食用作物の伝説 - appsv.main.teikyo-u.ac.jp ·...

食用作物の伝説 - 140 (39)-

Upload: others

Post on 10-Sep-2019

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

食用作物の伝説

食用作物の伝説

      

フィリピンの愛の物語―

佐々木  

目次

はじめに

八編の伝説

 

1、最初のバナナ

 

2、バナナの起源

 

3、なぜマンゴーの実は心臓の形をしているのか

 

4、サンパロックの起源

 

5、ジャックフルーツの伝説

 

6、ココナツの伝説

 

7、米はいかにして発見されたのか

- 140(39)-

食用作物の伝説

 

8、ルディと不思議なサトウキビ

愛の物語

参考文献

はじめに

 

その土地に住む人たち、例えばアメリカ人・カンボジア人・タンザニア人はどんな人たちなのだろうか。この素

朴な問いに答えることは、当然のことながら簡単ではないし、不可能でさえあろう。視点をどこに置くかによって

答えは異なるだろうし、どの時代の人々かによっても様々な印象を私たちは持つことになるからである。しかし、

全体を一般化することは不可能であると知りつつも、この問いに対する関心を捨て去ることはできない。少しでも

自分の興味を満たしたいと考える。このようにして、私たちはその土地を旅したり、その土地を舞台にした文学作

品を読んだりする。

 

フィリピン諸島にすむフィリピン人とはどんな人たちなのだろうか。本稿はこの問いに答える一つの試みであ

る。より正確には、フィリピン人の持つ特徴、価値観の一部を概観する、とでも言うべきであろう。

 

フィリピン文学は一般的に四つに時代区分される。民族の伝統期、スペイン植民地の伝統期、アメリカ植民地の

伝統期、現代である(A

quino, 2000

)。あるいは、古代、スペイン時代、民族主義期、アメリカ時代、現代と、ス

ペインに支配された時代を二期に分ける場合もある(M

aramba, 2006

)。フィリピン文学の時代区分において、文

字で書かれた作品が登場するのはスペイン時代以降のことである。

- 139(40)-

食用作物の伝説

 

また、フィリピン史において事実の記述が始まるのは一六世半ばに始まるスペイン時代以降である。それ以前は

先史時代として、ヨーロッパ人来訪以前のフィリピン諸島の環境、周辺地域文化の影響、人々の風俗習慣、文化な

どが一括して扱われるのが一般的である(A

goncillo, 1990

)。これは、それ以前に文字で記録された資料が極めて

少ないことによる。事実としての歴史が自らの手によってではなく支配した側の人々によって書き始められたこと

は、先人たちが子孫に伝えたいと考える「歴史」、あるいは価値観、生きていくべき指針といったものを欠いてい

ると言えるのではないか。

 

しかし、フィリピンがヨーロッパ人に支配される以前の、民話・伝説などの口承文学は自らの価値観、守るべき

規範、環境との接し方などを、子孫を通して現代まで伝えてきたものである。これは、公式の歴史とは異なった経

路で伝わったものであるから、その時代時代の支配者・権力とは距離を置いてきたものである、と考えられよう。

 

食用作物は、フィリピン諸島に人が住みついてそこで暮らして来て以来、常に身の回りにあったものである。こ

れがなくては人々が現在まで命を繋ぐことはできなかったものである。最も身近で最も大切なものであったといえ

よう。本稿は、食用作物の伝説を読むことで、スペインやアメリカの影響を受ける以前のフィリピン人の持つ特徴

や価値観を、またスペイン人やアメリカ人が支配した時代であっても権力者とは距離を持っていたと考えられる

人々の特徴や価値観を知ろうとするものである。

 

使用したテキストは、ガウデンシオ・V

・アキノ編『父祖たちからの民衆の物語』(第一巻・三〇話、第二巻・三〇話)、

マーリーン・アギラー収集、編『フィリピンの神話と伝説』(第一巻・三〇話、第二巻・二五話)、およびアスンシオン・

D

・マランバ編『初期のフィリピン文学 

古代から一九四〇年まで』に所収された作品の中から、食用作物をモチー

フとする八篇である。各作品の収集者は、

 「1、最初のバナナ」「3、なぜマンゴーの実は心臓の形をしているのか」「4、サンパロックの起源」「7、米

- 138(41)-

食用作物の伝説

はいかにして発見されたのか」がF

・ランダ 

ホカノ(F

. Landa Jocano

)、

 「2、バナナの起源」がマキシモ 

ラモス(M

aximo Ramos

)、

 「5、ジャックフルーツの伝説」「6、ココナツの伝説」がマーリーン・アギラー(M

arlene Aguilar

)、

 「8、ルディと不思議なサトウキビ」がローレンス 

ウィルソン(L

aurence Wilson

)である。

八編の伝説

1、最初のバナナ

 

ずっと昔、ビコールにマリナイという名の愛らしい娘が住んでいた。マリナイは勇敢な娘であった。一人で森に

出かけていくことも怖くはなかった。

 

小さい頃からマリナイは妖精の話を聞いて育ってきた。この超自然的存在は泉の近くの寂しい洞穴に住んでいる

と聞かされてきた。

 

人々は、夜に妖精たちが呼び合う声が聞こえるから、洞穴に住んでいるのだと言った。また、おいしそうな食べ

物の匂いを嗅ぐこともあった。

 

人々はこうしたことを話してはいたが、誰も実際に妖精を見た者はいなかった。やがて若い娘となったマリナイ

はこれに興味を持つようになった。それで、妖精が見られることを期待して洞穴と泉の近くを歩きまわり始めた。

 

この愛らしいビコールの娘は知らなかったが、一人のハンサムな妖精が彼女を見ていた。この妖精の名はバルト

ンといい、妖精たちの首領の息子であった。

 

バルトンは、若いマリナイが泉と洞穴の周りで遊ぶのを、来る日も来る日も見ていた。やがてバルトンは娘を愛

- 137(42)-

食用作物の伝説

するようになった。そこで目に見えるように人間の姿になった。

 

ある日の午後、バルトンはマリナイを待っていた。そして娘がやって来たとき近づいて行った。娘は驚いた。し

かし、バルトンはマリナイに危害を加えるつもりはないからおびえなくてもいいと言った。

 

最初の出会いに続いて、二人は何度も会った。日が経つにつれて二人の若者は親しくなっていった。これが森の

恋物語の始まりであった。週に一度マリナイとその男友達は同じ場所で会った。やがて二人は一緒にいることを恋

い焦がれるようになっていった。

 

バルトンはマリナイに愛を打ち明けた。娘も愛しており、娘は悩むこともなくその愛を受け入れた。

 

それから、バルトンがもはや人間の姿ではいられない日がやってきた。超自然的存在のしきたりによって、いか

なる妖精も永遠に人間の姿でいることは禁止されていたのである。

 

バルトンが別れを告げたとき、マリナイはそれを理解できなかった。男は説明しようとしたが、事態は悪くなる

ばかりであった。マリナイは泣き続けた。

 「あなたと一緒に行きたい」。「あなたがいなければ生きていけない」とマリナイは涙を流した。 

 「それは知っている。しかし、ここに居続けることはできないのだ」とバルトンは涙ながらに言った。「僕の人

間としての時間は終わったのだ。僕はもともと居るべきところに帰らなければならない」

 

悲しみに打ちひしがれながらマリナイはバルトンを強く抱きしめた。置いていかないでと何度も懇願した。しか

し残された時間はなくなり出発を先延ばしすることはできなかった。バルトンの身体は徐々に薄らいでいった。

 

マリナイは恋人を引き留めるために全力を尽くした。バルトンを強くつよく抱きしめた。しかし、残ったものは

若者の両手だけであった。それ以外の身体は消えていた。

 

マリナイが悲しみと恐れを抱きながら手を握っていると声が聞こえた。「この手を私の思い出として土に埋めな

- 136(43)-

食用作物の伝説

さい」

 

マリナイは恋人が話した通りにした。翌日、マリナイはやわらかい茎と大きな緑の葉をもつ美しい植物が生えて

いるのを見た。毎日それが成長するのを見守った。ついにある日、その植物は不思議な形をした果実を生じた。果

実は人間の手に似ていた ―

バナナである!

