資料1...2002/10/15 · 「鳥海月山両所宮の穀様し」説明資料...
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資料1
山形市指定文化財への推薦について
次の物件を山形市指定文化財として指定されるよう推薦する。
令和2年10月15日
推薦者氏名 山形市文化財保護委員会 委員 野口一雄
分 類 無形民俗文化財 種 別
名 称 鳥海ちょうかい
月山がっさん
両所宮りょうしょぐう
の穀様ごくだめ
し
員 数
所在地 山形市宮町3丁目8番41号
所有者
物件の説明
馬見ヶ崎川扇状地の扇端周辺には多くの湧水(出水(ですい))が見られ、「下
条セリ」のような名産を生み、宮町・下条など、出水近くにはところてんを売
る店があった。馬見ヶ崎川扇状地の伏流水は山形城下の土中を流れ、鳥海月山
両所宮の御池や金井の井戸も伏流水が湧き出たところだったようだ。その伏流
水の多寡によって作柄を占ったのが、「鳥海月山両所宮の穀様し」である。
吹浦大物忌神社の神官進藤重記が、宝暦 12 年(1762)に編纂した『出羽国
風土略記』と、寛政年間(1789~1800)に両所宮社人里見光當(まさ)が草稿に
加筆したとされる『乩補(けいほ)出羽国風土略記巻之拾上』(『山形市史編集資
料』第 33 号)「両所宮 年中祭式」に、両所宮の穀様しが記されている。山形
城下の案内記である『山形風流松の木枕』(玉井本)には、「五穀の神事」とし
て紹介され、「不作の物ハくさり、上作の物は色も形も味わひも只其儘にて侍
へる也」と、伏流水の水位と穀様しが深くかかわったことを記している。また、
「最上名所名産名物番附」(元治元年 1864)には、勧進元に「八幡武(歩)射
タメシ」と「宮ノ穀タメシ」が併記して紹介されている。
穀様しの五穀は、随神門(元仁王門)西側に地面を南北 120 ㎝余り、東西 140
㎝余り、深さ 80 ㎝余り掘ったところに埋められている。五穀の上には五個の
置石がのる。「開く(る)の神事」は、宮司による幣殿での祝詞奏上から始ま
り、その後、五穀が納められている場所に移動し、土中の五個の置石を除き、
庄内、秋田、仙台、米沢、山形の順に翌年の作柄を 10 段階で評価し、結果は
版木で彫られた用紙に書き写される。翌日は「休む(る)の神事」である。幣
殿から移された新しい五穀が土中穴に埋納され、置き石に土をかけ現状に復原
される。最後に、表土中央部に梵天竿が立てられ、その後、直会が行われ、神
事が終了する。
推薦の理由
又は意見
県内の寺社等による作占いには、巫女(みこ)(神子)による神おろし、寺社
等の粥(かゆ)占い、流鏑馬(やぶさめ)、歩射、火占い、籤占いなど様々なもの
があったが、河川の伏流水を利用して作柄を占う「鳥海月山両所宮の穀様し」
は、県内始め他地方には見られない独特な神事・民俗行事といえる。
備 考
資料1-1
山形市指定文化財への推薦について
次の物件を山形市指定文化財として指定されるよう推薦する。
令和2年10月15日
推薦者氏名 山形市文化財保護委員会 委員 野口一雄
分 類 有形民俗文化財 種 別
名 称 穀ごく
様だめ
しの版木は ん ぎ
員 数 1枚
所在地 山形市宮町3丁目8番41号
所有者 鳥海月山両所宮
物件の説明
「鳥海月山両所宮の穀様し」の起源は不明だが、吹浦大物忌神社の神官
進藤重記が、宝暦 12 年(1762)に編纂した『出羽国風土略記』と、寛政年
間(1789~1800)に両所宮社人里見光當(まさ)が草稿に加筆したとされる
『乩補(けいほ)出羽国風土略記巻之拾上』(『山形市史編集資料』第 33 号)
「両所宮 年中祭式」に、両所宮の穀様しが記されている。山形城下の案内
