論 周術期の感染対策―上部消化管―2007/10/01  ·...

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表1 術後感染 手術部位感染 SSI(Surgical Site Infection) =(外科)手術部位感染 術野感染 遠隔部位感染(Remote Infection) =創外感染,術野外感染 肺炎,尿路感染,胆道感染, 腸炎,カテーテル感染 表2 創感染による術後入院日数と医療費の増加 増加分 創感染あり 合併症なし 医療費 術後日数 医療費 術後日数 医療費 術後日数 (万円) (日) (万円) (日) (万円) (日) 17 6.1 120 20.2 103 14.1 結腸切除 (n=11) (n=11) 50 17.0 177 34.0 127 17.0 直腸切除 (n= 8) (n= 8) 31 10.7 144 26.0 113 15.3 総計 (佐貫潤一ら 日本外科感染症研究 14:175, 2002) 周術期の感染対策―上部消化管― NTT 東日本関東病院 西 1.はじめに 外科手術症例における周術期の感染は,大別す ると手術創や手術野に発生する手術部位感染 (surgical site infection,以下 SSI)と,手術野以外 に発生する遠隔部位感染(remote infection)に分 けられる(表1).遠隔部位感染には肺炎,腸炎, 肝炎,胆道感染,尿路感染や,あるいは尿道カテー テル関連の尿路感染(UTI),中心静脈カテーテル 関連の血流感染(BSI)などのdevicerelatedinfec- tion があり,創外感染または術野外感染とも呼ば れている.SSI と remote infection の割合は疾患に よって異なり,古川らによれば胃癌手術ではほぼ 等しく,食道癌手術では SSI に比べ remote infec- tion が高率であるとされている 1) .SSI の原因は 術中の手術操作に由来するものであり,主として 内因性感染で,腸内細菌が関与している場合が多 い.一方 remote infection は外因性感染(交差感 染)で病院・環境の汚染菌が関与している場合が 多 い.し た が っ て remote infection の 予 防 に は standardprecaution(標準予防策) 2) の遵守,とくに 手指消毒と手袋の着用が重要である. SSI の発生率については1986年~1996年の11年 間に米国の NNIS システムで SSI サーベイランス を実施した病院では2.61%に SSI が発生したと報 告されている.この NNIS の報告では SSI の発生 率は決して高くないが,米国の CDC のデータで は入院患者に発生する病院感染のなかで SSI は 3 番目に多く,病院感染の14~16%を占めるとされ ている 3) .またわが国の JNIS のデータでは,SSI サーベイランス対象の手術患者の8.2%に SSI が 発生している 4) .手術部位感染(SSI:surgicalsite infection)の発生は入院期間を延長し,医療コスト を増大させ,患者の医療に対する満足度を著しく 損なうことになる.たとえば当院の大腸癌手術症 例では,SSI が発生すると結腸癌では在院期間が 6.1日延長し,17万円入院コストが高くなり,直腸 癌手術では17日の在院延長と50万円の医療費の増 加がみられた 5) 表2).包括支払い制度の導入が図 1

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  • 表1 術後感染

    手術部位感染SSI(Surgical Site Infection)=(外科)手術部位感染術野感染

    遠隔部位感染(Remote Infection)=創外感染,術野外感染肺炎,尿路感染,胆道感染,腸炎,カテーテル感染

    表2 創感染による術後入院日数と医療費の増加

    増加分創感染あり合併症なし医療費術後日数医療費術後日数医療費術後日数(万円)(日)(万円)(日)(万円)(日)

    176.112020.210314.1結腸切除(n=11)(n=11)

    5017.017734.012717.0直腸切除(n=8) (n=8)

    3110.714426.011315.3総計

    (佐貫潤一ら 日本外科感染症研究14:175, 2002)

