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認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察 - 151 - 認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察 英一郎 0.はじめに 小論は、認知言語学的な言語観に賛同する立場から、生成文法(とりわけ「原理 とパラメータ理論」)の言語観に関して批判を加え、言語習得や言語システムに関し て、現実的な科学理論のあり方について述べるものである。 (1) 理論言語学のモデル として、決定論的なタイプの古典的な数理物理学モデルよりも、生物学・認知心理 学的モデルに近い有り方をすることを述べ、言語習得論の現実的なアプローチにつ いても述べる。なお、「原理主義」以前のかつて生成文法の意義として考えられた生 成文法の「成果」も、言語観に関して(形式と意味に関して)相対論的転回をした 上で、ボトムアップ的「用法基盤理論」から捉え直すべきだと考える。 1.言語学の「科学性」 言語学の 1 つの重要な研究目的の支柱としては、「言語を科学的に捉える」ことが よく言われる。しかし、「言語」を「科学する」といった時に、「言語」のどういっ た事象を、どのような意味・方法で「科学する」のかに関しては、分野・理論・学 派によって認識が異なっている。 (2) 「言語」と一言で言っても、音形があり、語彙 論・形態論があり、文法(統語論・語法論など)があり、様々な意味解釈があり、 また、言語習得や言語を産出する脳神経的なシステムというものも「言語科学」の 研究対象として想定できるし、母語や外語の習得、あるいは言語の歴史的・社会的 変化というものも「言語」の研究対象として取り組まれてきている。 「科学的方法」を吟味する前に、科学的対象としての「言語」の捉え方に関して、 少し考えてみる。「言語科学」というとチョムスキーの生成文法を、多くの人が今で も最初に思い浮かべている。しかし、チョムスキー派の人たちが主張しているのは、

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認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察

- 151 -

認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察

塩 谷 英一郎

0.はじめに

小論は、認知言語学的な言語観に賛同する立場から、生成文法(とりわけ「原理

とパラメータ理論」)の言語観に関して批判を加え、言語習得や言語システムに関し

て、現実的な科学理論のあり方について述べるものである。(1) 理論言語学のモデル

として、決定論的なタイプの古典的な数理物理学モデルよりも、生物学・認知心理

学的モデルに近い有り方をすることを述べ、言語習得論の現実的なアプローチにつ

いても述べる。なお、「原理主義」以前のかつて生成文法の意義として考えられた生

成文法の「成果」も、言語観に関して(形式と意味に関して)相対論的転回をした

上で、ボトムアップ的「用法基盤理論」から捉え直すべきだと考える。

1.言語学の「科学性」

言語学の 1 つの重要な研究目的の支柱としては、「言語を科学的に捉える」ことが

よく言われる。しかし、「言語」を「科学する」といった時に、「言語」のどういっ

た事象を、どのような意味・方法で「科学する」のかに関しては、分野・理論・学

派によって認識が異なっている。(2) 「言語」と一言で言っても、音形があり、語彙

論・形態論があり、文法(統語論・語法論など)があり、様々な意味解釈があり、

また、言語習得や言語を産出する脳神経的なシステムというものも「言語科学」の

研究対象として想定できるし、母語や外語の習得、あるいは言語の歴史的・社会的

変化というものも「言語」の研究対象として取り組まれてきている。

「科学的方法」を吟味する前に、科学的対象としての「言語」の捉え方に関して、

少し考えてみる。「言語科学」というとチョムスキーの生成文法を、多くの人が今で

も最初に思い浮かべている。しかし、チョムスキー派の人たちが主張しているのは、

認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察

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抽象的(で生得的 [?] で普遍的な)「内的言語(Ⅰ言語)システム」になるのだが、

その考え方を無批判に前提すべきかどうかから考える必要がある。(3) 問題点は多岐

にわたるが、まずは「言語の科学的理解の手順・方法論」「言語習得の動的で様々な

現実に合った理論の立て方」「現代科学論の中の位置づけ」といったことが、まず問

われるべきであろう。

生成文法の理論設定を支えると思われてきた根拠の 1 つの大きな柱は、「各人が、

教わった文に限られない文を、生後数年後には、限られた外的刺激(いわゆるチョ

ムスキーのいう「刺激の貧困」)だけから、それとは比較にならないほど多くの文を

産出できるようになる」という「観測事実」から、「(理論上は)無限の文を作り出

す有限の規則の存在」そして「刺激の貧困」ゆえに「文を作るそれらのシステムは

他の意味理解や認知機構とは異なった『生得的な装置』である」、というふうなもの

で、そのために「語句とは先験的に独立して、多少の経験で語順とかをパラメータ

設定できるような、自存的統語システムが存在して、統語論(生成文法家にとって

の「文法」)はその少数原理を解明することだ」というふうにまとめられるものであっ

た。

2 つ前の段落で示した 3 つの問いから、このようなチョムスキーの生成文法の検

討すべき問題点を、いくつか挙げることができる。(4)

