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先進構造材料特論補足資料 2010 担当・辻 伸泰 1 材料における相変態(無拡散型変態)と組織形成 0.無拡散変態を学ぶ理由: 拡散型相変態とは全く異なる機構によるもう一方の相変態、無拡散変態の基 礎を知り、材料の組織形成に関する知識の大枠を理解する。 無拡散変態は、以下のような現実の材料・事象において重要である。 鋼のマルテンサイト(与えられた化学組成で最も高い高度を示す組織) 形状記憶合金 高靭性構造用セラミクス 【参考書】 (1)Materials Science And Engineering, An Introduction: by William D. Callister, Jr., John Wiley & Sons, Inc. (2)材料の科学と工学[1]材料の微細構造、[2]金属材料の力学的性質、 W.D.キャリスター著 入戸野修 監訳、培風館 (3)材料組織学 マテリアル工学シリーズ2、高木節雄、津崎兼彰、朝倉書 (4)STEELS Microstructure and Properties, R.W.K.Honeycombe & H.K.D.H.Bhadeshia, Edward Arnold (5)鉄鋼材料 講座・現代の金属学 材料編4、日本金属学会 (6)金属材料基礎学、尾崎良平・長村光三・足立正雄・田村今男・村上陽太 郎、朝倉書店

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Page 1: ASMM 03補足資料 相変態(無拡散変態) がある。これらの結晶方位関係では、N-W関係とG-T関係を除いて、両相の原 子配列の最も密な面と密な方向同士が平行となっている。

先進構造材料特論補足資料

2010 担当・辻 伸泰

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材料における相変態(無拡散型変態)と組織形成 0.無拡散変態を学ぶ理由: ○ 拡散型相変態とは全く異なる機構によるもう一方の相変態、無拡散変態の基礎を知り、材料の組織形成に関する知識の大枠を理解する。 ○ 無拡散変態は、以下のような現実の材料・事象において重要である。 ・ 鋼のマルテンサイト(与えられた化学組成で最も高い高度を示す組織) ・ 形状記憶合金 ・ 高靭性構造用セラミクス

【参考書】 (1)Materials Science And Engineering, An Introduction: by William D.

Callister, Jr., John Wiley & Sons, Inc. (2)材料の科学と工学[1]材料の微細構造、[2]金属材料の力学的性質、

W.D.キャリスター著 入戸野修 監訳、培風館 (3)材料組織学 マテリアル工学シリーズ2、高木節雄、津崎兼彰、朝倉書

店 (4)STEELS Microstructure and Properties, R.W.K.Honeycombe &

H.K.D.H.Bhadeshia, Edward Arnold (5)鉄鋼材料 講座・現代の金属学 材料編4、日本金属学会 (6)金属材料基礎学、尾崎良平・長村光三・足立正雄・田村今男・村上陽太

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1.無拡散変態とは

1.1.定義: 拡散による原子の各個運動を伴わない相変態を、無拡散変態という。その機

構より、合金であっても相変態前後の母相と生成相の化学組成は同じである。

また、規則度も変化しない。変態前に隣に位置していた原子は、変態後も隣に

位置する。これを、「原子の1対1対応(atomic correspondence)がある」という。拡散を必要としないので、極低温でも相変態が生じる。 1.2.無拡散変態の種類。 Fig.1.1に、無拡散変態における原子の動きの種類を示す。 (a) 膨張・収縮のみを示す場合:錫(Sn)の体心正方晶(bct)からダイヤモンド構造への相変態など

(b) シャッフリング:チタン合金におけるβ相(bcc)からω相への相変態など (c) マルテンサイト変態:原子面の一様なずれ、すなわち剪断変形を伴う相変態を、マルテンサイト変態(Martensitic Transformation)といい、生成相をマルテンサイト(Martensite)と呼ぶ。

Fig.1.1 無拡散変態における原子の動き

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種々の合金系におけるマルテンサイトを Table 1.1に示す。

Table 1.1 種々の合金計におけるマルテンサイトの結晶構造

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2.マルテンサイト変態 マルテンサイト変態の特徴として、次の6項目をあげることができる。

