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関東学院大学『経済系』第 232 集(2007 年 7 月)論 説
バランス・スコアカードの概念的検討「4つの視点」間関係を中心に
Conceptual Examination of the Balanced Scorecard
福 田 哲 也Tetsuya Fukuda
要旨 バランス・スコアカードは,相対立する諸視点間の均衡を図り,企業の長期的な成長を実現する手法として 1992年 Kaplan and Nortonにより提唱された。彼らはとくに注目すべき視点として「財務」「顧客」「内部プロセス」「学習と成長」の 4つの視点を提示した。これら諸視点間の対立関係を調整・克服することにより,均衡のとれた企業経営を実現することがバランス・スコアカードの目的であった。ところがその後,戦略を実現する戦略マップとしてバランス・スコアカードが再整理されると,これら諸視点間の関係は対立関係ではなく,因果関係にあると主張されるようになった。この転回はバランス・スコアカードが概念的に検討を要すべき内在的課題を抱えていることを示すように思われる。4 つの諸視点間の関係について検討し,包括的な概念モデルについて提示することとする。
キーワード バランス・スコアカード,BSC,戦略マップ,4つの視点,因果関係
はじめに1. バランス・スコアカードの変遷2. バランス・スコアカードの概念的検討3. バランス・スコアカード・モデルの概念的整理に向けておわりに
はじめに
1992年にRobert S. KaplanとDavid P. Norton
によりバランス・スコアカード(Balanced Score-
card; BSC)と言われる手法が提唱されてから 15
年が経過した。以来,欧米だけでなく,日本企業においてもバランス・スコアカードは好意的に受け止められ,バランス・スコアカードに関連する書籍の出版も多く,企業への導入もすすんでいる1)。
〔注〕
1)導入済みおよび導入に向けて検討中を含めて,バランス・スコアカードに積極的な姿勢を示している企業は,18.54%(2002年)から 47.66%(2003年),40.91%(2004年)と推移している。(拙稿「業績評価およびバランスド・スコアカード導入の実態調査」『経済経営研究所年報』第 27集,2005年 3月,121
ページ)
バランス・スコアカードは当初,財務・会計偏重型の管理(リモートコントロール管理2))がもたらす諸々の弊害を克服すべく提唱された手法である。提唱者によれば,財務・会計偏重型管理は次のような問題をもたらすとされた。すなわち,「短期的利益と長期的利益の不均衡」,「戦略立案と戦略実行(業務遂行)の不均衡」,「利害関係者(ステークホルダー)間の不均衡)」である3)。
2)経営管理プロセス全般に蔓延した財務・会計偏重型のマネジメント・コントロールを H. Thomas Johnson
は「リモートコントロール型経営管理」と呼んだ。(H.T. Johnson, Relevance Regained: From Top-
Down Control to Bottom-Up Empowerment, Free
Press, 1992 (辻厚生・河田信訳『米国製造業の復活』中央経済社,1994年)
3)詳細は拙稿「管理会計と動機づけ——バランスド・スコアカード・アプローチを中心に——」『経営会
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バランス・スコアカードの概念的検討
バランス・スコアカードは財務・会計指標だけでなく,顧客満足度や業務効率,従業員訓練,環境への負荷,等々に関連する非財務・会計の諸指標を明示的・体系的にスコアカードとして表示し,全体的な調和・均衡を図ることにより,上述の諸問題の克服を図ろうとするものである。Kaplan and
Nortonは調和・均衡させるべき視点として,「財務(financial)」,「顧客(customer)」,「内部プロセス(internal process)」,「学習と成長(learning
and growth)」の 4つを指摘した。その後,これら調整・均衡させるべき 4つの視点のあいだには実は因果関係があるとされ,「学習と成長」から「内部プロセス」,「顧客」,「財務」へと連なる原因と結果の関係(因果関係)でとらえることができれば,企業戦略をのぞましい方法で実現にみちびく「戦略マップ(strategy map)」となる,ということが主張されるようになった。これを主張したのも同じく Kaplan and Nortonである。当初バランス・スコアカードでは調整・均衡させるべき諸要素のあいだに,対立関係があることが前提されていた。財務・会計偏重型の管理がもたらした諸問題は,過度に短期的な会計業績を重視することによる,顧客にたいする欺瞞や従業員・組織にたいする過度の負荷,会計数値の操作などが長期的な企業成長を阻害することにあった。会計指標だけでなく,顧客満足や従業員成長,組織学習を代表する指標(非財務・会計指標)を併せて注視することにより,調整・均衡を図り,長期的成長を実現することがバランス・スコアカード主張の根拠であった。それが「戦略マップ」の提唱とともに,これら諸要素(視点)が「因果関係」で結びつくとは,どういうことなのであろうか。「対立関係」をそのまま「因果関係」と読み替えることは,いかにして可能となったのであろうか。ある論者は,これはバランス・スコアカードの「業績評価システム」から「戦略マネジメント・システム」への進化であるという。しかしながらそこにみられるのは断絶であり,進化や発展というよりはパラダイム転換
計研究』第 3号,2003年 10月を参照されたい。
と表現するほうが適切であるように思われる。本論文では,バランス・スコアカード当初の目
的とそこで考えられた諸要素(視点)間の関係と,その後戦略策定ツールである戦略マップとして整理されたさいの諸要素間の関係について整理することからはじめ,バランス・スコアカードにみられる概念的な混乱について検討し,その整理を試みることとしたい。
1. バランス・スコアカードの変遷
1.1 業績測定システム
1.1.1 4つの視点
バランス・スコアカードは Kaplan and Norton
の 1992年の論文4)で提唱された。もともとスコアカードを考案するきっかけになったのは,Analog
Devices社への訪問と事例執筆であったと Kaplan
は述べている5)。Analog社の「コーポレート・スコアカードには,伝統的な財務指標にくわえて,業績(主としてリードタイムや納期遵守に関連するもの)や,内部プロセス(産出量,品質そしてコスト),そして新製品開発(イノベーション)にかんする指標が含まれていた」6)。その後,「Analog社のコーポレート・スコアカードの重要性は,Norton
社との 1年にわたる業績測定調査プロジェクトに従事したときにあきらか」7)となり,12社にたいする 1年間の調査の結果,「トップ・マネジメントが事業を迅速かつ総合的な視点から見ることができる指標」8)すなわちバランス・スコアカードへと結
4)Robert S. Kaplan and David P. Norton, The
Balanced Scorecard-Measures that Drive Perfor-
mance, Harvard Business Review, 1992, January–
February, p.71. (本田桂子訳「新しい経営モデルバランス・スコアカード」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス』2003年 8 月号,48ページ。)
5)Robert S. Kaplan, “Management Accounting
(1984–1994): Development of New Practice
and Theory”, Management Accounting Research,
1994, p.256.
