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                                        目 1次  8

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次目9

 

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        向蘯裏塾 夏塊盈.纛島   ナ}で、 蘚默r一 瞭 蘿農 ㍗ 羅冨 。L翫 驚、齬 志熹 誤紫繍ミ驢_魂  墨一..盤劉」

_豆.・1鱒7し フ"五1「 鞭尊 P毒 豸残 つ 4内 鏨蓋1臓…ぞ臼 イy翼乂 吁 誠 月乂 蒼 一入寫

纛1続 訟ll叢1影1髦菜

霧蠡鑿な な り 橋 哉 哉 聲 窓 上 蟻 月 り哉 な 穴 月 夜

華 嬲 突聾 奚癸奚嬲 聖 豐朋二豐二聶二五酉

盞四

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  臠 次   10

葉 舟 湖 郭 一 何 瀧

び乘の公管鑽れ の 水 な 晒 ひ

を 一 域 く    し

こ趣 や あ 霧 げ        のけ 留 り 雲   見 と

讐 雀畿る攣瓜芥り怪 人の

鼻 針 花誓さ の 月 文 盛 長 丶

哉 花 雨 字 り 刀 哉

三瓦 跟 麗 五 五 五 五ノ、ノ、・七ニプくヨエヨ{=五

    尾 お 木 有 故 魂 暑

    頭 う桔 明 郷 棚 鼻・

の く の 輪 の や

    心 と 興 ふ 今 奥 こ

導爨癈篶    な 蘿礎 が 寢 か ひ   

き くぬ ナ。や し と

  海蠡糠 渡鵜弖   鼠 朗 、さ りの の茜

哉 門 哉 哉 罵 顏 客

    穴 ブく 穴 穴 穴 穴.菰   鑑 ニニ ー一 一浦QC心 ノ、

 

潅簍蠶

努蹟饗

緩箋

礪毒

.ー

ーーー

ー…ーー

ー-ー

、コ薫

穿謬

菱薫糞鬚

。耄蠢羣,ー

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山を崎婁

∂士,そ刀くう

鑑ε本名憲那彌三郎範重。遞江

の人、將軍足利義尚に枚

へ軽が、弛、ま弛まそ

の陳歿に邇

つて出家

し、践

津膠ケ

・由崎

などに閑居

し池。

ま弛曉[年讃

鼓觀欝寺

嚇夜庵

を結

び、

とどま

ること二十餘年

鴦あ

つ弛といふ。

 

 

 

 

グ                           の

}大瀞叉二十二年殿、年八十九。そ

の撰強箔に、なる

『犬筑波ノ集

』は、智ハに俳書

の…權籔ハとされてゐ

ろ軸

唖隅 ㌦ 刷嚇 醤 轡「魂悌ゑ

山 崎 宗 鑑11

ぐわん

てう

 砲も

 句意

は説く

までもなく明

らかである。誰

にも

い旬であるだけに有名

にな

つてゐる

、宗鑑時代

の俳諧

は滑稽をも

つぽら

にしたも

ので

るから、かう

いふむ

しろ鎮面目な句が果た

して宗鑑

の作

であ

るか蜜

は疑

はしい。また

この句

ととも

に有名な守武

  

のご

ときも

、當時

の俳諧

・.Gして

は虞

面目すぎ

のである。

一體

これらの句が宗鑑

や守武

の作

とし

                         ニ

て入

口に膾

炙す

るやう

にな

つた

のは、『俳

諧温故集』などに探録

され

てからのことら

しく

、古

い俳

にはま

つたく所見がな

いのである。しかしかかる後

世の句集をも

つて證

とナ

ることはも

とより

できな

い。從

來古俳人

の有名

な旬

には、誤傳が少くな

いから注意

せねばなら

ぬ。ただ

しこの句

宗鑑

の作

でな

いと

いふ反

證もな

いので、今

はかうした疑

ひの多

いことを注意

つつ、從來

の説

ままにあげ

ておく。

    蝋 宥崘,阻  醐 編  亀 離" 蝿 内 醤

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、馨

りー

・ー

鞏抒ー

宅ー

ア翠5巨疹、・,L寒

εげ摯も、雪、峯、¥戛讐

蕁.,ー

穿萋

7慮を争至・、・鼕

毒き

戛袰

茅ー

辱、、憲.窶

、灘

.峯

,

1繋俳 葡 言罕霧i上

 

 

 

まる

 

「出つれど」は

一本

には

「出

でても」

とある。春

の日

つも

と變らず丸

い形で出るけれど

も、

一日

の日は長

いどいふめ

で、丸

いのと長

いのとの矛盾

に、を

かしみを表

はした句であるQす

なはちま

つたく智的興昧

に基

づく滑稽を主

としてゐ

る。

まことに幼稚な句だ

と考

へられるだらう

が、當初俳諧

の滑稽と

は要す

るにかう

した程度

のも

のであ

つた。

                     

かはつ

  手

 

『古

の序

「花

にな

にす

(中

)、

いつ

か歌

まざ

る」

とあ

に因

、蛙

つい

て鳴

、歌

とを

しく

つた

であ

る。

これ

の句

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

て名

いも

のだ

、『耳

』に道

ふ人

の句

て出

でな

ほ疑

い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほとエぎす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

も  ヤ                  も  も  も

 

「う

づき

に四

の異

と、

の痛

とを

かけ

「ね

と」はね

(櫺)

 

 

 

 

も  も  も  ぬ

かけ

一句

は、

高聲

に時

のを

、瘉㎜の疼

かけ

しや

であ.る

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串脇"r

噸 脳 艦跡緲 蜘 脚欝 夢      ・、譁瞬  丶ぞ㌔

團 う  ち

扇 は

治>5寸

. 

月を扇や團

に喩

へる

ことは、

摩訶

止觀

「月重山

二隱

ルレバ、

を擧

ゲテ之

ヲ喩プ」、百聯抄

 

「月青塞

二掛

リテ柄無

キ扇、星碧落

二排リテ纓

ヲ絶

ッ珠」、.班睫好

、怨

歌行「裁

チテ合歡扇

ト成

ス、

圓明月

二似

タリ」、夫木抄

「夏の夜

の光

す黛しく

すむ月

を我が物が

ほにう

ちはとそ見

る」など

やう

に古來詩歌に多

く見る

のであるが、

これは更に柄

をさしたらば

と見立てたところに面

白昧が

あるQ子供らし

い無

邪氣

な塞想が

この句

の生命

である。

宇p

由 崎 宗 鑑皇3

乳厂『巽

}'

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「:…ー

鼕蠱ー

峯蕚峯

・蓬蠶鼕

簍壌ー

董孝萋

"ー

嚢ー

晝{ー《套ー

,ー毳・蛋憲{晝ー…、ーー

ー毳ー

吾 

、 望

旨糞缸寡要すー

婁鼕ー

.萋妻耋鬘

4!4

蕩ら

巻 だ

婿り弛け

荒木田守武

・鏐髭・ぞ葛!葺雫釋

伊勢内宮の紳官、荒木田七家の一なる翻田家に生まる。文明十九年十五戯の時紳宮の灘宜に任ぜられ、天衣

十年

一の禰賞に灘…み薗田一長官となつ弛o 天文十八年歿、年七十七◎ 天夊九年、名高い獨吟の千・旬を興行し

糎◎

   

とび うめ

   

み丶

 

「飛梅」

は、逍眞

の愛

してゐ

た梅が、

「東風吹

かば匂お

よ梅

の花あるじな」

とて春な忘れ

そL

といふ歌

に感

じて筑紫

まで飛

んだ

といふ鯵誚

の梅。安樂寺庭中

の梅が

それ

であ

ると言

ひ傳

た。 「紳

の春」

は紳沚

の新春

といふほどの意

で、老

の春

・宿

の春

・浦

り春など

と結

んだ春

はす

て新春ゐ

であ

る。

         

 

これは

『獨吟千句』卷頭

の發句

で、彼

は自

ら紳官

の職

にあり、しかも

またこの千旬

は神意を伺

つて催

した

のであるから、特

に紳

の春を

じたのである。か

つ道奠

は古來文學

の神

として崇ば

                

こ                                                   ヤ う つ

ので、

いま俳諧

の交遐

を所る意も籠

めて飛梅

をも

つて來

たも

のと思

はれる。しかし旬

は輕

々と

          

も  も  も  ヤ

飛んだ梅

と紳(紙)との

いひかけで縁

をも

たせた趣向

で、ま

つたく言葉

の技

巧が旬

の中心

とな

つて

         

わぼく

ゐる◎

これに附けた脇句

              

からす

  わ

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糊鍔彎蠍

荒木田守武!5

いふので、紳徳を慕

つて飛

んだ

のは梅ば

かりで

はな

い.烏

や鶯

までわれもわれも

と飛

んで行く

いふのであらう。

 

  

らく くわ えだ                こ てふ

 

  

 

   

    

 

 

 「落花枝

に歸らず」

といふ諺を逆用した機智

が、

一旬のをかしみ

の中心

とな

つてゐる。勿論

は花下

に舞

ふ蝶

の姿

を、素

に觀

察したも

ので

はなく、.一種

の理智的

な解釋

をそ

こに挾んだわ

けであるが、當時

の俳

はすな

はちさうした

ところを多く狙

った

のであるから、

この旬

はそ

の意

昧で成功した作

とい

へよう。さうして

この旬が古來あまねく知られた所以も、そ

の點

にある。

 

ほこの句が守武

の作

として喧傳されるやう

にな

つた

のは、『…俳諧温故集』(延享

五年)

あたり

からで、はやく伊勢俳人

の旬を申心に編集

された

『晋頭集』(延賓

二年)春

の部に

 

 '落

花えた

にか

へる

とみしはこてふかな

 

 武在

、と見えてゐ

る。すな

はち

この武在も内宮

の祚官で荒木田氏であ

つた

ところから、後

これを守

の句

としてあやまり傳

へ、有名

にな

つたも

のであらう◎隨

つて、

この句

は正しく

は守武

の句

から

は除外

しな

ければならな

いo

 

  

あを  やぎ

 

  

「青柳

の眉」

は、『和漢朗詠集

』にも柳

「昭君村

ノ柳

ハ眉

ヨリ

モ翠

ナリ」(白樂

天)とあり、そ

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16俳旬澣羅 上

他柳

の線

を眉

に喩

へた

ことは多

く、柳眉

ば美

の眉

の義

とな

つてゐる。 

「岸

の額」

は、『枕草子』

にも

「あや

ふ草

は岸

のひた

ひに生

ふら

んも」

とあ

るやう

に、岸

の突出た端

の所を

いふ。

一句

は眉

と額

との縁語

で仕立てたも

ので、これまた岸

頭になよやかに垂れた柳

の絲

を、美し

い景色

として

描き出

したのではなく

、も

つぱ

ら言葉

の縁

に興昧を

つな

いだ

ので

ある。

                 

よひ        とま      り

   

 

「せ

こ」(勢

子)は、列卒

、狩場な

どで鳥獸

を狩

り立てる者

でかりことも

いふ。 「せこの者

來べ

            

そとぽり

き宥

な,り」が、『古今集』の衣通姫

の歌

「わが

せこが

來べき霄なり

玉が

にの蜘蛛

のふるまひかね

てしるしも」を

ふま

へてゐる

こと

は、

いふまでも

い。「泊り狩

」は泊

り山

のこと、連歌俳諧

では

季とする。 『華

實年浪草』に、「泊

り山

とは山野

に出でて霄に雉

の鳴く所

を聞置き

て、未明

行き

て鷹

に維

子を捕

らするを泊山

とも

、鳴鳥

〔ナイト)狩

とも聞きすえ鳥

とも朝鷹

とも

いふ」

してゐる。

 

一句は、明朝鷹

狩をする

ので、今夜

は勢

の者

どもが來べき

はず

だと

いふのが

、表面

の意

であ

                                   

そとぽり

る。し

かしそれだけ

のことならば、極

めて罕

凡で、何

の面

白昧も

い。それを衣通姫

が天皇

の御

出でを待

つてよまれた

といふ

『古今集』

の歌

の句

にもち

つた

のが

興昧あ

る點

である。しかも

下に

「泊り狩」とお

いてそ

のもち、り

の意

を生

かしたところに

一暦…働きが

あるのである。

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まぶたド

 

 

 

 

 

 

 

  

'

短農

すぐ明けても・寢足らぬ瞼はなかなか開かない・獣

か、匁

掛合を興味の中心と

O

荒木田守武17

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毛 F  蕘

18俳旬評釋 上

まつなが  ていとく

松永

貞徳京

都の人、幼名勝熊。長頭丸

・潰遯軒

・明心居士などの別號がある。父永種は攝庫高槻の刺史入江九郎盛重

の男五郎政重の長子さあるが、のち姓を松永と改め弛。この父が連歌師宗養の門人む訪つ弛弛めに、貞徳も

その感化をうけ、少時から連歌を里村紹巴に學ん泥。ま弛、和歌を九條植逋

・細川幽齋などについて學び、

                           

ヰ   ごさんニ

のち俳諧

ご邁の組となつ弛。飛應二年歿、年八十三。

『淀川』・『油粕』・『御傘』などの撰著があるo

鳳彎

凰な

き と

                                 

とり

 

中國

では聖代

には麒麟や鳳凰が出る

といふ。ちやうど今年

は酉

の年

で、しかも御代泰牛

である。

鳳凰も出

ても

よいぢ

やな

いかといふのであ

る。酉

の年だ

から鳳凰

をも

ち出したのが趣向

である。

の新年

の句

には、干支

によ

つてこの種

の趣向を

こら

したも

のがす

こぶる多

い。

たと

へば

                       

さ〇      三

  

                       

とら

  

  

譫.

のご

ときたぐ

ひである。

 も

       か砂

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松泳貞徳19

 雁

は春

になると花

を見捨

てて北

へ歸

つて行く。それ

で昔

の歌人も

「春霞立

つを見す

てて行く雁

は花

なぎ

里に佳

みやな

へるし

(伊勢

の歌

、『古今集』

に出づ)

とよんだ。

この

『古今集』

の歌を

に碎

いたやうな趣向

である。諺

「花

より團子」

といふが花を見すてて行く雁

は、多分向

うに

にまさる團

子が

あるからだらう

といふ意。な

ほ、

この諺

を用

ひた古俳諧

をご三抄出

して見

よう。

團 團 花 花

子 子 よ よ

花 ま 團 團

と さ 子 子

い る で と

ふ と 見 た

べ い た れ

實 道 時

繼 保 之

(犬筑波集)

(以上鷹筑波集)

 貞門

の句

にはこのやうに俚諺を

とつて

一句

の趣向を立てたも

のがす

こぶる多

い。だから貞

門俳

         

け ふきぐされ  せ わづくし  

の作法書中

には

『毛吹草』・『世話盡』

など、諺

を多く集

めたも

のさ

へある。隨

つて研究

の立場

はちが

ふが

、俚諺

研究者

はぜ

ひ貞

の俳

書は

一讃せねばならぬ。それほど貞

の句

と俚諺と

の交

は深

いのである。

                 あ んず

   

 何

か案ず

ると杏

子を

いひ

かけた

までの句。

しかも

そこが

この句

の最も主要な滑稽

であ

ることを

           

も も う ヤ

忘れ

てはならな

い。

このいひかけと縁語

とは、いふまでもなく當時

の俳諧

には最も喜ばれた趣向

で、貞門

の俳諧を解す

るに

は、い

でもそ

の點を主

とせねばならな

い。

しかしその聞

おのつ

から

蕊羣

{ぐ多t F 蒙》とラ=Σ

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丶毳ー

羣鼕蓬蹇

皇6俳 旬評 蹕 上

萎れた杏子の花が擬人化された趣があつて、物案じげな女のさまなどが聯想される。

 

                   ことばがき

 

この句には《

子をまうけたる人に」

いふ詞書

がある。子供

の誕生を覗

つてや

つた句

であ

る。

の雨

を飴

いひ

かけて、そこでねぶる

といふ縁語をも

つて來た

のが

一句

の手柄。旬意

は雨が花

 

           ねぶ

を養び

立てるごとく、飴

を舐ら

せてそ

の子を養

ひ立

てよといふのである。

 

  たな ばた

 

  

 

                         

     しよくおよ

 

                         

  けん う

 

 なからど

 

      

 

「仲人は霄

の口」と

いふ諺

を用

ひた趣向。

一句

の意

は七

夕は牽牛

・織

の二星が、年

一度

逢瀬を樂

しむ夜だから、七日

の月

は宵

のうちで引込

むと

いふ

のである。今

は中學生でもそれだけ

の解釋

をきく

と、「何だ

つまらな

い。妙

にこじ

つけ

のだな」

一笑

に附する

ことであらう。

しかし貞徳

の當時でば、

この句など

こそ妙作

として喜ばれ

たにちが

ひな

い。貞門

の旬を

よむも

はその喜ばれた點をや

はり十分

理解

しておかねばならな

い。

 

  

みな  びと

 

  

  

      

 

「晝寢

の種し

の種

は、原因

とな

るも

のの意

。秋

の夜

は月見

のた

めに、終夜

みな人

々が起きてゐ

ので

、晝

は晝寢を

しなければ睡眠

不足

を補

へな

い。結局

秋の月

は皆

の人

の晝寢

の種だ

といふの

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の` 鴫、

である。

これも幼稚な理窟

をひね

つた滑稽

にすぎな

いが

、少く

とも

、言語

の技

巧のみに終

つてゐ

い點

は、

いく

らか文學

として

の取柄

は多からう。

しか電かうtた

一句全體

の意昧

からもたらさ

れる滑稽

、ーー

それも

この程度

の幼稚

さでさ

ム.、實

は貞

の句に

ははな

はだ少

いのである◎

   

  こも

   

 

「あなかし

こ」

は恐惶謹言

といふのと同じく、書簡

の絡りを結ぶ時など用

ひる語。それを蟲

が冬

にな

つてから地上から去る暇乞

の語

と見なして、蟲けらまでも冬

になる

と暇乞して穴

に籠

いふのである。

例によ

つて

「穴かし

こ」

といひかけた

のが

一句

の眼目

とな

つてゐ

る。

松 永 貞 徳21

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22俳 旬 訴 釋 上

ひちちかしげ

々口親重京

都の人

、癰屋

を業

とし旗。若

くして邇歌

を簾輿

に、和歌

を光廣

卿に、俳

誰を貞徳に墨・んガ◎

のち重頼

と確

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

りふほ

を生

じて貞徳

の門

を去り

一渡

を成

し旗。法體

して立圃

と號

す。寛文九年歿

、年七十五。 『發句帳』。『花火

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀞早』。『小

町踊』伽『六日の雹国藩…』などを初め、撰

著がはなはだ【多

いQ

その旬恥篥を

『空礫』

といふo

   

 

『源氏物語』の中で若蘂の卷だげは上下二卷に分かれてゐる。それで正月に貴賤上下とも若楽

を貌ふのを、これに引きかけた作意で、貞門常套の手段といふべきである。

            ゑ

   天

 

「天も花

に醉

へるか」

とは、『和漢朗詠集』花時

天似醉

「天花

二醉

ヘリ、桃李之盛

ナル也」(菅

丞相)

の詩旬による。 『朗詠集』

の句を用

ひて、雲

の亂れを花に醉

つた千鳥足かとしやれた

ので

ある◎                    

.

   ほころ                         いと  ざくら                   ま

   

「尻も結

ばぬ絲

」といふ諺

によ

つた句

「尻も結ば

ぬ絲」

とは、後始末

をせぬことの喩

へにいふ9

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つた絲

の尻

を結ば

ねば

やがて綻

びると

いふのを、絲櫻が険き初

める意

にかけ、更

に絲

を絲櫻

   

   

    

  

ゐ  も  ぬ  ゐ

いひかけた

ので、ま

つたく

いひかけ

と縁語だけで作り上げた句である。

   

   

    

   

    

  ば  せを     ゆき

をんな

   

  「芭蕉

の雪女」

は、謠曲

『芭蕉』

の交句

「さて

は雪

の中

の芭蕉

の僞れる姿

と聞えし

は、疑もな.

き芭蕉

の女

と現れ

けるこそ不思議なれ」

による。雪中

の芭蕉

とは王摩詰

が描

いた

といふ故事で、,

天の梅花

と同

じく元來

あるべからざ

ることだから

、謠曲

の本文

では僞

の序詞

に用

ひてあ

る。

 

芭蕉

の精が女

とな

つて現

はれ

る。

しかも

それが珍

しい雪中

の芭蕉

といふのならば

、そ

の女

は帋背

・女

と現

はれ

て見え

よといふのであ

る。謠曲

の交

によ

つて、謠曲

にな

い雪女を出

して來たが俳諧

であるQ

野 、々口親重23

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2戞俳 旬 欝 釋 上

まつえ    しげよh・

松江 重頼京

の人

、大夊

字屋

といひ邏絲賣

を業

とし弛。蓮歌

を昌蠍に俳諧

を貞徳

に學

ぶ。

牲質負嫌

ひで同門知友

とし

 

 

 

 

 

えのこしふぜ

しば爭

ひ、『犬子集』のことによ

つて覲硼重…と不和を生U、

つひに貞{徳の…門を去

つ伽Q貞{徳

・立欝圃と對立して

一涙

をなす。旬風

は貞門申

にあ

つて最

も清薊

の趣

に富ん泥o延

寳八年歿

、年七十四。 『犬子集』・『毛吹

 

 

 

 

 

 

 

 

がまやうすがた

草』。『佐夜申山集』●『時

粧』6『大井川

・藤

枝集

』など多くの撰

著があ

る。

めん  ぼく

 

「雨ふれ

ど花

の遲かりければ」

いふ詞書

がある。春

の雨は花

を養

ひ立てる父

母である

といふ

のに、いくら

その雨

が降

つても梨

の花

は蹊

かな

い。雨も面

目なからうと

いふ

のである◎勿論

面目

       

り  や  む  あ

しと梨

との

いひかけが眼目◎

                         かね つ

   

 

「やあしば

らく」

は、謠曲

『三井寺』

の狂女が鐘を

つかう

とする

のを僭

が制

する詞

「やあや

あ暫く

、狂人

の身

にて何

とて鐘をば撞くそ。急

いで退き候

へ」

とあ

るのを

ふま

へたも、の。 「花

して鐘撞く」

は、『新古今集』

「山寺

の春

の夕暮來

て見れば入相

の鐘

に花

ぞ散

りける」(能因

法師)

の歌

によ

つた言葉

で、謠曲

『三井寺』

の中

この歌も取入れられてある。

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 のういん

は能

の歌

により謠曲

の文をかりて仕

立てた句

。花

の散

るのを惜

しんで、入

の鐘両今幽・

かうとす

る僭

を呼

びと

めたのである◎も

とよりそ

へ謠曲

の交

を取入

れたのが旬

のはたらき

73・

あるが

、これなど

は確

かに巧

みな利用だ

いへるだ

らう。技

巧としてはまさに縱積

の機智

を弄

たも

のであ

る。

のみならず、夕

の風

にはら

はらと散り

かかる花

の下

に、謠曲が

かり

で呼

び・磊めて

   

      

       

      

      

      

る風狂人

の姿さ

へ目前

に淨

かぶ

のである。

:松江 重 頼25

 

夏草が人

のせいより高く茂

つた野中

を、巡禮が逋

つて行く

Q入

の姿

はす

つかり隱れて、手

いた長

い杖

のさきだけが見え

る。それ

で遠く

から見

ると、ちやうどその棒

だけが歩

いて行くやう

だ。 「棒ば

かりゆく」

といふ見

つけ

かたが滑稽な

のであ

る。

しかも

それ

はまた決

して誇張

や技

でなく

、お

のつ

からそ

の實景を言

ひあら

はしてゐ

る。そ

こには、これ

までの句

のやうに言語

の理

的技

巧をま

つたく見な

いのである。も

とよ

り表

面的な物

の見方で

はあるが少く

とも貞門

の俳諧

中で、かう

した比較的清薪な滑稽を

よんだ

のは他

に類がな

い。重頼が異色

に富

んだ作家

であ

つた

ことはこの

一句

から

でも言

ひ得られ

る◎

 

      

     ひとド あし           ぬぐ     えん

 

  

拭き

たての縁を

ふと

一足

ふんだ刹那

、何

となく足

の裏

にひや

ひやとした感

じがする。そ

の冷た

=幣尸

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,囁㍉ー毒ヒ当・卜睾

'塔鼕

蹟苳

睾耋

醍・ン璧

塞目融要"斎冷嵳

.・萋

-語斗蒹

裹…電診蚩

・二曇.謬袤

'盈9¥舜・童

爵さ・簑ー亨垂と畫呂ご}ザ響ー

土ξ・=隻匸な匿≧萋

3萎・耋藝萋

垂塾

亨雲

、,塵「・ー

誤F

26歪葬・右3養華釋 上

さの感

じで、ああ今朝

ほ立秋だ

なと氣

いたと

いふのである。縁

の冷

たさに立秋

を感ずる

といふ

のは、も

う滑稽諧謔

の戲

れではな

い。自然

の推移

を鏡く感ず

る詩

人的な感受性が見られ

る◎それ

はかの

「秋

ぬと目にはさやかに見えねども風

の書

にぞ驚

かれぬる」(『古今集』藤

原敏行)

とう

.

つた古人

の心と相通ず

るも

のである。ただ

に知

るL

と言

つたところは、やはり興

じた心

もちがあ

つて、そ

こに實

は當時

の俳諧

たるべき所

以があ

つたのであるQ

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やすはら  ていしつ

安原 貞室名

け正章、邇瀉鎰屋彦右衛門。

一嚢軒と號し弛。十九議のころから貞徳について俳諧を學んだ。莚寶元年歿、

年六十四。 『正章千旬』。『玉海集』などの撰著があ毒。

うた 

いくさ 

 ぶん

  ぶ

歌 

軍 

丈 武

二 

道 

の 

蛙 

 蛙

『古今集』

の序文

「花

に鳴く鶯水

に佳む蛙」

といはれ

て、歌道

にも

ほまれが高

い。それ

,

から

また蛙合戰

とい

つて

いくさ

の方でも名高

い。すな

はち文武

二道を餓ね

てゐる

とほ

めた

ので、

結局

理智

を弄

した滑稽

ノ~\丶 

安 原 貞 室27

 

この句

はも

と寛文九年刊行

『一本草』

といふ俳書

に出てゐるが、俳

諧七部集中

にも

とられ、

あまねく人口

に膾

炙する

に至

つた。

 花盛り

の吉野山

の美景

に對して

は、ただもう

これ

はこれ

はと呆れるば

かり

で、何

と形容稱讃

辭もな

いといふので、句意

は極

めて明瞭

であ

る◎そ

の誰

にも解されやす

い點が

この句を名高くさ

せた原因

であらう。芭蕉も

『笈

の小丈』

「吉野

の花

に三日

と虻まりて、曙黄昏

のけ

しき

に向

ひY

喜~

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屍趣

..ミ

28俳旬 訴 釋 上

        

                         

        

ヒ セゲ

の月

のあ

はれなるさまなど心

に迫り胸にみちて、ある

は攝

政公

のなが

めに奪

はれ、西行

の枝

をり                                   み

に迷

ひ、か

の貞室が是

はく

と打ちなぐりたる

に我れ言

はん言葉もなくて、徒

に口を閉

ぢたる

いと口をしし

と感をもらした句であるが、それ

は恐らくなまじ

つかな言葉

で不滿足な表現

をする

より、ただもうそ

の美景

に恍惚

と魅

了されたがよ

いと

いふ心境

に同感した

のであらう。旬

そのも

        

                     かけ

のに不朽

の價値

ある名

とは思

はれな

いが、當時

の俳諧

が縁語

や掛詞な

ど言葉

の技

巧をも

つぱら

にしてゐた間にあ

つて、かうした感じを率直

に言

ひあら

はしてゐ

る點

に、今日から見て十

分の好

感をも

つことができ

る。

        

              よ  は

   

 

 

 

 

 

.

         

   こ

 夏

の夜

の月

は涼

しさ

の凝り固

ったも

のであらう

との意。夏

の月

の涼

昧をそ

のままに敍

さな

で、理智的

な解釋

を試

みたのである。さうしてそ

こが貞

の俳諧

たる所

以である。

         

   

さ  ホ     あゆ く

   

 

これも前記

『一本草』に出

てゐて、「京

にて睡

じかり

つる友

の武藏

の國

にとし經

て佳

みけるが、

角田川

一見

せんとさそひければ

まかり

て」

といふ詞書

ついてゐる◎この句

はこれだ

けでも解

られ

ぬことはな

いが、右

の詞書

によ

つて

一層句意を明ら

かにす

ることが

でき

る。都鳥

『伊勢物

    

語』

の話

で名高く

、隅田川

に佳

んでゐる觜

と脚

の赤

い鳥だ

といふ。その都鳥

に向

つて

、さあ

ご,こ

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魎 畷 騨μ騨 鰯¶

安 原 貞 室:29

よからうが

、ひと

つ嵯峨

の鮎を食

ひに京

へ上らな

いかと誘

つたので、意

はも

ちろん友

に上京を

した

のであ

る。

かう

した場合

の作

としては、成程

はたらき

のある旬だ

と思

ふ。

     

      

      

   

や  ちう  な  ごん

   

 

この句

『玉海集』

に出

「須磨

の月見

に赴き

し頃

、む

かし行午卿

の佳

み給

ひし處

いつ

こと

尋ね侍りし

に、上野虫

碣祥寺

といふ。

これ今

の須磨寺なり。

この山

の東

の尾

つ黛き

一村侍る

を月見

の松

と名

づけ給

ひしなど人

の教

へけるま

玉に」

いふ詞書

ついてゐる。「三五夜

中納言」

     

      

      

     

リンテ ユ フ    ヲ ア

のことば

には、『白氏文集

』八月十

五日夜禁中獨直對〆月憶三兀九一「三五夜中

ノ新

ノ色、二千里

ノ外

ノ故

ノ心」

の句を用

ひてあ

る。中納

言は在原行李

のことで、その事蹟

は謠曲

『松風』

でよ

く知られてゐ

る。

     

      

      

  た

 

一句

の眼目

『白氏文集』

の名高

い句を裁

ち入れ

て、夜中

から中納言

といひかけたところにあ

る。

これなど

は貞

の句

の特

色を

よく

あらはしてゐろ。

これとい

つて纏

つた意

はな

いが、十

五夜

     

      

      

    う  あ  や  も

の月を須磨

の舊跡

になが

めた心もちが

、興故や

いひかけで巧妙

に言

ひあら

はさ

れてゐる。「す

め」

「月が松蔭に澄

めよ」

といふのと、「か玉る名所

の松蔭

に佳

め」といひかけた

のであらうが、な

は行

李が須磨

に三年

さすら

つてゐた折愛

した

といふ姉妹

の女

、松風

・村雨

の松も匂

はしてゐる

かも知れな

い。

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難.

袤耋

費.航髫踏り婁ー

廓窰

尋墅峯鼕

霍透萎

疼毒羣

篝戸セ・ア戸ち.毛ド輩「声睾

三づ"嬉羣蠡箋

3羣嚢

コ、乙濯畫羣章鋒婆奪"葺二、晦鼕

萇ー

、多恥幸ηー

苫隔、だ鬟・…旨婁

養写ζ羣

晉導ー~耄肝窰

霊、昏∬

30俳 旬 評 驛 上

北嚢村書

ぎん

季吟名

は靜厚、久助と稱す。湖月齋

・蘆庵

・七松子

・拾穗軒などの號がある。近江北村の人、京都に佳み醫を業

としれo初め貞室に學び、のち貞徳の直門となるo古典の註縄書を多く薯はし、ま弛幕府の歌學所に補せら

れ再昌院法印といふ。俳諧に關する撰著

に竜

『山の井』・『埋木』・『新續犬筑波集』など名高

い番のが多

い。

寛永二年歿、年八十二◎

ぢ  しゆ

こ       ま

 

 

お しゆ

  「地

、王」

とは、京都東山清水寺

の鎭守

の禪

であ

る地主權現

のこと。謠曲

『田村甲

「あ

らく

面白

の地主

の花

の景色やな。櫻

の木

の聞に漏る月

の」とある。

「花

の都」

は繁華な都

の意

で、そ

                                                  囎

れを木

の間

の花

から

いひかけた。

 花盛り

の頃地、王灌現

の高み

から

、花

の都を見下

した景色

であ

る。それを謠曲

の文

によ

つて、木

の聞

の花

から花

の都

へと續けた

のが句

の面

白いところ。

これ

『擺飛郁.』卷頭

の發句

で、麟莇

                 

わき

「殘

る雪

かと見ゆる白壁」

といふ脇を

つけてゐる。

腹 筋 を

て や 笑 ふ 絲

絲櫻

が滿開

してゐるさまを、絲

といふ語

にすが

つて、腹筋を

つて笑

ふと言

つた

のだ。よる

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ちろん絲

を搓

るに

いひかけて・ゐるQ言葉

のし

やれだ

の旬

  

   ぼく

  

 

ノ\

-

31

北 村 季 跨

 

「ぼくく

は、ゆるりゆるりと歩

いてゐるさまに

いふ語

。芭蕉

の句

にも

「馬ぼく

・我を繪

に見る夏野哉

」と

いふ

のがある。句

一僕

のボ

クから羨

クボクと同じ語を重ねた

ところが面白昧

であらう。しかしさうした調子をぬき

にしても、

一僕に瓢箪でも持た

せて、悠

々と花見て歩く樂

居など

のさまがかなりうまく出てゐるQ實

は今日から見る

とボ

クボ

クの拍子取

り的な小細工式

巧なんか

はどうでもよ

いのだが、貞

門時代

の旬

として

は、どうしてもそ

の點を見

のがすわけ

は行

かないQ

      

                  

たま まつり

   

      

               イマ

 

「まざく

と」は、『論語』八悄篇

「祭

ゴト在

スガ如

シ、禪

ヲ祭

コト紳在

スガ如

シ」

の旬

つた修辭

である

。 『論語』

の文旬取り

があ

まり目

立たな

いで句中

に融化

され

てゐる

のは、さす

に季吟

の手碗

の凡

でな

いところが窺

はれる。しかし結局言葉

の技

巧が眼目

とな

つてゐる。

   

かり     も  じ                     ゐん

ふたぎ

   

「…韻塞」

とは、詩

の韻

字を掩

うて、それをあてさ

せる文字

の…遊戲で、中古

の物語など

によく散

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32俳旬 訴 釋 上

見する。霧が

一行

の文字

のご

とく

つらなり飛ぶ雁を掩び

したさ

まを

、そ

の韻塞

と見

立てたので

ある。貞門臭

の強

い句だが、韻塞などを思

ついた

のは、

いかにも古典研究家

らしい季吟

の特色

をあ

らはしてゐ

る。

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  聯み馬寧腎留ト「噸団審挽  ・沸   ・紫'畔趣 ρ邑酬甥鵙, 巫〆    つ

西 山 宗 因33

にしやま  そういん

西山 宗因

名は豐

一。肥後八代の城代加藤正方の家距。はやくから里村昌琢に師事して連歌をよくし弛。寛永九年主家

の退轉に邁

つて浪々の身となり、のち大坂矢滞宮の月家連歌の宗匠となつ弛。ま弛

一方明歴ごろから俳譜に

親しみ、寶文宋年ごろやうやく新風をとな

へ、いはゆる談赫風の組と灘せられるに至

つ弛。俳諧では

一幽

.

西翕

。梅翁

・梅花翕と號し弛。天和二年歿、年七十八。 『西翕十百韻』・『天滿千・句』・『宗因五百 韻し・『纔㎝教

百韻』などの撰著がある。

    

     

     

    

くび

 

宗因

の俳

はすで

に寛永末年ごろ

の作から知られてゐるが、俳

に初

めて見える

のは明暦

二年

   

ゆめみ ぐさね                                 ニ

『夢

見草』

が最も古く、

ついで萬

治元年刊

『牛飼

』であらう。

この

「ながむ

とて」

の吟

すな

はち右

『牛飼』に出てゐる

ので、宗因が俳諧を盛

んにやり出

した當初

の作

であ

る。

しかも

これは當時

よほど名高

い句

であ

つたと見えて、そ

の後多

の俳書

にたびたび探録されてを

り、ま

この句を發句

にした宗因自身

の獨吟百韻な

ども

ある。

                                              ゲ  も

 

句は西行

の歌

「眺む

とて花

にも

いたく

なれぬれば

ちる別

れこそ悲

しかりけれ」(新古

今集)のい

ヤ  ぬ     も  へ

たくを痛

くに

とりなして、仰向

いて枝頭

の花

に見入

つてゐたために、頸

の骨が痛

くな

つた

といふ

滑稽である。も

ちろん貞

門風な言葉

のし

やれ

ではあ

るが

、古歌

のみやびやかな言

葉から急

「い

たし頸

の骨」

と俗

に轉

ずる調が、

いかにも輕妙

で、さ

すがに宗

の機

の凡でな

いことがう

かが

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俳 旬 評 驛 上

    は    れ    る

峯嚢 。

入窒

は 宮 も わ ら ち の

たび  ぢ

                いまやうすばた

 

『洗濯物』(寛文

六年刊)を始

『時勢粧』・『士旦野山獨案内』な

どに見

え、寛文初年

の吟である。

「峯入」

は、山伏修驗

者が吉野

の大峯

に入る

ことで

、毎年

三月熊野

から入

つて吉野

に出る

のを順

の峯入・七月吉野

から入

つて熊野に出る

のを逆

の峯入

といふ・

この句

は京都爨讖隊隴

驪道

寛法親

の峯入を拜んで

よんだ旬だ

といふ。

これも蝉丸

の歌

「世

の中

はとても

かく

ても同

じ事宮も藁屋

はてしなければ」(新古今集)を

ふま

へた句

で、高貴な宮樣も、修行

のた

めの峯入

であるから

草鞋を召

してゐるといふのだが

、さう

した古歌

の知識

から生ず

る興昧以外

には何

の感興もも

たら

さな

い。畢竟

貞門

の舊

套をまだ脱

しきれな

い作

であ

る。

   

ひ・い             ζとば            これ     らん

   

 

これも寛交初年

の作。「秀

でたる」

は、『古文璽寳』

「蘭

一一秀デ

タル有

り菊三芳

シキ有

リ」(秋

          

                       

も  も     も

辭)

とある

のを

ふま

へた。漢詩句

(『懐

子』

に出づ)による作意で、か

つらむを蘭

にいひかけて

る。や

はり純粹

の貞

門式

の句

   あたひ

   

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セ  ぱま

 以下

五句

とも

に寛文四年刊

『佐夜

中山集』中

の句である。松島

の雄島

の勝景

をたた

へた

ので

「何か惜しまむ」

と雄島

といひかけた

のが

一句

の眼目である◎も

ちろん貞

門風

の技

にすぎな・い

が、

三、三、一『

、五、

のはず

んだやう

なリズ

ムが

一種

の輕快昧を與

へる。

   

なに  は   つ      さく  や

   

 

この句

は普通下

「梅

の花」

と傳

へてゐ

るが、『佐夜中山』・『小町踊』など

の古俳書

には皆

「花

   

       

わ に

の春」

とな

つてゐ

る。王仁

の作

と傳

へる

「なには津

にさく

やこ

の花冬

ごも

り今

を春

べとさくやこ

の花」

によ

つた趣向

で、昨夜

の雨

に花も開

いた難波

の春景色を

よんだ旬

である。やはり

「さく

や」

 かけ

の掛詞が眼目

とな

つてゐる◎

   

          げと まる              さくら だひ

   

西 山 宗監因35

 

『古今集』

の序

「春

のあした吉野山

の櫻

は人丸が目に

は雲

とのみなむ覺

えける」

によ

つた

作意

で、

一本

には明石

の作だ

とい

ふ前書

ついてゐる。昔

の人丸は吉

野山

の櫻

を雲

と見たが、

今明石

の人丸紳肚

の入丸

は櫻鯛

を何

と見るだ

らう、

といふ句意で、櫻を轉じて明石名産

の櫻鯛

したのが

いはゆる俳

諧手段

である。

   

う  ち  ばし

   

拶さ

・や

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36俳旬詳繹 上

    

      

   

このはなさくや ひあ

 宇治

は茶

の名所

であ

るから

、木花険耶姫

の名

にもち

つて、名高

い宇治

の橋姫を茶

の花

さく

や姫

らうと興じた句

。これなどはむ

しろ惡洒落

に過ぎ

ぬ作だ

らう。

    

      

  

けん                   そろ

   

 句

は小袖幕

めぐ

らした花

の席

などに、どんな美

人がゐるか覗

いて見

たいといふ意だが、そ

れを謠曲

ワキなどがよく

「ど

こそ

こを

一見せばや

と存

じ候」

といふそ

の句調を

かりて仕立て

のである。謠曲

の文句

をかうして俳

に取入れた例

は、さぎ

にあげた貞門

の人

々の作

にも多

    

       

      

 

たが、宗因

は特

に謠

は俳諧

『源氏物語』だ

とい

つて、歌人

の修養

として源語

が必讃

の書

であ

るごとく、俳諧

師は謠

の詞章

を盛

に利用せねばなら

ぬと読

いてゐる。も

とより宗因

に至

つて

も、なほそ

の利用

といふのは形式

的な技

にとどま

つてゐた

のではあ

るが

、宗因が謠曲

の韻律

んだ調に着

目して、

これを俳

諧で自

に驅使してゐる

ことは、確

かにその俳風

に清新輕妙

な昧

をも

たらすも

のであ

つた。彼

ははやく萬治ご

ろから

    

       

      

      

 

  

のご

とき

吟を試

みてをり、延寳

以後

の作

になる

と、

この種

の謠曲調

はますます多く

つて來

る。

今そ

の代表的

なも

のを數句左

にあげよう◎

    

       おん  み              ひと  し  ぐ為

   

宿

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き ごん

          響趣        澱     賢    '肺   げヌ鰍阿 喉P堺鱒巴厂 》

西 山 宗 因37

藤磯

♪つ

 7

1\丶

 

ひと は ぶね

         ガ

 第

一は謠曲

『江

口』

によ

つた作

で、か

つそ

の中に

「御

はさて

いかなる人にてましますそ」と

                

も     で

いふ句がある

のを

とり用

ひてゐる。

一と人

とかけてある。句意

は謠曲

『江口』

の前牛を讃

めばお

のつ

から明ら

かであ

る。

 第

二は

『田村』

「いかに鬼

神もた

しかにきけ」

いふ文句だけを

かりて、時鳥

一聲に

は鬼

神も耳を傾ける

であらう

との意をき

かせた

のであ

る¢

この旬な

どは謠曲

の句を最も巧

みにとり入

た點

に句

の全生侖があ

るのであ

る。前句

のご

とく謠曲

の丙容

と何も交渉があ

るのではない。

はただ唐突

としてその

一句を

かり來

つて

「時鳥」

つづけ、しかも十分

のはたらき

を見

せたと

ころが面白

いのであるG内容的

に貧弱

ではたいかと評すれば

それ

までのことであるが、それはこ

の種

の句

に對す

る正當

な鑑賞

の態度

ではなからう。

     ちくぶ もま

 第

三は

『竹生島』

の名高

い交句

「線樹影沈

んで魚木

に登

るけ

しぎあり」をも

つた

のであるが

これなどはその見立

てが俗

に墮

して、いや昧

が多

い◎逋俗的

には喜ば

れるかも知れな

いが、それ

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で騨圃晒酬へ 脚欄w櫑w配 圃 群w灘ド 滞「

㎏ 蕁

38俳 旬評釋 上

は到底低

い趣味

たるを免れな

い◎

 第

四はどれと特定

した謠

の文句

でぱないが、

「のうく

それなる御鱠し

とか、

「のうく

あれな

る山伏」

など

といふ文句

は謠

にしば

しば

出て來

る。

それ

でそ

の語

を用

ひて、水

上に散

り沈

んだ桐

 ひとば

                                

いちヒそふ

一葉に羇

して、も

う秋

つて來

かと問

ひかけた作意

である。

-二

葉落

ちて天下

の秋

を知

るLと

いふのは古

い語

であるが

、それをかうした形で表

現する

と、そ

こにまた古諺が

らうける堅

苦し

い感じと

は別種

の、柔らかな女性

の情趣

を感ずる。それ

「のうく

それ

なる」と

いふ女

                 

かづらものを

しい言葉

の響

と、それ

に聯想される鬘物

のシテの動作などが

さう

した感

じを作

のである。

してこの女性的

の弱

々しい言葉

の感

じは、桐

一葉

に秋

を知

る寂

しさとよく調

和を保

つてゐる。

  

つれづれぐざ

 

『徒然草』

に、象好があ

る雪

のおもし

ろく降

つた朝

,人

のも

へ手紙を

つたが

、雪

ことを

とも書

かなか

つた

ので、そ

の人

の返事

「この雪

いか

虻見る」

一筆

つてよ

こさ

ぬほど

の無

風流者

のいふことは聞

かな

いと言

つて來

た話がある。

これ

はそ

の故事

によ

つて、今度

「こ

の雪

いか

虻見る」

一筆手紙

のはしに書

いてや

つたと、逆に

いひか

へた

のである。 「となん

一つ」

いつたやうな奇警

いひかたが、

ひそかに得

意とした點

であらうGさうし

てこんな奇警な

いひま

はしばかりを主

とした結果

は、やが

て談林末流

の弊たる怪奇不可解な句を釐む

に至

った

のであ

る。

宗因

まで

はさすが

にさう

した極端な句

は少

いが、

この句

などは

この怪奇調

の最初

の傾向を物語

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ので

そ よ

冫!\丶 

 

しつか

職駄

がご

れきの

  

ふう

てい

せき やう         のこ

西 山 宗 因39

 

これら

の句ぽ

談林

のかう

した傾向が

ますます進

である。第

一の句

は、「折

ふしかはる俳

の心を」

といふ詞書があ

るQ

一本

には

「そ

よやそ

よ臨、日

の風體

一夜

の春」

ともあ

つて、この方

が意昧

はとりやすい◎それ

ぞれ

、昨日

までの俳諧

の風體も

一夜あけ

るとた

ちまち年が改

まるや

うに、今

日はも

はや古風

にな

つてしまふではないかといふ意

である。 「そよノ\

といふご

とき

、形式的

に變

つた調子が

、だ

んだ

「般

に喜ば

れたことがわかる。

 第

二句

なども

八、七、六とい

つた破格

なリズ

ムから生ず

る感興

が主で、句意

はむしろ晦澁

に陷

     

ゐちう     はゆやけんしやろ

つてゐ

る。惟中

『俳諧破邪顯

正返答』

によると、この句

は松門亭某

といふ人

のも

とで百韻

の俳

諧があ

つた後

、宗因

に追加

の發句を所望

すると、そのまま言下

に作

った句

であると

いふ。すなは

「俳諧

一と通りす

んだが

、まあ

まあ皆さ

んゆ

つく

いら

つしやい。夕日

はまだ殘

つてゐます

から」

いふ挨拶

の意

で、それ

に眼前「の殘雪を

いひかけたのであら

づ。しかし

この句だ

け突然出

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40俳句壽 驛上

され

ると、解釋

に困

るやう

な句

である。尤も宗因

のこの句など

は、まださまで極端

といふほど

なく、さすがに

ふざけた態度

は少

しも見えな

い。

ところが

たと

へば

、談林末流

の一一三子の作

あげ

てみると、

 

 今

(芋名月

の句)

 

しらみ            ぬの め             ど  よう ぼし

 

 虱

 

 小

便

西

のごとく、ほとんど惡

ふざけ

に近

いも

のがす

こぶ

る多

い。

 

三句

「車胤が窓」

で螢

をき

かせたやうな

のは、む

しろこのふざけ氣分

といはねばなるま

い、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

う ど

つ格調

の方でも、田代松意撰

『軒端

の獨活』

に見え

る江戸談林

の人

々の作中

には、故意

に五、

七、五

の常格

を破

つて、

 

 

あいど       ふぐぜめ

 

 

亘ハ途

  (六、

一〇、六)

 

 し  しゆいヘアへ

たば

 

 

 

(六、九、六)

 

 

 

 

ゆだ      こ  ふく

 

 

 

(七、九、五)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

をんなもらぺ おと       すり  こ  ばち

 

・唐

調

 

(六、

一一、

五)

のやうな

ひどく字餘り

のも

のさ

へしば

しば見ら

れるのである。しまひには宗因自身

すら、この極

な放縱

さに呆れ

て、

口を

つぐ

んで晩年

は俳諧

に遠ざ

つたと傳

へられ

るぐ

らゐであるQ

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ダヒ1問  得糊凡》 7    騨鳳  、曹豚 叩亀 ←

西 山宗 因41

㌦さ

 

ひろく知

られた句

である。そ

の人口に膾炙

した所以

は、「無分別」と

いふ主觀的

な言葉

に、

一種

の教訓的意昧

が寓

されてゐるからであらう。清淨

な自露

である。それが

ことさら汚穢な場所

に置

いてゐる場合

とか、あるひはまた葉

のこぼれやす

い所

に結んでゐる場合

とも見られる。前

者な

らば

その汚

れに染む

を難

じ、後者

ならば

の危

ふき

を悲

しむ

のである。

いつれ

にせよ、白露

の美

しさ、脆

さに對

して道徳的

な警告

を含

んでゐると解

される。さうした主觀

的な要素

は、も

とより

の句

の丈學的價値

を高く

するも

ので

はな

い。ただ

この旬にお

いて注意す

べき

ことは、從來俳

の本質的

要素

とされた滑稽

に對する見方が、

ここで

は大分變

つてゐる

ことであ

るQ

 

この句

の制作

年代はなほ確

かに知

ことができな

いが、思

ふに宗因

の晩年

の作であらう。 「無

分別なる」

と白露を擬人的

に言

つた

のが、

いはば滑穰な

のであ

るが

、その滑稽

はよほど賃面目

 

      

       

    

かけことば   えんこ

のにな

つてゐ

るQ

のみならず

、ここには掛詞

とか縁語

とかいふ技巧的手法

はま

つたく見

られな

い。談林

末流

の弊を知り

、俳諧

の文學的意義を

いま少

し深

めよう

とする心

は、晩年

の宗因

の心中

に若干動

いてゐた

ところではなからう

か。

この旬

はただ名高

いといふことによ

つてあげ

のであ

るが、更

 

 あり  あけ                                 セ

 

 有

 

      

       

むな           いほ

 

 月

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42俳 旬評 釋 上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かろ    たか  せ  ぶぶ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姿

 

 

な         ひと もと さ

 

にな

と、

まだ

一昧

の滑

しき

いと

ころ

はあ

に芭

句風

にす

こぶる近似し

てき

てゐ

る點が認

められ

る。最後

の句

のご

とき

は、ま

つたく客觀句

でー

しこれ

に何

かの寓意が

ないとすれば

、!

蕪村

にまで接

近してゐる

とい

つてよ

い◎

とにかく宗

はかうした旬境ま

です

でに俳諧を進

めてゐた

ので、彼がも

し次

の時代

まで生き得

べき

人であ

たら

、芭蕉

の成

した

ことを彼もまた成

した

かも知れな

い。な

ほ宗因

の句

として名高

いも

のを、次

にいま少

し列擧

しておかう。 (以下

の句出

典は

一書

だけ

にとどめ、異同も省略した)

 

 

 

 

 

 

 夢              なみだ    さくら だひ九

す よ 命 螢 藥や小 を世 か

り れ な 火 鑵嘉初塔の ら        ん

采1り 藷 轡 し              酢も

む さ が も 目 蝶

紅舗 ゆ も 心 が 々 に

葉塔馬の の し ね と ふ

し が   あ   も ま る

に 隴 中 り て よ れ ほ

け   山   き  か              泪      な    ぞ  に

詠 醜 け砿 か辛 清 蒸薦り 時 霞 あ 櫻

子:水 散鳶河 鳥 哉 れ 鯛    二       〇

(小

町踊)

(莊子像讃)

(小町踊)

(伊勢

踊)

(糸屑集)

(同)

(同)

(難波草)

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可渕吻脚  姻物・闇軸バゲ 冊躑 げ畔噂 囎 鄰 恥隣ポ ー7騨 慣・牌 ・職 珊 購 冨ザ    ・・一rr轟躑  磯

43  西 山 宗 因

雪:お し

の ど ら

    箸松 ろ

    の

曾 そけ    夜

根ねや の

も 念 ち

久 佛 き

し 衆占り

き 肇 や    亥ゐ名 節苳

    の所 季き子・

懿 讎 醜

(洗濯物)

(釋敏

百韻)

(境海草)

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  Th「w・呼噛㌦

44φ俳 旬 訴 驛 上

はら 

 さいかく

井原 西鶴

『見聞談叢』によれば俗爾を夲山藤五といつ弛といふ◎大阪の人、十五六歳

のころから宗因に師事し初め鶴

永と號す。談林新風の急先鋒として最竜目ぜましい活動をし、寛夊十三年

『生玉萬旬』を毘して氣を吐い糎

が、當時すでに阿蘭陀流と呼ばれてゐ弛o延寶一二年、號を西鶴「と改めてますます活躍~し転が、〔師宗因の歿後

は竜つばら小説作家として立

つ弛。元祿六年歿、年五+二◎『生玉萬句』を始め、『西鶴大旬數』・『物種集』・

『西鶴五百韻』。『大矢數』などの撰著がある。

こ  Σ

ほと

エぎす

         んきんしふ

寛文六年刊

『遠近集』

に出

てゐ

て、西鶴

の句

の文獻

に見える最初

のも

のの

一つである。 「心

こになきか」

は、『大學』の

「心

ココム在

ラザ

レバ靦

レド

モ見

エズ、聴ヶド

モ聞

エズ」

によ

つた

とば。句意

は郭

の聲・を

一向耳にせぬが、それ

は郭

は鳴

いても心

ここにあらざ

るた

めにいはゆ

る聞けども聞

えなか

つた

のか、それとも實

際鳴

かなか

つた

のであらうか

と疑

った

のであ

るQ 「心

こ玉になきかな

かぬか」

といつた格

調

は何

となく後

の奔放

さを偲

せぬでもな

いが

、それ

はむ

ろ氣

のせゐ

であらう。-大學

の文句取り

句で、まだ貞門

風な着想

の範

園を出な

い◎ただ

 む      む        む     む

「こ乂ろ

こ乂し、「なきかなかぬか」

と、

この頭韻が自

然に調子を輕

くしてゐる

のは面白

い。

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長墓

持塾

に 春 ぞ 暮 れ

  ころも 淨へ

 

 衣

井 原 西 鶴45

 後

の諸書

「春

かく

れ行く」

と傳

へてゐる

のは誤りである。

この句

の初

見たる寛

文十

一年刊

『落花集』i

ただし

これは上五

「長

べ」

とある。ー-

や、延寶

元年刊

『大坂誹歌

仙』

など

は皆

「春そくれ」

とあり、特

に西鶴唐身

の眞蹟

にさうある

のだから、「隱れ」が誤傳たる

ことは明

かである。

 もう

四月

にな

つていよ

いよ初袷を着る

ころ

にな

つた。花

に着

て行

つた美し

い小袖なども長持

にしまはれ

てしま

つた。それを長持

に春が暮れ

てゆく

と感

じたのである。

 

この旬もまだ談林

の新風が盛

んになら

ない以前

の作

であ

るが

、構想

にも表現

にも

、も

ばや著

   

         えんご   う も ゐ ぬ

い變化

のあ

とが見られ

る。縁語や

いひかけの妓巧

から

つたく離れ

て、後

に談林

の特色

とな

つた

一種

の見

立てに近

い着想が句

の要素

とな

つてゐ

る。さ

すが

に談林新風

の第

一線

に立

つて、目ざ

い活躍・をした彼

の進境

を思

はし

める◎

   

だか

 

  

 

 

 

 

 

  さば

うり

   

延寶

三年刊

『糸暦集』中

の句

「日高

には能登

の國

」と

いふ

のは、謠曲

『安宅』

「腹立ちや

日高く

は能

の國

まで指

さうず

と思

つる

に」

によつた

のであ

る。

「さ

し鯖」

は、鯖を背開き

にして鹽

に漬

け二尾

一さし

としたも

ので、七月十

五日生身魂

(生ぎ

てゐ

る父母

の壽

を靦

するこ

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璽46俳旬評 釋 上

      

      

さし

と)

に用

ひる。能

登國

はこの刺鯖

の名産地であ

る。

 西鶴

は連句

の方で

はすぐれた手腕

を持

つてゐた

のであ

るが

、發句

にはどうも出色

のも

のがな

い。

この句など

はすでに延寶

三年

、す

なはち談林勃興時代

の作

でありながら、なほ謠曲

の文句取り

      

  

む む   む

とにかくとして、さ

しと刺鯖

とのいひかけなどに骨

を折

つてゐる。句意

は、刺鯖費

はまだ

日の高

いう

ちに能登

の國

まで指

すであらうかと

いふだ

のことである。謠曲

の文句

をかりて、突如刺鯖

費を點

じ出す

ところにはなるほど多少

の才が見

られないでも

いが、趣向

は要するに古風

の臭味

を多分

に持

つてゐ

るとしかい

へな

い。

 

騎糸屑集』

の中

には

この外

なほ數旬彼

の句

が出てゐるが、どれも

この程度

の作

ばかりで、彼が

發句

の方面

にあまり得意

でなか

つた

ことが、これだけでもよく窺

ひ知られる。思

ふに彼が後年俳

から小詮

へと移

つて行

つた

のは、彼

の藝術的素質

に基

づく創作欲

のお

のつからな

る展開

であ

。元來西鶴

の藝術

として

の特質

は、そ

の鏡

く透徹した觀察

と自由奔放な描寫

とにあ

つた。人

生活

の諸相

を張く確實

に把握

して、

これを最

も端的

に如實

に描

き出さう

とす

るのであ

る。彼が

諧にお

いて、發句

はあまり長じてゐな

つた

のに反し、連

には縱横

の才を發揮

してゐるの

の故で、前

の要黠

を機敏

にか

つ確實

にとら

へて、亥

から次

へと自由

に急速

に句境

を進展ぎ

せてゆくには、最も

ふさはし

い素質

であ

つた。だから彼

は速吟達吟

にかけ

ては絶倫

の才を有

し、

      

 

 

いぱゆる大矢

の獨吟をたびたび興行し

て、

つひには貞享元年佳吉禪瓧

の紳前

で、

一晝夜

二萬

一ご

五百句獨.吟

いふ破

天荒

な試

みにも成功

した

のであ

つた。爾來彼

は自

二萬堂

と稱

したくらゐ

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井 原西鶴47

であるが、

この非凡

の天才がやが

て小論家

として彼を成功

せしめた所以

であ

つた。

 

  ぴら  だる

 

    

 

「甼樽」

とは、角樽

とちが

つて手

のな

い樽

である。  ,手

なく生る

乂L

は、『梵緞

經』に、酒を人

に勸

めた者

は五百

のあ

ひだ手のな

い者に生れる

とある

ことから思

ひついた趣向

であ

るが

、それ

見酒

の句にした

のは、

いか

にも元祿

の時

代らし

い昧

はひが

つて面白

い。

 

僻遠

の地

では鯛

の生きた

のは昧

へな

いであらう毒また柳櫻を

こき

まぜ

た春

の錦も見られ

ない

であ

らう。

しかし今

日の名月ば

かり

は、ど

んな山家

の獎

でも賞す

ることが

でぎ

ると

いふ意

で、よ

ぽど理智的

な分子を多くも

つた句

であ

る。それだけ通俗的

に解しやすく名高

い句

にな

つてゐる。

き かく

はこ

の句に封

して

  

と大

いに江戸

つ子

の得意

さを示し、大江丸

にも

  

の句がある◎

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俳旬評繹 上

 

』 

冫ぐ丶 し

b

 こ

 

  

ざめ

 

 

 子供を冬

の夜

の寢

覺に起

して、「しし

、しし

し」などと

いひながら小便させる

のを、時

雨と興

のである。

この句など

は大分遊戲氣分が濃厚で、

この種

のむし

ろ放縱

な作

は、西鶴など

の大

い・

に得意

とする

ところであ

つたらう。そ

のはなはだ

いも

のは、た

へば 

  

   

  

 .