    周術期の感染対策―上部消化管―

    NTT東日本関東病院 小 西 敏 郎

    1.はじめに外科手術症例における周術期の感染は,大別す

    ると手術創や手術野に発生する手術部位感染(surgical site infection,以下 SSI)と,手術野以外に発生する遠隔部位感染(remote infection)に分けられる(表1).遠隔部位感染には肺炎,腸炎,肝炎,胆道感染,尿路感染や,あるいは尿道カテーテル関連の尿路感染(UTI),中心静脈カテーテル関連の血流感染(BSI)などの device related infec-tion があり,創外感染または術野外感染とも呼ばれている.SSI と remote infection の割合は疾患によって異なり,古川らによれば胃癌手術ではほぼ等しく,食道癌手術では SSI に比べ remote infec-tion が高率であるとされている1).SSI の原因は術中の手術操作に由来するものであり,主として

    内因性感染で,腸内細菌が関与している場合が多い.一方 remote infection は外因性感染(交差感染)で病院・環境の汚染菌が関与している場合が多い.したがって remote infection の予防にはstandard precaution(標準予防策)2)の遵守,とくに手指消毒と手袋の着用が重要である.SSI の発生率については1986年~1996年の11年

    間に米国のNNIS システムで SSI サーベイランスを実施した病院では2.61%に SSI が発生したと報告されている.このNNIS の報告では SSI の発生率は決して高くないが,米国のCDCのデータでは入院患者に発生する病院感染のなかで SSI は 3番目に多く,病院感染の14~16%を占めるとされている3).またわが国の JNIS のデータでは,SSIサーベイランス対象の手術患者の8.2%に SSI が発生している4).手術部位感染(SSI:surgical siteinfection)の発生は入院期間を延長し,医療コストを増大させ,患者の医療に対する満足度を著しく損なうことになる.たとえば当院の大腸癌手術症例では,SSI が発生すると結腸癌では在院期間が6.1日延長し,17万円入院コストが高くなり,直腸癌手術では17日の在院延長と50万円の医療費の増加がみられた5)(表2).包括支払い制度の導入が図

    総論

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  • 表3 SSI発生率の推移(JNIS)(1998/11 2005/12)

    SSI発生率SSI症例総数参加施設

    6.4% 331例 5,175例 9施設~2001/36.7% 638例 9,452例27施設~2002/36.4%1,028例16,126例33施設~2003/36.7%1,394例20,948例36施設~2003/127.5%2,360例31,500例50施設~2004/128.2%4,269例52,123例71施設~2005/12

    図1 手術手技別SSI発生率(1998/11~2005/12)(分数:SSI 発生数/症例数)

    られている現在,病院経営においても SSI を防ぐ必要に迫られている.当院は日本環境感染学会の JNIS 委員会および

    SSI サーベイランス研究会が進めているわが国のSSI サーベイランスの事務局を担当してきた6)7)ので,食道癌,胃癌手術における SSI の予防対策を中心に,上部消化管手術における周術期の感染対策について紹介する.

    2.JNISのSSIサーベイランスの成績これまでの71施設からの JNIS のデータでは,2005年12月までのわが国における SSI の発生は

    52123例中4269例8.2%であった4)(表3).SSI の発生率を手術手技別に見ると(図1),SSI 発生率が高かったのは主に消化器系手術で,直腸手術2826例中 SSI 発生は585例(20.7%),食道手術647例中 SSI発生は119例(18.4%),肝胆道膵手術3533例中573例(16.2%),虫垂切除2769例中305例(11.0%),胃手術7116例中690例(9.7%)などであった.ただし,腹腔鏡手術で行われることの多い胆嚢摘出術では6481例中149例(2.3%)であり,消化器系手術の中では例外的に著明に低い値を示した.消化器系以外の手術では,冠動脈バイパス手術で1198例中45例(3.7%),泌尿器手術545例中18例(3.3%),ヘル

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  • 図2 SSIの部位別分類

    ニア手術3770例中47例(1.2%),乳腺手術2071例中22例(1.1%),帝王切開447例中 1例(0.2%)などであった.このように SSI を手術の臓器別にみると,圧倒的に消化器外科が SSI の発生率が高い.消化器外科の手術にサーベイランスを行うことによって,SSI の発生を減らすことが,より効果的なサーベイランスといえる.JNIS でも CDCのガイドラインに準拠して SSI