記である『山形風流松の木枕』(玉井本)には、両所宮の穀様しが「五穀の
神事」として紹介され、「不作の物ハくさり、上作の物は色も形も味わひも
只其儘にて侍へる也」と、伏流水の水位と穀様しが深くかかわったことを
記している。また、「最上名所名産名物番附」(元治元年 1864)には、勧進
元に「八幡武(歩)射タメシ」と「宮ノ穀タメシ」が併記して紹介されて
いる。
前年に埋納された五穀は翌年掘り出され、宮司が、庄内、秋田、仙台、
米沢、山形の順に作柄を呼び上げる。10を最高の出来とする。結果は版木
で刷られた用紙に書き写され、集まった人びとに、虫除け札とともに配ら
れたという。
江戸時代に作製されたと考えられる版木(縦 16.5 ㎝、横 19.0 ㎝、厚さ
1.2 ㎝、材は朴ノ木カ)には、「鳥海月山 両所宮 六月卅日開 穀様シ」
の文字と、「米・水・茄子・木瓜・大角(ささ)豆(げ)・粟・穂」の文字、さ
らに、中央に「山形」、左上から時計まわりに、「庄内・秋田・仙台・米沢」
の地域名、それぞれの下に五穀名が彫られている。
推薦の理由
又は意見
五穀が埋納されるところには、梵天竿が立てられるが、竿は古くなると
更新される。
版木は、江戸期から用いられていると考えられる唯一の有形資料と考え
られる。
備 考
資料1-2
「鳥海月山両所宮の穀様し」説明資料 山形市文化財保護委員 野口一雄
享保 15 年(1730)、山形城下旅篭町の脇本陣後藤小平治が記したとされる『名物紅の袖』
に、「東にハ蔵王か嶽、是より水流、馬見ヶ崎と云大川有。水流早ク暉麗にして、此水町中
へ流、家々の調法誠に余国にも珍し。」と、山形城下を馬見ヶ崎川から取水した流れ(堰)
が美しい街並みをつくっていると記している。馬見ヶ崎川扇状地の扇端周辺には多くの湧
水(出水で す い
)が見られ、「下条セリ」のような名産を生み、宮町・下条など、出水近くにはと
ころてんを売る店があった。馬見ヶ崎川扇状地の伏流水は山形城下の土中を流れ、鳥海月
山両所宮の御池や金井の井戸も伏流水が湧き出たところだったようだ。その伏流水の多寡
によって作柄を占ったのが、「鳥海月山両所宮の穀様し」である。 吹浦大物忌神社の神官進藤重記が、宝暦 12 年(1762)に編纂した『出羽国風土略記』と、
寛政年間(1789~1800)に両所宮社人里見光當まさ
が草稿に加筆したとされる『乩補け い ほ
出羽国風
土略記巻之拾上』(『山形市史編集資料』第 33 号)「両所宮 年中祭式」に、両所宮の穀様し
が次の様に記されている。 重記曰、七月朔日五穀の神事あり、是をおたいやすめ(御台は食膳であり、料理の意
味と思われる)と称ス、御飯・粟・大角さ さ
豆げ
・胡瓜・稲穂・茄子等を、楼門の脇地二尺
程掘りて埋置、来六月晦日に掘出し耕作の吉凶を見る、腐らさるを吉とし、腐るを凶
とす、 乩補云、六月晦日に昨年埋置し御供米を堀出、七月朔日ニ五穀納、(略)御供米・大角
豆・胡瓜・茄子・稲穂(略)、地を一・二尺程掘りかへし、紙一枚に包み五穀を納、石
を蓋にして印に梵天木を立、(略) 「両所宮の穀様し」の起源は不明だが、上記の資料により江戸時代中期ころには存在し
たことが確認される。当時は「おたいやすめ」と呼んでいたようだ。江戸時代中・後期の
山形城下名所案内記である『風流松の木枕』(玉井本)にも、両所宮の作占い(試し)が次
のように記されている。(同書「揚妻本」や「三澤屋本」には、神事の期日は6月晦日と7
月朔日。五穀は御飯・茄子・胡瓜・大角豆・粟穂とある。) 此梵天ハ五穀検しの所也、此下ニ石の櫃有之、一切の五穀、茄す、大根、麦の類ひ、
正月八日納め申て六月十五日ニひらき見る、不作の物ハくさり、上作の物ハ色も形も
