航空機搭載型ドップラーライダーにおける 乱気流検 …...9...

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9 日本航空宇宙学会論文集 Vol. 60, No. 4, pp. 157–166, 2012 航空機搭載型ドップラーライダーにおける 乱気流検知性能改善のための有色雑音低減法 1 Colored Noise Reduction Method for the Improvement of Air Turbulence Detection on an Airborne Doppler LIDAR 2 ・稲 2 ・井 之 口 浜木 2 Takashi Asahara, Toshiharu Inagaki and Hamaki Inokuchi Key Words : Doppler LIDAR, Air Turbulence, Noise Reduction, Colored Noise Abstract : We are pursuing the research and development of a practical airborne Doppler LIDAR that will detect air turbulence which is a major cause of significant injuries and aircraft damages. Although a longer detection range of air turbulence could be achieved by using higher powered laser to give advanced warning to crew and passengers, it implies larger and heavier devices which are not suitable for airborne applications. We introduce a colored noise reduction method which reduces the measurement errors and extends the measurement range for the air turbulence detection. We show that the detection range of air turbulence is improved by about 40% using the colored noise reduction method. 1. 我が国では航空機が墜落するような大事故は減少の傾向 にあるものの,平成 12 年度から平成 21 年度における航空 機事故の統計 1) によれば 25 件の航空機事故が発生し,その 内の約半数の 13 件が乱気流による事故であると報告されて いる.この乱気流事故を防止するためには,飛行中の進行 方向前方に発生した乱気流を実時間で検知し,乗員や乗客 に対して事前に警告することが最も効果的であり,これを 実現するための航空機搭載装置として,ライダー(LIDAR: LIght Detection And Ranging)による乱気流検知システ ムが研究開発されている 24) .このライダーでは,大気中に 浮遊するエアロゾル(大気中に浮遊する塵などの目に見え ない大きさ 0.1~数 μm の浮遊粒子)等により風速を計測 するため,高高度で突如発生する晴天乱気流(CAT: Clear Air Turbulence)など,雲や雨を伴わない乱気流を検知す ることが可能となり,米国における波長 2 μm 帯の固体レー ザ及び 10 μm 帯の CO 2 レーザを用いたライダーの開発 2) や欧州における紫外線レーザを用いたライダーの開発 3) ど,乱気流事故防止を目的としたライダーの研究開発が各 国で行われている. 我が国においても,独立行政法人宇宙航空研究開発機構 JAXA: Japan Aerospace eXploration Agency)におい て乱気流による民間旅客機の航空事故防止を目的とした装 置の研究開発を行っており,飛行中に約 9 km 先までのウイ 1 C 2012 日本航空宇宙学会 平成 23 10 27 日,第 49 回飛行機シンポジウムにおいて発 表.平成 23 9 5 日原稿受付 2 宇宙航空研究開発機構航空プログラムグループ ンドシア,ダウンバースト,後方乱気流,晴天乱気流,及 び,山岳波等を計測することが可能な航空機搭載型ドップ ラーライダーの開発を行っている 4) .このドップラーライ ダーの装置開発では,機体前方における気流の計測距離を 長距離化するために,送信レーザ光の高出力化や光学望遠 鏡の受光面積の拡大を段階的に行っているが,航空機に装 置を搭載するためには設置する空間や重量,駆動する電力 に制限があり,送信出力を増加させる等の方法だけで計測 性能を向上させることには限界があるため,装置の小型軽 量化や低消費電力化を実現しながら信号処理方式の改善に よる計測性能の向上についても研究を行っている 5, 6) この小型軽量化や低消費電力化を実現しながら遠距離領 域での計測精度を向上し計測領域を拡大するためには,大 気中のエアロゾルによって散乱された微弱な光を雑音の中 から検出する技術が重要であり,この微弱な散乱光を検出 するのに障害となる雑音を低減することができれば,観測 の信頼性が向上するとともに遠距離等の信号強度が小さい 領域でも観測可能となり,最大計測距離を拡大することが できる.この課題に対処する従来技術として,観測信号の インコヒーレント積分 7) による雑音の平滑化と信号の重畳 が一般的であるが,雑音の発生特性が周波数帯域で不規則 ではなく周波数依存性を持つ雑音(有色雑音)に対しては 有用な信号と区別がつかないため,この有色雑音を低減す ることはできない. そこで,本論文では,ドップラーライダーが受信した散 乱光パワースペクトルに対し最遠方の計測領域では散乱光 の信号強度がほとんどないとみなしてその最遠方の計測領 域で雑音分布を推定し,推定した雑音分布により有色雑音 を除去する有色雑音低減法を開発するとともに,飛行実験 ( 157 )

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日本航空宇宙学会論文集 ̶論 文̶Vol. 60, No. 4, pp. 157–166, 2012

航空機搭載型ドップラーライダーにおける乱気流検知性能改善のための有色雑音低減法∗1

Colored Noise Reduction Method for the Improvement of

Air Turbulence Detection on an Airborne Doppler LIDAR

淺 原 隆∗2・稲 垣 敏 治∗2・井之口 浜 木∗2

Takashi Asahara, Toshiharu Inagaki and Hamaki Inokuchi

Key Words : Doppler LIDAR, Air Turbulence, Noise Reduction, Colored Noise

Abstract : We are pursuing the research and development of a practical airborne Doppler LIDAR that will detect air

turbulence which is a major cause of significant injuries and aircraft damages. Although a longer detection range of air

turbulence could be achieved by using higher powered laser to give advanced warning to crew and passengers, it implies

larger and heavier devices which are not suitable for airborne applications. We introduce a colored noise reduction

method which reduces the measurement errors and extends the measurement range for the air turbulence detection. We

show that the detection range of air turbulence is improved by about 40% using the colored noise reduction method.

