a 心肺蘇生法の概念救命の連鎖 chain of survival...

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26 第 3 章 心肺蘇生法 A A 心肺蘇生法概念 心肺蘇生法 cardiopulmonary resuscitation(CPR) とは 何らかの原因で呼吸または循環が停止したり,生存に不十分なレベルまで低下したりし たときに行われる救急救命処置です。ヒトの脳は酸素欠乏に弱く,4 分以内に CPR を開始 しないと,たとえ救命できても脳死を免れません。 救命連鎖 chain of survival このような CPR は一次救命処置basic life support (BLS)と二次救命処置advanced cardiac life support (ACLS)に分かれます。前者は最初に行われる処置で,原則として医 療器具を用いずに,一般市民が行います。他方,後者は医師や訓練を受けた救急救命士が 医療機器や薬剤を用いて行う高度な処置で,一次救命処置からスムーズに移行されなけれ ばなりません。 アメリカ心臓協会(AHA)のガイドライン改訂版(ガイドライン 2010)では,従来の 4 つの鎖(119番への出動要請,心肺蘇生,除細動,二次救命処置)に“心停止後のケア” を1 つ加え,5 つの鎖救命の連鎖(図 1)とし,その必要性を訴えています。 図1 救命の連鎖

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Page 1: A 心肺蘇生法の概念救命の連鎖 chain of survival このようなCPRは一次救命処置basic life suppor(Bt LS)と二次救命処置advanced cardiac life suppor(tACLS)に分かれます。前者は最初に行われる処置で,原則として医

26 第3章 心肺蘇生法

A心肺蘇生法の概念

A 心肺蘇生法の概念心肺蘇生法 cardiopulmonary resuscitation(CPR)とは

何らかの原因で呼吸または循環が停止したり,生存に不十分なレベルまで低下したりしたときに行われる救急救命処置です。ヒトの脳は酸素欠乏に弱く,4分以内にCPRを開始しないと,たとえ救命できても脳死を免れません。

救命の連鎖 chain of survival

このような CPR は一次救命処置basic life support(BLS)と二次救命処置advanced cardiac life support(ACLS)に分かれます。前者は最初に行われる処置で,原則として医療器具を用いずに,一般市民が行います。他方,後者は医師や訓練を受けた救急救命士が医療機器や薬剤を用いて行う高度な処置で,一次救命処置からスムーズに移行されなければなりません。

アメリカ心臓協会(AHA)のガイドライン改訂版(ガイドライン2010)では,従来の4つの鎖(119番への出動要請,心肺蘇生,除細動,二次救命処置)に“心停止後のケア”を1つ加え,5つの鎖で救命の連鎖(図1)とし,その必要性を訴えています。

図1 救命の連鎖

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27 第3章 心肺蘇生法

B一次救命処置

B 一次救命処置 basic life support(BLS)

1 BLS の実際

BLSは,C→A→Bで救命の効率化

まず最初に,倒れている人の肩を軽く叩き,呼びかけをして“意識の確認”を行い,意識がなければ直ちに救急対応システムに通報をします。次いで BLS を実施するのですが,従来は,気道の確保(A)→人工呼吸(B)→胸骨圧迫(C)→必要がある場合には除細動

(D)の順序で行われていました。しかし,AHAのガイドライン2010では,このA→B→Cの手順をC→A→Bに変更(出生直後の新生児は除く)することを勧告しています。

これは,心停止に陥るのがほとんど成人であることに加え,胸部圧迫によって高い生存率を示すのが心室細動または無脈性心室頻拍であることに起因します。つまり,心停止を発症しているときには,換気よりも胸骨圧迫を優先することが重要だということです。

多くの場合,BLS は一般市民が倒れている人を発見する場面からスタートします。発見者が2人以上いれば,1人が CPR を行い,もう1人が119番通報すればよいのですが,1人しかいない場合はまず通報することを求めています(phone first)。

以下では,AHA の勧告した手順(C→A→B)に従って解説します。

図2 簡略化されたBLSアルゴリズム

心リズムをチェック/適応ならショック実施2分ごとに繰り返す

救急対応システムに通報

CPRを開始

強く,速く押す

除細動器を取りに行く

反応がない呼吸をしていないまたは正常な呼吸をしていない(死戦期呼吸のみ)

