経営者の裁量行動にあたえるレピュテーションの影...

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経営学研究論集 第32号 2010.2 経営者の裁量行動にあたえるレピュテーションの影響 The effects of Reputation on Discretio 博士後期課程 経営学専攻 2009年度入学 HIRAYA Nobuhiro 【論文要旨】 The purpose of this paper is to theoretically explain the relations cretional behavior. Reputation has been defined as intangibles wh mance and competitive advantages. Many empirical studies have b ships between reputation and financial performance. In this paper, h implicit claims which many stakeholders will hold in implicit con discretional behavior is defined as behavior for management to derive a proposition;Reputation creates incentives for management 【キーワード】 レピュテーショソ(Reputation),暗黙的請求権(Implicit claims), (Discretional behavior),エージェソシー理論(Agency theory (Positive accounting theory) 目次 1.はじめに 2.エージェンシー理論と裁量行動 3.エージェンシー理論とレピュテーション 4.レピュテーショソと裁量行動 5.むすび 論文受付日 2009年10月1日 掲載決定日 一111一 2009年11月11日

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Page 1: 経営者の裁量行動にあたえるレピュテーションの影 …...ン・マネジメント(Reputation management)も提唱されている3。さらに,企業業績や企業価値

経営学研究論集

第32号 2010.2

経営者の裁量行動にあたえるレピュテーションの影響

The effects of Reputation on Discretional behavior

博士後期課程

      平

経営学専攻 2009年度入学

  屋  伸  洋

  HIRAYA Nobuhiro

【論文要旨】

 The purpose of this paper is to theoretically explain the relationships between reputation and dis-

cretional behavior. Reputation has been defined as intangibles which affect且rm’s丘nancial perfor-

mance and competitive advantages. Many empirical studies have been performed for the relation-

ships between reputation and financial performance. In this paper, however, reputation is defined as

implicit claims which many stakeholders will hold in implicit contracts with management. Further,

discretional behavior is defined as behavior for management to choose. Using agency theory, we

derive a proposition;Reputation creates incentives for management to choose discretional behavior.

【キーワード】 レピュテーショソ(Reputation),暗黙的請求権(Implicit claims),裁量行動

         (Discretional behavior),エージェソシー理論(Agency theory),実証会計理論

         (Positive accounting theory)

