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Meiji University Title �(�)-�- Author(s) �,Citation �, 1(2): 101-126 URL http://hdl.handle.net/10291/12822 Rights Issue Date 1950-06-30 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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Meiji University

 

Title経済政策学の根本課題(其ノ二)-マックス・ウェーバー

の社会科学方法論に関連して提起される政策諸問題-

Author(s) 野田,稔

Citation 明大商學論叢, 1(2): 101-126

URL http://hdl.handle.net/10291/12822

Rights

Issue Date 1950-06-30

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

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経濟政策學の根本課題(其ノニ)

一纏濟政策學の根本課題一101

マヅクス。ウエーバーの肚會科學方法論に

關聯して提起される政策諸問題

浸債値性理論の展開

講壇肚會主義學派は、既に述べた如く倫理的慣値制鋤に基礎づけられた政策目的の客観的妥當性を信じて、積極的経

濟政策を立案し、國民維濟の調和的農展に努めたのであるが、一九〇九年、ウィンにて開かれた砒會政策學會で徹底

               (一)

的な批制を受けるに至つたのである。講壇甦會主義學派に封する理論囲孚は、一般に「慣値制断論事」として知られ

                                        (二)

ているが、その論争の契機となつたのは.言うまでもなくウェーバーの淡慣値性理論である。

 ウェーバーは、維濟學方法論に封しザ、次の如く述べている。 「歴史的に先づ、経濟學は實践的観黙から(〈○昌

燈悉犀鼠ωoげΦ口OΦq・搾窪ωO虞昌聾⑦ρ) 出護し、 「あるところのもの」の認識と「あるべきところのもの」の認識に開

する原則的分類(Φ貯・寓欝嘗亀①。。9⑦一9轟く8甲ぎ8芭ω鮎霧《°。昏鼠窪》巷qα①ω《°。号ω亀Φ午

α磐》.)を行わなかつた。それは、欝學に於ける臨床學と同じく「技術」 (日①oび昌騨)であり、國家の特定の経

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102叢諭學一一一 、

.濟政策的方策に關する慣値判噺を産みだすことがその第一のまだ差當って唯一の目的であった。 (芝①辞口洋Φ置口σΦ村

びΦω怠日ヨ8琶貯鉱oび9◎胤80嵩け圃の⇔窪①冨鋤ωωβ四ぼ8Φロ幽①ωωけ四緯①ωN信℃村O繕⊆陪①8P芝90弓貯同謬似oげω叶2偉口αN偉

口930ぼの仲①貯虹ゆqΦ同N≦①o犀) しかして、次に不攣的に同質の自然法則、それから経濟的経過の一義的畿展原理が支

配的となD、「あるべきところのもの」・、」「不攣にあるもの」(自口9。σ飲益興嵩oびQQ臥o鄭αΦ昌)、更に「不可避的に生

威するもの」 (鐸口く①憎日①剛畠一凶O口 宅①村畠Φb q①b[)との一致という見解が生じた。それから、歴史的感畳の畳醒をとも

なつて、吾々の科學を倫理的進化主義と歴史的相封主義の結合が支配するに至った。 (ヨ淳O①琴団叫≦900び⑦口島Φω

ぴ同ω仲O臥ωOロΦ昌Q自凶口口①ωぴq①妻黛}昌口住餌昌昌詳q口ω⑦民Φ村 芝凶ωの①ロOぴ①津①貯Φ 内O日び凶旨自o鉱O昌 くOPO什霞ωOげ2β

団くo疑鉱o巳ωヨqωqPΩびδ8民一ω9①ヨ幻o訂猷くδ目詳ωa①国⑦疑゜。07僅悼) しかして、それは倫理規範からその形

式的性質を剥ぎとり、文化慣値の全膿を倫理の分野え引入れることによつて、それを内容的に規定し、國民経濟學を

経験的地盤に立つ「倫理的科離」と言ヶ威嚴にまで高めんと努めた。又は、あらゆる文化理想の全盤に「倫理」のス

タンプを用意することによつて、其等の理想の袋當の「客槻性」にとつて何等うる所なく、,倫理的命令の特種な威嚴

 (三)

を失つた」。

 かくして、 「國民経濟學が或る特殊な経濟的世界観から慣値制断を産みだし、叉産みださねばならないという不明

瞭な見解が含省磯していないのみな享・特に實漿の間に贋く流行している」・(鱒のごとく・之ーバーは

経濟學方法論に於ける自然主義、歴史主義等の立場を批判し、維験科學としての経濟學の正しい「在り方」を究明せ

んと企てたのであるQ

 経験科學は、 「人は何をなすべきであるか」 (毛鋤ω①村ωo=)を決して教えることができす、豊・に「人は何をなす

ことができるか」(ぐ引鋤ω O圏閑90吊口)、或は事情にょつて、 「人は何を欲するか」 (窯動ω窪毒鳶)を教示するズ過ぎ

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一一 y濟政策學の根本課題一一一103

 (五)

ないqたとえ、規範的に安當するものが経験的分析の封象となることがあっても、それは、その時既に規範的性質を

峡薮「あるところのもの」として(・。一ω。ゆ一①⇔α)取扱われ、「窓田するものとし三(餌一ω・・μ一け芭取磐れな

い。從つて、’経験科學は規範的に侵當するもの、或は實践的偵値州P断を取扱うの・ではなく、 「経験的現實の思惟的整

序化」、畠oβ犀Φ口鋤ΦOa口q口ぬα段①ヨ冒凱ωoぴ9斗凶鱒団oび閑oぽ)を行うに過ぎないのである。このような経瞼科學の

領域を踏み越えて、當爲繭に債値判噺を行うならば、それは許され難い悪業である。蓋し、最高の慣値快定は、人々

の信仰(O一§oqびΦ)、 世界観(名Φ犀Ω2Pω。ず£o自μ昌伽q)良心(OΦ≦坤ω゜Do口)に基くものであり、慣値制断の主膿が或る凹取

高の規範を受取るかどうかは、その人の「個人的用件」 (ω似けo”①屋o口嵩oぴ①〉昌ぴq9①鋤q①口げΦ謬)であり、意志の問

             (七)                       .

題(閏域ΩこびΩ① ωΦ一口①♂く〔晶一①鄭ω)である。しかしながら、このような個入的世界観、信仰ぼ學問的論議や因果關聯の軍

純な解明の内に容易に侵入する危陰がある。勿論、か瓦るものが、各々の個性の領域において、各人の▼全O自ゆ叶びoωを

以て語られる限り、それらは各個人にとつて絶封性を持つのであろう。しかしそれは、既述の如く「個人的用件」で

あり、経験的知識の問題でありえない。實際、或る問題に封する肚會政策の特性は、癒術的に設定された問題から答

えられるべきではなく、問題が文化の一般問題の範園に入り込んでいるために債値基準それ自艦のために相争い且っ

相闘訟ばならない所に存在するのである。從つて、專門家達にさえ信じられているが如く、 一定の原理を設定し、そ

れ、科鵠に審する鵠冷て確認し、個.の實践腿を蟹するために規讐其崇ら義的に推論す嚢とが

できると老えることは29ρぞ智93叶である。

 政策問題が一般的となればなる程、又文化意義が嬢大すればする程、経験的認識の材料から∴義的回答を求めるこ

とは盆々少なくなり、信仰や慣値理念の究極の、最高の個人的公理(急⑦8け§⑦口犀ooげ曾℃Φ思ωo口嵩oロΦP》臥o日Φ

駐。ぎ舅巨ぎまΦ邑が釜棄く遜う考になる・(九)

