変身と再生 太宰治r魚服記』の比較文学的試論 · 変身と再生...

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九頭見和夫:変身と再生 太宰治『魚服記』の比較文学的試論 11 変身と再生 太宰治r魚服記』の比較文学的試論 九頭見 1、はじめに 一人の人間の生涯においてかりに分岐点といえ るものが存在するとすれば、昭和8(1933)年こ そ作家太宰治にとってひとつの大きな人生の分岐 点であったと言えるのではなかろうか。前年7月 青森警察署に出頭し左翼運動と決別した太宰は、 2月19日付r東奥日報」の日曜版に、r太宰治」 の筆名を初めて用いたr乙種懸賞創作入選」小説 r列車」を発表する。さらに3月には、同人雑誌 r海豹」の創刊号に同郷の友人今官一の推薦で小 説「魚服記」を、同じく「海豹」の4、6、7月 号に自叙伝的小説r思ひ出」を連載し、有望新進 作家の登場として注目を浴びるのである。 「魚服記」は、十四、五枚の短編、小品と いってもよいような作品であったが、私は一読 .して、すっかり感嘆してしまった。これはすば らしい無名の新人があらわれてきたとおもつ た。P ②rそんな、評判なんかになる筈は無いんだ がね。いい気になつちやいけないよ。何かの間 違ひかもわからない。」と実に不安さうな顔を しておっしゃった。(皿.40) ①はr海豹」同人古谷綱武の評価、②はr魚服記」 の反響に驚いた井伏鱒二の反応である。このr魚 服記」の予想外の好評を契機に太宰の交友関係は、 これまでの文学上の師井伏鱒二や昭和7年10月か ら約三年間共同生活をした飛島定城などの同郷人 から、作家太宰治として古谷綱武や檀一雄など r海豹」やr鶴」の同人たちを中心とした文壇関 係へと拡大していくのである。 しかし、作家r太宰治」が誕生した昭和8年は、 軍国主義が台頭し、r人が生きるのに必要な能力 を欠き、生きるのに必要でない能力ばかりが秀で た」2、いわば虚弱児太宰治にとって、無事元気 に成長できるかはなはだ危ぶまれる時代の状況で あった。ヨーロッパではヒトラーの政権獲得によ る第三帝国の樹立、アジアでは満州国建国と日本 の国際連盟の脱退など、世界は大きく軍国主義に 舵を切った、それ故昭和8年は世界の歴史におい てもひとつの大きな分岐点であったのである。昭 和11年6月、太宰自身の言葉をかりれば、昭和7 年から9年にかけてr遺書」として書いたr列車」、 r魚服記」、r思ひ出」など15編の作品を収録した 『晩年』が刊行される。 私は書き上げた作品を、大きい紙袋に、三つ四 つと貯蔵した。次第に作品の数も殖えて来た。 私は、その紙袋に毛筆で、r晩年」と書いた。 その一連の遺書の、銘題のつもりであった。も う、これで、おしまひだといふ意味なのである。 (皿.281.) 以下この小論においては、r魚服記」解明のため 特にr変身」に注目し、1・r魚服記」の素材と 物語形式、2.r魚服記」解釈上の問題点として 近親相姦と人間魚化、3.芸術家の苦悩と「変身」 モチーフ、について分析する。 ■.r魚服記」の素材と物語形式 相馬正一によれば、太宰文学は作品系列に即し て、①私小説的系列、②物語的系列、③中間的系 列(または統合的系列〉の三つに分類が可能で、 例えばr晩年』の場合、r魚服記」、rロマネスク」 は②で、r思ひ出」、r道化の華」は①であるとい う。そしてr魚服記」の属する②の特徴を相馬は、 以下の如く規定する。 東西の古典や津軽地方の口碑伝説に取材したも のが多く、そのほか知人の日記や書簡などをも とにして書いたものもある。この系列の特徴は、

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九頭見和夫:変身と再生  太宰治『魚服記』の比較文学的試論 11

変身と再生 太宰治r魚服記』の比較文学的試論

九頭見 和 夫

1、はじめに

 一人の人間の生涯においてかりに分岐点といえ

るものが存在するとすれば、昭和8(1933)年こ

そ作家太宰治にとってひとつの大きな人生の分岐

点であったと言えるのではなかろうか。前年7月

青森警察署に出頭し左翼運動と決別した太宰は、

2月19日付r東奥日報」の日曜版に、r太宰治」

の筆名を初めて用いたr乙種懸賞創作入選」小説

r列車」を発表する。さらに3月には、同人雑誌

r海豹」の創刊号に同郷の友人今官一の推薦で小

説「魚服記」を、同じく「海豹」の4、6、7月

号に自叙伝的小説r思ひ出」を連載し、有望新進

作家の登場として注目を浴びるのである。

 ① 「魚服記」は、十四、五枚の短編、小品と

 いってもよいような作品であったが、私は一読

.して、すっかり感嘆してしまった。これはすば

 らしい無名の新人があらわれてきたとおもつ

 た。P

 ②rそんな、評判なんかになる筈は無いんだ

 がね。いい気になつちやいけないよ。何かの間

 違ひかもわからない。」と実に不安さうな顔を

 しておっしゃった。(皿.40)

①はr海豹」同人古谷綱武の評価、②はr魚服記」

の反響に驚いた井伏鱒二の反応である。このr魚

服記」の予想外の好評を契機に太宰の交友関係は、

これまでの文学上の師井伏鱒二や昭和7年10月か

ら約三年間共同生活をした飛島定城などの同郷人

から、作家太宰治として古谷綱武や檀一雄など

r海豹」やr鶴」の同人たちを中心とした文壇関

係へと拡大していくのである。

 しかし、作家r太宰治」が誕生した昭和8年は、

軍国主義が台頭し、r人が生きるのに必要な能力

を欠き、生きるのに必要でない能力ばかりが秀で

た」2、いわば虚弱児太宰治にとって、無事元気

に成長できるかはなはだ危ぶまれる時代の状況で

あった。ヨーロッパではヒトラーの政権獲得によ

る第三帝国の樹立、アジアでは満州国建国と日本

の国際連盟の脱退など、世界は大きく軍国主義に

舵を切った、それ故昭和8年は世界の歴史におい

てもひとつの大きな分岐点であったのである。昭

和11年6月、太宰自身の言葉をかりれば、昭和7

年から9年にかけてr遺書」として書いたr列車」、

r魚服記」、r思ひ出」など15編の作品を収録した

『晩年』が刊行される。

 私は書き上げた作品を、大きい紙袋に、三つ四

 つと貯蔵した。次第に作品の数も殖えて来た。

 私は、その紙袋に毛筆で、r晩年」と書いた。

 その一連の遺書の、銘題のつもりであった。も

 う、これで、おしまひだといふ意味なのである。

 (皿.281.)

