アジア主義の理論解析...

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− 118 −

「連帯」とは何か

─アジア主義の理論解析

─(姜克實)

(39)

 「連帯」という言葉の含意

アジア主義の中の最重要なキーワードは「連帯」という言葉であろう。

辞書には、「むすびつらねること。二人以上が連合して事に当り同等の

責任を帯びること」(広辞苑、三省堂)。「二つ以上のものが結びついて

いること」(国語大辞典、小学館)と解釈する。また日本では普段、法

律用語(連帯保証人、連帯債務者)に、あるいは政治用語にこの言葉

がよく登場するが、一方、隣の中国ではこの言葉はあまり使われてい

ない。アジア主義を講義した時複数回、学生からの質問を受けて始め

て気づき、ほかに中国語の原稿を書いたときも編集者に訂正を求めら

れたことがある。「この意味なら、『団結』の表現を使う方が、読者に

親切で分かりやすいのではないか」、という。

同じ語源なので、中国語にはこの言葉がないはずはない。中国語の

辞書を調べると、「連帯」の言葉が出てくるが「连接二物的带子」(『漢

典』)つまり、二つのものをつなげる帯と解釈し、さらに語源の典故も

分かる(

1)。

もちろん日本と同じような「連結」、「聯帯」の解釈もある。

語源は同じなのに、使うか、使わないかは、現代人の感覚、好みによ

る選択だろうか。

一方、事実は決してそれほど簡単ではない。日本を研究対象とする

筆者には、連帯がもつもう一つの歴史、社会面の深い意味があると感

じる。つまり、上下の序列関係を表す、共同体社会内部の、縦のつな

がり、との意味なのである。一九四六年一月の、「人間宣言」と呼ばれ

る昭和天皇の詔書にでてくる「紐帯」の意味(

2)と

同じく、「社会の構成

員を結びつけて、社会をつくりあげている条件。血縁・地縁・利害な

ど(3)」

の意味が含まれているように思える。

これを分かりやすく解釈すると、「団結」には「横」の繋がり

─同士、

同志、同僚、同職、同好を繋げる含みがあるが、対して「連帯」には、「縦」

の繋がり

─家庭、家族、血縁社会、郷党社会、地域共同体を連結さ

せる意味が強い。両者の間には、現代的価値観に対して伝統的、ある

いは政治・経済的関係に対して歴史・文化的、といったニュアンスの

差があるのではないか。やや強引な解釈かもしれないが、すくなくと

も「共同体社会」を扱う、日本の歴史学、社会学、あるいは日本全体

を扱う日本研究の分野において、このような理解、また解釈の思考が

     克

  實

「連帯」とは何か

アジア主義の理論解析

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− 116 − − 117 − (40)

