ある臨床場面 10 23 2011...borderline personality disorder lancet 2011; 377: 74–84...

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1 名古屋大学大学院医学系研究科精神医学分野 木村宏之 「精神科医と一般かかりつけ医の連携強化事業」研修講義 10 23 2011 境界性パーソナリティ障害 薬剤適正使用含むある臨床場面 高校の人間関係をきっかけに発症 パニック障害の診断 し、SSRIで治療していた20歳女性。 おとなしく診療を受けていたが 多忙でしばらく待たせたと ころイライラした様子であった。 その後「死にたくなった」とリストカットや大量服薬を繰り返 すようになる。そして「全然よくならない(泣)」「とにかくデ パスだと落ち着くから、デパスを下さい」と必要に訴え、処 方内容をゆずらない。 あなたならどうしますか? 境界性パーソナリティ障害の特徴 よくみられる疾患 高い自殺率 高度(社会)機能障害 高率に他精神疾患の合併 インテンシブな治療 高い医療費 (Lancet.377, 74-84, 2011) Epidemiology(疫学) 一般人口の 0.5-5.9 %(女性に多いというエビデンスはない) プライマリーケアは 一般人工の4倍 精神科外来患者の 10 精神科入院患者の 15-25 このうち 5-10% が自殺死(一般人口の50倍) (Lancet.377, 74-84, 2011) 精神疾患の合併率 大うつ病 41-83% 双極性障害 10-20 物質使用性障害 65 PTSD 46-56 パニック障害 31-48 摂食障害 29-53% (Lancet.364, 453-61, 2004) メンタルクリニックには、いろんな病名でやってくる! BPDの歴史的変遷 1950年頃 Knightなどにより「統合失調症」と「神経症」の中間疾患として確立。 1970年代 力動的視点から再考され、パーソナリティ障害の一疾患として定着。 個人精神療法が治療が行われた。 1980年代 治癒を目指した長期入院治療の全盛。我が国でも入院治療が盛んに。 1990年代 医療スタッフの疲弊や治療効果など長期入院の諸問題が噴出。 外来治療が中心になり、入院治療は短期間の危機介入目的になる。 エビデンスのある精神療法(Dialectical Behavior Therapy (DBT) Mentalization Based Therapy (MBT) )の登場。 2000年代 生物学的知見の集積、薬物療法および精神療法のエビデンスの集積 American Psychiatric AssociationによるBPDガイドラン 日本におけるBPD治療ガイドライン(2007) 「個人精神療法の偏重」から「生物学的知見も加味した包括的 治療」へのパラダイムシフトが生じた。

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Page 1: ある臨床場面 10 23 2011...Borderline personality disorder Lancet 2011; 377: 74–84 生物学的知見と臨床場面 ! BPD患者が、医療スタッフのちょっとした対応に過剰に怒り出す

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名古屋大学大学院医学系研究科精神医学分野 

 木村宏之

「精神科医と一般かかりつけ医の連携強化事業」 研修講義 10 23 2011�

境界性パーソナリティ障害

ー 薬剤適正使用含むー

 ある臨床場面 !  高校の人間関係をきっかけに発症。パニック障害の診断し、SSRIで治療していた20歳女性。

!  おとなしく診療を受けていたが、多忙でしばらく待たせたところイライラした様子であった。

!  その後「死にたくなった」とリストカットや大量服薬を繰り返すようになる。そして「全然よくならない(泣)」「とにかくデ

パスだと落ち着くから、デパスを下さい」と必要に訴え、処

方内容をゆずらない。

あなたならどうしますか?

