コーチングのジレンマ - keio university2014/02/04  · the dilemma of coaching creating...

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特集 「スポーツ」の多様性を探る 58 本論文ではスポーツにおけるコーチングについて、選手およびコーチが抱 える複雑な心理的葛藤(ジレンマ)を考慮し、偶発的要素のあるゲームのなか で勝利するためのチームのルールづくりについて検討することを目的とした。 選手間および選手と指導者間の心理的葛藤(ジレンマ)は、ゲーム理論の囚 人のジレンマを援用して定式化することが可能であり、複雑な人間関係を整 理し考慮したコーチングが可能となる。さらにコーチの権限が強く働くフォー マルルールと選手の相互作用からもたらされるインフォーマルルールを意図 的に使い分けてチーム内のルールを作ることが大切である。 ジレンマ、ゲーム理論、コーチング、ARAPモデル コーチングのジレンマ 勝利に向けたルールづくり The Dilemma of Coaching Creating Rules for Victory 東海林 祐子 慶應義塾大学総合政策学部専任講師 Yuko Tokairin Assistant Professor, Faculty of Policy Management, Keio University 金子 郁容 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授 Ikuyo Kaneko Professor, Graduate School of Media and Governance, Keio University The topic of this thesis is coaching in sports. Its purpose is to study the making of rules for a team in order to win in games that have contingent factors by considering the dilemmas that coaches and athletes face. Dilemmas between athletes or between athletes and coaches can be formulated by using the Prisoner’s Dilemma of game theory. This can help in developing coaching that effectively takes into consideration the management of complex human relationships. In creating the internal rules within a team it is important to differentiate between the formal rules that reinforce the coach’s authority and the informal rules created through interaction between athletes. [招待論文] Abstract: Keywords:

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Page 1: コーチングのジレンマ - Keio University2014/02/04  · The Dilemma of Coaching Creating Rules for Victory 東海林 祐子 慶應義塾大学総合政策学部専任講師

特集 「スポーツ」の多様性を探る

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 本論文ではスポーツにおけるコーチングについて、選手およびコーチが抱える複雑な心理的葛藤(ジレンマ)を考慮し、偶発的要素のあるゲームのなかで勝利するためのチームのルールづくりについて検討することを目的とした。選手間および選手と指導者間の心理的葛藤(ジレンマ)は、ゲーム理論の囚人のジレンマを援用して定式化することが可能であり、複雑な人間関係を整理し考慮したコーチングが可能となる。さらにコーチの権限が強く働くフォーマルルールと選手の相互作用からもたらされるインフォーマルルールを意図的に使い分けてチーム内のルールを作ることが大切である。

ジレンマ、ゲーム理論、コーチング、ARAP モデル

コーチングのジレンマ勝利に向けたルールづくりThe Dilemma of CoachingCreating Rules for Victory

東海林 祐子 慶應義塾大学総合政策学部専任講師Yuko TokairinAssistant Professor, Faculty of Policy Management, Keio University

金子 郁容 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授Ikuyo KanekoProfessor, Graduate School of Media and Governance, Keio University

  The topic of this thesis is coaching in sports. Its purpose is to study the making of rules for a team in order to win in games that have contingent factors by considering the dilemmas that coaches and athletes face. Dilemmas between athletes or between athletes and coaches can be formulated by using the Prisoner’s Dilemma of game theory. This can help in developing coaching that effectively takes into consideration the management of complex human relationships. In creating the internal rules within a team it is important to differentiate between the formal rules that reinforce the coach’s authority and the informal rules created through interaction between athletes.

[招待論文]

Abstract:

Keywords:

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コーチングのジレンマ

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【スポーツと科学】

1 偶発的要素の多いスポーツの魅力と操作困難な選手の心理面本論文ではスポーツにおけるコーチングについて、選手およびコーチが抱

える複雑な心理的葛藤(ジレンマ)を考慮し、偶発的要素のあるゲームのなか

で勝利するためのチームのルールづくりについて検討することを目的とした。

多木(1995)はスポーツにおけるゲームとルールの関係を次のように示した。

「ゲームの遂行(パフォーマンス)は多様である。われわれが興味深く感じる

のは、スポーツのゲームは偶発的な要素を多分に含み、こちらの意図どおり

にはならない相手の存在との関係がそこにあるからである」。さらに、「スポ

ーツが現象するのはルールとしてではなく、ゲームとしてであり、ゲームに

はゲームとしての不確かさ、ないしは未知の要素がある。人間の活動はすべ

てゲームとみなすことができるが、ゲームの創造性は、その遂行に依存して

いる」としている。多様性のあるスポーツの現象とはまさにこうした未知の

要素が含まれることから、ゲームをどのように戦えば勝利に近づくのかはス

ポーツコーチの最大の関心事であろう。スポーツのコーチングに携わるもの

はこうした未知の領域に対しチャレンジし、成功や失敗の経験を積み、学習

を重ね、勝利に向けて進歩しようとするが、スポーツのコーチングではどう

いう着眼点を持ってコーチングするべきであろうか。

内山(2007)は、「スポーツのコーチングは指導の場面において、一方的に

知識を教え込むのではなく、ともに考え相手の可能性を引き出したり、目標

やテーマを設定しそれを実現する過程で、選手と指導者が会話を重ね、その

双方向のコミュニケーションを通じて課題を解決していくこと」としている。

また、石原・諏訪(2011)、諏訪・西山(2009)は「コーチングとは単に教え

ることではなく、学び手を取り巻く環境を「デザイン」して学びを促すこと」

であるとしている。いずれにしてもコーチは選手が自立ないし自律しようと

する姿勢や主体的な営みを支援することが重要である。

東海林・金子(2014)は指導の過程においてコーチの権限を意図的に有効

に活用することが重要であることを指摘し、コーチングを「スポーツ組織に

おけるコーチの権限を意図的に配分し、選手間の協力関係を成立させチーム

をその目標達成に導くこと」と定義した。コーチの権限を意図的に配分する、

つまりチームの状況に応じて、コーチの影響力をどの程度反映させるのかが、

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特集 「スポーツ」の多様性を探る

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コーチの重要な役割の一つである目標達成のためのキーとなることを示した。

