日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… ·...

22
松松松松松松松 2013 松松 松松松 日日日日日日日日日日日日日日日日日日日日日日 -- 松松松松松松松松松松松松松松松松松松松松 4 松 松松松松 松松松松 10904725 2013/04/23 松松

Upload: others

Post on 29-May-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

松浦良充研究会 2013 年度 春課題

日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

-持続可能な地域社会の形成を目指して-

慶應義塾大学文学部人文社会学科教育学専攻 4 年 加藤祐輔

学籍番号 10904725

2013/04/23 提出

Page 2: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

【アブストラクト】

 本研究は、持続可能な地域社会において産学官連携活動がより充実した活動となることを願って執筆された。そのために、日本の産学官連携活動が低調である原因として考えられる課題を明らかにし、現状を改善となる糸口を見つけることが本研究のねらいである。そのために、まず序論では筆者のテーマ選定理由を述べることで、筆者の研究に対する姿勢とその基盤となる考え方を呈示する。

そして一章では、日本の地域政策の歴史的変遷を戦後期から高度経済成長期、バブル経済期から構造改革期と二段階で概観することで、地域政策の主導権が二度にわたって国から地域社会に移動する様子を明らかにする。そして現在の地域社会は拡大成長路線ではなく持続可能な発展を求めていることを示し、地域社会は地域主導であるべきであるという筆者の意見を明らかにして終える。

次に二章では、産学官連携活動の定義、歴史的変遷、主な形態、現状について説明した上で、産学官連携活動に持続可能性の概念が加えられる過程を明らかにしていく。まず定義についての記述では、「産学官連携」が多義的且つ包括的な言葉として一般的に使われていることを示す。そして歴史的変遷では地域政策と同様に、戦後から現在までを対象として概観し、2011 年に策定された第四期科学技術基本計画において「持続可能な成長」という表現が用いられ始めたことに注目する。このことから筆者は、産学官連携活動をはじめとした科学技術政策が福島第一原子力発電所事故以降に成果の「見える化」を求められているのではないかと推察する。またこれらの歴史を見ていく際に、筆者は産学官連携活動の変化を政策的動向から確認した。そして五章において、主な産学官連携活動の形態を確紹介した。本章の最後に産学官連携活動の現状において産学官連携ブームが終焉したことを呈示することで問題提起をする。

三章では、筆者が考える産学官連携ブームが終焉した原因を示す前に現状で言われている課題を紹介する。ここで紹介する課題を産学官連携活動の性質上の課題と、構造上の課題に分類した。その理由は、日本の産学官連携活動の問題の所在が制度を含めたその構造にあることを明確に示すためである。それらの課題が産学官連携ブームの終焉の本質的な原因ではないことを論じ、筆者の仮説を呈示する。 四章では、日本の手本となったアメリカの産学官連携活動の概要を示していき、五章ではその内容と日本の産学官連携活動の連携体制の比較を通して仮説の検証を行うつもりだが未定である。 最後の結びでは、仮説検証の結果をまとめることで産学官連携ブーム終焉の要因を明らかにする。そしてその後の産学官連携活動の進展を示唆し、持続可能な地域社会においてどのような産学官連携活動の体制が適しているかについて筆者の考えを明らかにすることで本論を終える。

Page 3: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

目次序章 はじめに 1

一章 地域社会の変容 2

一節 日本の地域政策の歴史的変遷 2

一項 戦後期から高度経済成長期までの地域政策 2

二項 バブル経済期から構造改革期までの地域政策 3

二節 現代の地域社会 4

三節 一章のまとめ 5

二章 産学官連携活動とは 6一節 産学官連携活動の定義 6二節 産学官連携活動の歴史的変遷 6

一項 戦後期から高度経済成長期までの産学官連携活動 7二項 バブル崩壊以降の産学官連携活動 7三項 第二期科学技術基本計画 8四項 第三期科学技術基本計画 8五項 第四期科学技術基本計画 9

三節 産学官連携活動の形態 10四節 産学官連携活動の現状 11

三章 産学官連携活動の課題 12一節 性質上の課題 12

一項 長期的視点の必要性 12二項 イノベーション・プロセス 12三項 学問領域間の格差 14

二節 構造上の課題 15一項 産学官連携体制の不整備 15二項 専門的人材の課題 15

Page 4: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

三節 三章のまとめ 16 四節 仮説の呈示 構想中

4 章 アメリカの産学官連携活動 執筆中

5 章 産学官連携活動の体制に関する日米比較 構想中

結び 構想中

現状と今後の計画 17

参考文献一覧 18

Page 5: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

序章 はじめに

 地域社会を考える上で、世界的に 持続可能性「 Sustainability という概念が広まってい」る。この傾向は、それまでの大量生産・大量消費・大量廃棄型といった拡大成長路線の社会経済システムに対するアンチテーゼとして成立しており、今日の地球環境問題に関する世界的な取り組みに大きな影響を与える理念として注目されている。日本においてもそれは同様の傾向であり、2004 年 11月に「持続可能な開発のための教育の 10 年」に関する決議案が採択された。その背景には、情報化やサービス経済化を原因とする東京一極集中型社会や、都市-地方間の地域間格差の拡大の改善によって共生的で自立した地域社会の形成をしようという 21世紀的な地域社会観が存在しているのだ。 そして近年、第三の使命として 社会貢献 が大学に求められていることから、筆者は持「 」続可能な地域社会のために大学が取り組むべきことは何であるかに考えた結果、産学官連携活動に注目した。この活動は、 産学官連携ブーム なる現象を引き起こすほど日本の高「 」等教育界に大きな影響を与えた。筆者が、この活動を研究テーマに選定した理由は主に三つあり、一つ目はそれまで地域に存在していながら、 象牙の塔 として一般社会に対し「 」て閉鎖的にしていた大学が、産業や行政、地域といった相手と共同することでどのような成果を挙げることが出来るのかについて、地域社会の一員として知る必要があると考えたからである。二つ目の理由は、2011 年 3月 11 日に生じた東京電力福島第一原子力発電所事故によって明らかになった産学官連携活動の複雑な構造に興味を持ったからである。そして最後の理由は、日本の高等教育界に大きな影響をもたらした 産学官連携ブー「ム がなぜ終焉したのかについて疑問を感じたからであり、この問いを明らかにしていく」ことが本論のねらいである。 はじめに日本の地域政策の歴史的変遷を概観することで、時代時代の地域社会の在り方を推察し、現在の地域社会に対する筆者の考えについて論じる。次に、日本で行われている産学官連携活動の概要について説明する。そして産学官連携が抱える課題について検討した上で、産学官連携ブームの終焉の原因を産学官連携活動の連携体制の日米の制度的違いに見出し、筆者の仮説を提示する。その仮説を証明するために、まずアメリカの産学官連携活動の連携体制の特長を明らかにし、その後日本で行われている連携体制と比較する。 そして最後に仮説検証をまとめることで産学官連携活動の進展を示唆し、持続可能な地域社会においてどのような産学官連携活動の体制が適しているかについて筆者の考えを明らかにして本論を終える。

1

Page 6: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

一章 地域社会の変容

本章では、歴代の日本の地域政策及び国土政策を概観することにより、我々が生活をする地域社会が、歴史的にどのような変化を求められてきたかについて記していく。はじめに、一節では戦後から 2000 年代までの地域政策について論じる。ここで筆者が主張したい点は、日本の地域政策の変遷には国に従属する形態から、地域主導の形態へと変化するという循環が存在するということである。この政策的変遷が現在の地域社会に大きな影響を与えていると筆者は考える。そして二節では、一節で記したことの結果として持続可能な地域社会像が広く現代の理想として掲げられるようになったことを、全国の自治体に対して行ったアンケート調査を用いて示す。最後に三節では、本章のまとめとして現代の日本の地域社会がどのようにあるべきかについて筆者自身の考えを明らかにする。