(1) 単相から単相への相変態で、化学組成の変化がない (2) 母相とマルテンサイト相の原子の間に1対1対応がある (3) 表面起伏と形状変化を伴う (4) 母相とマルテンサイト相の間に一定の結晶方位関係が存在する (5) マルテンサイト相は母相の一定の結晶面(晶癖面:Habit Plane)に沿って生成する。 (6) マルテンサイト相内には高密度の格子欠陥が存在する

ただし、(2)以外の特徴は、拡散型相変態においても現れる場合がある。したがって、上記の項目はマルテンサイト変態の必要十分条件ではない。マルテンサ

イト変態は、「各生成・成長によって起こる、剪断を主体とし、結晶格子が変形

する無拡散変態」と定義することができる。 ・ 原子の1対1対応 マルテンサイト変態においては、母相と生成相(マルテンサイト)の間に、

原子の1対1対応または格子対応(Lattice Correspondence)が存在する。fcc → bcc マルテンサイト変態における格子対応を Fig.2.1 に示す。これをベイン(Bain)の対応という。このように考えると、隣接原子は相変態後も変わらず、しかも fccから bccへの変化時の原子の相対的変位量が最小である。ベインの対応によると、fcc母相の結晶面 (hkl)f および方向 [uvw]f と bccマルテンサイト相の面 (hkl)b および方向 [uvw]b の間には、次の関係が成り立つ。

!

hkl( )b

=1

2hkl( )

f

1 1 0

"1 1 0

0 0 2

#

$

% % %

&

'

( ( ( ; hkl( )

f= hkl( )

b

1 "1 0

1 1 0

0 0 1

#

$

% % %

&

'

( ( ( (2.1)

!

u

v

w

"

#

$ $ $

%

&

' ' ' b

=

1 (1 0

1 1 0

0 0 1

)

*

+ + +

,

-

.

. .

u

v

w

"

#

$ $ $

%

&

' ' ' f

;

u

v

w

"

#

$ $ $

%

&

' ' ' f

=1

2

1 1 0

(1 1 0

0 0 2

)

*

+ + +

,

-

.

. .

u

v

w

"

#

$ $ $

%

&

' ' ' b (2.2)

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Fig.2.1 ベイン(Bain)の格子対応(fcc → bcc マルテンサイト変態における

格子対応)。小さな黒丸は、炭素鋼における侵入型炭素原子の位置。 ・ 表面起伏と形状変形、晶癖面 母相試験片の表面を鏡面に平坦研磨しておきマルテンサイト変態させると、

表面にマルテンサイトに対応した起伏が生じる。これを表面起伏(Surface Relief)という。これはマルテンサイト変態が剪断変形を伴う相変態であり、マクロな外形変化(形状変化:Shape Deformation)を起こすことによる。Fig.2.2のようにあらかじめ試験片にけがき線を入れておくと、けがき線は母相とマル

テンサイトの界面(晶癖面:Habit Plane)で連続している。このことは、マルテンサイト変態時に無ひずみ・無回転の結晶面が存在し、晶癖面がそれに対応

することを示している。すなわち、マルテンサイト変態における晶癖面は、不

変面(Invariant Plane)である。不変面を有する形状変形を不変面変形、またそのひずみを不変面ひずみ(Invariant Plane Strain)という。鉄合金の場合、晶癖面として {111}, {225}, {259}, {3,10,15} などが観察されている。これらの面は、母相側の結晶面である。晶癖面が高指数の面となるのは、後に示す格子不

変剪断変形が生じるためである。

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Fig.2.2 マルテンサイト変態に伴う表面起伏と晶癖面

・ 結晶方位関係 マルテンサイト相と母相の間には、特定の結晶方位関係が存在する。例えば

鉄合金の fcc → bcc マルテンサイト変態においては、次の2種の方位関係が有名である。 Kurdjumov-Sachsの関係(K-S関係)

!

111( )fcc

/ / 011( )bcc

, [01 1]fcc / / [11 1]bcc Nishiyama-Wassermanの関係(N-W関係)

!