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28 第3章 心肺蘇生法

B一次救命処置

参考

2 胸骨圧迫:circulation(C)

硬い場所で,胸骨下1/3を5cm以上押し下げる1分間に100回以上行う胸骨圧迫30回に対して人工呼吸2回の組合せ

頸動脈の拍動を触れない場合には,胸骨圧迫を行います。ただし,一般市民にとって動脈拍動の触知は困難なことも多く,いつまでも拍動を探していて,いたずらに時間を空費するのも問題があります。したがって,p.27図2のアルゴリズムのように,反応がない,呼吸をしていないまたは正常な呼吸をしていない場合には,直ちに胸骨圧迫を開始してよいとしています。

死戦期呼吸 agonal respiration心停止の直後にみられる“しゃくりあげるような,途切れ途切れの呼吸”で,“下顎

が動いている”ため,あたかも正常な呼吸をしているようにみえます。あえぎ呼吸 gasping とも呼ばれます。死戦期呼吸=心肺停止と考えてください。

体 位

心臓を効果的に圧迫するためには,床が平らで固くなければなりません。ベッドなどの柔らかいところに臥床している場合には,いくら圧迫してもその力はクッションに吸収されてしまうので,硬い背板を置きます。また,胸骨圧迫の最大の目的は脳に血液を送ることなので,頭部が心臓よりも高い状態にならないようにする必要があります。

圧迫の位置

手掌根部を置く位置は,両側乳頭を結ぶ線の中央です。つまり,胸骨の下1/3くらいを目安にします。ただし,あまり下方すぎて,剣状突起に手がかからないように注意しなければなりません(骨折のおそれがあります)。

圧迫方法

効果的に圧迫するには手を組んだ方がよいでしょう(ただし,効果的な圧迫が可能であれば,必ずしも手を組む必要はありません)。そこで,片方の手掌根部を患者の胸部に置き,反対側の手掌をこの上に重ねます。

そして,救助者は腕を伸ばし,胸骨全体が5cm以上動く程度に脊柱に向かって圧迫します。胸を突くような動作では血液は駆出されず,逆に骨折の危険が増すばかりです。圧迫

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29 第3章 心肺蘇生法

B一次救命処置

のテンポは100回/分以上で実施します。

人工呼吸との組合せ

人工呼吸との組合せについてはいろいろと議論がありましたが,ガイドライン2010は以下のように勧告しています。救助者1人の場合は,30回の胸骨圧迫を行った後,2回の人工呼吸を行うとしています。救助者が2人の場合は,1人が胸骨圧迫を開始し,もう1人は気道を確保して胸骨圧迫が30回完了と同時に人工呼吸を行います。

胸骨圧迫はすぐに何回圧迫したかわからなくなってしまうので,救助者は「1,2,3,4」と声を出して数えながら実施しなければなりません。

効果の判定

可能であれば,以上の蘇生を行いながら,ときどき頸動脈に触れて,拍動があるかどうかを確認しましょう。胸骨圧迫が効果的であれば,60mmHg以上の血圧を得られるので,拍動が復活します。また,脳幹機能が回復すれば,散瞳していた瞳孔が縮瞳に向かいます。

乳幼児および小児の胸骨圧迫

救助者が1人であれば,まず30回の胸骨圧迫を行ってから,人工呼吸に移行します。また,救助者が2人の場合は,15回の胸骨圧迫を行ってから人工呼吸に移行します。

乳児では,救助者が1人の場合は,両側の乳頭を結ぶ線より1横指下方の胸骨上に中指と薬指の2本を当てて,胸部の前後径の1/3以上押し下げます(p.30図4a)。救助者が2人の場合は,上述の位置に左右の親指を当て押し下げます。ちなみに,このときもう1人の救助者は人工呼吸にあたります(p.30図4b)。

幼児(1~8歳)の場合は,体の大きさに合わせて片手で行うこともあります(p.30図5)。実際には,両側の乳頭を結んだ線の中央から少し下の部分を,手掌の付け根で圧迫します。