必要であると思う。

 「共同体」内の秩序原理

すなわち、連帯という言葉には、伝統的村共同体内部のつながりを

表す意味が強い。この場合、共同体的連帯への求心力には、一、血縁、二、

地縁、三、伝統道徳という三つの要素があると考えられる。血縁社会

の連帯を繋げるのは、家族、氏族、親類同士の間の同源、同祖の血統

認知であり、地縁社会の連帯を形成したのは、同村、同郷、同俗、同

信仰という、地理的、風土的親近感である。道徳的要素とはこうした

血縁、地縁社会の内部規範、ルールを表すもので、家父長社会における、

家教、家訓、家法、共同体社会における掟、法度、通俗道徳、儒教道

徳がそれに当たるだろう。

注目しておきたいのは、これらの社会的接着剤というべき連帯の秩

序原理は、ほとんど東洋の伝統的、義理人情、家父長社会の道徳規範

によって形成されていることである。日露戦後の一九〇八年、天皇制

国家への国民の統合を図るため発布した戊申詔書には、「宜ク上下心

ヲ一ニシ忠実業ニ服シ

 勤倹産ヲ治メ

 惟レ信

 惟レ義

 醇厚俗ヲ成

 華ヲ去リ

 実ニ就キ

 荒怠相誡メ

 自彊息マサルヘシ」と訴えて

いるように、家族、郷党社会の組織原理、上下序列関係を表す、忠実、

孝行、服従、和睦、敬愛、謙譲、貞操などの徳目はその代表的内容で

あろう。いわば、家族、村共同体社会内部の秩序原理なのである。

ここには、西洋の近代的平等観念、一対一のような経済的等価の価

値基準は存在せず、上下の地位関係に基づき、家族構成員が家長へ、

臣下・家来が君主へ、婦が夫への主従・服従関係が求められている。従っ

て社会の全体も、近代的法意識ではなく、伝統的掟、慣習、道徳ある

いは共同体内部の人情によって束ねられている。この原理は東洋の家

族、血縁社会、地縁社会、あるいは拡大して東アジア諸国の民族内部、

国家内部において、昔から機能して来たし、現在でもある程度機能し

ているように思われる。「連帯」の言葉がもつ社会的、政治的意味は、

この縦のつながりにあるのではないかと筆者は思う。

 

 共同体論の問題点

近代の日本において「アジア主義」という旗印の下では、色々な共

同体の理論が模索され、また日韓合邦、東亜連盟、東亜協同体、大東

亜共栄圏のような、さまざまな理論、実践も試みられたが、悉く失敗

に終わっている。アジア主義の実践が歴史に残したのは、戦争、侵略、

植民地の併合という厳しい現実であった。

日本の国内では戦後の一九六〇年代から、戦前の侵略的アジア主義

に対する深い反省を基礎に、思想家竹内好(一九一〇─一九七七)の

主導によってアジア主義の理想像を目指した、新しい思想研究が行わ

れ、侵略ではない「連帯」の新しい価値と可能性が模索され今に至っ

ている。この研究は、政治だけではなく、歴史、文化、芸術、学術、

社会制度、人情面にも輪を広げ、それなりの成果が蓄積されていた。

この研究を通じて、国家、民族の利害を超える、アジア主義の理想像

が再び提起されていたのである。そして、この研究に刺激されたかの

ように、二一世紀に入ってから、理想的共同体を求める政治的動きが

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− 116 − − 117 −

「連帯」とは何か

─アジア主義の理論解析

─(姜克實)

(41)

