる。

〔事例 2〕広島高裁岡山支部平成 16 年 1月 28 日判決11

本事例は、母親である被告(51 歳)が実子(当時 11 歳)に十分な栄養や医師の治療

を受けさせるなどの生存に必要な措置をとらず飢餓状態のもの衰弱により餓死させた

として保護責任者遺棄致死罪に問われ、懲役 2 年 4 月の実刑に処せられた事案である。

被告は高校卒業後、信用金庫などに勤務し、昭和 50 年 4 月男性との間に 1 子をもう

け結婚したが、後に離婚し同児を両親の養子とした。その後、被告は被害者の父となる

男性と同棲し、平成 3年に被害者Bを出産したが、その後同男性とは離別した。被告は

平成 5年頃、Bを連れて神奈川県茅ヶ崎市内の母子寮に入寮したが、平成 6 年、頃同所

での生活に不満を抱き、Bの養育費の入金先である銀行の預金通帳などを残して出所し

た。その後Bと共に富山県内を経て平成 7 年頃岐阜市内の風俗店に勤務し、同店の寮で

Bと共に生活するようになった。被告はBが小学校へ就学する年齢になっても就学させ

ず寮の居室内で養育しており、Bは居室から出歩くことがほとんどなかった。平成 13

年 2 月頃、同店従業員によると、被告の居室は畳が糞尿で汚れ、強烈な異臭が漂ってい

た。薄汚れた布団の中からはい出してきたBは、やせ細り半ズボンに上着を着せられ緩

慢な動作であった。その翌日、被告は当時交際していた男性の勤務先の愛知県内の社宅

でBを連れ同棲するようになった。被告は事務員として勤務していたが平成 14 年 3 月

に解雇された。男性が倉敷市内の会社に就職することになり岡山に引っ越し、同社社長

方へ一時身を寄せたが男性は同社に就労せず、被告はしばらく同社社長宅に留まること

を許されたが、結局出されることになった。同社社長の内妻は、被告が新たな住居を探

すまでBを預かることとした。同年 6 月、被告は岡山市内でC(当時 78 歳)と知り合

い、それまで同棲してきた男性と別れ一人暮らしのF宅で生活することとなり、同月B

を引き取った。その際、被告の所持金は約 13000 円だった。Cが入院し、被告はBと 2

人で引き続きC宅で生活した。被告の所持金は次第に乏しくなり、食事を 1日 2 回にし

たり水を飲んだりしていたが、夏の暑さも加わって衰弱し、9 月初め頃には 2 里とも 1

日中寝たままで過ごすようになった。特にBは、8 月中旬以降、固形物をほとんど食べ

られなくなり、 後に餓死するに至った。被告は自らも死んでも構わないと考え、引き

続きその場に横たわったままで過ごし、Bの遺体もそのまま腐乱するに任せていた。

裁判では、臨床心理士の証言とそれに基づく被告人質問から、被告のプロフィールが

明確にされた。裁判所は、「幼児期以来母親に疎外されて生育したことなどから、母親

および実妹とは激しい対立関係」にあったと判示した。これは、被告自身が成育過程で

十分なアタッチメント(愛着関係)を体験することなく成長し、他者との関係構築とり

わけ男性との関係構築に不全を来たす傾向をもたらした可能性を示唆する。家族を頼る

ことができないという比較的援助者の少ない状況ではあったが、経済苦のなかで養育費

の入金先預金通著を自ら手放し、行政機関などの援助も求めず、重篤で死が明らかな娘

のために周囲の人に頼んで救急車を呼ぶ努力すら怠っていたことなど、死を避けるのに

さほど困難があったとは思えない。未熟タイプの親は自ら問題に気づいて相談しながら

解決していくということが苦手なので、周囲による早期発見と支援グループなどへの通

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報が必要となってくる。

(3)愛情欠如タイプ

保護者、特に母親が自分の子どもを受け入れたり愛情をかけたりすることがなく、そ

れが慢性に持続していくと、子どもが情緒的、心理的な障害を起こしてきたり、それに

加えて成長障害がみられることがしばしばある。これを愛情剥奪症候群という。このよ

うなことを引き起こす母親のことを、ここでは愛情欠如タイプと表現する。

結婚生活がうまくいかない、夫に裏切られた、冷たい、そのような理由で母親が幸せ

になれないときは、母子関係も不幸に陥ることがある。子どもをあやすことは少なく、

母子関係に必要なアタッチメント(愛着行動)も少ないかほとんどない。どちらかとい

うと子どもに拒否感や嫌悪感をもってしまうので、養育を放棄したり、育児の怠慢や拒

否(ネグレクト)が起こる。またネグレクトだけでなく、まだ言葉も分からない乳児に

暴言を吐いたり、つねったりすることもある。

未熟タイプと違うのは、愛情欠如タイプの母親は信頼関係をつくりにくく、対応する

のが非常に難しいということである。子どもの発達段階を認識しないし、自分から困っ

ていると相談することは少ない。困っていても「困ってない」といい、家族のことや自

分のことを話すのをいやがる。カウンセリングなどを予約しても、キャンセルやほごに

するとか拒否することもある。

子どもは、やせていて、小さめで、発育・発達が遅れ、筋力低下し、陰気で、表情に

乏しく、腹部膨張があり、全体的に汚れた外観である。ときには新旧の外傷の混在がみ

られる。成長障害によって身長が伸びないのを、“愛情剥奪低身長”という。深刻な場

合は子どもを入院させるが、入退院を繰り返すことによって発育曲線が段階状になると

いう特徴がある。乳幼児期に発見が見逃され、3歳児健診や就学前健診時に、非常に小

柄だからとして、内分泌外来での精密検査を受けるように指示されて見つかるときもあ

る。成長ホルモン分泌不全性低身長症は、成長ホルモンが低下するために成長障害を起

こす疾患であり、男女比は3:1で、男児に多い。これはヒト成長ホルモンの注射を継

続するという治療法が確立されている。これに対し、愛情剥奪低身長の場合は、脳下垂

体の前葉から成長ホルモンは正常に出ているのに、母性剥奪によって発育不全をきたす

ものなので、注射では治せない。虐待として対応していかなければ、子どもの成長は救

えないのである。

(4)抑うつタイプ

抑うつタイプとは、出産後に気分障害(産後うつ病)に陥っている母親で、子育てが

しづらく、家事や育児など生活に支障をきたすようになって医療的対応も必要になって

いる事例をいう。女性のライフサイクルでは出産後に精神障害の発症率がもっとも高く

なるといわれており、例えば、出産後 1ヶ月以内に精神病になり生活に支障をきたす率

は、平常のときと比べて 35 倍も高い。出産後は産後うつ病のみならず、大うつ病、パ

ニック障害、不安障害、産後精神病なども発症することがある。ちなみに産後うつ病の

発症率は欧米人も日本人も 10~20%である。

産後うつ病は、出産後 1 週間から数ヶ月頃までに現れる。症状は、赤ちゃんを産んだ

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のに幸せな気分になれない、何もやる気がしない、自責感、自分は価値がないと思う(無

価値感)、思考力低下、集中力低下、決断力減退、子どもや夫に愛情を感じない、身だ

しなみや食事への関心がなくなって子どもの世話もできなくなってしまうなど、数多く

ある。症状が多彩であることが特徴だ。そのためうつ病の訴えとは気づかないで対応す

ることもよくある。このタイプの母親は些細なことを気にして育児相談したり、子育て

の仕方に細かくこだわる傾向の訴えをしてくることがある。そのため援助者は、通常の

育児相談だと思って指導を丁寧にしていたつもりが、かえって「指導されたようにでき

ない」と母親を追い詰める結果になってしまうこともある。また訴えも様々で、「女の

子を産みたいと思って産んだ。女の子だったのに色が黒い。こんな子は育てたくない」

「抱き心地が悪く、視線を合わせない、この子は自閉症ではないか?」などと一様では

なく、過剰なほど様々なことを気にする傾向を示す。

抑うつに陥っているときは子どもへの愛着が低いか、ときには子どもを愛する自身が

ないと訴える。子どもが自分の思う通りにならないと、ついかっとなって手が出ること

がある。家庭が密室で支援の手が入らなければ、身体的虐待のリスクおよび育児放棄(ネ

グレクト)になる可能性もある。またときおり、夫への不信感があると訴えることがあ

る。夫もうつ状態の妻をどう扱えばいいのか戸惑っており、対処にも困っていることが

多い。夫婦関係にどのような葛藤があるのか、夫への不満は何か、不信感についても慎

重に聞き取りをして、夫も治療過程に巻き込んでいかなければ抑うつ症状の改善は難し

い。希死念慮に陥ることは少ないが、いったん生じると母子心中などを実行に移しやす

く、命の危険を伴うことは子どもの虐待の死亡事例の検証結果からも明らかである。重

症例はおよそ 10%程度といわれているが、軽快するまでには時間がかかるため母子関

係にも影響する。

うつ病が発症しやすい要因は、まず一つに精神的な問題がある。思春期から母親にな

るまでに心理的な悩みやストレスに陥り、カウンセリングや精神科の治療や相談を受け

たことがあるかどうか、学校時代のひきこもり体験や不登校も含めて考えてみる必要が

ある。もともと精神的に脆弱で対人関係も苦手だと、子どもが生まれて母親になったと

きに女性として複数の役割と新たな適応が求められるようになるので混乱してしまう

ことがある。例えば妻として、母親としての役割、または嫁、仕事をしていれば職業人

としての新たな付き合い、等である。個人的に精神が脆弱であるとか、ストレスに弱い

ことによってうつ病が生じることがある。

次に、生育歴も見る必要がある。子どもを育てることは、自分の子ども時代の養育体

験を次の世代に伝えることであるため、自分が親からどのように世話をされ、愛され、

育てられたのか、どんな子ども時代を過ごしたのかを問われることになる。そこには自

身の生育歴、親との離別体験、被虐待歴の有無も関係してくる。また、流産・死産の既

往の有無や妊娠中の産科的異常の有無、出産前か直後の家族の死、子どもの病気や死、

家族の重大な病気など、人生上好ましくないライフイベントを経験しているのも、うつ

病の発症要因にあげられる。

夫やパートナーから精神的および情緒的サポートがあるかどうかも大切である。夫に

飲酒問題がある、不仲である、別居や離婚問題が起こっているなど、夫の行動や言葉・

態度はパートナーのメンタルヘルスに大きく影響する。またパートナーだけでなく、家

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族、特に実母との摩擦がないかどうか、困ったときに何でも打ち明けることができる関

