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9.先スペイン期ティワナク社会における ヘビのシンボリズムとイデオロギー ―アンデス考古学における認知考古学試論― 佐藤吉文 * はじめに 南米の中央アンデス地帯 1 に興り、急速な領土拡大を図って、南北約 4000 キロメートルにおよぶ広大 な地域に政治的な影響を及ぼしたインカ帝国 2 は、新たに組み込んだ地域や社会の政治体系や信仰体系を その支配にうまく利用したと言われている[高橋・網野 1997: 85]。それによってインカの人びとは、ワカ 崇拝 3 といった土着の精神世界を認めつつも、自らが創りあげたビラコチャ 4 信仰や太陽信仰をその上位 に位置づけることによって、インカのひとびとと被征服者集団との社会政治的な関係をイデオロギー的 に構造化した。 こうした宗教政策は、インカという帝国の政治的特徴の一つとして取り上げられることが多い[cf. シル バーブラット 2001]。しかしながら、インカの政治機構や文化は、形成期以降中央アンデス地帯において 培われてきた文明の集大成ともいうべき存在である。「帝国」という政治機構の起源もインカ帝国以前に さかのぼると言われる[Isbell 1991]。そうした視点に立つならば、先インカ期にも類似した宗教的な政策 が見出される可能性がある。あるいは、その政治機構の性格の違いに応じて、異なるかたちでその宗教 世界が構造化されていた可能性も想定できる。いずれにせよ、インカ帝国成立以前に国家段階に到達し た社会では、国家イデオロギーと土着の精神世界との間にどのような関係が切り結ばれていたのであろ うか。 古代アンデス文明史には、ペルー北海岸に成立し たモチェ、ペルー中央高地に興ったワリ、そしてテ ィティカカ湖盆地南部を拠点としたティワナクと いう三つの初期国家 5 が認められる。本論では、こ のなかから筆者が研究対象としてきたティワナク を考察の対象として取り上げ、蛇の図像とそのシン ボリズムのうちに国家イデオロギーと“民間信仰” の関係を探ることによって、ティワナク国家とは何 かという問題を認知考古学的に検討するための嚆 矢としたい。 1.ティワナク研究と認知考古学 1-1.ティワナク国家の成立とその生態環境 ティワナク国家(後 5001150 年)の中心とされ るのは、ペルーとボリビアが国境を接するティティ カカ湖の南約 20 キロメートルに位置するティワナク遺跡である 6 (図 1)。「アカパナのピラミッド」をは * 総合研究大学院大学・博士課程単位取得満期修了。2009 4 月より国立民族学博物館外来研究員(~現在)。また、2011 1 月より愛知県立大学多文化共生研究所客員共同研究員。専門はアンデス考古学および文化人類学。特に人間社会が複 雑化するプロセスとその要因の多様性に関心を払い(複合社会論)、古代アンデス文明のなかでも初期国家に数え上げられ るティワナクを対象に研究に従事している。 1 いわゆる「古代アンデス文明」が成立した中心的地域を考古学では「中央アンデス地帯」と呼ぶ。概ね現在のペルー共 和国にあたる。 2 「インカ帝国」という名称はスペイン人による年代記クロニカに由来する名称であり、アンデスの先住民はこれを「タ ワンティンスユ」と呼んだ。 3 アンデスの人々は、特別な山や湖、泉、大木や大岩などをワカと呼び、それらを信仰の対象とした。 4 インカの創世神話において語られる創造神。 5 考古学では、他地域で成立した国家社会から影響を受けることなく独自に国家段階の政治機構を整えた社会を初期国家 と呼ぶ。 6 「ティワナク」の名称は本来その標識遺跡に由来するが、遺跡を中心にアンデス各地に拡散した考古学的文化、そして 1ティワナク遺跡 - 132 -

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Page 1: 9.先スペイン期ティワナク社会における ヘビのシン …db.csri.for.aichi-pu.ac.jp/journal/7-9.pdf9.先スペイン期ティワナク社会における ヘビのシンボリズムとイデオロギー

9.先スペイン期ティワナク社会における

ヘビのシンボリズムとイデオロギー ―アンデス考古学における認知考古学試論―

佐藤吉文 *

はじめに 南米の中央アンデス地帯 1に興り、急速な領土拡大を図って、南北約 4000 キロメートルにおよぶ広大

な地域に政治的な影響を及ぼしたインカ帝国 2は、新たに組み込んだ地域や社会の政治体系や信仰体系を

その支配にうまく利用したと言われている[高橋・網野 1997: 85]。それによってインカの人びとは、ワカ

崇拝 3といった土着の精神世界を認めつつも、自らが創りあげたビラコチャ 4信仰や太陽信仰をその上位

に位置づけることによって、インカのひとびとと被征服者集団との社会政治的な関係をイデオロギー的

に構造化した。 こうした宗教政策は、インカという帝国の政治的特徴の一つとして取り上げられることが多い[cf. シル

バーブラット 2001]。しかしながら、インカの政治機構や文化は、形成期以降中央アンデス地帯において

培われてきた文明の集大成ともいうべき存在である。「帝国」という政治機構の起源もインカ帝国以前に

さかのぼると言われる[Isbell 1991]。そうした視点に立つならば、先インカ期にも類似した宗教的な政策

が見出される可能性がある。あるいは、その政治機構の性格の違いに応じて、異なるかたちでその宗教

世界が構造化されていた可能性も想定できる。いずれにせよ、インカ帝国成立以前に国家段階に到達し

た社会では、国家イデオロギーと土着の精神世界との間にどのような関係が切り結ばれていたのであろ

うか。 古代アンデス文明史には、ペルー北海岸に成立し

たモチェ、ペルー中央高地に興ったワリ、そしてテ

ィティカカ湖盆地南部を拠点としたティワナクと

いう三つの初期国家 5が認められる。本論では、こ

のなかから筆者が研究対象としてきたティワナク

を考察の対象として取り上げ、蛇の図像とそのシン

ボリズムのうちに国家イデオロギーと“民間信仰”

の関係を探ることによって、ティワナク国家とは何

かという問題を認知考古学的に検討するための嚆

矢としたい。 1.ティワナク研究と認知考古学 1-1.ティワナク国家の成立とその生態環境 ティワナク国家(後 500~1150 年)の中心とされ

るのは、ペルーとボリビアが国境を接するティティ

カカ湖の南約 20 キロメートルに位置するティワナク遺跡である 6(図 1)。「アカパナのピラミッド」をは

*総合研究大学院大学・博士課程単位取得満期修了。2009 年 4 月より国立民族学博物館外来研究員(~現在)。また、2011年 1 月より愛知県立大学多文化共生研究所客員共同研究員。専門はアンデス考古学および文化人類学。特に人間社会が複

雑化するプロセスとその要因の多様性に関心を払い(複合社会論)、古代アンデス文明のなかでも初期国家に数え上げられ

るティワナクを対象に研究に従事している。 1 いわゆる「古代アンデス文明」が成立した中心的地域を考古学では「中央アンデス地帯」と呼ぶ。概ね現在のペルー共

和国にあたる。 2 「インカ帝国」という名称はスペイン人による年代記クロニカに由来する名称であり、アンデスの先住民はこれを「タ

ワンティンスユ」と呼んだ。 3 アンデスの人々は、特別な山や湖、泉、大木や大岩などをワカと呼び、それらを信仰の対象とした。 4 インカの創世神話において語られる創造神。 5 考古学では、他地域で成立した国家社会から影響を受けることなく独自に国家段階の政治機構を整えた社会を初期国家

と呼ぶ。 6 「ティワナク」の名称は本来その標識遺跡に由来するが、遺跡を中心にアンデス各地に拡散した考古学的文化、そして

図 1: ティワナク遺跡

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じめとした複数の大型石造建築が遺跡の中核部を形成するが、その周囲にも礎石のうえに日干しレンガ

