講義科目「コーチング論」の最適化 ·...

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報 告 講義科目「コーチング論」の最適化 ―スポーツコーチングの実践に資するために― 富居 富 1 Optimization of the contents of ‘coaching’ class ― to turn knowledge to practical coaching ― Yutaka Tomii 1 Although researches for sports coaching have been developed, problems are piling up in coaching practice. One of problems is that players are accustomed to be instructed. In sports activities, the author gives highest precedence to playersself-control and independence. It is presumed that one of reasons this problem has arisen is caused by the complicated curriculum for coaching education. The curriculum to be learned includes too many subjects for coaches to turn knowledge to practical coaching. Most of coaches, in Japan, are amateur volunteers. Whether coaches are amateur or professional, it is necessary for coaches to be well informed. And classifying knowledge by information and learning is indispensable. From view point of coaching practice, curriculum in the faculty is not methodical, nor incremental. This is natural and cannot be helped. The author has tried to classify items or categories to study in our class. Coaching practices show a marked tendency toward instruction or command in Japan. So, optimizing the contents of class is to emphasize followings. 1Students at the lecture become to be able to comprehend difference between instruction and coaching. 2Students at the lecture become to consider their sports techniques from alter view points. 3Students at the lecture become to be able to comprehend that many subjects they have studied are classied from view point of coaching practice. Keywordsoptimization, coaching practice, self-control and independence 体育・スポーツ系の大学・学部において,スポーツコーチングについて学ぶ授業科目が充実してきている.一方, 日本体育協会の公認スポーツ指導者養成テキストも,充実した内容である.それらの充実に比して,スポーツコー チングの実践の場面では,多くの課題が山積している.筆者は,その原因のひとつとして,コーチが学ばなけ ればならないことの分量が膨大であるにも関わらず,整理がなされていないことに着目している.実践がスポー ツ諸科学の知見に基づいてなされることは重要であるが,スポーツコーチングからの視点による系統的で段階 的な学びが確立していない.その結果として,プレイヤーの自治自立が育まれるようなスポーツコーチングの 学びになっていない. 学びが実践に応用できることを目指して,本学部の講義科目である「コーチング論」の内容を最適化し続け ている.最適化のための骨子は,つぎの通りである. ①学生が,指導とコーチングとの相異を理解できるようになる. ②学生が,専門とする競技種目の技術について,視点の異なる考え方ができる態度を身につける. 学生が,スポーツコーチングからの視点による知識・技能の体系的・段階的な習得があることを理解でき るようになる. 【キーワード】最適化,コーチングの実践,プレイヤーの自治自立 1 同志社大学スポーツ健康科学部(Faculty of Health and Sports Science, Doshisha UniversityDoshisha Journal of Health & Sports Science, 6, 57-712014

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57講義科目「コーチング論」の最適化―スポーツコーチングの実践に資するために―

報 告

講義科目「コーチング論」の最適化―スポーツコーチングの実践に資するために―

富居 富 1

Optimization of the contents of ‘coaching’ class― to turn knowledge to practical coaching ―

Yutaka Tomii1

 Although researches for sports coaching have been developed, problems are piling up in coaching practice. One of problems is that players are accustomed to be instructed. In sports activities, the author gives highest precedence to players’ self-control and independence. It is presumed that one of reasons this problem has arisen is caused by the complicated curriculum for coaching education. The curriculum to be learned includes too many subjects for coaches to turn knowledge to practical coaching. Most of coaches, in Japan, are amateur volunteers. Whether coaches are amateur or professional, it is necessary for coaches to be well informed. And classifying knowledge by information and learning is indispensable. From view point of coaching practice, curriculum in the faculty is not methodical, nor incremental. This is natural and cannot be helped. The author has tried to classify items or categories to study in our class. Coaching practices show a marked tendency toward instruction or command in Japan. So, optimizing the contents of class is to emphasize followings.   1.Students at the lecture become to be able to comprehend difference between instruction and coaching.  2.Students at the lecture become to consider their sports techniques from alter view points.  3. Students at the lecture become to be able to comprehend that many subjects they have studied are classified

from view point of coaching practice.

【Keywords】optimization, coaching practice, self-control and independence

 体育・スポーツ系の大学・学部において,スポーツコーチングについて学ぶ授業科目が充実してきている.一方,日本体育協会の公認スポーツ指導者養成テキストも,充実した内容である.それらの充実に比して,スポーツコーチングの実践の場面では,多くの課題が山積している.筆者は,その原因のひとつとして,コーチが学ばなければならないことの分量が膨大であるにも関わらず,整理がなされていないことに着目している.実践がスポーツ諸科学の知見に基づいてなされることは重要であるが,スポーツコーチングからの視点による系統的で段階的な学びが確立していない.その結果として,プレイヤーの自治自立が育まれるようなスポーツコーチングの学びになっていない. 学びが実践に応用できることを目指して,本学部の講義科目である「コーチング論」の内容を最適化し続けている.最適化のための骨子は,つぎの通りである. ①学生が,指導とコーチングとの相異を理解できるようになる. ②学生が,専門とする競技種目の技術について,視点の異なる考え方ができる態度を身につける. ③ 学生が,スポーツコーチングからの視点による知識・技能の体系的・段階的な習得があることを理解できるようになる.

【キーワード】最適化,コーチングの実践,プレイヤーの自治自立

1 同志社大学スポーツ健康科学部(Faculty of Health and Sports Science, Doshisha University)

Doshisha Journal of Health & Sports Science, 6, 57-71(2014)

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Ⅰ.緒 言

 筆者は,教員としての 35年間(32年間は大学チームに関わる),日本語の「指導」と「コーチング(以下,ビジネスコーチングなどと区別して,分かりやすくする必要がある場合は,スポーツコーチングと表記)」との差異,および一般に両者をほぼ同義に使用している事実について,なにか釈然としないものを感じてきた.また,指導やコーチングの「実践」,「教育」そして「研究」の三者が,それぞれの守備範囲の中での努力にも関わらず,その機能を十分に発揮していない印象がある.このような印象の原因は多岐にわたり,筆者の浅学,競技歴,そして指導やコーチングにおける経験と力不足によるもの,または日本における体育・スポーツ史での何かの偶然,もしくは逆に必然によるものなどがある.筆者が専門とするバスケットボールの,日本に固有のものだという指摘も考えられる.いずれにしろ,一般的に研究と指導やコーチングとのかい離については,課題に挙げられてから久しい. そのような状況の中,2008年度の本学部開設に伴い,「コーチング論」を担当する機会を得た.本学部の教員数と研究領域ごとの授業科目数などとの比を考慮すると,「コーチング」を付した授業科目数は,ひとつかふたつが妥当である.以来,講義内容についてはマイナーチェンジの連続である.なぜならば,例年,コーチングを付した唯一の授業科目を受講する学生の,専門とする競技種目の数は少なくとも 15以上に上るために,各競技種目に共通する,一般化された内容を論じる必要があるからである.客観性の高い「一般化されたもの」は,解剖やスポーツ生理などを除くと,今のところは多く見当たらない.多くは見当たらない理由のひとつに,日本において,各競技種目の当事者は,その技術理論の深さ,技術獲得の難しさ,そしてプレイする面白さ・観る面白さが,他の競技種目よりも優れているかのように主張してきたことがある.「一般化された」ものが少ないのであるから,「一般化できる」ことがらを探す必要がある.そして,「一般化した」ものの客観性の担保は,研究成果によるために時間を要する.研究に携わる者たちは,今も,その最中である.筆者はこの各競技種目に共通する一般化されたものこそが,指導やコーチングを最も機能させるものであると考えている.さらに,文部科学省や学会でも「一般化されたもの」について言及し始めている. 各競技種目に共通するものを探求する過程で行うべきことのひとつに,さまざまに解釈されている用語についての整理がある.本小論には,筆者が思い切った解釈をしているものもある.言うまでもなく,筆者の

解釈が一般に定着している概念を変える,などとは考えてもいない.日本においてスポーツをすることの第一義が,「プレイヤーの自治自立」となることを望み,ドラスティックなとらえ方を試みたまでである.プレイヤーが自治自立の行動を習慣化することが,スポーツコーチングの実践の成功と考えるからである. 本報告では,今さらながら,周知のことであるコーチングの簡単な歴史や現状などについて述べなければならない.また,筆者の研究力不足から,客観性の乏しい記述も多々見られる.ある程度の文脈を保つために,既知の事実や主観による記述で,貴重な紙面を割くことをご理解いただきたい.

