大津神社...

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飛騨三大祭 毎年4月 第4土曜日 開催 神岡祭は“船津の行列祭”と称され、屋台祭りと呼ばれる「高山祭」、起し太鼓と呼ばれる 「古川祭」と並ぶ飛騨三大祭の一つです。 祭り当日は、大津神社・朝浦八幡宮・白山神社の三社で、それぞれに例祭を行います。 渡御行列に始まり、町内を巡幸後、夜には還御行列が御旅所を出発します。 なかでも大津神社の大行列は数百メートルにも及び、各社中の雅やかな時代衣装は平安 絵巻さながらの美しさです。 1406年(室町時代初期)に江馬家九代 輝時が、加賀の白山比咩(しらやまひめ)神社の分霊を請い受けて、 江馬城の戌亥(北西)の方角に社を建て、城内守護の大神として奉祀したとされています。 1564年(室町時代後期)甲州の武田軍が江馬城に進軍し、野尻に居城を築いた際、白山神社を現在地に 奉斉し「縁結びの神」として深く信仰したと云われています。 1159年(平安時代)源義朝の長男義平が、大分県の宇佐八幡宮の分霊で戦いの神様「応神天皇」を勧請した のが起源といわれています。現在の本殿は1839年(江戸時代後期)、朝浦に生まれた“飛騨の名匠”石田春皐 (しゅんこう)により造営されました。 神社には珍しい「千鳥唐破風流造り」という屋根の造りになっており、のちに拝殿も同じ造りで建てられました。 1400年頃(室町時代初期)江馬家の要請を受け、近郊十八ヶ村の奉仕で祭が始まりました。御神輿が神社に 還るのを遅らせようとしたことが起源の「お練り」は、町内安泰神幸祭として執行されており、戦後からは獅子組 が道中何回か御神輿を押し戻す、という珍しい場面が展開されます。 お問い合わせ 飛騨市観光協会 0577-74-1192 〒506-1195 岐阜県飛騨市神岡町東町378 神岡振興事務所 地域振興係 〈0578-82-2253〉 朝浦八幡宮 あそら 白山神社 子供神輿(こどもみこし) ▶昔、酒樽を神輿に見立てて担いだため「たる神輿」とも言われます。 奴社中(やっこしゃちゅう) ▶保育園から小学校低学年の子供が、白塗りの顔に鎌ひげを描きこみ 「挟み箱」を持って共先を勤めます。 猿田彦(さるたひこ) ▶天狗の原形といわれ、行列の中に立って神様が通る道を清めます。 獅子社中(しししゃちゅう) ▶佐々郎と金蔵が獅子を退治する「金蔵獅子」は、“神岡の暴れ獅子”と呼ばれています。 徒歩社中(かちしゃちゅう) ▶将軍の警護などを勤めた下級武士を、後々厄の男性が顔に化粧をして扮します。 鶏闘楽(けいとうがく) ▶西日本にしか伝承されていない「鉦打ち」の芸能です。飛騨はその東限にあたります。 采女社中(うねめしゃちゅう) ▶小学生の女の子が扮する巫女(みこ)さんです。 神楽社中(かぐらしゃちゅう) ▶どの社中よりも古く、その音色は厄を祓うといわれています。 神饌社中(しんせんしゃちゅう) ▶「ちどり」と呼ばれる男稚児。神様のお供え物を采女に渡します。 雅楽社中(ががくしゃちゅう) ▶選ばれた舞姫が、台輪(だいわ)という移動する舞台の上で舞を奉納します。 右大臣・左大臣(うだいじん・さだいじん) ▶小学五年生の二人の男の子が、武官束帯(ぶかんそくたい)に身を包み、太刀と弓を携えて神輿を守ります。 神輿(みこし) ▶大・中・小と三つの神輿があり、大と小神輿は四角形、中神輿のみ六角形の形状です。 とくに大神輿は、飛騨地区でも有数の絢爛美麗・繊細華奢を極めた豪華なものです。 大津神社の行列形態 大津神社 全国の神社を収録し、901年(平安時代)に完成した書物「三代実録」に掲載されていることから、1100年以上 経過しているものと推測されます。 高原郷を支配していた江馬氏は、諏訪大社を厚く尊崇し「諏訪大明神」と改称、“諏訪さま”と親しまれましたが、 1841年(江戸時代)の大火で宝物・文献・遺物など全て焼失、のち高山の国学者 田中大秀の門下生たちが、 社号を「大津神社」と旧に復しました。 現在の船津座付近にあった社殿及び境内の建物は、明治28年の大火災によりすべて焼失してしまいましたが、 2年後には現在の地に社殿の造営を成し、遷座を終えて移転が完了しました。 例祭の起源について詳細は不明ですが、渡御行列が始まって300年、祭が当番制になって160年は経過して います。