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104叢論畢商

} 世界観は決して、叢展する経験知識の産物ではありえない。 (。。・≦、Φ洋9ユ鐸ωo〆90信自ロぴqΦ口”圃Φヨ艶ω℃『oα⊆貯汁

』o辞のo伊同Φ蹄Φ口αΦロ国帰蜜犀目賃5ぬω名圃ωψ①βωω飢口犀αづ昌①口)吾々にとつて紳聖である最高理想は、吾々の場合と同様

                                                (一〇)

に、他人にとつて聯聖である他の理想との闘箏において(帥ごP ㎞(90葭O頃 目P圃け 田づq①同Φロ 一島Φ聾一Φ口)のみえられゐ。し

かして、,諸々の債値、理想は、恰も神と悪魔(Oo詳ロ昌α円①珪巴)の様に架橋し難い死物狂の闘箏を行い、其庭に

何等の婁協も見出すことができない。蓋し、彼等の岡争もその擦り所とする最高の理想如何によつて、 一方は悪魔と

なり、他方は神となるからである。しかして、吾々は生活の全秩序において、紳と悪魔の立場を自ら決定しなければ

                               (一一)

ならないが、その決定は、結局各個人の世界観、信念によつて行われるのである。

 以上の如き没償値理論を主張するウニーバーの主要な關心は、言うまでもなく、規範としての實践的命法の妥當性

(eoOo界qロ跨Φ貯Φω娼居99犀け帥ωoロ①昌國ヨO①塊登o猷くの負◎ぢ20居B)と維験的事買確立の眞理的袈當性(象①芝90げ〒

                                     (一二)

ずo騨ω瞬色ε口跨Φぎ興①日冒一鼠ωo悶o”日緯ω2。9①段①鴇ω叶①=q口瞬)の嚴格な匿分でめる。從つて、シュモラーをはじ

め講壇肚會主義學派に局する人達の様にこの爾者を混同して、同一地盤に於いて観察し、あまつさへ科學の名におい

て、實践的債値刹箇を行うことはウエーバーにとつて慰び難いものであつた。

 倫理的規範を具騰的に援用する場合、倫理的進化主義者の考えるが如く、絶封的正さに,おいて一義的にそれを認める

ことは不可能であ・る。「正義」(Oo村ooぽ鉱ぴq犀Φ搾)の要求の蹄結は如何なる倫理にとつても…早一に決定することができ

ない問題である。 「たとえば、人は多くのものを寄興する者には又多くのものを蹴ハえる義務があるか、又反甥に多く

を寄輿することができる人から又多くを.要求するか(oげヨ鋤口N°切゜鳥①葺曽島窪乱Φ=蝕ωけΦけ螂鋤億oびく凶巴のoげ巳l

OΦ計O島Φ吋偉Bぴq①犀Φぴ辞くO口島①ヨu島Φ目く貯回δδけ①ロ犀9ゆ⇔ロ層20ロoぼく坤皿hO塊島①辞軌・・)或は、科學の名におい゜て、

たとえば、人は偉大な才能には又大なる機會を與えるべきか、又反封に、その軍なる所有によって、既に一っの恵ま

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一濟政策學の根本課題105

れた優越感を與えうる才能が世界において、伺よりよき機會を自ら利用しえないことに甥する嚴密な配慮によつて、精

紳的天賦の不.李.等な配分の不公.李を均等にすべきか」(oげ]β山口巴゜・○鉾じd°陣ヨ宕9ユヨΦ口α①同OΦ同Φoげ口7q犀①同掌3

q①8帥q同Oω④Φ口↓巴①昌け2ρ¢Oず瞭『○ωωびO困類昌OΦ口ぴ毎α口口①旨ω○昌①、20びΦ噌Oび日Ωρロ偉ヨ窃q①貯①げ居け…αδd5騎Φ同Φl

Oぴ鼠範8騨α①H賃昌ぴqざ圃Oぴ①ロ<⑦詳①篇q⇔瞭α①冠ぴq9ω凱騎Φ口O譜σO昌四詳ωN二槻『冒置①口げ9Ω犀①島¢『Oびω電Oロツq①<○ヤ

ωO触ぴq①鳥鋤h口び鳥鋤ωq摩畠聾g自目巴Φ口戸α①qロqαΦ口ぴ一〇92ωΦ吋切ωω搾N智ω070昌2資び①財Ω一口O渥屏Φ口αΦω勺hΦω菖伽qΦりqΦ怖⇔げ一

臓ΦσΦ口閃α⇔資9巳o馨鋤織oびωΦ貯ΦげΦωω窪Φ鐸O騨糞ΩβoΦロ言画Φ村≦-Φ冨葺巴匂自剛oげ憂ρ障ω”9NΦロ貯α⇒嵩①゜) どうか

                  ノ

は倫理的諸前提から決定されない。更に又個人的行爲の領域において、「基督者は正しく行爲し,その威果を神にゅ

だねる」(])①弓 Oロ吋凶ωけび聾¢α①同け目ΦO置件9口鳥ω叶①H犀αΦ昌国冠眺O一鐙 ○○けけ皇畠βげ①凶8) という原理を以てその倫理的

行爲の正當化は充分であるか、或は、可能なるものとして、又蓋然的なるものとして豫想される行爲の結果に封し

て、行爲がその結果の倫理的非合理の枇界え織り込まれる原因と゜なるにしたがつて、責任が観察されねばならないか、

どうかは倫理學の解決しえない根本問題である。肚會的領域におけるあらゆる、過激な革命的政治行爲、就中、 「サ

                                           の

ンヂカリズム」 (ω団ロ&冨房口器)は前者から、母らゆる「現實政策」(図Φ鉱Oo嵩鼠閃)は後者から出叢している。

爾者は倫理的原理に基くものである。然しながら、此等の原理は、純粋にそれ自らに基く論理の手段を以て簡軍に決

定しえない永久の軋礫の中に互にあるの’6ある。 (》び興&①ωΦ寓2ユ首葺①口嵩①ゆqΦロ隠暮霞Φ貯9畠ロqo同置①≦督o昌

                                                   (=二)

N≦団ωけh興B騨自①ロ】≦詳評包①ぎ㊤器ぢぎω8江ω巴げ馨び窪gげΦβ餌ω⇔国什げ涛ωOび一ΦOげ叶裁昌q口2ρ信ω寓鋤顕含び2◎巴一のけ)

ウエーバーは、このように論じて、倫理的規範を簡箪に慣値制噺の基準とする人々に謝し非難している。

 更に、ウェーバーは、以上の論述に關聯して學問の本質、或は講堂におげる躍問の「あり方」や學者の學究態度等

に就いて一貫した意見を述べている.                              °°

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106叢一論學一商 學問は事實、諸關聯の自 覚並びに認識(QQ①管ωけびΦω貯口信ロαq¢昌q国同閑o昌口巳δけ9ρ櫛ω似oげ嵩oびΦ塊N隣ω讐β日Φ口び轡騎Φ)