以下この小論においては、r魚服記」解明のため

特にr変身」に注目し、1・r魚服記」の素材と

物語形式、2.r魚服記」解釈上の問題点として

近親相姦と人間魚化、3.芸術家の苦悩と「変身」

モチーフ、について分析する。

■.r魚服記」の素材と物語形式

 相馬正一によれば、太宰文学は作品系列に即し

て、①私小説的系列、②物語的系列、③中間的系

列(または統合的系列〉の三つに分類が可能で、

例えばr晩年』の場合、r魚服記」、rロマネスク」

は②で、r思ひ出」、r道化の華」は①であるとい

う。そしてr魚服記」の属する②の特徴を相馬は、

以下の如く規定する。

 東西の古典や津軽地方の口碑伝説に取材したも

 のが多く、そのほか知人の日記や書簡などをも

 とにして書いたものもある。この系列の特徴は、

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12 福島大学人文学部論集第72号

 一応原典を生かしながらもそれに捉われること

 なく、自由奔放な空想力を働かして風刺とパロ

 デイを試みながら太宰独自のロマンを形成して

 いる点にある。かりに作中人物の言葉が作者自

 身を思わせるようなものであったとしても、そ

 れは私小説的系列のなかにおける苦渋に満ちた

 デスペレートな太宰像とは異なり、実生活から

 解放されて自在にロマンの世界を飛翔している

 ユーモラスな作者の姿である。3一

この相馬の分類を大筋で肯定した上で大久保典夫

は、例えば、②について、r実生活から解放され

て自在にロマンの世界を飛翔しているフィクショ

ン」、r現実の憂苦からの逃亡を志したもの」で、

r芸術による自己救援を意図したものに間違いな

い」と解釈する。4

 それでは太宰自身のr魚服記」の創作意図は何

か。以下のr魚服記に就て」も含め太宰は、例え

ばrr惜別』の意図」など自作の素材と創作意図

についてしばしば言及する。

 魚服記といふのは支那の古い書物にをさめられ

 てるる短い、物語の題ださうです。それを日本

 の上田秋成が翻訳して、題も夢応の鯉魚と改め、

 雨月物語巻の二に収録しました。

 私はせつない生活をしてみた期間にこの雨月物

 語をよみました。夢応の鯉魚は、三井寺の興義

 といふ鯉の画のうまい僧の、ひととせ大病にか

 かつて、その魂魄が金色の鯉となって琵琶湖を

 心ゆくまで逍遥した、といふ話なのですが、私

 は之をよんで、魚になりたいと思ひました。魚

 になって日頃私を辱め虐げてみる人たちを笑つ

 てやらうと考えました。

 私のこの企ては、どうやら失敗したやうであり

 ます。笑ってやらう、などといふのが、そもそ

 もよくない料簡だつたのかも知れません。(X.

 6)

この太宰の解説からr魚服記」の素材について重

要なヒントが得られる。上田秋成のr雨月物語』

巻二のr夢応の鯉魚」が素材であること、r夢応

の鯉魚」の原本は上田秋成が中国の古い書物から

翻訳したいわゆる翻案小説であることが明らかに

2002年6月

なる。問題は、r支那の古い書物にをさめられて

るる短い物語」であるが、諸説あり断定は困難で

ある。

 ① 支那小説の翻案なども、この頃(=明和以

 後)は色々とあらはれて来たので、この雨月物

 語を見ても、当時の様子が察せられる。……夢

 想の鯉魚、蛇性の淫、青頭巾これらも同様の支

 那稗史に基いたものとも考えられるが、一方か

 ら見れば蛇性の淫、青頭巾などは日本霊異記な

 どにあヅて今昔、宇治などに拡まッた仏者の伝

 説である。5i

 ②r古今説海」のr説淵部」中のr魚服記」

 は「せつ偉」と題がちがうだけで内容は同じで

 ある。そして私が問題にしている所の「せつ

 偉」と太宰治との関連は、即ちrせつ偉」によ

 って明代にr魚服記」という俗本が出来、更に

 そのr魚服記」に基づいて太宰のr魚服記」が

 生まれた所の、それらの史的関係を意味してい

 る。印

 ③原典にもっとも関係の深いものとしてr醒

 世恒言」巻二十六のr醇録事魚服証仙」も考慮

 に入れなければならぬものであろう。なお後藤

 博士は、唐代伝奇の書r張縦」を挙げて、これ

 をr太平広記」のr醇偉」またr古今説海」の

 r魚服記」と比較してみると、内容が酷似して

 おり、しかも「張縦」の方に古い悌があるよう

 だとして「張縦」の如きものを濫觴として、漸

 次に発達し来った醇偉化魚説話は、更にr醒世

 恒言」に至ってr醇録事魚服証仙」の長篇とな

 つたのであろう、と推測しておられ、原典の証

 左として考えるべき問題を提示しておられ

 る。D

さて太宰が参看した問題のr夢応の鯉魚」が収録

されている上田秋成〔1734年一1809年)の『雨月

物語』であるが、この作品は、秋成35才の明和5

(1768〉年に執筆され、安永5(1776)年に刊行

された怪談文学の傑作といわれ、作品構成の面か

ら見ると以下の特徴を有している。

 短編小説集にちがいないが、現代のそれとは違

 って、第一話の内容が自然に第二話の主題を喚

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九頭見和夫1変身と再生” 一太宰治『魚服記』の比較文学的試論 13

 び起し、第二話の主題がおのずからに第三話の

 構想を作り出してゆくという、非近代的で同時

 に卓抜な連作法である。どの一編も前後の作品

 と断絶していながら、かつ連続しており、その

 精神の運動の血脈において、九編の物語はそれ

 ぞれ独立しながらも円環状に連結していて、み

 ごとな言語宇宙として完結している。ご1

例えばr夢応の鯉魚」は、入江の波間に身投げし

て死んだいにしえの少女の話で終わった前章「浅

茅が宿」を受けて、同様に水中に身をおどらせ鯉

に変身する画僧の夢物語である。生前に見た夢が

病死(後に蘇生)後に見た夢の中で現実となり、

鯉に変身した三井寺の僧興義は琵琶湖の湖底を遊

泳中釣り上げられ、料理されそうになるが、その

直前に夢から覚め、病気も全快する。二つの夢が

互いに関連し物語が展開するこの短編は、作品の

構成からみれば入れ子型小説、夢を枠とする枠小

説といえるであろう。さらにこの異界(水府)か

ら帰ってきた男の物語r夢応の鯉魚」を受けてr雨

月物語』は、次章r仏法僧」では、魚は仏法僧鳥

に変わり、同じ帰還物語でも前章とは別の異界

(夜の高野山中)から生還した男の物語に変化す

るのである。

 ところで上田秋成と太宰との接点であるが、太

宰が『雨月物語』を読んだrせつない生活をして

みた期間」とはいつなのか。例えば、鳥居邦朗、

相馬正一、浅田高明は以下の如く推測する。

 ①太宰がrせつない生活をしてみた期間」と

 言えば、それはおそらく昭和5年冬以後をさす

 であろうが、実際には必ずしもその時期に『雨

 月物語』を読んだとは限らない。あるいはそれ

 以前、弘前高校在学中ということも考えられる。

 太宰の生活史から言えば、その時期が江戸文学

 に親しんだといわれる時期である。9一

 ② この作品(二r魚服記」)から近親相姦の

 主題を抜き取って考えた場合、それは単にフ

 ォークロアを背景にして手際よくまとめあげた

 メルヘン風の一ロマネスクにすぎないからであ

 る。そして、この種のロマネスクは昭和五年の

 井伏入門以来、いわゆるナンセンス文学を模倣

 して手がけた習作の中にも幾つか見られ、逆に

 井伏にその傾向をたしなめられた経緯もある。

 おそらくr魚服記」の原型も習作期に数多く書

 きためたローマン的な小品の一つだと思う。10一

 ③昭和二年七月の芥川龍之介の自殺を契機と

 して、その生活態度を急激に変更し、女師匠の

 もとに通って義太夫を習ったり、遊里に足を踏

 み入れたり、あるいは鏡花や秋成の文学に凝っ

 たりしながら、着々、文学芸術に対する目を開

 き、腕を修めていった。IP

以上の諸説を参考に太宰が『雨月物語』を読んだ

時期を推測すると、芥川龍之介が自殺した昭和二

年七月以降、おそらくは昭和五年の井伏入門後の

習作期、例えば銀座の女給田部シメ子と鎌倉七里

ヶ浜海岸で心中をはかり、自殺幇助罪に問われた

頃、と思われるが定かではない。

皿.r魚服記」解釈上の問題点

1.閉鎖社会と性愛 近親相姦

1)山に埋もれた人生(伝説と迷信の世界)