111( )fcc

/ / 011( )bcc

, [1 01]fcc / / [001]bcc ただし両者には、5.3°の差しかない。両者の中間の結晶方位関係として、Greninger-Troiano の関係(G-T 関係)も観察されている。これは (111)fcc と (011)bcc が互いに1°傾き、[0-11]fcc と [1-11]bcc が2°ずれている関係である。このほかに、fcc → hcp マルテンサイト変態においては、 庄司—西山の関係

!

111( )fcc

/ / 0001( )hcp

, [1 10]fcc / / [112 0]hcp

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が観察され、bcc → hcp マルテンサイト変態では、 Burgersの関係

!

101( )bcc

/ / 0001( )hcp

, [1 11]bcc / / [12 10]hcp

がある。これらの結晶方位関係では、N-W関係と G-T関係を除いて、両相の原子配列の最も密な面と密な方向同士が平行となっている。 ・ 内部格子欠陥 マルテンサイトの内部には、転位や変形双晶などの格子欠陥が高密度に含ま

れる。マルテンサイト変態は剪断変形を伴って起こる(鋼の fcc → bcc変態の場合には体積膨張も起こる)が、周囲が母相や生成相に拘束された状態で剪断変

形を起こすためには、Fig.2.3に示すように、できるだけ外形が変わらずにすませるための補足的な塑性変形が起こらなければならない。これを格子不変剪断

(Lattice Invariant Shear)という。これが転位のすべり運動により生じれば転位が、双晶変形によれば双晶が、マルテンサイト中に多数残存するのである。

Fig.2.3 格子不変剪断の必要性

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2.2.マルテンサイト変態の熱力学と速度論 Fe-C系マルテンサイトを例にとって、マルテンサイト変態の熱力学を考える。左は Fe-C(Fe3C)二元系状態図、右は各温度における組成-自由エネルギー曲線である。合金の平均組成を Coとする。温度 T1では、γ相は安定である。T2

では、Coより濃度の低いα相を生じるための駆動力(RS)はあるが、母相と同じ濃度のα相の自由エネルギーは母相より高い。T3で、濃度 Coのγ相とα相の

自由エネルギーが等しくなる。T4においては、拡散によって組成分配を生じ C濃度の低いα相を生じるための駆動力(RS)も、濃度変化無しに相変態する駆動力(PQ)も存在する。一般に同一温度では RS > PQであるが、温度が低くなると拡散が困難となり、拡散変態は起こりにくくなって、拡散を必要としない

変態、すなわちマルテンサイト変態が PQ を駆動力として生じるようになる。温度 T3を、組成 Coにおける T0温度という。マルテンサイト変態の駆動力は、

T0以下で発生する。

Fig.2.4 γ相と同じ濃度のα相を生じるための駆動力

同一組成のγ相とα相の温度-自由エネルギー曲線をFig.2.5に模式的に示す。マルテンサイト変態の駆動力は T0以下で発生するが、実際のマルテンサイト変

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態は、駆動力がある大きさに達するまで過冷されなければ相変態が起こらない。

マルテンサイト変態が実際に生じる、T0以下に過冷された温度をMs点という。Fe-C合金のMs点における駆動力は、1200 J/mol程度の大きさを有する。このように大きな駆動力を必要とするのは、マルテンサイト変態の核生成が大きな

弾性ひずみエネルギーを伴うためである。しかし、T0以下Ms以上の温度でも、母相に応力をかけ塑性変形させると、マルテンサイト変態が生じる。これは、

マルテンサイト変態に必要な駆動力の一部を、機械的に供給していると考える

ことができる。

Fig.2.5 同一組成のγ相とα相の温度-自由エネルギー曲線

母相を冷却してMs点に達しても、母相全体が全てマルテンサイトにはならない。Fig.2.6に示すように、温度低下に伴ってマルテンサイト量は徐々に増加して変態終了温度(Mf点)に達する。マルテンサイト変態を起こした材料を加熱

すると、T0 点を超えて大きく過熱されてはじめて逆変態が生じる。逆変態の開

始温度を As 点、終了温度を Af点という。逆変態も、条件によっては無拡散型

で生じ得る。

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Fig.2.6 Fe-20%Ni合金の冷却・加熱に伴う熱膨張曲線