Ⅱ.目 的

 本報告の目的は,本学部に開講している講義科目である「コーチング論」の内容を,学部の実情に沿って,コーチングの実践に活かせるように最適化することである. 先にも述べた通り,最適化のひとつとして,各競技種目に共通するものを明確にすることがある.その中でも,最優先すべきことは,学生が「指導とコーチングとの相異」の理解ができるようになることである.このことは,競技種目が何であるかに一切かかわらず,共通である.つぎに,専門とする各競技種目の技術などについて,学生が「視点の異なる考え方」をできる態度を身につける内容にすることである. また,実践と研究成果との機能的な相互作用を妨げている一因には,指導やコーチングがカバーすべき領域が広すぎることもある.たとえば実践で,トレーニングの目標,原理,方法,そして計画などについてプレイヤーをサポートするストレングス・コンディショニングトレーナーを持たずに,さらにプレイヤー個々の技術的なことについて改善を図るスキルトレーナーが存在せずに,作戦・戦法に至るまで一人のコーチが担当している例は,非常に多く見られる.それぞれのチームでのコーチングスタッフの増員などは,多くの例で不可能である.一人がいくつもの役目を担当することは,非常に大きな負担であるために,最も大切なプレイヤーを観察することがおろそかになる.コーチングの考え方は,この負担を減少させる.さらに,スポーツコーチングに必要な「知識・技能の,習得段階に応じた分類」を明確にすることも,最適化に寄与する. 将来,受講生が指導やコーチングを行う立場になったときに,プレイヤー達が納得する,環境に応じたコーチングプログラムを展開することができるクリエイティブな態度を身につけていることが,最適化の成

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功である.

Ⅲ.日本におけるスポーツコーチングの課題

 本報告の目的である,講義内容を最適化するためには,現在の日本におけるスポーツコーチングの課題について認識しなければならない. ここでは,筆者が解決を最も望んでいる課題について述べる.便宜的に実践(多くの人たちが経験で感じているスポーツコーチングの印象),教育(主にコーチを育成する教育),そして研究(スポーツコーチングの概念と,対象とすべき領域の不明確さ)のそれぞれに分けて述べる.ただ,それぞれの課題の根本は,過去においてコーチングについての概念形成が一度もなされなかったことと,教育体制による「『全国一律主義』・『一元的能力主義』・『教科中心主義』」(小玉,2013)に尽きると考えている.

1.実践の課題 5年ほど前に,体育・スポーツについての教育や研究に携わる者に対して,ある課題が期せずして提示された.ある課題とは,日本コーチング学会会長の朝岡が言う「個別科学のさまざまな研究成果を評価して応用できる,高度職業人としての専門家が」(2013)まだまだ少ないということである.期せずして提示されたとは,「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海,2009)という長いタイトルのフィクションが,人気と話題を得たことである.早々に,テレビアニメとしても制作されたほどである.筆者の主観であるが,人気を博した理由としては,つぎのことが考えられる. ひとつは,ヒーローではなくヒロインの活躍でストリーが展開することである.その活躍とは,自らマネジメントを学び,その学びと実践にチームメートを巻き込み,勝利に導くという内容である.そして,ドラッカーのマネジメントの原則に,高校生の部活動を無理なく準拠させて分かり易くしていることがある.また,日本独自の文化である高校野球を舞台としていることも,理由のひとつである. スポーツコーチングの観点から言えば,非常に多くの人々が,心理学の知見をベースにした経営の考え方がスポーツを通して鮮やかに描写されていることに,斬新さを感じた結果であると考える.換言すれば,一般の大多数の人々にとっては,知見を反映させたスポーツコーチングを受けた記憶がないのである.経験がないからこそ,主人公たちの自治自立によるスポーツ活動に共感して,話題になったのである.話題にはなったが,大多数の人たちが実現することはないと考

えている.また,フィクションにあるような理屈で勝てるほど,勝負は甘くないと考える人たちも多い.非常に残念なことである.もちろん,現実には,このフィクションのように順調には行かない.特に,勝利が保障されることなどはあり得ないが,ここに描写されているような風土を醸成することは可能である. プレイヤーの自治自立を主眼とする活動が乏しいことの責は,過去および現在に活躍のコーチや指導者,さらには研究者だけによるものではない.また,文部科学省をはじめとするスポーツ・体育行政や日本体育協会,JOCなども,指導者の育成制度をはじめとする環境の改善に向けて様々な施策を実施して長い.多くの努力により,わずかずつながら改善が見られる.一方,課題解決が遅々として進んでいないものも多くある.

2.教育の課題 他大学における,2013年度のスポーツコーチング関連のコースや科目などの一部を表 1に示した.学部専門科目として学ぶ受講生は,卒後に指導者の道に進むかもしれない.そのような学生諸君が,指導やスポーツコーチングの基本を学ぶ科目である.教養教育科目においても,スポーツコーチングの概要を学べることは素晴らしいことである.科目名が少しずつ異なるが,担当者が専門とする領域を深く論じることと,概論的に論じることとの差異によることが多い.つまり,先に述べたカバーすべき領域の広さによるものである.端的に言えば,スポーツコーチングに関する研究課題と同様に,スポーツコーチングの実践がカバーすべきであると考えられている領域が,個人によって異なるからである.「コーチングを行うに当たってどのような知識・技能が必要かについては,現在,必ずしも十分な共通認識が図られて」(文部科学省,2013)いないからである.本学部のように,競技種目ごとの授業科目の開講がない場合は,必ず体系の根から幹に相当する内容について学ぶべきである.研究成果の良否に関わらず,担当者が専門とする枝葉の部分の講義は,学生がスポーツコーチングの基礎,展開などを段階的に学習することにはならない. また,コーチング学をどのように解釈して(Ⅳ.「コーチング論」を開講するまでの経緯),どのように講義に反映するかということも,ひとつの議論となる.

3.研究の課題 ここでは,日本コーチング学会会長が,第 24回(学会名改称以前の回数から継続)日本コーチング学会での記念講演で述べた内容の見出しを紹介する. 「体育科教育学の現状と課題」,「近代スポーツは教

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育的スポーツ」,「体育科教育学とコーチング学」そして「体育学におけるコーチング学の役割」などの多くの側面(朝岡正雄,2013)から,スポーツコーチングを位置づけて考察することが求められるのである.日本におけるスポーツコーチングの定義や概念,あるいはスポーツコーチングがスポーツ科学全般のどこに位置づけされているのかが定着していないことについては,「Ⅳ.『コーチング論』を開講するまでの経緯」と「Ⅴ.コーチングの歴史」で述べる. 日本において位置づけが曖昧である理由は,ただひとつ,アカデミズムから遠いとされるからである.そして,アカデミズムから遠いとされる理由は,日本においてスポーツコーチングの概念形成が未熟なことと,スポーツコーチングそのものは手段であるからである.また,スポーツコーチングは手段であるため,実践が極めて要求されることから,日常的にコーチングの場に身を置いているか,実践での悪戦苦闘の経験がなければ,実践に活かす可能性のある研究テーマを設定することが困難である. このことも,若い研究者がこの領域に参画することを妨げている.