 

      

   

もみお                     ニ

 

 な

 

      

うづら                        ま

 

 み

つが

ノ\

ノ\

 

      

 

と                         

 

 花

とい

つたやうなひとりよがりに陷

つたやうな旬も

大分多

い。

 

      

      

      

    

をんな  ぐし

 

  枯

 

      

      

      

       

  

つばな

 

枯野を歩

いてゐる足も

とにふと見

つか

つた女櫛

、それ

は多分奉

茅花摘

に來て落

したも

のだら

う。草が枯れ

てしま

つた

ので、いま人

目にふれ

のだ

なと思

った心もち。 「枯野哉」

と上

五文字

に置

いた

ので、櫛があら

はに見える

ほど

の枯野

とな

つたことを痛切

に感

じてゐる情

が見えるQ

の句

にはど

こか

一種

の淋し昧が漂

つてゐ

る。あ

の絢爛奔放

の談林

の句

とも思

へな

いと

ころがある。

 

      

     

この句

は西鶴

の晩年

の作

で、彼も

五十近

いころから

は、だ

んだん

かう

した句境

の昧

をも

わか

つて

來てゐ

るやう

である。

このほか晩年

の作

にな

  亭噸、函       袖お紳 亙曲

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井 像 酋 観49

霞 蝉 里 玉 世 山注

み 聞 人 笹 に 茶菟

つ い は や 佳 花嘉

玉 て     ま を    突書不生

い夫奮        ば 族黒

驥 婦ふ臼獵 聞 人乞

見 い か 隊 け に

ね さ す 雨ぐと 見

ど か や る 廓しす

も ひ 花 製 走箏る

夕 掩 野 元肇の 備  ゾつ

べ る か 箱 嚇 見み

哉 哉 な 根 哉 哉

(蓮

の實il-元祿

四年刊)

(同)

(同)

(同)

(同)

(姿哉ーー

元祿

五年刊)

いつたやうな旬

には、甼淡

の聞

に、どこか

一脈

の淋

し昧

を漂

はせてゐ

るところがあ

る。思

ふに

四鶴

がも

う少

し長

生き

して、か

つ更に句作

の方面

に歸

つて來

たなら、

一種

の澁

い俳諧を作り出し

のではなからうか。絶

えず局面

を薪

しく開

いて行

つた彼

としては、き

つとさう

であ

つたであら

と思

はれる

のである。しかし不幸

にして我等はそ

の晩

の動き

の、わつかな現

はれしか知

とができな

いで絡

つた。

 

 

 

 

 

 

 

 

み  すご

 

 

 

この句

『西鶴置土産』

に出

てゐ

る彼

の辭世

の句

で、「人聞五十

のき

まり、それさ

へ我に

あまりたるにまし

てや」

といふ前書がある。彼

は元祿六年八月十

日,五十

二歳で歿した

のである。

砺  '△

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50俳 句詳 驛 上

すが

拠かまさ

菅野谷高政自

ら惣奪

と穩し・京葎

おける談林の雄募

つ覧

鑑騒

"蠡

して俳譬

問題

を起

し転が、氈年

はま

つ弛く振

は参、

その歿

。享

年なども不明であ

る。貞享年間

の作ま

で蹂殘

つてゐるか

ら、

その後歿

し弛嬉のであらう。

目 に あ や し

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

しようビ    ニ

 

『雫家

園女

の條

、麥

の蓑

を着

の名

い話

ころ

から

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

とみしぴ

いた作

、螢

の光

を麥

に灯

つて

った故

に思

ひよ

、麥

一把

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

つねのすがだ                      ばゆやけんエやろ

ので

『俳

姿

を駁

た中

『俳

 

 

にあ

し麥

の光

り飛

ぶ螢

の火

の古事

ひ、

一句

え侍

 

 

べき

、紙麥

ねば

いと思

ひ、無

に麥

邪俳

の作意

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

ヨ                           づ

 

 

それ

一向

とも

かず

の島物

々。

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

へい                         や

と批

てゐ

る。

の評

はた

に談

一面

の弊

つて

ので

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

ご  ぜん

 

 

 

おと                                           おとロ

乙御前

は三李

ご滿

のいはゆる

お多幅

のことであ

る。嵐

の習

と乙御前

といひかけ

てあ

る。美

しい

O

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rー「…ー

51  菅野谷高政

一.・聡 聯 押 一 抽鯛 ギ ・嬲'恥 物 ゼ"'・ 押 宇    ド~礎

の粧

ひも颪

の音

にはた

ちまち散らさ

れてしまふのを、乙御前

の醜

にたと

へたのであら

o

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52俳旬辞釋 上

をかにし

 ゐ

ち.う

岡西 唯中一

時軒と號す。杢と因幡の人、のち岡山に畠て醫を業とし、延寶ごろ大坂に出れ。宗因には岡画在佳時代か

ら師事してゐ弛Q彼は和歌蓮歌の浩詣竜深く、談林派中論客として最嬉知られてゐ弛。正穂元年歿、年七十

三。 『澁圃返答』・『破邪顯正返答』・5俳諾蒙求』・『破邪顯正評剣之返答』など論難の書を多く出し、ま弛撰

集にも

『俳譜三部抄』・『近爽俳諧風躰抄』などがあむ。

相す

撲葺

場ば

 

この旬

は、伏見

の任

口上人

との兩吟百韻

の發旬

であるG

みむろ

(三室)

は宇治

の附近

にあ

つて、

                    

にんこうり

紅葉

の名所

として知

られてゐる。句意

は任口

の脇

  

ふか  へ

  

.紅

葦{折

で読明

され

てゐる觀

がある。相撲

取り

の廻しを紅葉

と見立てた

ので、嵐雪

  

すま   ふ                                  から にしき

  

                                なぞふう

なども

ここから胚胎

した

のかも知

れぬ。しかし惟中

の句

はその謎風

な見

立てに興味

の中心

をお

てゐる

ので、嵐雪

が唐錦

の美

しさを賞

した心

とは大分

へだ

たりが認

められる。

              

くわん eやう    かため

   

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岡 西惟 申53

 隨流

『破邪顯正』(延寶七年刊)

に對

して、惟中

は、.『破邪顯正返答』(同

八年刊)

を出してζ

に應

酬した◎そしてそ

の卷末

に獨

吟百韻

一卷を添

へて

、暗に

これこそ談林

の模範的

創作だ

と誇

示し

てゐる。

この句

はそ

の發句である。しかも高政

[ .中庸姿』

にも劣

らぬ異風

異體

なも

ので、

隨流

は更に

『猿

とりも

ち』(同八年刊)を出し

てこの惟

の百韻を攻撃

してゐる。

     

      

       

      

  

クワひセイ

 句

『和漢朗詠集』

の句、三月盡

「春

ヲ留

ムル

ニ八用ヰ

ス關

ノ固

メ、花

ハ落

チテ風

二隨

ヒ烏

     

      

 

くわんヒやろこう

ハ雲

二入

ル』

に基づき

、筆

を管

といふのに因んで管

の固

めと

いひ、短

珊を旗

に見立て、

かう

した備

へで、談林

の俳壇を守らう

といふ意

であ

る。

「前

は花」

とい

つた

のは、『朗詠集』の句

により、春を留

め花

の大手

に關を

かま

へて守護

しよう

といふ意を

かけた

のである。そ

の脇句

は・

   ニ      ふる

  戈

と、同じく

『朗詠集』

の句

によ

つたのであるが、以

下すこぶ

る衒學的

な奇異

な調

を弄

して、談林

の極端な句風

をよく表

はしてゐる◎

 惟

の本領

は元來創作よ

りも

むしろそ

の論評

つた。彼

の俳諧論

の骨子を

なすも

のは、「俳

は寓言なり」

といふ主張で、

これ

はも

と・師宗因

の論に基づく

つた。宗因

「莊

子橡

譛」

の中

にも

いつてゐる通

り、俳諧

ぱ連歌

の寓言

で莊子

の交章

にならふべきも

のだ

と解

した。談冖

の俳諧

が言葉

の形式的技

巧から

一歩進

んで、全體納

一種

の見立てとも

いふ

べぎ

譬喩的表

現を

主とするに至

つた

のは、ま

つたく

この主張に基づく本

ので、俳

の滑稽

たる意義が

一歩丙容的に

められたわけである。從來談林

の特色

として説く

ところ

、多

くは謠曲

調

とかリズ

ムの自由さな

9

購 剛   卿伽厂で

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俳 旬 詳釋 上

どにとどま

つてゐるが、實

はこの見

立ての句

こそ最も特色

とすべき黠

であ

つた。

さう

して惟中

の寓言説を最も理論的

に詳

しく読

いたのであ

る。

 以

下三句見立

ての例

として延寶

六年刊

『江戸薪道』

がら例

をとる。第

一は摺鉢

で摺られ

る青海・

苔を浪

の渦卷くさ

まに喩

へた

のであ

る。第

二は五月雨

の闇

の中

に、夜廻

の番

太がさ

し上げ

る提

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほほづき

燈を

、龍燈

に見立てたも

の。 (これ

は芭蕉

の談林時代

の句)第

三は鉢

の水

に浸

された赤

い鬼灯

形容。

 

 

 

 五

 

 

 來

(來雪は山口素堂の前號〉

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しろ  しよらい

田代 松意 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

とつぴやく

江戸談林の主將む、延寳三年春師翕宗因を迎

へて、、同志の人々とと嬉に興行し弛のが名高い

『談林十百韻』

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  

 

うど

である。超年、享年不詳。

『談赫午百韻』の外

『江戸談赫三百韻』。謬艪づくし』・『軒端の獨活』・『功用群

鑑』・齧汐助』などの撰著があるo

評.拠

田代 松 意55

 

「一夜松」

は、逍眞

が筑紫

で薨去

の後

、今

の北野紳沚附近

一夜

に數千本

の松を生じた

といふ、

の松。雨後

に獨活

が急

に生育

したのを

、北野

一夜松

の出現

に見立てた

ので、や

はり談林らし

特色

を見

せてゐる。

 

「鼻息

の嵐」

といふいひかた

は勿論、談林風

の誇張した見立てで

はあるが

、この句

の場合

では

譬喩

として相當

な藝術

的效果をあげてゐる。前

にも詳しく逋

べた通り、談林

では譬喩的見立て

いふべき

趣向

が非常

に多く

、談林

の句

が貞門

の句

に比

して清新

な感

がある

のは、も

つばら

この

によるのである。ただ

しそれも

あまり駄洒落

に近

い見立てを弄

して、例

へば

  雪

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56俳旬欝釋上

  虱

など

のこ

とぎ

に至

つてはま

つたく謎を解くやう

な句

で、結局

はなはだし

い邪道

に陷

つてゐる。前

は雪

が解け

て、

一方

は乾き

一方

はまだ

しめつてみる

ので、草履

と下駄を片

々に

はくと

いふので、

それ

『古今集』

「世

の中

は何

か常な

る飛鳥川昨日

の淵ぞ今日

は瀬

となる」

の歌にもち

つた

   

      

      

      ミ イ ラ

である。後者

は土用干

に見出だ

した虱

の死體を木乃伊だ

としやれ

たふざけ

にすぎ

ないQ談林

末流

の弊

はかう

してますます險奇晦澁を喜ぶやう

にな

つたが

、松意

の前

の句

のご

とき

は、それが嬖喩

として成功

した例

いつてよからう。

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なか  つねのり

田中 常矩京

都の人、竜と貞門から田、宗因の直系妊はないが、やはり

一種の新風を京都にとなへ弛。蕉門の爪何白・謙

六など番初めは常矩に學ん泥。天和ご奪歿、享年不詳。その携集としては

『蛇之介五百韻』が最竜知られ罵

ゐるo

田 申常 矩57

8

むや  

の  

すけ

蛇 之 介

 常矩

の獨吟

四百

韻卷頭

の句

である。

,「蛇之介」

は、俗

にいふ底拔

上戸

の異名。句意

はまだ花見:

酒も飮

み飽

かないのにはや日・も暮れ

ることか、殘り惜

しいと晩鐘を恨んだ作

であ

る。許

六の

『歴

代滑稽傳』

によると、

この句が當時評鋼

にな

つて、世

に蛇之介常矩

と異名を

とつた億どである

                

O

いふ。こ

の句

の脇

  なあ

  七

                                 

だうセやろゆ

といふのであ

るが、蛇之介

といふやう

な流行

の言葉をも

つて來

て、しかも道成寺

の聯想

から恨

                  

きそ

の鐘

とい

つた趣向など

は、確

かに薪奇を競

ふ當時

の俳入

に歡迎されたにちが

ひな

からう。

じく獨吟四百韻中

の發句。 「馬下駄

は今日

いふ駒

下駄

のこと。 『時勢

粧』

「馬下駄

の跡∵

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58俳旬評羅 上

もや雪

の道

しるべ 泉郎子

一三」、『俳諧詞友集

「馬下駄も泥を

はねけり雪

の逍

 種寛」など

古俳諧

にはよく用

ひられてゐる◎

「ひけどもあがらず」

は、謠曲

『象李』

「潔田

に馬を

かけ落

し、ひけども

あがらず打

てども行

かぬ」を

ふま

へたも

の。

 句意

は厚氷

にふみ込

んだ駒

下駄

があがらな

いといふだけ

のことであ

るが、それを謠曲

の物

々し

い交句

をかり

いひあらはしたと

ころが面白

いのである。しやれ

とい

へば

しやれ

に過ぎな

いが、

日常茶飯

の甼凡事

を、かうした手

段で

一句

に仕立てあげ

た機智

は感嘆

に値

する。勿論

それが藝術

に深

い根抵

をも

つたも

のでな

いにしても、

とにかくかう

した輕妙

な機智が

わが丈藝

の大きな

要素

とな

つてゐることは認

めねば

ならな

いであらう◎

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伊 い藤 ξ

信辷徳を京

都の人、元來貞門の高瀬梅盛門であるが、家纂上めことからしばしば江戸に往來し、その間に談林の徒と

近づいてま

つ弛く師風を變O弛。ま弛芭蕉や素堂とと竜に

『江戸三吟』を催して蕉門の人々と竜交つ弛。延

寳宋年ごろから動き出し拠俳壇革斯運動の先覺潘といふべきである。元祿十

一年歿、年六十六。

,つ

さん

ぐわつ なぬ 

か  やう 

H

伊藤僖徳59

 

この句

『一螻

賦』

(貞享

二年刊)

「族

行」と題

して出てをり、また

『都曲集』(元祿

三年刊)

にも收

められてゐ

る◎東海道

の春

の族

であろ。

三島、沼津

、原、吉原と、富士に添

うて歩く日も

七日、八日と

二日

つづく。

いかにも

のどかな心もちである。七日八日

といつた

のは、四日五日で

九日十

日でも

かま

はぬわけであるが、「なぬかやう

か」といふ發晋

のつづき

が最も

ゆるやか

での

んびり

とした感

じを與

へる

から

であらう。出鱈目

にや

つたわけ

ではな

い。し

かし

この言葉

の選擇

は、

のどかな春め族

の情

趣を十分

に表

はさう

とす

るた

めで、貞門談林

の俳諧

にい

つも見

られた

はゆ

る言葉

の技

のた

めではな

い。

             かど  さ               かき つぱた

   

この句

は、清風撰

『一つ橋』(貞享

三年刊)に見え

るのが最も早

いから

、そのころの吟

と推定さ

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60俳旬評羅 上

 

     ぽ

せを   

      

      

      

      わきふゆが

こくニ

れる。か

つて芭蕉

が江戸

から書を寄せて、信徳

に上都

の風體

を問うた時

、信徳

は却及

・我黒

らと

々相會

して討論

した結果

つひにこ

の吟

を得

て答

へたも

のであると

いふ。さうした逸話

の翼僞

はと

にかく

として、句はまことに素直

に囑

のままを敍

してゐる。貞享

三年

の作

とすれぽ

、芭蕉

はす

でに古池

の吟に心眼を開

いたと

いはれる

ころであるから、あ

へて信徳

に都

の俳風

を問

ふまで

 

      

      

      

  

し くわげんえふ

なか

つたかも知

れぬが、

この句

は俳諧

がも

はや詞花言葉

のも

てあそびでなく、自

然を素直

に見

ると

ころから生

まるべきも

のだ

といふ第

一義的態度

を表

明したも

のとも思

はれる。ただ惜

いか

な、信徳

はなほ時代

がやや早く生まれすぎ

たた

めか、それ

ともそ

の天分が足りな

かつたた

めか、

なほ

これら

の作

を最

上とする程度

で終

つた。

 

      

  

こ  よひ うま

 

  

   

  ぎふだんしふ

 其角

『雜

談集』(元祿四年刊)

には

「名月よ」

とあ

るが、

いま

『浪花置火燵』(元祿

六年刊)

「名月や」

とある

のに從

つたQ其角

『雜談集』

にこの句を~録

して、

  

いざ

よひの塞や人

の世

の中

とい

へる觀念

か、是

は今年就中腸

先ヅ斷

ッと白氏

の年を悲

しみけ

  

る心

にもかな

ひて、信徳が老

の誠なる

べし。

と大

いに感心してゐる。も

はや光も淡く

つた下弦

の月

にも喩

ふべき老年

の信徳

が、伸秋名月

に對

して、最も春秋

に富む

べき生まれ子を思

つた

のであ

る。今膂生まれる子

こそ

は、まさ

にこ

の名月

の虧

けるところも

ないやうな完全な若さをも

つてゐ

る。それ

に比

べて自分

の老年が深く悲…

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轡驚ギへ.

㈱騰P

しまれるととも

に、やがてまたそ

の生

まれた子も自分

と同

じく老

を嘆ず

べき時

が至るであらう

いふ情

を含

んでゐる。そこが其角

いはゆる觀念

である◇

かう読

いてしまふとはなはだ

理窟

つぽ

いやうで

あるが、

この句

はさまで深く説

明的

に言

つてな

いので、ある點

まで作者

の心も

ちにも同

感でき

る。

              ル紳駄          耀        畷懲震 ㍗購 ご

 礁 。礁

伊 藤信61

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.- 蚕

"琶灣

榊 尸塑源嬲騨・マ勝 ㍉

62俳 句 評 釋 上嚇

飛雌大

坂の人、七歳にして前川由李の門に入り、初め滿夲と號し弛。十八歳で宗因から俳諧の宗匠弛ることを許

 

  

  

  

  

 

  

  

  

  

 

  

  

  

 

  

  

  

  

され弛ほどであつ弛〇十萬堂

・湛々翕などの別號があるo瞬年今宮に隱棲すoその句は『今宮草』

・『續今

 

宮草』に集鰈〃されてあるo山享保元年紹帥、年六十一ごo

元 日 や さ れ ば

野 の

川餐

            

さいたんちやろヨ

 貞享

五年

の作

でその年

の歳

旦帳

に見

える。句意

は、元

日といふと野川

の水

の晋

へ手常

とちが

つて改

つた感じがす

ると

いふ風

に普通解され

てゐ

る。

しかし右

の歳

旦帳

にはこの句

「すぐ

なる

はゆがむ

のはじ

め、常盤を名

にした

る松も雪

のた

めにはむご

い目

にあふことあり。

た"

いつを

つとも

せず、果

てしな

の世

こそを

かしけれ」

といふ詞書が

ついてゐ

る。隨

つて句

「元日だ

とい

つて人閥

はみな改

つた形

である。だ

が野川

の水

は今

日も昨

とち

つと

つたさ

まもなく流れ

てゐ

る。さても

いつを

つとも

せぬこの水

の晋

の面白

いことよ」

と解

すべき

であら

う。無始無絡

な自然

の姿を感じた心であ

る。 

「されば」

といふ語

に作者

の主觀を

をり

、ま

たまつ

「元日や」

とおもむろ

に置

いて、突然

「されば野川

の水

の音

と言

ひ下した

ところ

に表現

の巧さ

          ぬ  も  も

がある。すな

はち、されば

一、語

に旬

の中心が置

かれてゐるが

、しかしそ

こにまた

一種

のわざ

らしさも感ぜられるQまだ句境

の醇なるも

のではな

い。

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『續今宮草』

に出てゐる旬である。

「青

し」

いふ言葉

を三度も

使

つた

のが作者

の得意

であら

う。し

かもそれが格別わざ

とらしさを感

ぜさ

せな

いのは、幼

いけれども純

な感情

に滿

たされてゐ

から

であ

る。雪中

一黠

の・春色を見出だした丗暑び

の情が見える。

小西 來 由

 

この句

『今宮草』

に出てゐ

る。

三昧線

の調子や小唄

の節ま

はしでは、梅

の花

と何だ

か調和し

いといふのであ

る。梅

の高

い氣晶を側面

から説明

した

やう

な句

である。遊戲的氣分で

はな

いが、

かう

した着想

に自ら興じ

た心もち

から十分腕

してゐな

い、そ

こに生ぬるさが介在する◎梅花

の崇

高美

に對す

る端的

の表現

ではない。芭蕉

     

       

   

おち くぼ

  梅

Σ

も似

たやうな句

であ

るが、これは梅

の上品な趣を古物語

に取合

はせた

ので、説明

に墮

して

ゐな

い點がまだ多

とす

べき

であ

らう。

     

       

      

    

ら  しやう もん

   

この句は

『續今宮草』

に見える。

「羅生門」

はま

「羅城門」

とも書き

、甼安京

の外郭

正南

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『髄;喚糊驚暫

64俳 句 評 羅 上

つた門◎今東寺

の西

にそ

の遺跡

を殘

して居

る。

           

           みやこ

 早春

の情景

である。羅生門

とい

へば郊外

に近

い洛

の片

ほとりが想

はれるQそこでほのかに聞

た鶯

の聲

、春

めいた心

が淡く和

らかに動く

のを感ず

る。

この句はもう言語

の技

巧をま

つたく脱

て、自然

の賃趣

をとら

へてゐ

る。 

 

 

 

 

          ひげ

   

           

                         

     え び

 

『今宮草』中

に見え

る句

であ

るが、この句

の次

に來山

「ちよ

つとは雌雄

見分けがたし、惠比

どのと炸黷

のとは夫婦

と思

つめし尼あり。言

うて聞

かせても合點

せず

、兩方

に髭

のあ窃隈

           

                もやらく

にふと思

ひ出

して爰

に書く」

と、かう書き

つけてゐる。彼

の洒落

な滑稽味

を見

るべき句

である。

 

噛今宮草』

「僅

か三里に足

らぬ所

ながら族

の心

地せられて何

もかも珍

らし」と詞書

がある。

しぶりで野外

に出

て、春

の草を珍ら

しさうにむ

つては捨

てむ

つては捨

てする。それは大人

     

 

じ ろひく

の心

ではない。初

々しい童心である。 「むし

つてはむし

つては」と同じ言

葉を重ねた

のも子供ら

しい心も

ちをよく

あらはしてゐる。

白 魚 や

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      たま

 

元祿

五年刊

『如月集』

にはこ

の下五が、「水

の魂」とあるが、

いま

『今宮草』

に從

つた。白魚

すき通

つた身體

の色

、それは水自體

がそ

のまま動

いてゐるやうである

といふのである。まことに

白魚

の姿

に見入

つてそ

の禪

を得

たとも

いはう

か。纎細

な感

覺が働

いてゐ

るが

、それは官能的

な感

じではない。も

つと深く自然

の本體

に觸

れてゐる。 

『如月集』

に下五が

「水

の魂」

とある

のも

の方が更

に禪祕的

な感

じが加

つてよいと思

ふ。來出

一面豪放

磊落

な性

格があ

つたととも

かうした詩人らし

い鋭

い細

い感

の持ち主でもあ

つたハ。

小 西 來II耄

はる  さめ

る と も

姿

   

  づけ

ひ         

 

 

ひざ      セ

 

これら

の句

の上

には、

いつれも感覺的

な匂

ひが濃く漂

つてゐる。大き

なう

つろな牛

の目に映る

    

      

     

ぱうかみつけ

春雨、雨戸

を洩

れる灯

の色

の狂

ひ、薑

の澄

みき

つた冷や

かな色、わつ

かの重

さが暑く感ぜら

れる膝

の上、そ

こには

みな詩入

のみが、感

じ得

る鋭

さと細

かさとがある。

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66

か 

へ 

れ ば 寒

俳 旬 詳 羅 上

 

これは

『李包』(元祿九年刊)に出てゐる旬

であ

るが

、私

はこの旬を

よむ

たびに、二十年前

の族

のある情景

を思

ひ起

す。それはあまり人通りも

ない淋

しい街道筋

であ

つた。朝

からも

う十

里近く

も歩

いた私

はま

つたく疲

れき

つてゐ

た6

ふと路傍

に見出だ

した茶店

の床

几に、案内も乞

はず

に腰

を掛

けた。まだ

目的

の地ま

では

一里あ

まりあ

る◎數杯

の澁茶を啜

つて、白銅

一枚

を汚

れた盆

の上

に投げ出

したまま、また私

は歩き出し

た。

一町

ほども來

ただら

うか。道

がちよ

つと小高く

つた

で、私

は何

となく立止

つて

ふと

ふり

へつた。

するとあ

の茶店

の軒近く滿開

の山櫻

がiib

つき

は疲

れたあまり眼

にも入ら

なか

つた

のだ

らうか。折

から夕日が赤く

「御休

み所」

と書

いた茶店

の障子

のあ

たりを染

めて、櫻

の花が

はらはらと散

つた。タベ

の風

は春

なが

らうすら

い。四邊

はい

つかほ

の暗くな

つて來

たが

、私

はいつ

でも

そこを立去

りかねてゐた。

 來山

の旬

から讃者が想

ひや

る情景

は優

々であらう。しかし山櫻

の白

々とした花

の色に、春

の夕

日がう

つすりとさしてゐる

のを

ふり

へつた放人

の、淋

しいう

すら寒

い思

ひは誰

の胸

にも感

ぜら

れるであらう。

の句

『續

今宮草』

に出てゐて、「淨春童子早春世を去り

しに」といふ詞書

がある通り

、正徳

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み豪噂匸㌣罧・幽凝

い弗 炉隅

丶 一二噛

小 西 來 山67

ご年

の春

、來山

が五十

六歳

の時

、愛

子淨春童子

に先だ

たれた時

の吟

である。

 

口語調が

へつて哀

切堪

へが

たい奠情を

そのま

まに吐露してゐる。

一體

口語を

そのまま俳諧

ひることは談林派

ではさ

して珍ら

しいことではな

いが

、それを卑俗

に陷ら

ないで、最も有效

   

  

   

  

   

おにつら

ひてゐる

のは、けだ

し來山

と鬼貫

とであらうG來山

にはこ

のほか、

  花

 

(そ

この花Y

  いひだこ

  飯

 

(今宮草)

   

  

   

  

 ふる

  蚊

 

(續

今宮草)

など

のやうな作がある。最後

の句

のご

とき

は少

々ふざけてゐるが、前

の二句

は口語が立派

にはた

いてゐる◎

   

さ  をと  め                           イ

   

 

この句は、『破曉集』(元祿

三年刊)・『物見車』(同年刊)

を始

め、『句兄弟』・『生駒堂

』・『わた

まし抄』・『葉久

母里』

などの諸集

に出

てゐる。ただ

『句兄弟』

には下

「聲ば

かり」、『わたま

し抄』

には上五

「五月女

の」

どあ

る。 「早乙女」

は田を植ゑる少女

のこと◎名高

い句

であるが

はいはゆ

る月並

の調

にすぎ

ない。手も足も泥

に汚

れてゐるが

、その美

しい歌聲ば

かりは汚れて

ゐな

いと

いふ

ので、要するに俗

人の喜

びさうな小

理窟

である。

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`

ぼ・μ冨 φ暫脚〆『飛 築 縦韻

  認 弓

俳 旬詳 繹 上

 

の句

『花見車』(元祿

+五年刊)には盤水

の吟

として出

て居

り、これを來山

の吟

と傳

へたも

のは後世

の書

であ

る。隨

つて大體盤水

の作

と見

るのが穩當

である。

「四ッ橋

」は、大阪心齋橋

 

   

  

   

  

   

  

   

  

   

  

   

  

   

 

かみつたを

西方

、横堀

と長堀

と十文字

に交叉

した所

に架し

た四

つの橋

で、西

を吉

野屋橋

、北を上繁橋

、東を

炭屋橋

、南を下繋橋

といふ。ぶら

りと夕涼

みに出

かけた。橋

の上が涼

しいので

一つ渡

つてはまた

一つと渡

つてゐるうちに、い

つの聞

にか四

つ橋

を四

つとも渡

つてしま

つたと

いふのだ

。飄然

とし

た輕

い心も

ちが見え

る。

ただ

し前述

のご

とく

この句

は果

たして來山

の句

がどうか疑

はしく

、作者

を離

れて句だけ

を味

はふならとにかく

、來山

の旬集中

から

はやはり除く

べき

であら

う。

 

日  ま

 

『績今宮草』

に出てゐる句。季節的

の哀感がし

みじみと湧く。

タベはも

う肌が

うすら寒

い秋

はじめ、行水も

一日おぎ

二日おぎ

にしかしなく

つた。庭

の蟲

の聲

は日ご

とにしげく

つてゆく。

  

   

  

で  も

芭蕉

のいはゆるさび

の境

地は來山

の句

の中

にも見出だ

せる

のである。

この旬も

『續今宮草』中

の句

である。冬

の夜

は氷

つたやう

に更けてゆく

。鼠

の走

る書

にふと目

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めた。も

う何時だらう。枕も

との時計を見

ようと首を起

すと、布團

の中

に寒

さうにうつく

つた自

の・姿が、部

の虞申

に横

たは

つてゐるのが目

つく

。さうい

つた寒夜

の情趣が

巧みにと

へられてゐる◎

  

   ぶ ぎやう

  

 

 

この句は

『今宮草』

に出

で、「大坂も

大坂、まん中

に佳

んでしと

いふ詞書

がある。來山

の洒脱

生活態度

を物語

る句

であ

る。

しかしわざ

わざ

かう吹聽

するところに、まだ幾分

わざ

とらしさが殘

つてゐ

るのかも知

れぬ。

この句

の作旬年代

は、は

つき

りわからぬが

、大阪

の市中

に住

んでといふ

のだ

から

、今宮隱栖前

の句

にちが

ひない◎彼

はこの句

のために、その筋

のお叱

りをさ

へ蒙

つたと

へられてゐる。

小 西 乘 山69

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70俳 旬 評 釋 上

いけにし  

ごんすゐ

池西 言水 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つと

則好、紫藤軒

・風下堂

・洛■卞童な

どと鮑瓢す◎

奈良

の人、幼π時は江戸で育

つ弛。松江重頼

に墨んだが、夙に

談林あ

新風

に移

つて俳風革薪

に功が

あつ弛o 『江

戸撕…道』・『江、戸蛇

の鮓』・『江戸辨慶』・『東日記』などの撰

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

があ

る。

のち京

都に佳

み享保年

間まで俳塘的活動

つづけ起。享保

七年歿、年七十

三。旬集

『初心元柏』が

る。

海の

 

『前後園集

』(元祿

二年刊)には下

「名所ならず」

とある。

いま

『元柏』

によ

つた。なほ同書

「打霞む年

の曙

の姿

いふにた

へたり。顯昭が歌枕

にひえ

は近江

のも

のといふがなかく

塞」

と註

があるo

 鎌倉時代

の歌

學者であり歌入

であ

つた顯昭

の歌枕など

に、比叡山を近江國

に屬

させてあるが、

の霞

んだ姿

はや

つぼ軌何と

いつても都

の塞

にふさ

はしいといふのである。來山

  

と同

じ蓼

かたで、叡山

の春

の姿

を側面

から読

明したやうな句

である。都

のも

のだ

といふ代り

近江

のも

のでないとい

つたところが

、作者

のひそかに得意

とした點

であ

つたらう。都人

の自

いた心もちも含

まれ

てゐ

る。

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おぼろ

づき

池 西言 水71

 

-『欅

炭』(元祿

+三年刊)には中

「梅匂

ひけり」

とあるが、いま

『元柏』

による。都會人らし

    

      

       

 ついお

い趣昧

の句だ。

しかも

この趣昧

は御所

の築地

あたりが聯想

される種類

のも

のでなくて、妾宅

の裏

ψ庭

か板塀

あたり

のさまが淨

かんでくるやうな趣

昧だ。言水

は長く江戸

に住

んでゐ

て、か

つ談林風

に親

しんだ

のだ

から、おのつから市井的

な生活情調を喜んだ

のかも知れな

い。彼

の句

にはかう

た傾向

をも

つたも

のが、かな紘見出だされる.、た

へば

  

こ     せろ     くづ

 

、'碁 は 妾 に 崩

さ.れ て き

  

ふみ            かむろ              らん

  

禿

  

はつ しぐれ          う  に

  

  

つと

  

のご

とき類

である。

これら

の旬

には皆、都會人

でなけ

れば

わから

ないやうな纎細

な昧

があ

る。さ

    

      

へ  う

うした上さら

に澁昧

と侘

びとをも

つてゐる。すなはちいはゆる通人趣味

なのだ。碁

は妾

に崩され

    

      

       

      

      

 かをがは

たまま、憎ら

しいが可愛

いいとい

つた心も

ちで、折

からちぢと鳴ぐ

鴨川千鳥ー

の旬は京都東

での吟である。f

にぢ

つと聞き入

つてゐ

る姿

は、まさ

に粹者

の典型的情趣

ではな

いか。さう

して言水

は實

はこの情趣をあ

まり喜

びすぎ

た傾き

へある。芭蕉葉

の破

れを妻

に縫

せたりする

のなどは、ちよ

つと凝

りすぎ

てあく

い感

じがしな

いでもな

い。

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72俳 句 評 釋 上

茱 

の 花 や

よど     かつら

淀 も 桂 も

忘 れ 水

 

『續都曲集』

(元祿

+三年刊)・『珠洲

の海』(同年刊)

など

に出

で、「東山

の豪

にで」といふ前書榊.・

がある。 「忘

れ水」

とは、野中など

の流

れが、叢中

に沒

して人

に知ら

れない

のをいふ。淀川

・桂

      

       

      

      

      

 

し わう

川は

いつもほ

の白く光

つて流

れてゐ

るが

、蘂

の花

の盛

りには、野

一面

の雌黄

に彩

られて、淀

桂さ

へもそ

の花

の影

に蔽

はれて見えな

いといふので、蘂

の花

に蔽

はれた…淀

・桂を

、忘

れ水

と見

立・

      

     

  とう

てた

のが

はたらきであ

る。几董

はある時蕪村ら

と清水寺

の閣

上から淀

八幡

あたり

の春色を望見

て、この言水

の句

の僞らざ

るを感

じ、そ

の著

『薪雜談集』中

に、「今

の人

とても蘂

の花

に淀も桂も、

とま

では思

ひよる

べし、忘水

と慥

に置く事難

し云

々し

とい

つて、この句を激賞

してゐ

る。

それほ

この忘

水がき

いてゐる

かどう

かはちよ

つと問題だが

、とにかく

この大景

を十七字中

にま

とめお

せた手腕

は認

めて

よからう。

   

う                    よ  なか

   卯

      

       

      

   

 

『初

心元柏』

に出てゐる句。これ

『江戸八百韻』を撰

んだ時、素堂

とつれだ

つて歸る

、・夜

いたく更けたと

ろ本所

一鐵

のも

とに立寄

つた。そ

こら

は家がまばら

で垣根

に白く卯

の花が蹊

いてゐた

のでよん

のだ、と言水自

ら読明

してゐる。

 卯

の花

の垣根

が白く闇

の中

つづいてゐる。夜

の塞にも白

い星

の流

れが

一筋

、ー

ただ天

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κ翩'局

池 西 露 水73

とい

へばも

ちろん秋季だが

、ここでは星群

の流れを季節

に關

せず

いつたも

のと見

なけ

れば

なら

ぬ、雪白

の卯花

に對して、初夏ながら夜氣冷や

かに秋

らし

い感じもしたであらう。ーi

といふの

であ

る。も

ちろん特

に取出

していふほどの句

でも

ないが、『江戸八百韻』が撰ば

れたのは、延寶

のことで、まだ誰もが

、談林調

に浸

りき

つてゐるころである。

そのころ言水が

すでにかう

した

句境

をも

つてゐたことは注意

しなければ

ならぬ。

  

オこひ

  

 鯉

ハな

 

この句

『初

心元柏

』に出で、「伏

見江聴二蜀魂

と前書

がある。動

いたあと

の靜けさ。芭蕉

古池

の句

に似たやうな趣

である。しか

し芭蕉

の句

の底

には

いつまでも重

い淵默

ひそんでゐる。

この句

の面

には輕

いさわや

かな氣分がすぐ淨

かん

でくる。

それは二人

の自然を見る心

に、性

格的

にちが

つた

ところがある

からであらう。畢竟言水

の句

は感覺的な

ところをはなれてゐな

い。 『元

柏』に自ら

「この里

のわびたる

には時鳥もや

と待ちわびし

に、さ

はなく里魚

のはねる晋をきく。

いや

ましに淋

し、果

して時鳥啼けり。句

の品

は鳶天魚躍、

この事を思

ひそ

へぬ」

と傍註

した意も、

に現はれ

てゐ

るとはい

へぬ。

『稻莚』(貞享

二年刊)・『京日記』

(同四年刊)

などに出

てゐる句

。薄

い牛

小屋

の中を

ふと覗

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74俳旬評繹 上

     

まぐさ

いて見る

と、秣

にとま

つた螢が、晝も淡

い光を放

つてゐ

る。ただ

それだ

けの光景

であるが、ここ

           ヤ  へ

には言水

の例

の趣

昧的な好

みが

つき纏

つてゐな

いで、自然

を素直

に見

てゐるのが

よい。芭蕉

  畫

の吟は、晝

の光

らな

い螢

のさま

で、句材

は似てゐ

るけ

れども句境

は同

じく

ない。

   朝

  

『初

心元柏』に出てゐる。 

「長次郎」

は、鹽

の長次郎

といふ名高

い手

品師

のことで、當時

の淨

 

世草子や談林

の俳諧

しば

しばそ

の名

が見える。

たと

へば

北條團永

『晝夜用心記』

 

「鹽

の長次

郎が馬を呑

み牛を品玉

の曲」

などとある逋

り、牛馬

などをたちまち呑

み隱

して人を驚'洗

 

かせたも

のだ

といふ。朝霧

が眼前

に富

士の姿を隱

してしま

つたのを、その長次郎

の奇術

に見立

                 

     

しほビリ

 

のである。

かつ富

士の山姿を

『伊勢物語』

に鹽尻

のやうだ

とい

つてゐる縁

で、鹽

の長次郎をも

 

つてき

のだと言水

は自ら説明し

てゐる。ま

つたく趣向

に興

じただ

けの句

で、おそらく談林時代

                                                                     ぎふびん

 

の作であらう。さすが

に、言水も

『初心元柏』

の中

に、「予

この句好

まず

、さ

がら雜言

 

つ、是慰

にも

と」

とことわ

つてゐる。晩年彼が

この種

の句

のとる

べからざ

ることを十分

に自覺

・てゐた

ことがわかる。されば

こそ蕉風

にも邁隨し得た

のであるが、「是慰

にも

と」とことわりなが

 

、自ら句帖

に加

へてゐ

るのは、まだ

どこか匕の句

にま

つたく捨

ててしま

へな

い愛着

をも

つてゐ

 

から

であらう。

しかし實

は、この未練を

、彼

はま

つたく放下す

べき

であ6

たのだ。

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さ   ざん  くわ      をとり

山 茶 花 に 囮

  日

の 夕

彫  -     擢

池 西 書:水75

 貞享

四年刊

『京日記』

に見える旬

で、『元柏』の自註

には

「鄙

びたる家

の後

園に置く

一籠

、頃

は小春

の優

めでて日影

のにほ

ひ此

の花

に對

す」

とある。

      

    こもうえハ                                      ゐ  ヘ  へ

 これは佳句

であ

る。後園

一籠

を置いたと

亡うが

、多少例

のこのみに

つきすぎ

てゐる感

じをも

たらさ

ぬでも

ない。

しかし小鳥

の聲

にたそがるる山茶花

の庭

、小春

の夕の情景

はそこに餘藕

なく

かれてゐるではな

いか。

   

こ ぶらし

   

 

『都曲』(元祿

三年刊)に出

で、そ

ののち諸書

に採録され

て、言水

の句中最も人

口に膾炙さ

れて

ゐるも

のである。

ために彼

「木枯

の言水」

と異名された

とまで傳

へられてゐ

る。山

から森

へ、

 

      

       

     こがらし

から里

へ、果

ても

なく吹き

すさんで行く

は、ど

こまであ

の寒

い唸

り聲

をたてて行く

ことで

あらう。野を吹き

里を吹き

して行

つたそ

の果

ては、やがて海に落

ちてあ

の凄

い波

の晋

とな

るの

であらう

といふのであ

る。

それを凩

の果ては海

の音

にある

のだ

と言

つたと

ころ

に、

この句

の面白

の全部

がある。し

かしそれは、凩

そのも

の姿

を言

ひおほせた

のでも

なければ、凩を聞く入

心境に深く觸

れてゐる

のでも

ない。要

するに小さ

な主觀

から生

まれた

一種

の解釋

にすぎな

い。

 

世間的

に名高

い句

は、概

してこ

の種

の小

主觀

をも

ととしたわかりやす

い小理窟を遞

べたも.のが

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76俳 旬評 繹 上

い多

。すなはちさう

した小理窟を含むが故

に、

ひろく俗人に喜ばれる

のである。

この凩

の句

など

は、吹

いてゆく風

の晋

の果ては、何處

だらう、といふ着想

に、決

して

つまら

ぬ點

はな

いのであ

る。

否むしろそれ

は極

めて、詩的

な考

へにちがひない。

しかも

それを

「果てはありけ

り」

と解釋

して

しま

つたがた

めに、通

俗的には迎

へられたが

、實

は藝術

として

の價値

を乏しく

したのである。

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            晦1        彎 撞糠    鼕鯲 モ弊爵.轡轡畔麟 欝ぎ笥 吻∵ 聴 癰 ・鐸 瞥r蟹 響饗,κ'「 鉱鑑 叢払 昌撃

楓本才麾77

しひもと 

 さ

いまろ

椎本 才麿

折大和國宇陀の人o幼少から出漏豕し弛が、故あつて嶼運俗し弛o始め貞門の山本西武について俳號を則武といひ、

のち宗因・西鶴に師事して西丸と號し弛が、更にオ丸

・オ麗と改め弛。蕉風過渡期の先覺養として知られ、

肚年のころは江戸で活動し弛。暁年大阪に佳み、實名奮鑵を用ひてなほ俳壇の善宿として重きをなし匁。元

文二年歿、年八十二。

『坂東太郎』。『椎の葉』・『後椎の葉 ・『うき丶』などの撰がある。

み\

      の

、 

『東日記』

に出てゐる句。すなはち才麿

の初期

の作

である。 『東

日記』

の中

には芭蕉…の

  

の旬も出てゐて、蕉風

の萌芽

が認

められると

いはれてゐる。そ

のころ才麿はかうした作を示

して

ゐる

のであ

る。籠

か皿

に青笹を折り敷

いて、そ

の上

に白く透明な白魚が

一杯盛

つてあ

る。

ところ

ころ

に笹

の葉が青く

のぞ

いてゐ

るのである.新鮮な自魚

の肌

と、濡れ

つや

めいた笹

の葉

と、

かな色彩

の交錯が見られ

る。芭蕉

の枯淡な薄墨繪

に饗

して、これ

は鮮

かなば

かりではな

い。も

つと纎細

な美

しさがある。芭蕉など

よりず

つと感受性

の細

かさが見られ

る。

そしてこれが才麿

一種

の魅力

をも

たせる所以である。さう

した彼

の特色

はすで

にはやく

このころ

から認

めら

のであ

つた。だが彼

の旬がデ

リケートであればあ

るだ

け、そこには撥刺

たる力

の感

じが足

りな

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78俳旬評驛 上

い。

と美

しく

り立

ただ

、魂

い人

な旬

へあ

るQ

それ

は彼

の傾

から

べき

必然

の缺

 

 

 

 

 

 

ぽそ  はぎ                       ニ

 

 鶯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おん  ざう  し ヨ

 

 梅

 

 

 

 

 

 

たきまのろり                       

 

 朧

謝買

つれ

い旬

はな

い。

に美

しく

しら

へすぎ

ふ感

は確

 

 

 

しら くも                       しん ごゆ

 

 

 

 

『奠木桂』(元祿

+

一年刊)

に出てをり

、『浦島集』(元祿

五年刊)

には上五

「雲

は皆」

とあ

る。

のさわや

かな風が若葉

の稍を吹きわたる室

は紺碧

に澄

みき

つて、

一片

の雲翳すら

とど

めない。

「吹き

盡したる」と

いふ強

いいひかたが爽涼

清新

の感

を十

分ならし

めてゐ

る。才麿

の句

として

較的太

い感

じがする作

であ

る。

猫 の 子 に

さ 

み 

だ れ

五 月 雨

嗅奮

れ て ゐ る

蝸窒  つ

牛嘗  虱

   

    

   

    

   

れ       くろ  き

 

    

   

    

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の三旬

のごとき

は才麿

の特色

を最も

よく見るべき

のであらう。可

愛ら

しい猫

の子が

、けげ

                  

ブリチイ

んな顏

をして蝸牛

をか

いでゐる。本當

に可憐

な情趣

である。梅

の葉裏を青く

へして吹き通る風

  

さみだれどき

に、五月雨時

の肌塞

さを象徴

した

のは、確

かに鋭

い神經

のはたらきが見られる。山

々に時雨が降

り初

めた。

これから黒木

に伐

り出される木

は何

々だ

らう野。それは時

の冬

めいたわびしさから感

鳩ず

るこまやかな想

ひやり

である。

いつれも詩

の纎細

な感受性

から生

まれたも

ので、才麿

の得意

とした境地

である。ただ

                  

け  も

  

  

かうなる

と纎細

美を少し強

ひる傾

ぎがある。

かうした世界

に、あまりとら

はれ過ぎてゐる

とさ

はれる。

椎 本オ鷹79

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

}、

 

 

二句

とも柔ら

かな情緒が感ぜられ

る、そしてしみじみとした哀

れさがとも

つてゐる。し

かし

それ

は芭蕉

の句

に感ぜられる深

い寂

しさ

ではなく

て、感傷

の甘さ

にひたる悲

しみである。才麿

  

あ  へ

の弱さ

はここにも見

られる。

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uTアρ

80俳 旬訴 蹕 上

上え島蒙

鬼赱貫9 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のさと

上島をカ

ミジ

マとよむ説

もあ

るがな

ほ確読

としが

弛いQ

本姓奉泉

、名は鴇房、馬樂童

●犬居士

●樫花翕

・佛

え兄など

と號すG攝津國伊丹

の人◎幾年

のころ筑後籾河

侯や大和郡山侯などに仕

へ、

のち致仕

して俳

をもつ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なおくなまの     

ばら

にし弛。

その句夊

『七

車』・『鬼

貫旬選』

に收め

るoま弛俳論

として名高

い誠

の説を邇

べ弛

ひとりごと

『濁

 彙口』

の著が

あるo

元文

三年殿

、年

七十八o

  こ

み\

ゆ る

 

以下旬

はす

べて

『鬼貫句邏』

による。鬼貫

『獨言』

の中

に彼が自然

に對す

る句作

の態度を述

べてゐる。それ

は要する

に季節折

々の草

木生類

べて詳

しくそ

の所詮をわき

へ知

つて句

にせよ

,

といふのである。所詮

はそ

の物

の本質特性

など

と解

して

よい。そ

して彼

  

の雨

は物こも

りて淋

し、夕立は氣晴

れて涼

し、五月雨

は鬱

々とさ

びし、秋

の雨

は底

より淋

  

、冬

の夜

はす

るどにさびし

どと四季

の風物

の趣を短

い言葉

で巧みにあら

はしてゐる。かう

した特殊

の趣致を

とら

へるには、

の心を自然

に沒入させなければならな

い。

口先きば

かり

で言

ひおほせるも

ので

はな

い。わが

が自然

の心に通

じた

とき、巧まず

して句も

歌も

おのつ

から

に生

まれる。春

の水

がところどころ

に見ゆる

とい凶ただそれだけ

のことだが、

この句を繰返し繰返し誦

してみると、夏

の川

にも秋

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にも感ぜ

られな

い長

閑な氣分

が、どこからとなく湧

いて來る。それがすな

はち所詮を

わきま

った

のであり、自然

の姿

に徹

したのである。鬼貫

の旬

にはかうした客觀

句で、な

ほすぐれ

たも

のが少

くな

い。

曙  や  麥  の 

葉  末  の  春  の 

こ  ぞ

行 く 水 や 竹 に 蝉 鴫

 

 

しやう

こく  じ

上島鬼贋81

 

最後

の句

に見える

「相國寺」

は、京都今出川通

り相國寺門前町

にある臨濟宗

の寺

、相國寺派

本山

で五山

一である。

これら

の句

は決して器用さ

のみで

できるも

のではな

い。深く物

の姿

に見

つた

とき

に、霤始

めて

この詩境が眼

に映ず

るのであろ。

   

くさ むぎ    ひ ば り

   

・や

「草麥」

は青麥

のこと。鬼貫

『七車』

の序

に誠

の意を解

して、

 

乳房

を握

るわらべの花

にゑ

み、月

に向

ひて指ざ

すこそ天性

のまことにあら

めかし。

いや

しく

 

も智慧

いふも

の出

でて、そ

の朝を待

ち其

の夕を樂

しとす

るより、僞

のはし

とはなれるなる

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蛋・驚旨薜y↑へ.葦夢、く7.ー訊萎

薯},蓑憩..緊3ー

鴛苳

多毳

耋「董

・藍恥¥

ζ雪桑鄭韆

塾ー

.・耄

、卩冗窯ー

8ー

ぢー

§

,当η眠.、㍗話書『慧

言、頁峯・、.r{、ξ

ゴ・ぎ菅・『ー夛夕。.昏拳ξ嚢

.、ぼ愛

萋讐》戸邸塗

毫蓬

多鐘、寧写ー

爨藝

警髫

雅ー

鷹藷葦宥

82俳 旬 評 繕 上

  

べし。

とい

つてゐる。草麥

の野に雲雀

が高く舞

ひ上り、また舞

ひ下る、それをそ

のまま子供

の言葉

で、

   

      

      

       

    も  ぬ  ぬ

すらすら

と言

つたのがこの句

である。

それは彼

のいはゆるま

ことに發した聲

である。しかし僞り

がな

いといふだけ

では藝術

にはならな

い。

  名

   

      

      

    ふゆ  ぼ  たん

  

ノ丶

のご

ときは成

程そ

の情

に僞り

はな

い。だが

それは畢竟

たださうした事

實を率直

に逋

べた

にとど

まる。尤も

の二句

などはまだ

よい。名月を早く見

たいと

いふ子供

らし

い心、塞吹

く寒

い風

の音

   

      

      

       

      

      

 

ぬ  も  う

を思

はせる表現

、そこになほ作者

の感激

と詠嘆

とが幾分見

られ

るが、こ

の鬼貫

のま

ことが極端

   

      

      

       

      

 カ  も  も  ぬ

解釋

れた結果

は、詩的感

興をま

つたく

とも

なはな

い、

いはゆるただご

とまでを、しばしば彼

しい俳諧

と認

めた。

てい  ぜん

庭 前

に 

白 く 験 い た

罐哉

7(丶. 