    を発生部位別によって,皮膚切開部浅創(superfi-cial incisional),皮膚切開部深層(deep incisional)と,腹腔内・胸腔内などの臓器・体腔内(organ�space)の 3種類の部位に分類しているが(図2),疾患ごとに発生部位を調べると,食道では organ�space の方がやや多く,incisional と organ�spaceが両方同じぐらいになる8)(図3).胃では incisionalが少なくて,organ�space が多い結果である.Inci-sional の感染に多い皮下膿瘍は手術中の汚染が大きく関与していると考えられる.また organ�space の感染に多い縫合不全や遺残膿瘍は手術中の操作や術式,ドレーンの留置部位などの手技上の優劣・工夫が大きく関与していると考えられる.そこで各手術ごとに SSI の発生原因を皮下膿瘍,縫合不全,遺残膿瘍に分け分析した(図4).

    縫合不全,遺残膿瘍は organ�space の感染の主原因であり,食道手術では,皮下膿瘍もさることながら,縫合不全が原因と思われる感染が多いということになる.胃は明らかに食道よりも縫合不全が少ない.また大腸手術を結腸と直腸に分けると,直腸の方が organ�space に相当する縫合不全が原因の SSI が多い結果であった.

    3.SSI 予防のガイドライン(CDC)最近,わが国でも水道水による手洗いやラビング法での手洗い方法の採用も含めて,予防的抗菌薬投与法,剃毛処置の廃止,閉鎖式ドレーンの導入,術後48時間以後の創被覆廃止など,広い範囲にわたり周術期におけるエビデンスのある SSI 予防法が導入されている.これには米国CDCより1999年に発表された SSI 防止のためのガイドライン9)の影響が大きい.このガイドラインでは,信頼性のある研究により証明されていて,強力に推奨される項目(IA,IB),理論的根拠があって実施が支持される項目(II),有効性に関して合意に達していない項目(NR)と各内容がランク付けされて記載されている(表4).ガイドラインはあくまで努力目標であるので,このガイドラインを参考に

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  • 図3 各手術別のSSIの感染部位の比率(1998.11~2002.06)

    図4 各手術別のSSIの原因の比率(記載例のみ)(1998.11~2002.06)

    して自分の病院で実施しやすい予防策をたて,感染対策を取り入れたクリニカルパスやマニュアルを独自に作成するのがよいであろう.当院外科の手術患者管理に関するクリニカルパ

    スには,CDCにより推奨されている手術部位感染および遠隔臓器感染予防策として,1)術前の禁煙

    と呼吸訓練を進める,2)下剤による腸管術前処置を行う,3)剃毛は行わず,必要ならば除毛を行う,4)抗生剤の種類,投与期間を規定する(術前,術中抗生剤投与の徹底),5)早期離床を進める,6)早期に尿道バルーンを抜去する,7)ドレーンは閉鎖式として,早期にドレーンを抜去する,8)中心

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  • 表4 SSI防止のためのガイドライン(抜粋)文献10)より

    有効性に関して合意に達していない項目(not recommended:NR)

    理論的根拠があってその実施が支持される項目(II)

    いくつかの実験的,臨床的,疫学的検討と強い理論的論拠により証明されていて強力に推奨される項目(IB)

    適切に企画された実験的,臨床的,疫学的検討により証明されていて強力に推奨される項目(IA)