6)ibid., p.256.
7)ibid.
8)Kaplan and Norton, op. cit., 1992, p.71.(本田,前掲訳,48 ページ。)
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(Kaplan and Norton, The Balanced Scorecard-Translating Strategy into Action,
Harvard Business School Press, 1996, p.9.(吉川武男訳『バランス・スコアカード』生産性出版 1997年,30頁に筆者加筆。))
図 1 バランス・スコアカード(BSC)
実するにいたった。Kaplan and Nortonはバランス・スコアカードを飛行機のコックピットの文字盤や計器類にたとえる。飛行機の操縦には燃料やスピード,高度,方位,目的地や現在地といった多種多様な情報を逐一必要とする。現代の企業経営も同様に(それ以上に)複雑きわまりなく,経営者は複数の分野にまたがる評価指標を同時に把握する必要があるという。
Kaplan and Nortonのバランス・スコアカードの特徴は,主として 4つの視点から企業経営をとらえることにある(図 1)。それらは「顧客の視点」「内部プロセスの視点」「学習と成長(イノベーションと学習)の視点」「財務の視点」である。「顧客の視点」とは,リードタイムや品質,機能そしてサービスという顧客が関心を寄せる主な要素について具体的な評価指標とターゲット(目標水準)を設定し,その進捗度(達成率)をはあくしつつ,顧客が要求する要素・水準をどの程度満足させることができているかを見るものである。
「内部プロセス」の視点は,顧客が要求する要素・水準(顧客の視点)を満足させるうえで,どのような業務プロセスや分野に秀でるべきかをあきらかにし,それらにかかわる具体的な評価指標およびターゲットの設定,進捗度管理をおこなう。具体的には「製造に要する時間,品質,従業員の技能水準,生産性に及ぼす要因」9)などがあげられる。「学習と成長の視点」は,組織変革や技術革新を生み出す能力にかかわるもので,「顧客の視点」および「内部プロセスの視点」が,戦略を成功に導く要因を浮かび上がらせるのにたいし,その成功に向けた目標自体を改善・変革するという意味で,上記 2つの視点とは異なる,という10)。「財務の視点」は,株主からどのように見られているか,戦略計画とその実施が利益の増加にどれだけ貢献したのかを示すものである。具体的には利益率や成長率,株主価値といった業績評価指標
9)ibid., p.75.(同上訳,52ページ。)10)ibid., pp.75–76.(同上訳,53ページ。)
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バランス・スコアカードの概念的検討
により,その進捗度・達成度を管理する11)。なおスコアカードには,それぞれの視点で達成すべき「戦略目標(Objectives)」とそれを端的に示す「測定指標(Measures)」12),その目標達成水準を示す「ターゲット」,その達成のために必要な「施策(Initiatives)」が示される。必要に応じて,スコアカードには測定指標の実績や達成割合が示されることもある。また具体的にどういった指標が用いられるかについては,本稿末尾に掲載の参考資料を参照されたい。
1.1.2 4つの視点と対立関係
バランス・スコアカードがねらいとするのは,長期的な利益と短期的な利益の均衡(バランス)を図るべく,主として短期的な視点で抽象的に表現される財務・会計指標をおぎなうために,これを媒介する事業・業務遂行プロセス(経営資源の獲得や強化とその消費)と,事業に利害を有する顧客や株主などの対立関係を同時に均衡させることである。そこでは短期的な財務・会計指標と対立しかねない,経営資源のキャパシティやステークホルダー間の利害を損なわないよう,事業経営のバランスをとることが強く意識されている。この段階(1992年)で,Kaplan and Nortonがこれら 4つの視点間に,のちに強く主張されることになる「因果関係」を認めていないことはあきらかである。かれらは,「行動や業務プロセスに焦点を当ててはいない」「競争を見る時間軸が変わってきたことに対応していない」「顧客満足度,品質,リードタイム,従業員のやる気の向上について評価しない」といったような,財務・会計指標にもとづく企業・業務管理にたいする批判について,TQM(総合品質管理)などのプロセス改善を「強化しこそすれ,邪魔するものではない」13)と反論し,さらに「実のところ,業務効率の向上と財務的な成功との相関性は弱く,しかもあいまいで
11)ibid., p.77.(同上訳,53ページ。)12)KPI(Key Performance Indicator;重要業績指標)とも言われる。
13)Kaplan and Norton, op. cit., 1992, p.77.(本田,前掲訳,54ページ。)
ある」14)とまで述べている15))。以上のように,当初バランス・スコアカードは,
伝統的な財務・会計指標偏重型の管理がもたらした諸問題,とりわけ過度の短期的利益追求がもたらす長期的な競争力の阻害(従業員訓練や開発投資の抑制,業務プロセスの分断や数値合わせ16)など)を解消するために,財務・会計指標と同時に対立する長期的競争力の源泉(顧客からの信頼,従業員・組織のスキル・知識等)にかかわる諸指標を管理することで,両者のあいだの矛盾を解消・克服することを目的としていた。「長期的競争力を築き上げようとする力と,歴史的原価に基づく財務会計モデルを固守しようとする力が激突し,その結果,バランス・スコアカードが誕生した」17)のである。
1.2 業績マネジメント・システム
1.2.1 業績作用因の管理
1993年,Kaplan and Nortonは,「バランス・スコアカードは,企業の戦略的目標を,首尾一貫した一連の業績指標に変換する包括的なフレームワー
14)ibid.(同上訳。)15)その根拠としてかれらは次のような事例を紹介している。事例でとりあげられている企業はニューヨーク証券取引所に上場する某エレクトロニクス企業である。1987年から 90年の 3年間で,欠陥率を改善し,製品の合格率を 26%から 51%へ,納期遵守率を 70%から 96%へと向上させたが,財務的な成果には結びつかなかった,という。(ibid.(同上訳。))
16)会計による現場業務(従業員)管理をおこなった場合に招く危険性がある問題で主として H. Thomas
Johnsonにより批判された。部分最適が全体最適に直結する会計指標によれば,全体としてひとつの機能を果たすビジネス・プロセスが部分で分断され,全体として果たすべき機能(時間や品質)に問題が生じていても会計上は望ましい状態を示すため,それに携わる従業員も数値目標の達成に邁進する状態のことをいう。詳しくは H. Thomas Johnson, op.
