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D.H. ロレンス 青春の克服 「息子と恋人』 (1) 1 牛乳にモルヒネを混ぜて母の死を早からしめたポールは,亡骸と部屋に残っ て母への想いに胸を痛めるが,そのくだりは次の様になっている。 The room cold, that had been warm for so long. F .plates, all sick-room litter was taken away;every .austere. She lay raised on the bed, the sweep of th Iaised feet was like a clean curve of snow, so silen .maiden asleep. With his candle in his hand, he bent :like a girl asIeep and dreaming of her love. The ,open, as if wondering from the suffering, but her fa .brow clear and white as if life had never touched i .at the eyebrows, at the small, winsome nose a bit on ’young again. Only the hair as it arched so beautifu ・was』mixed with silver, and the two simple plaits that .were丘ligree of silver and brown. She would wake u :her eyelids. She was with him stil1. He bent and ki .ately. But there was coldness against his mouth, He :horror. Looking at her,.he felt he could never, neve He stroked the hair from her temples. That, too, was 1

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D.H. ロレンス

青春の克服

「息子と恋人』

(1)

富 永 昭

                                1

  牛乳にモルヒネを混ぜて母の死を早からしめたポールは,亡骸と部屋に残っ

て母への想いに胸を痛めるが,そのくだりは次の様になっている。

    The room cold, that had been warm for so long. Flowers, bottles,

  .plates, all sick-room litter was taken away;everything was harsh and

  .austere. She lay raised on the bed, the sweep of the sheet from the

  Iaised feet was like a clean curve of snow, so silent. She lay like a

.maiden asleep. With his candle in his hand, he bent over her. She lay

  :like a girl asIeep and dreaming of her love. The mouth was a little

 ,open, as if wondering from the suffering, but her face was young, her

  .brow clear and white as if life had never touched it. He looked again

  .at the eyebrows, at the small, winsome nose a bit on on『side. She was

  ’young again. Only the hair as it arched so beautifully from her temples

  ・was』mixed with silver, and the two simple plaits that lay on her shoulders

  .were丘ligree of silver and brown. She would wake up. She would lift

  :her eyelids. She was with him stil1. He bent and kissed her passion.

  .ately. But there was coldness against his mouth, He bit his lip with

  :horror. Looking at her,.he felt he could never, never let her go. No!

  He stroked the hair from her temples. That, too, was cold. He saw the

                              - 1 一

 mouth so dumb and wondering at the hurt. Then he crouched on the

 fioor, whispering to her:

  ‘Mother, mother!’(485-6)

 病人の死と共にすべての備品が片付けられた病室の寒々とした寂しさと,そ

の中で「恋を夢見て眠る少女」の様に横わる年老いた亡骸の対照は,不思議な

感触を伝えて,その女の一生を鮮かに浮び上らせている。そしてその間,亡骸

を被う雪の様に白いシーツがくっきりとした曲線を描いて,その一生の厳しさ

と純一さとを印象深く刻み込むのである。

 自分の苦しみをいぶかっている様な小さな開かれたロは,生の充足を心ゆく

まで感得する事のなかった女の消えやらぬ幼い憧れを思わせ,その憧れ故に人

生の辛酸をとどめる事なく若やいで見える顔は,くっきりと純白の額を見せて

いる。それは恰もこれから若い青春の時を迎えて,今にも眼醒めるかの様にボ

ールの心に働きかけるのである。

 ポールは自分の心に母がまだ生きている事を感じて激しく接吻する。だが唇

に触れたのは死の冷たさであった。ポールは母の喪失を痛切に覚えて身を震わ

せる。共に生きる対象を失った心の空隙から,「お母さん,お母さん1」とい

う呼び声が響いてくるのである。

 ポールと母の愛情が尋常の母子の愛情を逸脱した因は母と父の結婚の失敗に

あった。母ガートルードは19才の頃よく教会で一緒になったジョン・フィール

ドという男に失恋し,彼が財産目当てに中年の女と結婚するつまらない男であ

る事を知ってからも,彼がくれた聖書を大事にして想い出とする様な女であっ

た。ジョンは,男なら望み通り牧師になってごらんなさい,という彼女の言葉

に,男である事がすべてではない,と答える男であった。彼の聖書が想い出に

なったのは,男というものに対する少女めいた憧れを心に残して置きたかった

からであろう。ロレンスは,彼女は彼女自身のためにその聖書を保存し,彼の

想い出を心の中に大切に守っていたのだ,と語っている。

 そうした男岱の憧れが彼女をやがてポールの父になるウォルター・モレルに

近ずけ・彼を通して彼女なりに,男である事がすべてではない事を知るに至る

               一 2一

のである。が,その時は既に彼女は,男への憧れを自然に満たすすべを奪われ

ていたのであった。二人は彼女が23才の時クリスマス・パーティで知り合った

のだが,モレルは,南部の純粋な英語を話す彼女の貴婦人らしさに神秘の魅力を

感じ,ガートルードはダンスの巧みな彼の身のこなしに官能的な喜こびを味わ

ったのであった。彼が恭々しく礼をしてダンスの相手を願った時彼女はブドー

酒を飲んだ様に暖かさが体内に輝きわたるのを感じ,又彼は,彼女の美しい笑

顔を見て,すべてを忘れて心を動かされたのであった。こうして,父ゆずりの

教養あるピューリタンで,高い見識と厳しい道徳を持った彼女は,フランスか

らの流れ者と酒場の女との間に生まれた炭坑夫のモレルと結ばれるのである。

 だが,快活さと暖かさの陰に隠れたモレルの精神の弱さにガートルードが気

付かず,つつましさと気品の陰に隠れたガートルードの精神の強さにモレルが

思い至らなかった事が,やがて二人の心の遊離の因となったのである。モレル

に惹かれていながら,自分は決してダンスをしないガートルードの中に既にそ

の繭芽があったとみてよいであろう。それは,貯金や家屋の事で夫が自分を騙

していた事を知って後も,夫の裏切りを深く追究しないでおく事によって逆に

傷ついた自分の誇りを失うまいとする彼女の自己閉塞的な高慢な心につながる

ものであり,うっぷんを酒に晴らす性質のモレルの与える官能的喜こびを享受

する事を妨げたものなのである。

 こうして,彼女の残された望みは自分の子供であった。子供を育てる望みで

はなく,子供,特に長男ウィリアムの成長を待つ望みである。やがてポールと

名付けられる,お腹の中の第三の子は彼女にとって重荷であった。ロレンスは

彼女の心境を,時には人生が人を捉えて,その肉体を運んで一生を終らせてし

まい,しかも,それには実体というものがなく,その人はあっさりと取り残され

た様になってしまう事があるものだ,という風に語っている。では,彼女の心

に巣喰った空虚とはどんなものであったか。坑内で重症を負った夫の様子を見

て帰って来た彼女は,最初の子が生まれる時夫が作ってくれた小さな揺り椅子

にすわってじっと考えこむ。

  ._And Mrs Morel, in her little rocking-chair that her husband had

               - 3 一

 made for her when the first baby was coming, remained motionless, brood-

 ing. She was grieved, and bitterly sorry for the man who was hurt so

 much. But still, in her heart of hearts, where the love should have

 burrled, there was a blank. Now, when all her woman’s pity was roused

 to its full extent, when she would have slaved herself to death to nurse

 him and to save him, when she would have taken the pain herself, if

 she could, somewhere far away inside her, she felt indifferent to him

 and his suffering. It hurt her most of al1, this failure to love him,

 even when he roused her strong emotions. She brooded awhile. (110)