スポーツでは勝利やパフォーマンスの向上を目指すコーチの多くは自身の経

験をベースとし、コーチングを蓄積させていく(横山・来田,2009)。そのため、

種目や経験、そのコーチの考え方によって、幾通りものコーチングが存在す

る(ケルン , 1998, pp.92-99; 室伏 , 2005, p.65)。こうしたなかで、偶発的要

素を多く含むゲームのパフォーマンスをより高いものにするためにはゲーム

の不確かさの他に、それを実際にプレイしている選手の不確かさを考慮する

必要がある。そして、コーチの影響力を生かすことができるチームづくりに

ついては、その環境づくりが欠かせない。

次では、まずゲームを遂行する選手およびコーチの不確かさ、特に心理

的葛藤について、ゲーム理論「囚人のジレンマ」モデルを適用して検討する。

さらに、これらの心理的葛藤を考慮したうえで、その葛藤を生み出すチー

ム内の環境づくり、特にチーム内のルールについて検討することを目的と

する。

2 選手の複雑な心理的葛藤をゲーム理論「囚人のジレンマ」で定式化する

偶発的要素を含むゲームや選手の不確かさに対し、望ましいコーチングを

実施するためには、その都度、その状況に応じたコーチングが必要不可欠と

なる。スポーツのコーチングには通底した一般理論がないというのもこうし

たことが背景にある(青山 , 2012;朝岡 , 2012)。そのために、コーチになっ

て日が浅い経験のないコーチ、あるいは経験があってもなかなか目標の達成

に届かないコーチは、試行錯誤のコーチングを長く積むこととなる。コーチ

ングの善し悪しを判断し、客観的なアドバイスをくれる人物がいれば別であ

るが、そうでない場合は、試行錯誤に費やす時間が長くなり迷う時間が多く

なることが考えられる(東海林 , 2013, pp.34-40)。ゲームでより高いパフォー

マンスを発揮するためには、相手の技術レベルや戦術のほかに天候や場所な

どゲームを司る環境などの偶発的要素が多くあると考えられるが、さらには

選手の心理的葛藤を考慮する必要がある。選手の心理的葛藤は複雑で表面上

は見えにくいために、そうした心理的葛藤を持つ選手の心理面の操作に苦労

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【スポーツと科学】

するコーチは多いと考えられる。

東海林・金子(2014);東海林(2013, pp.20-32)は、スポーツのチーム組

織における選手間の協力関係を阻害する心理的な“ジレンマ”注 1)に着目し、

コーチングの理論化に向けた試論を提示した。スポーツ組織では選手と選手

が協力しあって目標に向かうことが必然的に求められる。しかしながら、試

合に出場できるメンバーには限りがあるために、選手間での競争は避けて通

ることのできないこととなる。お互いに切磋琢磨しながらも試合に出場でき

るメンバーとそうでないメンバーがでてくることから、チームに協力すること

が求められていることに応えたい気持ちと、そうはいっても自分が出場した

い気持ちの間で“揺れ”てしまい、そのような状況をなかなか自分自身で納

得できない選手自身のジレンマやコーチに対するジレンマがあると考えられ

る。久保(1998, p.154)は選手たちの心理的な反作用が無気力なマンネリ化し

た競技活動、チームへの盲目的な従属、与えられた役割への自己同一化など

が生じることを示したが、これは選手がコーチに対して抱えるジレンマがも

たらした結果であると考えられる。スポーツ場面ではどちらもジレンマであ

ることは共通しているが、特に、(i) 選手間で発生するジレンマと (ii) 選手と

指導者の間に起こるジレンマという、発生メカニズムや影響範囲が異なる二

つのタイプのジレンマがあることを指摘した。次では、ゲーム理論「囚人の

ジレンマ」モデルを援用したスポーツの心理的葛藤の枠組みについて解説す

る。

3 ゲーム理論「囚人のジレンマ」モデルを援用したスポーツにおける心理的葛藤(ジレンマ)の枠組み

「囚人のジレンマ」とは、ゲーム理論や経済学における重要概念の一つで「互

いに協調する方が裏切りあうより、良い結果になるとわかっていても、相手

が自身の利益を優先して得をするくらいなら互いに相手を裏切り協力をしな

い」(パットナム , 2001, pp.201-202)というようなジレンマを指す注 2)。

「囚人のジレンマ」モデルとは、簡潔に言うと、次のようなものである(金

子 , 2010 ; 東海林・金子 , 2014)。プレーヤーは何人いてもよいが、ここでは

簡単のため二人のケース(プレーヤー I と II がいるとする)のみを説明する。

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(i) それぞれのプレーヤーは経済学でいう「合理的な行動」をとる、つまり、

自分の利益を最大化することを目的として行動する。

(ii) 典型的なケースでは、ふたりのプレーヤーは(囚人のジレンマにおける

共犯者のように)対等な立場にある。

(iii) 二人のプレーヤーは、それぞれ、「C: 協力」と「D: 裏切り」の二つの「手」

をもっており、相手がどちらの手を選択するかわからずに、それぞれ、

どちらかの手を選択する。

(iv) それぞれが手を選択することで表1の「利得マトリックス」で表される「利

得」を得る。利得マトリックスのヨコ方向はプレーヤーⅠの選択肢に、タ

テ方向はプレーヤーⅡの選択肢に、それぞれ対応している。各セルの最

初の数字がプレーヤーⅠの、後のものがプレーヤーⅡの利得を示している。

(v) それぞれのプレーヤーは、相手が C と D という二つの手をもっており

どちらかを選択することは知っており、双方の手の選択の結果として上

記の利得が発生する事を知っている。さらに、それぞれが相手の選択肢

と利得について知っていることを、双方が知っている。

「囚人のジレンマ」モデルの前提条件から、同じ立場である選手間ではその

モデルを適用することが可能であり、モデルに沿って非協力行動の要因を明

らかにできる。以下では、分かりやすくするために、上記の利得行列をもつ

囚人のジレンマモデルを想定して、スポーツコーチングのいくつかの場面に

ついて説明する事にする注 3)。       

3.1 スポーツにおける囚人のジレンマを援用した事例

スポーツ、特にチームスポーツにおいては、選手双方が協力することが求

表1 囚人のジレンマの利得行列

プレーヤーIIC D

プレーヤーIC (3, 3) (-5, 5)D (5, -5) (1, 1)