1. は じ め に

我が国では航空機が墜落するような大事故は減少の傾向にあるものの,平成 12年度から平成 21年度における航空機事故の統計1) によれば 25件の航空機事故が発生し,その内の約半数の 13件が乱気流による事故であると報告されている.この乱気流事故を防止するためには,飛行中の進行方向前方に発生した乱気流を実時間で検知し,乗員や乗客に対して事前に警告することが最も効果的であり,これを実現するための航空機搭載装置として,ライダー(LIDAR:

LIght Detection And Ranging)による乱気流検知システムが研究開発されている2~4).このライダーでは,大気中に浮遊するエアロゾル(大気中に浮遊する塵などの目に見えない大きさ 0.1~数 μmの浮遊粒子)等により風速を計測するため,高高度で突如発生する晴天乱気流(CAT: Clear

Air Turbulence)など,雲や雨を伴わない乱気流を検知することが可能となり,米国における波長 2μm帯の固体レーザ及び 10μm帯の CO2 レーザを用いたライダーの開発2)

や欧州における紫外線レーザを用いたライダーの開発3)など,乱気流事故防止を目的としたライダーの研究開発が各国で行われている.我が国においても,独立行政法人宇宙航空研究開発機構

(JAXA: Japan Aerospace eXploration Agency)において乱気流による民間旅客機の航空事故防止を目的とした装置の研究開発を行っており,飛行中に約 9 km先までのウイ

∗1 C© 2012 日本航空宇宙学会平成 23 年 10 月 27 日,第 49 回飛行機シンポジウムにおいて発表.平成 23 年 9 月 5 日原稿受付

∗2 宇宙航空研究開発機構航空プログラムグループ

ンドシア,ダウンバースト,後方乱気流,晴天乱気流,及び,山岳波等を計測することが可能な航空機搭載型ドップラーライダーの開発を行っている4).このドップラーライダーの装置開発では,機体前方における気流の計測距離を長距離化するために,送信レーザ光の高出力化や光学望遠鏡の受光面積の拡大を段階的に行っているが,航空機に装置を搭載するためには設置する空間や重量,駆動する電力に制限があり,送信出力を増加させる等の方法だけで計測性能を向上させることには限界があるため,装置の小型軽量化や低消費電力化を実現しながら信号処理方式の改善による計測性能の向上についても研究を行っている5,6).この小型軽量化や低消費電力化を実現しながら遠距離領

域での計測精度を向上し計測領域を拡大するためには,大気中のエアロゾルによって散乱された微弱な光を雑音の中から検出する技術が重要であり,この微弱な散乱光を検出するのに障害となる雑音を低減することができれば,観測の信頼性が向上するとともに遠距離等の信号強度が小さい領域でも観測可能となり,最大計測距離を拡大することができる.この課題に対処する従来技術として,観測信号のインコヒーレント積分7) による雑音の平滑化と信号の重畳が一般的であるが,雑音の発生特性が周波数帯域で不規則ではなく周波数依存性を持つ雑音(有色雑音)に対しては有用な信号と区別がつかないため,この有色雑音を低減することはできない.そこで,本論文では,ドップラーライダーが受信した散

乱光パワースペクトルに対し最遠方の計測領域では散乱光の信号強度がほとんどないとみなしてその最遠方の計測領域で雑音分布を推定し,推定した雑音分布により有色雑音を除去する有色雑音低減法を開発するとともに,飛行実験

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により取得した散乱光のパワースペクトルデータを用いて本手法の評価を行い,計測領域の拡大による乱気流検知性能の改善効果を明らかにする.まず,2章では航空機搭載型ドップラーライダーについて概説し,3章では有色雑音低減法等のスペクトル品質改善法について説明する.4章では飛行実験により取得したスペクトルデータを用いて有色雑音低減法の評価を行い,乱気流検知性能の改善効果を明らかにする.5章では有色雑音低減法の改良として有色雑音推定範囲の可変処理機能に関する検討結果を示し,最後に 6章でまとめと課題について述べる.

2. 航空機搭載型ドップラーライダー

2.1 ドップラーライダーの概要 ドップラーライダーによる風速計測の原理は,ドップラーレーダに類似しており,ドップラーレーダが電波を大気に放射し大気中の雨滴からの散乱波を検出してそのドップラーシフト量から雨滴の移動速度を計測するのに対し,ドップラーライダーはレーザ光を大気中のエアロゾルに放射し,その散乱光のドップラーシフト量からエアロゾルの移動速度を計測する.この計測した移動速度から,ドップラーレーダでは雨滴の水平方向の移動が大気の水平方向の移動に等しいとみなすように,ドップラーライダーではエアロゾルの移動が大気の移動に等しいとみなして風速を算出する.航空機搭載型ドップラーライダーでは,飛行中における

機体前方の気流を計測するために進行方向前方にパルス状のレーザ光を放射し,大気中に浮遊するエアロゾルによって散乱されたレーザ光を受信する.エアロゾルは気流とともに移動しているため,エアロゾルによる後方散乱光を受信してドップラー効果による周波数変化量を計測し,自機速度による影響を補正して機体前方の風速を算出する.このように,ドップラーライダーは大気中に浮遊するエ

アロゾルにより風速を計測するため,高高度で突如発生する晴天乱気流など,雲や雨を伴わない乱気流を検知することが可能となる.2.2 開発したドップラーライダー JAXAで開発した