*      

*      

 

この物語の舞台ビコール地方は、ルソン島東南部の半島部に位置する。主要都市はナガ市とレガスピ市で、住民

はビコール語を話すキリスト教徒が中心である。

 

バナナには様々な品種があるが、市場や果物店で多く目にするバナナは「ラカタン」や「ラトゥンダン」種であ

る。この物語では、「妖精の手」が変化したということから、日本で「モンキー・バナナ」として知られている「セ

ニョリータ」と呼ばれている品種であろうか。

2、バナナの起源

 

むかし、ラナオに緑の野と透明な水の小川、青い丘の王国があった。この王国は王女が治めていた。王女はとて

も優しく美しく賢かったので、臣民は王女を喜ばせることは何でもした。

 

男たちは「畑にたくさんの作物を作ろう。そうすれば我が女王様はお喜びになる」と言った。

 

女たちは「町をきれいに、家をきちんとしましょう。そうすれば私たちの女王様は私たちを誇りに思ってくださ

る」と言った。

 

子どもたちは「言うことをよく聞いて行儀よくしよう。そうすれば女王様も両親もいつも私たちを愛してくださ

る」と言った。

- 135(44)-

食用作物の伝説

 

信じられないかもしれないが、彼らは約束したことはその通りにしたのである。男たちは闘鶏場と賭場を焼き払

い一日じゅう畑で働いた。女たちは家を、あなたのおじさんの禿頭と同じくらいきれいにピカピカにした。子ども

たちはとても行儀が良くなったので、親はむち打ち棒を放り投げたし、教師たちはどうやって子どもたちに勉強さ

せるかよりも何を教えるかを多く考えることができた。

 

しかし、王国にこのことを全く嬉しく思わない人物が一人いた。この人物は邪悪な心をもった女王の女のいとこ

であった。彼女は、女王に代わって支配者になりたいと思っていたし、女王から王位を奪い取るための多くの方法

を考えていた。

 

多くの年月を女王は一人で治めていた。多くの他地方の王と王子たちが彼女の愛を求めてやって来た。しかし、

女王は言った。「もし私があなたたちから一人を選べば、他の人たちが怒ります。そうすれば戦争になります。わ

たしは、夫を選びもめごとを引き起こすよりも、一人のままでいて王国の平和を保とうと思います」

 

さて、邪悪な心をもったいとこは求婚者の一人を密かに愛していた。彼女はある計画を考えていて、この求婚者

をそばに連れてきた。それから耳元で囁いた。「どうして時間を無駄にするの。私のいとこの女王はあなたを愛し

ているのよ。でも女王はあなたの愛を受け入れられないの。それは、もしあなたの愛を受け入れれば、他の求婚者

たちが女王の王国と戦争を始めるかもしれないことを恐れているのよ。だから、軍をここに連れてきてあなたの競

争相手たちと女王の護衛兵を殺しなさい。そうすれば、住民すべてと女王、それに王国はあなたのものになります」

 

求婚者はこの言葉を信じ地元に出発した。それから最強の兵を集め急いで女王の王国へと引き返して来た。

 

ところで、明るい色をした魔法の鳥ノリが、邪悪な心をもった女の、求婚者との計画を聞いていた。ノリは女王

の住まいの窓辺に飛んできて羽ばたきして言った。「女王様、お聞きください。話したいことがございます」

 「続けて」女王が答えた。

- 134(45)-

食用作物の伝説

 「あなた様の求婚者の一人が、競争者たちとあなた様の護衛兵を殺す計画を立てています。その者はあなた様を

力ずくで奪い結婚する計画でございます。それだけではございません。御いとこ様があなた様の王位をほしがって

おり、あなた様を殺害しあなた様の夫の愛を勝ち取るまで動きを止めません」

 

話し終わって、魔法の鳥は飛び去って行った。女王は甚だしく苦しんだ。「ああ、私は王国を賢明に正しく治め

ようとしてきた。臣民をできるだけいい方法で喜ばせようとしてきた。しかし、自分自身のいとこが裏切るとは」。

女王は嘆いた。

 

彼女の心は悲しみに重く沈んだ。心が張り裂けんばかりに激しく泣いた。しかし誰にもその悲しみは見せなかっ

た。

 

夜になって、女王は宮殿にいるすべての者、従者、廷臣、護衛兵に城壁の外へ行くよう求めた。人々は女王がな

ぜこのような奇妙なことを求めたか不審に思ったが、きっと正当な理由があるに違いないと思った。それは、今ま

で浅はかなことは何一つしなかったからである。

 

宮殿にいる者たちが出て行った時、女王は自分の居室に鍵をかけて閉じこもり、部屋に火を掛けた。火はたちま

ち他の部屋にも広がっていった。人々は炎を見て急いで火を消すべく宮殿に入ろうとした。しかし女王は宮殿の門

にも鍵をかけていたのである。そして、女王は宮殿全体とともに炎の中で死んだ。

 

人々は深く女王の死を悼み亡骸の周りに美しい囲いを廻らせた。人々は「私たちをあれほども愛してくださった

女王様をたたえなければならない」と言った。

 

程ないある朝、遺灰の塚に奇妙な植物が現れた。その植物には大きな緑の葉がつき、幹は白くまっすぐと伸びて

いた。幹には棘はなく、風にその葉を優雅にはためかせていた。

 

その植物はバナナとして知られるようになった。人々は「これは私たちの女王様だ。女王様が再び生き返られた

- 133(46)-

食用作物の伝説

のだ」と口々に言った。

 

バナナの木は成長して、やがて赤い心臓の形をした花が内部から現れた。そ

の花から細長い果実が出てきた。果実が熟し、人々がそれを食べて言った。「と

ても美味しい。これは私たちへの女王様の贈り物だ」

 

このように言って人々はその果実を食べた。そしてすべての人が、女王様

の贈り物は女王様がそれまでにそうであったのと同じくらい甘美であると思っ

た。

 

女王の邪悪な心をもったいとこはといえば、神様が猿に姿を変えた。いとこ

は、女王の贈り物がとても美味しいことを知り、他のどの果物よりもバナナが

好きになった。

*      

*      

 

ラナオは、ミンダナオ島イリガン市を州都とする北ラナオ州とマラウイ市を州都とする南ラナオ州の二つの州に

よりなっている。ミンダナオ島の北東部に位置しているが行政区は中央ミンダナオに含まれる。主要民族はマラナ

オ語を話すイスラム教徒マラナオ族である。

 

バナナの実は赤紫色の大きな花、正確には花を包んでいる苞の根元に付く。この苞は野菜として食される。タガ

ログ語では、これをプソ・ナン・サギンと呼ぶ。プソは心臓、サギンはバナナである。したがって、プソ・ナン・

サギンは「バナナの心臓」の意味である。

- 132(47)-

図 1 バナナの木は成長して、やがて赤い心臓の形をした花が内部から現れた。その花から細長い果実が出てきた

食用作物の伝説

3、なぜマンゴーの実は心臓の形をしているのか

 

むかしむかし、アクラン州カリボのとある村にデオグドグという名前の男が住んでいた。男は気性が雷(デオグ

ドグ)のように荒々しかった。しかし、デオグドグはマブオトという優しく、親切で、思いやりのある女と結婚し

た。二人は愛らしい娘、アガンホンをもうけた。アガンホンは曙のように美しかった。

 

年月は過ぎ、アガンホンはこれまでにもまして美しい娘に育った。求愛する男が結婚を申し込みに次々に訪れた。

デオグドグはマコピグという名の男を選んだが、この男も手に負えない気性の持ち主であった。アガホンは跪いて、

無理にマコピグと結婚させないでくれるよう頼み込んだ。マブオトも夫の気持ちを和らげるべく涙を流した。

 「だめだ、アガンホンはマコピグと結婚しなければならない」とデオグドグは一喝した。

 

結婚の日取りが決められた。マコピグは愛らしいアガホンとの婚約を勝ち取った喜びで踊りだした。しかし、ア

ガホンは涙を流して嘆いた。何日間も家の中に閉じこもり一歩も外へ出てこ

なかった。

 

結婚の日がやってきた。デオグドグの家は客で一杯になった。まさに式が

始まろうとしていたが、アガホンはどこにいるのか。部屋にも、家の中にも

いなかった。村の中にもいなかった。

 

アガホンの身体が泉の近くで見つかった。すでに命はなく、胸に短剣が突

き刺さっていた。デオグドグは独りで家の中に閉じこもり、絶望で髪の毛を

かきむしった。

 

埋葬の後の夜、アガホンの霊が父のもとに現れた。霊は朝になったら泉の

そばに行くように命じた。それは、心臓の形をした実をつけた木を見つける

- 131(48)-

図 2 その木は心臓の形をした実をつけた。それを人々は、心臓の形をしたという意味のマンゴーと名づけた

食用作物の伝説

ことになるからである。

 「あなたが粉々にした私の心の形見としてこの実をとってください」

 

次の朝、デオグドグは霊に示された泉に走った。まさにその通り、目の前にがっしりした木が立っており、その

枝からは心臓の形をした実がいくつかぶら下がっていた。誰もあえてこの実を食べようとはしなかったが、一人の

勇敢な男がひとつ摘み取りうまそうに食べた。

 