 太宰は、r『玩具』あとがき」で、r玩具」、r魚

服記」、「地球図」、「猿ケ島」、「めくら草子」の五

編について、rサンボリズムのにほひが強いやう

に思はれる」(X.383.)と記しているが、奥野

健男も同様の示唆をする。

 故郷津軽の自然や伝説を背景にして、孤独な野

 生の少女スワの、無邪気さ、無垢の憧れ、女の

 めざめ、絶望、変身を童話的に描えている。あ

 らわな説明を避け、サンボリックな表現でぽか

 し、清潔な処女の感覚だけを浮き彫りにしてい

 る。12」

そこで「魚服記」に流れているサンボリズムの解

明であるが、奥野の指摘にもある作品の背景r故

郷津軽の自然や伝説」の検討がまずなされねばな

らないであろう。例えば、前述の奥野以外にも、

rこの作品の背景には一種のフォークロア(民族

伝承)の問題がひそんでおり」(相馬正一)13」や

rこの作品は作家の内的憂悶と津軽の土俗的民話

的世界とが渾然一体となっており」(東郷克

美)即など「魚服記」解釈にフォークロアを重視

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14 福島大学人文学部論集第72号

する研究者が少なくないからである。

 本州の北端の山脈は、ぼんじゆ山脈といふので

 ある。せいぜい三四百米ほどの丘陵が起伏して

 みるのであるから、ふつうの地図には載ってゐ

 ない。(50)

常に書き出しを大事にしたといわれる太宰のr魚

服記」は、津軽周辺と推測される地図にものらな

い僻地の描写から始まる。さらに太宰は、この山

脈の中腹にある馬禿山のふもとに戸数二三十の寒

村がひろがっていること、馬禿山には炭焼き小屋

が十いくつあること、作品の主役スワ親子のすむ

炭焼き小屋は他の小屋から余程はなれていること

など物語の舞台を明らかにする。日本の僻地津軽

の、文明から遮断された馬禿山中で、他の炭焼き

小屋から一軒だけ離脱した生活を営むよそ者の、

父と娘の二重にも三重にも孤立した姿が浮き彫り

にされる。

 物語の不気味な展開を予測させるこの舞台設定

について久保喬は民族学者柳田国男の「山の人生』

の影響を示唆する。久保によれば、太宰が読む事

をすすめた『山の人生』の巻頭文r山に埋もれた

る人生ある事」には、西美濃の山中で炭を焼く50

才ほどの男が、極貧の中で飢えた子供二人に殺し

てくれとたのまれ、まさかりで切り殺した話、柳

田国男の表現をかりれば「偉大なる人間苦の記録」

がのっていて、三児を殺害した父親とスワ親子の

現実が類似しているという。

 「魚服記」の一節に、夜の小屋で少女スワが山

 の怪異を感じるようなところなどは『遠野物語』

 の山の怪異の一節に通じるムードがあるように

 思われる。捧

この久保の報告に対し大森郁之助は、谷川健一の

説を根拠にr山の人生』の信憑性に疑問を呈し、

「魚服記」への影響について以下の推測をする。

 柳田がr浮世のトラブル」をr文学的」二非r自

 然主義」的にr無意識の創作を」したものと解

 すべきであろう。とすれば、太宰がこの話にだ

 け強い関心を示したというのは、なまの民族な

 らざる、それからく文学的>変容をなしとげた、

 いわば一種の疑似民俗のみが太宰の興味をひい

2002年6月

 たということ…。16一

以上のことから、話の信憑性はともかく、「山の

人生』を太宰が実際に読み、しかも話の内容が太

宰好みの未曾有の出来事であることなどを考慮す

ると、『山の人生』が何らかの形で「魚服記」に

影響を与えたことは否定できないであろう。

2)第一の変身 r鬼子」からrをんな」への脱

 皮

①茶店の店番とr都の学生」の死

 馬禿山中の炭焼き小屋で父親と二人だけで年中

寝起きし、一般社会から完全に隔離された非日常

的な生活を送っていたスワに大きな転機が訪れる。

13才の時、父親が滝壺のわきに茶店を作り、スワ

が店番をすることになったのである。その結果遊

山の人々と接触することになり、父親とのふたり

だけの世界しか知らなかった「山に生まれた鬼子」

スワの心に変化が生じる。rすこし思案ぶかくな

った」のである。例えばいつも同じと考えていた

滝の形について、r滝の形はけっして同じでない

といふことを見つけた。しぶきのはねる模様でも、

滝の幅でも、眼まぐるしく変ってみるのがわかっ

た。果ては、滝は水ではない、雲なのだ、といふ

ことも知る。」(54)他者との接触がとぼしく常に

自己中心に物を観察していたスワが、他者の存在

を意識し、対象の変化や相違を多面的・論理的に

思考し始めたのである。

 スワの「鬼子」から「をんな」への脱皮を決定

的にしたのは、r植物の採集をしにこの滝へ来た

色の白い都の学生」の存在である。スワの生活の

一部を形成している植物を採集しに来て転落死し

たr色の白い都の学生」は、その日の生活に追わ

れ常に炭で真っ黒になっている父親しか知らない

閉鎖社会に生きるr鬼子」のスワにとって、知ら

ないが故にあこがれを抱く未知の世界に住む異人

であり、自分に「をんな」を意識させてくれた最

初の異性である。このスワの意識の変化は、茶店

でr都の学生」の滝への転落死を一番はっきり目

撃したことが大きいと思われる。言葉すらかわし

たことがない学生の姿を深く心にやきつけたスワ

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九頭見和夫:変身と再生  太宰治『魚服記』の比較文学的試論 15

は、rたった一人のともだち」として苔を見るた

びにその姿を追想する。rをんな」を意識しはじ

めた思春期のスワに、まだ見ぬ父以外の人間の住

む世界へのあこがれを抱かせたこのともだちの存

在は、滝に転落し幻の存在と化した後には、無気

力な父への反発も加わって、現状からの脱出を願

うスワに、脱出の手助けをしてくれる唯一の存在

として次第にスワの中で大きさを増していくので

ある。同時にこの、例えば、「おめえ、なにしに

生きでるば」(55)、「くたばった方あ、いいんだ

に」(56)と父を罵倒し、r阿呆」を連発するスワ

の姿は、その存在がすべてで、常に従順であった

父に対するスワの意識の大きな変化を象徴的に示

すだけでなく、安定していた父親とスワとの親子

関係に修復不能の大事件の発生を予感させるので

ある。この父親とスワとのやりとりについて寺山

修司は、興味深い解釈を試みる。

 r恥かしがっている者に向って、おまえ、恥か

 しくないのかと言えるのは鬼だ」と言っていた

 太宰は、この少女の一言を許すことができなか

 つた。酒ばかりのんで、全く生きる目的を失っ

 たかに見える父親は恥かしい男であり、太宰自

 身の影である。だから、rなにしに生きでるば」

 と詰問した少女を姦して、鮒に変身させた挙句

 滝壺に呑みこませて殺してしまうのである。17:

② スワと父との相姦

 寺山修司の解釈の妥当性については、論の展開

の中で明かにしたい。ここでは父親とスワとの相

姦の経緯を具体的に考察する。

 一日中小屋にこもっていたスワは、めずらしく

髪を結い、父親の土産のたけながをむすぶ。焚火

を沢山燃やし父の帰りを待ちながらスワは、わら

ぶとんを着て炉ばたで寝てしまう。近親相姦の場

面は極めて簡潔に叙述される。

 疼痛。からだがしびれるほど重かった。ついで

 あのくさい呼吸を聞いた。「阿呆」スワは短く

 叫んだ。ものもわからず外へはしって出た。(58)

父親とスワとの間に発生した近親相姦が「魚服記」

解釈上重要なポイントであることに異論をはさむ

者はないであろう。問題は近親相姦が作品の流れ

の中でいかなる役割をはたしているかである。

 父親との近親相姦が、この作品の重要なテーマ

 のようにも感じられるのであるが、その実、よ

 く読んでみると近親相姦はスワを滝壺へと誘う

 契機のひとつにすぎないことがわかる。181

この赤木孝之の解釈の是非を論じる前にスワの行

動で解釈上特に問題になると思われる個所をあげ

る。最も看過できないのは、スワがめずらしく髪

を結って、髪の根元を父の土産のたけながでむす

んだことである。誰か、例えば「たった一人のと

もだち」にみせるためなのか。茶店に出ることも

なく誰もいない炭焼き小屋に一日中こもる冬の生

活は、15才の思春期にさしかかった女の子のスワ

にとっては耐えがたいことであろう。それ故この

ような閉塞状況の中で若い女の子が気分転換をは

かる行為を行うのは、極めて自然である。この観

点からスワの行為を解釈すれば、スワは自分の気

分転換のために髪を結一)たのであって、誰か他の

人、少なくとも父のためではないことは確かであ

る。水の精ローレライは岩に腰をかけ、金の櫛で

髪をとかしながら美しい歌声で、ライン川を航行

する舟人を誘惑し破滅させた。女性が髪をとかす

行為には、意識、無意識関係なく異性を誘惑する

要素が含まれているといわれる。あるいはスワは、

意識の奥底にあるrたった一人のともだち」、現

在の閉塞状況からの脱出を手助けしてくれる幻の

存在である滝壺に沈んでいるr都の学生」のこと

を密かに思い浮かべながら髪を結ったのではない

か。しかしスワの意識に反する事件が発生する。

髪を結ったスワがいつも以上に性的魅力を発散し

ていたこと、髪の根元をむすんだたけながが父の

土産であったこと、日頃スワにrをんな」を感じ

はじめていた父が酒を飲んで冷静な状態になかっ

たこと、などいくつかの理由が考えられる。人里

離れた山中での娘と二人だけの生活の中で忘れ去

られていた「男」の部分が、「異常酩酊下の行為

のように、認識・判断能力に大きな障害がある場

合」勘に突然姿を現すことは心理学的に十分説明

がつくことである。

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16 福島大学人文学部論集第72号

 夫婦のいずれか一方を失った場合や下層階級に

 おいてときにみられる。一般にどの社会でも近親

 相姦は禁忌とされ、これが家族の崩壊を防いで

 いると考えられている。フロイトは幼児は一般

 に近親相姦の衝動をもち、これがエディプス・

 コンプレックスの形成に発展すると考えた。20

禁忌を犯した瞬間にスワと父の親子関係は終結す

る。夢中で小屋を飛び出したスワは、初雪の中を

滝に走り、rおど!」と叫び投身する。結果的に

は赤木孝之の指摘のように、r近親相姦はスワを

滝壺へと誘う契機」になっている。かりに近親相

姦という異状な事件が発生しなければ、おそらく

スワは炭焼き小屋で父と生活をともにし続けたと

思われる。投身直前にスワが発したrおど!」と

いう言葉に長い間生活をともにしてきた父へのア

ンビヴァレントなスワの思いが感じられるからで

ある。

2.人間魚化

1)第二の変身  rをんな」からr鮒」へ

 滝に投身したスワは、まもなく水の底で、小さ

な鮒に変身したことを知る。

 大蛇になってしまったのだと思った。うれしい

 な、もう小屋へ帰れないのだ、とひとりごとを

 言って口ひげを大きくうごかした。小さな鮒で

 あったのである。(59)

