第4章 ダニエル・ベルトー講演会 “life stories for sociological...

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第4章 ダニエル・ベルトー講演会 “Life Stories for Sociological Research” 2011 年 10 月 29 日土曜日午後、一橋大学国立西キャンパス本館 2 階 26 番教室において、フランス の社会学者ダニエル・ベルトー氏による講演会「Life Stories for Sociological Research」を開催 した。ベルトー氏は、京都大学グローバル COE プログラム「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア 拠点」(代表・落合恵美子教授)による招聘で、2011 年 10 月に京都大学において、「ライフストー リーと家族の歴史―先端的質的手法による Advanced Qualitative Methods: Life Stories and Family Case Histories 」というテーマで 4 回の講義をおこなっている。その合間をぬって一橋大学での本講 演をおこなっていただいた。 ベルトー氏の講演開催のねらいは、1970 年代後半から 80 年代にかけてライフストーリー法リバイ バルの旗手として知られ、長年にわたってライフストーリー法による調査研究をてがけてきたベルト ー氏にその成果の紹介をしていただき、あわせて調査データの扱いについて尋ねる機会をもつことに あった。 講演は、逐次通訳をつけて英語でおこなわれた。以下は、通訳された講演内容を日本語版として文 字起こししたものである。 [通訳者・富永恵子(サイマル・インターナショナル)] 小林 多寿子 Daniel Bertaux“Life Stories for Sociological Research”2011 年 10 月 29 日 ベルトー:皆さま、こんにちは。まず冒頭に、小林先生に、今回の講演をするためにご招待いただい たことを心からお礼申しあげたいと思います。実は、他の大学などのご招待に関しては、京都大学以 外のものに関してはずっとお断りしてきたのですが、小林先生にはノーと言うことはできませんでし た。ご親切にも私の本を翻訳してくださいまして 1)、その翻訳版も送ってくださいましたが、そう いった経緯があったのでお断りすることができず、今回は一橋の講演には参りました。 今日の進め方ですが、冒頭の10 分間ぐらいは通訳を入れたいと思っています。その後にお伺いしま すので、通訳を続けていく必要があるかどうかをぜひ教えていただきたいと思います。そのときにぜ ひ正直に言ってほしいと思います。もし通訳をつけたほうがいいということでしたら、レクチャー全 体に通訳をつけることになりますし、その代わり通訳が入る分だけ時間は短くなってしまいます。で も大事なことはコミュニケーションがちゃんとできるということですので、私が話しても皆さんが全 然理解してくれないということになると問題ですので、そこは正直に後でお伝えください。 今日の話の焦点ですが、いくつかの事例を挙げていきたいと思っています。私はこれまで仕事を通 じて八つのプロジェクトをしてきました。その八つのプロジェクトを通じて社会学的な発見があった ので、それを皆さま方にご紹介したいと思っています。とくにライフストーリーというのが非常にい い方法論であるということを皆様を説得していくためには、この社会学的な発見をお伝えするのが最 大の方法ではないかと思っています。時間を節約するために、黒板にはすでに私が携わった八つのプ ロジェクトについて書いていますが 2)、最近知ったことですが、日本で八という数字は非常に縁起が いいと聞いています。 42

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第4章 ダニエル・ベルトー講演会

“Life Stories for Sociological Research”

2011 年 10 月 29 日土曜日午後、一橋大学国立西キャンパス本館 2階 26 番教室において、フランス

の社会学者ダニエル・ベルトー氏による講演会「Life Stories for Sociological Research」を開催

した。ベルトー氏は、京都大学グローバルCOEプログラム「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア

拠点」(代表・落合恵美子教授)による招聘で、2011 年 10 月に京都大学において、「ライフストー

リーと家族の歴史―先端的質的手法によるAdvanced Qualitative Methods: Life Stories and Family

Case Histories 」というテーマで4回の講義をおこなっている。その合間をぬって一橋大学での本講

演をおこなっていただいた。

ベルトー氏の講演開催のねらいは、1970 年代後半から 80 年代にかけてライフストーリー法リバイ

バルの旗手として知られ、長年にわたってライフストーリー法による調査研究をてがけてきたベルト

ー氏にその成果の紹介をしていただき、あわせて調査データの扱いについて尋ねる機会をもつことに

あった。

講演は、逐次通訳をつけて英語でおこなわれた。以下は、通訳された講演内容を日本語版として文

字起こししたものである。 [通訳者・富永恵子(サイマル・インターナショナル)]

小林 多寿子

Daniel Bertaux“Life Stories for Sociological Research”2011 年 10 月 29 日

ベルトー:皆さま、こんにちは。まず冒頭に、小林先生に、今回の講演をするためにご招待いただい

たことを心からお礼申しあげたいと思います。実は、他の大学などのご招待に関しては、京都大学以

外のものに関してはずっとお断りしてきたのですが、小林先生にはノーと言うことはできませんでし

た。ご親切にも私の本を翻訳してくださいまして 1)、その翻訳版も送ってくださいましたが、そう

いった経緯があったのでお断りすることができず、今回は一橋の講演には参りました。

今日の進め方ですが、冒頭の10分間ぐらいは通訳を入れたいと思っています。その後にお伺いしま

すので、通訳を続けていく必要があるかどうかをぜひ教えていただきたいと思います。そのときにぜ

ひ正直に言ってほしいと思います。もし通訳をつけたほうがいいということでしたら、レクチャー全

体に通訳をつけることになりますし、その代わり通訳が入る分だけ時間は短くなってしまいます。で

も大事なことはコミュニケーションがちゃんとできるということですので、私が話しても皆さんが全

然理解してくれないということになると問題ですので、そこは正直に後でお伝えください。

今日の話の焦点ですが、いくつかの事例を挙げていきたいと思っています。私はこれまで仕事を通

じて八つのプロジェクトをしてきました。その八つのプロジェクトを通じて社会学的な発見があった

ので、それを皆さま方にご紹介したいと思っています。とくにライフストーリーというのが非常にい

い方法論であるということを皆様を説得していくためには、この社会学的な発見をお伝えするのが

大の方法ではないかと思っています。時間を節約するために、黒板にはすでに私が携わった八つのプ

ロジェクトについて書いていますが2)、 近知ったことですが、日本で八という数字は非常に縁起が

いいと聞いています。

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1. Artisanal Bakery 2. Passing on small “family business” 3. Reproduction of power elite 4. Family case history ( Method for studying “social mobility” 5. 68 ‘ers ( in US and Western Europe student movements) 6. Divorced fathers, why 100% lose contact with child 7. Soviet Russia: how personal destines got shaped? 8. Precarity, poverty, social exclusion with Catherine Delcroix

[ベルトーの板書より]

