聞き語り

7

Click here to load reader

Upload: kosuke-masumitsu

Post on 12-Jul-2015

264 views

Category:

Documents


2 download

TRANSCRIPT

Page 1: 聞き語り

江蘇省無錫市某所の馴染みの日本料理店。

2011年11月10日。

午後7時。

約束よりも30分遅れて、ある日本企業の品質管理の工場幹部が、暖簾越しに懐かしい笑顔

を見せた。

1メートル65センチくらいの身長に痩せぎすの坊主頭。浅黒い肌。フレームの太いメガネ

の奥の瞳はやや疲れているようだった。

お約束のビールで乾杯の後、お互いの近況を確認。

以前、弊社の顧客であった、この無錫では20年近く工場を維持している中国進出に関して

は古手の日本企業で活躍している方の話を聞く。

そういう席だ。

彼は、以前中国南部の東証一部上場の部品メーカーで品質管理担当者として工場に泊まり

こみで 3年間ハードな日々を過ごした。

大学は卒業していないが、高卒卒業後、叩き上げで鍛えた技術と、日系企業には珍しい高い

中国語でのコミュニケーション能力が評価され、3年前に、この古手の工場の総経理補佐と

してスカウトされた。

専門の品質管理以外にも、工場運営の全般の課題を総経理のスタッフとして改善する役割

を担わされていた。

年収は日本円で400万円弱、妻と息子は関西方面に残している単身赴任である。自身の生

活費は現地の中国人同様の生活レベルで月1万円程度に切り詰め、給与の残額は家族に日

本本社経由で送金している。

彼との付き合いは1年半。

小さな IT企業を市の北部の工業地域に営んでいた私に、珍しく引き合いがあったのである。

元々は、オープンソースの IT技術で中国で頑張っている企業を助けたい、と開いた会社であ

った。

しかし、実際には、そもそも IT投資など10万円も「高い」と言い切る中小企業の経営者には、

話は通じない。

プライドは高く、閉鎖的で、「いや、ウチは本社 の ITが全て完璧にやっているから、全く問題

ない」と啖呵を切りながら、情報漏えいや、コンピュータウイルスの感染に悩まされている

大企業の駐在総経理からも、ほとんど相手にされなかった。

Page 2: 聞き語り

私事ながら、IT企業経営者としては失格な話である。

それでも、何ヶ月前かに日本語フリーペーパーに出した広告を見て電話をくれる方は貴重

だった。

彼の課題は、コンピュータを動かすオペレーティングシステムとサーバーソフトが全て違

法コピーであるということだった。

ちょうど同じ時期に上海のドイツメーカー系の保険会社が、違法ソフトを故意に見過ごし

てきたという咎で、米国系のソフトウェアメーカーから何億円という罰金を請求されてい

た。その後の裁判所の判断も支払いを命じる厳しいものだった。

名だたる有名企業だっただけに、IT業界では一時話題にはなったが、日本企業が多いこの都

市でこのことを知る総経理さんは皆無で、私もこの手の話が違法コピー大国のこの国の小

さな日本企業の経営問題となるとは思いもよらなかった。

彼曰く。

ある日、この突然、世界的にも影響力の強い米国ソフトウェアメーカーから電話を受けた。

しかも、どこで情報が漏れたのかわからないが彼個人の携帯にである。相手は名前も知って

いた。

実は、この会社、10数年前からコンピュータを導入し、現在50台を有しているが、全てが

違法コピーで業務を回している。

この実態が、相手方に明らかになっており、正規のソフトの購入と、過去に遡った違法ソフ

ト仕様に関する課徴金を払わなければ訴えるという。訴えられると、中国でも隠然たる影響

力を政府関係・経済関係に持つこの会社に勝ち目はない。しかし、正規のソフトと課徴金の

合計額も日本円で1千500万円以上と、とてもこの赤字企業で負担できる額ではない。

困りに困った上での相談だった。

私は、電話口の相手の話や、実際に会社でどういうシステムを組んでいるか、ソフトウェア

は何を使っているか、稼働中の PCの台数は何台かなどを確認した。

その後に、「オープンソース系 のOSに先ずは全てを切り替え、違法ソフトの利用という既成

事実を過去のものにすること、『君側の奸』が必ず存在するので、その奸を密かに探るべき 」

とのアドバイスをした。

電話から一週間後、弊社のエンジニアが、順調にこの会社のパソコンのOSをオープンソー

ス系に変更している途中で、その「奸」が判明した。1月前に退職した購買担当だった。よく

Page 3: 聞き語り

ある業者から不正なバックマージンをもらっていたという罪で、左遷されたが、この会社の

総経理の融和的な方針で、クビにはせず、窓際に追いやった若者だ。

しかし、この中途半端な処理が面子を潰し、恨みを買ったものであろうということだった。