スワはなぜ魚に、小さな鮒に変身したのか。スワ

はなぜ大蛇に変身したと思ったのか。これらの誰

しも抱くであろう疑問について、例えば森安理文

は次の如く推測する。

 魚服記の中で、鮒となった少女が、ふたたび滝

 壺にはいって、いわば二重の自殺をとげるとこ

 ろだけが、雨月物語にえた着想であって、雨月

 物語でいえば、前段的なところは、太宰が素朴

 な形でもっていた「魚になりたい」という、潜在

 的な水に対する願望ではなかっただろうか。21-

r二重の自殺」については後に検討することにし

て、r魚になりたい」という願望はr魚服記に就

て」の中で太宰自身が告白していることである。

それではなぜ鯉ではなく、鮒なのか。鮒も鯉もコ

2002年6月

イ科の淡水魚であるが、雑魚の鮒なら上等の川魚

といわれる鯉に変身した画僧の興義のように料理

される心配はないのかもしれないが、r最も大衆

的の小魚で、全国到る虚の河川湖沼地に棲息して

みる」221鮒では「辱しめ虐げてみる人たちを笑っ

てや」ることなど無理であろう。それでは大蛇な

らr笑ってや」れるのか。特に問題なのは、大蛇

に変身して小屋に帰れなくなったことをスワがう

れしいと言ったことと、大蛇に変身した八郎の物

語を聞いた時八郎をあわれんでスワが父の指を口

におしこんで泣いたこととの整合性である。おそ

らくスワは、むかし聞いた大蛇に変身した八郎の

物語を潜在意識として保持していたため、とっさ

に自分が大蛇に変身したと思ったのではないか。

鯉に変身した興義の話を聞いていたら、スワは自

分が鯉に変身したと思ったであろう。またスワが

大蛇に変身してうれしいと思ったのは、大蛇に変

身した八郎が家に戻れなくなったことを思い出し、

大蛇になれば八郎のように、父のいる炭焼き小屋

には二度と帰れなくなると考えたからであろう。

それでもスワは、太宰と異なり大蛇になって父を

笑ってやろうなどとは考えなかったと思われる。

 ところで三郎と八郎の物語については、太宰が

秋田県に伝わるr三湖物語」から取ったことはほ

ぼ間違いないであろう。十和田、八郎、田沢の三

湖のうち十和田湖にまつわる伝説が三郎と八郎の

物語に酷似している。岩魚を食べて大蛇に変身し

た八郎太郎をみて悲しむ友人の三治と喜藤、太宰

はこの話を子供の頃から幾度となく耳にしていた

と思われる。なお蛇を祖先神とする神話など蛇信

仰は古今東西を問わず存在し、例えば日本につい

ても人間の男に変身して処女に神の子を産ませる

r蛇婿入り」伝説や娘に変身して嫁入りし子供を

産むr蛇女房」伝説など全国到るところに存在す

る。日本人の蛇信仰に詳しい吉野裕子は人間と蛇

との関係を以下の如く規定する。

 人間は本来、蛇であるゆえに祖霊蛇の領する他

 界から来て、他界に帰すべきものであって、そ

 の生誕は蛇から人への変身であり、死は人から

 蛇への変身である。23一

Page 7: 変身と再生 太宰治r魚服記』の比較文学的試論 · 変身と再生 太宰治r魚服記』の比較文学的試論 九頭見 和 夫 1、はじめに 一人の人間の生涯においてかりに分岐点といえ

九頭見和夫:変身と再生 一太宰治『魚服記』の比較文学的試論 17

この吉野説に従えば、スワが滝に投身して大蛇に

なれなかったことは、少なくとも人間スワがまだ

r死」に到達していないことになる。鮒は人間と

してr死」に到達できなかったスワの仮の姿なの

であろうか。

2)第三の変身 r鮒」から「大蛇?」へ

 滝に投身し鮒に変身したスワは、まっすぐ滝壷

にむかい木の葉のように吸い込まれる。この最後

の場面の描写で太宰は読者に何を伝えようとした

のか。鮒に変身したスワがまっすぐむかった「滝

壺」は何を象徴しているのか。前者については、

意に反して鮒に変身したスワが、本当のr死」に

到達するため滝壺に再度投身した、いわゆるスワ

の「二度目の自殺」説が一般的である。

 水の中ではじめて自由を得たはずのスワは、鮒

 になってもかつての憂愁を追い払うことができ

 ず、自分から滝壺にむかい、第二の自殺を遂げ

 るのだ。(大久保典夫)24一

 泥酔の父親に犯された少女スワは、いちど滝壺

 に身を投じて小鮒に変身したあと、もういちど

 滝壺まで泳いでいって二度目の自殺を試みる。

  二度目の場合は、rなにか考へてるるらし

 かった」小鮒が、やがてからだをくねらせなが

 らまっすぐに滝壺へむかって行った」のである

 から、まぎれもなく小鮒が意志的に自殺を決行

 したことになる。(相馬正一)お

これらのr二度目の自殺」説には、太宰が木山捷

平に宛てた書簡(昭和8年3月1日付)の影響も

否定できないであろう。

 あれは、やはり、仕事に取りかXる前から、結

 びの一句を考へてやったものでした。r三日の

 うちにスワの無悪な死体が村の橋杙に漂着し

 た」といふ一句でした。それを後になってけづ

 りました。私の力では、とてもさうした大それ

 た真実迄に飛躍させることが出来ないと絶望し

 たからであります。(XI.24.)