に仕えるに過ぎす、その職分は先づ、「人は如何にすれば、生活、外界の事象や他人匹行爲を豫測によつて支配でき

るかという技術に關する諸知識」(姪o嘗9δωo口びΦけ儲圃o日Φoぽμ涛)、第二に、 「患惟の諸方法、その拓めの道具

と警誉Φ。ぽ。山Φ口αΦのU①口貯Φ昌ω、自・9ω還曝①居⑳ψN①q勘餌口α島帥①・。・びq一q口・・ユ§)第三に扇筋(閑ξ

餐思擁勃購穀鑓額雛麓脚響鯵ヂ編藤製灘齢雛縮脚畷贈螺側躍搾凱

するという。とは、現在㌶堺における諸提秩蒙果。ない畢の中に投げ込まれていると幅う理由で無意肇あ

り、且つ不可能であるから。

 世界における慣値秩序は決して、一義的なものではなく、無数の慣値は永遠に闘い合つてつきる所を知らない。或

るものは美しくなくとも紳聖でありうるぼかりではなく、寧ろそれが美しくないが故に、又それが美しくない限りに

     ノ

おいて、それは神聖でありうる。

 又、ボードレルの》固Φロ話匙億言毘《 のうちに見出されるように、或るものは善でないが美しくありうるのみ

な享、それが善でない限りに蓼て美しくありうるのであり、更に、或るものが美しくも沖聖でも又善でもなくし

て眞でありうることもあP、美しくも神聖でも叉善でもないが故に眞でありうることもあるQ

 かくの如く慣値の耐はそれ自身多紳的であり、簡箪に秩序化することは許されない。フランス文化とドイツ文化と

は學問的に比較す乃ことはできても、爾者の内いつれが慣値多い」ものであるかは如何にして決定されるであろうか。

「人若し汝の右頬を打たば左を向けよ」、「悪しを者忙抵抗せよ、然らすんば汝はその者の共犯者となるであろう」と

の教訓噛守らんとする時「人はそのいつれを取るべきであろうか。從つて、入は、實践的、政治的に立場をきめるこ

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t-.t-一 Z濟政策學の根本課題107

と、(℃民鋤犀什一ωOずー》〇一一叶凶ωOず範 ω叶O一一qβ㎎bgoずヨ①)と政治形態や政蕪の立場に封する學問上の分析(毛貯゜・Φ昌ω9纏藏-

9Φぎgξω⑦℃。壽。蜀。・竃号邑勺・量・邑・轟)との相違を忘れてはな象い9換言すれば・妻

の確定、師ち、鍛學的、或は論理的事態如何の確定、或は文化諸財の内部構造如何の確定(↓自o叶ω9ρoぴΦ口脇Φ警簿o=信口鋤qu

悶①ω件ω件。身旨∞q曇§。夢Φヨ9ρ瓜ω9臼o&2♂伽q凶ω9霞Qo虻9〈曾冨冨鼠①吋営昌興窪 ω霞舞伴霞く象肉巳け葺ぬ口

叶①脱昌) と文化及びその個々の内容の慣値如何の問題や人は文化髄會や政治的諸團謄の内部で如何に行爲すべぎであ

るかという問遜に封する解答(臼① bdΦΩ。韓≦o耳q口αqα鶏悶『飴ぬ⑦ロ鋤oげα①唐芝①誉αΦ同囚β】ε吋 q口α浮村Φ弓

Φ冒NΦぼ2冒犀巴8口昌Ω◎節口鋤魯”≦δ日四昌言ロ①誉90ま畠Φ陛内巳叶霞びq①5①貯ωo冨津q口α鳥興℃o犀坤ω9魯

く霧ぴ93口q①9昌αΦぎのo=①)とは全く異質的事柄であることを辮えなければならない。

 かくして、一般に政治的集合場等において、民主々義を論する場合、勿論自己の個人的立場を公開することは許さ

れるが・少くとも學問を取扱う講堂に於いて、同じく民主々義を論する場合は、その各種形態や行動、或は肚會生活

  り

に封する影響、更に其の歴史的意義や非民主的政治秩序との比較等を取扱わなければならない。もしも、講堂におい

て》象①目鋤け゜。鋤oび①昌ωO村①09三9、ωωけ《といヶ建前を無覗して、自己の世界観、信念を學問の名において論する者

があれば、彼籔しては》。・奪量…鼠α一・。羅・毫邑憲鍾一露《と言誼ばなら加癌)講

堂において、自己に醤する批判者として璽はなく、箪に聰講する匿過ぎない人に樹レては・自己の人格を事物の後に

隠し、個人的感情や欲望をおさえて唯教師として語らなければならない。帥ち、講堂における學生は課目履修のため

に出席しなくてはならす、又静かな察氣を維持しなくてはならないが、若し…教師がこのような學生の條件を無視し

て、自己の政治的見解を正しいものとして學生に張制し、情熱を以て彼等を自分の方に引寄せるならば、教師として

無責任な行爲と云わねばならない。酪の霧は量蒙邑Φ寄゜拝藝゜量;守ることであ堕墾簿

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108叢一一論學商

「ける教師は飽迄教師とし.てぼあつて、指導としてゴはないのである。

 しかして、以上の如き學問の淡慣値的規定は近代資本主義の高度の磯展過程において現われる主知主義、合理主義

の專門化の一般的傾向から引出される必然の灘結である。

 學問は今や嘗てみられなかつたほど專門化の過程に到達し、學問上の仕事の完成は樹り自己の專門に閉じ籠もるこ

        、    (一九)

・.

vによつてのみ期待されるのである。しかして此の專門化された學聞に「技術と」「算定」とが何千年にもわたつて・

                                        

西洋文化に縫承された鷹法の紳秘に代わつて仕えるに至つた。今口、學問は「眞の實在えの鴬」(芝Φ帥qN離ヨ黒鋤冨9

。。

Eε、「眞の藝術えの道」(名終窪惹言2内毒巴「眞の自然えの道」(芝超N霞惹幕皇鋤§).・

「眞の神えの道」(謬・§尋尋婁)、「募幸幅えの道」(憲霞≦鋤ぎ雲&で趣蛎)

 學問の前提は「それが知るに値すると言うことである。此底に「知るに値する」と言ヶ意味は何か技術上の目的を

蓮成するために「知るに値する」と言うのではなく、寧ろ學問を以て自己の「天職」とする以上、 「學問それ自身の

ために知るに値する」と言う意味である。然しながら、勿論この「知るに値する」と言う學問の前提は學問自ら誰明

                 ノ

することはできない。 「學問の取扱う世界が存在するに慣値があるのかどうか、又この、世界が何か意味を持つかどう

か、或は又此の世界に生き宥ことが意味があるかどうか(Oび島ΦωΦ芝2『 巳o畠鴇oび陛①皆①炉 〆く①陣δ8N遣

①箆ω鉱o弓①口…ω一Φ①営Φ⇔》QD一昌口《ぴ舞噂qφqoσ$o貯Φ口ω冨口埋9。叶貯洋弓N露o性ω凱興①口)は學問的に論讃

しうる問題ではない、

 たとへば、瞥學に於ける基本的前提は生命の保持、健康の維持、苦痛の輕減等と規定されるであろう。從つて、患

者自身が死を願い、近親者達もあからさまではなくても彼の死も欲する場合でも醤者はあらゆる手段を蓋して彼の生

命を守らんとするのであ為。要するに瞥者のか、る行爲は醤學の前提と刑法とが患者や近親者達の希望を入れること

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_輕濟政策學の根本課題一109

を讐者に禁止することによつて行われるのである。しかしながら、生命を保持することが償値があるかどうか、叉如

何なる場合そうであるかと言うことは馨畢の論澄しうる課題ではない。又法律學は、一つσ法規或は解繹の方法が如

何なる場合に有効であるかを規定するのであるが、法律は與えられるべきかどうか、或はその法規の設定は愛當する

                                             ロ

ものかどうかの問に封して何等返答することはできないのである。又歴史的文化科學は政治、藝術、文學、肚會上の

諸文化現象をそれらの磯生條件と結つけて理解させるのであるが、 「此等の文化現象が存在するに償したか或は債し

ているか」、 (○ぴ島oのo閑償犀ρ器噌ωoず9ロ賃瞬o口窃♂く①詳箋頒触①口信口Ωω5。ロ”N信び①馨Φげ窪)或は「其等を知る

ことが努力に慣するか」(Oσ ①ω畠Φ目 り島口ず①♂く①Hけ一ωけ.ω圃① N口 犀O口口Φ昌)等の問に樹して歴史的文化科學の立場か

ら答えるαとはできないo

歴史的文化璽の覆隻化人の審旱興することが興味ある籍であると言うこと菱靱・勿論・それ餐際

に興味あるかどうかは學問的に論讃されるものではない。

 かくして、あらゆる學問の分野において、究極の慣値公理を引き出すことは不可能であり、且つ課題でもない。

 世界の償値秩序は永遠に和合されす、紳々は相互に激闘を止めることはない。しかして彼等の圖孚にきまりをつけ

るものは結局、「運命であつて、決して學問ではない。」今日、最高の、且つ最も紳聖な諸々の慣値は全く公衆から

                     

