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29.非意図的生成化学物質であるハロゲン化多環芳香族 炭化水素類による大気汚染の実態解明 ○柿本健作(大阪府立公衆衛生研究所) 【目的】 ハロゲン化多環芳香族炭化水素類(HPAH)benzo[a]pyrene(BaP)に代表される多環芳香 族炭化水素類(PAH)の置換反応により非意図的に生成する汚染物質である。 HPAH は化 石燃料の燃焼に伴い容易に生成し環境中(海洋、大気)へ排出されるが、その汚染実態の 詳細は未だ明らかになっていない。アジア大陸、特に中国では経済発展に伴う大量の化石 燃料の燃焼に伴い PAH 等による環境汚染が深刻化している。HPAH の中にはダイオキシ ン受容体への結合能が BaP とほぼ同等かそれ以上の物質が存在しており 1) 、その曝露量の 評価が急務となっている。本研究ではアジア諸国における大気汚染実態が未だ不明で、越 境汚染が懸念される HPAH について大気汚染の実態を明らかにすることを目的とした。 【方法】 1. 試薬 19 種の塩素化 PAH(ClPAH) 標準溶液は名城大学の大浦健准教授に提供して頂いた。 PAH 標準溶液は Accu Standard 社より購入した。重素化体標準品(phenanthrene-d10, chrysene-d12, and perylene-d12)は和光純薬工業より、pyrene-d10 Cambridge Isotope Laboratories 社より購入した. 試料の前処理及び分析に用いた有機溶媒は和光純薬工業の 残留農薬・PCB 試験用を使用し、シリカゲルはダイオキシン分析用を用いた。分析対象と した 19 種の塩素化 PAH の略号を示した。 9-chlorophenanthrene (9-ClPhe), 2-chloroanthracene (2-ClAnt), 9-chloroanthracene (9-ClAnt), 3,9-dichlorophenanthrene (3,9-diClPhe), 9,10-dichloroanthracene (9,10-diClAnt), 1,9-dichlorophenanthrene (1,9-diClPhe), 9,10-dichlorophenanthrene (9,10-diClPhe), 3-chlorofluoranthene (3-ClFluor), 8-chlorofluoranthene (8-ClFluor), 1-chloropyrene (1-ClPy), 3,9,10-trichlorophenanthrene (3,9,10-triClPhe), 1,3-dichlorofluoranthene (1,3-diClFluor), 3,8-dichlorofluoranthene (3,8-diClFluor), 3,4-dichlorofluoranthene (3,4-diClFluor), 6-chlorochrysene (6-ClChry), 7-chlorobenz[a]anthracene (7-ClBaA), 6,12-dichlorochrysene (6,12-diClChry), 7,12-dichlorobenz[a]anthracene (7,12-diClBaA), and 6-chlorobenzo[a]pyrene (6-ClBaP). 分析対象とした PAH 及び重水素化 PAH の略号 を示した。 phenanthrene (Phe), anthracene (Ant), pyrene (Pyr), chrysene (Chry), benz[a]anthracene (BaA), benzo[b]fluoranthene (BbF), benzo[k]fluoranthene (BkF), benzo[a]pyrene (BaP), and perylene (Pery). 142

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Page 1: 29.非意図的生成化学物質であるハロゲン化多環芳 …—炭化水素類(PAH)の置換反応により非意図的に生成する汚染物質である。HPAH は化

29.非意図的生成化学物質であるハロゲン化多環芳香族

炭化水素類による大気汚染の実態解明

○柿本健作(大阪府立公衆衛生研究所)