る 

     四

 

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これら

の句

は、彼

にと

つて

は寧

ろひそ

かに得意

とした

ところであ

つたかもしれ

ぬ、第

一句

は詞

・書

によ

つて見る

と、いはゆる柳

は緑花

は紅

といふやうな、禪

の悟り

めいた

ことを表

はしたも

のと

見え

る。本來

の面目をそ

のままに示した

つもり

であらう。

しかした

とひ言旬を絶

した藝術

の極致

   

      

      

       

      

   

も  も  も  う

が、法悦

の三昧境

と合致

しよう

とも

、この句

のまま

では、藝術

として

はただご

とたるを冤れな

い。

二句

、第

三句

に至

つては、誠

の誚

の藥がきさすぎ

た形

であ

る。

こ叡

は確

かに彼

の短所

一面

つたσ面

エき

がい  こつ

骸 骨

の 

上 を

よそ粧

て 花

上 島 鬼 貫紹

 

とも

によく知ら

れた句

である。旬意

は詳

しく説く

までもあ

るま

い。

一は花や紅葉

とちが

つて、

の面白さ

は急

に見えな

いが、さて昧

つて

みる

となかな

か趣

の深

いも

のだ

といふので、

一は綺

羅を飾

つた美女

の花見

に對して

、迷

ひの夢汐き

まさ

しむ

べき

一喝

であるQ

いかにも成程

と感心さ

さうな句

であ

るが、それだけ

一種

の觀念

に塵

して

、いはゆる雅趣

の味

はふべき點が

い。

これ

ども鬼貫

の誠が

、藝術

的純眞さ

の意義を失

つて、觀念

的な虞

理を表現

するも

ののご

とく解

せら

れた結果

である。

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 、ー

ー7勧旨ー

Fー

引爨葛童ー

-ー

耋、

ぎ蠡喜ー

 

立う

钁叢

靉輙繋

搬講鑓

    

キ季

の羇

吹く

晶騰

、誕

鰆難謬整

髴%.ー

て繕

   屈

つか

   鶯

   鶯

   僚

の夜

の枕

目忌

れた

   -

の花

の前

や留

められ

言霧

卜畷襲鎌

爵蕁h

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へ岬顯 一 騨 一 」覇榊糠 職 榊蜘 岬 鯉 卿 耀紬 」 り罰姫

上 島鬼貫

           

                 

い たみ

いささ

か口語調を濫用

した傾きが

ある。

一體

この口語調

は、

のち伊丹俳人

の喜ぶ

ところとな

つて

         ゐ ぜん

一種

の特色をな

し、惟然なども

その風

にかぶ

れてはなはだしく極端

に流

れたも

のである。

  

ぎやう  ずゐ      すて  どころ

   

-水

 

『鬼貫句選』

にかく出てゐるが、おそらく中七

「捨所な

し」

とある

べぎであらう。鬼貫

の作中

       

                         

や ゆ

最も人

口に膾炙

されたも

ので、川柳

「鬼

は夜

中盥をもち歩き」

と揶揄

されてゐるくらゐ

ある。句意

は解

するまでもなく、蟲

の鳴音

を止

める

のを惜

しんで、行水

の水

の跡始末

に困る

とい

のであるが、それ

は千代女

「朝顏

に釣瓶

とられて」

の句

と同

じぐ、畢竟風流を説明

した

にす

い。それがまた

この句を名高く

した所以

であ

る。ただ

し來山

  行

一聲

の方が、

はるかに情趣に富んでゐ

ることはいふま

でもな

からう。

       

       

まらす             な

   

 

「秋

は物

の」

といふのは、一トーに

「哀

れ深

いころ」だ

とか

「趣多

い時節」

だとか

いふ意

を含

めて

略した形。他

にも

「秋

はも

玉釣針

ほしき

曳り舟 

致綿」

など

の例

がある。 

「月夜

鳥」

は、室

町時代

から

はや

つた小唄

の文句

で、狂

『花

子』

にも

「ここは山陰森

の下く

、月夜

はい

つも

啼く」など

とあるo

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86俳旬評釋 上

 秋

は物

の哀

れに感

ぜられるころであるから、月夜烏

の瞞

く聲も

一しほ物

がなし

い。だ

が月夜烏

いつとても啼くも

のである。まあさう悲しがら

ぬがよ

いといふのが句

の意味だが

、それだけ

は要するに李凡たるを免れぬ。そこ

へ小

の文句

をそ

のまま輕く用

ひた

ところに妙昧がある。宗

の謠

曲調より

一層輕快

で、

いはば

これも

口語調

一體

と見

てよから

う。

そのほか

    

      

      

やみ

  野

 

うづら

  鶉

士口

階…

なども俗謠

の交句

どり

の類

である。 「野

の花

や」

のごとぎ

、巧みに丈句

が利用されてゐる。

    

      

      

      

をん

じやう ご

   

 

「園城寺」

は、大津

の西方

にある天蕣宗寺門派

の本山

で、三井寺

とも

いふ。花

の盛り

の聞

はさ

すが

に騒

々しか

つた境内も

、花が散

つてしま

つては參詣

の客も稀

れに、またも

との靜かな古寺

へつた。それ

を極く李明

に敍

した中

に、花時

の雜鬧

のあと

の靜…かな寂

しさが

一暦感ぜられる。

別に

「櫻

つてそれより

のちは天王寺」

いふ句

があるが、

これ

「それから後

は普通甼凡な」

いふことを匂

はせた敍

法だ

けに、少

々嫌昧が殘

る。

  

      

       

      

 

おほ  つ  うま

  

 

「大津

馬」

は、大津

の驛から上り下り

の東海道

に荷

を負

うて歩

いた駄

馬。諺

にも

「大津

の追

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ひがらしL

とい

つて盛

んに使

はれたも

のであ

る。

つも

いはゆる追

ひがらし

でこき使

はれる大

  

     に やく

馬も、今日

は荷役もな

いと見え

て、長

い春

日を暢氣

に…遊び暮し

てしま

つたと

いふ

のである。

れまた亭

の中

に、

のど

かな宿驛

のさまが

つきり淨

かんでく

る。

   

               

                         

 

せろ

 

「野徑

に邂ぶ」

といふ詞書があ

るが

、これも

巧まず飾らず

、淡

々と敍

し去

つて、しかも秋風蕭

               

                        のづら

さつ

たる趣が深く昧

はれる。 「吹き

わたりけり」

とい

ふ言葉

は、何氣

ないやうであるが

、野面を渡

               

                  

ち  う  で

つて來

る秋風

に對

して、

これ以上

の自然

な表現

があらうか。

これ

は確

にま

ことから出た句であ

る。最後

「人

の顔」

と置

いた

のも

、竝

々弄ら

ぬ心

のはたらき

である。

上 島 鬼 貰87

   

.富

         

こつ

 秋塞

一碧

、そこ

へ兀

として淨

かんだ靈峰

の姿

である。 「によ

つぼり」

とい

ふ形容

、この場合

つたく遖

切に當

つてゐる。も

とより

一旬

の生命

この上五夊字

にあるとい

つてよく

、言葉

の驅

使

に自由だ

といふより

は、かう

した場合自然

に生

まれてく

る言葉

は、やはり

この外

にな

いのだ。

            

       み やけせうどん

それだけ

この表現

が眞實性

に富

んでゐる。三宅贐山

『俳

諧古選』

の句

を許

して、「渾雄

青蓮

ノ骨風ヲ得

タリ」

と言

つてゐ

る。

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88

  』

ら る

俳 句 評 釋 上

 

「さ

乂栗」

は柴

栗とも

いふ、小

い栗。暖

かな小春

日和である。雑木

の中

に交

つたささ栗が

の實

は人

に拾

はれも

せず

、柴刈

の手

に刈られてゆく。さう

したいはば李

凡な情景

である。

しか

し小春

の山

に、可

憐なささ栗

の蓮命をなが

めた作者

の心

は、決

して甼凡ではなか

つた。ささや

かな自

の中

に、不易

の生命を見出だ

したのであるQ

   冬

 

「宇治

にて」

といふ前書

のある句

である。 「夲等院」

は山城國宇治

にある。治承

四年源

三位頼

政が

ここに戰死

し、扇

の芝

と稱

して今

なほその跡

を存

してゐる◎謠曲

『頼政』

「た黛

一すぢ

老武者

の、これまでと思

ひて、平等院

の庭

の面

これなる芝の上

に扇

を打敷き

、鎧脱捨

て座

を組

みて」

と見える。

                

うつ

 

その昔宇治規

の流

に丹碧

の影

を映

した鳳凰堂

、それも星霜幾百年を經

ても

の古り

てしま

つた。

いま冬枯

の寂

しい景色

の中

に、昔を偲ぶ

はそればかりで

はな

い、この草さ

へ枯れ果

てた庭

の面を

なが

めてゐると、頼政

のはかな

い最期

のさまが

一暦も

の悲しく聯想される

のであ

る。句

の中七

下は、おそらく謠曲

『頼政』

の交句

を利用

したのであらうが

、それが技

巧的

なわざとらしさが

なく

、いか

にも自然

な措辭

にき

こえる。

ただ滿

目蕭條

たる冬枯

の古寺

の庭

である。

そこに

「李等

Page 89: 馳 、 Puwazura.cocolog-nifty.com/blog/files/ebara_haikuhyosyaku...足 か花雨 に りに や 鱒梅 目 る くて 鯱影 ひ野 くの 絡哉專花 て 醉で 見竜へ上 え結る下

院の庭の面Lとい高

から、強い歴史的聯楚

ひきつけられて、警

年前の悲劇の俤をいま目前

に偲

つつ、わびしい思

ひは更

に深

められる。

L島 鬼 貫韵

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90俳旬 評 羅 上

やまひち  そ だら

山口 素堂名

信章、今日庵

・其.日庵などの號がある。甲斐の人、若くして江戸に勘、儒を林春齋に學び、ま弛京に上つ

  

 

  

 

  

 

 

  

 

  

 

  

 

  

あつか

て季吟に俳諧を閤う牝oのち江戸で芭蕉と相識b蕉風開發に

つて大いにカがあつ弛。

いはゆる葛飾風

渡の詛である◎享保元年歿、年七十五。

や  なか

 延簧

八年刊

『誹枕』

には

「上野谷中

の」

とあ

る。 「小僭來

たり」

は、謠曲

『鞍馬

天狗』

「花

かば告げ

んといひし山里

の使は來

たり馬

に鞍」

の文句

によ

つたも

ので、も

とは頼政

の歌

の句

末句

「馬

に鞍

おけ」

である。

一句

は、上野谷中

の初

櫻を告げ

に、小曾がや

つて來た

といふのを

謠曲

の文句をもち

つて興

じたのであ

る。

この句

は延寶

六年刊

『江戸新道』

に出

てゐ

て、すな

ち談林調

に心醉し

てゐ

た時

の作であるG素堂

はも

と季吟

に學

んだが

、延寶

四年芭蕉

と兩吟

の百韻

を試

みた

ころ

には、もう宗因風

を學ばう

とする

のに汲

々としてゐ

た。當時

の風調を知

るためにこ

一句を出し

ておくG

   

うき ば  まき ば       れん ふ  ぜい

   

  みなしぐり

 

『盧栗』

に掛

てをり、荷興十唱中

一つである。この句

「蓮

はレソと晋讚

せねば

一句

の手

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㍉ジ

山 口 素 堂91

柄がな

いと芭蕉が評

したといふが

、それは要す

るにこの句全體

からうける感じが

、漢詩趣昧だ

らである。

ハスと訓

んではその全體

の格調を破

るおそ

れがあ

る。素堂

は元來漢學

に相當

の造詣が

あり

、漢詩

の作も大分殘

つてゐ

るくらゐ

であろが

、彼

はそ

の素養をも

つて、俳諧

に新

しい

一生面

             

 むさしぶり

を拓

かう

とした。天和年間

『武藏曲』や

『盧栗』など

の風調

は、も

とより彼

一人

の力

で作

り出

したも

のではなからう

が、少く

とも彼

がその先逹

の有.力

一人

であ

つたことは疑

ひな

い。芭蕉

『俳諧次韻』(延寳

九年)なども實

は素堂

の風調

に負

ふところが多

つたのであらう。素堂

は芭蕉

よりも年長

で、芭蕉も常

に心友

として敬意

を拂

つてゐたG素堂

のこの漢詩調

は、俳

として

は到

底生硬

たるを免れ

ないけ

れども

、談林

の行詰

つた句風

一、新

した功

は少く

ない。いはんや芭蕉も

一度

はこの道

を通

つて、

つひに貞享

『冬

の口』

に蓬

Lたのであるから

、蕉風

の變邏

上から

見て

             

                       きよらいせうの

、この作風

は注意せねぽならな

い。尤も

こ為も

大分極

に走

つた作も

つて、『去來抄』に詩

かわからぬと冷評

されたも

のなどもある。なほ荷興十

唱中

の他

の九句をあげる。

          

ふう れん        っぶ

花謄お 青毳荷かそ 鳥

芙ふの 磁 た よ う    ぼ蓉砦れ 弗 れ が た

美 つ 化      て さ が

女 ぼ の      母す ふ湯 み

はあ 己剪  に 蓮莞風

が れ ち そ 雨ろ蓮

り 蠶 す ふ に 露

て ミ の 鴨覊 を

立 は 胡 の の 礫

撫 鰍 晃てけ ら か 蚊 躍婁け

り ん な 屋 る り

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92俳 旬 評 繹 上

  

か             あらお                  むら きめ

 

 

れん

かい

みどり

  ふ

  蓮

 

あるひ   かろ ちや   すゐ ぎ              ばす    か 

  或

など同樣

の調で

、中に

「礫

てけり」、「はちすら

ん」な

ど隨分無

理な語法も

あり

、談林風な趣昧

もまだいくら

か殘

つてゐ

るが

、す

べてにど

こか高踏的な意氣が見

える。

  

   

  

   

  

   

  

   

 

ちさ  にな

  

 春

  

   

  

   

  

   

 

あ               たう

 貞

四年刊

『績虚栗』

に出

てゐ

る。褪

せた山吹

の色

と、鑿

の立

つた葭

の昧

とに暮春

の感

を深く

  

   

  

   

  

   

  

   

  

   

  

   

  

   

  

   

むな

したので

ある。

いはゆ

る物

によ

つて情

を生ず

るも

の、かならず

しも山吹

と萱

とに限

らないが

、塞

しい櫻

の稍

、老

いた鶯

の聲

では俳

諧として

の新

し昧がな

い。山吹

と萱だから面白

いのである。

  

   

  

   

  

   

  

   

  

 

はつ  つを

  

 目

 

「鎌倉

にて」、「鎌倉

一見

の頃」

など

といふ前書が

ついてゐる◎

この旬

はまだ談林心醉時代

の作

  

   

  

   

 ニ

であ

るが

、當時

すで

に諸書

に探皿録され

て、素堂

の句中最も名高くな

つてゐ

る。初夏

の風物

として、

時鳥

と青葉

とは古來歌人

の詠

にしばしば

つてゐ

る。西行も

  ぽとあ す

  鶉公聞ぐ折

にこそ夏山

  

   

ぱ花

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    }へ跡   幽卩    幅榊r一.匸鰤獸鱒マ恥

撫♂轡薫~輔 渉㌔世轡

出 口素 堂93

      

       

   

とよんだ。そ

こへ更

に鎌倉名物

の初鰹

をも

つて來

たところが俳諧

である。

 

一見單

に名詞

の羅列

に絡

つてゐるが

、實

は最初

「目

には」

で、以下

「耳

には」「口には」を類

させたところが、談林風時代

の素堂

に會心

の黯

であ

つたのだらう。句

としてはも

とより大

した

のではないが、その輕快

なリズ

ムが諷誦

に快

いのと、初鰹

のあしらひかたが

いか

にも氣

がぎ

てゐるのとが、大

いに人氣

を博

せしめた所以

であ

つた。其角

の雨乞

の句

「夕立

や田を

みめぐり

ならば」

はじ

め、川柳

の題

にな

つた俳

句も大分あるが

、この句なゼもそ

の大關株

一つ

であらう。

  目

 

(柳樽廿

八編)

  目

い 製

口 に は

り  

(同 

三+編)

るべし

、景氣

のいい初鰹

が大

いに

この句

の人氣

を呼

んだ

ことを。そして、

  

(柳樽締

六編)

と、す

つかり名旬

にされてしま

つたのである。

   

すゐ くわ          の  わき             あした

   

西

 

『色杉原』(元祿

四年刋)・『勸進帳』(同年刊)

を始

めも『西

の雲』・『千鳥掛』・『翕草』・『とくと

の旬合』など

に出

てゐ

る。

三宅難山

『俳諧古邏』

の中

の句を探

つて、「飄然

中閑雅ヲ見

ル」

と許

してゐる◎枝

は折

れ垣

は倒

れて、昨

日の野分

の物凄

さを語

る朝

、も

とも

と地

べた

に轉

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94藩

俳旬 壽 釋 上

てゐた西瓜だ

けが

、昨

日とち

つとも變

つたさまがないといふのである。も

とより幾

分の滑稽昧

つてゐ

るが

、それだけではな

い。野分のあとの靜…けさが

、そ

の地上に横

つたまま

の大き

な西

のさま

に深く感ぜられる。翳山の許

は當

れりと

いふべきだ。

  

 たう  なマ

  

 

 

『とくく

の句合』

に出

てをり、『猫筑波』には

「ず

つしり

と南瓜落

ちて秋

さびし」

とな

つてゐ

 

 

う ヘ ヵ も                                                            ロ

。ず

つし

いふ言

の場

も適

な表

つて

い。

『とく

ノ\

の旬

』に

ら前

の西

の句

と合

、「西

、南

、對

な對

り」

と評

 

 

 

もろ こし

 

 

 

 

『曠

野』(元祿

二年刊)を始

め諸書

に探録

され、『笈

日記』・『陸奧

千鳥

』に

は長文

の詞書があ

て下五

「月見せ

よ」

とあ

る。また

「舊

庵後

の月見」

にも

同樣

の詞

書があり、『とくく

の句

合』

ととも

に終りが

「後

の月見

せん」

とあ

る。

      

      

      

   

のち

 

この句も名高

い。九月十

三夜

の吟である。

一體後

の月を賞

する

ことは、わが宇多法皇

の御時

ら始ま

つたことで

、中國

の方に

はな

い風

習である。富士

は勿論

わが國

の名山。すな

はち富士も後

の月も

、とも

にわが日本

に特有なも

のであ

ることを誇つ

た句であ

る。名高

いだけ俗受けをねら

たやうな點があり

、眞

の文藝的見地から見たら

、所詮

すぐれた旬

とはい

へな

い。蕪村

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から  びと

  唐

も同工異曲

であるが

、これは元槇

の詩句

「是

レ花

ノ中

二偏

二菊ヲ愛

スルノ、・・ニアラズ

、此

ノ花開

ヶテ後

二花

ノ無

レバナリ」

を利用

して、唐人

よ、日本

では菊

の後

にもな

ほ賞

すべき十

三夜が

ある

と誇

つたので、さ

すが

に蕪村

らしい才氣

が見

られる。

   

まつ かげ

   

 

 

 

 

 

  

山 口素 堂95

 

『とくく

の句合』

に出

てゐ

る句。芭蕉

は富士川

のほとり

で捨子を見

て、

  

(野ざらし紀行)

よんだ。そ

して

          

にく

  

いかにそや汝父

に悪

まれたるか、母

にう

とまれたるか。父

は汝を

にくむ

にあらじ

、母は汝を

  

とむ

にあらじ、唯

これ天にして汝が性

の拙き

を泣け。  

 (野ざ

らし紀

行)

つて、ただ袂

から食物

を投げ

て通

つた。

しかし芭蕉

の心

には熱

い涙が

にじんでゐた。 「汝

の拙き

を泣け」

といふのは、また芭蕉自身

にい

つて聞

かせる言葉

でも

つた。だが素堂

「落

を着

よと」

いふ

のは、むしろ落葉

にうずも

れた捨

子のさまを、

一つの景色

として見た餘

裕があ

る。冷

やかな心

ではないが逍

つた情

は感ぜられない。素堂

は自

「心無きも

に心を

つくる體」

と言

つてゐるが

、實

はそ

のた

めに捨子

に對し

て直接動く

べき憐

の詩を稀薄

にしてゐ

る。

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96俳旬評釋 上

のさん 

か 

しふ

 

この句

は、『陸奧千鳥』(元祿

+年刊、桃隣撰)

に見える。芭蕉

追悼

の旬

「亡友芭蕉居士近來

魁の騰際をしたはれければ・追悼に此の集を薮識するものならと

と詞書が添へてある。芭

の歿したのは時

雨降

ころであ

つたが

、そのしぐ

るる

ころ亡友

の愛した

『山家集

』を手

にする

一しほ感慨が深

いといふのである。素堂

と芭蕉

との交遊

の状

をしのぶよすが

にも

なるであら

う。 『山家集』が芭蕉

の敬慕

した西行

の歌集

である

こと

はいふまでもな

い。

   

し                             し はす

   

享三年刊

『歳旦帖』・『續

虚栗』

などに見える。 『千鳥掛』

所載

芭蕉

「星

の闇を見

よとや啼

く千鳥」を發旬

とした歌仙中

、知足

の附

「市

に出でてしばし心を師走

かな」

とあ

るのは、こ

の句を轉用したも

のか。

          あ

 

いはゆ

る市中

の隱者の境涯

であらう。世

はあわただしい年

の暮であ

る。そ

の中

に悠

々自適

の生

活を逶

つてゐる隱士が、しばし市中

の雜

に伍し

て師走氣分でも昧

つてみるといふところであ

・る。現代

の生活意識

から考

へると

、あまり現實

離れがしてゐ

て、同感がも

てな

いと言

ふかも知れ

、ない。しかし世

の中

が忙

しくなればなる

ほど

、また生活が窮迫すればする

ほど

、かうした心

に餘

のある態度

が藝

術に求

められるのではあるまいか。さうし

てそれがまた

、實生活をなごや

かに

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いて行くも

とにもなる。

  幽?『 贈辮 へ   柑げ暗㍗} 御

山 口素 堂

卿ダ斟「舜磯 岬酸w

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俳 句 澣 釋 上

  

 

 

せを

まつ尨

松尾

芭蕉名

宗房、逋稱甚七郎、跳青

・風羅坊などの別號がある。伊賀上野の人、藤堂良精の嗣良忠

(俳號媒吟)に仕

へ、と竜に季吟に師葛し弛。寛文六年螺吟の死にあひ致仕してのち江戸に下り、潔川に芭蕉庵を結んだ。か

く℃生涯俳譜に精進してつひにこれを翼の文藝として大成し弛のであるQ元緑・七年̀十月十二日歿、年五十一。

(傳記、撰著などについては、詳しい碍究が多いから、特に省略に從つ弛。)

嘆嘆

出給

.月

宿

 

二句

とも寛

文四年刊

、松江重頼撰

『佐夜中山集』

に出

てをり

、芭蕉

二十

一歳

の作である。口碑

によれば芭蕉十

四歳

の時

「犬

と猿

世の中

よけれ酉

の年」

とよんだ

と簿

へてゐるが

、これ

は確證が

いので直

ちに信ず

ことはでき

ない。隨

つて右

の二句

は確實

に芭蕉

の作

として知られ

てゐる發

で最も古

いも

のである。

一は姥

といふ

のから思

ひついた趣

向で、年増

女が老後

の思

ひ出

に花

かせてゐるとしやれたにすぎ

ない。

「姥櫻」

といふのは、彼

岸櫻

に似

て花

はやや遲い。落花

に至るまで葉が

ないので、老女

の齒

なき

に比

し姥櫻

といふ。

二は

「入ら

せた

べし

「たび」

とか

      

も  も

、ま

た月

の入

るに縁をも

たせた言語技

巧で、句意

はあの月

こそ宿

へ導く案内者

であ

る。

その入

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かた

のこちら

の宿

に早くいら

つしや

いといふ

のであらう。いつれも

つたく貞門

古風

の作意

で、

勿論

とる

にたらぬ作ではあるが

、芭蕉

の歩みも所詮

ここから始

つたのであ

つた。彼

の成

し得

仕事が

いかに偉

大であ

つた

かは

、お

のつ

から領得

されるであらう。そ

の意昧

で特

ここに掲げ

のである。

だい  り  ぴな

御 ご

油 ゆ

御望

宇 う

か や

で て

松 尾 芭 蕉99

 

の三句

はいつれも

芭蕉が談林風時

の作

である。

 

一は延寶

六年刊

『江戸

三吟』

に見え、延寶

五年冬

の吟。謠曲

にしば

しば用

ひら

れる

「あら何

なや」

いふ言葉

を利用

した作

で、元來

これは謠曲

では別

に意昧もなく

、驚

いた時など

に發

る言葉

であるが

、それを文字通

りの意

にとり、き

のふ鰒汁を食

つたが

、今日

にな

つても何

の異歌

ないとい

つたのである。文句取

りとしては確

かに働

いた作だが

、所詮それ

はし

やれにすぎ

ない。

 

二は延寶

六年刊

『江戸慶小路』

に出

てゐ

る旬。内裏雛を人形天皇

と見立てた

のが面白昧

で、句

は解

するにも及ぶま

い。 「御宇

とかや」

とい

つた古風な

いひま

はしが、勿體ら

しく感じさ

せる

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鑽。馮 ∴一ら聾

100俳句 評 驛 上

ため

にはな

はだ效果的

である。因

みに

「御宇

とかや」

は、『芭蕉句邏』など

の後世

の書

には

「御宇

かとよ」

とな

つてゐるが

、それは謠曲

『杜若』

の文句

「仁明

天皇

の御宇

かとよ」

とある

のにし

たが

つて故意

に改

めたも

のら

しく、『江戸廣小路』

『高名集』など

の古

い出典

には惰「御宇

とか

やし

として出てゐる。

とも

かく

、さうし

た謠曲

の文句など

の聯想さ

れるところに、この句

の面白

さがあ

つたことに聞違

ひな

い。

 

三は延寶

七年刊

『向

の岡』

に出

てゐる。夏

の夜が短く

て、月も出

たかと思

へば

すぐ明

けてしま

ふのを

、御油

から出

て赤坂

に入

る聞

しかな

いと喩

へたのである。

(御油

・赤坂

はとも

に東海道五

十三次

一で、この二驛

の聞

はわつ

か十

六町し

かなく

、五十

三次中最も驛聞

の距離

の短

い所であ

       

 

る。)

「赤坂

や」

のやは嘆辭

これを御油

・赤坂聞

の實景

のご

とく解す

る人が

あるが

、それは

この

句が芭蕉

の談林時代

の作

たることを知ら

ぬから

の誤解

である。

 要

するにまだ

この

ころまでは、

かうした譬喩

や見立てを俳諧

の本義

と解

してゐた時代な

のだ。

ちろ

ん單

なる言語技

巧に比

して交藝的

の進歩

は認

めら

れ、また清新奇警

な見立ての中

にはなか

か面白い作も

ある。

しかし畢竟

なほ交藝

として、第

二義的な境地

にとど

つてゐた

ことは同

である。芭蕉

の作を解す

るに當

つても

、かう

した時代的

な歩

みのあとを知ら

なければ

、はなはだ

しい誤解

に陷

るおそれが

ある。第

三の句が

よし事實

、御油

・赤坂聞

でなが

めた夏

の月

に對

してよ

んだも

のとしても

、それが延寶年間

の作

である以

上、所詮

一句

の中心

は譬喩

にある

のである。

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灘 芭

風 蕉

を 野の

吹 分讐

い し

て  て暮ぼ

梯 鰐嘆禿 に

ず 雨

る  を

誰毳 聞

が く  よ子 佼

ぞ 哉

松 尾芭 蕉101

 右

の三句

は談林

の風を脱

して、蕉風

に眼

を開

かうとするまさ

に過渡時

の作

を代表

べき

である。蕉風俳諧

の開發

は、も

とより芭蕉

のすぐ

れた天分と不斷

の精進

とに基づくも

ので

はある

          てんな   ぢ ろきやう

、また延寶末年

から

天和

・貞

の交

にわんる俳

諧全體

の動ぎ

に促進

された

ことを見

のがして

はなら

ない。

すなはち談林

の薪

調は

一時俳壇

を風靡

したけれども

、やがて

はな

はだし

い放縱

に流

れ、心ある人

々をしてそ

の間に虞摯

な反省を起さし

めた。

かくて俳諧

の中

にも和歌

や連歌

にひと

しい藝

術的

の理想

を求

めようとする

に至

つた.、鬼

の説

のご

とき

はそ

一つのあら

はれであ

つた。

かし俳諧

はすで

にそ

の發生

なり展開なり

において

、和歌

や蓮歌

とはま

つたく

ちが

つた素質

をも

つてゐる。それはすなはち俳

の民衆性であ

つた。貞門時代

の俳諧

においては、

この民衆的特質

     はいごんニ

はも

つばら俳言

といふ形式的條

にお

かれてあ

つたが

、談林時代

に至

つてはそれがますます擴充

されて用

ひられるに至

つた。

しかる

に今

や俳

の文

藝理想を和歌

・連歌

と同

じ點

に求

めよう

とし

てく

ると、

この卑賤な俗語

までを取入

れた俳言

を用

ひることは、俳入

たちのいさぎ

よしとしない

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102俳 旬 評繹 上

ころであ

つたらう。さう

かとい

つて、

ここで雅

言のみを用

ひよう

とす

れば

、・そ

れは結局和歌

       

かへ

蓮歌そ

のも

のに復

つてしま

ふことで

、俳諧

の特異な性質

はま

つたく失

はれてしま

ふ。少く

とも從

來俳諧

の形式的特質とされた俳

言を捨てずして

、し

かも和歌

・蓮歌

と同

じ藝術的氣品を保たう

する、それには俗語

ととも

に雅言

の範疇

に屬しな

いも

のとさ

れてゐる漢語

の使用が

、まつ着目さ

べき

は當然

のことであ

つたらう。延寶

・天和

の交

、前

に述

べた素堂

や芭蕉が

、しきり

に漢詩趣

を喜

び漢語調を弄

したのは、かう

した要求

から發

したことではなか

つたらう

か。し

かし芭蕉

『虚

栗』の跋文中

に、「李杜が心酒を嘗

めて寒山が法粥を畷

る。

これに仍

つて其

の句

見るに遙

にし

て聞く

に遠

し。 

(申略)

白氏が歌

を假名

にや

つして初心

を救

ふたよりなら

んとす」

と述

べてゐる。

李杜

は李

白と杜甫

、白氏は白樂

天のことである。

すなはち彼

は單

に漢詩漢語

の形式

の末

によ

つて、

俳諧

を革新

しようとしたのではない。

よく李杜

の詩腸

を探

り、寒山拾得

の禪

骨を體

して、その精

を俳諧

にう

つさう

とした抱

負が明ら

かに窺はれる

のである。

芭蕉

は、從

來俳諧

を和

                         

へ  も       う  も

・連歌

から分

つ形式的條

として最も重要靦された俳言

を、俳昧

とも

いふべき

本質的

要素

まで潔めて、

ここに始

めて和歌連歌と對

立した俳

諧の文藝的意義

を確

立したのであ

った。だがそ

については、更

に後

の機會

で遞

べよう。

とにかく

かうして蕉風

の過渡期

における俳諧が

、漢詩

趣味漢語調

で養

はれた所以が了察されれば

、ここに説く意

は足り

るのであ

る。

 さ

て句

の解釋

にう

つらう◎

 …第

一の句

は天和

元年刊

『東

日記』

に出

で、のち『曠

野』(元祿

二年刊)

に中

七を

「烏

のとまり

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松尾 芭 蕉103

けり」

と直

した形

でひろく知ら

れてゐ

る。 「烏

のとまり

たるやし

とひどく

字餘

りにした

のは、ま

だ談林風

の餘臭を存

してゐる黠

である。内容も

ただ漢語

「寒鴉枯木」

を翻譯

した程度

のも

のに

すぎ

いが

、こんな閑寂枯淡な風景を

そのまま句

にするな

どといふことは、從來

つて見ないと

ころであ

つた。

ここに蕉

風開發

の第

一歩が

ある

のも故なき

でな

い。も

とより

この旬

「烏

のとまりけ洗」

と直しても

、蹴

ほ表現

の生硬さが幾分

やはらげら

れるぐ

らゐで、所詮

單純

な敍景句

にすぎな

いであらう。し

かしかう

Lて蕉風

の展開史

上から

なが

めて見ると、特

に意義

い作

といはねばなら

ぬ。

     

      

      

       

      

    ヨ

     

      

ぷり

 第二

は天和二年刊

『武藏曲』

「茅舍

の感

と前書して出で

、深川

の芭蕉庵

での吟である。野

のた

めに戸外

には芭蕉

の葉

と烈

しく音

を立ててをり、また軒を傳

ふ雨漏りでもあ

らう

か、近く

の盥

にポ

トポ

トと雫

のたれる晋が

する。葉

のそよぎ

、雫

の音

、わびしい雨夜

の感

が深

い。 「芭蕉野分して」

といふのが

やはり漢文

口調

である。 『五雜 爼』

「凄

風苦

ノ夜

、寒

ヲ擁

シテ書

ヲ讃

ム、時

二聞

ク紙窓

ノ外

、芭蕉淅瀝

シテ聲

ヲ作

ス亦致有

リ、此

ノ處

理會得

バ、更

二情景

二堪

ヘザ

ハ無…シ」な

どから案じた

ら5

かとも

いはれ

る。後

に芭蕉

の二字

を取

つた

     

    

はくせんしふロ

といふ説もあるが、『泊船集』にも

このまま

の形

で出てをり

、かう

した字餘

りの漢文

調が

、當時

過渡期

の風

を最も

よく代表

してゐる。

ただ「野分

して」ではその歴史的意義

を失ふば

かりではなく

畢・竟亭凡

の句

たるに終

るであろう。芭蕉

と盥の一一つに風雨

の昔

を聞く

ので、句

の面白昧

がある。

ほこの

「芭蕉

野分して」

の句

について

は、其角

煢枯尾花』

に載

せる

「芭蕉翕終焉記」中

にも

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104俳 ・句評 羅 上

べられてゐ

る。

                 

フ    ヲ

 第

三は天和

三年刊

『虚栗』に出で」「憶二老杜

といふ前書

によ

つても知ら

れる通

り、杜甫

の詩

「藜ヲ杖

ッキ世ヲ嘆

ハ誰

ガ子ゾ

、泣血塞

二迸

ラシメテ白頭

ヲ囘

ラス」、「老イ去

ッテ悲秋強、

                      

ハ           マタ

ヒテ自

ラ寛ウ

ス、興來

ツテ今

日君ガ歡

ヲ盡

クス、羞ヅ短髮

ヲモツテ還」帽

ヲ吹

カルルヲLなど

によ

つて作

つた

のであらう。また初

「風

髭を吹

いて」

といふべきを

、ことさら

「髭風を吹

いて」

                       

ゑ   ぼ

とい

つた

のも

、杜甫

の秋興八首中

の句で名

い倒裝法

に倣

つた

のである。句意

は蕭殺

たる風

に髭

を吹

かせ、暮秋を嘆ず

るのは誰だらう

といふので、「髭風

を」といふ倒語

によ

つて、粗

髯の風

に靡

くさまが眼前

に彷彿

とする。

 

に入

つて、かの

『野ざら

し紀行』

の旅

に赴

いたころから、芭蕉

の旬はやうやく

圓熟

の域

んでくる。以下まつ右の紀行中

の作

から始

めて、順次

ほぼ年代

に從

ひ、彼

の代表的作

品、も

は注意

すべき作

品を評釋

してゆかう。

           むく げ

   

槿

 この句、『伊逹衣』には

「道

の邊

の瑾

は馬

の喰

ひけり」、『歴代滑稽傅』

には

「道

のべの木撞

は馬

に喰

れたり」、『或問珍』・『一葉集』など

には

コ邁ばた

のむくげ

は馬

にく

はれけり」

とある。し

しやはり紀行

の原形

に從

ふべき

である。紀行

には

「馬

上吟」

と前書が

ついてゐる。

自分

の乘

つてゐる馬が

、馬子が

ちよ

つと立止

つてゐる聞

か何

に、路傍

の木瑾

をぱく

りと

一口

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松 尾 芭 蕉105

つてしま

つた眼前

の印景

を、そ

のまま句

にしたのである。

これを

「出る杭

はう

たれる」

といふ

                                    

ぶっちやろ

教訓的

の寓意があるやう

に解す

るのは誤

つてゐる。

ある説

に芭蕉

の禪

の師

である佛頂和爾が

、芭

に俳諧

のご

とき綺語を弄する

ことを戒

められ

たところ、芭蕉

「俳諧

は只今

日の事目前

の事

て候」

とい

つてこの句を印吟

した。す

ると和爾

「善哉

々々俳諧も

かかる深意

あるも

のにこそ」

と感℃

て、以後

は芭蕉

の俳諧を制

しな

つたと傳

へてゐる。これはおそらく實

論ではあるまいが

くとも

この句

の虞意

を領

した逸

話として画白

い。

この句

には確

かに

一種禪昧を帶びた

ところが

ある。

 

かも

かうした句は、鬼貫

のかの

  

椿

哉.

のご

とく

、藝術的感激

の稀薄な結果

、ひとりよが

りの理窟

やいや昧

に陷

るも

のが多

い。

しかるに

この句

はさすが

に禪理

を説き

示さう

などといふいや味。はま

つたく

なく

、ただ、眼前

の即景

を淡

と描き去

つてゐる。箇中

の妙映ほ

そこにある。素堂

はすで

にこの紀行

の序

「山路

來ての菫

、導

の木攤

こそ此

の吟行

の秀

逸なる

べけれ」

と評L

、許

六は

『歴代滑稽傳』

の中

に、談林を見破

つてはじめて正風

體を見届け、躬恒

・貫之

の本情

を探

つた句だ

と稱

讃してゐる。

         

やぶ                 ふ  は

   

『新古今集』の

「人佳まぬ不破の關屋の板庇荒れにし後はた黛秋の風」の歌をふまへた作であ

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106俳 句評 縄 上

る。芭蕉が通

つた

ころは勿論

その板庇

の趾

すらもない。昔

のあ

とは藪

となり畠

とな

つて

、も

の悲

い秋風がむな

しく吹

いてゐ

るだけだ。そ

こに立

つく

した芭蕉

は、この藪も畠も

いにし

への關

の趾

であら

うと、感慨深

い嘆息を洩ら

した。それが

この句

である。

   あけ                               いつ  すん

   

 紀行

には句

の前

「草

の枕

に寢あき

てまだ

ほの暗き中

に濱

の方

に出

て」

と記

してある。伊勢

桑名

での吟

であ

る。芭蕉が旅寢

の曉

の所在なさ

に、宿を出

てぶ

らぶら…海岸

を散歩

してゐる

と、折

から濱

に引

上げら

れた白魚が

、まだほの暗

い中

にく

つき

りと見えた。

かも

それが

一かたまり

白さでなしに、長

一寸ぐら

の白さが

一つ

一つ鮮

かに眼

に映

つた。 

「白き

こと

一寸」

といふ敍

法が

、この情景

をは

つき

り描き出

してゐる。

一寸とい

へば冬

の末

から春

の初

めご

へかけて

の白

の大き

さだ

とい

ふから

、この句

はますます實景

を十

にとら

へてみるわけだ。

 沼波瓊晋氏

の解

に、「あけぼ

のや」の大景

「白魚

の纖細が對照された點を読

いてゐ

るのも面

白い。なほ支考

『笈

日記』

によると、「おなじ比

にや濱

の地藏

に詣でて、雪薄し白魚

しろき事

寸。此

の五文字いと口惜しとて

、後

には明ぼ

え侍

し」

とあ

つて

、この句

はも

と上五

「雪薄

し」

とあ

つたのをのち

「明ぼ

のや」

と直した

のだ

といふ。芭蕉が推敲

のあ

とを見る

べき

であ

る。

 な

ほこの句

『孤松集』

「曙

や白魚

のしろき事

一寸」、『熱

田三歌仙』

「雪薄

し白魚

白き

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一寸

L

と出

る。

松 尾 芭 蕉107

あさ  すみ

 おなじく

この紀行中

に見える句

で、貞

享二年

二月伊賀

から奈

良に出る途中

の吟である。

歌枕

や名所

として知

られた山

ではな

い。

李凡な名も

ない山

である。李生ならばただ見過してしま

ふ山

であらうが

、折

から朝霞

が薄

くたなび

いてゐるさまをなが

める

と、何となく心

ひかれ

る風情

であ

る。

これもさすが

に春

なれば

こそであらう

といふのである。

 元來芭蕉

の俳

諧精紳

かうした名もなき山

に、か

へつて深

い美

しさ

を新

しく見出だ

さう

といふ

   

      

       

      

      

      

      

も  も

のであ

つた。名もなき山

はいはば通俗卑近

の世界

である。芭蕉以前

の俳諧

では、それは單

にを

ヤ  う

みを得

べき對象

にすぎな

つた。

しかし芭蕉

はここに實

は吉野山

・三笠山等

々と同じ美しさが

ひそ

やかに隱さ

れてゐることを知

つたのである。

その美

しさを探

るために、彼

「造化

に隨

ひ造

にか

へれ」

と言

つた。

また

「松

の事

は松

に習

へ、竹

の事

は竹

に習

へ」

とも教

へた。樹然

への純

,

一無私な觀照

に徹

したとき

、見

る人も

ない噌やうな佗

しい景致

の中

にも

、常

に薪

しい美

は見出だ

れてゆく

のである。

この朝霞

の風情

にぢ

つと見入

つてゐる芭蕉

の眼

には、名も

なき山

に對

する限

りなき親

しみが籠

つてゐたであらう。そしてそこに風雅

の誠が

つた。

   

やま  ち                              み   ぐさ

   

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~̀美

108督鉾旬 言年釋 。一ヒ心

 

この中

七、『皺箱物語』

には

「何

とはなし

に」

とあるが

、『三珊子』

によれば後

にかく作り

たのである

といふ。紀

によると

「大津

に出つる遘

山路を越えて」

とある

から

、逢坂山あたり

よんだらし

い。ところが其角

『新山家』、越人

『鵲尾

冠』

などをはじめ數書

には箱根山

での吟

と傳

へてをり、また

『皺箱…物語』

には尾張

の白鳥山

での吟

として記

されてある。

しかし紀行

、芭蕉自身

のかいたも

のである

から

、それを

正しいとする外

はあるまい。

つたとひ

箱根山

での吟

であ

つた

とし

ても

、場所

の如何

はこの解釋

上さ

して必要

な問題

ではな

い。それがど

こかの山路

へあ

れば

よい。旅人が

その山路

でふと見

つけた

一莖

の菫草

、普通路傍

で見ては大して心も惹

れな

いのに、かう

した寂

しい山中

で見

つけると、異境

で知人

にめぐ

りあ

つたやうな氣さ

へする。

となくな

つかしまれてぢ

つとその可憐

な花

に見入

らず

にはをれな

い。 「何やらゆ

かし」

とぼ

やり言

つたところに、そのとりとめも

なく

一莖

の花

に心が惹

かれてゆく情が

、よくあら

はれてゐ

る。大きく

へば芭蕉が自然

に對

する愛

の發露

である。否、更

に人聞

に親しむ眞情

のあら

はれで

ある。だがそ

こまでは言はぬ方がよ

い。ど

こまでも何やらゆ

かし

いほのかな情

の動き

であ

る。

   

から  さき                        おぼろ

   

                   

               

 

「湖水

の眺

望」

とい

ふ前書が

ある。其

『雜談集』

による

と大津め

爾白亭で

の吟だとし、千

                

『鎌倉街道』

には、この句

に千那が

「山

は櫻を絞る春雨」

と附けた脇句がある

のを證として、

堅田

の千那亭

での作だ

とい

つてゐ

る。し

かしこれも作

つた場所など

は穽鑿、する必要がなく、要す

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織飛駄 .炉 美癒 ・

満 ヒ丶

松 尾 芭 蕉109

に前書のごとく湖水

の眺望

たるこ

れば

い。湖水

の面も湖邊

の花も

すべて朧

々と霞

んだ春

の夜

である。中

にも辛崎

の古松は花

よりで朧で

一し

ほ趣

が深

ので

、句意は極

て雫明である。ただ

この句

は切字がま

つたくな

いので

、古來

これ

ついて説をなすも

のが多

い。

ある

ひは

『辛崎秘傳』など

といふ愚

にも

つかな

いも

のまでもある。し

かし切字

とは畢竟

形式

上の

にすぎな

い。勿論

それも

一應

必要な

ことにほちが

ひな

いが

、格

に入

つて格

にとら

はれな

いとこ

ろに逹人

の融通自在があ

る。 

「哉」

でなく

「にて」

で終

つてゐ

るので、縹渺

たる餘韻が生じ

てく

るのである◎芭蕉自身

はこの切字

の有無

ついて、「いは

黛、さ

黛波

や奠野

の入江

に駒

とめて比良

の高根

の花

を見

る哉。

たい眼̂前

なるは」(其角

『雜談集嫡と言

ひ、ま

た其角

と去來

の論を聞

いて、

「角

・來が辯皆

理窟

なり。我

はた虻花

より松

の朧

にζ面白

かりし

のみ」(去來抄)ども言

つたとい

ふ。

ことに

「た

黛眼前

なるは」

である。芭蕉

のこ

一語が

あるのに、なほ論

を加

へるのは所詮

無…用

の指

を立てるも

のである◎

 

なほ

この句

について晝夜

の論が

ある。

しかし季題

としての

「朧」

は、ー

この句ぽ

「花」も

るが

、それは主題とな

つてゐず、「松」は無

季だから、やはり

「朧」が季題

とな

つてゐる

のである。

…元來朧月夜

の意

である。

かうした季

の詞

ついては

、やはり

一定

の約束が守

られてゐた當時

のことであるから、隨

つて

これは夜景

と解

するほ

かはない。

古 池 や 蛙 

永 の 音

領 ;郵鮮

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110俳旬評纏 上

 この旬

『春

の日』

に始

めて出

てゐるのだが

、同

じ貞享

三年

に刊行さ

れた西吟

『庵櫻』

には

「古池

や蛙飛

ソだる水の音しといふ形

で出

てゐる。

しかし勿論

これは誤簿

にちが

ひなく、「飛

ソだ

る」では昧

はひが

つかり稀薄

にな

つてしまふ。ぜひとも

「飛

こむ」

でなく

てはなら

ない。

 古來やかましい句

である。支考

『俳諧十論』

の中

この句

をも

つて

、芭蕉が始

めて幽

玄の體

に眼を開き

、俳諧

一道

をひろめる基とな

つたも

のだと読いた

ので

、美濃派

の人

々には特

に奪ば

れてゐる。

しかしすで

に越

人はこの説

を駁

して

『次韻』

をも

つて當流

の開

基だとし

、また其角

ども

『次韻』が蕉風

の根元

をなしたも

のと言

つてゐるく

らゐで

、かならずしも

この古池

一句で

突然芭蕉が俳諧

の心眼

を開

いたも

の乏解

する必

要はな

からう。特

『古池箕傳』

などとい

ふ書が

傳は

つてゐて、

これを全然宗教的

な悟

に附會

して設いてゐるがごとき

は、この句を奪

重する

あまり、いはゆる贔

の引倒しにな

つたも

のである。また

これを深川

の芭蕉庵

の實景

だとなつ

で解

するにも及ば

ぬ。

 要する

にど

こでも

い、青く

水の淀

んだ古池

がある。そ

へ突然

ポチ

ヤソと蛙

の飛び

こんだ習

が聞えたのである。

そして水面

に大き

な波紋

を殘

したままで、やが

てま

たもと

の靜寂

にか

へる。

さうした

いはば靜中

の動

、動中

の靜

とい

つたやうな刹

の境界

をとら

へた句である。靜

かに目を

つて蒼く湛

へた古池

を思

つてみるが

よい。

そしてその靜

けさを破

つて突然勢

よく跳びこ

んだ蛙

の音

を想

つてみ

るがよ

い。いたづら

に千言萬語

を費

す必要はないのである。箇

中の滄息

はおのつ

から領會

するも

のが

あるだらう。

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なほ支考の俳論書

たる

『葛

の松原』(元祿

五年刊)に

、こ

句は

最初

「蛙飛び

こむ水

といふ七五だ

けを得

て、上五文字

を案

じてゐ

た時

、其角が

かたはら

にゐ

「山吹

や」

つけ

た。

しかし芭蕉

はそ

れをとら

ないでただ古池

と定

めたのだ

といふ。

そして支考

  

山吹

といふ五文字

は風流

にして花

やかなれど、古地

といふ五交字

は質素

にして實也。

いひ、更

に、

  

るを山吹

のうれしき

五文字

を捨

てて、只古池

となし給

へる心

こそ淺

からね。

と芭蕉

を讃美

してゐる。

この話

は支考

の作

りごとではなから

う。

いかにも山吹

では其角

らしい花

やかさはあるが

、到底古池

の落

ついた深

みは得

られない。山吹

を配

したのでは

、畢竟

寫生

以上

の何物

をも

いひあらはし得

ないであらう。古池

だから

こそ

この句が芭蕉

の名實

とも

に不朽

の作

つたのである。

松尾芭蕉111

 瓢り

 

『續虚

栗』

『雜談集』

には中七が

「池

をめぐ

つて」とあるが、芭蕉

の虞蹟

を初

め他

の多く

には

「めぐ

りて」

とあ

るので

、これ

に從

ふべぎ

である。其角

『雜談集』

「丁卯

のとし芭蕉

の月見

んとて舟催

して參

りたれば」として

この句を掲げ

、なほそ

の夜

のさまを記し

てあ

る。た

だし

この句

を最も早く載

せた

『孤松』

は貞

享四年

(丁卯)

三月

二十

五日

に刊行

されてゐ

るから

は少く

ともそ

の前年

すなはち貞

享三年秋

に成

つた

のでなければならぬ。大醴貞

享三年もしく

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聾鼕

U2俳旬 評 釋 上

二年

の作

と推

定すべき

であら

う。

 芭蕉庵

の月

見であ

る。霄

のころから縁

先き

などに出

て月

をなが

めてゐた芭蕉

は、夜が更

けると

とも

一層冴えてく

る月光

を仰

いで庭

に下り、更に池

のほとりをさまよ

つた。名月

の影

は澄

みわ

つた塞

にあり、また靜

かな池

の面

にも

ある。

ある

ひは仰ぎ

るひは鋳し

、良夜

の佳興は盡き

ところを知ら

ない。

つひに池

をめぐ

りて夜

もすがらである。あまり

に甼易な旬であり

、また絡夜

をめぐ

るといふのが

わざとらしくも聞えるため、

これを月並な作とし

て排す

る人もあ

るかも知

れない。しかし終夜

いふの

は、かならずしも文字通

に絡夜

でなく

とも

よい。事實

『雜談集』

によると

、芭蕉

はこの夜其

角ら

に誘

はれて草庵

を出

、河上

に舟を淨

かべて漕ぎ廻り

、夜牛過ぎ

に.

つた

といふ

。だ

から芭蕉

は終夜池邊

にあ

つたわけで

はな

い。だが彼

の月を賞す

る心

はまさしく

終夜芭蕉庵一の池

のほとり

から離れる

こと

はな

かつた

のであ

る。句

はそ

の風雅

の誠

を表現し

たので、

少しも誇張でもなく虚構

でもな

い。

ここに風

の奠

の精神

、最も明瞭

に強く主張されてゐる

であ

る。                 

                  

  

 

きみ                                ゆき まろ

  

 

 

この句

、貞享

四年

『續

盧栗』

に出で

「對友

人」

と前

書が

ある。なほ曾良

の遺

稿

『雪丸げ』

    

      

      

      

       

      

くひもの

はこの句

「曾良何某此

のあ

たり近く假

に居

を占

めて朝

な夕に訪

つ訪

はる。我食

物營

む時

は柴

を折くぶ

る助け

となり、茶

を煮

る夜

は來

りて軒

を叩く。性隱閑

を好む

人にて交

り金

を斷

つ。或る

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写子糊 尾壁納劉凶 騨 遣略

夜雪

に訪

はれてL

とい

ふ詞書が

ついてゐ

る。右

の詞書で知られ

る通り

、芭蕉が深川

の草庵で

、雪

の夜

に門人

から訪

はれて作

つた旬であ

る。ーー

謙遜な芭蕉

は門人

に對しても

、多く自分で

は友人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうばめむ たいすゐのの

と言

つてゐ

る。ー

曾良

は當時宗波

・苔翠ら

の人

々と、常

に師翕

を訪

ねて薪水

の勞

にも服し

てゐ

-たのであ

つた。 『雪丸げ』

の深川八貧

の句

、たと・へば

 ,米買

ひに雪

の袋

や投頭巾継な

どを見

ると、

芭蕉ゐ

その

ころの清貧

の状が想

はれる。

 

さて

この句意

は、「あ曾良

か、いい時

に來

た.、

一人で淋

しが

つてゐたのだ

よ。

ところで、お客樣

にさし上げ

る御

馳走

もなし、まあ爐

に火

でも焚

いてあた

つてゐてくれ◎

いいも

のを見

せて上げる

から。それ

この庭

の雪

一つ私が雪

丸げ

こしら

へてみ

せるよ」

といふので芭蕉が雪夜

に客を

て輕く興じた心もちが見える。そし

て主客

の親しげな對座

のさ

まもな

つかし

まれる。

     

      

   

なつな

    

等、転曜 輪

松 尾 芭 焦U3

 

これも

『續虚栗』中

の句Q詩人

の心

は萬

物を

いと

ほしむ心であ

る。ど

んな小さな自

の申

にも

は天地

の悠久

と造化

の驚異

とを感ず

るにちが

ひな

い.、さうした心が

この句を生

んでゐ

る。

   

    

かね

は》

か 

.

 

これも

『續虚栗』

に出

で、「草庵しといふ前書

によればや

はり深川

の草庵

にゐ

ての句

である。陽

三月

、世

は花盛りで

、上野淺草あ

たり

にはただ花

の雲が霞

ととも

にたなび

いてゐ

る。そ

の花

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114拶僻旬 耆嘩:纏1_ヒ

雲を渡

つて響

いてく

る晝

の鐘ll夕

の鐘

でも

よいかも知

れぬが

、句全體

から受け

る感

じは奠晝

かさ長閑さであ

る。ーiそれも霞

んで上野

の鐘

とも淺草

の鐘

とも聞き定

められな

い。眠

たいほ

ど長閑

な心も

ちであ

る。作者

は草庵

の中

に靜

かに横た

つてゐ

るのであら

う。花

の雲

は窓外

にそ

れと見

えてゐ

ても

よいが

、も

ちろん實際

に見えなく

てもさ

つか

へない◎ー

ー尤も其角

はこの前

年芭蕉が

よんだ

  觀

とも

に、この旬

一聯三

の格だと

つてゐ

るから

、實際淺草觀

膏の屋根ぐら

ゐは見た

のであ

らう。ーi

ただ花

に包

まれた都

のさ

まを想

つて

ばよ

い。そし

て鐘

の晋

を聞

いてゐる。

「上野

か淺草

かしと疑

つた敍法が、い

かにもさうしたゆ

るやかな心境

を自然

にあらはしてゐる。

          

にほ    うき す

   

 

この句は

『笈

日記』

に出

てをり、「露沽

公に申侍

る」と前書があ

る。な

ほ杉風

の家

に傳

へた虞跡

によれぽ貞

享三四年ごろ

の作

と推定される。 「鳰

の淨集」

とは、藻

や樹葉

を集

めて水上に營

んだ

一鳰

の災

をいふQ和歌

などではよく寄

るべ定めない意

などを寓して

よまれ

てゐる。

                     

とぽう    さんざうむ  のニ

 

これは格別

すぐ

れた旬

といふ

のはでな

いが、土芳

『三珊子』

              た にし

  春雨

の柳

は全體連歌

なり、田螺取

る烏

は全く俳諧

なり。

五月雨

に鳰

の淨集

を見

に行く

いふ

  句

は詞

に俳

諧なし

、淨集を見

に行

かんといふ所俳な

り。

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松 尾芭蕉115

といふ説が

見えるので、

これ

に基づいて

いささ

か芭蕉俳諧

の本質

に關

して論

じてみた

いと思

ふ。

        

                     

ヤ  も

        

              

カ  う

 貞

徳以來俳諧

と連歌

とを分か

つべき

要點

とした俳言

を、芭蕉

は俳昧

とも

いふべき内面的

の意義

にまで深めた

こと

について

は、さき

一言

しておいた。今

この

『三珊子』

に説く意

は、たと

ひ旬

の表

に俳言が

なく

とも

、句中

の情趣

に連歌とちが

つた點が認

めらるればそれ

は俳

諧だと

いふ

ので、

        

                   いひ

つまり俳

と連歌を分

つ要黥が

、形式

より

は丙容

に存す

る謂であ

る。

 

さて春雨

にけむ

る青柳

の美しさ

は優

雅な和歌や連歌

の趣

昧である。田螺

ついばむ鳥

の姿

には、

さうし

た優雅な美しさはな

いが

、そ

こにはまた連歌

の境地

とはちが

つた自然

の情趣が昧

ははれ

る。

それがすな

はち俳

昧な

のだ。そし

てこの俳味

は畢竟蓮歌

の貴族的趣昧

に對立す

べぎ民衆的趣昧

ある。由來俳

諧はそ

の發生

から考

へられ

る通

、民衆

の文藝

として特殊

の展開を邃げ

たも

のであ

つた。俳諧

の理想を和歌連歌

と同

一のところに求

めても

、も

しこの俳諧

の歴史性

に基

づく民衆趣

を失

つたならば

、それ

は結局俳諧を連歌

の昔

に復した

にすぎな

い。

しかるに芭蕉

は新

たにかう

した

いはゆ

る俳昧

の境地を

とら

へて、そ

こに連歌

と同

帰の詩趣

を見出ださう

としたのである。

うし

てこの俳昧

こそ貞門時代以來

の俳

に代

つて、俳諧

の民衆性を藝術的

に保持す

べきも

のであ

つた。芭蕉が藝術家

として

の偉大さ

は、實

にこの俳

の歴史性

。民衆性

に邸し

つつ、これを和歌

蓮歌

と同

一水準線

の文藝

として大成

せしめた黠

にあ

る.。

 

て句

の解釋

にか

へらう。田螺

を俳諧

にすれば、そ

の情趣が俳味

たるのみならず

、「田

螺」

といふ俳言も

おのつ

から取入

れら

れる。

しかる

にこの五月

雨の句

では、'ど

こにも俳

、すな

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乳磯輪鰄 蝋触 脚 瓢_蟹 西

116俳 筍 鮃 釋 」な

はち俗語

や漢語

はないのである。特

に鳰

の淨集

は和歌

や連歌

にも

しば

しば

よまれてゐる題

材で、

形式

上から

へば連歌

の發旬

と邏

ぶと

ころがな

い。だが鳰

の淨災

を見

に行くと

いふと

ころ

に俳

が生ず

る。

といふのは、も

しこの鳰

の淨災

を、和歌

・連

歌と同じく

、水

に隨

つて

よる

べな

いさま

などによんだら

、ま

つたく連歌

になる。しかしさうした

いはば風

の題材

にされ

る鳰

の淨…巣を

わざ

わざ江戸

から近江く

んだり

まで見

に行

かう

といふ風

狂が、今

まで歌

人など

に見出だされな

つた境地であ

る。それ

はかならず

しも民衆趣昧

といふも

ので

はな

いかも知れぬが

、少

とも鳰

淨集

を詩材

とした場合

の傳統的な考

へかたから開放

されて、ま

つたく自

由な新し

い立場を

つて

ることは明ら

かであ

る。

しかも

それは決

して文藝的

に低

い俗意

俗情

から發したも

ので

はな

い。

ほこの點に

ついて

は多く

の例をあげて述

べた

いが

、今

はしばらく

これだけ

にとどめて

おく。し

かしまた機會あ

るご

とに、この問題

に觸

つつ読

いてみたい

と思ふ。

          

こめ  つき

   

 

『續

の原』

など

の諸集

に出てをり

、貞

享四年ご

ろの作

と推定さ

れる。眞蹟

には

「夕顏

に米搗や

                           

む       む む

すむあ

はれなり」ー

この眞嘖

には

「米

やすむ」

とあ

るが

、米

の下に

つき

の二字を脱

した

ことは

ひな

い。奠蹟

とても勿論

かうした誤り

は存し得

るのであ

る。1i

とあ

り、のち

に夕顏

を書顔

むを涼む

と改

めたも

のと思

はれ

る。

 夏

の日盛

りである。裏癡あ

たりで米

を搗

いてゐ

た男が

、ちよ

つと

一休みして涼風

にあたりなが

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松 尾芭 蕉117

ら額

の汗

を拭

いてゐる。

かたはら

の垣

など

にま

つは

つた晝顏が

、その日盛

りの中

に小

さな花

を険

かせてゐる。米搗男

の暑

さに

つかれたさまと、晝顏

の花

の可憐なも

の淋

しい情趣

とが

、いかにも

                         

          

も ヤ リ           ャ

はれ深く感ぜら

れる。

かう

した人

にも知ら

れぬやづな情景

の申

にも

、芭蕉

はあ

はれ

の世界

とさ

の詩美

とを見出だしてゐ

るのであ

る。夕顏を晝顏

と改めた

のは恣

による作

爲で

はない。芭蕉

                         

        

も  ぬ  ヤ

が實際寓目した

のは夕顔

であ

つた

かも知れ

ぬ。し

かしここに見出だされたあ

はれ

の情趣

は、虞晝

の暑さ

に喘ぐ勞働者が

、しばらく

の憩

ひに涼を

とらう

とし

てゐ

るさ

まにあ

つた。夕顏

の花で

                         

 ひまヒん

日の仕事を終

へて落ち

ついた趣

にな

る。も

とより朝顏

では閑入

か樂隱居

の朝起

きらし

い。や

はり

この情

にぴ

つたり融け

こむも

のは晝顏

のほ

かにはな

かつた。

この場合

夕顏

の険

いてゐた

のが事

實であ

つた

としても、芭蕉

の心

にはそれが晝顏

としてとら

へられた

のである。それ

はむしろ詩

世界

におけ

るも

つと高い奠實

として是認

されねば

なら

ぬ。

 其角

『類柑子』

にはこの句

「組師

の自畫

讃」

と題し

てある。これ

によると、かの米搗を

てゐたと

いふ六租慧能

の畫像

に讃した句

と思

はれるが

、それは單

にこの句

を轉用

しただ

けの

こと

であらう。米搗

の句であれば直

ちに

これをと

つて租師

をき

かすといふごとき

は、其角

など

の最も

喜びさうな

ことであるが

、芭蕉

は決

して最

初からさ

うした晝讃

の句

として作

つたのではない。

   族

                         

     

ち どりがク

 この句は、『笈

の小文』・『續

虚栗』・『夏の月』

など

に出で、また

『千鳥掛』

(知足撰

、貞享年間

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  成

、正徳ご年刊)

には謠曲

『梅が枝』

一節

「はや

こな

へと夕露

の葎

の宿

はう

れたく

とも

、袖

を汁籔

て御

とまりあ

れや旅人」

とい爰

を・墨譜

まで附

してそ

のまま前書

としてあ

る・

『蓑

上 

虫庵小集』

にも

この前書づき

の芭蕉眞

を掲げ

てあり

、また

『三珊

子』

には

この旬

ついて

「こ

の句は師武江に族出の日の吟也。心のいさまし婁

句の言

に振出して、呼ばれん初時雨と言ロひ

陶 

しと也。

いさ

ましき心を現

はす所

、謠

のはしを前書

にして、書

の如く章

さして門人

に邊られし也。

β 

一風情あるも

のなり。

この珍らしき作意

に出つ

る師

の心

の出所を昧

はふべし」

とい

つてゐ

る。

   貞

享四年十

月十

一日

、芭蕉

が江戸

を立

つて故郷

の伊賀

に赴

かう

とした時

の吟である。そ

の時

  紀行

『笈

の小交』

には

   

禪無月

の初室定

めなきけしき

、身

は風葉

の行方なぎ心地して

               

いぽき      ニゐ

  

とあ

つて

この句が見え

、これ

に岩城

の長太郎

といふ者が

      

さ ぎ ん く わ

   

宿

  と脇

を附

け、其角

の家

で餞別會

を催

してく

れたとある。

  

降りみ降らず

み初時雨

の塞定

めなき

ころ、かうして寂

しい旅

に出

ようとしてゐる。だがそ

の自

                     

               

むぐら

 

を旅人

として客觀的

になが

めてみ

ると、いかにも面白

い。

どこか行き暮

れた葎

の宿

で、「御泊り

 

れや族人」

とも

てな

してくれ

る所もあ

るかも知

れぬといふので、寂

しさの中

に族

を喜ぶ情があ

 

る。 

「族

人と我

が名

呼ばれむ」

と自

分を

つき

離して、そ

こに初時

に濡

つつ急ぐ旅入

の姿

を想

 、見した

のである。

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松 尾 芭 蕉119

 

『笈

の小

交』

の吟

で、貞

享四年十

二月名古屋

に滯在中

によまれた。 『笈

の小文』・『曠

野』

などには上五が

「いざ行

かむ」

とな

つてゐる。 『三朋子L

にも

「雪

見、はじめは

いざゆ

かん

と五丈字有

り」

とあ

つて、

これが初案

の形であ

つた

と思はれる。し

かし實

「いざ行

かむ」

も再

で、最初

「いざ出

でむ」

であ

つたらし

い。現

に名古屋某家

に藏

されてゐる奠蹟

には、

   書林風月

とき

玉し其名も

やさしく

   覺

へてし

はし立寄

てやすら

ふ程

   雪

の降出けれは

  

とある。f

この眞蹟

のことは同地

では古く

から知られ、『鶉衣』など

にも也有が

この賃蹟

を拜見

した

ことが見える。ー

一し

かし其角

『花摘』

以後

の諸集

に・はすべて

「いざさらば」

といふ形

操録

されてをり

、すな

はち

一、いざ出

でむL↓

「いざ勾13かむ」↓

「いざさらば」

とだ

んだ

んに推敲

されたことが知

られるo

 句意

は明ら

かであ

る。雪が降

り出

したの

に對

して、さあ

これ

から雪

に出

かけ

よう

と淨

かれた

つた輕

い心も

ちが

、實

によく

いひあらはされてゐる愈し

かも

それが主

として

「いざさらば

、雪見

に、ころぶ所

まで」

と、いかにも輕く

はず

んだ句

切の調子

によることを見のがして

はなら

ぬ。特

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120俳 旬詳 羅 上

に上五の

「いざさらば」が如何

にこの調子を輕快

にし

てゐる

かを思

へば

、芭蕉が推

敲した苦心

とも

、おのつ

から了解

されるであら

う。 

「ころぶ

ところまで」

といふのにも童心らし

い無邪氣

な心もちが見られ、ま

ことに印

興の句

として上乘の作

といふべぎ

である。因

みにいふ、賃蹟

の詞

にある書林風月と

いふのは、名

古屋本

の書肆風月堂孫助

ことで、夕道

と號

して俳諧も嗜

だらし

い。

   

ふる  さと     ほぞ      を

   

.緒

 

この句も

『笈

の小夊』中

の作

であ

るQ芭蕉

は江戸を立

つてから尾張

の鳴海に

しばらく足を

とど

     

いドら こぎき      のロ

め、越人

と伊良湖崎

の杜國を訪ねたりして

、そ

の年も暮れる

ころ故郷

にや

つて來た。

この句

はそ

の時

の作

で、『弔蔚棚』には次

のやうな長

い詞書

ついてゐる。

  代

々の賢き入

々も故郷

は忘

れ難きも

のにおも

ほえ侍

よし。我今

は始め

の老も四

とせ過ぎ

て、

                   はらから

  何事

つけ

ても昔な

つかしき

まNに、兄弟

の數多齡傾きて侍

るも見捨

て難く

、初冬

の塞

のう

  

ち時雨る

乂頃

より雲を重ね霜を經

て、師走

の末伊陽

(伊賀)

の山中

に至る。獪父母

のいまそ

  

かり

せば

と、}慈愛

の昔も悲しく思

ふ事

嚶みあまたありて。

 芭蕉

は三年前

(貞享元年)

にも故郷

で歳

の暮

にあ

つた。し

かし

まだ

かう

した遞懐

は洩らしてゐ

い。だが今度

は自分

の身

にも老境をおぼえ

、兄や血族

の入

々の老

いゆく

ことも

悲しく思

はれた

のであらう。

おのつ

から亡き父母

のことも

一し

ほ思

はれ

るであ

つた。臍

の緒

といふのは今も田舍

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でや

つてゐる逋り、子供

が生まれる

と、そ

の生年月日をしるした紙片など

一しよに、大切

にし

つて置

いたも

のである◎

 

は芭蕉

が歸省

中兄

の家で、

はからず自

の臍

の緒

を見

つけて

、急

に父母を思

ふ情

で胸が

一杯

  

                         

つな

つた

のである。ただ

この臍

の緒

いふ

のは、ただ爾親

に鑿

がる血縁

を具象

化しただけで

、實

の物を見てゐるわけで

はな

いといふ読もある。し

かしそ

んな抽象的な聯想だけで

は、この句

悲愴な感じ

は到底

とら

へられな

い。 

「臍

の緒

に泣く」

といふ表現

は、決

してただ血縁を具象化し

た言葉で

はな

い。も

つと強く切實

に響

いてくる。實

際眼

の前に臍

の緒

の物

を見てゐなければ出

  

                         

              こな

こな

い痛

切さをも

つてゐる。長

い詞書はただ

この句

(の註

釋にすぎ

いのである。

かうした濃や

かな入情

に温れてゐる

のは、實に芭蕉

の詩人的

要素

一つで、彼

を單

に風

雅な自

然詩人と

のみ解

する

のは、そ

一面

しか見な

い誤

つた觀

察である。

  

   

こ  ら  ご     ひと もと

  

 

松 尾 芭 蕉121

 貞

享五年

(元祿元年)

の作で、やはり

『笈

の小交』中

の句

。 

「お子良子」

、伊勢禪

宮の禪事

に奉仕

する少女

の稱

で、

いまだ經水を見な

い者を選ぶ

といふ。そ

の少女たち

のゐる所が子良

の館

である。  

   

    

 

、    

   

    

    

   

    

   

 

この旬

は伊勢

での吟

で、紀行

には

  禪

のうちに梅

一木も

なし。

かに故

有る事にや

と神司

などに尋ね侍

れば

、只何

とはなし、

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122俳 句 評 繹 上

  おのつか    ひともと           こ ら   たち

  

ら梅

一本も

なくて

、子良

の館

の後

一本侍

よしを語り傳

ふ。

とあ

つて

この句

が出

てゐる。芭蕉

はそ

の子良

の館

一本だ

け梅が

あると聞

いて、そ

こまでわざわ

ざ出

かけた。すると廊

下などでふと見

かけた

一人

のお子良

、禪

に奉仕する無垢

な少女

のさまが

こに喫く

一本

の梅

の氣高

さにも似

かよ

つてゐた

ので、

つい

本ゆ

かしL

いふ句が淨

かんで

きた

のであ

つた。句

の表面

はもちろ

ん梅を季題

として

よんでゐ

るのであるが

、芭蕉

の感興

はむ

ろ、ふと見

かけた

お子良子

の清楚な

さまにあ

つた

のであらう。 

τ   

   

  

.