後退し、或は神秘的生活の隠れた貰の中忙、既は又人々の直接の交際における親睦の中に引蓮つているが・これ

は合理化、主知化、暫貰の難か・の解放が行われてい・現在の宿命である覆先て新たな彗筒章救篁の出

現を待ち焦がれても何等の釜も現在見出すことはできない。寧ろか㌧る態度を改めて、自分の仕事に専念し、人間的

にも鍵的に亀゜a①§α・量↓勉器握わなくては鉱加鴨      、

 以上の如き没慣値性理論の主張は責任倫理に立つ人格者と七て生抜かんとするウェーバーの眞摯な叫びであり、物

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110叢論學一商質化の奔流が贅本主義の宿命とし♂、迫り來る時、深くその宿命を直硯し、95らしくそれに耐え忍び、その要求する仕

事に專門的に専念する勇氣と情熱を持った人の必然の要求でもあつた。

 現在の如く、就會そのものが矛盾し、分裂し、錯綜すればする程、盆汝自己の信念や世界観を以て恰も永遠に愛當

する眞理の如く振舞う人は多くなるし、又紳秘的魔力を以て人々を魅惑する豫言者や、救世主の数も多くなつてく

                                               ド

る。更に、肚會がこのように不安定にして、混餓している状態においては、人々は畜目的に一つの立場を取ることに

                    ■

よつて心の動掻を和げんと努め勝ちである。償値秩序の混沌としてつきる所を知らない今日、或る人は猫噺的に、或

る者は狂信的に、又或る人は感情的にそれを統一して、自己の抱く神の絶甥性を主張する場合が決して少なくない。

しかして又、か峯る現在の一般的傾向は講堂において全く認められないと断言することができようか。

 か』るとき、時代の宿命をまともに見るこにができす、回遜せんとする入々の弱さを識め、徒に豫言者や救世主を

求める人々の無釜を設いて、飽迄貯叶巴一犀ε①鵠①肉Φo犀けωo冨睦①昌ぴΦ搾を守り、時代の要求する仕事に專問的に專念

すべきことを強調するウェーバーの論旨に學ぶべき所少なしとしない。其庭に又、ウェーバー研究の現在的意義が認

められるのである。

 しかし、それだからと言つてウェーバーの没慣値性理論を全面的に肯定することはできないのである。ウェーバー

の没便値性理論は既に述べた所の「個人主義的」「相封主義的立場」から・王張される當然の饒結であるが、其等の立

場その物が必すしも客観的に袋當するものとは限らす多くの批刹を受ける以上、渡便値性理論も又當然或る種の批制

と修正とを必要とするものであろう。又この没領値性理論はウェーバーの「方法二文主義」「構域読的認識論」「主

墾義」等の諸立場と霧禽係を彗所の聖墾垂「程人」の立場藻く基礎付ら墾い楚五)

 ウェーバーは「債値制断に甥する考慮を決定するのは科學的に不可能であり、それは意欲する人間の課題である。

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濟政策學の根本課題111

                          (ご四)  °°°°°°

(Φ箭①》無騎9σo畠Φω芝oばΦ昌ロ①昌】≦①口ω6げ)といつている。從つて、意欲する人間の課題である慣値制断は経験

                          の   

科學として肚會科學から排斥され、何等の意欲をも持たない認識主観の理論的慣値關係がその方法論の基底として援

用されるのである。山ツェーバーにおける枇會科學の先験的前提は既に知つた如く、「世界に勤して意識的に態度を取

り、且つ其れに謝して意味を與える能力と意志とを持つた文化人」であるが、この文化人は、從つて此塵において、

                                

何等の實践的意欲を持たない主知主義的人間と規定されるものである。しかして、現在においてか』る人間観が眞に

正しいものかどうかは又批制槍討の飴地があるであろう。 (此の事に關しては次の機會に論及する豫定である)

 ウェーバーをしてか」る立場を取らしめたものは、究極の所、資本主義の亘大な奔流の中において、時代の蓮命を

運命として諦観して省生活しうる可能性ではなかつたろうか。現在を肯定し、其れを運命として甘受することよP、°

時代の矛盾、錯綜を積極的に解決しなくてはどうにもならないということが現在の宿命ではなかろうか。

 一八五〇年以後の猫乙資本主義経濟の飛躍的磯展過程において、大産業資本が濁乙國民経濟を支配するに至つたが

彼等が世界市場に於ける経濟競事に勝利を獲得するためには、あらゆる面において産業合理化を徹底することが緊急

の課題となり、ミュモラー,を代表する講壇肚會主義學派の諸経濟、肚會政策がようやく「産業犠牲」として逼思識され

    (二六)

るに至つた。

 講壇肚會主義學派の諸政策を否定する渡慣値性理論が結果的にみて、大産業資本を擁護することになったが、その

ことは軍なる偶然として槻察されたり、或は叉無理なかこつけと老えられたりする事柄であろうか。意識的であろう

と,無意識であろうと兎角淡領値性理論の主張者逮が大産業資本と何等かの意味で密接な關係を持つていたことは見

逃すことができないであろう。

 濁乙マ.ンチェスター…學派や講壇就會主義學派の勃興、叢展、沿…滅が畑胸乙資本主義経濟の磯展過程と一致するのであ

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112叢.一論學商

るが、濃慣値性理論も決して例外をなすものではなく、猫乙資本主義経濟の高度の成熟過程に基礎付けられ、その磯

展、消滅は資本主義そのものの必然的攣遷に規定されている。

 かく考えれば、没慣値性理論は決して絶封的眞理ではなく、資本素義経濟の歴史的一段階に於ける相封的要當性を

持つに過ぎないであろう。

註一、

註二、

註三、

註註註六五四’   、  ,

一九〇九年、ウイソにおける肚會政策墨魯の席上、ブイリヅポヅイヅチの護表した論文「國民纒濟的生痙性の本質とそ

の測定の可能性」を中心として僧値馴噺論孚が行われた(ω魯凱騨Φづα①のく賃巴話h霞ωO臥巴やo峯ぎbσ9 ら。N 参照)