今では悲しみに打ちひしがれているデオグドグは、人々にその木の種を植えるように言った。これは、子どもの

意思に反することをさせないことを、すべての父親に思い出させるものとしてである。

 

人々は言われたとおりにした。やがて村に多くの木が育った。その木は心臓の形をした実をつけた。それを人々

は、心臓の形をしたという意味のマンゴーと名づけた。

*      

*      

 

アクランは西部ビサヤ地方パナイ島北西部に位置する州である。アクラン州の州都がカリボである。住民は、人

口が三十八万と小数ではあるが独自のアクラノン語を使用する、キリスト教徒である。

 

マンゴーは甘い果物であるが、熟す前の緑色のマンゴーはとてもすっぱく硬い。この熟す前のすっぱく硬いマン

ゴーを一口大の大きさに削ったものが売られているのをいたるところでよく目にする。このグリーン・マンゴーに

バゴオンと呼ばれる発酵させたアミの塩辛をつけて食べる。この食べ方は特に若い女性に人気がある。

4、サンパロックの起源

 

むかしバタンガス州リパのとある村にティモという名の男が住んでいた。男はとても信心深い男であった。宗教

上の責務を果たし、敬虔な勤めを忘れることはなかった。

- 130(49)-

食用作物の伝説

 

収穫の時には常に天の神々に感謝の祭礼を行ったし、不作の月には森や川、山の神々を喜ばせるためにふさわし

い儀式を執り行った。

 

こうしたことから、天の最高位の神であるバトゥハラはティモを好ましく思った。バトゥハラはティモに惜しみ

なく恩寵を与えた。バトゥハラはティモの畑を十分すぎるほどの作物ができるようにした。実際ティモは望むもの

は何でも与えられた。

 

やがて、ティモは村一番の金持ちになった。広大な土地を手に入れることができたし、その土地にさまざまな作

物を植えた。食糧庫はいつでも穀類でいっぱいであった。竃から火が絶えることはなかったし、テーブルからおい

しい食べ物が無くなることはなかった。

 

飢饉の時には、村の誰もが、さらに近隣の村からも人々が、食料を求めてティモの元へとやって来た。人々はい

つでも、つらい時期が過ぎ去るまで生き延びるために足る食べ物を手にして帰っていった。

 

しかしティモの心に利己心が入り込んでくるのに長くはかからなかった。豊かさがティモにその土地の隅から隅

までにわたる権力と支配力を与え、これがティモを思い上がらせ、横柄にし、不敬にした。やがてティモは天の神々

への責務を忘れ始めた。

 

これがバトゥハラを怒らせた。偉大なる神は罰として雨を降らせないようにした。畑はすぐに乾き始めた。植物

は水不足から萎れ、役畜は空腹のために死んでいった。人々は狂乱した。人々は天の、川の、森の、山の神々に生

贄を差し出したり供物を捧げたりした。しかし、雨は来なかった。飢饉がその土地に猛威を振るった。

 

ある日、一人の若者がティモの家に来た。若者はぼろを着て弱々しかった。渇きで唇はからからになり、手足は

空腹で打ち震えていた。この若者は一杯の水と一握りの米をくれるように頼んだ。

 

この者を見てティモは怒った。そして物乞いに立ち去るように言った。ティモは腹を立ててこの者の前でバタン

- 129(50)-

食用作物の伝説

とドアを閉めた。男はそれでもドアをたたき食べ物を求めてうめき声をあげた。

 

怒ったティモはこのよそ者の顔を殴り「出て行け」と叫んだ。「恥を知るがいい。お前はまだ若いし丈夫だ。そ

れなのに食べ物をくれとは。出て行って食べられるように働け」

 「何も殴らなくてもいいでしょう」よそ者は弱々しく言った。「私はこんなに飢えているのにどうやって働ける

のですか。あなただって昔は貧しく飢えていたではないですか」

 

男の言葉にティモは恥じ入った。ティモは自分のしたことを悔やんだ。この過ちを埋め合わせるためにティモは

男を家に招きいれようとした。しかしよそ者は「なぜあなたは私を家に入れる前に殴ったのですか」と言ってこの

招きを断った。それから背を向け立ち去った。

 

若者が立ち去った後ティモは台所に戻った。驚いたことには準備していた食べ物が無くなっていた。ティモは食

糧庫に降りていった。米ととうもろこしは消え去り、代わりに不思議な形の果物を見つけた。好奇心からそれを割っ

て味を見た。とても酸っぱいものであった。

 

果物の酸っぱさにもがいている時ティモはよそ者の言った言葉を思い出した。その時ティモは、あの若者は怒っ

たバトゥハラが自分を試すためにやって来たことがわかった。悔い改めるには遅すぎたのだ! 

ティモは自棄に

なって窓から果物を投げ捨てた。それから村人にどこへ行くのかも告げずに出て行った。

 

何週間かが過ぎ去った。ある日、人々がティモの家の窓の外に美しい植物が育っているのを見つけた。この植物

は実を付けたが、この果物は酸っぱかった。この時から人々はこの木をサンパロックと呼んだ。利己心の酸っぱい

木という意味である。

*      

*      

 

バタンガスはルソン島南端に位置する南タガログ地方の南シナ海に面する州である。住民はタガログ語を話すキ

- 128(51)-

食用作物の伝説

リスト教徒が中心である。

 

タマリンドをタガログ語ではサンパロックという。お菓子としては、熟したサンパロックを砂糖で煮たものを

キャンディーのようにして食べる。しかし、サンパロックは調味料として大活躍する。フィリピン料理を代表する

「シニガン・スープ」は熟す前の若いサンパロックの酸味を利用した酸っぱいスープである。一九八〇年代後半に

筆者がホームステイしていたリサール州にある家庭には裏庭にサンパロックの木が何本かあり、シニガン・スープ

を作るときにはこの木から若いサンパロックを必要な分だけ採って利用していた。

5.ジャックフルーツの伝説

 

ムスリムの地ではスルタンが王国の最も力強い人物であり、臣下から全面的な忠誠と帰依を求めたし、そのよう

に法で命じられていた。このような忠誠と統一はこの当時の戦争や紛争、略奪においては必須であった。そして、

スルタンとその王国に対して反逆行為を表したものは誰であれ直ちに死が与えられることになっていた。そしてこ

の法に勝るものは誰もいなかった。

 

この物語はミンダナオの地の海に面して位置する隣り合う二つの王国に関係している。一方はダトゥ・サビワン

グの領地であり、もう一方は若きラジャ・ムダの王国であった。

 

両者はそれぞれの家臣にとっては優れた領袖であり、また二人とも恐れを知らぬ熟達した戦士でもあった。この

二つの王国はともに富に恵まれていたので、いつもお互いが、また他のよそ者がこの富を奪いにやって来はしない

かと警戒心を抱いていた。こうして、この二つの王国は絶えず争っていた。

 

ダトゥ・サビワングにはラジャ・ソライマンという名の端正な息子があった。この息子も父と同様に勇敢な戦士

であったが、血なまぐさい戦争が終結し、この地域のすべての人が絶え間のない恐怖ではなく、平和のうちに豊か

- 127(52)-

食用作物の伝説

で仲良く暮らすことができることを望んでいた。

 

ラジャ・ムダにはプトゥリ王女という名の若く美しい娘があった。ラジャ・ソライマンと同じく王女も戦争が終

わることを願っていた。彼女は勇敢な夫たちを戦場で失った妻たちの泣き声を聞くのに疲れ果てていた。父を失っ

た子供たちが泣き叫ぶのを聞くのに我慢が出来なかった。戦争は悲しむ妻たちと希望を失った孤児の土地、即ち両

王国の将来への悲しい遺産、を生み出すばかりであった。

 

王女は、血塗られた争いの後にはいつも、宮殿の自分の部屋に閉じこもり、死んでいった兵士とその嘆き悲しむ

家族のために涙を流した。王女は、意味のない殺戮を終わらせ、この地に平和を回復させるよう必死にアッラーに

祈った。

 

ラジャ・ソライマンは美しいプトゥリ王女を密かに愛していた。しかし、それぞれの家も王国も敵同士であった

ため、どれほど彼女を愛しているか、どれほど戦争が終結し二人がともに平和な生活を送ることを望んでいるかを

王女に伝えるために逢うすべはなかった。

 

ある日ラジャは、どれほど愛しているかを王女に伝える秘密の手紙を送ることを決心した。彼は手紙をアラビア

語で書き、その手紙をペットのカラスの脚に結び付け、そのカラスに風のようにプトゥリ王女の宮殿に飛んで行く

ように言った。

 

