dmedia2011 04
TRANSCRIPT
Social Network Service
電子メディア論 赤④http://aka.oops.jp/
「六次の隔たり」仮説
It‘s a small world
「自分の知り合いを6人程度介していくと世界中の人々と間接的な知り合いになれる」という仮説
心理学者のスタンレー・ミルグラムが1967年に実施したスモールワールド実験が嚆矢で,情報科学・社会学などで追実験が実施される
社会学的には
六次の隔たりは,広い人的ネットワークを持ち,友人を初めとする他人との接触が多い少数の特異な人々(接続者・コネクタ・ハブ)に依存する
大多数はコネクションが薄い人々。コネクタが仲介することで「接続」が形成されるが,その「接続」にはどれだけの意味が存在するのか?
Twitterの場合
多くのフォロワーを集めるアカウントをフォローすることで,形式的には「コネクト」が形成される。ハブとなるアカウントが相互フォローすると,六次の隔たりは容易に達成できそう
@やRTなどにより,他のフォロワーに気づきコネクトが広がる可能性はある
だから? 何の意味がある?
SNS
Social Networking Serviceの多くは,「六次の隔たり」のファンタジーを具現化するためにサービスが開始されたといわれる
SNSのユーザーは「六次の隔たり」のファンタジーを具現化するために,SNSを使っているのだろうか? SNSで築かれる「人脈」の特質とは?
mixiのhome.pl
SNSのマッピング
mixi
2ちゃんねる
ブログ
ネット
匿名性顕名性
顕(実)名か匿名か
ブログは公人を除くと匿名が主流。mixiは実名登録(とハンドルネーム使用)を推奨(現実の人間関係とリンクが前提だから)。facebookは実名使用が大原則
プロフィール欄,コミュニティへの書き込み,足あとなどをたどると,個人情報は相当なレベルで解析できる
匿名でも利用は可能だが,築ける人間関係には限界がある
顕名・実名SNS
「facebook」など世界標準は「顕(実)名制」のSNS
求職活動に使える,「検索」で知人に特定されやすいなどのメリット
「友人」(マイミク)を承認制にしている限り,顕名のデメリットはないはずだが
① プライベート・ビーチの思想
インターネット=管理者が不在の大海=危険もいっぱい(恐怖心)
mixi=プライベート・ビーチ
管理が行き届き,行
動範囲も制限=危
険が少ない。ヌーデ
ィスト・ビーチ? ゲ
ートに実は鍵がない
「招待制」のプライベートビーチ
招待(紹介)がないと入れない→新規参入者の保証(その前提は崩れたけれど)
友だちの友だちはみんな友だち! 世界に広げよう「友だちの輪」
「あの人が会員だから,あの人とネットでも交流するために入会しよう」→パソコン通信と共通点
アクセスログ(IPアドレス:匿名性)←→足あと(訪問者のプロフィール:記名性)
ベルボーイ的メール・サービス
パソコン通信の延長線
AOL(America Online)や@Niftyなどパソコン通信大手がインターネットと出会ったとき,プライベート・ビーチ指向
AOLが管理するWebページで,ユーザーのニーズのほとんどが充たされる(SNSは汎用ツール。そこで何時間でもすごせる)→大海に出て行くのはほんの一瞬
独自ブラウザにより,いつでもビーチに戻れる→ポータル・サイト指向
Niftyの「パティオ」
パソコン通信サービス「Nifty-Serve」に存在していた,招待制の電子会議室(+チャット)
誰かがホストとなり,親しいユーザーだけを集めて盛り上がれる
パティオ(中庭)というより,フロアに対する「個室」
② オンとオフのシームレス
ネット上(オン)と現実(オフ)の両方で,人とのつながりを最優先
現実世界(オフ)の人間関係とルールをそのままオンに持ち込める
オフでの人間関係を機に,オンでも交友関係を広げていく(頻繁に開催されるオフ会)
スーパーアクティブ・ユーザーがオンとオフのつなぎ役(もともと交友関係が広く,社交的で,多趣味で,ネット接続時間も長い人)
オフ会
主に「コミュニティ」「フォーラム」など同好の士が集うネット上の集団で,オンラインではなく,オフライン(現実世界)で出会い,全人的交流を図るイベント
現実でもニック(ハンドル)ネームで呼び合うなど,ネットで公開するプロフィール以上の個人情報は,「公式の場」では明らかにされないことが多い
③ この指とまれ
どんなトリビアルな話題(趣味)でも,ネットでは同好の士が必ずみつかる
アピールの場としての日記(日々更新されていくプロフィール)と,交流・情報交換の場としてのコミュニティ
参加しているコミュニティで,その人の趣味嗜好の大要は把握できる?
