特 集 地区防災計画 地区防災計画をめぐる4つの誤 …-11- はじめに...

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-11- はじめに 地区防災計画に関する地域社会での活動をお手 伝いしていると、この仕組みの趣旨が必ずしも十 分に伝え切れていないのではないか、言いかえれ ば、十分理解されていないのではないか この ように感じるポイントが、主として4つある。本 稿では、これら4つの誤解について筆者なりの考 えを示して、地区防災計画とは何を実現しようと する制度なのかについて、読者の理解を促進する ための一助としたい。なお、筆者は、別途、「地 区防災計画の3つのポイント」と題する原稿(矢 守,2014)も公開しているので、あわせて参照さ れたい。また、地区防災計画制度の概要について は、同制度の HPhttp://chikubousai.go.jp/)、お よび、西澤・筒井 (2014)にわかりやすい解説が ある。 本制度はキックオフされて間もないし、多様な 可能性に開かれているべきである。筆者が下記で 論じているポイントに対しても、「それこそ誤解 ではないのか」との反論も寄せられるかもしれな い。しかし、そうした議論をしっかり交わすこと が、スタートしたばかりの制度を実りあるものに 育てていくための肥やしになると考え、今後の検 討のための一つの拠点として、ここに愚見を提示 する次第である。 まず、4つの誤解とそれに対する筆者の考えを 図1にまとめておく。この図1は、直接的には、 高知県黒潮町が進めている地区防災計画づくりの 活動を筆者がお手伝いする中で(詳しくは、千々 地区防災計画をめぐる4つの誤解とホント 京都大学防災研究所教授 地区防災計画 図1 地区防災計画をめぐる4つの誤解とホント №124 2016(春季)

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Page 1: 特 集 地区防災計画 地区防災計画をめぐる4つの誤 …-11- はじめに 地区防災計画に関する地域社会での活動をお手 伝いしていると、この仕組みの趣旨が必ずしも十

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はじめに

地区防災計画に関する地域社会での活動をお手

伝いしていると、この仕組みの趣旨が必ずしも十

分に伝え切れていないのではないか、言いかえれ

ば、十分理解されていないのではないか   この

ように感じるポイントが、主として4つある。本

稿では、これら4つの誤解について筆者なりの考

えを示して、地区防災計画とは何を実現しようと

する制度なのかについて、読者の理解を促進する

ための一助としたい。なお、筆者は、別途、「地

区防災計画の3つのポイント」と題する原稿(矢

守,2014)も公開しているので、あわせて参照さ

れたい。また、地区防災計画制度の概要について

は、同制度の HP(http://chikubousai.go.jp/)、お

よび、西澤・筒井 (2014)にわかりやすい解説が

ある。

本制度はキックオフされて間もないし、多様な

可能性に開かれているべきである。筆者が下記で

論じているポイントに対しても、「それこそ誤解

ではないのか」との反論も寄せられるかもしれな

い。しかし、そうした議論をしっかり交わすこと

が、スタートしたばかりの制度を実りあるものに

育てていくための肥やしになると考え、今後の検

討のための一つの拠点として、ここに愚見を提示

する次第である。

まず、4つの誤解とそれに対する筆者の考えを

図1にまとめておく。この図1は、直接的には、

高知県黒潮町が進めている地区防災計画づくりの

活動を筆者がお手伝いする中で(詳しくは、千々

□地区防災計画をめぐる4つの誤解とホント

京都大学防災研究所教授 矢 守 克 也

特 集 地区防災計画

図1 地区防災計画をめぐる4つの誤解とホント

№124 2016(春季)

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和ほか(2016)、李ほか(2016)を参照)、私の研

究室の大学院生杉山高志くんと筆者が作成したも

のである。一般の住民の方を念頭においた説明な

ので、もとよりアカデミックな概念に依拠した厳

密なものではない。しかし、ここには、黒潮町だ

けでなく、地区防災計画づくりにチャレンジしよ

うとする多くの自治体、地域に共通する重要なポ

イントが整理されていると考えている。

4つの誤解には、それぞれを象徴的に表現する

現場の声(フレーズ)がある。第1の声(誤解)