マルテンサイト変態は、T0点以下に大きく過冷されてはじめて生じる。また、

T0 点以下では常に拡散型相変態の駆動力の方が高い。すなわち、冷却時にマル

テンサイト変態が生じるか否かは、冷却速度に依存し、拡散変態との競争とな

る。ある化学組成の鋼のマルテンサイト変態しやすさを、焼入れ性

(Hardenability)という。例えば合金元素を添加した鋼は、拡散変態を起こすのに時間がかかるようになり、焼入れ性は高くなる。鋼に焼きが入るかどうか

は、CCT曲線によって理解することができる。部材に焼きが入る(マルテンサイトになる)か否かは、熱伝導にも支配されるため、部材の大きさにも依存す

る。焼入れ性を評価する試験法として、ジョミニ焼入れ試験がよく知られてい

る(Fig.2.7)。

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Fig.2.7 共析鋼の焼入れ性と CCT曲線の対応

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3.鋼のマルテンサイト

鉄鋼材料におけるマルテンサイトは、高強度を与える組織として実用的にも

極めて重要である。

3.1.結晶構造、炭素の固溶と組織・形態

炭素鋼マルテンサイトの結晶構造は、低炭素では体心立方晶(bcc)と考えてよいが、Fig.3.1 に示すように炭素量の増加とともに c軸が大きくなり、a 軸は少し小さくなって、体心正方晶(bct)となる。軸比(c/a)は、炭素量の関数として、

!

(c / a) =1.000 + 0.045 " wt.%C( ) (3.1)

で表される。

Fig.3.1 オーステナイトおよびマルテンサイトの格子状数および軸比と炭素

量の関係

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フェライト相(bcc鉄)は本来、炭素をほとんど固溶しない。しかしマルテンサイト変態は拡散(炭素の分配)を伴わないため、鋼のマルテンサイトは炭素

の過飽和固溶体である。炭素原子は、鉄中で侵入型に固溶する。オーステナイ

ト相あるいはフェライト相において炭素が固溶しうる位置を、Fig.3.2 に示す。これらを八面体位置(Octahedral Site)という。bcc 鉄中で、×、□、△の位置に無秩序に炭素原子が配置すると、格子は立方晶となる。しかし、]マルテン

サイト中では炭素はある特定の八面体位置(例えば×のみ)に配置する。これ

が正方晶性の原因である。

Fig.3.2 オーステナイト、フェライト中の固溶炭素原子の位置

マルテンサイトは原子の1対1対応を持って生じる。したがって、Fig.3.3に示すように、拡散型相変態生成物と異なり、マルテンサイト晶は母相オーステ

ナイトを越えて生成することはない。つまり、マルテンサイト相のサイズは母

相結晶粒のサイズで規定され、母相粒界組織は相変態後も残存する。

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Fig.3.3 マルテンサイト変態における母相粒界の残存

鋼のマルテンサイトは、化学組成や変態温度によって、ラスマルテンサイト

(Lath Martensite)、レンズ(プレート)マルテンサイト(Lenticular (Plate) martensite)、薄板状マルテンサイト(Thin Plate Martensite)などの種々の特徴的な形態を示す。各形態の典型的な組織例を Fig.3.4に示す。 こうした特徴的な形態は、マルテンサイトの結晶学的特徴と結びついている。

Figs.3.5, 3.6には、Kitaharaらが最近、FE-SEM/EBSD法を用いて測定した、ラスマルテンサイトおよびレンズマルテンサイトの結晶学と形態の相関性を表

す実験結果を示す(Kitahara et al.: Mater. Characterization, 54/4-5 (2005), pp.378-386. ; Kitahara et al.: Acta Mater., Vol.54, No.5 (2006), pp.1279-1288.)。

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Fig.3.4 鉄合金マルテンサイトの典型的な形態。(a)ラスマルテンサイト、

Fe-7%Ni-0.22%C、(b)ラスマルテンサイト、Fe-18%Ni、(c)レンズマルテンサイト、Fe-29%Ni-0.25%C、(d)レンズマルテンサイト、Fe-33%Ni、(e)薄板状マルテンサイト、Fe-31%Ni-0.23%C、(f)薄板状マルテンサイト、Fe-30%Ni-0.42%C

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Fig.3.5 Fe-0.13%C ラスマルテンサイトの FE-SEM/EBSD 測定結果