 心の奥底に「燃える愛」がない故に,苦しむ夫に対して彼女は根本的に冷淡

であるより仕方がない。勿論,夫の苦しみに冷淡でしかいられない事が彼女の

本質なのではなく,「燃える愛」がない事がより根源的な問題である事は明ら

かである。人間の普遍的愛,理性的愛ではなく,男女間の抵抗し難い感情の充

足への思いが彼女を無意識のうちに動かしているのである。上の引用部分のす

ぐ後にロレンスは,その様子を見舞う途中うっかりポールの仕事靴をはいてい

る事に気付いて,「恥しくてどうしようもなかったわ」と,子供達の前で彼女

に言わせており,これは思いに耽った彼女の重い心の解放のための言葉だった

のだが,はからずも夫に対する彼女の奥底の意識を露出してしまったのであっ

た。

 母親の寵愛は先ず長男のウィリアムに向けられ,その死後次男のポールに移

るのだが,ウィリアムが長男として母の愛を一方的に受身の形で受けていたの

に対し,そうした母を観察していた敏感なポールは,半ば内発的な力によって

も母に心を寄せてゆくのである。愛情の失せた夫との間にできた子故母親にと

って重荷であったポールは,男の子故に可愛がられはしたものの,母親の心に

愛情と共にある種の苦痛を与える存在であった。虚弱な子であった彼がもし育

ってくれていなかったら,ほっとした気分に少しはなったかも知れない,と母

は考える事もあるのであった。だが,愛の充足の思いに押された母の姿は少年

ポールの心に,彼女に対する抗し難い想いを植えつけたのである。それは単に

               一 4 一

母親からの圧迫によるものだけではなく,より深い意味でポールという少年に

内在する本質的な感受性の問題でもあったと言えよう。

 ある日ポールは持病の気管支炎のため病身で学校から帰って来る。彼が喉を

ぜいぜいさせているのを聴きながら,母親はその息子への複雑な感情に気を重

くするのであるが,一方のポールは,病気故に一層鋭敏になった神経をもって

家事を行なう母親の姿を見つめている。

  _.Her stil]face, with the mouth closed tight froln suffering and

 disillusion and self-denia1, and her nose, the smallest bit on one side, and

 her blue eyes so young, quick, and warm, made his heart contract with

 love。 When she was quiet, so, she looked brave and rich with life, but

・・if・h・h・d been d・n・・ut・f her right・. It hu・t th・b・y keenlY, thi,

 feeling about her that she had never had her life’s ful創ment:and his

 own incapability to make up to her hurt him with a sense of impotence,

 yet made him patiently dogged inside. It was his childish aim.(85)

 若さと敏捷さと暖かさにつつまれながら,表情には苦痛と幻滅と自己否定と

が刻まれている母はもはや生の充足を取り戻す事はできない,ポールは又その

母に何もしてやれない,そうした互の無力感こそがポールの心に母に対する愛

情を芽生えさせたものであった。ポールにとって,生の充足を求める最初の女

は母なのであった。この時,ポールの中には既に性に対する無意識の衝動が見

られるのだが,自分自身の中に同じ様な生の充足への欲求が生まれているので

,はない。それが,母に対するそれと意識されない自己犠牲的愛を生み,女性と

いうものに対する真の自己の欲求に眼醒める事を妨げた原因なのであった。こ

こで振返って夫の自分に対する偽わりに対して,自己に閉じこもる事によって

誇りを守り,夫の与える官能的喜こびを捨てて内面に凝結した母親の魂がその

遠因になっている事を思い出してみる必要があろう。ポールの魂の中にも,そ

つした母に対する無条件の愛となって固く凝結したものがあったのであり,そ

こに深い意味での血の呼応がなされているのである。

 勿論ポールはそれが自己犠牲の愛である事に気付いていない。夫との不和の

                一 5 一

慰めを自己に眼醒めていない子供に求めようとする母親の圧力に引きずられた

ものだからである。ポールの両親の間の確執において精神的勝利を得ているの

は母親である。ところが,大工仕事が巧みで,素朴だが粗野な父親が,快活で洗

練されてはいるが自我の強い母親に敗北する事が若いポールへの重荷となるの

である。ここでいう敗北とは一言で言えば,子供達の共感を失うという事であ

る。独力で立つ力のない子供達が吸収力のより強い母親の自我に引き寄せられ

る事である。そしてその母親の自我が,生の欲望を抑圧した儘魂の中に凝固し

沈澱したものであったという事情がポールの担った悲劇の一面なのであった。

 若いポールは両親の不和を嘆くよりは,父親の粗暴を母親と共に嘆き,母親

の苦しみを共有する事によって最初の愛の洗礼を受けるわけである。そのため

には,父親の粗暴に対する弱者,更に深い意味では生の充足を得ていない女とし

ての弱者,である母親に対して,自分自身も何らかの意味で弱者である必要が

あった。生の充足への欲求にまだ眼醒めないポールにとっては,肉体の病がそ

れであった。既に引用した様に,ポールが母の生の充足を得ていない姿を感ず

るのは,自分が病床にある時である。心配気に様子を見に来た父親に対し,ポ

ールは,お母さんに来て欲しいんだと言って父親を追い帰そうとする。そして

ロレンスは次の様に筆を進めている。

  Paul loved to sleep with his mother. Sleep is still most perfect, in

 spite of hygienists, when it is shared with a beloved, The warmth, the

 security and peace of soul, the utter comfort from the touch of the

 other, knits the sleep, so that it takes the body and soul completely in

 its healing, Paul lay against her and slept, and got better;whilst she,

 always a bad sleeper, fell Iater on into a profound sleep that seemed to

 give her faith. (87)

 肉体と精神の不安を,愛するものと肌を触れ合って眠るという,他者との愛

の行為によって癒そうとする本能的欲求が,病気を契機としてポールに強く現

われてくる。その無意識の性的欲求を満たしてくれるものとして,母は既に充

分な資格を持っているだけでなく,より深く見れば,その欲求自体が弱者に追

                一 6一

い込まれた母親の自我の刺激によって息子のポールの中に醸し出されたもので

あると言えよう。そして,ポールの欲求に応えた母親自身もそれによって息子

との結びつきに自己の存在の確かな拠り所を感じたのである。勿論この時はま

だ母親の寵愛はロンドンにいる長男ウィリアムの上にあるのだが,この出来事

は母親にとっても,息子に対する自分の愛が母親としてだけでなく,女として

の自分の存在の基礎でもある事を感じさせた事件なのであった。肌の触れ合い

という輩固な実感の上に立っているからである。母との愛を実感したという意

味ではポールも同様に自分の存在を確かなものに感じたのであった。回復期に

あるポールは,互に相手が必要であるという満ち足りた愛の心を持って窓から

の景色を美しく眺めたのである。

 母親のポールに対する重荷を含んだ感情はこの時に解け始あ,二人の互に求

め合う愛情もこの時に始ったと見てよいであろう。ポールは母を喜こばせるた

めに,どこへでも遠くへ出かけて黒いちごを摘み帰り,母はそれを恋の贈り物

を受ける女の様に喜んで,二人の心を寄せ合った濃やかな情愛が芽を出してゆ

くのである。

 長男ウィリアムのいない間夫の重傷などをきっかけに母親も知らぬ問にポー

ルにすべてを打ち明ける様になってゆくのであるが,ポールの母親に対する愛

情は更に進んで一生をつつましく母と二人で暮らす幼い夢を見たりする。やが

て,社会に出るポールの就職面接試験に母親が同行する。使い古した財布から

銀貨を取り出す母の手にポールは心を締めつけられる様な愛情を感じ,車中で

向い合った二人の視線が合うと突然母の美しい顔には愛に輝く微笑が浮んで,

互に窓の外に眼を反らせたりする。母と子は恋人の様にノッティンガムで時を

すごすのである。だが,母の寵愛をポールが一身に受ける様になるには長男ウ

ィリアムの死を待たねばならない。ウィリアムの死も因をたどれば,母の愛の

束縛から逃れんとする苦しみに遡るのであるが,重要な事は,母が愛の対象で

あるウィリアムを失っただけでなく,ここでもやはりポールの病気という契機

が相継いで生じており,母とポールが互に自分を支える他者を必要とする弱者

に追い込まれている事である。

                - 7 一

  ウィリアムを失った母親には,棺の前で彼女を慰めようとしたポールの声す

ら耳に入らない。夫の偽りを知った時同様,彼女は自己の中に,今度は誇りの

中にではなく,悲しみの中に閉じ籠ったのである。ポールは数カ月の間全く忘

れ去られたのであった。既に母なくしては生きる事の出来なくなっているポー

ルは苦しみに耐え得ない。クリスマスの祝いに貰った五シリングで母を喜ばせ

ようとした儘ポールは肺炎にたおれる。その時ようやく母は,どこが苦しい

の,という昔よく子供にした言葉をポールにかけるのである。

   She undressed him and put him to bed. He had pneumonia dangerously,

 the doctor said.

   ‘Might he never have had it if I’d kept him at home, not let him go

  to Nottingham?’was one of the first things she asked.

   ‘He might not have been so bad,, said the doctor.