ヘテロダイン方式によるコヒーレントドップラーライダーの基本的な構成を第 1図に示す4).このライダーでは,人の網膜に対する安全性が最も高く,光通信用に開発された安価な部品を利用できる点を重視し,波長 1.5μm帯の近赤外線レーザを使用している.基準光源としてファイバレーザにより出力された微弱な

第 1図 開発したドップラーライダーの構成

単一波長のレーザ光は,一部が参照光として装置内部に分岐された後,パルス変調器によるパルスの切り出しと周波数偏移の付加を行い小型化に有利である光アンプにより増幅される.レーザ光を増幅するのに必要な励起光源には,高効率のレーザダイオードを使用している.光アンプで増幅されたレーザ光は,光学望遠鏡により集光されて大気中に放射される.大気中のエアロゾルにより散乱されたレーザ光は光学望遠鏡で受光され,エアロゾルの移動に伴うドップラー効果により偏移した受信光と参照光とのヘテロダイン検波により,エアロゾルの移動速度に応じたビート信号を検出する.このビート信号の周波数を測定することにより,レーザ光軸方向の風速を算出する.また,受信した散乱光を時系列に分割して距離方向の計測領域を特定することにより,同時に複数領域の風速を計測する.

3. スペクトル品質改善法

3.1 概要 ドップラーライダーによる気流の計測では,受信した散乱光のパワースペクトルからモーメント法等を用いて風速の平均値や標準偏差(風速幅と称する)などを算出する.モーメント法によるパワースペクトル S(f) のk次モーメント E(fk) は,以下で与えられる.

E(fk) =

∫fkSn(f)df ( 1 )

ここで,f はドップラー周波数,Sn(f) は正規化されたパワースペクトルで,以下で与えられる.

Sn(f) =S(f)∫ ∞

−∞S(f)df

( 2 )

例えば,風速の平均値 vd は,正規化された散乱光のパワースペクトル Sn(f) の 1次モーメントとして,以下で算出される.

vd =λ

2

∫fSn(f)df ( 3 )

なお,λはレーザ光の波長である.このように,受信した散乱光のパワースペクトル S(f)

から風速の平均値などを算出し,これらの算出値から乱気流検知指標である Fh–ファクタ8) や風速幅6, 9) などを計算して乱気流検知を行うが,受信した散乱光のパワースペク

第 2図 散乱光パワースペクトルの品質低下の一例

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航空機搭載型ドップラーライダーにおける乱気流検知性能改善のための有色雑音低減法(淺原・稲垣・井之口) 11

第 3図 散乱光パワースペクトルの品質改善処理手順

トルには,第 2図に示すように,装置内部や外部環境の影響等に起因する白色雑音や有色雑音,スペクトル歪みなどによるスペクトル品質の低下により風速などの計測精度が劣化するため,白色雑音や有色雑音の低減,スペクトル歪みの補正などの処理を行い計測精度を改善する必要がある.この検討では,第 3図に示す処理手順に従い,白色雑音の影響を低減する方法としてインコヒーレント積分による方法7),有色雑音の影響を低減する方法として 3.3節で説明する今回開発した方法,スペクトル歪みを補正する方法としてスペクトルフィッティングを用いた方法6)を適用し,スペクトル品質の改善に向けた検討及び評価を行う.3.2 白色雑音低減処理 通常,マイクロ波帯などの電

波を送受信するドップラーレーダでは,連続する送信パルスに対する受信信号からフーリエ変換によりスペクトルを算出し,ドップラー周波数を検出する.一方,ドップラーライダーでは,ドップラーレーダより送信周波数が 104~105 倍程度高くなるため,ドップラー周波数もそれに比例して高くなる.このため,単一の送信パルスに対する受信信号からドップラー効果による周波数偏移を捉えることが可能となり,単一の送信パルスに対する受信信号のサンプリング列をフーリエ変換して算出したスペクトルからドップラー周波数を検出することができる.一方,連続する送信パルスに対する受信信号間の相関度

を示す相関係数 ρn(τ)は以下で表わされる7).

ρn(τ) = exp

{−8

(πσvτ

λ

)2}

( 4 )

ただし,τ はタイムラグ,σv は風速幅である.また,相関時間 τc は,式 (4)の相関係数が e−1 に低下

するまでのタイムラグとなり,以下で表わされる.

τc =λ

2√2πσv

( 5 )

第 4図は,式 (5)による送信波の波長と受信信号の相関時間の関係を示したものである.今回開発したドップラーライダーのレーザ光の波長 λは 1.55μmであり,この場合,受信信号の相関時間は第 4 図から約 1μs 以下となる.また,連続送信するパルスの繰り返し周波数は 4 kHzとしているのでその周期は 250μsとなり,受信信号の相関時間がパルスの繰り返し周期と比較して短くなるため,複数の送信パルスに対する受信信号間の相関はなく,複数の受信パルス間のコヒーレント積分による受信感度の改善は期待できない.そこで,このドップラーライダーでは,複数の受信パル

第 4図 送信波の波長に対する受信信号の相関時間

第 5図 インコヒーレント積分による S/N 改善量

ス間のインコヒーレント積分による受信感度の改善を行っている.このインコヒーレント積分後の信号電力対雑音電力比(S/N)を SNRi,受信光 1パルスの信号電力対雑音電力比を SNR とし,インコヒーレント積分数を Ninc とした場合,SNRi は以下となる.

