Download - 下中弥三郎と七人委員会 (1) 七人 委員会の誕生
七人委員会発足前の世界( 1/2 )
• ヨーロッパ( 1939 - 1945 )とアジア・太平洋( 1931 - 1945 )の戦争
• 核兵器完成・使用( 1945 )• 国連発足( 1945 )• チャーチル 米国で「鉄のカーテン」演
説( 1946 ) 東西冷戦• ソ連 ベルリン封鎖( 1948 ー 1949 )
ベルリンの壁( 1961 )• 朝鮮半島分裂国家( 1948 )
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七人委員会発足前の世界( 2/2 )
• ドイツ分裂国家( 1949 )• 中華人民共和国成立( 1949 )• ソ連 原爆完成( 1949 )• ベトナム分裂国家( 1950 )• 朝鮮戦争( 1950 - 1953 )• 米ソ 水爆開発競争(~ 1952 - 1954 )
ビキニ水爆実験 ( 1954 )• 湯川秀樹が参加したラッセル・アインシュ
タイン宣言( 1955 )4
• 最初の核実験• 1945 米 1949 ソ 1952 英 1960 仏 1964 中
• 最初の空中からの原爆投下• 1945 米 1951 ソ 1956 英 1965 中 1966 仏
• 最初の水爆• 1952 米 1953 ソ 1957 英 1967 中 1968 仏
• 最初の攻撃型原潜 SSN• 1955 米 1958 ソ 1963 英 1971 仏 1974 中
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下中弥三郎の思想• ヒューマニスト 自由人 天衣無縫 理論でなく体
験に裏付けられたそれまでの考えを捨てずに時代に合わせた
• 1 独学により儒学 国学を身に着ける• 2 正義感から社会主義 無政府主義 自然主義へ• 3 教員組合結成 メーデー参加 自由 自治 自立 自主• 4 天皇中心主義 大政翼賛会文化委員長
• 5 国連強化 核兵器・軍備廃絶 世界連邦へ
• 「力より 心の平和こひねがふ そのあつまりに 勝つ力なし」• 「戦争を さける軍備と人いえど 軍備しなくば 戦ひおこらず」• 「この年に 下中平和財団を 大きくつくり 世に捧げてむ」
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世界連邦 思想から運動へ• 世界国家 世界政府 世界連邦 の思想
は海外にも日本にも かなり以前からあった。
• 下中の『大西郷正伝』( 1940 )には「世界連邦」の言葉が何回も出てくる
• 国際的な動き「世界連邦政府のための世界運動」 1946
• 日本の動き「世界連邦建設同盟」 1948
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下中の世界連邦運動参加• 1951 下中、賀川豊彦(建設同盟副総裁)と
の会談で、世界連邦アジア会議を提案• 1952 広島その他で開催• 1954 国連未加盟国会議 東京開催• 1954 第 2回世界連邦アジア会議 東京・
長崎開催 下中はこれら 3 会議の準備委員長
• 1954 世界連邦建設同盟理事長就任
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下中の世界連邦思想
• 1954 年 11 月 1 日からの第 2回世界連邦アジア会議を前に 10 月 2 日に委嘱され、直ちに執筆にかかり、 11 月 1 日に 『世界連邦』(元々社)を発行 ビキニ
• 1954 年 12 月 1 日に『クロ船と“灰”』(独立評論社)発行
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下中と湯川秀樹• 湯川秀樹 1934 年に 原子の芯(原子核)をま
とめている力を見抜き、中間子の存在を予言1947 年に英国で中間子発見 1949 年ノーベル物理学賞
• 湯川 直観と透徹の人• 湯川は 核兵器出現後まもなく世界連邦思想
に関心 「今よりは世界ひとつにとことわに平和を守るほかに道なし」 「この星に人絶え果てし後の世の永夜清宵何の所為ぞや」 1945
• 湯川 世界大百科事典に協力 下中を知る• 下中 1955 年のラッセル・アインシュタイン
宣言に賛同・援助14
今日に続く下中の七人委員会構想
• 人道主義と平和主義に立つ不偏不党の有志の集まり
• 国際間の紛争は、武力でなく話し合いで解決を図る
• 世界連邦思想、日本国憲法の精神、核兵器廃絶 戦争廃絶
• 実際の政治に携わっていない人、自由人、世界的に運動できる人 15
七人委員会委員の人選• 湯川 • 茅誠司(日本学術会議会長) • 上代たの(日本婦人平和協会会長) • 平塚らいてう(日本婦人団体連合会会長) • 植村環(日本 YWCA 会長) • 前田多門(日本ユネスコ国内委員会委員長)
の順に交渉・承諾
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第 1回アピール 1955 年 11 月 11日
• 国連第 10回総会にむけてのアピール• 国家単位の国連を世界連邦に• 1 未加盟国をすべて国連に加盟させる• 1 1956 年 9 月に国連憲章を再審議し、
世界憲章起草の会議を• 1 1957 年国連総会と併行して 第 1回
世界人民会議を 軍備撤廃 資源と人口の調節 自由経済交流 人種平等・人権尊重 出入国管理
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