は、「役場がすることだろう」であり、これが図

1の第1項(第1のホント)「地区防災計画は行

政が行うことではありません」に対応している。

第2の声(誤解)は、「文章を書くのは苦手だか

ら」であり、これが第2項(第2のホント)「地

区防災計画は計画書を作ることではありません」

に対応している。第3の声(誤解)は、「“ひな

型”はないんですか」であり、これが第3項(第

3のホント)「地区防災計画はどの地区でも一緒

ではありません」に対応している。最後に、第4

の声(誤解)は、「やれやれ、これで終わった」

であり、これが第4項(第4のホント)「地区防

災計画は一度きりで終わりではありません」に対

応している。

以下、4つの誤解(4つのホント)について順

次述べていこう。

1.「地区防災計画は行政が行うことで

はありません」

地区防災計画では、「行政から住民へ」と防災・

減災の取り組みの担い手の幅を広げ、たとえ小さ

なことであれ、住民主体で何かにとりくむことが

重要である。行政(自治体)はその手助け役とし

て位置づけることが望ましい。しかし、往々にし

て、この基本原理は踏まえられていない。いいも

悪いも、これまで、防災・減災の主役を行政が

担ってきたからである。また、第2項とも関連し

て、地域防災計画の「計画」という言葉が自治体

の業務という雰囲気を醸し出していることも災い

している。

しかし、地区防災計画では、地区の住民(事業

所等の場合もある)が主体となって、住民、行政

それぞれが自分たちができることを一歩ずつ進め

てコラボレーションを図ることが大切である。た

とえば、筆者が長く関わっている高知県四万十町

では、「家具転倒防止支援制度」(これは役場がが

んばった)の支援を受けながら、地元の自主防災

組織(「ぐるみの会」と呼ばれる)がメンバーや

中学生とともに、自分だけでは家具固定したくて

もできない独居高齢者宅などを巡回して独自の家

具固定の取り組みを行っている(写真1)。

また、住民と筆者らが協力して実施している

「個別避難訓練タイムトライアル」(孫(2016)を

参照)など、地域の取り組みの結果として、ある

橋が津波避難の際、重要となることがわかった。

多くの人がその橋を渡って高台の避難場所に向か

うのだが、万一落橋等でそこが使えなくなると、

大きな迂回が必要となって避難に支障を来すから

である。住民からの要望でその後まもなくこの橋

は耐震補強が実施された。避難の鍵を握るインフ

ラが何かを発見したのは住民側、すぐ手を打った

のは行政側。見事なコラボレーションである。

写真1 地域住民と中学生による家具固定活動(高知

県四万十町興津地区にて、筆者撮影)

消防防災の科学

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2.「地区防災計画は計画書を作ること

ではありません」

地区防災計画では、計画書やマニュアルなど書

類を作ること自体を目的化させないことが大切で

ある。そうではなく、住民の視点、地区の特徴を

活かした何らの活動を実際に進めることが重要で

あり、地区防災計画はそのための「メモ」や「覚

え書き」のようなものと理解しておく方が生産的

だと筆者は考えている。実際、「文書を書くのは

苦手だから�」と仰る方でも、避難訓練せよ、備

蓄倉庫の中の点検にせよ、何かしようと思えば、

メモの一つや二つ必ず必要だと思われるだろう。

そのメモが地区防災計画に他ならない。

ただし、ここまでは理解いただいても、次には

「じゃ、何から始めればいいですか?」との質問

を頂戴することもある。このような疑問を投げか

けられたとき、私たちは、地区防災計画のための

「活動メニュー」を提示している(図2は、黒潮

町に提示したメニュー表から冒頭部分のみを抜粋

したもの)。もちろん、何から始めるのかを住民

主体で考えていくプロセスがもっとも大切なのだ

が、そのための糸口すら見いだせないという場合

もある。そのときは、「こんなものもありますよ、

参考にしてください」という意味で提供している

ものである。

たとえば、黒潮町では、「活動メニュー」の中

から、「防災倉庫の整備」(写真2)、「地震動シ

ミュレータを用いた体験」(写真3)などが実施

されている。これらの活動をきっかけ(最初の第

一歩)として、徐々に、地区独自の活動を地区固

有の事情を反映させながら計画・実施していくこ

とが大切であろう。

黒潮町 地区防災計画防災活動提案メニュー

活動名 イラスト 説明 回答欄

からだを動かすメニュー

1

災害 避難訓練

地震・津波・台風・洪水・土砂災害に関する避難訓練。避難場所、経路、避難方法、所要時間を確認する。

実施経験 興味 あり あり なし なし

夜間での 避難訓練

夜間における避難訓練を実施し、避難場所、経路、避難方法、所要時間を確認する。

実施経験 興味 あり あり なし なし

要配慮者支援の 訓練

高齢者、障害者、外国人、独居者など要配慮者を一覧にしたリスト作り、支援方法、避難場所、経路を確認する。また、要配慮者に対する応急手当訓練なども実施する。

実施経験 興味 あり あり なし なし

図2 黒潮町地区防災計画防災活動提案メニュー(冒頭部分抜粋)

写真2 防災倉庫の実地調査の様子(高知県黒潮町佐

賀地区にて、杉山高志氏撮影)

№124 2016(春季)