    ランク付け

    ●手術前にステロイドの投与量を減らす

    ●SSI防止のために栄養補給を増強する

    ●術前に,鼻腔にムピロシン軟膏を塗布する

    ●SSI防止のために,創への酸素供給を増加させる

    ●皮膚消毒は,同心円状に広い範囲を行う

    ●手術前の入院期間は最小限とする

    ●糖尿病患者は,血糖値を適切に管理する

    ●待機手術前は,30日間の禁煙を勧める

    ●SSI防止のために,血液製剤の術前使用を控える必要はない

    ●適切な生体消毒薬を,手術野の消毒に使用する

    ●待機手術では,手術部位以外の感染でもあらかじめ治療しておく●切開部位の体毛が邪魔にならなければ,除毛しない●除毛する場合は電気バリカンを用い,手術直前に行う

    術前準備に関して

    ●手術と手術の間に,床の消毒を行うこと

    ●当日の最後の手術終了後に,手術室の床の湿式清掃を行う

    ●床などが汚れた場合には,汚染範囲のみを消毒する

    ●感染性患者の術後に,特別な消毒は行わない

    ●SSI防止のために,粘着マットは使用しない

    手術室の

    清掃と消毒

    ●手術着の洗濯方法や場所,手術室外に出るときの対応について

    ●口と鼻を完全に覆う手術用マスクを着用する

    ●頭髪を完全に覆うために,帽子を着用する

    ●手洗い後,滅菌ガウンを着用した後に手袋をつける

    ●手術用ガウンおよび覆布は,液体バリア効果のある材質を用いる

    ●手術着が汚染したら,着替える●SSI防止のために,靴カバーは着けない

    手術時の服装と覆布

    ●バンコマイシンを予防的抗菌薬投与に,日常的に使用してはならない

    ●適応があるときのみ予防的抗菌投与を行い,各特定の手術のSSI惹起に最も一般的な病原菌に対する効果や出版された勧告に基づいて薬剤を選択する

    予防的抗菌薬投与

    ●滅菌物への薬液注入は,使用直前に行う

    ●手術部位の組織は丁寧に扱い,十分に止血し,壊死組織や異物はできる限り除去し,死腔が残らないように工夫する

    ●手術創の汚染が著しい場合には,創の二次閉鎖を考慮する

    ●ドレーンは閉鎖吸引ドレーンを使用する,ドレーンは手術創以外から挿入し,できる限り早期に抜去する

    ●血管内カテーテル留置,脊椎麻酔,硬膜外麻酔,静脈注射などは無菌操作で行う

    無菌操作や手術手技

    ●一次閉鎖した切開創の48時間以降の被覆の必要性についてや,創部を被覆せずに入浴可能な時期については保留

    ●包装交換は無菌操作で行う

    ●適切な手術創管理について,患者に十分説明する

    ●創は滅菌した被覆材で,術後24~48時間保護する

    ●包帯交換および手術部位へ触れる前後には,手指消毒を行う

    手術後の対応

    静脈カテーテルの留置の適応は必要最小限とする,などが盛り込まれている.

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  • 4.予防的抗菌薬の投与について前記のCDCのガイドラインでは予防的な抗菌薬の投与について「適応があるときのみ予防的抗菌薬を投与し,各特定の手術の SSI 惹起にもっとも一般的な病原菌に対する効果や出版された勧告に基づいて薬剤を選択する(IA)」.また,「バンコマイシンを予防的抗菌薬投与に日常的に使用してはならない(IB)」,とされている.SSI の予防薬の選択にあたっての原則は,予定

    された手術がどの分類に入るかを判断し,推定起炎菌に対して有効な薬剤を決定することが重要である.予防薬としては,十分な抗菌力を発揮する薬剤を選択することが重要であるが,耐性菌の出現も考慮に入れ,単に広域スペクトルの薬剤を選択することのないよう注意する必要もある.胃,食道の手術では術野の主な汚染菌は黄色ブ

    ドウ球菌であり,ペニシリナーゼを高頻度に産生する可能性が考えられる.このため,SSI 予防薬としては,第一世代セフェム系薬あるいはペニシリン系薬と β-ラクタマーゼ阻害剤の合剤であるスルバクタム�アンピシリン(SBT�ABPC)などの選択が適切である11).抗菌薬の投与期間としては,エビデンスが十分とはいえないが清潔手術では 1日,準清潔手術では 3日以内が適当と考えられている.また 1日投与量は,一般に中程度感染症の治療量が目安であり,薬剤の半減期に応じて 1日2~3回投与することが多いのが一般的である.当院では胃癌手術では幽門側胃切除,胃全摘手