係かどうかも聞き取る必要がある。実家をはじめ周囲から十分な情緒的支援がない場合

は孤立感を助長させ、発症のリスクが高くなる。

後に経済的な問題も、子育てをしていくうえでのストレス要因になる。夫の失職、

転職、転勤などで環境が変化し、経済的な危機になっているとき、あるいは今の住環境

に満足していない場合もリスク要因である。このようなリスク要因は、その人にとって

ダメージが大きければ 1 年前であれそれ以上であれ、時期は問わないのである。

(5)易怒タイプ

易怒タイプとは、些細なことに感情が爆発し、怒りや暴力・暴言を使って人をコント

ロールする欲求の強い人のことである。このような人は子どもの発達や生理を理解せず、

親の意のままに子どもを扱おうとして、子どもが思うようにならないと虐待行為が起こ

る。発作的な行動が起こることもあるので、乳幼児であれば特に危険性が高い。児童相

談所への相談処理件数では、子どもを虐待する加害者は母親が 6 割強、父親が 2 割強で

ある。易怒タイプには母親もいるが、多くは父親の方が加害者になっている。このタイ

プには、過去、現在のいずれかにDVが存在する場合が多い。DVの目撃、被虐待経験、

幼い頃から家族のなかに暴力があり、どうやって生き延びるか親と戦ってきたなど、機

能不全家族のなかで育てられ、親との愛着もあまり経験せず、見捨てられ感や孤独感を

抱えて大人になった人たちが多い。機能不全家族とは、アルコールや薬物乱用、ギャン

ブル、浪費、子ども虐待、不適切な性的行動、祖父母・保護者等からの否定的言動、厳

格な親で突然怒りが爆発する緊張家族など、家族機能に支障をきたしており、強固なル

ールの押し付け、家族関係の葛藤や密着、無視、否定、認知のゆがみ、親と子の役割逆

転などが起こっている家族のことである。したがって、他者を信頼するという基本的な

人間関係構築の基礎が育っていないので、他者との親密な関係もつくれず、対人関係も

トラブルが多い。

このタイプでは親になって家族をもってからも、暴力や威嚇で人をコントロールする

術を身につけてしまっている場合がある。虐待の世代間連鎖も視野に入れておかなけれ

ばならない。このタイプの対人関係のとり方としては、権威のある人には下手に出てい

んぎんな態度で接したりするが、権威のない人には強い否定的な態度で接したりする。

子どもは親の所有物と考えているところもあり、自分の気ままに接する。大人の目線で

子どもを育てようとするし、大人びた格好をさせてペットのように扱うこともある。親

になってからも子ども中心に家庭がまわるのがおもしろくなく、内心は子どもに嫉妬し

たり、いうことを聞かないとしつけと称して体罰を加えるのが特徴である。また、身体

的虐待に伴って言葉や態度による情緒的・心理的な虐待も起こってくる。特に乳幼児に

対しては、夜泣きをしたり、いうことを聞かないときに、親がかっとなって「泣くな」

と頭を揺すったり、布団の上に投げつけたりする、乳児揺さぶり症候群の危険もある。

易怒タイプに関わるときは、子どもの虐待死をいかに防ぐかが留意点である。

(6)パーソナリティ障害タイプ

パーソナリティ障害タイプとは、医師からパーソナリティ障害(人格障害)と診断が

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ついている、あるいはパーソナリティ障害が疑われるような病理や症状などがあり対応

困難で、なおかつ子どもを虐待している、あるいは虐待するかもしれない親である。パ

ーソナリティ障害は、パーソナリティ、すなわちその人の内的経験や行動パターンが社

会的あるいは文化的基準からみて明らかに偏っている場合をいう。パーソナリティ障害

の有病率は 2~13%と報告されており、農村部より都市部に多い。

子どもを虐待する親に多い症状は、境界性パーソナリティ障害(女性にやや多い。行

動パターンや感情などが不安定で、コントロールできない激しい怒り、抑うつ、焦燥な

どの気分の変動が大きい。自傷行為、浪費、妄想や解離状態、精神病症状に近縁の症状

の出現などがある。摂食障害や薬物乱用もしばしばみられる)だという。境界性とは精

神病圏と神経病圏にいるということで、統合失調症というには症状が深刻でなく、神経

症でもないということである。感情の起伏が激しく、衝動的で、ときに暴力的であった

り、自殺企図があったり、対人関係で人を振り回したりする。

こうした親のなかには幼児期からの深刻な被虐待経験をもつ人も多い。家族との関係

も疎遠であるとか、確執や親世代が依存症問題(アルコール、薬物、DVなど)を抱え

ている場合もある。周りへの不信感があるときや自分の意に添わない人にはこきおろし

たり、攻撃的な態度を取るが、反面、意に添う人には理想化したりと他人への評価が両

極端である。場に合わない激しい怒りが突然出ることもある。感情が不安定で、衝動性

が強いため、けんか、リストカット、拒食、過食、買い物依存、自殺願望などで他者を

試したり、振り回したりする。

したがって子どもがいるとなると危険性が増す。しつけと称して体罰を加えたりする。

身体的虐待や言葉の暴力、ネグレクトも起こりやすい。パーソナリティ障害のなかには、

一度キレるとエスカレートしていって歯止めがきかなくなることがある。ときには自分

が子どもを激しく叩き、罵倒したことを覚えていないという解離が起こることもある。

こういう事例は危険性が非常に高いので、虐待のリスクアセスメントはより重要度が重

くなる。

(7)依存タイプ

依存タイプとは、虐待している加害者がアルコール・薬物・ギャンブルなどに依存症

または乱用している、あるいは摂食障害(拒食症、過食症)を抱えていることによって、

子どもの養育が困難になっている、あるいは養育放棄や虐待をしている人のことである。

依存タイプの生育歴を聞き取ると、何らかの依存症や虐待の世代間連鎖があることが

多い。幼い頃に親を求めても親から拒絶された、あるいは、親からの過剰な干渉や保護

的なかかわりがあって、いつまでも子ども扱いをされてきた、親の不在、ないしは親が

無力であったために子どもが親代わりをしなければならないような“偽親”的立場を強

制させられてきた、等があげられる。自分は親のようにはなりたくないと思っていても、

親と同じような生き方になっていたと気づく人が多い。人は人間として成長する過程で、

親または親に代わる養育者に十分な依存と愛着がないと、見捨てられ感が心の中に残る。

成長しても依存欲求が満たされていないと、心の中に空虚感や孤独感、さみしさを抱え

ていることになるため、その心の空白を薬やアルコールなどで満たすことになる。一方

彼らの心理は、「自分はこんなもんじゃない」という高望みやプライドもあるため、人

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間関係のちょっとしたことにも怒りやすく、トラブルを起こし、社会生活も破綻するよ