カラスは無事にラジャの元へと帰ってきたが王女からの返事はなかった。王子は何週間も王女が返事をくれるの

を待った。しかし、依然として返事は来なかった。

 

ラジャ・ソライマンは、どんな危険が伴おうともプトゥリ王女に会って話そうと決心した。そこである夜密かに

小舟を持ち出し、敵の土地へと出帆した。

 

王子の小舟がラジャ・ムダの土地の岸へと近づいた時、スルタンの兵士を乗せた船に不意に攻撃され、ラジャ・

- 126(53)-

食用作物の伝説

ソライマンの舟は打ち壊され、彼は残酷な海に溺れさせられてしまった。

 

悲しそうなプトゥリ王女は、高い城壁の眺めのいい場所から二人の侍女に付き添われてこの出来事を見て、勇敢

な王子が溺れているのを恐ろしいと思った。嬉しくも驚いたことには、強靭で勇敢なラジャ・ソライマンはどうに

かこうにか敵の岸へと泳ぎ着いた。しかし、疲れ切った王子が砂浜の上に立ち上がるとスルタンの兵士に再び襲わ

れた。兵士たちは、獰猛に打ちつけ血を流し感覚のなくなったソライマンの身体を海に投げ返した。

 

王女は衝撃を受けて、王子が数で激しく圧倒され正当に戦う機会が与えられないことは不公平だと思った。王女

と侍女は宮殿の境界を抜け出し、海の際へと急ぎ、手遅れにならないうちに体の自由が利かない王子を救おうとし

た。

 

王女と侍女は水際に到着し、王子が顔を下に向け水に浮かんでいるのを見つけた。王女と侍女はなんとか王子を

波打ち際に引きずり上げた。プトゥリ王女は王子がまだ亡くなっていないことが分かり感謝したが、王子は衰弱し

鼓動も薄かった。王女は王子を死なせまいと心に決めた。

 

敵を助けることは父親の法律を破ることを知ってはいたが、王女は侍女と連れだって意識のないラジャ・ソライ

マンを近くの老祈祷治療師マヌン・マルルの小屋へと運んでいった。

 

老女は特別な魔法の治癒力を持っていると信じられていた。もし誰かが傷ついた王子を救うことができるとすれ

ば、それは彼女であった。彼女の小屋は宮殿の護衛兵や兵士からも安全であった。この者たちは、老女の霊的な天

資に対する尊敬のしるしとして、絶対に面倒をかけることはしなかった。

 

王女と侍女が老女の小屋の入口に着くと、王女は誰に対してもこの出来事のことは一言も漏らさないように側近

に誓わせて引き取らせた。侍女たちが立ち去ると、プトゥリ王女はマヌン・マルルの小屋のドアをノックした。老

女は王女がそこに立っているのを見て驚いたが、さらに驚いたことには、血を流し、意識のないラジャ・ソライマ

- 125(54)-

食用作物の伝説

ンが足もとに横たわっているのが見えた。

 

王女は老女に懇願した。「このかわいそうな人を助けて、マヌン・マルル。この人は死期が近くて、あなたの魔

力が必要なのです」

 

手練手管の老女はラジャ・ソライマンに気がつき、王女に目を向けた。「この男はあなた様のお父上の最悪の敵

の息子です。この者を助けることはあなた様も私もこの土地の最高の法を犯すことになり、あなた様のお父上であ

るスルタンにより確実に死をもたらされることになるのですよ」

 

しかし王女は心に決めていた。「あなたは王女の命令に背くのですか。私は彼を助けることを命じます」

 

老女はへりくだって頭を下げ、誰も自分たちを見ていないことを確かめるべく密かに周りを見回して、王女が無

意識の王子を小屋の中に運び入れるのを手伝った。

 

小さな小屋の中で老女は、不可解な言葉で歌い、王子に魔法の呪文をかけた。彼女は魔力のある秘密の薬草を一

杯飲ませた。

 

王女と老女、それに王子にとっては長い夜だった。しかしようやく暖かい朝日が地平線に広がるころラジャ・ソ

ライマンはゆっくりと目を開けた。彼は、プトゥリ王女の美しく微笑んでいる顔が自分の上にかぶさっているのを

見て驚いた。彼女は「あなたが生きていて嬉しいわ」とはっきりと言った。

 

しかし王子が王女と老女に感謝の言葉を述べるよりも早く、遠くから戦争の音、兵士たちの戦いを準備する叫び

声や銅鑼の音が聞こえてきた。

 

ラジャ・ソライマンは病床から起き上がり王女の手をとり優しく握った。「申し訳ないが、私はここを離れ戦場

へ赴く父のもとへ行かなければなりません。私がここへ来たのは、私たちの二つの土地の間の戦争が止むことを

どれほど望んでいるかを伝えに……それにあなたに対する永遠の愛を表わすためです。いつの日か私たちが結婚で

- 124(55)-

食用作物の伝説

き、二つの土地を結び付け、私たちの王国の誰もが平和に幸福に暮らせることが私の望みなのです」

 

王女は王子の真摯な言葉に心を打たれた。王子が出発の準備をしているとき王女は彼にハンカチをあげた。それ

は貴重な真珠で飾られたものであった。「このハンカチをいつもあなたの心臓のそばにつけておいてください。こ

れは私のあなたへの愛の印です。どんなに長くかかってもあなたが帰ってくるのをお待ちします。アッラーがあな

たと共にいますように」

 

王子は王女の額に優しくキスし、戦場の父のもとに加わるため小屋を離れていった。彼は出て行く時、ペットの

カラスの脚に手紙を縛り付けて送ると言った。王女は白いハトを使って返信すると約束した。

 

二つの王国の間の血なまぐさい戦争は何か月も何か月も激しく続いた。両方の側に多くの未亡人と多くの孤児を

生み出し続けながら。

 

この間ラジャ・ソライマンとプトゥリ王女は多くの秘密の手紙を交換し、王女の中庭と王子の軍司令部の間を飛

ぶカラスとハトがしばしば見られた。

 

ある日、カラスがプトゥリ王女にとても悲しい知らせを運んできた。手紙で王子は、彼と父親であるダトゥ・サ

ビワングが戦争に敗れつつあることを伝えていた。彼らはほとんどの戦士を失い、ラジャ・ムダの優れた軍勢に対

し決定的な敗北が避けられないと思われた。

 

しかし王女の父親であるラジャ・ムダは野蛮人ではなかった。彼は賢く公平な男であり、敵に面目を保ち王国を

救う道を示した。翌日、ラジャ・ムダはダトゥ・サビワングに一つの謎を与えたのである。もしこの謎を正しく解

けば彼と家族の命は助けられ、王国を守ることができるというのだ。しかしもし正しく答えることに失敗すれば、

王国は奪われるのである。謎としてダトゥ・サビワングは何本かの針といくつかの石の入った密封された小袋が与

えられた。王国を守ることが許されるためには、小袋の中の針と石の正確な数を正しく言い当てなければならない

- 123(56)-

食用作物の伝説

のである。

 

王女はとても悲しく愛する王子とその父親の運命を心配した。彼女は、ダトゥ・サビワングとラジャ・ソライマ

ンが敗北のうちに自分の土地を諦めるよりもむしろ名誉の死を選ぶことを知っていた。王女は彼らを助けるために

何かをしなければならないと心に決めた。

 

王女は老女マヌン・マルルに会いに出かけた。マヌン・マルルはダトゥ・サビワングへの謎を作る役目が与えら

れていたのである。「マヌン・マルルさん、あなたが明日の謎を準備する役目を与えられていることは知っているわ。

私が心からラジャ・ソライマンを愛していること、だから彼と家族を死なせられないことは知っているでしょ。ぜ

ひ私にその謎の答えを教えてほしいの」と王女は懇願した。

 

老女は驚愕した。「あなた様は以前行なったことで私たちの命を危機にさらしました。今また、謎の答えを漏ら

すよう求めて確実に死をもたらそうとしています。私にはそれはできません」

 

しかし王女は譲らなかった。「マヌン・マルル、あなたには何ら危害が及ばないようにします。このことであな

たに何らかの非難が与えられたとしても、私がすべての責任をとります」

 

老女は少しの間考えて黙って頷き、王女に謎の答えを与えた。

 

喜んだ王女は宮殿まで走って帰ってきて、紙に謎の答えを書きつけ、ハトの脚にそれを結び付け夜の空へとハト

を放した。ハトは力の限り羽をはためかせラジャ・ソライマンの軍司令部へ向かって飛んで行った。

 