    術ともに,手術直前の執刀30分前から第一世代セフェムのCEZを術後48時間まで 1日 2回に分けて投与している.また食道癌手術では同様にCEZを,手術直前の30分前から術後72時間まで投与している.また当科における汚染手術・縫合不全を除く腹部手術例において 3時間以上を越える手術では術後の SSI 発生率が15%(27例�177例)と 3時間以内の手術の SSI 発生率9.7%(13例�134例)に比べて高い結果であったので,現在では手術が 3時間を越えた時点で全例に術中に抗菌剤を追加投与している.さらに 6時間を越えた時点で

    再度追加しているので,長時間の手術では,帰室後も含めると 1日に 3回または 4回投与することになる.

    5.上部消化管手術の周術期における感染対策の実際

    SSI サーベイランスや感染対策を考慮したパス作成に取り組んで以来,当科では感染対策にさまざまな工夫を加えて SSI 減少に努力してきた.以下,胃癌・食道癌の手術に限ったことではないが,当院でパスやマニュアルなどに取り入れている周術期の感染予防対策を中心に,SSI 予防策について術前,手術中,術後にわけて述べる.

    1)術前の感染対策

    パスを導入してから,無駄な在院期間は少なくなったのはいずれの施設も同様である.当院では1997年からと,わが国では非常に早期に,胃癌手術のパスを導入してきた.当院の胃癌手術のパスでは術前期間は 2日間であり,「手術前の入院期間は最小限とする(II)」ことで術後の SSI 減少に貢献している.またパスの導入とともに剃毛は中止され,電気バリカンによる除毛となった.ガイドラインでは「除毛する場合は電気バリカンで手術直前に行う(IA)」とされているが,当科では諸事情から術前日に病棟で除毛することとしている.ほかに術前準備としてガイドラインに書かれている「(IA)待機手術では,手術部位以外の感染もあらかじめ治療しておく」.「(IB)糖尿病患者は,血糖値を適切に管理する.待機手術は,術前30日間の禁煙を勧める.SSI 防止のために,血液製剤の術前使用を控える必要はない」などは参考にしている.しかし,悪性疾患においては初来院から手術日まで 2週間以上となる症例がほとんどないことを誇っている当科においては,術前30日間の禁煙はまったく実行不可能であるといえる.

    2)手術室での感染対策

    当院では手術日の病室から手術室への患者の移送には,病棟の入院ベッドのまま手術室のベッド

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  • 図5 手術室へ入院ベッドのまま患者を移送している

    図6 手術室の手洗いは水道水で

    図7 ラビング法による手術室の手洗いまで移送して(図5),患者は手術室内での 1回のみのベッド移動でよいようにしている.これにより,手術室が不潔になり術後感染が増えるとのエビデンスはなく,患者のベッド移動時の苦痛は軽減し,ナース・医師の負担は少なくなった.2000年12月より手術室での術前の手洗いには滅

    菌水の使用を止め,清潔に管理された水道水で手洗いを行っている(図6).厚生労働省からも2005年 2 月より滅菌水使用の規定が改められている.また従来のブラシによるスクラブ法の手洗いからラビング法による手洗い(図7)へと変わりつつある.これは残留効果のある擦式消毒用アルコール製剤の普及によるためで,頻回に手洗いすることの多い看護師にとって歓迎されている.術中に「(IB)口と鼻を完全に覆う手術用マスク

    を着用する.頭髪を完全に覆うために,帽子を着用する.手洗い後,滅菌ガウンを着用した後に手袋をつける.手術着が汚染したら,着替える」や「(II)皮膚消毒は同心円状に広い範囲で行う」,「(IB)手術部位の組織は丁寧に扱い,十分に止血し,壊死組織や異物はできる限り除去し,死腔が残らないように工夫する.手術創の汚染が著しい場合には,創の二次閉鎖を考慮する.ドレーンは手術創以外から挿入し,できる限り早期に抜去する」などの遵守は,いうまでもないことばかりである.縫合糸に関しては,合成吸収糸が多用される欧