   かげ きよ                         しち びやう ゑ

   景

噂見

』元祿

九年刊

『翕草』

を初

め諸書

に出

てをり、『き

れみ\』

には中

「花見

の座

では」とあ

る。景

清と

へば

甼家でも聞

えた豪勇

の武士、何

となく四角張

つたし

つめらしさを感

ずる

のだが

、そ

    

きよみづ

の景清も清水

あたりの花見

の座

では、名も

いささか柔

かい七兵衞

殿でをさま

つてゐると

いふ

で、滑稽

の句體である。

 

にここに景清

の名

を邏

んだ

のは、そ

れがすぐ勇

士としての聯想

をも

つてゐるばかりでなく

一面

また

五條坂

の…遊女に馴染

んだなど

といふ艶

めいた傳読が

あらう。支考

『古今

,

抄』

この句

        

ちあ   ぶ   どの

  昔

殿

といふ句

とを即興體

としてあげ

、ここを俳諧

の滑利

とすと知

るべし

と読き

、江戸

の俳

諧を俗

化さ

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松 尾 芭 蕉123

 

      

      

      

       

      

  

せた不角など

は、『江戸菅笠』の自序

の中で、芭蕉風

といつても古池

の句

の趣

一途

ではいかぬ、こ

の景清

の句を昧

へ、と言

つて、自分

の方

に都合

のよい解釋をし

てゐる。それだけ

この句

には談

や後

の江戸

座風

の、感興本位

なと

ころが

つて、芭蕉

の句としてはやや趣

を異にしたも

のであ

る。,しかし決

してそ

の感興

は俗惡なも

のではない。輕く無邪氣な笑

ひである。

 

  

.帥

 

この句

『笈

の小文』・『猿蕘』・『泊

船集』

などに出てゐる。芭蕉

は元祿

元年

の春

を故郷

に迎

、伊勢

參宮をした後

、三河

から

かねて

の約

ふんでやら

て來た杜國と

一し

よに、吉野

の花見

かけた。そ

の紀行がすな

はち

『笈

の小交』な

のであるが

、この句

について紀行

には何處

よん

とも

なく

、ただ吉野

の花見に出

かける條

の初

めあたりに出してある。また

『泊船集』

には

「大

和行脚

の時

にたはむ市

(これはたむは市

、印ち丹波市

の誤

記)

とかやい

ふ處

にて日

の暮

れか

製り

けるを、藤

の覺

束なぐ喫き

こぼれけるを」

と詞書

ついてゐる。し

かるに竹人

『芭蕉翕

全傳』

 

      

      

の 

に載

せた

「翕

在京猿錐

への返書〔

よれば、

この句は奈

から大和

の竹丙村

に向

かふ途中

の吟で、

 

      

      

      

      

も  う  ぬ  ヤ  も

の手紙

には

「丹波市

やぎ

と云所

、耳

なし山

の東

に泊

る。ほと

乂ぎ

す宿

かる比

の藤

の花

 と云

て、なほおぼ

つかなき

たそがれ

に、哀なるむまやに至る」

とある。竹丙

に着

いた

のは四月十

二日

から、耳梨山

の東に泊

つたと

いふのは、そ

の前日十

一日であ

つたらう。手紙

は旅行直後に

した

めたも

のであるだけに、

この句が四月十

一日ごろ八本附

近でよまれた

ことは確

かだ

と見て

よい。

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124俳 旬 評 稷 上

されば

こそ初案

は上五に夏

の景物

たる時鳥

をよんでゐる

のである。藤

の花だ

けでは春

季とな

て、四月中旬

の吟

に相當

しない。

 永

い日も暮

れかけて來た。も

う歩き

つかれて足も進

まない。

こらで宿

を借

らうと思

ひなが

ら、

                   

   

たそがれ

と見るとそ

こに藤

の花が嘆

いてゐる。薄紫

の花が黄昏

の色

の中

におぼ

つかなく喫

いてゐるさま

        くたび

が、さうした歩き草臥

れた旅人

のも

のうい情

に、そ

のまま渾然

と融

こんでしま

ふ。さうして

の句が生

まれた

のである。 

『笈

の小交』

には句

の前

に、旅

の具はなる

べく簡略

にと思

ひながらも

やはりどうしても携

へねばなら

ぬも

のがある

ことを述

べ、「いと黛脛弱く力

なき身

のあと

ひかふるやう

にて、道なほ進まず

、た

い物

うき

のみ多

し」

つてゐる。そ

つかれとも

の憂

の情を抱きながら、今宥

の宿

を求

めてやれやれとほ

つと

一息したやうな時、門

のほとり

に垂

てゐる藤

の花

の黄昏

の色は、ま

ことに族

の心にしみ入るやうに感ぜられた

であらう。

                   

                 

む  へ  も  ヤ  う

 初案

は上五が手紙

の通

「ほと

曳ぎ

す」

であ

つた。 『三珊

子』

にも

「此句始

はぽ

玉ぎ

す宿借

る頃やと有り。後

直るなり」

とある。最初

は發

句として

の形式

通りに、當

の景物

よみこんだ

のである。けれど族

つかれた芭蕉

の心を、まつ動

かしたも

のは藤

の花

であ

つて、時鳥

ではなか

つた。少くとも時鳥

は從

であ

つたにちが

ひな

い。初案

のままでは焦

點がぼやけてし

まふのである。

れで

「草臥れて」

と直した

のであ

つた。する

とま

つたく春季

の句

にはな

るが、芭蕉が宿借る

ろに感

じたも

のは、時鳥を待

つ初

の情

よりは、藤

の花

に對

する晩

の夕

の旅

愁であ

つた。改案

によ

つて

ここに芭蕉

の最初

の感

じは、は

つき

りと焦點

を結

んだ

のである。それは

「雪薄し

白魚

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触騨^聖ぜ    縁 骸篭嘱翫魁癌》 一を    魎←"蜘呼』

松 尾 芭 焦125

き事

一寸L

の上五を

、後

「曙

や」

と直

した

のとま

つたく同じ

である。

しかも

これを紀行

に收

に當

つては、やはり當

の問

題を顧慮

しな

いではをれな

つた。そ

こで漠然

と春季

の句

の中

へ出

したのである。それを芭蕉

の作爲と

して難

ずる

のは當らな

い。實際

の時期が初夏

であ

にせよ、そ

こに暮

の情

より多く感

得さ

れた場合、暮

の旬

として吟じ出す

のこそむ

しろ文

の虞

であり、またそれを

一般

の俳諧

の約束

に從

つて、紀行

の春

の句

の聞

に出

した

のも

、芭蕉

としてはま

ことに適當

な處

置であ

つた

らう。

 

『桃青翕

句彙』

『白氏文集』

「紫

ノ花

ノ下漸

ク黄昏」

の句

と、貫之

「君

にだ

にとはれ

でふれば藤

の花

たそがれ時も知らずぞありける」

の歌

とを引

いてゐる。 『白氏文集』

一句

はい

かにも

この旬

の典據

にふさは

しく思

はれるが、

これは春

の盡き

るのを惜

しんだ詩

で、草臥

れて

族情

とはま

つたくちが

ふ。

のみならず藤

を黄昏

に愛

するのは、ひとり白氏

のみではな

い。貫之

のほかにも黄昏

の藤を

よんだ歌

は多

い。あ

の薄紫

のぼんやりした色が

、夕方

の光線

の中

に最も

美しくなが

めら

れるから

であらう。 

『徒然草』

「藤

のおぼ

つかなき

さましたる」

とある

のも、

ふに夕方

の藤

の花

㊥感

じを

とら

へた言葉

であらう。そ

して

『泊駘集』

の詞書

「藤

の覺束

なく

喫き

こぼれ」

とあり、猿

雖宛

の手紙

「な

ほおぼ

つかなきたそが

れに」

と言

つてゐる芭蕉は、

の句を口ず

んだ時

、やはり

『徒然草』

一節を思

ひ淨

かべてゐた

にちが

ひな

い。

           

こも     ど

   

愚瑠啣

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126俳旬 評 蹕 上

 

おなじく

『笈

の小文』

の族中大和長谷寺

での吟

である。夜

は朧

に霞

んだ

まま更

けてゆく。も

                    

くつ

參詣

の人も

とだえたらしく、遠

い廊

下を渡

る履

の音が

かすかに聞

えるだ

けである。本愈

のみあか

しが淡くまたたく。

と、堂

の隅

にひそ

やかに經

を誦す

る聲が

する。

おほかた參籠

の入

であらう。

それもただ人ではな

い。都あたり

の貴人らし

い氣品

は、そ

の讃經

の聲

にも身

じろぎ

のけ

はひにも

ぜられる

のである。

芭蕉はそ

の籠

り人がどう

いふ人であらう

と、

ほの暗

い堂

の隅をゆ

かしげ

つと見まも

つてゐた。

かうした情景

を想

ひ淨

かべさせ

る句

であ

る。初

の觀音

とい

へば

、昔

ら都

の上臈たちも

んにお詣り

した。清少納言も

ここに籠

つた夜

のさ

まを、『枕草

孑』に美

しく描

いてをり、『撰集抄』には西行法師が故郷

の妻

にあ

つた悲

しいあ

の劇酌

な話を鯨

へてゐ

る。芭蕉

の隅

の參籠者

に對

して

、おそらくさう

した昔物語な

を、

心に描

いてゐた

であらう。

「籠

り人ゆ

かし」

いふのは

、現實

の入に寄する情

いふより

は、

この古典的な幻影をな

つかし

む意

を多く含

んでゐる◎

   

                

にしがう

 

『笈

の小文』

の族

中吉野川

の上流.四河で

よんだ句。西河

一に大瀧

とも

いひ、吉野川

の水が急

                

む む

をな

して流

れる所

であ

る。國語

のたき

といふのは本來

さうした

急瀬激淪

いふ

ので

、瀑布

ふのではな

い。句

「瀧

の晋

といふのも

、ざあざ

あと流

れ落

ちる瀬

の晋

であるゆ 「歡

るか」

もかは疑問

でなく

、詠嘆

の意と見ねばならぬ。すな

はち

「散

るかな」また

「散

るや」

といふに同

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松 尾 芭 蕉127

        

                         

         

いのであ

るが

、この場合

「散

るや」

とすれば單

なる詠嘆

であ

のに…對し

「散

るか」

とすればか

が疑問

にも詠嘆

にも用

ひら

れる助詞

であ

るだけ

に、も

つと複雜な昧

はひが含ま

つてく

る。

この句

        

      

の意を

一と通り

に解釋すれば、

かは詠嘆

とす

るほかはないであらう。

しかし實

は詠嘆

とも疑問

つきり

したも

のでなく

、詠嘆

の中

に疑問

の餘意をも

つてゐ

るとでも

いふべきも

のである。

一、

  

て に は                                           ぴ

の天爾…波

にも芭蕉

の彫心鏤骨

の苦心が

あることを看過

してはならない。

 

靜…かな山

の陜

であ

る。岩

に激

する水

の音がそ

の靜

かさ

をゆるが

すやうに聞

える。喫き亂

れた岸

        

        

こぼ

の山吹

は、風もな

いのにほろほろと零

れ散

る。

「ほろほろ」

といふ言葉

に、黄色

い小さ

な花片が

群が

つたやう

に散

るさまが想

はれる。芭蕉厦蹟

の自畫

讃に

「岸

の山吹

とよみけむ吉

野の川

上こそ

みな山吹な

れ。

しかも

一重

に蹊き

こぼれてあはれに見

え侍

るぞ

、櫻

にも

をさく

るまじき

や」

と詞書を添

へたも

のがあ

る。 「岸

の山吹

とよみけむ」

といふのは、『古今集』の貫之

の歌

「吉野川

の山吹

ふく風

に底

の影さ

へう

つろひにけり」

をさす。今も

このあたり

は山吹が多

い。山吹

は八

よりも

一重

の方がはる

かに風情

の多

いも

のである。そ

の嘆き

こぼれたさま

は櫻

にもを

さをさ劣

らな

いと芭蕉

は言

つてゐ

る。そ

れがあた

りの靜

かな空氣

を搖がす

やうな水聲

の中

に、ほろほろと

つてゆくさま

に芭蕉

は暮春

の興趣

を深く昧

つた

のである。散

つた花片

は水

に淨

かんで、たち

まち遠く流

れ去

るのも

つたらう。九十

の春光も

かう

して盡き

よう

としてゐるのだと

いふ感懷も

        

        

のつからそ

の中

に含

つてゐ

る。

かは前

にも読

いたご

とく

、瀧

の音

のた

めに散

のであらうか

と疑

つた

のではない。

それだ

と理智的

な読明

の句にな

つてしまふ。

しかもまた瀧

の音

と山吹

の散

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128{非有}書李釋1二

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

の間

つて

因果

な關

ので

る。

 

 

 

ちム はム                          き   む

 

 

 

 や

はり同旅中

の吟で

「高野」

と前書があ

る。吉野

の花

を見た芭蕉

は、そ

れから高野山

に登り、

              

 くわんぶつ    ホ

和歌

の浦

で行

く春

に追

ついて

、灌

の日は奈

へや

つて來た。そ

して須磨明石

まで遊

んだ

ので

つた。

この句は高野山

の吟.で、行

基菩薩

が高野でよ

んだ

と傳

へる

「山鳥

のほろほろと鳴く聲

聞けば父

かとそ思

ふ母

かとそ思

ふ」

の歌を

ふま

へた作

であ

る。故郷

で臍

の緒

に泣

いた芭蕉が

、高

野ー

特に

この靈場で、

しきり

に亡き父母を戀

ふ情

に堪

へな

つた

のは、さも

つた

であ

らう。

 

 

 

 

 

 

 

ぬ        うしろ     お

 

 

 

 

これも

おなじ族中

の作

で、貞享

五年

(元祿元年)

四月和歌

の浦

から奈艮

へ向か

ふ途中で

の吟で

           

 ついたち

ある。早くも今

日は四月

の朔

日にな

つた。も

う夏

に入

つたのであ

る。家

にあれば衣

更をすべき

であるが

、旗中

のことであるから、重ね

てゐた着物

一枚腕

いでハそ

れを風

呂敷

包など

にして後

に背負

つた

といふのであ

る。更衣

の行事

をかう

して無造作

にすま

せてしま

ふ族

の生活を、むしろ

輕く

興じた心も

ちが

ある。 「年暮

れぬ笠着

て草鞋

はきながら」

『野ざ

らし紀行』中

の吟

で、こ

れは自

らあはれむ情

を強くう

つた

へるも

のが

あり、そ

れだ

け感慨

も深

いかはりに、か

へつて旅

安佳

しき

れな

いやうな焦躁

を感

ぜさせる。

ところが

この旬

になると、も

う芭蕉

の姿

は族

の中

に渾

O

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と融け

こんでしま

つてゐる安

かな落

つき

か見

る。

これはま

つた図

この兩度

の族に

おける芭蕉

の心情

の反映

であらう。前

の旅

では芭蕉

は確

かに

一つの焦躁

をも

つてゐた。そ

れは彼

が日本文藝

として

の俳

の意義

に對する新し

い自覺

のもとに、そ

の實踐

を族

に期

する悲壯

な決意

からも

たらされたも

のであ

る。後

の族

ではす

でに芭蕉

はみご

とに彼

の自覺

を、實際

の作品

の上に表はす

ことに成功

てゐた。そ

して今は安ら

かな心で更

にそ

の自覺を深

つつ、中世文藝

の傳統

の中

に求められた理念

、、新しく俳

の世界

に顯現

ようとしてゐた

のである。 

『笈

の小

丈』

の旅中

の作

には、さ

うした芭蕉

の心

の落

つき

と深

さとが

おのつから感

ぜられる。

     

       おん  め     しつく

   

、 

これも

『笈

の小文』

の旅

の句。芭蕉

は四月八日

に奈良で

ここかしこの御

に詣

で、そ

れから

      

      ちり  

   

    

   

    

   

    

   がんビんわめやら

  大和

の竹内村ー1門人千里

の郷里

ーi-を訪ね

て行

つた。

この句

はそ

の途中唐招提寺

で、鑑眞和爾

  の御像を拜

した

とき

の作

である。紀行

の本交

には

「招提寺鑑眞和術來朝

の時

、船中七十餘度

の難

      

                    し

  を

しのぎ給

ひ、御

目のうち潮風吹き入

りて、途

に御

目盲

ひさ

せ給

ふ奪像

を拜

して」

とある。和爾

芭尾 

は唐代

の名僭

で、天甼勝寶

六年わが國

に渡來

して招提寺

の開基

となり、天甼寶

字七年

七十六歳

松  入寂

した。そ

の渡來

に際

していかに多く

の苦難

を凌

いだ

かは、『唐大和

上東征傳』に詳

しく傳

へら

  れてゐる。

つひには明

をさ

へ失

ふに至

った

のであ

る。ただ

『東征傳』

によれば前後

五度

の難…に

鵬  邁

つた

ので、七十餘度

いふ

のは芭蕉が何

か誤

つた

のであらう。

しかしそれはどうでも

よい。た

ぞ μ鼕

れズ

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130俳 旬詳 繹 上

だ芭蕉

はたびたび

の苦難

にも屈

せず

つひに初

志を貫

いてわが國

に渡

つた和倚

の勇猛

心に、深

激を

おぼえた

のであ

る。そしてそ

の盲

ひた奪像を拜

して、

かう

した思

をのべた

のであ

つた。

 

から爽や

かな若葉

の色

は目もさめるやう

であ

る。

この若葉

の新鮮

な線

の色

に對

して

、芭蕉

を靜

かに瞑

つた愈像を仰ぎ見ながら、そ

の御目

の雫

を拭

いて爽や

かにしてあげ

いと思

つた

であ

る。それ

はいかにも幼

い願

ひのや

うで、しかも切なる實感

であ

つた。 「若葉

してし

「若葉

を以

て」

と解す

る説もあ

るが

、それでは單

なる説明に近く、著

の清爽

な色

から動

かされた感

が出

てこな

い。や

はり

これは

「若葉

するし

いふ動詞

と見

なければ

ならな

いっ

のみならず

、もし

「若葉を以て」

の意ならば、も

つと穩當

「若葉も

て」

いふ言語

がすぐ

邏ばれる

のだ

から

、特

「若葉

して」

など

といふはずが

い。

 

芭蕉が唐招提寺

に詣

でた

のは偶然

の機縁

であ

つた

のかも知

れな

い。し

かし開山堂

に盲

ひた御

を拜

した時

、芭蕉

にと

つてはそれは偶然

とは

へな

い氣

がした

にちが

ひな

い。

いま自分

は風雅

實踐

に、わつ

かに自信あ

る安

らかさ

を得

てはゐるが

、わが…進む

べき

一筋

の道

は決

して安易なも

ではあり得な

い。幾多

の苦難が

そこには豫

想される

のであ

る。たび重な

る難

に邁う

ても初志を屈

せず

つひに戒律

の教

へを日本

に傳

へた鑑眞

和省

の大勇猛心が

、芭蕉

にはわが身を鞭

つも

ののご

とくにも有難く感ぜ

られた

であらう。

 筆

は昨年

の六月

六日、唐招提寺

の鑑眞忌

に詣

でて和荷

の御

像を初

めて拜した。開山堂

のあた

h・はちやうど青

の色

が美

つた。御

は乾漆

であ

るといふ。長

い年月

の間

の塵が

こま

かく積

ぶ≠

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つて煤び

てゐ

るが

、御目

の窪

んだ所だけ

は汚

れないで白く殘

り、ちよ

つと寫虞

の陰畫

のやうな感

じが

する。御顏

はむ

しろ無表情

に近

い温容

であるが

、御

のあたりには不

退轉

の決

意が

ほのかに

示さ

れてゐる。

そして閉

ぢた御

の縁

に描

かカた睫

毛には、たし

かに

一滴

二滴

の雫

が宿

つてゐ

のである。芭蕉が拜

した

のは奠晝

であ

つたらう

か、それ

とも夕方であ

つたらう

か。

とにかく随毛

のあたりに

は、いま自分が眼前

にしてゐ

るやう

に、かす

かな光線が

一二點

の陰影

をかた

ちつく

てゐた

のであらう。ま

ことにそれ

は御目

の雫

であ

つた。そ

して筆者

は堂

の中

にぬかつ

いてゐる芭

の姿までを

、は

つエざり

と想

ひ淨

かべることが

でき

たQ

   

たこ  つぼ

   

松 尾 芭 蕉131

 

『猿蓑』・『笈

の小交』など

に出

で、「明石夜泊」と前書が

ある。 

『芭蕉翕全傳』

に附載

した

「翕

在京猿錐

への返書」

によれば

、四月十

九日に尼

ヶ崎出般

、兵庫

に夜泊

したとあるから、明石に泊

つた

のは二十日の夜

であらう。

               

 明石

あたり

では今も蛸壷

で蛸

を漁

つてゐる。芭蕉も

ここに

一夜

を明かした折

、蛸壷

を海

に沈め

るさまを實

見したのであらう。

明日は海

から引上げ

られるのも知

らず

、蛸

は壷

の中で

はかな

い夢

を貪

つてゐ

る。そ

れが

はかなく

明ける短

い夏

の夜

の月の趣

と逋

つて、

ここに芭蕉

の詠

とな

つた

              

む        ぴ

のである。 「はかなき夢

ウこ

のをは下に受

ける言葉が

ない。 「見

るらむ」、「結

ぶらむ」

といふや

うな言葉が略

された形

ではあるが

、それをは

つきりさう

ときめてしま

ふ必要

はな

い。む

しろかう

ξ

~劉

冖ぞ警

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132俳 旬 評 釋 上

ぼんやり言

ひまはした

ところに

、蛸

のは

かなさと夏

の月

のはかなさとが

一句

の中

にかす

かな

しかも複雜な關係で結

つけられるのである。

これは

一種

の俳

諧的修辭

であ

つて

、普通の交法

律す

るわけ

には行

かな

い。         .

 

この句

『曠野』・『泊船集』・『笈日記』・『青莚』・『渡

し舟』・『初蠅』・『菊

の香』・『雀

の森』

どの諸集

に出

で、芭蕉

の作中

でも

あまねく知られたも

のの

一つである。元祿

元年

の作

。岐

での

吟である。 『笈

日記』

によれば鵜飼を見

よう

と夕方

から人

々に誘

はれ、稻葉山

の木蔭

に席

を設

て盃をあげ

、そして

                    

 

あゆなます

  

どと興

じた後

の作

であるといふ。そ

して

「鵜舟を通り過

る程

に歸

るとて」

といふ前書が

ある。

         う がひ

すると句意

は最初

は鵜飼

の面白さ

に興じ

てゐたが

、やが

て夜も更

け人も散

じ、鵜舟も通

り過ぎ

ほどにな

つた

ので、歡樂極

つて哀情多き感

にう

たれたとい

ふのである。

 

『徒然草』

に祭を本當

に見た

といふのは、そ

の祭が果

てたあとの淋

しい大路

のさまを見てこそ

いひ得

ることだ

といふ

一節が

ある。

この句

はさう

した兼好

の心境

一脈似

かよ

つた

ところがある。

かがりぴ

篝火

の光も次第

にまばら

にな

つて、鵜舟

は室

しく流

れすぎ

て行く。

つき

まであ

の木

蔭でうち興

てゐた心もち

をふり

へつてみて、今

の淋

しさは何

といふ變

りかたであらう。ああ、面

白うて

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やが

て悲しい世の中

であるわい。芭蕉

は目の雨

に流

れ行く鵜舟

を見

ながら

、低く

この句

を口ずさ

んだ。

 な

『菊の香』

には

の句

、また別

「此旬晋子が所持

の翕

の自筆

には」

とあ

つて、

「面白う

てやが

てなかる

瓦鵜

ぶねかな」

とあけてある。 「なかる

㌧」

「泣

かる

玉」

で、そ

れを

「悲

しき」

と案

じか

へたも

のであらう。 「悲しきし

はあまりに・王觀的

な敍

しかただ

といふ評

あるが

この歡樂

から哀情

に移

りゆく

心境

は、やはり

「面

白5てやがて悲しき」

といふ方

に深

ぐ味

ははれる。そして最後

「鵜舟哉」

で(眼前

の景

を黠

じて、論

明的

な主觀

の單

調さから救

      

      

      と                  せつしやろ

れてゐる。

また

これを解

して、鵜が魚

を捕

る面

白さから、たちまち殺生

の罪

に思

ひいたり、その

しみをのべたのであるとする人も

あるが

、それ

こそま

つたく説明的

つまらな

い俗解

であ

る。

  

かけはし                      つた

   

松 尾芭 蒸133

 芭蕉

はこ

の族

から

の歸途尾張

に立寄

つた。そ

して折

から仲秋

のころであ

つた

ので

、門人

の越人

 

   ざらしな

を誘

つて更科

の月を見

に出

かけ

ること

にした。そ

の途中

の吟で

ある。木曾路

の嶮岨なさま

『更

 

      

       

      

    

ざんだう

科紀行

の中

に詳しく記され

てあ

る。そ

の名高

い木曾

の棧道

に、蔦

かづらが危く纏

ついてゐ

る。

 芭蕉

と越

とは

一歩を誤れば溪流

に陷

る難所を

、こはこ

は傳

ひ行く

のであ

る。命

かぎ

とから

ついてゐる

のは菖

であ

るが

、そ

れは二人

の心本

ちそ

のままであ

つた。芭蕉

の句

には、かうし

た自然

の景物

の中

に、彼自

の心を

とら

へたやう

な作が多

い。

これを下手

にまねる

と主觀

の露出

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134俳旬 評 糶 上

にすぎ

ない月並

に墮す

るが

、芭蕉

の句

の妙昧

はま

たここに想到

しなく

ては得られ

ない。

   えい  りよ           にぎは              には  かまど

   叡

 越人

の撰

になる

『庭竈集』(享保

+三年+月)の卷頭

に出

てゐる。越人自

ら言

ところによれば、

彼が

、往昔芭蕉庵

に旅寢

した

ころ、ー

それは元祿

元年秋

、芭蕉

に侍

して更科

の丹を見、江戸

いた時

のこと

と思

はれる。ー

ある日其角

・嵐雪

・擧

白ら數

人が集

つて雜談

の末、支那

の聖

君賢臣

の話が翫

た。

こで越

人は

「我が

の本

にはなき事

にか

は」

と言

ふと、芭蕉

は直ちに

「い

なや、我が國

の賢き

君まめなる臣、他

の國

になじかは劣

べき。さらば句

のよしあし

は知らず

ひ出

で粭

へ」

と勸

めたので、

一座

の人

々が

おのおのわが國

め聖

・賢

臣を題詠

する事

にな

つた

のだ

といふ。

この句

はそ

一つである。

  

仁徳

天皇

   

高き屋

にのぼりてみれば

との御

の有難

さを、今もな

と題

してある。

すなはち仁徳

天皇

の御仁政

をたた

へ奉

つた句である

 句

はいふまでも

なく仁徳

天皇

の御製

と傳

へられる

「高き屋

のぼりて見れば烟立

つ民

のかまど

は賑

ひにけり」

によ

つた構想

である。庭竈

は民聞

に行

はれる正月

の親儀で

、庭

に新

しく竈を設

け、

の周圍

一家

の人

々が團欒

して、酒を飮

み餅

を食

つて樂

しみ遊

ことを

いふ。西鶴

『世間胸

算用』卷

「奈良

の庭竈」と題

した

一節

には、「差引

つぎ

りに奈

良中が仕舞

うて、

はや正月

の心、

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δ

松 尾 芭 蕉135

  

      

    

かなび                                  らくゐ

々に庭ゐうり

とて釜

かけ

て燒火

して、庭

に敷物

してそ

の家内旦那も下人も

一つに樂

して

、不

の居聞は明け置ぎ

て、所

ならはし

とて輪

に入れたる丸餅を

、庭火

にて燒

き食

ふも賤

しからず

くさなり」

と見える。旬意

は解

るまでもなく明ら

かであるが、

このやうな賑

やかな民

のさまも

つたく仁政

の餘

澤である

と、皇恩

のありがたさを詠じたも

のであ

る。それ

は過去

の史實

つい

て詠

じた

のである

と同時

に、芭蕉自

ら元祿

の御代

の皇恩を深く思

ふ心を

のべたのであ

つた。そ

に題詠

以上

の實感がある。

 

「高き屋

に」

の歌が實

は天皇

の御

製でなく

、藤原時平

の日本紀竟宴

の歌

である

ことは、す

でに

江戸時代

の學

者に

よつて指摘され

てゐる

とほりで、『芭蕉旬解參考』にはそ

れに

ついて詳

しい考説 

がある。し

かしこの誤り

ははやく新古今集時代

から傳

へら

れてゐ

るぐら

ゐで、芭蕉

のころには天

の御

一般

に信ぜられてゐた

のであ

る。芭蕉も勿論そ

のままに信

じてゐた

ので、旬

の解釋

はさう

した誤簿など

は別

に問題

とす

る必要

はない。

  

 ふゆ  こも

  

 冬

 

これは

『曠

野』

の他

の諸書

に出てゐる。去年

の冬

は旅

で過

したが

、今年

はこ

の草庵

に冬籠

をす

ることだ。

つも自

分が

寄りかか

る癖

のあ

一本

の柱

、今年もま

たこの柱

によりかか

つて冬

を暮

らす

ことかなあ。さう呟きながら

しみじみとそ

の柱

を撫

る芭蕉

の姿が想

はれる9

「寄添ふ」

といふ言葉

に十分

の親

しさ

と懐

かしさ

とが含

まれてゐる。

この句を

よむ

と、芭蕉

の靜

蕚糞

顎鼕

素瓷

♪螽

妄ー

詠龍

裂毳

塾ジ

㌔ー妻

c

藁豪

.

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膏羣㎎

136俳 旬 評:驛 上

かな心も

ちが

   うもれ  ぴ

   

 

 

 

 

 

 

 

 

つか

てく

るゆ

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

訟日

 『曠野』

に「ある人

の追善

に」といふ詞書が

ついてをり、また・『笈

日記』

に收めた

『瓜畠集』

「少年を失

へる人

の心を思

ひやり

て」

と詞書が

ある。 『瓜畠集』

は岐阜

の人落梧

が、貞享

五年・

夏芭蕉をそ

の亭

に迎

へ、「山

かげ

や身

を養

はむ瓜畠」の吟

を芭蕉

から得

ので、

これに因

んで撰ば

と志

した集

である

、成

るに至らず

して元祿

四年落梧

は歿した。そ

の未定稿

のままを

、支考が

『笈

日記』

の中

に收

めた

のである。

なほ

『笈

日記』

によれば

、芭蕉

は別

に落梧

が子供

を失

つた

を悼

んで、

  も

の吟が

あり、やはり貞享

五年夏

の作

であら

と支考

は言

つてゐる。隨

つて

この埋火

の句も

、おそ

らく

の年

の冬

、江戸

から追善

として逶

つたも

のであらう。句が元祿

二年

『曠野』を初

とす

のから見ても、貞享

五年

(元祿元年)作

と考

へられる。

 

埋火

は爐

など

㊧灰に埋めた火

である。亡き皃を憶うて落

ちる涙

に、埋火も滄え

るほど

であ

ると

いふ

のであるが

、それだけならば

一種

の誇

張した

いひかた

で悲

しみを表現

したにすぎな

い。下五

「烹ゆる晋」

の晋

に張

い慟哭

の情

が籠

つてゐ

るのであ

る。そ

の涙

の烹え

る晋までも聞く

ところ

に、作者

の深

い悲しみをチ

つた

へるも

のがあ

る。ただ埋火を滄す涙ならば誰

にも言

ひ得

る。

しか

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し、かす

かな音

を立てて埋火

に滲

みこ

んでゆく涙

までを

とら

へる

のは、容易

に至りが

たい境地で

ある。そ

こで埋火

ぬつの情景

として生き

てくる。句

は芭蕉自ら亡ぎ兒

の父た

る落梧

の身

にな

て、親

の悲痛

な心情

を想

ひや

つた

のであ

る。

かの

「塚も動け我が泣く聲

は秋

の風」

と同じ趣

の旬

                          

で、烈

しい感動をそ

のままに表

はしてゐる。 「滄

ゆや」

のやは語

法上からは疑問

の助詞

と見られ

るが

、この場合

はも

ちろん詠嘆

の辭…である。

                       

ひな

   

松 尾 芭 蕉;137

 

『奧

の細道』冒頭

の句

として膾炙

してゐうが

、こ

の句

はなほ

『笈

日記』・『泊船集

』など

にも出、

『笈日記』

には

「昔

この叟

の深川を出

るとて此

の草庵

を俗

なる入にゆづりて」

と註

してゐる。ま

    

マぢ

集』

には

「はるけき族

の塞思

ひや

るにも

、いさ

Nかも

心にさ

はら

むも

のむ

つかしければ、

日頃佳

みける庵

を相知

れる人

に讓り

て出

で絵。

の人

なん妻

を具し娘

孫など持て

ば」

と詞書があ

る。

これは元文

二年刊

『世中百韻』中

の詞書

によ

つたも

ので

一句

の解釋上

には

いに參考

とすべき文言

である。

             

だうそ こん                       ゆセ

 芭蕉

は元祿

二年

の春

、また道祗禪

のまねき

にあ

つて、門

人曾

良を

ともな

ひ奧

の細道

の旅

に上

た。

この句

はそ

の紀行

の最初

に、

  佳

める方

は人

に讓

り、杉風

が別

に移

るに、

とい

ふ本文

から

つづいてゐる。すな

はち芭蕉

は旅

に立

つ前

、深川

の草庵

を誰

かた

つて、

一時

3

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138俳 旬 評 繹 上

杉風

の別莊

に引移

つてゐたも

のとみえ

る。芭蕉

のあ

とに引越

して來た人

は、『一葉集』によれば妻

や娘

の家族

が大勢

ゐたら

しい。 『笈

日記』

にも

「俗

なる人」

いつてゐる。

とにかく芭蕉

のや

うな世捨人ではなか

つた。そ

こで

この句が

よまれたわけ

であ

る。

 

「草

の戸」

は草庵

いふに同じい。 「佳み

かはる代」

は佳

みかはるべき時世時節

であ

つて、時

の意ではない。

一句

は、肖

分が住

みふるしたわびし

いこの草庵

ですら

、や

はり住

みかはるべき

は來るも

のだ。し

かも今度

の新し

いあ

るじ

は自分

のやうな世捨人

ではない。妻も

あり娘もあ

のだ

から

、折

から雛

のころ

である

し、今ま

でのわび

しさ

とは引換

へて、華

やかな雛人形

なども

飾られるだらう

といふのである。住

みかはるべき人も

ある

まいと思

ぱれる草

の戸

にすら

、…變替順

の時が至

ることを嘆

じ、しかも奮

の枯淡索莫

であ

つた生活

に比

して、新

主の華・やかな

るべき

さまを對

した

のであ

る。

 

の細道を註釋

した

『菅菰抄』

の中

に見え

一説

に、芭蕉

のあと

へ雛商人が移

つて來

たので、・

          

いれぽこ

み主

の交替

を、雛

の納箱

に雛

を入

れか

へる

のに比

した

のだとい

ふが、「雛

の家」をさう解

する

は、鏡

を納

れる箱

を鏡

の家

、秤

を納

れる箱

を秤

の家

などといふ例

に從

つた

のであるが、雛

のいれ

のを雛

の家

とい

つた用例

はないから

、言葉

としてすでに無理

であり、また

一句

の解

もそれでは

白く

ない。

            

  

な      うを

   

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煙  な撚唖『 ドw「 ・ミ』曝唖驚ド絶Wド.    価醜

松 尾 芭 蕉139

 

この句

『奧

の細逍』

を始

め、『鳥

の道』・『泊船集』・『安逹

太郎根』など

の諸書

に出

てゐ

る。芭

      

      

      

      

やよひ         あけがた

蕉が

いよいよ奧

の細逍

の旅

に出で立

つた

のは、元祿

二年彌

生も

の七日

の曉方

であ

つた。膂

から

      

      

   ぜべ

集ま

つてゐ

た親

しい門友

たちは千佳ま

で舟

に乘

つて邊

つて來た。そ

こで

舟を上

つて芭蕉

は人

々と

      

      

      

 

まらべっ な

最後

の別

の言葉

を交

はした。句

はそ

の時

の留別

の吟

である。

    ちまた

  ぼろし

 

の巷

と思

ひ捨

てても

、さすが

に前途

三千里

の思

ひには、胸も塞がり涙も

おのつ

から湧

いて

      

      

 ゆ

のであ

つた。折

から春も逝

かうとしてゐる。筌

に飛ぶ鳥

、水

に遊ぶ魚も

、何

となく春

の名殘

を惜

しみ悲

しんでゐるやうである。

さうしてそ

の魚鳥

の情

は、やが

て芭蕉自身

の別離

の悲

しみに

ふも

のであ

つた。

 

h魚

の目は涙L

といふやうな、

一見技巧的な表現を用

しかも離別

の現實感が

そくアへ

々と入

を動

かす

のは、自然

の情

と芭蕉

の心

とがぴ

つたりと合

つてゐる

からであ

る。留ま

る者を

に比

し、行く者

を鳥

に喩

へた

のだ

といふ説

もあるが、作

の意中まつさう

した比喩

的觀念

が存

して、これを

一句

に表

はした

のではな

い。

ただ離別

の悲

みを、そ

のまま魚鳥

の情

に託

した

ので

ある。

なほ

この句

の趣向

の基

づく

ころとLて、杜甫

の詩句

「時

二感

ハ花

ニモ涙

ヲ濺ギ

、別

ヲ恨

ンデ

ハ鳥

ニモ心を驚

ス」

『古樂

府』

の「枯魚

ヲ過

テ泣

ク、何

ノ時力還

ッテ復

タ入

ン」

傘官菰抄)

などをあげ

たり、また

『古今集

「なき渡る雁

の涙

や落

つら

んも

の思

ふ宿

の萩

の露」(錦江、『奥

の細道通解』)

などが引かれたり

してゐ

るが、それら

の出典

は單

に參考

にとど

めるべき程度

のも

ので、芭蕉

の句が直接

それらをふま

へて成

つたも

のとみるには及ば

ない。

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~ー

耋耄

140俳 句 評 釋 上

た ふ

 

『初蝉』

にはこ

の上

五が

「たふとさ

や」

とな

つてゐる。別案

であら

う。芭蕉行脚

の當時高久角

左衞

のために書き殘

した眞蹟

によれば、

   日光山

に詣

  あ

ら た ふ と .木 の 下

も 日 

の 光

とあり、これが初案

であ

つた。 「木

の下闇」

はすなはち遠國邊境

を比喩的

に表

はしたので、さう

いふ隈

々までも恩澤が届く

といふ意。

 甘

の東照

宮に詣でて

の吟

である。も

しこの事實を知らな

いで、率然

としてこの句

に對

したな

らば

、讃者は

おそらく菁葉若葉

に照り輝く初夏

のまぶ

しい日の光

を、眼前

に想

ひ淨

かべるであら

う。

それは新鮮

なし

かも莊

嚴な自然美

である。

この景

に對

して、

いきなり

「あら

たふと」

とう

出した言葉

に、深

い感激

が籠

つてゐる。初

の自

然を讃美

した句

として、まことにすぐ

れた作だ

と感

るにちが

ひな

い。

しかしこれを

『奥

の細道』

「今

この御光

(家康

の威

光)

一天にかが

きて恩澤

八荒

にあふれ云

々」

とい

ふ本交

から

つづけて

よんでみたなら

、單

に純粹

な自然禮讃

の作

のみ受け取る

ことはでき

ない。

一方

、曾良

『隨行

日記』

によ

つてみても、

この日

は終

日曇天

で、實際

に日

の光

を拜

めたかどうかも疑問

であ

つた。

いはんやそ

の初案

「木

の下闇も

の光」

であ

つたとすれば

、こ

の句を芭蕉が制作

した動機

は、ま

つたく家康

の威徳

をたた

へる

のにあ

つた

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噌    嘔轡阻『 f  静極智  "  脚乳ヅ  町 w   ,ド蹄▼、〒躍 "㍗            '4岬鮒剃            w      幣 朝    ∵噛  r冨}    ボ厂町四μ糖 岬    鰍 【  韓  が'潭囎 ㍗

松 尾芭 蕉141

ことは明ら

かである。そして少く

とも右

の初案

のままであ

つたなら、畢竟そ

れは淺

い觀念

な旬

                   

ゆ                                 ひざまづ

としてより以

上には評價す

ることが

でき

なか

つたであらう。

しかし芭蕉が

日光

の廟

四邊

のすがすが

しい初夏

の自然

に對

したとき

、彼

の心

に湧

いた敬虔

な感激

は、決

してさうした觀

ム芯的

のも

のではなか

つた

のだ。

 琶

蕉が

「木

の下闇も」

で滿足

できな

っ距理由がそ

こにある。も

とより

「青葉若葉

の」

とよみ

へたと

ころで、東照宮

讃仰

の意

を籠

めてゐ

ることに變

りはない。

しかしそれ

はも

はや

「木

の下

闇」

で天下

の蒼生を説明

したやう

に、

一つの道具

立てとして用

ひられたも

ので

はな

かつた。四表

に光被

する家康

の威徳が

、そ

のまま青葉若葉

に照

り輝く

の光

の莊嚴

さと感

ぜられ

るのである。

すな

はちこ

の場合

、偉

人讃仰

の情

と自然禮讃

の念

とは、ま

つたく

一にして

二でな

い。

この句

にお

る芭蕉

の創作態度

は、こ

の純

一な心境

に求

めら

れねば

ならぬ。だ

から

こそ何

心もなく

この句を

よんだとき

、人

はまつ自然禮

の力

を強く感

し、それが家康

頌徳

の意

を籠

めたも

のだ

と知

つても、

表現

に何ら

のいや

みも感じな

いのである。

 

この句

のごとき

は技巧的

な句

ともい

へるであらう。 「日

の光」

を兩樣

にき

かせた點

など

は、な

るほど技

にちが

ひない。だが

の技

巧は天衣無縫

の境地

に至

つてゐる。

これを技

の旬といふ

ならば、まさに技

の至極至妙

なるも

のであらう。

          

つはもの

   

出 許陛炉噂 二

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142俳 句 辞 釋 上

      

      

      

       

   

はかが

 たかだち

 高館

の吟であるQ夏草

の上に笠

うち敷

いて低徊顧望、功

の儚きをあ

はれみ榮華

の塞

しきを

嘆じ

て、冷

たい涙が頬

に傳

はる

のを拭

はう

とも

ー.・ない芭蕉

の姿

、そ

れは

『奧

の細道』

の本文

に盡

くさ

れてゐる。

 句

は目前

に茂

る夏草

を見

て、ここに奮戰

した兵

ども

の昔

を想

ひや

つた

のである。義

臣すぐ

つて

      

      

      

     

くさむら

この城

に籠り戰

つたが

、運拙く

して敗

れ、功名

一時

とな

つてしま

つた。ま

こと

に思

へば

の榮耀も

一睡

の中で

、往時茫

々只夢

の如

しであると、深く古

へを想

ひ今

を嘆じてゐ

る。

 

この句

は、紀行

の本交

にも

かり用

ひてゐる杜甫

の詩

「國破

レテ山

河在

リ、城春

ニシテ草木深

シ、

二感ジ

ハ花

ニモ涙

ヲ濺ギ

、別

ヲ恨

ンデ

ハ鳥

ニモ心ヲ驚カ

ス、烽

火三月

二連

リ、家書萬

鴨{抵

ル、白頭

掻ケバ更

二短

シ、渾

テ簪二

ヘザラ

ント欲

ス」

と同工異曲

であるが、趣

よほど異な

      

      

      

そお               タ

てゐる。杜甫

の詩

はひたすらに感傷

の涙

を濺

いでゐるが

、芭蕉

はすべてを

「夢

の跡

」と觀

じ去

た安ら

かさが

ある。だがも

とよりそ

の安ら

かさは、芭蕉

が時

つるまでも落

した涙

に、

一杯濡ら

されたも

のであ

つた。

五 月 

雨 

の 

て や 光 堂

 

この句に

ついては二樣

の解が

下される。

一は降り殘すを塞間的

に解す

るのと、

一はこれを時聞

に見

のとである。前者

に從

へぽ

、折

から五月

の室薄

暗く、

四邊

は濛

々としてゐ

る聞

に、

とり光堂

のみが

、金碧燦爛

と人

の眼

を奪

つてゐる。五月雨

ここだけ

は降り殘

して

かう明

るく光

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ρ

松 尾 芭 蕉143

つてゐる

のだらうかといふ

のである。また後者

に從

へば、中霹

の大部

はすで

に頽廢

してしま

てゐる

のに、光堂

のみが

かうして今まで殘存

してゐる

のは、幾百年

の五月雨も

ここだ

けは降

り殘

した

のだらう

かといふのである。

 右

の二解

いつれも通ず

るやう

であるが

、こ

の旬が

眼前

の帥景

を主とした

のでなく、懐古

の意か

ら發

してゐ

ることは、紀行

の本文

によ

つて明ら

かである。既

にしかり

とすれば、當然時聞的

に解

る説に從

いρ

「四面

新たに圍みて甍を覆

ひて凌

ぐ。暫らく千戴

の記念

とはなれ

り」

といふ

のは、光堂

のみが幾春秋

の風雨を凌

いで

、暫らく千戴

の記念

として殘

つたことをい

                

む む

のである。が

「降殘

してや」

のてやは過去

に對

する詠嘆

に外

う。

『奧

の細

道』

一異本である河西本

に、

この句

の初案

として

「五月雨

や年

々降

て五百

たび」

と見

えてゐる

こともYかう

した解を支持

するも

のとい

へる。

なほ時聞

・室聞兩樣

の意昧を含

んでゐるとする読

あるが、それもむ

しろ徹底を缺

いてゐ

る。

五月雨

ぱただ當季

の景物

によ

つて、幾年

の風雨

を代

表させただけ

であるQ

   

しづ

   

   

 りふしぐくわ

 羽前

の立石寺

に詣

でて詠

んだ句

である。紀行

の本文

には

「山

の堂

のぼる。岩

に岩を重ねて

とし、松柏年舊

り土石老

いて苔滑

かに、岩

の院

々扉

を閉

ぢて物

の晋聞

えず

、岸を

めぐり岩を

ひて佛閣を拜

し、佳景寂莫

として心澄み行

のみ覺ゆ」

とある。

塵寰を離れ

た山寺

の境内

は寂

   

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144俳 句 評 釋 上

としてしづまり

へつて、物膏

一つも聞えな

い。ま

ことに心も

澄みゆく

やう

な思

ひが

る。折

からそ

の寂莫を破

つて蝿が鳴き

出した。芭蕉が

この寺

に詣

でた

のは舊

五月

のことだ

から

、まだ

のころである。蝉

の聲・と

つても眞夏

のやうに喧

しく鳴き

たてた

のではな

い。

おそらく

はた

一匹

の皹

であ

つた

のだらう。けれども

とにかく全山

の靜けさはそれ

で破ら

れたのであ

る。

しか

もそれは決

して靜

けさを

かき亂

すも

のではなか

つた。

つと耳を傾

けてゐる

と、そ

の彈

の聲

はこ

の靜寂

の中

に融

けこんで、やがてそ

こら

の古び

た大きな岩

の中ま

でしみ入

つて行

くやう

に感ぜら

れる

のである。

 

この旬

の境地は

かの名高

い古池

の旬

一脈相通ずるも

のが

ある。

いはば靜中

の動

とら

へて、

同時

に動中

の靜を感得

せしめるも

のであ

る。

さうした境地は、例

へば漢詩でも梁

の王籍…の

「蝿噪

   イヨく

テ林

カナリ、鳥鳴

キテ山更

二幽

ナリ」とか、杜甫

「春山

二俘無ウ

シテ獨

リ相求

ム、伐

々トシテ山更

工幽

カナリ」

など

の旬

にも

よまれてゐる。芭蕉も

これら

の詩句

は知

つてゐたで

あらう。けれども勿論

この句

は漢詩

の翻譯

ではな

い、やはり芭蕉

の深

い觀

から生ま

れた句

であ

           

                 

ぬ  も

る。

さう

して

「しみ入る」

といふ

一語

に、古池

の句

よりも

に細

みに徹

した心境が見ら

れる。な

この旬は

『初

嬋集』

など

には

「さびし

さや岩

にしみ込む嬋

の聲」

と出てをり、

これが初案

の形

であ

つたと思はれる。も

より…淋

しいとも感じら

れた

のであらうが、「閑

かさや」と

いふ端的

な表

を芭蕉は最後

に邏

んだ

のである。また

「しみ込む」

より

「しみ入る」

の方が、

一筋

に深

めら

てゆく靜

けさが感ぜられる。

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,

麟鎌 磐鷲 灘 櫓齢 嘸 翻撫   彎 『囀 脚㍗ 蕗酬 鞭{翠 蝉'㍉ 〃酒聯 脚 鞭

松尾 芭蕉145

 

この句はも

と最上川

の河港

大石田

の高野

一榮

のも

とで催

した歌仙

一卷

の發旬

で、か

の地

に殘

れた芭蕉

の虞蹟

には、中

七が

「集

めて涼

し」

とな

つてゐる。また

『伊逹衣』・『雪丸げ』など

にも

   

む む

同じく涼

しといふ旬形

で出

てゐる。すな

はちそ

れが初案

の形

であ

つたのである。芭蕉が最初

大石

で最

上川

を眼前

になが

めた時

、兩岸

の青葉

の色を映

して滔

々と流

れる水

いかにも涼

しげ

であ

つた。

一榮

の句筵

に臨

んだ芭蕉

は、さうし

た感じをそ

のまま旬

にした

のである。それは或は

から川をなが

めや

つた景

であ

つたかも知

れぬ。

さうすれば

「涼

し」

に亭主

に對す

る挨拶

の意

含ま

つてゐ

たわ

けであ

る。

とにかく初案

では最あ川

に對

する涼

しさ

の感

じが主であ

つた。

とこ

ろが

いよいよ川舟

に乘

つて最上川

を下

つてみる

と、『奥

の細

道』の本文

                 

      

ご てん はやぶさ

  

上川

はみちのく

より出

でて山形

を水

上とす。碁縮

・隼

などと

いふ恐ろ

しき難所

有り。板敷

  

の北を流

れて果は酒田

の海に

入る。

  

左右山覆

ひ茂

みの中

に舟

を下す。

これ

に稻

つみたる

をやいな舟

といふならし。

白絲

の瀧

は青

  

の隙

々に落

ちて、仙人堂岸

に臨んで立

つ。

水みなぎ

つて舟危し。

とあるや

うな景情

である。折

から

の五月雨

に水嵩

を塘した大河

の流れは、ま

ことに見

る目も危

ほど

に早

い。

かう

した景情

に對じ

ては、も

はや

「涼し」

など

といふ言葉

では蠱く

されない。

ただ

のまま

「早

し」

といふ外

はな

いのである。さうし

て再び

この句が成

つた。

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146俳 句 評 繹 上

 

「涼し」

「涼

し」

でまた岸

を浸して流れる最上川

一景情

をとら

へ得たも

のにちが

ひな

い。

れどもそ

れはいはば最

上川

のある

一部

の寫

生にすぎ

い。庄内

の山河

に降りそそぐ雨を集

て矢

のご

とく流

れて行く大河

、そ

の全體的

な豪壯

な感

じはやはり

「早し」

といふ端的な表現

にま

たねばななら

つた

のである。だ

から

「涼

し」

「早

し」

とでは旬

の焦

點がま

つたく異な

つてゐ

る。形

の上から

へば單

一語を改

めたも

ののごとく見

えるが

、實

はま

つたく別箇

の感じ

から生

まれた句

である。も

とより最

上川

の大觀を

とら

へた

「早

し」

の方が

、句

として遙

かにすぐ

れてゐ

ることは

いふまでもな

い◎

   

きさ

解挺

 

 

 

 

せい

 

 ね

   

西

 

 

 

  

.

      

つぐお しふ

 句

の形

『繼尾集』・『陸奥千鳥』・『ねぶ

の雪』

などには

  きさ  がだ             せい  も      ね   ぶ

  象

西

と傳

へられてゐる。そ

の方が句意は聞

えやす

いが、「や雨

に」の含蓄

ある敍

法が

、むしろ縹緲

とし

た句趣

にふさはし

い。

 象潟

の景

は紀行

の本文

にも

「恨

むが如

し」

いつてゐるが、

しかもそ

の雨中

の趣

はさながら西

                     

も                 ヤ  ゐ

施が惱

んで眠

つてゐるやうだと

いふのである。眠を當季

の景物合歡

の花

にいひかけてある。そし

ここ

へ特

に西施をも

ち出

した

のは、本

文にも

いてゐる蘇東坡

の詩

「水光瀲艷

シテ晴偏

                       

             フタツ

シ、山色朦朧

トシテ雨

モ亦

ナリ、若

シ西湖

ヲ把

ッテ西

二比

セバ、淡粧濃抹兩

ナガラ宜

シカ

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かけことま

ソ」

とあるをふま

へた

のであり、また合歡

の花

は掛詞

であ

るが

、お

のつから花葉

の容姿が女性

.

な美

しさ

としをらしさとを持

つてゐるからである。大體技

巧的

な句

であるが

かう

した故事古

典など

をふま

へて、しかも知識的

な興昧

のみに終始

してゐな

い。雨

に模糊

たる象潟

の景趣

が彷彿

して淨

かんでく

る。合歡

の花も技

巧的

にも

ら出

しただけでなく

、き

つとそ

こらに険

いてゐた

であらう。そ

してそ

の雨

に濡

れた花

の感

じが

、し

つく

りとこ

の情景

に合

つてゐるな

と芭蕉は思

にちが

ひな

い。

                      

あま

   

蝉鄲 扉

松 尾 芭 蕉147

 

これも

よく知られ

た句

で、元祿

二年七月

の作であ

る。紀行

を記

してあるが

『風

俗文選』

には

「銀河

序」

と題した文章

とも

に出てをり、な

ほ他

にも若干

の異同あ

る詞書が

うたも

のがある。

いま

『柴橋』(正興撰、元祿

十五年刊)に收

めた詞書冖を引

かう。

  越後

の國出雲崎

といふところ

より、沖

の方十八里

に佐渡が島見ゆ。東西

三十里餘り

に横折

  

したり。昔

より

この島

は黄

金多く湧き出

でて、世にめでたき島

にて侍るを、重罪朝敵

の人

  

の遠流

の地

にていと恐

ろしき名

に立てり。折節初秋

七日

の夜

、霄月入り果て

て波

の音

とう

  うと物凄

かりけ

れば

とある。 

「銀

河序」

の方

はもう少

し詳

しい。そ

れら

をあはせ讃めば、當

時芭蕉

が眼

のあ

たり

にな

めや

つた風景も

、またそ

の風景

に…對して催さ

れた悲愁

の情も

、十分

に昧

ふことが

できる

であ

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轡㌧

罫 灘"執F獅w冫羅可雪  ヒ吻 轟 』・

148俳 句 静 釋L

うQ

 

出雲崎

の旅舍

に宿

つた芭蕉

は、しば

の旋愁

を慰

めようと窓

を開く

と、海上十八里め

かなた

佐渡が島

はかすかに黒く横たは

つてゐる。折

がら日はすで

に海

に沈

み、月

はほのぐらく、銀

河は

牛天

に白く

冴えて、沖

の方

からは波

の音が絶

えず聞

えてく

る。思

へば

この島は黄金を産

するめで

い地ではあるが

、古

來多く

の人

々が遠流

されて、幾

の哀史

を祕

めた

ところである。

 

芭蕉

の胸

には

『太李記』

から承久

のいく

さのさ

まなども

いろ

いろ

と想び淨

かべられた

ことで

あらう。 「銀河序」

には

この窓

の光景

に對

して、「魂削

るが如く

腸ちぎれ

て、そ

黛うに悲

しび來

れば草

の枕も

定まらず

、墨

の袂何故

とはなく

て絞

るばかり

にな

ん待る」

と記してある。

一句

に描

出したところは、ま

こどに雄渾

な天地

の大景

であ

る。わつか十七字

の聞

にかうした大景

を敍

た手腕

は驚嘆

に値

し、またこ

の句が人

々に膾炙さ

れる所以もも

つぱらそ

の點

にかか

つてゐる。

れども

「荒波

や」

といふ初

五は、ただ

北海

の荒波

を大きく描き出

しただげ

の文字

ではな

い。そ

の中

にはこの荒海

の果

てに多く

の哀話を殘

した人

々に對す

る悲

しい思

ひが籠

められてゐる

のであ

る。雄渾

の中

に悲愁

の情がある

ことを忘

れてはならな

い。

 

この句

については、「横た

ふ」といふ措辭…に關

する語法

の破格

と、銀河

は出雲崎

から佐

渡に横

はるやう

には見えな

いといふ地理上

の矛盾

とが論ぜられ

てゐる。語法

からは勿論

「横

たはる」

と自動詞

を用

ひる

のが

正し

い。しかしそれでは字餘

りにな

つて語勢がゆる

んで

しま

ふ。

かう

した

場合語法

上の破格など

は、あ

る程度ま

で許さ

れねばならな

い。さ

ういふ考

へかたが今

日ではほ

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松 尾 芭149

んど常識化

してゐる。そ

れはそ

れでよ

い。

かし芭蕉

した語法

や修辭

を考

へた結果

、「横

たはる」

のかはり

「横

たふ」

とした

のではな

い。

これは自然

に芭蕉

の口に淨

かんだ言葉

つた

のである。語法

上から許さ

れようが許

されま

いが

、芭蕉

とつて結局

「横

ふ」

とよむ

より外は

つたであ

らう。

それだけに

これは拔き差

のならな

「横た

ふ」である。

いはば問題は語法

論以

上のところにあ

る。

また地

の實際

はなるほど句とちが

つてゐる

のかも知

れぬ。

しかし

「銀

河牛

天にか

乂りて」(銀

河序)といふ景觀

は、事實そ

の方向

は出雲崎

の町

に甼行

して流

れてゐたに

せよ、作者

の心

には

「佐渡

に横

たふ」

と思はず

にをれな

い感銘があ

つたにちが

ひない。そ

れは

の詩境

である。も

はや地理

の事實

における銀河

の方向

のご

とき

は、多く問

ふに足り

ないのであ

る。

のみならず

最近世に知

られた曾良

『奧

の細逍

隨行日記』

よれぽ

、芭蕉が出雲崎

に泊

つた

のは七月四日

のことで、七日

のことで

はな

い。しかるに詞書

には

「初秋

七日の夜」

とあ

る。尤も

日と明記

したのは

『柴橋』だ

けで、『風俗支邏』・『雪丸げ』竝び

に芭蕉奠蹟

の詞書など

には、七

といふ明

らかな言葉

はない。だが

『奧

の細逍』

には、「交月

や六日も常

の夜

には似ず」の

一句

,次

いで

この句

を掲げ

てあ

り、暗

に七日

の作

たることを示してゐる。これはま

つたく芭蕉

の作

爲な

のであらう

か。

のほか

にも

『奧

の細道』

と曾良

『隨行

日記』

とを對比

すれば

、かうした

一見

芭蕉

の作爲

に類

した點

はなほ指摘さ

れる

のである。

ある人はこれに

よつて、芭蕉

の丈藝

における

虞實性を疑

はう

とする。け

れども事實

と作品

とのかうした齟齬

は、作品

の賃實

とは何

の關

する

      

      

ところもな

い。詩人が詩

に痩

せるのは、彼

の作品が事實

のまま

に語ら

れてゐるか否かではな

い。

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150俳 旬 評 釋L.

