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メディアデザイン論⑤フラッシュ モブ
(Flashmob)
NHK『クローズアップ現代』
2013年4月9日(火)放送分
「世界が熱狂する~新しい“群衆”の力」
愛知淑徳大学メディアプロデュース学部准教授 伊藤昌亮(まさあき)氏
フラッシュモブin Oxford「インターネットや携帯電話を通じて呼びかけられた見ず知らずの人々が公共の場に集まり,わけのわからないことをしでかしてから,すぐにまた散り散りになること」
始まりは雑誌編集者,ビル・ワジクが主宰した「プロジェクト」(2003年6月~9月)とされるが,集団「インプロヴ・エヴリウェア」は2001年から実践
マンハッタン・フラッシュ・モブ
2003年6月17日19:27ニューヨーク デパート「メーシーズ」の絨毯売場
200人近くの人が突然,一枚の高級絨毯をめぐって論争を始める。「郊外の倉庫で共同生活をしていて,『みんなで乗って遊ぶラヴ・ラグ』を探しにやってきたというのだ
正史で「MOB#1」とされるモブ
グローバル・フラッシュ・モブ
2003年9月6日14:00(グリニッジ)世界各地の主要駅
携帯電話の着信音を鳴らす。鳴り続ける携帯電話をかばんの中から取りだして掲げる。同じような人とグループを作り,外に出て通りの前に立つ。合流して大きなグループができる。全員で携帯を高く掲げる。着信音を止め,一斉に散り散りになる(計2~3分間)
マトリックス・オフ2003年6月8日渋谷
6/14:福岡6/15:渋谷、大阪6/21:京都、名古屋6/22:札幌、新潟
千葉、岡山6/28:東京7/5:仙台7/6:京都
午前10時にネオの格好をした私は、現実世界に戻るべくハチ公前の交番前の公衆電話に向かって猛然とダッシュをします。みなさんはスーツを着てエージェントに扮して私を止めてみてください。無事に公衆電話にたどり着いたら私の勝ちです。 (設定)
変形オフ会
参加者相互の親睦・交流が図られるわけではなく,明示的なコミュニケーションは禁止される
掲示板などで取り決められた「シナリオ」に従って,「ネタ」が粛粛と面白おかしく一心不乱に遂行される
ネタの面白さ・馬鹿馬鹿しさ・わけのわからなさを競う「ネタオフ」
フラッシュモブ(閃光の暴徒)「無意味(ノンセンス)・無目的だから意味(センス)がある?」「一見すると政治的メッセージとは無縁でありながら,根底(主謀者の狙い)には政治的意図が隠れている?」「CM・街おこしなど『何かのため』に使うのは間違いじゃない?」「そもそも単なる“遊び”で,それ以上の意味はないんじゃないの?」
ある種の「演劇性」(市街劇)日常的な空間に,非日常的な時空間を一瞬だけ作り出す
それは仕掛け人たちが「種を蒔いた」上で,周辺にいる“群衆”をその仕掛けの中に巻き込んでいく
終われば,何事もなかったかのように日常の世界に戻る
ただし,非日常的な体験は,日常を変える起爆剤になりうる?
政治性と芸術性
フラッシュモブ発生の背景には政治的・社会的ムード(気分または閉塞感)が反映するとみられる
表現やメッセージは現代芸術的なノンセンスなものが圧倒的多数だが,政治的(社会運動的)なものもある
ロシアで盛んなのは,抑制されがちがデモの代替行為として。「モブ」が集まることに示威効果があるとみられる
デモとテロの交差(非暴力として)基本は集合・集団行為によるパフォーマンス・イベント
“群衆”が街頭で仕掛ける示威行為としてはデモの発展型?精神的に人々にインパクトを与える群衆による行為としてはテロの発展型?