    米に比し,わが国では絹糸を使用することが圧倒

    的に多かった.これは結紮時の縛りやすさとコストの観点からが要因と思われる.しかし SSI 予防の観点では,異物となって遺残する絹糸よりは合成吸収糸のほうが優れている.縛りやすいように改善されてきているので,閉腹時の筋膜の縫合だけでなく,術野の縫合や結紮にも合成吸収糸の使用が望ましい.当科ではコスト面を考えて,切除標本となる側には絹糸を用い,体内に残る側の結紮には合成吸収糸と交互に糸を変える工夫をして,できるだけ SSI の原因を除くように努力している.糸を交互に変えることも看護師はすぐ慣れるので,決して負担にはならないと考えている.当科では,消化管吻合のある胃癌および食道癌の手術ではドレーンを留置することを原則としている.ガイドラインでは「(IB)閉鎖吸引ドレーンを使用する」となっているが,ドレーンがつまりやすい,あるいは陰圧を負荷すると腸壁穿孔する

    2007年(平成19年)度後期日本消化器外科学会教育集会

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  • 表5 創処置マニュアル(原則)

    ●一次的に縫合した創部は術後48時間までは被覆する.術後48時間以降は開放する,ノベクタンスプレーをかける,オプサイトを貼るなどとし,消毒やガーゼ交換は行わない.

    ●術後48時間以降はシャワー浴や入浴は創部に関しては制限しない.

    ●創部の観察は必要に応じて行なう●ドレーンが挿入されている場合には,ドレーン部の包交のみを行う●基本的に汚染物を扱う操作は医師が担当し,介助する看護師は清潔操作に徹する.●患者からの滲出物,排出物で汚染されたガーゼなどに直接触れる処置は,手袋を着用した医師のみが行う.●創処置を介助する看護師は,包交車側の清潔操作に徹して,汚染されたガーゼなどには触れない.

    表6 創処置マニュアル(具体的手順)

    医師,看護師は入室前に擦り込み式手指消毒剤にて手指を消毒する.医師はディスポーザブル手袋を着用して,患者のベッドサイドへ赴く.創を消毒し,被覆材料で創を覆うまでは,医師が手袋着用のままで行う.被覆材料の絆創膏固定は医師または看護師が行う.医師は手袋を脱ぎ,医師,看護師ともに擦り込み式手指消毒剤にて手指を消毒した後に,次の患者に移動する.

    恐れがある,との懸念から開放式ドレーンを多用してきた.しかし最近のドレーンではこのような懸念は杞憂だったようで,現在は閉鎖式のドレーンを留置することを原則としている.消化管吻合のある手術では,腸内細菌が漏出し,

    どうしても術野が不潔になる.そこで閉腹前に腹腔内洗浄,手袋交換,手術機械の消毒あるいは交換が必要となる.いつのタイミングでこれらを行うかはエビデンスもなく難しいが,当科ではすべての消化管吻合が終了し,術野への粘膜の露出機会が終わった時点で手術チーム全員が手袋を交換している.また腹腔内を3000ml の生理食塩水で洗浄している途中で,清潔な閉腹セット(持針器,ハサミ,有鈎セッシ,およびコッヘル鉗子で構成される)に手術器具を交換している.また皮膚の閉創には埋没縫合を多く行うように

    なってきた.埋没縫合は手間取るので手術時間がやや延長するが,術後創処置は不要となるので病棟業務は効率化される.また SSI も増えることはない.術者がレジデントに交代して埋没縫合することも多いので,教育上の観点からも好ましいと考えている.