境界性パーソナリティ障害の特徴

① よくみられる疾患

② 高い自殺率

③ 高度(社会)機能障害

④ 高率に他精神疾患の合併

⑤ インテンシブな治療

⑥ 高い医療費

(Lancet.377, 74-84, 2011)

 Epidemiology(疫学) !  一般人口の0.5-5.9 %(女性に多いというエビデンスはない) !  プライマリーケアは、一般人工の4倍 !  精神科外来患者の10% !  精神科入院患者の15-25%

このうち 5-10% が自殺死(一般人口の50倍)

(Lancet.377, 74-84, 2011)

 精神疾患の合併率 !  大うつ病       41-83% !  双極性障害     10-20% !  物質使用性障害  約65% !  PTSD         46-56% !  パニック障害    31-48% !  摂食障害      29-53% (Lancet.364, 453-61, 2004)!

メンタルクリニックには、いろんな病名でやってくる!�

BPDの歴史的変遷 1950年頃 Knightなどにより「統合失調症」と「神経症」の中間疾患として確立。

1970年代 力動的視点から再考され、パーソナリティ障害の一疾患として定着。

       個人精神療法が治療が行われた。

1980年代 治癒を目指した長期入院治療の全盛。我が国でも入院治療が盛んに。

1990年代 医療スタッフの疲弊や治療効果など長期入院の諸問題が噴出。

       外来治療が中心になり、入院治療は短期間の危機介入目的になる。

       エビデンスのある精神療法(Dialectical Behavior Therapy (DBT)

       Mentalization Based Therapy (MBT) )の登場。

2000年代 生物学的知見の集積、薬物療法および精神療法のエビデンスの集積

       American Psychiatric AssociationによるBPDガイドラン

       日本におけるBPD治療ガイドライン(2007) 

「個人精神療法の偏重」から「生物学的知見も加味した包括的治療」へのパラダイムシフトが生じた。

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 BPDの診断基準 (1)現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力

(2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係

様式

(3)同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像、または自己感

(4)自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物

質乱用、無謀な運転、むちゃ食い)

(5)自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰り返し

(6)顕著な気分反応性による感情不安定性

(7)慢性的な虚無感

(8)不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒ってい

る、取っ組み合い喧嘩を繰り返す)

(9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状

9項目中5項目以上  境界性パーソナティ障害(BPD)の特徴

たいていは我慢するが、他人から不当に 責められるていると感じると・・・

(原田誠一, 臨床精神医学. 1999、改変)!

自分に自信が持てない 生き方の方向性が定まらない 他人と自分の気持ちがすれ違う 支えになる仲間が少ない

基本のテーマ

1. 落ち込み、不安 焦り、むなしさ

2. 傷つきやすさ、 心のバランスを取るのが

不得意

3. 周囲とのトラブルや行き違いでショックを

受けやすい 5. 周囲の敬遠・反発

6. 孤立、後悔

4. 過剰な反応: 怒り、危険な行動

境界性パーソナリティ障害の生物心理社会的モデル 幼少期の不遇な体験�遺伝要因�

生物学的要素 神経生物学的構造 神経生物学的機能障害�

心理社会学的要素 パーソナリティ特性(例�神経症的傾向) パーソナリティ機能(自己および対人)�

境界性パーソナリティ障害の精神病理像 情動および行動の制御困難 関係性の問題�

Borderline personality disorder Lancet 2011; 377: 74–84�

生物学的知見と臨床場面

!   BPD患者が、医療スタッフのちょっとした対応に過剰に怒り出すことはないでしょうか?

!  確かに「ほかの患者さんはきちんと待っているのに」「また受付でごねているな」と心の中で思ったことはあるが、患者さんにはきちんと説明したはずなのに。

!  必要以上に配慮しなければならない。

BPD患者さんは、他者の表情に怒りを読み取りやすい どのような表情対しても過剰に反応しやすい。

例えば・・・�

   「怒りの表情」と「悲しい表情」の混在した表情から     どちらの感情を読み取るか?

(Proc Natl Acad Sci U S A.99, 9072-6, 2002)!

Image5 について

一般の人(実践)は「悲しみの表情」を読み取るが、幼少期に虐待を受けたBPD(点線)は「怒りの表情」と感じとりやすい

BPD患者は表情認知に際して、扁桃体が過剰反応する

(Biol Psychiatry.54, 1284-93 , 2003 )!

