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共生社会を目指すまちづくり― 高齢化に対応した社会と建築をデザインするには ―
一般社団法人 ネイバーズサポート推進協会理事長 野 村 歡
1.はじめに
わが国の総人口は2008年の1億2,800万人余をピークに減少に転じているが、高齢者人口は今後しばらく増加の一途を辿ると推測されている。高齢者人口の増加は、社会保障費の増加や就業構造の変化などの多くの社会問題を招くほか、地域コミュニティの不活性化・衰退など社会の不安要素として捉えられている。一方、2016 年7月、神奈川県内の知的障害者施設で元職員による大量殺人事件が発生して大々的に報じられ、世の中を震撼とさせた。これは特異な事件として考えられがちだが、国民のなかには障がい者1)に対する偏見や差別意識を持つ人たちが残念ながら少なからずいることは否定できない。このような現状に鑑み、総務省や厚生
労働省はさまざまな法律を定め2)、高齢者や障がい者が地域社会のなかで共に生活することを是とする考え方を積極的に推進している。また、国土交通省も建築物や交通機関等のバリアフリー化を積極的に推進し、それなりの成果を挙げ、今後も「共生社会」をさらに精力的に推進しようと考えている。ところで「共生社会」とは何を指して
いるのか。総務省は「国民一人一人が豊かな人間性を育み生きる力を身に付けていくとともに、国民皆で子供や若者を育成・支援し、年齢や障がいの有無等にかかわりなく安全に安心して暮らせる社会」と位置付け、厚生労働省は「地域住民や地域の多様な主体が『我が事』として参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会」3)と位置付けている。しかし、まだまだ道半ばにある。そこで本稿は、建設業界に携わる者と
して「共生社会」の考え方を理解し、現
状の問題点と課題を把握し、共生社会の推進に向け何をすべきかを考える。
2.共生社会の成立要件 ~現状と課題~
高齢者や障がい者(以下、高齢者等)の生活環境の在り方を建築学の視点から長年研究してきた筆者は、共生社会を成立させるための要件として、以下の4点を挙げている。①誰でもが地域社会に居住できること生活の基本は家族と共に自宅に住み生
活動作を営むことにある。しかし、高齢になると、長年住み慣れた住宅で家庭内事故に遇い、あるいは病気を罹ったことで身体に障がいを持つ例が少なくない。その結果、自宅にずっと住み続けることが困難となる。このような問題を解決するために、建設省(現・国土交通省)は1995 年、高齢になっても障がいがあっても家族と共に住み続けられる住宅構造とするために「間口を広くする」「段差をなくす」「手すりを付ける」などのバリアフリー基準を示した長寿社会対応住宅設計指針を定め、1996 年から住宅金融公庫(現・住宅金融支援機構)に融資枠を設定してその普及に努めてきている4)。また、2000 年には「住宅の品質確保の促進に関する法律」を制定し、そのなかで、高齢者の住宅内での移動の容易性と介助の行為に関する安全性に着目した高齢者居住性能を設定し、その普及に努めている。他方、賃貸住宅への入居を希望する高齢者等に対し、入居に際し不利益を蒙らないよう種々の住施策を講じてきたが、現在は「サービス付き高齢者向け住宅」が中心となって展開され、各地で数多くの住宅が建設されている(詳しくは後述)。
②在宅生活が維持でき、かつ医療・福祉と連携が保てること
前項にあるように、自宅に住み続けるために住宅のバリアフリー化を行っても、高齢者等の心身機能がさらに低下すると、たとえ在宅福祉サービスを利用しても自宅に留まることが困難となる。ある者は福祉施設へ入所、ある者は医療施設へ入院せざるを得なくなる。こうして考えると、地域社会(少なくとも同一市町村内)には福祉施設や医療施設が必要となる。図-1は、高齢者を対象にした個人住宅、公的住宅、サービス付き高齢者向け住宅と福祉施設・医療施設の関係性を示している。基本的には、住宅とこれらの施設が緊密な関係を保ちながら運営されていることが共生社会の原点と考える。なぜなら、自宅で生活しているときは、必要に応じて在宅福祉サービスや近隣の医療施設を利用し、施設に入所した場合には家族が日常的に気軽に施設に出向いて入所者とコミュニケーションを図る、あるいは家族や地域社会の住民が施設の行事に参加する、逆に施設入所者が地域社会に出向き諸施設を利用でき、地域の催しに参加するような関係があってこそ、はじめて共生社会と言えるからである。③バリアのない地域社会が整備されて