の感得

たも

のに深

い眞實性を與

へる

ことである。

ここにいはゆる虚

と實

との問題があるQ

   

わ  せ     か                      あり そ うみ

   

海.

    

    

   

    

   

    

   

    

    

   

 な ご

 

『奧

の細逍』中

の句

で、そ

の他諸集

にも、しばしぼ採録さ

れてゐる。芭蕉

は越中

の那古

の浦ま

    

    

   

    

   

   

た こ

で來

て、そこから萬葉集

などに

よまれた藤

の名所擔籠

を訪

はう

とした。

ところがそ

こは宿貸す家

あるま

いと入

に言

はれて、やむなく直ちに加

の國

に入る

ことにした

のであ

る。紀行

の本文

に.

は  擔籠

の藤浪

は春

ならず

とも初秋

のあはれ

とふべきも

のを

と入

に尋

ぬれば

、これ

より磯傳

ひし

  

て向

の山陰

に入

り、蟹

の苫ぶき

かすかなれば

、芦

一夜

の宿

かすも

のあるまじ

と言

ひおど

  さ

れて、加賀

の國

に入る。

とある。

一本

「越中

に入

て」

と前書が

ある

のは誤りである。芭蕉

は越中

の伏木あたり

から西

て加賀

に向

ひ、卯

の花山附近

を經

て倶利伽羅越

の舊道

をたど

つた

のである。そして

この句

は伏木

から高岡方面

に向

つたあたり

の吟

であ

つたらう。そ

こからは句

のご

とく右手

に有磯海が望ま

れ、前途

には越中西部

の田野が廣く開け

てゐる。

 有磯海

はも

といふまでもなく普通名詞

であ

るが、『萬葉集』によまれた大俘

家持

の歌などから、

伏木

から氷見あたり

へかけ

ての海岸

一帶

の稱

とな

つた。古

來越中

の歌枕

として名高

い。芭蕉

はこ

れからいよいよ加賀

の國

に入らうとする。折

から早稻

の穗

はやや色づ

いて、

一望萬頃

の黄金

の波

Page 151: 馳 、 Puwazura.cocolog-nifty.com/blog/files/ebara_haikuhyosyaku...足 か花雨 に りに や 鱒梅 目 る くて 鯱影 ひ野 くの 絡哉專花 て 醉で 見竜へ上 え結る下

をうた

せてゐる。そ

の中を分け入

つて行く

と、右手

には遠く有磯海が

秋晴

の筌

の下

に輝

いて見え

る。まことに開濶

な、また雄大な景色

であ

る。 「分け入

る」

といふ言葉も

、先き

の見通

しが

つか

ないほど稻田がず

つとつづ

いてゐるさまが思

はれ、

ひろび

うとした感

じを強

める。

『三珊亭』

よれば芭蕉

この句

について、

  大國

に入

つて句

いふ時はそ

の心得

あり。都

に名ある人加賀

の國

に行き

て、く

んせ川

とかい

      ド

  

ふ川

にてご

りふむと

いふ句あり。た

へ佳句

とてもそ

の位を知らざ

ればな

り。

と言

つたといふ。これは百萬

石と

いふやうな大國に蜀

しては、名所を配する

にもそ

れ相應

に世

えた歌枕

のど

つしりしたも

のを

よまねばならぬ

。人も知らぬ小さな川や山を

よむ

のはふさはし

いと

の教

へであらう。都

に名

ある人

の句と

いふのは、ど

んな句であ

つた

かわから

ないが

、成r

程く

んせ川など

いふ川はちよ

つと知

つた人はな

い。それが

一旬

とし

てはた

とひ佳旬

であ

つても、

加賀

といふ大國

の氣分

を表

はすことは到底

でき

ない。そ

の點

芭蕉

のこの旬

のご

ときは、ま

ことに

大國相應

の雄大な氣分

を+分

に表

はしてゐる。名

の用意

がそこに十分窺

はれる

のである。

松 尾 芭 蕉151

   

 

これも名高

い句

であるが、

しかも

その意

を誤解

してゐるも

のが少く

い。そ

の誤解

の基づく

ころは、・も

つぽら

「つれなく」

いふ語

の本

の意

に注意

る。

この語

『奧

の細

道』

「難

面」

といふ漢

字をあ

ててあ

る通り、元來物

に對

して無感

情な

ことを

炉ふので、「夲氣レ

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蠶鼕

152俳 旬 澣驛 上

    

    

ふう                   の

とか、「そ知ら

ぬ風な」とか譯す

べき語

であ

る。そ

こでこ

の旬意

は、も

う秋が

つてゐる

のに、

はそ

れもそ知

らぬ顏

で、相變

らず赤

々と照

つけてゐる。し

かしさすが

に季節は爭

はれな

いも

のだ

。何

といつても吹く風

つばり秋

しいといふのである◎

 

これを單に赤

い汐日

の影

に、秋風

がも

のさびしく吹

いてゐる景色

とし

て解

する

のは、前

に述

たご

とく

「つれなく」

の語

に不注意なた

めであ

る。いはんやこれを蓼太

のご

く、「暮秋

の風姿一

言外

にあり」(芭蕉

句解)など

と評

するのは、ま

つたく見當

ちが

といはねばならぬo曾良

の遺

稿

『雪丸げ』

には、

    

      

       

      さすが

  

旅愁慰

めかねて、物憂き秋も

』至りぬれば、流石目

に見えぬ風

の晋

つれも

いと

黛しくなる

  

に、殘暑

なほやまざりければ、

とある。また

『句選年考』

に下野國長門村長島嚢左衞門

の所持してゐた藁蹟だ

とし

てあげ

てある

のには、

    

      

       

      

     

かるかや

  

にはさやかに見

えねども

といひけん秋

つけしき

、すすき苅萱

の葉末

に動き

て、いさ

製か

  

昨日

にかはる室

のなが

めあ

はれなり

ければ

と前書があ

つた

ふ。右

の冒頭

の文句が、『古今集』に

「秋

つ日よめる」

て出

「秋來ぬ

と目

にはさや

かに見えねど本風

の晋

にぞ

おど

ろかれぬる」

の歌

によ

つてゐることはいふ

までも

い。

これらによ

つても

この句が初秋

の吟

であることは明らかであ

る。殘暑

なほやまな

い聞

に、

はやくも秋風

の音

に驚

いた旅愁

の情がく

みとられる。また

「赤

々乏」

といふ中

に、 興書

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の光

といふよりも

、何

となく夕

日の照り

へすさまが感ぜ

られる。

これは

いはゆる言外

の餘情

あらう

 

一説

この句

の解

として

  須磨

は暮

れ明石

の方はあ

か/\

と日は

つカなくも秋風ぞ吹く

                         

   

ニむ

いふ歌を引

いてあるが、も

とより信ず

るに足

りな

いも

のであ

る。芭蕉

は自ら

この句

を好

んでゐ

           すすき

のであらう

か、數本

の薄

を前景

として向う

に赤

い大き

な日を描

いて、

この句を題

した自豊讃

虞嘖が

一一三存し、また麦考

『國

の華』

によると美濃

の光清

といふ俳人も芭蕉

のこ

の句

の畫

讃を

秘藏してをり、『和漢文操』に收

めら

れた

「賛秋風像」

の秋風像

といふ

のも

、やはり

この句

の畫讃

であ

つたらしい。

松 尾 芭 蕉153

   

    な た もら

 加

の那谷寺

の吟6 q.奥

の細道

の書き

かたで

は小松

から山中

に赴

く途中

詣でたやう

に思

れるが、曾良

の日記

によ

れぽ山中

に着

いた後

、八月

五日に北枝

とふたりで詣でた

とあ

る。那谷

西國

三十三所

の觀音

一し

よにしたといはれる寺

で、全山

石が多

い。

 

また近江

の石山寺も

三十三所觀晋

一で、名

のごとく

石山である。旬

はそ

の石山寺

の石よりこ

の那谷寺

の石は

一暦白

々とし

て、そ

こに秋風が冷

やか

に吹

いてゐると

いふのである。

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154俳 旬 評釋 上

  は

蛤き  り

一 ふ一 た

見 み

別 れ

 

『其袋』・『後

の族』・『泊船集』・『類柑子』など

の諸書

には

「二見

へ」

とある。牛歳

の餘

にわ

る長

い行脚を終

へて、元祿

二年

の秋もな

かば過ぎ

たころ、芭蕉

は門人

たちに迎

へられて美濃

の大.

 

      

      

      

いとま

に入

つた。そしてそ

こで旅

の疲れを休める暇もなく、ま

た伊勢

の遯宮を拜

まう

と、舟

に乘

つて

々と別

れた

のである◎

この句はそ

の留別

の吟

で、『奧

の細逍』の本文

はこの旬で絡

つてゐる。

 

「蛤

の」

は、蛤が

二見

の名物

であ

り、また蓋

のいひ

かけ

から

二見

の枕詞

のやう

に用

ひてあ

る腱

「別れ行

く」も

.「行く秋ぞ」

と下

へいひかけとな

つてゐる。全體

に言葉

の技巧が主

とな

たやうな作

であるが、

さすが

にさうした技

巧から來

る不自然

な破綻

を示してゐな

いゆ無事

に長途

の族

を終

へて門人

たち

に迎

へられ、今度

は輕

い氣も

ちで再び人

々に別

れて行く

心安

さが

、お

のつ

から句

の申

に見

える◎

 

      

      こ  みの

 

  初

 

この句

『猿舞師』・『泊船集

』な

ゐる◎

また

『卯

辰集』

には

「伊賀

へ歸

る山中

て」、芭蕉

の眞蹟

には

「あ

つかりし夏も過ぎ悲

しかり

し秋もく

れて山家

に初冬

をむ

へて」と前書

がある◎

 

『猿薹』卷頭

の句

で、集

の名

の基づく

ところであ

る。芭蕉

は伊勢

の邏宮

を拜

して

一旦故郷

の伊

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松尾芭欝夏55

に歸

つた。そ

の歸る

途中

の吟であると

いふ。淋

い山中である。

ハラ

ハラと落葉

をう

つ雨

、初時雨が降

つてき

たのだ。ふと見るとそ

この岩鼻

か木

の枝

に、小猿

が雨

に濡

れなが

ら寒

さう

にしよんぼりしやが

んでゐる。芭蕉はちよ

つと驚きながら立止

つて、そ

の猿

をぢ

つと見

つてゐ

た。

「おお、お前も蓑

でも欲

しいんだな」、やが

て芭蕉

は憐

れむやうな、ま

た親

しむやうな

口調で

さう呟

いた。芭蕉

の情

はこ

のとき猿

の情

へ、号

のまま移

つて行

つた

のである。

 其角

『猿蓑』

の序

の中

  我が翕行脚

の頃伊賀越え

しげる山

にて、猿

に小蓑を着

せて俳

の紳

を入れ給

ひければ、忽

   、πんちやろ                    おそ

  

ち斷腸

の思

ひを叫び

けむ。あ

たに懼

るべき幻術

なり。

と感嘆

してゐる。寒雨

に狐猿

を配

する情景

は何人も想

ひ及

ぶと

ころであらう。し

かしそ

の猿

に小

蕘欲

しげな情を寄

せた㊨は、まことに俳諧

の眞趣

といふべく

これは和

歌や漢

詩など

の至り得

境地

に、物

のあ

はれを深く

とら

へてゐる

のである。と

の句

を卷頭

として、蕉風

の圓熟期

を代表

『猿薹』が編纂

されたのも、決

して偶然

ではな

い。

   

こ      もと            な す

   

 

『ひさご』・『華摘』・『泊船集』・『木

の本』・『古今短

爨集』など

にはかくあり、『渡

し船』・『浪花

置火燵』.『陸奧

千鳥』

など

には

「木

の下

は」

とあ

る。花見

の句

であ

る。…樹下

には緋

毛氈が敷

かれ

てある。折

から花

は繽粉

と散

りかか

つて、提

重箱

の汁も膾

も櫻哉

である。 『三珊子』

によると.

"

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156俳 旬 評 蹕 上

芭蕉

は自ら輕

みをも

つてこの旬を

した

とい

つてゐる。ま

ことに花見

る心

にふさ

はし

い輕

さと朗さ

とを持

つてゐる。快

い響きをともな

つた句である。

      

      

     ぜ ぜ  ちんせせ

 

『ひさご』

にはこれを發句

として、膳所

の珍碩が

  西

と脇を

つけ、以下曲

と三吟

の歌仙

一卷が興行され

てゐる。

この脇句

は發句

ののんび

りした明

い氣もちをうけ

て、

よくそ

の餘情

を發揮

してゐる。

   

し   まう                                こま

   

・花

.

 洒堂

・正秀共撰

『白馬集』(元緑

+五年刊)や

『流川集』・『今日

の昔』など

では下

五が

「鳰

波」

とな

つてゐるが、『卯辰

集』・『泊船集』にはかうあ

る。 「鳰

の海」

は琵琶湖

の異稱

である。

    

      

      

     しやらくだう

の句

『ひさご』

の撰者

たる珍碩

(洒堂)の居、洒落堂

の眺

望をよんだ

ので、元來

「洒落堂

記」

いふ交章

に添

へた作

である。 『白馬集』

に載

せるそ

の文を

よめぽ、實

はおのつ

から眼前

に淨

かんでくるであら

う。

    

      

      

    ゐ

  

山ほ

にして性を養

ひ、水

は動

いて情を慰す。靜動

この聞

にしてす

みかを得

る者有り、濱田

    

      

     つく            とな

  

氏珍夕と

へり◎目

に佳境を盡し、口

に風雅町を唱

へて獨りをすまし、塵を洗

ふが故

に洒落堂 

    

      そみノへ

  

いふ。 (中略) 抑

おも

のの浦

(膳所)

は勢

・唐

崎を左右

の袖

の如く

し、海を抱

いて三

  

上山

に向

ふ。海は琵琶

のかた

ちに似

たれば松

のひ虻き波を

しらぶ。比叡

の山

、比良

の高根

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樋野嚇 …累照 、㍗欝 鬢瓢、鮮 マ 瓢 誇癬 勢 憩蒭『静1噸.噸欝 劉饗 鯉 驪、

松 尾 芭 蕉157

               

            

ながら

  

乂めに見て、音羽

・石山を眉

のあ

たり

にな

ん置けり。長柄

の花を髮

にかざ

して、鏡山

は月

  

はよそ

ふ。淡粧濃

の日

々にかはれるが如

し。心匠

の風雲も亦

これになら

ふなる

べし。

               

           

ながら

 

すな

はち勢多、唐崎

、三上、比叡

、比良

、晋弱

、石出

、長等

、鏡山

と、湖

をとり卷く

四方

の花

、す

べてここに吹入

れら

れて、波

に散

り淨

かぶ大觀

を敍

したのであ

る。

「四方

より」

とか

「吹

れて」

とか、思

ひき

つたいひ方

ころ

に、大きな眺望が眼前

にひら

けてく

る。

『千載

集』

の古歌

「櫻険

く比良

の山風吹くま

Xに花

になり行く志賀

の浦浪」(左

近申將

良經)の趣

に似

て、

に雄大である◎

   

ま           しひ                なつ  こ  だち

   

     

げんぢうあんのき

 名

「幻住庵

記」

の終

に添

へた句で動る◎すな

はち元祿

三年

の初夏

のころ、芭蕉が湖南

幻佳庵

に入

つて、しばらく旋杖

とど

めた時

の吟である◎句を解する

にはまつ

の記

の文

一讀

せねぽならぬ。

               

    まぼろし  すみか

  賢

愚文質

の等

からざるも、

いつれ

の栖たら

やと思

ひ捨

エふしぬ

といふ最後

一節

から、

この句

つづけて味

ふと、芭蕉が

この椎

の木蔭

に身を寄

せようとする

心境が

一層

よく

わかる。族

から族

と世を捨

て果

てたやうな境

界に身

を置

いた芭蕉も

、ここにしば

し草鞋

の紐

を解く

べき草庵

を見

つけて、やれやれ

これでまつ當

分身

を寄すべき蔭ができたわ

い、

さう

した安らかな、し

かし淋

しい心もちで、芭蕉

は漆、の木蔭

に身を寄

せたのであ

る。

"

忘峯

・'

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卜鬣

寧婁

'拶遵

158俳旬飜釋 上

 

の句

『源氏物語』

の椎が本

「立ちよら

んかげ

と頼

みし椎がも

と塞

しき床

になり

にけるか

な」

の歌

によ

つたり、頼政

「のぼる

べきた

よりなけ

れば木

のも

とに椎

を拾

ひて世

をすご

す哉」

の歌

に基づ

いたため、特

に椎

の木

を持

つて來た

のだなど

と解

ては、ま

つたく句め本意

を誤

る。

さう

いふ歌が

どこか

この句

の背景

にな

つてゐると

いふのならよ

い。し

かしそ

んな歌

をふま

へたた

めに、椎

の木

を逍具

立てに用

ひた

のではな

い。芭蕉

はやはり草

のほ

とり

に茂

つてゐる椎

の木

て、「先

づ頼む」と深

い感懐

を洩ら

したのである。今

も幻佳庵

の故址を訪れ

たなら

、昔

を想

はせ

やうな椎

の木

立を見出だ

すであ

らう。そ

こで

この句

を誦

してみるが

よい。風雅

一筋

にたよ

て、しばらく

ここに身

をよせようとした芭蕉

の風懷

がし

のばれる

にちが

ひない。

   

をむ  かサ     よ  さむ

   

 

『猿

燹』

には

「堅田

にて」、ま

『横李樂』

には

「堅田

にふしなやみて」

いふ前書が

ある。ま

『枯尾花』

の芭蕉翕終

焉記

にも

「心

のどめ

て思

一日もな

かりけ

れば

、心氣

いつしか

に衰減

して、病

ム雁

のかた田

におりて旅

ね哉

と苦

しみけ

ん」

とある。

 江州堅田

にあ

つて、病中

の吟

であ

る。落雁

で名高

い堅田に族寢

て、折

から病

に臥

した自分

を、

に喩

へたのであ

る。 『去來抄』

によれば

『猿蓑』撰、集

のとき、

この句と同じく芭蕉が堅田

でよ

んだ

  

あ  ま    や    こ え  び

  海

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W

いつれを入集

べき

かに

ついて、撰者

たる去來と凡兆

との聞

に議論があ

つた。去來

は病雁

をと

 

       

      

もふ

り凡兆は小

海老

にまじる

いとど

に執

し、結局、网旬

とも入れ

ることにした。そ

の後

芭蕉

これを聞

いて渦「病雁

を小海老などと同じ事

に論

じけり」と笑

つたといふ。小海老

は帥興

の旬で深く案

じ入

つたわけではなか

つた

からであらう。な

「病雁」

『枯尾花』

の芭蕉翕絡焉記中

には「病

ム雁」

と假名

を邊

つてあるからビ

ヤウガ

ソと晋

讃ぜ

ず、や

はり

「ヤ

ムヵリ」

と訓讃

するが

い。

 

  から  ざけ    

くう  や     やせ

 

  

松 尾'芭 蕉159

 

『猿蓑』

に出

てゐる。

また芭蕉

の藁蹟自書讃

に、

この乾鮭

の句を題して

「鉢

た鼠き

のうた」

いふ短章

を添

へたも

のがある。筌也

は雫安朝

のころ筌也上入が創

めた筌也念

のことで、俗

にい

   はちだたき                                             らく

はゆ

る鉢叩

である。十

一,月十

三日の室也忌

から

四十

八夜

の聞、洛

の丙外

を鉦

と瓢

を叩き

ながら

佛唱歌

して修行

して歩く。そ

の修行

に痩

せた塞也

の僧

と、ひからびた乾

とを

、かれき

つた塞

の感

じに配しだ

のである。

   

      

      

      

       

    

はらわた  しぼ

 

『三珊子』

による

と芭蕉

はこの句

ついて、「心

の昧を

云ひとらんと數

を絞るな

り」とい

つた

といふから

、よほど苦

心した作

であらう。心

の味と

いふのは、事物

の姿

の中

にひそむ本質的

 

ぬ  む  ち

にほ

ひであり

、象徴

である。それを

いひとる

のは11角眼で

はなしがた

い。鋭

い直觀

と深

い主觀

   

      

      

      

   

に長

い聞

の藝術的修練

、それが相

合して始

めて

この心

の昧

は昧

はひ得ら

れる。さうして生まれ

た句

は、結局字句

の説明註解を超越

してゐ

る。讚者

の方

にも

またそ

の心

の昧

1ー

象徴を十分昧

褥 」ξ'・

漣欝

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牌ー

ま蕊毳窶ー

彊毒

鰐甞野窮棄

160俳旬 評 驛 上

ふだ

の修練が

必要である。

それはひとり俳句

のみではな

い。たと

へば能

・茶

の湯

・造

・生花

それらはある意昧

における象

徴藝術

の粹

である。それは歌舞伎

芝居や西洋料

理や花壇

のやう

に、

見た者味は

つた者

には誰

にでも

わかると

いふも

のではな

い。鑑賞者もま

た創作者と同樣

の修練を

てゐなければ、本當

の鎌はわ

かるも

のではな

い。

 

                     

おき  ご  たつ

 

  

 

『勸進牒』に出

てゐて、「いねく

と人

に言

はれても、な

ほ食

ひあらす旅

のやど

り、ど

こやら塞

き居心をわびて」と前書があ

るQ 『絲切齒』

によれば芭蕉が都

に旅寢

の折

、友人竹亭

に示した句

といふ◎

 族を生涯

とした芭蕉

にも

かうした心があ

る。

それは人情

の自然

である。惡く悟

りすまさな

いと

ころ

、そ

こに芭蕉

の人聞的

な親

しみを

一暦深く感ず

る。

           まん  ざい

   

 

『笈日記』.『泊船集』.『喪

の名殘』など

に出

てゐる。なほ

『芭蕉翕全傳』

によると、元祿

四年正月伊賀で

の吟と思

はれる。山

里は萬歳が

つて來る

のも大分遲

い。そ

のころ

にはちゃうど

も盛りだと

いふのである。何

の奇もな

いやう

であるが、春がや

つて來る

のさ

へ遲

い山里

ののど

かな氣

分と、暖か

に蹊

ぎそめた梅

の花

とが

、自然

な調和

をも

つて描き出

されてゐる。

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ド   「 塾    幽一セ聴尸胴  ・脚悔・麟熔卿マ勲 寵兮 覊欝 、

松尾芭蕉161

梅 若

まり   こ     しゆく

宿

ン 汁

 

『猿蓑』そ

の他

の集

に見

えるQ

「餞乙州東武行」

と雨書が

ある。

元祿

四年

の作

であら

う。門

おとくに

乙州が江戸

にくだ

るのを邊

つた句

である。乙州

は川井氏

、大津

の驛長

で母

は智月尼

といひ、母

               

                   

はなむけ

とも

に芭蕉

に俳諧を

まなんだ

。當時芭蕉

は大津

に滯在

してゐて、乙州

の東行

に餞

した

のであらう。

 

の句

について支考

『俳諧古今抄』

に、

  道

すが

の優

遊には、梅も

あり、若楽も

あり、鞠

の宿

にはとろ

乂汁

もあらんと思

ひやりた

  

る風情

なが

ら、若菓

は植物

と食類

とに結前生後

の働

ありて、とろ

xは梅

・若

つやを崩す

  

+成

の俳

諧躰

なり。

これを三段

の曲節

と知

べし。

(下略)

               

  

くさび

と説

いてゐる。結前

生後

とはある語句

を楔

として、そ

の上下を結

ぶ句法である。

この句では

「若

蘂」

が上

には梅

と植物

つづき

、同時

に下

にはとろろ汁と食類

つづく

こと

にな

つてゐる。そ

句法

を稱

した

ので、

このことははやく

『葛

の松原』

に本

「文章

には結

前生後

の詞

へる事は、

               

                         あげつら

の若蘂

のはたらける物

ならんか」

と言

つてゐる◎しがし

これは例

の支考

のごとごとし

にすぎ

ず、

かならずしもさう

11泥

句法などを意識

して作

つた

ので

はな

い。それ

よりも

この句

の眼

目どすべき點ぽ

、むし

ろ支考が後牛に

いたと

ころ

にある。

 句意

は東海道

は今

まさに梅も綻

び、若蘂

も萌え、さうして鞠

の宿

の名物と

ろろ汁も旨

いころ

であらうと

いふ

ので、折

から

の道中

の風物

を竝

べて、乙州

の旅

の樂

しかるべき

ことを貌し

たので

騨 羅穿

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162俳 旬 詳 繹 上

                      

いう

ある。

ところ

で梅

・若

蘂はもちろん早春

の景

の尤なるも

のではあるが、そ

れだ

けならば和歌

も連歌

にもす

でにいひ

ふるされてゐる。そ

へ最後

にとろろ汁を配

したことによ

つて、初

めて

  

で  も

の俳昧が新

しく

生き

てくる

のである◎ 「とろNは梅

・若蘂

つやを崩

す十成

の俳諧躰な

り」

           

ぬ  り

はすな

はち

この謂

ひで、

つやと

は梅

・若蘂

の和歌的連歌的な美をさ

したのである。そ

れが

とろろ

の通俗と卑

近とに鑷

取されて、

ここに薪しく俳諧的な美

の境地がう

ち出

されてゐる。

しかも

ろろ汁

の通

俗卑近性は、早春

の情越を昧

ははせる美

としての本質

において、梅

・若蘂

に少

しも異

なるも

のではな

かつた。さうした通俗卑近

の中

に新

しく傳統

の美を見出だす

のこそ

、芭蕉俳諧

                                   

しん

根本精神

であ

つたのである。まことに

この句

の場合、と

ろろ汁

一句

に俳諧

の神を入

れるも

ので

つた。さ

うして

『三珊子』

には、

この句

についてまた次

のやうな芭蕉

の言葉を録してゐる。

  

の句師

の曰く

、巧み

にて言

へる句

にあらず。ふと言

ひて宜し

とあ

とにて知り

たる旬なり。

  

の如く

の句

は、叉せんとは言

ひ難

しとなり。

                           

と。これは巧んででき

る句

ではない◎李生

、心

に風

の誠

を黝

めて怠

らな

いも

のが、時

に當

つて

ふと興發

する

ままに得

た作

である。し

かもそ

こに狂

ひのない透徹

した觀照が

ある。ただうち見れ

ば事物

の羅列

、昧

つて到

れば

不盡

の妙が

ある。

          

あふ み

   

                     

ゑくうちぱ

 『篇突』・『陸奧千鳥』・『泊船集』・『襞

日記』・『目團扇』・『蝶姿』・『堅田集

』など

に出てゐる。

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鷯継鸚擁

纛飜靉~熱

↑年とも丹豫

かとも動かせない2.ある。

 

}   {脚

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4

164俳 旬 詳 繹 上

 この句

は、『己が光』・『陸奥千鳥』・『一字幽蘭集』・『花圃』・『反故集』・『曠野後集』・『泊船集』・

『東海道』

などに收

められ、『一字幽蘭集』以

の諸書

には上五が

『京

にゐて』

とある。

 ど

いふ折

か、こんな心も

ちは誰君感ず

ることである。そ

の心も

ちをそ

のまま素直

によんだ

で、非常

にすぐ

れた作

とは思

はないが

、好き

な句

である。

 

『嵯峨

日記』

の四月

二十日

の條

に見え

る。す

なはち元祿

四年

の初夏

のころ、芭蕉が去

の別墅

たる嵯峨

の落柿舍

に滯在

してゐた聞

の吟

である。中

七が

「大竹原

を」

とな

つてゐる集も

あるが、

これはま

つたく杜撰

であらう。また下五が

「も

る月ぞ」

とな

つた

のもあるQ 『芭蕉

句邏年考』

いた樗良

の説

によると、「もる月ぞ」とな

つた芭蕉

の眞蹟

も存し

てゐたら

しく、

おそらくそ

れが

 

    

   

む む

初案

の形

で、後

に月夜

と改

めたも

のであ

らう◎

 

…嵯峨あ

たり

は今も昔

のまま

の竹藪が多

い。し

かもそ

れは實際

ただ

の竹藪

ではなく

、大

の字を

けていふのが

いかにも逋切な

ほど

の深く大きな藪

であ

る。そ

の大竹藪

を洩

れて斟に月

の光がさし

ゐる。暗

い藪

の中

にちらちらと動く月影

は、

一種

の神祕的な感じ

を誘

ふ。そ

へ折

から時鳥

ご聲を殘

して飛び去

つた。さう

した實景

をとら

へた句

である。奧深…い竹藪

の隙

々にさし

む月

の光

に對する神祕的な感じと、夏

の夜

の靜寂を破る時鳥

の鋭

一聲

とが

、凄

いやうなまた夢

のやうな美

の世界を構成

してゐる。

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》つ 

きご

'嬲

:松尾 芭 蕉165

 

『嵯

峨日記』・『猿蓑』・『草庵集』・『泊船集』・『篇突』など

に出

である。「かん

こ鳥し

(閑

古鳥)

は和歌

の呼子鳥と同じも

ので、淋

しい山中

などで鳴く鳥

で、俳

諧で

は夏

の季題

にな

         くわくころ

てゐ

る。そ

の正體

は郭公

である

といふ。

 

この句

を解

するには、まつ

『嵯峨

日記』

の本交を引

かねば

ならぬ。

                            

がき

  廿

二日、朝

の間雨降る◎今

日は人もなく淋

しぎ

ままにむだ書

して遊

ぶ。其

の詞

   喪

にゐるも

のは悲しみをあるじ

とし、酒を飮むも

のは樂

しみをあ

るじとし、愁

に佳するも

   

のは愁をあるじとし、

つれみ\

に佳するも

のは

つれみ\

をあ

るじとす。

  

さび

しさなくば

うからましと西

上人

の詠

み侍る

は、さびしさを主なる

べし。叉詠

める

   山

里にごはまた誰

を呼子鳥

ひとり佳

まんと思

ひしも

のを

  

ひとり佳む程面白き

はな

し。長嘘隱

の曰く

、客

は牢

の閑

を得

れば、主は牛日

の閑を失

  

と。素堂

の言葉

を常

にあはれむ。予もまた

   う

                   

 ニ

  

とは、ある寺

に獨居

していひし句

なり。

といふのである。獨居し

て淋

しさをあるじとする芭蕉

が、

このも

の憂

いわが心を

お前

の淋

しい鳴

で、も

つと淋

しがら

せてく

れよと閑古鳥

に呼び

かけた句

である。寂

の世界

に徹

したいといふ

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魯 彜励 ・灘 。 ボ

166f戮…債〔}諮…織 上

願が見える。

「うき我」

いつた

のは、まだ本當

に淋

しさ

の世界

に佳みきらぬ自分

への不滿

あら

はしてゐる。閑古鳥

に呼び

かけた

のは、す

なはち自分自身

に呼びかけたも

のと見ら

れる。閑

に生き

ようとする芭蕉

の理想

があらはされた句

である。

           

う  も  や

 

ほこの句

は日記にもある寺

での作だとあるが、そ

の寺

いふ

のは伊勢長島

の大智院

のことで、

の細逍

の族

から歸

つた折、曾良

のゆ

かり

でしば

らく

こに滯在

したらし

い。同院

には今も芭蕉

の眞蹟だ

とい

つて、寺

での吟を傳

へてゐる◎

ただ

しそ

の句

は下五字が閑古鳥

でなくて

「秋

の寺」

とな

つてゐる。芭蕉がそ

の寺

に足を

とどめたのは秋

であ

るから、秋

季を結んだ

のは尤も

であるが、

「秋

の寺」

ではす

つかり句

の昧

はひが

李淺

にな

つてしま

ふ。それ

で大智院

に傳

へる眞蹟を否定す

る人もあるが

、ー

はか

つて大智院を訪ね

てそ

の質蹟

は見

たが

、まつ少

ともそ

の來歴だけ

信じ

てよいと思

つた。!f

かしそ

れは

「秋

の寺」

から

「閑古鳥」

と再案し

たと

ころに、

へつ

て芭蕉

の心

の進

みを見る

べき

ではなからう

か。前

にも言

つた通り、芭蕉

は非常

に旬

の推敲

に骨を

つた人

である。し

かもそ

の推敲

は新

たに作り

へるといふ

よりも、創作當時

の心境を深

めてゆ

のであ

つた。 「秋

の寺」

から

「閑古鳥」

へ、そ

こにもさうし

た芭蕉

の精禪

のあ

とは見ら

れる

ではなからうか。

           

しき  し

   

『笈

日記』・『喪

の名

殘』・『泊船集

』など

には

「色紙まく

れし」

とあるが、

これも

『嵯峨日記』

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松 尾 芭 蕉167

の句

で、

 

      

     

お ごり                            あぐ

 

.明

日は落柿舍を出

でんに名殘

をしかりけ,れば、奧

一聞

々々を見廻りて

といふ本文

につづ

いてゐる。

一聞

一聞

とあ

るから當時

の落柿舍

かなり廣

つたらし

い。

一體

の落柿舍ぽ

と小堀遠

の建てた茶屋

といはれ

、昔

はなかな

か立派なも

のだ

つたらし

い。日記

の條

にも、

 

      

       

      

 

たいば               みが

 

 落

柿舍

は昔

のある

じの作

れるま

乂にして處

々頽破す。な

かノ\

に作り磨

かれ

たる昔

のさま

 

      

       

      

    

うつぽり

 

 りも

、今

のあ

はれなるさま

こそ心と

黛ま

れ。彫

厄し

ける壁

も、風

に破れ雨

に濡

て、

 

      

       

     

ゆず

 

 奇石怪

松も葎

の下

に隱たる竹縁

の前

に、柚

の木

一も

と花

かうばしければ

 

  

 

  柚

とあ

る。……

ただ

し句

は、『小

交庫』・『泊船集』では

「柚

の花

にむ

かしを忽ぶ料理

の聞」とな

つて

}

ゐるが。ー

見廻

つた中

のあ

る部屋

には、昔色紙短艇

などを美しく貼

りまぜてあ

つた壁があ

つた

のだらう。そ

の色紙も

つの閥

にか

へぎ

取られて

、そ

の跡だけ

が薄く

にじんだやうな色

をしてゐ

る。そ

れが

五月雨

のしめ

つぼ

いも

の憂

い心、

こと

には明日

はもうそ

こを出

るといふわびし

い心も

ちとし

つく

り合

つてゐ

る。

 

      

      くちびる

 

  物

『小文庫』

に見え、「人

の短を言

ふな

かれ、己

れが長を説く事

なかれ」と

いふ前書

ついてゐる。

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.ー

  羹  ・

168摎鉾句 蓉李羅.一L

の文句

は崔

の座右銘

の句

をそ

のままと

つたも

のである。隨

つて芭蕉が

この句

に、座右

の銘

して

、自ら戒

め愼

しむ

べき教訓

の意

を寓

したことは明

らかである◎教

訓だから藝

にならな

いと

             も せい  しん

はい

へな

い。少くとも芭蕉

は自省

の箴を藝

術的表現

に求

めて

、この句を得

たのである。し

かし旬

の基づく

ところと思

はれる

「言也

牙齒

寒」(史記)のご

とき

、ただ觀念的な比喩

のまま

では、決

て藝術

とはい

へな

い。唇

に吹く秋風

の寒さが

、同時

に實感され

ることによ

つて、始

めて單なる觀

の十七字化

から救

はれたのである。とは

へ、

これ

は芭蕉も最初

から教訓

の目的をも

つて制作

          

も  ぬ     ゐ  も  う

したも

のであ

る。厦

にさび

・しを

の風雅

ここに求

める

ようと

した

のではな

い◎世

には芭蕉

作中、

かう

した教戒

の意あ

るも

のをと

つて、

へつて彼

の代表的

の吟

である

かのご

とく考

へるも

のもあ

るが

、それはもと

より俳

の紳髓

を解

せぬも

のと

いはねばなら

ぬ。

   

 

この句、其角

『雜談集』

には

「於大津義仲庵」、『其便』

には

「月

は幻佳庵

にて」、『泊船集』

には

つ義仲寺

にてL、『芭蕉盥』

には

「大津

にて」

と前書一があり・、『西

の蠹蠹

・『篇突』・『のぼり鶴』

        

            

サごね                       を ちろヒ

など

には前書

のな

いままで出てゐる。 「月見賦」

によれば、門

入たちと義

仲寺

に觀月

の會

を催

し、

        

       うか

三盃

の興

に乘じて湖

の月

に船を泛

べ、

つひに夜

は五更も過ぎ

ようといふころ、千那や爾

白を訪

ねて驚

かした

といふ。そ

の時

の吟

である。句

は賈島

の詩句

「鳥

ハ宿

ル池邊

ノ樹

、僭

ハ敲

ク月

門」

ふま

へた作

で、

この清・夜

の興

に乘じ

て、

三井寺

の門

を敲

いて知人

を訪

はう

いふのである。

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も               も                                                      う

、賈

の詩

の敲

の字

は、

と推

ょう

と思

いつ

べき

と苦

の結

、敲

ふ逸

があ

。推

の語

の故

に基

づく

ので

、名

い詩

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぬか  み  そ  つぼ

 

 

 

§尾 芭 蕉1eg

 

この句は

『柞

原集』

に出で、『庵にかけむとて句塞

が書

かせける兼

の繪…に」といふ前書がある。

  

      

      

       

      

      

     

おるいのちん

室は加

賀金澤

の門人

で、こ

の句

を卷頭

とLて

『草庵集』

を撰

んだ

りしてゐる◎なほ

『思

亭』

(寶暦

六年刊)

よれば、荼毘屋

に村尾花

の豊

に、芭蕉

の句

したといふ。また

『一葉

には上五を

「落葉

して」

とも傳

へてゐ

る。

  

      

      

       

      

      

 

ごんだ がめ

 

句は

『徒然草

の九十八段

に、『一言芳談』の言葉

とし

「後世を思

はん者

は糂.汰瓶

一つも持

まじぎ事なり」を引

いてあ

るのに基づ

いてゐる。

この糠昧嚼壷も持

たぬといふのは、.兼好

の理想

鼠である。そ

れをそ

のままの兼好

の人物をあら

はす言葉

とし

て用

ひたのは面白

い。さう

してそ

の執

を離れ

た境涯

を、清爽

の天地秋

の色

に配した

のである。秋

の色

はすな

はち糂汰疵も持た

ぬ聖僧

の生活

が、象徴されたも

のとも

へる。秋

の室

。秋

の風

・秋

の暮

・秋

の人、そ

んな

いくら

かでも

具象的

な言葉をも

つて

こな

いで、秋

の色

とおいた

のは、や

はり芭蕉

でなければ

へないやうな氣

'

がする◎

  

     

のち

  

 

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評躯卜

170俳 句 評 繹 上

 

『陸奧千鳥』・『四山集』・『泊

船集』・『土大根』な

る句。元槇

の菊を詠じた詩句

「是

レ花

ノ中

二偏

一一菊

ヲ愛

スルノミ

ニアラズ

、此

ノ花

開ケ

テ後更

二花

ノ無ケ

ンバ

ナリ」

とある

によ

つて趣向

を構

へたので、な

るほど菊花謝

して後

は愛

べき花も

ないが

、わが俳諧

にはなほ大

があるといふのであ

る。 「の外

さら

になし」

と否定形

つてゐる

が、實

は大根

を大

いに肯定

してゐる。あ

の洗

ひたてた肌

の白い色

、風呂吹き

にした味

、菊後賞

べき

はただ

この大根

のみと

いふ

のである。古

詩を

ふま

へてし

かも大根

の李俗を黠じ

たところが俳諧

であ

る。

 

      

      

     

おち くぼ

 

  梅

 

『柿表

紙』。『韻塞稿本』・『忘

れ梅』・『鯰橋』

など

に出

てゐ

る。

しら

。落窪

・京太郎

はみな室

町時代

に行

はれた小説

の名

である。成美

『随齋諧話』

にも

が、淨

瑠璃

『十

二段草

子』

の中

  

まな

の上手

かな

一、

よみけ

る草子

はど

れノへそ

。源氏

・狹

・古今

・萬

・伊勢物語

  

しら

。落

・京

太郎

・百餘帖

の虫盡

し、八十餘帖

の草

づく

し、扇流

しに硯わり云

々。

と見える。そ

の中

、『しら

丶』

『京太郎』

は今

日傳

はらな

い。また

この

『落

窪』

は李安朝

『落

窪物語』

ではなく、や

はり室町時代

にでき

「小落窪」

の方だ

らうと

いはれてゐる。

 句

はこれら

の古

い物語

の名

で、古風な

お姫樣

の部屋

のあ

りさまなどが聯想され、それ

に上品な

が香

をとり合

はせた作である。

この種

の古典趣昧的な作

は、後

に蕪村

や曉豪

らが好

んだと

ころ

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暫  懲 以卿 ヨーい"

松 尾芭 蕉171

であるが、芭蕉時代

の發句

には比較的少

い。

              

おぼろ

   三

蕎 そ

麥ば

 チト

 

『淨世

の北』

に出

てゐ

る。な

『泊船集』

には

コ.百

σ地は朧なりそば畠」、『三日月

日記』

には

「三日月

や地

は朧な

る蕎麥畠」

とな

つてゐる。室

には淡

い三日月

の光がかか

つてゐる。地

は蕎麥

の花

が黄昏

の暗

い色

の中

に白く朧

に淨

かび出

てゐる。柔らかで靜

かな情景

である。

この句

は右

のやうに、種

々の形

で傳

へられてゐるが、今

は最も古く刊行された書

に出てゐ

る形

に從

つた。

ただ

し上五は

「三日月

に」

より

「三日月

の」

の方が限走された感

じがなくて馬柔ら

か昧が加

はる

やうである。

   

びらき

  

くわん

 

 

 

 

 

びん

   爐

 

『韻塞』・『泊船集』・『陸奧千鳥』など

に見え

る。 

「.爐開」

は冬

にな

つて防寒

のため爐を設け

ことで、ま

た特

に茶湯

の爐を開く

ことも

いぷ。ここはいつれでも

よいがまつ

一般

の爐開

と解

した

            てつくひ

方が

よからう

。爐開

の折

は漆喰

など塗

りか

へる

ので、毎年左官

に來

て貰

ふ。今年も

の左官

がや

つて來

たが、

一年

の闇

にず

つと鬢

の白髮も増

したやうだ

。この左官も大分老

けてき

たなとい

ふの

であ

る。そし

て左官

の鬢

の霜

を嘆ず

のは、やがて作者自身

の老

いを覺

える心である。寒い冬仕

のわび

しさ

と、老境を嘆ず

る心

とが

この句

の中心とな

σてゐ

る。

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172俳 旬 評 釋 上

鹽最

鯛苳

齒 は

莖窶

寒 し 魚 の

店甕

 

『薦獅子』(元祿六年刊)を初

見として蕉門

の諸集

に多く收録

されてゐる◎元碌

五年冬

の作

と推

定される。其

角は

『句兄弟』

に自句

「聲

かれて猿

の齒白

し峯

の月」

にこ

の旬

を合

せて、

  これ

こそ冬

の月

といふべき

に、山猿叫

ソデ山月落

と作りな

せる物

すごき巴陜

の猿

よせて、

              

ホス  ヲ    、

  峯

の月

とは申

したるなりb

レ衣

と作りし詩

の餘情

とも

いふべく

や。

この句感心

のよし

  て、鹽

の齒

のむき出し

たるも冷

じく

や思

ひよ

れけむ。衰零

の形

にたと

へなし

て、「老

  

の果」・「年

の暮」

とも置き

ぬべき

五文字を、「魚

の店」と置

かれたる

に話語

の妙

を知

れり。そ

  

の幽深玄遠

に逹

せる所

、餘

はなぞら

へて知

るべし。 (申略)

予が句先

にして師

の句弟

と分け、

  そ

の換

骨をさ

とし侍

る。

と言

つてゐる。

これ

によると其角

の句が先

に成り

、芭蕉

はこれに感

心して鹽鯛

の句

よんだ

とい

ふこと

になる。し

かし

この兩句

の詩境

は根本

から質

を異

にしてをり、決し

て芭蕉が其角を模

した

といふべき

でぱな

い。其

の句

は彼自ら言

つてゐ

る逋り

、山猿叫

ソデ山月落

ッと

いふやうな詩句

の趣をそ

のまま俳

にう

つしただけ

であ

る。いはば漢詩

を+七字詩に翻譯

したにすぎな

い。漢詩

が本來も

つてゐた美

しさは、巧

みに十

七字

の中

に再現さ

れてゐるであらう。け

れども

それ

はす

に漢詩

に見出だ

されてゐたも

のであ

つて、俳諧

に新

たに見出だ

した詩境

ではな

い。すな

はち俳諧

として

の新しみ

はな

いのである。し

かも其角

のご

とき

はかうした巧みな翻譯

にむしろ自

の才を

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松 尾 芭 蕉173

らう

とさ

へした。しかるに芭蕉

の句

に寫

し出

された寒酸

の情景

は、漢詩だ

の和歌

のを粉本と

したも

のではない◎市井

の問

に見

られる日…常卑・近な生活

の聞

から新

しく探

り出

されて、し

かもそ

の幽深

玄遠

に達したと

ころは漢

。和歌

の上乘なも

と少

しも異な

らない。 『三冊子』

には

この

ついて、

  

の句師

の曰く

、心遣

はず

と句

になるも

の自賛

に足

らず

となり。鎌倉

を生きて出でげん初鰹

  

いふこそ心

の骨折

の知

らぬ所

なり。叉

曰く

、猿

の齒

白し峯

の月

といふは其角

なり。鹽鯛

  

の齒莖

は我

が老吟

なり◎下を魚

の店とた黛置き

たるも自句

なりと

へり◎

と見える。芭蕉

が特

に奇

を求

めず、下五をあり

のまま

r

「魚

の店」

と置

いた

ことに

ついていささ

か自

讃した

ので、そ

一見李凡

な何事も

ない、・・」ころに、實

は深

い苦心が存す

ることを教

へた言葉

であ

つた。其

の句

が拙

いのではな

い◎

いや

これは確

かに人を驚

かすに足る吟・であらう。

しかし

畢竟

いはば小手先

のき

いた藝

にすぎな

い。芭蕉

の句

に至

つて

は深く物

の本情

に徹す

る觀照

によつ

のみ初

めて得

られる。さうして

かう

した日常卑近なも

のに向

けられた純

一無

雜な觀

照が、俳諧

に絶

えず

新し

い詩

の世界

を拓

いて行

のである。

 

考は

『十論

爲辨抄』

に實情

と手づまとを辨ず

べき證文

として、其角

の猿

の齒

と芭蕉

の鹽鯛

を竝べ…碣げ

  

されば其角が猿

の齒

は例

の詩を

たつね歌

をさが

して、かれてと

いふ字

に斷腸

の情

を蠱

し、峯

  

の月

に寂寞

の姿を寫

し、何

やらかやら集

めぬれば入を驚

かす發旬

となれり。組翕

の鹽鯛

は鹽

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笠74俳 句i舞釋 上

  鯛

のみにして、俳諧する人も

せぬ人も、女子も童部も

いふべけれど

、假令十知

の上手

とても

  及ば

ぬ所

は下

の五文字なり。

ここに初

心と名

入と

の口に言

ふ所は同じけれど

、意

に知

る所

  千里な

るを信ず

べし。今

いふ其角も我輩も、

たと

へ鹽鯛

の齒莖を案ず

るとも、魚

の店

は行き

  過ぎて鹽

のさび

に木具

の香

よせ、梅

の花

の風情を結び

て甚深微妙

の嫁入を

たくむ

べし◎

                    

    きざえ

  租翕

はそ

の日そ

の時に紳

々の荒

の吹き

つく

して、榮螺

も見

えず干あ

がり

たる魚

の店

のさび

  さを言

へり。誠

にそ

の頃

の作者逹

の手づま

に金玉を鳴らす中

より

、童部もす

べき魚

の棚をい

  ひて、夏爐冬扇

のさびを樂

しめるは、優灘自在

の道人

にし

て、

一逍建

立の元組

ならざらんや。

と読

いてゐる◎例

のいささ

か冗舌

に遏ぎて

はゐ

るが

、評

し得

て餘蘊

がない。

   とし  み                                  めん

   年

 

の句

は元祿

六年歳

の吟

で、

『薦獅子』・『翕艸』・『小文庫』・『陸奧千鳥』・『猿舞師』・『泊船

集』など

の諸集

に採

㎝録されてゐ

る。

 句意

『三珊子』

  此

の歳

旦、師

の曰く、人同じ處

に止

つて同じ處

に年

々落入る事を、悔

いて言捨

てたるとなり。

とあ

るので、

よく要を盡くしてゐ

る。年

は改ま

つて行く

けれども

、人

は同じく去年

の愚にとどま

つてゐる。あ

たかも猿が面を冠

つたところで、相變らず

の猿

の面な

のと同じ

やうなも

のだ

といふ

のである。も

より觀…念

的な句

であ

が、遲

日庵衞足ら

の註

した

『芭蕉翕發句集蒙引』(享保元

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松 尾 芭 蕉175

年刊)

「折

から猿曳を見て思

ひより給

ふか」

とあるご

とく、單なる比喩

でなくて

、芭蕉が實際

を冠

つて踊

つてゐる猿

を見

て、ふと發

した感懐

で幽

るかも知れな

い。 

「薦を着

て誰入

います花

の春」

の句など

と同じく

、見

る物

によ

つて感

を發す

るのは詩人

の常だ

から

であ

る。だが

とにかく

・猿

によ

つて

、かう

した感を發

したといふのは、

いくら人虞似をし

ても、畢竟猿猴

たるを離れ得な

いことによ

つて、

つは人聞

の愚

かさ

を諷論

し、か

つけ…自

ら嘲

る意

を寓

であ

う。な

「直指傳」(本朝

交選)

「自讃之論」(俳諧問答)など

に許

六の傳

へるところによれば

、芭蕉

                                     

あきた

自ら

この句を仕損じ

の作だ

と言

つたさう

であ

るが、思

ふにさうした觀念的な着想

に慊

らないとこ

ろがあ

つたのだらう。

この着想

は李凡

ではな

いがき

はど

いところがある。芭蕉

はそれよりも

つと

・自然

で、しかも強く心

に響くも

のを欲

した

のであ

った。

 

この旬

ついては古來季語

の問題

がある。去來

が卯

七から無季

の句

のことに

ついて問

はれたと

、同じく無…季

とい

つても

二種

ある。

一はど

こにも

つたく季

と見るべぎも

ののない句

一は詞

に季

はな

いが

一旬

に季

と見

るべき

ところがあ

つて、あるいは歳

旦とも名月

とも

定めるも

のだ

と答

へ、そ

の後者

の例

とし

てこの句

をあげ

てゐる。(去來抄)また支考

は上五文字

に迎年

の意

はおぼろ

にあ

るが

、定

つた歳

旦の詞

がないから、雜

の體

か無季

の格

といふべき

であ

らうと論

じてゐる。

(古今抄)要する

に蕉門

ではこれを無季

一格

として取扱

つたのであ

る。近來

「猿

の面」

を季語

と見る説もあ

るが

、まだ芭蕉

の時代

までは、猿

まはしを新年

の季語

とした例

はな

い。

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`鏨

潔馨

馨腕靠ー

176摎お句 書蔕}釋.ヒ

郭歴

  ぎ

公 す

『藤

の實』・『泊船集』・『千句塚』など

にはこの形

で出てゐ

る。芭蕉

はこの句

と同時

に、

  一

                     

           せんとく

いふ形も案

じた。

二句

いつ

れに定

めようかと決

しかねてゐる時

、水聞沾徳

が訪

ねて來た

ので兩

の評を乞

ふと、「水

の上

」の方を

とつた。そ

のう

ちに素堂

・安適

なども

つて來

て、

っひに水

の聲・よろしき

に定

つて事

やんだと、芭蕉肖

ら門

に邊

った滄息

(荊

口宛

『笈日記』

所攻)

の中

にいつてゐる。しかる

に許

六は

これ

に異議

を挾

み、「水

の上」は

いらぬ言葉

である、

一言

も殘さず

いひ

つめただ

けで、ただ

沾徳

はさうした潤飾

を喜んだ

のであらう

と難

た。そ

して

「江

に横

たふ

や」

の方は、下

「時鳥」

と置

いた

のが舌

頭に當

つてはね

へるやうだ

から、

これを上

にあげた

のだらうが、しかし

「江に横た

ふ」

いふところ

にいろ

いろ

の心を含

めてある

のだ

と論じてゐる。

(篇突)

なほ

『陸奧

千鳥

には

つ深川Lと題し

「時

鳥一聲や横

たふ水

の上」、『翕草』には

「時鳥

ふ聲や

の上」

として收

められてゐる◎

 句

は芭蕉自

ら註

してゐる通

り、「前赤壁賦」の

「白露江

二横

ハリ、水

光天

二接

ス」

の趣

を時鳥

の聲

に移した

のであるが、さ

て二句

の中

果たして

「水

の上」

の方

がすぐ

れてゐるであらうか。芭

が自

らそ

れを決

しないで、他

の批判

に任

せたところは

、實

は芭蕉自身では

二句

の間

に大した優

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納 ・ 冨一職獄 暁欝 ℃鯉沸欝鏖一卵

松 尾 芭=蕉177

を感

じな

かつた

のであらう。さうかと

いつて同じ趣

の句

二つ出すわけ

にはゆ

かな

いので、ま

つ人

のいひなり

に從

つたも

のだらうと思

ふのである。許

の臆

のごとき

はあまり

に獨斷的

であ

る。と

にかく

二句

いつれ

にしても

「横

たふや」が眼目

で、廣

々とした江水

の上を斜

に横ぎ

つて、

い時鳥

一聲

が聞え

たといふので、「白露横江水光接天」といふ原句

の大きな景趣が十分

にあら

はされてゐ

るQな

「横

たふ」

は必ず

しも他動詞

とー。)て解

するには及ぼ

ない。

    

  

つ                はぎ

   

 

『木枯』・『翕草』・『泊

船集

』など

の諸集

に歯てゐ

る◎ 『芭蕉庵小文庫』や

『類柑子』

など

には

     

      

       

      

    

ゆむ

上五が

「白露も」

とあるが、

これ

は後

述するごとく、どう

してもを

でなく

てはならぬ◎また

『栞

集』

に載

する杉風

の眞蹟

には

  

予閑居探荼庵

、それが垣根

に秋萩

をう

っし植て

、初秋

の風

ほのかに露

置わ

たしたるタベ

   

  

このあはれに

ひかれて

みつ

からが句

   萩

(下略)

とある。これは杉風

の記憶

の誤

りか、ある

ひは初

の形であ

つた

かも知れ

ぬ。

とにかく

この杉風

     

   ざいだ あん

の詞書

によれば

、探荼庵

(杉風

の居)

の萩

と思

はれる。と

ころが

『類柑子』

には

「自竇賛

」と題してあり、ま

『三上吟』所收

の專吟

の句

の詞書

の申にも、「しら露も

こぼさ

ぬ萩

ぜ 噛讎

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蓬ー

脚鰯齢鴫艪 炉 聯躑 蝉幅糖肉毒欝婚鉅辮  "働糠讃

O

178俳旬 澣 繹 上

のう

ねり哉

とからびたるあら

ましを繪賛

してたうび

ける」

とある。句

はいかにも畫

讃に

ふさは

ので、杉風

のところでよんだ句

を、のちに盡讃

に用

ひたも

のであらう。ー

も杉風

の詞書

「萩

うゑて」

の自句

にかかる

ので、芭蕉

の句

にはかかはらぬとも解

される。

 作句年代

ついては

『芭蕉翕全傳』

に、「其

とし

(元

祿七年)伊賀

にて名

の豊賛

」とある

のに

よれば、元祿

七年九月伊賀から難波

に向

ふ直前

ごろ

の吟

と思はれる。し

かし專吟

に書

いて與

のは江戸

のことらしい。ー

專吟

は江戸

の俳人i

すると伊賀

で畫

した事實

はあ

つたにし

ても、實際

の句作

はそれより前

であ

つた

のだらう。

『芭蕉翕發句集』

には元祿四年

の部

に出

して

あるが、も

し採荼庵

の吟であ

つたとすれば

これも當

らない。何

故なち元祿四年

の秋

には芭蕉

まだ江戸

に歸

つてゐ

かつたのである。それで大體

元祿

、六年

ごろ

の作

と見る

べき

であらう。

                   たわ

 露も

たわわ

に置いた萩

の枝

がしなやか

に撓

んでゐる。それがある

かなき

かの微風

に、うねうね

と動

く。しかも

白露

はこぼれも

しない

のである。さうした萩

の細枝

のいか

にもな

よや

かな

、そ

                        

             

て靜

かな動き

を、「白露

をこぼさぬ」といふ言葉

で表

はした

のであ

る。それが

「白露も」

であ

ると、

こぼれやすい露さ

へも落

さな

いといふ理智的

な判斷が加

はることになる。

いはゆ

る物事を

ことわ

づたいひかたで、そこには美

に對

する感情

として不純

なも

のが混

ずる。こ

こはどう

しても

「貞露

むを」

と素直

ないいかたでなければなら

ぬ。それは理智的

な説明ではないQ萩

の枝

が柔らか

に静

にうねりゆらぐ美

しさを

、葉

に宿

した白露を

こぼさないとい

ふところ

に感

得した

のである。それ

は萩

のうねり

のしな

やかさ、柔ら

かさ

、豐

かさ、細

やかさ

に、深く見入

つた心

におのつから淨

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んだ言葉

であ

つたらう。

 

の句

は最初實際

の萩

を見

ての句

であ

つたかも知れ

ぬQしかしいかにもま

た畫讃

にふさ

はしい

でもある◎うねり

といふのはも

とより動

の姿

であ

る。しかしそれが白露

をこぼさないほど

として

とら

へられ

た瞬間

、柔ら

かに屈曲

した枝

はそ

のまま美

しい線を描

いて繪

にな

つて

しま

                      

で  ぬ  ぬ

ふ◎

しかもそ

の繪

は單な

る寫生

ではな

い。いはばうねり

の美

しさが、

しな

やかな線

に固定

し象徴

                 

ゐ  う  あ

され

たやうな繪

であ

る。それだけ

このうねり

といふ言葉

は、寫生以上

の深みをも

つてゐる。

この

一語

に芭蕉

の苦

心を見なければならぬ。なほ

『句

選年考』

によれば

『鳩

の水』

には上五が

「月か

を」

とあるとい

ふ。 『鳩

の水』

はいま原

本が知

られず、そ

の句形が信ずべき

のであるか確か

め得

ないが、これでは露

に宿

つた月

影を暗

したことになり、やはり理智的

な要素

がそこ

に加

つて厭昧

な句

にな

つてしまふ。おそらく

『鳩

の水』撰者

の杜撰

か誤傳

であらう。

          

こ  ぬか                    はた

   

松尾芭蕉179

 

.『炭俵』

に出てゐる。野坡

の門人梨

『寒菊隨筆』

によると、元祿

六年冬芭蕉庵

で野坡

と兩

の歌仙

を催

した時

の發句

であ

る。これも

「晝顏

に米搗」

の句

と同じく、庭

先など

で米

を搗

くと

いふ日常卑近

の情景

の中

にあ

る美

しさを見出だ

したも

のであ

る◎小春

日和

の庭

に寒菊

が小さな

を、それ

でも美

しく険

かせ

てゐ

る。そ

へ臼をす

ゑて下男など

が米を搗

いてゐる。

と、粉糠

々ぱ

つと飛び散

つてそ

の塞菊

にふり

かかる。これは梅

の清楚

、櫻

の艶美

、牡丹

の華

麗、菊

の高

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野丶'脚

180づ非筍書準釋 一L

雅等

々の美

ではな

い。

いかにも寒菊

の地昧でわび

しげな美

しさ

の本情が、動

かな

い確

かさ

でとら

へられてゐ

るといはねば

ならぬ。も

とよりこれは芭蕉

の句

として最

上級

のも

のではな

から

う。い

はば輕

い寫生

の句

ではあ

るが、しかも寒菊

のも

のの生命

に深

く觸

れなければ

、かうした旬

はで

ない。決

しで表面だ

の寫

ではな

い。なほ

この句

の寒菊を單

に背景

と見て、粉糠

が臼

の端

                              

ばた

ふりかか

つてゐるさまと解

する説もあるが、『寒菊

隨筆』には

「臼

の傍

」とある

ので、や

はり臼

近く

に喫

いた寒菊

に糠

がこぼれかか

るさまとせねばならぬ。ま

たそれ

で寒菊

の侘び

しい風情が

層深

く昧

ははれる

のである。

   

きん  びやう                           ふゆ  こもり

   

 

『炭

俵』

の序文

の中

に見える。あ

る冬

の夜、野坡

・狐屋

・利牛

らが芭蕉庵を訪ね

た折

、芭蕉

この吟を得

一集

を思

ひた

つに至

った

のだと

いふ。そ

の集がすな

はち

『…炭俵』

であ

る。な

ほ元祿

六年十月九日附

で許六

に途

つた芭蕉

の手紙

によれぽ、『炭俵』の撰者

たる野坡

ら三人

と芭蕉

の四

(四人

で吟じ

た連旬)

の發旬と思

はれ

る。

ただ

しそ

の四吟

の連句

は傳

つてゐない。すなはち

は元祿

六年冬

の作

であ

る。

、この句

に關聯

して支考

『續

五論』

に次

のやうな論

が見

えるQ

  

金屏

は暖

かに銀屏

は涼

し。これおのつから金銀屏

の本情

なり。 

(申略)然

れども金屏銀

  

ち出

でたる本情

は、貴人高家

の千疉敷

を思

ひよるべし。それを松

の古さ

よと言はれ

たるは、

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松 尾芭181

  騰鸛紹離れく

に兀げか丶グて、芭蕉庵六疉敷の冬ごもりと見え侍る。これ風雅の淋しぎ實

  なるべし。金屏

の暖

かなる

は物

の本情

にして、松

の古

よと

いふ所

は二十年骨折り

たる風雅

  

のさびと

いふべし。

 金屏風

は元來暖

い感

のするも

のである。隨

つてそれは冬籠

の室

には

ふさ

はしい。けれども、

とよりそ

れは富豪貴人

など

の家

にあ

るべき

もので、小庵茅屋など

にあ

るべき道具

ではな

い。と

ころが

これ

は金箔

の光り

かが

やく

六曲屏風な

どではなく

、描

いた松

の彩色も

ところど

ころ剥げ

牒番も離ればなれ

にな

つたやう

な古

い二枚折

であ

る。、さう

した古屏風

からは、も

う決

して大名屋

の奧御殿など

は想

ひやられな

いであ

らう。

そこに感ぜら

れる情趣

は、お

のつ

から侘

びた雅人

住居

でなけ

ればなら

ぬ。ま

ことに芭蕉庵

六疊

の冬籠り

と見

えるのである。金屏

の松

の古さにさう

                 

  まこと

した冬籠

りの情趣を見出だ

したのが風雅

の實

であ

つた.。

 

この句

一に

「金屏

に松

の古

びや」(笈日記)、「金屏

の松

の古びや」(陸奧千鳥)、「金屏

の松も

古さ

よ」(芭蕉庵

小文庫)など

といふ形

で傳

へられてゐるが、芭蕉自身

の手紙

にも

「金屏

の松

の古

よ」

とあ

ので、これ

に從

のが穩當

である。少

ともこれが芭蕉

が最後

に定めた句形

と見ら

れる。な

ほ竹人

『芭蕉翕全傳』

によると、元祿

二年

の冬、伊賀

の甼仲

といふ者

の家で、「屏

は山を畫が

いて冬

ごも

り」

の、吟があ

つたといふ◎ 『三班

子』

にもこ

の句

のち改めて金屏

の句

したのだ

と言

つてゐ

る。すると

一句

は芭蕉庵

の冬籠

りではなく

て、罕仲

の風

雅な佳居

のさまを稱

したわけ

にな

る。あ

るひはさう

かも知

れぬ◎けれど

「山

を畫

がいて」

「松

の古さ

よ」とでは、

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182俳 句 評釋 上

の着眼點が全然異な

るのであ

る。前者

は冬籠り

しながらも

なほ屏風

の繪…に…對して、山水

の聞

悠遊

する思

ひをすることよと、あるじ

のさうした雅懐

を賞

た挨

であり、後者

は古

い金屏風

本情

の中

に、侘びを樂

しむ冬籠…り

の情趣

を見出だ

した

のである。兩者ぽ

しろ別句

として取扱

べき性質

のも

のであらう。特

に前作

から滿

四年も經

た後

の改作だ

とすれば、改作

といふよりま

たく新作

として案ぜられ

たも

のと見

てよい。

   

す蕊  はき      おの      たな  つ      だい  く

   

 

この句

は、『炭俵』・『陸奧千鳥』・『泊

船集』など

に出てゐて

、元祿

六年歳

の作

である。

いつも

はよそ

の仕事

にぽ

かり働

いてゐる大工が

、今日自分

の家

の煤掃

して

みる

と、道具を

しま

ふのに

いろいろ勝手

が惡

いことに氣

つくQ

「ぢやここら

一つ棚でも釣

つてやる

かな」

と、そこ

は御手

.