うになってくる。それが慢性的な習慣になっていくと、家族や職場、友人関係などに行

き詰まり、問題が浮上してくる。

連鎖は依存(嗜癖)行動だけでなく、パートナーの選択の仕方や人との関わり方など

にも影響している。例えば自分には依存の問題はなくても、パートナーが依存を抱える

人を選んでいたとか、子どもに何らかの依存行動が出ている、あるいは、親子の境界線

がない、他人と自分との境界線がない関わり方になっている等である。また、親が非常

にコントロール欲求も強く、子どもを自分の意のままに育てようとしていることもある。

アルコール依存タイプにはDVが合併している場合もあれば、家庭ではパートナーに

対して直接的な暴力や暴言等はないおとなしい飲み方をしている人もいる。薬物依存の

母親はなんとか子育てはしながらも、子どもの目の前で、または隠れて薬物を使用して

いる。摂食障害の母親は、子育てを完璧にしなければと思いつつも夫や実母との関係に

苦しみ、誰もいない時間に食べ吐きしながら葛藤している。リストカットや服薬未遂も

起こることがある。形態は実に多様で、どこまでが虐待でどこまでがそうでないかの判

断は難しいが、子どもの前で酒や薬を飲むならそれは虐待であり、子どもに様々な影響

や被害をもたらす。依存タイプの場合、父親が加害者なら身体的虐待やそれに伴う心理

的虐待が起こる。母親が加害者であれば養育の放棄や暴言などの心理的虐待、ときには

身体的な虐待を伴うこともある。子どもが思春期になれば、性的虐待も発生している事

例もある。いずれにしても、依存症の問題がある家庭はどんな状況であれ虐待やネグレ

クトの存在が疑われる。

8 望月彰『自立支援の児童養護論―施設でくらす子どもの生活と権利―』(ミネルヴァ書

房、2004 年)43 項 9 徳永・前出注 7 10 林・前出注 2、189-190 項 11 林・前出注 2、179-182 頁

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第 4 章 児童虐待に関する法律

第 1 節 児童福祉法

(1)成立

第二次世界大戦に敗戦した直後の日本には、戦災孤児、浮浪児、引き上げ孤児等が巷

にあふれていた。戦前の軍国主義・超国家主義に対して深く反省した日本政府は、民主

的・平和的国家の建設を目指して戦後改革に取り組み、その中で基本的人権の尊重も国

づくりの大きな柱のうちの一つと捉えられた。当面する児童問題への緊急の対応も考慮

に入れつつ、日本における児童福祉の統一的な指針を示す基本的な法律として、1947

年 12 月 12 日、児童福祉法が公布された。

本法には子どもの「権利」という言葉は明示されなかったが、戦後初の社会福祉関連

法として、基本的人権を明記した日本国憲法に基づく新しい法体系の一環であり、生存

権をはじめ、全ての国民の基本的人権を保障するための法律の一つである。本法の 大

の特徴は、児童福祉が「全ての児童の幸福をはかるため」のいとなみであることを明記

したことで、一部の要保護児童だけを対象とした法とは異なる位置づけがなされたこと

は画期的であった。

(2)内容

改訂、追加、削除は幾度も行われてきたが、基本的構成は戦後 60 年間変わっていな

い。 も新しい改正は児童虐待防止法の改正と連動して行われた 2004 年である。

第 1 章の「総則」では、第 1 条から第 3 条において、児童福祉の理念と国及び地方公

共団体の児童育成責任が明記されるとともに、児童福祉法が児童の福祉に関する基本法

的性格をもつものであることが示されている。基本理念は「児童が健やかに生まれ、且

つ、育成されるよう努め(1条 1項)」、「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、

愛護されなければならない(同法 2 項)」こと、すなわち特定の保護的活動に限らずよ

り一般的・包括的な意味で子どもの健全育成は全ての国民の務めであり、一部の要保護

児童のみならず文字通り「すべての児童」を視野に入れた法律であることが示されてい

る。第 1 章では児童、保護者の定義がなされており、本法において「児童」とは 18 歳

未満のものをいい、このうち「満 1 歳に満たないもの」は「乳児」、「満 1 歳から小学校

の始期に達するまでの者」は「用事」、「小学校就学の始期から満 18 歳に達するまでの

者」は「少年」と定義されている(第 4 条)。他にも、児童福祉の関連諸機関の業務内

容等も規定されている。

第 2 章の「福祉の措置及び保障」では、児童福祉行政機関が児童の福祉に関して取る

べき措置が規定されている。ここでいう「措置」とは、児童育成責任を有する国及び地

方公共団体が、児童福祉行政機関を通して子どもの権利を保障するために行う行政行為

であり、その具体的内容がここに定められている。

第 3 章の「事業及び施設」では、地方公共団体又は社会福祉法人等が実施もしくは運

営する児童福祉事業や児童福祉施設に関して、その目的が定められている。また、所管

大臣の児童福祉施設 低基準設置義務や施設設置者の 低基準遵守義務等、施設の設置

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運営に関する基本原則等が規定されている。

第 4 章の「費用」では、児童福祉にかかる費用に関して、主要にはその公費支出分に

関する国と都道府県および市町村の負担区分が示されている。

第 5 章の「雑則」では、児童福祉事業の実施や施設の運営に伴う遵守事項、罰則規定

等が定められている12。

本法の持つ重要な権限として 28 条 1 項があげられる。これは、虐待等を受けた子ど

もの 善の利益と親権者・後見人の権限の制限との調整を図る観点から、家庭裁判所と

いう司法機関の承認を得て都道府県(主に児童相談所長)が親権者・保護者の同意なし

に施設入所等の措置をとることができるというものである13。

第 2 節 児童虐待の防止等に関する法律

(1)旧児童虐待防止法

我が国では既に 1933 年(昭和 8 年)に経済的困窮に起因する児童の虐待、乞食、身

売り等の悲惨な現況を防止する目的で「児童虐待防止法(以下、旧法と称する)」が公

布されている。

旧法は、満 14 歳未満を児童とし、7 条に「地方長官ハ軽業、曲馬又ハ戸戸ニ就キ若

ハ道路ニ於テ行フ諸芸ノ演出若ハ物品ノ販売其ノ他ノ業務及行為ニシテ虐待ニ渉リ又

ハ之ヲ誘発スル虞アルモノニ付必要アリト認ムルトキハ児童ヲ用フルコトヲ禁止シ又

ハ制限スルコトヲ得 前項ノ業務及行為ノ種類ハ主務大臣之ヲ定ム」との禁止規定を置

く。つまり、家庭での児童に対する虐待及び児童の就業に関する制限・禁止が定められ

ている。

これを受け具体的業務及び行為について内務大臣は、「児童虐待防止法第七条第二項

ノ規定ニ依リ児童ヲ用フルコトヲ禁止シ又ハ制限シ得ル業務及行為ノ種類ヲ定ムルコ

ト左ノ如シ 一不具畸形ヲ観覧ニ供スル行為 二乞食 三軽業 四戸戸ニ就キ又ハ道

路ニ於テ物品ヲ販売スル業務 五戸戸ニ就キ又ハ道路ニ於テ歌謡、遊芸其ノ他ノ演技ヲ

行フ業務 六芸妓、酌婦、女給其ノ他酒間ノ斡旋ヲ為ス業務」と規定する。

旧法は、1947 年(昭和 22 年)児童福祉法の成立に伴い廃止された。旧法 7条及び内

務省令第 21 号の規定は、若干の文言が修正されたものの児童福祉法第 34 条 1 項 1号乃

至 5号に引き継がれた。

(2)児童虐待の防止等に関する法律

1990 年代半頃から児童虐待事案は、マスメディアの注目するところとなり衝撃的な

ケースが連日報道されるに至った。当初は、事件の特異性にのみ着目され加害者の未熟

性ないし社会性の欠如に関心が集中した。事案が集積される中で、被害児が何故救出で

きないのか、とりわけ身体的虐待事案では、被害児の死亡により初めて虐待の事実が顕

在化するという状況にいかに対応すべきかとの問題意識が深まってきた。このような状

況の中で立法府においてもその対策が議論され始め、2000 年 5 月 17 日「児童虐待の防

止等に関する法律」が成立するに至った。

本法の概要は①法律の目的(1 条)、②児童虐待の定義(2 条)、③児童に対する虐待

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の禁止(3 条)、④国及び地方公共団体の責務等(4 条)、⑤児童虐待の早期発見及び児

童虐待に係る通告(5条乃至 7条)、⑥児童虐待を受けた児童の保護等(8 条乃至 13 条)、

⑦親権に関する事項(14 条・15 条)等を中核としている14。

⑤の発見・通告は、学校の教職員、児童虐待施設の職員、医師、保健婦、弁護士等、

児童虐待を発見しやすい立場にある者について、早期発見に向けた努力義務が課される

(第 5条)とともに、児童虐待の発見者について早期通告義務が課せられた(第 6条 1

項)。特定の職種についてあえて早期発見義務が課されたことは、これらの職種に対す

る啓発効果という点で評価はできるが、先進国の制度のように通告不履行者への罰則規

定及び誤報に対する刑事・民事上の免責規定を盛り込むまでには至らなかった。通告不

履行に対する罰則を設けるには、虐待の定義が極めて具体的・限定的である必要があり、

今後の検討課題といえる。また、通告後における児童相談所その他諸機関の対応の連携

努力義務を明記することも検討すべきだ。

⑥の被害児の保護については、それまで「待ちの姿勢」であった児童相談所が積極的

に児童の危機に介入していくことを規定した(第 8 条)、意味のある規定である。児童

福祉法における立ち入り調査は、28 条に基づく施設入所等の措置をとる場合に限定さ

れるが、その措置が必要かどうかは実際に立ち入り調査をしてみないとわからないとい

う制度的矛盾をはらんでいたが、本方では「児童虐待が行われているおそれがあると認

めるとき」には立入調査ができるとされた(第 9 条)。ただし、解錠による立入までは

認められていない。閉じこもる家庭に対しては解錠が認められるよう法的担保も必要だ

ろう。児童の安全確認、一時保護、立ち入り調査について必要があると認めるときは警

官の援助を求めることができるとされた(第 10 条)。しかし、警察官職務執行法や刑事

訴訟法等により警察の協力には相当の制約があることも否めない。より柔軟に対応でき

るよう検討が求められる。また、児童福祉法では児童虐待を行った保護者への援助に関

する規定がほとんどない状態であったが、本法では児童虐待を行った保護者に対して児

童福祉司等の指導措置がとられた場合、指導を受ける義務を課すとともに、指導を受け

ない者には受けるよう勧告することができることとされた(11 条)。しかし、これら立

入調査や指導勧告に関する規定も、強制的に行った場合は保護者との関係悪化の懸念が

あるため、実効性には疑問がもたれている。児童福祉法第 28 条に基づき、保護者の意

に反する措置がとられた場合には、児童相談所長または児童福祉施設の長は面会・通信

を制限できる(第 12 条)。しかし、本規定の前提となるのは本法第 28 条による家庭裁

判所の承認に基づいて措置された事例であり、保護者の同意に基づく入所や一時保護の

場合の面会・通信についてはどうなるのか曖昧なままである。厚生労働省は、本法が制

定された直後の行政説明で、一時保護自体職権により保護者の意に反して行うことがで

きるものであり、これらの制限は可能と判断を示している。また、同意に基づく施設入

所措置であっても、児童福祉法に基づく施設長の権限により面会・通信を制限すること

は可能であり、保護者がこれに納得せず強引に面会を強要し、入所についての同意を撤

回する等の場合には、一時保護委託に切り替え 28 条の申立を行うよう「児童相談所運

営指針」等で述べているが、そもそも 28 条の規定と面会・通信の制限は次元が違う問題

であるため、疑問の残る対応といわざるをえない。

⑦の親権については、親権者はしつけに際して適切な行使に配慮すべきこと(第 14

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条 1 項)、親権者であることを理由に暴行罪、傷害罪等の刑事責任は免れないこと(第

14 条 2項)といった規定を定めている15。

児童虐待防止法が制定された意義は大きいが、従来実務上行われてきたことが明文化

されたに過ぎないとの批判もあったことは事実だ。前述の指摘に加え、被害児及び保護

者に対するメンタルケア、措置解除後のフォローアップと再発予防についての実効性あ

る規定がほとんど盛り込まれていないという問題があった。

(3)児童虐待の防止等に関する法律の改正

こうした指摘がされながらも立法府を動かすほどの影響力にまでは至らずにいた中、

2004 年 1 月 25 日、悲劇的な児童虐待事件が発生する。大阪府岸和田市で起きたいわゆ

る岸和田事件だ(事件内容は本節末に記載)。この衝撃的な事件が立法府の関心を喚起

し、2004 年 4 月 7 日に改正法が成立、同年 10 月 1 日より施行された。

改正内容は以下の通りである。①保護者以外の同居人による身体的虐待、性的虐待ま

たは精神的虐待の保護者による放置等が児童虐待であることを明記、②国及び地方公共

団体は、児童虐待関係省庁相互間その他関係機関及び民間団体の間の連携の強化、民間

団体の支援その他児童虐待の防止等のために必要な体制の整備に努めなければならな

い、③国及び地方公共団体は、児童虐待防止や被害児及び保護者のアフターケアのため

更なる調査検証を行う、④児童虐待を受けたと思われる児童を通告義務の対象とする、

⑤児童相談所または都道府県知事は、安全確保の必要に応じ、警察署長に対し援助を求

めなければならない。

改正がなされてもなお問題点はいくつか残る。「児童虐待は、犯罪である」との認識

が未だ根付いていない現実から、この視点は、児童虐待防止法の制定に際しては考慮さ

れなかったばかりか、今回の改正に当たっても十分検討がなされていない。身体的虐待

が日常的に繰返され死に至る事案には「虐待致死」罪のような加重類型の新設を求める

声もある。また、本改正法は厚生労働省という一省庁の主導のもとになされたため、児

童虐待問題について根本的かつ多角的な検討を経ることがなかった点に 大の欠陥が

ある。実務はもちろんのこと、研究、立法段階においても諸機関の連携が求められてい

る。

現在、児童虐待防止法は、2008 年 4 月施行を目途に新たな改正作業の 終段階に差

しかかっている。今後の改正内容に期待したい16。

〔事例 3〕2004 年 1 月 25 日岸和田事件(判例集未収)17

大阪府岸和田市で、中学3年生の長男に食事を与えず餓死寸前まで追い込んだとして、

父親と内縁の妻が逮捕された事件。餓死寸前で保護された長男は、手や足が骨と皮だけ

のような状態で、あばら骨も浮き上がっていた。皮膚の一部が腐敗し、診断した医師も

「これほど酷い虐待は見たことがない」と、言葉を失った。

当時トラック運転手そしていた烏野康信被告は、1988年に被害児の実の母親と結婚。

長男と1歳違いの次男の 2 児をもうけるが、1995 年に離婚。子ども 2 人は、烏野被告

方の祖父母が引き取った。1998 年頃、烏野被告は子連れの川口奈津代被告と一緒に住

むようになり、子ども 2 人も呼び戻して 5 人での生活を始めたが、2002 年頃から呼び

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戻された子ども 2人への虐待が始まった。

烏野被告と、内縁の妻である川口被告は、当時中学 3年生で 15 歳の長男に、2002 年

6 月頃から殴る蹴るなどの暴行や、数日間絶食させるなどの虐待を加え、餓死させよう

とした。長男は 6帖の部屋に軟禁され、窓は頑丈に目張りされていて、外からは何も見

えない状態だったという。長男は自分では歩けないほど衰弱し、ブルーシートの上に寝

かされていた。掛け布団は与えられていたようだが、トイレの行き来も制限され、排泄

物はブルーシートの上に垂れ流しだった。次男は虐待に我慢できずに、2003 年の夏、

実の母親の元に逃げたものの、長男はその時すでに自分一人では歩けなかったと見られ

る。保護された時、長男は身長 155 センチに対して、体重が 24 キロと、7 歳の子ども

並にまで落ちていたという。

被害児らからの SOS は周囲に向けて出されていた。しかし、学校からの呼びかけに対

する両被告の徹底的な拒絶から、学校側からのアプローチも次第に少なくなっていった。

その一方で、学校は児童相談所への相談もしていたが、被害児らが不登校になった 1年

半もの間にたった 2 回だった。児童相談所は事態を軽視し、具体的な措置を取らなかっ

た。2003 年 11 月、長男が餓死したと考え実父が 119 番通報したことにより、餓死寸前

で衰弱し脳に重い障害を負った状態で発見された。両被告は、被害児らが学校に行かな

くなったことはいじめが原因で、食事も本人が受け付けなかったと供述し、殺意につい

ては否認したが、両被告に対し懲役 14 年が言い渡された。

第 3 節 民法第 834 条親権喪失制度

(1)親権の意義・内容

親権はもともと家父長権の中に包含されていたものであるが、日本国憲法の施行によ

り封建的な家制度が崩壊し、親権制度は「個人の尊厳と両性の本質的平等」の理念に従

い、成年に達しない子は親権に服するものとし、父母が共同して親権を行使する(民法

818 条)ことが原則となり、かつ、親権は子の福祉ないし利益に適合するように行使さ

れるべき義務を伴うものとなった。

親権の内容は、身上監護権と財産管理権と 2 つに分けられる。身上監護権の内容は、

監護教育権(民法 820 条)、居所指定権(同法 821 条)、懲戒権(同法 822 条)、職業許

可権(同法 823 条)の諸機能に分割された権利が集合されたものである。財産管理権の

内容について、親権者は、子の財産を管理し、その財産上の行為について子を代表する

(同胞 824 条)者と規定されているが、未成年者の子の財産を管理する権利と義務を有

するものと解されている。また、子どもの身分上の行為(認知、養子縁組等)の代理権

等も親権に含まれている18。親権を行う者は、嫡出子については実父母、養子について

は養父母である19。

(2)親権喪失の宣言

親権者に親権を行わせることが著しく不適当である場合、親権者の親権を剥奪するこ

とができる親権喪失の制度が設けられている。親権喪失宣告がなされるには、「親権の

濫用」ないし「著しい不行跡」が親権喪失原因として存在することが要件となっている

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(民法第 834 条)。「親権の濫用」は親権の内容である財産管理と身上監護の職分を不当