一節 日本の地域政策の歴史的変遷

一項 戦後期から高度経済成長期までの地域政策

 1950 年に策定された国土総合開発法は、日本の地域社会にはじめて大きな変化をもたらした政策として考えられる。ここで争点となったのは拠点開発方式と均衡成長方式のいずれを政策の基本姿勢として採用するかについてであったが、結果として前者の方式が採用された。1962 年にその方式をベースとした第一次全国総合開発計画が発表され、当時の日本の主要産業であった重化学工業を太平洋ベルト地帯に立地することが決定された。しかし、これに対して地方からは一層大都市への集中が加速するとの指摘があり、新産業都市として 15ヶ所、工業整備特別地域として 6ヶ所の地域が拠点として更に指定されることになった。その結果、 均衡ある拠点開発方式 とも称される日本独特の開発方「 」式がこれ以降の政策の中心となるのである。 この時代の地域政策の特徴としては、前述の工業立地のような国土政策によって生じる恩恵を最大眼目とする点が挙げられる。この背景には、地方から三大都市圏への若年層の流出が顕著となったことや、それに対して税制や金融、公共事業などの優遇が期待される国からの地域指定を受けることで雇用を確保しようという地方都市の思惑が存在した。しかし、当時の主要産業が依然として重化学工業であったことから、太平洋ベルト地帯に位置する工業整備特別地域の発展が更に加速する半面、地方産業を支えていた繊維産業が国際貿易摩擦の影響により生産縮小に向かっていき、結果として上記の外発的な地域政策が大きな成果を上げることは出来なかった。

 戦後期から日本の中心産業であった重化学工業に左右される形で策定されてきた国土政策は、高度経済成長期に入るとその様相を変えることとなる。その主な原因は二つあり、一点目は重化学工業によって生じた公害問題の存在である。四大公害訴訟を代表するこの問題は、過度な経済成長を優先する考えや、環境を無視した工業化によって多大な影響を受けた地域社会に人々の関心を寄せるきっかけとなった。またその風潮に付随するように、重化学工業よりも工場の地域配分や地方の雇用確保という点で有効であった加工組立型産業が、重化学工業に代わって台頭し始めてきた。この産業構造の変化が二つ目の原因である。これらの社会的背景の影響を受けて発表された 1969 年の新全国総合開発計画や、田中角栄の 日本列島改造論「 」(1972)によって、道路や鉄道などの社会資本の全国的整備が為された。 この時代の地域政策は、これらの国土政策の影響を強く受けた。その結果、基本的には

2

Page 7: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

国の政策に従属してはいるものの、それぞれの地域によって地域主導型の政策が誕生するようになった。このような地域政策の質的変化は、大都市への人口流出の若干の鎮静化に繋がるなど、自立した地域社会を目指す動きを生み出した。しかし、一方では市街地再開発事業に伴う権利問題の発生など地域社会の在り方をより複雑化したと言える。

 高度経済成長期の終焉は、経済的に安定した成長期を迎えることとなる。この時期の国土政策の特徴は 1977 年に策定された第三次全国総合開発計画に顕著に表れていると言えるだろう。それまでの国土政策のフレームワークが経済や産業を中心としたものであったのに対して、この時代の国土政策は、定住圏構想など地域社会人口の配置整備に関するものと、自然環境への配慮という二つの事柄を主なフレームワークとした。その背景には、経済の低成長によって人々が安定した暮らしを求めるようになるといった意識的変化や、省資源・省エネルギー社会を求める世界的な流れの存在があったと考えられる。 以上の特徴的な国土政策の質的変化に伴って、この時代の地域政策は移住してくる人々の受入れ促進や地域資源の見直し等、地域社会の自立的性質を強めるものが多かった。このように、 国の政策に目を向けるだけでなく足元の地域資源を活用して地域資源につな「げるという動きは江戸時代以来の地域おこしの原点ともいわれるので、ようやく地域発の地域政策が動き出した時期」1と評価されている。以上が、戦後期から高度経済成長期までの地域政策の変遷であり、このプロセスから日本の地域社会は自立的な存在として成立したかのように思えた。

二項 バブル経済期から構造改革期までの地域政策

 前節では、戦後期から高度経済成長期の終焉に向かうなかで国主導型の地域政策が地域主導のものへと移行していく過程を示し、それによって地域社会が自立的性質を獲得したことを明らかにした。しかし日本がバブル経済期に突入すると、地域社会を取り巻く構造が再び大きく変化することとなる。バブル経済期によって産業構造がサービス経済へと変化し、それに伴って情報の中心となる東京圏への経済と人口の大量移動が発生したのである。また円高などの影響もあり企業が経済性を重視した結果、安い労働力によって地方に立地していた工場が海外移転するケースが増加した。これらが原因となり日本の経済的な地域間格差は拡大し、現代にも続く東京一極集中の時代が始まったと考えられる。これに対して国は、1987 年に策定した第四次全国総合開発計画によって多極分散型国土という新たな考えを呈示するものの目立った効果を上げることはできなかった。むしろ地域振興策として推進した大規模な都市開発事業がずさんな計画のもとに進められたために、地域社会に大きな経済的且つ環境的な負担を強いることになるのである。 このような地域社会への様々な負担は、それまで漸進的に広がっていた地域主導型地域政策の動きをも後退させた。その結果、国に従属した地域政策が中心となる時代へと回帰する契機となった。そして、これ以降の地域政策は日本経済と同様に「失われた 10 年」に突入することとなる。この「失われた 10 年」は主にバブル経済期の負債処理に追われたことから、日本政府は事実上の機能不全に陥っていた。しかしこのような状況に対して、1998 年に目標年次を 2010 年から 2015 年とする第五次全国総合開発計画が、そして同年に地方分権推進計画が策定された結果、1990 年代後半には全体的に低調ではあるものの地域主導型の地域政策が再び現われ始めた。

 2000 年代に入ると、経済社会の構造改革が行われるとともに地域政策も新たな展開を

1 藤井正、光多長温、小野達也、家中茂、『地域政策入門―未来に向けた地域づくり―』、ミネルヴァ書房、2008。

3

Page 8: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

見せ始める。その背景には、財政的に余裕のない国が地域に対する支援を資金的なものから制度面や地域振興の障害となるような規制の緩和に転換したことが原因として存在する。つまり地域社会は、自らが主導となるような政策を実施せざるを得ない状況に置かれたと考えられる。このような状況は、地域主導型地域政策の全国的な増加に向かわせ、その内容を多様化させた。しかし、それまでの地域間の均衡ある発展という国主導型の地域政策が期待できなくなり、その内容がそれぞれの地域の戦略に任せられるようになったことから、明確なビジョンのある地域とそうでない地域の間の政策的な格差が拡大し始めたのである。以上がバブル経済期から構造改革期までの地域政策の在り方の変遷である。

本節では、戦後期から構造改革期のおよそ半世紀のなかで、地域政策の主導権が国と地域社会の間を何度も移り変わってきたこと、その結果、地域社会の多様化や複雑化、そして地域間格差が生まれたことを明らかにした。次節では、地域社会を取り巻く環境が変化した結果、持続的な地域社会像が広く理想として掲げられるようになったことを示し、その文脈のなかで産学官連携活動がどのような働きを期待されているかについて明らかにする。

二節 現代の地域社会

 サービス経済化や国際化、情報化によって東京一極集中がますます進展しつつあるなかで、地域社会はその在り方についてもう一度考え直すことが求められている。そのような状況において、如何にして持続可能な地域社会を構築するかということが大きな課題として議論されている。ここで言われる持続可能な地域社会とは、持続可能な開発によって持続可能性を担保した地域社会と一般的に考えられる。外務省は持続可能な開発を以下のように説明する。『「環境と開発に関する世界委員会」(委員長:ブルントラント・ノールウェー首相(当時))が 1987 年に公表した報告書「Our Common Future」の中心的な考え方として取り上げた概念で、「将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」のことを言うとされている。この概念は、環境と開発を互いに反するものではなく共存し得るものとしてとらえ、環境保全を考慮した節度ある開発が重要であるという考えに立つものである。』2

この説明を見る限りでは、持続可能な開発は環境に特化した考えであるように考えられがちだが、その守備範囲は経済、科学技術、教育と多方面に広がっており、その例としては 持続可能な開発のための教育「 (以下 ESD3) や、 イノベーション・エコシステム など」 「 」が挙げられる。このように持続可能という概念は現代の日本社会全般において必要視されていると考えられる。この傾向はもちろん地域社会にも広がっており、それを示したデータが以下の図である。

2 外務省、『地球環境 持続可能な開発』、2003、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/wssd/wssd.html、(参照2013/3/10)。