目次

1.はじめに

2.エージェンシー理論と裁量行動

3.エージェンシー理論とレピュテーション

4.レピュテーショソと裁量行動

5.むすび

論文受付日 2009年10月1日  掲載決定日

       一111一

2009年11月11日

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t.はじめに

 近年,わが国の会計領域において,レピュテーション(Reputation)という概念が注目されてい

る1。レピュテーションとは,評判,風評,名声と訳されるものであり,高いレピュテーションを

有する企業はそうでない企業と比べた場合,競争優位にあるとされる2。

 こと会計領域においてレピュテーショソは,企業業績や企業価値を高める無形の資産(イソタン

ジブルズ)として認識されている。また,レピュテーショソを管理の対象と捉えるレピュテーショ

ン・マネジメント(Reputation management)も提唱されている3。さらに,企業業績や企業価値

に対するレピュテーションの効果を検証する実証研究やレピュテーショソ・マネジメントの有効性

について検討する研究も積極的に行われている4。

 しかし,これらの研究には次のような課題を指摘することができる。まず,レピュテーションの

理論的背景や理論的枠組みに関する議論が十分に行われていない点である。

 また,それぞれの研究者がレピュテーションを概念化するも,その測定ないし評価に係る制的条

件はきわめて高い点である。さらに,レピュテーションと企業業績の因果モデルにおいて統制変数

の検討が不十分であり,厳密にレピュテーショソのメカニズム(要因や構造)を解明する研究は行

われていない点である。

 以上のような課題を踏まえると,会計領域でレピュテーション研究を発展させるためには,レピ

ュテーションの理論的背景や理論的枠組みを明確にしたうえで,レピュテーショソの概念化や操作

化を行う必要がある。さらに,基礎理論にもとつくレピュテーションのメカニズムが機能している

か否かを実証的に検証する必要がある。結果として,こうしたプロセスがレピュテーショソ・マネ

ジメソトへの貢献につながるのではないかと思われる。

 そこで,本稿ではレピュテーショソと経営者の裁量行動の関係に着目し,レピュテーションが経

営老の裁量行動に影響を与え,その結果が企業業績という経済的帰結をもたらすという新たな命題

を提起することをその目的とする。

 これまでの裁量行動研究はエージェソシー理論5を基礎理論として発展してきた。レピュテー一一一シ

ョソと裁量行動の関係を明らかにするためには,同じエージェンシー理論の枠組みのなかでレピュ

テーションを議論し,その機能を明確にしたほうが望ましい。それゆえ,まず第2節では,エー

ジェソシー理論にもとつく経営老の裁量行動について整理する。つづく第3節では,エージェソ

シー理論からレピュテーションを議論し,その機能を明確にしつつ,レピュテーションの概念化を

行う。第2節と第3節により,レピュテーショソと裁量行動の関係を明らかにする足がかりを得

る。第4節では,レピュテーションと経営者の裁量行動の関係について明らかにする。そして,

レピュテーショソが経営者の裁量行動に影響を与えるという新たな命題を提示する。最後に第5

節では,本稿を要約し,今後の課題を明らかにする。

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2. エージェンシー理論と裁量行動

 レピュテーションと経営者の裁量行動の関係を明らかにするためには,裁量行動の基礎理論であ

るエージェソシー理論からレピュテーションを議論するほうが望ましい。そして,その機能を明確

にしたうえで,レピュテーショソと裁量行動がどのように関連づけられるかについて検討する必要

がある。そこで本節および次節では,エージェソシー理論の枠組みのなかに,それぞれがどう位置

づけられるのかについて明らかにする。

 そこで本節では,まず経営者の裁量行動に焦点をあて,エージェソシー理論から裁量行動がどの

ように説明させるのかについて整理する。第1項では,エージェンシー理論の基本的枠組みにつ

いて説明し,第2項では,エージェンシー理論にもとつく裁量行動について整理する。そして第3

項では,これまでの裁量行動研究の系譜を明らかにし,その理論的発展の過程を跡づけることにす

る。

 (1)エージェンシー理論の基本的枠組み

 エージェンシー理論(Agency theory)6とは,委託者をプリンシパル,受託者をエージェントと

定義し,両者の契約関係に着目して組織の仕組みや組織参加者の行動メカニズムを説明する経済理

論7である。

 エージェソシー理論の特徴としては,主に次の3つが指摘される8。

 まず,エージェンシー理論が前提とする企業観は,企業を1つの主体とみるのではなく,さま

ざまな契約の束(nexus of・contracts)とみる法的擬制の考え方を導入している点である。そして,

プリソシパルがエージェントに意思決定権限が委譲されるという契約関係に焦点があてられている。

 次に,すべての個人が自己の利己心(self interest)に基づき,自分の期待効用を最大化するよ

う合理的に行動するという点である。すなわち,株主,債権者,経営者などの各ステークホルダー

は,それぞれの自己利益を最大化するよう合理的に行動するということである。それゆえ,各ス

テークホルダー間に常に何らかの利害の対立(Conflict of interests)カヨ存在することになる。この

利害の対立のことを,エージェソシー問題(Agency problem)またはエージェンシーコスト

(Agency cost)という。

 最後に,情報の非対称性(Information asymmetry)が存在するという点である。これは,情報

が遍在し,それを解消するためにはコストが発生するということである。また,情報の非対称性は

モラルハザード(moral hazard)9や逆選択(adverse selection)10といった弊害の源泉とされる11。

そのためエージェソシー理論は,上述したエージェンシー問題や,モラルハザード,逆選択といっ

た問題をいかに解決するかに貢献するものであるとされる。

 昨今の裁量行動研究の発展は,このエージェソシー理論の貢献によるものであるとされ,今日で

は,実証会計理論(Positive accounting theory)12という大きな理論体系として成熟してきている。

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そのためエージェソシー理論は,多くの会計研究においてその理論的根拠と位置づけられてい

る13。また,会計学の見地からエージェンシー問題を解消するためのインセソティブ・システム

(lncentive system)14やモニタリング・システム(Monitoring system)15,ボンディソグ・システ

ム(Bonding system)16のあり方も積極的に検討されている17。

 ② エージェンシー理論にもとつく裁量行動

 裁量行動研究の発展には,前項で説明したエージェソシー理論の貢献が大きいとされている。そ

こで本項では,経営者の裁量行動について着目し,エージェソシー理論から裁量行動がどのように

説明されるのかについて整理する。

 裁量行動(Discretional behavior)は,「会計測定と会計報告に対して経営者が裁量権を行使し,

会計数値を意図的に操作すること」[岡部(2004),2ページ]と定義されている。

 岡部(2009)によれば,裁量行動は実体的裁量行動(Real discretion)と会計(技術)的裁量行

動(Accounting or Technical discretion)の両方を含むものとされている。実体的裁量行動とは,

「会計数値を歪める目的で,取引を通じて,その事実そのものを動かすこと」[岡部(2009),22-23

ページコである。また会計的裁量行動とは,「事実を動かさないで,会計数値だけを歪める行動」

[岡部(2009),22ページ]である。会計数値を裁量的に操作するという点では両老は共通であるが,

前者は市場取引そのものを操作の対象になるのに対し,後者は,市場取引は所与とされ,会計技法

の選択と適用が操作の対象とするという違いがある。

 実体的裁量行動の例としては,販売取引の中止・延期・繰上げ,納期の変更,研究開発費や広告

宣伝費,設備投資の変更,土地や有価証券の売却,リストラの時期と金額の操作などが挙げられる。

 一方,会計的裁量行動の例としては,減価償却方法や棚卸資産評価方法の選択および変更,耐用

年数や引当金,年金債務の見積りおよび変更などが挙げられる。

 経営者が以上のような裁量行動を選択する動機については,エージェソシー理論の観点から次の

3つが指摘されている。それは,効率的契約の動機(Eficient contracting perspective),機会主義

的行動の動機(OpPortunistic behavior perspective),情報提供の動機(lnformation perspective)