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【スポーツと科学】

められる状況において、「協力(C)」を選択するのか、「裏切り(D)」を選択

するのかは試合開始までわからないという状況が見られる。例えば、ハンド

ボールのゲームの事例で示すと選手Aと選手B双方が自分のディフェンスだ

けでなく、互いにディフェンスのカバーリングをすることが(お互いに協力

をすることが)失点を未然に防ぎ、チームとしては望ましいことだと頭では

理解していても、いざ試合になってみると選手Aは自分のディフェンスだけ

でなく、選手Bのディフェンスのカバーリングをしたにもかかわらず(選手

Aは協力)、選手Bは自分のディフェンスをまともにせず(選手Bは裏切り)、

ディフェンスで休んで、目立つ攻撃に専念しようして結局失点をされてしま

うという状況がある。この場合、選手Aはせっかく協力したにもかかわらず、

選手Bはディフェンスで休み攻撃に専念するという裏切りのために自分ばか

りが疲れて損をしたことになる。

また、スポーツの後片付けなどでは皆で協力して短時間で終わることが求

められていても、「早く帰りたい、疲れたから」という理由で選手Aだけ後片

付けをせずに早く帰る(裏切り)という状況が見られることがある。こうした

状況においても、選手Bが後片付けを真面目にやっているにもかかわらず(協

力)、後片付けをさぼる選手Aが早く帰るという選択(裏切り)が得した状況

を生み真面目に協力をした選手Bが馬鹿を見てしまうという状況を生むため

に、選手Bも片付けをせずに帰る(裏切る)という選択が合理的となる。こ

のような状況は同じ立場のスポーツの場面では往々にして見られることがあ

り、あらゆる局面で「協力」するのか、「裏切る」のかの選択に迫られること

がある。

3.2 コーチの指示に従わない選手に対するコーチのジレンマ

次にコーチが抱える心理的葛藤(ジレンマ)を紹介する。コーチは選手の

成長を望み目標の達成に向けたコーチングを目指している。しかし、コーチ

がよかれと思ってコーチングしたことに対して、選手が従わない状況がある。

例えば、大事な試合前の練習にもかかわらず、無断で練習を休んだり遅刻し

たりする選手がいる。また、コーチが指示した戦術を無視して、試合では全

く別の戦術をしたりする。また、コーチの指示に対して聞いたふりをしたり、

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特集 「スポーツ」の多様性を探る

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嫌な顔をして指示に従いたくないという態度にでたりすることがある。コー