(アドベ)を積みあげて築かれた建物群が広がっていたことがわかっている。建物群は広場の共有と周

囲を囲む壁によって一定のまとまりを形成していることから、それらは人びとの生活空間であるだけで

なく社会生活の基本単位でもあったと思われる。それらはまた、大型石造建築と共通した方向軸に従っ

て建てられており、総面積 420 ヘクタールという遺跡全体に都市的景観を生み出していた[Kolata (ed.) 2003]。

ティワナク遺跡を取り巻く生態環境は、人間にとって必ずしも快適な生活環境ではない。標高 3,800 メ

ートルを超える高地高原アルティプラノでは、気候学的制約から低地に比べて利用できる動植物資源は

はるかに少ない。堆積土壌も薄いため帯水層が地表に近く、少雨が重なると耕地の塩化も進みやすい。

いわば、生態学的にみて脆弱なのである。しかしながら、スペインによるペルーの植民地支配が安定し

始めた 16 世紀半ばに記された巡察記録によれば、そうしたティティカカ湖の西岸部だけで約 20,000 世帯

の人びとが生活し、ペルーでも屈指の豊かな土地であった[Diez de San Miguel 1964(1567)]。 彼らの生活を支えたのは、耐寒性にすぐれたイモ類やアカザ科の雑穀キヌアと高地に適応したラクダ

科家畜である。とりわけ、多様な品種が栽培化されたイモ類が食糧基盤となった。また、アメリカ大陸

唯一の大型家畜となったリャマやアルパカは食肉タンパク源としてだけでなく、荷駄を運ぶ運搬手段や

服飾の原料である毛や皮革の供給源として多岐にわたって利用された。そのうえ、それらの生産力を複

合的に高める生業技術を開発することで、アルティプラノに住む人々はその生態学的困難の克服を試み

たのである。 なかでも、ティティカカ湖岸の沼沢地帯を肥沃な耕地に改変したレイズド・フィールドという農耕技

術は注目に値する。それは、帯状の畝の周囲

に巡らした水路から豊かな滋養分を含んだ

浚渫土を耕床に汲みあげることで耕地の生

産力を高める技術である。周囲の水路は夜間

急激に低下する気温、とりわけ霜害から農作

物を保護する役割も果たした。これにより降

雨に依存する乾地農耕以上に生産力を高め

ることができたのである。ティワナク期にも

その技術は利用されていたことが確認され

ており、これによって発生した余剰がティワ

ナクという都市に成立した宗教的/政治的

権能者に代表される非生産者集団を下支え

したと考えられている[Kolata (ed.) 1996]。 1-2.ティワナク社会のコスモロジー:SAISと地域間交流 コスモロジーとはひとによる外的世界の

認知様式である。コスモロジーの形成を考え

たとき、生態環境という側面から見れば先テ

ィワナク期にティティカカ湖盆地に成立し

た社会とティワナク国家との間には差異は

ない。大きく異なるのは、ティティカカ湖盆

地を超えた外的世界との交渉度である。 ティワナク文化の特徴は、ティティカカ湖

盆地だけでなく、ペルー極南海岸、チリ極北

部、アタカマ地方、アルゼンチン北西部、ボ

リビア中部のコチャバンバ地方といった中

央アンデス南部の広い範囲でその物質文化

それら遺跡と文化を築いた人びととその社会を指す場合にも用いられる。その場合、本稿ではティワナク文化やティワナ

ク社会、ティワナク国家という複合語を用いて区別する。

図 2: 中央アンデス南部。図中太字はティワナク様式

の考古遺物が特に認められる地域。

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が考古学的に認められることにある(図 2)。これに先立ってプカラ文化(前 200~後 200 年)の物質文

化とその影響がティティカカ湖盆地を超えてペルー極南部からチリ極北部かけての海岸地帯で認められ

るが、絶対的な物量と移動距離という点においてティワナク期の地域間交流はプカラ期のそれを凌駕し

ている。 このような地域間交流は、ティティカカ湖盆地に生きる人びとのコスモロジーの再編にも一定の影響

を与えた。その一端を、ティワナクの物質文化を飾る神格的図像の形成に認めることができる[Isbell 2008; Isbell and Knobloch 2006, 2009]。たとえば、「太陽の門(Gate of the Sun)」のまぐさ石は、「杖の神」を中

心に「走る人」あるいは「鳥人」と呼ばれる図像を左右それぞれ三行にわたって配列した「パンテオン」

で知られ(図 3)、多くの図像学的研究によってその意味や起源が読み解かれてきた。その結果、ティワ

ナク遺跡で認められるそれら神格的図像の前身あるいはその要素が中央アンデス南部に興った先行諸文

化に認められることが指摘されている(「南アンデス図像系統 SAIS:Southern Andean Iconographic Series」)。たとえば、中央アンデス南部において最も早く「走る人」/「鳥人」像が現れるのはチリ北部で、紀元

200 年頃である[Torres and Conklin 1995: 83, Fig.3; Isbell and Knobloch 2006: 316, 2009: 178]。

こうした図像が備えた起源に由来する外在性と抽象性に由来する超越性は、本来それが意味するもの

がどうであれ、ティティカカ湖盆地で生活を営む人々の精神世界を拡張する潜在力を備えている。とり

わけ、そうした図像が石彫という永続的な媒体に表現され、固定化された時、それら外在性と抽象性は

恒久性を獲得する。その意味において、「太陽の門」をはじめとした石彫群の製作は、ティワナク遺跡に

関わる人びとの認知に決定的な作用を及ぼす行為であったといってよい。 外世界の認知には、抽象的記号を介する手続きのほかに、具体的存在を介する手続きがある。後者を

経る場合、人間にとって最も身近な具体的な「他者」存在は動物である。その意味において、SAIS の事

例に合わせて動物図像の表現手法とその表象を通時的に把握することは、ティティカカ湖盆地における

ひとの認知という観点からティワナクという初期国家の形成プロセスを検討するうえで不可欠な手続き

として位置づけることができる。以上のような視点からの初期国家形成論に対するアプローチを仮に「認

知考古学」的手法としたうえで、本論では動物図像とその表象の変遷という観点から、ティワナクとい

う初期国家の性格を捉えなおしたい。 2.先ティワナク期ティティカカ湖盆地における動物図像とその表象 ティティカカ湖盆地の野生動物相は、標高 3000 メートル以下のアンデス山岳地帯やその東側に位置す

る熱帯アマゾンほど豊かではない。グァナコやビクーニャを除いて大型哺乳類は棲息しておらず、アン

デスやメソアメリカにおいて権威の象徴として重要な役割を果たした肉食系哺乳類も小型のネコ科動物

に限られる。 それにもかかわらず、ティワナク期の物質文化、とりわけティワナク様式と分類される特徴的な装飾

技法や図像、かたちを備えた考古遺物にはさまざまな動物が表現されている。しかし、ティワナク文化

を担った人びとは、ティティカカ湖盆地において初めて動物図像による表象を「発明」したのではない。

その成立以前から人びとは動物を表現し、それを用いて世界を表象していた。本節では、ティワナク文

化の成立に至るまでの考古学的文化とその動物図像について俯瞰的に整理して、それぞれの文化や時代

図 3: 「太陽の門」(筆者撮影、2004 年)

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において動物図像が表象する世界観やシ

ンボリズムについて検討する(表 1)。そ

のうえで、次節以降でティワナク文化に

おける動物表象を論じるにあたって議論

を集約させるある図像―「ヘビ」の図像

―の意義を強調する。

2-1.先土器時代(~前 2000 年頃)の動

物表現 認知考古学では「芸術」の出現を認知

行動の画期として捉える[ミズン 1998]。そうした「芸術」の代表が動物などを表

現した岩面画である。ティティカカ湖盆

地における岩面画の出現はおそらく先土

器時代にさかのぼる 7。そこには、狩猟そ

して家畜化の対象となったラクダ科動物

が写実的に表現された [Guffroy 1999: 44-45]。 アンデスには現在、四種類のラクダ科

動物が生息している。野生種のグァナコ

とビクーニャ、家畜種のアルパカとリャ

マである。中央アンデス地帯におけるラ

クダ科動物の家畜化は、ペルー中央高地

のフニン高原で紀元前 3500 年頃までに

生じたという説が有力である [Wheeler 1988]。ティティカカ湖盆地におけるラク

ダ科家畜の出現時期は不明だが、植物性

資源に乏しいこの地域にあって、動物が

農耕の開始以前から重要な食糧資源であ

ったことは疑いない。 そうした生態環境では、動物資源の増

減がひとの生存を少なからず左右する。とりわけ、気候などの環境要因は、動物資源の管理のために蓄

積されてきた伝統知では対処しきれない、ひとを超越した力として認識されたに違いない。先土器時代

のものと思われる岩面画にラクダ科動物以外の動物表象がほぼ見られない事実は、その動物が資源とし

て重要であっただけでなく、当時の人びとにとって世界を認識する記号でもあったことを示唆する。 2-2.形成期前期/中期の動物図像 2-2-1.土器と動物表現 一般に、農耕の開始は人類生業史上の画期と考えられている。しかし、穀物の栽培化を人類にとって