cit., 1992(辻厚生・河田信,前掲訳,1994年)を参照のこと。
17)Robert S. Kaplan and David P. Norton, The Bal-
anced Scorecard-Translating Strategy into Action,
Harvard Business School Press, 1996, p.7. (吉川武男訳『バランス・スコアカード』生産性出版,1997
年,29ページ。)
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クを経営者に提供する」18)ものであったが,たんなる業績測定システムにとどまらず「バランス・スコアカードは,製品やプロセス,顧客そして市場開発といったきわめて重要な領域における改革・改善を動機づけることができるマネジメント・システムである」19)と主張するにいたった。
Kaplan and Nortonは,バランス・スコアカードが提供する伝統的な財務指標およびそれを補完する顧客,内部プロセス,学習と成長の 4つの視点は伝統的に企業で利用されてきたものであるが,次の点で異なるという。まず第 1に,多くの企業は業務的・物理的な指標をすでに数多く有するが,それは現業を前提したボトムアップ情報である。しかしスコアカード指標は,組織体の戦略目標と競争上の諸要求を前提したものである20)。第 2に,伝統的な財務指標は,マネジメントが将来いかに業績を改善するかを示さず,過去に何が起こったかを報告するに過ぎないのに対し,スコアカードは企業の現在および将来の成功の基盤としての役割を果たす21)。第 3に,リエンジニアリングや品質管理,権限委譲など現場主導の改善プログラムを実施している企業の多くが,その全体的な整合性や統一性を欠いているが,バランス・スコアカードはこれらの優先事項を決定・伝達する組織的な取り組みの中心的な役割を担う22)。そしてこれらに対応したバランス・スコアカード利用,すなわち 1©戦略と業務の結合, 2©長期業績の計画,3©戦略情報の整理統合,を試みている企業として,それぞれ Rockwater(事業部),Apple
Computer 社,Advanced Micro Devices(AMD)社を紹介している23)。
18)Robert S. Kaplan and David P. Norton, “Putting
the Balanced Scorecard to Work”, Harvard Busi-
ness Review, September–October, 1993, p.134.
19)ibid., p.134.
20)ibid.
21)ibid.
22)ibid., p.135.
23)Rockwater社は企業環境および顧客ニーズの変化に対応するために,戦略で実現すべき 5 つの目標を
Kaplan and Nortonは,これらの企業およびその他の事例から,バランス・スコアカードは「変化のプロセスを促進させるために利用した場合に,もっとも効果を発揮する」24)と主張した。しかし「スコアカードは,つねにそういった劇的な変化の刺激となるわけではない」25)とし,AMD社のように,「マネジャーがすでに学習済みの知識を要約したに過ぎない」バランス・スコアカードでは,すぐれたマネジャーに不可欠の企業業務全体の広さと深さを理解する能力を強化するにはちがいないが,影響力は弱く,有効性も制限されるとした。そして「スコアカードはたんなる測定システムではない。それは競争力のある業績への突破力を動機づけるマネジメント・システムなのである」26)と
設定した。それらは 1©顧客の期待とニーズを超えるサービス, 2©ハイ・レベルな顧客満足, 3©安全性,設備の信頼性,即応性,コスト効果性のたゆまぬ改善, 4©従業員の高水準な技術,そして 5©株主の期待の実現である。これら戦略は最終的にバランス・スコアカードの 4 つの業績指標群(「財務」,「顧客」,「内部ビジネス」,「イノベーションと学習」の各視点)へと変換された。これにより,従業員が新規顧客との関係構築を理解し,優れた方法で運営しなければならない広範な内部プロセス体系を識別することが可能となったという。また Apple Computerは,上級マネジメントの注
意を,粗利益や株主資本利益率(ROE),市場シェアを超えた戦略に焦点を当てさせるためにバランス・スコアカードを開発した。バランス・スコアカードには,株主価値を強調した「財務」,市場シェアと顧客満足を強調した「顧客」,コア・コンピタンスを強調した「内部プロセス」,従業員の姿勢を強調した「イノベーションと改善」の各視点が設けられている。バランス・スコアカードを統制ではなく,将来の成長をもたらすために必要な要因をあきらかにする計画設定を主目的として利用していることが注目すべき点である。
AMDは多様な情報ソースや情報システムから集められた多くの業績指標をバランス・スコアカード上に整理統合する目的で利用した。なお指標は,「財務」,「顧客ベース」,「重要ビジネス・プロセス」,「企業品質」の諸指標に集約されている。(ibid.)
24)ibid., p.142.
25)ibid.
26)ibid.
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バランス・スコアカードの概念的検討
学習と成長の
視点
内部プロセスの
視点
顧客の視点
財務的成果
XX1年度 XX2年度 XX3年度
BSCの業績測定 の見方
伝統的な財務・ 会計偏重型の業 績測定の見方
(柴山慎一・正岡幸伸・森沢徹・藤中英雄『実践バランス・スコアカード』日本経済新聞社 2001年,10頁。)図 2 伝統的な財務・会計偏重型業績評価とバランス・スコアカードの見方
指摘する27)。図 2は財務の視点と,その他の視点との,成果として実現するまでの時間的な関係をみたものである。伝統的な財務・会計偏重型の業績測定・管理は,もっぱら最終的に成果として示される財務・会計指標を継続して監視してきた。過度にこの業績評価の見方が重視されることになれば,同期間(会計期間)中に,財務的な業績には反映されないが,将来業績におおきな影響を及ぼすような重要な業績要因への適切な取り組みに消極的になる。バランス・スコアカードは,これら将来財務的な成果として顕在化する業績要因についても併せて評価の対象とすることで,中長期的な成長を損なわないようにするのである。Kaplan and Norton
の言葉を借りれば,「財務的な視点により,短期的な利益を維持ないし確保できる一方で,バランス・
27)この業績測定から(将来の)業績管理への移行を,フィードバック・コントロールからフィードフォワード・コントロールへの移行と特徴づけることもできる。
スコアカードは,長期の財務的業績向上と競争優位を確保するためのバリュー・ドライバー(価値創造要因)を明らかにしてくれる」28)のである。
1.2.2 環境およびビジョン・戦略との結合
くわえてバランス・スコアカードとして体系化される諸指標群の設定にあたっては,企業をとりまく競争環境と,それに対応するための経営資源(コア・コンピタンス)配分・活用とを示す戦略から導くべきことを明示した。Kaplan and Norton
の同論文では,「バランス・スコアカードの構築」と題した項目で,バランス・スコアカードを構築する手順が示されているが,そこではバランス・スコアカードを設けるビジネス・ユニットの特定にはじまり,数度のインタビュー,エグゼクティブのワークショップを経て,実践そして定期的なレビューにいたるまでのプロセスがかんたんに述
28)Kaplan and Norton, op. cit., 1996, p.8.(吉川,前掲訳,31ページ。)
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(Kaplan and Norton, Putting the Balanced Scorecard to Work, Harvard Business
Review, September–October, 1993, p.139.)