いること高齢者の日常生活は、若い世代と同じ
ように、買い物に出かける、役所に行く、公園を散歩する、場合によっては仕事に行くなど地域社会に出かけられて初めて成り立つ。そのためには安全に移動できることが必須条件となる。近年は道路が整備されて歩行しやすくなり、低床バスや地域コミュニティバスなども普及して移動の安全性と利便性が急速に高まりつつある。また、駅舎や電車のバリアフリー化がかなり進展し、以前に比べれば隔世の感がある。しかし、自宅から目的地まで連続して整備されているかといった視点で見るとバリア(障壁)が残っている
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こともあり、また、利用したい交通機関が身近な場所にないなどの問題が存在する。さらに、訪れた建築物がバリアを感じることなく利用できることも必須条件となる(詳しくは後述)。④コミュニケーションが取れること、
社会活動に参加できること地域に居住する人々と接触し、あるい
は地域社会に出かけてさまざまな活動を行うことは、生きがいのみならず健康な身体を維持するうえでも重要であるが、これを可能とするには交通機関を利用し、建築物を利用し、目的とする行動を行おうとする時等の多くの場面で、他人とのコミュニケーションが必要となる。サークル活動や公開講座などに参加する場合にはさらに濃密なコミュニケーションが必要となる。しかし、相手方に高齢者等(視覚障がい者と聴覚言語障がい者の場合は特に)との接触の経験が少ないためにコミュニケーションに困難が伴う場合は多い。この問題は本題からそれるので他書に譲るが、社会の高齢者等への理解を促進するために、従業員の教育を始め多くの対策が必要であることだけは指摘しておきたい。上記を踏まえながら、以下、共生社会
の視点から、最近の住環境および公共性のある建築物の現状と課題を示し、さらに今後の方向性を探ることとする。
3.サービス付き高齢者向け住宅
高齢化が急速に進むなかで高齢者単身・夫婦のみの世帯が増加しており、その結果、高齢者等が安全・安心して居住できる住宅が不足している。また、住宅を借りたいと考えても高齢や障がいを理由に入居を拒否されてしまうことがある。このような現状に鑑み、国は高齢者の住宅を確保することと併せて、介護・医療と連携させ高齢者等の居住安定を支援する仕組みづくりが重要であると考え、2011 年に「高齢者の居住の安定確保に関する法律(通称 :高齢者住まい法)」を制定し、サービス付き高齢者向け住宅の制度化に踏み切った5)。サービス付き高齢者向け住宅は、住宅
構造面で「段差のない床、手すりの設置、車いすでも利用しやすい廊下幅などを有すること」「各専用住戸には台所・収納・浴室・水洗便所・洗面設備を備えること(ただし、共用部分に台所・収納・浴室を設置することで各戸に備える場合と同
等以上の居住環境が確保される場合は、各戸に備えずとも可)」とし、おおむね25㎡以上であることが要求されるが、共用の居間・食堂・台所そのほかが十分な面積を有する場合は 18㎡以上でも可としている。また、生活面では、ケアの専門家6)が少なくとも日中常駐し、すべての入居者に対して安否確認サービス・生活相談サービス・緊急対応サービを提供しなければならない。常駐していない時間帯は、必要に応じて通報装置を設置して状況把握サービスを提供することとしている。事業主7)がサービス付き高齢者向け住
宅を供給しようとする場合、国からの建設費補助が受けられる。また、一定条件の下で住宅金融支援機構の融資も受けられる8)。事業者は、入居者9)の居住の安定が図られるように契約を行い、地方公共団体に登録する 10)。
図-2は、設置基準面積 25㎡に準じた、わが国で多く見られる典型的なサービス付き高齢者向け住宅の平面図(筆者が一部修正)である。市中に見られる一般の小規模賃貸住宅と同じように間口が狭く住戸全体が細長いのが特徴である。設置基準に沿って台所・トイレ・浴室・洗面設備・収納が要領よく配置され、緊急通報設備も標準装備されている。一方、入居者の動きから見ると、間口が狭いために居室が細長く、しかも壁面に沿って家具類を置くことが多いので、ベッドを横方向に置くことはかなりの困難を伴う。置くことができたとしても壁とベッドの間の隙間が狭く移動動作に支障をきたす可能性が高い。また、ベッドを壁に沿わせて置くため介助者は一方向からの介助を余儀なくされる。さらにベッドからトイレに行こうとすると、身体の向きを数回変えなければならず足元が不安定な高
図-1 高齢者の居住の場
出典:野村歡,橋本美芽「住環境整備論(第2版)」,P8,㈱三輪書店,2017.