現れた。二〇〇三年の小泉純一郎の「東アジア共同体論(

4)」、

二〇〇九

年鳩山民主党政権時代の「東アジア共同体」構想(

5)の

ブームはすなわ

ちそれである。また、似たような動きは、日本だけではなく、崛起し

た中国からも始められている。「儒教文化圏」「漢字文化圏」構想、人

民元経済圏論、王毅の「新アジア主義」論(

6)な

どはその一角であろう。

世間では特に経済界において、EU(欧州連合)のような共同体へ

の期待が高く、実際も政策レベルまでの検討、構想が政府によって行

われていたようである。ここで、筆者がまず問いたいのは、このよう

な国境を超える理想のアジア的

─平等的、非侵略的

─共同体は果

たして現実として存立できるか、という根本な原則問題である。答え

は残念ながら、ほとんど不可能ではないかと筆者は見る。

これは、かつて平等的、理想的国家共同体が出現した事実がないと

いう歴史経験からの亀鑑だけではない。アジア主義の理論に内包する

ある致命的弱点からの判断である。昔の御用的、侵略的アジア主義論

のイデオローグたちと同様に、いまの良識あるアジア主義の研究者、

鼓吹者たちも同じような過ちを犯しているのではないか。すなわち、

「・

連・

帯・

」・

と・

い・

う・

共・

同・

体・

内・

部・

の・

秩・

序・

原・

理・

を・

、・

強・

引・

に・

国・

と・

国・

の・

関・

係・

に・

、・

あ・

る・

い・

は・

民・

族・

と・

民・

族・

の・

関・

係・

に・

適・

用・

し・

よ・

う・

と・

し・

た・

と・

こ・

ろ・

に・

問・

題・

が・

あ・

る・

の・

で・

は・

な・

い・

か・

たとえ歴史にあったような、アジアの「盟主」、大日本帝国の天皇に

対する他民族からの忠誠、服従、奉仕の強要でなくても、一見平等に

みえる地縁と血縁の原理を使用し、儒教的善意、礼譲、和睦を以て国

際ルールを再構築しようとする試みには、同じような問題が存在する

と筆者は指摘したい。

設問するが、国家間の政治利害

─例えば、領土問題、経済利権、

政治利害の衝突、対立が起こる場合、こうした東洋的、伝統的、儒教

的「連帯」ははたして国際ルールとして機能しうるか。家庭内部の孝

行、服従関係、村共同体内の地縁的連帯、謙譲、協力は果たしてナショ

ナリズムが支配する国家関係、国際関係に転用できるか。三年前の熱

に浮かされたような鳩山内閣期の共同体構想から、竹島(独島)、尖閣

(釣魚島)などの領土問題をめぐって対決姿勢に急転回した日、中、韓

三国の国際関係の現状から、こうした連帯の秩序原理の脆さが窺える。

 連帯の三つの要素とその相互関係

近代のアジア主義の実践を分析すると、「連帯」という行為を可能あ

るいは部分的可能にする要素が三つ存在することが確認できる。一、

政治的連帯、二、文化・歴史的連帯、三、人間的連帯がそれである。

ここでは政治的連帯は実質、目標であり、文化・歴史的連帯は基礎、

あるいは連帯の理論としてよく利用されるが、人間的連帯は行為の過

程に実際発生しうる、連帯を鞏強する感情、情意的要素である。

政治的連帯の性質は、近代日本を取り巻く国際環境によって左右さ

れる。西洋列強のアジアに対する政治勢力の拡張、市場開放と経済権

益の要求は日本国内の危機意識を引き起こし、自らの変革運動

─明

治維新

─を促したと同時に、アジアの結束と、西洋への共同抵抗と

いう「興亜」の意識も少数ではあるが、芽生えさせる。この場合注目

すべき点は、「興亜」は最終の目的ではなく、自国、自民族の強大化の

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− 114 − − 115 − (42)

ための、方法、手段であり、その行為、主張の出発点はナショナリズ

ムの土台にあることである。

この出発点はアジア主義の政・

治・

的・

連・

帯・

の性質を決める要素で、つま

り自国の利益を顧みない、真の平等の連帯、永続不変の連帯関係は、

理論的に存在しないのである。特定の条件下で

─例えば列強に圧迫

されている弱小国同士の間で、あるいは同じく封建的専制社会からの

脱出を目指す国同士、政治家同士の間で

─、一時的、平等に近い政

治連帯の現出が可能となるが、国際環境が変われば、あるいは各国家

間の政治勢力、位置関係の変化が生じると、連帯の事実が維持されて

も不平等の連帯、盟主による誘掖、指導式の連帯に変質し、さらに侵略、

植民地支配、地域制覇の政治目的へと帰結する。独りで強敵に太刀打

ち出来ない特殊の条件下でしか、政治的連帯が一時的に現れない所以

である。この特殊性を無視してひたすら初期アジア主義の理想型(

7)を

追求、賛美し、もってアジア主義そのものを理想化しようとする試みは、

ここで根本的な過ちを犯してはいないか。

一方、政治的利害とは無関係に、アジア近隣国家、民族の間において、

歴史的葛藤、経済、貿易の関係、文化的近似性及び交流関係が、歴史

の事実として存在する。たとい思想上、政治上の国家主義者であっても、

文化に関して、互いに尊重、傾倒の一面をもつ例が数多くある(

8)。

化的連帯の越境の普遍性を物語っているが、ただ「アジア主義」の下

では、この事実は往々にして政治連帯の理論に利用され、政治的利害

の対立を隠蔽する道具として用いられる。筆者の表現で言えば、文化、

歴史現象の「主義」化、政治化現象である。元来、日常の文化、歴史、

地理のつながりが一旦政治化、「主義」化すると、政治的プロパガンダ

に利用される場合が多く、岡倉天心の「アジアは一つ(

9)」

の芸術理論

は例の一つであるが、他に侵略、植民地政策に随伴する「同文同種」論(東

亜同文会や、樽井藤吉「大東合邦」)、「五族協和」論(満州国建国理念)、「創

氏改名」(日本による朝鮮植民地支配政策)も同じように政治的に扱わ

れていたのである。

要は、文化的、歴史的連帯は、政治連帯と峻別して客観的に扱う必

要があり、また、特別の場合(

10)

