私 母校 女子学院中学・高校② の袋に収まる小ささです · 袋 。 吸 水 シ...

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母校 51 83 宿 退 51 89 12 女子学院には片道1時間半 かけて通学していた。「電 車の中が勉強部屋でした」 と菊地涼子さん 女子学院時代の友人に会うと「すぐに当時 にタイムスリップします」と沖理子さん 女子学院中学・高校② (東京都千代田区) 地上より宇宙に、好奇心原点 母校 51 83 宿 退 51 89 12 女子学院には片道1時間半 かけて通学していた。「電 車の中が勉強部屋でした」 と菊地涼子さん 女子学院時代の友人に会うと「すぐに当時 にタイムスリップします」と沖理子さん 女子学院中学・高校② (東京都千代田区) 地上より宇宙に、好奇心原点

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Page 1: 私 母校 女子学院中学・高校② の袋に収まる小ささです · 袋 。 吸 水 シ ー ト を 入 れ た 黒 い ビ ニ ー ル 袋 を 便 座 に か ぶ せ

私の母校

(第三種郵便物認可) 122015年(平成27年)10月25日

被災地支援の取り組み

を始めたのは、震災が発

生した2011年の冬。

一人の生徒が「私たちも

被災地に行って、何かし

たい」と申し出たことが

きっかけでした。以来、

春休みと夏休みに生徒有

志が被災地を訪れ、仮設

住宅の集会所で地域の人

との交流会を開いたり、

東京都内で被災地の特産

品を販売したりしてきま

した。

被災した人から聞いた

話の中でも生徒たちの印

象に強く残ったのが、津

波に襲われた中学校で夜

を明かした人の体験談で

した。卒業式のために壁

にはられていた紙製のお

花すら、トイレットペー

パーの代わりとして使わ

なければならなかったそ

うです。

一方、活動を続ける中

で芽生えた一つの疑問。

それは「被災地�東北、

なの?」ということでし

た。

近い未来、首都圏でも

巨大地震が起きる可能性

が指摘されています。生

徒たちもいつかは「被災

者」となるかもしれませ

ん。学校での災害への備

えを見直してみると、マ

ンホールを使う簡易トイ

レは4基のみ。600人

の全校生徒に対しては、

圧倒的に不足していまし

た。そ

こで着目したのが、

高性能の吸水シートと防

臭袋。吸水シートを入れ

た黒いビニール袋を便座

にかぶせ、用を足すと、

シートが尿を吸い取りま

す。使用後は、黒い袋ご

としばって、防臭機能が

あるピンクの袋に入れれ

ば、臭いがもれる心配も

ありません。これらを組

み合わせれば、市販され

ている携帯トイレよりも

安く、用意することがで

きます。

9月に開かれた学園祭

では、5回使えるセット

を200円で販売しまし

た。売り上げをもとに、

被災地などに同様のセッ

トを贈る計画です。5年

はやし

(高2)の林垣菜美さん

は「国民全員が携帯トイ

レを常備すること」を目

標に掲げています。4年

(高1)の山賀絵梨香さ

んは「まずは身近な人た

ちから、口コミででもト

イレの大切さを伝えてい

きたい」と話していま

す。仙

台市で3月に開かれ

た国連防災世界会議をは

じめ、活動について発表

する機会も度々ありまし

た。「大人が言うよりも、

中高生の私たちが伝える

方が注目されるし、説得

力もある」との自負もあ

ります。

活動のキャッチフレー

ズは「もしものために今

できるコト」。この言葉を

胸に、生徒たちは自分た

ちにできることは何なの

かを問い続けています。

来春、東日本大震災から5年を迎えます。目黒星

美学園は、被災地を定期的に訪問するなど、支援活

動を続けています。根底にあるのは「私たちも未来

の被災者かもしれない」という、生徒たちの気づき。

災害時のトイレなど、誰でも直面する可能性がある

課題を切り口に、災害への備えを呼びかけています。

(八木みどり)

め ぐ ろ せ い び

目黒星美学園中学高校(東京都世田谷区)

ももししももののたためめででききるるココトト探探して

菊地さんと同期で、同

じバスケ班だった宇宙航

空研究開発機構(JAX

サA)地球観測研究センタ

ーの研究領域リーダ、沖

理子さん(51、83年卒)