【目的】

ハロゲン化多環芳香族炭化水素類(HPAH)は benzo[a]pyrene(BaP)に代表される多環芳香

族炭化水素類(PAH)の置換反応により非意図的に生成する汚染物質である。HPAH は化

石燃料の燃焼に伴い容易に生成し環境中(海洋、大気)へ排出されるが、その汚染実態の

詳細は未だ明らかになっていない。アジア大陸、特に中国では経済発展に伴う大量の化石

燃料の燃焼に伴い PAH 等による環境汚染が深刻化している。HPAH の中にはダイオキシ

ン受容体への結合能が BaP とほぼ同等かそれ以上の物質が存在しており 1)、その曝露量の

評価が急務となっている。本研究ではアジア諸国における大気汚染実態が未だ不明で、越

境汚染が懸念される HPAH について大気汚染の実態を明らかにすることを目的とした。

【方法】

1. 試薬

19 種の塩素化 PAH(ClPAH)標準溶液は名城大学の大浦健准教授に提供して頂いた。

PAH 標準溶液は Accu Standard 社より購入した。重素化体標準品(phenanthrene-d10,

chrysene-d12, and perylene-d12)は和光純薬工業より、pyrene-d10 は Cambridge Isotope

Laboratories 社より購入した. 試料の前処理及び分析に用いた有機溶媒は和光純薬工業の

残留農薬・PCB 試験用を使用し、シリカゲルはダイオキシン分析用を用いた。分析対象と

した 19 種の塩素化 PAH の略号を示した。 9-chlorophenanthrene (9-ClPhe),

2-chloroanthracene (2-ClAnt), 9-chloroanthracene (9-ClAnt), 3,9-dichlorophenanthrene

(3,9-diClPhe), 9,10-dichloroanthracene (9,10-diClAnt), 1,9-dichlorophenanthrene

(1,9-diClPhe), 9,10-dichlorophenanthrene (9,10-diClPhe), 3-chlorofluoranthene

(3-ClFluor), 8-chlorofluoranthene (8-ClFluor), 1-chloropyrene (1-ClPy),

3,9,10-trichlorophenanthrene (3,9,10-triClPhe), 1,3-dichlorofluoranthene

(1,3-diClFluor), 3,8-dichlorofluoranthene (3,8-diClFluor), 3,4-dichlorofluoranthene

(3,4-diClFluor), 6-chlorochrysene (6-ClChry), 7-chlorobenz[a]anthracene (7-ClBaA),

6,12-dichlorochrysene (6,12-diClChry), 7,12-dichlorobenz[a]anthracene (7,12-diClBaA),

and 6-chlorobenzo[a]pyrene (6-ClBaP). 分析対象とした PAH 及び重水素化 PAH の略号

を示した。phenanthrene (Phe), anthracene (Ant), pyrene (Pyr), chrysene (Chry),

benz[a]anthracene (BaA), benzo[b]fluoranthene (BbF), benzo[k]fluoranthene (BkF),

benzo[a]pyrene (BaP), and perylene (Pery).

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2. 装置及び測定条件

ガスクロマトグラフ:Agilent Technologies 社 6890 series

高分解能質量分析計:日本電子 JMS-800D

分析カラム:Agilent Technologies 社 DB-5MS, 30 m, 0.25 mm i.d., 0.25 μm

昇温条件:100 °C (1 min) to 200 °C at 25 °C/min, then to 310 °C (5 min) at 5 °C/min

移動相:ヘリウムガス, 注入口温度:270 °C,電子エネルギー:38 eV,フィラメント電流:

500 μA,イオン源温度:270 °C

3. 試料

大気粉塵試料は日本の 5 都市(札幌、相模原、金沢、大阪、北九州)、韓国(釜山)及び

中国(北京)においてハイボリウムエアーサンプラーを使用し 1m3/min で石英繊維フィル

ターに捕集した。試料情報を Table1 に示した。大阪の試料は冬季のみ、その他の都市で

は夏季及び冬季に捕集した。

4. 試験溶液の調製

細切したフィルターに対し内標準物質として重水素化 PAH(phenanthrene-d10,

pyrene-d10, chrysene-d12, and perylene-d12; 5 ng)を加えたのちジクロロメタンによる超

音波抽出を行った。抽出液を約 1 mL に濃縮したものをシリカゲルに負荷し、ヘキサン-

ジクロロメタン混液(9/1, v/v)により溶出した。溶出液を濃縮しノナンに転溶したものを

試験液とした。大気試料の ClPAH クロマトグラム例を Fig.1 に示した。

5. 添加回収試験

フィルターに対して ClPAH と PAH の標準品を加え(ClPAH, 2–4.4 ng; PAH, 20 ng)上

記方法により添加回収試験を行った(n=5)。回収率は全ての物質において 90%以上で相対

標準偏差は 16.8%以内であった。

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【結果及び考察】

ClPAH 及び PAH 濃度は冬季北京試料において最も高

く、夏季金沢試料において最も低かった。その差は

ClPAHで約300倍、PAHで約1400倍であった(Fig.2)。

ClPAH の中で 1-ClPyr は全ての試料から、6-ClBaP

も大部分の試料から検出された。いずれの都市におい

てもClPAH及びPAHは冬季が夏季試料よりも高値を

示した。この現象は(і) 冬季の化石燃料による暖房設備

からの発生増加、(іі) ClPAH 及び PAH の温度変化に

よる気相-粉塵間の分配差 (ііі) 夏季の ClPAH 及び

PAH の光分解反応の増加がその原因として考えられ

た。

ClPAH の生成のしやすさを検証するために、それ

ぞれの都市において 1-ClPyr/Pyr 及び 6-ClBaP/BaP

比を算出したものを Fig. 3 に示した。北京は日本の都市及び釜山に比べると ClPAH の生

成割合が低く、特に冬季に低下している。冬季の北京では ClPAH 生成を伴わない PAH の

発生源の存在が示唆された。1-ClPyr/Pyr 比は北京を除く各都市で冬季に上昇しており、

北京と日本の都市との間に ClPAH の生成パターンが異なる事が明らかになった。このこ

とから日本の各都市の大気はアジア大陸からの越境汚染の影響を受けていないことが示唆

された。

各試料について ClPAH 平均濃度の和と PAH 平均濃度の和の相関を見ると、金沢

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(summer: r = 0.93, ρ < 0.01; winter: r = 0.94, ρ <