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近年、BPDの生物学的知見が明確になりつつある。 BPDの治療において、薬物療法は一定の効果は認める一方で、適切に投薬することが難しい。

!   薬物療法の標的症状の多くは状況(治療状況を含む)依存性がある ⇒真の薬効評価が困難

!   BPD患者自身の薬効評価と専門家のそれが一致しない。薬効はしばしば部分的,一時的である

   ⇒多剤併用,不適切な長期投与の危険性

!   薬物療法は患者の投影 projection の道具(媒介)になる    ⇒誤用やコンプライアンス不良の危険性

!   薬物療法医と精神療法医とを分けるsplit treatmentでは治療状況で患者のsplitが再現されやすい 

   ⇒治療の混乱や停滞の危険性

!   薬物乱用,大量服薬が生じる危険性がある。

日本版ガイドライン(2002-2008)  APAのBPD治療ガイドラインに引き続き、日本においても日本版治療ガイドラインが作成された。牛島定信先生を主任研究者に、2002年から2008年まで作成した。薬物療法は、上島先生・平島先生が担当し、日本のBPDに対する薬物療法の適正化を目指した。

!  薬物療法は補助的治療である !  薬物の効果は一時的/部分的である  ⇒この認識により、不必要な漫然・ 長期使用が少なくなり、多剤併用が減る ⇒BPDで問題となる過量服薬・薬物乱用などへの対処にも好影響が期待できる

!  単剤治療が望ましい

著者 薬剤 有害事象

Soloff et al(1986,1989) アミトリプチリン  関係念慮・衝動性増悪

Cowdry & Gardner(1988) アルプラゾラム 衝動性増悪

Lucas et.al.(1987) メチルフェニデート 気分変調の増悪

Shultz et.al.(1988) メチルフェニデ-ト 思考の混乱・精神症状尺度(BPRS)増悪

!  依存性形成や乱用、衝動性の増悪が危惧される。 !  ベンゾジアゼピン系抗不安薬ならびに中枢刺激薬メチルフェニデ-トの使用を控えることが望ましい。

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!  BPDの特徴(過量服薬・乱用・依存)を鑑みると、有効性だけでなく安全性も十分考慮して選択すべきであろう

!  標的症状別に第一選択薬を推奨することは多剤併用を招く危険性がある可能性がある(APAガイドラインへの批判)

抗うつ薬がQTcに与える影響

0 5 10 15 20 25 30 35

Venlafaxine375mg

Milnaciplan100mg

Citalopram60mg

Fluvoxamine200mg

Paroxetine30mg

Sertraline50-200mg

Fluoxetine36.8mg

Trazodone341-191mg

Maprotiline200mg

Amitriptyline150-200mg

Nortriptyline84mg

Clomipramine3.1mg/kg

Imipramine180mg

SSRI

SNRI mean change from baseline�(msec)

各抗うつ薬の致死性毒性 Analysis of UK Mortality Data 1993-1999

処方件数10万あたり何例の自殺既遂者が生じたか

大量服薬による致死性不整脈 !  症例は40歳代後半の女性。20歳の頃から、リストカットなど自己破壊的行動を認めた。3年ほど前より、自己破壊的行動は激しくなり、精神科専門病院への入院歴もある。

!  約1年ほど前に、癌に罹患して当院で手術を施行。以後、入院時はフォローしていた。

!   X年2月 些細な口論をきっかけに大量服薬(トラゾドン25mg、ミアンセリン30mg/30日分)をして緊急入院。入院後より心室性頻拍(VT)が頻発するためICUに入室。入室後、トルサデポアン(Torsade de Pointes)を認め、マグネシウム投与や心臓マッサージなど要した。数日で状態が落ち着きICUを退室となった。その後、一般病床でしばらく経過観察をした後に退院となった。

大量服薬による致死性不整脈 !  大量服薬後により心室頻拍が頻発した後にトルサデポアン(Torsade de Pointes)を認めた症例。抗うつ剤の総量としては、安全域と考えたが、担癌状態など身体疾患の影響があったと推測された。