Ⅳ.「コーチング論」を開講するまでの経緯

 ここまで,日本におけるコーチングの積年の課題について,筆者の私見と日本の実情を簡単に紹介した.

そのような環境下で本学部が開設され,スポーツコーチングに関する科目が開講された.その経緯は以下の通りである. 本学部の開設は,2008年 4月である.学部開講科目のひとつとして,筆者が担当する 3年次生(学則改定で 2012年から 2年次生)科目の「コーチング論」を準備した.週に 1回の 2時間授業を講義形式で行い,半期の 15週にわたり行う科目である.3年次生科目であったから,2013年の春学期終了時点で 4ヶ年の開講実績である.この 4年間の受講者総数は,約 300名である.本学部での「コーチング」の語を含む科目名は,本科目以外にはない. ここで少し,本学の保健体育科目について触れる.1991年の大学設置基準の大綱化以降,多くの大学,学部において保健体育科目が必修から外れた.それまでは全国の各大学での保健体育科目の中心的な名称であった「体育実技」と「体育理論」そして「保健理論」などが徐々に姿を消していき,各大学での担当者の専門領域を前面に出した様々な科目名(教養教育科目として)が誕生し,または発展的解消などを重ねて今日に至る.その経過の中で,スポーツコーチングのカテゴリーに入り得る名称の科目も,本学や他の各大学において開講されてきた.体育大学や体育学部においては,大綱化以前から各競技種目(オリンピックの報道に使用される用語だが,本小論ではチャンピオンシップを競う競技スポーツだけではなく,健康や趣味,お

表1 他大学のスポーツコーチングのコースと関連科目など(2013年度各大学ホームページより抜粋)

≪早稲田大学スポーツ科学部スポーツコーチングコース≫<基礎科目>スポーツコーチング基礎演習(必修),スポーツ運動学,スポーツコーチング概論,コーチング心理学<選択科目>トップスポーツコーチング論,アスリート論,アスリートマネジメント論,スポーツ技術・戦術論(11競技にわたる)フィジカルトレーニング実習,ナショナルアスリート実習

≪筑波大学体育専門学群コーチング学分野≫<専門基礎科目>運動学,一般コーチング学,一般トレーニング学,個別コーチング学(個別の競技について),個別トレーニング学<分野別専門科目>稽古論,スポーツ技術論,スポーツ戦術論

≪鹿屋体育大学≫スポーツコーチング学特講

≪慶応大学≫<教養教育科目>日本代表コーチが基本から指導するスポーツコーチング概論

≪日本大学文理学部体育学科≫コーチング論(コーチングと生理学)

≪法政大学スポーツ健康学部≫スポーツコーチングコース

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よび体育実技などでのスポーツのすべてを表す)に特定した科目名が見られたことは,周知のことである.筆者も,必修時代の体育実技を発展させた「バスケットボール論」を開講した.主に技術体系を学ぶ科目であるが,スポーツコーチングについてもわずかに論じた.しかし,学部開設以前に本学の保健体育科目に,「コーチング」を付した科目名はない. 2007年の学部設置準備の中で,学部専門科目としてのスポーツコーチングを内容とする授業科目についての検討を行った.厳密な手続きとしては,開講の要不要から論じる必要がある.しかし,日本の体育・スポーツ系の大学・学部などにおいては,「コーチング」を付した授業科目の開講は,ほぼ必然であった.本学部での必然性については,「Ⅶ.本学部の『コーチング論』1.開講の必然性」において述べる. つぎは,授業科目の名称である.「スポーツコーチング論」とした方が,ビジネスコーチングと明確に区別するという意味合いでは,適切だったのかもしれない.「1992年頃からビジネス分野に受け入れられ,日本でも 2000年頃からしばしば聞かれるようになってきた」(杉井,2012)ビジネスコーチングやライフコーチングとの関わりによる,授業科目名の決定について簡単に述べる.スポーツコーチングかビジネスコーチングかに関わらず,プレイヤーの自立による「課題解決」が,コーチングの成否のキーワードである.ビジネスコーチングで強調される,プレイヤーとコーチとの関係は自立の典型である.その関係を強調する意図で,「スポーツ」を冠しなかった.筆者が解釈するスポーツコーチングの実践では,「指導」と「コーチング」が適宜採用されるが,ビジネスコーチングに「指導」の概念は存在しない.本講義での内容に「指導」についての比重を少なくする目的で,「スポーツ」を冠しなかった.「スポーツ」を冠しなかったと同様に,「指導論」も適切ではない.また,中学校と高等学校の「学習指導要領」および「指導計画」に「指導」の語があることから,明確に区別するねらいもあった.言うまでもないが,「指導」を否定しているものではない.「指導」の比重を少なくした内容を学ぶことは,受講生が本学の良心教育のひとつを成す「自治自立(自由主義)」の態度を涵養することにも矛盾しない.本講義は,受講生が将来にコーチとなるときの資質を高めるものであると同時に,本学の教育理念を反映するものでありたい. 「コーチング学」は端から名称の候補になり得なかった.なぜならば,「コーチング学」とは「競技スポーツにおけるトレーニングの目標,原理,方法,計画などを体系化した理論―略―」(日本体育学会,2006,p.612,下線は筆者)となっているからである.つまり,

定義上の「コーチング学」は,本学部で開講している他の授業科目の「トレーニング論」,「スポーツ生理学」,「スポーツ運動学」そして「スポーツ・バイオメカニクス」などを包括(学術的価値の上下ではない)したものである.そして,その体系の名称をそのまま授業科目名にすることは,科目名と授業内容とに齟齬をきたすからである.また,タイトルに「コーチング学」を付した秀逸な和洋の文献においても,基本であるコーチングフィロソフィーやコーチングスタイルなどのほかに,「フィジカルトレーニング」,「栄養」,「解剖」,「心理学」そして「外傷・障害」などについて誌面を割いているものが多く見られる.各領域の有無や多寡は,それぞれの著者がコーチングについて確立したコンセプトにより異なる.論が少し逸れるが,このことを授業科目に置き換えて考えると,「コーチング論」の内容が担当者によって左右される恐れがあることを意味している.筆者は,「コーチング学」を使用する場合は,諸領域を包括する概念としている. 概念や定義についての議論はともかく,諸学の知見を実践に応用できる理想的なコーチングの環境は,ごくわずかの競技スポーツにしか見られない.しかも,その環境は日本代表選手が代表選手もしくは代表候補選手として活動する期間に限られることが多い.日本における日常のスポーツコーチングをより実践的なものにするためには,学生たちの学びが現実の多様な環境に対応できるものであることが,求められる. 以上が,科目名の決定を中心とする「コーチング論」開講までの経緯である.

Ⅴ.コーチングの歴史

 日本において,コーチングの概念がさまざまである理由のひとつに,‘coaching’をカタカナ表記にして新たな語を取り入れつつも,日本の諸制度や慣習に沿って解釈したために,新たな概念は創造されなかったことがあげられる.ここでは,コーチングの起源と略史を概観し,日本のスポーツコーチング史について見る.