を除いて敢えて「主義」と称し、岡倉

天心の「アジアは一つ」のように政治連帯の文脈に取り入れる必要は

ない、と筆者は思う。

人間的連帯はアジア主義実践の政治過程に現れる現象

─例えば一

部の大陸浪人と中国革命家の友情

─であるが、豪傑、志士、同志の

間で、人間の情意で結ばれた、パーソナルな性質を持つものである。

政治利害と無関係に独立して存在する場合もあり、また国境をこえる

普遍性もある。つまり、人格、人間性に基づくものなので、付き合う

人間同士であれば、だれも、どこでも形成しうる関係なのである。も

し「アジア主義」的色彩はどこにあるかと聞けば、武士道精神、儒教

的道徳を媒介した、忠誠、信頼、義侠、勇武、献身などのような志士、

豪傑型の品格がそれにあたるだろう。この人間的連帯は、革命、反専

制政府、興亜という政治の「主義」を媒介に生まれるが、場合によっ

ては政治上の主義、国益の利害を乗り越え、人間同士の友情として長

く続けられる場合もある。孫文など中国革命家と頭山満、犬養毅、宮

崎滔天、萱野長知らアジア主義者、大陸浪人の間に結ばれた友情はそ

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「連帯」とは何か

─アジア主義の理論解析

─(姜克實)

(43)

の例である。

以上では「アジア主義」にある、連帯を可能にする三つの要素を並

べた。その特徴として、一、政治連帯の主導的性格、二、「主義」化した、

歴史・文化連帯の道具、手段としての従属的性格、三、人間的連帯に

おける情意、友情の普遍性、独立性、である。アジア主義の理論にお

いて、後述するように、後両者は往々にして前者の意図、目的を隠蔽し、

アジア主義を正当化、理想化、充実化する役割を果たしているカラク

リを認識しておきたい。

 日本のアジア主義研究

戦前、「大亜細亜主義」「汎亜細亜主義」「亜細亜モンロー主義」の表

現で現れたアジア主義は日本を盟主とする政治的連帯を中心に展開さ

れたもので、主として日本帝国主義のアジア侵略を正当化する理論と

して利用されてきた。つよい政治性と政策面の実践的性格はその特徴

である。これに対してアジア主義を思想として、学問的に研究し始め

たのは戦後からであり、一九六〇年代以降、思想家竹内好による一連

のアジア主義研究はその代表格である。

時あたかも戦後経済高度成長期の最中であり、ナショナリズムの高

揚がその背景にあった。一方、精神、思想面において多くの日本人は

なお、敗戦と占領によって失われた二重の喪失

─自己の喪失と自民

族の喪失(

11)

─から立ち直れずにいた。時代の要請に応え、失われた

自己と日本民族のアイデンティティの再建を目指そうと、竹内好が到

達したのはアジア主義である。東洋への回帰によって、日本人と日本

民族を立ちあがらせようとしたのである。

この意味で言うと、竹内のアジア主義には、時代の要請に答えるため

の、思・

想・

的・

営・

為・

の性格(

12)

が強く、戦前の侵略とは違うアジア主義の理

想像を創出するのが、その目的であった。この思想的営為における竹内

の手法にはいくつかの特徴と問題点が指摘される。希少価値の普遍化(

13)、

断片材料の系統化(

14)、

アジア主義定義の曖昧化、「心情」化はそれであ

る(15)。

他の論での詳述があるので仔細を省略するが、総じて言えば竹

内研究の特徴は、文化・歴史的連帯要素、あるいは人間的連帯要素を中

心にした再発掘作業であり、この二者の肯定によって連帯の思想的価値

─「西洋をもう一度東洋によって包み直す」「文化的な巻き返し(

16)」

を再確認しようとした。言い換えれば、政治現実・政治的要素と切り離

して文化・人情的要素によってアジア主義を理想化する作業なのである。

一方、竹内の研究は、決してアジア主義連帯の政治的価値を肯定す

るものではない。アジア主義を曖昧化し、「心情」「心的ムード」とし

て捉えなおす方法的試み(

17)