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3.「地区防災計画はどの地区でも一緒

ではありません」

「お隣では津波避難訓練をしているからうちで

も�」ではなく、自分の地区の特徴を生かして、

自分の地区にしかない「オンリーワン」の活動を

手作りでまとめあげることが重要である。今、試

みに、全国の自治体(市町村や都道府県)の「地

域防災計画」(本稿のテーマである「地区防災計

画」ではなくて)を、ホームページ等を通して比

較してみるとよい。その多くが、内容外観とも似

たり寄ったりであることに気づくはずだ。もちろ

ん、同じ日本社会を形づくる自治体の防災計画で

あるから、まるっきりばらばらになるはずはない。

しかし、自然環境も社会環境も大きく異なるはず

なのに、どうしてもここまで一緒なんだろうと疑

問も湧いてくるはずである。

これは、一つには、同じ(ような)「ひな型」

をもとに多くの地域防災計画が作成されているか

らである。そして、この同じ弊害が、本来、地区

固有の事情を勘案して、多様なものをボトムアッ

プに作成することが期待もされ標榜もされている

地区防災計画にも及ぶ恐れは十分にある(西澤・

筒井,2014;矢守,2014)。ざっくばらんに書い

てしまえば、「国や役場が作れと言ってくる。ど

うしてもやらなきゃいけないなら、周りで評判が

良さそうなものを選んで、無難にこなしておこ

う」。こうしたことになってしまっては、金太郎

飴の計画が見事に「全国的に普及・浸透」して、

「めでたし、めでたし」ということになりかねな

い。

むしろ、地区ごとの特徴、固有の事情が前面に

出た計画がどんどん登場して、そのユニークさの

程度、「ありえなさ」の度合いを競うのが地区防

災計画だ、くらいの精神を重要視したいものであ

る。ここでは、筆者が見聞した中からほんの数例

を挙げてみよう。これ以外にも、地区防災計画に

関する HP(上述)には、多数のユニークな事例

が紹介されているので、ぜひ参照されたい。

高知県黒潮町の緑野地区。この地区は高台に位

置している。周囲の多くの地区は、徒歩かクルマ

か、近くのタワーか遠くの高台かなど、津波避難

を主題にした地区防災計画を策定中だが、この地

区は、避難してくるクルマをどうさばくかをテー

マとして設定していた。もっともだと感じた。

大阪府堺市浜寺4校区。市が全国に先駆けて設

定した「津波率先避難等協力事業所登録制度」を

背景に、地区内の事業所に勤める人たちが地区の

高齢者等の避難支援にあたる仕組みを計画し、実

際に訓練に移している。海岸沿いにカーディー

ラーやファミリーレストラン、郵便局などの事業

所が多数立地し(これらの事業所には、昼間、若

手の従業員がいる)、それよりも陸側に(少なく

とも昼間)避難に困難を抱える高齢者が多いとい

う地域性をよく踏まえた計画である。

4.「地区防災計画は一度きりで終わり

ではありません」

これは、上で述べた計画の自己目的化がもたら

す誤解でもある。計画は、本来何かをするために

あるものだが、計画自体が目的化すると計画が出

来きた段階で「やれやれこれで終わった」とな

写真3 地震動シミュレータ(白山工業「地震ザブト

ン」)を用いた体験の場面(高知県黒潮町佐賀

地区にて、杉山高志氏撮影)

消防防災の科学

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りがちである。しかし、地区防災計画の活動で

は、何ごとかを一度計画してそれで終わりではな

く、「計画→実施→ふりかえり」を何度も繰り返

して、改善を重ねながら長期間続けていく必要が

ある。次の災害は明日かもしれないが、�0年後か

もしれないからだ。

よって、極論すれば、重要なのは、「今回」の

計画(活動)ではなく、むしろ「次回」(以降)

の計画(活動)である。「今回」の計画(活動)

の成果、あるいは、失敗・後退を踏まえて、それ

を修正してまた「次回」の計画(活動)に反映す

ることが大切である。

筆者が個人的にご縁をいただいている場所にも、

たくさんよいお手本がある。たとえば、黒潮町万

行地区。南海トラフの巨大地震が発生すると、20

数分で10メートルを超える津波が押し寄せると想

定されている。よって、津波避難が喫緊の課題で

ある。複数の避難場所の使い分け、クルマ避難、

要支援者への対応など、テーマを変えながらもう

5年以上、勉強会や訓練を積み重ねている。すぐ

に目に見えて何かが変わるわけではない。心配の

種が直ちに雲消霧散するわけでもない。しかし、

一歩一歩努力を重ねることが大切である。

【引用文献】

千々和詩織・中居楓子・矢守克也・畑山満則・李フ

シン・孫英英・杉山高志(2016)高知県黒潮町に

おける地区防災計画の進捗報告(1)   黒潮町の

地区防災計画の全体像   第2回地区防災計画

学会大会梗概集,26-27

李フシン・中居楓子・杉山高志・千々和詩織・孫英

英・矢守克也・畑山満則(2016)高知県黒潮町に

おける地区防災計画の進捗報告(2)   地区防災

計画推進の阻害要因   第2回地区防災計画学

会大会梗概集,28-29

西澤雅道・筒井智士(2014)地区防災計画制度入門

―内閣府「地区防災計画ガイドライン」の解説と

Q&A NTT 出版

孫 英英(2016)個別避難訓練タイムトライアル 

矢守克也・宮本匠(編著)「現場でつくる減災学:

共同実践の五つのフロンティア」 新曜社

矢守克也(2014)「地区防災計画」の3つのポイン

ト C+Bousai /地区防災計画学会誌 , 1, 5�-54.

№124 2016(春季)