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伊勢市国際交流だより
ΦΦΦΦΦΦΦΦΙΙΙΙΙΙΙΙΛΛΛΛΛΛΛΛΟΟΟΟΟΟΟΟΣΣΣΣΣΣΣΣ ΦΦΙΙΛΛΟΟΣΣ「「フフィィロロスス」」ははギギリリシシャャ語語でで友友情情・・友友達達のの意意
伊勢市国際交流協会総会開催伊勢市国際交流協会総会開催伊勢市国際交流協会総会開催伊勢市国際交流協会総会開催されるされるされるされる
平成 16 年度伊勢市国際交流協会総会が 6月 27 日(日) 13 時から伊勢市観光文化会館にて開催され
ました。
平成 15 年度事業報告、同収支決算報告、平成 16 年度事業計画案、同収支予算案が報告及び可決了
承されました。
会長、及び名誉会長(伊勢市長)の挨拶の後、山縣忍さん(セイブ・イラクチルドレン名古屋副代
表)による タイトル「武器なき支援」~今、私たちができること・・・~の講演が催された後、シター
ル(奏者 筑田和生さん)による演奏会が開催され、そのあと 16時まで会員交流会を楽しみました。
第第第第40404040号号号号
平成平成平成平成 16(2004)16(2004)16(2004)16(2004)年年年年8888月月月月発行発行発行発行
伊勢市国際交流協会伊勢市国際交流協会伊勢市国際交流協会伊勢市国際交流協会
TELTELTELTEL 0596059605960596----21212121----5549554955495549
FAXFAXFAXFAX 0596059605960596----21212121----0010001000100010
会長挨拶 山縣 忍さん
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(以下はその要旨です。)
岩本忠会長挨拶
草の根的発想でいち早く設立した当協会は、県内はもとよりJICAなど対外的活動をする組織と
も連携して、各方面の信頼を得るまでになりました。皆さんの真摯な活動ぶりの賜です。
世界は冷戦による安定が崩れて、あちこちに殺伐たる様相を見せていますが、私たちはよく世界を
知り、かつ「平和のこころ」を旗印にして、国際交流を進めてゆきましょう。
また、近隣の協会とも一層連絡を密にして、来るべき大団結に備なえたいものです。
今後も、会員諸兄姉の熱意に期待します。
名誉会長(伊勢市長)挨拶
定住外国人「現在 780名」。古来伊勢の町は参宮と言う交流の都市。そして,伊勢志摩地域の歴史
文化の中心として,会長もご指摘の宗教抗争の中、一神教ならぬ我国のシンボル、神宮こそが平和の
原点との立場から、世界へ何らかの発信ができるのではないか。会員の皆さんのご協力、お知恵をと
願うところであります。
講演 内容は次号に紹介します
シタール演奏 奏者 筑田 和生さん
1970年生まれ、福岡県出身。
インドのシタール奏者に師事。
インドの古典音楽を学びながら、ソロ
活動を始め、民族楽器やロック・バン
ド、詩人、舞踏家との競演を行う。現
在、三重県菰野町在住。
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交流交流交流交流とととと連携連携連携連携・・・・新時代創造新時代創造新時代創造新時代創造のためにのためにのためにのために
伊勢市長伊勢市長伊勢市長伊勢市長 加加加加 藤藤藤藤 光光光光 徳徳徳徳
伊勢市は第6期総合計画において「交流と連携」をまちづくりの指針に位置づけており、国際交流
の推進は重要であると考えています。
伊勢市国際交流協会の皆様には、常日頃より当市の国際交流の推進にご尽力いただき、誠にありが
とうございます。
また先日は、JICA青年招へい事業でご支援ご協力いただき、深く感謝する次第です。
アフリカの青年達は、勉強熱心かつ明るく陽気で、彼らと交流し、私もますます元気になりました。
また、中国・河南大学の方々と交流する機会もあり、中国の偉大な歴史に敬服するとともに、国際化
の進展を身近に感じたところです。