   Mrs Morel stood condemned on her own ground,

   ‘Ishould have watched the living, not the dead,’she told herself.

   Paul was very i]1. His mother lay in bed at nights with him;they

 could not afford a nurse. He grew worse, and the crisis approached. One

 night he tossed into consciousness in the ghastly, sickly feeling of dissolu-

 tion, when all the cells in the body seem in intense irritability to be

 breaking doun, alld consciousness makes a last flare of struggle, like

 madness.

   ‘Is’11 die, mother!,he cried, heaving for breath on the pillow.

   She lifted him up, crying in a small voice:

   ‘Oh, my son-my son!’

   That brought him to. He realized her. His whole will rose up and

 arrested him. He put his head on her breast, and took ease of her for

 love.

   ‘For some things,’said his aunt,‘it was a good thing Paul was ill

  that Christmas. I believed it saved his mother.’ (175)

                            - 8 一

 この時ポールは16才である。男としての自己の真の性の欲求に眼醒めていな

い彼にとって母への愛は完全なものであった。子供の様に愛撫され,その胸に

寄り添って眠るだけで心身の力は蘇り,生の平安は得られたのである。それは

少年ポールにとっては殆んど永遠の安らぎであった。そして今度は,ウィリア

ムを失っ’た母の生命のすべてがポールの上に寄りかかっているのである。「生

きている子を見てやらなければいけなかったんだわ,死んでしまった子ではな

く」という母の言葉は,単にウィリアムとポールの事をいうだけではなく,母

自身の生命とのかかわり合いの上でより深い意味を持ってくる。彼女は,生き

ているポールの上に生の充足への憧れを投げかける事によって,自分と息子の

両方を救ったのである。叔母の言葉は単なる事実を言うのではなく,母と子の

相互依存の必然性を言ったものと見る事ができよう。

 こうして母と子は互に完全に結びつくのであるが,こうした関係が,ポール

が成熟した男性として異性への欲求を明確に意識する以前に,つまりポールの

思春期に確立している事に改めて留意しておく必要があろう。それはそれ自体

疑いを容れない関係であり,従ってポールはそれが自己犠牲の愛であるとは毛

頭考えない。その時点では自己犠牲ではまだないからである。だが,この母と

子の血の結びつきへの純粋な憧れが,やがて青春を迎え更に成年に近ずいてゆ

くポールの体験の中に栓桔となって尾を引いてゆき,その血を切り捨てる事に

よってより深い意味で血の教えを受継いでゆく事がポールの青春の闘いとなる

のである。

 ポールが母以外の女性に心を惹かれる最初はミリアム・リーヴァースであ

る。ポールより一つ年下のミリアムは,ポールと母親が強く結びつく以前既に

紹介されており,ポールとその母を初めて見た時,汚れたエプロンをした彼女

は,恥らいを含んだ,もの問いたげな,見知らぬ二人に幾分腹を立てた様子で

                                 v姿を消してしまった,とされている。そしてポールが話しかけると,びっくり

した様に茶色の目を大きく開いて彼を眺め,「それじゃ,その花は「乙女の恥

               一9 一

らい」なんだね」とポールに言われて,ミリアムは顔を赤らめるのである。こ

れがポールとミリアムの知り初めであった。ミリアムは,詩を朗読するだけで

何も出来ないんだと兄弟達に罵られて,ただ恥しさとみじめさで顔を真赤にす

る事しかできない少女であり,それでいてそんな自分を初めて会ったポールが

つまらない女の子と思いはしないかと,心を悩ませる少女なのである。鶏の餌

をあさる動作にも怖じ気づき,すぐに自意識の中に閉じ籠ってしまう。そうし

たミリアムにポールは次第に動かされてゆくのである

 農家の娘であるミリアムは,自分を豚使いの少女に姿を変えられた王女さま

の様に空想していた。そういう,自己を過大化する偵向は宗教心の強い母親か

らの影響と考えられた。だが,母親のもの静かな敬慶な態度の反動として,息

子達は言動の粗野な農夫の父親に与していたのである。そこにポール同様,心

理的乃至肉体的に対立した両親をもったミリアムの性格を覗く事ができる。農

業という仕事やそれにたずさわる兄弟達を軽く見,母親の宗教的傾向,現実で

ないものに身を委ねようとする気質を伸ばしていたのである。

そうい5ミリアムにと。てポー・レは,自分の兄弟とは違。て識細な魂を持

’つ少年に思えるのであった。そしてポール自身の中にもそうしたミリアムの心

.・ノ応えるものがあったのである。ここにポールが初めてそれまで眠っていた自

己に眼醒める契機が含まれていた。

  Paul was just opening out from childhood into manhood. This atmos・

 phere, where everything took a religious value, came with a subtle

 fascination to him. There was something in the air. His own mother

 was logicaL Here there was something different, something he loved,

 something that at times he hated. (183)

 ポールの母は動作がきびきびしていて,家事も巧みで,ポールはそういう母

を眺めるのが好きであった。それに反してミリアムの母はあまりに静かすぎ,

何かにつけておずおずしており,娘のミリアムも汚れたエプロンをしていたり,

ス’ gッキングがたるんでいたり,馬鈴薯をこがしたりして,どこかきびきびし

たところに欠けている。彼が好みもし,時には嫌悪を覚える事もある宗教的雰

               一10一

囲気,すべてのものがそれまでと違って,何か宗教的な価値を帯びてくる様な

雰囲気,そうした感覚で直接に触れる事のできないものをポールは嫌悪すると

同時に,それに惹きつけられもするのである。ポールは自分の母を論理的だと

いう。それは宗教的でないというだけでなく,現在の母親をポールが,直接に

感触によって理解しうるもの,自分の感覚に快く明確なものと考えている事を

示している。これは例えば物語の最後近く,母にモルヒネを飲ませたポールが。

なかなか生命を落さない母親を,母は宗教的になっているのだ,とクララに言

うところからも理解される。リーヴァース家の雰囲気に対するこうした好感と

嫌悪の入り混った感情がその儘ミリアムに移行してゆくと考えてよかろう。

 男の子供の抵抗はあったにしても,リーヴァース家には,通常の人の交際の・

こまごました事を軽視して,何かより深いものを求めようとし,人との親しみ

を欲していながら自分から先に歩み寄ろうとはしない,という傾向があり,そ一

れもやはりミリアムの中に生きていたのである。自己と対象とが直接触れ合う

刺激に耐え得ないミリアムは,その間に何か霊的なもの,魂を含んだものが介

在しなければ,対象に結びつく事ができない。例えば,ポールとミリアムの恋

の始まりをロレンスは次の様に描いている。

  ‘Ido want you to see this,’said Mrs Leivers.

  He crouched down and carefully put his finger through the thorns into、

 the round door of the nest.

  ‘It’s almost as if you were feeling inside the live body of the bird,’he:

 said,‘it’s so warm. Theysay abird makes its nest round like a cupI

 with pressing its breast on it. Then how did it make the ceiling round,.

 Iwonder?,

  The nest seemed to start to life for the two women. After that,,

 Miriam come to see it every day. It seemed so close to her. Again,

 going down the hedgeside with the gir1, he noticed the celandines,.

 scalloped splashes of gold, on the side of the ditch.

  Ilike them,’he said,‘when their petals go flat back with the sun-一

               一11一

 shine. They seem to be pressing themselves at the sun.’

  And then the celandines ever after drew her with a little spe1L Anthro-

 pomorphic as she was, she stimulated him into appreciating things thus,

 and then they lived for her. She seemed to need things kindling in her

 imagination or in her soul before she felt she had them. And she was

 cut off from ordinary life by her religious intensity which made the world

 for her either a nunnery garden or a paradise, where sin and knowledge

 were not, or else an ug]y, cruel thing.