前も

ので早速棚を

つら

へる。自

分で自分

の家

の仕事

をする

のはあ

たり前

のことだが、

よそ

の仕

事ば

かりし

つけてゐる大

工には、何だ

かそれがをかしく感

じられる

のである。そ

のち

よつとした

をかしみをとら

へた

のがこ

の句

である◎

 

『炭俵』

は芭蕉

の輕

みを代表

した集だ

といはれてゐる◎そ

の輕

みと

いふのは、すな

はち

かう

           

                  

た臼常茶飯事

の間

に、

一賑

の俳昧を見出だす

ことであ

る◎そ

れは寂

びにとらはれない寂

びともい

はう

か。

一たび寂

びの境界

に徹

したも

のが、再び甼俗

の世界

にか

へつてながめた姿

である。

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松 尾 芭 蕉183

蓬醫

莢長

薩り

 

元祿

七年

の歳

旦吟。 『炭俵』・『卯花山』・『陸奥千鳥』・『泊船集

』・『桑

日記』・『篇突』.『皮籠

摺』・『伊逹衣

』・『宇陀法鯒』など

に探銀ざ

て、古來

よく知られ

た句

である。 「蓬莢」

とは初春

   

       ところド

の覗

ひとして

、串柿

・野老

・椦栗

・昆布

・穗俵

・橙

・海老などを

三方

に盛

つて飾

つたのを

いふ◎

 

この句

の解釋

に當

つて

は.まつ

『去來抄』

の説を聞

かねぽならぬ。

曰く

   

                         

             ふるさと

  

深川

より

の丈

に、此

の句

さまみ\

の評あり

、汝

いかが聞侍

るやとなり。去來

日、都叉

は古郷

  

の便ともあらず

、伊勢

と侍

るは元

日の式

の今樣

から

ぬに、紳代を思

ひ出

でて

、便聞

かばやと

   

                         

           たが

  道

租紳

のはや胸

中を騒が

し給

ふとこそ承り侍れ

と申す

。先師返事

に、汝が聞く處

に蓮

はず

  

今日神胆のかうみ

丶しきあ

たりを思

ひ出

て、慈鎭和禽

の詞

にたより

、初

一字を吟

じ、清淨

  

うるはしき

を蓬莢

に對

して結

びたる也

と。

と。芭蕉

がこ

の句案

を得

た所以

は、これによ

りて詳

しく知

られる。文中、慈

鎭和侮

の詞

とは、『拾

玉集』

に見

える

「こ

のたびは伊勢

に知

る人おとつれて便りうれしぎ花柑

子かな」

の歌

をさしてゐ

る。そ

こで

一通り

の解

を下

すならば

、床

に飾

つた蓬莢

の古代

めいた感

じから、遙

に伊勢

大廟

の神

々しい元朝

のさまを思

ひや

つて、'まつこ

の伊勢

からの初便り

こそ聞き

たいも

のだと願

った意

であ

る◎さう

して

一句

の眼目

は、初

五を

「蓬葉

に」

と置いたところにあ

るので、これ

について、

『十論爲辨抄』

『襞

日記』

の中

にといた支考

の説

は聞く

べきも

のがあ

る。彼

は、誰

しも

「元目

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184俳 旬 評 釋 上

に」

と置く

べき

を、芭蕉が

かく初

五を案

じたのは、蓬{來でな一ければ

一句

の風姿

を得

られな

いか

で、これ

は、「意を破れども姿を破

らず」といふ句

法だと説

いてゐ

る。

 麦考

の意

を案ず

るに、「蓬莢

に聞

かば

や」では

、語脹

つづきが

いささ

か變

であ

るが

、それ

より

は蓬莢

をまつ

一句

の上に置いて、實感

から來る

一句

の風

情を

ととの

へたのが

よいといふのであら

う。そしてそ

の點

で、確

にこ

の句

は成功

した作

であ

つた。

                       

やま ち

   梅

 

『炭俵』

を始

め、『笈

日記』・『篇突』・『泊船集』・『梅櫻』・『芋頭』など

に出てゐる。句意

は説く

でも

なく極

めて甼明

であ

るが、支

考は

『笈

日記』

にこ

の句

をあげて

「梅

の香

の朝日

は冖餘寒な

べし」

と註

してゐる。すなはち句

は梅

が香

に朝

のさし出るさまを

よんだ

のであるが

、そ

の中

まだ冬

の寒

さが殘

つてゐる早春uの情

を感

じた

のである◎そこ

一句

の餘情

がある。

この句

の中で

最も

はたら

いてゐるのは

「のつと」

一語

である。去來

『旅寢論』

で不易

・流行

について論

た條

に、

  其角

一日語りて

曰く

、今同門

の輩

、先師

の變風

をしたふ者

を見る

に、先師

の梅

が香

にのつと

  日

の出

ると吟じ給

へば

、或

はす

つと

、き

つととい

へり。師

のの

つとは誠

のの

つとにて

一句

  ぬル

  主なり◎門

のき

つと、す

つと

はき

つともす

つとも

せず

、尤も見苦

しく晋子

(其角

のこと)

  これを學ぶ事な

し。

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松 尾 芭 蕉185

と見える。 「のつと」

いふ極

めて李易卑・近な語を用

ひて

、早春

の山路

にさ

し出

た日影

の暖

かく

柔ら

かな感じを十分

にいひとり

、しかも毫

も俗

に陷

つてゐ

ない◎そ

こが芭蕉

の手柄

であ

つた。門

入たちがこれを虞似

てしきり

「き

つと」だ

「す

つと」だ

のと言

ふのは、畢竟芭蕉

の皮相

のみ

を模

したので、虞

の流行

ではな

いといふ

のである◎

 

       

  

で  へ

 

芭蕉

は晩年

に至

つて輕

みといふことを

とな

へた◎それ

は要す

るに、俳諧本來

の特性

たる通俗卑

の中

に絶えず新

しい詩境を開拓

つつ進

べぎと

とを教

へたも

のであ

つた。蕉風俳諧

のいはゆ

 

ヤ  も    も  う  ヤ

るさび

やしをり

は、和歌

・連歌

におけ

る傳統的な美

の理念を

、俳諧

において新

しく生

かしたも

であ

つた◎さう

してそれ

はあくま

でも俳諧

の通俗卑近

といふ特性

に印してゐなければなら

ぬ。で

なけ

れぽ俳諧

は結局和歌

や連歌

と同じも

のにな

つて、交藝

としての獨自性

と新

しみを失

つてしま

 

       

      

      

   も  つ    う  つ  カ

ふであらう

「新

しみは俳諧

の花」

とい

つてゐ

る。

さび

やしをり

が日本文藝

の傳統美を張調

した

のであ

るだけ

に、と

に固執す

るとい

つの聞

にか俳諧獨自

の新

しみを失

ふおそれがあ

るQそ

 

      

ら  へ

で芭蕉

は最後

に輕

みの理念を示

して、通俗卑近な生活

の中

に俳

の新

しい詩境を求む

べき

ことを

 

       

      

 

も                             ぜん

へねばならな

つたのであ

る。輕

は輕薄

、輕淨な

どの輕

ではな

い。舊染

のために重く停滯

した

のに對

して

、す

べて

の覊束を脱

し自由無碍を得

べき意

の輕

である。こ

の句

「の

つと」

のご

、まこと

に通

俗卑

近な世界

の中

に、最も新しい.…俳諧

の詩境

を見出だ

したも

のであ

つた。梅が

にほふ山路

に朝

日のさし出

た趣

は、和歌

や連歌

にも

よまれたも

のがな

いではな

からう

◎しかし

の朝日

の出るさまを

「のつと」と

ふ俗語

で描

き出

したのは、芭蕉が最初

の人

であ

つた。さう

、雪

r承罫孑

㌦̀

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186俳 旬 詳 縄 上

して

ここにす

べて

の舊染

を脱

した俳諧

の輕

み、俳諧

の新

しみが存

るのである。

   はつ  く   けん

   入

 

この句

は、『木枯』・『梟

日記』・『續猿蒹』・『泊艢集』な

どに出

てをり、『陸奥

千鳥』

には「塞

に』

とあるQ昔から

いろ

いろや

かま

しく論ぜられ

てゐる句

である。實際雨

の降

つてゐる景色だ

とか、

いや柳

の絲

を雨

に見立てた

のであると

か、さまざま

に読

いてゐ

る。しかし桃亭秋屋

の撰

んだ

『花

は櫻』(寛

+三年刊)

といふ書

には、「春

興」

と題して

  春

の雨

いと靜

に降

りてやがて晴

れたる頃

、近きあ

たりな

る柳見

に行きけ

るに、春光き

よら

  な

る中

にも

、した玉り

はいまだ

をやみなければ

といふ詞書が

ついてゐる。そして更

にそ

の~詞書

には

「是

、草屋

八九問楡柳

へる言葉

にもと

づき

、家八九聞

と家

の字入れ

て見

るべしとも

、また柳

を雨

に見立て

る句

なりとも

、門

いろく

に註

せり。こ

の句

は前

書を見ざる故

なり。

つて

こ&にあら

はす」

といふ附言

が書き

へられて

ゐる。これで解

は明ら

かであらう。八九問

は柳

の高さ

であ

る。そ

の八九間

の室

から柳

の絲

を傳

つてしたたる雨雫を

「塞

で雨降

る」

と言

つた

のであるQ

 支考

『梟…日記』

によると、これ

はか

つて芭蕉

が大佛

(京都

の大佛)

のあ

たり

で見

てお

いた柳

のさまであると

いふ。 『續猿蓑』

にはこの句を發句

として、

 

  の 

か 

ら 

す 

の 

  ほ 

る 

聲・ 

沽圃

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といふ脇以下

春 雨

一卷

の歌仙が催

されてゐる。

  

はち

 

 

の 

 

 

 

 

 

 

もり

   

      

      

      

       

      

     

てい

 

『炭俵』

に出

てゐる句

で、『評林』・『師走嚢』など

に説があ

る。とも

に荒

れ果

てた佳居

の體

とし

てゐ

るが

、かう

した景色

は藁葺

屋根

の田舍家など

ではしば

しば見

るところであ

る。も

とより金殿

玉縷

の趣

ではな

いが

、かならず

しも破屋廢居

と解

するには及

ぶま

い。むしろ大き

な田舍家

の縁先

など

で、屋根

から軒下

、軒下から蜂

の集

へと

、ぽとりぽ

とり傳

はり落

ちる春雨を

、ぼんやりなが

めてゐるやうな氣

がす

る。寫生

の句

であ

るが

、おのつ

から侘び

た感

じが味

ははれ

る。

 古

い一註釋」書

に、『新古A7』の瓣臥

「つく冫ρ丶と{春の眺

の淋

しき

はし

のぶに傳

ふ軒

の玉・水」

を引

てゐ

る。和歌趣昧

と俳諧趣昧

の境地

が、け

つき

り鋳照

されて面

白い。

   

よ     ご  き     そろ

   

松 尾 芭 蕉187

 句

『炭俵』に出

で、「上野

の花見

かり

しに、人

々幕打

ち騒ぎ物

の晋小唄

の聲

、さま

ざまなりける傍ら

の松陰を

たのみて」

といふ前書

が嵐

る。 「五器」

は本來御器

と書き

、食

の汎

である。托鉢

の僣

など

はそ

の御器

を五ッーー大鉢

・中鉢

・小鉢

など

といふ風

にf

一組

として

へてゐ

るも

のだ

といふ。芭蕉

が支考に贈

った句

の中

にも

  

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188俳 旬 詳 繹 上

といふ

のがあ

る。

ところが行脚

の僭など

は、簡便

にそ

のう

一種だ

け缺

いた四ツ

一組

のも

のを持

づ。それを

四ッ五器

といふのだ

さうだ

◎句

は人

々が珍昧佳肴

を携

へ、太鼓

や三昧

で騒

いでゐる中

に、自分

は何

の御

馳走

もなく花を

るといふので、侘び

を樂

しんでゐ

る風情があ

る。

「…揃

はぬ花見こころ」と

いふのは四ッ五器

の揃

はな

いやう

な心

、ー1す

なはち豐滿

しない、どこ

かわびた心で花

を見てゐ

るといふのであ

る。

木 こ

 

『炭

俵』・『別座舖』・『泊船集』・『陸奧千鳥』・『篇突』

どに出

てゐ

る◎折

から茶摘時

に時鳥

を聞

いて、あ

の茶摘

に忙

い人たちも、しばし手を休

めて

この聲

に聞入

つてゐるだらう

と思

つた

のである◎

「木

がくれて」

といふので實景が

る。印興的

の旬

として面白

い。

『別座舗』

に載

せる素龍齋

「贈

芭叟餞別辭…」中

には、

この句をあげて

「これな

ん佳境

に…遊びて、

正の間を歩

める作

とは知

られ

にけり」

と稱

してゐる。

 

    

    

   

    

   

  

わかれ

 

  麥

便

 

の句

は、『有磯海』・『泊船集

』・『芭蕉翕行歌

記』。『陸奥

千鳥』など

に出

が、

のうち

『陸奥千鳥』

には申

七が

「力

つかむ」

とな

つてゐる。

同書

の撰者桃隣

は當

時見逶

つた

一人であ

から師

の句を誤るはず

はな

い。

おそらくそ

れが初案

であ

つたのだ

らう。

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認「厂轄槻

 芭

は元祿七年

の夏、ま

た行脚を思

ひ立

つた。そ

して

このたび

は西國

に渡り、長崎

にしば

し足

を留め麁

の往委

見たり・聞馴れ鑿

自葉も聞かうなどと思つて・五月八是

江戸を審

た、門人

たちはわざ

わざ川崎

まで逶

つて來

て、それぞ

れ餞

の句

など

を贈

った。

その返しとして

       

      

      

      

ヨユ

芭蕉

この旬を

よんだ

のである。當時見逶

つた中

一人桃隣ぽ

、そ

の時

のさまを記

して

  

二時ば

かり

の名殘

、別

る時

は互にうなづき

て、聲、をあげぬば

かりなりけり。

と言

つてゐる。 「便りに

つかむ」と

いふのに、人

々に別れて心細

い悲しみ

の情

が託

せられてゐる。

の穗

は眼前

の實景

であ

る。

しかし、

つかむは實際

でなく

よい。さう

した

つかみたい心もち

ある

。別

の眞情

が流露して、惻

々と

して人を動

かすと

ころがある。 『陸奧千鳥』

「力に

つか

       

      

      

     

すが

む」

とな

つてゐるが、や

はり

ったより」

の方

か弱

々しく縋

つて行く情が深

いと思

ふ◎

松 尾'芭 蕉189

 

この句

は、『有磯…海』・『泊船集』・『芭蕉翕眞蹟集』かど

に收

めら

れ、『有磯海』

には

「大井川水

出て島田塚本氏

のも

とにとどまりて」

の前書

があり.『芭蕉翕眞蹟集』には

「ちさはまだ青葉

なが

に茄子汁」の句

ととも

に、「五月

の雨風

しき

りに落

ちて、大井川水出

で侍

りければ、島田

にとど

めら

れて如舟

・如竹

など

いふ入

のも

とにあり

て」

いふ詞

書が

ついてゐる。

元祿

七年

の夏東海道

を西

に向

つた芭蕉が

、五月十

五日から十九日まで雨に降

こめられて駿河國島田

の門人塚本如

のも

とに滯在し

てゐ

た時

の吟

であ

る。

b

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190俳 句評 繹 上

 降り

つづく雨

に大井川

は濁流滔

々として逆卷き

、塞

には暗雲

が低く垂

れて、

いつ晴るべ

しとも

はれぬ。そ

こで雨

ととも

に吹き荒

れる風

に向

ウて、

いつそ

この五月雨

の塞を

ひと思

ひに大井

    

      

      

      

       

    

む    む

へ吹き落

してしま

つてく

れよ、と言

つた

のである。支考

『笈

日記

には塞が雲

にな

つてゐる。

ならば常識的

であるが、『 嗅蹟集』のほ

『有磯海』・『泊船集』など

にも塞

となり、雲

とした

はむしろ常識的解釋

から

の誤

りとしなければなら

ぬ。なる

ほど

「雨吹き落

せ」

の方

一通

りのわ

かり

はよい。

しかし雨

のため

に數日滯

在を餘儀なく

されて、晴を待

つてゐるいら

いらした作者

心には、も

つと強

い迫

つた

いひ

かたが

した

かつた

のである。それ

で、雨雲が重な

つてゐる室

を、

のまま

に吹き落

してしま

へと言

つた

のである。そ

してそ

こに豪壯な感じが昧

ははれる。

なほ路

『芭蕉翕行状

記』

には

「五月雨や雲吹き落

す大井

川」とあるが、

これ

では旬意も異なり李凡

な作

にすぎ

いこと

になる。勿論路通

の杜撰

にちが

ひな

いQ

   

くひな な                  さ や どま

   

    

      

   

ともがら

 

『有磯海』

に出

で、「露川が

佐屋ま

で道邊り

て共

に假寢す」と前書

がある。

なほ

『笈

日記』.

『泊船集』・『ゆづり物』・『四山集』など

にも探録

されてゐる。

「佐屋」

は尾張國海

部郡

にある地

名。名古屋

の露川

らが佐屋

まで逶

って來

て、その地

の隱

士山

田氏

の亭

一しよに族寢

した。そ

の吟

である。句意

は、

ここは水鷄が鳴

と人が

いふも

のだ

から

、わざ

わざ

一夜を

すごす

こと

したと

いふので、永鷄聞き

に立寄

つた風流

よんだ

のである。 

「言

へばや」

は文法的

に解す

れば

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コ言

へば

にやL

であるが、實

は疑問

の意

ははなはだ輕

い。

露 に

  ド}町  叩尸貫・    瞭r噸脚    押

松 尾 芭 蕉191

 

『續猿薹』・『木枯』・『泊船集』

など

には下五が

「瓜

の土」とあり、『笈

日記』.『喪

の名殘』.『染

川集』

など

には

「瓜

の泥」

とある。また

『笈

目記』

によれば

元祿

七年

の夏

、去

の別莊

でよんだ

句だ

といふ。

 句意

は明

らかである。爽

やかなそして新鮮

な感

じが・迢・る。

この句

の下五

の異同

について

『三

珊子』

「此の旬

は瓜

の土

と始

め有

り。涼

しきといふに汚

れたる所

を見て泥とはな

しか

へられ侍

      

      

      

      

       

      

    

る」

と言

つてゐる。土と

へば乾

いた感

があり、泥

の方

は濡

れてゐるやうな感

じが多

いので、泥

にか

へたのであらう。なほ元祿

七年六月

二+四日附

で、嵯

峨滯

在中

の芭蕉

から杉風

に逶

つた手紙

には、「朝露

や撫

て涼

しき瓜

の土」とあるQ

これが最も●初案

であ

つた

のだらう。まつ觸覺

によつて

涼昧を感

じた

のであるが、實

はわざわざ撫でたりな

どしなくとも

、汚

れた土

の色

にす

でに涼昧

+分昧

ははれるのである◎し

かも

それは撫

でる

のより

一暦直接的

な感覺

である◎そして感覺され

たも

のは土

でなく、ま

さに泥

でなけ

ればならな

つた。かうして改案

の順

を追

うてみると、芭蕉

の推敲

のあとが窺

はれて面白

い◎

   

ろく ぐわつ

  

、六

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、 馨

蒙 .

192俳鉦詳縷上

 

『旬兄弟』・『笈

日記』・『陸奧千鳥』・『喪

の名

殘』・『或時集』・『佛

の座』・『泊

船集』・『眞木柱』

など諸

に操

録されてゐる。嵐

とい

へばすぐ春

の櫻

の景色が聯想

されるのであるが、

これは眞

の嵐山

の景

である◎山

は鬱蒼

と茂

つて峯

には暑

さうな入道雲

が立

つてゐる。春

の女性的な色彩

と異な

つて、

これは男性的

な強烈さがある。 「六月

や」

と上五にう

ち出

したところに、まつ烈

を思

ふ季節感

が強められてゐる

。元祿

七年

六月

二十

四日附杉風宛

の手紙

には、この句

を録

して特

  

カク

「六月や」

と幟名

を振

ってゐるG

これ

は作者自身

六月を

ロクグ

ワッと音讚

すべき

ことを注意

てゐる

のだ

が、

このことを支考

は知

ってゐたのであ

らう、彼

の著

『古今抄』

には六月

の二字を晋

     

      

も も も  くん

せよと

いつて

「人も

しみな月

と訓

にとな

へば、語

に炎

天のひ讐き

なからんとそ」

と説

いてゐ

     

    あた

のは、

よく肯繁

に中

つてゐる。

     

                 

ひや

   

 

『笈

日記』・『續猿蓑』・『喪

の名殘』・『泊船集』・『ゆづり物』など

に見える旬

であ

る。

「冷

し物」

ほ夏

の料理で野蘂∵

果物

など

の類

の冷や

したも

のを

いふ◎元祿

七年

の六月

、芭蕉

は京都

から近江

      

ぜ ぜ

に出

かけて、膳所

の曲翠

のところで支

考や惟

然などと十

六夜

の月を賞

しな

がら、

一卷

の俳諧

を催

した◎

この時

の發

句である。當夜

のさまは、支考

「今霄

の賦」(續

猿蓑)に記され

てある。

 短

か夜

がはや明ける、起

きて

みる

と冷

し物が

つの聞

にか崩れ

てゐ

たといふのである。形

の崩

                        

      

も  め                           む

れた冷

し物

に、夏

の夜明

けのぼんやりした心も

ちが、

いはゆる同じ匂

ひでう

つり合

つてゐる。匂

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か、鼕

いふことは・主

て連句

の方で

いつてゐる

ことだが、その精紳

は發句

の方

にも移

 

て読くことができる。                 

  

れて明けと

とはまことに巧み衾

現喚、寸分の隙もなし。

    

月讙

吻禦

轄難

靴鋲

 

へてゐた。そ

して芭蕉

の句

に、木節

難鸛

辮縣{鐘鬱

驫騾

て紬幾

の眼呈

ある・巧みな一霙

であ-ながら、少しもわざとらしい不目然さが

ない◎一座の人々の淋しいそして親しい心もちが、暫目雀

深/、昧ははれる。

 

 

幽 ・齟  一

渺 ㌔・、 鯉 宀

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秘俳 旬 詳 釋 上

 

『芭蕉翕行欣記』・『笈

日記』・『泊船集』

など

に見える句で、路通

『芭蕉翕行状

記』には、「粟

   

      

 やす

の庵

に立寄り

、暫く休ら

ひ給

ひ殘暑

の心

を」

と記

して出してをり、また

『笈

日記』

によれば

れも木節庵

の吟だとある◎そ

して同書

には、

   

      

      

      

       

      

    

つりて

  

の句

は如何

に聞き侍

らん

と申され

しを

、是も只殘暑

とこそ承

り候

へ。必ず蚊帳

の釣手など

   

      

      

      

       

      

なぞ

  

にからまき

ながら、思

ふべき事を思

ひける人なら

んと申

し侍

れば

、この謎

は支考

に解

かれ

  侍

るとて、笑

ひて

のみ果てぬる

かし。

と記

してゐる。所在

なさ

にごろ刎と仰

向き

に寢

べつて、足をそ

こら

の壁

にも

たせかけてゐる。

と、そ

の足裏

がさすが

にひえびえと感ぜられる

のである。蚊帳

の釣手

でも

いぢ

つてゐる人

のさま

と支考

が解

したのも面白

い。

 因

みにいふ、今

日では

「晝寢」

が夏

の季題

として取扱

はれてゐるが、芭蕉

の時代ま

では無季

られでゐた。それで

この句

の季語

は上五

「ひやく

にある

ので、すな

はち秋季

の句

であ

る。

『泊舶集』

には夏部

に收

めてある

ので、同書

の編

者風

國は、あるひ

は晝寢を夏季

の詞

として取扱

つた

のかも知

れぬが、他

はすべて秋

部に收

めてゐる。それ

「ひやノ丶

」を季語

としたのである

季語

の取扱

ひも時代

によ

つて變遯

があるから、古句を解

する場合

には注意

せねばなら

ぬ。

   

      

      

      

 

たま まつ

   

『有磯海』

に出

「尼壽貞

が身

まかりけるとき

乂て」

と前書がある。壽貞

と芭蕉

との關係

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怖 }叩π

松 尾 芭 蕉195

いては、從來學者

に興昧

をも

つて論ぜられてゐる。そ

れは野坡

の門

人たる安藝

の風律

が書き殘

『小咄』

いふ書

の中

に、壽貞

は芭蕉

の若

い時

の妾

で、次

郎兵衞

いふ子供

があり、後

に尼

                                

つたといふことを傳

へて

ゐる

ので、芭蕉研究家

の聞

一時間題

とされた

のである。し

かし別

壽貞

は芭蕉

の乳母だ

といふ傳

へもあり

、風律

の言だけを直

ちに信ずる

ことも

できな

い◎もちろん

とても

つたく戀を知

らぬ入

では

つた

う◎あ

の二十九歳

の時

に自

ら撰んだ

『貝

おほ

ひ』

の中

には

「我も昔

は若衆好き

の」

と言

つてゐるく

らゐである。殊

に多感な詩入的素質をも

ゐた彼

が、い

つまでも若

い折

の戀人

に渝ら

戯愛情を持ち

つづけ

たといふことも當然考

へられる。

こに

一暦

の人間昧

へ感ぜら

れるのである.、だ

が風律

『小咄』だ

けで壽貞をすぐ芭蕉

の妾

めてしまふのは、早計

に過ぎる

『小咄』

り丈獻

的確實性

はな

ほ十分

に認

めが

たいのである

.

                            

こま

ただ

この句

に籠

つてゐる深

い情愛

から見れば

、少く

とも芭蕉が濃

やかな情愛を注

いでゐた人

には

ちが

ひなから

う。また

「數

なら

ぬ身

とな思

ひそ」

いふ言葉

から見

ると、壽貞が

これまで日陰者

                           

ヤ                つ  つ

のやう

にした人

であ

ることも思

はれる。ある

ひは

『小咄』

の妾と

いふ語

を丙妻

に置き

へて、壽

貞を芭蕉

の若

い時

から

の内縁關係

の妻

と解する

ことも可能

である

かも知

れな

い。今そ

の亡き魂

して、決

して數なら

ぬ身だな

と思

つて

はくれるな

と、強く慰

めたのである。そ

してそ

の慰

めは

はま

た芭蕉

の悲

しみを慰

める言葉

でもあ

つた

のだ。

 

なほ

「數なら

ぬ身」

といふのを芭蕉自身

のことに解する読もあるが

、そ

れでは十分意

が通ぜ

やうに思

はれる。

とかく亡き魂を慰

める言葉

として、この句

は始

めて深

い情愛

が感ぜ

られる。

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玉96俳旬 評 戳 上

 

この句

『笈

日記』

に出

で、「九月

九日」と

ふ前

ある。なほそ

の他

『陸

奧千鳥騒・『泊船

集』

など

にも採録

されてゐる。

         

    

う  ゆ

 

ここで

いささ

か芭蕉俳

諧の匂

ひについて説

かう。匂

ひ、響き

、位

など

、いろ

いろちが

つた言葉

は用

ひられてゐるが

、意昧する

ところは要す

るに同

一で、いはば物

の全體的な情趣

.風情

とも

ふべき

ものである◎

この旬

について読

けば

、まつ菊

の香

は典雅

・高雅

など

とい

つた感

じをも

つて

         

 

ぬ  も  う

ゐる。それが菊

の香

のにほひである。ま

た奈良

の古都

に年

ふる佛

たちから

は、蒼古

・閑寂

などと

   

も  ぬ

いつた匂

ひが感ぜられ

るであら

う。さうして

この二者が

一旬

の中

にかうして取入れられた

のは、

の古

い寺

の佛たち

に、折

からど

こでも香高

い菊

の花

が手向けられてゐ

るとか、奈

良の古佛

が特

に菊

の香を愛

してゐる

とかいつたや

うな

、何

か二者

の間

の特定

な關係

をよまうとしたのではないQ

         

    

ぬ  ヤ

ただそ

の菊

の香

と古

い佛

との匂

ひに、

一種

の微妙な調和

を感じ

たから

であ

る。す

なはち

この句

眼目

は、ま

つたく匂

ひの調和

にある。それ

は因果關係な

のごとく

、決

して理智的

に読明し得

きも

のではな

い◎結局

この句を解

する

には、菊

の高雅

でおく

ゆかしい香

りと、物

さびた奈

の寺

におはす端麗な御佛

たち

の姿とを想

ひ淨

かべて

、そ

の情趣

の融合

した感じを昧

はふほかはない。

 

芭蕉

はこの匂

ひといふことを

、特

に連句

の方で重んじた。芭蕉俳

の特

は、實

にこの點

にあ

といつてもよく

、要する

に前

の旬

に次

の句

を附

ける場合

、ただ意昧

の上

の連絡

のみを主とせず

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松尾芭 蕉197

前句

の全體

的な情趣

すな

はち匂

ひを

とら

へて

、これ

に調和す

べき匂

ひの句を附

よといふことで

ある。

かくて

二句

の聞

の渾然たる調和

に、微妙な詩趣が昧

ははれる

のである。さう

して

これ

はそ

のまま發句

の場合

にも移

して説き得る

ことで、すな

はちこの句

「菊

の香」を前句

、中七以下を

附句

と見

て解

すれば

よいのである。

   

       

な      しり,ごゑ

   

・聲

鹿

 

『笈日記』・『芭蕉翕行状記』・『泊船集』・『喪の名殘』・『金毘羅會』

など

に出

てゐる。なほ

『陸

奧千鳥』・『芭蕉翕眞蹟集』

には特

「びいと」と濁

ってゐる。芭蕉

はさうよませる

つもりであ

たかも知

れぬQ

 

これも奈

の吟

である。句意

は別

に解

くま

でもな

い》̂實感をそ

のまま句

にし

たのである。なほ

芭蕉

が當時

に逶

った書簡

によると

、中七が

「しり聲塞

し」

とある◎おそらく初案

であらう◎し

かし芭蕉

は夜

の鹿

の啼.聲を聞

いた時

の實感を

、も

つと率直

に表

はした

かつた。それ

「悲しし

改めたも

のと思

はれる。

       

              

ちり

   

 句

『木枯』・『笈

日記』・『菊

の塵』・『泊船集』・『後

れ馳』・『六行會』など

の諸書

に見え

てゐるo

  

                         

             ニほ

芭蕉は奈良から難波へと出て行つた。元祿七年九月下旬ーfご十七日と推定されるー

園女の招

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㎎ 贈

!98俳 旬 澣 羅 上

きを受

けてこ

の亭

を訪

ねた時

の吟

である。

 そ

の日これを發句

として、主客

のほか支考

・惟

然ら七八人

の人

々で歌仙

一卷が催された。席

には花

に挿

した白菊

が、清

かにかを

つてゐた

のであらう。ある

ひは庭前

に折

から美

しく蹊き

てゐた

のかも知れぬ。

とにかく芭蕉

はそ

一塵をも

とど

めな

い純白な花

の清

さに、深く心を

かれ

たのである。 『笈日記

には

この句

について、「是

は園女が風雅

の美を

へる

一章なる

べし。

の日の

一會を生前

の名殘

とおも

へぽ

、そ

の時

の面影も見るやう

に思

はるるなり」

と記

してゐる。

                  

みやぴごころ

すなはち白菊

の清

さを、そ

のまま園女

の風雅

の美

しさ

に比

した挨拶

の吟だ

といふのである。こ

の解釋

は誤

りではない。しかし

一句

はあく

までも白菊

の清

さを賞

した

のである。園女

の風雅

をた

へるため

に菊

かりた

のではな

い。し

かも菊花

の清純

に對

する芭蕉

の感

じは

、同時

にあるじ園

の清純な姿

に對する感じ

でもあ

つた。

いはば白菊

は園女

の象

徴であり

、園女

は白菊

の象

徴とし

、芭蕉

の心

に映

つたも

のであ

つた。さうして句

はあくまでも白菊

の句

、園女

はこれに喩

へた

のではな

い。そ

こに芭蕉

の觀

の純

一な深さが見られる。句

の姿

もまた

おのつ

から清ら

かであるQ

 

孟遠

『桃

の杖』

には、この句

に西行

の歌

「曇りなき鏡

の上

にゐる塵を目

に立

てて見る世

と思

はば

や」を引

いてゐる

『芭蕉句解』

にも

この歌を引

いて、「此

の歌

の言葉を摘

みて、園女が性質

を稱

せり」

とある。

「目

に立て

て見る」

の語

は、おそらく右

の西行

の歌

から得たも

のであらう。

「目

に立て

て見る」

とは毛を吹

いてことさら

に疵を求

めるご

とく

、綿密

に注意

して見る意

である。

いくら氣

つけて見ても塵

一つな

い清らかさが、「目

に立てて見る塵もな

し」である。ただ

しこの

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言葉

は西行

の歌

によつた

どしても

一句全體

の意

はも

冫、より歌

に關す

るところはな

い。

 

『去來抄』

『笈

日記

による

と、芭蕉

は難波

の客舍

で病床

にありながら

、そ

の年

の夏

、嵯峨

に邂

んで

よんだ

「清瀧や浪

に塵なき夏

の月」

の吟が

、この白菊

の旬

と紛ら

はしいから

といふので、

「清瀧

や波

に散り

こむ青松葉」

と案じ

へたといふ。去來

はそ

れに

ついて

「名人

の句

に心を用

給 ふ事知

らるべし」

と言

つてゐる。

一は清流

の月光

一は純白

の花色

、兩立をさ

またげな

いやう

であるが、「塵なき」といふ言葉

の類似を嫌

った

のであ

らう◎ま

ことに名匠

の句

に心を用

ひる

こと

 こま

の細

やかさがおも

はれて、詩

に痩

せた芭蕉

の眞面目を語るも

のがある。

    一L            h  ・㎞博ゴ由~^_噛_癬

松 尾 芭 蕉199

 

この句

『笈日記』

には

「旅

懐」

と前書が

ある。句

けな

『墨吉物語』・『喪

の名殘』・『芭蕉…翕行

臨从記』・『泊船集』

など

にも探

られてゐる。 『笈日記』

による

と、

この句

は九月

二十

六日清水

の茶

に遊

吟して、その朝

から心

に籠

めて念

じん句

、下の五文孚

にそ

の腸をさ

かれたとある。すな

はち

「雲

に鳥」

の五文字

は特

に芭蕉が思

ひを潜めて言

ひ出した句

である◎芭蕉

はそれが死

の前兆

でも

つたのか、この秋

ごろからと

かく身體も

すぐ

れず氣

分も

ひき

立たな

かつたやう

である。し

みじ

みと老

いを嘆く心も深

つたであらう◎句

は、旅中

この老境

を嘆ず

る情

を、無

の雲

と鳥と

に寄せた

のである。 「雲

に鳥」

は漂泊

の族

を象徴

したも

ので、かならず

しも實

に雲や鳥をさし

てい

つた

い。陶淵明

「雲無心

ニシテ艢

ヲ出

デ、鳥飛ブ

ニ倦

ソデ還

ルヲ知

ル」、蘇東坡

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200俳 句 詳 羅 上

「倦鳥孤雲豈期有

ソヤ」など

の詩句

に基づ

いて、雲

といひ鳥

とい

へばおのつ

から漂泊

隱遁の

情が想

はれるのである。瓢

々として流

れ行く

白雲

、飛

に倦ん

で露り行く烏

の姿

、その雲

や鳥

を勞

つつ、また今年も老

いゆく

こと

かなあと嘆じた

のである。

一讃そ

の意を捕捉しがた

い句.

であるが、再讀

三讀靜

に句

の裏

に潜

む芭蕉

の心

に觸

れ得

たなら

、初

めてこの句

の言葉で説きが

たい眞趣を昧

はふことができ

るであらう。

 

『笈日記』・『陸奧千

鳥』・『泊艦集』など

に出

てゐる、芝柏亭

での吟である。隣

り合

せに住

んで

ゐながら

、あ

るじ

は何を

してゐる人な

のか滅多

に顏を見

せたことも

ない。家

の中も

つも何だ

森閑

としてゐ

る。秋も更け

てゆく今

日このご

ろ、コ

體隣ぽ

何をす

る人だらうLさうした疑

ひが

暦強く感

ぜられ

るのであ

る。そ

の疑

ひには何

となく

一種

の神祕的な室想が籠

つてゐる◎

           

こ  いへ          やなぎ かげ

  何

の吟も

、同じやうな趣であるが

、これ

はふと通

りすがり

の輕

い氣も

ちであ

る◎

一脈

の寂

しさはあ

るが

、強く人

の心

に食

ひ入る黜

はな

い。

「秋深き」

は晩秋

の寂

しさ

の中

に、ぢ

つと心耳

を澄まし

てゐる

やうな感じがす

る◎

 

「秋

深き」

の句

は芭蕉

の終焉

にさきだ

つこと十餘

日の吟

であ

る。九月廿

九日に芝柏

の亭

かれてゐたが

、す

でにそ

のころは病兆

があ

つたので、十八

日にあら

かじ

めこの句を作

つて邊

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てお

いたのだと

いふ。果

たして廿

九日には出席も

でぎず

る。

やがてそ

のまま病床

の人

とな

つた

ので

松 尾 芭 蕉201

 

『其

の便』

「所思」

と題

して出てゐ

る。句

はな

筒笈

日記』・『枯尾花』・『泊船集』・『金毘羅

會』・『篇突』など

に見え

る。『淡路島』には上.血が

「此

の道

を」

とな

つてゐる

 行

人絶

えて暮風冷

やか

に吹

く秋

の淋

しさを

つたのであ

るが、「所思」と題

した

のは、そ

の中

にわが俳

の道

に志す人

の少

いのを嘆ず

る意を寓

したからである。

「此

の道」

は地上

の道

であ

つて

、同時

に芭蕉

の理想

の逍をさ

してゐる。

一、行く人

たし

にLの中

には、蕭條

と暮

れてゆく野徑

.

さまが思

ひ淨

かべられるとも

に、虞

の俳諧

の正道

を踏

む入

の少

いのを淋

しむ芭蕉

の心が思

はれる。

の景情

一にして二ではな

い。なほ

『笈

日記』

によれば

、芭蕉

はこの句

ととも

  人

{聲

 

 

 

 

 

 

 

 

といふ句

を出

して、この二旬ど

ちらが

よいがと支考

に蕁ね

た、支考

「此

の道

や行

く人なし

にと

     

    しり

獨歩

したる所誰

か其後

に隨

ひ候

はん」

と答

へて

、これに

「所思し

といふ題を

つけたのだ

と言

つて

ゐる◎(旬

『泊船集』

にも探ら

れてゐる)

支考はさすが

に芭蕉

の意を悟

つた

ので

う。獨

する者

の淋

しさ

、天才や學者

の抱く孤獨感

、それ

がこ

の句

の中

に含

まれてゐな

いとは、どう

して

へよう。今

一つの

「人聲

や」

の旬

は、ま

たちが

つた境地

の淋

しみを言

つてゐる。これは人の聲

=ー

髪曇

…ぎ

ド熱

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202俳 句 評羅 上

をな

つかしんだ

ところがある。もう日も暮れ

かけ

た淋

しい道

、芭蕉…は

一人

とぼ

とぼ

とそ

こを歩

てゐ

る。

と思

ひがけなくそ

の道

に人聲

を聞

いたのであ

る。 「入聲

や」

と五交字

にう

ち出

したのも

    

                         

    くろこく あしおと

の人聲を聞

いた時

の親

しさ懐しさ

の情がぴ

つたり

とあら

はされ

てゐる。塞谷

の跫

晉の趣

であ

る。

さうして

「此

の道

や」

の旬

が所思

であるとすれば、「人聲

や」の句もま

た、俳諧

の眞

の知己を得

喜びを寓

したも

のと見

なければならな

い。

一體句

を寓意的

に強

ひて解す

るといふことは、す

べて

藝術的解釋

として好

ましいことではな

いが

、この句

の場合

のご

とき

は全然寓意

を離

れて解

したの

では

、むしろ芭蕉

の本意を失

ふも

のと

いふべき

であらう

    

   やん                        めぐ

   

 

『枯尾花』・『笈日記

』・『木

枯』・『泊船集』・『花

蒋』など

に見える。 

「病

で」

『泊貂集』・『木

枯集』

「やんて」

と假名書き

してあるから

「やん

で」

とよんだ方が

よからう◎ 「廻

る」

は當時

の諸…書

みな假名書き

にしたも

のはないが、もちろん

「めぐ

る」

「ま

はる」

ではいけな

い。

 

の句

は誰も知

つてゐる通

り芭蕉

の最後

の吟である。芭蕉が病中

この句を吐

いた折

のさま

は、

『笈

日記』

『枯尾花』

によ

つてほぼ傳

へられてゐる。 『笈日記

には、芭蕉

はこの句を

よんで

から

、-

  生死

の轉變を前

に置きながら發句

すべき

わざにも

あらねど

、よのつね此

の道

を心

に籠

めて年

  もや

玉牛百

に過ぎ

たれば

、寢ね

ては朝雲暮烟

の問を

かけり、さめては山

水野鳥

の聲

に驚く◎

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『㎎,ρ  ,

松 尾 芭 蕉203

  

是を佛

の妄執

といましめ給

へるただ

ちは今

の身

の上

に覺え侍

る也。此

の後

はただ生前

の俳

  

を忘

れむ

とのみ思

ふは。

、か

へすが

へす後悔

したと記

してあ

る◎

かく

つひに辭世

としての辭世も殘さず

、この句が直

に辭

の句

とな

つてしま

つたのであ

る。弟子が辭世

の吟を乞う

たとき

、芭蕉

はそ

の折

々の句が

すべて…辭世だ

と答

へたといふ話も傳

へてゐ

る。 『枯尾花』

にも

  

にはかなぎ句ども

のあ

るを前表

と思

へば

、今さら

に臨終

の聞えもな

しと知られ侍り。

とあるから

、芭蕉

は生前

すでにいつれ

の句孟辭世

とな

るべき

ことを鷽悟

してゐたのであ

るG

      

                   むらぬひ

 

この句意

は別

に解

するまでも

なく明

らかであ

る。西は

不知火筑紫

の果

てま

でも

と思

ひたつた旅

路が

、まだ牛ば

にも逹

しな

いうちに、室

しく客舍

に病臥

しなければならなくな

つた芭蕉

の吟魂は、

まことに夢

にも枯野

をかけめぐ

つたことであらう

。詩

に痩

せ族

に痩

せて

一生を終

つた芭蕉

の最

の吟

として、

一暦深

い感慨

をおぼえる◎

しかも旋

へのさう

した執着を妄

と觀

じて

、生前

の俳

諧を忘れ

よう

とした芭蕉

の心

は、あ

『方丈記』

の夫章

「佛

の人を教

へ給

ふおもむき

は、こと

ふれて執心な

かれとなり◎今草

の庵を愛するもとがとす。閑寂

に著

するも

さはりなるべし」

いふ言葉も

思ひ合

はざれてい

よいよ愈

い◎

 以

上で芭蕉

の名句

は盡き

のではないが

、紙

に限

りがあるから、こ

のくらゐで割愛

よう。

に芭蕉

の作品

の全體

を知

らうとするならば、相當

に信頼

すべき全集

・句集

の類も

いろいろ出版

されてゐるから

、それ

らに

ついて見

られたい。

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. 

204俳 句 評 稷 上

 な

ほ從來俗間

に芭蕉

の句

として傳

へられ

てゐるも

のの中

には

、ま

つたくの誤傳も少くな

いので、

それら

の二三をここに附説

して、

一般

の注意

をうながして置き

い◎

 

『句解參考』

など

に芭蕉

の句

としてあげ

てある。白魚

の透き通

るやうな美

しさを

よんだ

のであ

      き ふうニを

るが

、これ

は枳風

の作

として

『續

の原』

に出てゐ

る◎

も ろ ノ\ の 心 柳 に

任蹇

す べ 

 この句

は、『も

の水』などに芭蕉

の句

としてある。無抵抗

・王義

を象徴

したやうな句

であ

る。そ

の悟

りすましたやうな心境

が、芭蕉

の作

とす

のにふさはしい

のでしば

しば誤

られてゐるQ實

               ニセ

芭蕉

の門人涼菟

が、信

の俳人猿山

とい

ふ人

に對

して示した句

である。

ノ\

 

『句解

參考』・『一串抄

』など

に芭蕉

の作

としてあげてある旬

であ

る。こ

の句

も芭蕉ら

しい匂

      

                   

しやら  バ

がするた

めに、近來

でも

よく誤ら

れてゐる。實

の作者

は舍羅

で、『花

の市』に

「木蔭

に熟睡

したる騙

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  一一  一  一も一一 も 一r

ア饗穿叮  卸ミー㌔ '㌣厂▼

松 尾 芭 蕉205

乞食を見てLと

いふ前書が

ついて出てゐ

る。

.三

 

『一葉

集』・『諸國

翕墳

記』など

に芭蕉

の旬

として出てをり

、こ

の旬を刻

した芭蕉塚もある。淡

い三日月

の光

、地上

の草

にははや露が結

んでゐる。誠

に縹

渺たる情景

である。 『一葉集』

の編者

などが誤

つたのも無

理はな

いが、『三日月日記』に桃隣

の作

として出てゐる

のが正し

い。

木 曾 殿

北目

寒甲

"哉

 

『句解參

考』

など

に芭蕉

の旬

としてある。

これ

は芭蕉

の墓

、いはゆる木

曾殿

の塚

たる義仲寺

の境丙

にあるため

に、かなり

ひろく誤

傳されてゐる。

かつて義仲寺で

はこれを芭蕉

の句碑

として

に建てたことさ

へあ

つたと

いふ。

しかし

『葛

の松原』・『桃

の實』・『己が光』

など

の諸集

に、

  木

殿

 

   

     いろげん

と出てをり

、作者

叉玄

(伊勢

の人)

が義仲寺境内

の無名庵

=佼を明かした折

の吟である。なほ

叉玄

の旬

『己が光』

では、中

「背

中を合

す」

とな

つてゐ

る◎

   

                   

たる

   

の句

億、『蕉句後拾遺』に下

「皮拾

ひ」

とあり

、芭蕉

の句

として出

してゐる。

これは芭蕉

黙鱒 ㌦鈴澱硬蘇㌔

、葺ーー

し峯F…

尸ー

……

靈篭

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丶轟

2◎6排 旬 評 釋 上

                                    ニぬ

と誤傳

されるより、『績俳家奇人談』(天保

三年刊)

など

によ

つてむしろ冠里侯

の吟

として

の方

がひろく知

られてゐる。しかし享保

十六年刊行

『俳諧

五雜

爼』

  初

 沾

とあ

る。

これ

は冠里侯生前

の集

であるし

、や

はり沾徳

の作

とする

のが正

しい◎

   

 

那須野

の殺生石

のかたはら

に、芭蕉

の吟

として右

の旬碑が立

つてゐ

るさうだが

、これ

は蝶夢

           

ヨむ

編んだ

『名所小

鏡』

に麻

の作

として載

せられてある。痲

父はまだ比

較的新

い人

である

のに、

                       

きくしやにりげご

でにかう

した誤りがあり

、はな

はだ

しきは長門

の菊舍尼が

、宇治

の黄檗

山で

よんだ

             こ  ぼん

  

で芭蕉

の句だ

いってゐる。こ

の句は菊舍

尼自

『手折菊』にも出

てゐる句である。

 

ほ古來諸書

に誤

傳された句

はすこぶる多く

、すで

に芭蕉生前

の集

にさ

へ杜撰

は見られ

たので

ある。

しかしそれらは忠實

な研究者に

つて

、漸

次訂正され

つつあり

、な

ほ疑はし

いも

のも將來

る點まで

は誤

傳か否

かが明ら

かにされるであらう。

しかるに

一般

の人

々は割合

にかう

したこと

には無

頓着

である

のみならず

、國文學

の專門家

や國語教育

に從

ふ人

々すら往

々從

の誤

りを繰

してゐる。これは世界

に誇

るべき

わが文藝

家芭蕉

に對

、國民と

してあまり

に不忠實な態度とい

はねばならぬ。またひとり芭蕉

について

のみならず

、俳

のごとき小詩形

は勝手

に附會

しやす

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ため.・は窪

だしい誤

りがび

ろく流布

されがちであるが

.