日本人経営者によくありがちな脇の甘い処理だが、その甘い判断が危機に陥れたのである。

しかるに、北京に本社がある米国企業の担当者は、密告でこの会社の状況を知ったことにな

り、実証はできていないと推察される。もし確信があるのであれば、上海の支社から調査の

者が派遣されてくるはずである。無錫から上海は1時間あまりで来れるので、日帰りである。

この出張さえもしていないことを考えると、相手は確たる証拠をつかんでいない。

そう推察するのが現実的だろう。

従って、電話はブラフであり、相手は確率を当該企業の反応を見ながら判断しているのであ

る。そこで、これ以降の電話には、「OSは現在はオープンソース系のものであり、正規ソフト

の購入は必要ないこと、もともと情報源となった社員は、この企業で犯罪を犯しており、逆

恨みの行動を信じることは、大企業の態度としてはふさわしくない」こと、このように一貫

した強気のメッセージを貫くようにアドバイスした。

ITには1円も投資したくないこの会社には、オープンソースのOSと僅かに税務処理上必

要とされるお役所押し付けの帳票システムを用いる PC1台だけ米国企業の正規版OSに

すれば、理論上対応できる。

無駄な金は使うことはないが、これは小さな IT企業である弊社には諸刃の剣のメッセージ

であった。

結局このコンサルティングと若手エンジニアの現場での作業は金を産まなかった。

タクシー代も考えると「とんとん」である。

しかし、この企業をサポートすることで、「中国でオープンソースを推進し、コスト高と為 替

に苦しんでいる日本企業を助けよう!」、という私の志と会社の方針は根本的に変わるこ と

となった。

ITに金を使う企業は困らない。

金を使わない企業が困るのである。

この原則は変わらない。

私がどう訴えても、変わることがない。

長江が東から流れることはないのだ。

地元の中国系ベンダーと競争しても、元手はタダの違法ソフトを、学生バイトのにわかエン

ジニアが現場に入れるのだから、コストでは勝負にならないのである。

Page 4: 聞き語り

この出来事の数カ月後私は、若いエンジニアに後を託すことにした。

そうして私は日本へ軸足を移すことになったが、今だに中国へは定期的に脚を運んでいる。

日本の家族に送金している彼に割り勘はお願いできないので、いつもこっち持ちになるが、

それでも、貴重な話を聞けるので、質のいい彼の「セミナー」に参加料を払うのに飲んで食っ

て日本円で3000円弱払うのは悪くない。それだけの話が聞けるからだ。

今日も、彼の話を楽しみにしていたので、つまみのコロッケを彼にすすめながら、最近の状

況について水を向ける。

前回の違法OSの件で、同志的関係を築いていた気安さと、それでも社の恥部は同志以外に

は聞かれたくないと周りに気を使いながら、彼は小声で、以下のような話をした。

会社の調子ですか?

私のカラダはぼろぼろですけど(事実彼はこの日疲れていた。聞けば数日前に緊急入院し

て2日間点滴だったという)。

会社の調子は上向きですわ。

自動車業界はタイの洪水で生産への影響があるみたいですね。

タイの洪水の影響は、こっちの業界にはないので、原因はそこじゃないんですけど。

いや、むしろ、恥ずかしながら、ウチの社内の問題がいろいろ変わってきてまして、その効果

がようやく出始めてるんです。

ウチの会社、2007年に為替が変わってから、もともとそれまで赤字ギリギリだったのが、

月に600万円位の赤字を常時出すようになってたんですが、これがようやく月トントン

にまで戻してきたんです。

彼は再度周囲を見渡す。グループ客は彼が話し始めたら帰ったので、フロアに残っている客

は私達だけである。

こっからは恥なんですけど。

最近、ふた月前でしたか、課長クラス以上を全て総入れ替えしたんです。

理由はご想像の通りで、そうせざるを得なかったんですけど、社内のあらゆる課が、課ぐる

みで不正をしてたんです。

Page 5: 聞き語り

例えば?よくあるのは購買ですよね?

そうですね。ウチは、営業が購買も兼ねていて、購買という部署は資材の受け入れだけを担

当しているのですが、営業が購買もやること自体がそもそもの間違いですわ。

価格の調整はもちろん、営業でしょう?経費のごまかしもやりたい放題で、営業部長はそれ

で新車を買ったぐらいの羽振りの良さでした。

仕入先、帳票、営業経費、全て調べますと、全部が大なり小なりのごまかしがあり、確実なデ

ータは一つもありません。

ある程度証拠が揃った時点で、営業部長で、ほらあの日本語のうまい調子のいいやつです。

彼を呼び出して、証拠を突きつけました。その日に彼はやめましたわ。部長配下の営業課長、

購買課長も翌日にはやめました。

あの部長は見るからに怪しかったですからね。他にもあるんですか?