小林先生から冒頭に自己紹介をしてほしいと言われていますので、まず自己紹介から始めたいと思

います。フランスの社会学の文脈においてですが、フランスにおいて、皆が反対するなか、ライフス

トーリーというものをここ30年間にわたってずっと使ってきました。

もともと私には祖父から受け継いだヒューマニスティックな価値観があって、それを持って育って

きたわけですが、祖父は 7 歳のときに死んでしまいました。でも、7 歳に至るまではずっと祖父と一

緒に住んでいたので、そのなかでヒューマニスティックな価値観を学んできたわけです。

その後、私は作家になりたいと思っていましたが、父親から科学者にならないといけないといわれ、

ではわかったということで、一生懸命勉強して、16歳という普通よりは早い段階で高校を卒業するこ

とができました。その後、数学や物理を学習して、フランスのなかでも非常にすばらしい学校である

エコール・ポリテクニックに18歳で入りました。その後、4年間にわたってリサーチエンジニアの仕

事をして、専門分野は航空機であり、修士号は科学だったのですが、カリフォルニア大学バークレー

校に留学しました。そこでは人工知能などについても勉強して、フランスに帰ってきてリサーチエン

ジニアになったのですが、実はその分野が全然好きではないということがわかりました。

バークレーからフランスに戻ってきまして、働くしか選択肢がなかったので、あまり好きではなか

ったけれども、人工知能の分野のリサーチエンジニアとして仕事をしました。3~4年ぐらいたったと

思いますが、そのときにここに書いているすばらしい本に出会うことができたわけです。オスカー・

ルイスの書いた『サンチェスの子供たち』という本で、2人の兄弟、2人の姉妹を含むメキシコのファ

ミリーに関する本でした。

この本は実は人類学だったのですが、その当時、私は非常に無知だったので、それが社会学だと思

い込んでしまって、ソルボンヌ大学の社会学部に登録しました。そのときはリサーチエンジニアとし

てフルタイムで働きながら社会学を勉強していたわけですが、実は社会学を勉強し始めて失望してし

まいました。そこではデュルケームなどを学んだのですが、それはオスカー・ルイスとはまったく関

係ない世界で、私にとっては失望でした。

その後、政治経済学などを勉強して、それには本当に情熱を抱いて、すばらしいと思いました。も

う25歳だったので、一生懸命勉強して、社会学で早く卒業をしてしまい、そして卒業した後に仕事を

探していたところ、社会学者としてCNRS、フランス国立科学研究センターで、フルタイムの研究者と

しての職を得ることになりました。収入は3分の1に減ってしまったのですが、それでも自分の好き

なことができるほうがすばらしいと思いました。

その後すぐ、私は数学的に非常に高度な研究をしていたので、競争に勝っていくためには、私を使

ってきちんとした研究プロジェクトをやらないといけないということで、そのプロジェトに参加をす

ることになりました。それはここに書いているデスティニー、運命に関するプロジェクトでしたが、

社会移動、social mobility に関する研究でした。なぜ人びとは医者とか、ドライバーとか、公務員

とか、建築家になることを選んで、社会移動がどうなっているかということに関する研究プロジェク

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トでした。

偶然ですが、その当時の社会学の分野は非常に数学化されていたというか、mathematize されてい

ました。安田教授(安田一郎)もそれに参加されていたのですが、当時は皆、私に対して、私が数学

的な訓練を受けているからということで、数学的な社会学の研究をしてほしいという期待を寄せてい

ました。しかし、私自身は数学的な研究を社会学に当てはめてもどこにも導かれないと思っていたの

で、社会移動に関していい研究をしたということを表向きは装っていましたが、同時に私は製パン労

働者に関するライフストーリーの収集を始めていきました。でも、人にそういうことをやっていると

いうことは言わないで、隠れて極秘裏にやらなくてはならない状況でした。というのは、当時のフラ

ンスにおける社会学のエスタブリッシュメントestablishmentはライフストーリーという手法に皆さ

ん大反対をしていたので、私のように数学の研究をしていた人間がまったく逆の手法を作るというこ

とは期待されていなかったからです。

その後に、私はソルボンヌ時代の教授であったレイモン・ブードンのところで研究を始めたのです

が、彼はあまり社会学には興味がなく、むしろ国際関係学のほうに興味があるので、そこで社会学者

の若い教授であるピエール・ブルデューを紹介されました。

それは1970年代初めでしたが、その頃のフランスの社会学というのはちょうど再構築の真っただな

かでした。2 回の戦争を経験して、社会学者がもう消えてしまったということで、第二次世界大戦の

後、デュルケームの後継者などもいなくなってしまい、社会学者がいないという状況でした。そこで

3人の若い社会学者が出てきまして、École Normale Supérieureだったのですが、そこから出てきま

した。その人たちはピエール・ブルデュー、レイモン・ブードン、アラン・トゥレーヌ、そしてクロ

ジェなどでしたけれども、そのときの社会学というのは自分たちの縄張り争いという感じで、領土を

分かち合うというような状況でした。日本の封建時代の大名のようなもので、お互いにいつも戦い合

っていて、自分の領土を広げようとしているという状況でした。

そのなかでもとくに一人、大名のなかから抜きん出て将軍になりたがっている人がいて、それがピ

エール・ブルデューだった。とてもアグレッシブな人でした。そこで私はそういう世界で生き残って

いくためには誰かにつかなければならない。もしブルデューを選ぶと残りの3人を敵に回すことにな

るわけですが、私自身は独立したマインドを持っているので、誰かを選ぶということはできなかった。

そこで私は問題に見舞われるわけです。

私はブルデューと2年間ぐらい一緒にいましたが、その後、対立して彼のもとを去って、その次は

レイモン・ブードンのところに行きました。そこでもちょっと対立がありました。というのは、当時

はちょうど1968年の革命の後だったので、かなり左翼的な考えをとるような状況でしたが、ブードン

は保守的なリベラルな考えがあった。私と意見が合わないので、そこも去ることになりました。その

後にトゥレーヌのところに行くわけですが、彼とも喧嘩をして、その後、仲直りをしていますが、彼

のほうがセンターを去ることになって、当時はロベール・カステルがそこを率いています。

それからどのようにして私がこの世界で生き残ってきたかということですが、先ほど申しあげた 3

人のうちの1人が、私をそこから追い出すべきだとまでいったわけですが、それでも私はライフスト

ーリーに対するパッションが非常に強かったので、あきらめることはできませんでした。

そこでどうして生き残ったかというと、三つあると思います。

まず第1点は、研究者からなる組合に入ることになって、そこで非常に積極的なメンバーとなりま

した。そこでは若手の研究者に対して保護を与えてくれたので、そこに入ったことが非常によかった

と思います。

2 番目には、フランス人は当時、英語がほとんど話せなかった。とくに社会学の分野の人は話せな

かった。しかし、私は英語を話すことができたということで、社会移動social mobilityに関するISA

の研究委員会にもアプローチして、そこでは次世代を担う若手の研究者、ジョン・ゴールドソープJohn

Goldthorpeとか、カール・メイヤーKarl Ulrich Mayerとか、いろいろいましたが、そういった人た

ちが、私が研究機関のほうと問題があるときに私の支えになってくれたということです。英語で本を

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発表したのですが、それに関してはフランスのオーソリティに対してはまったくアピールしなかった。