しい作者

、正

しい逸

話を傳

へるやう

にした

いも

のである¢

これらも國民全體

の注意

によ

つて、正

松 尾 芭 蕉207

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国叉

㌔瑞、

208

榎誘本笠

其 き

角 ㌘

俳 旬 叢季糴 上

弛寳井氏・寛文

元年江

戸に生

まる。

十七八歳

のころから芭蕉に師事

し、始

め螺舍

と號

し、の

ち易の丈によ

つて晋其角

といつ弛。性

來・オ氣

にすぐ

れ、俳諸

のほか書

を佐々木文龍

に、畫を英

一蝶

に、儒

を服部

寛齋に、

を草刈

三越

に、禪

を大巓和尚

に學

んだ。嵐

雪と相

竝んで蕉門

の桃櫻

と稱

せられ、江

戸の俳

壇に雄

し弛が、

芭靴焦歿後

は洒茨偶風

一鷺叫を興

してやう

やく邪道

に走り

、その宋

流ははなはだ'し

い卑

に、陷

つ弛。露貝・添四年殿、

四十七◎撰著

はす

こぶる多

く、 『虚栗』・『・黜山∵冢』・『丙寅初鬣紙』・『續虚

栗』。『いつを昔』・『華摘』・『雜

談集』・『萩

の露』・『伺兄弟』。『枯尾花』・『若葉台』・『末若葉』・『錦繍繊』・『焦

尾琴』。『類

柏子』など

がある。

 

  

 

 

 

の         ニ

作品

『五元集』、『續

五元集

』に收めらる。

鶴馨

 

享三年歳旦

の旬である。 「日

の春己

は歳

の親語

として用

ひられる季語。

芭蕉

の評語だ

      ヨ

『初懷紙』

の評

に、

  

元朝

の日

の花

やかにさし出でて、長閑

に幽玄

なる氣色

を、鶴

の歩

にかけて云ひ

つらね侍

る。

                         

で に は

  

かも親言言

外にあらはる。流

石にといふ手爾波尤も感多

し。

と言

つてゐゐ。

元朝の旭

日に浴び

て丹頂

の鶴が庭

をゆつたり歩

いてゐるさま

は、歳

旦の景物

とし

                                                  

まことにこの上も

なく

さはしいも

のであらう。連句

の場合、發旬

一般

的條

件としては、た

も  む  も

高く

といふのであ

るが、この旬

はそ

の模範的例旬

としてしぼ

しば引用

されてゐる。

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    騨鴇醐岬晦闘串伽 『 無   唱 ρ か ず   置蜘 榊 ・}輸 鰰噛   囃 鞠マ御

榎 本 其 角209

かね鐘

魯れ

 

元祿十

一年歳旦

の吟で、「一日長安花」と

いふ前書が

っいてゐる。江戸

の繁華

いつた句

で、梵

のやうな滅多

に需用

のな

い物でさ

へ、さすが

に花

の御江戸

は諸

の人が入込

ので、毎

一つ

誌買れな

いことはな

いと誇

ったのであ

る。

 

西鶴が

『世間胸算用』

  

さる程

に大坂

の大節季

、ようつ寳

の市ぞ

かし。 ○甲略)

一っ求むれば其

の身

一代子孫までも

       

ひきうす

  

讓り傳

へる碾臼

へ、

々年

々に御影山も切り蠱す

べし。

と言

つた言葉を思

ひ合せられる。商贇

の殷賑を側面

から言

つた

のがねら

ひど

ころで、そ

こに其角

の才が

はたらいてゐる。

    ご   ひ  さう

   

 旬

『焦尾琴』(元碌

+四年刊)

に出

で、[,四十

の賀會

し給

ふ傍

に宴遊侍坐

しけ

れぽL

いふ前

               

   

書があ

る。 「綯祕藏」、の祕藏

ヒサウと清

んでよむ

。特

に大切

にしてゐる品

や人のこと。

ここで

は殿御寵愛

の美

しい御小姓な

どであらう。

 前書

によると貴人

の賀宴

に侍

して

の作

晶と思

はれる。ー

i松罕隱岐守

の家中久

松肅

山侯

の宴

いふ説もあ

る。1

この賀宴

は表向き

の折

目正-。い

でなく

て、ごく

内輪

の慰

み孚分

のも

ので

旭声

ー ー乱ーー妻 ー

ζ・要

翫纏

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触圦糊 ド…一}瞭  壁 ・江聯繍 蜘 幣 嬲

210俳 句詳 繹 上

つたらし

い◎それで俳諧師其角なども召されたも

のと思

はれるQさ

て當

時貴顯

の邸

に出入りす

る俳

諧師

とい

へば、多くは殿樣

の御機

とり

の籍

聞的態度

のも

のが多

かつた。其角も

しば

しば御

大名

の御傍相手を勤

めてゐるが、し

かもさすが

に彼

は持する

ところが高

つた。 「其角、

一句」

と所望される

と、そ

の座

にはべ

つた殿御祕藏

の美童

に、墨を磨らせながら

、ぢ

つと旬案

に耽る

であ

る。

胃御秘藏

に墨をすら

せてL

とい

つた語氣

に、其角がさう

した幇間的地位

にありながら、

しも阿諛的な卑屈な

ところを示

してゐな

い。そ

こが其角

の群小俗衆

と選を異

にしてゐる點

であ

                      

 

る。かの俗俳

の本山

とも

いふべき立弱不角が

、備角侯

に侍

して京

に上

つた途次、大磯

に泊

つて、

       

ふ かく  い

  短

 

  蚊

 

と唱和

した態度

と比

べてみる

と、おのつ

から氣品

の異な

ることがわ

かるであらう

   

 句

『續虚栗』(貞享

四年刊)に出

「遊

大音寺」

と前書

がある。大晋

寺は吉原

の裏

手にあ

つて、

當時

はま

つたく田圃

の中

で附近

には乞食小屋

などが多

つた◎さうした場末で

の印景

である。句・

          

   

う       も

は明瞭

であ

るが、「乞食

の家も」のも

に理窟が加

ってゐるために、多少

いや昧

に陷

ってゐる。

          

            

はつ  ね

   鶯

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榎 本 其 角2U

 古來名高

い句

であ

る。

はやく許

六は

『篇…突』

 

唱鶯

といふ句

はよの

つね

になり難き題也。晋子が身

さかさま

と見出し

たる眼

こそ、天晴近年

                  

 

  の秀逸

とやいはむ

◎亡

師の餅

に糞す

ると渚な

し給

へる後

、これ程

に新

しき

は見

えず

と激賞

した◎ところが去來

はこれに對

して、『旋寢論

』の中で

  この句

は風情あり。然

れども初音哉

とい

へるいか黛侍ら

ん。鶯

の身を逆

にす

るは戲

れ鶯也

Q

  戲鶯

は早春

の氣色

に非ず◎初習

の鶯

は身を逆

にする風情なし。初苦

のめくなど

とも詠

めり。

  今其角

が鶯

を見

るに、日頃

の姿

を覺

えて句

にのぞむ意

を、畫屏

なんどを見

て作

した旬也

  難

じらる

乂も尤也

と貶

してゐる。さら

『去來抄』

の中でも同樣

「角

が句

は暮春

の亂鶯

なり。初鶯

に身

を逆

にす

る曲

なし。初

の字心得

がたし」

と難

じてゐる。

この兩

の評

一見相容

れないやうであるが

、實

はそ

の批評

の立場を異にしただけであ

つて、

いつれ

の言も當

ってゐるQすなは

ち着想

に新機軸

出したと

いふ點

から見

て許六

の言

は尤もであ

るQし

かし早春

の鶯

の性歌

といふ事實

に即して見る

と、其角

の旬

は盧妄

の譏りを免れ

ぬ。で

はこの場合事實

に勘.すべき

か、着想

に執

すべぎ

か。それ

はいはゆる虚實

の論

として創作上

一っの重要な問題となるべき

ことである◎が結局

は作

の心も

一っに歸

する

ことだ

と思

ふ。すな

はちそ

こに作者

として

の特色が生ず

のである。其角

のやう

.

な作者

であ

れば

、事

よりも着想

に重きを置

いた

のぱ當然であらう。ー

勿論

それがま

ったく事

として存在

し得

ない着想

は許

されな

いが、早春

の鶯

・レ」ても

たとひそれが

一般

的でなくとも

、身

礬ー

ー奮ー

塾ーーー

》ζー

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212俳句詳釋 上

を逆さまにして鳴く特殊の場合は推想し得る。i

さう解釋して私はこの句を佳旬として肯定し

い。な

『五元集

にはこの旬に

「止丘隅」

と題してゐるが、

これは彼

の故事癖

が題

しただけ

    

      

      

    

ムハ

で、句意

とは多く關する

ところはな

い。

・『大學』

の本文

によって、鶯が止まる

ところを知

って

へつて人

よりもまさる意を表

してゐるといふやうな読

は當

らな

い。

    

      

      

      あげ  や  まち

   

 

 

 

 

 

 

 句

『焦尾琴』

に出

で、「近隣

戀ごと題

してある◎旬意

は吉原

の京町の猫が、揚屋町まで通

って

ったといふだ

けだが

、傾城町

での猫

の戀だ

といふところに興趣

が湧

く。講談

などで

よく

っぱ

り出

される旬だ

ゆあ

とでも述

べるが、其角

の句

には小唄や俗謠

にとり入れられたも

のが

かなり多

い。そ

れだ

け彼

の作

一面

また市井

の趣昧

に富

み、大衆

に迎

へられると

ころがあ

った

とい

へる。

  

すだめ  ご

   

     

       

      

      

      セ

 

この句

『續虚栗』

に出

てゐる句

であ

る。莊

『晋子發句撮解』

と、其角

の自註

「飛上りしやうしと

いふら

ん」

とある

とい

つて、『井蛙抄』にあ

る爲氏

「古

への犬きが

やり

し雀

の子

とびあがりしやうし

といふら

ん」

の歌を引

いてゐる。犬き

とは、『源氏物語』若紫

の卷

に見

る雀

の子を逃

がした子ども

の名

である。

この句はさう

した故事を踏ま

へて、表面

はな

にげ

ない體

に言

ってゐながら、そ

の間

に學

才を仄

めかさうとした意圖

から作ら

れてゐる。爲氏

の歌

は明

り障

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    曳脚隅緲 胴浸w聾

213  榎 本 其 角

の隱題

であ

るが

、其角

はそ

れを逆

に行

って、明り障孑で爲氏

の歌

を匂

はせたのである。其角崇

の几董など

は、

   この下

の旬

を裁

ち入

れて明障子

といふ作意

の手柄

、しかも

一旬

の打

ちき

玉も

よく

、景情

を備

   へ侍

りて、凡力

の及ぶ

べぎ事

にあ

らず

。 (新雜談集)

・と、ひどく感

じてゐるが、單に才入

の才

を見るだ

けで、作句

の動機

としても

不純

であ

る。さう

この動機

は、其角

の句

をして、しばしば智的

興昧

以外

に何物も

ない弊

に陷

らしめた素因

をなし

てゐる。

   からかさ     ねぐら

   

 

其角選

『虚

栗』(天保三年刊)に出

てをり、其角

の早

い時代

の句

であ

る◎雨

に濡

っっ飛ぶ燕

を見て

「自

分の傘

の中

にはひ

って來

い。こ

こに濡

れな

いやうに塒

を貸

してやら

う」

と呼び

かけた

のである。俚耳

に入

りやすくしてし

かも

あまり

いや味

のな

いと

ころが、

この句

のとりえであらうo

京傳

『稻妻表紙』(文化三年刊)を草

するにあたり、不破拌

左衞門

の扮裝

が才牛

(初

代市川團+

の俳名)

の創意

で、荷翠

                   

ふ  は

  

の句に基づき雲

に稻妻

の模樣

一定してゐる

のに野し、名古屋山

三郎

の衣裳

を、こ

の其角

の旬意

からと

つて濡燕

の模樣

とした。それ以來

不破

・名古屋鞘當

の芝居

では、雲

に稻妻

と濡燕

とが曾我

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伊愉一嬲,轟隔糊 戸 洩 ひ  .騨 噛タ毎雪 v脚 幣 牌 酬賜驚 還■

214俳 旬詳 釋 上

兄弟

の蝶千鳥

のご

とく定

つた扮裝

にな

つたどいふ。そして

「濡燕」

といふ端唄

一節

にも

  あ

けて

いはれぬ胸

のう

ち、包む

にあ

まる袖

の雨、紋

は三

っの傘

に塒貸

さう

よ濡燕

と、其角

の句がそ

のまま

とり入れられ

てゐる。

   

   

    

   

    

   

 

けづあ

   

 美

しい顏

と逞し

い、距

との對.照

であ

る。芭蕉

はこの句

に對℃

て、

  蛇

 

 

 

 

  

   

と和

した。

二句

とも名高

い句

であ

るが

、そ

れは畢竟

いつ

れも概念的な理窟が含ま

れてゐ

るから

る◎も

とより芭蕉も

、其角

の句

に對

したから

こそ

、かうした理窟

を述

べたのだ

  

みやう

ヒやう

   

 句

『續

の原』

に見え、「吉

野山

ぶみして」と前書

があ

る。 「山

っら」

は曉

、山

の端にかかる

  

    

   

    

   

    

   

    

    

   

 

いふ◎名高

い句

であるが、句意

ついては

いろ

いろ説がある、 

「定めぬ」

のぬを完

の終

  

    

   

    

   

    

   

    

    

   

    

  う

に見て、「定

めた」の意

とす

る説もあ

るが、そ

れは無理

な解

しかたであ

らう。やはり否定のずの

蓮體形

と見

たい◎

まだ明星

の光が淡く

またたいてゐる靜

かな明けが

た、滿山

の櫻

の聞

に曉

の雲

搖曳

してゐる景色

である。そ

の曉雲

と櫻花

の色

と、とも

にほ

の白く匂

ってゐ

るので、いつ

れが櫻

いつれが山

かつら

と定

めかねる風情を

った句

であ

る。其角

は自ら

『句兄弟』

の申

に、この句

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わざ嚢

ハ肇

ざりし甚

・野山垂

る時・串

の美景にけおされ古亟

   

もの信を礬

し.饉

明星の山かつらに明錢

るけしき、砦

句の養

しく黌

たるよ妄

   

に申

されけ

る。

と吹聽

してゐる・そして例

『撮蟹

には、かねて其角

の酒狂

に心

を隔

ててゐた芭蒙

、.」の旬

 

に感

じて

"

   

角が酒は醒むる期あり、此の句の匂ひ萬揩

すべからず。

  と言つて・勘氣をゆるしたといふ話まで書ぎ添へてあ}.短◎

    

   句は

『末若盞

に出てをり、また

『五元集』には

「花中尋友しと前書があ⇔。元祿+年の作。

・句意竺

向はつきりしないが、去來の

寢.論』にこの句をあげて、 

 

 

角が程

自讃といへり・然れどもその句意を聞けば、春花の聞に遊んで、奴諜樣のものに饅

臙と評糟雛

D姆鵠敷

瞬翻したこー

  言ひたらぬ句である・

頭で人を尋ね三

だけで、饅

駄賃にやるから、誰それを尋ね出し

躅  て來

い」

とい憙

に解

させようとするのは、ま

つた~、無理

口はねばな

らぬ。しかも其角

は自ら

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216俳 旬欝・釋 上

この句

をも

って得意

としたとい

ふのである。ちやうど手品

の種を割

ってあ

つと言

はせ

よう

といつ

たやうな作爲が、すな

はち其角

のひそ

かに得意

としたところであ

らう

。さう

してこれ

こそ實

に其

角が自ら掘

った邪道

のおとしあな

であ

った。江戸座

の俳諧

はやが

てかケした謎

みたやうな旬

を喜

んで、

つひに救

ふことのできな

い頽廢を來

したのであ

るQ

                 

       

ころも がへ

   

 

越後屋

は江戸駿河町

の三井臭服店

で、江戸

一番

の大店

であ

つた。西鶴

『日本永

代藏』

には

の賣高百五十兩あ

つた

と言

つてゐる。店

で初袷

の帛を裂く氣もち

のよい晋が

スッスッとあ

つち

つち

でも聞える。初夏

の爽

かな氣分が輕く淨ぎ出

てく

る。許六が

『青根が峯』

に、薪し

いも

と今

めかしいも

のとの論

を試

みてゐる中

に、

この句

のご

とき

は今

めかしい物を題材

にしたので、

其角

ほど

の相當

の俳入が、

こんな輕

々し

いことでは困

ると批難し

てゐる。

しかしこの旬

はさう批

さる

べきも

のではな

い◎む

しろ都會人ら

しい敏感さ

から

、巧

みに季節感

をとら

へ得

た人事趣昧

の句

とし

て、江戸座

の風

調

のよい方面を發揮し

たも

のといふべき

であらう。

       

ロ いち   に

   

 

一の橋

にっいては諸誚があ

る◎ 『撮解』

には江戸本所

一ッ目

ニッ目

の橋だ

といひ、また馬琴

『燕石僕

志』

二には説く

こと最も

つまびら

かで、

これを本所

一ッ目

・ニッ目

の橋

とする読を

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榎 本 其 角217

駁し、東輻寺門前

の橋だ

とし

てゐ

る。そ

して

「大阪

よh・夜艢

にて京

のぼり

する入

、淀

のわたりを

まだ夜

ふかき

に過りたるも、深章

や東福寺

のほ

とりか

一の橋

を渡

る頃

は明方

なるべし。

さら

ば淀に

ては夜

かに聞きし杜鵑

一の橋

にては横雲

のひまに

一聲

;聲おとつ

れたる、なかく

にまた珍

しき

心地すと、夏

の夜

の短き族

の餘情

こ乂に讃き

っくす

べからず」

と言

つてゐる◎あ

るひはまた眞蹟

「淀」

と題したも

のがあ

るから淀

の橋だ

といふ説もあ

る。なほ

『有磯海』

に見

える惟

然の句

「時鳥

っの橋

を淀

の景」も旬解

上參考す

べき

であ

る。

 し

かし

この句が敍景以外

に、特殊

の感懐をそ

の中

に寓

してな

いとすれば

、場所

の詮鑿

はさまで

必要

ではな

い。さうして私

はこれをま

つたく敍景

の旬

であ

ると解す

る。だ

からど

こでも

よい。

の橋

の橋

と見渡されるやうな川

のほとりに作者

の位

置を定

める。そ

こを夜明

けに通

るのであ

るQ

四邊はまだほ

の暗く川

の面だけがぽ

つと白け

て、そ

の上に橋が

一っ二つと數

へられ

る。折

から時

鳥が

一聲鳴き過ぎ

たといふのだ

◎其角

の句

としては素直な

いい句

であ

るQ

 因

みにいふ、この句

はか

つて國定小學讃本中

に操録

され、當時

これは其角が邂

里露り

の句だ

いふので、教育界

一問題を起

したことがあ

る。しかしこれを單

に敍景

の句

とすれば

、遊

里歸

とか、旅

の首途

とか、種

々の條件をそ

こに設

ける必要

はない

のであ

る。li

尤も實際遊

里蹄り

いふやうな詞書

でもあ

るといふのなら別問題だが、・i

いくら其角だ

から

とい

つて、さ

つそく

吉原歸

りを聯想

されては、彼も苦笑

せざるを得な

いだらう。

}転

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218づ非句 言墾釋_ヒ

か つ

傘馨

は せ け

 

この句

「傾廓」

と題

してある。傾廓ほ

城のゐる廓

の義

で、

これこそ紛

ひも

い吉原露り

の句.

   

  るゐかろヒ  む

である。 『類柑

子』

「あ

かっき傘」

と題

した交

の中

にも鵲

てゐる。廓

から歸

らうとするあ

けが

た、折

からはらはらと降り出た筌に、時

の聲

が聞えた

といふのである。雨

の降り出した

ことを

傘を買はせた

と言

つた

のはや

はり其角ら

しい。そし

て曉傘を買

ふといふので、吉原情趣が

瀝れて

るのであ

る。 

 

 

  

 

 

  

 

 

  

 

 

  

 

 

  

 

 

  

 

 

 

  

 

   

      

      さかな

   

   

      

       

      

    いうこのり

 其

角撰

『いっを昔』(元祿

三年刊)には

「草

庵薄

の興友五に對す」

といふ詞書が

ついてゐるQ

帥、興

の輕

い句

として面白

い。其

の磊落

な風格

が偲

ばれ

る句

であ

る。

   

      

       

      

のみ

   

 

この句は

『華摘集』(元祿三年刊)

六月

十六日

の條

に見え、「怖

しき夢

を見て」

と前書

があり、

また

『五元集』

には

「いき袈裟

にず

でんど

うと打放

されたるがさめて後」

とある◎

いき袈裟

は生

きながら袈裟がけ

に斬

ることであ

る。

 人

口に膾炙

した句

であ

る。 『去來抄』

この句

を評

して、

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榎 本 其 角219

  其

角は實

に作者.にて侍

る。は

つかに蚤

の喰附き

たる事誰

かかく

は言盡

さん。先師

(芭蕉)

  く、然り、彼

は定家

の卿なり。

さしても

なき事を

ことみ

\しく言

ひ連ね侍

ると聞

えし評

、詳

  なるに似

たり

と言

つてゐる。芭蕉

の評

はさすが

に其

角をよく知

る者

の言

といふべき

である℃

この旬

など

は何

いことに奇想

を構

へて、入

を驚

かさうといふ考

へが

、實

にありあ

りと看取

される。

『華摘集』

に出

で、巴風亭

での吟

とあ

る。庭木や飛石だけ

ではな

い。そ

こら

の皹や雀までずぶ

濡…れにな

るほど打

ち・水せ

よといふのであ

る◎

の詩境

を異にしてゐる。

              

きつ

   

の.

一讃爽涼

の氣

を生ずる。前

の句など

とはま

つたく

 

俗聞

上五を

「夏

の夜

は」

と傳

へてゐる。それではま

つたく川柳

であ

る。蘇軾

の詩旬

「春霄

一刻

アタヒ

直千

金」

によ

つたしやれにすぎ

ない。すなはちま

つたく

理智的

な興昧

をね

つた

ので、交藝

とし

てはも

とより取

るに足

らぬ作

であ

る。しかしそ

の興昧

が理智的な點

にあ

るだけ、

一般俗衆

に喜ば

れた

ので、そ

の結果

これなど

はま

つたく通り句

としてあまねく知られ

るに至

った

のであ

る。

} 5ー

ーー~・ー毒

匸㌃、匸;F…

ー6

乏:  ℃セ}ー

"慧葦

ー篝象

」 

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220俳 句 評 驛 上

世川柳子

にしば

しば題材

とされたも

ので、其

の句中おそらく最も名高

いも

のであらう。こ

の句を題材

にした川柳を少しあげ

てみ

ると、

 

 

み  あぐり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

など枚擧

にい

とまが

ないO

 

 

 

 

 

 

 

みめぐり

 

『五元集』

には

「牛島

三遶

の禪前に

て雨乞す

るも

のにかはりて」

と前書

し、句

の次

「翌

日雨

ふる」

と書ぎ添

へてあ

る。牛島

は向島

で、そ

の三圍神瓧

でよ

んだ雨乞ひ

の旬

である。意

は田を

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鴇卵わ

  

も  も  も  あ

  見

めぐり

といふ名を負うてゐ

る神

ならば、

この旱魃

を傍觀す

るはず

はあ

るまい。き

つと夕立が

  るだ

らう

といふのであ

る。其角

は自ら

「翌

日雨

ふる」

と書き添

へてゐるく

らゐだ

から、大き

に御

  利

釜があ

つた

と己惚

れたも

のであらう◎御本人がそ

の氣だ

から、やが

てそれが江戸中

の話

の種

  なり

つひには

    ち

言、は

  とか、淡

々が

『雜談集』

「晋子般遊び

に出

て人

々暑を

はらひかね、宗匠

の旬

にて雨

ふらせ給

 

、とたはぶ

れければ

、其角

ふと肝

にごた

へ、

一大事

の申事哉

と正色赤眼心を

とち

て、ゆ

ふだ

ちや田

  (マ・)

  も

三巡ヴの紳ならば

、言

ひも

はてず雲墨

を飛ば

し、雨聲盆

を覆すば

かり

,船

をかたぶ

ける事

  あたりにあ

りける

一氣

の請く

る所輿

の發

する所

、あざむく

まじきは

この道

の感なり」と

ごとご

  としく遞

べるなどと大變な

こと

にな

つて

しま

つたのである。要する

にこの句

の名高

いのは、さ多

  した世聞的

の理由

による

ので、決

して藝術的價値

が高

いから

ではな

い◎むしろ其角が自邏

の集

  にはわざわざ

この句を採録

したことを彼

のために惜

しむも

のであ

る。

角 

 な

ほ馬琴

『燕石襍

志』

の中

に、

この句

の上五を、「夕立てや」と動詞

の命令

によむ

べき.こと

其                                         ・、、

本 

を主張

して

ゐる。

なるほどそ

の方が句意

は解

しやすくなるが、

このご

ろ夕立

つといふ動詞が

一般

濃 

に用

ひら

れてゐたとは考

へられな

いし、且

つ俳句

の語法として

は上五

に切字がある

から

、直接中

泌、

七以下

と文法

上の關係

をもたなく

ても

いわけである。だ

からやはり

これ

「ユフダ

チや」

とよ

  んで少

しも

さし

つか

へな

いQ 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

.

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222俳 旬 評繹 上

かう  ごゆ  さん

 

この旬は・『焦尾琴』

に出

てゐる。 「香藜散」

は暑氣拂

の藥

として、昔

一般

に用ひられたも

の。

の峯が立

つ日盛

りのころ、あまり暑さ

に犬

までが香籥歡

をねぶ

つてゐると

いふのだが、實

はこ

の句

にはちよ

つとした手品

がしかげてある。

それは鷄犬

が鼎中

に殘

つてゐた仙藥を舐

めたために

                 

        ご 

羽化登仙

し、雲

に鷄

が鳴き犬

が吠えたと

いふ支那

の故

事を使

つた

る。それ

「日盛

や」

などといはず

「雲

の峰」

をも

つてき

たわけもわかる。種

を明

かせば

つまら

ぬことだ

が、か

うしたしかけは其角

がしばしば好

んで用び

たと

ころである。だ

が要する

にそれ

は機

智を衆

に誇

るにすぎ

い。

                 

   

そよ

   

 

磊落

な其角

にはまた

一面詩入

らしい細

かい紳經

のはたらきが見られ

た。鏡く物

の性情を

つかん

で、それに最も

ふさ

はしい表現

を與

へてゐる◎こ

の句

など

はまさ

しくそ

の特色を發揮

したも

ので

         

も  ヤ  も  ぬ  へ

あらうQ芭蕉

の葉

にち

よこな

んと乘

つてゐる雨蛙

の涼

しげ

な姿

、それは

「戰ぎ

けり」

といふ言葉

以外

には、決

して適切な言葉を見出だす

ことはできな

いであら

う。句

『句

兄弟』

に出で

、ま

『五元集』

には

「雨後」

と題

して出

てゐる◎

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卦の

 

『炭俵

には

「尾

上の杉

に」

とあ

る。いま

『五元集』

に從

つた。

この旬も秋塞

の高く澄ん

でゐ

るさ

まを、「離れ

たり」といふ言葉

で巧

みにあら

はしてゐる。

ただ

この場合あまり

に巧

みすぎ

ると

いふ感が

ないでも

ない。

榎 本 其 角223

                       

  ぽかふ

 

『五元集』

には

「巴江」

と題

してゐ

る。巴江

は支那

の巴峽。哀猿が叫

ので名

高く

、例

へば謝

の清賦

「巴峽秋深し

、五夜

ノ哀猿月

二叫ブ」

とあ

るなど

、古來詩文

によく書

かれ

てゐる處

るQ句

は右

の清賦

一句を翻

したやうな作

であるが

、.猿

のむき出

した白

い齒

をとら

へたところ

               

コゑ

に新

しいはたら、き

がある。 『句兄弟』

にこの句

之芭蕪

                   

スノを    たな

  鹽

ρ

の句

とを竝

べ出

し、自旬

について

は、

    

暫.

                 

シデ

  是

こそ冬

の月

といふべき

に、山猿叫山月落

と作りな

せる物凄き巴陜

の猿

によせて峯

の月

とは

         

ホスヲ

  申

したるなり

。沾レ衣聲・と作り

し詩

の餘情

とも

いふべくや。

と説明し

、なほ

  此

の句感心

のよし

にて鹽

の齒

のむき出

たるも

、すさ

まじく

や思

ひよせられけむ。云

々:ーーー

ーー

ぎ歓

繋篇

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224俳 旬 辞 繹 上

と、芭蕉も自分

の句

から

ヒソトを得

たやうな

ことを言

つてゐ

る。

しかる

に支考鳳

『十論

爲辨抄』

の中

に、實情

と手づま

の證文

として

、この其角

と芭蕉

の句をもち出

し、

  其角が猿

の齒

は例

の詩

を尋ね歌

を探

して、かれてと

いふ字

に斷腸

の情を盡

、峯

の月

に寂寞

  

の姿をう

つし

、何やら

かやら集

めぬれば人を驚

かす發旬

となれり。

と言

つて

,これを手づま

の標

本としてゐる◎芭蕉

の句

と比較

すると確

にこの支考

の評

は當

つて

ゐる。また

『三珊子堕

にも芭蕉

の言

として

  猿

の齒

白し峯

の月

といふは其角也

。鹽鯛

の齒ぐき

は我が老吟也

Q下

を魚

の棚

とた黛言

ひたる

  も自

旬也

とい

ふ言葉

を載

せてあるが

、これも其

の傾

向を

よく道

破したも

のであらう。芭蕉

は日常

茶飯事

のうち

にも詩趣

を昧

ひ、其角

は奇想

を天外

より得來

つて人

を驚

かさず

んばやまぬ概

がある。

 

『句兄弟』

に西鶴

「鯛

の花

は」

の吟と竝べて出してある◎西鶴

「鯛

は花

は見ぬ里もあり今

     

ろぱて

の月」

の上手

を行

つたも

のである。魚河岸

のいき

のいい鯛

、上野淺草

の花

、それ

に今日

のこの

、それもこれも江戸

に生

まれて十分

に樂

しめると

いふので、大

いに江戸

つ子

の氣爐をあげ

である。

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緩本莫角泌

 

『雜"談集

』(其角撰

、元緑

四年刊)に出

てゐる。とか…名高

い句

といふも

のは、俗受けがするだ

で、藝術的

には大

してすぐ

れてないといふのが多

いが

、これなど

は名高

い句

で、そ

して決

して

い句で

はな

い。誰

にでも

よくわ

かつて、しかも名月

の趣を十分

にとら

へてゐ

る。

しかし要する

に甼面的な寫生

の句

で、いまだ名句

と稱す

べき

ほど

の・杢のではな

い。

いはば初心

の人など

に、俳

とはこんなも

のだ

と示すのに、最も都合

のよい作だ

といふ程度

のも

のだらう。

    

       

      

      

    

れゆ

 

『雜談集』

によれば、この句

「花影月

二乘

ジテ欄干

二上

ル」

の詩句

と比べて、「疊

の上の松影

春秋分明ならず

、夏

の夜

の涼

しき體

にも通

ふべき

か」

といふ難

があ

つた◎

つまりこの景色

はかな

らず

しも秋

の月

に限

らない、涼

しい夏

の月

の趣

にも

とれ

るといふ批難

であ

る。

これ

に勤

して其

「春

の月

なる故

、花欄干

に上るとは言

へり」

と答

ム、て、言外

に秋

の月だ

から松

の影だと反駁

意を含

め・てゐる。それ

は確

かに其角

の論が正

しい。疊

の上

にく

つきりと印した墨繪

のやうな松樹

の影

は、やはり名月

の趣があ

る。

   

.六

.

 龍眼

は熱帶地方

に蓬する喬木

。そ

の果實

は圓形で、六七分。果皮

に茶褐色

の細紋

がある。中

杷の釦、うな種子があり、肉

に包まれてゐる。こ

の肉

が 即ち龍眼肉

である。食用

または藥用

になる。

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二:{ー

奨鼕吾蓐ー

」ー

蠶鷺鬘餐

蕘ー

藁鄭ぜー

.・ 吼羹簿ー

鑾ー

嚢嚢

鰯俳簡詐藤 上

 と

ころで句意

はす

ご、ふる難解

である。 『晋子發句撮解』

には

  

龍眼肉

は殻

を少

し穿

ちて實

をと

る形

の、既

のはじ

めて缺く

るに似

たり。から・衣

は殻

いふ

  

比喩なり。

と言

つてゐる。するとま

つたく談林風

の見立て

の句とな

る。ま

たある説

には、十

六夜

は昨夜

月見

のた

め誰も夜

ふかしを

して、寢不足

の赤

い眼をしてゐる。それが龍眼肉

の薄赤

い色

に似てゐ

るの

で、思

ρっいた句だと

いふ。大分窮

した説

のやう

であ

るが、とにかく

かう

したも

つて廻

った説き

かたをせねば

、句意を解す

ることが

できな

いのは事實

であ

る。しかも其角

はその難解な

のをも

て、ひそ

かに得意

としたのではなからう

か。少く

とも

この句を作

つた動機が藝術的感興

によ

つた

のではなく

して、謎

か考

へ物を出題す

るやうな知識的興昧

にかられ

たのであ

ることは、容易

に想

し得

る。

 

の句

『いつを昔』

に出

で、「邂

園城寺」と前書

がある。園城寺

はすなはち三井寺

のことであ

る。三井寺

の山門

のあたり、冬枯

の木

立が蕭絛

としてゐる申

に、からびき

つた金剛力

士の阿吽

姿

が見える。 「からびたる」

いふ言葉

一句

の生命たることはいふまでも

いゆしかも

それは

 

して技

巧から出たも

のでなく、本當

にこの冬枯

の情景

を見盡

くした言葉

である。

ここにはやは

り其角

のすぐれ

た詩人的素質

が見ら

れる。蕪村

の    

.

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㌔-・Ψ 騨門欄 厂縄一・ト 静  Ψγ 職 縱 ㍗ 瞭'マ     ド準 厂階欝酬 陣 嬲'

227  糎本 其 角

  と

  よ三顏 熱

見 塗 寺  t農

世 、た 丶

  句 日やだ 噛 oは

曉   午ご

せ ま

い さ む

若黎

僑O

 毎

年十

一丹歌副舞伎役者

の座組

などを

改め、却耕しい番鮴鞠で芝居を興行

した。これを顏

見世

とい

た。 「下郁橋」と

は、張良が黄

石公の沓を拾

つて

、軍法

の祕書を授

つた所

。そ

の時

石公

は張良

に朝早く

この橋上

で待てと約

したが

、張良は來かたが遲

いので三度

にや

つと虎

の卷

を授

げても

へたといふ。顏見世芝居を見物

しよう

と、朝早くから起

きてそはそ

はしてゐるさまを

、そ

の張

の故事

に比した作意

であ

る。

かうした故事を

ふま

へての着想

は、其角

の最も得

意とするところ

で、勿論

それは俳諧

の第

一義

とす

べき

ではな

いが

、この句たど

はとにかく才

のはたら

いた作だ。

            

ぢやう

   

 こ

の句

『猿蓑』

に入集

したが、の

に述

ぞ二に始

め上

五を

「柴

の戸

や」と誤

られ

た。

            

そうなん

『平家物語』月見

の條

「惣門

は鎖

のさ

丶れ

て候ぞ

。東

の小門

より入

らせ給

へ」とある

のから

ひついた句

かも知

れな

い。しかし句

の趣致

はもちろん卒家

の月

見と同

じではな

い。これは寒

うな冬

の月

であり、嚴

あしい城門

のも

乙である。し

つかりと銀ぎ

れた重

い扉

が黒

々と見えるやう

ρいはゆる換

骨奪胎

の作

いふべき

である。

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姻 ㈱ 「'姻 厂

嬲俳旬評釋 上

 

『去來抄』

によれば

この旬を

『猿蓑』

に入集

した時

、書

いため

「此木戸し

「柴

戸」

とよめた。それ

で芭蕉

はわざわざわざ大津

から手紙を

よこして

「柴

の戸

にあらず

此木戸

なり。

xる秀逸

一句も大切なり。

たと

へ出版

に及ぶ

とも急ぎ改む

べし」

とい

つてや

つたとい

ふ。ま

たこの句最初下

五を多

の月

・霜

の月

いつれ

にしよう

と置きわづら

つたが

、芭蕉

は其角が多

・霜

わづら

ふべき句

でもな

いとい

つて、冬

の月

に定

めたと

いふ。良匠

の苦心

一字もゆるがせ

にしな

いさ

まが想

はれ

てゆ

かしい話

であ

る。ま

ことに去來も評

してゐ

る通り

、この月を柴

の戸

に寄せて

見れぽ尋常

の景色で

、これを城門

にう

つして見ればそ

の風情

あはれ

に物凄

いことが限りな

い。そ

こに作者

の苦

心も存してゐる。芭蕉がたと

ひ出版ずみ

で竜

、ぜ

ひ改

めよとい

つた

の本尤も

である。

  F胆畷 「静呼㌦"馬曜

霜 に 何

 

      

       

      

      

      

       

   

 

の句

『猿

蓑』

に出で

「淀

にて」と前書

がある。

「およる」

は寢

の意

。狂言

『靱猿』

「舟

の申

には何

とおよるぞ

、苫

を敷寢

に楫

を枕

に」

の文句取

り。句

は淀で

の吟で

、伏見

から大阪まで

川を上下した三十石舟

に初霜

の置く夜

、乘客

たちがどんな夢

を結

んでゐることだ

らうと

いふ

である。狂言

の文句

いかにも巧

みにはたら

いてゐる。さすがに其角

の才だ

と嘆

ぜず

にはをれな

い。

よ佼 よ

紳 か  ぐ

樂 ち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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一『   一一 一 一『

榎本其角嬲

 

この句

『猿

蓑』

「住吉奉納」

と題

して出

で、中七

「鼻息白

しし

とあ

る○

いま

『五{兀一集』

つた。舞

の吐く白

い息が面

の内

に籠

つて、庭燎

の光竜氷

るやラな亠佼神蛾末のさ

まであるo

ただ

しこれは里紳…樂

のさまと見た方

が面

白い。

                  

かろ

   

・へ

 句

『雜談集』

に出

て、「笠重呉天雪」と題し

る。す

『詩人

玉暦』

に見える

「笠

シ呉

天ノ雪」

といふ詩句

にょ

つた作

であ

る。句意

は解す

るまでもな

い。詩句を逆

に行

ったとい

ふ外

に大

したはたらきもな

い句

であ

るが

、そ

の解

しやすく

つ人情をうが

つてゐる黠

が、世人

みに投

じたのであらう。.

  我

といふ形

で、俗謠

として俚謠Σ

してあ

まねく知られ

るヰ、う

にな

つたo

   

こ  げい せい

   

 

これだけ

でも十分解せられる句

である◎だが

『雜談

集』

にはわざわざ

「世

の中を

いとふま

でこ

そか

たから

め」

と註

のご

とき前書が

る◎

これは

西行

の歌で

、下句

「かり

の宿りを借

君哉し

である。で

はこの西行

の歌

は旬と何

の關係がある

かといふと、こ

の歌をもと

にして仕組

      え ぐち

だ謠曲

『現在

江口』

に、「小

傾城ども

にたぶられ

て云

々」とい

ふ文句

があるからである。いささ

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一ー

 婁 

鑿夷鍔籍厭

鬱餮嚢鏨

のことにも

かう

して故事を引き才學

をほ

のめかす

のも

また其角

の癖

であ

つた。

230俳 句 詳 釋 上

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はつとり 

 らんせつ

     嵐雪

服部

幼名久米之助。

元來淡路

の人であるが、幼時

から江

戸に佳

んだ。

一諡

に.嵐雪

嫁すでに江戸で生まれ旗とい

ふ…説竜あ

る。其角

と同

じころから芭鼇…に師蟇

し、始め嵐亭冶助

と呼

んだ。

のち山風雪と改め、ま弛雪中庵

・寒 

蒙〃齋

・不白軒など

と{號す

るQ新庄隱殴守

・"井上相灣醒…守などに仕

へ、ま

旗稻}葉家

に抱

へられて…越後幽咼田に.ゐ弛

が、つひに致仕して俳諧に專心し些

寳永四年翼、年五+四。

・『其濱木綿』・『杜撰集』・暑

蘗集』・

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

   

  

  ゆ

『其袋』

などの撰

があり、

その旬は白萬坊旨

療の編

し弛

『玄峯

集』に收められてあ

る◎

服鄰 嵐雪

  『其袋』(嵐

雪撰

、元祿

三年刊)に見

える句

であ

る。

=佼明けると世

は春

、塞

はうら

うらと晴れ

わた

つて・軒

ざ雀

の聲

までが今朝

一しほ晴

れた

のと兩意

をかねて・大

いにはたらき

があ

る。ただしそ

こに幾

分遊戲的

な氣

分も,加

つてゐる。雀

の囀

りを物語

りと

いつた

のは、可愛

らし

い雀

の動作も

おも

はれ

て親

しい言葉

であ

る。

   

ぬ轟・ゑん     なつな

    濡

薺.こ

231

 

噸績猿蓑』

に見

える句

。 「濡縁」

は、庇

の外

とな

つてゐ

る外縁

であ

る。濡縁

に土

の附

いたまま

の若蘂

がちよいと攫かれてある。わつかそれだげ

のさまだ

が、正月

らしい氣分がお

のつから漂

しTご写ξ

-ー駐}・「》炉罫ー ・三

『F じ馬」6孟:ー匸鼕

ー耋

暑ー

ぞ義

べ罫

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ー;ー景耋婁謬む籠婁謠ー

奪鬣塗

蓴鏖鼕難

鳶釁窰邊,

鑿萋。零・攀

爨箭璽垂g 

掌穫8、 遞暴

23鬱俳旬詳釋 上

い。

「こぼる

ムし

といふ言葉

が、いかにも適切

に用

ひられてあることを見

のがしてはなら

 

この句

の最も古く見える

のは、…嵐雪

一周忌追善集

『遠

のく』(寶

永五年刊)で、それ

には

「寒

梅」と題

してあ

る。し

かる

『玄峯集』

にはそ

の前書がなく

、春季

に入れ

「此

の句あ

る集

に冬

5の部

に入れ

たり。叉面白き

かし

と書・き添

へてあ

るo

 

名高

い句だが句意

はしば

しば誤られ

てゐる

やうだ

。元來

この句

「寒梅」

と題

してあ

つて冬季

の句

なのであ

る。それ

で句意

「寒梅が

一輪開…いた。

つかりとど

こやち紅昧を帶び

たそ

の花を

てゐると、冬

とはいひな

がら

その

一輪

ほどめ暖

かさがもう感ぜられ

る」

といふのであ

る。梅が

       

      

      

      

も  う         も  ヤ

 一輪

つ開

くに

つれ

て暖

かさが壇す

といふ意

ではな

い。つ

つでなくほど

とある

のに注意せねばな

らぬ。なほ諸書

「つ

つ」

と憾

へてゐるのはすべて誤

りで、『遠

のく』を始

め信憑す

べき諸書

には

敦な

つほど」

とな

つてゐる。隨

つて

「梅二

一輪

ほど」

と上五で切る

べき

で、「梅

一輪

噛輪

・一は

どし

でな

い。

ただし

かう解する

と句意

は誤

つてゐな

いとしても

、何だか理窟

いて

いやな旬

にな

るやうに感ず

る。

しかし

一輪つ

つの」

といふ意

に解

したと

ころで

、理窟

つぽ

いことは同

であ

る。要

するにそのいく

ー5

か理窟

つぽい黜が

、人

口に膾炙され

るやう

にな

つた所以

で、髓

つて

藝術的

にはさま

で高く許價さる

べき句で

はない。

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出 が は

  をさな ご』ろ

や 

心 

  『猿薹』を始

め、『此花集』・『鳥

豺蓮花』・『藁人形』

の他諸書

に探録

てゐる。 「出が

・り」

とは、昔

は三月

五日に奉公人

が交代

ずるなら

はしであ

つた、それ

をいふ。

 

の句も嵐雪

の作中最も

よく知

れた吟

で、支考

ははやく

『葛

の松原』

「嵐雪

が幼

一字

て人

に數行

の涙

をゆづりける也

」とほめてゐる。こ

一年聞馴染

んだ

下女

や下男

が、今

日はいよ

いよ暇乞ひをして出

て行く

。幼

な心

にもそ

れがも

のあはれに感ぜられ

るといふのである。幼年時

に誰も

が同じやうに抱

いた感

じ、それがそ

のまま

に言

ひ出

されてある

ので、こ

の句

をよむ誰も

がまた心

を動

かさず

にはをられない

のである。人情

の虞

をうが

つてゐるが故

に、こ

の句

は何人

も理解され

、同感

され

、さうして名

高くな

つて行

?

πのだ

    うまずめ

   

服部嵐雪233

 

この句は、『續盧栗』・『此花集』など

に出

てゐる。 「石女」

、子を生まな

い女

のこと。 「かし

づ・∴」

は、大事

にする意

である。

 

これも實情をうが

つてゐ

る。其角

のやう

に作

つた句で

はな

い。子をも

たぬ女がせめイ、雛"樣

で・も

飾り

たてよう

といふ心も

ちが

、し

みじ

みとも

の哀れ

に感ぜられる。嵐雪

の妻

は實際石女

で、子供

の代

りに猫を可愛が

つてゐ

た。あまり可愛がりずぎ

て時

々夫婦喧嘩ま

でや

つたといふ逸話がある}

詳1

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c萋ー

  .

矮蟇

234俳 旬 許韆 上

この句も

、あるひは妻

の實情

をよんだのかも知

れな

い。

   

    

ちこ

 

 

この句は

『…炭俵』・『別座舖』など

に出でゐ

る。 『源氏物語』横笛

の卷

  

      

       

      

      

  

しづく

  

      

       

    

たかろな

  

御齒

のおひ出つ

に食

てんとて

つと握りもち

て雫も

曳と食

ひぬら

し粭

へば

  云

とあ

るのから

、想

を得

たのであら

うといふ。美

しい兒

が白い可愛

らしい齒

竝みを見せて

、竹

の子

を噛

むさまは、なるほど

『源氏物語』

など

の優雅

一場面も想

バ、)ぬ、らる。單

に寫

生的

の句

として

、も

ちろん面

白い。

 こ

の句

は、『其袋』・『破曉集』

(元祿

三年刊)

などに見

える。 「色

こき

まぜよ」と

、昔

は位階

によ

つて朝服

の色

一定されてゐて

、五位は淺緋

、六位は深緑

であ

つたところから

いつた。

五位

六位

の官人たちが、緋

や緑

の目も

さめるやうな服裝

、青簾

をかけわたした殿上

に立ち竝ん

でゐ

る。それはま

こと

に清爽優雅

なさまであら

う。句

はすがすがしい青簾

に對

して

、さう

した古代の

みやびた、美

しさを想

ひや

つて、「色

こき

まぜ

よ」と言

る。

これも

『源氏物語』若紫

    

      

      

       

      

      

      

の卷

の交句

「見も知ら

ぬ四位

五位

こき

まぜ

に、ひまなう出

で入

つ玉」

などを

『…嵐雪發句撮解』

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服 部嵐雪②35

には引いてゐる。

 百人

一首

でよく知られ

「,山鳥

の尾

のしだり・尾

の」

によ

つた作意

であ

るが、そわを

一轉

して、

「長屋

々々」

と俗

にも

つて行

つたどころが俳諧

であ

る。長屋

の軒ご

とにさ

した菖蒲

が單調

にず

と竝ん

でゐる

のは、成程

しだり尾

の長

々しいといひたい感じだ。 「しだり尾

の」

は長屋

の形容

もあり

、同時

に全體的な感じをも

いひ表

はしてゐる。

かなり小手

のき

いた技

巧といはねばなら

ぬ。

   秋

 この句は

『嵐雪戊辰歳旦帖』(元祿元年刊)・『續の原』(元祿元年刊)などに出てゐる。初秋の

句である。 『嵐雪發句撮解』には後嵯峨院の

  あし簾夕暮かけて吹く風に

        秋の心ぞ動きそめぬる                        ,

といふ御歌を引いてある。繩簾にそよめく風にもう秋が感ぜられるといふので、もしこの御歌に

よつたのであるなら、一句の手柄はあまりないわげであるが、蘆簾を繩暖簾に化したのばやはり

俳諧であるゆ           ,

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236俳 旬 詳 釋 上

粗 撲

と  瓶ソ

竝 ぶ や 秋 の

鍼.

 

この句

は、『炭俵』・『或時集』・『俳諧曾我』・『風

の末』・『つのも

じ』などを始

め、後世

の類題集

に至

るま

で、多く

の俳書

に操録ざれ

てひろく知

られた句

であ

る。力

士たちの花

やかなまはしの

を、秋

の千草

の織

り出

した唐錦

に見

立てたのであ

る。句

に深い意昧も

なく、藝術的

の匂

ひも稀

であ

る。

しかもあ

まねく人

口に膾炙

は、これ

また誰

にも解

しやすく、特

「唐

錦」

の語が秋

との聯想をすぐ呼び起

すので、そ

こに感心さ

せら

れたも

のらしい。相撲

は俳諧

では

の季

にな

つてゐる。

          

けむり

   

 

この句

『萩

の露』(其角撰

馬元祿

六年刊)に出てゐ

る。眼前

には晉も

なく静

かに流れ

る川

の水

がある。そ

の上を白く搖曳する

一抹

の烟

、ー

それ

はおそら

く川霧

であら

う。月

は皎

々と照り

つて

、まことに夢

の世界

のや

うな美

しさである。月

光の下

に展開

された水邊

の夜色

、縹渺

る趣

を澱

へて描ぎ出

されてゐる・

   

は  ぜ           すゐ そん さん

くわく しゆ  き

   沙

『盧栗』(天和

三年刊)に躡て

ゐる句。江南春

「千里鶯

イテ線紅

二映

ズ、水村山廓酒旗

ノ風

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南朝

四百八十寺

、多少

ノ螻豪烟雨

ノ中し

とあ

る杜牧

の詩

の第

二句をそ

のまま中

七字以下

に用

ひて、

     

                  

う  う  も  も

原詩

の春色

を秋興

にかり

たのであ

る。

しかも少

しも

ちぐ

はぐ

な感

じがなく

て、沙魚

を釣

る江村

さまがそのまま淨

かんでく

る。

服 部嵐 雪鮒

 

この句

、自撰

『其袋集』(元蘇

三年刊)

に出で、菊花

九唱中

のそ

の三、「百菊を揃

へけるに」

と前書がある。 「もがな」

は希望

をあらはす助詞。何

々であ

つたらよいの意。

ここは

「無

つた

らい

玉」

すなはち

「無

い方

がよい」

の意

。文字

のま

まに、解

すれば、

「その外

の名

の無

い方が

よい」

が、實

「その外

Q菊

は」

の意

たることはい

ふまでも

ない。それを間接

げ』言ひまはしたのは、

骨を避

けて含蓄昧

を豐

かならしめたのであ

る。これで句

に鷹揚

な品格

が生

じてく

る。

ただ

しこ

の種

の間接

な表現

は、ややも

すれば理窟

めいた主觀

を含

んで、月

並臭くなりが

ちであ

るが

、この

の場合

はさうした難…がない。

 黄紅白紫色さまざま

の百菊申

でも

、や

つぽ

り菊

の清香

にふさ

はしいのは黄菊

と白菊

とだげだ

いふのであ

る。さう

してそれ

は菊

の清楚

高逸

を愛するもの

の、ひとしく同感

すべき

ところで

、い

やしくも詩歌

の趣昧を解

するほど

の者

ならぽ

、何

入もこの旬

を喜

ぶに

ちがひない。すな

はち

これ

が嵐雪の代表句

一つとな

つた所

以である。

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悔鑿蘂毳ー

繋ー

挙㌣藜瀞耋ー

蓉ー

.・

嬲俳鋸飜釋 ま

蒲 

團 蓿 

て 

寢 た

甥⑳

姿 や 東

 こ

の句、『枕屏風』

(元祿

九年刊)

には

「東山晩望」、

『水

ひらめ』

(元祿

一年刊)

には

コ夙に

てLと前書があり

、その他

『二番船』・『八重葎』。『風

の末』など

の諸書

にも採録

され

てゐ

る。

 柔らか

い線を描

いて横

たはる東山

の姿を

、巧

みに形容

したも

のであ

る。

しかも

その形容ほ

極め

て李易

、子供

にでも成

程とすぐ

うけ入

れられる。この句

が嵐雪

の作中

でも最も人

口に膾炙

され

た所以は

、すなはち何

にも容易

に解

せられ、か

つ同感

されるといふ點

にある。元來名高

い句

いふのは、多くかやう

に萬

人むき

のする句で

、それだけ

一面深昧

に乏

しく

、またややも

すれば理

智的な興昧

に走りがち

である。

しかる

に嵐雪

の名{咼い句

といふのは、李易

ではあるがいはゆる月

に墮

せず

、相當

に佳旬

とす

べきも

のが多

い。嵐雪

の特色

は、要

するにかうした淵雅甼明な

とこ

にあるとい

つてよからう。

 

なほこれは實際蒲團

を着

て寢

てゐる恰好

を、東

の姿

に見立て

た作だ

といふ説がある。

しかし・

それでは何等

の詩趣も解

せら

れないばかりでなく、「東山晩塑」とか

「京

にて」

といふ前書が無意

になる。東山

の句

たることは明ら

かであ

る。

ただ

し發旬

の形式的條件

から

へば

、やはり

「蒲…

」が季語

とな

つてをり、隨

つて冬季

の句

である。

「、寢

たる東山」

「山眠

る」

の季語

に宛てよ

うとするのは無

理であら

う。

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ぱち   たレまね

 

 

服部艦雪239

 

『刀奈美山』(元祿

八年刊)に見える句.。鉢叩

といふも

のは惣

じてわびしく

かれた感

じをも

つも

のである。ところが今

見た鉢叩

はまだなま若

い色

の小

白い男

つた。何

だか鉢叩情調

にそぐ

はな

いやうな氣

がしても

の足

りない。もうすこし年と

つた奴

は來ないかなアといふ

のである。いささ

 

 

 

  の

か興じた心もちがある。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

  

り  

 

其角が

『刀奈美

山』

の卷頭に記

したところ

によれば

、元祿

八年霜月

十三日の夜

、其角

・嵐雪

の三人が嵯

峨の去

來の落柿舍

を訪

、主客

四入

、舗

翕芭蕉

の昔を偲

んで

、泣き

つ笑

ひつして

一夜

を明かした時

の吟

あるとい

ふ。そ

の文

には

 

 八

ッの鐘耳

ひそか

にして、鉢叩

のしはぶき來る。

こわを嵐雪が馳走

にと十錢をなげて千聲

 

 

ひさごをならさ

しむ。

 

 

 

  

 

 

 

 

かも がよ

 

 

 

 

 

 嵐

 

 

 

  

 

 

て  さく

 

 

き・ 

 

 

 

と、地

の三人

の句も

一しよに一記

してあ

る。

吻 

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脚俳句欝 釋

ないとう 

ちやらさろ

    丈草

内藤

2

尾張犬山の人、逋穩林右衛門・レ藩俟の異母弟寺尾直龍の近侍として歯仕し弛が、元緑元年二十七歳の時、病

弱の故を竜つて致仕し、かねて參輝し℃ゐ旗犬撫先聖守の玉堂和街のゆかbを訪ねて、由城深草の里に假寓

し弛oその頃から芭蕉に」師事し、毒師の超後は粟津・㎝龍ケ岡の佛幻庵に閑居して禪と俳とに』稽進し、つひにこの

庵申に終

つ弛◎寳永元年二月二十四日歿、年四十三Q俳書の撰はないが、隨筆

『寢ころび草』がある。

 

この句

『淨世

の北』(元祿

九年刊)に出

てゐる句

であ

る。鶯

が鳴

いてゐる。場所

は茶

の木畑だ。

時刻

は夜明けが

た、まだ有明

の月が淡

い光を投げ

てゐる。春

の夜明げ

の新鮮

な、そ

してにほやか

な感じ

に滿

たされ

た句だ。丈草

には別

        し  だい  あが

  鶯

 (元祿

+五年刊

、白馬集)

の作があるが

、朝月夜

と時刻

を示しただけ

に、前

の句

の方が情景

つきり

と淨かぶ。

 

『北の山』(元緑

五年刊)。『炭

俵』(同七年刊)・『幻

の庵

』(寶永元年刊)

など

に出てゐる。大原

は洛北

の地名

。 『李家物語』

の大原御幸

一節

など

でよく卸られ

、朧

の清水と

いふ名所

もある。

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"ノ 啼撹が  凧グ贋浄~沸 荷、櫞'

内 藤 丈:草241

 

そσ名

もゆかしい大原

の里、朧

月夜

に白い蝶

がひら

ひらと舞

ふ姿は、夢

のやうな美

しさであら

う。ま

つたく幻想的

な光景だ

。この旬

について

、蝶

ぱ夜聞

飛翔しな

いも

のだから事實

に反する

ふ批難も

ある。

しかし實際出

て舞

ったのは蛾

か他

の昆蟲

であ

つたにせよ、作者

がそれを蝶

と思

つてよんだ

のなら少

しもさし

つか

へはな

い。藝術

の境

は科學

の世界

より自由

であ

る。讃者もま

丈草

と同じく

、月下

に舞

ふ蝶

の姿を

、眼前

に想

ひ淨か

べる

ことが

できる

であらう◎

              

 後

の書

であるが、『白雄夜話』には次

のやうな話が簿

へられてゐ

る。    

.

       よゆ

  蕉翕

の日、夜

の舞

ふさま

いか

黛あら

んや

と聞給

ひしに、さく夜大原を通り

てまさ

に此

の姿

  

を見侍

りぬと。翕日

、しかるう

へは秀逸

πるべし。誠

に大原なる

べしとそ頌歎淺

からずあり

  

しとo

たとひこれが假託

の言

であ

つた

にせよ、芭蕉

と丈草

とはこの問答

をそのまま肯定

するであら

う。

      

るいニ

去來

「丈草誄」

によれば

、芭蕉が深川

の庵

に歸

ったころ、知友

の句を書き集

めて

たよりを

した

にこの句も書き加

へてや

つた。すると芭蕉

は丈草

の風雅

のやや上逹

とを評

し、「この僭

つかしと言

へ」

と去來

へ返事があ

つたといふ。

 

ほこの大原

は洛

北の方

ではなく、洛西大原野

であ

らうといふ説もあ

る。地勢

から

いふと、小

鹽山

のなだ

らかな麓

つづいて

、東

に廣

々とした野が開

けてをり、句

のやうな情

にはむ

しろふ

さはしい。地名

から來

る古典的

な聯想

も、洛

北の大原と限

らねばならぬことはな

い。

のみならず

大原野の方

にも

、やはり朧

の清水

と傳

へる名所

はあ

る.》とにかく實景

を知

つてゐる者

には、大原

吊}面 鴫

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夢r

242俳 旬 評 繹 上

の方が

ふさ

はしく感ぜられ

る。

よ  ぎ

 

『笈日記』(元祿

八年刊)に見え

る句

。すぼり

と拔け出

たまま

、夜着も疊

まぬ春雨

のも

のう

                       

    らんくわ

と日。それ

は丈草自身

の生活

のさま

であ

つたらう。彼

は自

ら嬾窩

丈草

と號

した。性來虚弱

な彼

は、

あまり行脚

などもせず

、草庵

に靜

かな日を邊

ることが多

つた。嬾

に隱

れ閑をあ

まなひ、淋

しい

生活

にひたりき

つた彼

の境涯が

、輕く興

たこの

一句

の中

にも

、明らか

に映

し出

されてゐる。

                      

かはつ

   

 

この句

『鳥

の道』(元祿

+年刊)

に出

てゐる。 『丈

草發句集

』(蝶夢編

、安永

三年刊)

には中

「心

でう

かぶ」

とあ

る。

 

芭蕉

の風雅

は彼

の生命

であ

つた。自己

の藝術

に對

する眞摯

なそして熱烈

な愛

が、芭蕉

に不斷

力を

つづけさせた。

しか

し丈草

の俳諧

は所詮彼

の靜

かな淋

しい生活の俘侶

にすぎな

つた。彼

はあくま

で禪

に遁れ閑

に居する

のが本意

で、風

に情

を勞

し花

に神

を惱ます

のもま

た執着

と觀

じてゐ

た。か

つて芭蕉から

       

                         

  此

の鱈此

の道

にす

へみ學ばば

、人

の上に立たん事月

を越ゆ

べからず

とい

ふほど矚目され

てゐた彼

であるが

、しかも彼

は俳諧

にも執を

とど

めず

、ただ

興乘じて來

たり

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      「弔 ψ    v  蹕 押卿 増「丐幅㌦闇い男   晒卿 鞠  、撃ρ     虫μ鰍

興盡縢櫛誕郵轄

舗簸

ガ膝拠じ霞

打羹

るが如し.

覊響懲一靆鸚鬱

  でも

つたらうむ

     我

.鱶

..の

   『猿謹

(元瞥

年刊)に出てゐ為

。小川のほとりなどで根芹叢

とすると、そこにゐた

草腿講

飜・袴漣

ギ鴇謙

冠欝嫉

黐織卿

野護

離難鱗

満鷲駆擁難

傭蝶

欝p輪諸

恥侃齢簿飜

離難

幡齢

.孕葦

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丶献・  ÷嬲副 押 帥'幣触 帽贈聯 ・岬 い'弓 身

244俳 句 評 羅 上

では、この句

の輕

ユーモァは決

して生まれて

こな

いであら

う。

草は簡易

な生活

の聞

に、ひたすら安らかな心境を求め

てゐ

た。

この安ら

かな心が

、時折

かう

した輕

いユーモァにも

つて現

はれてく

るのであ

つた。

  水

  

み「丶

 これらは

一茶

の句境

に似

てゐ

るやう

で、

一茶

のやうな皮肉が微塵も

ない。素直

な輕

い笑

ひのみ

が淨

かんでく

る。

鳥 鳴

や 湖

  Σ

 句

は、『芭蕉庵小文庫』

(元祿

九年刊)

に出で

、なほ

『續猿蓑』・『國

の華』など

にも採録ざ

れて

ゐる。

この湖水は

いふま

でもなく琵琶湖

であらう。

五月雨ご

ろであ

る。水

一帶

に淡く濁

りを帶

びてゐる。

そこ

へ時鳥が

一聲・、湖

上を斜

にスウ

ッと鳴き過ぎ

た。

と、湖水

の面

は輕く波

つて、.