まず、「言語を科学的対象として考えるに際しての認識の手順」と「言語習得の動

的で様々な現実に合った理論の立て方」を連動するものとしてまとめて考えてみる。

簡明すぎるモデルとしては、初歩のコンピュータ科学とのアナロジーで、既成の内

的な文構成システムと、入力としての語彙と出力としての具体的言語表現(チョム

スキーの言う E 言語)という分け方は、一見、鵜呑みにされやすい。しかし、「言

語習得の動的で様々な現実に合った理論の立て方」という点から生成文法の仮説の

問題点を考えてみると、コンピュータが、ハードウェアの回路の設計、ソフトウェ

アに関しては、2 値論理を出発点にして長年の数多くの様々なプログラムによって

作られてきたのに対し、言語の場合、幼児が言語を習得する上で、耳に入ってくる

実際の言語の中からその指示対象や中心的な意味を把握する上で、帰納法的に判断・

理解する手順も必要であるし、言語表現の意味と結びつける基となる認知内容やそ

の認知内容を形成する言語以前的な認知システムも必要であろうし、言葉の指示内

容を同定する上で、話者との「視点の共有」といった言葉の使い手の立場やコミュ

ニケーションの成立の前提という要因も欠かせない。他方、内的文構成システムが

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あるとしても、脳内回路のどこまでが生得的か(たとえば、そもそも物事を認識す

ることに先立って、かつ独立してシータ(意味役割)位置や格付与位置がシステム

で用意されている)とか、各言語ごとに形も適用範囲も異なるような様々な構文を

ごく少数の原理とパラメターで機械的に産出できるのかといった様々な疑問が生じ

る。(5) チョムスキーの生成文法が、計算規則にかからないことをどんどん語彙辞書

という押入れに回して、恣意的に、少数の原理を限られた英語文中心の文分析から

エッセンスと思われるものを少数選び、「先験的」システムである、と唱えている(ラ

ネカーは、このようなチョムスキー流の 2 分法を、「ルール/リストの誤謬」と名づ

けた)が、その「原理」を理論で守るために、言語処理上、現実に起こっていると

は思えないような奇妙な句構造と「移動」(あるいは痕跡指標計算)を最近の生成文

法は扱っている。(6) 一方、生成文法の大前提に対する疑問から新たな考え方として

登場した認知言語学では、言語習得における(幼児にとっては無意識的ではあって

も)「経験とカテゴリー化処理の学習」、「認知内容と(母語などの)学習言語のパター

ンとの対応付け」、そして脳科学的に見ても、品詞やその配列を、先験的である必要

は無く、経験処理できると考えることによって、チョムスキー流の先験的合理論も、

またチョムスキーが論駁した単純経験集積論とも異なる共同主体的経験基盤構成主

義(脳科学のレベルではコネクショニズム)的な考え方で、言語習得も説明できる

ものと考える。(7) したがって、認知言語学では、生成文法の諸原理のような、余り

に恣意的な原理を無理に想定せず、文の構成に見られる、たとえば主語の中心性、

影響の強さと連動する他動性や使役性の様々なパターンと文型との関連づけ、日本

語の助詞も含め、様々な言語の前置詞や後置詞の個別言語ごとに用法に広がりに差

のある使い分け知識の習得、認識者の態度表明としてのモダリティーなどの具体的

な(学習のための経済性の点である程度まとまりをつけながらも多岐にわたる)「用

法基盤文法」を文構成習得の中心に考える。生成文法家がデフォルトとして生得的

原理に入れてしまいがちな例に関しても、習得の過程で一般化する上で妨げの少な

かったものと考えることができる。生成文法家が(還元主義が成功するという保証

も無いまま)少数原理追究に「骨身を削っている」のに対し、認知言語学は、文法

に反映される認識のパターンを洗い出しては個別言語ごとの拡張用法を位置付ける

という具体的なアプローチをとる。したがって、認知言語学こそ、文構成を論ずる

上で、中核から扱っていけるのである。(8)

このように、認知言語学は、具体的な言語の用法のダイナミックな関連づけ・体

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系化から言語にアプローチする。言語の使い手として「言語」という現象を意識す