3 Education for sustainable development の略。

4

Page 9: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

その他縮小型社会定常型社会成長型社会

0 50 100 150 200 250 300 350 400 450 500

n=597

図1 今後の地域社会や政策の方向性――「拡大・成長 vs 定常」(資料4を基に筆者作成)

4 広井良典、『エネルギー自治と地域再生~グローバル化の先のローカル化へ~』、2012、http://www.murc.jp/thinktank/rc/quarterly/quarterly_detail/201203_93.pdf、(参照 2012/10/20)

5

Page 10: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

このデータは、広井が 2010 年 7月に全国の都道府県・市町村を対象に行った「地域再生・活性化に関する全国自治体アンケート調査」に基づくものであり、「①全国市町村の半数(無作為抽出)および政令市・中核市・特別区で計 986団体、②全国 47都道府県に送付し、①については返信数 597(回収率 60.5%)、②については返信数 29(回収率61.7%)であった」5。アンケートの内容は、今後の地域社会や政策についてどのような方向性を求めているかを問うものであった。ここで示される成長型社会とは、「困難な状況の中でも可能な限り経済の拡大・成長が実現されるような政策や地域社会を追求していく 社会のことを指し、定常型社会とは、「拡大・成長ではなく生活の豊かさや質的充実」が実現されるような政策や地域社会を追求していく」社会、そして縮小型社会は「人口や経済の規模が減少していくことを前提にそうした方向にソフトランディングすべく様々な施策等の縮小・再編を進めていく」社会を指している。それぞれの回答数とその割合は、成長型社会が 67票で約 11%、定常型社会が 437票で約 72%、そして縮小型社会が74票で約 12%であった。

このアンケートが市民ではなく自治体に対して行われたということや、ここで示される成長型社会、定常型社会、縮小型社会の分類や説明に内包する恣意性に対して議論の余地があることは確かであるが、それらを差し引いても現在の日本において持続可能な地域社会が求められているということを示すのに、この広井の調査は十分に妥当であると筆者は考える。

三節 一章のまとめ

 一節において、地域政策の戦後期から構造改革期までの歴史的変遷を概観し、その主導権が国と地域社会の間で何度も移り変わってきたこと、そしてその結果として地域間の政策的格差が、地域社会の多様化・複雑化とともに生じたことを明らかにした。二節では、経済、科学技術、教育など日本社会の様々な分野において持続可能性が求められていることを示し、その動きが地域社会においても必要視されていることを広井のアンケート調査の結果を用いて説明した。筆者は、地域社会が主導して持続可能性を求めるような社会的動向に対して肯定的な立場をとる。その理由は主に二つあり、一つ目は本章で記した地域政策の歴史的変遷の概観から、国主導の地域政策は概して拡大成長路線に発展する傾向があり、また地域社会が拡大成長路線に向かうと、その反動としての経済的・環境的な負担が大きいと考えるからである。二つ目の理由は、地域社会の多様化・複雑化が進展した結果、それぞれの地域の問題やニーズに対して、国のマクロな視点からの対応に限界が迎えているのではないかと考えるからである。 21世紀に入ると、以上のような地域社会の要望に答えることができる動きとして、地方分権的な試みが注目を集めるようになった。筆者はそのなかで産学官連携活動に注目した。そのため二章では、産学官連携活動の定義、歴史的変遷、形態、課題について記すことによって、持続可能な地域社会を形成するために産学官連携活動がなぜ必要であるかについて筆者の考えを明らかにする。

5 広井良典、『エネルギー自治と地域再生~グローバル化の先のローカル化へ~』、2012、http://www.murc.jp/thinktank/rc/quarterly/quarterly_detail/201203_93.pdf、(参照 2012/10/20)

6

Page 11: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

二章 産学官連携活動とは

一節 産学官連携活動の定義

産学官連携活動は産学協同や産学連携よりも新しい考え方であり、明確な定義を経済産業省や文部科学省などの官公庁が公式に発表していない言葉である。産学官連携活動は「企業と大学、行政の三者が連携して行う共同研究を指す場合や、企業と大学との間を行政が結びつけるケースをそのように呼んだりする場合が」6あった。また 「産学官連携推「進会議」で統一表現が決定されたが、それまでは、大学では「産官学」、行政では「産学官」などそれぞれ異なる立場で使用していた」7。以上のことから分かるように、その意味は多義的で包括的であると言えることから、本論においては産業セクターと学問セクターを結ぶ産学連携や、各自治体などの行政セクターと学問セクターを結ぶ地学連携なども含めた包括的な連携活動の総称として産学官連携を用いることとする。したがって本論では、「産業セクターや地方自治体のような行政セクターが、若しくはそれらが共に、大学をはじめとした学問セクターと相互作用することで互いのポテンシャルを高める活動」を産学官連携活動の定義とする。但し、「あくまでも主体は「産」と「学」であり、自らの目的関数を最大化する、と

いった合理性に立脚して行動を取る際にオプションの1つとして存在するのが「産学官連携」である」8というような意見も存在するように、産業セクターと学問セクターが中心となる活動が多く、本論で取り扱う事例などもそのようなケースが多くなってしまうことは予め了承して頂きたい。

二節 産学官連携活動の歴史的変遷

本節では、戦後期から現在までの産学官連携活動の歴史的変遷を概観することで、もともと国家的な施策として一般社会に閉ざされていた活動が、如何にして広く地域社会に拡がっていき、そして持続可能な地域社会の形成を担う活動として期待されるようになったのかについて筆者の考えを論じていく。その際、科学技術基本計画をはじめとした科学技術関係の諸政策を追っていくことで、産学官連携活動がどのように変化しているのかを明らかにする。その理由は、歴史的に産学官連携活動が科学技術界と密接な関係を持っているからである。はじめに戦後期から高度経済成長期までの産学官連携活動を見ていくこととする。

6 長野県、『産学官連携ガイド― 産学官連携にチャレンジしてみたい中小企業の皆様へ ―』、http://www.pref.nagano.lg.jp/syoukou/business/keiei/sangakurenkei.pdf、(参照 2012/04/20)。

7 谷口邦彦、「イノベーション創出に向けた産学官連携活動の知識体系化Ⅱ ~連携活動の促進に向けた課題情報共有化システムの構築と展開~」、一般社団法人国際 P2M 学会、『研究発表大会予稿集 2010(春季)』、90-99、 2010。

8 産学官連携ジャーナル、『産学官連携とは?』、2005、http://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2005/07/articles/0507-09/0507-09_article.html (参照 2012/12/28)。

7

Page 12: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

一項 戦後期から高度経済成長期までの産学官連携活動

戦後期は、戦時中のような高等教育と軍国主義の癒着が強く警戒されていた。その結果、1947 年の国家公務員法による国立大学の教員に対する職務専念義務や、独占禁止法によって大企業と国家との共同研究に対する制限の強化が行われ、国立大学への法的規制がより一層整備された。しかしそのような社会背景であっても国立大学特別会計に含まれる奨学寄付金と学生の就職を交換するような、教員の個人的な産業 (特に工学系)との結びつきは存在した。また GHQ (連合国軍最高司令官総司令部)による占領政策が 1952 年に終了し、1960 年代の高度経済成長期に日本社会が突入すると、それまでの独占禁止法が規制緩和され、行政セクター主導の産学共同研究が可能になるなど産学官連携の制度的インフラは改善されることとなる。しかし、戦時中の軍国主義を連想させるような産学官連携活動に対するアレルギー意識やベトナム反戦運動、そして「学園自治」や「産学連携反対」をスローガンとした大学紛争の激化等により、高等教育機関が利益を目的とする産業界と接触することが広く一般的にタブー視化されていた。このように、戦後期から高度経済成長期までは産学官連携活動がし難い社会状況であったと考えられる。

二項 バブル崩壊以降の産学官連携活動

1970 年代後半から 1980 年代に入ると日本社会はバブル経済期に突入する。この時期に入ると日本に対する「基礎研究のただ乗り論」9による批判や日米貿易摩擦が発生した。これにより国は基礎研究能力の土壌を整備し始め、その一環として文部省は 1983 年に大学への民間資金導入を推進する政策に転換していく。その例として民間等との共同研究が開始され、受託研究や奨学寄付金も大学と産業界の研究協力として制度化された。共同研究や受託研究などの産学官連携活動の形態については後述する。

