[特集]リチウムイオン電池 (8)電極バインダの各...

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34東レリサーチセンター The TRC News No.117(Sep.2013) ●[特集]リチウムイオン電池(8)電極バインダの各種分析 1.はじめに リチウムイオン電池(LIBLithium-ion Battery)に おけるバインダの主たる機能は‘結着’であるが、それ に加えて、活物質をスラリー化した際の塗料特性、電極 を捲回した際の柔軟性、対電解液性、電気化学的な安定 性など様々な特性が要求される。これまでにバインダと して多くの材料が検討されてきたが、実用化に至るもの は、ごく僅かである ₁︶ 本稿では現行の市販LIBに使用されているバインダ材 料の組成分析、電極合剤層でのバインダの分布評価、バ インダの劣化分析について、事例を交えて紹介する。 2.電極バインダ材料の組成分析 現在の市販のLIBのバインダには、スラリー化する際 に用いられる溶剤によって、水系と有機溶剤系のバイ ンダが存在する。前者はスチレン-ブタジエン共重合 体(SBR)、後者はポリフッ化ビニリデン(PVDF)で あり、市販LIBの大半にこれらのバインダが使用されて いる。バインダの組成分析においては、まず、PVDF などのフッ素系ポリマーであるかどうかを判断するた めに、電極合剤そのもの、またはPVDFの良溶媒DMF Dimethyl formamide)で抽出したものについて、 FT-IRFourier Transform Infrared Spectroscopy)測 定を行なう。得られたIRスペクトルより、PVDF由来の C-F吸収が観測された場合、バインダとしてPVDFが使 用されていると判断できる。より詳細に定性を行うには DMF抽出物について溶液 19 F-NMRNuclear Magnetic Resonance)測定を行なう。また、PVDFの定量を行う には、電極合剤に対して、管状式燃焼法による燃焼IC Ion Chromatography)でフッ化物イオン量からPVDF量とし て以下の式で計算する。 PVDF量=F 量×64 CH2CF2︶/38 2F一方、電極合剤のIRスペクトルでPVDF由来の吸収が 観測されなかった場合、SBRなどの可能性が考えられ るため、バインダを同定するには電極合剤を熱分解GC/ MSGas Chromatograph/Mass Spectrometry)測定し、 検出された熱分解生成物から、バインダに使用されてい るポリマーを同定する。 また、バインダ量の定量を行なうには、電極合剤につ いてTG(Thermogravimetry)測定を行なうことが有効 である ₃︶ 市販のLIB(円筒18650型)に使用されている負極合 剤中のSBRバインダ量をTGで定量した結果を図₁に示 す。窒素中では、室温から900℃までの領域で有機物が 熱分解するため、その減量分をバインダ量として見積も る。この負極合剤中でのバインダ量は1.5 mass%であっ た。 図1 負極合剤のTG測定結果 近年、高容量化、環境への配慮のため新たなバインダ として、ポリイミド、ポリウレタン、ポリオレフィンな どの材料が検討されている。これらの材料の組成分析に は、今回紹介した熱分解GC/MSに加え、化学分解によ る分析などを適用することでバインダの構成成分を明ら かにすることができる。 3.電極合剤層内でのバインダ分布評価 LIBの性能は、電極と集電箔との密着性や、バインダ の電極合剤層内での分散状態といった製造条件に大きく 依存する。 2に示すように、バインダが分散不十分で偏在して いると電池としての特性が低下する。このような背景か ら、本項では電極合剤層内でのバインダの分布の評価方 法について紹介する。 ・電極表面に偏在 ・集電箔界面に偏在 電極材と集電箔の剥離 接触抵抗の増加 電極材表層の欠落 導電性の阻害 ・電極表面に偏在 ・集電箔界面に偏在 電極材と集電箔の剥離 接触抵抗の増加 電極材表層の欠落 導電性の阻害 図2 バインダの偏在による問題点 3.1 EPMAによる分布評価 電極合剤層中のPVDFなどのフッ素系ポリマーの 分布を調べるには CPCross-section Polishingなどで加工した電極断面に対してSEMScanning [特集]リチウムイオン電池 (8)電極バインダの各種分析 有機分析化学研究部 森脇 博文

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34・東レリサーチセンター The TRC News No.117(Sep.2013)

●[特集]リチウムイオン電池(8)電極バインダの各種分析

1.はじめに

 リチウムイオン電池(LIB;Lithium-ion Battery)におけるバインダの主たる機能は‘結着’であるが、それに加えて、活物質をスラリー化した際の塗料特性、電極を捲回した際の柔軟性、対電解液性、電気化学的な安定性など様々な特性が要求される。これまでにバインダとして多くの材料が検討されてきたが、実用化に至るものは、ごく僅かである₁︶。 本稿では現行の市販LIBに使用されているバインダ材料の組成分析、電極合剤層でのバインダの分布評価、バインダの劣化分析について、事例を交えて紹介する。