    3)術後の感染対策

    術後の創処置についての具体的な方法は,パスに書き込むことではないので表5,6のようなマニュアルを作成して対応している.ガイドライン

    では「IB 包帯交換および手術部位へ触れる前後には,手指消毒を行う.創は滅菌した被覆材で,術後24~48時間保護する」とされており,一次閉鎖した切開層の48時間以後の被覆の必要性はない.当科では異常な浸出のない創部では,たとえ糸が露出していても,48時間以後は被覆していないので,無駄なガーゼ交換の手間は不要となっている.腹腔内に消化管吻合のない食道癌手術の場合に左横隔膜下に留置するドレーンは予期せぬ術後出血のための information drain であり,「(IB)ドレーンはできる限り早期に抜去する」のとおり,異常な出血のないことを確認して,翌朝に速やかに抜去している.しかし胃癌手術で吻合部周囲に留置したドレーンは食事開始しても異常な浸出液の漏出がないことを確認してから抜去するようにしている.

    6.縫合不全の少ない手術をめざす努力縫合不全の多い食道癌手術は当然であるが,縫合不全の少ない胃癌手術においても縫合不全を発生させないように術式の改善と手技向上に努力するのは外科医の務めである.当科では胃癌,食道癌の手術においては,手術時間の短縮と縫合不全の減少により SSI 発生率の低下をめざして器械吻合を行うことを原則としている.以下,胃癌,食道癌にわけて,そのポイントを述べる.

    1)胃癌における器械吻合

    胃全摘術における食道・空腸吻合の器械吻合は一般的であるので省略する.

    周術期の感染対策―上部消化管―

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  • 図8 器械によるビルロートI法の吻合 図9 食道癌の胸腔内器械吻合

    当科では幽門側胃切除後にはビルロート I法かRoux-Y 法で再建することを原則としているが,いずれも器械吻合としている.(1)ビルロート I法(図8)ではあらかじめ十二指腸断端に anvil head を留置しておく.残胃の大湾側断端から挿入した縫合器本体の先端を,3~5cm離れた後壁に貫いて,十二指腸と吻合している.吻合前に十二指腸の吻合部近くの上十二指腸動脈を処理しておくことが吻合部出血を少なくするコツと考えている.器械によるB-1吻合でも縫合不全が起きないわ

    けではない.縫合不全がおきないようにするには,吻合部に緊張がかからないように十二指腸のKo-cher 受動や残胃の大湾側を十分に受動しておくこと,吻合部と残胃の断端の距離に余裕をとることが大事であるが,吻合終了後に吻合部にステープルがしっかりとかかっていることを全周にわたり確認することがもっとも重要である.そして少しでも脆弱と懸念される部位があれば,全層結節縫合を加えることにしている.(2)Roux-Y 法幽門側胃切除後で残胃が小さくなる場合には逆

    流性食道炎の起きないRoux-Y 法で再建するが,この場合も器械で吻合している.Roux-Y 法では残胃の大湾側断端に anvil head を留置しておく.そして挙上空腸断端から縫合器本体を挿入し,先端を断端から5~8cm離れた腸間膜対側壁に貫い

    て,残胃と吻合している.Roux-Y 法ではまず縫合不全は起きないが,吻合終了後に吻合部にステープルがしっかりとかかっていることを全周にわたり確認することは重要である.

    2)食道癌の胸腔内器械吻合

    当院では胸部中下部食道癌に対して,開腹・頸部郭清を先行したのち,右開胸下に食道切除を行い,胸腔内で食道と胃管を器械で吻合する手術を標準術式として行っている12).手術は,最初に仰臥位で開腹操作と頚部郭清を同時に行う.腹部では腹部郭清と挙上胃の作成を行うが,胃は小弯側半分のみの切離に留めておく.つぎに体位を左側臥位に変換し,右開胸し縦隔郭清を行ってから,胃を胸腔内へ牽引し,胸腔内で胃を完全に切離して胃管を作成し,器械による食道・胃管吻合を行う(図9).視野が極めて良好なので,吻合部全周を容易に確認できる.もし少しでも不安な箇所があれば全層結節縫合による補強を加え,leak テストで air 漏れのないことを必ず確認することが重要である.本術式では手術時間は短く,また胃管の挙上距離が短いので挙上胃の血流が良好な部位で,しかも直視下のもとで器械による吻合が確実に行えるので縫合不全は極めて少ない.1998年以後,胸部食道癌根治切除例202例中112例(うち頸部郭清付加例75例)に対し本術式を施行した.挙上胃管の縫合線最下端のリークの 1例