1990 年代に入るとバブル経済の崩壊をきっかけとして「失われた 10 年」の時代に突入することになり、経済不況に陥った日本は、1980 年代にバイドール法10などの産学官連携推進事業によって成功したアメリカを参考にし始める。バイドール法とは、政府資金を受けた研究開発プロジェクトについて、大学や企業等、研究を実施した機関に知的財産権を付与し、それによるロイヤリティ収入を得ることを許可する法律である。この法律は、現在の産学官連携活動の基礎となる考え方であることから、その歴史的意義は大きいと言える。1995 年に制定された科学技術基本法は、不況脱却の強い意思から成立した。その内容は、国・地方自治体の責務としての科学技術振興と、科学技術基本計画の策定を定めるというものであった。また翌年に策定された第一期科学技術基本計画は 1996 年から 2000 年までの 5 年間を想定した計画であり、注目すべき点は、5 年間での国の科学技術関係費の目標を 17兆円としたところであった。その結果は、小渕内閣による莫大な補正予算措置の影響もあり、17.6兆円と目標は達成された。

この第一期科学技術基本計画期間中の主な政策動向としては、国立大学構内への国以外の者による共同研究施設整備を促進した 1998 年の 研究交流促進法 の改正や、同年に施「 」行された大学等技術移転促進法(TLO11法)が挙げられる。またそれらの翌年に制定された

9 日本の企業が欧米の基礎研究を利用し、高精度の商品化を行うこと。10 バーチ・バイ、ロバート・ドール両上院議員によって立案された法律であり、正式名称は「大学および中小企業特許手続法」。

11 Technology Licensing Organization の略。大学における技術に関する研究成果(特許権等)のうち、その帰属が国以外の者(大学帰属・研究者個人帰属)になったものを、その成果の適切かつ確実な(成果を死蔵させない)民間事業者に対し移転する事業を行う組織。

8

Page 13: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

産業活力再生特別措置法(1999 年)には、 日本版バイドール法 と呼ばれる条項を含んで「 」おり、上記で示したアメリカのバイドール法と同様、受託研究機関に知的財産権が100%帰属されることになった。これらの政策が、大学等の学問セクターが発信する「知」が、産業セクターによって活用される土壌を形成したと考えられる。

以上のように、バブル経済の崩壊をきっかけとして策定された諸政策によって現在の産学官連携活動の基礎が形成されたことから、この時代は産学官連携活動を考える上で一つのターニングポイントであったことが分かる。

三項 第二期科学技術基本計画

対象年を 2001 年から 2005 年とした第二期科学技術基本計画によって策定された政策のなかで、「地域における知的クラスターの形成」など地域社会の概念を科学技術振興施策に加え、産学官連携活動の認知を全国的に推進させた。この知的クラスターとは、「地域のイニシアティブの下で、地域において独自の研究開発テーマとポテンシャルを有する大学をはじめとした公的研究機関等を核とし、地域内外から企業等も参画して構成される技術革新システム」12のことを指し、2002 年に文部科学省の「知的クラスター創成事業」や「都市エリア産学官連携促進事業」がそのシステムによって開始された。この二つの事業は予算額や交付期間が異なるものの、共に産学官による共同研究を促進することが目的であり、現在も多くの共同研究が続けられている。この時期に国家戦略としての知的財産重視の政策と、学問セクターに対する産学官連携事業へのインセンティブとなるような政策が連続的に行われたことも特筆すべき点である。

そして 2002 年に成立し、翌年施行された「知的財産基本法」によって、文部科学省は大学知的財産本部整備事業を開始し、特許等の知的財産がそれまで大学教員等の個人帰属であったものが原則機関帰属へと政策転換された。それと共に 2004 年から開始された国立大学法人化の結果、ほぼ全ての大学が特許権の保有が可能になった。そして運営費交付金を削減し、競争的資金重視となったことが大学に企業等からの外部資金獲得の必要性を強く意識させた。

以上のように第二期科学技術基本計画とその期間中に実施された諸政策は全国的な産学官連携活動を普及させ、学問セクターからの産学官連携活動への強い要望を受けることとなった。この二点から、この時期は日本の産学官連携活動を更に進展させたと言えるだろう。また知的クラスターによって産学官連携活動に地域社会の概念が盛り込まれたことは本論において非常に重要な点である。

四項 第三期科学技術基本計画

続く第三期科学技術基本計画は 2006 年から 2010 年までの 5 年間を対象とした計画であり、そのなかでは基軸となる二つの基本姿勢が設定されていた。

一つ目は、 社会・国民に支持され、成果を還元する科学技術」「 13である。これは第一期、第二期科学技術基本計画の内容が産学官セクターそれぞれの専門家たちに向けていた内容であったのに対して、第三期科学技術基本計画は社会や国民の視点を考慮し、研究成

12文 部 科 学 省 、 『 地 域 科 学 技 術 振 興 施 策 』 、 2009 、 http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/chiiki/cluster/about.htm 、 ( 参 照2012/04/20)。

13 文部科学省、『第3期科学技術基本計画(平成18~22年度)の概要』、2006、http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/kihon/main5_a4.htm、(参照2012/04/28)。

9

Page 14: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

果を還元することを目標としていることを表す。またそれまでの基本計画には見られなかった「イノベーション」14という言葉が新たに使われ始めたことからも、社会や国民の生活に還元されるために、科学技術に対して新たな価値を生み出すことを目標とした計画であることが分かる。二つ目の基本姿勢は、「人材育成と競争的環境の重視」15である。「モノから人へ」というスローガンが掲げられているように若手研究者・女性研究者・外国人研究者の支援についての記述がより増えたこと等、それまでの基本計画が「新たな知」の発掘を重要視していたのに対して、第三期科学技術基本計画は人材の育成や支援体制について大きく触れられていた。それに関する政策としては 2006 年に開始された「科学技術関係人材のキャリアパス多様化推進事業」が挙げられる。この事業はポストドクター16等若手研究者の産業界への進出や、産学官連携による人材育成を主な内容とした。また 競争的環境の重視」については、競争的資金や研究に伴う間接経費の拡充と、それ「に関する制度的インフラの整備、そして日本の大学の世界的競争力の強化の必要性が記されている。

以上が第三期科学技術基本計画の内容である。その本文中に「長期的な視点に立って基礎から応用までを見通した共同研究等に取り組むことで連携の効果を高めていくような戦略的・組織的な連携を促進する。そのような連携の一環として、産学官連携の下で世界的な研究や人材育成を行う研究教育拠点の形成を目指す。」17と記されているように長期的計画であったことや、2008 年のリーマンショックによる世界的不況の影響もあり、当初の目標予算であった科学技術関係費 25兆円には及ばない等、結果的には課題を多く残した。しかし第二期科学技術基本計画には現われなかった 持続可能 という言葉がはじめ「 」て現われたことから、この時期に持続可能性の概念が科学技術分野に導入されはじめたということは注目に値すると筆者は考える。

五項 第四期科学技術基本計画

 2011 年 3月 11 日に発生した東日本大震災の影響もあり、その年の 8月に遅れて閣議決定された第四期科学技術基本計画は、東京電力福島第一原子力発電所事故によって露わになった科学技術の危険性に対する反省と、グリーンイノベーションのような安全で安心で安定した科学技術の振興についての記述がその半分を占めており、残りの半分の記述は科学技術を担う人材育成についてと、国民の視点による科学技術イノベーションについての記述であった。

この計画のなかで筆者が指摘すべきと考える点は二つあり、一つ目は「持続的な成長」という言葉の使用である。その理由は、第三期計画では 持続的な成長 という表現は数回「 」しか使われておらず、むしろ第四期計画では全く使われていない「持続的な発展」という表現を用いていたのに対して、第四期計画では「持続的な発展」が消える一方、「持続的な成長」が激増したからである。メドウズらが 何かが成長するときには、量的に大き「

14 科学的発見や技術的発明を洞察力と融合し発展させ、新たな社会的価値や経済的価値を生み出す革新のこと(第三期科学技術基本計画本文より引用)。

15 文部科学省、『第3期科学技術基本計画(平成18~22年度)の概要』、2006、http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/kihon/main5_a4.htm、(参照2012/04/28)。

16 博士号(ドクター)所得後、専任の職に就くまでの間、大学に籍を置いて研究を続ける若手研究者のこと。

17文 部 科 学省、『第 三 期 科 学 技 術 基 本 計 画』、 2006 、 http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/kihon/06032816/001/001.htm、(参照 2012/04/28)。