2.電極バインダ材料の組成分析

 現在の市販のLIBのバインダには、スラリー化する際に用いられる溶剤によって、水系と有機溶剤系のバインダが存在する。前者はスチレン-ブタジエン共重合体(SBR)、後者はポリフッ化ビニリデン(PVDF)であり、市販LIBの大半にこれらのバインダが使用されている。バインダの組成分析においては、まず、PVDFなどのフッ素系ポリマーであるかどうかを判断するために、電極合剤そのもの、またはPVDFの良溶媒DMF(Dimethyl formamide) で 抽 出 し た も の に つ い て、FT-IR(Fourier Transform Infrared Spectroscopy) 測定を行なう。得られたIRスペクトルより、PVDF由来のC-F吸収が観測された場合、バインダとしてPVDFが使用されていると判断できる。より詳細に定性を行うにはDMF抽出物について溶液19F-NMR(Nuclear Magnetic Resonance)測定を行なう。また、PVDFの定量を行うには、電極合剤に対して、管状式燃焼法による燃焼IC(Ion Chromatography)でフッ化物イオン量からPVDF量として以下の式で計算する。

PVDF量=F-量×64(CH2CF2︶ /38(2F)

 一方、電極合剤のIRスペクトルでPVDF由来の吸収が観測されなかった場合、SBRなどの可能性が考えられるため、バインダを同定するには電極合剤を熱分解GC/MS(Gas Chromatograph/Mass Spectrometry)測定し、検出された熱分解生成物から、バインダに使用されているポリマーを同定する。 また、バインダ量の定量を行なうには、電極合剤につ

いてTG(Thermogravimetry)測定を行なうことが有効である₂,₃︶。 市販のLIB(円筒18650型)に使用されている負極合剤中のSBRバインダ量をTGで定量した結果を図₁に示す。窒素中では、室温から900℃までの領域で有機物が熱分解するため、その減量分をバインダ量として見積もる。この負極合剤中でのバインダ量は1.5 mass%であった。

図1 負極合剤のTG測定結果

 近年、高容量化、環境への配慮のため新たなバインダとして、ポリイミド、ポリウレタン、ポリオレフィンなどの材料が検討されている。これらの材料の組成分析には、今回紹介した熱分解GC/MSに加え、化学分解による分析などを適用することでバインダの構成成分を明らかにすることができる。

3.電極合剤層内でのバインダ分布評価

 LIBの性能は、電極と集電箔との密着性や、バインダの電極合剤層内での分散状態といった製造条件に大きく依存する。 図2に示すように、バインダが分散不十分で偏在していると電池としての特性が低下する。このような背景から、本項では電極合剤層内でのバインダの分布の評価方法について紹介する。

・電極表面に偏在 ・集電箔界面に偏在

⇒ 電極材と集電箔の剥離⇒ 接触抵抗の増加

⇒ 電極材表層の欠落⇒ 導電性の阻害

・電極表面に偏在 ・集電箔界面に偏在

⇒ 電極材と集電箔の剥離⇒ 接触抵抗の増加

⇒ 電極材表層の欠落⇒ 導電性の阻害

図2 バインダの偏在による問題点

3.1 EPMAによる分布評価 電極合剤層中のPVDFなどのフッ素系ポリマーの分 布 を 調 べ る に は CP(Cross-section Polishing)な ど で 加 工 し た 電 極 断 面 に 対 し てSEM(Scanning

[特集]リチウムイオン電池

(8)電極バインダの各種分析有機分析化学研究部 森脇 博文

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東レリサーチセンター The TRC News No.117(Sep.2013)・35

●[特集]リチウムイオン電池(8)電極バインダの各種分析

Electron Microscope)やEPMA(Electron Probe Micro Analyzer)によるフッ素のマッピング測定を行う₄︶。 正極板(正極活物質;LiCoO2、活物質層厚さ;約70 μm、集電箔;Al)の断面について、PVDFの分布評価を行った事例を図3に示す。右図のフッ素マッピング像より、電極合剤層内のPVDFの分布状態を可視化することができた。 左図のSEM写真上に示したフッ素濃度プロファイルより、膜厚方向でのPVDFの分布を評価することも可能である。

F AlF AlF AlF AlF Al

図3 正極板断面のSEM観察における反射電子像写真(左)、フッ素マッピング像(右)

 負極バインダとして主に使用されるSBR系バインダの分布評価に関しては、SBRを構成する炭素、水素はEPMAで直接の元素マッピング測定を行うのは困難である。そこで、酸化オスミウム(OsO4)による電子染色法でSBRを染色した後、断面のEPMAによるOs元素マッピング測定を行い、SBRの分布状態を調べる。 さらに電子染色後にFIB(Focused Ion Beam)-SEMにより数10nmピッチでSEM写真を取得し、画像構築ソフトで3次元化したSEM写真を作成することが可能となる。これにより、立体的に合剤層内でのSBRの分布を観察することもできる。 市販のLIB(円筒18650型)を解体して取り出した負極のSBRの分布評価結果を図4, 5に示す。