8歳以上の小児の胸骨圧迫部位は成人と同じですが,圧迫の深さは胸部の前後径の1/3以上です。

硬い背板

図3 胸骨圧迫の実際

腕は傷病者に垂直に

手を組んだ方が効果的

頭部は心臓より高くない

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30 第3章 心肺蘇生法

B一次救命処置

3 気道確保:airway(A)

呼吸の徴候がなければ,直ちに気道を確保します。頭部後屈・顎あご

先挙上法と下顎挙上法の2種類があり,その具体的な方法は p.14の図1・図2で示したとおりです。なお,頸髄損傷が疑われる患者には頭部後屈が禁忌であることも思い出してください。

4 人工呼吸:breathing(B)

気道の確保に続いて,直ちに人工呼吸を始めます。人工呼吸は陽圧をかけて空気を吹き込む方法で,何も道具がなければ呼気吹き込み法(mouth-to-mouth)で行います。ヒトの呼気中の酸素濃度は約16%で,大気中の21%には劣りますが,脳のダメージを遅らせる十分な効果があります。そして,バッグバブルマスク bag valve mask(バッグに送気逆流弁

図4 乳児の胸骨圧迫

b 救助者が2人の場合

両側乳頭を結ぶ線より1横指下方の胸骨に左右の親指を当て,毎分100回,胸の厚さの約1/3の深さを目安に胸骨を押し下げる。

a 救助者が1人の場合

両側乳頭を結ぶ線より1横指下方の胸骨に指を2本当て,毎分100回,胸の厚さの約1/3の深さを目安に胸骨を押し下げる。

図5 幼児の胸骨圧迫

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31 第3章 心肺蘇生法

B一次救命処置

と自動膨張機能を設置した人工呼吸器で,患者の鼻と口から換気を行う)が届いたら,E︲Cクランプ法(図6)を用いて人工呼吸を実施します。

5 心肺蘇生法 cardiopulmonary resuscitation(CPR)とバッグバブルマスクの実際

CPRの実際の流れ

意識の確認 倒れてる傷病者を見たら,肩を軽く叩きながら呼びかけ,反応があるかどうかを確かめる。

応援を呼ぶ 覚醒しないか,様子がおかしいときは直ちに救急隊連絡を行う。

図6 E-Cクランプ法

バッグバブルマスクマスクを,母指と示指でCを描くようにして押さえる。残りの中指,環指,小指は,Eを描くようにして顎を押さえる。

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32 第3章 心肺蘇生法

B一次救命処置

C:胸骨圧迫 直ちに胸骨圧迫を行う。◦ 胸骨圧迫部位は,乳頭と乳頭の間で,胸骨上に

片方の手の手掌基部をあて,もう片方の手を上から添える。

◦ 100回/分以上のスピードで,◦ 5 cm以上沈むほど強く圧迫し,圧迫後は胸骨が自然に元の位置に戻るよう心がける。

◦ 胸骨圧迫と人工呼吸を30:2で絶え間なく繰り返す。

◦ CPR は,AED が到着するか,蘇生チームに引き継ぐか,または患者が動き始めるまで継続する。

A:気道確保 片方の手で頭部を後屈し,もう一方の手(示指と中指)で顎

あご

先(下顎骨)を上方に挙上し,頭部後屈・顎先挙上法で気道確保を行う。

B:人工呼吸 呼気吹き込み法を1回1秒で,連続2回行う。◦ 頭部を後屈しながら,◦ 鼻をつまみ,◦ 気道開放を維持して行う。

胸骨上に置いた指先が,胸壁を圧迫しないように注意する。

このとき,肩-肘-手掌基部が一直線になる。したがって,視線は傷病者の体側より外側に向く。

このとき,挙上する指で頤部の軟部組織を圧迫すると,気道閉塞を来すので注意する。

胸部の挙上が十分であることを確認する。

おとがい

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33� 第3章 心肺蘇生法

B一次救命処置

バッグバブルマスクの保持と気道確保の実際

片手で下顎挙上を維持しながらマスクを顔面にフィットさせる。◦ 小指で下顎角を挙上する。中指,環指,小指は“E”の字になる。

◦ 母指と示指で“C”字の形になるようにしてマスクを顔にフィットさせる。

◦バッグの加圧は,胸郭の挙上が確認されるまで行う。◦加圧はゆっくりと行い,加圧時間は1秒とする。◦1回換気量は胸が軽く持ち上がる程度に行う。◦マスクから漏れがある場合は,マスクをもう一度あて直す。◦ 1人でマスク保持と人工呼吸が困難なときは2人で行う。この場合,1人はマスク保持,