とされている[Holthausen(1990),pp.207-209]。

 まず,効率的契約の動機とは,企業価値を最大化するために,プリンシパルとエージェソトの間

に存在するエージェンシーコストを低減させるような裁量行動が選択されるというものである。こ

の動機は,エージェンシー理論の「利己心にもとつく効用最大化行動」から派生した動機であると

考えられる。すなわち,各ステークホルダーが,自己の効用を最大化する行動を選択した結果生じ

たエージェンシーコストの低減に着目したものである。この動機の前提には,それぞれの契約を効

率的に履行するための最適な選択肢が存在するということが所与とされる。

 次に,機会主義的行動の動機とは,経営者の効用を最大化するような裁量行動が選択されるとい

うものである。この動機も,「利己心にもとつく効用最大化行動」から派生したものであると考え

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られる。すなわち,経営者が,ボーナスやストックオプションなどの自己利益を最大化するよう合

理的に行動することに着目したものである。この動機の場合,「経営者が自分に有利になるように

会計数値を歪曲し,公表利益にノイズを付加する」[岡部(2004),2-3ページ]と考えられている。

ゆえに会計規制主体は,この観点から規制の強化し,経営者の裁量行動を制限しようとしている。

 最後に,情報提供の動機とは,企業の将来キャッシュ・フローに関する内部情報を企業外部のス

テークホルダーに提供するような裁量行動が選択されるというものである。この動機も,「利己心

にもとつく効用最大化行動」から派生したものであると考えられる。すなわち,自己の効用を最大

化する行動の結果生じたエージェソシーコストを低減させるために情報を提供する,という点に着

目したものである。また,この動機は「情報の非対称性」からも説明ができる。すなわち,プリソ

シパルとエージェントの間に生じる情報の非対称性を緩和するために情報を提供する,という点に

も着目していると考えられる。

 Watts and Zimmerman(1986)によれば,これら3つの動機は大きく2っに分類される。1つ

は「契約に関する動機」であり,効率的契約の動機や機会主義的行動の動機が該当する。もう1

つは「情報に関する動機」であり,情報提供の動機が該当する18。しかしながら,「契約に関する

動機」に該当する効率的契約の動機と機会主義的行動の動機については,必ずしも明確に区別され

ているわけではない。なぜならば,裁量行動の動機は「相互に両立的であることもあるし,非両立

的であることもある」[岡部(2004),3ページ]からである。

 たとえば,株価を高くするという目的と経営者報酬を引き上げるという目的は両立的である。な

ぜならば,2つも目的は公表利益を増加させるという動機に結びついているからである。逆に,株

価を高くするという目的と税コストを節約するという目的は非両立的である。なぜならば,株価を

高くするために公表利益を増加させると,かえって税コストが増加してしまうからである[岡部

(2004),3ページ]。そのため,観察される企業の裁量行動の選択が,機会主義的行動によるもの

か,効率的契約によるものかを識別することは重要であるも,その識別は容易ではないとされてい

る。

 (3)これまでの裁量行動研究の系譜

 裁量行動研究はWatts・and・Zimmerman(1986)によって体系化されたといっても過言ではない。

彼らは,ボーナス制度仮説,財務制限条項仮説,政治コスト仮説という3つの仮説を導出し,そ

の検証を行った。経営者が裁量行動を選択する動機を,経営者報酬契約や負債契約,課税などに関

連づけることで仮説を導出していると考えられる。

 本項では,Watts and Zimmerman(1986)の研究を起点とし,その後の裁量行動研究がどのよ

うに発展してきたのかを跡づけることにする。具体的には,これまで裁量行動の関する先行研究レ

ビューを行った研究を5つ取り上げ,時系列に概観することにする。なお,本稿では特に裁量行

動の仮説に着目するため,仮説の検証結果についてはレビューしないことにする。

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 まず,Inoue and Thomas(1996)らは, Watts and Zimmerman(1986)の提示した3つの仮