は「文系の涼子が宇宙飛

行士になるとは。訓練に

旅立つ時には、のぼりを

持って空港に見送りに行

きました」と笑う。

小学生の頃から理科が

好きだった沖さんは、女

子学院に入学すると迷わ

ず地学班地質部へ。化石

の中でも、生物の巣穴や

はった跡など「生痕化石」

について、大学から来た

先生が指導してくれる点

が魅力だった。バスケ班

にも入ったが、高校から

は地質部一本に。部長も

務めた。

夏休みには海水浴客で

にぎわう千葉県の白浜海

岸へ合宿に行き、麦わら

帽子に長袖長ズボン、首

に巻いたタオルで汗をぬ

ぐいながら大きな化石を

採取した。「変わってい

る部の部長だったんだか

ら、本当に変わっていた

んでしょうね」

筑波大学や東京大学大

学院で学び、JAXAで

は人工衛星で雨を測る研

究に携わっている。外国

とのデータ交換など、国

際協力が日々欠かせな

い。「女子学院で身につ

けた異文化や個性を認め

合うということを、じわ

じわと感じます」

(編集委員・根本理香)

ったが、それまでの1年

以上にわたるモスクワ郊

外での訓練は思い出深

い。すべての訓練は習い

たてのロシア語で進めら

れ、「宇宙船の船内マニ

ュアルなどは機密文書も

多く、テキストは渡して

もらえないことも多かっ

た」。そ

の後、モスクワ特派

員や報道番組のディレク

ターを務め、2000年

に退社。現在は宇宙教育

に関するNPO法人の理

事をしている。

女子学院時代は、バス

ケットボール班に所属。

「上下関係も厳しく、体

力もついた」。中学3年の

時には、区の大会で強豪

校を抑えて優勝した経験

も持つ。

女子学院が輩出する多

様な卒業生の中には、宇

宙飛行士の資格を持つ人

りょう

もいる。菊地涼子さん

(51、1983年卒)だ。

女子学院を卒業後、東

京外国語大学中国語学科

を経てTBSに入社。報

道カメラマンをしていた

89年、TBSが旧ソ連宇

宙総局と提携して日本人

初の宇宙飛行を企画し、

社内で「宇宙特派員」の

公募をした。宇宙好きな

わけではなかったが、「め

ったに行ける所じゃない

し」と好奇心から応募。

150人以上の中から先

輩の男性記者とともに宇

宙飛行士候補に選ばれ

た。翌

年12月に実際に宇宙

に飛んだのは男性記者だ

女子学院には片道1時間半

かけて通学していた。「電

車の中が勉強部屋でした」

と菊地涼子さん女子学院時代の友人に会うと「すぐに当時

にタイムスリップします」と沖理子さん

女子学院中学・高校②(東京都千代田区)こ こ そ ら

地上より宇宙に、好奇心の原点

開発した携帯用トイレを手にする目黒星美学園の生徒たち。段ボール製の便器は、

被災地の企業との共同開発です=東京都世田谷区の目黒星美学園

生徒たちが考案した携帯用トイレ。写真は

5回使用できるセットですが、封筒サイズ

の袋に収まる小ささです

私の母校

(第三種郵便物認可) 122015年(平成27年)10月25日

被災地支援の取り組み

を始めたのは、震災が発

生した2011年の冬。

一人の生徒が「私たちも

被災地に行って、何かし

たい」と申し出たことが

きっかけでした。以来、

春休みと夏休みに生徒有

志が被災地を訪れ、仮設

住宅の集会所で地域の人

との交流会を開いたり、

東京都内で被災地の特産

品を販売したりしてきま

した。

被災した人から聞いた

話の中でも生徒たちの印

象に強く残ったのが、津

波に襲われた中学校で夜

を明かした人の体験談で

した。卒業式のために壁

にはられていた紙製のお

花すら、トイレットペー

パーの代わりとして使わ

なければならなかったそ

うです。

一方、活動を続ける中

で芽生えた一つの疑問。

それは「被災地�東北、

なの?」ということでし

た。

近い未来、首都圏でも

巨大地震が起きる可能性

が指摘されています。生

徒たちもいつかは「被災

者」となるかもしれませ

ん。学校での災害への備

えを見直してみると、マ

ンホールを使う簡易トイ

レは4基のみ。600人

の全校生徒に対しては、

圧倒的に不足していまし

た。そ

こで着目したのが、

高性能の吸水シートと防

臭袋。吸水シートを入れ

た黒いビニール袋を便座

にかぶせ、用を足すと、

シートが尿を吸い取りま

す。使用後は、黒い袋ご

としばって、防臭機能が

あるピンクの袋に入れれ

ば、臭いがもれる心配も

ありません。これらを組

み合わせれば、市販され