しかし、この太宰の解説で注意しなければならな

いのは、「魚服記」が、相馬正一の言葉をかりれ

ば、r自由奔放な空想力を働かして風刺とパロデ

イを試みながら太宰独自のロマンを形成してい

る」物語的系列の作品であること、そして太宰が

自己の実生活を連想させる「三日のうちにスワの

無悪な死体が村の橋杙に漂着した」という結びの

一句をあえてけずり、このメルヘン風の「作品の

構成の破れ」を回避したことである。それ故r二

度目の自殺」という太宰の実生活と直結するよう

な解釈がはたしてこの作品の解釈として妥当か疑

問である。むしろ鮒に変身したスワが滝壺に吸い

込まれる最後の場面は、はたせなか一)た大蛇への

再変身を、あるいは滝壺に沈んでいるrたった一

人のともだち」のr色の白い都の学生」との一体

化を、あるいはまだ見ぬ母の胎内への回帰を、表

現していると解釈する方が、少なくともrせつな

い生活をしてみた」太宰の心境により合致してい

るように思われるのである。例えば竹腰幸夫は

「永遠のメルヘンの世界への旅立ち」と解釈する。

 〈たった一人のともだち>が、今スワの遊ぶ水

 中にいない以上、スワはそのくともだち>の住

 む筈の滝壷へと尋ねて行ったのであろう。それ

 がく変身>諄の、素直な読み方であろうと思う。

 スワが〈くるくると木の葉のやうに吸ひこまれ>

 るのは、現実の醜い覊束を逃れて〈ともだち〉

 との永遠のメルヘンの世界に旅立って行くので

 ある。261

以上のことを根拠に解釈すれば、r滝壺」は、永

遠の世界、安らぎを与えてくれる世界、例えば母

の胎内などを象徴しているのではないだろうか。

IV.芸術家の苦悩とr変身」モチーフ

1.r猿ケ島」及びr道化の華」との関係

 『晩年』を大久保典夫は、r芸術による自己救援

を意図したものに間違いない」と指摘するが、渡

部芳紀の解釈も大久保に近い。

 劣等感と罪意識と余計者意識にとらわれた一人

 の男が、唯一の自分の生の証の場である文学に

 賭けることによって、自分の人生を復活させよ

 うとしている。慌惚と不安が彼の胸中を行き来

 する。太宰は、r思ひ出」をr列車」をr魚服

 記」を執筆して行く。27一

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18 福島大学人文学部論集第72号

この二人の指摘は首肯できるであろう。それ故こ

こでは、太宰のr芸術による自己救援」解明のた

め、太宰自身がr魚服記」同様rサンボリズムの

にほひが強い」と告白したr猿ケ島」について分

析する。r猿ケ島」の特徴は、r魚服記」の主人公

のスワが三人称で描写されているのに対し、r猿

ケ島」の主人公の猿は三人称ではないr私」、す

なわち一人称で描写され、太宰のドッペルゲン

ガーであることを明確に示唆していることである。

さらに詳細にr猿」の状況を観察すると、見せ物

と思っていた人間に自分が自由を拘束され、囚わ

れの身の見せ物であることを知った猿は、rめし

の心配がいらない」(77)と躊躇する友達ととも

に動物園内の猿ケ島を脱走する。他の猿たちは自

分が見せ物であることすら知らず現状に満足して

いる。昭和10年9月「文学界」に発表された「猿

ケ島」について久保喬は、r第一稿は8年秋に読

んだことを記憶している」と証言するお。昭和8

年秋といえば、太宰が左翼運動から離脱し、飛島

定城一家と杉並区天沼一丁目で生活を共にしてい

た時期で、「魚服記」、「思ひ出」の好評により「せ

つない生活をしてみた期間」はおそらく脱してい

たであろうが、作家太宰治としてr日頃私を辱し

め虐げてみる人たちを笑ってやらう」という考え

はまだ保持していたと思われる。

 始めのあたりの荒涼とした岩山の風景は、猿の

 ふるさとの北方の荒磯と作者の虚無的な心境が

 投影されているとも思えるが、現実は都会の柵

 の中のコンクリートの人工岩の非情に乾いた背

 景で、二匹の猿が人間どもを嘲っているうちに、

 逆に自身が見物人の目の前に身を晒しているこ

 とを知る。囚われの身の屈辱感や望郷の念。脱

 出するか、それとも「めしの心配がいらない」

 島にとどまるか。寓話的というよりも象徴的世

 界の中に自虐的な鋭い人間批判と太宰のもつ野

 生の顔が現れていると思った。291

これは、久保喬のr猿ケ島」評であるが、大蛇に

なりそこね鮒に変身したスワと異なり、猿ケ島を

逃亡した猿の場合にはr笑ってやる」ことができ

たであろうか。

2002年6月

 水を接点としてr魚服記」を考察すれば、鎌倉

七里テ浜海岸での有夫の女性との心中を素材とし

たr道化の華」との比較は重要であろう。昭和5

年11月に発生したこの事件によって自殺幇助罪に

問われた太宰は、この事件の直前青森の芸妓小山

初代との結婚許可と引き換えに津島家から分家除

籍されている。太宰にとってrせつない生活をし

てみた期間」であろう。父と二人だけの閉鎖され

た世界からの逃亡をはかったスワの滝への投身、

夫のいる銀座の女給と婚約者のいる東京帝大生に

よる鎌倉七里ヶ浜の海への投身。一方は大蛇にな

れず、もう一方は女性のみが水死し、いずれの場

合も企ては失敗に終わる。

2.泉鏡花『高野聖』の影響

 日本近代文学の中で人間から動物への変身を扱

った代表的な作品として、泉鏡花の『高野聖』(明

治33年)や詩人になりそこなって虎と化した男の

物語、中島敦のr山月記」(昭和17年)などがあ

げられるであろう。特にrおのれの尊大な自我故

に虎と化し、理不尽な生を生きねばならぬ男の悲

劇を通して芸術に執する者の苦悩を描いた」31〕1と

いわれる「山月記」は、r魚服記」のテーマとの

類似性が感じられるが、r魚服記」の発表が昭和

8年であることからr魚服記」に影響を与えるこ

とは時間的に不可能である。

 そこで泉鏡花の『高野聖』であるが、ロマン主

義的色彩の濃い鏡花文学は近松の戯曲や芥川の作

品と並んで太宰が弘前高校在学中から心酔したも

ので、太宰文学への影響は極めて大きいと推測さ

れる。特に相馬正一の分類に従えばr物語的系列」

の作品に属し、作家太宰治誕生の頃に執筆された

「魚服記」の場合、鏡花の影響を否定することは

無理であろう。例えば今官一の報告によれば、昭

和6年2月、「魚服記」の原型とおぼしき「金魚

繚乱」の朗読をした太宰が、r泉鏡花の亜流」の

非難に、r鏡花が、まだ抜けてないかなあ」と泣

き笑いの表情をしたとのことである31』さて問題

の『高野聖』であるが、美女に姿を変えた妖怪が、

旅の男をもてあそび、終には獣に変身させてしま

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九頭見和夫=変身と再生  太宰治r魚服記』の比較文学的試論 19