図 3 バランス・スコアカードの構築
べられている。エグゼクティブのワークショップ(第 1ラウンド)では,測定指標と戦略を結びつける方法の記述が見られるが,この段階では,ビジョンおよび戦略ステートメントをバランス・スコアカードの4つの視点で並行して指標に変換する(落とし込む)プロセスが記述されている(図 3)。以上のように,バランス・スコアカードに示される 4つの指標には,将来業績に影響する要因が含まれており,これらを管理することで将来業績を管理すること(フィードフォワード・コントロール)ができること,またバランス・スコアカードの指標は競争環境および戦略的要請を(トップダウンで)反映して設定すべきことが主張された。当初,財務・会計偏重型の管理がもたらす弊害
(とくに長期的な競争力の源泉や成長の機会を損なうこと)に対処するべく,これと対立関係にある非財務的な視点(顧客および内部プロセス,学習と成長)を同時に見ることにより,均衡を図ることを主眼としてバランス・スコアカードは提唱された。バランス・スコアカードはさらに,将来業
績を左右する要因を意図的に管理する方法として,また自社をとりまく競争環境とそれに対応する企業戦略を個々の指標に反映させる方法として,利用されうること(利用すべきこと)が主張されるようになった。
1.3 戦略マネジメント・システム
1.3.1 4つの視点と因果関係
1996 年,Kaplan and Norton の The Balaced
Scorecard(邦訳『バランス・スコアカード』)において,すでに提唱されていた 4つの視点間に「因果関係」が存在することが明確にされ,体系化されるにいたった。Kaplan and Nortonは次のようにいう。「優れたバランス・スコアカードは,単なる重要成功要因の寄せ集めではない。優れたバランス・スコアカードの業績評価指標は,一連の目標と首尾一貫し補強しあっている業績評価指標と整合性を保ち矛盾がないようになっている。バランス・スコアカードは,複数の重要成功要因間の複雑な因果関係も当然組み込んである。因果関係のみならず,成果の業績評価指標とパフォーマン
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バランス・スコアカードの概念的検討
(Kaplan and Norton, The Balanced Scorecard-Translating Strategy into Action,
Harvard Business School Press, 1996, p.31.(吉川武男訳『バランス・スコアカード』生産性出版 1997年,57頁。))
図 4 バランス・スコアカード「4つの視点」間の因果関係
ス・ドライバーとの間でも連携をとる」29)。戦略は因果関係にかんする一種の仮説であるとし,バランス・スコアカードで設けられる 4つの視点こそは,因果関係を叙述するさいの基本的な要素となる,と主張する。Kaplan and Nortonによれば,その因果関係とは例えば次のようなものである。「現場の従業員を教育訓練し,スキルアップをはかる」(学習と成長の視点)ことができれば,「業務プロセスのサイクルタイム短縮・質の向上」(内部プロセスの視点)を実現し,それが「納期厳守および顧客ロイヤリティの向上」(顧客の視点)につながり,最終的に「使用総資本利益率の向上」(財務の視点)が達成される30)。「適切に構築されたスコアカードは,このような一連の因果関係を通じてビジネス・ユニットの戦略のストーリーを語る」31)という。「バランス・スコアカードは,単なる戦術的ないしオペレーショナルな業績評価システムではない。革新的な企業は,バランス・スコアカードを『戦略的マネジメント・システム』として利用し,長期的
29)ibid., pp.29–30.(同上訳,55ページ。)30)ibid., p.30.(同上訳,56ページ。)31)ibid., p.149.(同上訳,195–196ページ。)
展望に立って戦略をマネジメントしている」32)とかれらは言う。
1.3.2 戦略マップ
そして 2000年 Kaplan and Nortonによる The
Strategy-Focused Organizaion(邦訳『戦略バランスト・スコアカード』)によって「戦略マップ」として整理されることとなった(図 5)。望ましい財務業績を達成するには,顧客を満足
させ収益を生まなければならない。顧客を満足させるには,顧客が望む価値をつくり出す業務プロセスを整備しなければならない。また財務業績の達成には,業務プロセスを効率化することも求められる。さらに業務プロセスを遂行するには,その能力を有する人材や情報システムによるサポート,技術などが求められる。戦略マップは,目標とする財務業績を達成する道すじ(因果関係)を,マップ上最下段に配置される「学習と成長の視点」を起点に,「内部プロセスの視点」「顧客の視点」そして「財務の視点」へと上向きにつらなる矢印で示したものである。図中矢印で結ばれる視点内部の個々の要因(顧
32)ibid., p.30.(同上訳,32ページ。)
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経 済 系 第 232 集
(Kaplan and Norton, The Strategy-Focused Organization, Harvard Business
School Press, 2001 p.96.(櫻井通晴監訳『戦略バランスト・スコアカード』東洋経済新報社 2001年,132頁。))
図 5 戦略マップ
図 6 バランス・スコアカードによる戦略マネジメント
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バランス・スコアカードの概念的検討
客の視点で言えば,価格や品質,時間,機能,サービス,関係,ブランド)は,「戦略目標」と言われ,総体としての企業戦略を実現・達成するうえで,個々の視点で達成すべき目標をいう。ここでは一般的・抽象的な言葉で表現されているが,それぞれの企業が置かれた環境,ビジョンと戦略,顧客への価値提案(製品の優位性,業務の卓越性,緊密な顧客関係など),企業がもつ固有の強み(コア・コンピタンス)と弱み等を反映して決められ,より具体的な目標へと置き換えられる。そしてその戦略目標の遂行状況を端的に監視できる重要業績評価指標(KPI)を設定し,最終的にバランス・スコアカードへとまとめられることになる。戦略は個々の視点で達成すべき「戦略目標」を具現化した KPI(とその集合体としてのバランス・スコアカード)で進捗管理がなされ,環境の変化や実績の測定に対応し,バランス・スコアカードの見直し,戦略そのものの見直しへとフィードバックされることになる(図 6)。
1.3.3 時間的フレームワーク
バランス・スコアカードのねらいは,即座には財務的な成果にむすびつかない組織学習や成長に関連した業績指標(非財務・会計指標)を,財務指標を補完する(いずれ財務指標に結びつく業績要因)指標としてあわせて監視することにより,短期的な施策が長期的な成長を阻害することがないよう図るものであった。しかし戦略マップは文字どおり戦略を実現する長期的な道すじであるから,マップ上に描かれる時間的なフレームワークは,バランス・スコアカード上に示される短期的な視野とは,図 7のように異なるものとなった。バランス・スコアカード上に示される多元的な
