activate leaf no.325

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アクティベート・リーフ No.325 神は新たなことをされる God Does Something New エスが死からよみがえられた時、その復活は、神の新たな創造の最初の段 階でした。新たな種類の存在です。人間の体が神の力によって、もはや死 ぬことも朽ちることもないものに変えられたのです。このようなことが起こるの は初めてでした。「キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬこと がなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。」 1 イエスの復活した体には、もはや彼の受けた拷問の痛みはありませんでした。 イエスの背中はむち打ちで引き裂かれ、頭はいばらの冠で血まみれになり、手や 足や脇腹は突き刺されていたというのに、もはや体は傷んでおらず、ひどい苦し みに耐えたことからの疲れもありませんでした。 イエスの復活した体は、霊とは違います。肉があって、信者たちはさわることができました。 また、イエスは信者たちを教え 2 、彼らとともに歩き 3 、彼らのために食事を準備し 4 、共に食 べることもされました。 5 一度に 500 人と共におられたこともあります。 6 そして、40 日後に 天に上げられ 7 、神の右に座られました。 8 私たちクリスチャンも、神の新たな創造の一部なので、イエスが地上に戻られ、私たちの体 もよみがえらせてくださる時のことを楽しみに待つことができます。 9 使徒パウロは、死から よみがえる私たちの体のことを、種が地にまかれて、そこから成長した植物ができることにた とえました。 10 そして、こうした新しい体は、朽ちることがなく、栄光と強さをもってよみが えった霊の体であると説明しています。 11 1. ローマ 6 : 9 2. ルカ 24 : 27 参照 3. ルカ 24 :13 -15 参照 4. ヨハネ 21: 9 -13 参照 5. ルカ 24 : 41- 43 参照 6. 1 コリント 15 : 6 参照 7. 使徒行伝 1: 3 , 9 -11 参照 8. マルコ 16 :19 9. 1 テサロニケ 4 :16 -17、1 コリント 15 : 51- 52 参照 10. 1 コリント 15 : 35 - 38 参照 11. 1 コリント 15:42-44,49 参照 12. 『Systematic Theology』(ウエイン・グルーデム著)p.832 13. テトス 3:4-5 14. ガラテヤ 5:22-23 参照 15. 『The Jesus I Never Knew』 (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1995) ピーター・アムステルダム、改訂版

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アクティベート・リーフ No.325 「神は新たなことをされる」<英語のアクティベーテッド誌からの記事を翻訳。 "God Does Something New" --Translated from English Activated Magazine Vol.16-4 p8-9. http://www.activated.org >

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Page 1: Activate Leaf No.325

アクティベート・リーフ No.325

神は新たなことをされる

God DoesSomething New

イエスが死からよみがえられた時、その復活は、神の新たな創造の最初の段階でした。新たな種類の存在です。人間の体が神の力によって、もはや死

ぬことも朽ちることもないものに変えられたのです。このようなことが起こるのは初めてでした。「キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。」1

 イエスの復活した体には、もはや彼の受けた拷問の痛みはありませんでした。イエスの背中はむち打ちで引き裂かれ、頭はいばらの冠で血まみれになり、手や足や脇腹は突き刺されていたというのに、もはや体は傷んでおらず、ひどい苦しみに耐えたことからの疲れもありませんでした。

 イエスの復活した体は、霊とは違います。肉があって、信者たちはさわることができました。また、イエスは信者たちを教え 2、彼らとともに歩き 3、彼らのために食事を準備し 4、共に食べることもされました。5 一度に 500 人と共におられたこともあります。6 そして、40 日後に天に上げられ 7、神の右に座られました。8

 私たちクリスチャンも、神の新たな創造の一部なので、イエスが地上に戻られ、私たちの体もよみがえらせてくださる時のことを楽しみに待つことができます。9 使徒パウロは、死からよみがえる私たちの体のことを、種が地にまかれて、そこから成長した植物ができることにたとえました。10 そして、こうした新しい体は、朽ちることがなく、栄光と強さをもってよみがえった霊の体であると説明しています。11