真の画期たらしめたのは、穀物に含まれるデンプン質を効率的に摂取する手段の開発であった。その手

段として発明・導入されたのが土器である。 しかし、土器は単なる調理具としてのみ重要であったわけではない。土器の素材である粘土は、それ

まで人工物の素材であった骨や木材などと異なって腐食することがないだけでなく、物性において石材

よりも自由度の高い可塑性を備えている。つまり、従来の素材よりも永続的で立体的な世界表現に秀で

ているのが粘土なのである。自由な立体表現を可能とする物質は、ひとの認知の在り方にも決定的な影

7 すくなくとも、プーノ市のサルセード岩陰遺跡(ペルー共和国プーノ県)の岩面画が、その前から採取された尖頭器の

形式にもとづいて先土器時代に比定されている。また、岩面画の様式から先土器時代に比定される遺跡(チリクア、ケル

カタニ、ピサコマおよびマクサニ)が、ティティカカ湖南西岸のプーノ県チュクィト郡およびカラバヤ郡にある[Guffroy 1999: 44-45]。

表1: ティティカカ湖盆地の考古学編年

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響を及ぼしたはずである。つまり進化心理学的

な意味においても、土器製作は人類史上の画期

なのである。 ティティカカ湖盆地でも農耕の開始と土器

製作のはじまりは形成期の指標となっている。

土器製作は前 2000 年頃にはじまり、形成期中

期までには彩色や刻線による土器装飾が認め

られるようになった [Cohen 2010; Steadman 1995, 1999]。しかし、カルユ文化(ティティカ

カ湖盆地北部:前 1300~500 年)、チリパ文化

(同南部:前 1500~250 年)いずれの土器文化

においても、当初装飾の主体をなすのは幾何

学文様であった。可塑性と粘着性という粘土

の特性を活かした貼り付けによる装飾も、一

部の壺/甕型土器の胴部外側に付け加えられる“つまみ”にとどまった。 とは言うものの、動物図像が知られていないわけではない。たとえば、チリパ遺跡で出土した土器の

なかには、器壁に四肢をもった動物を貼り付けで表現した平底碗がある[Bennett 1936: 442, fig. 28i](図 4)。またトランペット型土器と思われる筒状土器片にも、型押しによると思われる四肢動物表現がある[ibid., fig. 28g](図 5)。いずれも写実的に表現されたものではないが、胴部に見られる刺突文や尾部の縞状表現

はジャガーやオセロット、アンデスネコのようなネコ科動物を想起させる。同様に、盆地北部のプカラ

川流域一般調査で採取されたミニチュアの壺/甕型土器に、型取り(頭部)と刻線および彩文(胴部)

でネコ科動物を表現したものがある[Cohen 2010: 382]8。 ネコ科動物以外にも動物が表現された例は、チリパ遺跡出土の土器片である[Chávez and Chávez 1975:

Fig. 28](図 6)。「ヘビ」と解釈されているが、三角形の頭部と胴部、そして胴部についた肢と二又に分

かれた尾、あるいは後肢のようなものが表現されたその姿は爬虫類あるいは両生類のようにも見える。

2-2-2.石に刻まれた動物たち ティティカカ湖盆地における形成期の動物表現を論じるとき、土器とともに注目すべき表現媒体があ

る。石彫である。形成期には、ティティカカ湖盆地各地で人間や動物を思わせる図像を表現した石彫が

8 発掘調査による出土遺物ではないためその正確な比定時期は困難だが、調査者によれば形成期中期にさかのぼる可能性

もあるという[Cohen 2010: 382]。

図 4: 平底碗にみられる四肢動物表現[Bennett 1936]

図 5(左): 四肢動物表現を伴う筒状土器片[Bennett 1936] 図 6(右): チリパ土器にみられる「ヘビ」の表現[Chávez and Chávez 1975]

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作られ始めた(図 7)。表現の類似性からヤヤ=ママ様式[Chávez and Chávez 1975]、あるいはパハノ(Pa’Ajano, Pajano)様式[Portugal Ortíz 1998]と呼ばれる石彫群である。それらの製作時期は明確ではないが、これま

でのところティティカカ湖盆地北部ではプカラ遺跡のクシパタ期[K. Chávez 1988: 21]、南部ではティワナ

ク遺跡のカラササヤ期の一部、チリパ遺跡のリュスコ期とママニ期の前半、南西部ではシユモッコ前期

の後半にあたる形成期中期後半から後期にかけてと考えられている[Stanish 2003: 130]。

ヤヤ=ママ/パハノ様式の石彫には放射状の

飾りを付けた人面や、直立して両腕を胸元にあ

てた人物像が表現されたが、動物図像も確認さ

れている(図 8)。人間的な図像がその構図主体

である場合には、動物たちは人間的図像の周囲

に表現されるにとどまったが、動物そのものが

石彫の構図主体に採用されることもあった。そ

の場合、主体を為したのは魚やヘビ、両生類の

ような四肢をもった動物であり(図 9)、動物の

生態属性に照らせば、水や大地との関連を指摘

できる。 一方で、動物の生態属性という点においてヤ

ヤ=ママ/パハノ様式とは対照的な動物を表現

したのは、ティティカカ湖盆地よりさらに南方

の高原地帯に成立したワンカラニ文化の石彫であ

る。この文化において石彫のモチーフとして採用

されたのはラクダ科動物であった。現在この地域

図 7: ヤヤ=ママ/パハノ様式石彫の分布とその地域性[S. Chávez 2004 を一部改編。]

図 8(左): ペルー、プーノ県のタラコで見られるヤヤ=ママ/パハノ様式の石彫[Chávez and Chávez 1975] 図 9(右): 両生類(?)を表現したヤヤ=ママ/パハノ様式の石彫(タラコ博物館にて筆者撮影、2006 年)

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ではティティカカ湖周辺と同じく農牧複合型の生業が営まれ

ているが、湖周辺にくらべてより寒冷で乾燥した気候である

ため、一般に牧畜の重要性がたかい。それを考慮すると、ラ

クダ科動物を表現したワンカラニ文化の石彫群は、そうした

生業様式に根差した世界観が形成期に遡る可能性を示唆する

ものとして捉えることができる。 2-3.形成期後期における動物表現 2-3-1.プカラ文化における動物たち ティティカカ湖盆地の社会政治的景観は形成期後期に大き

く変わる。ティティカカ湖の最北端から北西に約 30 ㎞離れた

プカラ遺跡が大規模化し、他をしのぐ社会、政治、経済の中心

となるからである[Klarich 2005]。このとき初めて土器や織物と

いった可動性の高い物質文化に加えて、ティティカカ湖盆地特

有の石彫製作伝統が盆地を超えて広まった[Goldstein 2000; Ziółkowski, and Tunia 2007]。近年では、プカラ遺跡を原初的な

国家段階に到達した社会の中心であったと考える向きもある

[Plourde and Stanish 2006; Stanish 2003]。 動物表現に関わる文化面も著しく変化した。たとえばプカ

ラ文化では、図像表現媒体としての土器の重要性が高まった

(図 10)。それに応じて装飾表現そのものも形式化された。ま

た、図像も単独で表現されるばかりではなく、複数を組み合

わせた物語的な構図も現われている。 表現される動物も、猛禽類を含む鳥類が新たに加わった。

また、ネコ科動物は男性像と、ラクダ科動物は女性像と象徴

的に結びつけられるなど、動物にジェンダー関係が投影され

た[S. Chávez 1992, 2002](図 11)。 その一方で、儀器/祭器と思われるプカラ様式土器には魚

や両生類のような「水棲動物」に分類されうる動物を表現し

た例がこれまでのところ知られていない[cf. S. Chávez 1992]。石彫はプカラ文化においても重要な表現媒体だが、水棲動物

はむしろそれらを好んで表現されており[Valcarcel 1932]、表現

媒体の機能と表現される動物との間にも特定の関係が成立し

た可能性がある。 2-3-2.カラササヤ文化とケヤ文化 同じ頃ティティカカ湖盆地南部で成立した複数の考

古学的文化でも、それぞれ特徴的な動物表現が現れた。

もっとも早い時期に成立し、装飾技法の面でプカラ文

化との間に共通点も多いカラササヤ文化では、貼り付

けや刻線および彩色でサルやネコ科動物が表現された。 紀元後 4 世紀頃に成立した土器文化であるケヤ文化

では、型取りしたネコ科動物の頭部や尾部で口縁部を

装飾した杯型の土器がつくられた(図 12)。杯の内部

には炭化した物質が認められることがあり、香あるい

は獣脂を燃やした儀器/祭器(以下、同様の機能を果

たす土器を「香炉」を記述する)として用いられたと

考えられる 9。 9 ケヤ様式の香炉はクスコ地方からも出土する[Bauer 1999]。

図 10: プカラ様式土器[Rowe and Brandel

1969-70]