なぜならば、誰も理解できないような英語などという言語で本を出すのだという反応だったのです。

このように冒頭の1年間は非常に困難な時期だったのですが、逆にテクノクラートのほうから私は

支援を得ることができました。テクノクラートというのは研究資金、助成金を分配している人たちで

したが、むしろそういった人たちのほうが学者よりもよりオープンだったと思います。つまりライフ

ストーリーという新しい方法論に関して非常にオープンである。なぜならばライフストーリーについ

て彼らは何も知らないので、それが幸いしたわけです。

そこで私にチャンスを与えてくれました。1974年にはパン屋についての研究、ライフストーリーを

聞くための資金を提供してくれることになりました。1978年に、国際社会学会世界社会学会議World

Congress of Sociologyがライフストーリーに関する会合の企画をしましたが、びっくりしたことに、

部屋いっぱいになるような150名もの人が参加してくれました。そのときにはジョン・ゴールドソー

プJohn Goldthorpeなども来て、数量的なアプローチをやっていた人ですが、私自身は数量的なアプ

ローチについては批判的でしたが。フランコ・フェラロッティFranco Ferrarottiとか、イマニュエ

ル・ウォーラスティンとか、いろいろな人が来ました。そこでかなり成功させることができたので、

私のキャリアもそのあたりから安定していった。つまりフランス国外で私の知名度も上がり、評価を

されるようになって、フランス人はフランス国外でのこのような成功に対して何もすることができな

かったということです。

いまの私のこの話を聞いていると、ひょっとしたら私はヒーローのようになっていて、作り事を言

っているのではないかと思われているかもしれませんが、このようにすべて再構築していったわけで

す。その証明もあります。ピエール・ブルデューは1988年になって、ライフストーリーに関して非常

に壊滅的な攻撃をするようなペーパーを発表しています。非常に有名なというか、むしろ悪名高きと

言ったほうがいいかませんが、ペーパーを出していまして、小林多寿子先生が翻訳をしたはずです3)。

当時の攻撃というのは、ライフストーリーというのは非常にジャーナリスティックであって科学的で

はない非常に悪い手法であるということで、1988年時点でさえもそういうことを言っていました。

そのペーパーは彼自身にとっては自己批判的な、self critic のような評論だったと思います。14

パラグラフぐらいの短いものでしたが、いろいろないいアイディアとか新しいアイディアについて書

いている。しかし、いいアイディアが必ずしも新しくもないし、新しいアイディアがいいアイディア

とも限らないということで、この批評したペーパーは、実はブルデュー自身にとっていちばんよかっ

たのではないかと思います。というのは彼自身の自己批判になったからです。

1988年に書いたペーパーのことですが、その5年後になって、彼が自分の名前で、私とも仕事をし

ていた23人のチームからなる人たちの研究について本を出しています。それがそこに書いています、

日本語には訳されていない『La Misère du Monde』で、英語のタイトルが『The Weight of the World』

です。そこで対象になっているのはフランスにおける中産階級の下のクラス、あるいは労働者階層の

人たちですが、ほとんどがナラティヴな形で、52のインタビューを入れたものです。彼のチームのメ

ンバーによるインタビューあるいは彼自身のインタビューも入っていますが、700 ページからなる本

で、これがベストセラーになりました。

これはピエール・ブルデューが書いた本のなかでは も売れた本だと思いますが、3 万冊売られ、

テレビなどでも取り上げられました。彼自身がこの本の中で一つのチャプターを書いていて、

Comprendre「理解する」という章を持っています。そこにおいてはブルデュー自身がこのナラティヴ

によるインタビューというのは非常に興味深い方法であると、あたかも自分が発明したかのごとく、

これもまた典型的にブルデューらしいのですが、そのようなことを書いているということで、その本

のなかでは彼はナラティヴ・ライフストーリーということを認めているわけで、88年に出したほうの

ペーパーは自己批判的なものであったということになると思います。

いまちょうど区切りですが、通訳をこの後つけていくかどうかということでご意見を聞きたいと思

います。

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小林:このまま進んでいきますが、ここから先、今日の本題に入りますが、通訳があったほうがよ

ろしいですか?お願いしたい方?今のような形で、ある程度のパラグラフごとに通訳さんをお願いい

たしますか?

このまま続けてほしいということだそうです。

ベルトー: もう皆さん理解してくださっていると思いますが、まずライフストーリーについての

説明から入りたいと思います。ライフストーリーというのは、ナラティヴ的なインタビューであると

いうこと、そういう意味では一つの特殊なインタビューということになります。自分の人生で何が起

こったかということ、直接的な経験について質問をされて、そのインタビューに答えていくという手

法です。

ここからちょっと専門的になっていきますが、私は自分のキャリアのなかでライフストーリーとい

うことを使ってきましたが、それ自体が目的ではありませんでした。オスカー・ルイスにおいてはそ

れが目的であったかもしれないけれども、私の場合には、新しい社会学的な発見をするための手段と

して使ってきました。

それでは、その新しい社会学的発見が何であるかということですが、社会の基底にある社会的な構

造あるいは観察可能な社会的な現象が常に作られ、あるいは再生されていくような社会的なメカニズ

ムおよび社会的なプロセスを発見するということです。その社会的なメカニズムやプロセスについて

は、ここに黒板に定義をしたとおりです。

私は 1970 年代にいま申しあげたようなものを発明していったわけです。1970 年代というのは定量

的な科学が雰囲気として蔓延しているときでした。科学というのは、たとえばピエール・ブルデュー

の言葉を使うと、彼は社会学を他の科学と同じような科学にしたいというような表現をしていました。

つまり物理学と同じように法則を発見したいということです。でも、私にとっては物理学を適用して

も何ら機能はしないということは 初からわかっていました。物理学のなかで法則を発見するという

のは、たとえば代表的なサンプルを得て空からものが落ちてくるというような実験をすることができ

るけれども、社会学の場合にはそういった実験をすることができない。そういう意味で別の形の真実

であると思います。社会科学も、ひょっとしたら経済学もそうかもしれませんが、それはライフサイ

エンスとか自然科学とは異なるものであるということで、私は数量的な哲学に非常に批判的であり、

別の手法を作らなければならないと思っていました。

しかし、ここで誤解をしていただきたくないのですが、私はピエール・ブルデューとか、レイモン

・ブードン、トゥレーヌ、クロジェという人たちがやったすばらしい研究に背を向けているわけでは

ありません。彼らのことを私も非常に尊敬しています。マルクスやウェーバーほどではないにしても、

尊敬はしています。ピエール・ブルデューから学んだのは彼の構造主義的な考え方で、これも一つの

重要な考え方であると思います。また、レイモン・ブードンから学んだのは、またその逆で、個人の

行為、action についてでした。トゥレーヌからは新しい形の社会運動 movement について学びました

し、クロジェからは権力の関係、power relationshipについて学びました。これらはすべて社会を分

析するにあたって大事なものです。

そこで、私はこれらをすべて組み合わせることにしました。フィールドワーク、つまりエスノグラ

フィック的なアプローチが重要であると。当時のフランスの社会学者はソシオグラフィをあまり発達

させてはいなかった。しかしいい記述descriptionあるいは分析的記述descriptionが必要であると

私は考えました。

その後に、グレイザーとストラウスの質的なアプローチなどが出てきます。いい本ですが、日本語

にも翻訳されています。知的な、非常に野心の強い本ですが、アメリカ人がよくいうような料理本み

たいなものであるともいわれたりします。マイケル・ブラヴォイMichael Burawoyがそこに書いてい

ますが、その人も非常にいい社会学者です。彼は工場でのフィールドワークをしていきました。もと

もとはシカゴの工場で働いて、もともと英国人ですが、その後、社会主義体制のもとにおけるハンガ

リーの工場でも働いたし、ソビエト崩壊後のロシアの工場でも働いた。労働者としてではないけれど

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も、ザンビアの銅山でも研究をしています。そこでマルクスの研究やライフストーリーをうまく組み