SNRi =√Ninc × SNR ( 6 )

このインコヒーレント積分による S/N の改善量を第 5

図に示す.この図から,インコヒーレント積分を行うことにより,例えば Ninc = 4000で約 18 dB,Ninc = 16000

で約 21dBの S/N 改善効果が得られ,白色雑音による劣化を低減することができる.3.3 有色雑音低減処理 3.2節で説明したインコヒーレ

ント積分は,受信した散乱光パワースペクトルの積分による雑音の平滑化と信号の重畳により S/N 特性を改善するものであるが,この処理は雑音の発生特性が周波数帯域で不規則な白色雑音では効果があるものの,雑音の発生特性が周波数依存性を持つ有色雑音に対しては有用な信号と区別がつかないため,この方法では有色雑音を低減することができない.また,第 5図で示したように,例えばインコヒーレント積分数 Ninc = 4000で約 18 dBの S/N 改善量となることから,逆にインコヒーレント積分前では S/N

が 18 dB程度低い状況となり,この状況で有用な信号と有色雑音を判別し,有色雑音のみを低減することも極めて困難である.そこで,この有色雑音低減法では,ドップラーライダー

が受信した散乱光のインコヒーレント積分後のパワースペクトルにおいて,散乱光の信号電力は計測距離の 2乗に反比例して減衰するのに対し有色雑音電力は計測距離によら

( 159 )

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第 6図 有色雑音推定法

ず観測期間内でほぼ一定になると想定し,散乱光の信号強度がほとんどない遠方計測領域における観測信号から有色雑音を推定し除去することにより,計測レンジの拡大を実現しながら同時に遠距離領域の計測精度劣化を防止する.まず,計測距離RをmΔR(m:レンジビン番号,ΔR:

レンジビン長),ドップラー周波数 f を nΔfd(n:ドップラービン番号,Δfd:ドップラー分解能)と定義し,各レンジビン番号 m(= 0~M − 1)におけるドップラービン番号 n(= 0~N − 1)のインコヒーレント積分後の散乱光パワースペクトル Si(m,n) に対し,第 6図に示すように,その最遠方の計測領域に対応したレンジビン番号 m

(= M − L~M − 1)の範囲において,ドップラービン番号ごとに散乱光パワースペクトルの平均化段数 L による平均化処理を行い,雑音のパワースペクトル Nave(n)(n =

0~N − 1)を算出する.

Nave(n) =

M−1∑m=M−L

Si(m,n)

L( 7 )

なお,レンジビン番号 m(= M − L~M − 1)に対応した有色雑音の推定範囲を (M − L)ΔR~MΔR とする.次に,インコヒーレント積分後の散乱光パワースペクト

ル Si(m,n) から式 (7)により算出された雑音のパワースペクトル Nave(n) を減算し,有色雑音を低減した散乱光のパワースペクトル Snr(m,n)(m = 0~M − 1, n = 0~N − 1)を算出する.

Snr(m,n) = Si(m,n)−Nave(n) ( 8 )

この有色雑音を低減した散乱光パワースペクトルSnr(m,n) に対し,以下のようにして風速を算出する.まず,有色雑音低減後の散乱光パワースペクトル Snr(m,n)

のピーク位置 Pk(m) の左右演算範囲内における 1次モーメントを求めることにより,各レンジビン番号 m における平均ドップラー周波数のドップラービン番号 Fd(m)(m

= 0~M − 1)を算出する.

Fd(m) =

Ke∑n=Ks

{n · Snr(m,n)}

Ke∑n=Ks

Snr(m,n)

( 9 )

なお,GW1 は演算処理範囲を決めるパラメータであり,Ks = Pk(m)−GW1,Ke = Pk(m) +GW1 である.式 (9) より,平均風速 vd(m) を以下のようにして算出

する.

vd(m) =λ

2fd(m)⎧⎪⎪⎨

⎪⎪⎩fd(m) =

(Fd(m)− N

2

)×Δfd

Δfd =fs

NFFT

(10)

ただし,fd(m) はレンジビン番号 m におけるドップラー周波数,fs は受信信号のサンプリング周波数,NFFT はFFTポイント数(NFFT = 2N)である.また,レンジビン番号 m における風速幅 σv(m) は,有

色雑音低減後の散乱光パワースペクトル Snr(m,n) のピーク位置 Pk(m) の左右演算範囲内における 2次モーメントを求めることにより,以下のように算出する.

σv(m) =λ

2

⎛⎜⎜⎜⎜⎝

√√√√√√√√

Ke∑n=Ks

{(n−Fd (m))2 ·Snr(m,n)

}

Ke∑n=Ks

Snr(m,n)

Δfd

⎞⎟⎟⎟⎟⎠

(11)

このように,有色雑音を低減した散乱光パワースペクトル Snr(m,n) から平均風速や風速幅を求めることができる.また,ドップラーライダーにより観測されたスペクトルデータごとに上記の処理を実施することにより,観測したスペクトルデータ間で時間的に周波数特性が変動する有色雑音であっても低減することが可能である.3.4 スペクトル補正処理 この節では,3.2,3.3 節で

示した処理により白色雑音や有色雑音を低減した散乱光パワースペクトルに対して,さらにスペクトル補正を行うことにより特性を改善する.一般的に,大気中のエアロゾルからの散乱光パワースペクトルはガウス分布の特性に従うことが知られており,受信強度の低下や雑音レベルの増大などの要因により観測したスペクトルに歪みが発生したとしても,そのスペクトルがガウス分布となる特性を利用し,観測スペクトルをガウス分布にフィッティングさせてスペクトル品質を改善し風速などを算出することにより,計測精度を向上させることができる6).ここでは,有色雑音を低減した散乱光のパワースペクトル Snr(m,n)(m = 0~M − 1, n = 0~N − 1)に対して,スペクトル歪みを補正するスペクトルフィッティングを行う.まず,有色雑音低減後の散乱光パワースペクトルにフィッ

ティングを行うガウス分布関数 SG(m, n; x)を以下のよう

( 160 )

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航空機搭載型ドップラーライダーにおける乱気流検知性能改善のための有色雑音低減法(淺原・稲垣・井之口) 13

に定義する.