図 11: プカラ様式土器に見られる「ネコ科

動物=男性」のテーマ(上)と「ラクダ科

動物=女性」のテーマ(下)[S. Chávez 1992]

図 12: ケヤ様式の香炉

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2-3-3.ティティカカ湖盆地を超えて―コンコ・ワンカネ遺跡の石彫文化 ティティカカ湖盆地南部で前述の文化が成立したころ、分水嶺を挟んださらに南方の高原地帯では、

コンコ・ワンカネ遺跡が社会政治的センターとして発展した。その土器文化には目を見張るものはない

ものの、ヤヤ=ママ/パハノ様式に連なる石彫にはラクダ科動物を思わせる四足動物や「双頭のヘビ」が

表現された。とりわけ、「ヘビ」の下顎に付け加えられているナマズのひげを連想させる突起は、ほかの

表現様式には見られない独自のものである。 2-4.ヘビや魚が表象するもの 土器と石彫という二つの表現媒体は、可塑性と持続性という点で両極にあるといってよい。前者は可

塑性に富むが壊れやすく、後者は製作に困難と労力を伴うものの壊れにくい。こうした視点に立てば、

可塑性に難点があるにもかかわらず、形成期の人びとは多くの動物を耐久性にすぐれた石彫に表現した

ことになる。このとき石材の物性を、その表象関係の永続化を保証する作用因と捉えるならば、石彫に

表わされたのは永続化を望まれた表象関係である。そうした前提に立ったうえで、以下では①どのよう

な動物が表現され、②何を表象したのかという二つの問題に取り組みたい。 ヤヤ=ママ様式、プカラ様式、コンコ・ワンカネ様式の石彫に見られる動物表現においてとかく目を引

くのは魚やヘビである。考古学的見地から述べて、それらの動物を石彫に表現する慣習はティティカカ

湖盆地にひろく共有されていたといってよい(図 7 参照)。 それぞれの生態に着目すれば、魚やヘビはそれぞれ水や大地を連想させる。いずれも人の生存、とり

わけ農耕や牧畜の成否を強く左右する自然因子であり、そうした人間超越的な自然との交渉メカニズム

として宗教や信仰は成立した。こうした視点に立てば、そうした動物が豊饒の表象としてティティカカ

湖盆地の人びとの精神世界に位置づけられていたと仮定しても無理はない 10。 ここで、南米のシンボリズムにおけるヘビと魚の置換可能性を若干検討しておきたい。取り上げるの

は、ボロロ族が語るタバコの起源神話(M26、M27)である[レヴィ=ストロース 2006: 154-156]。 ある男の妻が、夫が狩りで仕留めたボアの肉から流れ落ちた血を受けて、「血の息子」を妊娠する。ヘ

ビの姿をした「血の息子」は母親の果実集めのたびに母胎から出て手伝うが、それを恐ろしく感じた母

親は自分の兄弟たちに相談をもちかけ、「血の息子」は彼らによって殺される。ヘビの死骸を焼くと、灰

からトウモロコシやワタなどの有用植物とともにタバコが生まれた(M26)。しかしその異文譚(M27)では、焼いた魚の腹からタバコが生まれる。つまり、ボロロにとってヘビと魚は置換可能な同一の創造

記号なのである。 一般的に蛇と魚は全く異なる生物であるが、南米には見かけにおいてその中間に位置するような生物

が存在する。それがナマズの一種(Trichomycterus spp.)である。アンデスの先住民ケチュアの言葉で「ス

チェ」と呼ばれるその魚は、中央アンデス地帯の河川やティティカカ湖に広く棲息している 11。小さい

種類のものは日本のドジョウに近い。髭を生やしたその顔は、コンコ・ワンカネ様式の石彫の「ヘビ」

の姿を思い起こさせる。実は、先に取りあげたタバコの起源神話で語られる「魚」は、ボロロがクッド

ゴと呼ぶ大型のナマズ目の魚である[レヴィ=ストロース 2006: 155]。したがって、蛇と魚―厳密にはナ

マズ―との間には外見的な類似性だけでなく、記号論的にも置換可能性があるといえる。もちろん、筆

者は、以上の事例を通じて、先スペイン期アンデスと民族誌的現在の南アメリカ諸民族が同一のシンボ

リズムを共有していたと主張するものではない。しかし、ほかにも両者のあいだにある種の神話的テー

マの共有が見られるという事実は考慮に値する 12。 これを踏まえて注目したいのは、形成期後期になると、この「ヘビ/魚」がある動物と記号論的に同

一視されるようになる点である。ジャガーである。たとえば、コンコ・ワンカネ遺跡で確認されている

柱状碑のうち、「耳をもつ石 Jinchun Kala」と呼ばれる柱状碑側面の頭飾りに表現されたネコ科動物と魚

には、構図上の置換関係を認めることができる[Ohnstad 2011: 130]。この魚の胴部はヘビのように表現さ

れており、スチェである可能性がたかい。

10 現代の例ではあるが、ティティカカ湖周辺に暮らすアイマラの人びとは、ヘビに豊饒祈願をする[アロ・アロほか 2007: 508]。 11 ティティカカ湖に棲息するのは、T.rivulatus と T.dispar の二種である[Cohen 2010: 53]。 12 たとえば、「魚のつまった胴体をもつ蛇」の神話がある[レヴィ・ストロース 1972]

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この置換可能性は表象レベルにおいても発現

する。先述のように、プカラ様式の土器にはネ

コ科動物やラクダ科動物がそれぞれ性差と関連

づけられ、「ネコ科動物=男性 Feline-Man」のテ

ーマ、「ラクダ科動物=女性 Camelid-Woman」のテーマとして表現された [S. Chávez 1992, 2002]。このうち「ネコ科動物=男性」のテーマ

では、男性が頭飾りや杖、石斧、戦勝首級など

を身に着けて表現されることが多い(図 11 参

照)。注目したいのは、この人物が纏う「衣装」

にヘビの図像が描かれる点である。しかもその

図像は胸飾りのように人物の身体の中央を占め

る(図 11 参照)。以上からは、ヘビという動物

がジャガーとともに権威/権力の表象としても

発現しえたことがうかがえる。 そもそも、プカラ文化では横向きの「ヘビ」

の図像そのものが、ネコ科動物のモチーフと組

み合わせられた「ジャガー=ヘビ」であり、と

きにそれは「頭飾り」を伴って表現されること

もあった(図 13)。 一方、ヘビは「生/死」の観念とも表象関係

を結んでいる。たとえば、石斧と戦勝首級を携

えた「首切り執行人 Decapitator」像である[Young-Sanchez 2004: 76]。この人物が身に着けたターバンの額

部中央に表現されているのがヘビなのである。しかもヤヤ=ママ/パハノ様式を思わせる上向きのヘビで

ある。したがって「死」を「生」の対概念とするならば、プカラ文化のヘビは表現様式だけでなく、ヤ

ヤ=ママ/パハノ様式の石彫表現に見られるヘビに関わる表象をも継承していることになる。 いずれにしてもここで重要なのは、ヘビの図像で装飾されるそれらいずれの人物像も石斧や戦勝首級

を持つという点で共通していることである。戦勝首級をめぐる儀礼執行権を保持する人物が仮に一定の

宗教的、社会的権威を備えるとするならば、それを飾るヘビの図像は権威/権力、生/死という観念を

表象することになる。 以上のように、ボロロの神話を踏まえて豊饒性の表象として魚とヘビの置換可能性を認め、プカラの

物質文化を踏まえて権威/権力の表象としてネコ科動物とヘビの置換可能性をみとめるならば、ヘビ、

魚、ネコ科動物という三者は権威/権力あるいは生/死という観念を表象する記号論的同一物であると

解釈することができる。 しかし、プカラ文化では権威/権力を構造的に明示したティワナクの「太陽の門」のような石彫がイ

デオロギーの固定化装置として現れなかった。そうしたイデオロギーはむしろ布という媒体に表現され

たのである。布は携帯性に富むが、可塑性や耐久性の点では土器や石彫に劣る。そうした物性は、ジャ

ガーやヘビが表象した権威/権力の定着には不向きであろう。そこがのちのティワナク文化と大きく異

なる点であり、プカラ社会の社会政治的特徴である。 3.ティワナク文化における動物表現 では、ティワナク文化においてヘビはどのような媒体にどのようなかたちで表現されたのか。それを