翌日の明け方、ダトゥ・サビワングとその王国の運命が決せられるその時が近づいたと両王国中に鐘と銅鑼が響

き渡った。

 

ダトゥ・サビワングとその息子ラジャ・ソライマンはラジャ・ムダの宮殿に呼ばれスルタンの前に立った。エメ

ラルドとルビーがちりばめられた赤い布製の、金糸で縒られた紐で固く縛られた袋が金色の盆に載せられて二人の

- 122(57)-

食用作物の伝説

男の前に差し出された。

 「殿方、貴殿の王国を救う運命はただ今貴殿の手中にある。目の前にある袋には石と針がいくつ入っているか述

べよ」とスルタンは重々しく言った。

 

ダトゥ・サビワングと息子は宝石のちりばめられた袋を長く厳しく見つめた。ラジャ・ソライマンの心臓は激し

く鼓動した。「もし王女のくれた答えが誤っていたらどうなるのか」「あるいは、もしこれが策略で、答えがまっ

たく王女から送られたものではなかったとしたらどうなるのか」と考えた。やがて王子は深く息をつき言った。「袋

には三八の石と二五〇の針が入っている」

 

スルタンは、ラジャ・ソライマンが謎に正しく答えたことに衝撃を受け面食らった。王子が袋の中にある石と針

の正確な数を知りうるはずがない。スルタンの信任が厚い誰かが裏切ったのである。そしてその者は裏切りに対し

て究極の代償を支払うことになる。

 

スルタンが二人の運命を決断する間、ダトゥ・サビワングとラジャ・ソライマンは拘束され、宮殿の地下牢に投

獄された。

 

裏切りの疑いが老女マヌン・マルルにかけられた。彼女はスルタン以外に謎の答えを知る唯一の人物であった。

尋問を受けて、老女は自分がスルタンの信に背き謎の答えを漏らしたことを認めたが、この反逆行為にスルタンの

娘は巻き込まなかった。

 

即刻処罰を与えるべく、スルタンは老女を宮殿の前庭にある磔の木に縛り付けるよう命じた。そこで老女は王国

に対する罪として火あぶりにされるのである。ダトゥ・サビワングとラジャ・ソライマンが、処刑を見せるために

地下牢から連れてこられた。

 

スルタンの兵が、老女の周りに置かれた木の枝に燃え盛るたいまつの火を点けようとしたちょうどその時、プ

- 121(58)-

食用作物の伝説

トゥリ王女が彼女を助けにやってきて、スルタンの信頼に背くようマヌン・マルルに強いたのは自分であると言っ

た。ラジャ・ムダは自分の娘が罪の責めを負うべきことに打ちのめされた。

 「裏切ったことをお許しください、お父様」と王女は涙を流した。「でも、私は心からラジャ・ソライマンを愛

していて、何もしないでただじっと待っていることはできなかったし、お父様が彼と彼の家族それに彼の王国を滅

ぼすのを見ていることができなかったのです」

 

スルタンの心は娘に対する悲しみに耐えがたいほど重かった。「お前が善意から行ったことはよくわかった。し

かしお前はこの土地の最高の法を破ったのだ。たとえ王女とても法を超えることはできない。それは私に耐えがた

いほどの悲しみをもたらしはするが、お前が行った不法の結果を受け入れ老女の代わりに磔になり身を焼かれなけ

ればならないと宣言せざるを得ないのだ」。スルタンは娘にキスをし、目に涙をためて言った。「私を許しておくれ」

 

王女は、兵により拘束され木の磔に縛り付けられたとき父親に優しく微笑んだ。「お父様、許しますわ」とささ

やいた。

 

しかし兵隊が王女を火あぶりする準備をしていたとき、ラジャ・ソライマンがスルタンの兵の束縛から逃れ王

女の父親のもとに駆け寄った。彼はスルタンの前に跪いた。「ラジャ・ムダ、お願いでございます……王女の命を

お助けください」。彼は懇願した。「長年の間、両王国は多くの命を不必要に失い多くの血を流し戦ってきました。

何年もの間、あなたの娘さんと私はこの破壊的なむごい争いが終わるように祈ってきました。どうぞ私とあなたの

娘さんとの結婚をお許しください。私たち二人は、我らの臣民すべてとその将来の幸福のために平和と繁栄の旗の

もとに両王国を再建するためにともに力を尽くすことをお約束します」

 

スルタンは王子の平和を求める訴願に胸を打たれた。彼は王子の肩を軽くたたき起き上がるように命じた。「私

は君の訴願が心からのものであり、アッラーの望みに祝福されていると信じる。私は君にわが娘と結婚する祝福を

- 120(59)-

食用作物の伝説

授けよう」

 

兵隊が王女を解放し、王女が駆けて王子の腕に抱かれたとき、前庭にいた誰もが喝采した。二人はともに喜びの

涙を流した。スルタンは兵にダトゥ・サビワングを解き放つよう命じ、二人は友情の握手をした。

 

マヌン・マルルが石と針の入った赤い袋を持って進み出た。そしてダトゥ・サビワングとラジャ・ムダのほうに

向き赤い袋を頭上に掲げ、呪文を唱えた。「この栄えある日を賛美するよう霊たちにお願いする。プトゥリ王女と

ラジャ・ソライマンの愛の力が、長く二つの王国を引き裂いてきた憎しみと不信、それに殺戮に結末をもたらした

この日を。神秘に満ちた霊たちに、この特別な日を永久に思い起こさせ、それゆえに私たちの土地が永遠に結合し

続けるしるしを私たちに与え給うことをお願いする」

 

老女はそれから赤い袋を地面に投げすて、未知の言葉で不思議な理解不能な詞を発した。直ちに赤い袋はまばゆ

いばかりの内部の光で輝き始めた。その光にその場にいた者たちは目を覆い驚きの息を吐いた。袋はそれから炎を

あげて燃え上がり、前庭中に白く輝く煙をうねらせた。煙が晴れ渡ったとき、赤い袋は前庭の地面の上で黒い一片

の布きれにすぎなくなっているのを人々は見た。しかしそれから驚く群衆の前で、この黒い地面が裂けはじめ、そ

の中央から枝のような植毛が上に向かって巻き上がり、すぐに小さな木に姿を変えた。人々が何を目撃しているの

か理解できないでいるうちに、奇妙な緑の果実が、風船が膨らむようにこの不思議な木の枝に現れ始めた。

 

驚きで人々が前庭に立ち尽くしていると、マヌン・マルルが微笑みながら木に歩み寄り大きな緑の果実を一つ摘

んだ。マヌン・マルルがそれを持ち上げたので、群衆は果実の外被が何百もの鋭い針で覆われているのを見ること

ができた。それはまさに赤い袋に入っていた針のようであった。老女はそれから一人の兵隊から刀を借りて不思議

な果実を半分に切った。この独特な果実の種が赤い袋に入っていた石と同じ色と形をしているのを見た群衆は、再

び驚いた。

- 119(60)-

食用作物の伝説

 

これに続く数日のあいだ両王国の人々は祝宴をあげお祝いした。祝宴は長

年の戦争の終わりと平和の始まりだけではなく、プトゥリ王女とラジャ・ソ

ライマンの喜びにあふれた結婚を祝うものでもあった。

 

そして当然の如く、両王国のあらゆる宴会と晩餐の食卓では、外側には「針」

があり内側には「石」を持つ不思議な緑の果実が最上位を占め、すべての人

にそれが代表する喜びを思い出させるのであった。今日、私たちはこの不思

議な緑の果実を「ジャックフルーツ」と呼んでいる。

*      

*      

 

この物語の舞台はミンダナオとされ、ミンダナオのどこかは特定されてい

ない。ミンダナオ島はルソン島に次ぐフィリピン諸島第二の面積を持つ島で

ある。地理的にインドネシアに近いこと、ボルネオ島からミンダナオ南西部

にかけてスールー諸島が列状に点在することなどのため早くからイスラム商

人が来訪しており、先スペイン期にはすでにスルタンを首長とするマギンダ

ナオ王国が存在した。また、スールー諸島にもスールー王国が存在した。

 

英語名「ジャックフルーツ」をフィリピンでは「ランカ」と呼ぶ。巨大な

果実で、時に二〇キログラムにもなると言われている。巨大な果実が直接幹

に付いている様は、熱帯地方の生命力といったものを感じさせてくれる。果

実の表面は短い突起で覆われているが、「針」のように鋭い突起ではない。内

部には黄色い種が種衣に包まれて放射状に並んでいる。果物としては、種の

- 118(61)-

図 4 この独特な果実の種が赤い袋に入っていた石と同じ色と形をしているのを見た群衆は、再び驚いた

図 3 群衆は果実の外被が何百もの鋭い針で覆われているのを見ることができた

食用作物の伝説

周りの種衣を食べる。また、東南アジアでは未熟の果実を野菜として食べることも一般的で、インドネシアの中部

ジャワ・ジョグジャカルタの名物料理グドゥッは、未熟のジャックフルーツを細かく刻み、鶏肉、鶏卵、豆腐など

と甘く煮込んだ料理である。

6、ココナツの伝説

 