図4 OsO4染色後の負極板断面のSEM観察における反射電子像写真(左)、Osマッピング像(右)

図5 負極合剤層の3次元SEM写真

3.2 GD-OES,GD-MSによる分布評価 前項で紹介したバインダの分布評価において、EPMAは微小部の測定になるため、広域の平均的な分布情報を取得するのに向いていない。平均的な分布情報を引き出すアプローチとしては、GD(Glow Discharge)-OES (Opitical Emission Spectroscopy)、およびGDMS(Mass Spectroscopy)が有効である。両者の特徴を表1に示す。

表1 GD-OES,GDMSの特徴手法 GD-OES GDMS

測定径 1~7mmΦ 5~15mmΦ深さ 3nm ~100μm 0.1~100μm

感度 数ppm ~数10ppm 数ppb

検出元素 H ~ U Li ~ U

 3.1項の正極板の合剤層中PVDF分布を調べるために両手法を行い、比較した(図6, 7)。その結果、両手法とも表面からAl集電箔に向け、PVDFの濃度低下の傾向が確認された。

図6 GD-OESによる正極板合剤層中のデプスプロファイル

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36・東レリサーチセンター The TRC News No.117(Sep.2013)

●[特集]リチウムイオン電池(8)電極バインダの各種分析

4.PVDFバインダの劣化分析

4.1 PVDFの劣化分析 セルを組む前の電極板、電極スラリー化する前のPVDF原料に関する分析手法を表2にまとめた。セルの使用、またそれを模擬した劣化試験を行なうと部材の構造変化やそれに伴う電池性能の低下が発生することがある。劣化のメカニズムや程度を解析する上で、まずはセルとして組み上げる前の電極板、原料に対して、表2に示すような確認をしておくことが重要である。次項では、電極板の合剤層のPVDF不溶化率測定について、紹介する。

表2 PVDFの劣化分析メニュー

4.2 PVDF不溶化率測定 PVDFは塩基性化合物に対しては不安定で、脱フッ酸反応を引き起こす。

 この反応によりPVDFはポリエン構造を形成し、架橋により不溶化やゲル化が生じる₅,₆︶。PVDFが不溶化、ゲル化すると、導電パスが閉塞してしまうことなどで、電池としての性能が低下する。不溶化、ゲル化した状態はSEMなどで視覚的に確認できるが、平均値として数値化するアプローチとして、PVDF良溶媒(DMF)での抽出前後の電極合剤のF比率から、評価する方法がある。図9に、電極皮膜形成剤として一般的に用いられるビニレンカーボネート(VC;Vinylene carbonate)の有無によるPVDF劣化の程度の違いを調べるために、VC未添加品と添加品の電解液を用いた高温耐久試験(0.1Cで1サイクル充放電した後、65℃、室温でそれぞれ、4.2V, 72時間保存)後の正極合剤のPVDF不溶化率を調べた結果を示す。

図9 高温耐久試験後の正極合剤のPVDF不溶化率

 セルを組む前の正極板でのPVDF不溶化率:8.7mass %に対し、高温保存状態でPVDFは不溶化が進むことがわかった。またVC添加により不溶化率が下がることから、VCで形成されたSEI皮膜によりPVDFの不溶化が抑制されている可能性が考えられた。

5.おわりに

 本稿では現行の市販LIBの電極バインダの組成分析、電極合剤層でのバインダの分布評価、バインダの劣化分析について、紹介した。 正極バインダとして、今日までに普及してきたPVDF/NMPの溶剤系は、環境への負荷、コスト面などで、今後、水系バインダに転換していくものと思われる。そのような状況のなかで、水系バインダとして使用される材料の評価項目として、スラリーの分散性評価、バインダ樹脂の劣化評価など、問題解決に繋がる分析機能を充実させ、お客様にとって有意義な分析評価サービスを積極的に提案していきたいと考えている。

6.参考文献

1) 佐藤登、吉野彰、“リチウムイオン電池の高安全性技

図 7 GDMS による正極板合剤層中のデプスプロファイル

図8 PVDFのポリエン化反応

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東レリサーチセンター The TRC News No.117(Sep.2013)・37

●[特集]リチウムイオン電池(8)電極バインダの各種分析

術と材料”、シーエムシー出版、p.92-103.2) 大 槻 亜 紀 子、 森 脇 博 文、The TRC News, 65, 27

(1998︶.3)藤田学、森脇博文、The TRC News, 108, 40(2009).4)青木靖仁、The TRC News, 112,26(2011).5) 菅原秀一、“リチウムイオン二次電池の電極製造とバ

インダ”、工業材料2011年2月号、p.79-86.

6) 島岡千喜、森脇博文ほか、第16回高分子分析討論会要旨集、p.48(2011).

■森脇 博文(もりわき ひろふみ) 有機分析化学研究部 有機分析化学第1研究室 主任研究員 趣味:サッカー観戦、お笑い