検討する前に、まず本節ではティワナク文化における動物表現の全体像を把握しておきたい。 その際に注目したいのが可動性という表現媒体の性質である。ある図像に何らかの意味、とりわけイ

デオロギーを付与する場合、表現媒体の可動性はその物性とともに意味を伝達する範囲や度合いを左右

する。可動性の程度を基準にすれば、一方の極には建築や大型の石彫を、もう一方の極には小型の石彫

のほか、土器や骨角器、木製品、織物を位置づけることができるが、以下では、前者の例として大型石

彫を、後者の例として土器を取り上げる。

図 13: プカラ様式土器に見られる「ジャガー=ヘビ」のモチーフ(上)。下はそれに「頭飾り」

を伴ったもの[S. Chávez 1992]。

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3-1.石彫と動物たち 石彫に見られる図像表現を総括すると、ティワナク様式には、ヤヤ=ママ/パハノ様式やプカラ様式の

石彫にはみられなかった特徴が現れる。それは動物を石彫の中心テーマから排除した点である。たとえ

ば、「ベネットの石像」の中心テーマに据えられているのは人物である(図 14)。「太陽の門」も同様で、

そのまぐさ石に高浮彫で表現された中央の「杖の神」も、それに向き合って浅浮彫で表現された「従者」

あるいは「走る人」とよばれる横向きの図像も、基本的には人間的モチーフである。また、直方体をし

たヤヤ=ママ/パハノ様式やコンコ・ワンカネ様式の柱状碑に見られるように、四面のうち平行する二面

に人物像を表わし、それらに直交する別の二面に動物図像を配して、ひとつの石彫の中に動物と人間を

同格として表現する例もない。石彫という表現媒体に限っていえば、ティワナク文化の動物たちは前述

した人物像を構成する装飾要素として表現されたのである。 ただし、あらゆる動物が装飾要素に取りあげられたわけではない。ティワナクの宗教イデオロギーを

端的に表わすと言われる「太陽の門」を例にとれば、これを飾る動物図像のほぼすべてがネコ科動物(ピ

ューマ、ジャガー)、魚、そしてコンドルによって占められている(図 15)。「ベネットの石像」や「ポン

セの石像」についても同様で、この三種類の動物のほかにティワナクの石彫を飾る動物として確認でき

るのは、ラクダ科動物とヘビだけなのである。

ネコ科動物をモチーフとした丸彫り

の「チャチャプーマ」(図 16)とよばれ

る石彫もまた、純粋な動物的モチーフで

はない。たとえば、「アカパナのピラミ

ッド」西方大階段の最下段脇に置かれた

「チャチャプーマ」像は、膝の上に人間

の頭部を抱いた姿勢で表現されている。

その姿は動物として不自然であり、むし

ろ擬人化されたものである。また、手に

斧と戦勝首級をもった「チャチャプーマ」

像も見られるが、その姿はプカラ文化に

おける「首切り執行人」を想起させる。

このように人物的モチーフは完全に排

除されてはいない。 例外があるとするならば、コパカバナ半島のオヘ遺跡で見られるヘビの石彫であろう[Portugal Ortiz

1998: 233](図 17)。この石彫は地表面に露出しているが、形成期の石彫製作伝統とは一線を画した高浮

彫という表現技法から判断してティワナク期に製作された唯一の動物石彫である可能性が高い。

図 14(左): 「ベネットの石像」(筆者撮影、1999 年) 図 15(右): 「太陽の門」の中央を飾るいわゆる「杖の神」

図 16(左): 「チャチャプーマ」[Kolata 2004]。 図 17(右): オヘ遺跡のヘビの石彫[Portugal Ortíz 1998]。

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3-2.土器を飾る動物たち これに対してティワナク様式の

土器には、描画と塑像という二つ

の手法をもちいて動物を単独で表

現した例が見られる。たとえば描

画表現では、ネコ科動物(ピュー

マ、ジャガー)、コンドル、リャマ、

シカ、イヌ、フラミンゴ、ヘビ、

アリクイに似た動物が描かれてい

る(図 18)。そのうち、少なくとも

ネコ科動物(ピューマ、ジャガー)

やコンドル(図 19)、リャマ、そし

てヘビと水鳥、サルについては塑

像でも表現された。また、土偶に

はタツノオトシゴもある 13。 土器という媒体に現われる動物

表現を石彫のそれと比較して明ら

かなのは、1)石彫に比べて土器

に表現される動物のほうが多様で

ある、2)動物の単独表現は概ね

土器に限られる、という点である。

おそらく前者は、ティワナク文化

が中央アンデス南部の地域間交流網のなかで形成された事実と関

連している。その一方で、動物の表現媒体が石彫から土器へとシフ

トした事実は、石彫を通じて半永久的に記憶化され、伝達されるべ

き情報の媒体として、ティワナク文化をになった人々が人物像を嗜

好したことを示している。すくなくともティワナク遺跡の景観のな

かで、それまで動物が備えていた表象装置としての重要性は大きく

低下したのである。しかし逆説的に考えれば、動物による表象は土

器を主な表現媒体とすることで可変性と一時性を備えたことにな

る。 4.ヘビとティワナク これまで本論では、形成期ティティカカ湖盆地の動物表現に、ヘ

ビという動物と豊饒性や生/死、権威/権力といった観念との間の

表象関係を認めた。またアマゾン先住民の神話を糸口に、ヘビとい

う記号が魚やネコ科動物と置換可能な存在ともなりうることを指

摘した。では、ティワナク文化の世界観においてヘビはどのような

位置を占めたのだろうか。以下では、①ヘビの表現形式と②ヘビに

まつわる表象関係という二つの視点からその問題を検討してみた

い。 4-1.「伝統的な」ヘビと新たなヘビ プカラ文化において初めて現われた「ジャガー=ヘビ」という表

現形式はティワナク文化にも受け継がれ、石彫と土器のいずれにも

表現された。石彫における好例は「コチャママの石像」で、その左

の肩口には牙をむき出しにしたジャガーの頭部とヘビの胴部が組

み合わされた「ジャガー=ヘビ」が表現されている(図 20)。土器

13 なお、青銅製品にはキツネを象ったものがある[Kolata 1993: 121, Fig.5.16]。

図 18(左): ティワナク様式土器と動物たち。上のケロにはコンドル(外)とフラミンゴ(内)、下の注口付中頸壺にはヘビが描かれている。(ボリビア国立考古学博物館にて筆者撮影、1999 年)

図 19(右): 立体造形された動物たち。(ボリビア国立考古学博物館にて筆者撮影、1999 年)