皆様ご承知のとおり、当市は古くから神宮鎮座のまちとして、訪れる人々を暖かく迎え入れ、さま
ざまな文化の交流点として、また発信点として発展してきました。
私は今後も伊勢市を、歴史や文化、伊勢志摩国立公園の豊かな自然などを求めて訪れる多くの国内
外の人々に新しい出会いと交流の場を提供する「交流都市」として、魅力あるまちづくりを進めます。
具体的には、国際的な地域や人々との継続的な連携・交流を進めるために、国際交流に対する戦略
を確立するとともに、当市と共通する歴史、文化を有する世界各都市との連携を図っていきます。
また、市民一人ひとりが積極的に国際交流に参加できるよう国際交流協会の充実や民間団体等との
さらなる連携を図ります。
そして、市民と行政の協働で、外国人来訪者、登録者が、訪れてよかった、住んでよかったと思え
るような、新時代にふさわしいまちづくりを進めていきたいと考えています。伊勢市国際交流協会の
皆様には、今後とも更なるご支援ご協力を賜りますようお願いいたします。
むすびに、伊勢市国際交流協会の益々の発展と会員皆様のご活躍を祈念してごあいさつといたしま
す。
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「「「「ハローハローハローハロー」」」」がががが始始始始まりまりまりまり
伊勢市国際交流協会会長伊勢市国際交流協会会長伊勢市国際交流協会会長伊勢市国際交流協会会長 岩本岩本岩本岩本 忠忠忠忠
昭和 20 年、終戦の年、私は小学校(厳密には國民学校)1 年生だった。それまでは、連日の空襲
があった。逃げ遅れた畑の農夫を艦載機が追い回しているのを、幼な心にも覚えている。それが「宇
治橋や外宮前にはアメリカ兵がぎょうさんおるわ」ということを聞くようになり、やがて、私たちの
山村、朝熊までジープに乗って来るようになった。あとから聞けば、それは山奥の田舎村にあるかも
しれない陸軍の隠匿物資の探索であったとか。
子供の私たちは、そんなことには無頓着で、「ハロー」とジープに呼びかけていた。すると、指先
を立てて「来い」という手招きをする。最初は、勇敢なのがいて、近寄ってゆくと、キャンデー、チ
ョコレートなどをくれた。そのうちに、何日も同じ事を繰り返し、誰もが「ハロー」というようにな
った。ジェイムズという名も聞いた。その兵士たちに対して、あの全身が冷やつく B29 爆撃機や艦載
機の来襲との連想は全くなかった。
あのとき、村の子供たちは自分は英語が通じると何人もが思ったに違いない(以来、私はそれを信
じ続けていた)。それほど、心うち解けていた。これが我が国際交流の初めである。
大学では英語を専攻し、大学院で言語学をまなび、留学はパリ、現在の専門分野はヨーロッパの言
語比較。私の人生の足跡は、村の「踊り場」(広場)でのジープへの呼びかけが、原点であったのか
もしれない。
勿論、成長期に優秀な先生方のご指導に恵まれたことや、親元を離れて自由に飛び回れる末っ子の
特権があったことも、幸いした。この半世紀余の間、実に多くの人たちと交流・交際の縁があった。
外国の人たちに接しても違和感をもたない感覚ができていたのであろうか。「国際的こころ」である。
このような、「こころ」を大切にして、往来激しいこれからの世界で、伊勢がその拠点になり、多
種多様の人たちと交誼を続けてゆきたいものである。
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JICAJICAJICAJICAアフリカアフリカアフリカアフリカ青年招青年招青年招青年招へいへいへいへい 7777 月月月月 6666 日日日日~~~~13131313 日日日日
スポーツ交流 伊勢市国際交流協会から
お土産のはっぴを着て
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はじめてはじめてはじめてはじめてホストファミリーホストファミリーホストファミリーホストファミリーになってになってになってになって
小小小小 林林林林 由由由由 佳佳佳佳
私のホストファミリー受け入れ理由は単純なものでした。