うというその怪異性に富んだ物語の展開は、不気

味な夜の深山の描写も含め、若き日の太宰の心を

ゆさぶったことは間違いなく、例えばスワが父親

に犯される直前の小屋の周囲の描写などに鏡花的

な不気味さが感じられるのである。

3.カフカの「変身』とホフマンの『黄金宝壺』

 「変身」モチーフという観点からr魚服記」を

分析した場合看過できないのが、フランツ・カフ

カFranz Kafka(1883年一1924年〉の『変身』

Die Verwandlung(1915年)である。例えば吉本

隆明など、r魚服記」とr変身』、r猿ケ島」とr学

会への報告」EinBericht魚reineAkademie

(1917年)の関連を指摘する研究者もいるからで

ある。

 かりに虫になったり動物になったりしなければ

 耐えられないような耐え方があるとしますと、

 それが太宰治の『猿ケ島』や『魚服記』、カフ

 カのr変身』や『学会への報告』などの作品が

 象徴している世界ではないかと思われます。そ

 ういう耐え方を体験したとか、そういう耐え方

 のタイプを持っているとかいうことを資質とし

 てかんがえるとすれば、たぶん死に対して強過

 ぎる願望と傾斜があるものとかんがえます。そ

 して無意識のうちに抑圧に対して人間の範囲内

 で耐えるよりも動物や虫のようなものに変身し

 て耐えるという方法を身につけているのではな

 いでしょうか。321

吉本のいう虫、それも一匹の巨大な虫Ungezie-

ferに変身して耐える『変身』の主人公グレゴー

ル・ザムザは、変身する前必死に働き面倒を見て

きた家族の者たちから邪魔者扱いされ、人間の心

を持ち続けたまま孤独の中で衰弱死する。衰弱死

する直前グレゴールは家族のことを回想する。

 感動と愛情とをもって家族のことを回想した。

 自分が消えてしまわなければならないのだとい

 うグレゴールの考えは、おそらく妹のそれより

 ももっと決定的なものだった。33一

一方鮒に変身したスワは投身後さほど時間をおか

ず滝壺に近づき木の葉のように吸い込まれる。投

身直前スワは、rおど!」と一声叫び、自分を犯

した父、唯一の家族である父に別れをつげるが、

その後の父の状況が気になる。グレゴールの家族

の者たちは、グレゴールの死後女らしさを増した

妹の成長を喜びながらハイキングに出かける。ス

ワが滝壺に投身した後の父の場合にも何か救いと

いえる変化があるのか。近親相姦の罪で無間奈落

におちるだけでは、あまりにもあわれであり、カ

フカと太宰の相違を感じるのである。

ここで変身の意味について考察してみたい。

 〈変身>の根源的な意味は、おそらく、自然の

 死から人間のそれにいたる、全人類的な死体

 験のなかにもとめられよう。もとより死といっ

 ても、それは物体の永遠の消滅としての死では

 なく、復活ないし再生をともなった、もしくは

 前提したところの死にほかならない。341

この今尾哲也によるr変身」の概念規定がかりに

妥当なものと仮定して、グレゴールの死は人間へ

の再変身の過程、一方鮒に変身したスワの滝壺へ

の投身は滝壺にいるrたった一人のともだち」に

rをんな」として会うための人間への再変身と解

釈することは可能なのか。例えば童話の世界では、

グリムのr蛙の王様」など動物に変身した人間が

物語の最後で人間に再変身する話が少なくないか

らである。

 r猿ケ島」とr学会への報告」との関連も興味

深い。r学会への報告」では、人間に変身した猿

が猿から脱出するための一つの可能性としてr人

間」を選択したことを学会で報告するが、それで

は生活の心配のない猿ケ島をあえて脱走した二匹

の猿は何を選択するのか。特に安定した生活に未

練を感じながら結局猿ケ島を脱走した優柔不断な

猿の場合は選択を迷うのではないか。いずれにせ

よ二匹の猿はどちらも太宰のドヅペルゲンガーで

あることは間違いないであろう。

 この他にもカフカには芸術家の苦悩を描いた作

品としてr断食芸人」EinHungerkUnstler(1924

年)がある。断食が最高潮に達した時いつも観客

のために断食を中断させられ不満を抱いていた芸

人は、断食に対する観客の意識が変化し人気が減

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20 福島大学人文学部論集第72号

少した結果、思いのままに断食を続行し衰弱死す

る。この断食芸人の置かれた状況もまた作家太宰

の一面を反映しているのではないか。以上みてき

たように、太宰とカフカの作品を比較すると、類

似点が少なくないが、この類似点をカフカからの

影響という視点でとらえることは、客観的に両者

の関係を証明するものがなく無理であろう。太宰

がr魚服記」を発表した昭和8年の時点では、カ

フカは少なくとも日本では全く無名の作家で、日

本語の翻訳はもちろんなく、ドイツ語の原本でさ

えごく限られた一部のドイツ文学者が所有してい

たにすぎないのである。例えば『審判』Der

Prozeβ(1925年)が本野享一の翻訳で白水社か

ら出版されるのは、昭和15年のことである。カフ

カがサルトルやカミュと共に実存主義文学の旗手

としてフランスを中心に世界中の注目を浴びるの

は、第二次世界大戦終了以降のことで、日本では、

『カフカ全集』全六巻が新潮社から出版された昭

和28年以降のことである。

 影響ということなら太宰の初期の作品の場合、

カフカよりもむしろホフマンE.T.A.Hoffmam

(1776年一1822年)の可能性の方が高いと思われ

る。ドイツ・ロマン派の作家としてバルザック、

ユゴー、ポー、ボードレール、ワイルド、ドストエ

フスキーなど、世界の代表的な作家に影響を与え

たホフマンは、太宰自身内容のすばらしさを認め

た森鴎外訳r玉を懐いて罪あり」等の作品を通し

て比較的早い時期からわが国にも紹介され、例え

ばオペラ「ホフマン物語」の影響によるのか、音

楽関係者を中心に「お化けのホフマン」としてよ

く知られている。rその多彩な構想力、落日にも

似た華やかな仄暗い幻想の雰囲気によって、太宰

から愛されていた」35といわれるホフマンと太宰

との関係の詳細については、拙稿r太宰治と「お

化け』のホフマンー太宰のドイツ文学受容一ゴ61

をごらんいただくことにして、ここでは「魚服記」

を中心とする初期の作品へのホフマンの影響につ

いて考察する。

 ホフマンの作品に『黄金宝壺』Der Goldene

Topf(1814年)がある。ドレスデンの大学生ア

2002年6月

ンゼルムスが、キリスト昇天祭の日に散歩に出か

け、公園のにわとこの木の茂みでたわむれる緑が

かった黄金色の小さな蛇、魔法で蛇に変身させら

れた女性、に一目惚れし、さまざまな曲折を経て

結婚する。このロマン派的色彩の濃い幻想的な作

品の成立の経緯について、太宰が参看可能であっ

た『黄金宝壺』(昭和2年発行)に付された訳者

石川道雄によるホフマンの解説を紹介する。

 アンゼルムスは全然ホフマンの独創に成るもの

 で、彼自身の像である。純粋な、無邪気な夢見

 勝ちな、その為に比の世では不幸な青年こそは

 宿命的な戦争のために生存を脅かされ、官職を

 失って流離し、恋愛の痛傷を受けたところのホ

 フマンである。また書記と結婚するヴェロニカ

 はホフマンを捨て、富有な商人の妻となったユ

 リアである。而して緑の蛇はホフマンの心の中

 にのみ永遠に恋人として生きるユリアの幻影で

 ある。錦

このr黄金宝壺』とr魚服記」の比較であるが、

かりに太宰が「黄金宝壺』を読んでいたとすれば、

大学生アンゼルムスと金緑色の蛇との関係が、ス

ワとr都の学生」との関係に反映していると思わ

れる。例えばスワが滝壺に投身し大蛇への変身を

願ったことについても、蛇になれば滝壺に眠る

「たった一人のともだち」の「都の学生」に会う

ことができるとスワが考えたとする解釈も可能だ

からである。父に犯されたスワの行く先は、必ず

しも滝壺である必要はなく、例えば、山中で力つ

き初雪にうずもれても、山で生まれ育った「鬼子」

には決して不自然とは思われないのである。

 他にもr猿ケ島」との関係で看過出来ない作品

がホフマンにある。rクライスレリアーナ」の第

二部のr教養ある若者の話」で、そこに登場する

ミロの状況が、カフカのr学会への報告」に登場

する人間に変身した猿の場合に極めて類似してい

るのである。例えばどちらも狩猟によって捕らえ

られヨーロッパにつれてこられたこと、芸術家で

教養があること、人間としての生活をしていて恋

人がいることなど。それ故今日では、r学会への

報告」へのホフマンの影響は,H.Binder,

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九頭見和夫:変身と再生一…太宰治r魚服記』の比較文学的試論 21

G.W611nerなどの研究によりカフカ研究者の間

では定説となっている38』すでに述べた如く、太

宰とカフカの間には客観的に証明できる接点が無

く、一方ホフマンには太宰が愛着を抱いていたと

する証言があることから、r猿ケ島」の影響関係

を論じる場合、カフカの「学会への報告」よりは

むしろホフマンのr教養ある若者の話」を対象に

するべきであろう。

V.おわりに

 この小論では、r思ひ出」と並んで作家r太宰

治」誕生の記念碑的作品ともいうべきr魚服記」

について、主にスワの「変身」に焦点をあて種々

検討してきたが、スワはなぜ人間より下等な鮒に

変身したのか、なぜスワは人間に嫌悪される大蛇

への変身を望んだのか、鮒に変身したスワがほと

んど間をおかず滝壺に投身したことの意味はなど

疑問は必ずしも解消しなかった。カフカの『変身』

が研究生活の出発点であったことによるのか、

「変身」という言葉を聞くと、様々な想像をめぐ

らしてしまう。例えば鮒に変身したスワの滝壺へ

の二度目の投身についても、r第二の自殺」とす

る説が有力であるが、確かにスワは何度も自殺を

試みた後山崎富栄と玉川上水に投身した太宰と

オーバー・ラップするかもしれないが、この作品

が相馬正一の分類に従えばr物語的系列」に属す

るメルヘン的色彩の濃い作品であるだけに、スワ

の滝壺への二度目の投身は、スワの生命に終止符

をうつ自殺ではなく、例えば毛虫から蝶への変態

のような、新しい生命への再生とみなすべきでは

ないのか。太宰の何度かの自殺の試みについても、

生命を完全に断つためというよりはむしろ、新し

い太宰治への再生の試みであったように思われる

のである。

 彼は死といふ人生の厳粛なるべき事実に戯れ、

 絶えずその深淵のふちにあって危険な綱渡りを

 演じた。39

とは、小沼丹の太宰への追悼の言葉である。

           (2002年4月10日受理)

       使用テキスト

太宰治全集・第一巻(筑摩書房)1989年

このテキストよりの引用は、アラビア数字(ニ

ページ数)のみで示した。この全集の他の巻より

の引用は、ローマ数字(=巻数〉とアラビア数字

(=ページ数)で示した。

         註

1)古谷綱武:昭和八年,昭和九年.〔山内祥史

編『太宰治論集・同時代篇・第6巻』〕(ゆまに

 書房)1993.p.347.

2)本多秋五:太宰治と共産主義.〔r文芸読本

 太宰治」〕(河出書房新社)昭和51.p.169.