図 20: 「コチャママの石像」。矢印の箇所に「ジャガー=ヘビ」の図像がみえる。

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では、橋型注口壺や外反縁屈曲深鉢にも「ジャガー=ヘビ」

が表現されたものがある(図 18 参照)。ただし、それらと

プカラ文化における「ジャガー=ヘビ」との間には明らか

な相違点もある。ティワナク文化における「ジャガー=ヘ

ビ」は、プカラ文化のように「頭飾り」を伴わないのであ

る。 「ジャガー=ヘビ」と同様に、「双頭のヘビ」もティワナ

ク文化に受け継がれた表現形式である。その好例は、「太陽

の門」の「従者」たちの下に表現された「双頭の魚/ヘビ」

である[Clados 2009]。 一方で、稀有な例ではあるものの、ティワナク期にはい

って新たなヘビの表現形式も現れている。その一つは、「リ

ョヘタ」の石彫に刻まれた「羽をもつヘビ/魚」である(図

21)。ティワナク文化において「羽をもつヘビ/魚」が表現

されているのはこの一例にすぎないが、アンデスにおいて

権威を象徴する杖を持った人物の胸元に表現されたその構

図は、プカラ文化の「ネコ科動物=男性」の図像に見られ

るヘビと権威の関連性を想起させる。その意味で、この表

現もまた先ティワナク期にティティカカ湖盆地において発

達したヘビの表現形式を継承したものと解釈することがで

きる。 興味深いのは、「ジャガー=ヘビ」的要素との結合がみら

れながらも、生物学的に同定可能な存在としてのヘビも表現される点である。それがガラガラヘビ

(Crotalus durissus spp.)である(図 22)。ガラガラヘビの特徴は菱形連続文を備えた胴部と二股に分かれ

た尾部だが、ティワナク文化に入ってそ

れを忠実に再現した図像が現れるのであ

る。 ガラガラヘビはアメリカ大陸に広く分

布する毒ヘビで、南米大陸ではミナミガ

ラガラヘビ(Crotalus durissus terrificus)属の九種が知られている。いずれもアン

デス山脈東側のサバンナ地帯に固有の種

であり、標高 3,800mを超えるティティカ

カ湖盆地には生息しない 14。それにもか

かわらずその特徴をとらえた図像表現は、

総体としての「ヘビ」ではなく種として

のガラガラヘビを描いていることを示し

ている 15。 4-2.ティワナクにおけるヘビのシンボリズム では、ティワナク文化においてヘビはどのような要素と結び付けられていたのだろうか。以下では、

表現媒体の違いに着目しながらその問題を検討してみたい。

14 本来、ティティカカ湖盆地周辺に棲息しているのは、Tachymenis peruviana 一種のみである[Vellard 1992]。 15 とはいえ、ガラガラヘビの表現はティワナク文化に固有のものではない。すくなくとも、エクアドルのチョレーラ文化、

アルゼンチンのサンタ・マリア文化、ペルーのワリ文化に胴部の連続菱形文からガラガラヘビと解釈できる表現例がある。

このうち、ワリ文化はティワナク文化と同時期に中央アンデス地帯に成立し、図像表現において多くの共通性が認められ

る文化であり、アンデス山脈の東斜面にも進出していたことが近年判明している。エクアドル海岸地帯に興ったチョレー

ラ文化については断言できないが、すくなくともほかの二文化とティワナク文化はアンデス山脈の東斜面との間に何らか

のかたちで交流を持っており、ひとびとがガラガラヘビについての知識を直接的/間接的に得る回路を保有していたであ

ろうことは想像に難くない。

図 21: 「リョヘタ」の石像([Portugal Ortíz

1998]をもとに筆者作成)。

図 22: 「ガラガラヘビ」の図像[Posnansky 1957]。

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4-2-1.ヘビと権威/権力―石彫に見られるシンボリズム(1) 2-4 に示したように、ティティカカ湖盆地では「権威/権力を表象するヘビ」という関連図式がプカラ

文化において初めて成立した。ティワナク文化では、同じ関連図式が「ジャガー=ヘビ」を左肩口に刻

まれた「コチャママの石像」(図 20 参照)、「羽のあるヘビ」で胸元を飾る「リョヘタ」の石彫(図 21 参

照)、そして「太陽の門」のレリーフの中央に配された「杖の神」などに認められる(図 15 参照)。 詳しく見ると、ネコ科動物の頭部をもつものと、魚の頭部をもつものがあるが、いずれも胴部が長く

四肢をもたない点、そして尾部が三叉に分かれている点で共通している。また、「巨大頭像」の頭飾りに

は、四面に一匹ずつ上向きのヘビが表現されているが[渡部 2010: 314, 図 6-34]、こちらは一尾である。

このように、ティワナク文化における「ヘビ」の表現形式そのものは多様であり、それらは必ずしも同

一のシニフィエではないのかもしれない。 いずれにしても注目すべきなのは、それらが神格的図像表現(「太陽の門」および「リョヘタ」)ある

いは人物石彫群(「コチャママの石像」および「巨大頭像」)を飾る点である。レリーフの構図(「太陽の

門」)や頭飾りやケロ(「コチャママの石像」)といった付随表現を考慮すればこれらの石彫が権威/権力

を表象したものであることは明らかであり、ヘビの図像もまた一定の権威を表象する図像として用いら

れたと解釈して差し支えあるまい。 ただし、ヘビは権威/権力を表象する唯一の動物ではない。たとえば、おなじく「杖の神」に準ずる

神格的表現をともなった「太陽の像」では、「杖の神」や「リョヘタ」の神格的表現においてヘビの図像

が占めていた身体中央を「ネコ科動物」が占めている。その点は、プカラ文化において複数の動物と「王

冠」が関連付けられていた点に類似する。 4-2-2.死とヘビ―石彫に見られるシンボリズム(2) ティワナク遺跡から南に二キロメートル離れたポコティアで

発見された石彫群がある(図 23)。そのターバンを身に着けた痩

身の丸彫り人物坐像は、石彫の表現形式もティワナク様式よりも

プカラ様式のそれに近く、上半身裸体である点でティワナク様式

の人物立像と大きく異なる。その人物がターバンとともに身に着

けている頭部から顔の側面を経て背中へ垂らしている帯の両端

が、ヘビの頭部で表現されているのである[Portugal Ortíz 1998: 140, Fig.122, 123]。すなわち、「双頭のヘビ」である。

この人物坐像の素性は不明である。しかし「裸身」であるばか

りか肋骨の浮き出た「痩身」の人物として、しかも「坐像」とし

て表現されている点は、ティワナク様式で作成された人物立像の

いずれにも見られない対照的な要素であり、権威/権力とは正反

対のイメージ、たとえば「死」を想起させる。 形成期まで「双頭のヘビ」の表現は必ずしも否定的なイメージ

を喚起する図像ではない。しかし、上下という対立する二方向に

頭を向けたヤヤ=ママ様式の「双頭のヘビ」の表現例が示すよう

に、ヘビは対立する二要素を備えた両義的存在でもあるのかもし

れない。そのように考えれば、ヘビがときに豊饒性(2-4.参照

のこと)とは対照的な死を表象する動物として表わされたことも

理解できる。前述したプカラ様式の「首切り執行人」像はその端的な例である。しかし、「双頭のヘビ」

がポコティアの石彫群から連想されるような否定的なイメージと明確に結びついたのは、これが初めて

である。 4-2-3.ヘビと水―土器にみられるシンボリズム(1) 土器からは異なったヘビと表象の関連図式を読み取れることができる。その一つはヘビと水とを結び

つけるものである。立体的な動物形象を伴う代表的なティワナク様式の土器としてもっとも知られてい

るのは、香炉やケロと呼ばれる朝顔型杯である。いずれもネコ科動物やラクダ科動物、コンドルの立体

造形で口縁部や胴部を飾る例が知られている。

図 23: ポコティア様式の人物坐像

[Portugal Ortíz 1998]。

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ヘビもまたケロやチャヤドールと呼ばれる底部に穴の開いた

漏斗型の献酒器を飾る立体造形の一つとして知られ、器に巻きつ

き口縁に頭部をもたげるように表現される(図 24)。しかし、そ

うしたヘビの立体造形が香炉の装飾にもちいられた事例はこれ

まで知られていない。逆に、香炉を飾るその他の動物はケロの装

飾としても用いられるのである。 ここで土器をめぐる実践に注目して動物と土器との関連を検

討してみたい。香炉は香を焚くための容器であり、火をもちいる。

その一方で、インカ期に事例を考慮すれば、ケロはトウモロコシ

で醸造されたチチャ酒を注ぐ容器である可能性が高い。極度な朝

顔型をしたチャヤドールもその形状は固体よりも液体を受ける

ことに適している。すなわち、それぞれが火および水と強く結び

ついた道具なのである。以上のように考えてみるとヘビと香炉の

否定的関係は興味深い。水を表象するヘビは、香炉およびそれ

を飾る動物たちと対立関係にあるのかもしれない。 4-2-4.ヘビと境界―土器にみられるシンボリズム(2)