から分かるように、如何に戦前の政治から

アジア主義を切り離すかは、竹内の苦心するところであった。この「心

情」化、「ムード」化の方法によるアジア主義の再定義は、先行研究が

指摘したように、アジア主義理論の弥縫、戦前の侵略美化という一面

はないでもない(

18)

が、私はやはりこの指摘は、思想家竹内好の「慧眼」

だったと思う。すなわち、少なくとも竹内はここで、一、歴史の経験・

反省からアジア主義における政治的連帯の幻さを認識していた。二、

旧いアジア主義の連帯に新しい生命を吹き込むため、歴史、文化的要

素と人間的要素(心情)の再発見作業はどうしても必要であることに

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− 112 − − 113 − (44)

気づいたのではないか。

こうした方法によって竹内好が目指したのは、前述した、思想の意

味における、アジア主義理想像の創出であり、高度成長期に立ち遅れ

た日本人と日本民族のアイデンティティの再建であった。これによっ

て、戦前日本の政治的「連帯」の実践を肯定したり、あるいは今後の

政治方向にアジア主義を導入しようとしたりする指向が竹内の論には

見えない。

ここで筆者が問題視するのは、竹内のアジア主義の方法ではなく、

むしろその後の研究傾向である。竹内の後、様々な領域でアジア主義

の研究が行われ、実証、史料と理論の両面で多くの成果が蓄積されて

いる。その範囲は、政治、文化、文学、芸術、歴史、制度、思想など

多岐にわたる。その中にある共通の指向は、かつて竹内自ら、「自立が

出来ず」、「史的な展開をたどることはできない」と規定した「思想傾向」、

「心的ムード」というアジア主義の定義(

19)を

、再び、歴史の解釈方法、

政・

治・

の・

理・

論・

或・

い・

は・

未・

来・

の・

構・

想・

に・

還・

元・

し・

よ・

う・

と・

す・

る・

努・

力・

に・

見・

ら・

れ・

る・

。・

言・

い・

換・

え・

れ・

ば・

、・

文・

化・

・・

歴・

史・

的・

連・

帯・

、・

心・

情・

的・

連・

帯・

の・

基・

礎・

研・

究・

に・

よって汚名

返上を果たしたアジア主義の理想を再び、政治的連帯の軌道に還元し

ようとする指向なのである。

多くの研究に見られる、理想的共同体論への賛美、再実践への意欲、

過去の政治に対する部分的肯定の立場から、この指向性が確認できる。

松本健一の、「ナショナル・アイデンティティをこえた」「東亜共同体」

(アジアン・コモンハウス)再建への提言(

20)

や、山室信一によるアジ

アの連帯にある、「国民国家形成」、「国制や学知の制度化」過程中にお

ける制・

度・

生・

成・

面・

の・

「連鎖」、秩・

序・

創・

造・

面・

の・

「投企」の役割の摸索(

21)、

島岳志の、「心情」を乗り越える「思想的アジア主義」、「東アジア共同体」

建設の可能性の提起(

22)な

どには、その指向と意図が感ぜられる。ここ

でアジア主義は、もはや「心情」、「傾向」ではなく、一つの独立した

歴史解釈の方法、地域政治秩序の理論として甦ろうとしている。

 問題意識と方法

竹内好の方法の問題点は、アジア主義における政治連帯の危うさを

認識し、中から連帯可能の他の要素を抽出し「心情」、「傾向」として

この政治的に死んだ思想を蘇生させながら、結局政治連帯を含むアジ

ア主義全体を庇う道具として機能させようとしたことにある。これに

対して竹内以降のアジア主義研究の問題は、文化、芸術、学問、制度、

人間の心情面の連帯に対する大量な基礎研究を成し遂げながら、これ

らの成果を、逆にかつて竹内が認識した政治連帯の危うさの認識その

ものの是正、否定に応用しようとしたところにあるのではないか、と

筆者は見る。両者に共通するのは、アジア主義とは、政治的要素を捨

象できない一つの整体である、という認識であろう。いずれにせよ、

結果的にはアジア主義の中核となる政治的連帯の危うさが隠蔽され、

美化され、さらに新時代の「東アジア共同体」の形で、政治の舞台に

返り咲こうとしたのである。

以上の問題認識を踏まえ、アジア主義の本質を把握するため、本論

では、これまで一括に捉えてきた連帯の内容を、一、政治的連帯、二、

文化、歴史的連帯、三、人間の心情的連帯に細分化し、それぞれの特

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− 112 − − 113 −

「連帯」とは何か

─アジア主義の理論解析

─(姜克實)