3)相馬正一:太宰文学と私小説の問題(上).

 〔r太宰治研究 第10号」〕(審美社)昭和44.

 P.9-10・

4)大久保典夫:晩年論 初期習作との関連をめ

 ぐって  〔『批評と研究・太宰治』〕(芳賀書店)

 昭和50.p.158.

5)芳賀矢一校訂:雨月物語(冨山房)明治36.

 P.2-3・

6)大塚繁樹:醇偉(せつい)と太宰治.〔日本

 比較文学会r比較文学・第六巻」〕昭和38年11

 月.p.54.

7)鈴木二三雄:太宰治と中国文学(一) 『魚

 服記』について一〔rフェリス女学院大学紀要

 第4号」〕昭和44年.p.36,

8)高田 衛:雨月物語詳解.〔有精堂出版〉昭

 和55.p.1-2.

9)鳥居邦朗:水のモチーフーr魚服記」を視座

 として.〔r国文学 解釈と教材の研究」〕(学燈

 社1)昭和54年7月.p.12.

10)相馬正一:評伝太宰治第二部.(筑摩書房)

 昭和58.p.54.

U)浅田高明:私論太宰治.(文理閣)1988.

 P、30・

12)奥野健男:太宰治.(r文春文庫」,文芸春秋

 社)1998.P.187.

13)相馬正一:評伝太宰治第二部.p.31-32.

14)東郷克美:逆行と変身 太宰治『晩年』への

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22 福島大学人文学部論集第72号

 一視点…・.〔r成城大学短期大学部紀要 第4

 号」〕昭和48.p.82、

15)久保 喬:太宰治の青春像.(朝日書林)

 1993. p.22.

16)大森郁之助:存疑・r魚服記」のフォークロ

 ア,太宰文学にフォークロアはあるか.〔r太宰

 治・第二号」〕(洋々社)昭和6L p.84.

17)寺山修司:r魚服記』手稿.〔r新文芸読本・

 太宰治」〕(河出書房新社)1990.p.5L

18)赤木孝之:太宰治,彷徨の文学.(洋々社)

 1988. p.130-13L

19)大百科事典4.(平凡社)1984.p.59L

20)詫摩武俊他:心理用語の基礎知識.(有斐

 閣)昭和48.p.184-185.

21)森安理文:魚服記 とくに水に対する感想に

 ついて一.〔r太宰治の研究』〕/新生社)昭和43

 年.p.204.

22)村上静人:魚族説話.(釣之研究社〉昭和19.

 p.106.

23)吉野裕子:日本人の死生観 蛇,転生する祖

 先神.(人文書院)1995.p.4.

24)大久保典夫:晩年論 初期習作との関連をめ

 ぐって .p.156、

25)相馬正一:評伝太宰治第二部.p.49.

26)竹腰幸夫:『魚服記』〈老いぼれた人の横顔

 考>.〔『新編太宰治研究叢書1』〕(近代文芸社)

 1992, p.128,

27)渡部芳紀:作家太宰治の誕生,1r魚服記」

 まで.〔r国文学,解釈と教材の研究」〕(学燈社)

 昭和51年5月.p.59,

28)久保 喬:太宰治の青春像.p.50.

29)同上書.p.50-5L

30)鷺 只雄:中島敦論  「狼疾」の方法.(有

 精堂)1990.P.262.

31)今 官一:わが友太宰治.(津軽書房)1992.

 p.128.

32)吉本隆明:吉本隆明r太宰治」を語る.シン

 ポジウム・弘前’88の記録.(大和書房)1989.

 P.18.

33)Frannz Kafka:Gesammelte Werke,Erzah一

2002年6月

 1ungen.hrg.von Max Brod.Frankfurt am

 Main(S.Fischer)1965.S.136.

34〉今尾哲也:変身の思想.(法政大学出版局)

 1970. p.42.

35)堤重久:外国文学と太宰治.〔r京都産業大

 学論集 第5巻第2号人文科学系列第4号」〕

 昭和51.p.115.

36〉九頭見和夫:太宰治とrお化け」のホフマン

  太宰のドイツ文学受容について .〔r太宰治

 第六号」〕(洋々社)1990.p128-137.

37)石川道雄:はしがき.〔ホフマン『黄金宝

 壺』〕(南宗書院)昭和2.p.10.vg1.E.T.A.

 Hoffmams Samtliche Werke in fUnfzehn Ban-

 den.Erster Band.hrg.von Eduard Grise-

 bach.Leipzig(Max Hesses)1904.S.176-

 252.

38)以下の文献を参照した。

 ①HartmutBinder:MotivundGestaltung

  bei Franz Kafka.Bonn(H.Bouvier)1966.

  S.147-170.

 ②GUnterW611ner:E.T.A.Hoffmamund

  Franz Kafka.Von(ier”fortgef苞hrten

  Metapher“zum,,simlichen Paradox“.Bem

  und Stuttgart (Paul Haupt) 197L

39)小沼 丹:r晩年』の作者.〔山内祥史編r太

 宰治論集・同時代篇・第3巻』〕(ゆまに書房)

 1992. p.290.

Page 13: 変身と再生 太宰治r魚服記』の比較文学的試論 · 変身と再生 太宰治r魚服記』の比較文学的試論 九頭見 和 夫 1、はじめに 一人の人間の生涯においてかりに分岐点といえ

九頭見和夫 変身と再生一 太宰治『魚服記』の比較文学的試論 23

          Die Verwandlung und die Wiedergeburt.

一Ein Versuch zu der Novelle,,Gyofukuki“von DAZAI Osamu

  unter einem Gesichtspunkt der vergleichen(ien Literatur

Kazuo KUZUMI

   Die Novelle”Gyofukuki(das Marchen eines Madchens,das sich in einen Fisch verwandelt hat.〉“

wurde im Jahr1933in der Zeitschrift”Kaihyo(der Seehund)“ver6ffentlicht und spater im Jahr

1936in die erste Auswahl der literarischen Werke”Bannen(der Lebensabend)“aufgenommen.Vor

einem Monat der Ver6ffentlichung der Novelle,,Gyofukuki‘‘wurde die Erzahlung”Ressha(der Zug)“,

in der Dazai den Schriftstellemamen”DAZAI Osamu“zum erstenmal gebraucht hat,in eine Zeitung

einger丘ckt.Die Novelle”Gyofukuki“wurde in der literarischen Welt gUnstig aufgenommen und Dazai

wurde als Geburt eines hoffnungsvollen und angehenden Schriftstellers sehr beachtet.

   Nun wird in diesem kleinen Aufsatz f廿r die Erlauterung der Novelle。Gyofukuki“von Dazai

hauptsachlich folgendes untersucht.Dabei kommt die Verwandlung von einem Menschen in ein Tier

besonders in Frage.

1.Der Stoff und die Komposition der Novelle”Gyofukuki“.

2.Die Aufgaben bei der Auslegung der Novelle。Gyofukuki“:Die Blutschande und die Verwandlung

  von einem Menschen in einen Fisch.

3.Die Leiden des KUnstlers und das Verwandlung-Motiv:Besonders im Vergleich zwischen der

  Novelle,,Gyofukuki“und der fremden Literatur,z.B.der Novelle”Die Verwandlung“von Franz

  Kafka und der Novelle。Der Goldene Topf“von E.T.A.Hoffmam.