チはチームの勝利のために一生懸命コーチングするにもかかわらず、選手が

このように「裏切り」の反応を示すことがある。

このようにコーチの指示に選手が従わない状況では、コーチはどのような

心理に陥り、どのような行動や判断をするだろうか。こうしたコーチの心理

面についてはなかなか語られることはない。なぜなら、コーチが自らのそうし

た経験を語ることはコーチとして未熟であることを語ることに他ならないか

らである。そして、それは乗り越えて当然という指導者論としての思い込み

が本人にも周囲にあるだろう(Nakamura, 2001, pp.4-5;久保 , 1998, pp.39-

61)。

東海林・金子(2014)は望ましいコーチングモデルのコーチのプロセスとし

て ARAP モデルを提案した。このモデルでは、コーチが多くのジレンマを抱

えている段階では、「迷いのコーチング」に陥り、「放任のコーチング」と「暴

言のコーチング」を行き来することが示されている。

うまくいかないコーチングに対して、すぐに修正をして選手の要望に応え

るよう働きかけることができるコーチもいれば(ケルン , 1998, pp.144-155)、

選手が従わないことに対してショックや怒りを覚え、放任したり、暴言を吐

いたりするコーチもいるだろう。経験がなければないほど、「迷いのコーチン

グ」に陥ると考えられる。筆者は高校のハンドボール種目の選手をコーチン

グした経験があるが、このような状況のときには、「迷いのコーチング」に陥

り、自分のコーチングに従わない選手の心理を理解できず「好きなようにしろ」

と放任した。選手もそれを敏感にとらえ、自分の行動を変えようとはしない。

両者が進歩なく自分が傷つかないで済む「裏切り」という合理的な選択から

逃れることができない状況に陥るのである(東海林 , 2013, pp.34-40)。そうな

ると勝利に向かう両者の協力関係とは程遠くなる。こうした状況はコーチが

抱えるジレンマではあるが、上記にある「囚人のジレンマ」の前提条件では、

コーチと選手の間ではヒエラルキーがあるためにそのままの形では適用はで

きない。しかしながら、コーチの指示に従わないという選手の行動は「裏切り」

の行動であることから一部適応が可能と言えるだろう。選手だけでなく、コ

ーチも実はジレンマを抱えるという状況を自ら認識することで、望ましいコ

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【スポーツと科学】

ーチングへと近づくと考えるのである。

4 コーチが自己改革する過程で発生する新たなジレンマと コーチングの成長プロセス

東海林・金子(2014)の ARAP モデル(図1)では、「迷いのコーチング①

Ambivalence」から「自己改革期② Reformation of self」を通じて「蓄積期③

Accumulation」、「熟達期④ Proficiency」へ進むことが望ましいコーチングの

プロセスであることを示している。前述したようにコーチング経験が少ない

場合や的確なアドバイスがもらえない時期は放任してしまう「無責任なコー

チング」と選手の考えを聞かずに独裁的にトレーニングを行うよう(ケルン ,

1998, p.153)強制する「強制のコーチング」を行き来することが考えられる。

この状態からジレンマの少ない意図的なコーチング「自発的な協力関係を醸

成するコーチング」と「直接介入のコーチング」を行き来するコーチングへ

向かうためには自己改革が必要である。「迷いのコーチング」から抜け出るき

っかけとしては、例えば「目標が達成できない」、「選手とコミュニケーショ

ンを図ることができない」、「選手がコーチの指示に従わない」など、うまく

いかない状況や選手の裏切りの選択や行動が機会となり「このままではいけ

ない」というコーチの自己改革の決意につながると考えられる。こうしたコ

ーチにとっては葛藤を伴う選手の「裏切り」によって、コーチはこれまでの

自分自身の選択や行動について振り返り、前に進む時期であることが考えら

れるのである(マートン, 2013;武田 , 1997;東海林 , 2011, pp.15-20)。

コーチと選手のヒエラルキーの関係性においては、コーチは選手に「協力」

の選択や行動を促すようなコーチの行動が必要となる。例えば、選手が「コ

ーチの指示に従わない」などという裏切りの行動をした場合に、その原因を

コーチ自身が振り返って究明することが重要である。基本的にヒエラルキー

があるコーチと選手の関係性においてはコーチが選手に歩み寄り、選手の考

えを引き出すことで(内山 , 2007)、双方向のコミュニケーションが可能とな

り、選手が「協力」を選択する可能性が広がると考えられるのである(六川 ,

2009)。しかし、コーチは頭ではそう理解していても、いざ、選手がコーチ

の指示に従わない場合に、ついつい怒鳴ってしまうなど選手の意見を聴かず

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に強制したコーチングになってしまうことがある。そして、その瞬間、自己

改革期にある自らを戒めるとともに、選手が翌日もきちんと練習に臨むのか、

モチベーションが低下して信頼関係が崩れてしまうのではないかと居ても立

ってもいられない状況となる。そして、選手よりも強いヒエラルキーを持つ

コーチであるにもかかわらず、一気に弱い立場となり心理的に選手と同等の

立場になることがある。これが次に抱えるコーチのジレンマである。しかし、

このジレンマは上記のような失敗や成功を積み重ねることで、コーチ自身の

「協力」(コーチが歩み寄って双方向のコミュニケーションを図る)や「裏切り」

(一方的な強制)の行動がどのように選手やゲームのパフォーマンスに影響す

るかを理解していくことにつながるのである。そうした意味においては、ジ

レンマは自らの行動を認識、成長させる一つの目安と言えるであろう。

5 確かなチーム力を発揮するために蓄積させるチーム内の フォーマルルールとインフォーマルルール

これまで見てきたようにより高いパフォーマンスの発揮のためには、チー

ム内における選手間のジレンマだけでなく、コーチ自身のコーチングに潜む

図1 望ましいコーチングに向けたコーチングプロセス(ARAPモデル)

自由放任:大 (権限による強制: 小)

ジレンマ 小

自発的な協力関係を醸成するコーチング

“slowコーチング”

ジレンマ 大

権限による強制:大(自由放任:小)

直接介入コーチング

“quickコーチング”