  So it was in this atmosphere of subtle intimacy, this meeting in their

 common feeling for something in Nature, that their love started, (184-5)

 小鳥の自然の本能で巧みに暖かく出来上っている巣は,ポールがその中に手

を入れてその見事さに感嘆して初めて,その自然のなし五不思議さがミリアム

とその母の眼に生命を帯びてくる。くさのおうの場合も同様であり,ポールは

自然をミリアムにとって生きたものにする神の行為の代行者にすぎない。そう

した代行をなし得る魂をポールが持っている事,それがミリアムのポールに対

する愛の基本なのである。そして彼女の想像の楽園の中には,自分の肉体や感

覚の直接の働きに刺激されるものはなく,ただ魂に触れるものしか存在しない。

自分が直接触れる力のないものをポールを通じて自分と結びつけようとし,

そこにポールと自分自身とのつながりもあるのだとミリアムは考える。こうし

た自然に対する共通の感情のめぐり合いの中で二人の恋は始まったのだ,とロ

レンスは書いているが,ミリアムがポールの魂だけを必要としている事が,ポ

ールの関心が単なる自然からミリアムそのものに移るにつれて,その矛盾を表

わしてくるのである。

 例えば二人がブランコに乗って遊ぶところで二人の素質の相異が歴然と現れ

てくる。ポールは体を動かす喜こびのために舞い降りて来る小鳥の様に空中に

大きく飛んでいる。そして本当に一羽の燕が天井から舞い降りてドアから勢よ

く飛び去ってゆく。その間ミリアムの美しい顔は何か考え事をしている様にポ

ールの方を見上げているのであ。やがてミリアムはポールにすすめられて自分

               一12一

もブランコに乗るが,ポールが適確に間をおいてブランコを押す力に恐怖を覚

える。それは心臓の正確な鼓動の様に生々しい生命の動きを感じさせるからで

ある。そうした生にじかに触れる感触に彼女は耐え得ず,ポールに対して自分

が弱者であるという意識が否応なく生じてくる。ミリアムはかって,ポールが

病身である事を知って,自分の方が強者である故に彼を愛する事ができる,と

考えた事があり,このブランコの時にも,最初の順番をポールに譲る事によっ

て男を甘やかす喜こびを初めて知ったのであった。怖がって降りてしまったミ

リアムに代ってポールが再びブランコに乗る。

  Away he went. There was something fascinating to her in him. For

 the moment he was nothing but a piece of swinging stuff;not a particle

 of him that did not swing. She could never lose herself, so, nor could

 her brothers. It roused a warmth in her. It were almost as if he were

 aflame that had lit a warmth in her whilst he swung in the middle

 air.(188)

 一心にブランコを揺らせているポールを通して初めて,ブランコはミリアム

にとって生きたものになったのであり,ブランコと一体となって躍動している

ポールを通してミリアム自身の中に生命の存在が感得されるのである。それは

自身の生命が燃焼する事とは異る。ポールをブランコに誘ったのはミリアムで

ある。ポールを利用して自然の生命を垣間みる事がミリアムの無意識の計画な

のであった。そしてそれはこの段階では見事に成功したのである。ポールは夢

中になってブランコをこいでいる。ミリアムはそれをじっと眺めて生命の暖か

さを感じている。ある生命の燃焼の行為者と観察者がいる場合搾取するのが観

察者であり,搾取されるのが行為者である。二人の少年と少女はそうした事情

を意識せぬ儘互に惹かれていったのである。

 ポールはリーヴァース家やミリアムの持つ宗数的雰囲気に何となく惹かれ,

新しいものに触れた様に思っているのであった。彼の生活はミリアムという新

しい相手を得はしたがやはり自己に立脚したものであり,ミリアムによって新

たに活気づけられてはいても,彼女の生活を自分に引きつけようとする積極性

               一13一

はまだ生まれていなかった。相手を意識的に自分に近ずける必要を感じていた

のはミリアムの方であった。

 ポールによって新しく自然が生命を得る事を知ったミリアムはそうしたポー

ルの魂を愛し,肉体の生命をもその中に吸収してしまったかの如き彼女自身の

魂は彼の魂とのそうした結びつきを渇望する。ポールの魂は神が与えた生命の

証しだったからである。だが,ポールにとって自分の魂は自分の生命の一部分

であり,魂だけで生きているミリアムの執拗な圧力は時に息苦しいものとなる

のであった。

 ある時,森の中に美しい野薔薇の木を見つけたミリアムは,それを永久に完

全に自分のものにするにはポールが必要だと感じる。二人で一緒に見るまでは

それは本当に生きているとは言えないのであった。ポールにその野薔薇の木を

見せる事によってミリアムはポールの魂と自分の魂との触れ合いを求め,神聖

な精神の証しにしたかったのである。二人は日暮れ時の美しい森の中を黙って

歩いて行った。

  By the time they came to the pine-trees Miriam was getting very eager

 and very intense. . Her bush might be gone. She might not be able to

 丘nd it;and she wanted it so much. Almost passionately she wanted to

 be with him when he stood before the flowers. They were going to have

 acommunion together-something that thrilled her, something holy. He

 was walking beside her in silence. They were very near to each other.

 She trembled, and he Iistened, vaguely anxious, (197)

 野薔薇の美しさを共有する事によってそれを神聖なものに崇め,その神聖さ

を通して魂が触れ合う事,それがミリアムの欲するポールとの関係なのであっ

た。ミリアムは,初めての意識せぬ恋心のときめきを自分で演出しているので

ある。その儀式が欠点なく完全に行われるかどうかでミリアムは緊張し,ポー

ルは殆んど夜陰に包まれた中で,ミリアムの魂との張りつめた接触を予感して

不安を覚えるのである。やがて二人は目的の野薔薇の木を見つける。

  ‘Ah!’she cried, hastening forward.

               -14一

  It was very stil1. The tree was tall and straggling. It had thrown

its briers over a hawthorn.bush, and its long streamers trailed thick right

down to the grass, splashing the darkness everywhere with great split

stars, pure white。 In bosses of ivory and in large splashed stars the roses

gleamed on the darkness of foliage and stems and grass. Paul and

Miriam stood close together, silent, and watched. Point after point the

steady roses shone out of them, seeming to kindle something in their

souls. The dusk can like smoke around, and still did not put out the

roses.

  Paul looked into Miriam’s eyes. She was pale and expectant with

wonder, her lips were parted, and her dark eyes lay open to hi血, His

look seemed to travel dowll into her. Her soul quivered, It was the

communion She wanted。 He tumed aside, as if pained. He turned t(>

the bush.

  ‘They seem as if they walk like butter且ies, and shake themselves,,. he

said.

  She looked at her roses. They were white, solne incurved and holy,

others expanded in an ecstasy. The tree was dark as a shadow. She

lifted her hand impulsively to the fiowers;she went forward and touched

them in worship.

  ‘Let us go,, he said.

  There was a cool scent of ivory roses-a white, virgin scent. Something

made him feel anxious and imprisoned. The two walked in silence.

‘Till Sund・y,・he said,・i・tly, and l・ft h・,、・nd、h。 w、1k。己h。m。、1。wly,

feeling her soul satis丘ed with the holiness of the night. He stumbled

down the path。 And as soon as he was out of the wood, in the free

oPen meadow, where he could breathe, he started to run as fast as he

could・It was like a delicious delirium in his veins. (198-9)