る場合、音と(語彙・文の)意味の連関、綴りと音と意味の連関、文字通りの意味

と意図された意味(文脈的解釈、コノテーションなど)、さらに学びが進めば、母語

と外語の類似性と違い、言語表現の社会的・歴史的流れ、さらに学究が進めば、他

の分野・科学の知見との関連で、言語現象に関する様々なレベルでの「何故」の問

に対する、より難しい様々な学問的仮説を想定していくことができる。たとえば、

語彙論の場合、類語の比較対照から始めることもあれば、特定の語の多義の広がり

方を分析する方法もあれば、形態論からアプローチすることもあれば、また、語法

や、どのような文型で使われるかからアプローチする仕方もあるが、いずれにして

も、今現在の代表的な語義や用法を単に羅列するだけではなく、通時的に、語彙の

様々な分類に基づいての履歴と、組み合わせに伴う意味の変遷の記述をした上で、

その中に見られる法則や傾向性も言語の理解の上で重要な一面になる。語用論の場

合も、個別の表現に対する隠された意味のパターンを集積しながら、何らかの規則

性を探っていくやり方が 1 つの有力な方法として考えられる。(9) これらと同じよう

に、文の仕組みを考えるにしても、個別言語ごとに品詞を定義づけ、語法から構文

から慣用句に至るまで、ボトムアップ的にカテゴリー化するところから考えてこそ、

様々な表現形式の基を広く追究できる。品詞や用法の分類の意味根拠や動機を問う

てこそ、様々な文形式や「文の構成法」に関する説明を得ることができるようにな

る。また、「なぜ文を発するか」の大元として、「人に意思を伝える」というコミュ

ニケーション的動機を無視することはできない。なぜ様々な助動詞を使い分けるか、

といったことも、コミュニケーションを含んだ認知的アプローチによってこそ説明

がつくものであり、「生得的に『助動詞句』という句構造が自律的に生成するシステ

ムになっている」では科学的説明にならない。このように、「認知的アプローチ」は、

単に一個人の認知システムの大脳生理学的な解明にとどまらず、語彙や文型の認知

的な根拠、認知しやすい物事の表現からもっと複雑な認知内容の表現への用法拡張

の手順、さらにその根拠として、話者の発話の意味を読み取る能力(基本的な面で

も、視点の共有から始まって、発話が相手に与える作用や立場の置き換えの認識)

までを視野に入れて様々な言語表現の基になる知識の体系づけを考えるやり方であ

る。

言語学の 1 つの難問としては、同じ表現型に対して、意味的な広がりがある、と言

うことがある。表現型と意味が 1 対 1 に対応していないのだから両者は独立してい

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ると考えるのは短絡的であろう。認知図式がある表現型を作り出し、話者の知識の

広がりと共に、同じ表現型が様々な用法に拡張されて意味的な広がりができるとい

う考え方が充分可能だからである。語彙も文法も、辞書や文法書を見れば分かるよ

うに、用法に広がりが出るほうが普通であり、「言語は認知や意味づけに基づいて用

法を拡張して広がっていく」という言語観こそ自然であり、「認知的動機づけ」から

文の仕組みを探る方法が有力な考え方として認められる。認知言語学がこのような

「認知的動機づけ」を探る言語学であるのに対し、対立する生成文法のほうは、表現

型を意味から離して抽象数学的な文構成メカニズムを探ることを目的として始まっ

た。そのため、生成文法が「解明」しようとしてきた「統語論」は、「意味」や他の

認知機構と全く独立した道具立てで文構成の仕組みを説明しようと半世紀近く苦闘

を重ねてきて、まだその目的を達成できているようには見えない。

まとめて言うと、まず、「言語を科学的対象として考えるに際しての認識の手順」

としては、具体的な言語現象をきちんと説明するには、説明の基として、認知図式

や意味的動機というものを中核に据えて、言語現象のカテゴリー化の収束と用法の

応用に伴う拡散を動的・具体的に説明することが重要である。次に、「言語習得の動

的で様々な現実に合った理論の立て方」という点から考えると、生得装置としては、

認知内容を文という時間系列のものにまとまるための処理回路や文の中核に修飾表

現を挿入したり複文を作り出したりするオートマトンのような神経回路は備わって

いる(チョムスキーの生成文法の最近のパラダイムであるミニマリストの目標は有

り得ないような句構造を想定するような今の分析方法を根本的に改善することがで

きるということを最低限でも必要な条件として、結局はそのシステムの算術を見い

だすことにあるのかもしれない)とはいえ、具体的な文型が学習され、発展的に使

用されることを説明できるのは認知言語学であって、ミニマリズム生成文法の説明

可能な話ではない。

次に、科学論一般との関係で考えてみたい。科学モデルとしては、自然科学、人

文科学、社会科学それぞれとつながりを考えることができる。たとえば、社会言語

学や歴史言語学は、社会学や歴史学の一部と重なっているのに対し、音声学は極め

て物理学的である。これらの中間にあって、「言語そのもの」として中核にあるもの

としての語彙論、文法論、意味論などは、人間の認知・認識との関連でより一層の

追究がいろいろと考えられ、人文科学、中でも心理学や認知科学とのつながりが深

いものと考えられる。

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中でも、理論言語学の 1 つのテーマとして、「人は、どうして、様々な文を、創