合わせたいい研究をしていまして、現在、彼がISAの会長をしています。

いくつかの事例があるのですが、それの肉の部分は削いでしまって、骨の部分だけ核心に迫って話

をしていかなくてはいけなくなると思いますが、まずピエール・ブルデューから学んだことは何かと

いうと、まず構造主義的な問題にアプローチをしなければならない。それで説明をする。その後に人

の行為actionや歴史historyを加えていくということです。

たとえば2番目に書いてあるスモールファミリービジネスの継承についてという研究があります。

つまり一つの世代から次の世代にどのようにファミリービジネスが継承されるかということについて

の研究です。このアイディアはマルクスの言った言葉、引用からもともと生まれたのですが、彼が、

土地を受け継ぐのは小作農ではなくて、小作農を受け継ぐのが土地であるというふうに言っています。

これは日本においてもフランスにおいてもあると思いますが、父親から継承した土地によって多く

の小作農の生活が得られていくということです。社会的な destiny、運命がその構造によって事前に

運命づけられているということがそちらの研究にもあるのですが、それをはたして小規模なファミリ

ービジネスにも適用することができるかどうかを見ていきました。

私が研究で発見したことをすべてここでお伝えする時間はないのですが、かいつまんでいうならば、

スモールファミリービジネスはうまく機能している。なぜかというとファミリービジネスが自分の子

どもの誰かに継承される。つまりそのビジネスが子どもを捉えるということです。

しかし、このような構造主義的な説明では不十分だと私は思いました。もし子どもがビジネスを継

承したとしても、その継承されたビジネスをその人が個人的な利益のために変貌させてしまうという

ことであるならば、そのビジネスはうまくいかず、いずれ破綻するかもしれません。

ドイツの私の同僚が、私のペーパーをドイツ語に翻訳したのですが、その翻訳のなかにドイツ人の

有名な詩人であるゲーテの引用も付け加えています。祖先から遺産を引き受けるだけではなくて、自

分のものにするためには、自分がそれを領有appropriateしなければならないと言っています。つま

り構造と行為、ストラクチャーとアクションの組み合わせです。

私が書いたペーパーのなかでベストと言えるものの一つですが、ここに題名を書いていますが

(「Heritage and its Lineage」)、私の 初の妻であるイザベル・ベルトー・ウィアムとの共著で

す。一つのファミリーが五世代にわたってビジネスを継承していった例を研究しているのですが、そ

れぞれの世代において少しずつ変貌していった様子を書いています。私のウェブサイト

(www.daniel-bertaux.com)で英語ではその研究を紹介していますが、まだ日本語にはなっていませ

ん。「Heritage and its Lineage」という研究です。

直接私が携わったわけではありませんが、ずっと研究をしているときに念頭においてあったポイン

トがあって、それはピエール・ブルデューがいっているところのファミリー・キャピタルという概念

です。ファミリー・キャピタルというのは、たとえばエコノミックキャピタル、カルチュアルキャピ

タル、ソーシャルキャピタル、リレーショナルキャピタルと並んで一つの家族資本ということなので

すが、これは理論としてはきちんと構築されていませんけれども、概念そのものは世界的にもよく知

られているものだと思います。そこでファミリーケースヒストリーの方法を使って、三世代、四世代

にわたる家族の歴史について研究をしていくわけですが、ピエール・ブルデューは、あくまでもこれ

は憶測にもとづくものであると。なぜならば彼の場合にはサーベイデータを持っているだけで、それ

を検証していないからです。つまりソーシャルプロセスをaction、行為でもって検証をしていないと

いうことです。

たとえば一連の具体的なケーススタディがあるとします。そして私は自分の学生に、三世代ないし

四世代にわたるファミリーのヒストリーを収集するように言っているので、その結果、いろいろなフ

ァミリーのヒストリーが集まって、いまやいろいろな国々のファミリーのライフストーリーが100点

以上収集されています。フランス、スウェーデン、ドイツ、ロシア、ケベック、メキシコ、今後、日

本のものも集まることになると思います。

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資本ということを考えた場合に、経済資本は簡単に次世代に継承することができます。でも、それ

があまりにも簡単すぎると、次の世代の人は自分のリターンを得るためにそれを費やしてしまうこと

もある。一方、文化的なキャピタル、文化資本というのはそれほど簡単には継承できません。たとえ

ば自分が大学の教授であったとしても、娘が大学の教授になるのは嫌かもしれないし、また自分がバ

イオリニストであったとしても、子どもはバイオリニストの跡を継ぐのは嫌かもしれません。一方、

社会的キャピタルは継承するのが困難なものです。なぜならば社会的キャピタルというのは自分の世

代に非常にコネクトしているからです。そこで、私が呼ぶところのdifferential transmissibility of

family capitalというコンセプトがあって、そのコンセプトについては、先ほどご紹介したペーパー

のなかに書かれています。

そこで、ファミリー・キャピタルというオブジェクティブな資源、客観的な資源を親から子に継承

されることを考えた場合に、二つのステップがあります。一つは、自分が親として子どもに対して文

化的なもの、あるいは知識、芸術に関する関心とか政治に対する関心をオファーしようとします。で

も、子どものほうはそういったものに関心がない。あるいはそれを本当に引き継ぐかもしれません。

また複数の子どもがいる場合には、1 人の子どもはこちらを取って、別の子どもはこちらを取る。3

番目の子どもは、親が全然譲るつもりがなかったものを継承するということもあるかもしれません。

したがって、思っているよりも非常に複雑なことで、そこには構造と行為の両方があると考えたほう

がよりよい理論化ができると思います。

もう一つびっくりした発見があります。パワーエリートのリプロダクションという研究をしました。

そこで社会移動についての『Personal Destiny and Class Structure』という本を書いたのですが、

そのなかにパワーエリートに関する章を一つ設けて、金持ちのファミリービジネスがどのように継承

されていくかということを書きました。金持ちのファミリービジネスでファミリー資本をどのように

継承していくかということを見ていったわけです。

そこで紳士録にあたってみて、そのなかである家族を見つけました。そこでびっくりしたのは、製

鉄業界にいるルマンテイルという有名なファミリーがあって、それを見てみると、ドゴール時代の大

臣を10年ないし15年務めたような人が義理の息子、sun in lawですが、常にその家系に来る奥さん

は同じ鉄鋼業界のファミリーからということで、そういうメカニズムがあるということに非常に驚き、

それはいままで公表されていなかったので知らなかったのですが、私自身がそれを公表したようなも

のでした。

そのメカニズムですが、これはあくまでもまだ仮説ですが、たとえば想像してみてください。自分

が非常にお金があるビジネスマンで、ある業界、商業とか金融の分野に多くの資本を投資してきたと

します。そうするとそれを継承してくれる人がいてほしいと願うと思います。自分には息子と娘がい

る。しかし息子のほうが非常に豊かな生活をしてきたので、あまり一生懸命働きたくない。人生をむ

しろエンジョイしながら過ごしたいと思っている。娘も同じような気分である。

そこでどうするかというと、娘を非常にエリートの学校に進んだ頭脳明晰な若い人と結婚をさせる

ということで、代々名前は変わっていくけれども、そのファミリーのビジネスを継承させることがで

きるということで、名前が変わるので誰もわからないけれども、変わった名前の背後にあるキャピタ

ルは、代々ずっと同じものであるといったメカニズムがあります。ということは、非常にリッチなビ

ジネスマンになったならば、むしろ息子を持つよりも娘を持ったほうがいいのではないかというのが

私のアドバイスです。ファミリー・キャピタルのブルデューの理論であるネガティブケースというの

があります。

次に、ロシアあるいはソ連邦についても私は常に関心を持ってきました。あまりうまくはないです

が、ロシア語も話すことができます。1960年代にはしばしばロシアを訪問していましたが、1968年以

降それをやめて、1991 年に旧体制が崩壊してからまた戻ったのですが、そこで 10 人の若手の社会学

の研究者をリクルートして、数世代にわたってファミリーケースヒストリーを収集するようにお願い

しました。ソビエト社会のなかでどのようにしてステータス、地位が継承されていくのか。そして子

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どもたちがある程度の社会的なステータスを得ることができるように、親がどのように手助けをして