土器からみえる二つ目の関連図式は、世界そのものの見方と

かかわっている。たとえば、ティワナク様式土器のなかにはヘ

ビの図像とあわせて星の図像を描くものがある(図 22 参照)。

もちろん図像の併存は必ずしも表象関係を指示するものではな

いが、視野を中央アンデス全体に広げれば、天上の表象として

のヘビというシンボリズムはペルー海岸部の広い範囲で認めら

れている。たとえば、ペルー北海岸に成立したモチェ文化では、

「星」、「空」、「虹」と「双頭のヘビ」との結びつきが認められ

るという[Clados 2009]。 しかしティワナク文化において興味深いのは、ヘビが単なる

「天上」以上のものを表象している点である。たとえば、パリ

ティ島で発見された儀礼的埋納遺構に含まれていた二個一組の

ケロがある(図 25)。そこには二匹のガラガラヘビとそのあいだ

に立つ二匹の怪獣(神獣?)が描かれている。構図上、下のガ

ラガラヘビが大地に見立てられており、さらに前段の例を考慮

すれば、この図においてヘビが地下界/地上界/天上界を分け

隔てる境界の役目を帯びていることは確かである。 しかし、この境界としての表象もティワナク文化において全

く新しく想像されたものではない。ここでふたたびヤヤ=ママ

/パハノ様式やコンコ・ワンカネ様式の石彫に見られる「双頭

のヘビ」を思い起こしたい。すでに見たように、石彫にみられ

る「双頭のヘビ」は一般に上下二方向に頭を向けた姿で描かれ

る。それを仮に上という観念と下という観念を同時に表象する

「イメージ・スキーマ」[ジョンソン 1991; レイコフ 1993]とするならば、パリティ島のケロの図像は、

そのおなじイメージ・スキーマが異なるかたちで表出したものである捉えることができる。同様の視点

に立てば、「上向きのヘビ」をかたちづくるイメージ・スキーマが天上とヘビとの表象関係と、対立する

二要素の同所的表出というイメージ・スキーマが生/死とヘビの表象関係を生み出していることになる。 5.「ガラガラヘビ」はどこからやってきたか―認知論的考察 ここで、あるヘビの表現形式について検討してみたい。ガラガラヘビである。認知という観点から言

えば、先スペイン期のティティカカ湖盆地史においてティワナク期に現われたガラガラヘビの図像は、

それ以前から表現されてきたヘビの図像と比較すると次の点で異質である。まずこの図像が、長い胴部

図 24: ガラガラヘビの巻き付いたチャヤドール[Sagárnaga Meneses 2008]

図 25: パリティ島出土のチャヤドール。この写真では頭部が見えないが、連続菱形文(矢印部)から二匹のガラガラヘビの存在を確認できる。その間には怪獣(神獣?)が見えている[Sagárnaga Meneses 2008]。

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を特徴とする一般的分類としてのヘビではなく、特定の形質を備えた個別種としてのヘビを表現してい

る点である。もうひとつは、ガラガラヘビの表現媒体として選択されたのはもっぱら土器であり、石彫

に表現された例が認められていない点である。 すでに見てきたように、ティティカカ湖盆地にはおそくとも形成期中期以後、ヘビを様々なかたちで

表現し、何らかの表象として用いる文化があった。ティワナク文化もまたそれを受け継いでいることは、

前段までに示した。もちろん、歴史を通じて図像と表象の関連図式が不変であったとは限らないし、新

たな表象がヘビという図像に付与されることもあったであろう。しかし、その場合でもそれまで培われ

てきた図像的要素をブリコラージュすることによって新たな表象に対応した新たな図像を作り出すこと

は可能である。たとえば、「リョヘタ」の石像にみられる「羽のあるヘビ」は先ティワナク期に類例が見

当たらず、新たな表象として生成した可能性がある。にもかかわらず、それをティティカカ湖盆地にお

いて馴染み深い「一般分類としての」ヘビの図像のなかに埋没させず、別個の図像としてデザインする

という行為には、ガラガラヘビという図像をあえて差別化する意図が汲み取れるのである。 現に、ガラガラヘビの図像もまた、考古学において「ティワナク様式」と分類される一定の様式にし

たがって表現されているが、前節で指摘したようにそれらは星の図像とともに表現されたり、新たな仕

方で世界を分割する「境界」として用いられたりするなど、形成期から続く「伝統的」なシニフィアン

/シニフィエ関係を示さない。 加えて重要なのは、ガラガラヘビの図像が石彫という媒体に表現された例が見られない点である。繰

り返し述べているように、土器と比較した石彫の特性とはその物性に由来する耐久性である。ヤヤ=ママ

/パハノ様式の石彫にみるように、ティティカカ湖盆地においても早くからある種の図像を伴った石彫

が製作されたのは、それがイデオロギーやメッセージ、記憶を永続化する装置として優れていたからで

ある。ティワナク文化においても石彫がイデオロギーを伝達する媒体として利用されていたことは、権

威の象徴である杖を携えた人物図像が石彫に多く表現されたことから推察できる。また、その重量によ

って付与される固定性という特性も、図像に付与されるメッセージの不変性とコントロールという点に

おいてイデオロギーの伝達に適している。 それに対して、石彫と比較したときに土器という媒体が優れているのは、その可動性と可塑性である。

可動性はそこに表現されたイデオロギーを広範囲に伝達する際には不可欠な性質である。しかしそれは

同時に、そのメッセージを完全に制御可能な領域の外へ解き放ち、その意味や図像そのものの流用と可

変を許す要素でもある。 以上のように認知と表現媒体の物質性という視点からガラガラヘビという図像をとらえたとき、そこ

には新たな図像とその意味の操作をめぐる「駆け引き」を読み込む余地が広がろう。すなわち、イデオ

ロギーの伝達媒体として最適な石彫には表現しない/させないものの、ティワナク様式の中でその図像

を表現しよう/させようという力学と、従来の表現様式に従いながら、土器の物質性を利用することに

よってヘビの図像に新たな意味と解釈の余地を与えようとする力学による「駆け引き」である。そうし

た現象は、古くからのイメージ・スキーマが、土器という表現媒体と、ティティカカ湖盆地の人びとを

それまで「外的」であった空間に結びつけたティワナク期の人(そしてもの)の移動という二つの要素

と組み合わさることによってはじめて実現したのである。 6.ガラガラヘビの先へ―認知考古学的にみたティワナク国家崩壊仮説 では、そうした「駆け引き」の担い手はだれか。また、いつごろ生じたのか。それを検討することが

次の課題である。現在のところ、ガラガラヘビの表現を伴う土器で出土コンテクストが明確なのは二例

ある。 そのひとつはパリティ島の埋納遺構である。総計 559 点にのぼる遺物が埋納されたこの遺構には、ケ

ロやチャヤドール、注口付碗など、飲/献酒行為を連想させる土器群に加えてこれまで未知であった土

器群が多数含まれていたほか、同じ意匠の土器が二個一組で破砕埋納されていた。しかし論に即して着

目したいのは、ガラガラヘビのほか、サルやリャマ、コンドル、水鳥、タツノオトシゴ[Sagárnaga Meneses 2008: 12, fig.22]といった動物が形象土器として「自然主義的/具象的」かつ立体的に表現されている点で

ある。 ティワナクの土器文化において立体的な動物表現の典型であるのは、ネコ科動物とコンドルである。

リャマやガラガラヘビを除けば、ほかの動物が立体的に表現された例は皆無に等しい。また、石彫文化

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に目をむけても、それらの動物がデフォルメ化/形式化あるいは擬人化をともなって表現された例はな

い。しかしこの埋納遺構では、ティワナク様式に即して製作された多様な「自然主義的/具象的」な形

象土器が、非常に「伝統的な」土器と共伴出土するのである。この状況からどのようなことが読み取れ

るだろうか。 ひとまず注目したいのは動物表現の「自然主義性/具象性」である。というのは、デフォルメ化と異

なって具象化という行為は対象の主体的表現であり、製作者自身の経験や記憶、彼/彼女を取り巻く社

会的環境といった個人的、歴史的、実践的フィルターを介した対象の把握行為であると考えられるから

である。 そこで形象土器に表現された動物に目を向けると興味深い。まず、ガラガラヘビ、サル、そしてタツ

ノオトシゴは、ティティカカ湖盆地に棲息する動物ではない。ガラガラヘビとサルはアンデス山脈東側

のアマゾンやサバンナという環境を想起させる動物である。タツノオトシゴは海洋であろう。たいして、

水鳥やリャマはティティカカ湖盆地に馴染みの動物である。つまるところ、それらは太平洋岸からアン

デス東斜面までほぼすべての生態環境に棲息する動物たちであり、ティワナク様式の物質文化やひとが

移動した範囲と重なるのである。 表現された土器のかたちも興味深い。非「伝統的」といえる土器なのである。たとえば、ガラガラヘ

ビはチャヤドールとの関連がつよい。細く窄まった底部に開孔のあるチャヤドールはアンデス山脈東側

の地域に起源をもつ器種であり、本来ティティカカ湖盆地の物質文化伝統に属さない。 いずれにしても、これまでに報告されている器種構成から、これらの土器はおそらく饗宴行為や献酒