(4つの視点に属する)指標は,短期的には財務上マイナスの影響を及ぼすかもしれないが,長期的成長に不可欠なとりくみをうながすことをねらいとしていた。しかし戦略マップ上に描かれる財務の視点の戦略目標は,そのとりくみによって最終的に達成すべき長期的な利益目標にほかならない。バランス・スコアカード上に示される個々の視点における戦略目標およびそれを業績評価するた
めの KPI(重要業績指標)と,戦略マップ上に示されるそれらの時間的な位相のずれは,戦略実行をマネジメントするうえで注意が必要である。これら 4つの視点間に因果関係が成立するのであれば,結果が原因に先立って現象することはありえないのであるから,時間的フレームワークを念頭に置いて順序立てた個々の視点における戦略目標達成のタイミングを具体化しなければならない。また財務の視点の戦略目標として ROI(Return on
Investment;投下資本利益率)がもちいられることが多いが,この点にかかわって戦略マップ上の長期的な ROIとバランス・スコアカード上の短期的な ROIとの関係や整合性について検討すべき余地があるように思われる33)。また戦略マップでは戦略目標を達成する道すじ
を「収益増大戦略」と「生産性向上戦略」に大別し,戦略マップを左右に区分してそれぞれが明示され
33)Michael E. Porter は「独自性の高い戦略としかるべく関連づけられているならば,BSCは,戦略を組織のすみずみまで伝え,組織として何が足りないのか,何を怠っているのかを明らかにし,社員たちにそこに生じるだろうトレードオフを理解させる,強力なツールとなる」と有効性を認めたうえで,「財務目標は必ず ROI とし,他の当てにならない評価指標は用いないこと」という(マイケル E・ポーター(出竹辰夫訳)「戦略とバランス・スコアカード」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス』2003 年 8 月号,56 ページ)。「財務の視点の戦略目標は,概して,たとえば営業利益や ROI で測定される収益性に関連」(ロバート・S・キャプラン/デビッド・P・ノートン(櫻井通晴,伊藤和憲,長谷川恵一監訳)『戦略マップ』ランダムハウス講談社,2005年,68
ページ)しており,バランス・スコアカードを採用する企業の多くで財務の視点の業績評価指標となっている。しかし ROIはそもそもバランス・スコアカードが
必要と主張されるにいたった短期利益と長期利益の不整合性(矛盾)の問題を内在する代表的な指標である。その問題点は期間で測定される利益(フロー概念)と,利益を生み出すために投下された資本(ストック概念)の適切な対応関係の構築ができていないことが原因である。その ROI を財務の視点の長期的な目標とする場合,たんに期間利益と投下資本額を対応させるだけでない,なんらかの調整計算を施す必要があるように思われる。
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学習と成長の
視点
内部プロセスの
視点
顧客の視点
財務的成果
XX1年度 XX2年度 XX3年度
BSCの時間的 フレームワーク
戦略マップの 時間的フレームワーク
図 7 バランス・スコアカードと戦略マップの時間的フレームワーク
ることとなった。Kaplan and Nortonは次のように言う。「戦略を記述する最初のポイントは,原価低減や生産性向上という短期の財務目標と,収益増大という長期の財務目標のバランスをとり,それを明確に伝えることである」34)。「戦略の財務の視点の構成要素には長期(収益の増大)および短期(生産性の向上)という 2つの側面がなくてはならない。これらの 2つの要因を同時的に均衡させることは,戦略マップの他の視点を体系づけるフレームワークである」35)。すなわち 4つの視点(あるいは利害関係者)間の関係が因果関係と再整理されるにともない,対立関係は,利害関係者間の対立から,個々の利害関係者内部の同時に満たすべき対立する諸要求,という関係に変化した。以上のようにバランス・スコアカードは当初,財務・会計偏重型の業績管理がもたらす諸問題を解決するべく,トップ・マネジメントが事業を迅速かつ
34)同上訳,68ページ。35)同上訳,70ページ。
総合的な視点から見ることができるツールとして考案された。その視点として Kaplan and Norton
が抽出したのが「財務」「顧客」「内部プロセス」「学習と成長」である。その後の調査により,バランス・スコアカードはたんなる業績評価指標の寄せ集めではなく,個々の視点間に将来業績を左右する要因を示す指標と認められるものがあり,これらをビジョン・戦略と連携させ,積極的に管理することにより,現在と将来の業績管理をおこなうことが可能であるとされた。この機能はさらに拡張され,個々の視点における「戦略目標」を因果関係で結ぶことにより,戦略実現に向けた道すじを示す戦略マップとして体系化されるにいたった。
2. バランス・スコアカードの概念的検討
2.1 4つの視点と因果関係
バランス・スコアカードの当初の目的は,その名称からも伺われるように諸要素(視点)間の均衡を図ることにあった。すなわちバランス・スコ
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バランス・スコアカードの概念的検討
アカードで示された 4つの視点には,均衡させるべき「対立関係」があったことが前提されていた。しかしのちに戦略マップが提唱されると,対立関係にあったと目された諸要素間の関係は「因果関係」へと置き換えられた。そしていまや戦略マップの構築とその業績マネジメントとしてのスコアカードとして体系化されるにおよんで,個々の視点間(戦略目標)をむすぶ因果関係は,バランス・スコアカードが目標管理など他の業績測定方法に対してその存在意義を示す生命線となった。「因果関係が存在するという前提はもっとも重要である。なぜなら,その前提こそが,将来の財務業績を予測するうえで,非財務的な領域での測定を利用することを許容する根拠となる」36)からであり,この前提条件が崩壊することは,戦略マップの有効性がなくなることを意味する。
Hanne Nørreklit はとくに「ロイヤルティを有する顧客は企業に高い収益性をもたらす」37)というKaplan and Nortonが示した因果関係に焦点を当て38),バランス・スコアカードおよび戦略マップで前提される因果関係の妥当性について検討をくわえている。Nørreklitは,これらに因果関係が
36)Hanne Nørreklit, “The balance on the balanced
scorecard—a critical analysis of some its assump-
tion”, Management Accounting Research, 2000,
11, p.68.