1.起源と欧米のスポーツコーチング 「コーチ」の語源は,周知の通り,ハンガリーのKocsという町で生まれた乗合馬車である.15世紀から 1800年代中頃までの,約 500年間の詳細はコーチング関連の資料にも乏しく,ここでは省く.ただ,この 500年という長期にわたり,ヨーロッパにおいて「コーチ」が「人を目的地まで連れて行く」ための「手段」であると認識され続けていた事実は,コーチングの解釈を決定的にしている.そして,1840年代から「コー

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チ」は「人」についても言われるようになり,今日の辞書においても「馬車」と「人」についての説明が併記されている. 長い歴史を有する「コーチ」という語は,1950年代にビジネスのマネジメント分野で使われ始めるまで,1900年以降はスポーツを中心として使用された.ヨーロッパでのスポーツコーチングはつぎの引用の経過をたどる.「競技スポーツにおけるトレーニングの目標,原理,方法,計画などを体系化した理論.1950年代から 1960年代にかけて東欧圏を中心に発生し,1970年代から 1980年代にかけて西ヨーロッパにおいて一般理論の体系化が進められた.その後ヨーロッパでは,従来の練習の理論を意味する『トレーニングの理論』に『試合の理論』を加えて,コーチング学の内容を一層充実させる方向で研究が進められている.」(日本体育学会,2006,下線は筆者) 東欧圏での競技スポーツにおける体系化されたコーチング学の成果は,東ドイツのオリンピックでの金・銀・銅メダルの国別累計獲得数が,2012年のロンドン大会終了時点現在で 8位という驚異的事実から明白である.なぜ驚異的かというと,東ドイツがオリンピックに参加した大会は,わずかに夏季 5回と冬季 6回である.そして,東ドイツの最後の参加となった 1988年の夏季・冬季大会ののち 2012年のロンドン大会終了まで,東ドイツの参加がありえないオリンピックはそれぞれ 6回開催されているからである.ところで,東欧の「コーチング学」をメダル獲得数の結果のみから評価する場合,当時,ステートアマチュアと呼ばれる優秀なアスリートを輩出した社会体制も無視することはできない. 一方,1950年代がビジネスコーチングの萌芽期であり,2000年代には欧米での大学や大学院でコースが盛んに設置され,研究の対象となり始めている.この間に,Gallweyが“The Inner Game of Tennis”(1974)を著し,スポーツコーチングとビジネスコーチングがともに大きな転換期を迎えている.しかし,この著書の邦訳が出版され話題に成りながらも,日本のスポーツコーチングが大きく変わることはなかった.

2.戦前の日本におけるスポーツコーチング 本邦へ‘coach’という語が入ってきたのは,1873年前後に紹介された野球,フットボールなどとほぼ同時期と推測される.しかし,それぞれのスポーツが多くの人々にプレイされていく過程は,プレイヤーたちなどによる伝承などが中心であったと考えられる.つまり,お互いが未知のものについて学んでいくのであるから,指導やコーチングはほとんどあり得なかったし,「コーチ」を使用する頻度は低かったものと思わ

れる.時代は半世紀ほど下がるが,「指導籠球の理論と実際」(李,1930)では,指導的立場にある者の表記として,ほぼすべてに「コーチ」を使用している.筆者の手もとにある資料では,この時期の実際の使用頻度は競技種目により異なるが,「監督」または「コーチ」が散見される.日本のオリンピック選手団の各競技種目で「コーチ」や「ヘッドコーチ」が使用されたのは,1952年のヘルシンキ大会が初めてのようである.本報告においては,1873年頃から 1941年の太平洋戦争が開戦されるまでのおよそ 70年間に,「コーチ」がどのように使用されていたかの詳細は明らかにできなかった. 日本におけるスポーツの普及に,課外活動を含む学校体育が大きく寄与したことは,周知のことである.その間,日本における教育は日清戦争,日露戦争そして太平洋戦争のもとで性格付けがなされたため,学校体育も同様である.1890年の教育勅語による忠孝の徳を国民教育の中心に据えた中での学校体育や,1913年の学校体操教授要目による学校体育における軍事教練の明確な位置づけなどが,体育やスポーツの概念形成に大きな影響を与えた(表 2参照).当時の体育やスポーツに,今日提言されている理想の指導やスポーツコーチングはもとより,スポーツの語源とされる「気晴らし」に類似する概念も存在しない.

3.戦後の日本におけるスポーツコーチング ここでは財団法人日本体育協会(以下,日本体育協会)と社団法人日本体育学会(以下,日本体育学会)における「コーチ」について見る. 「コーチ」の語が,日本体育協会指導者育成専門委員会で正式に使用されたのは,終戦から 32年が経過した 1977年である.「本会が指導者の養成事業に着手したのは,昭和 39年に開催された第 18回東京オリンピックの翌年,昭和 40年(1965年)である.―中略―スポーツトレーナーの養成である.ここでいう,スポーツトレーナーとは,ドイツのトレーナー制度を手本にし(ドイツではコーチのことをトレーナーと称した),―中略―そして,昭和 52年(1977年)からは,指導者の役割に応じた資格認定と指導体制の確立を目的に,加盟団体と一致協力して,現在の指導者制度の元となっている日本体育協会公認スポーツ指導者制度を制定し,新たな発想のもとに共通科目と専門科目を学ぶ,スポーツ指導員,コーチ,上級コーチの養成を開始した.」(日本体育協会,2005,西暦は筆者加筆)とあるが,1977年当時は資格の序列を,今日では指導の場(地域スポーツ,競技スポーツ,商業施設でのスポーツ)を表す名称の側面も持つ. 一方,1950年に設立された日本体育学会の分科会

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に「コーチング」を含む名称が初めて誕生するまでに60年を要した.紆余曲折を経て,2013年 4月に「日本コーチング学会・日本体育学会体育方法専門領域」が設立(改称)された.それぞれの英語表記は,つぎの通りである. 日本コーチング学会:   The Japan Society of Coaching Studies 日本体育学会体育方法専門領域:   Coaching and Training Studies in Japan Society of

Physical Education, Health and Sport Sciences 並列表記される学会名は珍しく,このことからもコーチング学やスポーツコーチングの解釈について,コンセンサスを得るに至っていないことが窺える.日本コーチング学会の日本語表記と英語表記の両方に「スポーツ」と‘sport’の語はない.学会の名称はともかくとして,学会会長のつぎの挨拶文が日本におけるコーチングに関する研究の現状である.「個別のスポーツ種目の指導実践に関する研究の蓄積を通してより普遍性の高い一般理論を構築しようとするところにあります.この意味の一般理論ととらえられる『コーチング学』の構築はまだその緒についたばかりです.」(朝岡,2013)

Ⅵ.用語の解釈

 講義内容について考察を行う上でのつぎの手続きは,用語についての筆者の解釈とその用語を使用する理由,そして使用すべきではないと考えている用語についての説明である. 先にも少し触れたが,「日本ではこれまでは,異文化との出会いは,すでに慣れた日本語の語りに置き換えられた外国の風物を消費するという形で行われてきましたが,直接に別の文化にぶつかって,自分が変わりながら,相手を誤解しながら,新しい視界をひらいていくということがあまりなされなかった」(多和田,2000).外国の風物であるスポーツも同様であった.ここでは,英和訳や和英訳も含めて,筆者がもっとも強調したい解釈について述べる.

1.プレイ,プレイヤー 筆者は,スポーツコーチングにおいて行動する人のすべてをプレイヤーと呼ぶ.技能レベル,年齢,プロフェッショナル(以後,プロ),アマチュア(以後,アマ),学校体育,趣味,競技,健常者,障がい者などに一切関わらない.日本体育協会の「公認スポーツ指導者養成テキスト(以下,養成テキスト)」にも,日本代表「選手」などの特殊な場合を除き,スポーツを行う者

表2 日本の体育・スポーツ史と戦争

 年代区分 年  戦争 年        体育・スポーツなどのできごと1800年代 61-65 戊申戦争 73 この頃,フットボールと野球が紹介される.