味ひも只其儘にて侍へる也 また、「最上名所名産名物番附」(元治元年 1864)には、勧進元に「八幡武(歩)射タメ
シ」と「宮ノ穀タメシ」が併記して紹介されている。 これらの資料から、穀様し神事の期日や五穀は、神事の恒例化とともに固定していった
ことが考えられる。 江戸時代に製作されたと考えられる版木(16.5 ㎝、19.0 ㎝、厚さ 1.2 ㎝、朴ノ木カ)に
資料1-3
は、「鳥海月山 両所宮 六月卅日開 穀様シ」の文字と、「米・水・茄子・木瓜・大角豆・
粟・穂」の作物名、中央に「山形」、左上から時計まわりに、「庄内・秋田・仙台・米沢」
の計5つの地域名が彫られ、それぞれの地域の下に同じ作物名が彫られている。5地域の
記載は河川の源流を意識したのだろうか、庄内・秋田には鳥海山、山形・仙台には蔵王山、
米沢には吾妻山がそびえる。 毎年稲穂を奉納する氏子総代の一人石山博氏(89 歳)によれば、神事の場所は現在のと
ころより3mほど幣殿に近い、随神門(元仁王門)西北柱のそばにあったという。付近を
伏流水が流れていたのだろう。特に、春先の蔵王山の雪解け水は豊富で、伏流水も潤沢
であった。伏流水は年中枯れることがなかったのだろう。地中数 10 ㎝掘ると水が浸み出た
という。「不作の物ハくさり、上作の物は色も形も味わひも只其儘にて侍へる也」(玉井本)
は、伏流水の水位と深くかかわったことを記している。 今日、穀様しの五穀は随神門入口西側に、地面を南北 120 ㎝余り、東西 140 ㎝余り、深
さ 80 ㎝余り掘り下げたところに埋められる。五穀の上には五個の漬物大の石が置かれる。 令和2年度(2020)穀様しの神事は、9月7日(月)午後3時から「開く(る)の神事」
が、翌8日(火)午前8時から「休む(る)の神事」が執り行われた。行事の諸準備や後
始末はすべて、当日出席された氏子総代たちによってすすめられた。前日に、梵天竿(八
角形、高さ3m余り、直径 10 ㎝余り)が撤去され、表土も掘られた。昨年の穀様しは随神
門屋根修復作業のため大幅に遅れ、11 月2日(土)・翌3日(日)であった。 「開く(る)の神事」は、中野俊助宮司による幣殿での祝詞奏上から始まった。その後、
五穀が納められている場所に移動し、埋納する穴の前で宮司が祝詞を奏上し掘った穴中に
入る。五個の石は、庄内、秋田、仙台、米沢、山形の順に開き明年の作柄を 10 段階で評価
する。10 を最高の出来とする。結果は版木で刷られた用紙に書き写される。むかしは集ま
った人びとに虫除け札とともに配られたものであったという。 翌日は「休む(る)の神事」である。祝詞奏上は前日と同じ幣殿と埋納する穴の前でお
こなわれ、幣殿から移された新しい五穀が埋納穴に納められ、置石に土がかけられ原状に
復元される。最後に、表土中央部に梵天竿が立てられ、神事が終了する。その後、ニシン
と神事に用いた米で炊いた御飯、五穀の野菜を入れた味噌汁、胡瓜の漬物をいいただき神
事のすべてが終了する。『風流松の木枕』(玉井本)にはニシンの昆布巻きを食べるとある。 県内の寺社等による作占いには、巫女(神子)による神おろし、寺社等の粥占い、流鏑
馬、歩射、火占い、籤占いなど様々なものがみられたが、河川の伏流水を利用して作柄を
占う両所宮穀様しは、他地方にはない独特な神事であり民俗行事といえる。
【9月7日(月) 開く(る)の神事】
お祓い 五穀上の重石
作柄の呼び上げ 作柄の記載
五穀の取り出し 取り出された五穀
【9月8日(火) 休む(る)の神事】
幣殿に納められた新五穀 五穀
お祓い 五穀の埋納
埋納された上に梵天竿を設置 ニシンと五穀の汁での朝食
穀様しの版木
鳥海月山両所宮
鳥海月山両所宮境内図
穀様しの梵天竿
玉井本 「山形風流松の木」
(玉井茂『山形名所案内松の木枕』昭和 59年 より)