説に加え,内部・外部資金調達仮説,海外での政治コスト仮説という仮説を検証した研究のレビ

ューを行っている[Inoue and Thomas(1996),『訳書』60-66ページ]。

 次に,音川(1999)の研究では,Watts and Zimmerman(1986)の提示した3つの仮説に加え,

節税仮説,所有権支配構造仮説という仮説を検証した研究のレビューを行っている[音川(1999),

40-50ページ]。

 さらに,善積(2002)の研究では,ボーナス制度仮説に加え,負債比率仮説,規模仮説という

仮説を検証した研究のレビューを行っている[善積(2002),21-28ページ]。

 そして,乙政(2004)の研究では,経営者報酬制度に着目し,会計ベースの経営者報酬制度と

株価ベースの経営者報酬制度に関する研究をレビューしている。また,近年注目されるインセンテ

ィブ・システムとして昇進ならびに評判のメカニズムに言及している[乙政(2004),21-26ページ]。

 最後に,須田(2007)の研究では,Watts and Zimmerman(1986)の提示した3つの仮説を契

約に関連した動機とし,その他に株式市場に関連した動機として,利益のべソチマークと裁量的行

動,減益回避と株価変動,アナリスト予測値の達成と株価変動という3つを指摘している[須田

(2007),28-41ページ]。

 本節では,レピュテーションと経営者の裁量行動の関係を明らかにするために,エージェソシー

理論から裁量行動がどのように説明させるのかについて整理を行った。まず第1項では,エージ

ェソシー理論の3つの特徴点について説明し,第2項では,裁量行動について明らかにし,エー

ジェンシー理論にもとつく裁量行動の動機を中心に整理した。そして第3項では,これまでの裁

量行動研究の系譜を明らかにし,その理論的発展の過程を跡づけた。次節では,レピュテーション

に焦点をあて,エージェソシー理論からレピュテーショソを議論するとともに,その機能について

検討する。

3.エージェンシー理論とレピュテーション

 前節では,経営老の裁量行動に焦点をあて,エージェソシー理論から裁量行動がどのように説明

させるのかについて整理を行った。本節では,レピュテーションに焦点をあて,エージェンシー理

論からレピュテーションを議論するとともに,その機能について検討する19。また,レピュテーシ

ョンの概念化も行う。

 前節では,エージェソシー理論の3つの特徴点に言及した。それは,「契約の束」,「利己心にも

とつく効用最大化行動」,「情報の非対称性」である。さらに,各ステークホルダーの利己心にもと

つく効用最大化行動からエージェンシーコストが発生し,情報の非対称性からはモラルハザードや

逆選択という問題が発生するということに言及した。そのうえで,エージェンシー理論がエージェ

ソシーコスト,モラルハザード,逆選択といった問題の解決に貢献するものであるということを確

認した。

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 レピュテーショソをエージェソシー理論の枠組みのなかに位置づけるためには,前節で取り上げ

た3つの特徴点に対してレピュテーショソがどのような意味をもつのか,すなわちレピュテーシ

ョンがどのような機能を有するのかについて検討する必要があると思われる。3つの特徴点にレピ

ュテーションを位置づけることができれば,レピュテーショソをエージェンシー理論に依拠して説

明することが可能となるであろう。また,前節の第2項で明らかにされたように,裁量行動の動

機に対しても3つの特徴点が大きく関連していることがわかる。そのため,レピュテーショソと

裁量行動の関係を明らかにするためには,以上のような説明が妥当であると判断した。

 まず,第1の特徴点である「契約の束」から検討していく。ここでは,プリソシパルとエージ

ェソトの契約関係に着目している。通常,このような契約関係は明示的契約を指す場合が多いが,

一方で暗黙的契約(関係的契約)も同時に結ばれていると考えられている。

 ここで暗黙的契約とは,「報酬契約や借入契約など,これまで想定していたような正式契約では

ない。むしろ,企業と(労働者,仕入れ業者,債権者,顧客などの)利害関係者との間の継続的な

関係から生じており,過去の商取引にもとついて期待されている行動」[Scott(2006),『訳書』

415ページ]を指している。たとえば,「企業とその経営者が,いつも正式契約をきちんと履行し

ているという評判を築いていれば,仕入れ業者から有利な価格で購入したり,債権者から低い金利

で資金調達したり」[Scott(2006),『訳書』415ページ]することも可能となるであろう。暗黙的

契約は,その性質上,法的拘束力を持たないが,当事者間にそのように有利な契約が実際に存在し

ているかのように行動する契約のことである。

 エージェソシー理論,特に経営老と各ステークホルダーとの契約関係でレピュテーションを捉え

ると,レピュテーショソは暗黙的契約のなかに位置づけることができ,かつ,その契約の履行を可

能にするメカニズムとして機能していると考えられる。さらに,レピュテーショソが暗黙的契約の

なかに位置づけられるのであれば,契約の不完備性(Contractual incompleteness)20を補完するメ

カニズムとして機能していると考えられる。なぜならば,レピュテーショソはステークホルダーが

当該企業の経営者に対して抱く期待とも表現でき,それは同時に経営者に対する評価でもあるから

である21。こうした期待や評価は,企業の過去の実績に依存している。ゆえに,経営者もこのよう

な期待や評価に応えるべく,業務を遂行し実績を積み上げようとするはずである。また,そのよう

な行動が新たな期待や評価の源泉になると予想されることから,経営者と各ステークホルダーとの

契約の不完備性の補完に貢献すると考えられる。

 以上を踏まえたうえで,レピュテーショソについて概念化(Conceptualization)を行うことにす

る。レピュテーショソは,企業に対するステークホルダーの期待や評価を示すものと捉えることが

できる。また,その期待や評価は過去の実績に依存している。さらに,暗黙的契約を履行するメカ

ニズムとして請求権としての性格ないし機能を有する。たとえば売買契約のような明示的契約を例

に挙げた場合,その契約関係22には代金支払請求権と目的物引渡請求権という権利と義務の関係が

内包されている。同様に暗黙的契約においても,ステークホルダーからのレピュテーショソという

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請求権と,その請求権に対して何らかのかたちで応じる,という権利と義務の関係が考えられるの