没便値性理論…の主張渚は、ウェーバーの他にソソバルト(≦べωo筥び鋤二)、アドルフ・ウエーバー(》島O罵尋oげ①同)、

ルドウイヒ○ボーレ(ド昌α謹凶鴨男Oぽ一Φ)、ユリウス●ウォルフ(匂巳凶償砂零O罵)、リヒアルト・エ、レンペルヒ(男凶Oげ9『鳥

国げ婦①コぴ霧σq)等多数であるが、特にゾソバルトはウエーバーと共に浸贋値論者として有名である。彼にょれば、慣値判

臨はウイソとペルリンと臨何れが美しい都市であるか、という問題と同様に主観的到断に基くものであり、科學的認識

の測錘が達することができない程深い世界観の問題であり純瞼科學の課題たりえないのであるo(ωoぽ覧h観昌島Φωぐ①鋸ー

筥ω 凄触ωo瞬置69碧貯℃関q°嵩N°ψα①O) 更に彼は、コニつの纏濟學」に於いて、規範的輕濟科墨・の方法論を批判

し、債値羽蜥は、究極において、超絶的であり、形而上學的意味においてのみその妥當性が孝えられるに過ぎない。便

値判断は元來非謁明的「

言・白9①ひ冒Φ 〔09①匹才凶↓讐〕moN笹註・・ω魯霊冨津寒冨Hロ・のoN芭bo三鴨oゴ臼申ざ導齢巳響O①ω゜》二楠。-°賊 ミ゜

い゜響ω。 Hαμ

pー°9ユ゜ O°⑩゜はO°

po°簿゜ O°匂o.犀αH°

uΦコ凶嵩昌g円〔零⑦↓費而凶ぽ凶&。N。。。N乾。・,錠。ぴg。乱欝。昌。巳ω島魯ヨmの①幕g聾Φ昌u審ω゜匿hω゜N.≦°いご

                                                  ’

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一t. o濟政策學の根本課題_113

垂垂垂垂垂註註註註註註註註註註註註註酉ミti F弓夷夏E零巽亟≡i≡il三δ喚《-tl

              、 σ゜犀り

U凶o〔Oεo吋鼠乱鼠呂ロω≦憎ω゜顧一

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鋤゜9趣゜O°匂亀゜Hqもq

節蝋国゜Oらω゜国α幽ら

≦凶自・器房昏緯叶p。δ匂d胃三㌧ΩΦ摯距鼠の゜国゜碧゜6二ω゜課①゜

U①厭ω曲昌昌堕ω’心①9Q°

鋤゜pの゜6▼°ω゜蚕恥①『°

毛剛のωo旨ωoび餌津巴gロ匂09三噂ω゜靹心O°

p:°鋤゜◎▼°ω゜q㎝H°

節゜餌゜6▼°ω゜qAα゜

9°9◎°O°ω゜αA鼻゜

90°N°O°ω゜㎝恥Q9°

90°90°O°ω゜αωO°

鋤゜坦゜○▼°ω゜α海O°

9°9°6▼°ω゜頓A駆⊃°

po°餌゜O°ω゜αα劇゜

鋤゜pこ゜○°ω゜H窃O°

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114

詳{

�ワ、 出口勇藏氏、経潜円論叢、第五巻、第五號、理想型の理論、頁六六参照Q

註二六、 大河内一男氏、掲乙敵曾政策思想吏、頁五八四以下蓼照o

ウエーバー的政策學の構造

叢論學一商 ウェーバーによつて展開された波慣値性理論は政策學の科學的構成の可能性を否定するのであるが、しかし彼はそ

れによって、政策學そのものの存在を否定したわけではない。

 彼は「慣値制断が究極において或る理想に基いているが故に、それが一般的に學的討論の封象となることができな

いと決噺することは許されない。…b問題は理想や領値判断の學的批判が何を意味し、何を目的と引るか(≦9。ω

び・α器・巨び舅8葺一…§・彗・冒葬・邑α書:己遷君琶8)ということであ亀と

言つているQ

 帥ち、ウェーバーは政策學を全く否定するの容はなく、その存立要件、その領域等に封する再批制を試みることに

よつて、鷹用技術的政策學を形成せんとするのである。

 ウェーバーは政策學の課題に關して次の如く述べている軌

 政策學におけ乃學問的観察は先づ第一に、無條件に興えられた目的に封する手段の適合性 (Oo①茜昌Φ爵①騨α霞,

言帥洋包) の問題に樹して行かれる。・吾々は(吾々の知識のその時々の限界内で)如何なる手段が想像された目的を

達成するために適合し、或は適合しないかということを愛當的に確認することができるので・吾々は此の方法を以て・

一定の自由に魔分しうる手段愚(言#ぴ①ω戴言ヨ審口Nq呪くO鳳μ伽q郎昌ぬωけoゴΦロαΦ口 ]≦凶洋皿ロ) 】定の目的を一般に

逡成しうる機會を考察することができ、それ故に、その時々の歴史的歌態において、間接に目的設定それ自膿を實践

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一一 o濟政策畢の根本課題一_115

的に有意味なものとして、或は與えられた状態に從えば無意味なるものとして批刹することができるのである。

 更に吾々は想像された目的の達成の可能性(凸①]≦α帥q鼠oロ犀o騨α①同国民『①凶oげ⊆口ぴQ①厳oω〈O磧$8一犀o口N毛oo貯$)

が與えられたように思われるときには、當然常に吾々のその時々の知識の限界内で、あらゆる事象の全關聯の結果・、

求められた目的の蓬成の可能性と共に要求される手段の懸用が持つであろう所の結果を確認することができる。

 しかして、吾々は行爲者に彼の行爲の意欲された結果に樹する意欲されなかつた結果の考察の可能性(鳥δ冨α∞q罵-

,。冨簿畠霞〉σ茎碧轟魯ω①こ畠睾g§りq。瞬g象①mq窒亀§団。幕昌。。⑦幕ω国き量琶を示し、意

欲された目的達成は他の債値の蓋然的に現われる殿損の形態で何を横牲にするのか(≦「90ω》犀o°・けΦけ《&o国員Φ冒i

ず口口鋤qq①ω゜西Φ毒O目8口N毛Oσ屏ω一口O$け鎮叶q興くO弓9賃qo巴O算瓢O置①言嘗卑ΦPqΦ口く⑦昌①訂信口槻塑口q鴇①同ぐ4臼けー

                      、                   、

o噌)乏いう質問に封する答を提供する。あらゆる場合、この意味において、努力して達成される目的は何かを犠牲

にするし、又蟻牲にすることができるからして、行爲の目的と手段との考察を、責任をもつて行爲する人間の自己反

                       コ                                     ハダ

雀、 (ω①ぎ。。けびΦω凶b口鐸⇔りqくo同Ω●昌けミo洋=oげぼ田ロq①ヨα窪]≦①口脇oず傷口は決して無硯することはできない⑩ しかし

て、目的と手段との考察を可能なら七めることが、技術的批制の最も本質的な機能の一つである。9(①冒oα霧≦?

ω①口菖凶oぽ曾Φ昌団q昌犀鼠o⇔Φ口αΦ畦けΦoぴμ坤ωo犀Φ口内昌甑討)しかしながら、この考察それ自匿を選揮決定するのは科

學の可能なる任務ではなく、意欲する人間の任務である。.彼は問題とされる諸領値につき、己自身の良心と世界観に

從つて秤量し、選提するのである。科學はあらゆる行爲、或は事情によつては不作爲について、其等の結果が或る領

値のために窯派的態度を取ること、或は或る慣値えの反封を意味するということを意欲する人聞に意識させることが

できる。しかし、選揮を行うことは意欲する人間の仕業である。

 更に、吾々が意欲する人間のこの決定に封し與えうることは、意欲された物自盟の意義の認識(囚Φ謬馨巳ω αo目

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116叢諭學一一 、 ⇔σ①亀①ロ9口ηα。ωO①芝○=けΦ昌ω①ぎ馨)である。吾々は具膿的目的の根底に存在し、或は存在することができる理念

の指摘とその論理的關聯の叢展とにょって、彼が意欲し、そしてその間に彼が選揮する口的をその聯關と意義とにつ

                                  