    2007年(平成19年)度後期日本消化器外科学会教育集会

    総論

    9

  • 以外に,吻合部の縫合不全は特別の処置を必要としないマイナーリークの 2例のみであった.術後15日で退院するパス13)14)を適応した90例(うち頚部郭清例65例72%)でのパス完遂例は72例(80%)と多く,その平均術後在院日数は15.1日であった.本術式は,頚部郭清を加えても手術後の経過は

    良好で,縫合不全の極めて少ない術式と考えている

    7.まとめ以上,上部消化管手術における周術期の感染対

    策について,当院で行っている胃癌・食道癌手術の SSI の予防対策を中心に紹介した.SSI の予防対策は医療従事者にとっても,病院経営においても,そして手術治療を受ける患者にとっても重要である.また当院においてはこのような院内の感染対策活動を通じて病院の横断組織が充実し,チーム医療が大きく推進され,多職種の医療者のモチベーションの向上につながってきた.今後,さらに SSI サーベイランス研究会などの活動を通じて,わが国の周術期の感染対策が充実することを期待している.

    文 献1)古川清憲,恩田昌彦,丸山 弘,ほか:術後感染治療薬の選択理論と実際―上部消化管手術.臨外 55(7):847―851, 2000

    2)Garners JS;The Hospital Infection Prac-tices Advisory Committee:Guidelines forisolation precautions in hospitals. Infect Con-trol Hosp Epidemiol 17:54―80, 1996

    3)Emori TG, et al:An overview of nosocomialinfections, including the role of the Microbiol-ogy laboratory. Clin Microbiol Rev 6(4):428―442, 1993

    4)針原 康,小西敏郎:創傷治癒と surgicalsite infection(SSI).臨外 62(12):1545―

    1551, 20075)佐貫潤一,古嶋 薫,大塚裕一,ほか:大腸手術における術後感染予防対策.日本外科感染症研究会 14:175―179, 2002

    6)小西敏郎,森兼啓太,西岡みどり,ほか:JNIS委員会報告:日本病院感染サーベイランスの試行.環境感染 15:269―273, 2000

    7)小西敏郎,針原 康:「手術部位感染(SSI)サーベイランスの事業化と SSI サーベイランス研究会の発足―第 1回および第 2回 SSIサーベイランス研究会報告―」.環境感染 18(2):275―278, 2003

    8)小西敏郎,針原 康,森兼啓太,西岡みどり:わが国における SSI サーベイランス―JNISシステムを中心に.小林寛伊編「今日から始める手術部位感染サーベイランス」,p36―45,メデイカ出版発行,2003年

    9)Mangram AJ, Horan TC, Peason ML, et al:Guideline for prevention of surgical site infec-tion. Infect Control Hosp Epidemiol 20:247―275, 1999

    10)針原 康,小西敏郎:SSI 予防のための処置日本外科感染症学会雑誌 3(4):521―529,2006

    11)炭山嘉伸,有馬陽一:外科領域の感染予防3.消化器外科領域(上部,下部,胆道).化学療法の領域 16:615―619, 2000

    12)小西敏郎,奈良智之:胸腔内器械吻合の食道癌根治手術とクリニカルパスによる管理.Prog Med 23(3):925―935

    13)外村修一,小西敏郎:外科医のためのクリニカルパス実践講座(4)「食道癌のクリニカルパス(その1)」.外科 63(4):453―456, 2001

    14)外村修一,小西敏郎:外科医のためのクリニカルパス実践講座第 5回「食道癌のクリニカルパス(その2)」.外科 63(5):587―593,2001

    周術期の感染対策―上部消化管―

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