*—「この指とまれ」はネット草創期に存在した同窓会支援サイトの名称
シスオペとサブシス
コミュニティ(フォーラム)を立ち上げ,議論の流れを整理し,問題行動を起こす会員を排除するなど,管理者権限が与えられた人(サブシスはその補助者)
コミュニティが活性化するか否か,オフ会などイベントを開けるか否かは,シスオペがどれだけ自発的・献身的にコミュニティを管理できるかにかかる
④ブログとmixi日記
ブログ→不特定多数が読者。ネタや視点に新規性がないと,読者がつかない。公的な存在。気に入らなければ物が飛んでくる立会演説会
mixi日記→特定少数が読者(*)。日常雑記のダラダラ文章でも好んで読んでくれる。私的な存在。井戸端会議
*全体に公開/友人の友人まで公開/友人まで公開(推奨)/友人の一部まで公開の四つの公開範囲を選択できる
mixiの落とし穴
読者は「気のおけない人」(私的空間)だと思い,傍若無人な発言をしてしまう
他者(自分の領域外の人)に対する悪口
マクドナルド店員vsモーヲタ
法律・マナー違反の武勇伝の披露
未成年者の飲酒・喫煙
道路交通法関係
カンニング(横浜市大生『アタック25』)
差別関連(岩手大生“ミイラ”事件)
2ちゃん・ブログから“ネット制裁”
2ちゃんねるやブロガーの中には,mixiウォッチャーが相当数いる
mixi上の問題発言を晒しあげる
多数の非難コメントが書き込まれる
個人情報を追跡して,大学などに電話・メールなどで総攻撃(電凸)
ZAKZAK・J-CASTなどのサイトで報道
(大学から処分を受ける)
なぜ?
mixiユーザーは「ネットに出る覚悟が足りない,無防備な羊さんたち」と思われている
完全匿名(名無しさん)で“鍛えられている”ユーザーにとって,mixiは「会員制クラブ」の特権階層みたいなもの
だから,問題発言にネット制裁を加えるのは“正義の行為“
公? 私?
それにしても,mixiのような場で(日記を「全体に公開」しておいて),このような,不謹慎かつ自分で自分の首を絞める発言をどうしてしてしまうのか?
逆に,その発言を晒し上げ,電凸する妙な正義感はどこから生まれるのか(他人の不幸は蜜の味?)
mixiは学生にとって「私的空間」なのか? 「公的空間」なのか?
ミクロコスモス
SNSの基本は小社会の混在
小社会は孤立しているわけでなく,メンバーリスト(マイミク)などで連鎖し,小社会と小社会が繋がる可能性も
個人はさまざまな小社会(中間集団)に同時並行的にかかわっている
⑤私だけの世界
mixi(マイミク),Twitterのタイムライン(フォロー),RSSによるブログの閲覧など,世の中に二つとして同じ「言説空間」は存在しない
自分が覗いている世界と,他者が覗いている世界は「似ているけれど非なるもの」
完全なる共通性は望めない
世界の再編集
誰とつながり,どんな話題をピックアップしていくかの主導権は常にユーザー側にある
「亀は甲羅に似せて穴を掘る」がごとく,自分が過去に培った価値意識にしたがって,世界を再編集する?
SNSで自分の興味関心は広がるのか?固定されたままなのか?
総括的論点
電子メディアの利用は対面的コミュニケーションを減少させるのか
ロバート=パットナム『孤独なボウリング』。テレビ視聴などにより地域コミュニティの対面的つながり(社会関係資本)が希薄化
電子メディア(ネット)は新たな社会的紐帯(オン)を開発すると同時に,既存の社会関係資本(オフ)を維持・強化することもできるのか?→例えばエリア限定SNS
異質な他者との相互作用
結束型社会関係資本→同質な他者で形成される緊密なつながり
橋渡し型社会関係資本→ふだん得られないような情報と異質な他者との接触を提供する
電子メディアの社会的紐帯は一般に,特定の興味関心により形成され,離脱も容易なので,社会的意見や態度の異質性が顕在化しにくい特徴がある
異質な他者の排除
異質な他者との出会いはしばしば不快を招くので避けられる傾向があり(不利益の回避),同質の他者のみを選択的に集める傾向がある
コミュニティの同質性が高まると,異質な他者への寛容性が低下し,排他性の危険性が高まる
「SNSは結束型・橋渡し型のどちらか?」