に行使し、又は不当になおざりにして子の福祉を著しく害するものであると解され、「著

しい不行跡」とは、親権者の操行が倫理的に非難されるだけでなく、そのために子の福

祉、心身に害があり、子の健全な成長をとげ難いことと解されている。具体的には、必

要以上の折檻や、子の財産を親権者自身のために処分することなどで、子に対する身体

的・性的虐待やネグレクト(保護の怠慢・拒否)等が考えられる。単に保護者の性的不

品行や飲酒が著しい不行跡に当るのでなく、著しい不行跡の結果、保護者の子に対する

暴力(身体的虐待)やネグレクト(保護の怠慢・拒否)等が親権喪失理由になると考え

るべきであろう。この二つの要件の認定に当っては、常に親権に服する子の福祉ないし

利益を基準として定めなければならない(通説)。

親権喪失の宣告は家庭裁判所の宣告によって行われるが、申立権者は民法上は子の親

族又は検察官であり、児童福祉法には、児童相談所長も民法上の親権喪失事由と同じ事

由により、親権喪失宣告の請求が認められている(児童福祉法 33 条の 5)。これは、昭

和 26 年 6 月の児童福祉法の改正により、この親権喪失宣告の規定が設置されたもので

あり、児童の福祉を司る専門機関の長である児童相談所長に、右の権限を与えることに

より児童福祉を実効あらしめることにある。児童相談所長のみでなく、現場で直接児童

福祉にかかわる児童福祉施設の長にも、権限を付与すべきであるとの意見もある。

親権の喪失には、親権全体の喪失のほかに、財産管理権の喪失が認められている(民

法 835 条)が、監護権についてはこれを独立して喪失させる制度はなく、親権全体を喪

失させることになる。児童相談所長の親権喪失宣告の申立は、親権濫用のうちもっぱら、

監護権濫用について問題とされるもので、財産管理権のみを喪失させる申立権はない。

児童虐待が発見・通告(児童福祉法 25 条)された場合、児童相談所長は被虐待児を

一時保護(同法 33 条)し、児童福祉司、児童委員等による児童の家族の在宅指導等の

措置(同法 26 条)をとり、児童を保護者から引き離す必要がある場合、都道府県知事

は、児童相談所長からの報告により、養護施設等へ入所させる等の措置(同法 7 条 1項

3 号)をとってことができる。しかし、親権者が反省の意を表して子どもの取戻しを要

求してくる等、親の意に反した場合この措置はなしえないという制約がある(児童福祉

法第 27 条 4項)。親権者が前記措置をとることに反対の意思表示をした場合は、都道府

県知事は家庭裁判所の承認(同法 28 条 1 項)を得て、同法 27 条 1 項 3号の措置をとる

ことになる。施設入所の措置がとられると施設の長は「看護、教育および懲戒に関し、

その児童の福祉のため必要な措置をとることができる」(同法 47 条 2 項)ものとされて

いるので、同法 28 条の家裁の措置承認審判により親権者の監護教育権を一時的に抑

制・停止し、児童福祉施設の長に付与されると考えられている。しかし同法 28 条の承

認を得たとしても親権は親権を行うものの手に保留されているので、親権者から施設に

入所中の児童の引取りを強引に要求される等の場合は、これを拒むことができない。そ

の結果再度の虐待を生み、児童が死に至るという事件が何件も発生している。そうした

実態にさらに踏み込んでいけるのが親権喪失制度だ。このように親権者から強引な要求

等をされた場合は、親権を剥奪することが必要となり、親権喪失の宣告がなされなけれ

ばならない。親権喪失の宣告がなされれば、都道府県知事はその児童を保護者がないも

のとして同法 27 条 1 項 3号の措置をとることができる。

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親権喪失制度は旧民法の草案に既に規定が存在したが、「我が国ノ慣習トシテ親カ子

ニ対シテ親権ヲ行フニ外ヨリ干渉スルハ不都合ナリ」との理由で確定の法文で削除され、

旧民法にはこの制度がおかれなかった。だが明治民法ではこれを存置する必要を認めて、

「親権の濫用」と「著しい不行跡」の 2 つを親権喪失原因となし(旧 96 条)、これが戦

後の身分法大改正においても引き継がれて今日に至っている。親権(または管理権)の

喪失宣告・その取消の申立て件数は、昭和 30 年代初めまでは年 200 件以上あった。し

かし近年は年 100 件前後で、認容数も 20 件あるかどうかという程度の数であり、制度

として十分な機能を果たしているとはいえない(なお、厚生労働省ホームページのデー

タによると、平成 16 年度の児童相談所長が家裁に対して行った児童福祉法第 33 条 6 項

による親権喪失宣告の請求件数は 4 件、うち認容件数は 1 件のみだった)。その原因と

しては、効果が大きすぎて柔軟に利用しにくいこと、親権の権利性があまりに尊重され

すぎていること等だと考えられている。実務では、情緒的、自然的な関係にある親子間

の問題を親権喪失という形で解決するのが子の福祉に適するかとの配慮から、その程度、

度合いによって家庭裁判所は事件本人である親権者に対する指導、調整を試み、その同

意を得て子を養護施設への収容措置手続に移行させたり、第三者に監護を託させたり、

他の監護能力がある親がいる場合、親権者変更手続に切り替える等して、親権喪失宣告

の申立が取り下げられることが多い。

(3)ケース・スタディー

〔事例 4〕東京家裁八王子支部昭和 54 年 5 月 16 日判決20

〔事実の概要〕申立人Xは東京都甲児童相談所の所長であるが、昭和 54 年 3 月 29 日乙

警察署の児童通告により、事件本人Yの次女、未成年者A子(昭和 40 年 7月 12 日生)

を児童福祉法 33 条により一時保護した。Yは昭和 51 年 2 月 8 日妻B女と裁判離婚し、

B女との間の 3児(長女、長男、次女)の親権者として指定されたが、長女は中学 2年

のとき、Yから性交を強要、虐待され、児童福祉法 28 条 1 項 1 号に基づき国立丙学院

に措置入院となり、昭和 48 年 8 月に退院後、母B女と共に行方不明となった。Yは病

弱を理由に生業につかず、都営住宅に居住し生活保護法に基づく生活扶助、医療扶助を

受けているにもかかわらず、飲酒にふけり、A子の監護を怠るばかりでなく、A子が中

学 1 年生になると暴力により性交を強要し、A子を苦しめていたが、昭和 54 年 3 月に

長男が就職のため家を出てからはA子に対する性交の強要が一層激しくなり、同月 27

日、28 日、29 日の 2 日間自室において無理にA子を裸にし、性交をはかったのでA子

は家出し、3 月 29 日通学している中学校の教諭に救助を求め、前期のとおり甲児童相

談所に保護された。Yは親権をたてにとり同相談所に引取り方を強引に要求し、A子を

脅かしている。

Xは児童福祉法 33 条の 5 に基づきYのA子に対する親権を喪失する旨の審判を求め

た。

裁判所は警察署長作成の児童通告書、中学校教諭の供述書、甲児童相談所作成の児童

票、指導(調査)経過記録票、家庭裁判所調査官作成の調査報告書等を総合し、X主張

どおりの前記事実を認め、Yの親権を喪失させる審判をした。

Yは即時抗告したが、控訴審は原審判と同一理由で抗告を棄却した。

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なお、Xは審判前の仮処分として、「親権者の職務執行停止とその代行者の選任」審

判を申立て、裁判所は前記審判前に「親権喪失宣告申立事件の審判確定に至るまで、Y

のA子に対する親権の行使を停止し、XをA子の親権代行者に選任する。」との審判を

した。

〔判旨〕「以上の事実によるとA子の親権者であるYはその親権を濫用し、A子を虐待

し、その福祉を著しく損なっているものといわなければならないので、A子をYの親権

に服させることは不相当である。

よって、Yの親権を喪失させ、東京都知事に対し児童福祉法 28 条に基づく適切な措

置をとらせるため主文のとおり審判する。」

〔研究〕本件は、児童相談所長から児童を虐待した親権者に対し、親権喪失宣告の申立

がなされた事例であるが、児童相談所長の申立による例は、実務上まれで、本件は重要

な参考事例といえる。

本件のYのA子に対する性的暴力は、親権者の子に対する虐待行為で、子の福祉を著

しく害するものとして、監護権の濫用に該当する。このような性的暴力を原因とする親

権喪失宣告の審判例は、公表されている資料には見当たらない。しかしながら、養護施

設に措置されている児童の中には、親権者の性的暴力によるものが少なからずある。こ

れは、親権喪失の審理において、虐待行為をしたとされる親権者が、事柄の性質上自己

の当該行為を否定するのがほとんどで、また、重要参考人の立場にある被害児が、親権

者の行為を批判する能力を持つに至っていない場合には、親権喪失の要件事実を認定す

べき第三者の見聞等による証拠資料を収集せざるをえないためだ。この種の事案は家庭

内における親子間の出来事であるため、客観的資料が乏しく、その収集は困難である。

裁判所に事件として立件されてから審判が確定するまでの間、資料収集のための時間

的制約も免れないため未成年者を緊急に保護する必要がある場合、裁判所は申立によっ

て、親権者の職務の執行を停止し、これを代行する者を選任することできる(家審規

74 条)。こうした保全処分に対しては即時抗告できない(同規 15 条の 3第 1 項)ため、

本件のように子の福祉のために緊急を要するときは、この制度の活用が期待される。

また本件は、親権者に対する指導、調節等の試みをとる余地もない状況にあったもの

と解され、判旨のように親権喪失を認容審判することで解決せざるを得なかったもので

ある。

〔事例 5〕仙台高裁昭和 23 年 12 月 17 日判決21

〔事実の概要〕未成年者A・Bの親権者Y(相手方・抗告人)は、夫死亡後、昭和 22

年中から訴外 C 男を同居させてこの者と情交を継続し、同 23 年 2 月に女児を分娩する

に至った。そこで、亡夫の兄X(申立人・相手方)は、本荘家事審判所に対して親権喪

失の申立をなした。原審は、Yと認定し、Xの申立を容れて親権喪失宣告の決定をした。

Yは次の理由により即時抗告を行った。

(1)原決定はYが他の男子と関係して妊娠し女児を分娩したことを以て直ちに著し

い不行跡としたが、これを以て親権喪失の理由とするには、更にYの年齢、当時の事情

殊に生活状況、子に対する愛情の変化等諸般の事情を勘案し、親権者として子の財産を

処分する様な危険が右不行跡のために生ずる虞れがあるかどうか、並びに両性の本質的

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平等を宣告した新憲法の精神を基礎として認定すべきである。