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Fig.3.6 Fe-30%Ni レンズマルテンサイトの FE-SEM/EBSD 測定結果

3.2.炭素濃度との相関 炭素鋼のMs点は、炭素濃度の増加とともに低下する(Fig.3.7)。また、マルテンサイトの形態も、炭素量とともに変化する。すなわち、低炭素鋼ではラス

マルテンサイトが、高炭素鋼ではレンズマルテンサイトが生成する。

Fig.3.7 炭素鋼におけるMs点およびマルテンサイトの形態と、炭素量の関係

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鋼の化学組成とMs点との間には、例えば次のような経験式が提案されている。

Ms [℃] = 550 ‒ 361(%C) ‒ 39(%Mn) ‒ 35(%V) ‒ 20(%Cr) ‒ 17(%Ni)

‒ 10(%Cu) ‒ 5(%Mo +%W) + 15(%Co) + 30(%Al) (3.2)

マルテンサイトの強度も、炭素量によって変化する。Fig.3.8 に、炭素鋼のオ

ーステナイトおよびマルテンサイトの硬度と炭素量の関係を示す。

Fig.3.8 炭素鋼のオーステナイトおよびマルテンサイトの硬さと炭素量の関

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マルテンサイトは、ある与えられた化学組成の鋼において、最も高い強度を

示す組織である。鋼のマルテンサイトが高い強度を示す理由として、以下の項

目を挙げることができる。

・ 炭素の過飽和固溶体である(固溶強化) ・ 高密度の格子欠陥(転位など)を含む(転位強化) ・ 一種の微細組織を有する(結晶粒微細化強化)

・ Ms 点が高い場合には、冷却時に微細炭化物が析出する(析出強化) すなわち、マルテンサイトにおいては金属材料の強化機構が全て含まれている。

3.3.マルテンサイトの焼き戻し 鋼のマルテンサイトは高い強度を有するが、一般的に焼入れままのマルテン

サイトは脆く、そのまま実用に供することはできない。マルテンサイトの靭性

を向上し、また硬さを調節する目的で、A1 点以下の種々の温度で保持する焼き

戻し(Tempering)熱処理が一般に行なわれる。 Fig.3.9に、種々の炭素鋼のマルテンサイトを焼き戻した場合の、硬さの焼き戻し温度依存性を示す。焼き戻しにおいては、過飽和に固溶している炭素の炭

化物としての析出、回復による転位密度の現象、マトリクスの再結晶が生じる。

Fig.3.9 種々の炭素鋼のマルテンサイトの硬さの焼き戻し温度依存性

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0.2%C 鋼および 0.4%C 鋼マルテンサイトの焼き戻しに伴う種々の機械的性質の変化を、Fig.3.10に示す。炭素鋼は、300℃近辺での焼き戻しにより衝撃値が低下する。これを低温焼き戻し脆性または 300℃(500°F)脆性という。低温焼き戻し脆性のため、通常鋼を 200~400℃の範囲で焼き戻しすることはないが、ばね鋼などで弾性減を高くしたいという特殊な場合では、この温度範囲で

も焼き戻しが行なわれる。焼入鋼を 500℃付近で焼き戻しするか、この温度域で徐冷することにより脆化する場合がある。これを高温焼き戻し脆性あるいは

単に焼き戻し脆性(Temper Embrittlement)という。

Fig.3.10 0.2%C鋼および0.4%C鋼マルテンサイトの焼き戻しに伴う種々の機

械的性質の変化 Moや Crなどを含む鋼のマルテンサイトを焼き戻した場合、Fig.3.11に示すように、中間の焼き戻し温度で再硬化する場合がある。これは合金炭化物の析

出によるものであり、焼き戻し2次硬化(Secondary Hardening)という。

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Fig.3.11 0.35%C鋼の焼き戻し軟化抵抗に及ぼすMo添加の影響

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4.マルテンサイトの応用例 4.1.加工誘起マルテンサイトと TRIP 効果 Ms点より上の温度でも、塑性変形に伴ってマルテンサイト変態が起こることを述べた。この現象を、加工誘起マルテンサイト変態(Deformation Induced Martensitic Transformation)という。加工誘起マルテンサイトが生じると、変態誘起塑性(TRIP: Transformation Induced Plasticity)という現象が起こり、材料の延性や靭性が著しく向上する場合がある。その機構を Fig.4.1に示す。材料を引張試験すると、ある程度の均一伸びを示した後にくびれが発生し、変