ではないかと思われる。

 そこで本稿では,レピュテーションを「企業を取り巻く様々なステークホルダーが,当該企業の

過去の実績や将来の予測にもとついて,当該企業に対して有する暗黙的請求権(lmplicit claims)」

と定義することにする。

 次に,第2の特徴点である「利己心にもとつく効用最大化行動」について検討する。各ステー

クホルダーがそれぞれの自己利益を最大化するよう合理的に行動することで,利害の対立,すなわ

ちエージェソシー問題が発生する。エージェンシー理論では,このエージェソシー問題をいかに解

消するか,すなわち,エージェソトをいかに動機づけるかに着目している。

 これまでの裁量行動研究では,ボーナスやストックオプションのような金銭的報酬による動機づ

けに焦点をあててきた。しかし,動機づけというものは金銭的報酬のみに限定されない。この点に

ついては乙政(2004)も,「評判,社会的地位,権威といった非金銭的報酬も含まれている」[乙

政(2004),21ページ]と指摘している。すなわち,非金銭的報酬ないし社会的報酬としてのレピ

ュテーションも,エージェントを動機づけるメカニズムとして機能している可能性が考えられるの

である。その結果,エージェンシーコストを引き下げる機能23を有すると考えられる。

 最後に,第3の特徴点である「情報の非対称性」について検討する。情報の非対称性からモラ

ルハザードや逆選択という問題が発生する。前述したように,レピュテーショソにはエージェント

を動機づける非金銭的メカニズムが備わっていると仮定しよう。その場合,エージェントは機会主

義的行動や裏切り的行動によって短期的利益を得るよりも,将来的な取引機会の損失を回避するた

めにレピュテーショソを積み上げるような長期的行動を選択するはずである。そのため,他の取引

主体を害するようなモラルハザード的行動は選択されず,その結果,逆選択の問題も緩和されると

判断できる。

 また,プリンシパルとエージェント間で取引の継続性(On-going relation ship)が存在する場合,

レピュテーショソは,囚人のジレンマ24の状況を回避し,モラルハザードのような機会主義的行動

を抑制するといわれている25。さらに,シグナリング理論(Signaling theory)26の見地からも,ス

テークホルダーの期待や評価に応え,実績を積み上げようとする行動がシグナルとなり,契約の不

完備性を補完することで逆選択の緩和に貢献するとされている。このようにレピュテーションは,

情報の非対称性の問題を緩和する有力な手立てとなり,モラルハザードや逆選択の問題を緩和する

機能を有すると考えられる。

 本節では,レピュテーションに焦点をあて,エージェンシー理論からレピュテーションを議論す

るとともに,その機能について検討した。また,レピュテーションの概念化も行った。本稿では,

レピュテーションが暗黙的契約の履行を可能にするメカニズムとして機能し,「企業を取り巻く様

々なステークホルダーが,当該企業の過去の実績や将来の予測にもとついて,当該企業に対して有

する暗黙的請求権(implicit claims)」としての機能を有するものであると定義した。

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 また,非金銭的報酬ないし社会的報酬としての性格を有する点から,エージェントを動機づける