37)この点が事実であることを示す統計的な調査は数多い。小倉もまた従業員満足度(学習と成長の視点)と顧客満足度(顧客の視点)の関係にかかわる調査・研究を紹介し,「従業員の態度や満足度という要素が,顧客との良好な関係を構築し,高い収益性を得るための重要な変数であることが明らかになってきた」と指摘している。(小倉 昇「BSC と組織の学習能力」『企業会計』Vol.55 No.5, 2003年 5月,49
ページ。)38)「Kaplan and Nortonは,ふたつの領域の指標間のあいだには『共通的(generic)』な関連性が介在することを主張している。そこでわれわれは,Kaplan
and Nortonが述べているように,かりに企業が多くの価値と高い品質を顧客に提供したとすれば,顧客のロイヤルティが高まり,必然的,あるいは高い確率で利益が転がり込んでくるという事例がありうるか否かを問うことにする」(Nørreklit, op. cit., p.73)。
成立する場合には,ロイヤルティを有する顧客が高価格でかつ低コストの存在であると条件付けることが必要であるという。しかし通常,ロイヤルティを有する顧客は小口のオーダーを頻繁におこない,付加的なサービスを要求することが一般的であり,ABC(Activity-Based Costing; 活動基準原価計算)による数多くの調査があきらかにしているように,これらの顧客は高コストであることが多いと指摘する。
Nørreklitの指摘するように,ロイヤルティを有する顧客が,必ず,高収益をもたらすと主張することはできない。ロイヤルティを有する顧客が低収益である場合も現実に存在するためである。したがってこの因果関係は条件依存的と言わざるをえないことになる。ただし戦略マップでは,結果としての戦略目標
と,その達成に必要な原因としての戦略目標とのあいだに一対の結びつき(因果関係)を想定しているわけではない。ロイヤルティのある顧客が高収益をもたらすことは必然ではないが,しかし顧客の信頼・ロイヤルティを損なう高収益の達成は,長期的な競争力の低下や成長を阻害し,のぞましいものとは言えない。高収益の達成は重要な財務の視点の戦略目標であるが,それは,「ロイヤルティのある顧客を維持ないしは増加」しつつ,一方で「低コストの業務プロセスを構築」し,バランスのとれた方法で達成する必要がある。その道すじを示すのが戦略マップであり,バランス・スコアカードなのである。すでに述べたように,対立関係は,個々の視点内部での対立する諸要求の関係へと意味内容が変化しており,顧客の諸要求(時間,品質,価格,機能)を同時に満たさなければ結果としての財務的な戦略目標は達成されないことが戦略マップでは含意されている。
2.2 財務の視点と論理関係
それでもバランス・スコアカードで示される 4
つの視点が因果関係にあるかどうかについては検討の余地がある。当初より「財務の視点」は他の「顧客」「内部プロセス」「学習と成長」の視点と並列的に扱われてきた。しかしながら財務・会計は
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経 済 系 第 232 集
経営実体の貨幣額による認識・測定をおこなう技術である。その技術的な制約上,経済的取引の発生から認識・測定が時間的に遅れるとしても,財務・会計指標は経営実体の貨幣額による写像であり,目的と手段,ましてや原因と結果の関係にあるものではない。バランス・スコアカードのすべての視点で,財務・会計指標がたびたび利用されるのは,その証左である(たとえば顧客の視点における市場占有率や顧客別収益性など。詳細は末尾の参考資料を参照されたい)。
Nørreklitは経験的に検証可能な因果関係と,経験的な検証だけでは証明されえない論理関係とを区別すべきだとも言う39)。「顧客満足および企業収益は論理的関係にあるのであり,顧客満足が利益の原因ではない」40)。数学的計算の結果の正確性が因果関係のように経験的に証明されないように,会計計算の結果である財務の視点もまた,「顧客満足度と財務指標が相関関係にある」という経験的な観察から証明されるものではない,というのである。「低コストで高度な顧客価値を生み出す行動の連鎖は,良好な財務結果へとつながる。これは因果関係の問題ではなく,コンセプトに本質的に備わる論理」41)と Nørreklitはいう。財務的に好ましい結果が示されている,ということは,媒介する経営実態そのものが好ましいからである。両者に整合性がないとすれば,それはただ会計的認識・測定技術に内在する論理的な問題が顕在化しているからにほかならない。バランス・スコアカード提唱者の問題提起(長期的な利
39)因果関係は経験的な世界の構造の一部であり,経験的に示されうることができるものである。いっぽう論理は,経験的に検証されたり,決定されることは不可能である。たとえば,2と 2を足し合わせて 4
になる,ということを人々にたずねたとしても,それらが 4になることが正しいかどうかを示すテスト手段にはならない。それはたんに回答者が算数ができるか否かを示しているにすぎない。したがってかりに回答者の 100%が 2足す 2は 3であると答えたとしても 3が正解になることはない。同様に回答者の 100%が 2 足す 2 が 4 であると答えたとしても,これが経験的な証明を意味しない。(ibid., p.73)
40)ibid., p.74.
41)ibid.
益と短期的な利益の不均衡)は,このようにとらえるべきであろう。
2.3 利害関係者間の対立関係
当初バランス・スコアカードでは「顧客の視点」を具体的に「戦略を達成するために,顧客にたいしてどのように行動すべきか」「顧客はどう見ているのか」,「財務の視点」を「財務的に成功するために,株主に対してどのように行動すべきか」「株主はどう見ているのか」と説明していた。Kaplan
and Nortonは「業績評価指標は,株主や顧客という外部的業績評価指標と,重要なビジネス・プロセスやイノベーション,さらに学習と成長といった内部的業績評価指標の『バランス』を表している」42)とも言い,そこには企業をとりまく利害関係者集団(ステークホルダー)間の均衡を図ることもバランス・スコアカードのねらいとしていることが看取される。この対立関係については,戦略マップ上で因果
関係として再整理されることとなり,「株主(財務の視点)」および「顧客(の視点)」については,顧客の要求を満たしたうえで株主要求に応える(戦略目標を達成する)という関係にあらためられた。戦略マップはともすれば対立関係に陥りかねない,これらの視点間の均衡を図り,同時的な満足を導く戦略実現のルートを描いているのである。顧客満足を株主満足の必要条件と明示的に位置づけたという意味で,戦略マップは非常に興味深い。しかし顧客満足度の無制限な上昇が,株主満足度の上昇に結びつくわけではない。有限・稀少な経営資源を消費し,その成果を分配するという前提に立つ以上,満足度の水準を考慮に入れた相対的な関係をみる必要性が出てくるはずである。原因と結果という一方向の関係で考えるのではなく,相互関係を総合的,相対的に,同時に考慮することが必要になるのではないか。また企業をとりまく利害関係者集団は「株主」や
「顧客」だけでなく,「取引先」や「従業員」,「地域・社会」など多岐にわたる。これら異なる立場か
42)Kaplan and Norton, op. cit., 1996, p.10. (吉川,前掲訳,32 ページ。)
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バランス・スコアカードの概念的検討
ら対立する諸要求を突きつける利害関係者集団を考慮しなければ,長期的に存続することが許されなくなりつつあるのが,こんにちの企業経営をとりまく状況といってよい。しかしながら戦略マップ上にこれらをすべて位置づけるには困難をともなう。上述のような戦略マップの方法ですべての利害関係者を因果関係で結ぶことは不可能と言えよう。そもそもバランス・スコアカードが設定した 4