靜寂

の氣がかすか

にゆらぐ。さ

うい

つた光景

であ

る。

 時

は早雙

でもあらうか。大き

な景色

であるが

、そ

の間

に細

かな感覺がは

たら

いてゐ

る。佛幻庵

の窓

によ

つて

、ぢ

つとこ

の光景

に心を澄ませてゐ

る丈草

の姿が

、何

となくおも

ひやられ

る。

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内 藤 丈 草245

 

この句

は、『志津屋敷』(元祿

+五年刊)

を始

『草刈笛』・『幻

の庵』・『風俗

交邏』

など

に出

               

                    

をり

、なほ

『風俗丈選』

には

「贈新道心辭」

といふ

一交が

ついてゐる。門入魯

九が出家

した折

               

    

ル      ユ

へた句

であ

る。 『風俗文邏』

に載

せた

「贈一薪

道心

騨辭」

を引いて見

よう。

  世を

のがれ

て道

を求む

る程

の人は、皆

一かど

の志

を發

して、まことしき

つとめど

もしあ

へれ

  ど、年を重ね

ぬれば

、叉

かれ

これ

に引

かるx縁多く

、事繁くなり

て、更

にはじめの人

とも

               

                     

  ぼえぬ振舞

のみぞ多か

る。古人も此

の事を戒

めて、出家

は出家以後

の出家を逾ぐ

べき

よし勸

  

めはげま

しぬ。魯九子

は美濃

の國蜂屋

の山里

に…遊び

て、いまだ

さかんなる齡

のいかなる縁

  

や、俄

に墨

の袂

に染

めか

A、て、鹿

のす

かを

かけ出

で、山寺

にかき籠

れるよし、傳

へ聞き侍

  り

て、今

のこ乂ろざ

しの正

しき

に、なほ後

の出家

を怠

らぬみさを

の程を願

ひて、拙き辭

を申

  

し逶

りぬ。

 句意

は右

の文章

によ

つてお

のつから解

され

より。蚊

屋を出

たのは今

の出家

である。しかしそれ

だけ

ではただち

に眞

の月

を見ることはでぎ

ない。

いま

一つ障孑を開

けねばならぬ。それが出家

               

          さと

の出家

である。すな

はち譬喩

をも

つて出離

の得難

きを識

し、道心

の堅固なる

べきを戒

めた

ので

る。

 許

六は丈

草を許

して、「少

し理

の過ぎたる方なりし戸青根

が峯)

とい

つた。前出

の「取り

つかぬ力

で淨

む蛙」

やこ

の句

など

は、確か

に理

に過ぎ

てゐるだらう。

しか

し丈草

の宗教的信念

の中

から生

まれた句

として、やはり彼

の全人格

の反映がある。決

して筌疎

な觀念

だけ

の教訓

とは聞かれない。

ーーー尹ー

ず慰

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246俳旬 評 繹 上

 

この旬

は、『泊船集

』(元祿

+年刊)・『篇突』(同年刊)

など

に見え、『篇

突』

には

「五老井

の納

涼」

と前書がある。

五老井

は近江彦根

の東郊

にあ

つた許

の別莊

のことである。沛然

として夕立

が降

つて來た。今ま

で庭

の竹を上下

してゐ

た蟻どもが

、たちまち列

をなして走り

下る。眼前

の即

であるが

、白雨

一過する折

の涼味が巧

みにとら

へられ

てゐる。 

 

 

『初蜘集』(元祿

九年刊)に出

てゐ

る。闇

の中

にパ

ッと閃

いた稻妻が

、たちまちさ

ヅと二

つにわ

た。

と、そ

の光

の下

に、厦黒く突

つた山

の頂が照

る。

く緊張

した句

であ

る。

「われて落

つるや」が千鈞

の重

みをも

つてゐ

る。そ

のために實景が眼前

に迫

るやうな感

じが

する

のであるQ

    

      

       

      いほ

   

鹿

 

この句、『續有磯海』(元祿

+

一年刊)・『猿舞師』(同年刊)

など

に見える。佛幻庵

の生活

一つ

であらう。近く

の山畠

に鹿

の番

小屋がある。そ

の小屋

の火

ちやうど庵

の窓

に相對

して見え

るの

である。孤獨.に馴

れてゐる彼

にも

、この夜ご

と窓から見るそ

の火が

、何かな

つか

しいも

ののやう

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にさ

へ思

はれ

るのであ

つた。

や 渡

 

『渡鳥集』(寳

永元年刊)に出

てゐ

る旬

。北

の國

から長

い族路

を飛

んで來

て、今

つと山鼻

にと

ついた渡り鳥

の群れ。青く澄

んだ塞

の下

に、安堵

の喜びを歌

ふやうなそ

の鳥

の聲が

高く響き

たつた。句

はただ

「渡り

つき

たる」

と客觀的

な敍法をしてゐるが、そ

の中に嬉

しげ

な小鳥

の情が

十分

に籠

つてゐる。

          しゆ  もく

   

内 丈 草 藤247

 こ

の句は

『韻塞』

(元緑九年刊)

に出

て、「訪郷

里舊友」

と前書

る。なほ句

『皮籠摺』・

『柴橋集』

など

にも見え

る。 「撞木」

は、鉦

を叩く丁字形

の旛

のこと。病氣

で寢

てゐる郷

の舊

友を訪ね

て、そ

の病入

の部屋

に泊

つたのであ

る。と

ころが病

の都合か何かで撞木形

に床

をと

て寢

た。それが枕

を竝

べて寢

てゐ

るのとはちが

つて、何

となくも

の足り

ない侘

びしい心も

ちが

た。夜寒

の感じも

一しほ深

つたのであ

る。

 撞木

に寢

た離ればなれ

の感じ

、病人

の低

い寢息

、肌寒

い衾

、それらが集

つて侘

びしい秋

の夜

                          

の情調を

かたちつく

ってゐる。しかもそれらは

一っ

一つの道具

立てでなく

、渾然

として統

一され

 

う  ヤ            ヘ  へ

たわび

であり、さび

である

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248俳 旬評 縄 上

〉つ

・ま

 と

 

この旬

『枯尾花』(元祿

八年刊)

に出

で、「ぱせを翕

の病床

に侍

りて」

と前書

にある通

り、師

の病床

に侍

して

の吟

である。廓

の病を氣つ

かひなが

ら、藥鍋

のそば

にし

よんぼりとうつくま

てゐ

るのは、すなはち丈草自身

の姿

であらう。

この句

について

『去來抄

には次

のやうな

ことが

記され

てあ

る。

 

 先師難波

の病床

に人

々に夜伽

の旬

をす

乂めて日、今

よりわが死後

の旬なり。

一字

の相談を

 

 加

ふべからず

となり。さまみ

の吟ども多く侍

りけれど

、只

この句

のみ丈草出來

たり

とのた

 

 ま

ふ。か

玉る時

はか

製る情

こそ動

ぎ侍

らめ。興を發

し景を探

に豈

遑あらんや

とはこの時

 

 て思

ひ知

り侍

と。そ

してこの時人

々のよんだ旬

は、芭蕉

の終焉記

『枯尾花

に左

のご

とく見え

てゐ

る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 、

皆 鬮&思 叱 引 病

子 と ひ ら 張 中

  り よ れ っ のなて る て   あ

ら 蘂液 欽 て ま

        蒲 り蓑 飯黝瞳の

虫難 耀 て寒

す た 出 寒 るく る し る 緩

鳴 夜 冬 寒 笑 忌

盡 伽 籠 さ ひ も

す 哉 り 哉 聲 り

乙 木 正 支 惟 去

州 節 秀 考 然 來

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 いつれもわびし

い夜伽

のさ

まが

あら

はれてほゐるが

、わけても丈草

の吟

にその夜

の實情

は蠱き

てゐ

る。芭蕉が

ひとり

この旬

に滿足

の意

を表

し、去來

「か

瓦る時

はか

製る情

こそ動ぎ侍

らめ」

と感

たのも常然

である。

  

 いく

だり                         せ  た

  

 幾

 

『猿蓑』(元祿

四年閥)に出

てゐる旬

。比良颪が湖

面を波

立たせて、

一しきり

ハラ

ハラと時

雨が

欄干を横

にう

つ。傘持

たぬ往來

の入

は、しば

し雨宿

りする所も

い橋

の上のこと

とて

、思ひぎう

て驅け拔

けて行く。それが

一人

、二人

と、も

う幾人

かさうして長

い橋

の上を通

つて行

つた。ま

たく矚目

のままだが

、時雨

の風情が

よくとら

へられてゐる。

      

       

  

ふすま

   着

内 藤 丈:草249

 

この句

『幻

の庵』(寳永元年刊)に出

てゐる。た

つた

一枚

の布

子だ。寢

た時

は夜着

になり、起

きた時

はそ

のまま蒼

てゐる。

「拔

け出

たま

乂の夜着

の穴」

と同じく、丈草

の簡素

なそしても

の憂

げな生活

のさまが想

はれ

る。

一體丈草

の句

には、い

つも彼

の生活

の影が濃

く漂

つてゐる。試

の句集

を繙

いてみたら

、彼

の日常生活

の中

から生ま

れた作が

、いかに數多

いかすぐ氣

つかれる

であらう。そ

してそれ

は芭蕉

などのやう

に、水雲

の間

に詩紳

を惱

ますといふ

のではなくて

、大が

い自庵

に引籠

つたまま、隱閑

を樂

しみなが

ら案

じ入

つた作

である。だ

から許

のご

とき

は、「目句

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                      俳旬評釋 ヒ  250

                              を を                              あ や守 草

筆 海象早わ借 草 鹿 鹿 朝 書 谷 鶯 死 塗滲ら る

㌶ 窯 磨靂㌶ 鷺 嚇火 火こ返 時 や し 弱 の 火 秋 見 青 ら も 庵 讐

1警ll臨麟lll∴ 糧の 下 け あ さ やさめ 鰍 る 庵 は の 知 よ 肇

本ぼや り増 け や 雲 や の る鴎 る

鱗 雪 庵 庵 ふ 秋 庵 庵 原 若 庵 ふ 庵 花

か 古㍉ の の の の の の の 葉 の せ の 見

な 狸萎庵 上 舟 菊 蠅 客 窓 庵 風 客 ぎ 花 哉

るなり」

と皮肉

口吻

を洩

らしてゐる。實際

「庸じ

の語

1

鬘"

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など

の十數句

を數

へる。

これらの庵が

みな自庵

といふのではないが

、大部

分は自分

の生活

を中心

としたも

のである。も

ちろ

「庵

」とあらは

にいはな

い句

にも

、佛幻庵

の朝夕を想

ふべき句

は多

いので、なるほど

取材をひろく求

めると

いふことから

へば

、丈草

の作

はあまり

に■範圍が狹

く限

られ

てゐ

るかも知

れない。しかし彼

の特色

は、またそこ

にあるとい

つても

よいのだ。清高な隱者

の風格

こそ彼

の句

の生命

であらう。

   

しも

ぎやう                ζ  たつ あん ぎや

   

内 藤 丈 草251

 

この句

は、『記念題』

(元祿

+

一年刊)

に出

♂丶

「人

の行脚

のうら

やま

しく

て」

と前書がある。な

ほ句

『幻

の庵』・『けふの昔』

など

にも採

られてゐる。丈草

が自

ら嬾窩

と號

し、物ぐさを

口癖

してゐたのは、

一つはその病翡

のためでもあ

つた。時

にはかうして人

の族する

のを羨ま

しいと言

つても

ゐるのであ

る。しかも

この句

の中には、羨

ましいとい

ふよりも

、むしろ悠迸自

の趣

があ

る。火燵

の庵

を本奪

としてゐるといふ寒がり屋が、こ

の冬

に族

など

はとても及ぼぬ

ことだから、

まあ

下京

あたりの友

入でも次

から次

と訪

ねまは

つて、火燵

の御馳走

にでもあつからうと

いふのだ。

「火燵行脚

しと

いふ言葉

が、輕

く興

じた心本ちもあ

つてま

ことに面白

い。

 下京

と特

に言

つたのは、上京

に佳

む人

々が

一般

に上流瓧會

であ

つた

のに比して

、ここは申流以

下の佳

む所

として、おのつから安易

な感じをも

つてゐ

るから

であ

る。凡兆

「下京

や雪

つむ上」

の句

における上五丈字

とあはせ昧

はうて

、無

の措

でな

いことを知

るであらう。

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252俳 旬評 釋 上

たか鷹

 の 目

の 枯 野

居嘉

か な

 

この句

『菊

の香』(元碌

+年刊)

を始

め、『染川集』・『淡路島』

など

にも見えるが、『淡路島』

に下

五を

「塞さ

かな」

としたのは誤

りであらう。獲物

をねらふ精悍

な鷹

の目が、

いか

にも力強く

表現され

てゐ

る。滿目蕭條

たる枯野

の中

に、き

つとすわ

つた猛禽

の眼光

は、物

を射拔

くやう。と、

の毛を逆

立てるば

かり

に嵐

が吹

ぎ過ぎ

る。身

が引きしまるやうな感じだ。丈草

はまたかう

した

い自然描寫も

してゐるのである。彼

が詩人として天分

に惠

まれてゐる

ことは明らかであ

る。

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が      讎 τゴ櫛罰    〆氏鴇匸一'や叫㌘

むか

  きよら

向井 去來

名は元淵、諱

は爺時、逋稱牢次郎。長

崎の儒醫向井元升

の次男鴦ある◎少

時父に從

つて上洛

し、

つばら武

を修業

し弛が、のち官途に

つく念を繦

つて俳詣

に親しん起。

貞享ごろから芭蕉

にまみ

え、師

に仕

へること

めて篤實

であ

つ弛。か

つて芭蕉から關

西

の俳

諧奉・行と

いはれ、蕉…門に重きをな

し弛。寳永

元年殿

、年

五十

四。

『猿蓑』を凡兆とともに撰

び、また卯七を助

『渡鳥集

』を撰

んガ。『去來抄』・『去來文』・『旅寢論』

などは

その逡稿

として、芭蕉…俳譜の紳髓をよく後世に傳

へてゐる。

  脚   掃'熾 バ聯㌔.げ

向 井 去 來253

元 日

  

た   ち   は

 

『續虚栗』(貞享

四年刊)、貞享

三年

『其角歳

且帖』

など

に出

てゐる旬

で、『歳亘

帖』

には上五が

「初春」

やとある。元日の嘉例

として家重代

の太刀を倣く

といふのである。去來

の父兄

は儒醫

つて身

を立てたのであるが、去來自身

は略

に述

べた通

、はやくから武藝

を嗜

んで弓馬

の道

           

だふ

に通

じ、か

つて猛猪

を殪

して人を助

げたこともある

ほど

の腕

前であ

つたQ彼

の作

に、この旬

  よろひ

  鎧

                    つる

  秋

など、武

士らしい氣

晶をとどめたも

のが見られる

のは

、成

程とうなつかれるであらう

。これ

らの

は、去來

のさう

した經

壓を知

つて初

めて十分

に鑑賞

さるべきも

のである。

簽ー螽夢

団爨「麹

薮卸懿、・"畝覧

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戸靄轟億

2544魂…・籍亅言Zl『圏鐸馨_ヒ

 

この句

は、『猿蓑』(元祿四年刊)

に出

てゐる。こ

の聞までは夜ご

とにそ

こら

の小路を通

つてゐ

た鉢

の晉

、い

つの聞

にか聞えなく

つた。 「あ近ごろ

はもう鉢叩も來なくな

つたなあ」

と、

ふと氣が

ついたやう

に獨.りご

とをいひなが

ら窓

を明けると

、月

の光も

つか春

らしく朧

に霞

んで

る。

「朧かな」で

はなく

「朧

なり」

と言

ひ下したので、こ

の間ま

で寒く冴え

てゐたの

にはや朧

月だな

と、ふいに朧夜を感じた

さまが適

にいひあらはされてゐ

る。

   のぼ    ほ     あは  ち

   上

 この句

『芭蕉庵小文庫』(元祿

九年刊)

に出

で、コニ月

三日堺

の海邊

に遊

てL

と前書

がある。旬

はな

『續猿蓑』

に出

てゐる。大阪

へ上る西國船

であらう。帆

をゆるやかにはら

まして淡路

の島

かげ

に淨

かんでゐる。

それが

つまでた

つても動

とも見えな

い。磯

には汐干

の入影が霞

んでゐ

る。まことにのど

かな春

の海

の光景

である。

♪つ

つ 男

 

この句

は、『曠野』(元祿

二年刊)・『其袋』(元祿

三年刊)

に出

てをり

、前

者ぽ

五が

「麓かな」

とある。

これ

では句

意が

つきり

しないので

、のち

に改作

した

のであらう。これも前旬

と同

じや

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うな趣

の光景

であ

る。遠く

の畑

に折

々鍬

の双がピカ

リピカ

リと光

る。だがそ

の畑打

つ男

の影

は、

つま

でも同じ所から動

くやう

にも見

えない。長閑

で李

和な景

象が滿

ちてゐる。

 

  たき  つぼ

 

  瀧

 

ごの句

『續猿蓑』(元祿

+

一年刊)に見え

る。瀧壼

に落

ちこむ水

の晋が凄

じく響

いてゐる。と、

その丞

音も

ひしげ

とば

かり、げたたま

しい雉子

の鳴聲が聞え

たといふのであ

る。 「ひしげ

と」

    

      

   

つんざ

いふ四文字

に、雉子

の鏡

い耳

を劈く

やうな鳴聲が

遺憾

なくあら

はされてゐる。萬葉

「たぎ

    

 

きぽし

の、淺

野の雉

子明

けぬとし

、立ちと

よむら

し」も思

ひあ

はせられ

るが

、萬葉

の歌

は單純

な敍景

るし、こ

の旬

にはさすが

に複雜

な主觀が

とも

つてゐる。

    

      

      

      

 

なぶ  またな

   

向 井 去255

 こ

の句は、『曠野』(元祿

二年刊)

に出

てをり、人

に膾炙

した旬

であ

る。花

見に殺

人劍

を携

た不風流をなじ

つた

のである。

わかり

やすい通俗的

の句だが

、それだ

け露骨

で昧

はひに乏

しい。

  

 

を と ム ひ

  

 

 

この旬

『華摘』(元祿

三年刊)に始

めて見え、なほ

『葛

の松原』

など

にも見えてゐ

る。 『葛

の松

原』・『去來抄』

など

に、芭蕉が

この句

を許

して

「三四年も早

からう。數

年待たねば聞く入がある

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登こ

256俳句 評 織i上

い」

と言

つた話が見える。去來自ら

ひそか

に得意

としてゐた句ら

しい。見

へると遙

かうしろ

の山

つづぎ

はいま櫻

の花

盛り、ただ白雲

と見え

るばかり

であ

る。ああ、あ

の山

一昨

日越

、兄て來

た山だ

、あ

の折

はまだ険きそ

めたばかり

と見え

たのに、わつか二日

のうち

にはや滿開

にな

つた

かなあ

と、旋人

はしばらくそ

こにたたず

んだ

まま花盛

りの山

をな

つかしげ

に見入

つてゐた。さう

した情景が

この句

から想

はれ

る。芭蕉が賞

したのも去來が自負

したのも

、要する

にこの餘情

に富

んだ點

にあ

つたのだら

う。 

  

 

 

  

 

 

 

  

 

   

ほとエぎす             ひ

   

+

 

この句

『己が光』(元碌

五年刊)に見え、また

『風

俗文邏』

所載許

「去來誄

の中

にも

「郭

公なく

や雲雀

の十文字」として引かれてゐる。去來

の作中最

も名

いも

のであるが

、許

はこれ

耐を次

の五月雨

の句

ととも

に、去來

一代

の秀逸

に數

へてゐる。(青根が峰)

しかしこ

の兩句は

、決

て同日

に論

ぜらるべき性質

のも

のではな

い。

この句意

は解す

るま

でも

なく

、時鳥

と雲雀

の飛び

の習性をとり合

せた

ので、時鳥

は中筌を斜

に横ぎ

つて飛び

、雲雀

は麥畑

の中

など

から

一直線

ひ上

る。それ

で二

つが十文宇

に交叉すると

いふ對照

に興昧

をも

つた

のであ

る。

いははば

それは

稚な興昧

にすぎず

、表現もまた極めて單純であ

る。許

六が心から

この句

に感心し

たとす

れば

いささかそ

の鑑

賞眼を疑はねばならぬが

、それは要する

に何人

にも解

せられ

やす

い點

ついて賞

した

のであらう。たと

へば小學

讃本

の中

においても

、またま

つたく俳諧

の素養

がな

い人

に示して

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、すぐ

成程とうなつかせ得るだ

の興昧

をも

つてゐ

るから

であ

る。

 

もちろ

ん何人

にも解

せられやす

い句だ

から低級だと

いふのではな

い。

この旬

の制作が實景から

來た感興

に基づ

いた

のでなく、も

つばら縱と横

の配合

いふ觀念的

tーしかも幼稚

な理智的

興昧

を主としたも

のだ

からである。源三位頼

の歌

  

引渡

す大原山

の横霞すぐ

にのぼ

るや烟

なるら

ん 

(頼政集)

ども同樣な興昧だが

、これ

「十文字」

などと露骨

に言

つてゐないだ

けまだ

しもである。

  

みつうみ                           さ  ンき  あめ

   

      盤叱朔

向井去來257

 

の句

は、『雜談集』(元祿

五年刊)

に出

で、また

『風俗

文邏』

所載許

「去來諜」

の中

にも

える。

一讃雄大な景

が想ひ淨か

べられ

る。降り

つづ一く

五月雨

に、さすが

の大湖も目

に見え

て水

が増

した。

つも百川を容れて變り

のない湖水だ

に、濫

れるやうにみなぎ

つた水

のさまが

五月雨時

の感

じを深く

する

のである

)許

六は

「去來誄」

に、こ

の句

をも

つて正風體

の眼

を開

た作だ

と激賞

しで

ゐるQこれは前

の十文字の句

とちが

つて、ま

つたく實感

に發

した作

であり、し

かも何人

にも解さ

れやす

いこと

に至

つては同樣

である。)三宅

贐山

はこの句

『俳諧古邏』中

に探

つて、「精深眞

二蕉老ガ風

骨ヲ得

タリ。

ノ篇

ヒトリ琵琶湖

ヲ以

テ之

二當

シ。

大ナ

ル哉言

ヤ」と許

しでゐるo

呼  陛 べ蹶

斗↑』 r p

ぎー:鬘齢ー素蓼歎襲

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258俳 句 詳 釋 上

乘 の

ひと  はま

一 

け  し

子 の

 

『罌粟合』(元祿

五年刊)・『後

れ馳』

(元祿

+

一年刊)

などに出

てゐるQ全村

の漁

夫たちはす

かり沖

に出

はら

つて、濱

の晝

は森閑

と物

晉蟲

ない。納屋

の片

わき

に美

しく喫

いた芥子

の花

がひ

そり

と午後

の日を浴

びてゐる

といふやうなさま

であ

る。

この句

にはどこが面

いと

いふやうな趣

向も

ねらひどころも

い。ただそ

のま

まの句

であ

る。

しかし男

たちのゐな

い靜

かな漁村を背景

しで、そ

の中

一輪

の芥

の花

を描き出す

ことは凡手

の直

ちに及び得

る着想

ではな

い。や

はり自

を見る心の修業が

つんでゐなければならぬ。

 

の旬

『刀奈美山』(元祿

八年刊)

に出で、また

『落

柿舍日記』(安永

三年刊)

には

「蕉翕落

柿舍

に寓

居しゐ粭ひけ

るころ」

と前書があ

る。芭蕉が落柿舍

に滯

在中、去來が訪

ねて行

つた時

であると

いふ。瓜ま

でが暑

さに堪

へな

いでころげ

出たと

いふので、輕

いをがしみが

ある。

   

いは はな

   

.こ

 

『笈

日記』(元祿

八年刊)に出で、・なほ

『淨世

の北』・『藁人形』・『芭蕉盥』・『鴨矢立』

などの諸

、また

『風

俗文選』所載許

六の

「去來諜」中

など

に見える。こ

の句

については

『去來抄

に芭

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向 井 去 來259

と去來と

の問

答が記

されてゐ

る。今そ

の全文を引

いて

みよう。

  

去來日、洒堂

は此

の旬

を月

の猿

とす

べし

と申し侍れど

、予

は客

まさ

りなんと申

す。先師

日、

  

とは何事ぞ

。汝

の旬

いか

に思

ひて作

せる

や。去來

日、明月

に山野

を吟歩

し侍

に、岩

  

頭亦

一人

の騒客

を見付

げたると申

す。先師日、「こ玉にも

ひとり月

の客」と名乘り出

でたらん

                      

                    

  

こそ、幾

ばく

の風流

ならめ。ただ自稱

の旬

となすべし。此の句

は我

も珍

重して

『笈

の小夊』

  

に書入

れけるとなん。予

が趣向

一等ぐだ

り侍

りけり。先師の意

をもて見れば、少し狂者

  

感もあろ

にや。

 

すなはち去來

「月

の客」

を他

の人

として作句

し、芭蕉

は作者自身

のことと解した

のであ

るQ

のいつ

の解が

よいかは別問題

として、こ

の問答

によ

つて、俳句

がかならず

しも定

つた

一つ

の解釋を

のみも

つべきも

のではない、といふ

ことが明

らか

に證

せられてゐる。俳旬

にせよ和歌

よ、元來

かかる短小

の詩形

では、十分

に意を盡くす

ことが

でき

ないから、自

然讀者

の聯

に任

せられる

ことが多

い。隨

つて俳句

や和歌

は、讃者

の方

にも

これ

を鑑賞

すべく特

殊の修養

が多少な

ければならぬ。そ

の修養

の如何

は、ただち

にそ

の句

の解釋

と關係

をも

つてく

のである。

 

この句

の場合

、芭蕉

の解

は確

に面

い。しかし月

に興じ

たあ

まり、我

と同

じ風流

の士を見て、

㌦「こxにも

一人」

と岩

かげ

から飛出

す風

狂は、去

の思ひ及

ばぬと

ころだ

つた,のだ

。隨

つて芭蕉

の解

は作者

の意

は異な

つてゐ

るのだが

、鑑賞者

の立場から

いへばかならず

しも誤解

とはい

へな

い。そ

こまで深く昧

はひ得た

のは芭蕉

の修養

による

のである。芭蕉

の鑑賞

は同時

に彼

の創作

でも

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、 耄ー

齢 蝋 「嚇 し嵐静 轡 駕~μ 輝蟻          攤動輛          輔      鰥气購嚇眺  輔「拶"内常慰一     一 叩甲

岔60俳旬辞釋 上

つた

のだ。

ぷま  だな

魂 棚

の 奥 な 

つ か

の 顏

 

『韻塞』(元祿

九年刊)に見え

る句。 『去來抄』

によると、こ

の句

はじめは

   アも  かげ                                だま まつり

  

と作

つて

、手紙

の中

  

    

   

    

   

  祭

る時

は紳

いますが如

しとやらん、靈棚の奧

つかしく覺

え侍

る。

と書

いて芭蕉

に邊

つたら

、芭蕉

  

靈祭

尤も

の意昧ながら、此

の分

にて

は古び

に落

ち申

べく候

。註

に靈棚

の奧な

つかしやと侍

  

るを

、何

とて句

になさざ

るや。

と注意を與

へた

ので、去來

は直ち

にそ

の言

に服して、

かう改

めた

のであ

るといふ。

まことに亡き

をし

のぶ悲

しみの情

は、「おぼろ

にゆか

ししといふやうな生

ぬる

い言葉

ではいひあら

はせない。

「奧な

つかしや」とそ

のまま

に言

ひ放

つた

ところ

に眞情が…溢

れて

ゐる。

  

 

ふる  さど             かり  ね

  

 

 こ

の旬

は、『今

の昔』(元祿+

二年刊)

に出

で、また

『渡鳥集』(黄永元年刊)には

「入長崎記」

いふ

一交ととも

に出でゐ

る。去來が故郷長崎を訪

ねた時

の吟

である。故郷

とはいひながらも

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は都

の佳居

に馴

れた身

の、さながら族寢

の心地である。折からこれも族寢

の渡り、鳥

がや

つて來

るといふので、當

の景

物を

とら

へて巧

みに感懐唸洩

らしてゐる。

   

あり あけ

   

に、ふ

向 井 去 來261

 

この句

『篇突』(元祿

+

一年刊)・『續有磯海』(同年弼)・『泊船集』(同年刊)・『猿舞

師』(同年

刊)

などをはじめ、『今日

の昔』・『梟

日記』・『花

の雲』などにも見え

る。

また

『去

來發句集』

には

「堀川

を通

りて」

といふ前書が

あるが

、これは何

に據

つたも

のか明

らかでな

い。

「有

明」は有明

の月のことである。こ

の句

は當時

から名

い句

であ

つたと見えて、上

に擧げたやう

に探録

され、

支考

のごとき

「そ

の情幽遠

にしてそ

の姿

をば

いふべからず

」とほめてゐる。曉

の風

が身

を切る

やうな中を

、頭巾

に顏

を包

んで歩

いてゐる。振

りか

へつて西

の室

に明け殘

つた月を仰

がうとする

と、そ

の白

々とし

た光が

一しほ寒く感ぜられて、思

はず首をちぢ

める

のである。ま

ことに曉

の寒

の實情

が巧み

にとら

へられてゐる。

 

一読

にこ

の有明

は有明行燈

で、朝早く眼ざ

めた寢室

の寒さ

ると解

するも

のもあ

るが

、「ふ

   

                         

 おほぎやつ

りむく」と

いふのは枕

の行燈

に眼を向けるとして

は、

いささか大形である。

いはんや

「堀川を

りて」

といふ前書

へあるとすれば、や

はり有明

の月影を

ふり仰ぐ

のにちが

ひな

い。

哉ぐ  急=

ー養智を簍

勞̀訳

駕袁轡饗

み塾

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262俳 旬 評 釋 上

 こ

の句

『い

つを昔』(元祿

三年刊)に.中

「地まで落

さぬ」として初出

してゐる。バ

ラバラと

つて來

た時

雨を、木枯

がさあ

ッと横なぐり

にする。雨

は地

上ま

で落

ちない中

に、ど

こか

へ吹き

まく

られてしまふのである。しかるに初

めの形

では

「地

まで」

と限

つた文字が丁寧

でいや

しいか

ら、ただ

「地

にも」

と直

したが

よいと芭蕉

の評し

たことが、『葛

の松原』

『去來抄』など

に見、風

  

ヤ  う    む  り

る。までと

にも

とわつか

に二字

の差

ではあ

るが

、それだ

けで句

の品格なり味

はひなりがす

つかり

             

ゑんつゐ

つてくる。かうし

た芭蕉

の鉗槌を受け

たれば

こそ、蕉門

の人

々が虞

に風雅

を體得

することが

たのであ

る。 『去來抄』

に芭蕉

の言葉

として傳

へられてゐることは、よく蕉風俳諧

の精禪

を示

すも

のであか

、去來が忠實

に師

の教を書き殘

した功

は沒

することが

でき

ない。

                 

たお

   

ノ\,

 句

『句兄弟』(元祿

七年刊)に出

で、その他

『有磯

海』・『錦繍緞』・『梟

日記』・『ねなし草』

どにも見

える。雪

にとざした表

の門

をト

ソト

ソとたたく晋

がする。 「おう」と丙.で答

へても

、降

る雪

にたたず

みわびてか、ま

たせ

つかち

にトソトソと敲

く◎答

へる聲

、敲

く聲

、雪

に訪

ね來た人

の風情

が、壷の應答

の聞

に■まざまざと描き出

されてゐる。

『去來抄』

によれば、丈草

「此

の句

不易

にして流行

のた

讐中を得

たり」

と稱

し、支考は

「いか

                      

にしてかく安き

より

は入り

たるや」と疑ひ、曲翠

「旬

の善惡

を云はず

、當時作

せん人を覺

ず」

と評

し、そ

の他其角

・許

・露川など皆佳句

と感

じてをり、正秀

のごとき

「た璽先鯒

の聞

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き給

はざ

るを恨む

のみ」

とま

で殘念が

つてゐ

る。要す

るにそ

の特

に巧

んだ

ところがなく

して、

.かもまく實情

を得

てゐるからであ

る。

   

を  かしら

   

・も

ハま こ

鼠 哉

 

『猿蕘』(元祿四年刊)に見える句

。海鼠

のどこが尾

とも

、ど

こが頭

とも

、要領

を得な

いやうな

恰好を

つたのであ

る。それを

「心も

となきし

とは、ま

ことに適切

な形容だ。あらゆ

る形容詞

から

、今

これ

に代

るべき言葉を見出だす

ことは到底不可能

であらう。それほど

この言葉

はこの

において重要な役目をも

つてゐ

るQ

向 井 ・去 來263

O

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264俳 旬 評 繹 上

】 

古くは弛起

『俳諧連歌抄』と穗し弛o…富時の俳譜の

 

すぐれ弛作を集め匁もの。大永三年

(一五二三)以後天

 

夊八年

(一五三九)までの間に成つ拠

のと推定され

。 るo

註二  蓮谷編。古今俳人の發旬を四季に分類して集め弛竜

 

の。延享五年

("七四八)刊。

註三 

寛夊ごろの貞門の俳書。この旬を宗鑑の作とし弛の

 

は、元群二年

("六八九)あ

『曠野』などが最初であら

 

う。古集には所見がない。

一  記へ文九」年

(一五四〇) の作o慶安一五年

(一六五コ)

 

に刊行され拠。いま俘勢宇治山田市の徴古館には守武薗

 

筆の竜のが藏せられてゐる◎

註二  五燈會元、十三

「落花、枝

二上り難ク、破鏡重ネテ照

 

ラサズ。」

 

一 

『淀琳』・蒲

粕』の二書で

一部をなし.

一名

『新域

 

犬筑波』といふo 『犬箪波集』によつて…附けか弛の實働

 

などを示し弛竜の◎寛永二十年

(一六四三)刊o

      きしあひ さりきらひ

註二  俳講…の指

A符・去

嫌の注式を誰い弛竜のo慶安四年

 

(一六五

一)、曲轟給一一年

(↓六五九)刊o

註三 

の年

の縁

で四國猿

と結

んだ旬。

註四  「酒」

の字

に因んガ句◎

註五 

々國立圃撰、正保

二年

(一六四五)刊。

註六  皆齬撰、明膳

二△年

(一六五

六)

刊o

註七  この諺

は、媒酌人

よ三々九度

の盃がす

 

ば、

もう

それから用

がない、圏か

へつて邪魔

にされる竜の

 

だuから、害…の口で開

い軽がよいと

いふ幽息◎

ロ親

一 

立圃白撰。自作の發旬三百餘を集あ弛竜の。慶安一贈

 

(一六四九)刊。

江 

重頼

ご 

貞門の發旬

一千五百三十、附旬千旬餘を集め、貞門

 

の句焦㎝として最亳古い竜の◎寛永十年(一六三三)成るo

 

" 

業李東くだりの條に見えてゐる。

北村 季吟

一 

季吟・正立

。湖春の三人が花を發旬として百韻十卷

 

を興行し弛番の。延寶一二年

(一六七五)刊o

西

山 

詳二  休安撰。一幽(宗因)の發旬五、附句二が載

つてゐる◎

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註265

註ご  燕石撰。

一幽の發旬

一、す

はち

この

「ながむと

  

て」の吟が…出てゐるρ

             

ろ元ひ

註三  其角の

『雄…談ぬ集』に

「諷は俳諧の源氏なりと云々」

  と見えるQ

註四

 萬治三年

(一六六〇)刊

『境海草』に畠で、「宇治に

  

て」といふ詞書があるo謠曲

『見ぷ清』に

「いかにこのあ

  弛りに里人のわ弛り候か」とあるが、この

「わ弛り」は

  

「ゐる」の意であるのを「橋を渡る」と轉用し弛のであ

  

る。句ぱこの謠曲調を用ひ、温庭筍の詩句

「鷄聲茅店ノ

  月、人跡板橋ノ霜」の趣をあらはしてゐる。

註五 

攝津國江口の遊女の靈が、西行油師と歌をよみかは

  

して昔語りをなすことを脚色し弛ものo

註六 

能で主人公が女である竜のをいふ◎

註七  『千・載集』の

「ほととぎす鳴きつるかたをながむれ

  

ば拠だ有明の月、ぞ殘れる」(實定)の歌をふま

へてゐる。

註八  この句は

『管紫海』(延寶六年刊)に出て、「西行の

  繪賛に」と題してある。西行の「心な髫身に嬉哀れは知

      」碧

  

られけり鴫立つ灘の秋の夕暮」の飜によつ表作。な澱こ

  

の旬

『虚栗』などの後年の書には上五

「秋はこの」とあ

  

る0

9註九  『古ム鼠集』の

「春雨の降るは涙の櫻花ちるを…惜しま

  

ぬ人しなければ」(黒主)の歌の込ちり。

一〇

  『薪古今集』の

「年込へぬ所るちぎりは初瀬山尾

  上の鐘のよその夕ぐれ」(定家)の歌をふま

へ弛作。

一一 

鍵紹砥藤綱の故事によるo

一二  「命なり」は

『新古今集』の

「年拠けてま弛越ゆ

 

ぺしと思

ひきやム㎎なりけ

り小夜

の申

由L(西行)の歌

によ

  蕚。 「香藜散」

は暑氣防

ぎの藥。

一帰二 

 『拾遺雄木』

「出頑橋

の夜のちぎり嬉繩えぬ

べし明、

      

 

かづらき

 

る冖侘びしき諏葛城

の紳」(左近)の一歌の文旬どりo

一酉  謠曲

『高砂

』の

「それ嬉久

しき名所かな」

の込ぢ

 

h'o

 西

一 

當時、

一定の時間に一人でいかに多くの逋旬を製作

 

し得るかずその記録を爭ふことが行はれ弛◎それを三十

 

三問堂の逋し矢にならつて俳諧大矢數と稱し弛。

叶μ二  「なぐれ」は、ここでは黶羽落するといふほどの出忍o

 

商賣物の黒木(薪)が美しく紅葉する木据と氣つい弛ら、

 

るに堪

へすしてなぐれてしまふだらうといふ意か。

註三 

京の葎宿、難波の松意と三人で催し転逋旬の發筍馨

 

から、それを鶉合はせに見立てていつれ竜の。 「くわく

 

わ」は鶉の鳴聲Q

註鰻  「いちや」は乳母など

の逋名で、「科をいちやが負

 

ふ」とは、養育してゐる子ど竜のやりそこなひを自分の

 

葬に着ることから困古く一種の諺のやうに用ひられ弛。

 

それを利用しれ句。

註竃  元隷四年

(一六九

一)刊の

『渡し舟』所幽。

菅野谷高政

輔 

この書は、高政が自分の獨吟を始めその

こ叛の人の

 

作を集めて、新風の範弛らしめようとし弛ものであるQ

:義

準臺

麹購鬱

.

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2俳 旬 評繹 上

註二 

融寺の雜役を勤める卑しい法師。

註三  鼎冖所の怪しいにせ物などをいふ◎

註 岡一 西

程に蓮歌を、

來すo貞享三年

(一六八六)一寂o

山城伏見西岸嵜の三世で、寶譽上人といふ。里村昌

    松江維舟に俳諧を毅ぷ。のち蕉門の徒と往

一 

高村氏、京都の人。常長門。元緑五年

(一六九二)

 

歿。年四+四。

註二  申尾氏、京都の人。重頼門。竇永七年

(一七

一〇)

 

歿、年七+

一。

小西 來山

一 

來由の門人古道

・長七・梅七の三子が師の遺吟を竜

 

ちよつて編し衷もの◎安永七年

(一七七八)刊Q

註二  什山編o誠副書の潰漏を拾つ弛竜のo天明三年

(一七

 

八三)刊。

註三  昔、俳諧の點考が歳且に三ッ物と穗

して、歳且歳暮

 

の吟を摺つて出

したものo

註四  『夢の名殘』(寶永二年刊)所敢。

註五 

逅悼集

『木の葉』所收。歿し弛年の秋の作である。

註六   『ムマ宮雷¥』所敢o

註七  『金毘羅會』(元隷十三年刊)所敦。 『まひのは集』

 

には

「涼み舟にて」と前書がある。

西

 

一 

享保二年

(一七

一七)刊α言水が自ら撰び、かつ註

 

を附し弛竜の。

註二 

江戸の幽山の發起で、晶喬水

・素堂

・一鐵ら八人が催

 

し弛八吟八百詣いであるo延寶六年

(一六七八)刊o

 

麿

一 

言水撰、延寶九年

(一六八

一)刊。

註二  『翕草』(元腺九年刊)・コ倶木柱』(元群十年刊)断

 

敦。

註三  『.オ麿發句拔萃』所收◎ 「御曹司」とは、.部屋佳み

 

の意で、武隷の若い公達であるo

註四  『皮籠摺』(元隷十二年刊)所收Q

註五  『陸奥千鳥』(元祿十年刊)所收o

註六  『オ暦發旬拔萃』所收。

『此華集』(元腺六年)には

 

申七

「銚の葉塞き」とある。

註七

。『假橋』に、元隷二年十月四日の作

とし

て出てゐ

 

るo

註八  『續

の原』(元隷元年刊)所收◎

註九  『オ麿發句拔萃』所政。

註 註 上二 一 島

鬼貫自撰の旬丈集。天明三年

(一七八三)刊。

太飆が

『七車』申から發句を拔抄し弛竜の。明和五

(一七六八)刊

o

,轟

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註267

三  「空遘

和倚

いかな

るか是汝が俳眼

と問は

 

答」

と詞書

がある。

四  ひと牝

び雨が降

ると濁流矢

のごとき大河

竜、.常

はわ

    

む  セ  ヘ  セ  へ  つ

 

づかにしよろ

しよう

の流

れにす

ぎない。千

里の馬

が槽櫪

 

の問に伏してゐるときは、

その能が

わからな

いと同U理

 

を、含め糞句であらうo

註五 

嵐雪撰

『其袋』

にょる。 

『鬼貫句選』

には

「參

は叉

 

夏がま

しぢや

と言

ひにけ

り」

とあるo

註六

註 註

李菁蓮は李白のこと。

 

野』

註三

 

蕉に奄

「鎌倉を生きて串でけん初鰹」

註圏

 

した亳の。

註五

  二隱

ル」

芭蕉の歡

へを門人去來が書き殘し拠屯の。

『江戸新道』(延寶六年刊)、『とくノ\

の旬合』・『曠

などo

鎌倉の鰹はすでに

『徒然草』

に竜書かれてをり、芭

               の旬がある◎

寶永宋年ごろ、素堂が自句三十六番を合せて自ら評

   享保二十年

(一七三五)刊。

『琳久一蓬』反招隱詩

門小隱ハ陵嚇數菖露脳レ、大隱

ハ朝市

一  

『涼み石』(元滌十四年刊)にはこの旬をあげ

「大都

 

長途の興賞、わつかの笠の下す醤みと開えける小夜の申

 

山の命亳廿年の昔なわ◎今竜ほのめかすべき

一旬には」

 

といふ前書がある。「命なりわつかの笠の下す陰み」の吟

  とと竜に、延寶四年旅申

の吟であらうo

.註二  和歌や蓬歌に用ひる雅言に對して、俗語

。漢語、そ

  の他の外國語などをさすQこれら

の書葉を用ひること

  が、當時俳諧の必要條件とされ弛のである。

                   しよ

註三  深川六間堀に.あつ九「杉山冖杉風の別墅o芭蕉…は延寶八

  年め冬、ここに移り住み、門人李下から贈られ弛芭蕉を、

  繍墾ゑて芭蕉庵と㎝號し弛o

註四

.門人風國が芭蕉の旬を集め弛竜の。元隷十

一年

(↓

  六九八)刊。芭蕉句集として庶最番古い。

註五  「香稻啄ミ餘ス鸚鵡ノ粒、碧梧棲ミ老

ユ鳳凰ノ稜」

  

の旬Qこれは實は

「鸚鵡啄ミ餘ス香稻ノ粒、鳳凰棲ミ老

  

ユ冒碧梧ノ枝」といふべきであるが、それでは夲凡だから

  

わざと倒語して奇趣あらしめ弛のである◎

詳六

貞享元年

(二父

四)八月・門人轂

をと竜なつて

  

数郷の伊賀に赴い弛折の紀行。はじめに

「野ざらしを心

  

撚r風のしむ身~哉」といふ旬があるので、かく呼ばれるo

許七  尚白は江左氏、俘勢の人。大津に住

んで醫を業と

  

す。芭蕉門人。享保七年

(一七ご二)歿、年七十三。

書八 

近江堅田本謡寺の佳職。芭蕉の門人。享保八年

(一

  

七二三)超、年七十三。

註九 

伊藤信徳

の『七百五十韻』

についで、跳菁(芭蕉)・

  其角

・オ丸

。揚水の四人が催し恒二百五十韻。延寶九年

  

(一六八一)刊。

一〇  江戸本所原庭の定林寺佳職。貞享四年の鹿島詣の

  

縛も、倫日良とと竜に・芭…焦に謡慥行し弛o

 註

一一 

江戸深川の人で、芭蕉庵の近くに住んでゐれ。の

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268俳 句 評 釋 上

 

ち岱水と字を改めてゐるo

一二  門人土芳が芭蕉の説話を記録し兼屯のだといふ。

 .白

・赤

・黒の三冊から成る。安永五年

(一七七六)刊o

 

土芳はぽ賀上野の人か、服都氏、蓑虫庵

・些申庵と號し

 

弛。享保十五年

(一七三〇)超、年七十四。

ご二 

其角の

『續虚栗』には由之といふ俳號で見え、當

 

時餞80として興行し糎連旬ご卷が出てゐるo

一四  芭蕉の門人。名古屋の米商であるが、當時罪を得

 

て伊良胡に流寓してゐ弛◎

註乙五  芭蕉が吉野から高野

。和歌の浦を經て奈良に蹟兼

 

時、弛ま五ま同地で伊}賀の猿雖に會

つ弛ので大いに世暑び

 

その後須磨

・明石を見物して京都に着

いてから、奈良で

 

…別れて以來の旋のさまを報じ弛手紙であるo

一六  佛今

。湖中読ハ編。ガ〈政十二年

(一八二九)刊。芭

 

一代の邇作

・遺語などを集む。

註、一七  信州下諏訪の人、岩波氏。のち河合惣五郎といひ

 

芭蕉…に師事す◎u寶永七」年。(一七

一〇)壹殴勝本に∵客死し

 

拠o年六十二〇

一八  今は東京都内であるが、荏時は奧州街道

の初驛で

 

あつ牡。

一九 

見遙られる人が、見逡りの人に殘す吟。

註二〇 

大江丸の

『俳諧袋』に白牛といふ人の説として、

 

これは釁氏の歌で、芭蕉はかねてこの歌をお竜しろいと

 

耳底にとどめ、北陸行脚の時この詠を得兼のだといつて

 

ゐるoそして北冖枝に最初下五を「秋の山」とおいて示し、

 

そのオを試し糎などと傳

へてゐる◎

註一二  夊中

「西上人」とあ

るは西行法師のことQその

  『由家集』に

「山里に弛れをま弛♂は呼ぷ子鳥ひとりの

 

みこそすまんと

(一本、すめりと)思ふに」とある。こ

 

こに引かれれ歌膝それの…鷸憶ちがひさあらうoなほおな

 

じく夊申の

「長贐隱士」とは、歌人木下勝俊のこと。豐

 

臣秀吉の妻北政所の兄にあ拠る。大坂の役後、封を奪は

 

れ、京都東山や大原野に隱棲し風月を樂しんだ㎏靆躡安一一回

 

(一六五∩))超、年八十

一〇 歌文集に

『舉"自燈集』があ

 

るo

註二二  支考の

『和漢夊藻』に載せてある。芭蕉の作とし

 

てなほ幾分の疑ひを存せられてゐるが、全然支考の僞作

 

とすることもできないO

註二三 

天野氏。撰賀上野の人、江戸に佳し弛。芭蕉の甥

 

と竜從弟と竜嫁

へる。元隷九年

(一六九六)師の跡を慕

 

つて奥挧を行脚し

『陸奥千鳥』を撰んガ。享保四年

(一

 

一九)獲、年八十

一。

註二四 

望月氏。大津の人、醫を業とし糞。芭蕉が大坂で

 

病んガ時

投藥治療につとめ弛。

註ご五 

伊勢

の人、斯波

一有の妻◎のち

大坂に移り佳ん

 

だ◎ま弛寶永初年江戸に移つ弛。享保十

一年(一七二六)

 

歿、年六十三◎

註二六  江戸の人。其角に畢

ん泥。

註二七  戸谷氏。信州長野の人。享保十七年

(一七三二)

 

歿、年四+九。

註二八  榎並氏、初め之…邁と號し弛Q大坂の人。芭蕉門。

註二九  安藤氏、信友。備申松山の藩主、のち美濃加納に

  毒」諏幽

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      ρ内一單轡 「    砂呼噛一厄り嘔  脚轡  r冊「、「  、、一 轡

劇御1

269

 

轉封され弛。其角の摺導を多く受け些。享保十七年

(一

 

七三二)钁

、年六十二◎

註三〇  越申の人。乙由の門。安難四年

(一七七五).獲。

註三

一 

田上氏、名みち。長門長府の人。俳諧書晝琴茶を

 

よくし、全國を行脚し弛。文政九年

(一八二六)歿、年

 

七十四。

榎本 其角

一 

其角の自撰。延享四年

(一七四七)刊。

註二  門人旨元が其角の附合を集め弛竜の。費暦二年

(一

 

七五二)刊。

註三  其角のこの句を一發何とし弛百湘顴づ卷を敦むQその山剛

  皐五十旬に芭蕉の註「を加へ弛竜のが、『花の故事』(關更

 

撰、竇歴十三年刊)や

『落葉考』(同撰、明和八年刊)に

 

へられてゐる◎

註四 

備前岡山の城主池田綱政侯の俳號。不角の門人であ

  つ牝。

註五  芭蕉の旬

「鶯や餅に糞すゐ縁の先」

註六  「詩

二云ク、緜蠻タル黄鳥、丘隅噸叫止マルト。子日

 

ク、止

マルニ於テ其ノ止

マル所ヲ知

ルコト、人ヲ以テ鳥

  ユダモ如カザルベケンヤ」。 『詩經小雅」に・「緜蠻タル黄

'

 

鳥、丘隅

二止

マル。,敢ヘテ行クニ憚ランヤ、趨ルコト能

  ハザルヲ畏ル、云々」とあるを81い弛竜の。

註七  其角の吟申、難解の竜の六十五筍を邃んで註し弛竜

 

の。

註八  『華摘集』に

「美しきか蔽かく雉のけ爪かなと申し

  

 

弛舵ば」と前書して斟てゐるQ

註九  この旬については、なほ

『去來抄』にも、諮六は謎

 

といふ句だといひ、去來はいひおほせざる旬だ.と一許し弛

  ことが見える◎

一〇 

其角の遣稿弛る俳文などを集め弛竜の。寶永四年

  (一七〇七)刊◎

一一 

江戸の人。芭蕉門。

一二  『事衣類聚』に

「准南ノ王安仙トシテ去ラントス

 

ルニ臨ミ、餘藥鼎申

嵩在リ、難犬之ヲ舐メテ竝ビ鞠肖飛昇

 

スルヲ得タリ。故

二鷄雲申

二鳴キ、犬天上

二吠

ユ」と見

 

えるQ

一三  其角撰。元碌七年

(一六九四)刊。古人今人の發

 

句三十九に其角自ら同工の句を配して剣し弛竜のo

一酉  これは

王安石の詩句

「月花影ヲ移

シテ欄干

轟.上

 

ル」

を誤つ弛竜のであらう。

服部 嵐雪

一 

寛延三年

(一七王O)刊。のちに

『嵐雪發旬集』と

 

廼ふ。

註二 

秦窓莊丹の著。

『玄峯集』申の難解の旬百十章をと

 

つて解を施し弛嬉の◎宀久化三年

(一八〇六)刊o

註三  鉢叩はこの夜をから瓢を叩いて洛申洛外を徘徊する

 

のである◎

 

一 

白雄の遺稿を花垣漣々が輯めて刊行し弛嬉の。天保

  留〔  向 「叮 辿几

4

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・峯

- 

 

 

鼕萋

耋鼕

爆ぎ

270俳旬 評 釋 上

 

四年

(一八三三)刊。

                いか

註二  丈苣・が歿しれ折、去來がこれを悼んだ.夊章で、丈草

 

追豊集『幻の庵』に出で、ま弛

『風俗文軸選』申にL収めら

 

れ℃ゐる。

註三  去來の

「丈草誅」に見える◎

註四 

美濃潔田の人、曇華齋と號す。丈草の愛弟子で、師

 

の歿後追薀ロ集

『幻の庵』●『鳩法華』などを埋凋んだ.。

9

一 

吉野紀行とは別懸、芭門が自ら門人の旬を選んさ

しよ.つと企蓬

てゐ萋

名。

4マ

註二 

 『論語』.八倫篇に

「祭

ルコト在

スガ

如シ、紳ヲ祭

 

コト紳在

スガ如

シ」

とあるのを

いふ。

く弋.凵

、ダ

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  一一

庫文川角

昭和二十七年

一月ご十日 勸版、印糊

昭和二十七年一月三十日 初版發行

陶評繹 上卷

蓼作善

臨時定價

 圓

エ 

 

パラ 

 タイ ザウ

潁 

原 

退

發行奮

郎鰯嵩

  東京都千代田區騨田錦町三ノニ

飃畷璽墾

宮畿

獅 ~霊

麗  {へ一

發行所

協和印制 ・宮田製本

轡、

凸p㌢磯

・奔

鞭洛で'二亂丁

本ば

お取"替

へ致

します

}  寮

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泊ーー

ミヒき'罫

肇:Tき鉱寶翻對

ーレ評・煮・'、尠㍗

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來 代 西 化』L一  掣㌧鞠 3仏   魯"  皚

  こコ へ サ め     

    l      il

                            _P                          翫㎜「憎                      一  → 一                    一_噛昌 曽                _=一=二              罰          ご 丁=二二      _一「こ'ゴ _=二}妄

角川文庫發刊に際して

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「禳

鮟,ほ

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執月U

「縫

。ー

 

・義

 箭一二次∵世田弊大戰の敗北

は、霊慮㍗カの…敗北で

あつた以上に、

たちの若

い文化力の敗退であ

つたo私

たちの文

化が戰爭

に封

して如何に無

力であり、

軍蕉るあた花

に過ぎなか

つたかを、

たちは身

を以て體驗し痛威

した。

西洋近代丈化

の攝取にとつて、朗治以後八十年

の族

月は映して短

かすぎ

たとは言

へない。

にもかかはらず、近

代交化

の傅統を確

立し、自由

な批判と柔軟

な良識

に富む交化履として自

らを形成するこ

に私

たちは失敗して

た。

そし

てこれは、各層

への文化の普及滲遶

を鉦務とす

る出版人

の責任で

もあ

つた。

 

一九

四五年以來、私たちは再び振出しに戻り、第

一歩

から踏

み出すこと

を餘儀

なくされた。

これは大きな不

ではあるが、

反面、これまでの混沌

・未熟

・歪曲

の中

にあ

つた我が團の文化

に秩序と確たる基礎

を齎すため

には縄好

の機會で

もある。角

塀書膚は、このやうな組國

の夊化的齢機

にあたり、

微力を

壱顧

みす再建

の礎石た

るべき抱負と決意とを以て臨發

したが、ここに創

立以來

の念願

を果すべく角

期文庫

を發刊する.り

これまで刊行

されたあらゆる全集叢書交庫類

の長駈と短

庚とを檢討

し、

古今東西の不朽の典籍

を、良心的総輯

のもとに、廉

に、

そし

て書架に

ふさはしい美本として、

多くのひとびと

に提焦しようと

する。

しかも私たちは徒

らに百科

全書的

な知識

のヂ

レツタント

を作

ることをH的と

せず、

あくまで飆國の夊化に秩序と再建

への道

を示し、この

文庫

を角

郷書店の榮

ある事業とし

て、今後永久に繕續發展

せしめ、.脇藝と敏養

との殿堂として大成

せんこと

期した

い。

多くの讃書子の

愛情ある忠言と

支拮とによ

つて、

この希望と

抱員と

を完塗

せしめ店れ

んこと

を願

ふ。

一九凶・九年五月三日

.{鹽罫昏

一                      訟.                一            一          一       へ    噌 一 一一冒    r呻■ 心一一{          一 ぼ    一 雫        }      ,…  =『_甲_ぐ一「;

崘「尸乱涵^

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    哩■糖    w广,.巳「輌内ザ'卿 門  ヤ舶幅广耕   『一蕾.宀'一甥 納 撫 ・騨 ・、「

麟へ蘇「

,…

-

 

録目文 庫川角

騨{ー

一 ▼  ".

 

零.文

繧生

求 島

一義の道麭四篇、島

亡心れ得

入々

緬忘れ得

ぬ人々

愛と認識あ出

 

 

 

 思

の痕

晶撼

他三篇

かげろふのB記他七篇堀

羅生門・偸盗・地燃獄繍駕

 

 

 

 他四踊

躓卯幽示門9露犖教人の.幹唱他

 

 , 

人間失格

・櫻挑

太太 太 芥 北 堀 堀 堀 倉 倉 倉 辰 辰 島 島 島

宰宰變辰辰辰靆 黌野野毒蕪

挫 編 八 治 治 治 治 介 介 雄1雄 雄.三 三 三 隆 隆 作 作 作

3(} 5σ  99  70 90  70 60 60  70  70  40  70  70  60 1001GO  6◎  ?0 13く} 7ζ)

(牌色緑)

   郎 村 '次4ひ 70 75  70

一.,卅,湖

・。.ζ

・ルの昆

土居

寛之夢

三島

由紀夫

70

ラ、ソボ秀詩集

光晴謖60

 

 

 

岸.靉

士蜘皿悪

全灘

柵却鰹諏副覯㎜

   縄

復薐

高母光太郎箝

・実

人牡笠

m冊

 

(毬

赤) 

死よ

りも強し

眠パ樗

ド飆

.鯉ガソ雄郊

谷間の百僉

酬.内ザ.清顯

嫺.働踏亀

掛鄰m

し、蠢

荊ス辻エ7ス轍麹70

.江灘

・れた人竃

継ス聡膨ス勲轟

昔氣質の一少女

翻.江灘70

邪ス舮エ副.裁識90

幸覦な孝

譜篇㊤

駒陽ル藩・・

畠痴了轟.断翻、シ籤

9。谷◎6・脚

腔劃

ル治奮

詮ら偲苧

へきか淋

♂卜夫湍

潔饕

饑嬬

脚號

}

脚壑

クリス享

カゴ〃谿

脚ケ一ン懃

簿

狗バゲ鞫彭

ゲ}

詩集-

雄麩

洳バゲ珊影

 

鳳想・科壌・藤補其勉(帶色欝)

倫…理墨

の慣本聞題

吹.鄭沁

自由主義の擁護

合榮治

鄭鋤

映書亀批評鞴齢鄰

秀 夫

go

愛。情念に關窒・説

潮 墜 ヵ穰瀞嶋

村、鑑

置伽

樂審

想曲

酊.フス鸚

m

"サ

 

 

」                                   コ

現代臻覊

書學

西塁

多鷺

飴西

史三部

.類

90醜

閾冖文

總説

隲皿 村

  作》警o

一7・

西田先生あ鋤話

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*  溜

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广

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20

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

1. '

アラ

ン幸

川 

 湧灘

8◎

 

 

齟麟ー

代的蓁

英毳

杁翁

規は秋山

英毒

3。.

概四像の曲溥明他二篇

秋山

晒央夫識90

畑σ諭い勲算齢禰

佐藤

通次鐸90蜘蜘

わ耋

涯吉

馳穴

ギリ。ア悲酬溝

野、

浩論

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畠軒-

匸卍鼻 ー

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嶺嚢

                        嘲申~  晶                      嬲甲幽輪                    咽                炉 喚昏LナP串 uア              粋  り  螂 砺冊'「轡 砂穿

   一一

 角川文庫新刊目録

 東

 娠樹 一譚

嵐40

 

 

 、

膏口有島

武廓

40

三島

由紀夫70

讖道

版高

村,光太鷺

第一部

第二部

智慧

の謹円草他二篇石

 

 

 

 賽

伊豆

の踊子・禽漏默川

    邃

整  三  修  修

70   70  100  100

              

翳編羅響畷嫉響麹忽妬轟緊熱璽

山と溪谷

紀行蕾

の版埀

夜物語よ

正畿

.

と溪谷

隨騫

田部

治笹

版震

一夜物語2

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