造的に作り出すことができるのか」という問いが、半世紀近くも多くの理論言語学

者の関心を引いてきた。ただし、注意しなくてはいけないのは、この「文構成メカ

ニズム」への問いに対し、どのような前提・視野・仮説・道具立てによって説明で

きるのか、に関して、学派によって見解が根本的に異なっており、理論の歴史や研

究者の数が多いからといって、その学派の考え方や前提が無反省的に正しいとは言

えない、ということである。科学史を紐解けば、ニュートン力学の方がアリストテ

レスの力学よりはるかに広範囲の力学現象を体系的に説明できるし、現代化学が解

明した様々な知見と比べて錬金術はほとんど有効性が認められない。一方で、現代

進化論は、ダーウィンの説が何から何まで正しいと思っている研究者は今では少数

だろうし、心理学に至っては、「何でもフロイトが正しい」という人はいないし、一

方で古典的な行動主義を鵜呑みにする人もいない。実際、認知科学や認知心理学の

現在としても、丸野編著 1998、海保・加藤編 1999、行場・箱田編 2000 等にも見ら

れるように、動的で相互作用的なパラダイムが静的・生得的なパラダイムに対抗し

凌駕する考え方として有力になってきている。理論言語学の場合も、たとえば、言

語習得の際に、「子供は耳から入ってきた表現よりはるかに多くの文表現を表現でき

るようになる」という事実から「だから文構成能力は先験的な原則と経験的な少数

の変数から説明できる」というような、従来では生成文法の導入の話として簡単に

述べられてきた事柄も、鵜呑みにすることなく、じっくり視野を広くもって批判的

に検討することが必要である。

諸科学からの教訓は多岐にわたるが、科学のタイプという観点からいくつか挙げ

る。ひとつには、「決定論的」か「非決定論的」か、という問題がある。両極として、

一方で数理物理的な方程式科学の世界があり、もう一方の極には、「意思の主体」の

代表として人間が認知している人間に関する様々な環境や身体物理的制約を考える、

「決定論的」ではない科学の世界がある。ただし、注意しなければならないのは、無

機物の科学は決定論的で有機物の科学は非決定論、と単純に二分することはできな

いということである。物理現象にしても、どこにどのような物質が多く分布してい

るか、とか、個々の原子が特定の時間の後には他のどの原子と遭遇してどのように

なっているか、といったことは、科学者が予想していなかったような他の様々な物

質や物理的動因の干渉を受けないような秩序(たとえば実験室や精密機械など)の

中でなければ、先々まで全てを予知することはできないし、他方、有機体の場合、

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まとまった有機体に関してかなりの程度共通の変化のプロセスを見つけ出すことに

よって、有機体に関する「100%決定論的ではない因果関係」の科学を見いだすこと

は、特に生物学・心理学・社会科学などで、なされてきた。ただし、やはり、とり

わけ有機体の場合、構成要素が様々な偶然的な出会いを経て、それまでの要素の属

性だけからは考えられないような物体や振る舞い・現象・属性を創発(emerge)さ

せるという面を切り捨てることは出来ない。そのような複雑な事象を科学的に扱う

となれば、「有機体の属性」と「干渉してくる外的要因」との相互干渉として蓋然的・

統計的な動的システムとして科学的に述べる必要が出てくるであろう。もちろん、

「有機体の属性」の 1 つとして、「それ自体が自然の状態であれば内在するシステム

によって自然に起きうる変化」というものを想定することは可能であるが、非決定

論的な事象に関する学問であればあるほど、「内在する必然性」を立証することは難

しい(数学・物理学を中核とする近代科学の著しい成果を考えると「内在的必然性」

を解明しようという動機を持つ人が多く出ることは、人間学としてみれば、「決定論

的科学観」自体が学問史的一環境による非決定論的な「動機づけ」に基づくものと

して、学問史上の 1 つの現象と考えられるが、「内在的必然性」を解明しなければな

らないという必然性があるのかどうか、から考える必要はあろう)。生物学の場合で

あれば、DNA が生物の様々な形態をどこまで決定づけるかという問題があり、体の

成分や細胞の組織化は、寸法その他個体間の微妙な差をいくつも持ちながらも物理

的条件の多くを決めてはいるが、寸法、活力、振舞い、と個体差はあるし、人間に

近い生き物ほど、人間はその個体差を無視できなくなる。言語の場合、調音・聴き

取り能力でも個体差はあるが、音の体系自体は、(卑近なところでは日本語母語話者

の L と R の区別をはじめ)経験を積めばかなり多くを共通認識として持てる能力が

ある(聾唖者の場合も手話で音形の差異を認識できるという広い意味で)と考えら

れる。大人が多くを文で表すことのできる「事態」認識の場合、ゲシュタルト的「ま

とまり」(bounded objects、名詞表現の大基)、とりわけ(「人間的」な刺激を与えて

くれる養育者などの)人間から始まって、目などの感覚器官に入る刺激対象や動い

ているもの一般(trajector)、次には動いているものとの関わりとして認識される新

たな「まとまり」(landmark)、動きや変化(動詞表現の元)、そして動きや変化に何

が関与しているか、さらに知覚内容の無意識的処理の成果としての因果関係の認知

(他動詞や使役構文などの前梯)、どの言語でも言語化されているような体感や物事

の性状のカテゴリー化(多くの言語で形容詞として言語化される)、などは精密有機

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体としての人間に(人間以前の長い進化を経て)かなりの程度備わっていると言う

事はできよう。一方で、これらの認識内容を同じ種の間で言語音でもって伝えられ

るように調音が進化し、そしてまた、どのようにして主部と述部を表現することを

獲得したのか、という進化論的な問いはそう簡単に答が出せるものではないと思わ

れるが、現実の現代人各人の言語習得に当たっては、名詞・動詞のような文法範疇

も、それらを(必要があれば機能語を介して)結びつけて構文パターンを獲得する

ことも、個別言語ごとに具体的に認知との関連で「非決定論」的に説明する方法の

現実性が認められてきたものと言える。(10)