SG(m,n;x) = S(m,Pk(m))

× exp

{− (v(m,n)− vd(m))2

2σ2v(m)

}(12)

ここで,S(m,Pk(m)) は散乱光のパワースペクトルのピーク位置 Pk(m) におけるピーク値,v(m,n) は風速,vd(m)

は風速 v(m,n) の平均値(平均風速),σv(m) は風速幅である.また,x はフィッティングにより推定するパラメータのベクトルで,

x = {S(m,Pk(m)), vd(m), σv(m)} ≡ {x1, x2, x3}

である.式 (12)のガウス分布関数 SG(m,n; x)は非線形関数で

あるため,フィッティング処理はガウス分布関数と観測スペクトルの残差 2乗和を最小にするパラメータの値を非線形最小 2乗法により決定するものとなり,残差 2乗和 ε (m;

x) は以下で与えられる.

ε (m;x) =

K2∑n=K1

{SG(m,n;x)− Snr(m,n)}2 (13)

ここで,K1 = Pk(m) −GW2,K2 = Pk(m) +GW2 で,GW2 は残差 2乗和の演算処理範囲を決めるパラメータである.この式 (13)を最小にするための必要条件から x(0) を初

期値として以下のように修正量 δx(k−1)(k = 1, 2, 3, · · ·)を算出して x(k) = x(k−1)+αδx(k−1)(k = 1, 2, 3, · · ·)の計算過程を繰り返し行い,推定パラメータ x(k) を求める.

x(k) = x(k−1) + αδx(k−1); k = 1, 2, 3, · · ·δx(k−1) = (AtA+ γI)−1Atb⎧⎪⎪⎪⎪⎨⎪⎪⎪⎪⎩

ani(m) =∂SG(m,n;x(k−1))

∂xi; K1 ≤ n ≤ K2,

1 ≤ i ≤ 3

bn (m) = Snr (m,n)− SG(m,n;x(k−1));

K1 ≤ n ≤ K2

(14)

なお,ani(m) は行列Aの各要素,bn(m) はベクトル bの各要素を示す.また,αは縮小因子 (0< α ≤ 1),行列の右肩の t は転置行列を意味し,I は単位行列,γ は行列AtA

の対角項に加算する係数である.なお,係数 γ の値は有色雑音低減後の S/N の逆数に相当する値に設定する.この計算過程を繰り返して収束判定値以下となった時点

の x(k) を最適解 x(opt) とみなして繰り返し処理を終了し,風速幅等の推定値を算出する.

4. 乱気流検知性能評価

4.1 基本特性 JAXAでは,航空機搭載型ドップラーライダーの実用化に向けて,ジェット機による飛行実験を

行っている10, 11).今回はこの有色雑音低減法などを適用した場合における計測性能の改善効果を評価するため,2011

年 2 月にガルフストリーム II 型機を用いた飛行実験により取得した散乱光のパワースペクトルデータに対して有色雑音低減処理などを実施し,その効果を確認した.方式評価の諸元を第 1表に示す.なお,開発したドップラーライダーでは,最初の 1秒間のインコヒーレント積分数 N1 を4000,次の 1秒間のインコヒーレント積分数 N2 を 4000,と積分処理を順次繰り返し,最初の 4秒間でインコヒーレント積分数 Ninc = N1+N2+N3+N4 として 16000の積分結果を出力する.そして,次の 1秒後では,インコヒーレント積分数 Ninc = N2 +N3 + N4 + N5 と一部の積分結果を重複させて 16000の積分結果を出力し,これ以降は,1秒間隔で順次この処理を行うことにより,パルス繰り返し周波数 4 kHzでインコヒーレント積分数 Ninc を 16000

とした積分処理を実現している.第 7図は,ドップラーライダーを用いた飛行実験により

高度 910mで実測した散乱光のパワースペクトルデータに対し有色雑音の推定を行った結果の一例であり,レンジビン数 M = 80に対し平均化段数 L を変化させた場合の有色雑音の推定結果を評価したものである.また,第 8図は,第 7図における有色雑音の推定結果に対し,平均化段数 L

と残差 2乗和の関係を評価したものである.なお,残差 2

乗和については,平均化段数 L = 32の有色雑音推定結果を基準とし,その基準に対する誤差を評価した.第 7,8図の評価結果から,平均化段数 L を大きくすることにより有

第 1表 方式評価の諸元 1

項 目 値レーザ光の波長 λ 1.55μm

光学望遠鏡の有効開口径 150mm

パルスエネルギー 0.25mJ

パルス繰り返し周波数 4 kHz

インコヒーレント積分数 Ninc 16000

観測データ出力間隔 1 秒ドップラービン数 N 256

レンジビン長 ΔR 300m

A/D 変換サンプリング周波数 fs 216MHz

A/D 変換ビット数 8

FFT ポイント数 NFFT 512

演算範囲 GW1, GW2 5

第 7図 平均化段数 L に対する有色雑音推定結果の一例

( 161 )

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14 日本航空宇宙学会論文集 第 60巻 第 4号(2012 年 8月)

第 8図 平均化段数 L に対する残差 2 乗和の一例(L = 32 を基準)

(a) 有色雑音除去前

(b) 有色雑音除去後

第 9図 有色雑音推定/除去結果の一例

色雑音の推定結果のばらつきが小さくなり,平均化段数がL = 16程度以上であれば残差 2乗和の値も小さくなるのがわかる.第 9図は,第 7,8図で評価した散乱光パワースペクト