ハプニング
1950年代~1970年代前半,世界で展開されたパフォーマンス・アート。ギャラリーや市街地で実施される,非再現性/一回性/芸術性が強いイベント
Yardアラン・カプロー1961
⾸都圏清掃整理促進運動ハイレッドセンター1968
⼈⼒⾶⾏機ソロモン天井桟敷(寺⼭修司)1971(オランダ/アーヘム)
寺山修司「市街劇:ノック」(1975)
http://www.t-time.jp/Terayama/eizo/eizo_01.html
SF小説『フラッシュ・クラウド』(1973)ヒューゴー賞受賞のSF作家,ラリー・ニーヴンによる短編小説
テレポーテーションが広く普及した未来,世界中のいたるところで突発的・瞬間的な「暴動」が起こる
いつでもどこでも容易に群衆を組織化できるネット
http://zigstedimension.wordpress.com/2009/08/12/larry-niven-flash-crowd/
crowd と mobcrowd: [集合的に] (秩序のない雑然とした)群衆,大勢。たくさんの人たちが密集する群衆。[通例修飾語を伴って] 《口語》 連中,仲間,グループ。
mob:暴徒,やじ馬連。破壊的行動をしかねない無秩序な群衆。 《軽蔑》 (理性的でなく,絶えず意見が変わる)下層民; 大衆
Flashmobを選択した意味
都市空間をのっとる
「ハプニング芸術を,ギャラリーという“これみよがし”の特殊な場でのスペクタクルから解放し,作者を匿名化し,ストリート・デパート・地下鉄など日常生活の中に踏み出し“それとわからない形”で実行される必要がある。自己組織化する群衆の知性を動員して,都市空間を一瞬でも“のっとること”を目論まねばならない」(オレグ・キリーヴ)
演じ手←→観客
演じ手となるモブは,ネットでのやりとりを通じて,段取りもストーリーも熟知している
観客(あるいは訴えたい人)は,何の予備知識(予告)もなしにフラッシュモブに偶然遭遇する
モブに対する知識の非対称性こそが,この種の現象を支える
意識の組み替え
フラッシュモブを目撃した人は驚き,あまりのバカバカしさに呆れ果ててしまいます。でも,それは日常の秩序を作り替え,リアリティをひずませるチャンスとなるのです。私たちはそこに「新しいリアリティのゾーン」を生み出し,自らの手でルールを作り出せます。でもそれはすぐに立ち消え,私たちは一斉に立ち去ります。すみやかに,そしてひっそりと。(GFM#3の声明文から)
フラッシュモブの役割
参加者に巨大な祝祭の場を用意し,壮大なユートピアのイメージを,漠然で朧気なものだが,提示しようと試みるもの(祝祭性/ユートピア性)飽きられると,より複雑な表徴が必要になり,理念を抽出し,演劇的・美術的にその理念を提示しなければならない(理念性/演劇性)
近年のフラッシュモブ
レパートリーと呼ばれる伝統的演目(特に単純明快なもの)を,時期を定めて“再演”することに意味を見いだす
政治活動・企業(販売促進)活動のための「組織的動員」とみなされないため,非政治・非宗教・非営利を標榜し,「徹底した無意味さ」を追求してきた
音楽販促としてのFlashmob2005年夏,フォードとソニーが「フラッシュモブ・コンサート」を仕掛けた
実際にいつどこでライブが実施されるかはわからない。アーティストのファンはウェブで登録し「インサイダー」になっておく。コンサート直前に「フラッシュ・アラート」メールが送られてきて,ようやくその詳細が明かされる
2002年7月5日~7日ワールドカップ報道でフジテレビの「韓国贔屓」に怒りを覚えた2ちゃんねらー
24時間テレビで「湘南海岸ゴミ拾い」をやるYO!「だったら,おいらたちで事前にゴミ拾っておいて,フジに恥かかせね?」2ちゃんねらーは粛粛とゴミを拾い,フジテレビが動員した市民が拾うゴミはほとんどなかったのでした。めでたし
湘南ゴミ拾いオフの意義
顕示的なモブではなく,匿名の影の存在のモブに徹したこと(異例の陰徳)誰かの行いを糾弾するために,抗議ではなく,善行(いいこと)を実施したこと(むろん,根っこには相手を嗤い/嘲笑したいという不道徳があるのだが)善と偽善,徳と不徳など,メディアを通じた価値意識に対して,ゆさぶりをかけたこと(偽善は嫌! でも「嫌がらせ」ならできちゃう!)
感想・意見が知りたい
小リポート「メディアとしてフラッシュモブは何らかのインパクトを市民社会に与えるか」あるいは「フラッシュモブを見て,正直どう思った?」400字以上好きなだけ
2013年5月28日(火)23:59:[email protected]次回は「新聞」
メディアデザイン論(演習)日程⾚尾 杉⼭
5⽉29⽇(⽔) × ○6⽉ 5⽇(⽔) ○(まわしよみ新聞) ×6⽉12⽇(⽔) × ○6⽉19⽇(⽔) ○(企画演習) ×6⽉26⽇(⽔) ○(企画書演習) ○7⽉ 3⽇(⽔) ▲ ▲7⽉10⽇(⽔) × ○7⽉17⽇(⽔) ○(企画発表) ×7⽉24⽇(⽔) ○(企画発表) (合同)
▲ 7月3日に「メディアデザイン論」の補講入れちゃダメですか