私自身がカナダでホームステイの経験があり、その時のホ
ストファミリーがとても温かく大切な思い出が出来たので、
いつか逆に、外国から来た人に日本での生活を忘れられな
い思い出として帰ってもらうお手伝いができたらという思
いからでした。
十分なお世話ができるか最初は不安でした。そんな心配を
よそに家族は受け入れに大賛成で、部屋の準備もし、楽し
みに待っていました。そして、あっという間に初めての体験がスタートしてしまいました。来て下さ
ったのはコートジボアールのマリ・ロールさんで歯科医でした。私と母が歯科衛生士なので選ばれた
との事でした。
マリ・ロールさんは、本当にやさしく心のいい方で、私たちのおこなっていることを身体全体で受
け止めてくれました。私はマリ・ロールさんとすぐに仲良くなりました。1 日目の夜,みんなで地図
を広げお互いの国をそれぞれ指差し、国と国とを結んで笑いあったり、私はカタコトの英語でマリ・
ロールさんに私のカナダのホームステイ体験のアルバムを見せて説明したりで、ぎこちなさの中に温
かい空気が流れました。
翌日私は,伊勢市内を案内するため行動を共にしました。案内したのは内宮、おかげ横丁などで、
買い物するたび、それぞれが高いらしく物価の違いに大変驚いているようでした。そんな中で、私の
カタコトの英語は不思議と成立していた事に、自分は不思議で仕方がありませんでした。
3 日目は、親戚の呉服屋さんに浴衣を頂き、着せてもらってお茶会に行きました。お茶会は本当に
珍しかったのか感激の様子でした。最後の夜はウェルサンピアで交流パーティーを楽しく過ごしマ
リ・ロールさんとの別れを惜しみました。
このようにして 3 日間はあっという間に過ぎてしまい、
私達家族にとって、とても良い思い出となりました。我が
家ではマリ・ロールさんが帰ってしまってからも、まだ余
韻が残っており、デジカメ写真のスライドショーを何回も
見ております。今後機会がありましたら、ぜひ又ホストフ
ァミリーをしたいと思います。
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第55回世界の料理パーティー(ベトナム編)に参加して
立花 恵里子
6 月 13 日(日)私は 3 才になる子供を主人に預けて、いそいそと伊勢市福祉健康センターへ出か
けました。もともとベトナム料理が大好きな私は、とても楽しみにしていました。講師は、ハーさん
とホンさんで、若くて初々しいお嬢さん二人で、日本語も交えて楽しく教えてくださいました。
メニューは、ラゴウボとゲンギョウ(生春巻き)とチョ
ムチョムという、タイ国製の缶詰のフルーツとレモンアイ
スティーとフランスパンで、ラゴウボと生春巻きのツケダ
レにはヌク・マムというベトナムの調味料が使われました。
これがまたとても美味しいんです。生春巻きのツケダレな
んか甘さと辛さが絶妙で、サラダのドレッシングに使って
もいいなと思いました。フランスパンは切り方がおもしろ
く、縦長のまま内側に二つ折りにして、斜めに切るとハー
ト形のパンになるのを教えて頂きました。
参加者の中にご夫婦の方がいらして、子供さんがベトナ
ムの方と結婚したので、来られた時に今回習った料理でむ
かえてあげたいとおっしゃられて、とてもステキなお話だ
なと思いました。
限られた時間の中で、皆様とても熱心にメモをとって、
料理をされて、大変おいしく頂きました。又最後には講師
の方がベトナム民謡を歌って下さって、楽しい時間はあっ
という間に過ぎました。そしてスタッフの方々がとても段
取り良くして下さったので何もかもとてもスムーズに事が運びました。代表の中山さんは、講師を探
すのが大変なのよとおっしゃっていましたが本当にそうだと思います。それでも 55 回も続いてやっ
ている事が何よりも、すばらしい!!ベトナム料理の他のメニューも勉強したいので、ぜひ又やって
下さい。
ありがとうございました。
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いせいせいせいせ日本語教室交流会日本語教室交流会日本語教室交流会日本語教室交流会 七夕七夕七夕七夕パーティパーティパーティパーティ