ルに対する有色雑音の推定/除去結果の一例であり,(a)は有色雑音除去前の散乱光パワースペクトル,(b) は 3.3節で示した方式により推定した有色雑音のパワースペクトルを用いて有色雑音を除去した後の散乱光パワースペクトルである.なお,この評価では,レンジビン数 M = 80に対し平均化段数 L = 16として有色雑音を推定している.この第 9図 (a)では,ドップラーライダーによって観測された散乱光パワースペクトルの中に,信号成分以外に外部環境等の影響により発生したと思われる有色雑音が観測されている.この観測された散乱光パワースペクトルに対して本方式により有色雑音を推定し除去した結果が第 9図 (b)

第 10図 S/N の距離特性

であり,信号成分にはほとんど影響を与えることなく計測の障害となる有色雑音のみを効果的に除去できているのがわかる.第 10図は,飛行実験により高度 970mで実測したデー

タで,プロットした各点は 300mのレンジビン長ごとに 1

秒間隔で観測した有色雑音除去前後の S/N の 4分間の平均値に対する距離特性を示している.なお,有色雑音除去ありの評価では,レンジビン数 M = 80に対し平均化段数L = 16として有色雑音を推定している.第 10図から,遠方の計測領域における雑音レベルが有色雑音除去前では約10 dB程度となっているが,有色雑音除去後では 5 dB程度以下に低減されることにより計測可能な距離が向上し,本方式による計測性能の改善効果が確認できる.4.2 乱気流検知特性 第 11図は,飛行実験により高度

970mで実測したデータで飛行実験中に弱い乱気流に遭遇した時のデータであり,(a)が白色雑音低減処理のみにより算出した風速幅,(b)が (a)の処理に有色雑音低減処理を追加して算出した風速幅,(c)が (b)の処理にスペクトル補正処理を追加して算出した風速幅であり,(d) は機体の垂直加速度の絶対値を示している.第 11図 (a),(b),(c)では,機体が縦軸上向き方向に速度 140m/s程度で飛行しており,小さな四角形 1マスの縦の長さ(レンジビン長 ΔR

に相当)は 300mで,1秒間で縦の 1列のデータが同時に計測でき,それを時系列に横に並べている.すなわち,第6図に示す散乱光のパワースペクトル Si(m,n)(m = 0~M − 1, n = 0~N − 1)が 1秒ごとに観測され,観測された散乱光パワースペクトルを用いて風速幅を算出したものであり,その風速幅が縦の 1列のデータに対応する.なお,この評価では,レンジビン数 M = 80に対し平均化段数L = 16とし有色雑音の推定範囲を 19.2~24kmの領域としているが,図示している範囲は,レンジビン数 M = 80

の内のレンジビン番号0から 50までの 0~15kmの領域である.また,四角形 1マスの色分けは右端に示すように風速幅の大きさを示している.ただし,散乱光パワースペクトルの受信強度が低いと計測結果の信頼性が低くなるため,受信信号品質を表す S/N が 6 dBより低い場合は灰色で表示している.第 11図から,飛行している所々に風速幅の変化している

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航空機搭載型ドップラーライダーにおける乱気流検知性能改善のための有色雑音低減法(淺原・稲垣・井之口) 15

(a) 白色雑音低減処理のみ

(b) (a) に有色雑音低減処理を追加

(c) (b) にスペクトル補正処理を追加

(d) 機体の垂直加速度(絶対値)

第 11図 乱気流計測結果(弱い乱気流に遭遇)

(a) 有色雑音推定範囲固定(L = 16,M = 50)

(b) 有色雑音推定範囲可変(L = 可変,M = 50)

(c) 有色雑音推定範囲可変時の平均化段数

第 12図 有色雑音推定範囲の可変効果

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16 日本航空宇宙学会論文集 第 60巻 第 4号(2012 年 8月)

領域があり,その領域が時間の経過とともに機体に近づき,機体に到着した時点で機体の垂直加速度が大きくなる状況が確認できるが,第 11図 (a)における白色雑音低減処理のみの評価では,有色雑音を信号と誤判定し,その S/N が6 dB 以上となっている影響で,計測距離が約 7~8km 以上の領域で風速幅の誤計測が多数発生しているのがわかる.一方,第 11図 (b)における (a)の処理に有色雑音低減処理を追加した評価では,有色雑音低減法により誤計測の原因となっている有色雑音が効果的に除去できているため,遠方の計測領域における信頼性が低い計測結果は灰色表示となっているもののそれ以外は信頼性のある計測結果が表示されるようになり,その結果,計測距離が約 7~8 kmから約 10~11kmへと約 40%程度改善され,有色雑音低減による計測距離の拡大効果が確認できる.さらに,第 11図 (c)

における (b)の処理にスペクトル補正処理を追加した評価では,(b)と比較して風速幅の変化をより明確に捉えることができるようになり,スペクトルフィッティングによるスペクトル補正の効果を確認することができる.このように,インコヒーレント積分処理では除去できない有色雑音をこの有色雑音低減法で低減することにより計測領域の拡大が可能になるとともに,これに加えてスペクトル補正処理を行うことにより近距離領域も含めた乱気流検知性能の改善を実現することができる.ただし,600m以内のごく近距離の計測については,送信信号の装置内部における回り込みが発生しているため,正しい計測値ではない.なお,今回計測した乱気流は弱い乱気流であったが,こ

のような弱い乱気流であっても風速幅と機体の垂直加速度の間に相関があることを確認することができ,第 1表に示した信号処理諸元による本方式が良好な乱気流検知性能を有しているのがわかる.また,開発しているドップラーライダーは高高度で突如発生する晴天乱気流などの雲や雨を伴わない乱気流の検知を主な目的としているが,雲などの影響により有色雑音の推定領域等の遠方で信号強度が一時的に高くなる状況を観測した場合でも,信号強度が一時的に高くなる直前の有色雑音推定結果を用いて有色雑音の除去処理を行い,航空機の移動により雲が自機に近づいて有色雑音推定領域が雲の遠方となった場合はその信号強度が急激に低下するためその領域で有色雑音の推定結果を再取得するという処理を行うことにより,本手法の適用が可能である.また,連続的に信号強度が高くなるような現象が発生したとしてもその場合には有色雑音の低減を行わなくても観測領域内で十分な信号強度が得られるので,計測上の問題はない.