(45)

徴の把握と三者の位置関係の究明に重点を置く。政治的連帯と人間的

連帯の特徴、及び問題点について、筆者は既に別論(

23)

で触れたので、

今度は主として文化論を取り上げる。

対象をアジア主義者、政治家、文化人でもある犬養毅(木堂、

一八五五─一九三二)にしぼり、一九一一年の辛亥革命前後の彼の文

人趣味及び内藤湖南、長尾雨山、康有為、羅振玉など日中両国の文人

との交流を通じて、その文化観の特質を探り、またそれが犬養の政治

姿勢に及ぼした影響についても、論を試みたい。

 犬養毅のアジア主義の特徴

犬養毅には、アジア主義者の他、政治家、文人という三つの顔があり、

国家主義、立憲主義、アジア連帯主義の共存という複雑な政治姿勢を

呈する。

アジアとの文化的、歴史的つながりという連帯の要素を自覚してア

ジア主義を主張し、西洋列強との対抗意識を持ちながら、政治的リア

リズムの角度から、人種対決、東西対決の極論を支持しない。また革

命家を援助するが、彼らの革命理想に対する心からの共鳴も忠実さも

なく、革命後の中国について、共和制であろうと立憲君主制であろうと、

絶えず日本の国益と都合を中心に、リアルに立場は変化したのである。

「支那保全」を主張しながら、日本のアジアにおける盟主的地位および、

中国における特殊権益の獲得を主張し、辛亥革命の際にも、孫文の革

命派、北方の袁世凱政権、旧清朝勢力の岑春煊三派抱合の立憲君主制

の出現を工作し、必ずしも孫文の革命派(南方政府)に忠実する立場

ではない。大隈内閣の対華二十一カ条に反対するが、権益獲得そのも

のへの反発ではなく、「第三国の疑惑を招く」という外交方法の「大失敗」

を理由に挙げる(

24)。

つまり政治的連帯の面から言えば、犬養の姿勢に

は無神経、無節操というべき面があり、アジア主義者の中でもボトム

ラインに位置する。

一方、人間的連帯の面において、宮崎滔天、萱野長知、頭山満や、

大陸浪人の一部と同じように、義理を重んじる「豪傑」肌、弱いもの

を助ける「義侠」心を備え、同志、朋友として、官憲に追われるアジ

アの革命家を庇護したり、革命のための資金、武器調達に奔走したり

して、献身的に革命家たちの活動を支えていた。こうした困難な創業

期に結ばれた友情であるがゆえに、彼は革命家との間で終生にわたる、

人間同士の間の相互信頼、忠実の関係を保ち続けていた。この友情は

また、国の利害を超越する特徴があり、たとえ政治面でナショナリズ

ムの衝突があるにしても、さほど人間としての友情に影響しなかった

と思われる。

さらに、他のアジア主義者と違って、文化面において犬養はまた古

い中国文化、芸術の良き理解者で、多くのアジア主義者に見られる、

日本文化の優越性を主張する立場は殆ど見られない。特に書画、篆刻

など趣味の世界にはいると、彼は中国文人たちと対等に渡り合うだけ

でなく、一流の中国文人に対して崇拝というべき傾向さえ見られる。

この傾向はとくに辛亥革命の胎動期から、つまり中国革命家を庇護

し、中国革命を支援し始めた時期から顕著となる。これまでの刀剣、

囲碁の愛好・趣味は中国の書画、文房四宝の収集、観賞に譲位し、辛

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− 110 − − 111 − (46)