10

Page 15: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

くなり、発展するときには、質的に良くなるか、少なくとも質的に変化する」 18と指摘するように、「成長」と「発展」は全く異なる概念と考えられる。筆者は、この表現の変化には科学技術の量的拡大を図ることで、その成果を「見える化」し、信用を回復しようという科学技術界の意図があるのではないかと考える。二つ目は、第二期、第三期計画のなかで頻りに謳われていた人文・社会科学との分野横断的な取り組みの必要性についての記述数がおよそ半分以下に減っている点である。このことに対して筆者は、震災や原発事故の影響により、科学技術界の人文・社会科学によるイノベーションへの意識が低下しているのではないかと考える。

以上が第四期科学技術基本計画の概要とそれに対する筆者の指摘である。このように第四期計画の内容は、東京電力福島第一原子力発電所事故によって蔓延した科学技術アレルギーを払拭しようという科学技術界の思惑を感じるものであった。しかし第三期計画において萌芽した持続可能性の概念が、グリーンイノベーションやライフイノベーションという形でより明確に示された点は評価に値するのではないかと筆者は考える。

三節 産学官連携活動の形態

本節では産学官連携活動の主要な形態について記していく。

①共同研究大学と企業、または官立の研究所に属する研究員が、対等な立場で共同して行う研究を

指し、知的財産の帰属についても対等である。共同試験研究促進税制のため、共同研究費として企業が支出した一定割合が法人税額から特別控除される。

②受託研究企業や行政からの委託を受けることで実施される研究を指す。研究の主体は大学にあり、

一部例外もあるが知的財産の帰属は実施機関である大学にある。この場合、大学側は研究に際して必要となる光熱費や施設利用費などの直接実験には関係ないが付随して発生する費用を間接経費(原則直接経費の 30%)として企業に求めることが可能である。

③ライセンシング大学側が権利を持つ特許発明の実施権を、企業等の第三者へ与えることで、その特許のロイヤリティ収入を得る行為を指す。この場合、実施権を与えるだけであり、特許権自体が移動することはない。

④コンソーシアム複数の企業や大学、NPO などが研究資金を出し合って成立する研究組織を指す。知的財産の帰属については原則機関(コンソーシアム)帰属であるが、それぞれのコンソーシアムの形態によって異なる。利点としては、特定分野に関する研究の重複や権利関係の複雑化の解消が挙げられている。

⑤寄附講座企業などからの奨学寄附金によって、国立大学や大学共同利用機関に寄附者が希望する講座や研究部門を設置する制度を指す。その際、教育研究に発生する教員への給与や研究費は奨学寄付金によって賄われる。

18 ドネラ・H・メドウズ, デニス・L・メドウズ, ヨルゲン・ランダース、『成長の限界 人類の選択』、ダイヤモンド社、2005。

11

Page 16: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

⑥ 技術指導企業等が抱える諸問題に対して、大学教員が持つ知識やノウハウを提供する行為を指す。

この際、大学教員は本務外業務として活動を行う。

⑦ 大学発ベンチャー大学教員や学生等が、大学において生み出された研究成果をシーズとして実用化するた

めに事業化・創業を行う事業主体のことを指す。これらの企業は、大学や公的試験研究機関等の研究者や学生等が兼業等により事業を行う。

⑧ 人材交流・人材育成近年盛んに行われているインターンシップ制度などはこれに含まれ、大学による人材

育成を広い意味で捉えた行為である。また企業従業員の大学への派遣や、その逆となる企業が大学教員を自社の研究員にする行為も含む。

四節 産学官連携活動の現状

 産学官連携活動の歴史的変遷からも分かるように、その活動は広く社会全体で注目されてきた。その背景には 1998 年に策定された大学等技術移転促進法や、2004 年に実施された国立大学法人化による日本の高等教育界の規制緩和が大きく影響していると考えられる。またそのような制度的な変化によって、アメリカで生まれた産学官連携活動を受け入れる体制が整ったと一般的に考えられたことから「産学官連携ブーム」なる現象が起きた。また近年では、持続可能な地域社会に貢献する動きとしても注目されてきている。

しかし、「昨今、産学連携に対する期待は、失望とまでは言わないものの、かなりトーンダウンしているというのが実状である。」19と山本が指摘するように、日本の産学官連携活動の歩みは減速していると考えられる。その状況は以下に記載した大学等発ベンチャーの設立数の経年比較データからも明らかである。その総数は平成 11 年度頃から大幅な増加がみられたが、平成 16~17 年度をピークに近年は減少傾向が続いており、設立後の変化では清算・廃業・解散・倒産/休眠が最も多いという状況である。なぜ日本の産学官連携事業は突然その動きを縮小化し始めてしまったのか。三章において産学官連携活動の課題の分析を通して明らかにしてく。

19 山本貴志、「【特集 イノベーションと産学官連携:「現場の論点」】大学の技術をコマーシャライズする方法について」、産学連携学会学術委員会『産学連携学』(8)2、2012、31-40。

12

(件数)

Page 17: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

図 大学等発ベンチャーの設立数の経年比較(資料20より引用) 

20 科学技術振興機構イノベーション推進本部産学連携展開部、『産学官連携データブック 2011 2012』、− 科学技術振興機構、2012。

13

Page 18: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

三章 産学官連携活動の課題

 本章では、現在の日本の産学官連携活動の主な課題を、性質上の課題と構造上の課題に分類して紹介し、なぜ日本の産学官連携活動が縮小傾向にあるのかについて検討する。ここで言う性質上の課題と構造上の課題は本来密接に関係しているため、全く切り離して考えることは不可能であるが、後の議論を展開するために便宜的に二つに分類することを予め了承頂きたい。

一節 性質上の課題

 本項で説明する産学官連携活動の性質上の課題とは、その活動が行われている国や地域に関わらず議論されている様々な課題のことを指す。本項では、特に長期的視点の必要性イノベーション・プロセス、学問領域間の格差の三つの課題について記していく。

一項 長期的視点の必要性

はじめに産学官連携事業がその成果を生み出すまでに長期的な視点が必要であることについて記述していく。はじめに下に示した図を見て頂きたい。

図 産学官連携の成長曲線(資料21より引用)

この図は、TLO(Technology Licensing Organization)の活動記録においてよく見られるグラフであり、大学の技術のライセンスによって産学官連携事業の収益性がどのように変化するかを表したものである。ここで示されている成長曲線は、一般的に「ホッケースティックカーブ」と呼ばれ、このホッケーのスティックのような曲線から分かるように、産学官連携事業はその効果が現われるまでに相当な時間とコストが必要であると考えられている。この現象は、大学の技術の多くが基礎的であることから、製品化として利益を生み出すまで長い道のりを越える必要があることを原因とする。この道のりは、産学官連携事業の成功例として有名であるスタンフォード大学では 15 年、MIT22でも 10 年を要したことからもその長さを窺い知ることが出来よう。以上が産学官連携事業の長期性についての概要である。次に、大学の研究成果を製品化し、事業化し、そして成果を得るまでに立ちはだかるイノベーション・プロセスによる障碍について記していく。

二項 イノベーション・プロセス

前項において産学官連携事業が一定の成果を得るには長期的な視点が必要であることを記した。本項では研究開発から製品化、事業化、そして成果の獲得という一連の流れにつ

21 ネクストレベル、『知的財産とビジネス』、2006、http://www.ip-blog.net/2006/05/post_6.html、(参照 2012/09/09)。

22 マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)の略。

14

Page 19: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

いて触れていくこととする。このような一連の流れは、イノベーション・プロセスと呼ばれており、大学発ベンチャー等の産学官連携活動もこの過程を踏んで成立すると考えられる。

まずイノベーション・プロセスの簡単な流れを説明する。初めに大学等の研究成果に該当する「イノベーションの種」が存在し、これが共同研究など大学等の研究所と企業の連携によって研究・技術開発、そして製品開発まで行われる。ここまでのプロセスが一般的な産学官連携の学問セクターの活動領域と考えられている。なぜならば、以降のプロセスは 企業のビジネス・プロセスの成果として 顧客価値 の実現と 収益 の獲得「 「 」 「 」 」23を意味し、大学等の学問セクターには直接的には関係がないと言えるからである。しかし、実際にはその後の企業や自治体による事業化・成果の獲得というプロセスによって「大学の研究成果の社会還元(市場化)と研究経費の回収・獲得(知的財産権等の対価)がもたらされる」24ため、それらのプロセスは学問セクターの活動にも密接に関係していると言える。