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齢者には転倒の危険性がある。因みに、図-3は福祉先進国として名
高いデンマークの高齢者住宅 11)の標準的な住戸平面図である。高齢者住宅の住戸面積は国の基準で 65㎡以上と定められている。ベッドは入居者の要望に応じて自由に置くことができる。ベッドを窓と平行に置けば、就寝中にトイレに行きたくなった時にはベッドに腰掛けた位置から立ち上がりそのまま前方に進めばサニタリールームに行くことができるようになり、身体の不安定な高齢者は安全に移動できる。さらに、ベッドに臥していながら窓外を見ることができるし、ケアスタッフはベッドの両側から介護できる。また、サニタリールームでは介助者が容易に介助しやすい動きが確保できる(ただし、日本との生活習慣の違いからデンマークではシャワー浴になっている点に留意)。郵便物は廊下側に設置してあるポストに郵便局員が直接投入することで入居者のプライバシイを守っている。以上のことから、わが国のサービス付
き高齢者住宅は、面積が小さいために移動動作や介助動作が制約され、安全性が十分に担保できていないことが一目瞭然であり、今後、サービス付き高齢者住宅は建設量の確保とともに質の向上に努めていくことが必要と考える。
4. 建築物のバリアフリ―、ユニバーサルデザイン
共生社会では、前述したように日常的に利用する建築物や交通機関を誰でもがバリア(障壁)を感じることなく自由に利用できることが重要である。わが国では、昭和 40 年代の半ばからこの問題に取組みはじめ、現在はバリアフリー法 12)
に則ってバリアフリー化を進めている。バリアフリー法は、対象者を身体障がいのみならず知的障がい・精神障がい・発達障がいなど障がいを幅広く対象としていること、表-1に表す建築物 13)および交通機関のみならず道路・路外駐車場・都市公園・福祉タクシーまで対象を拡大していること、国民一人一人の「心のバリアフリー」の促進を目指すこと、地方自治体が整備基本構想を作成するときには高齢者や障がい者等の当事者を委員に含めること等を求めている。さらに、施設管理者・従業員はもとより、施設を利用している市民も含めてすべての国民の幅広い理解と協力を「心のバリアフリー」という名の下に求めている。
しかし、バリアフリー化は以前と比べてかなり進展しているものの少なからず問題が存在し、高齢者や障がい者の日常生活に影響を与えている。具体的には、地域社会で生活する高齢者や障がい者から以下のようなことが指摘されている。①法の対象は 2,000㎡以上の大規模建
築物であり、小規模建築物は地方公共団体の条例に委任されている。不特定多数の市民が利用する大規模建築物を法の対象にするのは当然だが、日常生活の視点から見れば、毎日の生活で利用する建築物は、小規模のスーパーマーケットやコンビニエンスストア等であり、これらの店舗がバリアフリー化されなければ生活が便利になったとは言えない。しかし、小規模建築物に対する条例を制度化した自治体は一部にとどまっている。②障がいのある子どもたちが通う学校
のバリアフリー化の義務付けは当然だが、通常の小学校や中学校はバリアフリー化の努力義務に留まっている。しかし、学校は各種選挙の投票所になるなど地域社会の重要な公共施設としての役割を担っている。また、児童・生徒の保護者のなかには障がいのある人もいることが容易に想定されることから、義務付けの対象とするべきである。③ホテルは規模によってバリアフリー
化した客室を整備しなければならないが、その客室数だけでは必ずしも十分とは言えず、宿泊先を探すのに苦労を伴う。④複合建築物の共用部分は法に基づき
整備がなされているが、テナントの専用部分には段差があったり通路が狭くて利用できないことがある。⑤障がい者が利用できるトイレは街中
の各所に設置されているが、なかには設備が不十分だったり設備機器の配置が悪く、利用しづらかったり利用できないこともある。今後は施設設計・施工者だけではなく、
各施設の管理者がバリアフリーを理解するようにならなければ、共生社会の構築は進まないことがうかがえる。また、これまでは「バリアフリーデザ
イン」として捉えてきたが、近年は「ユニバーサルデザイン」へと考え方がさらに進化している。両者の違いを簡単に言えば、「バリアフリー」とは現に存在するバリアを高齢者や障がい者のために除去することを指しているが、「ユニバーサルデザイン」は、すべての人々が利用しやすいように設計当初からあらゆるバリアを排除することを指し、現在は多くの国でこの考え方を受け入れている。共生社会の実現にはまさに時機を得た考え方と言えよう。現行のバリアフリー法が改正される際には、是非ともユニバーサルデザインの考えに則って前向きに進めて欲しい。