ずっと昔、高い山の近くにとても優しい心をもった母親が住んでいた。母は幼い子どもたちを心から愛し、子ど

もたちをよく世話し十分に食べさせるために一生懸命に働いた。これは簡単ではなかった。子どもが十人いたから

である。

 

ある日、母は重い病気に罹り眠っているうちに穏やかに亡くなった。亡骸は裏庭のつましい墓所に埋葬された。

残された十人の子どもたちは、愛する母親を亡くしたことをとてもとても悲しみ、庭に座り泣き叫んでいた。

 「これから誰が僕たちの面倒を見てくれるの」と長男は泣き、「誰が一体食べ物を持ってきてくれるの」と姉が

泣き、「洗濯は誰がしてくれるの」と妹が泣いた。

 

突然、庭に明るい光が現れ、白い衣装をまとった美しい女性が驚く子どもたちの前に現れた。白い衣装をまとっ

た女性は微笑みながら言った。「怖がらないで。お母さんはあなたたちを捨てたのではありません。お母さんの魂

はあなたたち一人ひとりの心の中に住んでいてずっと心の中に留まっているのです。でも、お母さんのお墓の世話

をし、毎日訪ねていくことを忘れてはなりません。あなたたちが私の言うようにすれば、お母さんは死んだ後でも

あなたたちをとても愛してくださり、いつまでも世話をしてくれることが分るでしょう」。この慰めの言葉ととも

に、白い衣装をまとった女性は現れた時と同じように突然消えた。

 

子どもたちは、直接に向かい合ったのではあるが、白い衣装をまとった女性の言葉が理解できなかった。それで

- 117(62)-

食用作物の伝説

も、愛する母親への尊敬の念から、雨の日も日の照りつける日も毎日お墓を訪ね墓の番をした。

 

数日後、子どもたちは、母親のお墓の真中から小さい木が生えているのを見て驚いた。その木はとてもはやく成

長し、数時間で家の高さにまでなって、てっぺん近くには大きな金色の果実をつけていた。

 

子どもたちは仰天した。この木は不思議な白い衣装をまとった女性の言葉と何か関係があるのだろうか。「木に

登って果実を採ってみよう」と興奮した長男が言うや否や、すぐにてっぺんを目指して木の幹をよじ登って行った。

やがていくつかの大きくて重い金色の果実を採って弟や妹のいる下の地面に落とした。もう一人の弟が興奮気味に

腰のベルトから山刀を抜き取り、不思議な形をした果実に穴をあけた。

 「果実の中にジュースが入っている!」姉妹の一人が、果実から滴り落ちる透明な液体を見て叫んだ。「おいし

い!」と微笑んだ。他のきょうだいもこのジュースを待ち切れずすぐに他の果実に穴をあけて中の液体を飲んだ。

やがてきょうだいはみんな甘い味のする液体で元気を回復した。

 

それから男のきょうだいの一人が山刀を取り出し、果実を半分に切った。この不思議な果実の中が甘い香りのす

る白い果肉に覆われているのを見て驚いた。彼は注意深くこの不思議な白い果肉の味を見て笑顔で断言した。「お

いしい!」すぐにすべての果実を半分に割って、お腹を空かせた子どもたちは白い果肉をすべて感謝してむさぼり

食べた。

 「この不思議な果実があれば、僕たちは一生食べ物や飲み物に困らない」と長男が言った。そして、幸運な子ど

もたちは残りの不思議な果実を庭の地面のあちこちに植えた。数日すると庭は多くの高い木々で覆われ、その木々

には多くのすばらしい金色の果実がついていた。

 

その日から十人の子どもたちは二度とお腹を空かせたり、渇きを覚えたりすることはなかった。白い衣装をま

とった女性の言葉は真実と判明した。子どもたちの母親は、決して彼らを見捨てることはなかったし食べ物を与え

- 116(63)-

食用作物の伝説

続けたのである。たとえそれが墓所の向こうからであったとしても。

 

これがおいしいココナツ果実の起源であり、今はそれを「ブコ」と呼んでいる。そして私たちはそれを今日まで

食べたり飲んだりし続けているのである。* 

     

*      

 

この物語では舞台が特定されていない。

 

ココナツの木はトゥリー・オブ・ライフと言われるように、幹、葉、果実とほとんどすべての部位が利用される。

果実はそのまま食べるだけでなく、様々に加工し工業用にも利用されている(佐々木 

二〇〇八年)。

7、米はいかにして発見されたのか

 

むかし食べ物はとても豊かにあった。人は畑で働かなくともよかったし、作物を植えなくともよかった。お腹が

すいたときにすることといえば、食用根や果物を集めることだけであった。川は蝦、貝、魚で満ちていた。

 

西ビサヤ地方にシギンホンという名の男とその妻ティギニアンが住んでいた。二人には長いこと子どもがなかっ

た。それで、よく山の斜面を歩き回った。

 

とうとうティギニアンが妊娠した。このためにティギニアンは山を上り下りすることが難しくなった。シギンホ

ンは動きまわらないでいることに決めた。ある日、シギンホンは最適な場所を探しに出かけていった。

 

このとき不思議なことが起こった。丘の斜面が乾いたのである。人々が精霊に祈りを捧げたり先祖の霊に供物を

差し出したりしても雨は一向に降ってこなかった。

 

この日照りは何か月も続いた。小川は浅くなり、泉も干上がった。草木は多く死に絶えた。食用根や果物も乏し

くなってきた。

- 115(64)-

食用作物の伝説

 

ティギニアンが出産したとき食べ物はほとんど見つからなかった。しかし乳をあげる母親は赤ん坊に栄養を与え

るために多くの食べ物を必要としたので、シギンホンが食べ物を探す以外に頼みの綱はなかった。ある朝シギンホ

ンは出かけた。山を登り、森の中を探し、川に沿っていった。しかし、食べ物は見つからなかった。

 

こうして探しているうちにシギンホンは山の頂上にたどり着いた。ここでシギンホンは背の高い草が生えている

のを見つけた。この植物は今まで見たことのないものだった。そばに近づいて見ると、この植物は重々しく小さな

種子をつけているのが分かった。

 

小さな種子に触ろうと思い前に歩を進めると、植物が彼に話しかけた。

 「私たちを家に持ち帰って、種子の皮をむき、きれいになった種子を煮て、それを食べなさい」

 

シギンホンは恐れた。しかし、その植物は何も恐れることはないと断言した。植物は赤ん坊に栄養を与える手助

けをしたかっただけなのである。

 

若者は言われたようにした。

シギンホンが家に着いたとき、ティギニアンにこの幸運を話した。二人はいっしょに茎から種子を取り外し、大き

な石の上でその種子を砕いた。こうして殻が取れた。この後、きれいになった種子を煮た。

 

煮えた種子は食べてみるとおいしかった。二人はこの食事に満足した。食後に二人は休んだ。横になっていると

きシギンホンは「もし種子をたくさん集めてきてここに植えたら、おそらくもっとよくなるんじゃないか」と妻に

言った。

 

ティギニアンは、それはいい考えだと思った。そこで出かける準備をした。二人が出発しようとしたとき、種子

が話しかけてきた。

 「あなたたちが十分なだけ私たちを得たら、種まきをする前に山の斜面をきれいにしなさい」

- 114(65)-

食用作物の伝説

 

シギンホンとティギニアンは喜んで答えた。二人は山の斜面をきれいにすることに同意したのである。実際、二

人は進んで近くの泉からの水の流れの向きを変えた。

 

二人はもっと多くの種子を探しに出かけた。昼過ぎに帰ってきてからは茎から種子を取り外した。それから山の

斜面をきれいにし、その種を植えた。

 

このときには赤ん坊はもうだいぶ大きくなっており、言葉を話し始めていた。ある日、ティギニアンとシギンホ

ンが晩御飯の仕度をしていると、赤ん坊が腹ばいになって台所のほうにきた。煮た種子のいい匂いが子どもを惹き

つけたのである。赤ん坊は「パ・アイ、パ・アイ」と言い始めた。

 

ティギニアンとシギンホンはいい匂いのする種子にまだ名前を付けていなかったので、子どもが言ったのを少し

変えて、「パライ」と呼ぶことにした。この言葉は「いい精神」の意味を持つ。

*      

*      

 