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Page 1: 大津神社 飛騨三大祭現在の本殿は1839年(江戸時代後期)、朝浦に生まれた“飛騨の名匠”石田春皐 (しゅんこう)により造営されました。

飛騨三大祭

毎年4月 第4土曜日 開催

神岡祭は“船津の行列祭”と称され、屋台祭りと呼ばれる「高山祭」、起し太鼓と呼ばれる「古川祭」と並ぶ飛騨三大祭の一つです。祭り当日は、大津神社・朝浦八幡宮・白山神社の三社で、それぞれに例祭を行います。渡御行列に始まり、町内を巡幸後、夜には還御行列が御旅所を出発します。なかでも大津神社の大行列は数百メートルにも及び、各社中の雅やかな時代衣装は平安絵巻さながらの美しさです。

1406年(室町時代初期)に江馬家九代輝時が、加賀の白山比咩(しらやまひめ)神社の分霊を請い受けて、江馬城の戌亥(北西)の方角に社を建て、城内守護の大神として奉祀したとされています。1564年(室町時代後期)甲州の武田軍が江馬城に進軍し、野尻に居城を築いた際、白山神社を現在地に奉斉し「縁結びの神」として深く信仰したと云われています。

1159年(平安時代)源義朝の長男義平が、大分県の宇佐八幡宮の分霊で戦いの神様「応神天皇」を勧請したのが起源といわれています。現在の本殿は1839年(江戸時代後期)、朝浦に生まれた“飛騨の名匠”石田春皐(しゅんこう)により造営されました。神社には珍しい「千鳥唐破風流造り」という屋根の造りになっており、のちに拝殿も同じ造りで建てられました。1400年頃(室町時代初期)江馬家の要請を受け、近郊十八ヶ村の奉仕で祭が始まりました。御神輿が神社に還るのを遅らせようとしたことが起源の「お練り」は、町内安泰神幸祭として執行されており、戦後からは獅子組が道中何回か御神輿を押し戻す、という珍しい場面が展開されます。

お問い合わせ ➡ 飛騨市観光協会 0577-74-1192

〒506-1195 岐阜県飛騨市神岡町東町378 神岡振興事務所 地域振興係 〈0578-82-2253〉

朝浦八幡宮あ そ ら

白山神社

✿子供神輿(こどもみこし) ▶昔、酒樽を神輿に見立てて担いだため「たる神輿」とも言われます。

✿奴社中(やっこしゃちゅう)

▶保育園から小学校低学年の子供が、白塗りの顔に鎌ひげを描きこみ 「挟み箱」を持って共先を勤めます。

✿猿田彦(さるたひこ) ▶天狗の原形といわれ、行列の中に立って神様が通る道を清めます。

✿獅子社中(しししゃちゅう) ▶佐々郎と金蔵が獅子を退治する「金蔵獅子」は、“神岡の暴れ獅子”と呼ばれています。

✿徒歩社中(かちしゃちゅう) ▶将軍の警護などを勤めた下級武士を、後々厄の男性が顔に化粧をして扮します。

✿鶏闘楽(けいとうがく) ▶西日本にしか伝承されていない「鉦打ち」の芸能です。飛騨はその東限にあたります。

✿采女社中(うねめしゃちゅう) ▶小学生の女の子が扮する巫女(みこ)さんです。

✿神楽社中(かぐらしゃちゅう) ▶どの社中よりも古く、その音色は厄を祓うといわれています。

✿神饌社中(しんせんしゃちゅう) ▶「ちどり」と呼ばれる男稚児。神様のお供え物を采女に渡します。

✿雅楽社中(ががくしゃちゅう) ▶選ばれた舞姫が、台輪(だいわ)という移動する舞台の上で舞を奉納します。

✿右大臣・左大臣(うだいじん・さだいじん)