脳科学の知見との照合も考えたいところではあるが、失語症の研究も、言語処理

に関して多少の枠組を提供こそしてきたものの、どのように脳神経の回路が機能し

ているかに関しては解明はまだ先は長いようである。よく知られていることは、ブ

ローカ領域に損傷があると、物事の認知はそれほどひどくないが文を組み立てにく

い、一方、ウェルニッケ領域に損傷があると文はいくらでも出てくるが意味不明で

あるという。もちろん、失語症はこの 2 つだけではなく実に様々な脳の部位が絡ん

でいるが、先の 2 つにプラスして失文法の 3 つに絞るとしても、これらの部位の役

割分担は、別に認知パラダイムにとって問題にはならない。ウェルニッケ領域では、

いわゆる「自立語」の意味づけのネットワークが考えられ、ウェルニッケ失語の場

合、統語的システムができたというのではなく、音形のパターンだけ記憶し、意味

との関係付けができないものと考えられるのに対し、失文法を引き起こす領域では

それらを「付属語・機能語」を介して並べる作業が行われるものと推察されるが、

その配列の仕方、すなわち助詞・前置詞などの機能語の使い方は用法を高度に抽象

的に認知的カテゴリー化処理する必要があり(たとえば日本語では用法に多様性の

ある「に」は他の機能が安定している助詞よりも習得が遅い)、動詞語尾の変化に関

しても同様に用法を処理する必要があり、したがって認知的であることには変わり

ない。そして、ブローカ失語にしても、語順を決めて音形を結びつけて出力する運

動性機能の障害と考えると、何も先験的統語システムを立てる必要性は無い。(11)

さらに、言語学を「人間科学」の 1 つとして見るには、言語共同体の言語表現の

傾向が個人の言語習得に影響を与えていることを考慮に入れる必要がある(日本語

と英語の間の様々な表現形式の違い、などの各言語間の比較)と同時に、(そういう

意味では「文化論」「文化科学」の基盤候補とも言えるが、他の文化論一般を論じる

上でもおろそかにしてはいけないことであるが)同じ言語の運用者間の共通性と個

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人差との間のせめぎ合いというものも考慮に入れる必要が本来はあるものであろう。

認知言語学は、このような流動性の中にも個別言語の中の認知的基盤と多様性の

両面をとりわけ追究することを考える。(12)

次節では、このような認知言語学の観点から、言語習得に関する現実科学的な見

方をみる。

2.言語習得の現実的な科学

前節で述べてきたように、言語学、とりわけ認知科学として言語習得を論じる際

に、「言語固有の生得システム」という考え方では実際の言語の習得に関してほとん

ど何も説明できないことを見てきた。それでは、実際に、現実に即した言語習得の

科学を展開するには、どのような道具立てを想定すべきか、考えてみたい。(13)

物理的基盤としては、一方に、何よりも「言語そのもの(実際に発音されたり書

かれたりしているもの)」と、それに関する様々な「文法的知識」という明確な観察

事実があり、もう一方の科学的対象としては、言語を生み出す基盤としての認知科

学(脳科学を含む)という理論枠が考えられる。ただし、「認知システム」は、その

肝心な土俵の範囲としては、言語習得をする個人の内部システムに限定されるとい

うよりは、同じ生物種として、しかもほぼ同じ言語を使う仲間を含む社会システム

という視点も含めて考えられるべきであろう。

話を主に「文法」に関して述べる。とはいっても、一方で個別言語の文法体系、

一方で、認知科学の理論的要請としての「抽象的な文法理論」の2つが別個のもの

として生成文法以来考えられてきている。しかも、生成文法では後者を脳内システ

ム(チョムスキーの用語では心的器官)として考えてきている。しかし、前節で述

べたように、個別言語の文法体系を規定するものとして、「脳内文法システム」の果

たす役割は、コネクショニズムの考え方を採用すれば、有ったとしても極めて小さ

いものと言わざるを得ない(だから、それでも「脳内文法システム」を追究するよ

うな立場の人たちはミニマリストだとも言えるかもしれない)。文法や文の構造を分

析すれば、名詞類や動詞類などの品詞類があり、それらが文の中で果たす主語、述

語、目的語その他の格役割があり、それらをつなげるものとしての機能語があり、

またそれらに性質や(他人に意思を伝えるための)話者の様々な判断を示すものと

しての修飾語(形容詞、副詞など)や助動詞などが分析できる。また、自動詞構文、

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他動詞構文、使役構文などが、各言語ごとに拡がりその他で歴史的変遷と共に個性