ビサヤ地方は、北部にあるルソン島と南部のミンダナオ島に挟まれた多数の島々からなる地域である。代表的な

島々は、サマール・レイテ・セブ・ボホール・マスバテ・ネグロス・パナイ島である。ビサヤは、西ビサヤ・中央

ビサヤ・東ビサヤの三つの行政区分からなるが、西ビサヤ地方には、パナイ島とネグロス島の西側の西ネグロス州

が含まれる。この地域はヒリガイノン語を話すイロンゴ族の土地である。

 

米を主食とする日本人に米・稲・籾・飯・粥など、「コメ」にまつわる語彙が多数あるように、フィリピン人も

多くの語彙を持つ。物語に出てくる「パライ」は脱穀する前のコメである。脱穀すれば「ビガス」に、それを炊け

ば「カニン」である。炊いた時に鍋の底にできるおこげは「トゥトン」、お粥は「ルガウ」、もち米は「マラグキッ

ト」である。筆者がホームステイ先で受けた印象では、「カニン」を食べない食事は、食事として完成していない

ことである。つまり、パンや麺類とおかずだけでは、十分に食事をしたとは考えていないような印象を受けた。

- 113(66)-

食用作物の伝説

8、ルディと不思議なサトウキビ

 

むかしカガヤン川沿いのタムスィという小村に夫婦が住んでいた。男の名はトゥンギといい、妻はルディといっ

た。この夫婦はその村のイロンゴットの中で一番の働き者であった。この村の人々はサツマイモと肉、それに時々

魚を食べて暮らしていた。

 

ルディは大きな畑にサツマイモを植え毎日草取りをしていた。一方トゥンギは森に行き弓矢でイノシシや鹿を

狩った。そして時々は川に行きパンダルという銛で魚を捕った。この夫婦は自分たちの暮らしに満足していた。特

にトゥンギが大量の肉を持ち帰って来た時にはそうであった。

 

ある日ルディはサトウキビを植えようと思い立った。そこで植えるためのサトウキビの茎を探すべくトゥンギを

送り出した。トゥンギは隣村に行き二本の茎を見つけることができた。トゥンギはそれを家に持ち帰り、小さいが

高床の家の踏み石の近くの地面に置いた。それから家に上っていったら、妻はぐっすりと眠っていた。

 

トゥンギは妻を起こしたが、妻は混乱した。夢を見ていたからである。夕食の前にルディは夫に夢の話をした。

ある女が、飢饉が来るから大量のサツマイモとサトウキビを植えるようにルディに助言したという夢を見たのであ

る。夫に夢のことを話した後で二人はこれを強く心にとどめた。それから、ルディは夫にサトウキビを持ち帰って

きたかと尋ねた。夫は「持ち帰った」と踏み石の近くの地面に置いた二本の茎を指さした。夫婦はそれから夕食を

とった。

 

夕食を終えると二人はいつも通りに横になって休んだ。トゥンギは眠ったが、ルディは眠れなかった。夢で告げ

られた飢饉がやってくることが気になったからである。そこでルディは

イラヤオ(ilayao

)を手にとってサトウ

キビを植えるために外へ下りて行った。そしてサトウキビを小さく切ってすべて家の周りに植えた。それはその年

の最初の月であり、地面は雨が降らず乾いていた。それで植えたばかりのサトウキビに毎日午後に水をやった。一

- 112(67)-

食用作物の伝説

つ心配事があった。それは水をやることができなかったためにサツマイモが萎んできていることであった。しかし

ルディは自分に言い聞かせた。「サツマイモはもう収穫できそうだし、蔓を家のそばに植えかえよう。そうすれば

毎日水がやれるから」

 

ある朝ルディは籠(ラクボット)を担いで、サツマイモが収穫できるかどうかを見に畑へ行った。実を一つ掘り

だしてみて収穫できることがわかった。ルディが腹を立てたことには、いくつかのサツマイモが鼠にかじられ食べ

られなくなってしまっていた。ルディはラクボットが一杯になるまで掘り続け、それから家に帰って行った。

 

家に着くとすぐ夫に作物の状態を話した。ルディはトゥンギにサツマイモを掘って、蔓を家のそばに植えかえる

のを手伝ってくれるように頼んだ。夫婦はサツマイモをすべて掘った。それは十杯の籠をいっぱいに満たした。二

人はそれを家の一角に積み上げた。

 

一か月後のある朝早く、トゥンギは狩りをしに森へと行った。一方ルディは作物に水をやりに出かけた。ルディ

はサトウキビの成長の速さを見てとても嬉しかった。わずか一か月で腰よりも高く成長していたからである。「こ

れは不思議なサトウキビに違いない」と言い、「今ではたとえサツマイモをぜんぶ食べてしまってもまだ食べ物が

ある」とも言った。ルディはサトウキビを根気よく家の支柱に縛りつけてから食事の支度をしに高床の家に上って

行った。

 

トゥンギはその日遅く帰宅したが、獲物としては一匹の猿しか持ち帰らなかった。家のすぐ近くまで来たとき、

数人の女が空っぽの籠を背負い反対方向からやってくるのを見て驚いた。トゥンギと女たちは同時に家の踏み石の

ところに着いた。挨拶をした後、トゥンギは女たちに何がほしいか尋ねた。女たちは泣き声になって食べ物を懇願

した。トゥンギは大声で「マビセン」(飢饉)と泣き叫ぶ女たちの様子を見て衝撃を受けた。それから妻を呼び、

腹を空かせた女たちに三個ずつのサツマイモを与え、自分たちにもあとわずかしか残っていないことを説明した。

- 111(68)-

食用作物の伝説

 

やがて夫婦は飢饉がますます酷くなっていくのを見た。小村の住民すべてが食べ物を探してあちこちを歩き回っ

た。夫婦にもわずかのサツマイモしか残っていなかった。この当時トゥンギの猟も不運続きであった。多くの人々

がサツマイモに代わるブガ(根菜)を求めて森に分け入ったため、野生動物が森深くへと立ち去ったからである。

ルディは自分たちの食料を心配し始めた。夫婦にはわずか籠いっぱいのサツマイモしか残っていなかったので、ル

ディは一回の食事につき二個のサツマイモに制限した。

 

次の月のある朝、母親の背中にしがみつきお腹を空かせ泣き叫ぶ赤ん坊を連れた家族が何組か夫婦の家を訪ねて

きた。彼らが言うには、何日も食事にありつていないとのことであり、食べ物を懇願した。夫婦にもわずかしかサ

ツマイモが残っていなかったのでサツマイモはあげることができなかった。しかし代わりに、サトウキビを切り倒

すことは承諾した。この時までにサトウキビは家の高さにまでなっていたのである。ルディは茎を切り分け人々に

分け与えた。人々は大いに感謝して帰って行った。

 

次の朝別の集団が夫婦の家を訪ねてきて食べ物を求めた。心優しいルディはもう一本サトウキビを切り倒した。

そしてこのようにして毎日腹を空かせた人々がトゥンギとルディのもとを訪ねてきては食べ物が与えられた。サト

ウキビは食べ尽くされようとしているかに見えたが、そうはならなかった。夫婦は不思議なサトウキビに感謝した。

それは多くの人々を飢餓から救ったのである。飢饉の後、トゥンギはイロンゴットのその小村の首長になり、ルディ

はいつまでもイロンゴットの人々に大切にされた。

*   

*   

*   

*   

 

カガヤン川は、ルソン島北部の中央コルディリェラ山脈とシエラ・マドレ山脈に挟まれた、南から北に向けて流

れる全長三五二キロ・メートルの大河である。このカガヤン川に沿った地域はカガヤン・バレーと呼ばれ、行政的

にはカガヤン、イサベラ、ヌエバ・ビスカヤの三州からなる。イロンゴットは、ヌエバ・ビスカヤ州南西部の高地

- 110(69)-

食用作物の伝説

にすむ少数民族である。人口は二千から三千名と推定されている。

 

この物語ではサトウキビの生命力の強さが語られているが、農学者である木谷収も次のようにサトウキビの特徴

を述べている。「……サトウキビはイネ科のC

植物で、生産性が高く、一ヘクタール当たり平均約七〇トンの収

穫があります。植え付けは挿し木でおこない、高さ三メートルほどに成長し、茎の中の糖分が高まったら刈り取り

ます。刈りあとから芽が出てきますから、これを育ててまた収穫することを数年くりかえします。手間のかからな

い栽培法です(木谷 

二〇〇七年)」

 