メカニズムとして機能している可能性があることを指摘した。それゆえ,レピュテーションがエー

ジェンシーコストの低減に貢献する可能性が示唆される。

 さらに,情報の非対称性から生じるモラルハザードや逆選択の問題を緩和する機能を有するとの

指摘も行った。

 次節では,レピュテーションと経営者の裁量行動の関係について明らかにする。そして,レピュ

テーションが経営者の裁量行動に影響を与えるという新たな命題を提起する。

4. レピュテーションと裁量行動

 第2節,第3節を通じて,レピュテーショソと経営者の裁量行動の関係を明らかにする足がか

りを得ることができた。第2節では,裁量行動に焦点をあて,エージェンシー理論から経営者の

裁量行動がどのように説明させるのかについて整理を行った。つづく第3節では,レピュテーシ

ョソに焦点をあて,エージェンシー理論からレピュテーショソを議論するとともに,その機能につ

いて検討し,エージェソシー理論の3つの特徴点におけるレピュテーションの機能について明ら

かにした。また,レピュテーショソの概念化も行った。

 そこで本節では,同じエージェソシー理論に依拠したレピュテーショソと裁量行動の関係につい

て明らかにする。そして,レピュテーションが経営者の裁量行動に影響を与えるという新たな命題

を提起する。

 以下の図1は,エージェソシー関係にみる利害の対立を示したものである。この図1を用いて

これまでの議論を簡単に要約する。

 エージェンシー理論の3つの特徴点は,「契約の束」,「利己心にもとつく効用最大化行動」,「情

報の非対称性」であった。また,各ステークホルダーの利己心にもとつく効用最大化行動からエー

ジェソシー問題(エージェソシーコスト)が発生し,情報の非対称性からはモラルハザードや逆選

択という問題が発生するということに言及した。

 この図1では,「契約の束」を示しつつ,エージェソシーコスト,モラルハザード,逆選択とい

った問題を直接的コンフリクトおよび間接的コソフリクトと捉えている。なお,間接的コソフリク

トの間接的とは,エージェソトを中心としてこのモデルを捉えた場合に,エージェントとの直接的

なコンフリクトに該当しないものを示す。

 このような契約関係とコソフリクトに直面する経営者の裁量行動の動機として,次の3つが挙

げられた。それは,効率的契約の動機,機会主義的行動の動機,情報提供の動機であった。これら

3つのうち,「契約に関する動機」に該当する効率的契約と機会主義的行動の動機は互いに独立で

あり,かつ二律背反であるため,厳密に区別することが困難であるとされている。

 次に,図2は会計領域で考えられるプリソシパルとエージェソト間の暗黙的契約関係を示した

ものである。

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図1 エージェンシー関係にみる利害の対立

図2 会計領域におけるプリンシパル・エージェント間の暗黙的契約関係

レピュテーション

(暗黙飽講求権}

   会計数値(レピュテーシNンに応える1

 レピュテーションは,暗黙的契約の履行を可能にするメカニズムとして機能し,「企業を取り巻

く様々なステークホルダーが,当該企業の過去の実績や将来の予測にもとついて,当該企業に対し

て有する暗黙的請求権(implicit claims)」としての機能を有するものであると定義した。

 この暗黙的契約関係は,プリソシパルの暗黙的請求権と,その請求権に対して何らかのかたちで

応じる,という権利と義務の関係で考えることができるとした。プリソシパルの暗黙的請求権は企

業の過去の実績に依存している。会計領域で企業の過去の実績を示すものは会計数値である。つま

り,会計数値によって形成させたレピュテーションが暗黙的請求権という機能を有すると考えられ

る。そして,その暗黙的請求権に応えた結果が会計数値というかたちで財務諸表に表示され,それ

がひいてはレピュテーションの源泉になると思われる27。

120一

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 また,レピュテーショソが非金銭的報酬ないし社会的報酬としての性格を有する点から,エージ

ェントを動機づけるメカニズムとして機能している可能性があることを明らかにした。その結果,

レピュテーショソがエージェンシーコストの低減に貢献することにも言及した。さらに,情報の非

対称性から生じるモラルハザードや逆選択の問題を緩和する機能を有するとの指摘も行った。

 レピュテーショソは,暗黙的契約の履行を可能にする暗黙的請求権であり,エージェソトを動機

づける非金銭的報酬ないし社会的報酬メカニズムを有することから,これまでの裁量行動研究と同

様,経営者の裁量行動に影響を与える可能性が十分に考えられる28。そこで,本稿では次の命題を

提起することにする。

Proposition

   【経営者は,レピュテーショソの最大化という規準にもとついて裁量行動を選択する】

 ここで,第2節で整理した裁量行動の3つの動機のうち,「契約に関する動機」に該当する効率

的契約の動機と機会主義的行動の動機と,本命題との比較検討を行う必要がある。なぜならば,本

命題も「契約に関する動機」に該当するものであり,これらの動機を比較検討することで,本命題

の意義を明らかにする必要があるからである。

 まず,機会主義的行動の動機と本命題との比較を行う。レピュテーションが非金銭的報酬ないし

社会的報酬としての動機づけの側面を有する点から考えると,上述の命題は機会主i義的行動の動機

に類似する。なぜならば,機会主義的行動の動機という視点からの分析では,ボーナスやストック

オプションのような金銭的報酬による動機づけに焦点をあててきたからである。しかし,レピュ

テーションが機会主義的行動を抑制し,エージェンシーコストを低減させ,モラルハザードや逆選

択の問題を緩和する機能を有する点を踏まえると,機会主義的行動の動機と一致するものではない

と考えられる。

 次に,効率的契約の動機と本命題との比較を行う。レピュテーショソがエージェソシーコストの

低減に貢献し,企業業績や企業価値の増加に結びつくものであるという点から考えると,上述の命

題は効率的契約の動機に類似する。しかし,レピュテーショソという動機づけメカニズムの存在自

体が制約となり,経営者は自己拘束的に裁量行動を選択するのではないかと考えられる。自己拘束

性とは,契約違反のリスクを恐れるがために,当事老たちが暗黙的契約を遵守するイソセンティブ

をもつように仕組まれていることである。その点,効率的契約の動機に自己拘束性という特徴をみ

ることはできず,一致するものではないと考えられる。

 このような違いは,効率的契約の動機と機会主義的行動の動機が互いに独立であり,二律背反で

もあることから生じると判断される。しかし,この比較検討の結果,レピュテーショソの動機は効

率的契約の動機と機会主義的行動のどちらとも異なる新たな動機と位置づけられるのではないかと

考えられる。

                   -121一

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 本節では,エージェンシー理論に依拠したレピュテーショソと経営者の裁量行動の関係について