5. 有色雑音推定範囲の可変処理

5.1 処理方法 前述した有色雑音低減法では,平均化段数 L を固定としたレンジビン番号m(= M −L~M − 1)の範囲で有色雑音を推定していた.しかしながら,計測距離は大気中のエアロゾルの密度等で変動するため散乱光の信号強度がほとんどない遠方計測領域の範囲も変動することになり,この領域が狭くなった場合は散乱光の信号強度

第 2表 方式評価の諸元 2

項 目 値変動検出間隔 Δ 4

変動検出閾値 Dth 5.0

変動検出カウント値 Dcnt 3

雑音位置オフセット Nofst 25

が存在する領域を有色雑音の推定範囲に含んでしまうことも考えられ,信号成分にも悪影響を与えてしまう可能性がある.そこで,散乱光の信号強度がほとんどない雑音のみと想

定される領域を推定し,その範囲で有色雑音を推定する方法を検討した.この方法では,第 10図に見られるように,雑音成分が支配的な領域では計測距離間において S/N の変動はほとんどないが,信号成分が支配的な領域では計測距離間において S/N の変動が生じるため,S/N 変動量を計測しこの変動量から有色雑音の推定範囲を決定する.まず,この変動量 D(m) を以下のように定義する.

D(m) = Si(m−Δ,Pk(m−Δ))− Si(m,Pk(m))

(15)

なお,Δ は変動量を算出するレンジビン番号間の間隔である.レンジビン番号m を M − 1,M − 2,· · · としてこの変

動量 D(m) を順次計算し,この変動量がある設定した閾値Dth を Dcnt 回連続して超えた時点のレンジビン番号X に対して雑音位置オフセット Nofst を加えたレンジビン番号を有色雑音推定の開始レンジビンとする.なお,この雑音位置オフセット Nofst は,第 10図に見られるように,雑音除去前の S/N 変動量の変化点付近(計測距離 8 km付近)には信号成分が含まれている可能性があるため,信号成分を除去しないように有色雑音の推定開始位置を補正するものである.すなわち,有色雑音の推定を行うレンジビン範囲は (X+Nofst)~M−1となり,雑音スペクトル Nave(n)

(n = 0~N − 1)は以下のように算出される.

Nave(n) =

M−1∑m=X+Nofst

Si(m,n)

M − (X +Nofst)(16)

この式 (16)を用いて,3.3節と同様の手順で風速幅などを算出する.5.2 性能評価 有色雑音低減法にこの有色雑音推定範

囲の可変処理を適用した場合の効果を確認するため,4.2節で用いたデータに対して評価を行った.方式評価の諸元を第 2表に示す.なお,有色雑音推定範囲の可変処理に関わる諸元以外は第 1表と同様である.第 12図は,第 11図と同じ評価データを用い,(a)はレ

ンジビン数 M =50,有色雑音推定範囲を固定(平均化段数 L = 16)として有色雑音低減処理を行い算出した風速幅,(b)はレンジビン数 M = 50,有色雑音推定範囲を可変として有色雑音低減処理を行い算出した風速幅,(c) は

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航空機搭載型ドップラーライダーにおける乱気流検知性能改善のための有色雑音低減法(淺原・稲垣・井之口) 17

第 3表 演算処理時間有色雑音 平均化 レンジビン 平均処理

備考推定範囲 段数 L 数 M 時間 [ms]

固定 16 50 3.89 有色雑音低減6 50 3.96 のみ

可変 36 80 4.22

(L:平均) 36 80 23.7 有色雑音低減+スペクトル補正

第 13図 S/N の距離特性

第 14図 有色雑音推定範囲可変時の平均化段数

レンジビン数 M = 50及び 80とし有色雑音推定範囲可変時の各時刻における平均化段数 L を示したものであり,第13図は,第 12図の評価データにおける 300mのレンジビン長ごとに 1秒間隔で観測した有色雑音除去後の S/N の4分間の平均値に対する距離特性である.また,第 14図は,第 12図の評価データにおける有色雑音推定範囲可変時のレンジビン数 M に対する平均化段数 L の平均値を示している.なお,これらの評価では,大気中のエアロゾル密度の変動等による計測距離の変化に対する有色雑音推定範囲の可変処理の効果を確認するため,擬似的にレンジビン数M = 50(有色雑音の推定範囲の最大値 15 km)に設定するなどして散乱光の信号強度がほとんどない領域を強制的に狭くしている.第 12 図から,レンジビン数 M = 50 に対して有色雑

音推定範囲を固定(L = 16)とした場合は,計測距離が10 kmを超える付近から有色雑音だけでなく信号成分を除去してしまうことによる計測距離の低下が見られるが,有色雑音推定範囲を可変とした場合は,例えば 90~150秒付

近で 10 kmを超える計測距離が確認できるなど,信号成分の除去がなく有色雑音の推定誤差も小さい第 11図 (b)の評価結果(M = 80, L = 16)と比較的良く似た特性が得られている.また,第 13図から,第 11図 (b)の特性(M