(2)YはXに対し、子の引渡等を求める調停の申立をし、調停が成立した結果、調

停条項の一つとして、本件親権喪失の申立は当事者双方の連署を以て取下げ書を提出し

これを取り下げることを約したにも拘らず、Xは取下げに応じない。しかも、XはYの

夫死亡後、生活苦に悩むY母子に何等生活上の援助を与えず、Y方からその留守中家財

道具の一切を持ち去り、唯一の不動産であるY居住の家屋をも所有しようと企図したの

であるから、本件申立は不純の動機に出たものである、と。

仙台高裁はYの抗告を容れて原決定を取り消し、差し戻した。

〔判旨〕「しかし乍ら、親権を行う母がその夫の死亡後、偶々他の男子と情交を継続し

て子を生むに至ったことは、親権者として一応非難に値する行為であることを免れない

けれども、これをもって直に親権喪失の原因である著しい不行跡戸は、親権者の素行が

甚だしく不良であるために、子をその親権の下におくことが子の不利益となる場合をい

うのであるから、単に親権者の行為だけでなく、その行為をするに至った事情及びその

後の経過、その他諸般の事情を斟酌してその行為のために子の利益が害されるかどうか

によってその行為のために子の利益が害されるかどうかによってこれを定めなければ

ならないといわなければならないからである。しかるに原決定はこの点について何等説

明するところなく、単に親権者であるYの前記行為について、これを親権喪失の原因で

ある甚だしい不行跡に該当するものとしたのは早計であることを免れない。しかもYの

当審において提出に係る本荘家事審判所昭和 23 年(家イ)第 18 号調停調書謄本の記載

によると、その後Yの申立により昭和 23 年 7月 30 日同家事審判所においてYとXとの

間に調停成立した結果、前記未成年者等のために新たに財産保全及び養育方法が定めら

れると共に、XはYに対する本件親権喪失の申立を取下げることを確約したことが認め

られるが、かような事情も亦現在なおYに対して親権喪失の宣告をすることが相当であ

るかどうかを判断するについて斟酌すべき重要な事柄といわなければならない。」

〔研究〕本件当時の「著しい不行跡」は、実際は母より父によって多く行われるとみら

れるにもかかわらず、裁判例は父より母の方が圧倒的に多く、9分 9 厘までが寡婦の私

通といわれるほど親権者たる母の性的不品行によってしめられていた。父の場合はむし

ろ、暴行や金銭の浪費といった性的不品行以外の不行跡が問題となった。

本件も母の性的不品行に関するが、当初は母の私通(分娩)をもって直ちに著しい不

行跡と認定された。しかし、過去の不行跡は、失権宣告の取消規定がもつ趣旨や失権宣

告が親権者への懲罰ではないことから原則的に不問とされた。その他いくつかの母の私

通が不問とされた事例も、過去に不行跡があるも以後それを繰返さず性格心情が遷善向

上しているとか、この監護教育に努力している等を理由としている。これに反し、過去

の不行跡でも情交関係を絶つ意思がない場合や改悛をしていない場合等には著しい不

行跡を認めている。

私通関係をけいぞくするばあいは、従来、著しい不行跡と認定されたが、昭和 4年 2

月 13 日の大審院判決(同節事例 6 のいわゆる常盤御前判決)は新たな判断を示し、寡

婦が他の男と同棲する場合(妾関係)でも、生活の安定並びに子女の養育上やむをえな

いとの抗弁を顧慮しなければならないと判示した。それ以前は妾関係について著しい不

行跡が肯定されており、常盤御前判決は極めて画期的なものとして高く評価された。こ

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れは妾公認ないし是認だとする見方もあり得るが、「寡婦やその子の生存権が保障され

ない社会機構における痛ましき妥協であろう」ともみられる。その後も寡婦が夫妾関係

を結んだ場合に常盤御前判決と同じく、それは生活難の母が生活安定を図り子を養育す

る目的に出たものとして著しい不行跡を否定する判例が出された。常盤御前判決は母の

性道徳に対する考え方を大きく変えたが、これと同様に終戦直後に出された本件判決は、

種々の事情を考慮してなされ、寡婦の性的自由の享有を子の利益の限度で認めたものと

して大いに注目された。そしてこの他にも、寡婦の性的不品行が存在しても、子をうと

んじたり子が母を敬愛しないという事実がなく、母が子の財産を危うくすることもない

として、この福祉の観点から著しい不行跡にあたらぬとする判例がみられるに至った。

しかし、なお問題は存在する。内縁関係については多くの判例が私通と区別して不行

跡を否定しているが、夫を失った母が他の男と挙式し事実上の婚姻をなすことは必ずし

も著しい不行跡が否定されるわけではない判例もあるのだ。内縁と私通・同棲との区別

が困難な場合は、これも、子の福祉の観点から判断すべきだろうと考えられている。

〔事例 6〕大審院昭和 4 年 2月 13 日第 3民事部判決22

〔事実の概要〕親権者(母)Yは、歯科医たる夫A死亡後、遺児BCの養育と生活の維

持のため、Aの友人で妻子のある歯科医Dに亡Aの診察室を賃貸し、Dの出張診療所と

していたところ、ついにDの妾となり、その間に一子を生んだ。Aの父XよりYの親権

喪失を請求。一審二審ともY敗訴。Yは以下の理由により上告。①YがDとの関係をも

つに至ったのは、もっぱらBCの養育と生活の安定を得んがためであって、原審がYと

Dとの関係のみを目してその目的如何を考慮しなかったのは審理不尽、理由不備の違法

がある。②不行跡が親権喪失の理由とされたのは、親権者に不行跡があるため、子女の

監護教育がなおざりにされて、親権の濫用がなされて子女の不利益になることを防止す

るためである。Yは、子女の監護教育に堪え得、かつ親権濫用の危険はない。「往昔の

常盤御前・・・が其の母と幼き三児の為に世の所謂貞女両夫に見へずてふ教に背き清盛

の寵に忍従したる此の行為に対し未だ曾て不行跡者なりと議したる者あるを聞かず」、

YがDに身を寄せ長男を歯科医たらしめんとしたのは「上叙の風習に随ふものにして素

より推奨すべきものにはあらざれども唯是人の妾と為りたると云ふに止まるのみ」。

〔判旨〕破棄差戻。

「親権を有する寡婦が妻子ある他の男子と其の情を知りつつ同棲するが如き行為は素

より擯斥すべきものたること論を俟たずと雖其の者の社会上の地位身分資力其の他と

特殊の事情の如何に依りては未だ以て親権を喪失せしむべき著しき不行跡と目するを

得ざる場合あるべく裁判所が親権の喪失を宣告するに際りては単に親権者に右の如き

擯斥すべき行為ありたる事実のみを以て足れりとせず須らく其の事案に付前記各種事

情の如何を審究参酌し果たして親権の喪失を来すべき著しき不行跡なりや否やを認定

することを要す然るに原判決はYが」Dの妾となっていることをもって「著しき不行跡

に該当するものと為し苟も親権者として子女を監護教育すべき任に在るものが其の情

を知りながら妻子ある他の男子と同棲し之と夫婦同様の生活を営むが如きは其の目的

の如何を問わず認容すべきに非ずと判示し毫も前記諸般の事情の如何を審究参酌する

ことなくYの生活の安定並に子女の養育上已むを得ざるに出たる趣旨の抗弁を顧慮す

28

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ることなく排斥し去りたるは審理不尽の不法あるを免れず」

〔研究〕本件は、上告理由が常盤御前の故事を引用したため、一般的に常盤御前判決と

いわれている。数ある親権の性質のうち、本件はもっぱら性的不品行に関連する事例で

ある。

従来の判決は、単に性的不品行を理由として、親権者から懲罰的に親権を剥奪すると

いう考え方をとっているといえる。しかしこの考え方は、一方では、子の福祉・利益が

親権の中心であるという通説的理解に適合せず、他方では、親権の中核を親の義務と考

えるかぎり、親に対する懲罰のために、義務を免除するということになって、事柄のつ

じつまが合わない。親権の喪失は、子に不利益になるという点を基準として考えるべき

で、つまり、たとえ性的不品行があっても、子に不利益・悪感化を及ぼさない限り、親

権喪失事由の「著しい不行跡」には該当せず、またかりに不行跡な行為があっても、そ

れが既に過去の事実に属している場合は、親権喪失事由の「著しい不行跡」とはならない

と解される。

本件は妾関係が今も続いてはいるが、それが生活のためであり、子の養育のためにや

むを得ずとった行為である場合は、「著しい不行跡」にあたらないとされた。本判決に

ついては、「従来孤立無援の寡婦に対する一脅威手段としてのみ活用せられまた濫用せ

られたかの観のある規定をして正常の道に還せしむるだけの役目は見事に果したとい

ふ功績を本判決に帰せしむることは何人も異議がないであらう」と賛意を表した学者も

いた。

この判決を引き出す道程については、次のようなことがいわれなければならない。①

母が妾になることは、道義的にはいわゆる不行跡である。そかしこれが、子の福祉に何

等影響を与えなかったとすると、親権喪失の事由たる「著しい不行跡」にはならない。

②かりに子の福祉に影響があったとしても、妾にならないでいたらもっと子にとって不

利益になったであろうような状況(極端にいえば乞食)等、親として他に取る道がなか

ったのならば、それはやむをえない。③かりに①および②が否定されたとしても、母の

親権喪失がなされ他の誰かにその後監護教育されることを考えると、たとえ傷があって

も母に教育されるほうが子の福祉にとって良いという場合には、母親の親権を喪失せし

めることが妥当ではないことが自明である。

①については、母が妾になっても子の福祉に全くの影響がないということは、例外は

あろうが、まず考えられない。条文が「著しい不行跡」という文言を用いていることから

も、不行跡がすなわち非福祉的であると考えざるを得ない。

②について考察すると、本件の場合、常盤御前のように、貞操を売らなければ子ない

し母の生命・身体ないし生活に重大な危険がおとずれるというような切迫した事態では

なく、一応亡き夫の遺産が未だあったらしく、単に「長男を歯科医たらしめん」(上告

理由)ためであった。つまり子に高等教育を受けさせるためであって、やむをえない状

況とはいい難い。

そうすると、本判決に賛成するとすれば③の論理によってといわざるをえない。具体

的には母の権利剥奪後の後見人となるものがいかなる者かについては、判決には現れて

いないけれども、おそらくその点を考慮してこの判決がなされたと考えられる。もし仮

に、父母が離婚して親権者となった母が本件と同じような事情で妾となったとすると、

29

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父が保護者不適格でなければ、おそらく母の親権は剥奪されることになるのではないか。

不行跡を理由とする親権喪失については、これまで男女不平等の取り扱いがなされ、

父が女をつくった場合には当然には親権喪失の理由とはならなかった。この取り扱いを

くつがえしたという意味で、本件はエポックメイキングな役割を果した。

〔事例 7〕大審院昭和 12 年 3 月 2日第 2民事部判決23

〔事実の概要〕Y女はX女の長男Bの妻であるが、B死亡後その間の子C(昭和 4年生)