物流のほうは最も金額が大きかったです。

ウチの契約している物流企業は地元系の会社で1社だけでした。

24時間対応し、梱包も、引取りもかなりの無理をきいてもらっていると経営陣は考えてた

んです。物流を任せている課長も製造現場上がりの、弊社が育てた古手でしたし、信頼しと

ったのが正に盲点でした。

実際に、地元系の他の会社3社に、同じ条件で見積り取ると、結局契約している会社のコス

トは3割高でした。よくよく裏をとってみると、この物流企業は、物流課長が製造現場から

物流課長に昇進した際に、親戚が作った会社だったんです。

この部分を見ただけでも、ウチは常に受注が生産を超えているような状況ですので、月30

0万円のコスト削減になりました。もちろん物流課長もクビです。

しかし、総経理と同じ部屋の管理系は、不正をしそうに見えませんでしたが。

会社のバックヤードも似たようなもんでした。経理は前から問題があったので、スグに不正

を指摘できたのですが、総務もやってました。

例えば、社食です。

この単価は社員一食辺り80円で契約していますが、実際業者の単価を調べてみると、70

円でした。一日500食出しているとしますと、5千円です。稼働日月25日としますと、そ

れでも、無錫で暮らすには十分な金額が出ます。

これを総務課長が独り占めしてました。

Page 6: 聞き語り

通勤バスは4台契約しています。

4台のバスが市内の東西南北のルートごとに走っているんですが、もう10年くらい前の

契約書をよくよく見ると、5台の契約になっていました。

一台いくらで月々払ってますから、日本円では微々たる額とはいえ、年にならすと結構大き

な金額になります。

また、原材料の金属板を機械で打ちぬくと、金属くずが出るんですが、これは、社内で重さを

測って、業者に予め1トンいくらとか決められた価格で引き取ってもらっています。

何月何日、重さは何キロ、材料は何、という記録は全て残っているので、この部分は大丈夫と

思っていたのですが、実は会社内の秤にからくりがありました。

本来は100キロの金属を、秤では70キロと出るように調整されていたのです。

ここまでやるとは思いませんでしたけど、実際に秤に私が乗ると、えらい痩せたなぁと心配

になって、病院の秤に乗ると、問題ない。こんなことから露見した次第です。

人事は、やり方が稚拙で、そもそも労務者を出してもらっている派遣会社との契約の金額が、

細かい部分で操作しているんです。どうしてこんなわかりやすい操作をするのか不思議で

すが、こういう根本的なことをチェックして来なかった私達のミスだと認めざるを得ませ

んでした。

めくるめく、ごまかしの手口である。

かくも組織的、創造的な手口であれば、儲けが出るほうがおかしいとさえ思ってしまう。

しかし、何故、この時期にここまで一気に不正が解明されてきたのであろう?

答えは簡単です。

総経理の妹の旦那さんが弊社に参加したことです。

彼は、中国南部の T市で、20年経験があり、ありとあらゆる不正の手口に知悉していたので

す。

これまで、弊社の総経理は、いい加減とは言いませんが、性善説にたって、あまり厳しいこと

を言えずに工場を回してきました。

見かねた日本の社長(中国の日本人総経理の父親)の鶴の一声で総経理の妹の旦那さんが

入ったのですが、彼が入ってから僅か3ヶ月でこれだけの成果が出てきたのは、やはり、私

みたいに「雇われ」じゃなくて、会社の命運が、一家の将来を左右する身内の一人であるとい

うこと、それに、中国南部のこの江蘇省よりもえげつない手口で犯罪が行われている異文化

で厳しい経験を積んできたことにあると思います。

Page 7: 聞き語り

最後はやはり、身内ですね。

そう話すと、彼は病み上がりの疲れた表情でビールを一口すすり、ポテトサラダに手を伸ば

した。

中国で生活していて、様々な企業関係者と知り合った。

日本企業だけではなく、欧米企業、台湾企業、韓国企業の関係者とも知己を得たが、

秘密主義の日本企業はともかく、親しくなるとぶっちゃけ話をする欧米企業のマネジャー

からも、ここまでの幅広い不正は聞いたことはない。

一部の IT企業では、モニタリングソフトの重要性を説いているが、今だに浸透していないし、

相変わらず社内では SNSの利用を認めている会社も多い。

ITというわけではなく、生産ではあれだけ投資している企業の、その資源配分のあり方が問

われている気がする。

私の好きな中国の TVドラマは、国民党と共産党の争いを描いた1950年代が舞台のもの

が多いが、基本的には大規模な戦闘ではなく、スパイとスパイの争い、狐と狸の化かし合い

である。

このような国で一国の主となり何千人の人間のトップに立つ者は、生産畑のベテランだか

らとか、財務に明るいからという理由で安易に選択されてはならず、また、会社に憲兵では

ないが、社員をモニタリングする仕組みを張り巡らせるだけの巧緻を尽くせる者でないと

通用しないだろうなと、改めて感じた。

中国で勤務している方々の一部では、兵法に学んだり、三国志や水滸伝に学んでいる教養人

も多い。しかし、実際に、曹操と同じ発想をそのまま実地で実行できる、実行力を持った方に

直接お会いしたことが無いのが残念である。

傍観者である私は「残念」と嘆息すればすむ。

しかし、株式会社の株主は、それだけではすまないであろう。