を見せながら様々な表現形・文法規則で作られてきた。これらの文法規則は、とく

に母語の場合、無意識のうちにその言語の使い手に「身につく」ものであり、まさ

に様々な認知様式・認知内容が言語表現として「表出される」ものであり、したがっ

て、こういった様々な文法事象が認知図式とどのように結びついて発展してきたか

こそ、「言語習得」の主テーマでのあり、認知言語学の 1 つの柱でもあると考えられ

る。つまり、チョムスキーが提起した「言語習得の問題」は、彼が固執した少数原

理的「生得システム」を追究しなくても、いくつかの文法概念ごとに「認知図式」

と「用法の拡張」というダイナミズムでもって十分説明がつく。というか、認知的

動機なしには、どうして「主語」や「他動詞」や「助動詞」や「使役表現」が習得

されるのかについて説明することが出来ない。

言語習得論というと、ピンカーが有名ではある。Pinker 1994 の、チョムスキーと

並ぶ生得説や「言語遺伝子」説は、前節で述べたように「疑似科学」的仮説に過ぎ

ないが、彼が観測し分析した「文法の習得」に関しては、認知言語学的に捉えなお

すことができることに触れない訳にはいかない。

まず、英語の過去形に関して言えば、彼は、不規則形は脳内の「語彙部門」とい

う物置に置かれ、規則形は「生得的」統語システムで算出されると考えた。このよ

うな奇妙な二分法に関しては、コネクショニズムの研究者によってもっと自然な考

え方がすでに得られている。すなわち、まず、幼児が英語を身につける上で、様々

な基本動詞の個別の形がまずストックされる。次いで、-ed 形の持つ意味合いが、

一般化と共に理解され、経験的に獲得したこの規則を過剰に応用した表現を発する。

次いで、目上の母語話者との対話と共に、その干渉が十分に行われれば、決められ

た不規則形を使うようになる。

次いで、ピンカーの研究として有名なものとして、「自動詞の他動詞化」「受動態

構文」「SVOO 構文」「場所格交替構文」の習得の研究がある(Pinker 1989)。ピンカー

の研究の中心としては、初めにこれらの構文の大まかな意味を最初に習得して、先

の例と同じくその大枠の図式に当てはまれば、大人の正確な語法では使わないよう

な過度の適用を幼児は一時的に発し、その後、様々な意味制約によって、発する表

現が、大体、大人の使う用法にほぼ合うものに収まるというものである。統語論自

律論者の中には、最初は意味制約を正確に守ることなく過度に発するのだから意味

に囚われない文構成に乗ってどんどん発するのだと言う人もいたようではあるが、

認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察

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そのような考え方は当たらないことは、最初の(過度に一般化した)文型の習得が、

大まかではあっても、言語形式と(大まかな)認知図式との対応付けによるもので

あることを考えれば、自明であろう。(14)

言語習得論の「現実的」なアプローチとして、トマセロの考え方を見てみたい。

人間の認識の順番として、まずは生き物の本能として、動いているまとまりを認識

する(「図地」分化)。その中でも、表情の変化が多く、喜怒哀楽まで分化していな

くても、快-不快の直感できるもの、とりわけ養育者を認識する。名詞、とりわけ

人間を表す名詞の基盤ができる。ただし、話し掛けてくる内容や表情でどういった

ものが多いか、などで、早くも文化差が生じる。自分と同類のようでありながら別

個の意志をもつ「他者」を認識し、次いで「他者認識」と相即して「自己」意識が

芽生えるが、未熟な存在が生存していくために、人生の先達の模倣を始める(その

場合、先達の振舞いを観測し、「視点の共有」を持つようになり、先達の振舞いを意

味づけた上で、模倣行動を少しずつ分かる段階から習得する)。この「視点の共有」

こそ、同一内容指示の了解を必要とする言語理解にとって極めて重要なワンステッ

プといえる。一定期間の経験的な観察(と脳内回路の成長)から得られるパターン

認識と運動性の向上と共に、ある段階で、自分にとって必要と感じられる対象物や

行為の意味づけが安定し、対応物の音形を脳内の強化学習によって獲得する。そし

て、欲しい物や居て欲しい人の名前を発するに至る。初期の一語文もコミュニケー

ション的動機なしには成立しないことになるが、特定の行為、特に、「(○○)取っ

て」といった基本動詞を経験学習して、その使用が始まる。英語では bring も take

も pass も日本語では原初的には「取る」であることを考えると、普遍的な脳内言語

(generative mental lexicon)があるとは考えにくいし、原形の「取る」よりも「取っ

て」の方を先に発する場合が多いことを考えても、「文法が生得的システムで予め存

在して、その派生形を作る先験的システムがある」と考えるよりは、むしろ、用法

の集積と共に文法が各人各世代ごとに形成されると考える方が現実的であろう。言

語を生後 2 年くらいで急激に使えるようになるのは、先験的システムというよりは、

認知処理の情報集積的発達というダイナミシティによるものと言えよう。(15)