!  大量服薬が繰り返されるBPDにおける抗うつ剤の投薬は、大量服薬事の状況も勘案して投薬されるべきである。

トルサデポアン(Torsade de Pointes) !  心室頻拍のうち、心拍数(心臓の収縮回数)200~250 回/分で心電図上QRS 群の上下の揺れが変化する心室頻拍をトルサド・ド・ポアン(Torsades de pointes)といい、QT 時間の延長を伴っていることが多い。

(Br.Heart J.38:117,1976)�

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マイナートランキライザーに関する個人的印象

!  次々と現れる標的症状への投薬おいび患者の強い要求におれて、マイナートランキライザーが多剤・大量に投与されやすい。結果的に多剤併用になるが、標的症状と中心的薬剤が不明瞭である。

!   BPDに対するマイナートランキライザーの悪影響は  1)ぼーっとして脱抑制・解離症状を誘発させてしまう。  2)患者が抱く空想を、実際に行動させてしまう。 !  患者との関係性を構築した上で、非定型向精神病薬の単剤投与へ切り替えていく(適応外処方についても説明する)。

!   SSRI、SNRIの効果はそれほど認められない。臨床上、やむをえず使用する場合は、Activation Syndromeに留意する。

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SSRI禁忌の経緯

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●2003年5月 英国医薬品庁(MHRA)は児童・青年期の臨床試験でパロキセチンの自殺関連事象がプラセボの2倍以上であり、18歳未満の対うつ病性障害の患者への投与を禁忌とした。 ●2003年8月 日本の厚生労働省も同様に禁忌勧告。 ●2004年9月 米国食品医薬品局(FDA)は全ての抗うつ剤を推奨しない勧告を発表した。 ●2005年4月 欧州医薬品審査庁(EMEA)は、18歳未満のパロキセチンの投与は禁忌ではなく警告とし、EUの統一見解となった。 ●2006年1月 日本の厚生労働省も禁忌から警告へ。 

日本におけるSSRI(SNRI)と攻撃性 !  2004年に、因果関係は不明だが「うつ病」と認知症を併発した70代男性がSSRI服用後に妻を殺害するという痛ましい事件が報道された。これをきっかけに厚生労働省が「SSRI(SNRI)」と「暴力」との因果関係を調査。

!  結果、5年間に、計42件、患者が他人に暴力をふるうなどの「攻撃性」の症状が報告された。他人を殺したくなったり、傷つける恐れのある言動や、実際に暴力をふるった症例が29件。興奮して落ち着きがなくなるなどの症状が23件。

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Activation syndrome 抗うつ薬による中枢刺激症状(FDA 2004)

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「不安、焦燥、パニック発作、不眠、易刺激性、敵意、衝動性、アカシジア、軽躁状態、躁状態」の10症状 ■その本態については、躁うつ混合状態やアカシア(静坐不能)症状などの可能性が示唆されているが、明確になっていない。 ■対策として、軽度は抗不安薬で対応する場合もあるが、抗うつ剤を中止し、他の抗うつ剤への変更など検討。

Activation syndromeは、日本特有の概念

最新のBPDの薬物療法 Pharmacotherapy for borderline personality disorder: Cochrane systematic review of randomized trials

●安全性を第一に考える

◆ 依存性、乱用の危険性、衝動性の増悪(奇異反応)を考慮し、ベンゾジアゼピンは控える

◆ 多剤併用にも注意(本人が要求)

◆ 過量服用時の危険性を考え、三環系抗うつ薬も控える

●薬物療法で有用性が示された“気分安定薬と新規抗精神病薬“

◆ 気分安定薬:topiramate, lamotrigine and valproate semisodium

◆ 新規抗精神病薬:olanzapine,aripiprazole ◆ SSRI: so far lack high-level evidence of effectiveness、単剤で不安焦燥感が生じる可能性