三宅 春子
於: サンライフ伊勢 7 月 1日(木)午後 7時
いせ日本語教室の催しの一貫として(三月にはひな祭りを実施)、今回は七夕パーティを企画し約
40 人の方が参加しました。中央に飾りつけられた竹笹に五色の短冊を用意し、それに参加の皆さん
の思い思いの願いが寄せられました。
中には「何を書いたらいいの」とつぶやきながら、にこやかに「私のお願い聞いてください、お星
様」と言って赤い短冊にしたためている人も。そしてゆかた姿で登場した約 30 人が次々に入場し、
大きな拍手で迎えられた笑顔は幸せそうに感じられ私達もうれしさ一杯でした。
参加者各自が一品持ち寄り、食卓に夫々の料理を並べ楽しむことができ、話し合いに花を咲かせま
した。宴たけなわとなり琴の調べと学習者の皆さんによるエレクトーンのミニコンサートで“涙そう
そう”“島唄”が披露され全員の大合唱となりました。皆さんは平素の学習の成果を発揮し,日本語も
巧みに駆使され心から心へのハーモニが伝わり最高でした。
私たちも教室での学習の他に交流パーティ等色々考えなくてはと思います。そしてそれに対応でき
る知識の習得を心がけ日ごろ努力することが必要だと思いました。
終わりに近づき一同記念の写真撮影をしました。
今夕のパーティは暑い夏をゆかたの涼に換え、思い出に残る七夕のえにしと信じています。今後も
教室で共に心楽しい交流が続けられるようにと望んでいます。
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真真真真のののの国際交流国際交流国際交流国際交流
喜多 宏
去る 6月 27 日(日)、本年度の咢風会の総会が行われました。その終了後、皇學館大学助教授であ
り、当会の特別参与である田浦雅徳先生の「尾崎咢堂と軍縮問題」と題する講演を拝聴しました。
時代にさきがけて世界平和のための軍縮実現に身を捧げ、国内では憲法による正しい議会政治を訴
えつづけた尾崎咢堂の偉大さに、今さらのように感動しました。そしてこの春、全米桜まつりの親善
使節のひとりとして訪米した意義の大きさを痛感しました。
先生のお話にもありましたように、今年のワシントンの 4 月初旬は意外にも寒く、そのせいもあっ
て、ポトマックの桜は、より美しく咲き誇っているようでした。この桜の花こそが、ワシントンDC
のみなさんと、三重県いや伊勢市の咢風会、特に女性たちの香風の会員たちとの、親善交流のあかし
ではないでしょうか。もともとは、日本の風土に根づいた桜ですが、アメリカの大地にきっと見事な
花を咲かせるに違いないとの確信が、尾崎行雄、咢堂その人の胸の中にあったことと思われます。
現地ワシントンDCのみなさんも、この意気に感じて日本大使館側よりもむしろ熱烈に、桜まつり
に取り組んでくださっています。我々もこれに応えられるようにしなければ、交流も親善も片手落ち
になってしまいます。
これは、ただ桜まつりというイベントだけではありません。イラク問題をはじめ不穏な国際情勢の
中で、日米両国の人々が民間のレベルでできる交流と親善の輪をひろげてゆかなければならないので
はないかと考えます。
第一次世大戦当時すでに世界平和に目覚め、軍縮の具体案を温めていた世界のリーダー、国内にあ
っては憲政の父と仰がれた尾崎咢堂は、このような時代が来ることを、誰よりも強く願っているに違
いありません。
以上が、今年の全米桜まつりに参加し、田浦先生のお話に感動した私の所感の一端です。
大切な紙面をありがとうございました。
編集後記
一昨年度は河崎商人館(参宮ゆかりの台所町として)、そして昨年度は立憲政治の父尾崎咢堂記念
館の新装改築、さらに本年に入っては、広く和歌山、奈良、三重の三県に広がる熊野古道の世界遺産
登録を見、いよいよ私どももその方向性を明示されたとの思いで、国際的立場から何をなすべきかを
考慮し、まずは咢堂精神に学びその昂揚・発露のための施策をと願うのは私一人のみでありましょう
か。
編集委員: 池山、片山、喜多、千田、竹中
顧 問: 岩本