図-2 日本の例 図-3 デンマークの例
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5.おわりに~オリンピック・パラリンピックと共生社会~
昭和 30 年代後半から昭和 40 年代にかけて高度経済成長期を迎えたわが国では、公共的なインフラ整備とともに数多くの建築物が建設された。当時は高齢者や障がい者のバリアフリーに対する研究が緒に就いたばかりであったし、経済成長を念頭に置いた社会風潮では高齢者や障がい者に配慮する意識がまだ希薄であった。その後、これらの建築物は改造・改修をすることによってバリアフリー化に対応してきたが、必ずしも十分に満足する結果が得られたとは言えない。しかし、約半世紀を経た今、これらの建築物は建替え時期に入っている。共生社会の基盤となるユニバーサルデザイン対策を、法整備や社会の意識が当時から飛躍的に前進しているこの機会をとらえ、確実に進展させていくことは非常に重要である。一方、2020 年のオリンピック・パラ
リンピック開催に向けて、準備が着々と進められている。諸外国から多くの外国人の訪日が予想されるが、共生社会の考えはこの方々に対しても重要な意味合いを持つ。現に、政府はオリンピック・パ
ラリンピックに向け「共生社会」を目指す行動計画を閣議で決定している。そのなかで、街づくりと個人の「心のあり方」との両面でバリアフリーを進める、と強調している。「心のバリアフリー」は今に始まったことではなく、バリアフリー化が社会問題化した当初からずっと言われ続けてきたことでもあるが、なかなか国民の理解と協力が得られなかったことから、バリアフリー法では「国民の責務」として位置付けてもいる。心のバリアの根源は、障がいに対する
「無知(正しい知識を持っていないこと)」が原因で障がいを「誤解」し、その結果、「差別」や「偏見」が生まれると考えられている。建築業界に携わるわれわれも、心のバリアフリーを求めるべく障がいに対する正しい知識を体得し、「差別」や「偏見」をなくし、共生社会の構築に対して今以上に努力していく必要があるのではないだろうか。真の共生社会を構築する根源は建築技術ではなく、われわれが高齢者や障がい者を正しく認知しているかにかかっている。
表-1 ハートビル法の対象建築物 【注釈】
1)本来は「障害者」と記すが、最近は「がい」とひらがな表記が良く使用されることが多い。本稿もそれに倣い、法律用語以外は「障がい者」と記す。
2)わが国の高齢者や障がい者の生活環境整備に関連する法律は、主として福祉系と建築系の法律で定められている。福祉系では、障害者基本法が根幹法となり、第20条で「国及び地方公共団体は、(略)障害者のための住宅を確保し、及び障害者の日常生活に適するような住宅の整備を促進するよう必要な施策を講じなければならない」などとしている。建築系の法律については本文中で触れる。
3)厚生労働省:『我が事、丸ごと』地域共生社会実現本部決定,平成29年2月
4)現在はこのような住宅をバリアフリー住宅と称している。わが国住宅の50.9%がこれに該当する(国土交通省「住宅・土地統計調査」,2013年)。
5)当該住宅が有料老人ホームの定義にも該当する場合は「有料老人ホーム」と名乗ることもできる。
6)社会福祉法人・医療法人・指定居宅サービス事業所等の職員、介護福祉士、介護支援専門員等を指す。
7)地方公共団体、公団・公営住宅、および民間事業者が事業主となる。
8)サービス付き高齢者向け住宅に対する住宅金融支援機構の融資サービス付き高齢者向け住宅供給促進税制制度。
9)対象者は60歳以上の高齢者または要介護・要支援認定者およびその親族同居者とする。
10)2016年3月現在、全国で199,056戸が建設、登録されている。国土交通省住宅局調べ。
11)デンマークでは、数十年前からプライエム(日本の介護老人福祉施設に該当)の建設を原則として行わず、一方で高齢者住宅法のもとで高齢者が居住しやすい住宅を提供している。
12)正式には「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(バリアフリー法)」という。2006年6月20日に制定。1994年に「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(ハートビル法)」として初めて法制化され、2006年に改正された。
13)対象建築物は特別特定建築物と特定建築物とがある。特別特定建築物は法律で定められている内容を遵守することを義務づけているが、特定建築物は遵守する努力義務を課しているに過ぎない。