もう1人は気道確保に専念する。

6 除細動:defibrillation(D)

AEDは,器械が心電図を自動解析し音声で指示する したがって,通電ボタンを押すだけでOK! 感電事故を避けるため,誰も患者に触れていないことを必ず確認

除細動による救命率

心室細動ventricular fibrillation(VF)は心室が無秩序に興奮し,結局1滴の血液も駆出できない状態です。血液をもらう立場の末梢臓器からみれば,心臓が止まっているのと

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192 第12章 救命救急に必要な基本手技

A消毒と滅菌

消毒薬耐性

近年は消毒薬耐性の一般細菌が増加しており,院内感染の起炎菌として問題となっています。特に,緑膿菌やセラチア菌は病院の排水溝などに生息しており,消毒薬が廃棄されるたびに頻繁に曝露され,その一部が次第に耐性化すると考えられています。これらの細菌が消毒薬の中に入り込むと,医療従事者が消毒したつもりでも,かえって汚染されるという深刻な事態を招くことになります。

4 医療従事者の手指の消毒

手洗いの種類

手指を含め,ヒトの皮膚には無数の菌が付着していますが,これらは通過菌と常在菌に分かれます。通過菌は,たまたま外界から皮膚に付着した細菌で,やがて消失していきます。他方,常在菌はヒトと共棲しており,取り除くことができません。

食事の前には石けんで手を洗いますが(これを日常的手洗いと呼びます),ここで取り除かれるのは通過菌であり,常在菌は残ったままです。これで手術に臨めば,本来は無菌状態であるべき体内が常在菌で汚染されてしまいます。そこで,手術前には消毒薬を用いた手術時手洗いを行わなければなりません。これによって,通過菌を完全に除去するととも

表1 消毒薬と有効微生物

水準 消毒薬 一般細菌 結核菌 芽胞 真菌 HBV・HCV その他のウイルス高 グルタラール ○ ○ ○ ○ ○ ○

次亜塩素酸系 ○ ▲ △ ○ ○ ○アルコール ○ ○ × ○ × ○ポビドンヨード ○ ○ × ○ × ○クレゾール ○ ○ × ○ × ×

低逆性石けん ○ × × ○ × ×クロルヘキシジン ○ × × ○ × △

○=有効,▲=有効と効果不十分の両方あり,△=効果不十分のことあり,×=無効

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193� 第12章 救命救急に必要な基本手技

A消毒と滅菌

に,常在菌を極力減少させることができます。ただし,手洗い直後は瞬間的に滅菌状態になるかもしれませんが,やがて皮脂腺,汗腺,毛囊などに潜んでいた常在菌が出て来るので,滅菌ではなく,消毒でがまんするしかありません。

上述した日常的手洗いと手術時手洗いの中間として,手術以外の医療行為の前などに行われる衛生的手洗いがあります。

衛生的手洗い hygienic hand washing

院内感染の予防を目的とした手洗いであり,皮膚通過菌のほとんどを除去することを目的としています。石けんと流水で十分な時間をかけて行えば(図1),通過菌の除去は可能ですが,即効的な殺菌力のある速乾性手指消毒薬も用いられます。

手掌で手背を包むように洗う。反対も同様に。

指の間もよく洗う。 親指までよく洗う。

親指の周囲もよく洗う。 指先と爪もよく洗う。

流水で洗浄する部分を濡らす。

薬用石けんまたは消毒薬などを手掌にとる。

手掌を洗う。

図1 衛生的手洗いの実際

手首も洗う。

❼ ❽

❶ ❷ ❸

❹ ❺

流水で洗い流す。 ペーパータオルなどでよく拭く。

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194 第12章 救命救急に必要な基本手技

A消毒と滅菌

手術時手洗い surgical hand washing

手術時手洗いは,手指から肘まで行う流水は,手指から肘に向けて流すこと

スクラブ法 scrub method とラビング法 rubbing method手掌に抗菌性スクラブ製剤(ステリクロンⓇスクラブなど)をとって,手をよく泡立てて揉