行為を含む儀礼の一部を構成したものであると考えられる。儀礼そのものはティワナク遺跡内で行われ

た可能性もあるが、すくなくとも埋納行為そのものはパリティ島で行われた。発掘調査ではこの遺構を

取り囲むように建てられた壁の痕跡が確認されており、埋納が閉じた空間で行われた可能性が指摘され

ている[Korpisaari and Sagárnaga Meneses 2007]。 以上を踏まえたうえで、パリティ島埋納遺構のなかに上述の「せめぎあい」を見出してみたい。この

遺構には石彫との関連が深い「杖の神」の図像を伴うケロが含まれている。その意味でこの行為が「杖

の神」とそのイデオロギーに代表される「伝統」という枠組みと無関係ではなかったことは確かである。

しかしそこに含まれる動物図像という点から見れば、この儀礼が石彫の表現されたような「伝統的」な

ティワナク・イデオロギーとは「異質な」性格を併せ持っていた可能性が指摘できる。たとえば、形成

期からつづく「ヘビ」という動物表現には「ガラガラヘビ」という新たな姿が与えられた。形象土器に

表現された動物群との関連をも併せ考えれば、すくなくともヘビがこの行為が行われた時点における行

為者によって認識されていた世界の一部を表象したことは想像に難くないであろうが、そこには従来の

ヘビ図像では絡め取ることのできない別の意味が付与されていた可能性がたかい。残念ながら埋納行為

に先立つ儀礼とその行為者をあとづける考古学的証拠は今のところ報告されていない。しかしながら、

「杖の神」や装飾様式に代表される旧来のイデオロギーに則りながらも全く新しい物質文化に特徴づけ

られた行為の連鎖が最終的にティワナク遺跡ではなくパリティ島での埋納に帰結した事実は、前節で指

摘した力学とそのせめぎあいを示唆するものと捉えることができるのではないだろうか。 現在報告されている放射性炭素年代測定によれば、この埋納行為が行われたのは 9 世紀後半から 12 世

紀半ば、つまりティワナク遺跡がその社会政治的、文化的中心としての求心力を失いつつあった時期で

ある 16。 ではこうした、「せめぎあい」の芽はいつごろに撒かれたのであろうか。それはすくなくともティワナ

ク 1 期後半(後 600-800 年)までさかのぼる可能性がある。ティワナク遺跡の外郭部であるチヒ・ハウィ

ラで発見されたこの時期とされる埋葬から、ガラガラヘビの胴部と尾部をもった「ジャガー=ヘビ」を描

いた注口付水差しが出土しているのである[Rivera Casanova 2003: 298, 299 Fig.11.4]。 興味深いのは、チヒ・ハウィラに居住した人々がコチャバンバやオメレケ、ヤンパラといったアンデ

ス山脈東斜面由来の土器を入手しつつ、自身で土器製作も行っていた存在でもあった点である。つまり、

本来的に非ティティカカ湖盆地伝統との結びつきを備えた集団なのである。第一節で述べたように、テ

16 パリティ島埋納遺構は一号遺構と二号遺構からなるが、前者については較正年代として A.D.890-1000 年(2-sigma)、後

者については A.D.990-1150 年(2-sigma)という年代が得られている[Korpisaari and Sagárnaga Meneses 2007: 19, 24]。それぞ

れの測定値は離れているものの、19 点の土器について、同一個体を構成する土器片が二つの遺構にまたがって出土してい

るため、両遺構は同時期のものと考えられる[Korpisaari and Sagárnaga Meneses 2007: 11]。

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ィワナクのパンテオンの形成にはティティカカ湖盆地だけでなく中央アンデス南部の文化が関わってい

た。「走る人」/「鳥人」の図像がその一例であった。しかしながら、ガラガラヘビは、ティワナク遺跡

にもたらされたのが国家イデオロギーに関わる表現だけではなかった可能性を示している。国家イデオ

ロギーからこぼれ落ちた精神世界を表象しうる表現もまた同時に引きつけたのである。この事実が示す

のは、ティワナク国家の成立と崩壊が中央アンデス南部全体のネットワークによってすでに準備されて

いたということではないだろうか。 おわりに 本論ではティティカカ湖盆地におけるヘビの図像とシンボリズムを整理し、認知考古学的視点に立脚

しながら、インカの宗教政策に対応するようなティワナクという初期国家における国家イデオロギーと

民間信仰との接合あるいは対立状況を読み解く試みを展開した。本論で注目したガラガラヘビの図像を

伴う土器は必ずしも多くなく、その土器が使用された場や使用した行為主体をあとづけることのできる

考古学的資料も現段階では二例しかない。 しかしながら、図像とその表現媒体の物質性に着目した本論の試みは、ティワナク研究における認知

考古学的視点の有効性を示し得たのではないだろうか。ティワナク遺跡の発掘調査はこの 20 年で大きく

前進した。しかしながらひとのこころの動きにまで踏み込んだ認知考古学的研究はまだない。ティワナ

ク研究、とくに図像学的研究における既存の枠組みを打破するための今後の課題は、ティワナク文化を

作り上げた人々の心の動きがどのようにその展開を方向づけたかをさらなる考古学資料に依拠して検討

すること、つまり本論が最後に暗示した「心の力学」をどれだけ多角的に示し得るか、である。

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9. Symbolism and Ideology of Serpent: the Cognitive Archaeology and Tiwanaku studies

Yoshifumi SATO*

In the process of integrating the great expanse of the diverse ethnic groups and local societies in the Andean region, the Inca state operated the religious statecraft which ideologically structured social relations between the Incas and the conquered groups by superimposition of the state deities, Viracocha and the Sun, on the belief system of the locales. We know, however, that the Inca state is the last one that emerged in the Andean Civilization and had many precursors who developed their own cultural, sociopolitical, and economic lives. Taking such a historical perspective, we will encounter a question what kind of religious statecrafts their precursors-earlier state societies-practiced to maintain their political organization.

This essay examines articulation and conflict between the state ideology and popular beliefs in the core area of the prehispanic Tiwanaku state. Tiwanaku is one of the earliest states, the Inca’s precursor developed in the Lake Titicaca basin around the sixth century. Its material cultures expanded from the homeland to Bolivian subtropical, far-north Chilean Deserts and Northwestern Argentine. Recent iconographic studies on the formation process of the Tiwanaku sacred icons (South Andean Iconographic Series) emphasize the importance of the interregional cultural interactions among those regions.

This essay focuses on the snake motifs which decorated the Tiwanaku material cultures. Snake is one of the oldest animal motifs that originated in the basin’s Formative Periods and probably represented water and earth as the generative power. Later, Pucara culture newly invented the way of using it as a representation of the political/religious authority and power. These pre-Tiwanaku representation systems were succeeded to and expressed on the Tiwanaku material culture in the varied ways.

However, a new serpent motif also emerged in the Tiwanaku period. This new motif, the rattlesnake (a biological species originated in Amazonian savanna), has close relation with celestial world or world borders, while it followed to the traditional Tiwanaku art style. When we pay attention to the medium that carried this new motif as well as its materiality, we can find the exclusive relationship with ceramics of high plasticity, mainly with kero and challador associated with liquid. Compared with stone materials, clay has fragility ineligible, for example, to perpetuate the state ideology, although the mobility plays certain role to diffuse it. The very materiality, however, may offer to commoners the ability implicitly to appropriate the state art style and express their informal or domestic cosmological world.

While we know only a few archaeological contexts about the way to use the ceramics with rattlesnake motif, one of them exposed at the capital site tells us the emergence in Ch’iji Jawira during the Late Tiwanaku 1 period (AD 600-800). Moreover, the archaeological evidences indicate the occupants in this sector had strong relation with eastern valleys of Cochabamba and regions of Southern Bolivia, possible homeland of rattlesnake. If they were one of the inventors or gateways of this new motif and related representations, at least the very same interregional interaction networks that contributed to the formation of the state pantheon and ideology might also prepare a foundation for commoners cosmologically to conflict, compete or resist the state elites.

*Visiting Researcher, National Museum of Ethnology. Visiting Researcher, Cultural Symbiosis Research Institute, Aichi Prefectural University.

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