明らかにするとともに,レピュテーショソが経営者の裁量行動に影響を与えるという新たな命題を

提起した。今後は,本節で提起した命題にもとついて操作化が行われ,具体的な仮説を導出するこ

とになる。仮説の導出については今後の課題としたい。

5.むすび

 本稿は,エージェンシー理論の視点から,レピュテーショソが経営者の裁量行動に影響を与える

という新たな命題を提起することを目的としたものである。そこで本節では,本稿の要約をすると

ともに,今後の研究の課題を明らかにすることにする。

 第2節では,本稿の目的であるレピュテーショソと経営者裁量行動の関係を明らかにするため

に,裁量行動に焦点をあて,エージェソシー理論の視点から裁量行動がどのように説明させるのか

について整理を行った。まず第1項では,理論的根拠としてのエージェソシー理論の3つの特徴

点である「契約の束」,「利己心にもとつく効用最大化行動」,「情報の非対称性」についてそれぞれ

説明を行った。次に第2項では,裁量行動について明らかにし,エージェンシー理論にもとつく

裁量行動の動機である効率的契約の動機,機会主義的行動の動機,情報提供の動機について整理し

た。そして第3項では,これまでの研究の系譜を裁量行動の動機を中心に跡づけ,その理論的発

展の過程を明らかにした。

 っつく第3節では,レピュテーショソに焦点をあて,エージェソシー理論の枠組みのなかでそ

の機能についての検討を行った。本稿では,レピュテーションがプリンシパル,エージェント間に

おける暗黙的契約のなかに存在し,「企業を取り巻く様々なステークホルダーが,当該企業の過去

の実績や将来の予測にもとついて,当該企業に対して有する暗黙的請求権(lmplicit claims)」と

しての機能を有するものであると定義した。

 また,非金銭的報酬ないし社会的報酬としての性格を有する点から,エージェントを動機づける

メカニズムとして機能している可能性があることを指摘した。それゆえ,レピュテーションがエー

ジェンシーコストの低減に貢献する可能性が示唆される。さらに,情報の非対称性から生じるモラ

ルハザードや逆選択の問題を緩和する機能を有するとの指摘も行った。

 第4節では,エージェソシー理論の枠組みのなかで説明された裁量行動とレピュテーションの

関係について明らかにするとともに,レピュテーショソが経営者の裁量行動の動機となるという命

題を提起した。

 レピュテーションは暗黙的契約のなかに存在する暗黙的請求権であり,非金銭的報酬ないし社会

的報酬としてのインセンティブ・メカニズムとしての側面を有している。その点を踏まえて,レピ

ュテーションが経営者の裁量行動の動機となるという命題が導出された。

 レピュテーションが非金銭的報酬ないし社会的報酬としてのインセソティブ・メカニズムの側面

を有する点から考えると,上述の命題は機会主義的行動の動機に類似する。なぜならば,機会主義

                   一122一

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的行動の動機では,金銭的報酬としてのインセソティブ・メカニズムが機能するからである。しか

し,レピュテーションは機会主義的行動を抑制し,エージェンシーコスト,モラルハザード,逆選

択の問題を緩和する機能を有する点を踏まえると,機会主義的行動の動機と一致するものではない

と考える。

 また,レピュテーショソがエージェンシーコストの低減に貢献し,企業業績や企業価値の増加に

結びつくものであるという点から考えると,上述の命題は効率的契約の動機に類似する。しかし,

レピュテーションという動機づけのメカニズムの存在が制約となり,経営者は自己拘束的に裁量行

動を選択するのではないかと考える。その意味では,効率的契約の動機と一致ものではないと考え

られる。

 今後は,レピュテーション概念の操作化を行うとともに,この命題にもとついて具体的な仮説の

導出を行う。仮説の導出および検証については今後の課題としたい。導出された仮説を検証するこ

とで,レピュテーショソのメカニズムが解明され,ひいてはレピュテーショソ・マネジメントへの

貢献につながると考える。

【注】

1海外では早くからレピュテーションの重要性が認識されてきた。Baiman(1990)は会計学の見地から,レ

 ピュテーションが2つの文脈で取り上げられるということに言及している。1つは,「各個人が有する,誰に

 もコントロールできない固有の特徴やタイプ」であり,もう1つは,「過去の行為の結果に依存し,将来の

 行動を決定する要因」である。前者はレピュテーショソそのものの価値に着目した研究であり,後者はレピ

 ュテーショソから派生する行動性向(行動特性)に焦点を当てた研究であると考えられる。これまで,わが

 国の会計領域で行われてきた研究は,前者に該当するものだと判断できるが,本稿は後者に該当するもので

 あり,レピュテーショソから派生する行動性向(行動特性)に着目している。

2高いレピュテーションを有する企業の競争優位性については,Roberts and Dowling(2002)を参照された

 い。

3レピュテーショソ・マネジメソトについては櫻井(2008)を参照されたい。

4会計領域におけるレピュテーショソ研究としては,岩渕(2006),記虎(2006,2007),平屋(2008a,

 2008b,2009),櫻井(2008)などの研究が挙げられる。

5本稿では,レピュテーションと経営者の裁量行動の関係を説明する理論的枠組みとしてエージェソシー理論

 を採用している。エージェソシー理論は,裁量行動研究を含む実証会計理論(Positive accounting theory)

