a部会:歴史文化都市の時空間データ基盤研究部会 記憶地図から...
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A部会:歴史文化都市の時空間データ基盤研究部会
記憶地図から読む地域の景観の歴史 仁和寺門前地域を対象とした
GISデータベース活用例
河角直美・板谷直子・佐藤弘隆・谷崎有紀・前田一馬
・中谷友樹・矢野桂司
歴史都市防災研究所 第6回定例研究会 2018年1月20日
於:キャンパスプラザ京都 5階 第2,3演習室
GISを活用したデータベースの構築
「バーチャル京都」の構築
位置情報による 京都関連史資料(地図、統計etc.)の収集と連携
近年は、写真(古写真)と記憶など
京都にかかわる質的な地理空間情報の収集と
デジタルアーカイブに取り組む
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近代京都オーバーレイマップ http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater
/html/ModernKyoto/
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災害に関わる記憶
堀川高等女学校
有隣尋常小学校
五条通
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本日の報告内容
「バーチャル京都」を基盤として構築されつつある 地図、写真、記憶などのデータベース
((公開・非公開を含む)その他、アート・リサーチセンターのデータベース)
これらを活用した地域の理解、 まちづくり・地域防災への活用の可能性について 報告する。
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記憶地図から読む地域の景観の歴史 -仁和寺門前を例に―
仁和寺門前における景観問題
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仁和寺門前に暮らす人々はこの景観をどのように意味づけているのか?
①仁和寺門前とその周辺地域に関する質的な情報を収集、
記憶地図を作る
②地図、文献、先行研究などから、記憶を検証する
③記憶地図を読むことで、人々が地域の景観をどのように
意味づけているのかを解明。
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質的情報の収集、記憶地図の作成
2016年8月3日、2017年2月16日
「仁和寺門前まちづくり協議会」にご協力いただき、 ヒアリング調査を実施
町内に長く住まう5名の方(70歳代、60歳代)から、 戦前戦後の町並み、日常生活、地域の祭などをヒアリング
➡位置情報のあるものを地図化
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+著名な映画俳優や映画監督、 学者が居住していたこと、 新旧住民の認識、
双ヶ岡での開発問題のこと
仁和寺門前における住民の記憶地図(昭和28(1953)年京都市都市計画基本図に加筆) 10
地域の特徴
仁和寺と関わりの深い福王寺神社の祭礼
=祭礼を通じて仁和寺との関わりを認識
仁清焼、つづれ織
=職人(文化人)が集まったところ
「双和郷」に居住した人々(俳優、学者)の記憶
=近代の郊外住宅地、映画産業との関係
子供の頃の遊び場のこと
=基盤としてののどかな、静かな環境の思い出
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『都名所図会』(1780)、国際日本文化研究センターデータベースより 12
仁清焼(野々村仁清の窯跡)、つづれ織 =文化人の居住
御室で窯を構えたのは慶安3(1650)年頃とされている。また、 仁清の本名は野々村清右衛門で、「仁」の文字は「仁和寺」からと いわれている。
つづれ織職人も仁和寺辺りに住んでいたとされる。
後藤 靖・山尾幸久編『洛西探訪 京都文化の再発見』、淡交社、1990より
仁清の窯跡、 失敗作が積んであった
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明治22(1889)年測量、同25(1892)年発行の仮製図 14
大正元(1912)年発行の正式図
明治27(1912)年 開通
鳴滝への 新しい道路
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大正11(1922)年京都市都市計画基本図 16
昭和4(1929)年京都市都市計画基本図
京福嵐山線は 大正14(1925)年に開通
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昭和10(1935)年 都市計画基本図
昭和10(1935)年京都市都市計画基本図 18
昭和10(1935)年京都市都市計画基本図
民間資本による宅地「双和郷」の開発(昭和10年(1935)頃)
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1929(昭和4)年
仁和寺門前地域における景観の変化
1892(明治25)年
1953
仁和寺寺領の名残と みられる方形の地割
茶畑の広がる農村
京福電鉄の開通、 双和郷他の住宅地開発、映画産業との関係
戦後も仁和寺周辺では 住宅地開発が続く
近郊農村から住宅地・市街地化が進む=新規住民の流入
それでもなお、維持されているものとは?
1953(昭和28)年
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仁和寺門前に住まう人々にとっての 地域の景観とは…
文化人の集住・映画産業の立地・郊外住宅地の開発
いずれも必要とされたのは、 仁和寺門前とその周辺地域における 長閑で静かな景観
京都新聞にて当該地域は「広い敷地に古くからの家が並ぶ静かな住宅街」と記されているが…「住宅地であるから静か」なのではなく、「恐れ多く」重厚な佇まいの仁和寺があり「もともと静かな景観であった」ところに、それを好み、維持するような関わり方がなされてきた…という解釈が導き出される。
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仁和寺門前に住まう人々にとっての 地域の景観とは…
門跡院である仁和寺=恐れ多いイメージ
一見すると疎遠。 しかし、福王子神社の祭礼を通して関わる。
そのなかで保たれてきた「恐れ多く重厚な」佇まい… =同地域の景観の核
そうした景観が失われることへの危機感が、意識的であれ無意識的であれ、現在の同地におけるまちづくり活動を支えていると考えられた。
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ただし…
京都には
●かつて市街地から少し離れた場所に立地したものの、市街地の拡大で、現在は住宅地に隣接する神社仏閣
●そもそも都心部に近く、賑やかな景観のなかに立地する神社仏閣
➡過去の履歴をふりかえることにより、それぞれの地域で求められる景観とは何か?を考える必要があるかもしれない・・・
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ご清聴ありがとうございました。 24