の親権者となった。しかし、Y女にはX女の夫A(Y女の舅)との間に不倫関係があり、

昭和 10 年には 1 女児を分娩した。この関係が、Y女が婚家の財産上の実権を掌握する

ためにAを誘惑して生じたものか、Aが親の威を籍りY女を威迫強要したことに起因す

るものかは不明である。ともかく、Y女はこの女児分娩の事実を恥じて実家に帰ったが、

その後Cの行方をたずね幼稚園から無断で連れ帰り自分の許で養育していた。そこで姑

にあたるX女から、Y女の行為が「著しい不行跡」ならびに「親権の濫用」に当たると

して、親権喪失宣告を請求した。

原審(大阪控訴院)は第 1審(大阪地裁)の判決理由をそのまま引用して、Y女とA

との情交関係及び女児分娩の事実は認めるが、Y女は現在痛く右の事実を愧じその後は

Aとの関係を全く絶って実家において一意Cの監護教育に専念しているし、Y女の性格

も亦必ずしも多情とはいい得ないものがあるから、本件情交関係がY女の誘惑によった

かAの強要に基づいたかを問わず、Y女の過去に存した不行跡は現在はその後を絶って

いるから親権喪失の原因たるべき現在の不行跡はない。またY女がCを幼稚園から拉致

したことも結局は実母としての自然の愛情の発露であってこれを親権の濫用とは目し

難いとしてX女の請求を棄却した。

そこでX女は上告し、舅たるAと数年間も不倫な関係を継続してきたY女にCの監護

教育を委せることはできないし、また第 1 審判決ではY女が過去の不行跡について全く

後悔している如く言っているが、Y女は本訴提起の直前までAとの不倫関係を継続して

いたのであって、未だ改悛するに至ったと認むべきなんらの証拠もないのに漫然X女の

主張を排斥したのは不当違法の裁判であると主張した。

大審院はこの上告理由を認めて破棄差戻の判決をした。

〔判旨〕「民法第 896 条ハ親権者ガ著シク不行跡ヲ宣告シ得可キ旨ヲ規定セリ。而モ所

謂著シク不行跡ナルトキハ、此ノ如キ不行跡ガ現ニ存在スルコトヲ云ヒ、過去ニ於イテ

親権者ニ如何ナル不行跡アリシニモセヨ、現在ソノ不行跡ナキニ於イテハ、之ヲ以テ親

権喪失ノ事由ト為スヲ得ザルノ意ナルヤ殆ンド明カナリ。・・・然レドモ過去ニ於イテ

存シタル不行跡ガ現ニ存在セズト云ハンガ為ニハ、果シテ如何ナル事実アルヲ要スルヤ。

民法第 896 条ノ法意ハ、苟クモ親権者ニシテ著シク不行跡ナル以上ソノ性格心情ニ於イ

テ未成年者ノ監護教育ヲ為スニ適セザルハ勿論或ハ親権ヲ濫用スルノ虞無シトセズ、ト

ノ理由ニ出ヅルハ必ズシモ多言ヲ俟タザルガ故ニ、其ノ不行跡ガ現ニ存在セズト云ヒ得

ルガ為ニハ、親権者ガ何等カノ外的拘束ニヨリ現ニ過去ノ如キ不行跡ヲ為サザル(適切

ニ云エバ為ス能ハザル)形跡アルヲ以テ足レリトセズ、必ズヤ親権者ニ於イテ衷心先非

ヲ悔悟シ従来ノ不行跡ヲ改メ且将来再ビ同様ノ不行跡ヲ繰返ス虞ナキ程度ニソノ性格

心情ノ遷善向上シタル事実アルコトヲ要スルハ、蓋疑ヲイレザル処ナリ。今原判決ノ引

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用セル第 1審判決確定ノ事実ニヨレバ、Y女ハソノ舅Aト私通シ其ノ間ニ 1 子ヲ儲ケタ

リト云ウニアレバ、其ノ著シキ不行跡ナルコト論ヲ俟タザルモノナル処、右判決ハ今ヤ

Y女は痛クソノ分娩ノ事実ヲ愧ヂ分娩後・・・(昭和 10 年 5 月 24 日)実家ニ帰リ全ク

Aトノ情交関係ヲ絶チ一意未成年者Cノ監護教育ニ専念シ且Y女の性格必ズシモ多情

ナリト云ヒ難キモノナルコトヲ認定シ、以テ前示Y女ノ不行跡無シト為シタルモノナル

モ、右認定ノ事実ノミヲ以テハ遽ニY女ニ衷心先非ヲ悔ヒ能ク改過遷善シタル事実アル

コトヲ確認スルニ踟躇セザルヲ得ズ(Y女トAトノ情交関係ハY女ガAヲ誘惑シタルニ

起因ストノX主張ノ如キ事情ノ若シ存在スルニ於イテハ殊ニ然リトス)。Y女ハ現ニA

トノ情交関係ナシト云フモ、Y女ガ実家復帰以後Aト遠ザカリ相遇ノ機会ナキガ如キハ、

其ノ現状トシテ自然ノ結果ニ過ギザルノミナラズ、Y女ノ実家復帰後幾許モ無キ昭和

10 年 9月 10 日ニ至リ本訴ノ提起ヲ見タル事実ニ省ルトキハ、ソハ一時ノ外的拘束ニヨ

ルモノナルヤモ亦知ル可ラズ。此ノ点ニ思ヲ致スコトナク、輙クY女ニ現ニ何等ノ不行

跡ナキモノトシ為シタル原判決ハ、審理不尽ナルカ然ラザレバ理由不備ノ違法アルヲ免

レズ。」

〔研究〕本件は、親権喪失原因の一つである「著しい不行跡」の存否に関するものであ

る。

本件が事例 5、事例 6 と異なる点は、著しい不行跡が現存しなくとも、必ずしも親権

喪失原因が消滅したとはいいえない場合がある事を、明確に指摘したことである。不行

籍の存否の認定は、心理的状態の改善の程度、すなわち「改過遷善の事実」によって判

断しなければならない。よって、現在不行跡が存在しなくとも、それが何等かの外部的

な拘束のために過ぎないと認められるような場合には、まだ不行跡がないとは断定でき

ないのである。本件の如く、もともと「必ズシモ多情ナリト云ヒ難キ」性格の寡婦が、

「痛クソノ分娩ノ事実ヲ愧ヂ」、「実家ニ帰リ」、「情交関係ヲ絶チ」、「一意未成年者Cノ

監護教育ニ専念シ」ている事実が認定されているにも拘らず、なお親権喪失原因たる著

しい不行跡がないといい得るには、「将来再ビ同様ノ不行跡ヲ繰返ス虞ナキ程度ニソノ

性格心情ノ遷善向上シタル事実」あることを立証しなければならないとすれば、実際上

親権喪失原因の消滅の認定は極めて困難なものとなるであろう。昭和 4 年 2 月 13 日の

いわゆる常盤御前判決では、「著しい不行跡」の認定をいたずらに形式的行為自体に着

目してなすべきではなく、これをなすに至った実質的理由ないし事情を斟酌して断ずべ

き、との判旨が賛美される傾向があったが、本判決の態度は実際的取り扱いにおいてあ

まりにも形式的過ぎるとして強い疑問も提出されている。

12 望月・前出注 8、22-25 項 13 山田秀雄『Q&Aドメスティック・バイオレンス法 児童虐待防止法解説 第 2 版』(三

省堂、2004 年)125 項 14 林・前出注 2、218、221-222 項 15 柏女霊峰『児童虐待とソーシャルワーク実践』(ミネルヴァ書房、2001 年)184-191項 16 林・前出注 2、230-246 項

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17 http://www.geocities.jp/dv_osaka/feature/t20040126.htm http://www.47news.jp/CN/200703/CN2007032601000155.html18 別冊ジュリスト 132 号家族法判例百選 122-123 項 19 内田貴『民法Ⅳ 親族・相続』東京大学出版会、2002 年 20 前出注 7、122-123 項 21 別冊ジュリスト 66 号家族法判例百選 142-143 項 22 別冊ジュリスト 40 号家族法判例百選 167-169 項 23 別冊ジュリスト 12 号家族法判例百選 128-129 項

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第 5章 児童虐待問題の現況と関連諸機関の取り組み

第 1 節 児童虐待の現況24

児童虐待について全国的実態調査の必要性は 1993 年頃から提言されていたが、未だ

に実現はしていない。 1994 年に批准した子どもの権利に関する条約第 44 条 1 項に基づき 1996 年に提出さ

れた日本政府第 1 回報告では、同条約 19 条及び 34 条の資料として警察庁による 1993年から 1995 年までの「性的搾取及び性的虐待に関する主な福祉犯検挙状況(人員)」

及び「主な規定の罰則一覧」を付するのみだった。これに対して子どもの権利委員会は

情報が不十分であることを勧告し、「家庭内における、性的虐待を含む、児童の虐待及

び不当な取り扱いの事案に関する詳細な情報及び統計を収集する」よう指摘する。これ

を受け、2000 年に新たに提出された日本政府第 2 回報告では、1996 年から 2000 年ま

での「警察における児童虐待の相談件数」及び 2000 年中の「児童虐待の罪種別検挙状

況」が追加され、1996 年から 2000 年までの「有害な仕事からの保護に関する主な福

祉犯検挙状況(人員)」が追加されたに過ぎず、「詳細な情報及び統計」の収集がなされ

ているとは言い難いものだった。 全国レベルでの児童虐待についてのデータとしては、厚生労働省による全国 174 ヵ

所の児童相談所における児童虐待処理件数の推移などに関するものと、警察庁による警

察の少年相談窓口での児童虐待に関する相談処理件数の推移などが主要なものである。

これらのデータはいずれも児童虐待の急増を示すが、その要因は児童虐待防止法の施行

に伴い児童虐待への社会的関心が高まったことにあると解される。 児童虐待の現況を把握するため、いくつかのデータを以下に検討する。 図 1 は、児童相談所における児童虐待相談処理件数の推移で統計の取り始めた 1990

~2005 年度以降のものである。調査開始当時は児童虐待に関する社会的関心も低く、

問題認識は一部の専門職に限られており、児童虐待防止協会(大阪)の電話相談も開設

されたところだった。この 16 年間に相談処理件数は 34 倍に増加しているが 1995 年度

以降の増加率が顕著である。図 2 は、平成 13~17 年度の内容別相談処理件数を表した

ものである。刑事事件として顕在化した警察庁の統計にはカウントされていない心理的

虐待がカウントされ、さらに、ネグレクトが高い比率を占めていることが特徴的である。

心理的虐待及びネグレクトは、刑事事件として立件される前に児童相談所に持ち込まれ

るのであり、この段階での迅速かつ適切な対応が子どもの生命及び身体の安全を担保す

るのである。

33

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図1 児童相談所における児童虐待相談処理件数の推移

1,101 1,171 1,372 1,611 1,9612,722

4,1025,352

6,932

11,631

37,323

23,274

26,569

33,40834,472

17,725

23,738

0

5,000

10,000

15,000

20,000

25,000

30,000

35,000

40,000

90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06

年度

件数

図2 児童虐待の相談種別対応件数

10,828 10,932 12,02214,881 14,712

8,804 8,94010,140

12,263 12,9112,864 3,0463,531

5,216 5,797

778 820876

1,0481,052

0

5,000

10,000

15,000

20,000

25,000

30,000

35,000

40,000

13 14 15 16 17

年度(平成)