なお、文中に出てくる「イラヤオ(ilayao

)」は、意味が不明である。この語はイロンゴット語であるため、筆

者の持つ辞書には記載されていなかった。数名のフィリピン人に尋ねてみたが、誰も知らないとのことであった。

文脈から、「鍬」あるいは「鎌」の意味であろうか。

愛の物語

 

本稿で訳出した八編は「はじめに」にあげた五冊の著作に登場する、食用作物をモチーフとした伝説のすべてで

ある。つまり、筆者がある目的をもって作品を選んだのではないことをまず述べておきたい。

 

フィリピンは大きくルソン、ビサヤ諸島、ミンダナオの三つの地域に分けられるが、舞台が特定されていない「コ

コナツの伝説」以外の七つの各物語の舞台は、ビコール地方を含むルソンが三編(「最初のバナナ」「サンパロッ

クの起源」「ルディと不思議なサトウキビ」)、ビサヤ諸島が二編(「なぜマンゴーの実は心臓の形をしているのか」「米

はいかにして発見されたのか」)、ミンダナオが二編(「バナナの起源」「ジャックフルーツの伝説」)と、一地域に

偏ることなく、全国からバランスよく集められている。また、それぞれの作物は特にその地域の特産物といったも

- 109(70)-

食用作物の伝説

のではなく、フィリピンではどこでもよく目にするものである。このことは、フィリピン全土の各地域でさらに多

くの食用作物をモチーフとする伝説が伝えられてきていることを予想させる。さらには、ここに取り上げられた七

種類の作物はフィリピンのみならず東南アジアではきわめて日常的な作物である。つまり、東南アジアのフィリピ

ン諸島という地域に住むことになった普通の人々が、ごく身近にあった食糧に彼(女)らの人生観・価値観を託し

たものがここにあげた八編の伝説ということができるのではないだろうか。

 

各物語のテーマを概観すると次のようになる。

 「最初のバナナ」は妖精の男性と人間の娘との恋物語である。もともと成就することのない恋は、形見として妖

精の手を残し離れ離れになるが、その「手」が手の形の実を持つバナナという植物になったという話である。「マ

ンゴーの実」の話はこれとは反対に、親に強制された愛のない結婚により自ら命を絶った娘の心の形見として、心

臓の形をしたマンゴーの実を残したという物語である。「ジャックフルーツの伝説」は若い男女の悲恋を扱ってい

る。敵対し合う二つの王国の領主の息子と娘の許されない恋は破局に向かうかのように思われたが、二人の死を覚

悟した勇敢な行為が結局は報われ二人の愛が成就し、敵対し合う二つの王国に平和をもたらしたという物語であ

る。ジャックフルーツは二人の愛の象徴として生まれてくる。

 

これら三つの男女の恋愛の物語とは異なるが、「ココナツの伝説」も親子の愛情をテーマにしている。亡くなっ

た母親の墓の番をする残された子どもたちを思う母親の愛情がココナツの木となり、食料になって子どもたちの命

を養っていった。また、「バナナの起源」は、王国を治める王女と臣民の愛と信頼の物語である。絶対的な愛と信

頼に基づいていた王国の平和が、王女の身内の裏切りにより崩れる。この裏切りに絶望した王女は死を選ぶのであ

るが、臣民に対する愛情は死後も続く。王女の心臓の形をした花から甘美なバナナが生まれた。これは王女の臣民

への贈り物だったのである。

- 108(71)-

食用作物の伝説

 「米はいかにして発見されたか」において、米を発見したのは仲の良い「いい精神」を持つ勤勉な夫婦であった。

また、「ルディと不思議なサトウキビ」においても夢の中でサトウキビを植えるように告げられたのは心優しい夫

婦であった。この夫婦は、飢饉がきて自分たちの食料が少なくなってきても、空腹な人々にサツマイモやサトウ

キビを分け与えた。このまま与え続ければサトウキビは尽きるように思えたが、尽きることはなく人々を飢饉から

救ったのである。

 

これとは反対に、神を怒らせ罰せられたのが、「サンパロックの起源」のティモである。豊かになったティモは

やがて利己的になり、思いあがり、横柄に、不敬になった。やがて飢饉が襲ってきたときに空腹な若者を見捨てた。

弱いものに愛情を与えなかった利己的な者に神は罰を与えたのである。

 

このようにみてくると、八編の物語は「愛」をめぐる物語であることがわかる。男女の恋愛からはバナナとジャッ

クフルーツが生まれ、愛のない結婚の無念さからはマンゴーが生まれた。ココナツは世代を繋いでゆく親子の愛情

の象徴であるし、臣民に対する王女の愛情がバナナという贈り物になった。コメとサトウキビは愛のある「いい精

神」を持った夫婦に与えられたが、愛を欠いた利己的な者は罰せられるのである。

 

フィリピン人の価値観を表す言葉に「家族」がある。フィリピン人から不必要なものを一つずつ取り除いていく

と最後に残るのが「家族」である、といったことがよく言われる。社会学者メディーナはフィリピン人にとっての「家

族」を次のように述べている。「フィリピン社会の基本的な単位としての家族はフィリピン人にとって極めて重要

である。それはより大きな社会における他のいかなる制度よりも関心と忠誠心を要求する。家族は、社会的、政治

的、宗教的、経済的など個人の人生のすべての面に染み渡っているので、その影響は非常に重大である。共同体で

の生活は家族の周りに組織される」(メディーナ、二〇〇一年)

 

フィリピン人家族は、夫婦と未婚の子どもを構成員とする核家族が基本形である。この家族にとっては、夫婦関

- 107(72)-

食用作物の伝説

係、親子関係、きょうだい関係の三つの相互作用が重要となる。

 

本稿で見てきた食用作物の八編の伝説は「愛」の大切さを教える伝説であった。男女の恋愛はやがて結婚を経て

夫婦へと昇華する。親(王女)が子(臣民)を思い、子が親に信頼を寄せる。「いい夫婦」は神に祝福される。

 

フィリピン人の父祖たちは、身近にあり命を繋いでくれる食用作物に託して理想的な家族を、「愛」の重要性を

語ったのであろう。そしてその子孫たちはこれを普遍の価値と信じ、口伝えで現代まで伝えてきたのである。

参考文献

﹇使用したテキストが所収されている文献﹈

Aguilar, M

arlene Myths and L

egends of the Philippines V

ol.1 JAMAYCO, IN

C.,2007

Aguilar, M

arlene Myths and L

egends of the Philippines V

ol.2 JAMAYCO, IN

C.,2007

Aquino, G

audencio V.

(collected and edited

) Folk N

arratives from Our F

orefathers Vol.1 N

ational

Book Store, 2000

Aquino, G

audencio V.

(collected and edited) F

olk Narratives from

Our F

orefathers Vol.2 N

ational

Book Store, 2001

Maram

ba, Asuncion D

.

(edited

) Early P

hilippine Literature F

rom Ancient T

imes to 1940 R

evise

Edition A

NVIL PUBLISH

ING INC., 2006

- 106(73)-

食用作物の伝説

﹇参考にした文献﹈

石井 

米雄監修、鈴木 

静夫、早瀬 

晋三編集『フィリピンの事典』同朋舎、一九九二年

木谷 

収『バイオマスは地球環境を救えるか』岩波ジュニア新書、二〇〇七年

佐々木 

靖「トゥリー・オブ・ライフ:ココナツとフィリピン人の暮らし」『帝京大学短期大学紀要第二八号』帝

京大学短期大学、二〇〇八年

吉田 

よし子・菊池 

裕子『東南アジア市場図鑑﹇植物篇﹈』弘文堂、二〇〇一年

Agoncillo, T

eodore A. History of the F

ilipino People E

ighth Edition G

AROTECH Publishing, 1990

English, L

eo James C

.Ss.R. Tagalog ‒ E

nglish DICTIONARY, Congregation O

f The M

ost Holy

Redeem

er, 1986

English

, Leo Jam

es C.Ss.R. English

- Tagalog

DICTIONARY, Congregation

Of The M

ost Holy

Redeem

er, 1977

Jocano, F. Landa F

ilipino Prehistory: R

ediscovering Precolonial H

eritage PUNLAD Research H

ouse,

Inc., 1998

Kintanar, T

helma B. and A

ssociates, The U

niversity of the Philippines C

ULTURAL DICTIONARY

FOR FILIPINOS, U

niversity of the Philippines P

ress and Anvil P

ublishing Inc., 1996

Medina, B

elen T.G. The F

ilipino Family Second E

dition University of the P

hilippines Press, 2001

Peplow

, Evelyn T

he Philippines, O

dyssey Guides H

ong Kong, 1991

本稿で使用した図(写真)は二〇〇八年に筆者が撮影したものである。

- 105(74)-