つの視点に,利害関係者集団の視点から設定されているもの(「財務」と「顧客」。Kaplan and Norton
のいう外部の視点)と,企業の戦略的な要求から導かれるマネジメントの視点から設定されているもの(「内部プロセス」と「組織と学習」。内部の視点)が混在し,概念的な整理がなされていないことが根本的な原因であるように思われる。企業経営内部における,顧客ニーズ(機能や品質,価格,時間など)を満たすアウトプットを提供するために必要なビジネス・プロセス(企画・開発,製造,販売,流通など)と,それを可能にする経営資源(従業員や情報システム,コア・コンピタンス,組織文化など)は,達成すべき目的と必要な手段の関係にあるといえる。しかし株主と顧客にかぎらず,従業員や取引先,地域・社会といったステークホルダーの利害は,原因と結果(手段と目的)というような関係ではなく,企業経営をつうじて同時に均衡を図るべき対立関係にある。「顧客を満足させることなく,株主を満足させることなかれ」という戦略マップによるこの対立関係への対処は意義深いが,すべての利害関係者を因果関係で結ぼうとする場合に,論理的な混乱が問題点として顕在化するように思われる。
3. バランス・スコアカード・モデルの概念的整理に向けて
以上みてきたバランス・スコアカードにみられる概念的な問題点を整理すると次のようである。まず第 1に,「財務の視点」を他の 4つの視点と並列的に,因果関係の最終的な到達点として位置づけたことである。これは Nørreklit のいうよう
に因果関係というよりは,経営実体の財務・会計による認識・測定という論理的な関係にあり,あまりに現象(会計計算とりわけ決算にみられる総括的性質および処理上の問題として事後的にならざるをえない事実)にとらわれた位置づけと言わねばならない。会計的認識は,バランス・スコアカードにみられる「視点」のすべてにおいてなされるものである。この点はバランス・スコアカードを例示する多くの場面で,すべての視点における業績指標に財務・会計指標が含まれていることからも理解されよう。第 2に,利害関係者間の対立関係を,因果関係
すなわち一方を他方の前提・必要条件と位置づけたことである。過去の製品の品質偽装による短期利益追求の事例をみれば,顧客満足なき株主満足が持続性のないことはあきらかであり,戦略マップがこの点を明示したことは興味深い。しかしながら,際限なき顧客満足が株主満足や持続的な企業成長にむすびつくという前提も誤りである。利害関係者集団の対立関係は,総合的,相対的な観点から同時に均衡を図らねばならない。また,企業経営をとりまく利害関係者はさらに多岐にわたるにもかかわらず,これらを戦略マップ上に適切に位置づけることはきわめて困難なものとなっている。そして最後に,以上の問題の根本にあるもので
あるが,企業経営(内部)で実行される事業遂行上の要請(アウトプットの産出に必要な活動およびビジネス・プロセスの構築と,それを可能にする経営資源)と,企業をとりまく利害関係者集団(外部)の要請(アウトプットを消費する顧客のニーズや株主からの要求)を同一マップ上に同様の関係(因果関係)で位置づけたことによる混乱である。これらを踏まえて概念的な整理を試みたものが,
図 8である。これは,事業遂行の基本モデルである活動ベース・モデル(activity-based model)(「リソース」,「アクティビティ」,「アウトプット」)とバランス・スコアカードで均衡を図るべき要素(「機能・品質」,「環境・倫理」,「財務・会計」)と,主として関心を寄せる観点から利害関係者(「顧客」,「投資家」,「取引先・従業員」,「地域・社会」)を
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経 済 系 第 232 集
図 8 バランス・スコアカードと戦略マップの新たなフレームワーク
位置づけたものである。たとえば企業は,顧客が求めるニーズにしたがい,それを満足するアウトプットを生み出すために,必要な活動やビジネス・プロセスを構築し,そのために必要な経営資源(リソース)を獲得・活用する。図は事業遂行(「アウトプット」,「アクティビティ」,「リソース」)の全局面において,「機能・品質」はもちろん,「財務」的な観点,「環境・倫理」的な観点から評価すべきであることを表している。そしてその評価にあたっては,事業遂行に関心を寄せる利害関係者からの要求が満たされているかどうかを考慮しなければならない。図 8は,バランス・スコアカードで意図した目的と方法を,概念的に整理したものである。ただし,バランス・スコアカードおよび戦略マップに描かれる戦略実現の因果関係や対立関係が,この概念図によって整合性をもって位置づけられ,また実践可能なレベルでの理解可能性や容易性を用意しうるものかどうか,そもそも概念的な問題を内在的に抱えていないかについては,さらなる検
討を要する。一試論の域は出ないが,今後バランス・スコアカードが普遍性をもったモデルとして完成度を高め,発展してゆくうえで必要不可欠の作業であるように思われる。
おわりに
本稿ではKaplan and Nortonの研究成果に依拠しながら,バランス・スコアカードとりわけそこにみられる 4つの視点間の関係を中心に概念的な検討をくわえた。バランス・スコアカードは当初,「財務」「顧客」「内部プロセス」「学習と成長」の 4
つの視点を設け,過度の財務・会計偏重型管理がもたらす弊害(短期的な利益追求による長期的な競争力・成長の阻害)を克服する業績評価システムとして考案された。その後,Kaplan and Nortonによりさらなる調
査・研究の結果として,それら 4つの視点間には,企業業績の結果を示す成果指標(あるいは遅行指標)と,将来の成果指標を左右する業績要因指標
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バランス・スコアカードの概念的検討
(ドライバー指標,あるいは先行指標)の関係,さらには「学習と成長」から「内部プロセス」,「顧客」そして「財務」へとつらなる一連の因果関係があると指摘され,戦略を実現する道すじを示す「戦略マップ」として再整理されることとなった。当初,均衡(バランス)を図るべき対立関係にあると位置づけられたこれら 4つの視点が,原因と結果(手段と目的)の関係にあるとは,どういうことなのであろうか。「従業員教育や設備への投資」は将来収益を生むことにつながる(可能性がある)が,短期的には費用のみが計上され期間利益(したがって投下資本利益率;ROI)を低下させてしまう。この会計的認識・測定および評価(意思決定)が,すでに述べた財務・会計偏重型管理の弊害をもたらす原因であった。したがって長期的な競争力の強化・成長をねらうには,財務・会計指標だけではなく,非財務指標を見なければならない,という主張は,会計理論の積極的発展にとっては問題視せねばならないが,論理的な結論であるようにも思われた。しかしながらバランス・スコアカードが戦略マップへと整理される過程で,均衡させるべき対立関係は,因果関係へと置き換えられることとなった。Nørreklitが批判するように,満足のゆく「財務の視点」を達成するうえで「顧客の視点」の目標を達成することは,原因と結果の関係にはなく,場合によってはその必要条件でさえない。両視点の相関関係を示す調査研究もって因果関係の存在を肯定する主張もみられるが,小林はその偶然性を否定しないし,因果関係がそもそも存在することも証明されたわけではないという43)。バランス・スコアカードは,対立関係を顕在化し,多元的な業績評価指標を追跡することにより,利害が対立する関係者(およびその要求)の均衡を図るツールである。戦略マップは,これら対立する利害関係者およびその要求を均衡さらには同時に満足させるために,一方(顧客)を他方(株主)の必要条件として戦略実現の道すじを限定することにより,対立関係を均衡させつつ,戦略実現を