み洗いし,その後,流水で洗い流す方法がスクラブ法(p.195図2)です。scrub は“ゴシゴシ洗う”と言う意味です。

これに対して,あらかじめ非抗菌性石けん液を用いて手洗いを行った後に,アルコール

擦式製剤(ステリクロンⓇハンドローションなど)を手掌にとり,この製剤を消毒を必要とする部位すべてに擦り込むのがラビング法(ウォーターレス法 waterless method とも呼ばれる:(p.196図3)です。rubbing は“擦

こす

ること”あるいは“マッサージ”という意味です。ちなみに,スクラブ法とラビング法で,手術部位の感染発生率に有意差は認められていま

せん。近年では,抗菌性スクラブ製剤を用いて揉み洗いを行った後,ラビング法で消毒する two

stage surgical scrub method(two stage method)を用いる施設が増加しています。

手掌で手背を包むように洗う。反対も同様に。

指の間もよく洗う。 親指までよく洗う。

親指の周囲もよく洗う。 指先と爪もよく洗う。

流水で洗浄する部分を濡らす。

薬用石けんまたは消毒薬などを手掌にとる。

手掌を洗う。

図1 衛生的手洗いの実際

手首も洗う。

❼ ❽

❶ ❷ ❸

❹ ❺

流水で洗い流す。 ペーパータオルなどでよく拭く。

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195� 第12章 救命救急に必要な基本手技

A消毒と滅菌

手背を揉み洗いする。 指の間も揉み洗いする。 手指を曲げてしわを伸ばし,反対側の手掌を揉み洗いする。

親指を揉み洗いする。 手首も揉み洗いする。

抗菌性スクラブ製剤を手掌にとり泡立てる。

指先を揉み洗いする(指先のみはブラシを使用しても良い)。

手掌を揉み洗いする。

図2 スクラブ法

肘関節上部まで揉み洗いする。

❼ ❽

❶ ❷ ❸

❹ ❺

手指から肘に向けて流水で洗い流す。

ペーパータオルなどで水分をよく拭く。

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196 第12章 救命救急に必要な基本手技

A消毒と滅菌

洗浄部位,洗浄回数,洗浄時間手術時手洗いでは,指先から肘まで消毒薬と流水を用いて十分に洗浄します。流水は指

先から肘の方向に流れるようにしないと,手術時に活躍する手指が肘よりも汚くなってしまいます。また,洗浄は1回だけでは不十分であり,3回は行います。かつては,15分間以上かけて手洗いをしなければならないとされていましたが,それより短くても消毒効果が同じであることがわかり,きちんと行えば5分で足りるとされています。ただし,近年では前述したスクラブ法とラビング法を併用することによって,さらに時間を短縮できると考えられるようになってきています。

洗浄水以前は,洗浄に用いる流水は無菌水でなければならないと考えられ,医療法施行規則で

もそのように定められていました。しかし,諸外国では水道水を用いていること,それで術

図3 ラビング法

アルコール擦式製剤を手掌にとる。

指先に擦り込む。 手掌に擦り込む。

❶ ❷ ❸

手背にも擦り込む。 指の間に擦り込む。 手指を曲げてしわを伸ばし。反対側の手掌と擦り合わせる。

❹ ❺ ❻

肘関節まで擦り込む。親指に擦り込む。 手首に擦り込む。

❾❼ ❽

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197� 第12章 救命救急に必要な基本手技

A消毒と滅菌

後の感染が増えたという報告がないことから,手間をかけて滅菌水を作成する意義が問われてきました。そして,2005年に医療法施行規則が改正され,わが国でも「管理された水

道水」で手洗いをしてもよいことになりました。

消毒薬手洗いに用いられる消毒薬は,十分な効果をもつだけでなく,術者の手を荒らさないもの

でなければなりません。具体的には,抗菌性スクラブ製剤のクロルヘキシジングルコン酸塩やポビドンヨード,アルコール擦式製剤のクロルヘキシジングルコン酸塩・エタノールやポビドンヨード・エタノールなどが広く用いられています。

アルコール擦式製剤は,即効性で一挙に菌数を減らす半面,効果持続時間は短くなっています。これに対して,クロルヘキシジングルコン酸塩は反対の性質をもっています。また,ポビドンヨードは両者の中間となっています。

手術時手洗い後の注意点

手洗い後に素手で滅菌物を触ってはダメ!