▶小学五年生の二人の男の子が、武官束帯(ぶかんそくたい)に身を包み、太刀と弓を携えて神輿を守ります。

✿神輿(みこし) ▶大・中・小と三つの神輿があり、大と小神輿は四角形、中神輿のみ六角形の形状です。

とくに大神輿は、飛騨地区でも有数の絢爛美麗・繊細華奢を極めた豪華なものです。

大津神社の行列形態

大津神社全国の神社を収録し、901年(平安時代)に完成した書物「三代実録」に掲載されていることから、1100年以上経過しているものと推測されます。高原郷を支配していた江馬氏は、諏訪大社を厚く尊崇し「諏訪大明神」と改称、“諏訪さま”と親しまれましたが、1841年(江戸時代)の大火で宝物・文献・遺物など全て焼失、のち高山の国学者田中大秀の門下生たちが、社号を「大津神社」と旧に復しました。現在の船津座付近にあった社殿及び境内の建物は、明治28年の大火災によりすべて焼失してしまいましたが、2年後には現在の地に社殿の造営を成し、遷座を終えて移転が完了しました。例祭の起源について詳細は不明ですが、渡御行列が始まって300年、祭が当番制になって160年は経過しています。

Page 2: 大津神社 飛騨三大祭現在の本殿は1839年(江戸時代後期)、朝浦に生まれた“飛騨の名匠”石田春皐 (しゅんこう)により造営されました。

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神岡小学校

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船津座

JAひだ

本町防災公園

洞雲寺ダルマ堂

神岡城駐車場

夕陽ヶ丘市民駐車場

道の駅宙〈スカイ〉ドーム神岡

白山神社

朝浦八幡宮

藤波橋

西里橋

船津橋

神岡大橋

献 幣 祭➤ 9時~10時30分(神社内)

渡御行列 12時~12時40分(神社→藤波橋)※町内巡幸別にあり

還御行列 18時20分~19時50分(振興事務所駐車場→神社)

雨天時➤ 献幣祭のみ実施・行列中止

白山神社

献 幣 祭➤ 9時~10時15分 (神社内)

渡御行列 12時~13時30分(神社→藤波橋)※町内巡幸別にあり

還御行列 19時~20時(本町→川西ポケットパーク前)

社中芸能披露➤ 20時~21時(川西ポケットパーク前)

還 御 祭➤ 21時~22時 (神社内)

雨天時➤ 献幣祭のみ実施

行列・芸能披露は中止

大津神社

試 樂 祭➤ 〈本祭前日〉 19時~

献 幣 祭➤ 9時30分~(神社内)

御 巡 幸 12時~16時(八幡宮→町内→八幡宮)

雨天時➤ 献幣のみ祭実施・行列中止

朝浦八幡宮

川西ポケットパーク

社中特別芸能披露場所 ∶ JAひだ神岡支店前 雨天中止

13時30分~14時45分

✿ 雅楽「豊栄の舞」「浦安の舞」✿ 鶏闘楽✿ 獅子舞

国道471号

至 富山市割石温泉まで約5㎞

至 高山市流葉スキー場・Mプラザ温泉

まで約8㎞

至 松本市

前夜祭〈本祭前日金曜日〉

場所 ∶ 船津座 18時30分~

✿大津神社・雅楽/獅子舞/鶏闘✿白山神社・鶏闘楽✿朝浦八幡宮・獅子舞

大津神社 藤波八丁遊歩道

西ヶ丘

大津神社の獅子舞には、各家を廻りその家の邪気を払う「家」

行列の先頭で道幅いっぱい二列に並び、神様が進む道の邪気を払いながら勇壮に舞う「道引き」還御の際に参道で、祭の終わりを惜しむよう激しく舞う「大門」 黒い面を付けた金蔵と、

おかめの面を付けた佐々郎(ささら)が力を合わせて一頭の獅子を退治する「金蔵獅子」 一頭の獅子と佐々郎が

獅子笛に合わせ、曲芸獅子を舞う「曲獅子」などがあります。

鶏闘楽(けいとうがく) 通称「とりげ」と呼ばれます。頭に毛冠をつけ、手に持った丸い鉦(しょう)を木槌で打ちながら、太鼓の音に合わせて踊ります。

大勢の子ども達が激しく踊る鶏闘楽は、神岡独特のものです。

正午に大津神社を発輿する渡御行列。数百メートルにも及ぶ大行列は、時代絵巻さながらの美しさです。白山神社と朝浦八幡宮の行列も、正午に発輿します。

台輪(だいわ)という舞台の上で「浦安の舞」を舞う白い衣装の舞姫。「豊栄の舞」は緑の衣装で舞います。

雅楽の演奏に合わせ、それぞれ違う舞を奉納します。

大島駐車場

大津神社「大神輿」の還御の様子。大神輿は後厄(数え年43歳)中神輿は厄年(数え年42歳)小神輿は還暦(数え年60歳)の同級会

の男性たちが、白丁(はくちょう)という真っ白い衣装を着て担ぎす。神輿を担ぐことで厄を祓い、良い年を迎えることがそうです。

ひだ宇宙科学館 カミオカラボ

飛騨市民病院