このように 研究・技術開発」、「製品開発」、「事業化」、「成果獲得」の四つが主「なイノベーション・プロセスの内訳である。続いて、このイノベーション・プロセスに生じる三つの障碍について記していく。

図 イノベーション・プロセス(資料25を基に筆者作成)

イノベーション・プロセスにおける代表的な障碍は、 魔の川「 (デビルリバー) 、 死の」 「谷(デスバレー) 、 ダーウィンの海 の三つの段階に分けられる。「魔の川」とは、研」 「 」究・技術開発と製品開発の間に生じる障碍のことを指し、これはイノベーション・プロセスのなかで最も初めに立ちはだかる壁と言えよう。この障碍は、シーズ指向の研究・技術開発とニーズ指向の製品開発といった「「文化」を異にした活動の「接点」であるため、容易ならざる多くの問題、課題を抱えるプロセス」26と考えられている。つまり産学官連携活動の観点から考えた場合、最も中心的な課題と言えるであろう。

続く「死の谷」は、アメリカの NIST(米国標準技術局)が使った概念であり、製品開発と事業化の間に生じる障碍のことを指す。この障碍は、イノベーション・プロセスにおける三つの障碍のなかで最も乗り越えることが困難であると一般的に考えられており、先行研究者である松尾らは、その要因として 顧客の不確実性 を挙げている。「顧客の不「 」確実性」が困難さの要因であるとは一体どういうことなのだろうか。つまり事業化の段

23 松尾純廣、出川通、安部博文、「【特集 イノベーションと産学官連携:「現場の論点」】大学の技術をコマーシャライズする方法について」、産学連携学会学術委員会『産学連携学』(8)2、2012、1-23。

24 同上。25 同上。26 同上。

15

魔の川 死の谷 ダーウィンの海

研究・技術開発 製品開発 事業化 成果獲得

Page 20: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

階において莫大な費用が必要であるにも関わらず、顧客が見えないため、次に進展する決断力を鈍らせてしまう。その結果、計画が失敗する可能性を高めてしまうのである。

そして最後の障碍は、 ダーウィンの海 である。この障碍は、事業化に成功して新製品「 」が開発されても、既存商品や他企業を相手にした競争が待ち受けている状況のことを指す。この状況を打破し、収益を出すためには大量生産への意思決定が必要とされる。つまりここでは、ある程度以上の経営的資質が求められるのである。最後に学問領域の間に生じる格差について記す。

三項 学問領域間の格差

 ここで言う学問領域とは、自然科学と人文・社会科学のことを指し、産学官連携活動におけるそれらの格差とは、産学官連携活動において人文・社会科学系の研究が自然科学系の研究よりも研究シーズとして採用されることが少ないということである。下のグラフは 2003 年に文部科学省から発表された 産学連携 「 1983-2001 において示された共同研」究の全契約件数変化に占める各研究分野の比率の推移である。

図 共同研究の全契約件数変化に占める各研究分野の比率の推移(資料27より引用)

このグラフからも、歴史的に人文・社会科学が理学、工学、農学などの自然科学よりも産学官連携活動において低調であったことが分かる。その理由として最も大きなものは収益性の違いである。自然科学の研究成果は人文・社会科学よりも特許申請がしやすく、産学官連携活動は特許収入が主な収益と考えられることから、自然科学の研究が共同研究の相手として選ばれるのである。しかし自然科学の研究は、収益が高い一方でより長期的な計画が必要となるのである。それに対して人文・社会科学の研究の多くは、自然科学よりも収益は低いが成果獲得までの期間は一般的に短いとされる。つまり、どちらの学問領域がより産学官連携活動に適しているということではなく、連携相手のニーズによってより良い学問分野は決定されるのが正しい選択であると言える。

また、政府によって 2003 年に閣議決定された第二期科学技術基本計画において「生命

27 文 部 科 学 省 、 『 産 学 連 携 1983-2001』、2003、http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat096j/idx096j.html、(参照 2012/04/20)。

16

Page 21: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

倫理、情報格差、環境問題等科学技術の社会への影響の深まりへの対処のため、自然科学と、人文社会科学を総合した英知が求められる。」28と記されたように、人文・社会科学を含む科学技術が産学官連携活動において注目されることになるのである。この傾向は第三期、第四期の科学技術基本計画まで続いている。また人文・社会科学の研究を産学官連携活動に取り入れた事例の増加や、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに代表される文理融合型の学部を有する高等教育機関の台頭により、人文・社会科学の産学官連携活動への参画の機会は増していると考えられる。

以上が産学官連携活動の性質上の課題である。次に産学官連携体制の不整備や専門的な人材に関する課題などの産学官連携活動の構造上の課題について記す。

二節 構造上の課題

本項では、産学官連携活動の構造上の課題として産学官連携体制の不整備と、専門的な人材の課題について説明する。

一項 産学官連携体制の不整備  産学官連携活動の課題として挙げられる体制の不整備は、学内の体制の不整備と、学外との連携体制の不整備の二つに分類される。はじめに学内の体制について記す。

学内の産学官連携体制の中心を担う機関の一つに技術移転担当部署がある。2011 年に行われたみずほ情報総研による 大学の知的財産管理体制構築及び運営管理に関する調査「研究」29は、この技術移転担当部署を有しているにもかかわらず知的財産の活用先を発掘するためのマーケティング活動に取組んでいない大学が一定数あることを示した。この研究結果は、知的財産の活用に向けての知財管理部門と産学連携部門の連携体制が整っていない大学がまだまだ存在することを意味する。

続いて学外との連携体制の不整備について記す。全国各地域の中小企業には、ものづくりのノウハウと言った産学官連携の成果が出やすいシーズが蓄積されており、大学の技術をこれらの事業に活かすことができるにも関わらず、大学等と地域の産業との産学官連携活動は十分であるとは言えない状況にある。これらの問題の所在は、一般的に知的財産本部とTLOとの連携体制や、地域と大学等との不十分な産学官連携体制にあると考えられている。

二項 専門的人材の課題

 ここで言う専門的人材とは、産学官連携コーディネーターのことを指す。産学官連携コーディネーターとは、研究シーズと企業ニーズのマッチングや、産学官連携活動自体の運営を担う人材であり、多くは文部科学省や地方公共団体、独立行政法人などから、企業や地域の要望に応じて派遣される。このコーディネーターの人材不足が言われており、特に 20代から 30代の若い世代のコーディネーターが少ないのである。またその派遣元が多岐に渡り、それによって技術移転プロセスに対して関与できる範囲も様々であることから、権限と責任の複雑化といった問題も提起されている。

28 文部科学省、『第二期科学技術基本計画』、2001、http://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/honbun.html、(参照2012/04/28)。

29 みずほ情報総研、『大学の知的財産管理体制構築及び運営管理に関する調査研究』、2011、http://www.inpit.go.jp/content/100165175.pdf(参照 2013/03/20)。

17

Page 22: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

 これらのコーディネーターの課題は、コーディネーターの守備範囲が明確に示されていないということ、そしてコーディネーターを雇う側も彼らに対して一体どこまで任せることが出来るのかが不明瞭であることから生じるとされる。

三節 三章のまとめ

 先に記した性質上の課題は、何れも産学官連携活動を行う上で必然的に関係する事象ではあるが、個々の事例に依る所が大きいことからケース・バイ・ケースであるため、抜本的な解決策というものは存在しないのではないかと筆者は感じる。

構造上の課題も事例によって異なることは勿論あるものの、TLOやコーディネーターなど産学官連携活動のシステムに関係することから、政策に依拠する可能性が高いと考えられるのだ。これらの課題は、仲介業務を行う第三者機関に対するものが主であり、国や官公庁もこれらの課題に対して多くの提言や政策を発表している。また岡田30をはじめとした先行研究者が指摘するように、このような第三者機関の体制が不整備であったことが、日本の産学官連携ブーム終焉の大きな原因として考えられているのである。 しかし筆者は二章で記したように、そもそも日本の産学官連携活動はアメリカから輸入したものであることから、1998 年に策定された大学等技術移転促進法や、2004 年に実施された国立大学法人化によって表面上はアメリカと似た体制にはなったが、制度的な齟齬が生じ、産学官連携ブームは停滞したのではないかと考える。したがってアメリカで産学官連携活動の付属として生まれ、同じく輸入された TLOやコーディネーターの拡充によって現在の産学官連携活動の状況を本質的に解決することはできるのだろうかという疑問に至った。