                             -15一

 ポールの視線を通して彼の魂が自分の魂の奥底まで届いた様に感じたミリア

ムは,すっかり満足して神聖化された花に脆いて愛撫せんとする。自分の魂を

一たんミリアムに託したポールは,すぐに耐えられなくなって視線を野薔薇に

反らす。白い花は彼等の余りに純潔なつながりの象徴であった。自分がミリア

ムの掌中にある事を意識していたポールは,森を出てようやく息苦しさから解

放されたのである。この出来事は,ミリアムにとってはポールが完全な存在で

あり,ポールにとってはミリアムが不完全な存在である事を,互に感じさせた

と言えよう。

 だが,.ポールを知って初めてミリアムにとって自然が生きてきた様に,ポー

ルにとってもミリアムは自己の認識に必要な存在であった。ミリアムのそれ自

体として自足している魂の中には,自然の生命によって自己発見や自己成長を

とげる本質は含まれていない。彼女の母親がポールを誘って小鳥の巣に生命を

与えた様に,ミリアムも又ポールを誘い利用してブランコや野薔薇の生命を燃

えたたせるのだが,ポールは彼女達にとって生命を現実のものにするだけであ

って,ブランコや野薔薇の生命は観念としては彼女達の魂の中に既に存在して

いるのである。そうした観念的に完結している魂にとって自己発見はあり得な

い。むしろミリアムは自己発見を恐れるのである。彼女がいつも外界におびえ

た様子をし,代数すらも魂で受け取ろうとして緊張し,美しい花や可愛ゆい弟

などをも自分の魂の中に吸収した形でしか愛さないのも,自分の完結した魂に

対する外部からの刺激を敏感に拒絶しようとするからと考えられる。彼女の眼

が全身の生命をそこに凝縮してしまったかの様にいつも大きく見開かれるのも

自分の魂の完結さを守ろうとする緊張から生まれたものなのである。後にポー

ルに何度か捨てられたミリアムは,物語の最後で窮極的に捨てられる際にも,

きっとポールは自分に帰って来ると信じて待とうとする。それは,彼女の魂そ

のものが自己に於て完結したものであり,孤独である事の苦しみをありの儘に

意識し得ないからである。彼女の中ではすべてが初めから存在し整頓されてい

るのであり,外界の事象はその現実の場の具体例にすぎない。だからこそ後に

ミリアムとの肉体の結びつきが空しかった事を悟ったポールに,こうなる事を

                一16一

彼女は初めから知ってて黙っていたのだ,とロレンスは言わせているのであ

る。

 だが,ポールにとっては事情は異っていた。ミリアムの家庭の宗教的雰囲気

に惹かれた彼はミリアムを通して自己発見を行っているのである。ミリアムの

緊張し切った魂との摩擦を怖れる様になりながらも,その魂に自己を反映させ

る事によって刺激を受けているのであり,それが反掻であるにせよ,共感であ

るにせよ,ポールはそれによって自分自身のそれまで意識していなかった本質

を見出してゆくのである。特に自分の描く絵や図案を彼女に説明してやる時が

そうであった。ポールに触れた草花がミリアムにとって生命を得た様に,彼女

はしばしばポールの描いたものに生命を感じるのであり,それに動かされて逆

にポールは自分の持っている内なる生命を見出してゆくのである。

 二人は,例えば教会で共に祈りを捧げる時などには心を一つにする事が出来

た。だが,二人で野原を駈けたり,腕を取り合ったりする時は,ポールはミリ

アムに嫌悪を抱くのである。ミリアムの体には濃刺としたところがなく,その

魂の緊張が摩擦熟を生じた様にポールを刺激するからである。ポールに共感を

呼び起すものと反擾を惹き起すものとは,ミリアムの中の本質的には同一の要

素である。同質のものの表と裏である。ところで,その一つのものに二通りに

反応するのはポールの各々異った二つの要素である。従って,ミリアムはいつ

までも完結した自己の盤であり,ポールは矛盾と葛藤によって脱皮を遂げてゆ

く本質を持つのである。

 ミリアムが彼女なりにポールを理解して彼への愛を意識したのは,両家の人

々がハイキングに出かけた時の事であった。一行から離れて自然を慈んでいた

ミリアムは突然人間的感情に引き戻される。

  Suddenly she realized she was alone in a strange road, and she hurried

 forward. Turning a corner in the lane, she came upon Paul, who stood

 bent over something, his mind fixed on it, working away steadily,

 Patiently, a little hopelessly. She hesitated in her approach, to watch,

  He remained concentrated in the middle of the road. Beyond, one rift

               -17一

 of rich gold in that colourless grey evening seemed to make him standl

 out in dark relief. She saw him, slender and firm, as if the setting sun

 had given him to her. A deep pain took hold of her, and she knew she

 must love him. And she had discovered him, discovered in him a rare.

 potentiality, discovered his loneliness. Quivering as at some‘ahnuncia-

 tion’, she went slowly forward.

   At last he looked up.

   ‘Why,’he exclaimed gratefully,‘have you waited for me!’

   She saw a deep shadow in his eyes.

   ‘What is it?’she asked.

   ‘The spring broken here,;and he showed her where his umbrella was,

 injured.

   Instantly, with some shame, she knew he had not done the damage

 himself, but that Geoffrey was responsible.

   ‘It is only an old umbrella, isn’t it?’she asked.

   She wondered why he, who did not usually trouble over trifles, made

 such a mountain of this molehill.

   ‘But it was William’s, an’my mother can’t help but know,’he said.

 quietly, still patiently working the umbrella.

   The words went through Miriam like a blade. This, then, was the

 confirmation of her vision of him!She looked at him. But there was,

  about him a certain reserve, and she dared not comfort him, not even.

  speak softly to him.

   ‘Come on,’he said.‘Ican’t do it’;and they went in silence along the、

  road. (205-6)

  ミリアムは見知らぬ場所に一人でいる事を突然知らされて不安に襲われる。

それは彼女自身思いがけぬ事であり,偶然みかけたポールの中に彼の孤独を感

じたのは,むしろ彼女自身の孤独の反映なのである。ミリアムは,自分の孤独

                             一18_

を意識する恐怖心を,ポールの中に孤独の影を見出す事によってポールへの愛

に転化しょうとする。強者でありたい彼女は孤独の不安という厳粛なる人間的

事実を,偶然のきっかけを捉えてその不安をポールの姿に投影し,彼を弱者に

仕立てあげる事によって解消しようとするのである。だが,ポールの中にある

ミリアムの魂の緊張に反機する本質を理解しない彼女は,彼の眼の中の深い影

の意味を誤って考える。ポールは孤独でいたわけではない。彼は母を思う気持

から傘の修善に夢中になっていたのである。だが,ミリアムの眼にはそれが,

傘を自分で壊したと思っているポールが自責の念に襲われている様に見えたの

である。傘を壊したのは自分の弟のジョフリーだという申し分けない気持も,

彼女がポールの気持を牽強附会に合点する助けとなっている。ポールの隠され

た何かの思いとは恐らく母の事であった。そこに思い至らないミリアムはポー

ルを慰める事も優しい言葉をかける事もできない。こうしたミリアムの自己中

心性はポールとミリアムの関係の特質をなしていつまでも消える事のないもの

なのである。

 その晩二人は次の様な会話を交す。

  ‘You know,’he said, with an effort,‘if one person loves, the other

 does.’

 ‘Ah!’she answered.‘Like mother said to me when I was Iittle,

層‘‘

kove begets love.,,’

 ‘Yes, something like that, I think it must be.’

 ‘Ihope so, because lf it were not, love might be a very terrible thing,’

she said.

  ‘Yes, but it is-at least with most people,’he answered. (206)

 青春の純粋な理想を二人は確め合ったのであるが,ポールは,「そうでなきゃ

いけないと思うんだ」という表現から,「少なくとも殆んどの人の場合事実そ

うなんだ」と表現を変える事によって,青春の内面の相剋をミリアムを通して

乗り越えようとするのである。ミリアムの様な少女の前でこの様な話題を持ち

出す事は,自分の中にあるミリアムに反機するものを意図的に抑圧しようとす

                一19一

る心につながるものであった。だが,そうすると事によって逆にポールは,自

分の青春を構成する少なくとも一つの要素,つまり精神的な愛がミリアムによ

って生きたものになった事を確かあておきたかったのである。その意味で二人

の愛は互に呼応し合っていたわけであり,確かにポールは青春の一時期に,必

然の欲求に押されてミリアムを必要としていたのであり,従って彼女を愛して

もいたのである。

 だが,ポールにとって青春の一部であったものが,ミリアムにとては青春の

すべてなのであった。ポールの青春がミリアムの青春をはみ出るものであった

ところに彼が彼女を離れてゆく一因があったのであり,上に引用した会話をミ

リアムが永く心に留めて自分の見たポールの孤独を神の啓示の様に錯覚した所

以が存するのである。だが,ミリアムに共感や嫌悪を抱きながら,実際はポー

ルは自分の中にあるものと闘っていたのだという事を見落してはならない。自

分が何であるかを知るためにミリアムを必要としていたのである。

 それからしばらくは穏やかな関係が続くのであるが,二人の間の懸隔を明確

にさせたのは互の肉体的欲求であった。自分がポールを欲している事に気付い

たミリアムは恥辱の念に襲われる。そしてポールへの愛が神の思し召しである

ならば,神への犠牲のために彼を愛する事を許し給え,と神に祈るのである。そ

うして彼女は,自分の中の精神と肉体の相剋を,ポールとの現実の接触から自

分と神との関係に置き換え,ポールへの愛の証左であるべき自分の本然の欲求

を神の意図の実現のための犠牲と考える事によって,その相剋を解消してしま

おうとする。それを可能にするのが,彼女にとっては「祈り」という儀式なの

である。mレンスは次の様に書いている。

  ._Prayer was almost essential to her. Then she fell into that rapture

 of self-sacrifice, indentifying herself with a God who was sacrificed, which

 gives to so many human souls their deepest bliss. (212)