いて彼に教えることができるのである。蓋し一部は現實的に、一部は想像的に孚われた、そして孚はれヤいる理念を

精肺的に理解せしめることが人間の文化生活に關するあらゆる科學の最も本質的機能の一つであるから、このごとは

「維験的現實の思惟的秩序化」を求める科學の限界を超越するものではない。

 しかして、又償値剰噺の學問的取扱は意欲された目的と其等の根底に内在する理念を理解し、追醗…瞼せしめるのみ

ならゆ、就申、批制的に「慣値刹断」するこどを教えるのである。この批判は軍に辮讃的性格を持つに過ぎす、邸ち

それは歴史的に與えられた慣値制断や理念に内在する材料の形式的、論理的刹断、意欲されたものの内的無矛盾性の

要求について(皿昌qΦヨ殉oωけ三90け仙o吋芝冠⑦鴨ω”巴信oぴω一〇毘ぴq渥Φ謬幽①゜o妻o昌けΦ口) 理想の吟味を可能にするに過ぎ

ない。

 慣値制噺Φ學問的取扱は更に、意欲する人間をして、その意欲の根底に内在する最高の公理、或は彼が無意識に出

磯し、又前後照懸せんとすれば、出獲しなければならなかつた究極の慣値基準えの自己反省えと手助けすることができ

る。しかして、具鰹的慣値制断において示される窮極の規範を意識せしめることが、思辮の領域に踏み入ることなくし

て、(o百ΦαΦロじdo幽⑦口α霞ω冨ざ一£。江○ロ遷9霞08ロ)擾制断の嵩叢扱がなしうる覆のもので襲・

 以上の如きウェーバーの見解は又、ポーレ(ぴ・℃O庄Φ)によつても同じく論述されている。彼は國民経濟學の「政

治化」を非難して、その維濟政策の學問的観察の課題を次のごとく規定している。

 その第一の課題は、個々の問題磯生の叙述ということである。これは,維濟生活に於いて、國家.干渉を生起せしめ・

或は少なくとも、一定範園に亙つて、國家に立法的要求を提起せしめる特種の経濟状態と螢展とに關する記述を意味

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一・一一一一一 o濟政策學の根本課題一117

するのである。

 第二の課題はρ企圖された経濟政策によつて必然的に生起する結果に關する研究である。しかして、この研究にお

いては、偶然的結果と必然的結果を顧別し、更に必然的結果と意欲された結果とを匠別して観察することが必要で

ある。その他、如何なる程度において、豫期され允結果と共に、豫期惑れなかつた、或は又意欲しなかつた結果が磯

生するであろうかを吟昧しなくてはならない。更に又、國家干渉によつて、企圖された目的が達成される所の條件を

確認することもその課題の一つである。第三の課題は、」般的な政策的、道徳的諸原理及び諸理想の読明である。

                                        ノ

科學の代表者は政策的、道徳的制噺の一定の基準を畢純に、恰も唯一のものとして實践家に陳述することは許されな

い。彼は政策的判断の基準を彼の研究の封象として観察しなげればならない。 (o『ぽ暮島①寓勉ω沼感ぴ⑦α①村娼o=1

募9窪切・巨Φ冒畠ω①一び曾巳冨δ①宣O幕簿ω①一口霧d・貫ω暮葺畠窪σ曾H碧馨9)蓋し科學は、所與

として假定された目的の達成のために、最も良ぐ仕えうる手段を適當に決定することは可能であるが、目的それ自匿

を.設定することは、人間の胱會酎活に於ける理想の軋礫の下にあつては・最早科學の課題ではないu (Ωoび①国山凶o

N毛①o脚ΦωΦぴωけNロoOo欝①P圃珍ぴ臥亀角N≦δωb筥鉱ぴq閑①搾.α賃冠①m宙山窃目①昌qoO包凶O拶O口O①ヨo貯ωOず鎖陣ω

                 (三)

冨ぴΦけω口簡Oびけ導Oげ『曲ず目①>qhαq£oげΦ)

 ’ 

以上の如きウェーバー、ポーレの論旨は結局、「技術學としての政策」(℃O犀鱒皿尻閑⊆口匂。二〇け目o)の主張に他な

らない。印ち、それは成果Xが所與として前提とされる場合、Yは唯一の手段であり、或は軌、恥、恥の諸條件の下

忙おいては、澱、㍉、㌔がそれぞれ唯ヅの手段であるということを純技術的に観察するのでみるゆ換言すれば、政

策に於け自的設定は呈欝理想や世界観暴くものであり・形而上學要「    (四超越的批別」)はそれ籔して罷

であるとしても科學的思惟の課題ではありえない。從つて、政策理想が所輿として、前提條件として取扱われる場合

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118叢一一論學商

におてのみ、目的・霞・の關係は・原因・輩へ還元・れるを以塗(所謂・①碁゜ぽぎ脚豊曼゜ω奪

・。毎翁)それに樹する技術的慣値別断が行われるのである。政策學鼠趾恥警かかる幕的分野においての

み可能である。

 かかるウェーバ.1の政策學に謝する技術學的規定は、波慣値性理論の必然の饒結であるが、しかしながら、これを

もつて政策學の「あり方」は充分であろうか。

 政策學の政策學たる所以は、現在の矛盾を克服し、新たな高家の存在えそれを誘導せんとする意識的努力に内在す

るのである。それは、理論が、輩に「あるところのもの」の認識であるのに封して、hあるところのもの」に立脚し

ながら、更に「あらねばならない鳩の」、 「なさねばならないもの」を確認し、それ詫よつて、現實をより調和的

に、且つ螢展的に止揚せんとする課題を持つものである。

.かくして、ウェーバーの政策観によつては、政策學の特性は充分認識されないのである。從つて、ウェーバーに從

いながらも、彼のかかる歓陥を補い,その特性を幾分でも生かさんとする試が現われるに至つた、

 ヴィルブラント(幻゜ノく出げN皇o口島け)も叉、ウェーバーと同じく、「倫理的債値制断は倫理に基礎付られた信仰の問

題で曽、科肇しての盟経輩叢扱・よ・な騒では餐・「蔑科學の馨は命令的規讐よつて・(慧

學の限界を)跳び超える危瞼が最早存しない程度に狭く制限すべきである」。 (b①H切oゆq円崖hα①H娼『動閑鉱ω9①昌

乏δω2の820津日βωωω02鋤q①言ぴqoぴq話コ醇≦oaoPO山゜。ω&oO①貯冨゜。⑦ぢ霞ω智o昌伽亀口口ぴq自貫9一日℃oI

                   〈七)                °

目,。什一く凶ω。津⑦2。鳳屋ロロ坤。げ什ヨσげ『ぴ①縫け謎つて、「罠経蒙は最高の晶を設定するという意味におけ・倫

理的慣値判蜥や規範を諦めねばならない」。-と述べている。しかしながら、彼はそれを以τ、國民維濟學が慣値制蜥

一般に封しくo村Nぢ買o”すべきであるとは考えない。

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一一 �Z政策學の根本課題119

 竪學においては、「患者の健康」を一義的に設定される目的として、其庭に何等の主観的評慣を行うことなく、純科

學的に、或は純技術的に研究が行われ、又工學においては、具匿的生産過程の技術的完成を基準として、科學的研究

がなされるのであるが、恰もこのような意味において、國民維濟學者も経濟という專門の領域で噌定の前提として、客

                                               (九)