したがって以下の章ではアメリカと日本の産学官連携活動の制度上の違いを示し、何故日本の産学官連携活動ブームは終焉してしまったかについて論じていく。そして、最終的にはどのような連携体制であれば、日本の地域社会に適した産学官連携活動が行えるかについて筆者の考えを明らかにする。

30 産学官連携ジャーナル、 産学官連携コーディネートの在り方 、「 」 2011、 http://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2011/03/articles/1103-03-4/1103-03-4_article.html(参照 2013/04/15)。

18

Page 23: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

四章 アメリカの産学官連携活動(執筆中)

五章 産学官連携活動の体制に関する日米比較(構想中)

結び(構想中)

【現状と今後の計画】

□現状・産学官連携活動の連携体制について調査中。・宮田由紀夫のアメリカの産学官連携に纏わる以下の書籍二冊とその参考文献を読書中。 『アメリカにおける大学の地域貢献 産学連携の事例研究』、中央経済社、2009『アメリカの産学連携と学問的誠実性』玉川大学出版部、2013

□今後の計画・明らかにしたいことや述べたいことを絞ったつもりでいたが、まだまだ壮大過ぎるの

でどんな内容であれば自分が論ずることが出来るかを念頭におきながら、現在進めている調査と同時進行でテーマの絞り込み作業をする。・夏休みに入る前までには、論理だった研究テーマとする。

19

Page 24: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

参考文献一覧

【書籍】・相原総一郎、出相泰裕、山田礼子、『地域社会に貢献する大学 OECD編』、玉川大学出版部、2005。・上野武、『大学発地域再生 カネキを越えたサステイナビリティの実践』、清水弘文堂書房、2009。・大宮登、増田正、『大学と連携した地域再生戦略 ~地域が大学を育て、大学が地域を育てる~』、ぎょうせい、2007。・科学技術振興機構『共創・協奏:産学連携成功のキーワード / 科学技術振興機構 JSTイノベーションプラザ大阪編』、アドスリー:丸善出版、2011。・科学技術振興機構イノベーション推進本部産学連携展開部、『産学官連携データブック 2011 2012』、− 科学技術振興機構、2012。・河藤佳彦、『地域産業政策の新展開―地域経済の自立と再生に向けて―』、文眞堂、2008。・関西ネットワークシステム、『現場発!官産学民連携の地域力 / 関西ネットワークシステム編』、学芸出版社、2011。・小波津美香、戸田傑、後岡喜信、「産学官連携プロジェクトにおける研究と教育成果 : 横浜美術館連携プロジェクト報告」、城西国際大学紀要委員会、『城西国際大学紀要』19(5)、35-58、2011。・小林英嗣、地域・大学連携まちづくり研究会、『地域と大学の共創まちづくり』、学芸出版社、2008。・公立大学協会、『地域とともにつくる公立大学』、2010。・清成忠男、岡本義行、『地域における大学の役割』、日本経済評論社、2000。・総合研究開発機構、『逆都市化時代の都市・地域政策―多様性と自律性の恢復による地域再生への途―』、2005。・大学の研究教育を考える会、『産学連携その将来 / 大学の研究教育を考える会編』、丸善、1999。・玉井克哉、宮田由紀夫、『日本の産学連携』、玉川大学出版部、2007。・中嶋明勲、佐藤利明、時岡晴美、高橋英博、山岸治男、田中統治、渡辺安男、奥田憲昭、『変貌する地域社会の生活と教育』、ミネルヴァ書房、1991。・馬場靖憲、後藤晃、『産学連携の実証研究』、東京大学出版会、2007。・濱田康行、佐藤孝一、吉田典之、『地域再生と大学』、中央公論新社、2007。・藤井正、光多長温、小野達也、家中茂、『地域政策入門―未来に向けた地域づくり―』、ミネルヴァ書房、2008。・宮口侗廸、海老原雄紀、『若者と地域をつくる : 地域づくりインターンに学ぶ学生と農山村の協働』、原書房、2010。・宮田由紀夫、『アメリカの産学連携』、東洋経済新報社、2002。・宮田由紀夫、『アメリカにおける大学の地域貢献 産学連携の事例研究』、中央経済社、2009。・明治大学商学部、『これが商学部シリーズVol.2 社会に飛びだす学生たち~地域・産学連携の文系モデル~』、同文舘出版、2011。

20

Page 25: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

・ドネラ・H・メドウズ, デニス・L・メドウズ, ヨルゲン・ランダース、『成長の限界 人類の選択』、ダイヤモンド社、2005。・望月照彦、石森秀三、塚原正彦、 ジャパンコンテンツ立国宣言-まなびが富を創「る 地域文化資本の時代―フローからストックの社会― 、新葉社、」 2006。・吉川卓治、『公立大学の誕生 近代日本の大学と地域』、名古屋大学出版会、2010。・D・ボック、宮田由紀夫、『商業化する大学』、玉川大学、2004。・E.F.シューマッハー、『スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学―』、講談社学術文庫、1986。

【雑誌論文】・天野一男、「地域地質再考 : 実社会と結びついた地質学研究・教育をめざして 日本」地質学会、『地質学論集』(49), 1-7, 1998。・天野邦夫、「国立大学と地域社会の交流:研究の意図と目的」、国立学校財務センター、2001。・天野邦夫、「地方国立大学 : その構造的特質(第 7 部会 〔地域社会と大学〕)」、日本教育社会学会、『日本教育社会学会大会発表要旨集録』(25)、67、1973。・池田武俊、「社会科学系分野における産学連携の可能性と課題 : 多様な産学連携モデルに向けた予備的考察」、千葉商科大学、『千葉商大論叢』48(2)、85-102、 2011。・池田秀夫、「地方国立大学の機能に関する比較研究 : 住民からみた地方大学(2) : 地域住民からみた徳島大学(第 11 部会〔高等教育 III〕)」日本教育社会学会、『日本教育社会学会大会発表要旨集録』(24), 172-175, 1972。・池田秀男、白井尚、後藤誠也、「地方国立大学の機能に関する比較研究 : 人材供給機能を中心に : その 2(第 7 部会〔高等教育 II〕)」日本教育社会学会、『日本教育社会学会大会発表要旨集録』(23)、138-161、1971。・石原慎士、「産業間連携による地域ブランドの形成手法に関する一考察」、弘前大学大学院地域社会研究科、『弘前大学大学院地域社会研究科年報』(5)、19-36、2008。・伊藤元重、「東アジアの地域連携を強化する」、総合開発研究機構、『NIRA 研究報告書』、2010。・太田与洋、「産学官連携共同研究実績の現状分析と課題の抽出(産官学連携(1),一般講演,第 22回年次学術大会)」、研究・技術計画学会 、『年次学術大会講演要旨集』(22), 1-2、2007。・大庭宣尊、岡本徹、笹尾省二、森川泉、山川肖美、「成人の学習ニーズにおける公的社会教育と高等教育機関の位置 、広島修道大学、『」 広島修大論集. 人文編』42(2), 143-171、2002。・姉崎洋一「大学・高等教育機関の地域社会貢献をめぐる争点と課題 、」 大学評価学会、『大学評価学会年報 『現代社会と大学評価』』、(3)、27-39、2007。・加藤浩、「総論 : 知的財産を巡る現状と課題(<特集>知財)」、社団法人情報科学技術協会、『情報の科学と技術』57(10)、466-471、2007。 ・亀野淳、「地域における経済団体等の人材育成への取組みと課題 : 大学との連携を中心に」、北海道大学大学院教育学研究院、『北海道大学大学院教育学研究院紀要』 106、37-51、2008。

21

Page 26: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

・木原孝博、居村栄、「地方国立大学の機能に関する比較研究 : 住民からみた地方大学(2) : 地域住民からみた岡山大学(第 11 部会〔高等教育 III〕)」日本教育社会学会、『日本教育社会学会大会発表要旨集録』、(24)、170-172、1972。・小池聖一、「国立大学法人化と地方国立大学の類型化 <論文>」、広島大学文書館 、