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(Br J Psychiatry 196(1) p4-12,2010) BPDの薬物療法ガイドライン (上島、平島ら,2007) World J Biol Psychiatry,8,4 p212-44,2007

薬物療法における精神療法的配慮 !   BPD患者が「薬物」に対して抱く不満や苦情、あるいは期待や評価などは、治療者に対する感情の反映である場合がある。治療者が主治医を兼ねていて処方を変更する場合、そこに精神療法に対する無力感や逆転移感情が潜んでいる場合もある。

!  このようなことを考慮し、精神療法と薬物療法を切り離して考えることのないようにし、薬物をめぐって患者と話し合うことは精神療法の重要な一部であると認識することが必要である。

(成田善弘�境界性パーソナリティ障害の精神療法� 金剛出版 2006)�

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★BPDの治療経過は、漫然と      続き、薬物療法も終わりな       き投薬になるのでしょうか? ★誤解の多いBPDの治療経過に  ついて考えます。 ➡おおよその臨床経過について知っていると治療者にゆとりが生じます。

 境界性パーソナリティ障害の経過

初期:1−2年 行動の時期

中期:1ー3年 内省の時期

自傷行為や大量服薬

後期:1ー2年 社会適応の時期

自己破壊的行為・逸脱行為・物質乱用などは、2年ほどでおさまりやすい。

空虚感や孤独感などは、10年ほど経過しても残存しやすい。

The Subsyndromal Phenomenology of Borderline Personality Disorder: A 10-Year Follow-Up Am J Psychiatry 2007 (164)�

BPDの経過研究(10年) !   BPD症状を10年間のprospective follow upした研究。24の症状(急性症状12、慢性症状12)に関して10年間の経過観察を行う。

   急性症状:6年間で60%かつ10年間で85%の寛解。

   慢性症状:急性症状以外。

!  すべての患者は、導入時、Mclean Hospital の入院患者(18歳ー35歳、IQ>71)

!  評価(2年ごと)  the Structured Clinical Interview for DSM-III-R Axis I Disorders (SCID-I)

 the Revised Diagnostic Interview for Borderlines(DIB-R)

 the Diagnostic Interview for DSM-III-R Personality Disorders (DIPD-R)

The Subsyndromal Phenomenology of Borderline Personality Disorder: A 10-Year Follow-Up Am J Psychiatry 2007 (164)�

BPDの経過研究(10年) !  BPD患者290名   (女性77%、白人87%、平均27歳)

!  患者の状況   (経済状況 the Hollingshead Redlich Scale3.3 ;最高1、最低5)   (the Global Assessment of Functioning Scale(GAF) score 39.8) !  寛解   (少なくとも1回以上の追跡が可能だった275名中242名が寛解)

!  中断   (自殺12名、他原因の死亡6名、,参加困難10名、行方不明13名)

The Subsyndromal Phenomenology of Borderline Personality Disorder: A 10-Year Follow-Up Am J Psychiatry 2007 (164�

他のⅡ軸障害患者との比較

★BPDを含まない1つ以上のⅡ軸障害患者72名との比較検討。 ★他のパーソナリティ障害患者に比べてBPD患者の症状が ���有意に遷延する(19/24項目)

290名のBPDを10年間追跡 (Zanarini) 0-2年

◆ 精神病様思考

◆ 性的逸脱

◆ 治療的退行 !

2-4年

◆ 物質乱用・依存

◆ 自傷

◆ 操作的自殺行為

◆ 重篤な同一性障害!

4-6年

◆ 被害感(妄想レベルではない)

◆ 見捨てられ感

◆ 操作・価値下げ!