いるのか、ソビエト社会のなかでのことを知りたいと思いました。ソビエトというのは権力のみがあ

って民間の資金があるというわけではないので、どのような形で継承のメカニズムがあるのかという

ことを知りたかったわけです。

社会学の研究をしている若い人は、非常に代表的なサンプルをとるために、フランスを対象とした

いといったのですが、そうではなくて、アットランダムにしなければならないと私は主張しました。

30のファミリーヒストリーをアットランダムに収集していきましたが、そのような無作為的なアプロ

ーチであってでさえも、30のなかの七つのファミリーまでが帝政時代に遡り、その当時、上流社会あ

るいはアッパーミドルクラスの人であった、つまり小規模ではあっても貴族であったり、インテリ、

あるいは聖職者であったりしました。

多くの人たちが1917年のロシアの革命以降、国を去って、飢餓とか貧困のために命を落としてしま

ったわけですが、若い女性たちはなんとか生き延びることができました。でも、普通のロシア人のよ

うなふりをして生きているわけですが、読み書きができたり、あるいは共産国がほしがるようなスキ

ルを持っていたりということで、それだけでもすでに猜疑心を生んでしまうわけです。

たとえば代々引き継いでいる銀食器を持っていたり、そういうものを闇市場で売ったりしてお金を

作りながら生きながらえていったわけです。フランスに流れてきた人もたくさんいますが、フランス

社会においても、こういう人たちとは関係を絶たなければ疑われるという状況がありました。そうい

うことで親から引き継いだお金とかソーシャルキャピタルとか、宝石とか文化的なキャピタルが、む

しろネガティブキャピタルになったという例がこれです。

同じようなことがフランスの1789年の革命のときにも起こっています。社会のなかで持っていたキ

ャピタル、資本が、逆のものになってしまう。なぜならば、そういう資本を持っていることによって、

たとえば斬首刑になったりするからです。ブルデューが言っている理論は、あくまでも社会的な秩序

がずっと変わらないことにおいては有効ですが、一旦革命が起こったりすると、こういったルールが

変化をしてしまうということです。非常に美しいストーリーがあって、私のウェブ上でも紹介してい

て、英語で書いていますが、Transmission in extreme situation というものです。これはロシア革

命で搾取されたファミリーに関するストーリーです。極端な状況下における継承ということを書いた

ペーパーです。

私は疲れているので皆さんも疲れていると思ったので、小林先生にちょっと休憩していいかとおう

かがいしたのですが、あと20分続けろと言われました(笑)。皆さんお疲れではないですか(笑)。

それではあと20分以内に講演を終わりたいと思います。

ここの8番目に書いていますヨーロッパのプロジェクトがあります。皆さんも聞かれたことがある

かもしれませんが、EUに対して私たちがフィールドワークをするために提案したものです。ヨーロッ

パの八つの大都市、ロンドン、ポルトガルのリスボン、フィンランドのヘルシンキ、アイルランドの

ダブリン、フランスのトゥールーズ、イタリアのトリノ、スウェーデンのリオという町を選びました。

この都市に行って、そのなかでももっとも貧困な地区を選んでいきます。その地区の上から気球に

乗って見下ろすような形で、そして100メートルぐらいの上空からいろいろ観察をしていって、モノ

グラフを作ります。そこで平均的な所得とか統計のデータも集めるわけですが、フィールドワークを

するために、もっとも貧しい地区に上陸して、そこでインタビューに答えてくれる30のファミリーを

見つけてインタビューをします。そこで各ファミリーに対して日常的な生活の話を聞いたり、どのぐ

らいの予算で生活をしているとかいうことを聞きます。それでそのファミリーのヒストリーを収集し

ていくわけですが、それぞれのファミリーについて父親と母親のライフストーリー、そして場合によ

っては、多くの家族がそうだったのですが、シングルマザーもたくさんいました。

そこで社会学的なイシュー、あるいは実在的substantiveイシューがあります。ここで私はプロジ

ェクトのなかで考えついていったいくつかの質問をしていくわけですが、こういった人たちが、なぜ、

どのような形でこのような不安定な貧しい社会的疎外の状況に置かれてしまったのかという軌跡

49

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trajectoryを研究していきます。2番目に、こういう人たちが自分の困難な状況を脱するためにどの

くらい積極的に努力をしているのか。その場合に、自分の持てる資源をどのように動員をしているの

か。そういった資源がある場合にはどんな資源を使っているのかということです。3 番目の質問は、

これはEU側から出てきたアイディアですが、こういった受け身的ではない、積極的な、能動的な人た

ちが、自助努力をしてこの状況を改善していくのを助けるためには、どのような社会政策が必要であ

るかということを研究します。

次に、ここでお集まりの若い研究者の方々が、どのようにインタビューをしていくことができるの

かという話を、これも重要なので、しておきたいと思います。そこに名前を書いているカトリーヌ・

デルクロワというのは私の2番目の妻で、25年間連れ添っていますが、彼女はアラブ世界の社会学者

で、アラブ世界からフランスに移民に来る人たちを専門としている社会学者です。

カトリーヌはトゥールーズ大学で教授をしていましたので、すでにトゥールーズの非常に貧しい地

区を対象に小規模な研究をやっていました。そのときに初めてインタビューをしようとしたときに、

なかなかインタビューに応じてくれる人がいませんでした。この貧しい地区、バガテルというまちで

すが、そこではジャーナリストは非常に嫌われ者だからで、彼女のことをジャーナリストと思ってし

まっていたからです。

この地区においては非常に多くの若者が非行に走っていて、たとえばメルセデスベンツを盗んでき

て、自分たちの貧しい地区に、それをトロフィーのごとく勝利の印として持ってきて、その住宅プロ

ジェクトなどの前でその車を燃やすなどということをやっていました。そうするとたびたびテレビの

クルーがやってきて、またバガテルでこういうことが起こっていると報道するわけです。そこでこの

地区の人たちはテレビが来るのが嫌、つまりテレビのジャーナリストが嫌ということで、その延長で

ジャーナリストが全部嫌、あるいは社会学者、人類学者、Ethnographerは全部嫌ということになって

いるわけです。

そういうふうに抵抗が強かったにもかかわらず、それをなんとかうまく乗り越えてインタビューに

応じてくれる人を探さなければなりませんでした。そこで二人の母親を見つけて、こう言いました。

私も母親なのだけれども、家族をきちんと守って育てていくのは難しいということは私もよくわかっ

ている。私はラッキーなことに、たぶんあなた方よりはリソースが豊富かもしれない。そのような限

られたリソースのなかであなた方はどうやって子どもを育てているのか。育てるためにはいろいろな

創造力、クリエイティビティがあったり、一生懸命努力をしなければできないと思うけれども、ぜひ

説明してほしいという導入で行くと、それがとっかかりになって、インタビューに答えてくれる人が

出てきました。

もちろんカトリーヌは、他の国々でリサーチをやっているチームに対しても同じようにトレーニン

グをしました。ポルトガル、イギリス、イタリア、アイルランドなどのチームにもトレーニングをし

ていってうまくいきました。

そこで各国の各都市の貧しい地区において、この30のファミリーにインタビューをしていったわけ

ですが、私たちがインタビューの対象となるファミリーをこちらから無作為に選んでいったのではあ

りません。逆にファミリーのほうが私たちに話してもいいということで、彼らが私たちを選んだ。で

すから、しばしばこのサンプルがどのぐらい代表的なのかと聞かれますが、我々が彼らを無作為抽出

したのではなくて、彼らが私たちを選んだということです。ある家族に私たちがインタビューをしよ

うとしたけれども、夫がアルコール中毒だったので妻が拒否したという例もあるように、こちらから

選んでいったのではありません。したがってこういったサンプルのミックスというのは、私たちが選

んだのではなくて向こうが選んだものではあるけれども、だからといってそれはあまり問題ではなく

て、こういったサンプルからも多くのことを学ぶことができました。

このような社会学的な研究においては、比較が非常に中心的で重要です。マックス・ウェーバーも

言っているように、比較しなければ何もわからないということで、比較がやはり中心的になってきま

す。

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イタリアのトリノとか、ポルトガルのリスボンとか、アイルランドのダブリンなどにおいても、シ