『広島大学文書館紀要 : Journal of Hiroshima University Archives』(12)、1-23、2010。・谷口伸一、「起業家支援のための産学連携 Web相談システムの研究」滋賀大学、『彦根論叢』(339)、153-169、2002。・小嶋泰廣、中村実、宅見幸一、佐藤健太郎、三浦直己、『「中国地域における文科系分野における大学の知的資源活用(産学官連携)形成方策調査」報告書』、中国経済産業局、1-61、2005。・佐藤守、「地方国立大学の地域的機能に関する比較研究(第 1 部会〔高等教育I〕)」、日本教育社会学会、『日本教育社会学会大会発表要旨集録』(23)、16-35、1971。・佐藤令、佐藤守、「地方国立大学の機能に関する比較研究 : 地域住民からみた秋田大学(第 5 部会〔高等教育 I〕) 」日本教育社会学会、『日本教育社会学会大会発表要旨集録』(24)、60-63、1972。・杉岡秀紀、 大学と地域との地学連携によるまちづくりの一考察 、同志社大学、「 」『同志社政策科学研究』9(1)、77-96、2007。・谷口邦彦、「イノベーション創出に向けた産学官連携活動の知識体系化Ⅱ ~連携活動の促進に向けた課題情報共有化システムの構築と展開~」、一般社団法人国際P2M 学会、『研究発表大会予稿集 2010(春季)』、90-99、 2010。・冨江英俊、「地方国立大学の社会的サービス機能 : 自己点検・評価報告書からの分析 、」 日本教育社会学会、『日本教育社会学会大会発表要旨集録』(49)、44-45、1997。・中山健、「社会科学分野における大学の産学連携戦略 : 提携の可能性と課題 、千葉」商科大学、『千葉商大論叢』48(2)、29-55、2011。・中山健、「産学連携教育としての大学インターンシップ : 動向・現状・課題 、」 東京大学大学院教育学研究科大学経営・政策コース、『東京大学大学院教育学研究科紀要』49、183-190、2010。・中山健、「大学と中小企業による産学連携 : 連携関係の特質と課題 、東京大学」 、『東京大学大学院教育学研究科紀要』47、395-403、2008。・丹生晃隆、「地域におけるビジネスインキュベータの課題 : 「都市」と「地方」における成果決定要因と支援形態の比較から 、島根大学、『」 経済科学論集』(33)、135-165、2007。・野崎道哉、「地方大学における産学連携ポリシーの試み : 地域イノベーション創出共同体形成事業の評価と展望」、弘前大学大学院地域社会研究科、『弘前大学大学院地域社会研究科年報』(7)、3-14、2010。・弘前大学、『研究活動面における社会との連携及び協力」評価報告書』、大学評価・学位授与機構、1-9、2003。・藤山一郎、「日本の高等教育政策と東アジア地域構想―「 国際化」を通じた役割アイデンティティの模索 ―」、立命館大学国際地域研究所、『立命館国際地域研究』(28)、131-150、2008。

22

Page 27: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

・本間義人、「全総計画と戦後の国家社会」、東京市政調査会『都市問題』(96)7、pp.4-9、2005。・牧野篤、「知の分配システムから生成プラットフォームへ : 「教育」概念の再検討、そのイメージ/覚え書き風に(<特集>「教育」概念の再検討)」、日本教育学会、『教育學研究』77(4)、371-384、2010。・松井孝子、「自然・文化遺産を活かした地域づくりへの挑戦 、プレック研究所、」『PREC study report』13、20-25、2008。・松尾純廣、出川通、安部博文、「【特集 イノベーションと産学官連携:「現場の論点」】大学の技術をコマーシャライズする方法について」、産学連携学会学術委員会『産学連携学』(8)2、1-23、2012。・松原治郎、「地元有識者層の地方国立大学への評価 、日本教育社会学会、『」 日本教育社会学会大会発表要旨集録』(25)、68-69、1973。・安田隆子、「ISSUE BRIEF 学校統廃合 ―公立小中学校に係る諸問題― 、」国立国会図書館、『調査と情報第』640、1-10、2009。・山本貴志、「【特集 イノベーションと産学官連携:「現場の論点」】大学の技術をコマーシャライズする方法について」、産学連携学会学術委員会『産学連携学』(8)2、31-40、2012。

【Web】・経済産業省、『産学連携の現状と今後の取組~新たな産学連携のあり方とその实現に向けて~』、2009、http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g90930b02j.pdf、(参照 2012/09/10)。・財団法人 商工総合研究所、『平成 20 年度調査研究事業報告書 中小企業の産学連携』、2008、http://www.shokosoken.or.jp/chousa/youshi/20nen/20-2.pdf、(参照 2012/09/10)。・産学官連携ジャーナル、『-経営学者が語る- 分離融合の産学連携、文系の産学連携』、2005、http://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2005/06/articles/006-02/006-02_article.html(参照 2012/05/01)。・産学官連携ジャーナル、 産学官連携コーディネートの在り方 、「 」 2011、 http://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2011/03/articles/1103-03-4/1103-03-4_article.html(参照 2013/04/15)。・産学官連携ジャーナル、『産学官連携とは?』、2005、http://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2005/07/articles/0507-09/0507-09_article.html (参照2012/12/28)。・総務省、『平成 23 年版地方財政白書』、2011、http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/hakusyo/chihou/23data/yougo.html、(参照 2012/04/20)。・総務省、『統計局ホームページ-地域区分に関する用語』、2011、http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/users-g/word7.htm、(参照 2012/04/20)。・内閣府科学技術政策担当、『第二期科学技術基本計画』、2001、http://www8.cao.go.jp/cstp/kihonkeikaku/honbun.html、(参照 2012/04/27)。・長野県、『産学官連携ガイド― 産学官連携にチャレンジしてみたい中小企業の皆様へ ―』、

23

Page 28: 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析matsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2013/04/201… · Web view松浦良充研究会2013年度 春課題 日米比較による産学官連携ブーム終焉の要因分析

http://www.pref.nagano.lg.jp/syoukou/business/keiei/sangakurenkei.pdf、(参照 2012/04/20)。・ネクストレベル、『知的財産とビジネス』、2006、http://www.ip-blog.net/2006/05/post_6.html、(参照 2012/09/09)。・文部科学省、『「科学技術関係人材のキャリアパス多様化促進事業」第 4回連絡協議会の結果について』、2009、http://www.mext.go.jp/a_menu/jinzai/koubo/1288882.htm、(参照 2012/04/28)。・文部科学省『産学連携 1983-2001』、2003、http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat096j/idx096j.html、(参照 2012/04/20)。・文部科学省、「新時代の産学官連携の構築に向けて」、2003、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu8/toushin/03042801.htm、(参照 2012/04/30)。・文部科学省、『設置主体・都道府県別に見た国立大学の機能』、2008、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/031/siryo/attach/1293337.htm、(参照 2011/07/20)。・文部科学省、『第三期科学技術基本計画』、2006、http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/kihon/06032816/001/001.htm、(参照 2012/04/28)。・文部科学省、『第3期科学技術基本計画(平成18~22年度)の概要』、2006、http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/kihon/main5_a4.htm、(参照2012/04/28)。・文部科学省、『第四期科学技術基本計画』、2011、http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/08/19/1293746_02.pdf、(参照 2012/04/28)。・文部科学省、『「知の時代」にふさわしい技術移転システムの在り方について』、2000、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shinkou/004/gaiyou/001271.htm、(参照 2012/04/20)。・文部科学省、『地域科学技術振興施策』、2009、 http://www.mext.go.jp/a_menu/kagaku/chiiki/cluster/about.htm、(参照2012/04/20)。・文部科学省、『平成 19 年度学校基本調査 調査結果の概要(高等教育機関) 学校調査 1 大学』、2007、http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/08010901/002.htm、(参照2011/07/20)。・文部科学省、『平成 22 年度大学等における産学連携等実施状況について』、2011、http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/sangaku/__icsFiles/afieldfile/2011/11/30/1313463_01.pdf、(参照 2012/09/03)。・文部科学省、経済産業省、『大学知財本部・TLOの評価指標の検討について』、2011、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/kyousouryoku/2012dai2/siryou2_2.pdf、(参照 2012/09/16)。

24