6-8年

◆ 慢性大うつ病

◆ 慢性的無力感・絶望感・無価 値感

◆ 慢性的不安

◆ 孤独耐性の低さ

8-10年

◆ 慢性的な怒り

◆ 慢性的な孤独感・空虚感」

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The Subsyndromal Phenomenology of Borderline Personality Disorder:

A 10-Year Follow-Up Am J Psychiatry 2007 (164)�

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 性格だから治らないの?  ~境界性パーソナリティ障害の予後 !   BPDと診断された165名のうち、15年が経過した患者で、診断基準を満たした患者(平均年齢40歳)は25%であった。さらに27年後(平均年齢51歳)には8%と軽減していた。自殺率は10%であった。                   (Compr Psychiatry 2001)

!  構造化面接で診断されたBPD290名のうち、2、4、6年後には、34.5%、68.4%、73.5%が寛解していた。   (Am J Psychiatry 2003)

症例提示 BPDの長期治療例

症例Aさん・現症1 !   20歳代後半の女性Aさん。幼少期より、自分の考えを押しつける傲慢な母親に育てられた。中学生の頃から対人関係が苦手で人

目を気にするようになった。遠隔地の大学院に進すると、人前に

出られず、引きこもるようになった。状況は改善しないため、総合

病院精神科を初診し、木村が担当になった。不安障害と診断し、

薬物療法を開始したが改善せず、2ヶ月後から週1回30分の力動

的精神療法を開始した。

!  半年ほどは、共働きの両親から相手にしてもらえなかった辛さについて語り、治療者は共感的な気持ちで傾聴していた。

症例Aさん・現症2 !  半年ほど経過した時、Aさんが持ってくる手紙に注文を付けた治療者に「先生は、私の思いを全然理解していないじゃないか」と、攻撃的になり、10針以上の縫合を要する自傷行為や大量服薬が頻発し、何度も救命センターを受診した。木村は、繰り返される自傷行為をやめるように説得したり、薬物療法を変更しようとしたが、Bさんは反発し、怒りをあらわにした。

!  このような治療関係は「自分の意見を曲げない傲慢な母」と「必死に抵抗する娘」の再演になっていた。危機回避目的の入院についてもBは断固として拒否した。Aさんは自傷行為を繰り返しながら治療者に憎み続け、木村も家族も「死んでしまっても、仕方ない」と途方に暮れた。

!  こうした中、初診から2年が経過した頃、Aさんは頸部に10針ほど縫合を要する自傷行為をし、木村との緊張関係はピークを迎えた。

症例Aさん・面接場面 (ふてぶてしい態度でだんまりを決め込んでいる)

<ずいぶん危ないところをきって…切るときは、どういう状況だったのですか?また

腹が立ったのですか?>

(ふてくされたように)よく覚えてない。

先生に、これまで何度も言っているけど、私はもう死ぬということを決めている。ほっとい

てほしい。

死ぬことが、いつ、どこになるかという問題だけ。…先生は、ごちゃごちゃうるさい!!

<たしかにいつも私にあーしろこーしろと言われて…母親みたいだと怒っていますね>

医者としてできることは決まっているんでしょう!…絶対に死にますよ。

……(緊迫感の強い沈黙が続く)。

<確かに、Aさんが絶対に死ぬというなら止めることはできないでしょうし、医療とし て手助けできることには限界があります。…ただですね、一人の人間としては、死ん でほしくないと思っています> (うつむきながら)・・・(泣)。

自己破壊的状況の明確化�治療者・患者関係の解釈�

限界設定と自己開示�

症例Aさん・治療経過 !  この面接の中で、Aさんと多くのやりとりがあっが、その後のAさんは「一人の人間としては死んでほしくない」という治療者の言葉だけをとても喜んでいた。傲慢で支配的で悪意に満ちた木村(母親)と患者という治療関係の中に、良い面を見いだしたことをきっかけに、徐々に良い面と悪い面の両方をみることができるようになった。その後、自己破壊的行為は断続的に生じたが、危機回避目的の入院などで対応しつつ、精神療法を継続した。

!  このように治療関係が構築されてきた時期に、薬物療法の適正化について再度話し合うことを提案した。以前は、まったく取り合わなかった薬物療法について方向性について、少しずつ考えるようになった。

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薬剤変更における Aの主張と治療者の説明

患者の主張 治療者のアドバイス マイナートランキライザーは落ち着くし、よい気分になる。

脱抑制や奇異反応という状況が生じやすく、損をする。

人生考えると、落ち込むんだから、鬱の薬もほしい。

鬱の薬はそれほど効果的ではない。10代の患者さんに使うと、いらいらして自殺の危険を高めることもある

抗精神病薬や気分安定剤は太るからいやだ。 もっとも状態を安定させる薬です。少しの量を使うことで、太る作用を考えたい。気分なんて偉材については、最近、太らないタイプの薬もあります

そもそも以前に抗うつ剤や抗不安薬を提案したのは先生じゃないか!