無責任コーチング

強制(体罰・暴言)コーチング

④熟達期

③蓄積期

初期:迷いのコーチング①

自己改革期②

縦軸:コーチの心理的葛藤横軸:コーチの権限の介入(制約)の程度による スポーツ組織の状態

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コーチングのジレンマ

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【スポーツと科学】

ジレンマも認識することが重要であることを示してきた。ゲーム遂行におけ

る人間の心理状態はまさに不確かさの要素の一つである。ゲーム遂行には何

が起こるかわからない偶発的要素が多くあるうえに、選手やコーチ自身のジ

レンマを操作しながらコーチングする難しさは、コーチングに携わるもので

あれば誰もが経験したことのあるものであろう。

こうした偶発的要素が多くあるスポーツのなかでより高いパフォーマンス

を発揮するためには、一つには先述した操作しづらいジレンマを定式化させ

て、選手間の関係やコーチと選手間の関係を日ごろから客観的に整理して捉

えておくことが重要であろう。それによって、選手やコーチが抱えるジレン

マが明確になり、次のコーチングへの対策が可能となるのである。

次ではどのようなチームづくりを行えば、偶発的要素の多いゲームでより

高いパフォーマンスを発揮できるのかについて検討する。ここでは「囚人の

ジレンマ」による選手間およびコーチと選手間の関係性について認識したの

ちのコーチングについて、チームを構成する選手の相互作用によってどのよ

うなコーチングが可能となるかについて論を進める。

5.1 コーチの影響が強いフォーマルルールと選手の相互作用によって生み出

されるインフォーマルルールの制約

ノース(1994, pp.6-7 ; p.48)は、「制度は人々が考案するフォーマルな制約

と慣習などによるインフォーマルな制約の二つがあり、制度的制約は人々の

相互作用が行われる枠組みである」とした。スポーツ組織においても指導的

立場にあるコーチが、人々の相互作用を形づくるようなルールを意図的に活

用することで、チームを望ましい方向に導くことができるという考え方のフレ

ームワークが必要である。論理的に導かれたフォーマルルールと選手が自発

的に考え行動していくために必要な暗黙的なインフォーマルルールの両方を、

チームの状況によってどのように機能させ、どのように形づくっていくのか

が重要な要素となる。こうしたルールの特性を理解した上で、コーチはコー

チの権限による影響が強く働くフォーマルルールだけでなく、内的に強制力、

ないし、共感力のあるインフォーマルルールの執行(ノース , 1994, pp.53)を

選手間で作ることができるように導く必要がある。

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例えば、スポーツのゲームにはゲームの進行を妨げないよう予め規定され