性的虐待

心理的虐待

ネグレクト

身体的虐待

次に紹介するのは、警察庁生活安全局少年課『少年非行等の概要(平成 18 年 1~12

月)』に基づいた 新のデータである。表 1 は児童虐待事件の態様別検挙状況、図 3 は

平成 18 年の罪種別検挙状況の詳細である。平成 18 年の児童虐待検挙人員は、前年比

36.0%増加している(なお、2005 年は前年比 3.1%減少している)。態様別検挙人員で

増加の顕著なのは、ネグレクトで前年比 121.4%増加している。罪種別検挙件数では、

前年比で殺人罪 100%、強制わいせつ罪 271.4%、青少年保護育成条例 700%、保護責任

者遺棄罪 185.7%増加しているのが顕著である。なお、平成 18 年は被害児童数がこれ

までで 多の 316 人で前年比 38%増であり、被害児の死亡数は 65 名でデータ開始後

多となっている。

34

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図3 児童虐待事件の罪種別検挙状況(平成18年中)

7

青少年保護育成

条例違反

8件(2.7%)

児童福祉法違反

25件(8.4%)

強制わいせつ

26件(8.8%)

強姦(致傷を含む)

14件(4.7%)

重過失致死

2件(0.7%)

保護責任者遺棄

(致死を含む)

20件(6.7%) 暴行

14件(4.7%)

傷害

(致死を含む)

133件(44.8%)

殺人

(未遂を含む)

48件(16.2%)

その他

7件(2.3%)

性的虐待

73件(24.6%)

怠慢拒否

22件(7.4%)

身体的虐待

195件(65.7%)

計297件

日本の現況との比較でアメリカ合衆国及びフランスにおける児童虐待認知数及び態

様別数について以下に紹介する。アメリカ合衆国における 1995 年から 2004 年までの

10 年間の児童虐待被害者概数が 900 万人前後で推移しており、態様別ではネグレクト

が 50~60%、身体的虐待が 20%、性的虐待が 10%前後で推移している。被害者概数は、

通報義務に基づいて州や地方自治体の Child Protection Service(CPS)Agencies に報

告されたものである(表 2)。この点で、罰則のない日本の通告制度に基づく被害者数

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(児童相談所への相談件数等)とは顕著な相異がある。フランスにおける 1996 年から

2001 年までの 6 年間の児童虐待被害者概数は、日本の年間の発生頻度とほぼ同数であ

る(表 3)。なお、フランスの人口は日本の約半数である。

第 2節 児童虐待問題に関わる諸機関25

(1)児童相談所

児童相談所とは、児童福祉法第 12 条に基づいて都道府県及びいくつかの指定都市に

設置される行政機関である。児童虐待問題に対して効果的に対応・措置するため、地域

における関係機関がネットワークを形成し、援助活動を行う際の中核的役割を担ってい

る。国民への広報活動から市町村における要保護児童対策地域協議会の設置や運営の支

援等、多様な取り組みを行う。一例としてあげると、東京都児童相談所では、都内 11

ヶ所にある各児童相談所に児童福祉司、児童虐待対応協力員からなる虐待対策班を設置

して体制の強化を図る等している。

児童相談所の基本的機能は以下の 4つである。

(ア)市町村援助機能(市町村による児童家庭相談への対応について、市町村相互間の

連絡調整、市町村に対する情報の提供その他必要な援助を行う機能〔児童福祉法第 12

条 2 項〕)

(イ)相談機能(子どもに関する家庭その他からの相談のうち、専門的な知識及び技術

を必要とするものについて、必要に応じて子どもの家庭、地域状況、生活歴や発達、性

格、行動等について専門的な角度から総合的に調査、診断、判定(総合診断)し、それ

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に基づいて援助指針を定め、自ら又は関係機関等を活用し一貫した子どもの援助を行う

機能〔児童福祉法第 12 条 2 項〕)

(ウ)一時保護機能(必要に応じて子どもを家庭から離して一時保護する機能〔児童福

祉法第 12 条 2項、第 12 条の 4、第 33 条〕)

(エ)措置機能(子ども又はその保護者を児童福祉司、児童委員(主任児童委員を含む。

以下同じ。)、児童家庭支援センター等に指導させ、又は子どもを児童福祉施設、指定医

療機関に入所させ、又は里親に委託する等の機能〔法第 26 条、第 27 条の権限の委任〕)

また、児童相談所には民法上の権限も与えられており、親権者の親権喪失宣告の請求、

未成年後見人選任及び解任の請求を家庭裁判所に対して行うことができる(法第 33 条

の6、第 33 条の 7、第 33 条の 8)。

(エ)の相談機能としては、養護相談、障害相談、非行相談、育成相談の 4つが主に

行われている。児童虐待に関する相談は養護相談に当たる。その内容としては、父又は

母等保護者の家出、失踪、死亡、離婚、入院、稼動及び服役等による養育困難児、遺棄

迷子、被虐待児、被放任児」(「児童相談所運営指針」より)に該当する相談である26。

1990 年代に入り、メディアによって児童虐待問題が大きく取り上げられるようにな

ったことで児童虐待防止法が成立するに至ったわけだが、そうした経緯によって人々の

児童虐待に対する認識が大いに喚起され、児童相談所への相談件数が飛躍的に増加した

ことは一つの功績といえる。しかしその反面、児童虐待件数の爆発的増加は、児童相談

所を機能不全に陥らせる結果をももたらした。児童相談所の許容量を遥かに超過した数

の相談が寄せられ、児童福祉司の数や研修の不足にともなう対応の不備等の問題が浮か

び上がってきたのである。その結果、児童相談所の業務が児童虐待事案に集中し他の機

能が麻痺する状況や、専門職の「燃え尽き症候群」が生まれてきた。そしてもう一つの

問題は、関係機関との連携、とりわけ警察の介入と児童相談所の関係である。警察の関

心事はとりわけ被害児童の生命及び身体の安全が 優先であるのに対して、児童相談所

の関心事は、親との良好な関係構築の継続が 優先課題である。それぞれのプライオリ

ティの相違が、両者の連携を困難なものにしている。

今後も虐待通告が増えれば、児童相談所の他の養護児童、非行児童、障害児童等の施

設入所、通所、自立支援等の業務がストップしてしまう、との指摘がなされている中、

2000 年 4 月東京都児童センターは、7 名の児童福祉司と課長で構成される虐待対策課を

設置した。地域の児童相談所は福祉的援助機能を中心に対応し、虐待対策課は親と対立

する強制的介入機能を持つことで児童相談所の中で役割を分担し、またこれにともない、

立ち入り調査と一時保護を虐待対策課が担当し、都の虐待対策の窓口を一本化すること

で、関係機関との連携がスムーズになったという。

しかしながら児童相談所の現場は、通告の受理機関として対応の限界を超えた状況に

あり、増加する難ケースに対応できる職員数には程遠く、現場の混乱と疲労は極限にあ

り、燃え尽きてしまう職員は増加しているとの指摘もなされている27。

(2)児童養護施設

児童養護施設は、乳児を除いた養護を要する児童を入所させてこれを養護し、あわせ

てその自立を支援する施設であり、必要によっては 20 歳に達するまで入所を延長でき

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る。児童養護施設は、第二次世界大戦後の孤児や浮浪児の救済のためいち早く民間が取

り組んだ活動を後追いする形で、児童福祉法が公的に位置づけた施設であるため、設置・

運営主体の 9 割以上が民間である。1997 年の児童福祉法改正によって、自立支援機能

が明記され、また以前の「養護施設」から「児童養護施設」に名称も変更された。更に

以前の虚弱児施設も児童養護施設に統合され、平成 15 年の統計では全国に 554 箇所の

施設が存在し、約 30000 人の子どもが生活している28。

施設規模は、児童福祉施設の 澄である 30 人から上は 100 人以上の定員まで幅広く

あり、また生活単位も食事や入浴等を一つの生活集団として行う「大舎制」、8~12 名

程度のグループが一つの生活グループを形成し、グループごとに独立した生活空間で暮

らす「小舎制」等の生活形態がある。さらに、地域の住宅で 6人程度の規模で職員も一

緒に暮らす「グループホーム」という形態があるなど、その形態は一様ではない。

厚生省が行った 1998 年の入所理由に関する調査では、父母の行方不明(14.9%)、父

母の労働(14.2%)、父母の長期入院(9.2%)、父母の離婚(8.5%)等の割合が多いが、

父母の放任・怠慢(8.6%)、父母の虐待・酷使(5.7%)、養育拒否(4.0%)等虐待が直

接の入所理由であるものの割合があわせて 2 割弱あり、その割合は増加してきている。

入所時の平均年齢は 5.9 歳、在所児の平均年齢は 10.2 歳である。在所期間の平均は 4.4

年であるが、3 年未満が全体の 3 割であるのに対し、8 年以上が 2 割を占め、在諸機関

は短期と長期の両極端に分かれている。

虐待が発見されて一時保護された場合、一時保護が解除された後の処遇は施設措置で

あったものが 6割を占めており、児童養護施設は、一時保護中から一時保護解除後にか

けて連携先として大きな割合を占めている。しかし、施設入所への保護者の同意の有無

と機関連携との関連はないという。児童相談所は、児童を施設に措置した後も施設から

の報告や訪問による児童との面接等、施設と協力して児童の自立を図りつつ、家庭復帰

へのタイミングも計らなければならない。保護者の引き取り要求に対しても、児童養護

施設との連携が一層必要になる。

(3)福祉事務所

福祉事務所は要保護児童のもう一つの通告窓口であり、通告を受けた段階で、児童相

談所での対応が必要と思われるものについては送致される。虐待に関する通告は福祉事

務所からのものが全体の 2割を占めている。また、虐待が行われている家庭は、経済的

問題や就労問題、夫婦関係、健康問題等同時に多くの問題を抱えている場合が多く、地

域住民のあらゆる相談・援助の窓口である福祉事務所では、これらの問題に関わる過程

で、虐待を発見することもある。

児童相談所は住居地から距離が遠い場合もあり、福祉事務所が継続的な支援機関とし

て、また緊急時に対応できる機関として、児童相談所職員の家庭訪問の際にふく同行す

ることが多い。家庭児童相談室を任意で設置し、家庭相談員(多くは非常勤)がケース

に関わっているところもある。その役割は、一時保護前から一時保護解除後まで一貫し

てある。学校等の児童の所属機関が児童への対応を中心とするのに対し、福祉事務所は

親または家庭への対応を行うことが多い。また、機関連携における役割として、家族構

成、家族関係、児童の所属集団等の基本事項についての調査を担うことが多い。

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(4)民生児童委員、保健所・市町村保健センター(保健婦)