ゴム手袋の着用手洗いが終わると,手術衣を着て,さらにゴム手袋を着用します。前述のように,手洗い

後でも滅菌されているわけではありません。この状態で滅菌物を触れば,常在菌が付着し,滅菌の意義は必然的に損なわれます。したがって,手洗い後といえども,決して素手で手術器具を触ったり,ゴム手袋に穴が開いていないか確かめるためにその表面を触ったりするような行為をしてはいけません。素早く滅菌ゴム手袋を着用し,それから手術器具に触るのが正解です。

ゴム手袋の着用法は図4に示すとおりです。

図4 ゴム手袋の着用手順

左手袋の装着時に内側になる部分を右手で持つ。 そのまま右手で手袋をはめる。※折り返し部分はそのままで,この時点ではしっ かりと装着できなくてもよい。

手袋をはめた左手の指を右手袋の折り返し部分に入れる。右手は右手袋内に入れる。

左手で,右手袋の折り返し部分を折り返す。

❺ ❻

左手の折り返し部分に右手の指を入れ,折り返し部分を折り返す。

この時点でまだしっかりと手袋の指先が入っていなくてよい。

❼ ❽

しっかりと,手袋を指先まではめる。 装着後(左)は,肘より下げないように,手を上げておく(右)。

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198 第12章 救命救急に必要な基本手技

A消毒と滅菌

図4 ゴム手袋の着用手順

左手袋の装着時に内側になる部分を右手で持つ。 そのまま右手で手袋をはめる。※折り返し部分はそのままで,この時点ではしっ かりと装着できなくてもよい。

手袋をはめた左手の指を右手袋の折り返し部分に入れる。右手は右手袋内に入れる。

左手で,右手袋の折り返し部分を折り返す。

❺ ❻

左手の折り返し部分に右手の指を入れ,折り返し部分を折り返す。

この時点でまだしっかりと手袋の指先が入っていなくてよい。

❼ ❽

しっかりと,手袋を指先まではめる。 装着後(左)は,肘より下げないように,手を上げておく(右)。

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199 第12章 救命救急に必要な基本手技

A消毒と滅菌

ゴム手袋の経時的変化ところで,滅菌ゴム手袋を着用するのであれば,わざわざ手洗いをする必要はないはずだ

と思われるかもしれません。しかし,ゴム手袋は時間の経過とともに pピンホール

inhole が生じ,ここを通って皮膚の常在菌が出てきてしまいます。したがって,手袋着用前に手指の菌数を極力減らしておく必要があるのです。また,手術が長引く場合は,再度の手洗いを行ったり,手袋を交換したりするなどの配慮が求められます。

5 術前の皮膚消毒

消毒薬によるシャワー

術前に患者に消毒薬を用いたシャワーを浴びてもらうと,皮膚の菌数は明らかに減ります。しかし,時間の経過とともに,患者の皮脂腺,汗腺,毛囊から常在菌が湧き出てくるので,これで手術部位感染が減ったというe

エビデンス

vidence はありません。これをルーチンに行う施設もありますが,その目的は消毒というよりは洗浄にあると考えるべきです。

剃てい

 毛もう

shaving hair

手術前夜の剃毛は手術部位感染を促す

以前は,体毛が存在すると消毒が不十分になるという発想のもとに,手術前夜に剃毛が行われていました。しかし,剃毛は皮膚を傷つけ,そこに細菌が付着し,かえって手術部位

感染を促すという疫学上の evidence が得られています。そのため,近年は,一部の例外を除いては剃毛を行わないようになっています。

その例外とは,切開部またはその周辺の体毛が手術の邪魔になるケースですが,その際にも手術直前にサージカルクリッパーを用いて除毛するだけにとどめることが勧められます。

ちょっと失礼