たルールがある。サッカーのフィールドプレーヤーはボールをスローイン以

外の場面において手で扱うことはルール違反であるし、バスケットボールに

はボールを保持したまま 3 歩以上歩いてはいけないというルールがある。こ

うしたルールは、これまでの歴史のなかで、それぞれのスポーツの愛好者や

スポーツ協会などの組織の「合意」によってつくられ、変化してきたもので

ある。このような「合意」が成立するためには、その前に必ず何らかの提案

や審議が行われているはずである(中村 , 1990, p.100)。ルール違反をすると

罰則があるという合意のもとで選手はプレイをしている。しかし、このよう

に明らかなルール違反は罰則を規定することができても、そうでない暗黙の

ルールというのはゲーム中に数多くありそれは審判の判断に委ねられている。

暗黙のルールはたとえルールに対する合意があっても、それを解釈するチー

ムや選手の水準に左右される。そのために審判の見えないところでルール違

反が行われる場合も見られる。例えばハンドボールであれば、相手がシュー

ト体勢に入ったときに審判に見えないように相手を押したり、ユニフォーム

をつかむなどシューターが不利な状況を作るルール違反がある。審判に見つ

からなければルール違反を犯したほうが得だという「囚人のジレンマ」の作

用も働く。しかし、そういうチームや選手ばかりであればゲームは荒れ放題

で望ましいパフォーマンスは発揮できないであろう。それぞれのチームや選

手は、たとえ、審判の目が届かない場面で罰則が与えられない状況であって

も暗黙のルールとして、ルール違反を犯さないようにしているのである。こ

れは双方の選手やチームが望ましいゲームとより高いパフォーマンスの発揮

のために、インフォーマルルールとして捉え実践している事例である。中村

(1990, pp.79-80)は、ラグビーとアメリカンフットボールの審判の数と判定の

違いについて次のように示している。「例えば、両チーム併せて 30 人がプレ

イするラグビーの審判は一人であるが、22 人がプレイするアメリカンフット

ボールの審判は 7 人である。ラグビーは前方へパスをしてはならないという

ルールがあるが、レフェリーの位置によってはこれを正確に判定しにくいこ

とがあり、レフェリー自身がパスの攻撃の後ろから走っている場合は、錯覚

をすら起こし易い。一方、アメリカンフットボールでは、7 人の審判がプレイ

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コーチングのジレンマ

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【スポーツと科学】

ヤーたちの前後左右に配置され、その役割分担もはっきりしていて、まさに

水も洩らさぬといってよいような体制で判定の正確、迅速、公平を期してい

る」。このようにスポーツによっても審判がフォーマルに判定する範囲が広い

アメリカンフットボールのようなスポーツと、暗黙のインフォーマルルールで

規定される部分が多いラグビーなどのスポーツがある。いずれもそのスポー

ツのルールにおける「合意」がなされ実施されているものであるが、ラグビ

ーなどではインフォーマルルールに関する積極的合意とそのスポーツが持つ

特性を理解しながら、より高いパフォーマンスの発揮を目指すことになる。

このようにゲーム遂行のための競技運営上のフォーマルルールとインフォ

ーマルルールの考え方は、チームづくりにも用いることができる。次では、

チームづくりのためにコーチの権限を行使しながら、どのようにフォーマル

ルールとインフォーマルルールを意識して行使しているのかについての事例

を紹介する。

5.2 実践事例から見たフォーマルルールとインフォーマルルールの区別

一般的にチームが組織として正常に機能するためのルールで言えば、例え

ば、「練習時間に遅刻しない」、「練習に適した服装やシューズを身に着ける」

などの制約はフォーマルルールと考えられる。

Nakamura(2001, pp.185-187)は、「コーチの介在を必要なものとし、若い

選手が社会秩序における責任感を学習する等、さまざまな状況においてコー

チが課す制約を論理的対処とすべきである」と論じている。例えば、ある選

手が無断で練習を休んだら次のゲームに出場できない、門限を破ったら次の

遠征には連れていってもらえない、など状況あるいは行動とコーチが課す制

約は選手が容易に論理的に関連づけられるもの、将来的な問題解決策として、

明確に行動と関連づけられたものでなければならないとし、また、選手が原

因と制約との関係に気づくことが大切なことであるとした。そのことによっ

て選手は自分がコーチから何を期待されているのかを知り、ルールに従わな

かったことで招いた制約から学習するのであり、その意味が明確な論理的対

処は「罰」ではないとしている(片山 , 2013;森川ほか, 2013)。

こうしたコーチの権限が強く働く制約はフォーマルルールとして解釈され

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るであろう。また、その他に選手の相互作用から生み出される慣習は、イ