亥革命の激動の最中、政治工作の傍ら上海の書画店、骨董屋を歩きま

わり、法帖、書画、名人尺牘、文房四宝を求めたり、中国の文人たち

と翰墨談に花を咲かせたりした事実に注目すべきである。

この時特に注目すべきは、犬養は上海にいる間、在留日本人書家長

尾雨山を通じて、「至宝」と自称する「定武本蘭亭序」の拓本を入手し、

また帰国後、この蘭亭序をめぐる鑑賞、鑑定、復刻の活動を通じて、

康有為、羅振玉、長尾雨山、内藤湖南ら文化人と親しく交流し、また

中国書画界を代表する大文人呉昌碩とも、交流関係を持つようになっ

たことである。このような、中国の文化、文物、文人への尊敬と崇拝

の立場は、彼の辛亥革命に対する態度にもいくばくかの影響を与えた

と考えられる(

25)。

中国の革命家との人間同士間の平等、心情面の連帯、および文化・

歴史・芸術面における中国への尊重と偏愛は犬養毅の特徴であり、彼

のアジア主義を支えた要素の一となったと思われる。

註(1)《说文·

巾部》“市,

也。上古衣蔽前而已,市以象之。天子朱市,诸矦赤市,大

夫葱衡。从市,象连带之形”。宋

欧阳修

《拟玉台体·

别后》诗“连环结连带,赠君

情不忘”。

(2)「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナ

ル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」。

(3)

紐帯についての、『広辞苑』の解釈。

(4)

二〇〇二年小泉純一郎首相がシンガポールでの政策演説において、東アジ

ア・コミュニティ構想を打ち出し、また具体的に五つの具体構想を示して、

ASEA

N

との協力強化を図った。つづく二〇〇三年一二月の日本・A

SEAN

別首脳会議において、日本・A

SEAN

東京宣言と、その実現に向けた日本・

ASEA

N

行動計画が採択され、幅広い分野での協力が約束された。この動きの

仔細のついて政策報告書『東アジア共同体構想の現状・背景と日本の国家戦略』

(東アジア共同体評議会、二〇〇五年八月)を参照。

(5)

東アジア各国が政治、経済、安全保障などで連携し共存と繁栄を目指す構想

は、民主党衆院選マニフェスト(政権公約)であり、二〇〇九年五月民主党代表

鳩山由紀夫は、友愛精神に基づく「東アジア共同体」の建設を提唱し、日本・中

国・韓国を中心とした東アジアの集団安全保障体制の構築と通貨の統一を唱え

た(『Voice

』二〇〇九年九月号)。

(6)

EUをモデルにして、アジアの共生社会の創出を主張する論である(王毅「思考

二十一世紀的新亞洲主義」、『外交評論』、二〇〇六年、第三号、参照)。

(7)

一八八〇─一八八二年ころの、興亜会にある連帯スタイルで、日清の間で「対等」

の関係があったとされている。

(8)

犬養毅、内藤湖南はアジア主義者の例となるが、ほかには明治の儒者、国家主

義者藤沢南岳の例もあげられる。思想、教育面で国家主義者、国粋主義者の立

場を取りながら、文化面で右軍王羲之に傾倒し、中国文化、芸術をこよなく愛

した(陶徳民「大正二年における内藤湖南・藤沢南岳の『王右軍』論の含意を考え

る」『大正癸丑蘭亭会への懐古と継承』関西大学出版部、二〇一三年)を参照。

(9)

天心は明確に政治面におけるアジア主義的組織、運動を否定する姿勢を示して

いる。「東洋の民族はめいめいが、その再生の種子をみずからの内部に求めな

ければならない。汎アジア同盟はそれ自身はかり知れない力であるが、まず個々

の民族が自分自身の力を感じなければならない。外国の援助は、いかに友好的

で同情あるものであれ、これにいささかでも依存するのは、許しがたい弱さで

あり、われわれが着手し、成就しようとする大義にとってふさわしくない」(「東

洋の覚醒」、『岡倉天心全集』、第一巻、平凡社、一九八〇年、一六三頁)。

(10)政治がもたらす「文化危機」をさす。

(11)

侵略戦争の加担に対する自己嫌悪、及び敗戦と占領下でのアメリカ従属、冷戦

体制下の西側陣営への加担による民族的自我認知の喪失。

(12)

国民の向上精神と高度成長の経済を支え得る、健康的ナショナリズムの創出。

(13)

たとえば、岡倉天心の「アジアは一つ」の理論、樽井藤吉の『大東合邦論』、宮崎

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「連帯」とは何か

─アジア主義の理論解析

─(姜克實)

(47)