0.01)と釜山(summer: r = 0.98, ρ < 0.01; winter: r =

0.96, ρ < 0.01)において良好な相関がみられた。

また、冬季札幌(r =0.86, ρ < 0.01)及び夏季北九州(r =

0.90, ρ < 0.01)においても相関がみられた。これらの解

析結果は金沢と釜山の ClPAH の発生源は 2 次生成由

来ではなく、PAH 発生源において PAH の塩素化が同

時進行していることを示唆している。対照的に、北京

ではClPAHとPAHの間に相関はみられないことから、

ClPAH の生成を伴わない PAH 発生源の存在、光化学

反応や自動車排ガスの燃焼中における ClPAH の 2 次

生成反応 2)等が影響を与えている可能性が示唆された。

大気粉塵中 ClPAH と PAH 濃度から次式 TEQ = Σ

[Ci] ×REPBaP,i/603)を用い毒性等量濃度(TEQs)を算出

した。Ciは大気中濃度、REPBaPは酵母を用いたClPAH

の AhR 活性化能を BaP を1として評価した数値であ

る。また YCM3 細胞を用いたアッセイ系において TCDD による AhR を介した毒性は BaP

の 60 倍である 4)ことから 60 で除した値を毒性等量濃度としている。REPBaP3)が算定され

ている 17 種の ClPAH 及び 7 種の PAH についての TEQs を Table2 に示した。大浦らは

静岡における空気中 ClPAH、PAH の TEQs はそれぞれ 44.1 fg-TEQ/m3 and 11,500

fg-TEQ /m3と報告しており 3)、これらの値は本研究における相模原試料に近い値であった。

もし1日中屋外で活動したとして成人の呼吸率を 15.7 m3 /day (US EPA, 2011)とすると、

ClPAH と PAH 曝露による1日平均 TEQ は夏季金沢で最も低くそれぞれ 18.5

fg-TEQ/day と 41,000 fg-TEQ/day で、北京の冬季で 9,840 fg-TEQ/day と 66,600,000

fg-TEQ/day で最も高値を示した。今回分析した ClPAH 及び PAH の総 TEQs に占める

ClPAH の割合は夏季札幌で最も高く(0.23%)、冬季北京で最も低かった(0.01%)。

【結論】

今回の同時期に複数都市において捕集した大気粉塵試料分析結果より、北京の特に冬季に

おいて ClPAH の濃度が最も高いことが明らかとなった。ただその一方で ClPAH の PAH

に比べた生成割合は他の都市に比べて低かった。加えて、各試料における総 ClPAH 濃度

と総 PAH 濃度の相関性が北京では低かった。これらの特徴は日本の各都市の傾向と異な

り ClPAH に関しては日本におけるアジア大陸からの大気越境汚染の可能性は低いことが

推定された。

   

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Table 2 

Toxic equivalent concentrations (TEQs) of ClPAHsa and PAHs

b (fg‐TEQ/m3) 

aΣ17ClPAHs reflects the sum of 9‐ClPhe, 2‐ClAnt, 9‐ClAnt, 3,9‐diClPhe, 9,10‐diClAnt &1,9‐diClPhe(average REPBaP),   9,10‐diClPhe, 3‐ClFluor, 8‐ClFluor, 1‐ClPyr, 3,9,10‐triClPhe, 3,8‐diClFluor, 6‐ClChry, 7‐ClBaA. 6,12‐diClChry,   

7,12‐diClBaA, and 6‐ClBaP. bΣ7PAHs reflects the sum of Phe, Ant, Fluor, Pyr, Chry, BaA, and BaP. 

【謝辞】

今回 ClPAH 標準溶液を提供して頂き、また研究に対するアドバイスを頂いた名城大学農

学部の大浦健先生に感謝いたします。

【参考文献】

1)Ohura, T., Morita, M., Makino, M., Amagai, T., Shimoi, K., 2007. Aryl hydrocarbon

receptor-mediated effects of chlorinated polycyclic aromatic hydrocarbons. Chem.

Res. Toxicol. 20, 1237-1241.

2)Nilsson, U.L., Öestman, C.E., 1993. Chlorinated polycyclic aromatic hydrocarbons:

method of analysis and their occurrence in urban air. Environ. Sci. Technol. 27,

1826-1831.

3)Ohura, T., Sawada, K., Amagai, T., Shinomiya, M., 2009. Discovery of novel

halogenated polycyclic aromatic hydrocarbons in urban particulate matters:

occurrence, photostability, and AhR activity. Environ. Sci. Technol. 43, 2269-2275.

4)Kawanishi, M., Sakamoto, M., Ito, A., Kishi, K., Yagi, T., 2003. Construction of

reporter yeasts for mouse aryl hydrocarbon receptor ligand activity. Mutat. Res.

540, 99-105.

【経費使途明細】

標準品

試薬

大気捕集フィルター

その他

114,696 円

29,805 円

154,119 円

1,380 円

合計 300,000 円

  Osaka  Sapporo  Sagamihara  Kanazawa 

  winter  summer  winter  summer  winter  summer  winter 

Σ17ClPAHs  58.4  9.05  29.9  7.39  43.0  1.18  6.06 

Σ7PAHs  11,700  3,980  30,900  6,150  20,200  2,610  4,800 

  Kitakyushu  Busan  Beijing 

  summer  winter  summer  winter  summer  winter 

Σ17ClPAHs  5.41  55.0  3.29  50.0  34.4  627 

Σ7PAHs  5,080  58,000  4,230  31,700  154,000  4,240,000 

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