形がくびれ部に集中して破断に至る。試験温度が Ms 点以上 Md 点(加工誘起マルテンサイト開始温度)以下にある材料の場合、くびれが生じるとその部分

の応力が高くなり、加工誘起マルテンサイト変態が生じる。鋼のマルテンサイ

トは硬いので、くびれ部ではその後変形が進展しなくなる。その結果、材料の

延性が向上するのである。また、クラック先端の応力集中部で加工誘起マルテ

ンサイト変態が起こる場合には、クラック進展が抑制されて靭性が大きく向上

する。

Fig.4.1 TRIP効果

4.2.熱弾性マルテンサイトと形状記憶効果 マルテンサイトの成長には2つの様式がある。ひとつは、Fig.4.2(a)に示すように、冷却時に生じたマルテンサイトが瞬時に最終の大きさに達し、更に冷却

してもこのマルテンサイトは成長せず、母相の別の場所から新たなマルテンサ

Page 23: ASMM 03補足資料 相変態(無拡散変態) がある。これらの結晶方位関係では、N-W関係とG-T関係を除いて、両相の原 子配列の最も密な面と密な方向同士が平行となっている。

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イト晶が次々に生じて変態が進行して行くもので、これを非熱弾性マルテンサ

イトという。この場合、マルテンサイトと母相の間の界面(Interface)は移動する能力を持たず、過熱時に生じる逆変態は、マルテンサイトの界面や内部で

新しく核生成が起こることによって進行する。通常の鉄鋼材料のマルテンサイ

トは、このタイプである。 もう一方のタイプを、熱弾性(Thermoelastic)マルテンサイトという。この場合、Fig.4.2(b)のように、一旦生成したマルテンサイトは温度の低下に伴って徐々にその厚みを増して行く。また、加熱すると界面の移動により収縮して、

母相に戻る。このタイプの場合、Ms点と As点の差は数十度以下と小さい。

Fig.4.2 非熱弾性マルテンサイトと熱弾性マルテンサイト

形状記憶効果(Shape Memory Effect)や超弾性(Superelasticity)は、熱弾性マルテンサイトによって担われる。それぞれのメカニズムを Fig.4.3に示す。形状記憶合金として、Au-Cd、Cu-Zn、Ni-Al、Ti-Ni、Fe-Ni-Co-Ti、Fe-Mn-Siなどが開発されている。

Page 24: ASMM 03補足資料 相変態(無拡散変態) がある。これらの結晶方位関係では、N-W関係とG-T関係を除いて、両相の原 子配列の最も密な面と密な方向同士が平行となっている。

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Fig.4.3 形状記憶効果と超弾性

4.3.高靭性セラミクス マルテンサイト変態は、金属・合金に限らず、Table 4.1に示すように種々の無機化合物や鉱物、セラミクスにおいても起こる。ジルコニア(ZrO2)におけ

るマルテンサイト変態は、強靭化に役立つ。ジルコニアは高温から立方晶、正

方晶、単斜晶の三種の固相状態を取る。このうち正方晶→単斜晶(950℃)、単斜晶→正方晶(1150℃)の結晶構造変化がマルテンサイト変態により起こる。ジルコニアに Y2O3、CaO、MgO などの酸化物を添加すると、高温の立方晶が室温まで安定に存在するようになる。これを完全安定化ジルコニアという。ま

た、これら酸化物の添加量を少なくすると、立方晶 ZrO2の中に単斜晶あるいは

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正方晶の ZrO2粒子が分散した組織となり、これを部分安定化ジルコニアという。

部分安定化ジルコニアは大きな破壊抵抗を持つ高靭性セラミクスとして知られ

ている。これは、TRIP効果によるもので、クラック先端において正方晶 ZrO2が単斜晶にマルテンサイト変態を起こし、応力集中が緩和される。

Table 4.1無機化合物、鉱物、セラミクスにおけるマルテンサイト変態