 恰も彼女にとって必要だったのは神に祈る事だけであり,ポールの愛情も欲

情も,祈りに誘う契機としてのみ意味を持つかの如くである。この様にして,

精神と肉体の相剋は本質的な意味を失い,内面の葛藤を経てより広い世界に脱

               一20一

皮するという,ポールの中に存在する青春の特質をミリアムは放棄するのであ

る。

  だが,ポールにとってもミリアムに対する自分の欲情は恥しいものに思われ

た。ミリアムと二人でいると,彼女の緊張した魂に自分のそれが呼応して安ら

かな生命感を抱く事ができなくなる。欲情の問題を神への自己犠牲という形で

浄化してしまおうとするミリアムは,同じ問題に悩んでいるポールにも同様の

事を期待する。そして,差恥心に悩むポールは,ミリアムに呼応する自分の中

の純潔への衝動に負けるのである。ある時二人で海辺を遊歩しながら,ポール

はミリアムへの欲情に身を焦がすのだが,彼女にはそれに呼応する肉体が欠け

ているのであった。

   ....The country was black and stilL From behind the sandhills came

 the whisper of the sea. Paul and Miriam walked in silence。 Suddenly

 he started. The whole of his blood seemed to burst into fiame, and

 he could scarcely breathe, An enormous orange moon was staring at

 them from the rim of the sandhills。 He stood still, looking at it.

   ‘Ah!’cried Miriam, when she saw it.

   He remained perfectly still, staring at the immense and ruddy moon,

 the only thing in the far-reaching darkness of the level・ His heart beat

 heavily, the muscles of his arms contracted.

   ‘What is it?’murmured Miriam, waiting for him.

   He turned and looked at her. She stood beside him, for ever in shadow.

  Her face, covered with the darkness of her hat, was watching him unseen.

  But she was brooding. She was slightly afraid-deeply moved and

 religious. That was her best state. He was impotent against it. His

 blood was concentrated like a flame in his chest. But he could get

  across to her. There were Hashes in his blood. But somehow she ignored

  them. She was expecting some religious state in him. Still yearning she

  was half aware of his passion, and gazed at him, troubled.

                            -21一

  ‘What it is?’she murmured again.

  ‘It,s the moon,’he answered, frowning。

  ‘Yes,’she assented.‘Isn’t it wonderful ?’She was curious about him.

 The crisis was past. (220)

 ポールは自分に内在する欲情の意味をまだ悟るに至っていない。本然的に自

己の内部に生じている欲情はまだそれに相応しい対象を意識し得ておらず,そ

れを恥辱と思わせ,自分の欲情を神への犠牲として処理しようとするミリアム

がそうしたポールをじっと傍で見ているのである。ミリアムにとっては,ポー

ルの欲情も自分のそれの様に宗教的に解消できるに違いないものなのであり,

更に彼女はポールを自分と同じく宗教的に問題を処理する人間としてしかみて

いない。それにしてはポールの様子は変だとミリアムは思い,彼女はそれから

先には思い至らず,ポールも又ミリアムからはみ出た部分の自分の生命をどう

処理すべきか分らずに,彼女の精神性に嫌悪を感じながらもそれに屈服する事

が正しいのだという内面の栓楷から抜け出し得ないのである。

 ミリアムは肉体的欲望に眼醒めると同時に,肉体的生命への恐怖を一層強く

する。ある時ポールが自転車のパンクを直している姿をミリアムはその傍で眺

めていた。

  ....She loved to see his hands doing things. He was slim and

 vigorous, with a kind of easiness even in his most hasty movements. And

 busy at his work he seemed to forget her. She loved him absorbedly.

 She wanted to run her hands down his sides. She always wanted to

 embrace him, so long as he did not want her.

  ‘There!’he said, rising suddenly. ‘Now, could you have done it

 quicker?,

  ‘No!’she laughed.

  He straightened himself. His back was towards her. She put her two

 hands on his sides, and ran them quickly down.

  ‘You are so fine!’she said.

               -22一

  He laughed, hating her voice, but his blood roused to a wave of flame

 by her hands, She did not seem to realize him in all this。 He must have

 been an object. She never realized the male he was. (233)

 これはポールの心にミリアムに対する憎悪の念をかき立たせた出来事であっ

た。彼女は女としての自分だけでなく男としてのポールをも蔑視した気持で彼

に触れる。それがポールの肉体をどんなに刺激するかを彼女は考えない。自分

の範疇の中で彼を見,独裁者となって彼を吸収せんとするミリアムへの反抗心

にポールは初めて強く捉われる。この時彼女と別れた後,彼は暗闇の中を自転

車を疾走させて家に帰るのである。

  He dropped down the hills on his bicycle. The roads were greasy, so

 he had to let it go. He felt a pleasure as the machine plunged over the

 second, steeper drop in the hill. ‘Here goes!, he said. It was risky,

 because of the curve in the darkness at the bottom, and because of the

 brewers’waggons with drunken waggoners asleep, His bicycle seemed

 to fall beneath him, and he loved it. Recklessness is almost a man’s

 revenge on his woman. He feels he is not valued, so he will risk destroy・

 ing himself to deprive her altogether. (234-5)

 ポールは無意識のうちに新しい青春の自己主張の念に動かされているのであ

り,かってミリアムを離れてようやく息苦しさから解放されたのとは異り,奥

深い情熱の生み出す愛憎の両極の間に翻弄され始めるのである。

 ポールのミリアムに対する態度が特に残酷さを帯びてくるのもこうした事情

からであった。勿論,母やミリアムと一緒に教会にいる事はポールにとって心

の安らぐものであった。だが,そうした時のミリアムの姿に彼は次の様な厳し

い思いに襲われもするのである。

  _,Her face, as she sat opposite, was always in shadow. But it gave

 him a very keen feeling, as if all his soul stirred within him, to see her

 there・It was not the same glow, hapPiness, and pride, that he felt in

h・vi・g hi・m・th・・in・h・・g・・s・m・thing m。,e w。nd。・f・1,1ess h・m・n,

                  -23一

  and tinged to intensity by a pain, as if there were something he could

  not get to. (237)

  これは何よりもポールが肉体の欲望の強さを知り始めた事を示していた。現

在彼が感じている肉体の欲望は母に対するものではないが,少なくとも母との

愛は人間として完結している関係であった。肉体を捨て去る事を要求するミリ

アムの愛は,余りに現実の彼の姿とかけ離れたところに凝結しており,母との

愛に比べてひどく不安定なのであった。それをすばらしいもの,自分に到達で

きないものと感じるところに,彼がミリアムを捨て切れない因があるのだが,

自分を入間的な面で意識する事によってミリアムに反抗し,むしろ意図的にミ

リアムの肉体嫌悪を冷く扱って彼女に苦悶を与えるのである。

    ....Paul lay on his back in the old grass, looking up。 He could not

  bear to look at Miriam. She seemed to want him, and he resisted. He

  resisted all the time. He wanted now to give her passion and tenderness,

  and he could not. He felt that she wanted the soul out of his body, and

  not him. All his strength and energy she drew into herself through

  some channel which united them, She did not want to meet him, so

  that there were two of them, man and woman together. She wanted to

  draw all of him into her. It urged him to an intensity like madness,

  which fascinated him, as drug-taking might.

    He was discussing Michael Angelo. It felt to her as if she were finger-

  ing the very quivering tissue, the very protoplasm of life, as she heard

  him. It gave her her deepest satisfaction. And in the end it frightened her.

  There he Iay im the white intensity of his search, and his voice gradually

fill・d h・・with fea・,・・1・v・1 it ・」・・, alm・・t i・h。m。n,。、 if in。t,ance.

    ‘Don’t talk any more,’she pleaded softly, laying her hand on his

  forehead.

    He lay quite sti11, almost unable to move. His body was somewhere

  discarded.

                             -24_

  ‘Why not?Are you tired ?’

  ‘Yes, and it wears you out.’

  He laughed shortly, realizing.

  ‘Yet you always make me like it,’he said.

  ‘Idon’t wish to,’she said, very low.

  ‘Not when you’ve gone too far, and you feel you can’t bear it. But

 your unconscious self always asks it of me. And I suppose I want it.’