ングルマザーがいましたが、こういった福祉国家においても、福祉国家のヘルプを全然得ていないと

いうことで、むしろ彼らは悪いという烙印を押されてしまう。つまりスティグマがあるわけです。し

たがって男性がいなくてシングルマザーで育てるということをもう当然視しているわけです。スウェ

ーデンのような国では、シングルマザーであることがそれほど大きなドラマとはならない。シングル

マザーに対してシェアを提供する福祉があるわけです。

貧困について研究していらっしゃる方はPoverty Trapを知っていると思いますが、これはウルトラ

リベラルな考え方です。これは科学的なファインディングであるといわれていますが、それは間違っ

ていると私たちは思いました。我々の研究のなかではこのようなことは発見されませんでした。

Poverty Trapというのは、もし失業してしまったならば、その期間、失業給付を受けることができ

る。そうすると人びとは怠惰lazyになってしまって、もう職を探さなくなってしまう。失業手当てが

出るあいだ、そのキャッシュを受け取ることで満足をしてしまうというのがPoverty Trapですが、ア

メリカの多くの研究者たちは、これこそが現実の代表的な状況であると言いますが、私たちの研究で

は、そのような状況は見られませんでした。

もっとも興味深い発見ですが、ほとんどの人びとが、困難な状況を克服するために一生懸命努力を

しているということです。つまり人びとは基本的には非常にアクティブだということです。ときに瞬

間的に、アクティブになり続けることが難しくて受け身的になってしまうような瞬間もあり、落ち込

み、depressionの状態になることもありますが、それは別に貧しい人びとのあいだだけではなくて、

一般の人びとのあいだでも見られることです。でも基本的に人びとは普通はアクティブであるという

ことで、これまで言われてきたことに反して、より福祉が発達していると、人びとはよりアクティブ

になるということです。

その理由は以下のようなものです。ポーランドとスウェーデンを比較したり、またアイルランドと

スウェーデンを比較したりすることができると思いますが、ポーランドなどにおいては、多くの人び

とが、たとえば10年とか15年、困難な状況を克服するために必死で働いて、必死で努力をしていく

のだけれども、しかし結局、努力が報われないということで幻滅する、失望するという状況がありま

す。

一方、スウェーデンにおいては、シングルマザーでも、あるいは身体に問題をかかえて働けない人、

若年失業者などが一生懸命努力をする。それに対して福祉国家が支援をするということで、慢性的な

困難な状況を克服していきます。したがってより発展した福祉国家においては、人びとの将来に対す

る信頼を与えることができ、努力をすれば報われるということを人びとは信じることができます。

結論を申しあげたいと思います。スウェーデンのチームから私たちは多くのことを学ぶことができ

ました。スウェーデンは世界のなかでももっともいい福祉国家である。デンマークやフィンランドや

ノルウェーもそうですが、いい福祉国家であるということです。ですから、いい社会を見ようとする

ならば、ぜひ北欧を見ろということになるのですが、スウェーデンについて他にも学んだことがあり

ました。スウェーデン人から何を学んだかというと、このような福祉国家を彼らは当然視してきて、

こういった福祉国家の状況が永続的に続く当然思っているわけです。でも、そういった福祉国家に対

してもプレッシャーがかかっているけれども、スウェーデン人はそれを真剣にはとらえていません。

スウェーデンの研究者たちも、ダブリンやポルトガルやイタリアなどにおけるシングルマザーや貧

しいファミリーのケースを見て、そこからわかることは、福祉国家というのは社会的な権利であり、

また保険であるということです。一方、ポルトガルなどにおいては、このような社会的な権利が欠落

しているがために、非常にドラマティックな結果が生まれてしまうということなので、スウェーデン

においても、こういった社会的な権利を守る福祉国家というシステムがなければ、あるいはそういっ

た法律がなくなってしまうと、ポルトガルのような状況が生まれる可能性があるということで、これ

まで当然視していたことが実は当然ではないということがわかったことは重要です。

これからまだ1時間足らず時間が残っているのですが、もうここでやめろということですので、講

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演は以上にします。(拍手)

小林 どうもありがとうございました。たぶん皆さんのほうからお聞きになりたいことがあるので

はないかと思って、ぜひ質問の時間を設けたいと思っていました。

では、早速質問をお伺いしたいと思いますが、お名前とご所属というか、何をしておられるかをひ

と言付け加えて、日本語で結構です。もし英語のほうがよろしければ英語で。英語の方は、自分の言

いたいこと、質問のポイントを日本語で言っていただければと思います。はい、どうぞ。

エトウ:エトウと申します。公害被害者さんのライフヒストリーの収集をしています。お伺いした

いのは、収集したヒストリーをどうやって読み込んでいくかの方法についてですが、仮説を設定され

ているのか。もし設定しているとしたら、どのタイミングですか。

ベルトー:どのタイミングでとおっしゃいましたか?

エトウ:はい。

ベルトー:そのタイミングというのは収集をする前とか、収集をする途中ということですか?

エトウ: 飽和状態に達する前の、サンプルがいくつか集まった……。

ベルトー: いい質問ですが、難しいです。パン屋のときのライフストーリーの収集があるのです

が、 初の段階では別に質問などは持っていませんでした。ただ単にライフストーリーをコレクショ

ンしていっただけです。これにはマルクスのバックグラウンドがあると思いますが、階級の関係が手

伝ってくれたと思います。つまり特殊な仮説を 初には立てないということで、いくつかのインタビ

ューをしていくなかで少しずつ理解していく。つまり少しずつ基調にあるプロセスやダイナミズムを

理解していくということです。

離婚をした夫についてのリサーチをカトリーヌ・デルクロワと一緒にやったことがあります。その

ときは仮説を 初に作りました。

もう一つの例としては、 初に仮説を作って始めたのですが、 初のインタビューをして、その仮

説ではちょっと困難があると思ったので、それが終わった後に完全に仮説を変えました。研究をやっ

ている途中の段階でまた仮説を変えていきました。それも一つの例だと思います。

私が思うには、仮説というのは、物事がこういうふうになるだろう、こういうふうに起こるだろう

というステートメントだと思います。もっと重要なのは、正しい質問をするということで、正しい質

問というのは、何がいったい問題なのかということをできるだけ早い段階で見出す必要があると思い

ますが、それは別に研究を始めた 初の段階でなくても、研究の途中でわかってくるということだと

思います。

今の質問に対するこれだという一般的な一つの答えはないのですが、もう一つの例としては、イン

タビューをしている 中に、当初予想もしていなかったような非常に興味深い答えが返ってきたり、

予測しなかったことがわかるかもしれません。そのようなものが基底に流れている何かのサインとい

うか兆しであることがあります。そういったものをもっと深く掘り下げてもっと研究していくことも

面白いことだと思うので、こうあるべきだという画一的な答えはないと思います。

小林: はい、どうぞ。

酒井: 現在はとくに何もしてないのですが、もうずいぶん前になりますが、ロンドンの金融機関

でバンカーたちにインタビューをしたことがあります。お聞きしたいのはインタビューの具体的な方

法ですが、ベルトー先生は1991年にロシアでインタビューされたとき、リサーチャーたちに30ケー

ス集めるようにおっしゃって、今回、European eight citiesでも、thirty cases……(英語)。

小林: 酒井さん、四つ質問なさったので、日本語で。

酒井: 一つは、いつも 30 ケース集められるとおっしゃったのですが、30 ケースが適当であると

いうのは何か理由があるのかどうか。もう一つは、ファミリーケースを集めた場合、ある家族はもう

家族全員、おじいちゃんとおばあちゃんから全員見せてくださるかもしれないけれども、他の家族は

2人ぐらいしか見せてくれない。そのアンバランスはどう考えたらいいのか。3番目は、1人に対して

どのぐらいインタビューをするのか。4 番目は、インタビューをするときに、インタビューだけでは

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なくて、参与観察的なお付き合いも含めてされるのかどうか。