当初は、不安障害だと考えていたので処方した。BPDと診断した後もそのままだったかもしれない。2000年をすぎたころから、BPD研究がすすみ、新しい知見が得られるようになったのです。

症例Aさん・治療経過 !  (X+5)年 空虚感や落ち着いて生活できるようになってきた。Aと相談した上で、精神療法を終了し、一般再来で継続することにした。

!  (X+7)年 これまで激しくやりあっていた母親と段階的に和解し、1年に数回、実家に戻るようになった。

!  (X+10)年 母親が定年退職を迎えて挨拶にくる。「この娘が生きて今日が迎えられるとは思っていませんでした。本当に感謝しています」といった。二人で仲良く帰って行く姿は、治療初期とは大きな変化を感じた。

症例Aさん・サマリー !   BPDの精神療法例。母親から支配的・暴力的な養育を受け、その激しい憤りを外界に投影し続けた結果、外界が怖くなり人前に出られなくなった。治療経過の中で、BPDが明確になり、逸脱行為が頻発したが、薬物療法の適正化を試みつつ、精神療法を維持することに努めた。

!   「薬物療法の適正化」および「精神療法の維持」に関しては、治療者患者における関係性(信頼感)の構築が重要であった。関係性の構築は、困難な場合が多いが、「時間をかけて」構築していった。

★BPDの薬物療法は、治療関係と切り離すことは難しいと思います。 自らが処方した薬物を大量服薬される時、自殺念慮が高まった時、 治療者への怒りや衝動性が高まった時、 精神科医は、薬物療法を落ち着いて、適切に行うことが難しい。

こういう時、精神科医はどうしているのだろうか? 対象:10年間に日本の学術雑誌に境界性パーソナリティ障害に関する論文の著者

Key Words:「境界例」「境界性人格障害」

対象数:280名

有効回答:128名(有効回答率 45.7%)

(木村宏之ほか、神神経誌108(8)、p801-812、2006) �

アンケート調査項目

①自傷行為を面接で扱う場合にどうしていますか?

②ひどい自傷行為が繰り返される場合にどうしていますか?

③面接で治療者への激しい怒りが表出された場合に、どうしていますか?

④面接で治療者自身に激しい怒りや抑うつを生じた場合、どうしていますか?

(木村宏之ほか、神神経誌108(8)、p801-812、2006) �

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9

①自傷行為の取り扱い 12%

6%

6% 5%

3% 2%

43%

33%

19% 30%

18%

23%

(木村宏之ほか、神神経誌108(8)、p801-812、2006) �

②自傷行為が反復する場合 10%

11%

3%

5%

7%

4%

26% 15%

26% 30%

28%

28%

35%

(木村宏之ほか、神神経誌108(8)、p801-812、2006) �

③治療者への激しい怒り 16%

10%

6%

8%

41%

53%

27%

15%

9%

14%

(木村宏之ほか、神神経誌108(8)、p801-812、2006) �

④治療者自身の怒りや抑うつ 9%

4%

26% 22%

24%

22%

33%

14%

14% 33%

1% 5%

(木村宏之ほか、神神経誌108(8)、p801-812、2006) �

治療が煮詰まった時、世界のエクスパートは困らないのだろうか? !   「Personalities 2001」では、様々な立場のBPD治療の専門家に同じ質問をするコーナーがあった。

「真夜中に患者から自殺すると脅しの電話がありました。 あなたならどうしますか?」

 Kernberg(精神分析)

真夜中に患者から自殺すると脅しの電話がかかってきました。 あなたならどうしますか?