スペースと時間の都合上、原初的な言語習得にもう少し触れるだけにとどめてお

かなければならないが、どのような品詞の語を習得するかという点でも、言語文化

間に差があるようである。例えば、日本語が英語と比べて、日常会話で主語や目的

語を文脈で分かる場合に大いに省略して使われるところから、また、逆に英語はそ

認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察

- 162 -

れなりの文化史的事情でそのような省略を嫌うところから、ある習得時期には、英

語環境の幼児の方が習得する名詞の数が多いとか、逆に名詞を省略できる文化圏の

環境では、英語文化圏よりもある時期の幼児の発話で自由に使える動詞が多いとか

いった事例も報告されている。省略表現の研究は、認知言語学が登場する前の生成

文法でも研究はされてきたが、生得論的形式システムで説明されたものではなく、

認知論・語用論・言語文化論的視点を導入して初めて説明がつく。さらに進めば、同

じ人間の認識ということもあり、動詞で表される事態に関して、登場する名詞的「ま

とまり」が何らかの(場合によっては複数の)一定の関わりをするところから、様々

な動詞構文が自然と身につく(トマセロは「動詞の島(verb island)と呼んだ」)。こ

のようにして、構文の型と、機能語の持つ意味合いが経験学習から、プロトタイプ

と家族的類似性でもって意味連鎖を形成するようになり、共通項が抽出される場合

には、一段抽象的なスキーマを形成する。品詞の認識も共通項抽出によって認識さ

れる面があるため、品詞の意識は学童期もかなり行ってからになるし、名詞と形容

動詞のように何か違いを感じつつも明確な線引きがしづらい言語現象も出てきて自

然であると考えられる。

現実的な言語習得論から見てみても、「文法」は先験的に文をライセンスする抽象

的なシステムではなく(「少数の大原則」と「出力(具体的表現)」という 2 分法は

成り立たない)、「認知内容」、その共通項としての「認知図式」(先験的な基がある

とすれば「認知図式」の原初的ないくつかとその自己発展的システム)と「周りの

言語の先達の用法」とが相互作用して動的に多様にシステム化していく経験基盤的

なものと言える。

3.結び

「言語」を成り立たせ、文を作る仕組み、そしてその習得は、生成文法流の先験

的システムでは説明に至らず、用法基盤主義で、神経学的にもコネクショニズムの

考え方を援用できる認知言語学的パラダイムの方が現実に則して説明できることを、

科学論と言語習得を中心にして論じた。

(1)認知言語学の概略に関しては、坂原 1998、Taylor 1995、Ungerer&Schmid 1996

認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察

- 163 -

などを参照。また、「用法基盤理論」に関しては、ラネカーの一連の論文を参照

(特に、Langacker 1987, 1999)。その他、全体的なことを鳥瞰する上で、山梨の

一連の著作参照(山梨 1994、2000、2001)。

(2)共時的な言語学の科学的な位置づけや方法に関しては、郡司 1997、郡司・坂本

1999 参照。前者で、「複雑系としての人間」が提唱されており、言語を認知や

他者との相互作用をなすシステムと考えれば、言語理論も「複雑系」として考

えることができよう(複雑系に関しては、金子 1996 も参照)。

(3)チョムスキーのこの立場は、60 年代から今の理論枠に至るまで変わらない

(cf. Chomsky 1972, 1980, 1995)。

(4)独立自存した生得システムへの疑問は他にも様々になされてきた。 Steinberg

1993 は、チョムスキーの「生得説」の根拠になってきた「刺激の貧困」や「習

得の時間」に関して、それが論拠としては疑わしいことを具体的に提示してい

る。生物学者の Edelman は、言語を認知との関係で論じる方が生物学的にも現

実的であることを論じている。佐々木 1997, 2001 でも、一歳児が急激に発する

ことばが増えること等の言語習得に関して、アフォーダンス心理学の観点から、

チョムスキーとは全く別の説明が可能であることを示している。ヒトという生

物の認知の基になっている環境との相互作用に関するこの知見の詳細は、Reed

1996 を参照。知識論哲学の面でもこの考え方は受け容れられてきている(村田

1995)。

(5) 人間の実際の言語習得や言語処理が、生得的にプログラムされているという機

械論的な見方に対しては、「言語現象」の多様性や経験性、脳神経回路の可塑性

など、様々な見地から、疑問が呈される。藤永 2001 でも、言語の多様性をパラ

メータで説明できるという考え方は楽観的だと批判している。また、橋田 1997

や安西 1998 では、人間の認知処理システムを考えると、コネクショニズムのよ

うな柔軟な枠組が必要であることを展開している。自己組織・創発システムに

関しては、河本 2001 も参照。科学哲学においても、「理論と現象」という二元

論に対する反論は、様々になされてきている(たとえば大森 1994)。

(6) 中島2000では最近の生成文法の考え方が簡便に示されてあるが、文法カテゴリー

のそれぞれの性質を吟味することなく一般化したり、文法カテゴリーの生起位

置の可能性に関して、認知的観点なしの説明は何も成り立っておらず、また、

二重目的語構文の奇妙な基底構造と目的語の移動のような、非常に疑問の残る

認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察

- 164 -

枠組を納得いく説明もないまま措定している。また、生成文法では長いこと様々

な論文を通して照応・代用表現も「生得的な」統語構造による制約条件で説明

しようとしてきたが、認知経験的な参照の順序で説明できることをvan Hoek 1997

が十分に具体例を挙げて説明している。

(7) コネクショニズムに関しては、「経験学習する認識回路」に関して、非常に簡単

に言えば、経験学習による一般化と共に中間の隠れ層でのフィードバックとい

うシステムで説明されるが、その成果に関しては、物理学的な専門性を要する

(Elman 他 1996、乾 1997、など)が、チョムスキーが想定するような原理や先

験的な文法カテゴリーなどを想定しなくてもボトムアップ的学習で言語習得が

可能であることを示したという点では貴重な科学的根拠と言えよう。波多野1997

は領域固有性などの制約のないことに不安を言っているが、かえって認知の領

域関連性を考えれば、問題はないものと思われる。言語固有の生得装置への疑

問とその相対化に関しては、今井 1997、針生・今井 2000 でも検討されている。