75 同志社英学校.77 西南戦争 78 日本初の野球チーム,体操伝習所で教科のサッカーと体操.

89 大日本帝国憲法.90 教育勅語,体育は,富国強兵をめざすもの.91 この頃,同志社に野球.

94-95 日清戦争 96 第 1回近代オリンピック.1900年代 04-05 日露戦争   この頃から,学校教育で教練重視,対外試合では勝つことが重視される.(1945年まで) 11 同志社大学ラグビー部創部,大日本体育協会.

12 オリンピック(ストックホルム)初参加.13 「学校体操教授要目」学校体育の軍事教練を明確化.

14-18 第一次大戦 18 京都 YMCA*に「監督」.31 満州事変 25 同志社大学バスケットボール部創部.37 日華事変 33 この頃まで,立教大学 *に「監督」なく,「コーチ」.41-45 太平洋戦争 36 日本職業野球連盟の結成.

(1945年以降) 47 「体錬」から「体育」へ.58 学習指導要領.77 スポーツ指導者育成事業に初めて「コーチ」.

2000年代 10 日本スポーツ方法学会が日本コーチング学会へ.*印は,どちらもバスケットボールチーム.

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64 Doshisha Journal of Health & Sports Science

を「プレイヤー」に統一した記述が見られる.「プレイヤー」という語の場合,養成テキストで使用している用語を,「コーチング論」の担当者が自然に使用して,受講生にとっても馴染みのある用語にすることは,学部教育において非常に重要だと考えている.筆者の管見だが,英書では‘player’と‘athlete’の使用頻度が高く,他に‘sports people’,‘performer’,‘participant’などが見られる.国語辞書での「選手」は,「競技会・試合などに選ばれて出場する人」と,「スポーツを職業とする人」となっている. ただ,1870年代から日本に徐々に紹介され普及してきた多くの「スポーツ」での使用には違和感がないが,柔道,剣道,相撲などの「道」または「格技」と,「スイマー」,「ランナー」,「ゴルファー」,「ボクサー」などの特定の呼称が定着しているスポーツに,「プレイ」と「プレイヤー」はそぐわないことは承知している.ここで筆者が主張したいことは,スポーツを行うすべての者を表す統一した呼称を検討することではなく,「選手」は真剣かつ真面目に高尚なことを行い,「プレイヤー」は適当で不真面目であるという認識の転換である. 筆者がプレイヤーを使用するもうひとつの理由は単純で,「プレイする人」だからである.プレイは「遊ぶ・遊び」であるから,スポーツを教材とする「体育」,または勝敗を争う競技スポーツやプロスポーツに使用することは好ましくないとする意見もある.国語辞書の「遊び」の説明にある「酒色にふけったり,賭け事をしたりすること」が嫌われる理由のひとつであろう.また,「遊び」がプレイの集中力や真剣さの欠如につながるとして,嫌うのかも知れない.筆者は,「遊び」を人間らしい重要な行為と捉えている.人間の相当に高度な活動を表すことばの使用を,避ける理由はまったくない.ただ筆者にとって,スポーツ,特にプロスポーツを含む近代スポーツを,そのまま「遊び」と定義づけすることが適切か否かを論じることは,テーマが大きすぎるので置いておく.「遊び」についての大

著である「ホモ・ルーデンス」(ホイジンガ,1938)と「遊びと人間」(カイヨワ,1967)が,著された当時と現在ではスポーツは大きく変容したが,スポーツの本質にも言及していると評価されている.その事実に倣うだけである.

2.敵,敵地 マスメディアのスポーツ報道における「敵」や「敵地」の使用を意識して視聴していると,テレビ・ラジオのアナウンサーやキャスターなどの発言では極めてまれであるが,活字においてはしばしば登場する.サッカーの Jリーグ,日本代表のワールドカップ出場,BS放送でのヨーロッパリーグ,そしてバスケットボールのNBAなどにより「ホームアンドアウェイ」が日常語になりつつあるが,スポーツ報道での「敵」や「敵地」は完全な死語とはなっていない.原稿を書いた記者が,戦国時代や太平洋戦争などにおける敵と同義で使用していることは,あり得ない.ただ,ルールの遵守が厳格な近代スポーツと,最低限のルールにもかかわらず遵守されない恐れがある戦争とについて,同じことばが自然に使われている事実を再確認した.ホイジンガ(1938)は,70年以上も前の著書とはいえ,遊びと戦争(闘争)の類似性を論じている. 「敵」に関連する各辞書の代表的な記述を,表 3に示した.それぞれについて 2,3の辞書を確認したが,大きな相異がないため,出典は示さずに簡潔に記した.スポーツコーチング関連の英書での「相手」の表記は,‘opponent’が使用される頻度が最も高く,‘opposition

team’や‘opposing player’(Daryl B. Marchant, 2000)が散見される.言うまでもなく,筆者は‘enemy’の使用を見た経験は一切ない.和書のバスケットボール指導書においては,戦前のものに「敵手」という語が見られるが,戦後はほぼ「相手」となっていて,「敵」の使用は 1980年代の書にきわめてまれにある. さらに,言葉遊びのそしりを恐れずに加えると,「遠征」の国語辞書の 1番目の説明は,「遠方の敵を征伐しにい

ことば 辞書 記載内容敵 国語 ① 闘い・競争・試合の相手.② 害を与えるもの.敵 和英 ① an enemy. ② a foe.

enemy 英和 ① 敵. ② 敵兵. ③ 敵国,敵国人.enemy 英英 ① a person who hates sb or who acts or speaks against sb/sth. ② a country that you are fighting a war against.

opponent 英和 ① 対抗者,敵対者,反対者.opponent 英英 ① a person that you are playing or fighting against in a game, competition, argument, etc.対戦相手 和英 ① an opponent. ② an enemy.

somebodyと somethingは記載通り略した.

表3 「敵」についての各辞書での説明

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65講義科目「コーチング論」の最適化―スポーツコーチングの実践に資するために―

くこと」である.和英辞典でのスポーツでの「遠征」は,‘a tour’,‘a visit’そして‘away trip’で,‘expedition’や‘invade foray’などとは区別されている. スポーツと闘争や戦争などに同じ語を使用する言語は,日本語だけに限らないことはホイジンガの論でも明白である.先進国の英語以外の外国語は調べていないが,‘fighting’,‘battle’,‘kill’,そして‘strategy’などの語が,その代表である. 着目すべきこととして,筆者は大相撲の報道で「敵」の文字を見た記憶がない.