= 80, L = 16)と比較して,M = 50に対する L = 16の特性は計測距離 10~13km付近で S/N が約 1 dB低下しているが,L が可変の特性は S/N の低下があまり見られず,信号成分の除去による計測距離の低下が低減されているのがわかる.また,第 14図から,レンジビン数 M = 50

では平均化段数 L が平均的に 6レンジビン程度であるが,レンジビン数 M の増加に比例して平均化段数 L の平均値も増加しており,本方式により雑音推定範囲を適応的に変化させて雑音のみと想定される領域を有効に利用した有色雑音の推定が行われているのがわかる.すなわち,飛行高度の変化等による大気中のエアロゾル密度の変動で計測距離が変化し有色雑音のみとなる領域が変動する環境であっても,本方式の適用により有色雑音のみを除去した効果的な乱気流検知を実現することができる.5.3 演算処理時間 地上のドップラーレーダによる計測

では数分程度の計測時間が許容されるが,飛行中に実時間で乱気流検知を行うためには秒単位程度の計測時間しか許容できないなど,航空機搭載に向けた乱気流検知システムの適用においては計測精度改善に加えて,実時間で演算処理が実行できる必要がある.このため,有色雑音低減処理などに要する演算処理時間をPC上で評価した.第 3表は,第 12図で評価したドップラーライダーから 1秒間隔で出力される 4分間のスペクトルデータに対して,有色雑音の低減処理を実施して風速幅を算出するのに要した平均処理時間を計測したものである.なお,計測で使用した PCはNEC Mate(Intel R© CoreTM 2 Duo 2.93GHz,992MB

RAM:E7500)である.第 3表から平均処理時間は有色雑音低減処理のみで約 3~5ms程度であり,有色雑音低減処理にスペクトル補正処理を追加した場合でも約 24ms程度であることから,ドップラーライダーの計測データ出力間隔 1秒に対して実時間で処理することも十分可能であると考えられる.

6. お わ り に

JAXAでは,乱気流事故防止のため,レーザを用いて航空機前方の乱気流を事前に検知する航空機搭載型ドップラーライダーを開発している.このドップラーライダーの実用化に向け小型軽量化や低消費電力化を実現しながら遠距離領域での計測精度を改善し計測領域を拡大するために,ドップラーライダーが受信した散乱光パワースペクトルに対し最遠方の計測領域では散乱光の信号強度がほとんどないとみなしてその計測領域で雑音分布を推定し,計測領域のすべての信号強度分布から推定した雑音分布を減算して有色雑音を除去する有色雑音低減法を開発するとともに,飛行実験により取得したスペクトルデータを用いて本手法の性能を評価し,乱気流検知に対する検知距離の改善効果を明らかにした.今後は引き続き飛行実験を行い強い乱気流に

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遭遇した時のデータを取得して,機体の揺れが大きい場合の乱気流検知性能に対する評価を行い,乱気流検知装置の実用化に向けた検討を進めていく予定である.

参 考 文 献

1) 国土交通省: 平成 22 年度国土交通白書,第 II 部 国土交通行政の動向,第 6 章 安全・安心社会の構築,2011, p. 219.

2) Targ, R., Steakley, B. C., Hawley, J. G., Ames, L. L., Forney,P., Swanson, D., Stone, R., Otto, R. G., Zarifis, V., Brock-man, P., Calloway, R. S., Klein, S. H. and Robinson, P. A.:Coherent Lidar Airborne Wind Sensor II: Flight-Test Resultsat 2 and 10μm, Appl. Optics, 35 (1996), pp. 7117–7127.

3) Schmitt, N. P., Rehm, W., Zeller, P., Pistner, T., Reithmeier,G., Stilkerich, S., Diehl, H., Schertler, K. and Zinner, H.:The AWIATOR Airborne LIDAR Turbulence Sensor, Pro-ceedings of 2005 Conference on Lasers and Electro-OpticsEurope, 2005, p. 448.

4) Inokuchi, H., Tanaka, H. and Ando, T.: Development ofan Onboard Doppler Lidar for Flight Safety, J. Aircraft, 46(2009), pp. 1411–1415.

5) Nakabayashi, F. K., Misaka, T., Obayashi, S., Tanaka, H.and Inokuchi, H.: Filter Design for the Processing of NoisyLidar Data Using Measurement Integrated Simulation, Pro-ceedings of the 46th Aircraft Symposium, 2008, pp. 83–88.

6) 淺原 隆,稲垣敏治,井之口浜木:航空機搭載型ドップラーライダーによるスペクトルフィッティング法を用いた乱気流検知,日本航空宇宙学会論文集,59 (2011), pp. 236–243.

7) 深尾昌一郎,浜津享助: 気象と大気のレーダーリモートセンシング,京都大学学術出版会,京都,2005.

8) 遠藤栄一,張替正敏,浅香公雄:航空機の向かい風成分の変動を利用した乱気流検知方法,第 44 回飛行機シンポジウム講演集,2006, pp. 248–251.

9) 浅香公雄,亀山俊平,安藤俊行,柳澤隆行,大鋸康功,浜津享助,平野嘉仁:航空機搭載全光ファイバ型ドップラーライダの検討,レーザ研究,29 (2001), pp. 371–376.

10) Inokuchi, H., Tanaka, H. and Ando, T.: Development of aLong Range Airborne Doppler LIDAR, Proceedings of 27thCongress of International Council of the Aeronautical Sci-ences, ICAS 2010-10.4.3, 2010.

11) 稲垣敏治,淺原 隆,井之口浜木:搭載型ドップラーライダーのジェット機による飛行実験,第 48 回飛行機シンポジウム講演集,2010, pp. 550–556.

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