 の基礎理論と位置づけられてきた。実証会計理論は,何らかの経験的な規則性の発見や確認を行い,そのよ

 うな規則性をもたらす因果的な関係を理論的に捉えるという要素を備えている。そのため,企業行動を包括

 的に分析する視点から,本稿においてもエージェンシー理論の考え方を採用したのである。

6ここでは契約理論(Contract theory)も含めて説明することにする。なぜならば,契約理論はエージェソシー

 理論と密接に関連するからである。その中身については伊藤(2003,2007)が詳しい。

7アメリカではエージェンシー理論,欧米ではプリソシパル・エージェンシー理論という呼び方がなされてい

 る。乙政(2004)は,エージェンシー理論とそれに関連した文献のサーベイを行っている研究として,今井

 ・伊丹・小池(1982),Hart and Holmstrom(1987), Hart(1989), Prendergast(1999)の研究を挙げて

 いる[乙政(2004),9ペー一ジ]。

8エージェソシー理論の特徴点については,多くの研究者によって取り上げられている。代表的な研究者では,

 Jensen and Meckling(1976),佐和(1989)を参照されたい。

9モラルハザードとは,エージェソトが他者の利益を犠牲にしてまで自己利益の追求に専念する状況のことを

一123 一

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 指す。

10逆選択とは,情報劣位にある取引主体が,市場で提示される財の性質を個別に判断できないため,優良な財

 が割高と評価されて淘汰され,劣悪な財が割安と評価されて選択されてしまう現象のことを指す。

11Akerlof(1970)は,情報の非対称性から逆選択やモラルハザードが生じることを指摘している。また,須

 田(2000)は,それらの問題を解決するために財務会計の意思決定支援機能と契約支援機能が存在すると説

 明している。

12実証会計理論とは,「経営者による会計方針の選択といった行動や,経営者が新しい会計基準案にどのよう

 に反応するかを予測する理論」[Scott(2006),『訳書』269ページ]である。裁量行動研究も,この実証会

 計理論の一部と位置づけてよい。

13乙政(2004)は,エージェソシー理論に依拠した会計研究としてBaiman(1982,1990), Watts and Ziln-

 merman(1986),岡部(1993,1994), Sunder(1997),須田(2000)の研究を挙げている[乙政(2004),

 9ページ]。

14インセソティブ・システムとは,「本人と代理人の利害をできるだけ一致させ,本人の富の増加をもたらす

 行動を代理人に促す仕組み」のことである[須田(2008),32ページ]。たとえば,経営者報酬制度やストッ

 クオプションといったものが挙げられる。

15モニタリング・システムとは,「本人が代理人の行動を監視し,モラルハザードに関する情報を収集する仕

 組み」のことである[須田(2008),31ページ]。たとえば,ディスクロージャー制度がその典型であるとさ

 れる。

16ボソディング・システムとは,「代理人が自分の行動を規制し,積極的に本人の信頼を獲得する仕組み」の

 ことである[須田(2008),32ページ]。たとえば,経営者による予測情報の開示やIR制度などが挙げられ

 る。

17梶原(2006)によれば,Holmstrom(1979),Banker and Datar(1989),Baiman(1990),Feltham and Xie

 (1994),Indjejikian(1999)といった研究が挙げられる[梶原(2006),84ページ]。

18Watts and Zimmerman(1986)は,効率的契約の動機や機会主義的行動の動機を契約仮説(契約の役割),

 情報提供の動機を情報仮説(情報の役割)と定義している[Watts and Zimmerman(1986),『訳書』197-

 198ページ]。

19乙政(2004)によれば,広く社会科学の領域においてレピュテーションの機能に注目する文献には,

 Baiman(1990),ラムザイヤー(1990), Milgrom and Roberts(1992),伊藤・加賀見(1998), Besanko et

 al.(2000)などがある[乙政(2004),26ページ]。なお,経済学の見地からレピュテーションのメカニズム

 について言及した文献には,青木・奥野(1996),小田(2001)などがある。

20契約の不完備性とは,現実の契約やルールが,将来起こりうる全ての状況をすべて明示できない状況の下で

 取り交わされていることを指す。多くの契約が契約の不完備性を有しているとされる。このような契約は不

 完備契約とも呼ばれている。

21この指摘については平屋(2008a,2008b)の研究を参照されたい。平屋(2008a,2008b)はBarnett et al.

 (2006)が提示した資産(Asset),評価(Assessment),認識(Awareness)というレピュテーションの3

 つのアプローチを参考に,その関係について私見を提示した。これまでの会計領域における研究は資産

 (Asset)アプローチに該当すると判断される。しかし,本稿は評価(Assessment)アプローチに該当する

 といえる。

22契約関係とは,契約によって当事者間に生じる権利義務の関係のことを示す。

23通常,プリソシパルとエージェント間で交わされる契約は不完全である場合が多い。なぜならば,将来の起

 こりうる状態を詳細に取り決めた完全な契約を採用することは不可能であるからである。そのため,契約関

 係においては不完備な契約(不完備契約)を利用せざるを得ないとされる。レピュテーショソは,契約が不

 完全であるために生じる問題を解決し,取引コストを最小化するのに役立つという機能を有しているともい

 える。

24囚人のジレンマとは,個々の最適な選択が全体として最適な選択とはならない状況の例として取り上げられ

 る問題である。

一 124一

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25この議論は主に繰り返しゲーム理論(Repeated game theory)によって明らかにされている。ゲーム理論と

 は,複数の主体が存在する状況下での意思決定について問題とする理論であり,繰り返しゲーム理論とは,

 ゲーム理論で仮定されるゲームが繰り返し行われた場合の意思決定について問題とする理論である。

26シグナリングとは,市場において情報に非対称性が存在するさい,情報優位にある取引主体が情報劣位にあ

 る取引主体に対して情報を伝達することによって格差を是正しようとする行動である。シグナリソグを最初

 に定式化したのはSpence(1974)であり,彼の研究が噛矢となっている。

27Sunder(1997)は,会計数値は経営者の実績とレピュテーショソを包含したものであると指摘している

 [Sunder(1997),訳書46ページ]。

28木村(2003),乙政(2004),Spremann(1990)らの研究においても,レピュテーショソが経営者の行動に

 影響するという言及がなされている。しかし,これらの研究において仮説の検証が行われたわけではない。

 またレピュテーショソの基礎理論を明確に提示しているわけでもない。これらの研究はあくまで,レピュ

 テーションが経営者の行動に影響をあたえる可能性について言及しているにすぎない。

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