ている携帯トイレよりも

安く、用意することがで

きます。

9月に開かれた学園祭

では、5回使えるセット

を200円で販売しまし

た。売り上げをもとに、

被災地などに同様のセッ

トを贈る計画です。5年

(高2)の林垣菜美さん

は「国民全員が携帯トイ

レを常備すること」を目

標に掲げています。4年

(高1)の山賀絵梨香さ

んは「まずは身近な人た

ちから、口コミででもト

イレの大切さを伝えてい

きたい」と話していま

す。仙

台市で3月に開かれ

た国連防災世界会議をは

じめ、活動について発表

する機会も度々ありまし

た。「大人が言うよりも、

中高生の私たちが伝える

方が注目されるし、説得

力もある」との自負もあ

ります。

活動のキャッチフレー

ズは「もしものために今

できるコト」。この言葉を

胸に、生徒たちは自分た

ちにできることは何なの

かを問い続けています。

来春、東日本大震災から5年を迎えます。目黒星

美学園は、被災地を定期的に訪問するなど、支援活

動を続けています。根底にあるのは「私たちも未来

の被災者かもしれない」という、生徒たちの気づき。

災害時のトイレなど、誰でも直面する可能性がある

課題を切り口に、災害への備えを呼びかけています。

(八木みどり)

め ぐ ろ せ い び

目黒星美学園中学高校(東京都世田谷区)

ももししももののたためめででききるるココトト探探して

菊地さんと同期で、同

じバスケ班だった宇宙航

空研究開発機構(JAX

A)地球観測研究センタ

ーの研究領域リーダ、沖

理子さん(51、83年卒)

は「文系の涼子が宇宙飛

行士になるとは。訓練に

旅立つ時には、のぼりを

持って空港に見送りに行

きました」と笑う。

小学生の頃から理科が

好きだった沖さんは、女

子学院に入学すると迷わ

ず地学班地質部へ。化石

の中でも、生物の巣穴や

はった跡など「生痕化石」

について、大学から来た

先生が指導してくれる点

が魅力だった。バスケ班

にも入ったが、高校から

は地質部一本に。部長も

務めた。

夏休みには海水浴客で

にぎわう千葉県の白浜海

岸へ合宿に行き、麦わら

帽子に長袖長ズボン、首

に巻いたタオルで汗をぬ

ぐいながら大きな化石を

採取した。「変わってい

る部の部長だったんだか

ら、本当に変わっていた

んでしょうね」

筑波大学や東京大学大

学院で学び、JAXAで

は人工衛星で雨を測る研

究に携わっている。外国

とのデータ交換など、国

際協力が日々欠かせな

い。「女子学院で身につ

けた異文化や個性を認め

合うということを、じわ

じわと感じます」

(編集委員・根本理香)

ったが、それまでの1年

以上にわたるモスクワ郊

外での訓練は思い出深

い。すべての訓練は習い

たてのロシア語で進めら

れ、「宇宙船の船内マニ

ュアルなどは機密文書も

多く、テキストは渡して

もらえないことも多かっ

た」。そ

の後、モスクワ特派

員や報道番組のディレク

ターを務め、2000年

に退社。現在は宇宙教育

に関するNPO法人の理

事をしている。

女子学院時代は、バス

ケットボール班に所属。

「上下関係も厳しく、体

力もついた」。中学3年の

時には、区の大会で強豪

校を抑えて優勝した経験

も持つ。

女子学院が輩出する多

様な卒業生の中には、宇

宙飛行士の資格を持つ人

もいる。菊地涼子さん

(51、1983年卒)だ。

女子学院を卒業後、東

京外国語大学中国語学科

を経てTBSに入社。報

道カメラマンをしていた

89年、TBSが旧ソ連宇

宙総局と提携して日本人

初の宇宙飛行を企画し、

社内で「宇宙特派員」の

公募をした。宇宙好きな

わけではなかったが、「め

ったに行ける所じゃない

し」と好奇心から応募。

150人以上の中から先

輩の男性記者とともに宇

宙飛行士候補に選ばれ

た。翌

年12月に実際に宇宙

に飛んだのは男性記者だ

女子学院には片道1時間半

かけて通学していた。「電

車の中が勉強部屋でした」

と菊地涼子さん女子学院時代の友人に会うと「すぐに当時

にタイムスリップします」と沖理子さん

女子学院中学・高校②(東京都千代田区)こ こ そ ら

地上より宇宙に、好奇心の原点

開発した携帯用トイレを手にする目黒星美学園の生徒たち。段ボール製の便器は、

被災地の企業との共同開発です=東京都世田谷区の目黒星美学園

生徒たちが考案した携帯用トイレ。写真は

5回使用できるセットですが、封筒サイズ

の袋に収まる小ささです