槻的に誰明するととができる所の假言的慣値判噺によつて、倉實践家に科學的に忠告を與えることができるのである。

 しかして、かかる維濟的忠告をなさしめる純粋に假言的な慣値制断の可能性90言⑦ず同”o昏o江ωo犀oし⇔o堵Φ辞q昌ー

騎q・霞α鋤q岩9閑o騨)は経濟原理それ自謄の再自毘によつて認識されるのである。帥ち、「経濟は將來の意欲に封する手

段の用意をなす努力である」 (詔晒昌ω6びΩ。坤δ〔α鋤゜隣じ⇔①罠Oぴ①口”暮吋尻嘗づ津戯①ω名O目o昌9⑦]≦坤詳9び①比Φ謬噛障

 ず9Ω胃⑦旨)が、其等の意欲を充足せんがためには、人は先づそれに鞠して必要な手段を認識し、それを生産するとと

                          ’            (=)、  、

を學び、しかして、意欲された目的に樹する有限な手段を不足しないよう配慮せねばならない。意欲された目的に封

する必要手段の獲保、手段訣乏の防止如何は結局、目的達成の可能性の度合を決定するのである。,

 勿論、経濟的欲望を科學的に]義に規定することができない。それは、個人的にも、又時代的にも多種多様である

が故に、國民経濟學の干與しえない課題である。しかしながら、此等多種多.様な維濟欲望が如何に多くあつたとして

                                               、

も、°兎角、その欲望を充足せんがめたには必要な手段の獲保、訣乏防止が共通的に要請されるのである。換言すれ

                                り  ゅ   

                                        

ば、意欲された目繭それ自鰹の内に一手段の獲保、敏乏防止が共に意欲されたものとしてあらかじめ與えられている

ことは明かである。

 しかして、かかる 】≦90ロ鋤qo冒⑦浮葺信昌鋤qの欲求は、新たな維濟的欲望を意味するものではなく、それ自盤にあら

かじめゴ當然に内在するものであり亘つその慧的酸の分析の箪認識される理想に響㌍も

 しかして、意欲された目的に封しては、如何なる手段が必要とされ、如何なる程度において、その手段は獲保され、

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120叢一論學商

歓乏は回濫されるか、從って、その目的は如何なる程度において、達成されうるであろうかという專門家の技術的到

      、                     ρ           (一三)

闘が可能となる。それは言うまでもなく、純科學的刹噺に騒しているのである。

 かくして、馨者が患者に繋して行うが如く、國民維濟學者は以上の如き專門家としての判噺にょり、實践家に純科

學的に忠告を與えることが許されるのである。しかしながら、かかる忠告を實践家が採用するかどうかは、實践家自

身の問題であつて、國民経濟摩の問題ではない。

 以上は、ヴィルブラントの経濟政策の「慮り方」に…封する概詮であるが、彼も結局、ウェーバーを乖ハり超えるもの

壱はない。唯、彼は手段の敏乏防止を基準とする假言的慣値判断に基く專門家の忠告の可能性を究明し、其塵に政策

學の實践性を見出さんと努めたのである。しかし、彼も政策學の鷹用技術的観察に止まるに過ぎず、それ以上何物も

語る所がなかつたのである。

 次に、ヘランダi(ω゜国①冨昌鳥①巴)の維濟政策観に關して論及してみたい。

 彼は、一定の歴史的環境において劃一「般に希ましいものとして欲求される客観的便値が存在し、維濟政策學もこの

領値を基準として、客襯的に委當する政策を實施することができると考えている。

 しかして、彼は、純維濟政策の観貼から、その基準を國民所得と國民財産(<O涛ω①貯閃Oヨヨ①昌Fくσ涛゜D<窪ー

ヨα跨o口)の増加に求めている。しかしながら、彼も叉、ウェーバー・やブイルブラントと同檬に、究極目的に封す

る領値剰断の主観性を認め、 「私が今日、より大なる國民所得を選ぶか、或は將來において選ぶかどうか、或は國民

              -                      (】四)

財産を輕硯するか、或はその反封かどうかについて科學は決定することができない」と述ぺている。しかしながら、

             ざ

彼は又、 「今日の國民所得と國民財産を持績的に増加させることができないような経濟政策の乎段は、純経濟的一般

利釜の名において(一ヨ2笛旨窪山o°陰塗サ芝算のo冨隔岳9窪諺一一ぴqΦヨ①ぎ凶導窪oω゜・$)、.有罪であると宣言する

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濟政策學の根本課一題121

   (一五)

ことができる」と論じ、純経濟政策的立場における慣値判噺の客観性を(勿論,無條件ではないが)読いている。

彼量羨の如論述している。艶所得歯民髪の鑑は相吾關聯して・國民所得躍加は・國民財産霧

              ●

加を惹起し、又反樹に、國民財産⑳増加は國民所得を増加遷せるのである。しかしながら、國民所得と國民財産財産

                                                   、

のかかる關係は勿論、架室的に思惟される’べきではなく、特定の歴史的環境において観察されねばならない。

 正に、歴史學派が常に學んだ如く、特定の歴史的瑛境に封しては特種の理論が立てられるが、このことは歴奥的政

策に封しても叉必然的に愛當するのである。 (旨同α鋤ωげ⑦の凱目露叶①ぼ馨〇二ωoずo】≦凶嵩oq冨ωω磐鉱oげび①のOロ画-

㊤①↓σoo二①昌笛亀ω8置①昌」 毛δひq霧鋤α①蝕①嵐馨o昌ωoびoωゆび巳①減ヨ目魯∞亀o冷ぴ辞げ9ρ峠゜b鋤ω範犀9ユぴ霞

                                          ●

”Oけ均①昌O一訓qoN毒①δ①勉ρoげh口『a①冨ω8昌ωoり①bO劉¢犀)資本主義時代にとって、一般に多数の貴族的理想は歴

史的に問題にならない。 (h首鳳畠臼9ω閑鋤切溶艶凶ω煎ωOげ①No騨包け①吋瞬oヨヨけ似Uのぬ鋤昌N①陶①夢①ぐo昌鋤跡ω8屏HO鉱◎°1

                          (一六)

Oげ①口目qΦ驕9一①ロケ一ω什OユωOロロσ巽び皇oqづけ昌ざザけ一昌閃目皇oぬO口)。ノ

 資本主義纒濟において、國民財産のより以上の檜加は、その歴史的組織態の内に必然的に基礎付られているのであ・

つて、國民財産の増加を本質的に重要硯しないような経濟政策は當然拒否されねばならない。

 又高度耽檜大した入口が、若七國民財産の増加に有釜であれば、移民は強制的に阻止されねばならす、或は事情の

                            ヤ                       

如何によつて、為度に増大した人口が國昆財産の増加にとって、障害となるならば、移民は奨働されねばならない。

 人間が充分な衣食荘にょつて、より多重の生産を行うことができるという理由ではなく、盟・に人は充分食物をとり・

不足なく住むべきであるという見地から、人間に充分な衣食住を與へるべきであるということは,全く非資本主義的

観鮎(Φ貯αq皇ρ旨凶口昌堺§ρ℃#巴一ω怠のOび①「OΦ゜D瞬O馨qo憎沖昌閑叶)である。

 しかして,かかる歴史的環境に於ける(資本主義時代)純経濟政策が希ましいものとして要求する國民所得と國民

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122叢論學商

財産の増加は、経濟的一般利釜として、没慣値性理論の流行にもかかわらす、否定さるべきではない。

 倫理的経濟學の犯した罪は、 あらゆる罰を受けなくてはならないが、懐疑主義(ω犀ob賦鳳q。日ロω)から批制主義

(一(『一什凶N博ω昌P覧ω)へ移行した現在、一般的維濟利釜は猫言的にい所與として観察されたり、或は、懐疑的に簡軍に否

定・れたりされるべきではなく・職的にそれは究明され・且つ確響鷲ばならない琶

 要するに、経濟政策學に於いて、人が自由主義でなければならないか、或は又肚會主義でなければならないか、又

入は経濟的考慮によつて、導かれるのか、或は他の考慮によつて、導かれるのか、或は叉、現在に於いて維濟目的を

達威すべきであるのか、將來において達成すべきであるかどうかは、科學に關係ない事柄であり、且つ科學の決定し

えない問題である。しかしながら一特定の文化環境において、或る償値が多くの経濟政策家によつて、歴史に融合され

た文化債値として観察されるならば、経濟政策はそれを基準として或る種の客観的婁性を以て實施されるのである。

從って、経濟政策の目的は決して、多種多様であるのではなくして、特定の歴史的環境に於いて可能とされる政策目

             (一八)                           、

的が数的に制限されるのである。かくして、資本主義経濟において、一般に希ましいという假定的意味において、純

経濟政策の難から國民所得と國民畏の嬬が悪政策莚とレて考えられるのであ鎗・九)