3.監督,コーチ,コーチング 日本においては,個人競技種目(個人戦,団体戦)とチーム競技種目とに関わらず,各チーム(学校単位の部活動のチーム,オリンピックや世界選手権などの日本代表チーム,プロスポーツチーム,国民体育大会などの都道府県代表チームなど)のスポーツ活動における最高責任者は監督であることが多い. 欧米のMLB(baseball),NFL(football),NHL(ice hockey),NBA(basketball),SERIE A(football),PREMIER League(football)などでは,監督に相当する立場には‘manager’か‘head coach’を,コーチには‘coach’を使用することはよく知られている.欧米での‘manager’の職務分掌を正確に把握してはいないが,スポーツチームをはじめとする日本の多くの組織でのマネージャーは,庶務・会計などの職務に当たる. 今さらであるが,国語辞書にある「監督」の意味は,「取り締まったり,指図をしたりすること.また,その人や機関.」となる.筆者の印象では,チームスポーツにおいて,辞書に説明されている通りの監督が多い.辞書の説明の「監督」と「コーチ・コーチング」とは,全く異質なものである.プレイヤーの年齢や成熟度とも関係するが,適切な監督がなければチームの運営が困難になることもある.そして,コーチングが万能だということでもない.また,チームでの立場や身分は監督でも,コーチングのスキルを用いて,プレイヤーがその能力を存分に発揮することをサポートしている監督も見られる. 要するに,スポーツにおけるプレイヤーの自治自立が目標であるから,監督が必要な状況が続くほど,目標の達成が遅れる.スポーツの場合,監督の責務は辞書の説明通りの行為を徹底することであると周囲が期待し,本人もその期待に応えようと努力する傾向が見られる.スポーツがしつけなどの手段として有効なことは,多くの人が認めるところである.この期待は,特に高等学校までの学校教育において,顕著に見られる.しかし,日本中が一様にしつけの手段とするだけ

では,人類の貴重な財産であるスポーツの真の価値を享受することはできない. プレイヤーを管理し,プレイヤーに指示するなどの権威を示すことが監督の責任ではない.このような誤解による監督のイメージは,監督やコーチの立場にある者たちの資質によって生じたものではない.指導者に課されるミッションと,出した結果に対する評価との,整合性の欠如が根本にある.

Ⅶ.本学部の「コーチング論」

 ここでは,本学部にコーチング論を開講する必然性と,主題であるスポーツコーチングの実践に資するための講義内容の最適化について述べる.

1.開講の必然性 筆者が開講の必然性を主張するスポーツコーチング関連科目とは,科目名にコーチかコーチングの語が入るものを指す.今更ながら,このことについて述べる理由は,コーチング学の定義そのものを念頭に置き,従来の体育学部とは異なる理念で開設された本学部には,沿わないという意見も予測されるからである. 開講を必然とするひとつめの理由は,学生が,スポーツコーチングのベースは本学部で学ぶ授業科目からの知識であることを,再認識するクラスが必要だからである.スポーツ諸科学などに基づく指導やコーチングという理念は,各大学・学部において長い年月にわたり強調されているが,実際の指導においては軽視されがちである.理念が結果として軽視されている原因を,各授業科目における学生の学びの怠慢のみに求めるべきではない.受講生が指導やコーチングの観点から,各授業科目を体系づけて俯瞰する機会が少ないことも,原因のひとつである.なぜならば,一般的に基礎的な学問ほど各授業科目の展開は,受講生が将来に就く職業や社会での役割などを,前提としないことが普通だからである. つぎの理由は,コミュニケーションについて学ぶ場が必要だからである.社会生活におけるコミュニケーションの重要性は,誰もが認識している.しかし,効果的なコミュニケーションについてのイメージを有する人は,非常に少ない.コミュニケーション能力は,「聴く力」(播磨,2006)と言われている.播磨によれば「『聴く』に戸惑いを感じなかったら,すでに『コーチとして聴くことができている』か,『聴くことにスタンダードをもっていない』かのいずれかです.前者である人は少なく,ほとんどが後者」(2006,pp.57-58)である.受講生がこのことを認識するだけでも,「プレイヤーを観て(look at),聴く(listen to)」姿勢の

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66 Doshisha Journal of Health & Sports Science

涵養につながると考える.相当のコミュニケーションスキルを身につけていても,プレイヤーを見て(see),聞く(hear)だけでは,プレイヤー自身が課題解決に向けて行動するエネルギーにはならない.人は理屈ではなく情で動く時に,その人が有する能力を発揮する.「情で動く」の「情」は,論理性と客観性が乏しく一時的な感情に支配される行動のことではない.プレイヤー自身が,論理を理解したという「納得」を指す.  また,指導者やコーチがスポーツ諸科学や競技種目の知識を十分に有していることと,プレイヤーがその知識を理解して実践することなどとは,ほとんど比例しない.両者を比例関係へと少しでも近づけるための手段は,唯一,コミュニケーションだけである.特段に「聴く力」や「プレイヤーと指導者やコーチとの関係」をテーマとする授業は,「コーチング論」で行うべきである.ただし,言うまでもなく,専らビジネスコーチングに見られるセッションを行うことではない. 「コーチング論」の開設を必然とする最後の理由は,他の競技種目の考え方や技術体系を知る機会を持つことが,大きく求められるからである.他の競技種目について思考することは,ブレインストーミングにつながる.幸いなことに,本学部には多様な競技種目を専門とする学生が在籍する.この財産を活かすべきである.創造的な指導やコーチングには,質の異なる新たな情報の供給が欠かせない.JOCのNCA(ナショナル・コーチ・アカデミー)では,他の競技種目の考え方を聞くプログラムを設けている. 以上の 3点が,「コーチング論」開講を必然とする理由である.いずれも,すべてのカテゴリーのプレイヤーへの,スポーツコーチングに通じることである.本学部のディプロマ・ポリシーの技能に関する「スポーツ健康科学の特性を適切に運用できるようになり,―

以下略―」という文章に照らしても,指導者やコーチを目指す者が,コーチングについて学ぶ授業科目の重要性は明白である.教職課程の科目との区別は,単純に言えば,指導とコーチングとの差異である.

2.講義内容の最適化に向けて 本学部において開講されている,コーチングを付した授業科目数は 1科目である.その科目の到達目標は,学生がスポーツコーチングの本質を理解することにおくべきである.そのための最適化である.講義内容の最適化は,学生が「指導とコーチングとの相異」を理解でき,各競技種目に共通する知見に基づき「視点を変えた考え方」をする態度を身につけ,そしてスポーツコーチングについての「知識・技能の,習得段階に応じた分類」を理解できるようになることを,到達目標とすることで実現すると考える. ここで,忘れてはならないことがひとつある.それは,最適化を目指している科目は「講義」科目であるということである.残念であるが,技能の習得に当てる時間はない.各競技種目のコーチングを実践する場では,ある程度のスキルが要求される.それは,応用科目である「指導法実習(バスケットボールなど)」などや,本学部には開講していない実習系のスポーツコーチング関連科目がカバーする内容である. 「講義」科目での到達目標は,スポーツコーチングには競技種目や他のスポーツ科学よりも優先して学ぶべき知識・技能・態度が根底にあるということを,理解できるようになることである.「優先して」とは,他の授業科目で学ぶべき内容は非常に重要であるが,それらの重要なことがらを反映するための基本的かつ有効な手段があることを理解してということである.筆者は,コーチが学ぶべきことの優先順位を図 1に示

図 1 コーチング��の��に�る学�(理論の�)の��

(「リスクマネジメント」にはスポーツ外傷・障害の予防が,「スポーツ技術の見方と考え

方」には,技術体系が含まれる)

図 2 プレイヤーとの��方の��図(��,2006,����)

リスクマネジメント コミュニケーション

発育発達

スポーツ技術の

見方と考え方

トレーニング理論

スポーツ科学の

他の諸領域

応用・発展

基礎 コーチングの本質

コーチング(��力)

プレイヤー

コーチ

ペーシング

����る力

質問力

コメント力

人間力

理解力と分析力

���れる力

図1 コーチングからの視点による学び(理論のみ)の段階(「リスクマネジメント」にはスポーツ外傷・障害の予防が,「スポーツ技術の見方と考え方」には,技術体系が含まれる)

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67講義科目「コーチング論」の最適化―スポーツコーチングの実践に資するために―

した通りに考えている.  なお,日本での「コーチング」という語の使用について改めて確認すると,他との区別を意識しない場合は,スポーツやビジネスに関わらずコーチングとだけ呼ぶことが多い.日本体育協会の養成テキストでは,両者の区別のために,ビジネスコーチングを『コーチング』と表記している.筆者が「コーチング」とする場合は,語源の意味を強く意識している.スポーツコーチングも,語源の意味が一般化される日が近いことを,期待している.

