20120423伊勢神宮 佐藤ゼミ
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伊勢神宮
◆豊受大神宮(とようけだいじんぐう) 呼称:外宮 衣食住の守り神である豊受大御神を祀る
何故皇室の祖とされるのか?
皇祖神 皇室の祖とされる神
◆皇大神宮(こうたいじんぐう) 呼称:内宮 太陽を神格化した天照大御神を祀る
内宮の成り立ち
垂仁天皇25年、倭姫命が後を継ぎ、御杖代として天照大御神を祀るための土地を求めて各地を巡った。垂仁天皇26年、伊勢国にたどり着いたとき、天照大御神の神託があり、現在地に祠を建てて祀り、磯宮と称したのが皇大神宮の始まりである。
是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國 (この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ) — 垂仁天皇25年3月丙申(10日)条 意味は、 伊勢は常世の国からの波が何重も寄り来る国であり、辺境ではあるが美しい国なのでこの国に鎮座しよう、ということである。
外宮の成り立ち
雄略天皇22年、天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託したので、同年7月7日、内宮に近い山田の地に豊受大御神を迎えて祀ったのに始まる
内宮外宮
伊勢神宮を巡る時代の捉え方
①古代 皇祖神として神聖化 ②中世 神道/仏教における神道側の最高位 外宮の地位向上 ③戦乱期 戦乱による荒廃と御師の布教 ④近世 夢のお伊勢参り ⑤現代 人口流出による過疎化
② 神道/仏教における神道側の最高位 (1300年頃)
神仏習合
神道 仏教◆平安末期の現世否定観 ◆元寇の神風(=神国) ◆武士の神領奉献 〈我国の仏法偏(ひとえ)に太神宮の御守護によれり〉との主張が神官によりなされるに至った (《沙石集》)
②外宮の地位向上 (1300年頃)
•外宮の禰宜度会家行が、伊勢神道(度会神道)を興す。
•伊勢神道とは・・・外宮の祭神が内宮よりも神格が上であると主張するもので、山田の地位向上に大いに効果を発揮した。
神仏習合と外宮の地位向上の関連性...?
③戦乱による荒廃と御師の布教 (1500年頃)
•室町~戦国時代にかけて戦乱により荒廃し、神宮も資金難に陥る
•御師とは
特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者。日本各地に布教も行う。
資金集めの必要性
④夢のお伊勢参り (1700年頃)
• 商売繁盛祈願の地
• 五街道など交通網の整備により、移動が規制されていた世の中で、唯一移動の自由が保証された
• 来世利益→現世利益を求める風潮
• 近世の人々にとっての伊勢神宮観
一生に一度は行きたい夢
伊勢神宮を巡る時代の捉え方①古代 皇祖神として神聖化 ②中世 神道/仏教における神道側の最高位 外宮の地位向上 ③戦乱期 戦乱による荒廃と御師の布教 ④近世 夢のお伊勢参り ⑤近代 国家神道の強化
そして現代
現代
◆第二次世界大戦後、GHQにより宗教法人神社本庁発足により、全国神社の本宗と位置づけられる。 ◆若者の流出により、多分に漏れず、都市の過疎化が進んでいる。特に外宮は、「伊勢神宮=内宮」のイメージが一般的に強いために参拝客も足が遠のいている。
地元の人々にとっての伊勢神宮
• 内宮の鳥居を抜け、右手に続く「おかげ横丁」は学校帰りにおやつを食べ歩く商店街として好まれている。
• 私立皇學館大学には全国から神道を志望する学生が集まる。ここで4年間学んだ後、各地の神社の跡取りとして、将来的には神主となる。
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