(8) 「用法基盤文法」に関してはラネカーの一連の論文(Langacker 1987, 1991, 1999,

2001)参照。具体的文法事象では、例えば、機能語(助詞や格など)の習得(熊

代 1999、Croft 1991、Smith 1993)、使役構文(西村 1998)、その他の数種の構

文(Talmy 2000、Goldberg 1995、鷲尾 1997)などを参照。

(9) 語法や文法の変遷に関しては Sweetzer 1990 参照。とくに文法化に関しては

Hopper & Traugott 1993、Ohori ed. 1998、秋元 2001 なども参照。また、個々の事

例から文を考える 1 つの方法としてメンタル・スペースという理論がフォコニ

エによって提唱されており、文の意味と認知内容との単層的でない関係づけの

説明として考えられる(Fauconnier 1985, 1997 参照)。

(10) Langacker 1999、山梨 2001 などを参照。

(11) 基本枠としては、山鳥 1998、2001、岩田 1996 を参照。さらに、脳の可塑性や

身体との関連性に関する新しいパラダイムに関しては Damasio 1994 参照。一方

で、生成文法的に文法範疇や統語構造を恣意的に前提としてしまうような萩原

1998 はミスリーディングと言わざるを得ない。

なお、脳科学における Damasio の知見を、言語の面から検討したものとして

は、Lakoff 1987、Johnson 1987、Lakoff & Johnson 1999 が挙げられる。

(12) 「文化」という言葉は誤解を生みやすい一面もある。この場合の文化は、言語習

得者が身を置く環境の中の人の行為や言語の表現の仕方や形態に関するものと

認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察

- 165 -

考える(Tomasello 1999)。文化は国単位では語れないほど、社会的にも多様で

あることはカルチュラル・スタディーズが示したとおりである(Williams 1981、

吉見 2000)。ただし、個別言語が思考に与える影響は大きく、一例としては英

語と日本語の傾向性に関して池上(1981、1994、2000)が示したように、両語

を習得するにはそれぞれの生活世界の捉え方、日常の用法からそれぞれに体系

化しなければならないことが多く、チョムスキー流の「原理とパラメターのア

プローチ」による「普遍性プラスいくつかのパラメター」ではとても覆い尽く

せるものではない。少し例を挙げるだけでも、たとえば英文法にはないが日本

語文法の重要な一部である「は」と「が」の使い分け(野田 1996)や二重主語

構文など、普遍的とは言えない重要な文法事項は枚挙に暇がない。むしろ、認

知図式と習得している言語のシャワーとの対応から「言語の習慣」が形成され

ると同時に、その「言語の習慣」が思考内容にも影響を与える、という相互作

用の言語観の方が現実に即しているものと考えられる(たとえば、Slobin 1996

の Thinking for speaking という考え方)。言語習得の面でも幼児の発する語の中

の名詞と動詞の占める割合が言語文化によってかなり差があることが最近発表

されてきている(小椋 1999、2001)。文が言い表している事象に関して、登場

するモノ(参考者)をコミュニケーションによってどれだけ明示するようになっ

ているかに関する文化差など、いろいろな要因が考えられる。

一方で、言語の習得は、言語文化環境に依りつつも個人毎に(言語文法固有

の生得性を排して)経験学習で生起する、というチョムスキーに真っ向から挑

むラディカルなパラダイム・チェンジが提唱されてきている(たとえば、Hopper

1998, emergent grammar)。この方が、同じ言語共同体における個人差や揺れ、

ひいては言語の変化という現実を説明できるものと考えられる(Kay 1996参照)。

(13) 言語習得論に関する様々な説の紹介として、小林 1997、秦野 2001 参照。言語

習得論の観点から見て、生まれつき身についている何らかの認知処理(と母語

環境との相互作用)を認めつつも、具体的な言語習得の多様な諸段階を考える

と、生成文法の恣意的な「生得論」の原理は、やはり説得力が今 1 つと思われ

る。

(14) 幼児の日本語の文法獲得に関しては、たとえば、岩立 1997、横山 1997 参照。

とくに、文の習得に関しては、岩立も紹介しているように、トマセロの「動詞

の島」仮説でかなりの説明がつくものと考えられる。

認知言語学 vs.生成文法:科学論的一考察

- 166 -

神経心理学的な考え方としては、大嶋 2000 で要領よく紹介されており、今

後のコネクショニズムによる説明が増えることが予期できる。一方、菅野 2000

は、言語習得の刺激や時間・環境に関して、Steinberg の指摘やこのようなコネ

クショニズムによる説明を考慮することなくチョムスキー・パラダイムを無批

判に肯定しており、また。機能語の認知的側面も考慮からはずしており、「誤っ

た生得説の議論」といえる。

(15) トマセロの論は、チョムスキーによって不当にも過小評価された母語環境と言

語習得の相互作用に関する現実科学的な知見を回復させる考え方として価値が

ある(Tomasello 1997)。もちろん、この考え方は、言語のもととしての認知の

身体性と相容れる考え方である(認知の身体性に関しては、Johnson 1987、Lakoff

& Johnson 1999、山梨 2001 等を参照。また、多くの言語で形容詞的表現として

表され、多くの人が表現できるようになる、感覚器官に訴えかける定性的な性

質のものが、最近のクオリア理論と通じるところがあることも言える[茂木1997

を参照])。一方で個人の身体性があると同時に、コミュニケーションの手段と

して共通表現を得るためには他者と自己の共通感覚、同じ物や事を指し示して

いるという了解が必要であり、結局、言語表現は全てこのような伝達的な側面

と、共通感覚の共通認識という「生まれつき備わっているべき同種性(人間の

場合、人間性)」という 2 面を重要な要因として考える必要がある。自閉症児

の場合、「他者への感情移入」の障害と言語のコミュニカティブな面の理解の

遅れとの間に並行性が認められる。このように、最近の心理学でいうマインド

理論も、言語の習得発達に関して無視できない一因と言えよう(遠藤 1997、

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る)。

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