1. ローマ 6:92. ルカ 24:27 参照3. ルカ 24:13-15 参照4. ヨハネ 21:9-13 参照5. ルカ 24:41-43 参照6. 1 コリント 15:6 参照7. 使徒行伝 1:3,9-11 参照8. マルコ 16:19

9. 1 テサロニケ 4:16-17、1 コリント 15:51-52 参照10. 1 コリント 15:35-38 参照11. 1 コリント 15:42-44,49 参照12. 『Systematic Theology』(ウエイン・グルーデム著)p.83213. テトス 3:4-514. ガラテヤ 5:22-23 参照15. 『The Jesus I Never Knew』

(Grand Rapids, MI: Zondervan, 1995)

ピーター・アムステルダム、改訂版

Page 2: Activate Leaf No.325

© 2015 Aurora Production, Ltd. All Rights Reserved Translated from English Activated Magazine Vol.16-4 p8-9http://www.activate.jp 「アクティベート・リーフ」は、英語の「Activated」誌からの記事を翻訳したものです。その他の記事は、ホームページでご覧頂けます。

http://www.activated.org

 朽ちないというのは、私たちの体には今のような弱さがなくなるということです。今の体のように老化し、病気にかかり、疲れてしまうことがないのです。ある人はこう書いています。「こうした復活の体に、私たちは神が意図された通りの人間を見るようになることだろう。」12 イエスを救い主として受け入れる時、神の御霊が私たちの内に宿り、私たちは新たにされ、再生されます。新たにされるとは、改善されることであり、信じた人が変わってより良いものとなることです。再生とは、新たな命が神にささげられ、思いが劇的に変化することです。「わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。」13 新たな創造の一部として、神の御霊は私たちを変え、私たちがキリストの思いを身に着けるのを助けて下さいます。私たちは、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制の面で成長し、そのような神の性質の幾つかを身に着け、また反映させるようになるのです。14 だから、私たちには祝うべきことがたくさんあります。神が私たちの内に宿り、私たちを助け導き、新たにして下さったこと、私たちが神の新たな創造の一部となったこと、新しい体で永遠に生き、完全に健康で老化も病気もなくなることなどです。これこそが、福音の良き知らせです。神が私たち一人一人を愛しておられること、永遠の命を与えて下さること、死からよみがえらせて下さること、今日キリスト・イエスにあって新しく造られたものとなり、永遠に渡って新たな創造の一部となること、それが良き知らせなのです。 イエスを通しての神の賜物の美しさによって動機づけられ、できるすべての人たちと、神の賜物やその祝福を分かち合うことができますように。

 人間の歴史には二通りの見方がある、という結論に私は達した。一つは、戦争、暴力、みじめさ、苦痛、悲劇、死に焦点を当てた見方だ。そのような観点からすると、復活祭(イースター)はおとぎ話のような例外であり、神の名においてなされた、人間の歴史との矛盾のようである。復活祭は、いくらかの慰めを与えてくれる。だが、正直なところ、友人が死んだ時には、私は悲しみに打ちひしがれ、死後の人生への希望は薄らぎ、空しいもののように思えたものだ。もう一つ、この世界を見る見方がある。復活祭をものごとの始まりとして受け止め、神がご自分の愛する者たちをどのように扱われるかの動かぬ事実として見るならば、人間の歴史の方が矛盾となり、復活祭は究極の現実の予告編となる。そのような見方をすると、希望が、日々の生活という堅い表面の下を溶岩のように流れる。 おそらく、弟子たちが鍵のかかった部屋の中で、復活の日曜に起こった理解しがたい出来事について話し合っていた時にも、彼らの見方は同じように変化していったのであろう。ある意味では、何も変わっていなかった。まだローマがパレスチナを支配しており、宗教指導者たちは弟子たちの首に賞金を懸けており、部屋の外は死と悪が支配していた。だが次第に、ショックが、ゆっくりとした喜びの引き波へと変わっていったのだ。もしも神にそれができたなら・・・と。―フィリップ・ヤンシー(1949-)15