「もし、彼が重症の抑うつがあり、うつ病にともなう自殺 だとしたら入院させます。性格的なもので私をおどして いるのなら、私との約束を思い出させます。それでも、 もし死ぬ可能性が十分あると判断したら、私は彼の命 を助けるために全力を尽くします 」                 Personalities 2001

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Gabbard(精神分析)

真夜中に患者から自殺すると脅しの電話がかかってきました。 あなたならどうしますか?

「もし自殺衝動で自らをコントロールできなくなったのな ら、たとえ夜中であっても連絡してほしいと言います。 しかし、しばしば電話がかかってくるなら、限界を提示 して、これ以上何度も電話をするなら面接はできませ んと言います 」

Personalities 2001

Lockland(支持的精神療法)

真夜中に患者から自殺すると脅しの電話がかかってきました。 あなたならどうしますか?

「複雑な質問ですね。以前にも「オオカミだ」と叫んでい るなら、それほど相手にしないでしょう。双方の話し合 いが必要だと思います。どうするのかはあなた次第と 伝えることはよくありません。患者がおかれている状 況を把握しながら、次のセッションまでつなぎます。必 要なら20分くらいは時間をかけます」 Personalities 2001

Cloninger(TCI)

真夜中に患者から自殺すると脅しの電話がかかってきました。 あなたならどうしますか?

「一律に言えるような一般的な答えがあるとは思いま せん。これは脅しの深刻度によります。治療初期の場 合など、あまり確信が持てないときには、救急を受診さ せてみるかもしれません。次のセッションで電話が適 切だったかを話し合い、家族状況や社会的サポートシ ステムについても話題にします 」

Personalities 2001

Linehan(弁証法的行動療法:DBT)

真夜中に患者から自殺すると脅しの電話がかかってきま した。あなたならどうしますか?

「私は、リスクアセスメントをするでしょう。拳銃を持っていたなら弾丸を抜くように支持します。そしてサポートシステムがあるなら、電話をさせます。死の危険があれば救急車を出動させます」

Personalities 2001

Benjamin(行動療法)

真夜中に患者から自殺すると脅しの電話がかかってきました。 あなたならどうしますか?

「常識的アプローチを適応します。まずは患者の話を よく聞きます。自殺を思い立ったきっかけ、どうして他 の方法で対処できなかったのかなど聞き出します。そ して患者のみの安全を確保するためになんでもします。 こう言う状況にフレームワークを持つことは大切です が、柔軟である必要があります」 Personalities 2001

治療が煮詰まった時、世界のエクスパートは困らないのだろうか? !  著名なエクスパートも、患者に追い詰められたときは、同じような対応をしていた。

!  患者の自殺既遂のリスクを冷静に評価し、安定した治療が継続できるように患者に促している。

!  それぞれの学派や理論背景の違いは、目立たず、柔軟で常識的な対応であった。

薬物療法の適正化についても、患者が納得してできるところから、時間をかけて柔軟に話し合っていきたい。

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 ある臨床場面 !  高校の人間関係をきっかけに発症。パニック障害の診断し、SSRIで治療していた20歳女性。

!  おとなしく診療を受けていたが、多忙でしばらく待たせたところイライラした様子であった。

!  その後「死にたくなった」とリストカットや大量服薬を繰り返すようになる。そして「全然よくならない(泣)」「とにかくデ

パスだと落ち着くから、デパスを下さい」と必要に訴え、処

方内容をゆずらない。

あなたならどうしますか?

BPD治療における薬物療法の適正化は、困難である。

しかし粘り強く少しずつ変更することが大切である。

また治療関係が不安定ならば、 さらなる混乱が生じる。

患者との関係性が十分に 構築されてから

(6-12ヶ月ほどかけて) ゆっくりと変更したい。

おわりに

ご静聴ありがとうございました。