 以上はヘランダーの経濟政策の大要であるが、これを以て、吾々は、ウェーバー、ポーレの見解と、それを繕承し

ながらも、更に経濟政策學の實践的「あり方」を確立せんとするヴィルブラントとヘランダーの立場を把握したわけ

である。

 しかして、彼等四人に共通した観黙は、政策學における目的設定は、最高の慣値基準が、主観的にのみ決定される

ので、政策認識の課題ではないどいうこと、從つて、政策目的が、既に前提として、無條件に與えられた場合にのみ・

純技術的意昧に書て、整認識は科學的に行われるという・≒更に・かかる意味に嶺㌣肇學竺種の技術

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_,F脛濟政策學の根本課題一一123

畢的性格を持つということなどであるQ

 しかして、かかる技術的政策観が正しいものであるかどうかは、既に政策學そ.れ自匿の基本的特性から批判したの

でこれ以上の論究は不要であろう。唯、政策學の「あるべき」構造は、積.極的に、「あるべきところのもの」を求め

て自ら政策目的を設定し、その設定された目的を現實に實現せんがために、それに關聯する技術的政策認識を不可避

に必.要するどいう方法で形成されねばならないという丈で充分であろう。勿論、ヴィルプラントやヘランダーは,そ

の企圖する所必す山もウェーバーと等しいものであるとは限らす、彼等の政策學に封する實践的配慮は高く語慣され

ねばならない。しかしながら、彼等も本質的には、ウェーバーの政策観を踏み越えるものではなく、迷路から逃出さ

んとして迷路に落込んだ感はまぬかれない。

 又彼等の實践的配慮それ自匿、何等の批判をも必要としない程充分なものではない。

 ヴィルブラントは「手段の敏乏防止」を中心に國民経濟學の忠告的「あり方」を読いているが,その際、この「手

段訣乏の防止」は、彼自身述べているが如く假言的意味を持っものであり、何等具艦的経濟肚會との事實關聯におい

て考えられているわけではない。

 維濟それ自髄、常に「手段の訣乏防止」を必要とするのであるが、経濟の行はれる「場」そのものが歴史的に憂化

する以上、此の「手段の飲乏防止」という概念な、從つて経濟枇會の歴史的磯展過程に基礎付けられねばならない。

かくして、はじめて、それは歴史的現實性を持つことができるであろう。

 更に、別な意味で、・「手段の歓乏防止」の概念は政策認識にとつて充分であるとは限らない。手段の維持、獲得、

その訣乏防止が如何に計書的に行われたとじても、「謹が」、「誰のために」・に其等が行われるのかという.所謂、政

策主膿の確認がなければ、それは無意味である。國民経濟政策學にとつて、政策主腿は個人に蹄囲するものではない

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124叢一一請學商

[                          こ   く   こ

から、「誰が」、「誰のため」にといつても、それは飽迄、・批魯的に規定されたものでなければならない。この黙、,ヴ

ィルブラントには充分考慮されていないのである。しかして、このことは又、ヘランダーについても同様に批判され

るであろう。.

 彼は純経濟政策の観黙から、國民所得と國民財産の壇加を政策基準としている0であるが、何故に、それが政策の

                                               の

目的として設定されるのか、或はされねばならないか。彼は軍に、或る特定の歴史的環境において、一般にそれが希

ましいものとされるから、と答えているに過ぎない。

 しかして、國民所得と國民財産の増加という目的概念を構成するヘラングーは、政策主鰹を深い考慮もなく、簡軍に

り つ リ ゥ

國民一般と考えている丈けである。

         、

 しかしながら、國民一般の中に,杜會的、、階級的樹立を見る現在、かかる抽象的政策主盟の設定する目的概念を以て

               ロ                                                                      

                                                    

は、親實の政策剰断の客槻的袋當性は與えられない。其虚に又、ヴィルプラントの場合と同檬に批會的政策主髄の現

實的認識が必要とされる。

 又以上の政策主謄の問題に直接關聯して、ヘランダーに封する重.要な批制が一つ許されるであろう。

 彼は特定の歴史的環境に規定された客観的目的の存在可能性について論及しているが、その際、彼はその特定の歴

         一

史的猿境を概に與えられてくo昌館5αoづするものとして、いわば、一つの前提的與件として取扱うに過ぎない。か

かる見解は,現在を無條件に與えられ允ものとして肯定する渡慣値性論者達の共通な思想である。しかしながら歴史

的環境は、それ自ら生威の過程に投げ出されているのであつて、ヘランダーの如く既に與えられて存在するものとし

て取扱うことは許されない。

                                    ピ    の       の

 一般に、経濟政策の目的が歴史的客観性を以て設定されるためには、経濟杜會の歴史的生成過程の認識、更に、其庭

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「                  の                                                            の              

に歴史的に規定される肚會的存在者の具艦的「あり方」に封する把握、更に叉、雨者間の規定と再規定の封立的關係

                         な                                      

に樹する理解、從って叉、その封立的關係に歴皮的に基礎付けられた實践的肚會意欲の洞察等が要請されねばなちな

            、

い。かかる諸認識を媒介とすることなく設定された政策目的は、それが如何に形式的に完ハ畠なものであつても、具艦

                    (二〇)

、的経濟政策の基準となることはできないであろう。

一一 j濟政策降の根本課題125

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註一、 蜜゜ぐ弔oげ①ひ  b°鋤゜ O°ω゜置O・

註二、 β。°”°O°ω゜匹り1嶺い

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註三、 い゜℃9①?9・O・ω・田b。1劇・

註四、 国゜ωoび餌oざ》『q鎚弓o葺畔9,一ω毛帥ω器塁oゲ緯早一∋H騎。町げ曽oげ葭ま弓Z馨一〇巳α貯o昌oヨ剛ω℃ゆ臼・Φ①・,慌堕

   彼は、超越的批判と内在的批到とを匠別し、・後者において、政策學の科學性を認めている。

註五、 ζ゜≦o角霞躯簿゜ O鴇ω躯㊤りi㎝OO°

註六、  幻・ぐ噸昌ぴ辱簿PΩ『OO吋O昌OB凶㊦・ω・μω1μ心・

註七、 U震くo閑ω鼠躊巴砿ゆ曾讐。目9円くo涛ω§詳mo9ゴω・b∂ざ

                ,

註八、 O㊦閃oコo旨δ噂ω゜戸㎝゜

註九、 O①犀Q口oヨ剛9ω・嵩・ゆΦ『碧σ弓℃ωつ悼担・

註一〇. O①ぎ昌o旨闘9ω・属・

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註一一. Oo丼言08酬Φ・?HQ。・ゆo壁けΦ守の・μ①・

註二一、 bdo周9ρけoびω・G。おー○。㎝μ・

註=二、 簿り9δ・ ○・の・らb。・

註一四↓五、 の・出①一碧Ωoさ∪冨》ロ終四昌oq。、窟篭h冨自曾類馨ωoげ跳謎≦一塗ω塁o冨潔・Qo・ε“。・

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126

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(未完)

本論叢のかなつかいは、各筆者のそれにしたがつて、全髄的な統】を行なわなかった。

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