ベルトー: 順子さん、ご質問ありがとうございます。ポール・トンプソンさん、イギリスのオー

ラルヒストリーの先駆者のもとで仕事をしていらっしゃったということですね。

後の質問から取り上げたいと思います。参与観察についてですが、可能な限り必要だと思います

が、他のエスノグラフィック的なテクニックを使うということは重要だと思います。インタビューの

対象になっている人の活動に一緒に参加することによって、それが何かのセレモニーであったり、儀

式であったり、結婚式とか、いろいろな社会生活の側面であったとしても、それに参加をすると、1

日、相互作用interactionがあることで、多くのものを学ぶことができると思うので、私はそのよう

な他の手法を使うということは賛成です。ライフストーリーだけではなくて、横断的な価値を見出す

ことができます。たとえば私がおこなったパン屋のライフストーリーに関しても、ただ単にライフス

トーリーだけではなくて、フランス語でinformant a privillegeというspecial informantと呼ばれ

るような情報提供者を使うことができたのが非常に有益だったと思います。

先ほどの公害被害者の話に戻りますと、たとえば公害の被害者たちが組織を作るとか、デモに参加

するとか、陳情するとか、そういうところには絶対に行くべきだと思います。そうすることによって、

そういう人たちにとって何が重要であるか、彼らのフィーリングとかダイナミズムをそこで感じるこ

とができるし、その窮状を救うためにどんなリスクを取ろうとしているのかということも知ることが

できます。

2 番目と 3 番目の質問は非常にシンプルですが、自分がその状況に合わせて適応していかなければ

ならないと思います。たとえば数世代にわたるファミリーのヒストリーを取るというのがポイントな

ので、それぞれの世代に少なくとも一人ずつのinformantがいるといいと思います。祖母であったり、

母親であったり。その人本人のライフストーリーだけではなく、他の人のライフについて聞こえてく

る場合もあります。

複数のinformantを持つことが理想的ではありますが、だからといっていくつものインタビューが

必要であるかといえばそうでもなくて、一つのインタビューでも十分な場合はあります。歴史家たち

が一つの現象に関しては非常に膨大なアーカイヴを持っているかもしれないけれども、また別の現象

についてはアーカイヴはほとんど存在しない。だけど彼らはそれで歴史の研究をしていくわけですが、

ポール・トンプソンが言っているように、あるものを使ってやっていかなければならないということ

なので、私たちがやっている仕事の場合も何らルールはないと思います。

インタビューの時間や人数についても、自分の常識を使って対応していけばいいのであって、その

状況に適応すべきであるということ。また忘れてはならないのは、自分たちが人を選んでいるのでは

なくて、向こうが私たちのことを選んでくれているので、人によっては30分でインタビューを切り上

げたがる人もいれば、5時間延々と話してくれる人もいると思います。

初の質問のなぜ30かということですが、日本語でも言うと思いますが、大雑把にその数字という

ことで、これは非常に現実的な数字だと思います。長年にわたっていくつのケースを集めなくてはい

けないかということを聞かれてきました。いくつなければ研究として結論を見いだせないかという質

問を受けてきましたが、常に同じ答えをしています。飽和状態に達して、それプラスもう少し先に進

むということです。つまり 終的にちゃんと確認をするために、飽和状態プラスもう少しということ

で、ネガティブケースがあるかどうかを確認するためにやっていかなければならないと思います。飽

和状態に達することが大事であって、これは質的調査の場合も同じで、理論的調査の場合には、その

代表的な事例ということに当てはまると思いますが、両方の場合、一般化することができるかどうか

ということです。

しかし、そうはいっても、研究資金をもらうために、このような質的調査をしたいと言っても、で

は何ケースぐらいするつもりなのだというふうに資金提供団体から聞かれた場合に、飽和状態に達す

るまでずっとやるなどと言ったら、お金は下りてきません。そういうことを考えた場合に、だいたい

30ケースぐらいだと言うのが現実問題としてなかなかいい数字で、説得力があるわけです。そういっ

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たケースを何件ぐらいするのかということを伝えなければならないだけではなくて、この研究をする

ことによって何が発見されるかということを資金提供団体は聞いてきます。でも実際は、調査も何も

していなければ何が発見されるかということはわかっていないので、この研究をすることによってお

そらくこういうことがわかるだろうということを伝えなくてはいけない。それを言うと、資金提供側

はハッピーで、なかなかcomfortableに感じてくれるわけです。

でも、事前の調査をまったくなしの段階では、何が発見できるかはわからないので、数週間にわた

って小規模なリサーチをやって、それでこの研究をするとこういうことが発見されるだろうというこ

とがある程度わかってくれば、それでリサーチプロジェクトの説明がきちんとできて、ファンドをも

らうときに、その提案書がなかなか説得力を持ってくる。そして資金が下りたらもっと大規模な研究

をするというのがいいやり方ではないかと思います。

小林 はい、どうぞ。

○○ (英語)。 社会学の方はご存じと思いますが、ライフヒストリーというコンセプトに代え

てライフストーリーという言葉が使われることを、今日のお話の内容から聞いてみたという質問です。

ベルトー: なぜライフストーリーを使っているかということですが、これはナラティヴのインタ

ビューの産物だからです。インタビューを受けた人が自分のライフについて話をしてくれるわけです

が、フランス語ではこれをレッシィrécitと呼んでいますが、英語ではストーリーという訳になるの

でライフストーリーという言葉を使っています。そのストーリーというのはもちろん主観的なもので

あるわけですが、だからといって全然客観性がないかというと、そうではないと思うので、私はこの

ストーリーというのは完全に主観的でしかないという人たちとは一線を画しています。

たしかに主体がそのストーリーを提供しているということに関しては主観的ではあるかもしれませ

んが、現実の代表的なことを忠実に表しているということだと思います。フランス人の 3 人ないし 4

人からなるチームで、1 人は私の 初の妻だったのですが、ライフストーリーに関してインタビュー

のプロジェクトをしていたときに、まず話を聞く6カ月前にアンケートを出して、そこで学歴とか、

履歴とか、家族の構成とか、あるいはこれまでどこに住んできたか、そして 後に自分が埋葬された

いところはどこかというようなことを全部記入してもらいます。これをトリプルバイオグラフィーと

呼んでいますが、一見したところ客観的に見えるかもしれないけれども、対象となる人が記入をして

いるということにおいては、これは主観的subjectiveなものであると思います。

このプロジェクトで面白かったのは、この4人のチームがアンケートを出した人に対して再びイン

タビューを口頭でしました。そのときにインタビューをされた人は自分のストーリーを説明してくれ

るわけですが、 初のアンケートに書き込むことができなかった情報を提供してくれます。たとえば

なぜ転職しなければならなかったかというと、自分のパートナーとか妻や母との事情でもって引っ越

ししなければならなかったとか、子どもがこの区域の学校に行きたいからという理由で引っ越しする

ので別の職を見つけなくてはいけなかったとかというような、アンケート用紙には書けなかったいろ

いろな詳しいことが出てくるわけですが、それがライフストーリーだと思っています。

この4人のプロジェクトの結果としては、ライフストーリーというのは調査票よりもより客観的な

ものであるという結論です。このペーパーは、フランスでも著明な『Population』にペーパーで発表

されたのですが、これは INSEE(Institut national de la statistique et études économiques )

人口動態国立研究所が出している雑誌なので、別に主観的なものを取りあげる雑誌ではないという意

味で、この研究の結果が認識されたということだと思います。

小林: 他にいかがですか。はい、どうぞ。

トモヒサ:ありがとうございました。トモヒサと申します。一橋大学の大学院生です。今の質問に

関連するかと思うのですが、質問させてください。インタビューする際に彼らが選ぶということを強

調されていたと思います。調査側としてはいろいろな人をインタビューしたいと思うのですが、選ば

れる際に注意すべきことは何なのか、あるいは選ばれるために気をつけていることは何でしょうか。

ベルトー: そういうふうな考え方をしたことはなかったのですが、まず 初に女性だったらいい

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と思います(笑)。まず女性だったらいいと申しあげたのですが、私もあなたも、ちょっと残念なこ