43)小林啓孝「BSCと業績評価」『企業会計』Vol.55 No.5,
2003年 5月,37ページ。
図ろうとする。しかしKaplan and Nortonが提唱するバランス・スコアカードおよび戦略マップには,これら利害関係者(顧客,投資家,従業員やチーム・組織)の要請と,事業遂行上の要請(アウトプットの産出に必要な活動およびビジネス・プロセスの構築と,それを可能にする経営資源)が混在し,さらなる概念的な整理を要する。そこで本稿ではバランス・スコアカードの概念
的な検討および整理をおこない,試論としてフレームワークを提示した。バランス・スコアカードは今後さまざまな組織体で利用され,戦略の体系的実践に貢献するものと思われる。しかし多種多様な状況で矛盾なく機能する普遍性を獲得するには,さらなる論理的な検討が必要である。
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【参考資料】4 つの視点における業績測定指標の例
1© 財務の視点
•総資産 •従業員一人当たり付加価値•従業員一人当たり資産 •成長率•総資産利益率 •配当•純資産利益率 •市場価値•総資産回転率(売上高/総資産) •株価•グロスマージン(粗利益率) •株主構成•純利益 •株主のロイヤルティ•売上高利益率 •キャッシュフロー•従業員一人当たり利益 •コスト合計•収益 •格付け•新製品の収益 •負債•従業員一人当たり収益 •自己資本比率•自己資本利益率 (ROE) •売掛債権回転日数•使用総資本利益率 (ROCE) •売掛金回転率•投資利益率 (ROI) •買掛債務回転日数•経済付加価値 (EVA) •在庫日数•市場付加価値 (MVA) •棚卸資産回転率
2© 顧客の視点
•顧客満足度 •成約率(成約/折衝)•顧客ロイヤルティ •企業への販売訪問回数•マーケット・シェア •顧客と過ごした時間•顧客の苦情 •売上高マーケティング費率•初回のコンタクトで解決された苦 •広告掲載件数•返品率 •提案書作成件数•顧客要求への応答に要する時間 •ブランド認知度•直販価格 •応答率•価格の競合比較 •トレードショーへの参加件数•顧客別総コスト •売上高•顧客と関係をもつ平均期間 •ターゲット顧客内のシェア•失った顧客 •チャネル当たり売上高•顧客維持 •平均顧客サイズ•顧客獲得率 •従業員当たり顧客数•新規顧客からの収益の割合 •顧客当たり顧客サービス費用•顧客数 •顧客収益率•顧客当たり年間売上高 •頻度(販売トランザクション数)
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バランス・スコアカードの概念的検討
3© 内部ビジネス・プロセスの視点
•取引当たり平均コスト •ブレーク・イーブン・タイム•納期遵守率 •サイクルタイム改善•平均リードタイム •継続的改善•在庫回転率 •保障請求•環境排出物 •先端ユーザーの認識•研究開発費 •仕掛かり中の製品・サービス•コミュニティへの参加 •新規プロジェクト投資の内部利益•出願中の特許 •無駄の削減•特許の平均年数 •スペースの活用効率•新製品比率 •仕入返品の頻度•欠品 •機械故障時間•労働稼働率 •計画の制度•顧客の要求への応答に関する時間 •新規製品/サービスの市場投入•不良率 •発表した新製品•リワーク(再作業) •肯定的なメディア記事の数•使用可能顧客データベース
4© 学習と成長の視点
•従業員の専門団体への参加 •作業環境の質•顧客当たり訓練投資額 •内部コミュニケーションの評価•平均サービス提供年数 •従業員の生産性•上級学位を保持する従業員比率 • BSC 作成枚数•倫理規定違反 •健康の促進•常習欠勤 •トレーニング時間数•従業員回転率 •コンピテンシーカバー率•従業員提案件数 •個人目標の達成•従業員満足 •業績評価のタイムリーな完了•従業員持ち株制度への参加者数 •リーダーシップ開発•事故によるロスタイム •コミュニケーション計画•従業員当たり付加価値 •事故申告数•モチベーション指数 •従業員コンピューター所有率•就職願いの残数 •戦略的情報の割合•多様性の割合 •クロス・ファンクショナルな任命率•権限委譲指数(マネジャーの数) •ナレッジ・マネジメント(Paul R. Nieven, Balanced Scorecard—Step by Step: Maximizing Performance
and Maintaining Results, John Wiley & Sons, Inc., 2006, pp.148–162.(松原恭司郎訳『ステップ・バイ・ステップ——バランス・スコアカード経営』中央経済社,2004年,159–187ページ。))
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経 済 系 第 232 集
[参考文献]
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コアカード・アプローチを中心に—」『経営会計研究』第 3 号,2003年 10月,9–39ページ
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Balanced Scoracard-Measures that Drive Per-
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Action, Harvard Business School Press, 1996(吉川武男訳『バランスト・スコアカード——新しい経営指標による企業変革』生産性出版,1997年)
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Strategy-Focused Organization, Harvard Busi-
ness School Press, 2001(櫻井通晴監訳『戦略バランスト・スコアカード』東洋経済新報社,2001年)
[11]ロバート・S・キャプラン/デビッド・P・ノートン(櫻井通晴,伊藤和憲,長谷川恵一監訳)『戦略マップ』ランダムハウス講談社,2005年
[12]小林啓孝「BSC と業績評価」『企業会計』Vol.55
No.5, 2003年 5 月,33–39ページ。[13]小倉昇「BSCと組織の学習能力」『企業会計』Vol.55
No.5, 2003年 5 月,47–53ページ。
[14]Marshall W. Meyer, Rethinking Performance
Measurement, Cambridge University Press, 2002
[15]マイケル E・ポーター(出竹辰夫訳)「戦略とバランス・スコアカード」『ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス』2003年 8月号,56ページ
[16]R. Nieven, Paul, Balanced Scorecard—Step by
Step: Maximizing Performance and Maintain-
ing Results, John Wiley & Sons, Inc., 2006(松原恭司郎訳『ステップ・バイ・ステップ——バランス・スコアカード経営』中央経済社,2004年)
[17]柴山慎一・正岡幸伸・森沢徹・藤中英雄『実践バランス・スコアカード』日本経済新聞,2001年
本論文は 2005 年度関東学院大学経済学会特別研究費による成果の一部である。記してここに感謝の意を表する。
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