  He went on, in his dead fashion:

  ‘If only you could want me, and not want what I can reel of〔for

 you!’

  ‘1!,she cried bitterly-‘1!Why, when would you let me take you?,

  ‘Then it’s my fault,’he said, and, gathering himself together, he got

 up and began to talk trivialities. He felt insubstantial. In a vague way

 he hated her for it. And he knew he was as much to blame himself.

 This, however, did not prevent his hating her.(239-40)

 ポールは,彼の肉体を欲せず彼の魂だけを吸い取ろうとするミリアムへの,

彼女を精神的には愛するが故により一層強い,加虐性を含んだ憎悪の念に駈ら

れて・彼女にミケランジェnの話をするのである。「震えわなく生命組織生

命の原形質」について語っている時,ポールは肉体の生命に陶酔した様になっ

ていたのであり,それはミリアムにも深い満足を与えるものなのであった。だ

が・宗教的なものに陶酔したミリアムがポールに嫌悪感を抱かせる様に,肉体

的なものに陶酔したポールの姿は彼女に嫌悪を越えて恐怖感をすら抱かせるの

である。

 又別の面から見れば,肉体的な生命をミリアムの前で説く事は,今のポール

には自分の中にあるそれを抑圧してミリアムの宗教性に屈しようとする一種の

自虐性を意識する事でもあった。従って,今の二人の間に肉体的接触が接吻す

らないという事は,ミリアムだけではない,ポール自身の責任でもあったわけ

である。若いポールは,肉体と精神,生命の神秘と宗教の神秘との広範な矛盾

                一25一

の中に落ち込んで自分を見失っているのである。

 そうしたポールに対して,彼が自分から離れようとしている事を認めようと

・せず,却ってその故にポールを哀れむミリアムは,ますます自分の中に閉じ籠

って,ポールのきびしびした動作さへも心の苦痛と感じる様になり,一方ポー

ルは,ビアトリスといういたずら娘とミリアムの前で戯れたりして,彼女をみ

じめな気持にさせるのであった。

 母はミリアムがポールの魂を何も残らないまでに吸い取ってしまうものと考

えて,二人の交際を嫌った。ポールは,僕達は話をするだけなんだ,と言う。

母とミリアムに対するポールの愛情は,母との安定した愛に比べて,ミリアム

との愛が如何に実質と安らぎとを欠いたものであるかを思い知らされる,とい

う関係にあった。今のポールの抱いている異性への欲望は母と本質的に結びつ

くものではない。だが,母の彼に対する愛は夫への愛の不満の充足という欲望

を本質的に含んでいた。だからこそ,母はポールに長い激しい接吻を与え,ミ

リアムによって欲望を満足し得ない彼はそれに屈して,母の顔を知らず知らず

のうちに愛撫するのである。だが,ポールが母に味方して父と喧嘩した後,ロ

レンスは次の様に書いている。

  He pressed his face upon the pillow in a fury of misery. And yet,

 somewhere in his soul, he was at peace because he still loved his mother

 best. It was the bitter.peace of resignation. (264)

 ポールの母への愛は,彼が他の女性を愛するのを本質的に妨げる性質のもの

ではなくて,それ自体完全な関係であるが故に,欲望の満たされない彼に「苦

しい諦めの平安」を与えて彼の自己発展を妨げるものなのであった。そうした

「諦めの平安」の支えを失う事がポールの青春にとって窮極的に必要なものな

のであった。勿論ポールがここでその事を意識したわけではないが,母に対す

る闘いは既に始ったのである。母への愛が自己犠牲を強いるものになり,自分

が嫌悪している筈の自己犠牲にミリアム同様に満足する心と,母以外に異性と

の完全な結びつきを求める狂おしい心との葛藤が始まったのである。

 ポールの魂に対する自己犠牲をミリアムは次の様に見ていた。

               -26一

  She liked him on Sundays. Then he wore a dark suit that showed the

 lithe movement of his body. There was a clean, clear.cut look about him.

 He went on with his thinking to her. Suddenly he reached for a Bible.

Miriam liked the way he reached up-so sharp, straight to the mark. He

 turned the pages quickly, read her a chapter of St John. As he sat in.

 the arm-chair reading, intent, his voice only thinking, she felt as if he

 were using her unconsciously as a man uses his tools at some work he.

 is bent on. She loved it. And the wistfulness of hjs voice was like a、

 reaching to something, and it was as if she were what he reached with.、

 She sat back on the sofa away from him, and yet feeling herself the・

 very instrument his hand grasped. It gave her great pleasure. (279-80>

 事実ポールは彼女の魂を通して多くの真実を学んできたのであり,だからこ

そミリアムは,ポールが欲しがっている何ものかを自分が持っていない事に気.

ついても,彼の魂だけは永遠に自分のものと信じているわけである。彼女のそ

の自信の強さは,肉体的力への自信の欠如の裏返しでもあるのだが,ポール自

身の内面の反映であるかの様に彼の生活に影響を及ぼすのである。日常生活の

調和に適合できず,悲劇や犠牲に耐える事に宗教的喜こびを見出す彼女は,ポ:

一ルの下等な欲望のために進んでクララという女性を用意するのである。

 ミリアムの前ではいつも精神を緊張させていなければならないポールは,ク

ララの前に出ると,妙な軽口を叩いて得意になったりする。30をすぎて夫と別.

居している彼女にリーヴァース夫人が,人生が寂しくはないかと尋ねると,彼

女は,そんなものはどこかに置き忘れてしまった,と答える。そんな話に不快

になっていたポールはふと立ち上る。

  ‘You’11 find you’re always stumbling over the things you’ve put behind

 you,’he said. Then he took his departure to the cowsheds. He felt he

 had been witty, and his manly pride was high. He whistled as he went

 down the brick track. (286)

 人生の不満を包み隠そうとする成熟した女をからかって,ポールは一人前の・

                    -27一

男になった気でいる。それは確かにミリアムからは得られないものである。だ

が,やがてクララが女権運動に参加している事を郷楡した彼は,彼の軽口にう

んざりした彼女が悲しそうな表情をするのを見る。すると彼の心は人間という

ものへの優しさに満ちてくる。これもミリアムからは得られないものであっ

た。思えば以前ポールは,君はクララが男に遺恨を持っているから好きなんだ

ろう,とミリアムに言い,自分では気づかずにいながらその言葉通りの感情を自

分で抱いていた事があった。ミリアムはポールの中の男を欲していない。だが

ミリアムの中に女を見出そうとしてなし得ないポールは男に満足し得ていない

クララに無意識の共鳴を覚え,そこに人間的な暖い感情を見,それが一因とも

なってクララに軽口を叩く事もできたのであった。

 ミリアムとポールと三人でいた時,クララはオールドミスのリム嬢のことを

「あの人は男が欲しいのよ」と言う。しばらくしてポールは,「とにかく一人

でいるからみじめになるんだ」と言うのだが,クララは答えずに無造作に歩い

て行く。クララのなげやりな言葉と物憂げな豊かな四肢の動きは彼の心を強く

彼女に惹きつける契機となった。ポールはクララの姿に全身に血が走る思いを

して傍のミリアムを忘れてしまう。そして又,膝をついて花の香りをかいでい

るクララの美しさに思わずポールは手にしていた花を彼女の上に撒き散らした

りするのである。ポールはそうしたクララの成熟した姿態の中に何か深い陰騎

を感じていたのであり,それはすべてを両眼に露出した様なミリアムの仮借な

い魂と異なるものであった。この後,ポールとクララの問に次の様な会話がな

される。

  ‘Iwonder which was more frightened among old tribes-those bursting

 out of their darkness of woods upon all the space of light, or those from

 the open tiptoeink into the fQrests.,

  ‘Ishould thiIlk the second,’she answered,

  ‘Yes, you do feel like one of the open space sort, trying to force

 yourself into the dark, don’t you?’

  ‘How should I know?’she answered queerly.

               -28一

   The conversation ended there. (293)

  生命の根源を明るい輝きの中より暗闇の神秘の中に求めようとするポールの

本能はむしろクララによって呼び起されたものである。それはミリアムからも

母からも刺激されたことのないものであり,そしてこれ以後,母もミリアムも

ポールにはそれまでと違って見えて来るのである。

  その頃ポールは母を連れてリンコンを訪れ,車中で有名な大寺院を見かけ

る。

   They drew near to the city. Both were at the window looking at the

  cathedral.