1)指導とコーチングとの相異 日本のスポーツコーチングの喫緊の課題についての引用から始める. 「スポーツ団体及び大学等においては,―中略―コアカリキュラムの検討を進めること等により,―中略―認識の共通化を図ることが期待される.その際,哲学や倫理,内発的動機づけ,コミュニケーション能力,リスクマネジメント,長期的なスポーツキャリアを視野に入れたコーチングのあり方等,競技横断的な知識・技能の位置づけを明確にすることが重要である.」(文部科学省,pp.88-89,2013,下線は筆者) 筆者は,この引用文をつぎの通り解釈する.スポーツ科学を基礎に,または応用するスポーツコーチングは当然である.ところが,指導者やコーチがスポーツ科学についての知識を有しているにも関わらず,そのことが実践の場では反映されていないことが多い.そのことの最も大きな原因は,「哲学や倫理,内発的動機づけ,―中略―知識・技能の位置づけ」が不明確であり,その結果として,まったく考慮されないことがしばしば起こるからである.筆者の解釈に,大きな間違いはないと考える. 筆者は,スポーツコーチングの良否は,コミュニケーション能力で決定されると考えている.スポーツかビジネスかに関係なく,コーチングはコミュニケーションである.コーチングの大きな転換点となった“The Inner Game of Tennis”(Gallwey,1974)には,Gallwey 自身が self 1と self 2の存在に気づき,課題を解決する件がある.その気づきから,彼はプレイヤーたちに異なる視点でコーチングを行い成功する.ただ,著者自身のテニスプレイヤーとしての技術改善に関する心理的視点から著しているもので,コーチ教育を意図したものではない.そして,彼がプレイヤーに対してアドバイスを行う事例があるが,‘communication’の語の使用はほとんどない.しかし,プレイヤー一人ひとりのプレイの特性を見事に捉えた記述が見られる.プレイヤーを知ること自体が,コミュニケーションの初歩である.まさにプレイヤーを「サポート」す

ることの典型が見られる.「スポーツの指導を行う者の役割は,競技者やチームを育成し,目標達成のために最大限のサポート―中略―サポート活動全体をコーチングとし,全ての競技者やチームに対してコーチングを行う人材をコーチとします.」(文部科学省,pp.24-25,2013,カッコの削除と下線の挿入は筆者) の文中にある「サポート」を,「指導」とは考えるべきではない.ここでの「サポート」は,Jリーグによって日本語として一般化した「サポーター」の動詞である.サポーターはプレイヤー(Jリーガー)を指導しない.もちろん,トレーニングなどの目標,原理,方法,そして計画などについてのサポートもある.しかし,コーチのコミュニケーション能力が不足していると,たとえトレーニング科学の理論としては正しくても,プレイヤーの意に沿わないなど,最悪の場合には単なる命令につながる.あくまでも,サポートである.答えを出す者と行動する者とが異なる場合は命令・強制・指導であり,同一である場合をコーチングとするなど,原則的な相異が多々ある. コーチングが,すべてのプレイヤーのすべての状況でオールマイティなわけではない.成熟度によっては,指導はもとより強制も必要な場合があると考えている.特に,教員が顧問になる学校でのクラブ活動に,指導が必須となる例が多く見られる.つまり,コーチングを採用することが適切ではない例もある.そして,指導を行うべきか,コーチングを行うべきかの判断がむつかしいことも,認識すべきことのひとつである.しかし,学校におけるスポーツの場合は,一般的に指導者からの命令・強制・指示・指導に偏る傾向があるので,コーチングを意識すべきである. また,プレイヤーとの衝突を避けるための単なる迎合,無責任なほめ言葉やご褒美の類,そして放任は「プレイヤーを観て,聴く」こととはまったく異なるということを,理解できるようになることも大切である.

2)視点を変えた考え方 視点を変えた考え方をテーマのひとつにしている主なねらいは,受講生が,スポーツコーチングにおける創造的実践の余地は十分に残されていることを,認識するきっかけになることである.また,様々な環境で育ち,異なる考えのプレイヤーを受け入れる態度を涵養することも重要である.背景には,コーチングが機能するための,パラダイムのブレークスルーと,コーチによるプレイヤーの承認がある.  講義における具体例を紹介する. 例 1: 勝利至上主義を否定する論調は耳にすることが多く,受講生も「勝利至上主義」は,よく知っている.

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しかし,「勝敗の要素を失くしてスポーツが成り立つのか」という問いには答えにくそうである.逆に,「勝利至上主義を否定することが間違いでは」の質問には,ほぼすべてが,否定することは正しいという意見である.筆者は,その国の歴史,政治・社会体制が国民の意見に影響していることも加える.さて,勝ちを目指すことは,是である.しかし,何かがある限度を超えると非とされる.では,限度を超える何かとは何か,限度のスケールとなるものは何かについては,なかなか意見が出ない.その時点では,受講生が説明をできないことは仕方がないが,唯一絶対的な正解があるとする思考をブレークスルーすることが最大のねらいである.  例 2: 有酸素運動(ローパワー)または無酸素運動(ハイパワー)の能力向上を目指すトレーニングは,多くの競技種目において採用されている.「コーチが,ATP再合成過程を知っていることと,知らないこととの差は何に現れると思うか」の問いに,多くの受講生はトレーニング理論などに沿った回答を用意する.当然で間違いではないが,本講義においては,もう少し異なる視点が欲しい.トレーニング理論に沿った負荷をプレイヤーに課すことで,コーチのプレイヤーを観察し,フィードバックする態度に客観性が高まる,という抽象的な表現もひとつの回答である.端的に言えば,客観的テーマを介してプレイヤーと接することで,コーチのプレイヤーに対する客観的な態度が涵養される.蛇足であるが,客観のみが信頼するに足る重要なことで,主観は排除すべきだということではない. 例 3: 先に解釈について紹介した用語から,「敵」について述べる.筆者は,このことばがプレイヤーとコーチの考え方に与える影響は,非常に大きいと考えている.軍事的緊張感を維持しなければならない,近隣のいくつかの国々との間でさえ,互いに「敵」という語を発することはめったにない.スポーツで「敵」を使うと,「自分,もしくは自チームが勝つことを,邪魔する敵は排除する」という考えに陥る恐れがある.その考え方が習慣化することにより,相手の存在自体を否定しなければならなくなる.このことばを発しなくても,思考の過程で使用する習慣があると,いずれはコーチングにほころびが出てくる.なぜならば,自己のプレイの質(技術レベルの高低ではない)に関わらず敵に勝たなければならず,負けたときには逆に自身の存在を否定せざるを得ない状況もある.年齢カテゴリーや競技力レベルのカテゴリーなどのすべてのカテゴリーにおいて,このほころびは,敗北以上のダメージをプレイヤーとコーチに必ずもたらす.