とですけれども、なぜ女性かというと、フランスの場合、少なくともフランスではということですが、

女性のほうがより注意をして人の話を聞くとか、自己中心的ではないとか、あるいはオープンにコミ

ュニケーションをしやすいとか、女性のほうが相手に対して脅威とならないとか、いろいろなことが

よく言われています。だからといってすべての女性がそうであるというわけではありません。

自分をインタビューされる立場に置いてみることが重要だと思います。自分だったら、たとえばあ

る程度の人生の経験を持って、よく話を聞いてくれる、信頼できるような、お母さんのような中年の

女性にインタビューされたいか、あるいは偉そうな傲慢な若い男にされたいか、自分がインタビュー

で口走った言葉がこの後どういうふうに扱われるかもわからないような男にインタビューされたいか

というような、自分だったらどういうふうにされたいかを考えればいいということで、これもまたい

かにその状況に適応するかという問題だと思います。でも私は男性なので、できるだけ謙虚に見える

ように、人の話がよく聞ける人間に見えるように振る舞う。一生懸命話を聞いて、そして話を聞いた

ときには、できるだけ早く理解しようとするということだと思います。

この話は他のところでもよくやるのですが、 初のパン屋のインタビューをしたときに、ミゼラブ

ルになるぐらい、何度も何度もインタビューに失敗しています。田舎のパン屋さんに入っていって、

まだ私はインタビューしたことのない初めての人間ですが、お客さんが少ない午後の時間にパン屋さ

んに入っていく。そこで奥さんに、ご主人にインタビューしたいのだけど、と聞くと、「なぜだ」「研

究をしているからだ」というと、ご主人を呼んできてくれるのですが、ご主人が出てくると、「あん

た、いったい誰だ」みたいな感じで、それだけではなくて、誰があなたにお金を払っているのだと聞

くわけです。そこで私は誇りを持って、私は公務員で、フランスの国立科学研究センターの者でとか

いうと、「科学研究?」とか言われて、しかも「公務員?」とかいわれて、インタビューなんかに答

えている時間はないからと断られて、奥さんにパウンドショコラでもあげて帰しなさいみたいにいわ

れるわけです。

また翌日、別のパン屋に入っていくのですが、翌日というのは、自分の気持ちを回復させるのに24

時間丸々かかるから翌日になるのですが、そうするとまたパウンドショコラをもらって終わりになる

ということの繰り返しでした。それを何度も何度も繰り返して、5 回ぐらいやった後にもうやめてし

まいました。何か自分に間違ったことがあるのではないか。ピエール・ブルデューが社会学者として

私にいろいろ教えてくれたことの一つに、自分を紹介するときに社会学者と言うと皆に変な目で見ら

れるので、まずは歴史家というふうに紹介しろと言われました。

そういう状況が2年間ぐらい続いて、パン屋そのものにインタビューすることはしばらくやめまし

た。そこで働いている労働者とか、徒弟に入っている見習い職人apprenticeにインタビューをしてい

ったのですが、パン屋の主人そのものにはインタビューしないという状況がずっと続きました。でも、

あるときピレネーに一人目の妻のイザベルとバカンスに行っているときに、もういっぺん試してみよ

うかということで、その村にあるパン屋さんに、午後の4時ぐらいのお客さんがいないときに入って

いきました。

そこでご主人と話をしたいと言うと、小麦粉に覆われたご主人が出てきて、「何の用事だ。あんた

は毎日来てるパリジャンか」「そうだ、そうだ」ということで、そこで実は私と妻はパン屋さんに関

する本を書こうとしているんだと言ったら、そのパン屋さんが、なんと面白いことだ、それはすばら

しいと言うので、では妻があなたの奥さんにインタビューするから、私はあなたにインタビューさせ

てもらえるかと聞いたら、もちろんいいですよということで話がとんとんと進んで、彼の友人のパン

屋さんにもいろいろインタビューさせてもらうことができたのです。

その頃だんだんわかり始めたのは、パン屋さんというのはかなりいろいろなごまかしをやっている。

たとえば脱税をしているとか、あるいは社会の労働法規を守っていなくて、徒弟に入っている人の夜

間労働は禁止されているにもかかわらず、夜もずっと働かせたり、1週間48時間が労働時間の 高だ

と決められているにもかかわらず、50 時間とか 60 時間働かせたり、いろいろな悪いことをやってい

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るので、 初のインタビューのときみたいに、私は公務員です。研究をして報告書を出したいのです

などと言うと、もうノーサンキュー。お帰りください。パウンドショコラになっていたわけです。

小林: 予定の時間がそろそろ来ているのですが、どうしてもという方。

この後ベルトー先生を囲む場所を設けていますので、どうぞそちらでお聞きいただければと思いま

す。

主催者である私のほうから 後の質問をさせていただこうと思います。主催者は、チラシをよくご

覧になると、右上に薄い字で科研費プロジェクト「質的データ・アーカイヴ化」研究会という名前が

書いてあります。そこが主催です。ライフストーリー・インタビューをはじめさまざまなそういう質

的な調査をおこなって、そういうのを長く積み重ねていると、たとえばインタビューしたり、あるい

はレコーディングしたものがたまっていく。そういうものを今後どうしていったらいいのかというこ

とを考えています。その研究会が主催しております。

それで、長い長い調査経験をお持ちのベルトー先生に、今まで30年以上にわたってインタビューを

重ねてこられて録音した音声データとか、集めたさまざまな資料、あるいはフィールドノートを、ど

のように保存、あるいはアーカイヴしているか。そういうことを 後にお聞きしてこの会を閉めたい

と思います。

ベルトー: これをもって悲劇としかいうことができないのですが、私の家の地下室に山積みにな

っています。古い本などが家具と一緒に山積みになっています。書き起こしたものはそうなのですが、

近になって磁気テープから、今度はデジタル機器への移行があるので、状況は変わってくると思い

ますけれども、そこに書いている68'ersというリサーチについては、日本は対象に含めることができ

なかったのですが、学生運動に積極的に参加した人たちに対する調査からなっていて、80年代の半ば

に発表したもので、ロナルド・フレーザーRonald Fraser という名前で発表されたものです。そこに

書いています。

68年の学生運動に参加した人たち、イタリア、アイルランド、イギリス、ドイツ、アメリカなどの

若者たちにインタビューしたもので、これの一つのアーカイヴの試みがこれに関してはありました。

コロンビア大学の有名なオーラルヒストリー・リサーチセンターColumbia Center for Oral History

のドナルド・ブリルという先生が、アメリカのインタビューの部分をアーカイヴしていたのですが、

その後に私たちのテープも提出を求めてきたのですが、法律上の問題などがあり、非常に複雑だった

ので、それは断念し、実現することはありませんでした。

たしかにこのような資料は完全に消えてなくなってしまったわけではありませんが、今後、消滅し

てしまう危険性はあると思います。でも、他の人がおこなったインタビューをどう扱うかというのは、

思っているよりも大変な問題を孕んでいて、自分が思っているよりも、他の研究者がおこなったイン

タビューは、その研究者自身の関心によってインタビューの志向性が決まってくるので、たとえば一

つの例を挙げると、私のパン屋に関するインタビューを聞きたいということで、ドイツとケベックの

研究者がやってきたのですが、そのインタビューのなかには彼らが求めているものは何も入っていな

かったということで、私にとってはそのパン屋のインタビューは面白かったのですが、そういうこと

で、インタビューというのは研究者の関心によってかなり方向づけられたインタビューになっている

ので、誰にとっても意味合いが同じということではないと思います。でも、今までおこなったものが

全部なくなってしまうと、大きな損失になることは確かです。

小林: まだ他にも聞きたいことがおありかもしれないですが、予定の時間を過ぎましたので、以

上をもちまして今日のダニエル・ベルトー先生の講演会を終わりたいと思います。ベルトー先生、今

日は長時間にわたりましてありがとうございました。(拍手)

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<註>

1) Daniel Bertaux, Les récits de vie, Nathan, Paris 1997 ダニエル・ベルトー2003『ライフス

トーリー―エスノ社会学的パースペクティヴ』小林多寿子訳、ミネルヴァ書房

2) 八つのプロジェクトについて、当日、ベルトー氏は講演の始まる前に、つぎの 8 点を自ら黒板に

記した。

1. Artisanal Bakery

2. Passing on small “family business”

3. Reproduction of power elite

4. Family case history ( Method for studying “social mobility”

5. 68 ‘ers ( in US and Western Europe student movements)

6. Divorced fathers, why 100% lose contact with child

7. Soviet Russia: how personal destines got shaped?

8. Precarity, poverty, social exclusion with Catherine Delcroix

3) 1986年に刊行された次のブルデューの論文を指している。

Pierre Bourdieu 1986 “L’illusion biographique”, Act de la Recherche en Sciences Sociales,

62/63, pp.69-72

(ピエール・ブルデュー「伝記的幻想」小林多寿子訳『日本女子大学紀要 人間社会学部』16 号、

2005:11-16)

講演中のダニエル・ベルトー氏 2011 年 10 月 29 日 撮影:小林多寿子

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