親に虐待の認識がない場合や、親が児童虐待相談所の援助を拒否、または虐待の可能

性の高い場合には、保護者への直接的な援助や調整役を担う役割をもつものとして、民

生児童委員、近隣の知人、市町村保健婦、母子相談人等が挙げられる。これは児童相談

所が直接介入する前に築かれている信頼関係を利用して、間接的に援助するものである。

あくまでも保護者の側に立ち、家庭内の問題や保護者の心理的葛藤を吐き出させる役割

とその問題に適用できる社会資源への紹介を通じて、援助を行う形態である。こうした

指導は親も抵抗感をもたずに聞き入れやすいというメリットがある反面、虐待が深刻化

して、保健指導が終了しても虐待が継続していた場合、他機関につなげる時点で困難が

ある。

(5)保育所、幼稚園、学校

これら保育・教育機関は、ほとんどすべての児童が経過するもので、虐待に関しては

発見・援助機関として重要な役割を果す。児童が日々通うことから虐待を発見の場とな

ることが多く、虐待の判断基準や発見後の対応の仕方について日ごろから他機関との連

携が必要とされる。さらに、一時保護解除後の家庭復帰に向けても、受け入れ態勢に関

して連携が必要となる場合が多い。

児童福祉法第 5条において、児童の福祉に職務上関係のある者として早期発見への努

力義務が規定され、養護教諭やスクールカウンセラーを中心に積極的に虐待への関わり

をもち始めている。児童の安全を見守る役割を担うことになるため、被虐待児童が発見

された場合には、担当職員への児童相談所のサポートが求められることになる。

(6)医療機関

医療機関は身体的虐待が発見されやすい場であり、連携機関として大きな役割を果し

ている。救急医療機関や小児科医によって、単なる打撲や骨折ではなく親の説明が不明

確で虐待が疑われる場合に通告がなされる。また虐待の発見後、親への治療・カウンセ

リングを行う等の関与や委託一時保護を受ける機関となる場合もあり、多面的な連携が

必要となる機関である。

事例を通じて、虐待に関する独自のマニュアルを有する経験豊富な医療機関が対象児

童の処遇に強い意見を提示してきた事例がある反面、虐待への理解がなく、通告せずに

退院させ再発した事例や児童相談所任せで協力体制が築けない事例も見られている。ま

た医師に対する協力要請は、担当者レベルでは相手にされず、児童相談所側の医師が仲

介して初めて可能になったという事例や、医療機関のソーシャルワーカーの意見が医師

には受け入れられない等、職域レベルの問題も生じやすいことが明らかになった。しか

し、医師は児童相談所とは異なる立場で保護者の信頼を得ている場合もあり、虐待の宣

告等を医師が行うほうが効果的な事例も見られている。

(7)警察

対応の初期段階においての顕著な連携機関としては警察が挙げられる。警察とは身柄

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付通告事例で児童相談所とは従前より関わりがある。しかし、深刻化する虐待事例にお

いては、保護者が暴力的で児童や担当者への危害が懸念される場合や立ち入り調査への

同行等、警察の協力への法的整備を希望する声が大きかった。

児童虐待防止法第 10 条において、そうした場合は警察官の援助を求めることができ

ると明記され、協力体制は整いつつある。警察の関与は安全の確保とともに、虐待の深

刻さを保護者に認識させたり、家庭に関わる根拠が明確になる効果的な手立てとなるこ

ともある反面、傷害事件としての立法化という場面においては、児童相談所とは異なる

立場をとる機関であり、必ずしも児童相談所が希望するような協力が得られない場合も

ある。今後とも、相互理解による連携体制づくりが必要である29。

(8)司法機関(弁護士、家庭裁判所調査官)

近年、日弁連をはじめ、弁護士の児童虐待に対する取り組みは特筆すべき事柄である。

子どもの虐待は親(大人)による子どもの人格侵害と位置づけられる。虐待された子ど

もは被害者であり、犯罪被害、被害者救済、人権擁護の問題でもある。したがって弁護

士は、この立場から児童虐待防止活動にも積極的に関わり始めている。

そして家庭裁判所調査官は、児童福祉法にも明記されているように、保護者が虐待行

為を認めず、施設入所に関して同意が得られなかった場合、施設入所の承認申立を児童

相談所は家庭裁判所に行う(児童福祉法第 28 条)。また、親権喪失の請求やその審判前

の保全処分は家庭裁判所に行われなければならない(同法 33 条の 6)。したがって、そ

の虐待対応の緊急性や重篤性に対して、私法の役割は今後ますます重要になってくると

同児に、家庭裁判所調査官との協力が必要である。

(9)虐待防止民間ネットワーク

大阪、東京、名古屋をはじめ、各地域で虐待防止民間ネットワークが活動を展開して

きている。組織主体、活動内容、についてはそれぞれ特色を持っている。しかし主な活

動としては、子どもの虐待に関わる専門機関との連携を図り、迅速且つ的確な援助活動

の一助となることを目的にしており電話相談室も実施しているところが多い。民間ネッ

トワークの利点は組織間の壁を越えて柔軟に対応できるところである。しかし、組織運

営資金の調達や情報管理、権限の範囲等が今後の課題となっている。

第 3 節 関係諸機関の連携

(1)機関連携の重要性30

児童相談所は児童虐待に対応する中心的機関であるが、児童虐待防止法施行後ますま

す増加する虐待通告に単独で対応することは物理的に不可能な状態にある。家庭内に抱

える多種多様な問題が複合的にあり、単一機関で対応し解決につなげることは困難であ

るため、地域にある多機能な社会資源を活用することが必要となる。児童虐待防止法第

4 条においても、「関係機関及び民間団体の連携の強化その他児童虐待の防止等のため

に必要な体制の整備に努める」国及び地方公共団体の責務が規定されている。

参考にした資料で行われた調査では、平成 9 年度に一時保護を行った虐待事例 1245

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件のうち、一時保護前に 9割、一時保護中 8割、一時保護解除後 7割弱という高い割合

で機関連携が行われていたことが明らかになった。いずれの段階においても、「親への

援助に対する拒否」がある場合に、機関連携がとられた割合が高かった。しかし、連携

機関が一堂に会しての事例検討会議が行われた事例は、事例調査の約半数であり、事例

に対する共通理解を図ったり、それぞれの役割分担を明確にするというような会議のも

ち方が浸透しているとはいえない。あくまでも児童相談所の担当者の援助依頼に応じて、

そのつど対応している段階であり、連絡調整や情報収集レベルでの協力の域を出ない連

携体制ともいえる。このネットワーク形成過程で、「虐待」に対する認識の相違が明ら

かになっており、これは問題の捉え方やその後の対応の仕方にも大きく影響を及ぼして

くる。期待した役割が遂行されず、むしろ虐待への理解や、児童相談所の機能や援助の

勧め方への理解を促すための余計な労力が必要となった事例もある。機関連携を図った

ことにより、逆に時間的な負担やプレッシャー等の心理的負担を担当者が感じる事例も

見られ、必ずしも機関連携を図ることが問題解決への近道とはいえない側面が示唆され

た。

(2)機関連携の課題31

児童相談所を中心としたネットワークを形成する上で、何がそれを阻んでいるのか。

第一に、児童虐待に対する関係諸機関の認識の相違が指摘できる。ネットワークを形

成するには機関同士の認識の等質性が必要である。児童虐待の定義にしても、関係機関

によって微妙に異なった認識があるのだ。児童虐待防止法で示された定義を基準として、

関係機関同士の共通認識を作り上げていかなければならない。

第二に、これは日本の組織の特性といえるかもしれないが、特定の問題に対して、領

域を超えた機関同士のスタッフが同等の立場で協議し検討することが少ないという点

が指摘される。特に児童相談所が中心となってネットワークを形成する場合は、関係者

会議の開催や必要名場合に限って依頼する形をとってきている。したがって、民間団体

の参加等も今まではあまりできていなかったのが現状である。

第三に、守秘義務の遵守が挙げられる。これは知りえた情報を、公務員・専門職とし

て守らなければならない義務であるが、実際には、慎重に対処し、ケースの内容を外部

に漏らさないためには、連携する機関を制限せざるをえない。

第四には、機関同士の連携が必ずしも有効とは限らず、かえって負担になってしまう

場合すらあるということである。例えば、虐待事案に対処する前に、機関同士の認識の

相違をなくし同じスタートラインに立つための準備に費やす担当職員の労力や精神的

負担である。これらのことがネットワークを阻む要因として挙げられる。

24 林・前出注 2 25 村井美紀・小林英義『虐待を受けた子どもへの自立支援~福祉実践からの提言』(中央

法規、2002 年)174-181 項 26 厚生労働省『児童相談所運営指針の改正について』 http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv-soudanjo-kai-honbun1.html

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27 林・前出注 2 28 厚生労働省『児童福祉施設(保育所、障害児関係施設を除く)の状況』

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/fukushi/03/sisetu10.html 29 柏女霊峰『児童虐待とソーシャルワーク実践』(ミネルヴァ書房、2001 年)117-118項 30 柏女・前出注 29、112-115 項 31 柏女・前出注 29、159-160 項

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終章 若干心理的考察が増えてしまったところもあるが、しかし、被害者及び加害者の心理

を理解することこそが児童虐待問題を考える上で も重要なのだろう。虐待する親の心

理状態や成育環境、虐待される子どもの心の傷や親を思う気持ちは、客観的事実からだ

けでは理解が及ばない領域にあり、我々の想像力を要する。それゆえ事例研究も困難に

ならざるを得ないわけだが、今後研究が進んだとしてもそれだけでは解決できない問題

がなお残るだろう。児童虐待が起こる大きな原因の一つに、近年の核家族化と地域コミ

ュニティーの脆弱化が挙げられる。人々の交流や助け合い自体が虐待に対する抑止力に

なりうるが、周囲には頼れる相手もなく、母(又は父)と子の密室空間で毎日を過ごし

ている人々が今日どれだけいるだろうか。虐待に関する理解が深まったところで、今の

生活や社会システムを変えることは容易ではない。そして前述のとおり、児童虐待問題

の関連諸機関は激増する児童虐待事案に対して機能不全といわざるをえない状況にある。

保育・教育機関、病院、警察等、日常生活で誰もが身近に接したことのある場所が児童虐

待の予防や治療に努めているとはいえ、そのすべてを専門家だけに任せることは、発生件

数等から考えてすでに不可能な状況に陥っている。 話は変わって、昨今、出産直前の妊婦が病院に受け入れを拒否されたらい回しにされ

る事件をしばしば耳にする。その原因は、ほとんどが「駆け込み出産」といわれるケー

スだという。これは、妊婦が妊娠してから一度も産婦人科の健診を受けず、母子手帳も

持たず、陣痛が来てから救急患者として初めて病院に赴くケースのことである。当然病

院側としてはその患者は初診であるため、胎児がどのような状態かも分からなければ妊

婦に中毒症があるかどうかも分からず、もしものことを考えて受け入れを拒否せざるを

得なくなる。こうした妊婦はほとんどが若年層の低所得者で、妊娠・出産に関する知識

もなく、健康保険にも入っていないという。妊娠したかどうかも自己判断だ。無事に出

産し、元気な赤ちゃんが生まれたとしても、今度は育て方が分からず虐待という結果に

陥ってしまう可能性も高くなる。家族や地域コミュニティーの近代的在り方は、児童虐

待に限らず、我々の生活のあらゆる営みに影響を与えている。 関連諸機関の職員を増やし、児童虐待の研究をさらに深め、不幸に陥ってしまった親

子を個別にケアしていける環境が整うことは何よりも望まれることだ。関連諸機関の職

員までもが心の病を抱えてしまうような状況はなんとしても打破しなければならない。し

かしそれだけではなく、まず地域コミュニティー、それが駄目ならもっと小さい家庭と

いう単位の中から、というように、小さい集団から少しずつ努力を重ね、生活の知識を

相互に与え合ったり助け合ったりできる環境をつくっていかなければならない。今ある

啓発活動の質を見直し、改善を図っていけば、人々の変化を起こす大きなきっかけにな

るだろう。私自身も今回の研究で得たものを深く受け止め、今後の人生でその実践をし

ていきたいと願っている。

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