 筆者の調査不足はあるものの,直接に競争相手のプレイに干渉しないゴルフ,フィギュアスケート,陸上競技の多くの種目,そして競泳などでは,コーチもプレイヤーもマスコミも「敵」は使用していないと認識している. 例 4: スポーツ技術の獲得について述べる.以下で述べることは,技術体系についての十分な知識を学んでいることを前提にしている(図 1). コーチは,つぎのことを認識しておく必要がある.「実は,スポーツ科学における最大のネックは,この上手い下手(スキル)を数量化できないことにあります.―中略―現在のテクノロジーでは不可能に近いのです.運動中の脳の活動(時間軸や脳の部位の連携)さえ測定できないのに,スキルと言われる脳と筋の連携を定量化することはできないでしょう.」(小河,2011) このことは,ことばによって技術要領を逐一説明することが,ほとんど不可能に近いことを意味している.だから,客観的なフィードバックを行うためには,プレイヤーの動作をビデオ撮影して, プレイヤー自身が確認することがベストである.スポーツ技術には筋力,パワーそして持久力などの向上が技能の向上を伴うことや,研究の知見による合理的な技術獲得のアプローチという,側面がある.しかし,伝統の素晴らしい職人技や芸などが,師匠の技術を自分なりに解釈して真似ることで伝承されてきたように,スポーツ技能の向上には職人技などのような側面があることも認識すべきである. コーチがプレイヤーに対してできる効果的なフィードバックは,プレイヤーがビデオによる確認をする際に,着目すべき身体部位の指摘を行うことである.もしくは,職人技のように各競技種目に集積されてきた,理想とされる動きとの差異を客観的に伝えることである.その身体部位の動かし方について,コーチ自身の感覚を強制するべきではない.

3)講義内容 図 1に示した学びの段階は,あくまでもコーチングの実践からの視点である.学部生としての,スポーツ健康科学の諸領域の学びの段階とは異なる.受講生はそのことを十分に理解し,整理できることが必要である. 本学部での「コーチング論」で優先すべき内容は,コーチングの本質を理解することと,コミュニケーション,そしてスポーツ技術の見方と考え方である.リスクマネジメントは他の授業科目で学ぶ.コミュニケーションについて学ぶが,先にも述べた通り「講義」

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69講義科目「コーチング論」の最適化―スポーツコーチングの実践に資するために―

科目であるから,コミュニケーションの「技能」を習得する内容は含まない.コミュニケーションの技能に関して,これまでの研究やスキルの発展は,ビジネスコーチングにおいてであった.これらの考え方やスキルを,スポーツコーチングに応用すべきである.養成テキストにおいても,ビジネスコーチングのコミュニケーションスキルの獲得を推奨している.非常に歓迎すべきことであるが,テキスト上の位置づけが筆者の意見と異なる.養成テキストは,Ⅰ,ⅡおよびⅢに分かれている.資格区分によって,それぞれテキストⅠのみを,ⅠとⅡを,Ⅰ,Ⅱ,そしてⅢのすべてを学ぶことが義務付けられている.そして,テキストⅠにビジネスコーチングについての紹介があり,テキストⅢでより詳細な内容が掲載されている.資格区分に関係なく,すべてのコーチが,テキストⅠとⅢに掲載されているコミュニケーションスキルについて知るべきである.テキストⅠに,コミュニケーションスキルに関する記述のすべてを掲載することで,スポーツコーチングでのコミュニケーションスキルの位置づけが明確になる. 筆者は,コミュニケーションスキルの技能を持たない.しかし,コーチングの本質を説明していく中で,コーチとプレイヤーとの関係が,受講生にも少しずつ見えてくる.コーチングの多くの事例を知ることで,受講生が実践の難しさを感じることも重要なことだと考えている. 本講義の主な内容は,つぎの通りである. ・ 公認スポーツ指導者資格の免除科目申請に伴う内容について(知識).

 ・ コーチングの歴史と本質(指導との相異)について(知識)

 ・ 日本におけるスポーツコーチングの課題について(知識)

 ・コミュニケーションについて(知識,態度) ・視点を変えた考え方について(態度) 以上,本講義の内容とその組み立てのコンセプトについて述べてきた. 従来,スポーツコーチはスポーツ諸科学を理解し,その知識を反映させたコーチングを行う義務があるとしてきた.今もその通りである.そのために,公認スポーツ指導者制度があり,指導者養成講習会も充実している.不足しているものは,「人との接し方」についての学びだけである(図 2参照).

おわりに

 体育・スポーツ科学に携わる者にとって,すでに周知のことを繰り返した.これまでのスポーツコーチングについての課題を解決する方向性は,筆者を含め,常にアカデミズムへというステレオタイプであった.そして,コーチが学ぶべきとされる内容は,整理されないまま増大・深化してきたが,課題解決には至っていない.これらの増大・深化してきた知見を整理する必要を感じ,本報告のテーマを「コーチング論」の最適化とした.コーチが学び,知識を充実させることを否定しているのではない.知識をどのように実践に生かすかという議論である. かつて,日本体力医学会大会において,多くの研究

図2 プレイヤーとの接し方の模式図(播磨,2006,筆者改変)

図 1 コーチング��の��に�る学�(理論の�)の��

(「リスクマネジメント」にはスポーツ外傷・障害の予防が,「スポーツ技術の見方と考え

方」には,技術体系が含まれる)

図 2 プレイヤーとの��方の��図(��,2006,����)

リスクマネジメント コミュニケーション

発育発達

スポーツ技術の

見方と考え方

トレーニング理論

スポーツ科学の

他の諸領域

応用・発展

基礎 コーチングの本質

コーチング(��力)

プレイヤー

コーチ

ペーシング

����る力

質問力

コメント力

人間力

理解力と分析力

���れる力

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70 Doshisha Journal of Health & Sports Science

者たちによって熱中症の症例や発症のメカニズムについての報告がなされた.熱中症予防のように,研究者がその成果を直接国民に還元する場合は,一般にも理解しやすいように具体的指標などが列挙される.発症の生理的メカニズムの理解は最優先ではない.それでも熱中症について多くの人々が知るまでに 5年ほど(発症が主に盛夏のことであるから,実時間はより短い)を要した. 同じようにコーチングにおいても,コーチを目指す者や,すでにコーチの立場にある者に対して,コーチングの本質を理解できるシンプルな(単に知識の分量を少なくするということではない)コーチ教育が必要であると考える.端的な言い方をすると,筆者は,スポーツ科学に精通していることが,体罰などの防止を担保するとは考えていない.ある識者が体罰問題の防止について,クラブ活動の顧問に保健体育教員が多いことから,「体育教師ではなく,保健体育教員である」(朝日新聞朝刊,2013/9/14)ことを強調していた.体育教師だからスポーツだけに関わり,保健体育教員だからプラスアルファの知識と分別を有するという意に解した.他の教科の教員にも体罰は見られる.筆者は,身分,職業,そして知識の多寡よりもミッションを理解し,明確なコーチングフィロソフィーを持つことの方が優先すると考えている.ただ,日本においては,コーチへのミッションと評価の整合性が欠落していることが非常に多いため,コーチは異質の負荷を背負っていることも,大きな課題として残る.現実の課題はともかく,本講義におけるコーチングフィロソフィーは,新島のことばの「人ひとりは大切なり」である. もうひとつ確認しておくことがある.本報告の内容のコーチングでは「甘い」ので,競技スポーツの熾烈なチャンピオンシップ争いには通用しない,という声が聞こえそうである.筆者は,プレイヤーの自治自立をスポーツの第一義としている.グローバルな活躍をしている日本人アスリートの,記者会見などでの発言には知性を感じる.なぜならば,自分自身のことばによる思考(厳しいゲームや練習での工夫)の習慣があるからである.そして,自治自立による課題解決の経験に,誇りを持っている語りだからである.コーチングには,プレイヤー自身の課題とコーチの課題とを峻別して,他者の課題を抱え込まない厳しさがある.決して「甘さ」が介入する余地はない. 最後に,スポーツコーチングを,よく知られている新島の遺言の一節に照らして終わる.スポーツコーチが,自分自身よりも高い技能に達する可能性のあるプレイヤーに,自分の考え,方法,そして判断を押し付け,さらにプレイヤーの課題を抱えることは,プレイヤーの無限の才能の芽を摘み取る行為である.

 「倜儻不羈なる書生ヲ圧束せす」

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