    ‘There she is, mother!,he cried.

   They saw the great cathedral lying couchant above the plain.

    ‘Ah!’she exclaimed.‘So she is!’

   He looked at his mother. Her blue eyes were watching the cathedral

 quietly. She seemed again to be beyond him. Something in the eternal

 repose of the uplifted cathedral, blue and noble against the sky, was

reflected in her, something of the fatality. What was, was. With all his

 young will he could not alter it. He saw her face, the skin still fresh

 and pink and downy, but crow’s・feet near her eyes, her eyelids steady,

  sinking a little, her mouth always closed with disillusion;and there was

 ・on her the same eternal look, as if she knew fate at Iast. He beat

 .against it with all the strength of his souL

    ‘Look, mother, how big she is above the town!Think, there are

 、streets and streets below her! She looks bigger than the city altogether.’

    ‘So she does!’exclaimed his mother, breaking bright into life again.

 :But he had seen her sitting, looking steady out of the window at the

 ・cathedral, her face and eyes fixed, reflecting the relentlesshess of life.

 、And the crow’s.feet near her eyes, and her mouth shut so hard, made

 .him feel he would go mad. (294)

                             -29一

 ポールの眼に映った母の宿命とは,若い息子に結局は自分の愛を裏切られる

女の宿命であり,不満と幻滅の中に永遠にとり残される以外に道のない悲しさ

である。クララによって情熱の衝動を喚起されたポールは,自分の予感した母

の宿命が自分自身の母に対する愛の宿命でもある事にはまだ気づいていない。

だがここでは,かつての様に母への愛が自己犠牲の諦めの平安として意識され

ているのではなく,母の方がポールの若い情熱の犠牲にされた形で現われてい

る。彼は,肉体に対する精神の力を尽して母の宿命に抵抗し,母への愛を守ろ

うとするのだが,既にクララに触発されて母を乗り越えんとする力がはっきり

と現われているのである。ポールは間もなく,どうして若い母親を持てないん

だろう,年とってたら何にもならないじゃないか,と言う。ポールの生活に落

着の失せてきた原因を知った母親は,クララの話をするポールの前で,クララ

なら悪くはないと考えるのであった。自分にとって必要なポールの魂をクララ

にならば譲らないですむと考えたからである。母のその推量は確かに当たって

はいたが,より深い意味で母はやはりポールの感じた宿命の中にいたのであっ

た。

 ミリアムに対してはポールは,自分が精神的には彼女を愛して来たが肉体的

には愛せない事,従ってこの地上で二人が一緒に人間らしく生きるのは不可能

である事を手紙で言ってやる。その手紙の中の「貴女は尼なのだ」というポー

ルの言葉は殆んど致命傷の様にミリアムの心に打撃を与えた。だが自分の正し

さを信じる彼女は,「一つの小さな誤ちがなければ私達の交際は全くすばらし

いものだったでしょうに」というポールの手紙の言葉を引用して,・その失敗は

私が犯したのでしょうかと問い返したのであった。そしてこの間に対して,自

分も同罪である事を認あざるを得ないところにポールのミリアムに対する弱さ

があり,その弱さをミリアムが見抜いているところにポールに対する彼女の強

さがあったのである。ポールはミリアムの精神的愛に自己の本性によって応じ,

それによって精神的高さに導かれた事を認めないわけにはゆかず,性の欲望に

苦しみながらも,自分の本質はミリアムのものであるという考えを捨てる事は

できないでいるのだった。ロレンスは,ミリアムがその事に関しては余りに輩

               一30一

固な確信を持っているので,ポールも彼女が正しい事を認めないわけにはゆか

なかった,と書いている。それはミリアムの強さというよりは,ポールの中の

ミリアム的なものの強さを語っていると言うべきであろう。ミリアムはポール

にとって,彼女に対する愛情に関しても憎悪に関しても自分の分身の投影であ

ったと言ってよいのである。

 ポールはクララの肉感の中にひそむ不可解なものが彼女が男を欲している事

の証しに他ならない事を彼女の白い大きな手を見て理解した。だが,若いポー

ルは自分の欲情を内面化してしまってそれに応える事ができない。彼がクララ

の手に彼女の欲望を知り,彼女が彼の暖い生き生きした手を自分のためにある

様に思ってポールへの欲情を覚えた時,彼は次の様な瞑想に耽ってしまうので

ある。

  ....He was brooding now, staring out over the country from under

 sullen brows. The little, interesting diversity of shapes had vanishe(1

 from the scene;all that remained was a vast, dark matrix of sorrow and

 tragedy, the same in all the houses and the riverflats and the people and

 the birds;they were only shapen dfferently. And now that the forms

 seemed to have melted away, there remained the mass from which all

 the landscape was composed, a dark mass of struggle and pain. The

 factory, the girls, his mother, the large, uplifted church, the thicket of

 the town, merged into one atmosphere-dark, brooding, and sorrowful,

 every bit. (333)

 周囲の事物の一つ一つが固有の形を失って,一つの暗い,瞑想に耽る悲しみ

の雰囲気にとけこんで,苦悶の塊りとなるのは,ポールの性欲がまだその対象

を意識し得ない内面的なものである事を意味する。だが,それは単にポールの

意識しない本能の衝動であっただけではなく,母やミリアムや教会などをもそ

の暗闇の中に姿を消させてしまう執拗な力を秘めたものである事をポールは感

じていた筈なのである。母もミリアムも教会も,それぞれの意味でポールの生

活の鍵を握っているものである。クララの肉感はそうしたものとの葛藤の悲劇

                一31一

をポールに予感させたのであった。ロレンスは又次の様に書いている。

  He was like so many young men of his age. Sex had become so com・

 plicated in him that he would have denied that he ever could want Clara

 or Miriam or any woman whom he knew. Sex rdesire was a sort of

 detached thing, that did not belong to a woman. He loved Miriam with

 his souL He grew warm at the thought of Clara, he battled with her,

 11e knew the curves of her breast and shoulders as if they had been

 moulded inside him;and yet he did not positively desire her. He would

 have denied it for ever. He believed himself really bound to Miriam. If

 ever he should marry, son真e time in the far future, it would be his duty

 to marry Miriam. That he gave Clara to understand, and she said

 nothing, but left him to his courses. (337)

 ポールの中に新しいものを生み出したクララの胸や肩の曲線は,彼にミリア

ムを捨てさせるどころか,却って肉体と精神の調和を既に精神によって彼をと

らえていたミリアムに求めさせる事になってしまう。ミリアムはポールとの魂

の結びつきを欲しているのではなく,彼自身を欲しているのだ,というクララ

の言葉によってポールはミリアムを試そうという気になるのだが,そこには,

魂を信じないクララが肉体を信じないミリアムを正しく理解していなかったと

いうだけでなく,ポール自身の中にミリアムの本質を見誤る未熟さがあった事

実が隠されている。又その裏を返せば,ポールはクララの力をも,自分の中に

あるクララに呼応する要素の持つ意味をも見誤っていた事になる。

  He saw none of the anomaly of his position. Miriam was his old

 friend, lover, and she belonged to Bestwood and home and his youth.

 Clara was a newer friend, and belonged to Nottingham, to life, to the

 world. It seemed to him quite plain. (337-8)

 ミリアムとの交際は家族同士の接触から始まり,クララとの交際は一緒に勤

務する会社の中で深まった。その家庭の持つ宗教的雰囲気に惹かれてミリアム

との交際は始まり,会社の多くの女達の中でクララとの交際は深まっていっ

                   一32一

fc。ミリアムは処女でありクララは人妻であった。ミリアムはポールの精神で

あり,クララはポールの肉体であった。ポールにとって二人の女性はそれぞれ

両極に偏った存在であり,精神と肉体の調和はその両極を包含した全体に求め

られるべきものであった。ポールがクララの刺激によってミリアムの肉体を試

す気になったのは,何よりも自分の霊肉の葛藤の本質を見究め得ない彼の若さ

の現われであり,クララではなく再びミリアムに走ったところにミリアムの強

さとポールの更に幼い青春の姿を見て取る事ができる。

 こうして,肉体と精神の葛藤というポールの青春の特質は新たな迂余曲折を

経ることになるのである。 (未完)

 ※引用文末の数字はペンギン・ブックのテキストの頁数を示す。

33一