ンフォーマルルールとしてチーム作りには欠かせないルールとなると考えら

れる。

東海林(2011, pp.133-134)の調査によると、K大学の陸上部(駅伝部)で

は「掃除委員会」や「ストレッチ委員会」、「教養委員会」などより強いチー

ムになるために様々な役割を担う委員会を作っている。選手は興味のある委

員会に所属し、実践とミーティングを重ね自分たちの役割についてそれを部

内で発表する場を作っている。こうした委員会の編成はコーチが指示したも

のではなく、選手たちがより強いチームになるために発案し実践している事

例だという。「掃除委員会」や「教養委員会」などのように一見、競技力向上

に直結しないような取り組みであっても、勝利という目標に向けて選手相互

の協力関係を生み出すインフォーマルルールが徐々に作られると考えられる。

コーチ陣はこうした選手相互の発案や役割、協力関係を記事にして公表する

など、それらの取り組みが円滑に進むようサポートしている。

その他、選手の相互作用から生み出されるインフォーマルルールは、チー

ムによって様々な形態があると考えられるが、例えば、選手はコーチに指摘

されなくとも自ら率先して不足している技術を磨くために仲間を誘って居残

って練習したり、相手との会話が円滑になるようすがすがしい挨拶を心がけ

たりするなど仲間に影響を与える行動が見られる(東海林 , 2009;東海林 ,

2011, p.77)。また、自分自身やチームの技術課題を次に生かすためにチーム

メイトを誘い、ビデオ分析を実施したりミーティングを開いて指導者とも積

極的かつ建設的に会話ができる(山田・諏訪 , 2008)。技術以外の場面では、

例えば、スリッパを並べる、練習会場の来客には気づいた選手が大きな声で

挨拶をする、椅子やお茶を用意するなどが自然とできるよう促すことができ

る(アスリートのためのライフスキル研究会 , 2007)。また練習では選手の意

欲を引き出すために、模範となる卒業生に協力してもらい現役選手とともに

練習に励むしかけを作ることができる(東海林 , 2007;東海林 , 2010)。また、

選手たちがコーチとなって、子供向けのスポーツ教室を企画、運営し、考え

たコーチングの実践ができる場所を提供できる。こうした行動は、初めはコ

ーチに指示されての行動であっても、選手たちが強くなる集団を目指すため

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コーチングのジレンマ

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【スポーツと科学】

にその意味を考え、行動するなど必要なインフォーマルルールとして徐々に

チーム内に根付いていくのである。その際には前述したK大学の駅伝部のコ

ーチ陣のように、選手の主体的な行動を承認し、その意味や価値を選手に気

づかせるしかけが必要であろう。そして選手それぞれの行動が、チーム内の

他の選手にも影響を与え、自分自身の振る舞いに対して、自分で内的な強制

力(ノース,1994, p.53)を作っていくことができるようになると考えられ、

それはコーチがダイレクトに選手に指示をしなくとも選手間の相互作用によ

って生み出されるものである。それは選手がコーチの手を離れた場所であっ

てもつながりの強い選手間の協力関係のなかで、自分の考えで自分が向上す

るための関係づくりを目指すための自立あるいは自律した営みとなる。

こうしたコーチの権限が強いフォーマルルールと選手間の相互作用によっ

て生み出されるインフォーマルルールが醸成される環境をコーチが意図的に

働きかけ作っていくことが必要である。偶発的要素が多いゲームのなかで、

いかに選手が相互に協力し合う仕組みを作るかは、チーム内にこうしたフォ

ーマルルールとインフォーマルルールを醸成していく環境を作ることではな

いかと考えられる。

ノースは(1994, p.7 ; p.53)、「制度的制約は人々の相互作用が行われる枠

組みである。それはチーム競技のゲームのルールに完全に対応している」と

し、描写しづらいインフォーマルな制約が広く浸透しているとしている。また、

反復される人間の相互作用を調整するために現れるインフォーマルなルール

について以下の 3 つを示した。

(1)フォーマルなルールの拡張、改良、および修正

(2)社会的に承認された行動規範

(3)内的に強制される行動基準

先述したようにチームによってチームづくりを目指すうえで実行されるフォ

ーマルルールとインフォーマルルールのレベルと解釈には相違がある。それ

はコーチの指導スタイルやそのときどきの選手構成や選手の資質にもよるだ

ろう。チーム関係者や自分たちを応援してくれる人たちに対して挨拶がスム

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ーズにできるなどの行動が、チームのフォーマルルールとして根づいている

チームもあれば、そうでないチームもある。見えづらいインフォーマルルー

ルは積み重なることでフォーマルルールとしてチーム内で改良され、それが

個々人の行動規範になる可能性がある。そして、こうした選手の行動は偶発

的要素の多いゲームのなかでも「協力」することが合理的な行動を生み出す

ことにつながるのではないだろうか。さらにチーム内の選手間やコーチと選

手間の限られた関係だけでなく、チームを取り巻く学校、地域、保護者など様々

な関係者との間でも行われていくと考えられ、拡張していくのではないか。

コーチが意図的に選手に関する情報をチーム関係者と共有し、支援を意

図的に働きかけていくことで、選手間の協力関係が構築されやすい環境が

作られる。そうした環境においては、選手もまたコーチと同様に限られたコ

ーチとの関係だけでなく、様々な関係者との新たな関係づくりを目指すこと

となる。

6  おわりに

本論文ではスポーツにおけるコーチングについて、選手およびコーチが抱

える複雑な心理的葛藤(ジレンマ)を考慮し、偶発的要素のあるゲームのな

かで勝利するためのチームのルールづくりについて検討することを目的と

した。

(1)選手間および選手と指導者間の心理的葛藤(ジレンマ)は、ゲーム理論

の「囚人のジレンマ」を援用して定式化することが可能であり、複雑な

人間関係を考慮し、整理したコーチングが可能となる。

(2)コーチが抱えるジレンマは、望ましいコーチングへ向かうプロセスでは

不可欠となる。「選手がコーチの指示に従わない」という選手の「裏切り」

の選択と行動は、新たなコーチのジレンマとなるが、それはコーチの自

己改革のきっかけとなりうる。

(3)偶発的要素の多いゲームの遂行では、選手間の相互作用を引き出すイン

フォーマルルールの制約をどのように形づくっていくかが重要なキーと

なる。コーチは、コーチの権限が強く働くフォーマルルールと選手の相

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【スポーツと科学】

互作用からもたらされるインフォーマルルールを意図的に使い分けてチ

ーム内のルールを作っていくことが大切である。またこれらのルールの

制約を選手が形づくっていく過程では、選手がその意味や価値に気付く

ことができるようなコーチの意図的なしかけが必要である。

1) 本論文において、“ジレンマ”とは、語源的には論理学における“di-( ふたつの )lemma(補助命題)”のことを指す。本論文では、より一般的に「両立しないふたつの選択に身を曝されている状況、および、そのような状況がもたらす不安や心理的葛藤を指すこととする」。

2) 「ある犯罪の共犯と嫌疑をかけられている二人の囚人が別々の独房に入れられ、各人に対して警察は次のように言う。もし、お前が相手がやったと言い、相手はお前がやったと言わないなら無罪放免だ。もし、お前が相手がやったとは言わず、相手の方がお前がやったというならば、お前は特別厳しい取り扱いを受けるであろう。もし、二人とも相手がやったと言わないなら、二人とも軽い罪で放免されるだろう。だが、二人とも協力して話のつじつまを合わせることができないのなら、相手がどう出ようとも相手を裏切る方が賢明である」(パットナム , 2001)。つまり、双方が協力すればどちらも軽い刑で済むことが分っているのに、“合理的行動”をとることでどちらも裏切り、結果としてどちらもかなり重い刑を受けることになってしまう、というエピソードである。

3) 「囚人のジレンマ」ゲームにおいては、利得の値は大きさの順序のみが意味のあるものであり、絶対値は本質的でない。

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〔受付日 2014. 10. 1〕