滔天の中国革命への献身などの事例を並べて、その平等の面、純真さ、献身的

面をアジア主義の理想として謳歌するが、このような事例は戦前の日本人のア

ジア認識の中で果たして主流か、稀少価値かに関して、余り触れられていない。

(14)

たとえば、千差万別である種々のアジア主義の主張、行動から、一種の思想の

「傾向性」、或いはひとつの「心的ムード」として、「連帯」の価値を抽出する方法

である。このような方法によって竹内は、岡倉天心の芸術思想、樽井藤吉の朝

鮮経綸、宮崎滔天の革命活動だけではなく、日韓併合の工作における内田良平

の一進会指導者李容九への償いの心情、民間右翼の大川周明の日本精神論、ア

ジア復興論なども、一連続した思想として捉えていた。

(15)

仔細は拙論「越境的“亚洲主义观”─方法论的再探讨」(北京大学日本研究中心『日

本学』十七、世界知識出版社:北京、二〇一二年、を参照。

(16)

竹内好「方法としてのアジア」『日本とアジア』筑摩書房、一九六六年、四二〇頁。

(17)

竹内好「アジア主義の展望」、『アジア主義』筑摩書房、一九六三年、一二頁。

(18)

例えば、初瀬竜平は、こうした竹内流の「アジア主義」の用語統一の結果、「ア

ジア主義のもつイデオロギー性についての認識が欠落していくおそれが出てく

る」と指摘している(初瀬竜平「『アジア主義・アジア観』ノート」、七頁)。あるい

は子安宣邦の「膨張主義に対する弁明」の指摘(「アジア主義という近代日本の対

抗軸」『現代思想』、二〇〇八年二月、四四頁)。

(19) 「アジア主義の展望」、前掲竹内好『アジア主義』、一三頁。

(20)

松本健一『日・中・韓のナショナリズム─東アジア共同体への道』、第三文明社、

二〇〇六年、六頁、参照。この本において松本はアジア主義の連帯思想から「共

生」の価値を見出し、「東アジア共同体」再建の理論に据えようとした。

(21)

山室信一、『思想課題としてのアジア基軸・連鎖・投企』、岩波書店、二〇〇一年、

「序章」を参照。ここで山室は、「思想基軸、思想連鎖、投企」の方法を提起し、「文

明と人種」「文化と民族」の基軸に見出すアジア主義的連帯を、アジア地域の「国

民国家形成」や、「国制や学知の制度化」過程中の連鎖(或いは拮抗)の要素、また、

「偽装された侵略思想にすぎなかったとしても」、一面では欧米による国際秩序

の制約、「欧米への平準化という強圧」に対する挑戦、抵抗の「プロジェクト」(投

企)として具像化し、近代地域政治における一種のアジア的秩序原理のように解

釈した。

(22)

中島岳志は「アジア主義とは何だったのか」の文章に、日本のアジア主義が「心

情」から「思想」に進化できなかった理由は、革命のアジア主義、革命のナショナ

リズムが常に反革命、体制によって吸収されるというアジア主義がもつ「脆弱

性」にあるとし、この脆弱性を乗り越えるため、「政略的アジア主義」の「思想的

アジア主義」への昇華、そしてそれに基づく理想的「東アジア共同体」の構築を提

言している(『保守のヒント』、春風社、二〇一〇年、一八三頁、二〇〇頁、参照。

(23)

政治論について、「越境的“亚洲主义观”─方法论的再探讨」(北京大学日本研究

中心『日本学』十七、世界知識出版社:北京、二〇一二年)人間論について、「大

陸浪人と辛亥革命─連帯の接点とその性質を考える」(王柯編『辛亥革命と日

本』、藤原書店、二〇一一年)を参照。

(24) 「支那問題」(一九一五年七月)、『木堂政論集』隆文館、一九二二年、一一三─

一二〇頁、参照。

(25)

清王朝、清帝室、遺臣らに対して孫文のような疾視姿勢がなく、君主政治に忠

実であった康有為、梁啓超にも信頼と親密の関係を保ち革命派と抱き合わせよ

うと工作した。彼の眼には清の遺臣、皇室が中国の文化、文物、文人と等身大

に映ったように見える。